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原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

11月29日(火)のつぶやき

2016-11-30 | Twitter
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11月28日(月)のつぶやき

2016-11-29 | Twitter
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11月27日(日)のつぶやき

2016-11-28 | Twitter
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11月26日(土)のつぶやき

2016-11-27 | Twitter
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11月25日(金)のつぶやき

2016-11-26 | Twitter
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11月24日(木)のつぶやき

2016-11-25 | Twitter
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11月23日(水)のつぶやき

2016-11-24 | Twitter
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11月22日(火)のつぶやき

2016-11-23 | Twitter
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「観察する人」

2016-11-22 | セルフケア



ブッククラブ回さんのFBページで
エックハルト・トールの「観察する人」を紹介していた。

その中にこんな一文があった。

**********
自分の心の状態を「観察する人」になってください。
とりたてて何も「する」必要はありません。
「気づく」だけで十分です。気づきによって、変容と自由がやって来るのですから。
- エックハルト・トール - 『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルな教え』
***********

そうなのだ。

観察に始まり、
観察に終わる、
と言っていいくらい
それに尽きる。

観察には感情を必要としない。
観察にはジャッジを必要としない。
観察には愛も光も神の声も関与しない。
ただ、ひたすら観察を続けるのである。
どんな時も。
悲しみに打ちひしがれていようが、
怒りでいっぱいになっていようが。
自分への言い訳もしない。

そして、観察が進んでくると
さらに深く、奥の方までを見通していくことができる。

続けていくと
その場の感情に瞬間的に反応してしまう
「何かの要因」があることや
毀誉褒貶で一喜一憂していたことに気づく。
思い込みに気づく。
そういう自分を間主観的に眺めてみる。
それを続ける。

ただそれだけなのだが
それを続けていくと
自分や社会をただ見てみる、という姿勢が身につく。
自分への態度や自分の意志が見えてくる。
それは世界への視線と態度にもつながっていく。
観察という行為がミクロとマクロをつなげると自分は感じている。

自分が変わらずに世界への批判ばかりしていても
何も変わらないから。

そしてただただ、死ぬまで続けていくのです。
ひとつの淡々とした作業として。

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11月21日(月)のつぶやき

2016-11-22 | Twitter
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11月20日(日)のつぶやき

2016-11-21 | Twitter
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11月19日(土)のつぶやき

2016-11-20 | Twitter
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11月18日(金)のつぶやき

2016-11-19 | Twitter
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傷と傷痕。その2 そして怒りへの対処。

2016-11-18 | 徒然なるままに



傷を持たない人間はいない。
だから、誰しも自分のその傷の傷跡や残滓を見続ける必要がある。

それは自分自身が少しずつ変わっていけることを
教えてくれるものでもある。

経験が体験化され
体験が意識につながって行くと
自分がものを見る「層」が変わっていく。

生まれてきて色々な体験を積む、
という醍醐味はそこにあるのではないか、と思う。

憎みっぱなしも恨みっぱなしも人のせいにしっぱなしも
それで苦しむのは自分なのだから。


************************

怒りそのものは大きなエネルギーなので
怒りが収まらない人にはやはりそれを昇華する表現行為が必要なのだと思う。

細かくいうと、最初は表出。ただただ噴出されるのみで、
そこにはどう出したらいいかという方法論は見当たらない。

それをもっとうまいやり方や
人にそのことをちゃんと伝えたいと思った時に
怒りを適切な方法での表現に変えていくことができる。

出しっぱなしではなく、どのような形にして伝えるか、
何をどのように伝えたいか、誰に向けて伝えたいか、
伝えるためには何が必要か、
ということに考えが及んでいきます。

その時に初めて、恨みや怒りでもない、
それを受け止めさせる存在ではない「他者」が出現します。

脅かす存在でもなく、愛してくれる存在でもなく
ただの他者。

ただの他者、という存在がいることを獲得できた時に
穏やかな世界の片鱗が見えてくると思う。
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11月17日(木)のつぶやき

2016-11-18 | Twitter
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