うちのいろんな箱の中の一つに、チビチビの鉛筆だけを集めた箱があります。昔は、小さくなった鉛筆をはさむ細長い補助具があって、そのおかげで三センチくらいになってもまだ使えたので、そこまで来たらやっと使い終わりで、だったら捨てたらいいのに、愛着のままに一つ、また一つと箱に入れていき、たまってしまったものでした。それを何十年も抱えています。
鉛筆は、二十代になってからはほとんど使わなくなりました。ボールペンもそんなに好きではなかったので、サインペンやインクのペンを使って、何かを書いていました。中学に入った時、雑誌を定期購読すると万年筆がもらえるというサービスがあって、万年筆でものを書かないくせに、憧れで持たせてもらったことがあったけれど、そういうのは身につかなくて、いつのまにか水性ボールペンを愛用するようになりました。
できれば、ブルーブラックを使いたいんですけど、それは万年筆をちゃんと使えなかった私の、せめてもの抵抗というのか、憧れの続きというのか、なるべくブルーブラックです。人に言わせると、そういうのは正式書類には使えない、と拒否する人もいるみたいで、そんなの聞くとドキッとしますが、ほとんど全く正式書類なんて書かないし、細々とブルーブラックです。
シャープペンシルは、幸か不幸か、縁がありませんでした。何だか使わなきゃいけない時もあったような記憶もありますが、すぐに関係は絶たれました。うちには今もシャーペンさんたちはあるはずですけど、みんな日陰もの的な存在です。みんな不幸な家に連れて来られたようですね。申し訳ない。奥さんは使ってないかな? やはり鉛筆派かもしれません。
というんで、鉛筆は今も私に使われているのがいくつかあります。
落書きや走り書きは、水性ペンでも、ノック式のボールペンでも、LINEのメモ欄でも、いろいろとできますが、アイデアに近いところに鉛筆たちはいてくれます。紙に何か書いた時には、もう私のアイデアなんて、ほとんどしぼみかけていますが、それでも一期一会のアイデアですから、なるべくすぐに書いてみたい。
他には、3Bや4Bの芯の太い鉛筆、これは筆圧の弱い私にはピッタリで、フニャフニャに書いても文字として残ってくれます。今のお供は、こういう太い鉛筆です。
70年代の初めだったか、その前だったか、中国との国交が成立していない時、近所の沖縄会館(沖縄出身の人たちが自分たちのよりどころとして立てた沖縄の人たちのためのホール・公民館みたいな建物が、大阪の実家近くにはありました)で、中国物産展というのがありました。
初めて見る外国製品の物産展で、子どもに買えるものなど鉛筆くらいしかありませんでした。1ダースではなかったと思いますが、買ってみたら、ものすごく粗悪品で、字も書けない、色も悪い、芯の滑りが悪い、こんなひどいものがあるのだとビックリしたことがありました。あれから50年の歳月が過ぎて、今でも中国の鉛筆なんて日本に来ているんだろうか。ダイソーにはあるのかな? 中国にも相手にされない、経済小国・軍事大国になってないか、少し心配です。教育は中くらいか、やはり小国かな……。
どんなに今の製品がよくても、もう私は買いません。経済の停滞している日本で作られた真面目な鉛筆を使いたいです。よその国の人たちが使ってくれなくても、日本の鉛筆の良さを見つけていきたいです。いつまで作ってくれるでしょう。頑張ってもらいたいし、私も鉛筆で何かを書かなきゃいけないです。(ネット中毒反対! 自己矛盾を抱えながら)
私は、エンピツ、シャープペン、ボールペン、万年筆など用途に応じて毎日使用しています。ここ20年ぐらいは、エンピツはほとんど購入したことがありません。
小学5年生になる孫の短くなったエンピツを使用しています。鉛筆削りを使用するので、残り5~6センチになると使用しなくなります。やっぱり箱の中にためこんだチビたエンピツがたくさんあります。これを補助具を使用して1センチぐらいまで使用するのが何とも楽しい。
削り器を使用したことはなく、カッターナイフで丁寧に削った後の形が均整の取れた美しい形になるように仕上げていきます。ほとんど2Bのエンピツです。
小学生のころ、年の離れた姉が研いでくれたエンピツの美しさをいまでもわすれないからです。
チビたエンピツの記憶も、小学生の頃の思い出につながります。
当時、学習塾は珍しく、毎日自転車で通いました。そこの先生が使用していたエンピツは、生徒たちが忘れていったチビたエンピツでした。おおきな手で短いエンピツを使用する先生の姿が、エンピツへの愛着となって残っています。
その先生も亡くなり、母屋に続く学習室は無人の屋敷の草に埋もれて、朽ちかけていました。
栄枯盛衰の時代の流れを感じるとともに、私もずいぶん年を取ったと、エンピツを削りながら思う毎日です。
どうしてエンピツがこんなに私たちの暮らしにつながるのか、私にはわかりませんけれど、その筆記具によって勉強もし、家族と関わり、父親の姿も思い出させてくれたり、どういうわけかつながってしまいますね。私は、シャーペンは全く思い出がなくて、誰ともつながらなくて、やはりエンピツです。
若い人たちなら、シャーペンの思い出もあるのかもしれませんけど、何だかそこに思い入れみたいなのがあるのかどうか。
やがてはタッチペンみたいなもので、タブレットに書き込むだけみたいな世界がやってくると思うと、それは少しゾッとします。リアルな感じがなくて、すべてが間に合わせの、行き過ぎるだけの生活手段みたいになってしまいそうで、かわいそうだし、心配です。
貴重なお話、ありがとうございました。