11月の初めに、昔の仲間たちが金沢に集まりました。本当はふたり仲間がいるんですが、ひとりはつむじを曲げて、「みんなに会わない。」「行方不明ということです。」なんて、とても残念なコメントを残し、私たちを拒否したことになりました。 どうしてなのかなあ。そんなに会いたくない何かがあったんですね。私は、わかってるつもりで、せっかくみんなが集まったら、彼も折れてくれて、会いに来てくれるのではないかと思って . . . 本文を読む
本当は、空想ではなくて、ちゃんと青森に行くはずだったのです。でも、どういうわけか、ズルズルと行かなくなってしまいました。 どうして行かなかったのか? ほんの少しの違いだったと思うのですけど、もう一つ気持ちが盛り上がりませんでした。ザンネンでした。奥さんにサンパツしてもらったら、スキッと青森に行けたでしょうか? わからないですね。まあ、来年の夏には絶対にクルマで行くだろうし、その時の楽しみに取って . . . 本文を読む
金沢に出かけたのは3週間ほど前でした。いつも見ていた「こころ旅」は長野、山梨、静岡と進んでいたのだと思います。来シーズンはどうなるだろう、なんてボンヤリ考えてたでしょうか。 この3週間余りの間に、谷川俊太郎さんが亡くなられ、いつかそういう日が来るとは思っていたけれど、とうとうそうなってしまったと、悲しい気持ちを抱えていたら、火野正平さんも、北の富士さんも相次ぐ訃報が届けられてしまった。特に正平さ . . . 本文を読む
昨日もおとといも、おでんの夕ごはんでした。二日目だからダイコンもおいしかった。練りものもおいしくいただきました。どうしてこう練りものが好きなんだろうな。小さい時から食べ慣れてたんでしょうか。カマボコも好きでしたね。近ごろはおいしいカマボコがなくなって、みんな均質で無味乾燥なお味です。 昨日だけじゃがいも入りましたね。これまたおいしかった。このおいしさは何ていうんだろう。お酒を飲んだから、何だって . . . 本文を読む
大阪にいる時にも、三重県にいる時にも、わざわざうちを訪ねてくれた仕事の仲間がいました。彼とはほんの1年間の付き合いでしたが、細々とつながっていました。みんなのリーダーになれる人だったし、先見の明があって、組織をどう動かしたいか建設的な意見を言葉にしてくれる力がありました。とても頼れる仲間で、私の方が年は取っていましたけれど、彼の言葉の方が重みもあったし、説得力がありました。常に先を見ていたし、自 . . . 本文を読む
土曜日、朝ごはんを食べました。晴れています。おなかはいっぱいです。昨夜は兼六園のライトアップも見ました。金沢おでんも食べました。初日でいろいろ体験しました。まだ石川県滞在します。旅の途中ですからいろんな情報やら、新しい刺激みたいなのが入って来る感じです。それはいつものだらしない生活とは違います。有り難いことですけど、いっぺんにたくさんのものを受け入れられなくなってるのかなぁ? すぐにパンクしそうな . . . 本文を読む
今日は晴れでした。いつものように枯れ枝・枯れ草をゴミ袋に入れて、一週のちのゴミの日に備えることにしました。もっと袋いっぱいに枯れ草を集めたいのに、いっぱいにはなりませんでした。 明日から昔の仲間に会いに行くから、おみやげを買いに出かけて、地元で有名なものを買い込みました。とはいうものの、私たちも食べたことがなくて、三十年近くこの町に住んでいるのに、私たちは何をしていたことやら、仕方がないので自分 . . . 本文を読む
11月の初めに、金沢で昔の仲間が集まるということなので、奥さんも参加するので、二人であれこれ久しぶりに服を買おうとしています。 とはいえ、私たちはカジュアル中年(のつもり)なので、買う服というのは、何だかワガママな、パリッとしない服ばかりです。 フォーマルというのか、ナイスミドルというのか(こういう言い方あるのかな? 私たちって、もうミドルではなくなって、オールドなんだろうな)、ちゃんとした大人 . . . 本文を読む
去年の秋、ピーチ航空に乗って新千歳に行き、そこから千歳市、小樽市、余市町、倶知安、長万部、東室蘭、苫小牧とグルッと函館本線・室蘭本線で一周する旅をしました。誰とも話をする機会はなかったけれど、私としては楽しい旅でした。 函館本線がなくなるというから、それに乗っておきたかったんです。たぶん、新幹線が通ったら、長万部から倶知安、余市、小樽を通る鉄道は廃止されるでしょう。もう私たちの力ではどうしようも . . . 本文を読む
宮沢賢治さんよりも三十年以上早くアントン・チェーホフさんはサハリン島へ来ていました。 目的は何だったのか、それはわかりませんが、帰ってきてからその時に感じたことをまとめていて、日本では1953年に岩波文庫で『サハリン島』の2冊が出たようです。2009年に第8刷が出て、それを私は買っています。もちろん、買っただけで、もう10年以上放置しています。あいかわらずムダなことばかりしている。もうずっとそん . . . 本文を読む
終夜が波の響きと風の音と、それに雑多の――それは帆柱に降る、船室の屋根の上甲板に降る、吊りボートに降る、下の甲板に降る、通風筒に吹きつける、欄干(てすり)に降る、――雨の音であった。船の揺れはますます激しく、私のいわゆる王様のベッドの洋銀の欄干、網棚、カーテンの鐶(かん 金具のこと?)などは、しっきりなく音を立てて鳴った。 白秋さんは1925年に東京から樺太に向かう観光船に乗っていました。小樽で . . . 本文を読む
夏、お盆の前になると、岩手の奥さんの実家に行っていました。コロナのシーズン(2020~2022くらい)と震災の直後(2011~2012)以外は行っていたような気がするけど、そんなに毎年というのでもなかったかもしれません。 とりあえず去年は、新幹線で行き、泊まるところが予約取り消しをされていて、仕方なく(私のワガママで?)ひとりで青森のねぶたを見に行き、初めてねぶたを見ることができて、幸せでした。 . . . 本文を読む
時代小説の作家世界の先輩、子母澤寛さんのことを司馬遼太郎さんはこんなふうに書いておられました。 両親の縁がうすく、生後ほどなく祖父十次郎、祖母スナにひきとられた。祖父十次郎は厚田村で角鉄(かどてつ)という旅籠屋を営んでいた。「猫可愛がりというのでしょう」 子母澤間さんに近づきを得たのは昭和三十六、七年ごろで、当時、私は新選組のことを調べていた。 そして、どうしても子母澤寛さんの本をあれこれ使わせ . . . 本文を読む
本そのものは文庫本で1992年に買いました(単行本はなるべく買わないようにしています)。その年の夏に私は北海道に行きました。札幌から新十津川、富良野、十勝岳温泉、戻ってきて札幌の発寒と、普通は行かないコースを研修させてもらう旅でした。コースは少し違うけど、司馬遼太郎さんと一緒に歩くような感じで、旅が終わってから本は読みました。 私の旅と司馬さんの旅は、かなり違うんですけど、自分が見てきたところを . . . 本文を読む
名古屋から金沢まで、特急しらさぎは走っています。でも、これもあと少しで終わってしまいます。すべて敦賀で止められて、そこから先は新幹線に乗り替えなきゃいけない。 どうしてこう私たちの社会って、すべてを新しいものに切り替えなきゃいけないんだろう。 新幹線が敦賀まで来たとしても、一部の特急は金沢まで走れるように運用すればいいのに、それを許さなくて、金沢から敦賀までの北陸本線は第三セクターで地元移管にさ . . . 本文を読む