昨日、『放浪記』(1962 東宝)という映画を観ました。久しぶりに2時間も映画というものに向き合いました。そこで林芙美子さんが気になって、どんな人だったのか、短い作品は読んだけれど、長いものは読んでなかったのに気づきました。『放浪記』を取り出してみました。
奥さんには、「お父さんは読んだはず!」と言われた。だから彼女も『放浪記』を読んだのだということでした(そうなのかな? 古本屋で箱入りの本を売ってしまったかな?)。確かに、家にある文庫本の途中に付箋をしたのは私です。彼女はそんなことはしません。私は闇雲に付箋を貼り、抜き書きをする人でした。何の役にも立たない、これだと思ったらメモしたい人でした(そして、すぐに忘れてしまう!)。
何もかもがアヤフヤで生きているのだから、読んだにしたところで、何も憶えていないのですし、どっちだっていいけど、記憶がなくなっていくは怖いことです。
表紙にしたのは、『カルメン故郷に帰る』(1951 松竹)のワンシーンで、日本初のカラー版とモノクロ版とがあるようです。ネットからモノクロ画像を借りてきて、それを着色ソフトで色を付けてみました。ヒマですね! さすがのナマケモノです。
彼女は役柄がストリッパーだったとはいえ、故郷の浅間山あたりでもお腹を出しているって、何だか変です。ここがテレビの予告でも流されていたのは見ました。でも、録画しないで、イマイチ魅力を感じてなかった。喜劇と銘打って作品作りをしているので、設定というか物語的にどうなんだろうという、多少の不自然も喜劇のうちだったのでしょうか。
この帰ってきた場面はテレビの予告で見ました。けれども、本編は見たことがありませんでした。いやいや、『二十四の瞳』(1954)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957)などはホールでちゃんと見ましたよ。それも80年代のことだったでしょうか。四十年以上前のことです。松竹という映画会社を支えたのが高峰さんと原節子さんだったんでしょうか。
1960年には原節子さんも引退してしまうし、60年代は高峰秀子さんはどんな仕事をされたのか、うまくつかめていないけれど、とにかくずっと頑張って来られた方でしたね。コマーシャルでチラッと出て来る高峰さんが、大女優だったなんて、小さい頃は全く知りませんでした。長い間、高峰秀子さんという方にもまともに出会ってなかったのです。
晩年はエッセイストとして活躍されて、私もいくつかは読ませてもらいました。改めて思い出して、うちにある本を読み返さなきゃな、と思った次第です。
メモを書きます。貼った理由ゃ筋の展開などメモします。
更に、気に入った文章があれば、パソコンに記録します。そうして20年以上も続けていると、記録したお気に入りの文章はA4版で446頁にもなります。
その一例を紹介します。
№1768 アイヌの世界観
世界は神々のもので人間はそこに住まわせてもらっているちっちゃな存在だ。森、山、川、湖、海、至るところに神様がいて世界を輝かせている。だから、おれたちアイヌは山に入る前に神様の許しを乞う。エゾシカや羆を獲ったら、祈りをささげる。 (p158-f2)
※神(カムイ)の涙 馳 実業之日本社20.12刊
1768回目の記録で米印の本の158ページの前から2行目に書いてある、ということを表しています。
「こんなことして何になるの」
時々同じような疑問がわきますが、時々このメモを読み返し満足しています。時にはブログ記事のネタ本にもなります。
同じ趣味の方を知ってなんとなく安心しました。