原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

さわやかな朝

2011-08-30 | エナジーダンス合宿
今回は初日にすごい雷雨があったけれど、
合宿最終日、3日目の朝は
いつもさわやかに晴れる。

今年も気持のいい青空が広がった。

最終日のセッションでは
シェアをして、絵を描きK、最後にそれぞれのギフトは何か
エンジェルカードに教えてもらう。

円の中心には、
わたしがお祀りしている薬師如来さまがおります。







シェアの時、
Bさんがこのホールでフルートを吹くことを既にヴィジョンで見ていたことを話してくれ、
Aさんがシェアの場面をデジャビュしていたことを急に思い出したり、という場面もあった。









さわやかで、清々しくて
終わりを迎えるのがちょっぴりさびしい感じも持ちながら、
今年も無事に終了しました。

ここで感じたことを
それぞれが自分の日常にどう定着させて行くかを、
それぞれの課題としてお持ち帰りしていただきながら。







わたしが自分のために引いたカードは「Birth」でした。
帰りの新幹線で見た夢でも、
「はじまり」というメッセージをもらった。


厳しい年の中でも、何かがはじまる。

何があっても愛と勇気と希望を持って歩いて行こう、という気持ちになれた。


今年もありがとう、女神山!!


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鎮魂と祈りの夜

2011-08-30 | エナジーダンス合宿



合宿では、
一日中たっぷりと、
身体や自然と向き合える。
それは都会で限られた時間の中で行うWSとは全く違う時間の流れになる。
自然豊かな環境の中では、おのずと身体の在り方も変わってくる。

ワークの中で少しずつ身体をほどいていくと
それぞれの中に眠っていたものが、少しずつ動き始める。
そして、それはワーク内であろうがなかろうが、
のびのびと動き出すのだ。
そしてこの合宿の目的のひとつはそれである。


毎年、それがいちばんのヤマを迎えるのが
2日目の夜である。
夜のワークを終えて懇親会。
飲んだり食べたりしながら話は弾むけれど
やっぱりまた踊りが始まるのだ。

今年もそうだった。
ふとホールを見ると、
何人かが集まり、楽しそうに盆踊りをしている。
盆踊りからキャンプファイアーらしきものへ、
動きは遊びになり、どんどん発展、変容して行く。

(わたしはホールを出たり入ったり、誰かと込み入った話をしていたりなので
動きの詳細は覚えていないのだが、メンバーAさんからのプレゼントの古謝美佐子さんのCDをかけたのも
場に投げかけられた何かのひとつだったと思う)

気がついたら、
写真のようなものができていた。
バラフォン(アフリカの木琴)のうえに
布を飾り付けたものである。




見た途端、背中がぞくりとした。
「ああこれは柩だ」と感じた。

(あとから聞くと、これを作ったメンバーにも
何らかの意図はまったくなかったらしい)

そして自然発生的に、
皆の祈りの儀式が始まった。




古謝さんの「アメイジング・グレイス」、
そしてメンバーBさんのフルート演奏の「アヴェ・マリア」を聴いた時、
わたしの中では、何かが決壊した。
涙があふれてきて、口の周りがわなわな震えて来た。
(それはもうぽろぽろとかいう域は越えていて、滂沱、という感じ)

こんなに泣いたのは一体何年ぶりだろうというくらい、
身体の奥からあふれてくる感じがあった。
なぜだか分からないけれど、これでいいのだ、と思った。
そのままの自分でいることをわたしは自分に赦した。

自然と、柩の周りに皆が集まり、
それぞれに祈っていた。
あるひとは踊り、あるひとは跪き。

それは震災でなくなった方だけではなく、
すべての死せる人々へ、
悲しみに打ちひしがれている人すべてへの
祈りのようなものだった。
そしてそれは遠い土地のことではなく、
我がことでもあった。
それが大きかったからあのような場になったのだ。

