小さい頃の記憶だと、砂糖がけのあげパンは五円だった。細長いチーズがこっぺパンに伸ばして入れられているのが十円だったか、二十円だったか。 なぁんだ、あげパンは砂糖がついてておいしいのに、安いなんて、油であげて砂糖をまぶすというのは簡単に作れるんだろうか。だから、安いんだろうか。おいしいけど、好きだけど、こんなので喜んでちゃダメなんだ。こづかいの無駄遣いをせずに、ポンとチーズパンを買ったら、それは贅 . . . 本文を読む
小さい頃、家には扇風機は一つしかなかった。小さい頃は一つの部屋に家族四人で暮らしていたのだと思う。どんな風にして寝ていたのか、全く記憶はない。トイレも炊事場も、洗濯場も、何も憶えてないから、そこで本当に暮らしていたのか、それさえもあやふやだが、たぶん共同トイレで、炊事場はわからないなあ。 二階に住んでいたはずだ。暑かったはずだし、何をしていたのかも記憶にないが、母と私と弟が父の帰りを待っていたは . . . 本文を読む
戦車のキャタピラーに、どこかで会ってたような気がしていました。ジェット機は全く興味がなかったけれど、プロペラ機はこれまた十代の頃に出会った気がしていた。鉄砲は、中学生の頃、織田信長という人を知ったのだから、それなりにイメージはあったけれど、全く興味がなかった。刀は、これまた全く興味がなかった。 どうして若い人たちは刀なんかに興味があるんだろう。お金になるから? 違うなあ。刀にアニメのキャラが付い . . . 本文を読む
あらためて、2015年の姫路のおもちゃ博物館のおもちゃたちを見てみたいと思います。何だかいつも懐古的なんですね。 土のお人形さんたち、このシンプルさはめざすところですね。シンプルはついついバカにされてしまうけれど、安心感があるんです。 船のおもちゃ、これはシンプルというよりも、この形から船をイメージするのが今の人には難しいかもしれない。 お祭りで、町を練りありく時の山車の船みたいな感じです。それ . . . 本文を読む
小さい時から、ずっとオチャラケ小僧だった。 みんなが真面目に話をしていたら、「それ、どういうこと? こういうこと?」とか言いながら、無関係なことを口走ってたりした。オッサンのおやじギャグというのが世の中にはあるけれど、あれはオッサンなりにシャレやら、配慮やら、場を和ませようという気づかいから生まれる努力の結晶でした。 人に対する配慮が常に足りない私なんかは、おやじギャグも言えなくて、「うっー」と . . . 本文を読む
近ごろ、寝ながら歌っています。変ですけど、そうみたい。まさか、実際にねごとで歌っているわけではないと思います。明け方近くの目が覚めるちょっと前の夢の中で突然歌がやって来て、頭の中で鳴り始めるんです。 とはいっても、クリアーに聞こえる歌ではなくて、文字先行です。「あしたというひはあかるいひとかくのねー」と、頭の中で出てくるんです。「明日という日は明るい日と書くのねー」ではないんです。 そうすると、 . . . 本文を読む
何だかとってつけてきたみたいだけど、正真正銘の昨日の明け方の夢でした。 なんていう曲なのか、全く知りませんでした。でも、フレーズだけが夢の中で何度か鳴っていました。「どうしてこんな曲なんだろう? 全く、突然のことだけど、このフレーズだけは聞いたことがあるぞ。このフレーズそのまま打ち込んだら、たぶん出てくるだろう」と検索しました。 ♬ 生まれた時が悪いのか それだけですぐに出てきましたが、何だかわ . . . 本文を読む
父と二人で、大阪駅からバスに乗るところでした。夜になっていました。バスに乗り込みました。でも、まだ発車しません。大阪駅はバスの始発のターミナルなので、時間まではしばらく待たなくてはいけない。 でも、もうバスに乗り込んだから、とりあえず私たちは家に帰れるはずです。バスに乗る時間は30~40分くらいだったか。御堂筋とかの市内の主要道路が一方通行になっていたのかどうか、記憶ははっきりしません。まあ、ど . . . 本文を読む
2015年の夏、姫路から少し内陸に入ったおもちゃ博物館にうちのオカンと行きました。オカンはまるで興味はなかったけれど、私に付き合って着いて来てくれたんですね。 表紙は、ウルトラセブンの金属おもちゃですね。こんなの高くて、とても買えなかったし、気持ちの中ではセブンとは少し離れていたかもしれません。それよりも楽しい世界なんて、特にはなかったんだと思うんだけど、セブンが動くロボットなんて、夢のまた夢で . . . 本文を読む
うちのいろんな箱の中の一つに、チビチビの鉛筆だけを集めた箱があります。昔は、小さくなった鉛筆をはさむ細長い補助具があって、そのおかげで三センチくらいになってもまだ使えたので、そこまで来たらやっと使い終わりで、だったら捨てたらいいのに、愛着のままに一つ、また一つと箱に入れていき、たまってしまったものでした。それを何十年も抱えています。 鉛筆は、二十代になってからはほとんど使わなくなりました。ボール . . . 本文を読む
昨日の夕方、玉乗りウサギに色を塗っていました。なんとまあ、のん気な休日です。ついでにラジオマンジャック(NHK-FM)を聞いていました。音楽聞きながら何かをするなんて、何だか昔っぽくていい感じでした。 たまたま70年から90年代までのディスコ音楽をかける、みたいな雰囲気でついでにマイケル・ジャクソンの「スリラー」の40周年を記念した新しいアルバムの紹介もしていて、大ヒットアルバムからそれほどの歳 . . . 本文を読む
金曜日の夕刊のトップ記事として「開業150年 石川さゆりさんが語る鉄道愛」(10/14 アサヒ)というのがありました。 彼女は1977年を通して、「津軽海峡冬景色」を歌いつづけ、もう少しでレコード大賞に手が届くか、というところまで行ったはずでした。けれども、沢田研二の「勝手にしやがれ」に持っていかれてしまいました。それは残念なことでした。でも、一つの作品の同時性と歴史性みたいなのを感じさせてくれ . . . 本文を読む
カゴシマは、もの心ついた時には「鹿兒島」だったような気がします。文字的にいうと、何だか怖い感じの場所でした。真ん中の「兒」も不思議な生き物に見えて、シカがいたり、不思議な生き物もいる変てこな場所のイメージが広がっていました。その頃は、父や母の話でカゴシマをイメージするしかない大阪の子どもでした。カゴシマは父母のふるさとでした。 父は鹿児島に手紙を書いたり、荷物を送ったりするとき、「鹿兒島縣」と書 . . . 本文を読む
昨日の続きを書くはずなのに、私ってこらえ性がなくて、すぐに他に目移りしてしまいます。それで、それはまた今度にして、今凝っているスクラップブックのことを書きます。 私がスクラップブックを始めたのは、たぶん、中学に入る前か、そのあたりです。そういう趣味みたいなのがあるよとどこかで聞いたようです。 ちょうど、アルバムをテープやのりで貼り付けるスタイルから、透明シートをはがして下のノリのついた台紙に配置 . . . 本文を読む
高野組といえば、特撮技術の高野宏一(たかのこういち)さんたちの、特撮スタッフのみなさんでした。 もう54年前の写真ですね。中心人物の高野宏一さんも亡くなられて、何年も経ちます。今朝、たまたまツイッターを見ていて、「ああ、これだ、これが私のあこがれてた世界だった」と気づきました。 それを少し書いたら、タイヤ交換に行ってきます。こんな年末になってバタバタしてますけど、いつもお願いしているお店だから、 . . . 本文を読む