「素晴らしい」という漢字を憶えたのは、高1だったのか、もっと後だったのか、ひょっとしてそれは高1の合唱大会にむけての取り組みの中だったのかもしれない。 うちのクラスは「あの素晴らしい愛をもう一度」とあと一曲を歌ったはずです。はっきり曲名を憶えていなくて、それが2年の時だっのか、3年の時だったのかわからないのです。あまりにも昔だしなあ。 ただ憶えているのは、音楽も、譜面も何もかもわからない私が、指 . . . 本文を読む
先生、「まさか、そんなことはない」と、完全にうっかりしてたんですけど、そんなことが簡単に起こってしまった。というか、もうずっと前にそうなってたのか……。 先生との出会いは、高校の入学式の時でした。何十年も前のことでしたね。入学した生徒たちの名前を、担任の先生が順番に読み上げておられた時でした。とても衝撃的な出会いでした。 何クラスあったんだろう。読み上げの後半のクラス . . . 本文を読む
高校の中には、大きなメタセコイアが二本あった。生物の先生が赴任の記念に中庭に植えたということだった。二十年ほどで校舎の高さを越して、中庭は足を踏み入れるのが少し怖いくらいの深い森になっていた。メタセコイア以外にどんな木があったのか、よくわからない。 中に出るためには、職員室に一つと、あともう一つ出入りするところがあるだけだった。先生方としては、気分転換のできる中庭というか、ものすごいオアシスと同 . . . 本文を読む
夏の大会、大阪府予選、私の母校は一回戦で残念ながら棄権したそうです。十数名の部員さんがいたというのに、体調不良でコンディションを壊した何人かがいて、断腸の思いで棄権をした。 野球部OBでもない私などは、「ああ、そういうこともあるのか。それも一つの歴史の一コマじゃないの」と割り切れるんだけど、選手たちはこの大事な時に、出られなくなってしまって本当に申し訳ない、なんて思う人たちもいるのかもしれない。 . . . 本文を読む
1975年の秋の短歌を見つけました。まさか、短歌を作ってたとは! 古今集の短歌などには少しだけ興味があったけれど、勢い込んで岩波文庫を買ったら、すぐに投げ出したんですよ。それくらいに、取り付く島はありませんでした。 そして、全く面白いとも何とも思いませんでした。目から入った刺激だから、感性に響かなかったのかもしれない。もっと徹底的に百人一首をやったなら、音に対する感性も磨かれたかもしれないけど、 . . . 本文を読む
高校に入って、しばらくしたら生徒会に出入りするようになりました。たまたま、いろんな条件が重なって、そうなりました。 生徒会の書記さんは、ESSの一つの上の先輩で、自説を述べる時に、たくさんの人の前でも、小集団の時でも、何だか普通とは違う話し方をしてくれる先輩で、お話してくださる時の語尾はとても魅力的でした。 何かの話とか、いろんな意見を引用する時、「……と」(ここでワ . . . 本文を読む
★ 現在の価値観からすると、一方的な発言もあります。こんなこと言ってはいけないという表現があります。けれども、当時の「私の気分」をそのまま書いて、現在はすごく反省している、というのを前置きさせてください。どうぞ、ご了承ください。鳴らない風鈴涼しくない扇風機暑くない夏明るくない蛍光灯学問を教えない大学金ばかりとる大学泣きわめかない赤ん坊美しくない女性明るくない女の子物を悟ったような子ども感情を表わさ . . . 本文を読む
今日は休みです! でも、残念ながら明日は仕事です。それも朝から夕方まで。悲しくなってしまう。拘束されるのが嫌なんだもんなあ。ええい、明日は電車で行こう。それで、せいぜい憂さ晴らししましょう。そういうことに決めました。雨降らないかなあ。また、明日の朝に考えましょう。 五時過ぎに起きて、朝焼けの写真を撮って、その勢いで散歩に出かけました。 秋の草花があれやこれやと目につきました。写真も撮りましたけど . . . 本文を読む
かなり昔のことですが、最近はずっと荻昌弘さんの「歴史はグルメ」(1983)という本を読み続けてますので、70年代後半は割とリアルになってきました。 荻昌弘さんという映画のコメントもする、マルチタレントは、食べ物にも詳しい方だったし、もっともっといろんな方面に活躍されてたんだと思われます。 残念ながら、うちには荻さんの本は一冊しかなくて、これをもう何日かけて読んでるんだろう。もうそろそろおわりに近 . . . 本文を読む
汀夏子さんのインタビュー記事が朝日新聞に出ています。昨日で五回目、木曜の記事から読みだしたから、前の三回も見直してみたいと思うんですが、どうして気になったかといえば、汀さんが大阪女学院を途中でやめて、宝塚音楽学校に行かれたのだというのを知ったからです。 そして、河合真美江さんという記者さんが聞き取った言葉をそのまま載せているので、少しだけおもしろいなと思ったからでした。 汀さんは70いくつだそう . . . 本文を読む
別に恨んでるわけじゃなく、よくもまあ、そんなことしたなあと今さらながらビックリしてるだけです。だから、今も彼のことは憶えています。しばらく会えてないけど、元気でやってるんでしょう。 彼は、テレビのお仕事は切り上げて、今はラジオのお仕事をしているそうです。深夜の時間帯だし、私の住んでるところからは、パソコンでも聞けないみたいで、まあ、彼は頑張ってる、という風のうわさを聞いて、まあ、だったらいいかと . . . 本文を読む
ボクは中学生の頃、T大に入って、官僚になって、政界入りして、日本を動かしてみよう、などという非現実的なことを考えたことがありました。 バカですね。T大に入れたって、そこから這い上がり、人を押しのけ、自らを磨き、人脈を築き、時には冷淡になり、時にはウソもつき、平気で人を裏切り、いろいろと大変なこと(本人のストレスも大変です)をしなくてはならないのに、そんなことは何も考えないで、ただ政治家になるなん . . . 本文を読む
小さい頃の写真で、昼寝をしている姿を撮ったものがありました。たぶん、父が子どもの寝姿というのを撮ってみようと思ったんでしょう。昔は写真って、大変なことだったのに、それでも撮ろうという気持ちが動いた。 私は、今みたいに小さく縮こまっているんではなくて、大の字になりたかったんだろうけど、股関節が柔らかだったのか、大の字になるはずの下のはらいの部分が閉じて下で丸を書いていました。アシが仰向けのカエル状 . . . 本文を読む
高三の時の担任の先生と同級生だったということですから、本当だったら86歳におなりなんですけど、残念ながらお亡くなりになったということでした。 T先生は、古典の先生でした。古文も漢文も、教わったし、あの雰囲気は憶えているんだけど、中身は何も憶えていないです。どうして教わったことをスッカリ忘れてしまえるんだろう。もう恐ろしいくらい忘れています。 「源氏物語」の桐壷のところ、たぶん、授業で教わった気が . . . 本文を読む
うちの奥さんは岩手の南の方の出身です。四国四県と同じくらいの広さのある岩手県ですから、南の方だと県全体のことはまるで知らなかったということでした。だから、というわけではないんだろうけど、彼女の高校の修学旅行は、岩手北部と青森(奥入瀬のあたりだけ)と秋田をめぐる旅だったそうです。 いくらなんでも、あまりにも近すぎると思うんだけど、たまたま彼女の学年だけ、そういう旅になったということでした。アンケー . . . 本文を読む