今日、あわてて紫式部集を取り出して、拾い読みしました。 九州の歌があるかなと探してみました。今週末で終わってしまう大河ドラマの「光る君へ」のまひろさんが大宰府まで出かけて、そこで心通わせた周明さんと再会し、松浦も訪ねてみたい、さわさんの亡くなった土地を見てみたいなんて言っていたし、何だか九州の歌があるのかなと思ったんでしたね。そんなに簡単に見つかるわけがないのに! まひろさんの生まれた年というの . . . 本文を読む
うたを聞かせてくれないかありふれた歌じゃなくってさ古い歌でもなくってさだれかのおしきせ(押し着せ?)でもなくってさ。あたらしいうたをうたってよあなたのうたをうたってよあなたの歩いてきた道を簡単にはつたえられないだろうけど。あたらしい、あなたのうたなら聞きたいなそれはわたしと似てるかなそれとも違ううたかもなぁそれでも何だか聞きたいな。あなたのうたなら納得すると思うあなたのうたならシンミリすると思うあ . . . 本文を読む
安野光雅さんの『絵のある自伝』(2011 文芸春秋)というのを読んでいます。そこから二つだけ抜き書きして、今日は寝ようと思います。なかなか胸がキュンとなる(オッサンだけ)お話です。 安野さんのお子さんが四歳の時、安野さんのお母さん(息子さんにはおばあさんに当たります)と口論されてたそうです。すると、 その子が「おばあちゃんもすきだよー、お父ちゃんもすきだよー」といって泣いた。この子の涙に、わたし . . . 本文を読む
今の気分は、こんな感じ。♫雨がふります。雨がふる。 遊びにゆきたし、傘はなし、 紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒が切れた。 この歌は、北原白秋さんの大正七年(1918)の9月の作品なのだそうです。「雨」(作詞は白秋さん、作曲は弘田龍太郎さん)という曲で、岩波文庫の『日本童謡集』には5番まで載っていて、こんな感じでした。〽雨がふります。雨がふる。 昼もふるふる。夜もふる。 雨がふります。雨がふ . . . 本文を読む
1・三尾(みお)の海に網引く民の手間もなく立ち居につけて都恋しも 三尾の海で漁師たちが、手を休めるひまもなく網を引いて働いていて、その立ったり座ったりする姿を見るにつけて、都が恋しくなるのです。仕事をしている人を見たら、自分の仕事は何か、都であれこれ悩んだりすることなのかと思ってみたり。いやいや、ただの旅愁かしら。 三尾の海という . . . 本文を読む
素性法師さんの作品にこんなのがあって、メモ帳に記してありました。 いざ今日は春の山べにまじりなむ 暮れなばなげの花のかげかは さあ、今から春の野山の中へ入っていきたいものだ、さあ行こう行こう。そして、日が暮れてしまったら、どこかの名前の知れない花の下に眠るとしよう。 明るいような、悲しいような歌でした。このまま野山にまじり、消えてしまいそうで、それを望んでいる雰囲気さえ感じられて、何だか怖くなり . . . 本文を読む
同じ本をネタにして書くことにします。いくつかノートに書き写しましたからね。とはいえ、ありふれているというのか、ポピュラーな感じです。 前にも書いたかもしれないけど、古い話を思い出しました。二十代のころ、先輩たちに連れられてキャバレーみたいなところに行きました。お金を払ったかどうか、払ったのかな。会費制だったかな? とにかく行きました。ものすごいおネエさんたちがいました。「あんたのお母さんくらいよ . . . 本文を読む
