半年ぶりで「おくのほそ道」にもどってきました。いつになったらゴールにたどりつけるのか、ほんとに薄っぺらな本なのに、私にはハードルが高いですね。そして、これをゴールまでたどり着けたとしても、それが果たしてゴールなのか、わからないのです。 そんなことを言ってたら、いつまで経ってもゴールにたどり着けないし、すべてはなかなか当てにならないものだと思って、とりあえず行けるところまで行きたいです。あれこれ考 . . . 本文を読む
二月はにげる、というけれど、ついこの間節分だとかなんとか言ってたような気がしたんだけど、怖いくらいにこの時期の回転の速さです。こんなに目まぐるしく時間は過ぎていくのに、ニュースときたら、政治はウラガネだし、スポーツといえばオオタニくんだし、何もかも話題がないみたいに進んでいます。 あれこれあるように見せかけて、結局何も変わっていないだけです。大谷くんはきっと頑張るだろうし、政治の低迷は続くでしょ . . . 本文を読む
長いブランクがありましたね。もう2024年になりました。また、今年の夏も東北に行くと思うんですけど、今年こそ秋田の温泉に行きたいですけど、どうなることかなあ。三重からだと少し遠いですね。 さて、芭蕉さんの旅は、月山の登山を行ない、湯殿山へ降りてきて、そちらで見たことは一切語らないということでした。そのあと、俳句をいくつか書いていて、残り二つありました。 語られぬ湯殿にぬらす袂かな 湯殿山は神秘な . . . 本文を読む
どこかのテレビで見た芭蕉さんの姿を追い求めて、とうとう月山をめぐることができています。 それはしあわせなことでした。何の気なしに生きてるけど、やりたいこと、好きなイメージを求めること、今までどれだけできたというのでしょう。 簡単にはできないし、できたとしても何だか不満が残ったりするかもしれない。でも、自分にやれることは限界はあるのだから、自分で確かめながら、やっていくしかないのだと思うんです。そ . . . 本文を読む
いつもはホッタラカシの曽良さんの「随行日記」を見てみることにします。すごく丁寧に読みたい気持ちなんです。何だか不思議です。そんなに月山が気になるんですね。象潟がメインではなかったのかなあ。○(六月)四日 天気吉。 昼時、本坊へ蕎麦切(そばきり)ニテ被レ招(まねかれる)、会覚(というお坊さん)ニ謁(えつ)ス。并(ならびに)南部殿御代参ノ僧(盛岡南部藩のお殿様の代理でお参りしているお坊さん)浄教院( . . . 本文を読む
1984年の夏、彼女と羽黒山だけバスで行きました。お参りが目標だったのか、山の中につづく道のそばにある五重塔が見たかったのでしょうか。根性がなかったので、羽黒山神社からずっと道を下る作戦にしました。そして、麓でバスに乗って鶴岡に向かった。そこから、酒田の町に出ました。 全く知らないところを歩いていて、自分たちの存在がなかなか感じられませんでした。麓のバス停のところで着色絵ハガキを買ったら、月山の . . . 本文を読む
いよいよ月山に登ります。夏スキーもできるくらいのところだから、雪はたくさん降るでしょうし、冬の間は全く人を寄せ付けないありがたいお山なんだと思われます。芭蕉さんはどんな装束で登ったことでしょうね。山伏姿? やはり白装束だったのかな。 八日、月山にのぼる。木綿(ゆう)しめ身に引きかけ、宝冠(ほうかん)に頭(かしら)を包み、強力(ごうりき)といふものに道ひ(導 みちび)かれて、雲霧(うんむ)山気(さ . . . 本文を読む
[これ、3/7の昨日書いたんですけど、下書きのまま提出したので2月のどこかに埋もれておりました。失礼しました。] 実は、月山に早く行きたいと気持ちは焦っていました。でも、なかなか行けなくて、自分の中でもモヤモヤしていました。とりあえず、その手前まではいこうと思います。 芭蕉さんは、羽黒山のお参りするところの少し南のお寺に泊めてもらっています。ちゃんと関係する人つながりでお山に入りました。この南谷を . . . 本文を読む
うちにある古い絵ハガキをスキャンしました。これらは古本市で買ったのではなくて、ちゃんと羽黒山のふもとの土産物店で買いました。鶴岡駅に向かうバスを待ってたはずです。日付もメモしてあって、1984年の8月6日の月曜日に買ったそうです。 私たち(当時の彼女、今の奥さんと私)は、はるばると山形まで来ていました。上野発の夜行列車でここまで来ていました。何しにこんなところへ来ていたのか、イマイチ意図は分かり . . . 本文を読む
(残念ながら、この最上川の写真は借りものです。いつか、自分で行きたいです。) 最上川に行こうと思います。私は、2019年の夏、酒田から瀬見温泉(新庄市)に向かった時に、突然に山が迫ってきて、今までは広大な庄内平野を走っていたのに、山とその山を切り裂く最上川に出会いました。クルマで走りながら見下ろす最上川は水量が豊かで、たぶん、熊野川よりも深くて流れは速いような感じでした。 今まで、そんな川をどれく . . . 本文を読む
五月二十七日(現在の暦でいくと七月十三日なんだそうです。梅雨明けしたかな?)、芭蕉さんは清風さん(尾花沢の商家さん)の好意により、鶴岡まで馬で送ってもらうことになりました。途中で立石寺に寄ることになります。 山形領に立石寺(りゅうしゃくじ)といふ山寺あり。慈覚大師(じかくだいし)の開基にして、ことに清閑(せいかん)の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとつて返し、その間七里ば . . . 本文を読む
季節はもう通り過ぎてしまって、またしばらく待たなきゃいけないけど、尿前の関からスタートしているので、新潟までは行きたいです。ずっと昔に芭蕉さんが歩いた道です。でも、夏でも親不知・子不知は怖いですけどね。 というんで、わざとらしくベニバナを描いてみました。知らず知らずにウクライナカラーになってしまいました。何だかいい感じです。 尾花沢にて清風といふ者を尋(たず)ぬ。かれは富める者なれども、志(ここ . . . 本文を読む
あるじのいはく、これより出羽(でわ)の国に大山(たいざん)を隔(へだ)てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。 この家(一夜の宿を借りるつもりが大雨で三泊させてもらったおうち)の主人が言うには、ここから出羽の国に出るには、途中に大きな山があって、道もはっきりしないので、道案内の人を頼んで越えるがよい、とのことでした。 確かに、長くてアップアンドダウンの続く道でした。国道 . . . 本文を読む
冬が近づいているというのに、梅雨あたりの山形へ向かおうとしています。どうしてだか、理由はただの旅ごころというものでしょうか。 平泉の後、一ノ関はスルーして、鳴子温泉にも宿泊せず、わざわざお馬さんのオシッコの音を聞きに行くことになります。まさか、オヤジギャグじゃないですよね。 南部道遥(はる)かにみやりて、岩手(いわで)の里に泊まる。 北のかたの南部地方へと続く街道をはるかにながめやりつつ、道をと . . . 本文を読む
中尊寺の写真データを探しましたが、見つかりませんでした。仕方がないので、本文だけを見ていきます。 かねて耳驚したる二堂(にどう)開帳(かいちょう)す。経堂(ちょうどう)は三将の像をのこし、光堂(ひかりどう)は三代の棺(ひつぎ)を納め、三尊の仏を安置す。 以前から話に聞いていた経堂・光堂の二堂が開帳していました。経堂は藤原の清衡・基衡・秀衡の三代の将軍たちの像を残していて、光堂(金色堂)には三代の . . . 本文を読む