1918年の1月から、22歳の賢治さんは、進路で悩んでいたそうです。おうちのあとを継ぐのか、それとも徴兵検査を受けるのか、考えねばなりませんでした。 彼自身の信仰も深まっていました。国柱会という実家の宗教とは違う世界にどのように進むのか、東京で病気がちの妹さんをどうすべきか、お父さんとの関係、自らの進路など、あれこれと引き裂かれていた。次の年には妹さんは入院してしまいます。それから彼女は故郷に帰 . . . 本文を読む
2014年の8月、18キップで柳田国男(やなぎたくにお)さんの故郷の兵庫県の福崎町というところに行きました。 記念館の前の池では、カッパの人形さんがいて、このカッパさんの目の前に何かが池から浮かび上がる仕掛けになっていたけれど、何が浮かび上がってきたんでしたっけ。もう忘れてしまった。 たくさんのギャラリーが作り物の仕掛けを待ち、上がってくれば、納得すればいいのに、またもう一度とじっと見続けていま . . . 本文を読む