岩波文庫で「山家鳥虫歌」という近世諸国民謡集という本があったそうで、どこで買ったんだか、メモしそびれたけれど、とにかくウチにあります。 冒頭は、山城の国の歌だそうで、 めでためでたの若松様よ 枝も栄える 葉も茂る おめでたい時に歌ううたでした。でも、実際に歌っているのを聞いたことがあったのかな。考えてみると、ないかもしれない。 けれども、「おめでたい」という気持ちがあったら、私たちは「ああ、めで . . . 本文を読む
『新古今和歌集』から、シカと秋の短歌を抜き出してみます。秋の下巻からです。 下紅葉(したもみじ)かつ散る山の夕時雨(ゆうしぐれ)濡れてやひとり鹿の鳴くらむ[藤原家隆朝臣] 山の下は紅葉になっています、けれども散る紅葉もあります。紅葉を散らすかのように夕暮れの時雨が降ってきます。冷たい雨に濡れてひとりぼっちのシカは鳴いているようです。 山おろしに鹿の音(ね)高く聞こゆなり尾上の月にさ夜や更けぬる[ . . . 本文を読む
その年の6月、函館の弥生小学校の代用教員の石川啄木(月給12円 1902年に小諸義塾の教員をしていた30歳の島崎藤村の月給が25円、漱石先生はその3倍ほどだったか? 代用教員とはいえ、啄木の月収はものすごく少ないのです。たぶん、今の12万円かそれ以下だと思われます)、青柳町に新居を構え、妻子や母を迎えたそうです。21歳で一家の大黒柱になりました。父親は失踪していたということでした。 ああ、それな . . . 本文を読む
神西清さんが編んだ『北原白秋詩集』(1950 新潮文庫)から、「紺屋のおろく」という詩を写してみます。 紺屋のおろくにくいあん畜生は紺屋(こうや)のおろく。猫を擁(かか)えて夕日の浜を知らぬ顔してしゃなしゃなと。にくいあん畜生は筑前しぼり、華奢(きゃしゃ)な指さき濃青(こあお)に染めて、金の指輪もちらちらと。 何となく妖しいキャラですよ。みんなから嫌われてるの?いや、愛されてると思うし、みん . . . 本文を読む
先日、松阪の窯元さんのアトリエ兼住宅を訪ねたとき、そこのお庭も見せてもらいました。 珍しい花があって、私は果物系には弱いから、もうキーウィーの花に心を奪われました。うちの奥さんもひととおりビックリはしていたけれど、栽培している人にはそれほど珍しい花でもなかったのかもしれません。それからしばらくして彼女は「ほら、オダマキの花だよ」と教えてくれても、私は何とも反応しませんでした。 ただ「オダマキ」と . . . 本文を読む
萩原慎一郎さんの短歌からいくつかを取り上げさせてもらいました。 これはたぶん、取り上げてないと思うんだけど、もしかしたら、取り上げてるかもしれません。過去のブログをざっと見たんですけど、わかりませんでした。 もう最後と思って、見てください。 私は、今回の選挙はどうにもならないな、と愕然としたんでした。日曜の朝でしたね。それほどに人々の興味は選挙にはなかった(私もそんなに興味はなかった。あまりに実 . . . 本文を読む
萩原慎一郎さんの『滑走路』という歌集からいくつか抜き書きをさせてもらいました。その三回目です。よろしくお願いします。 若者である自分を見つめ、何とか社会を変えていこう、世の中に関わりたい、でも簡単には世の中は変わらない。どうしたらいいんだろう。そのもがきみたいなものを感じさせる作品がいくつもありました。箱詰めの社会の底で潰(つぶ)された蜜柑のごとき若者がいるコピー用紙補充しながらこのままで終わる . . . 本文を読む
「滑走路」という歌集を読ませてもらいました。ここで若者たちの静かな怒りのようなものを感じました。 若者たちを踏みにじりながら、年寄りや社会はのうのうと存在している気がします。私は、どちらかというと、踏み倒されてきた方だと思いますし、今も浮草のように生きていて、いつでも枯れてしまうものだと思っていますが、私みたいなものよりもはるかに今の若い人たちは重いものを背負わされているのでしょう。しかも、彼ら . . . 本文を読む