10年くらい前から、世界の人たちの富士山訪問は続いているんだ、と東京に住む友人は教えてくれました。世界遺産になった(2013年)のと、コロナも明けてそれ見に行け! とばかりに押し寄せているようです。それはもうものすごい勢いです! 私たち(日本人)が富士山を好きなのは、それはとりもなおさず日本人だからだと思っていましたが、割りとありふれたミーハー意識だったのかもしれません。一般受けするような、わか . . . 本文を読む
ホテルでぼんやりしようと、顔も洗ってお風呂も入ったのに、ずっと鼻水。たぶん、1日の積み重なったもので炎症を起こしているようです。何だかおかしいです。さて、山梨の大月から河口湖を経由して、静岡の三島に出る予定でした。お昼ごろ、富士急に乗りました。三両ある電車は満員で入るスペースが見つけられませんでした。ドアのところに座り込んでる女の子のところが入れそうで、割り込んだら、ドア閉めの時につんのめってしま . . . 本文を読む
昨日、また眠れないと思って1時まで寝ました。今はしばらく起きてますが、たぶん寝ると思います。山梨県の大月という町にいます。朝になったら、ここから南の町を歩いて、そのまま富士市まで行きます。実は昔このあたりに住んでいました。でも、自慢できるものは何もなくて、小さな町を行ったり来たりしていました。町には詳しくはならなかったけど、人には触れた気がします。高校で人というものを知った気になってたけど、人はも . . . 本文を読む
今朝、4時半に時計をセットしてみました。22時半に寝始めたので6時間睡眠できる予定でした。起きるのが早いのと、電車に乗り遅れたら、すべての乗り継ぎが狂ってしまいます。そんな不安と緊張からか、ずっと眠れなくなりました。まあ、よくあることです。旅する興奮もあったんでしょう。眠れないなぁーと嘆きつつ、何度も時計を見ました。もう、寝なくていいからと覚悟を決めました。かくして、松阪から亀山、名古屋、中津川で . . . 本文を読む
先日、一泊だけ実家に行ってきました。 その少し前に、母がずっとチャックも閉まらないボロボロのかばんで外に出かけていたので、簡単な機能で、チャックが二つの安いショルダーバックをプレゼントしたんでした。実際に持っていけばいいんだけど、誕生日に間に合わせようと荷物で送りました。 届いたという電話もあったので、自分に合わせて「肩ひもを調節してね!」と伝えたつもりでしたが、母に電話で何かを説明するというこ . . . 本文を読む
パソコンがまたまた動きません。買い替え時なのかもしれない。[あれ、よみがえったかな? わからないね?] 奈良は平日なのに、ヨーロッパ系の人たちがたくさん歩いていました。JRの奈良駅から東に向かう三条通りはみんな競うように突き進んでいました。その反対に駅に帰る人たちも次から次といる。家族連れ、韓国の若い男子集団、東南アジア系、台湾系・中国系、みんな外国の人ばかりでした。 奈良駅のパン屋さん併設の喫 . . . 本文を読む
できればこんな日に京都になんか行きたくなかった。本当はもっと他のところに行くつもりだった。けれども、春の嵐というし、今朝六時前に遠い雷鳴で目が覚めて、「ああ、こりゃ、ほんとに雷も朝からずっと鳴り続けるのか」と不安になって、遠くに行かないで、途中の京都、それも駅から歩いて十数分のところにある、どうしても行ってみたかった東本願寺の渉成園というところに行ってみることになった。 雷や雨が気になるのなら、 . . . 本文を読む
18きっぷの一回目、三重から奈良経由で、ナンバをフラフラして、実家に着きました。母と待ち合わせてお買い物をして、夜に弟たちが来るのを待ちました。でも、弟は忘れていて晩ごはんの用意をしているということでした。母が電話して20時近くになってようやくわかりました。電話したら、今料理を作っている最中ということだったから、完全に忘れていたようです。それはないぜ、と思ったけれど、弟もいろいろあるみたい。まあ、 . . . 本文を読む
昨日の古いカードを取り出してから、古いことにあれこれと思いはとらわれてしまっています。たまたま二枚のカードを見つけました。 一つ目、1991年5月末に書いたカードです。 泉陽高校(古くは与謝野晶子さん、新しくは沢口靖子さんの母校)の90周年記念誌からの引用がなされていました。こんな孫引きは絶対にしてはならないと担当教官の先生に指導していただいたのに、ついつい孫引きばかりしています。 職員は午前七 . . . 本文を読む
団伊久磨さんに教わってたのを、30年ぶりに復習してみます。今ではネットもあるので、国立博物館が公開してくれているものを見ることができますけど、実際に手元にこの本があればいいですけど、そこまで私はサカナの専門家でもないので、ただすごいなと感心しているだけにしましょう。 1994年の3月11日のアサヒグラフのパイプのけむりの連載でこんな風に書いておられました。 鹿児島湾を昔の文人は麑海(げいかい)と . . . 本文を読む
時々、思い出したように『論語』を開きます。というべきか、すでに言葉リストがあって、その順番に貼り付けていくだけのことなのだと思います。でも、まるで身についてないから、『論語』を開くたびに意味を考えます。 今日はどうですか? 何だか、ありふれた結論しか見つけられないです。とはいうものの、私たちは結局「人のふり見て我がふり直せ」と教えられている通りに、なかなか自分の中で基準が見つけられなくて、他人の . . . 本文を読む
休日の昨日は、何もしませんでした。お仕事の今日は、しっかり頑張りました。でも、自分はものすごく力がなくなっているのだとビックリすることがありました。 他の人が普通に運んでいるもの、自分も同じように運ぼうと思ったら、まるで動かなかった。「えっ、どうして?」と自分でもわかりませんでしたが、当たり前のようにパワーがなくなっているみたいでした。 年々歳々力がなくなるというのは知ってたけど、妻からも「二の . . . 本文を読む
空に浮かぶ雲、道の向こうに見える虹、あっという間に消えていく夕日、毎日少しずつ表情を変える星々、空はいろいろなものを見せてくれています。 できれば、一緒になって一緒に見えるものを追いかけたい気持ちになったりします。とはいうものの、同じ空を見上げていても、みんなが同じ気持ちになれる時はなかなか来ません。みんな何かを探していたり、別のことが気になっていたり、様々な夢や希望があります。 いつまでも、ど . . . 本文を読む
毎日パソコンを利用していますけど(これがお金になるんだったら、もっともっと利用するけど、お仕事になるんだったら、たぶん、しないかもな。どうしてって? そりゃ、もともとひねくれ者ですから、すぐにイヤになってしまう。)、パソコンはわたしを監視していて、古い外形なのに内部のソフトみたいなのは、どこかで変更されてたりするんでしょうね。少し怖いけど、まあ、遊びでやってるんだから、せいぜい遊びを充実させるし . . . 本文を読む
右側の本は、「街への挨拶」(1974)は山田太一さんの幻の名著という初めてのエッセイ集でした。ずっとまぼろしのままだったものが、1983年に中公文庫から出て、私は飛びつくようにナンバで買ったみたいです。 1983年はまだまだ自分の未来も描けなくて悶々とする日々でした。山田太一さんのドラマなんて、あまり見ていないのに、エッセイならよめそうな気がすると、買ったのかもしれません。すぐに読んだはずですけ . . . 本文を読む