いる場所がないから、ここに来るのだ、とその人は言った。
嫌な場所だったら
あなたはここに来ることを選ばないでしょう?と私は言った。
もう自分はダメかもしれない、
たくさん傷つけられ、
行くべき医療機関にも行かれない、
ボロボロだ、と。
しかしその人は来た。
人が大勢集まる場に行くということ。
そこにとどまっているということ。
それは大変なエネルギーがいる。
それだけで、本当にすごいことだ、ということを
私は知っている。
そういう、多くの人を見てきたから。
これができない、あれができない、
「みんな」のようにはできない、
だから自分はダメなのだ、
とその人は言う。
時々私も落ち込むと(だいたい年2回くらい)そう思う。
しかし、10日もすると復活する。
そして、落ち込んでいる時も
「定期的疲れ」の時期に、弱っているからこんなことを思うのだ、
とどこかで観察している自分がいる。
いつまでも、
自分を貶めていてはいけないのだ。
親とか環境とか、それまでにどんなに人に貶められることがあったとしても
それを充分に感じたら
その被害的な立場から抜け出さなければいけない。
とあえて言い切りますよ!!
自分が自分を否定すること。
自分を貶めると、そのエネルギーは他者にも伝わる。
そしてまた、貶められるようなな方向づけが起きる。
これは誰かのせいということではない。
エネルギーの方向性ということ。
こういうことが「負の連鎖」の一つ。
誰がどう言おうが、
自分が自分を見捨ててはいけない。
自分が自分に、誰かからされたような無理と我慢を重ねてはいけない。
そこまでは、どんなに落ち込んでもいいし、
自棄になってもいい。
気のすむまでやればいい。
ただし、死ぬのはダメだよ。
どんになしんどい状態であろうか、
最後の最後は
自分を見捨ててはいけないのだ。
多分、それを伝えるときに
私はにこりともしない。
同情もしない。
自分を貶めるところにい続けることの無意味さや
危険性を伝える。
人には皆さまざまな課題が与えられている。
それを見極めて、そこに直面して、淡々と。
或いはぶち切れながらもチャレンジして。
誰かのせいにせず、
過去のせいにせず、
自分のやり方の「今」を模索していくのが
生きていくこと、と思う。
しかし、
自分の人生を選択できる、
人のチカラというものを
私は信じている。
いいことがひとつでもあれば、生きていく力に繋げられるから。
それをその人自身が認識することが生きるよすがになるから。
その力を信じる。
これまでも、今も。
信じている。
************
大阪WS、終了致しました。
参加の皆様、サポートして下さった皆様、
ありがとうございます。
次回は来春5月頃を予定しています。
また、関西合宿WSもそろそろ始動しようと思っています。
ぜひお越し下さい。
初めての方も、ダンスが苦手な方も、シャイな方も歓迎です。
ここは
身体だけでなく、
魂の集う場所でありますから、