深い深い、そしてそれゆえに重く苦しい共感。


誰も口をきかず、
ただそれぞれにその場の中に、いた。

空気がとても重かった。

それも受け止めながら、その場にしっかりと「いた」のだった。

Bさんのフルートが終わった辺りで、
ふっと空気が変わった。
なにか、一段落した感じがあった。

彼女のところに行ってハグをした。

「このためにあったんだね」、と彼女が言った。
うん、うんと頷いた。

「今までちゃんと悲しんでいなかったかもしれない。
無意識的に、目を背けていたかもしれない」
被災地から来た彼女が言った。
うん、うんと頷いた。


悲しめてよかった。
涙を流せてよかった。
祈れてよかった。
ごめんなさいと言えてよかった。
痛みを感じることができてよかった。
感謝できてよかった。

…コトバにすると、
そういうことだったのだ、とわたし自身は感じている。


そのあとは、なんだか空気が軽くなり、
皆も少しずつ口を開きはじめ、
また踊りが始まった。

参加のCさんが持って来てくれた
「天使の羽根」を
みんなでかわるがわる装着していた。
どうも装着すると日常でのの人格はどこかに消えてしまうようで(笑)
それぞれかわいい天使に成りきって踊っていた。
見ているだけで幸せな気持ちになった。


…毎年、いろいろなことが起こる2日目の晩だが、
今年も本当にすごかった。


あの日の、あの場のすべてに、感謝です。


コメント (2)
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5ヶ月、そしてお盆。

2011-08-12 | 徒然なるままに
合宿のあとのぼーっと感もまだ収まらないけれど、
ああ、今日で5ヶ月だ…と思った。

被災地を訪ねた時、
言葉を交わした被災者の方たち。

家族が流されて見つからない、という声を聞いた。
もう出てこないだろうけれど…と言いつつ、
諦めきれない気持が伝わって来た。
胸が詰まって、つらかった。
そのときの痛みは、
思い起こすだけで身体に反応を起こす。

その頃は百か日が近かった。

今頃は
初盆なのに…
と思っておられるかもしれない。

それでも、亡くなった方達は
また懐かしい家族や友人のもとに無事に帰れるといいな。

身体はあってもなくても、
抱き合って、泣いて、
声をかけ合って、
一緒に穏やかなひとときを過ごしてくれるといいな。


死はひとつの区切りではあるけれど
終わりではないし、
魂は死を通しても学んでいるのだから。


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女神山から帰って来ました

2011-08-09 | エナジーダンス合宿
8/5~7、
毎年恒例の夏合宿をおこなってきました。
仙台、首都圏、静岡、名古屋、大阪、神戸などから
お集まりいただいたメンバーとともに
ぎゅっと凝縮された時間と、風通しのいい空間を共有してきました。

今年はおかげさまで合宿10周年。

10年ひと昔とはよく言ったもので、
その間にさまざまな出来事、いろいろな出会いがあり
自分の在り方、自分が作る「場」も変化。

むろん、慣れて来た部分もあるけれど、
無理がなくなり、
流れにまかせること、
プロセスを信頼する気持が強くなったように思います。

とはいえ、
ひとの集まる「場」は生き物であり、ナマモノです。
どう転んでいくか
どう流れて行くかは
その時々で大いに違うので
そこをしっかりと見つめ、
しかるべきタイミングで
流れに棹を差したりすることも必要。

このへんの見極め方が
とてもむずかしいのだけれど、
その先に何が出てくるか分からなくても、
それすら信頼できる感覚が芽生えて来ているのを感じます。

ひと、自然、そして目に見えないものたち。
そのエネルギーが渾然となって
都会で行うのとは全く違う「場」ができてくる。

今回も、
幾多の偶然が重なり合い、
シンクロニシティが起きたけれど
それも必然的に起こることになっていたんだな、と思います。


踊り、歌い、笑い、泣き、自然と対話し、絵を描き、自分と対話し、皆で分かち合う。
コンテンツは一緒でも毎年起きることは全く違います。
今年はやはり地震という大きなファクターが
世界も、生活も、生きていくということの意味も塗り替えてしまった感じがあります。


さまざまなエピソードや
どんなことが起きたのは、
また書きますね。

女神山での合宿では、
生身のちっぽけな自分よりも
ずっと大きなエネルギーがさまざまに刺激し合い、動くので
帰って来てからはいつも
こんこんと眠ります。

眠るって大事だなあ。


来年も、もちろん女神山でおこないます。


そして20周年を目指します!

その頃にはすごいシニア合宿かも!!(笑)
コメント (8)
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