今日、うちはナスビとひき肉の炒めたもの、焼きシャケ、ニラなどのぬた、その他あれこれだった。昨日の夕ごはんは、焼肉とその他だった。すべて奥さんの工夫のたまものですけど、彼女は最近少し落ち着かないから、何かどっしりと料理してみようという気持ちが起こらないみたい。 だったら、私が変てこな料理を作ればいいわけだけど、私は「料理のセンスがない」ということで、何をしても否定されてしまう。というか、小賢しい工 . . . 本文を読む
先日、一泊だけ実家に行ってきました。 その少し前に、母がずっとチャックも閉まらないボロボロのかばんで外に出かけていたので、簡単な機能で、チャックが二つの安いショルダーバックをプレゼントしたんでした。実際に持っていけばいいんだけど、誕生日に間に合わせようと荷物で送りました。 届いたという電話もあったので、自分に合わせて「肩ひもを調節してね!」と伝えたつもりでしたが、母に電話で何かを説明するというこ . . . 本文を読む
江戸時代の各地の歌を集めた本を読んでいます。まだほんの少しだけです。 そして、うちのお父さんに出会いました。うちのお父さんは、時々、芝居がかって変なこと(フレーズ)を口にすることがありました。私たち家族は、あまりそこは突っ込まないで、ただ面白いものだなと聞いていました。そこを、それはどういう意味? と、ちゃんと訊いていたら、話が深まったのに、よくわからないながらスルーしてしまっていました。残念で . . . 本文を読む
今日は水曜日、5時20分にはうちのセミが鳴きだしました。奥さんは、ナツの旅のことやら何やら、いろんなことで眠れなかったそうで、あれこれ言うよりも歩いて来ようと出ていきました。 実は、『旅のラゴス』の影響なのか、午前3時に目が覚めたら彼女がいなかったので、「もしかして、彼女はどこかへ行ってしまったんではないか?」なんて思ったんですが(ラゴスの恋人が夜明けにはいなくなる場面があったんです)、 「まさ . . . 本文を読む
母のかわいらしいころの写真、いつかスキャンしようと思って、実家から借りて来ていました。 そして、着色ソフトを買ったから、どうだろうと試してみました。 まあまあだけど、母の可憐な感じ、出せてないですね。 それにしても、うちのオカンにこういう時の写真が残ってたもんでした。近所の道ばたで撮ったものでした。 誰が撮ってくれて、どんなふうに残して来たものか、ちゃんと聞いていません。プリントアウトして、本人 . . . 本文を読む
友人から桃をいただきました。早速、夜に彼女に電話して、まあ、元気そうで、ありがたかった。妻は大事な友だちだから、久しぶりの女同士の会話をして、旧交を温め合うことができました。でも、こんなにもらい物ばかりしてはいけないから、何かお返ししなくてはいけないです。 三重県で誇れるもの、あまりないんですよ……。その日に食べるお餅とか、柿とミカンはいいんだけどな。海産物は何だかな . . . 本文を読む
うちのオカンは、ほんとに病気嫌いです。夕方、ハナミズっぽいけど、実家の方に電話したんですけど、「あら、あんた、花粉やな。オトウト(実家の近くに住んでいます)は、ヨーグルト食べて治った言うてるで、あんた、ヨーグルト食べてるの?!」「うん、食べてるけど、そんなに簡単に治れへんわ……」「ちゃんと食べなあかんで。私は元気。散歩も行くしな……」 それ . . . 本文を読む
父は歯ぎしりする人でした。先に寝てしまうことが多かったから、時々は父がしっかり寝ているのを聞きに行ったりしました。それは、たまに実家に帰った時のことだったかな。 小さい頃は、元気者でヤンチャで、聞かん坊だった、というのは、お通夜からお葬式の一連の泊まり込みの日々の中で、伯母に聞かせてもらった話でした。 伯母からしたら、唯一の弟で、五歳離れていました。ギリギリ小学校には同時に通ったので、その時の思 . . . 本文を読む
うちの父はカラスの行水でした。小さいころ、たまに父と風呂屋さんに行くと、「あれ、もうお父さん、出てしまうの?」と、不思議な感じがしたものでした。 父は、会社から帰ってくると、いつもホカホカのお風呂帰りみたいな感じだったし、ヘアトニックとかつけてたのか、ムンムン匂わせながら家に帰って来たものでした。 父が帰ってくる時間というのは三通りあって、朝の七時ごろと、お昼の二時ごろと、夜の九時ご . . . 本文を読む
突然、ひらめいたので、たぶん、ダメだと思うけれど、見切り発車で書いてみます。途中でダウンしても、それは私の責任です。そりゃもう、もちろん、何も考えてないのに、書き始めたのだから。 1974年、日本公開の季節はいつだったんだろう。春? 秋? もう、よくわかりません。 鳴り物入りというのか、ものすごい話題だけが先行して、フランス映画の「エマニエル夫人」が公開されました。 もちろん、私はそういう映画に . . . 本文を読む
母に久しぶりに電話しました。十日以上間が開いたかもしれない。母はわりと平然とした受け答えで、何でもないような感じだった。昔だったら、「久しぶりやね」とか、「長い間電話もせんといて」とか、「子どもを産んだ甲斐がなかった」とか、いろいろとお小言から始めていたのに、何でもない受け答えの方が、逆に少し怖かった。いや、私が後ろめたかっただけなんだろうか。 長い間ホッタラカシにしていたこと、怒ってないのだろ . . . 本文を読む
そのあたりに放置されているから、少し虫食いもあるみたいでした。大事にしよう、もしよかったら、自分もしてみようと、実家から持ってきたものなのに、この扱いです。 ああ、私ったら! 必要もないし、うまく利用もできないのに、ふくらませるだけふくらんで、無駄なものをため込んでいます。 他にもたくさん無駄なものはあるはずです。 でも、見て見ないふりをしています。 このマフラーは歴史の古いものだと思われるので . . . 本文を読む
今朝、四時から起きてあれこれパソコンをいじって、原稿ができそうでしたが、時間がなくなって、そのまま下書きにしてありますが、夕方母に電話をして、父のことを新しく聞いたので、メモみたいにして書くことにしました。 父は神童といわれた時があったようです。何に関する神童なのか、音楽なのか、数学の才能なのか、他にはわからないから、たいした神童ではなかったと思うんですけど、カゴシマ生まれなのに、中学時代は東京 . . . 本文を読む
どこにも行かない日曜日、片づけをしていたら、断片が出てきました。メモしてみます。 父退院帰った家はあたたかで夕食準備母はするかも 年の暮れ二か月ぶりの外の風 退院した父サンパツをする 二つとも、2011年の12月に作ったようです。大変なことのあった年の秋に父は入院したのですね。ホントに苦しかったと思います。でも、そんなことは父から一切聞かせてもらえなかった。 まあ、話しても仕方がなかったんだ . . . 本文を読む