
所さんの番組、……番組名がすっと出てきません。日テレ系列の水曜八時、「第一村人発見」という番組、あそこにたまに1年に2回くらいか、サンマさんが出ることがありました。
そういう時はスペシャルだから、村人のおもしろさもさることながら、サンマさんと所さんとのやりとりを楽しみに見ている時がありました。
今は、スペシャルですよ、おもしろいですよ、と言われても、たぶん見ません。トキオの鉄腕ダッシュという番組もみなくなりました。ということは、すべては2011年に私のテレビの趣味は変わったんでしょうね。もう何をしていても、何を見てもむなしい気持ちが先に立って、楽しめなくなりました。
そりゃ、村人たちは今もおもしろいことを聞かせてくれるかもしれない。でもそれは、テレビ局の人たちがおもしろおかしく編集したもので、実際は一生懸命に何か話し、何かを聞かせようとしてただけかもしれない。それを言うなれば悪意で、笑いのネタに使ってしまおうという魂胆、それがもう見え見えでアホらしくなりました。それを笑おうとする自分もイヤになってしまった。
だから、なるべくなら、そのまんまの姿を、声を聞かせてもらいたい。と思って、「鶴瓶さんの家族に乾杯」とかを見ていると、松阪編なんて、ひどいもので、あまりにあさましい人々が出てくるのでウンザリしてしまった。NHKも、ちゃんと人を選ばなきゃいけないのに、松阪でテレビカメラがあって、そこに芸人さんがいると、変な人しか集まらないようになっているようです。実際はそうではないのに、とても残念でした。
わざとらしいのはダメ、作ったものもダメ、そのまんまじゃおもしろくない。ああ、素人をテレビに出すというのはムズカシイ。テレビ局としても永遠のテーマですね。画面への活力として出したいけれど、素人は笑いのパワーなんか持っていないのです。変なところに力が入ってしまうし、わざとらしいと見てる人たちはゲッソリするし、適当な芸人の適当な芸のようなもの、これが一番安心です。でも、すぐに飽きてしまう。

私は、お笑い研究家でもない、ただのオッサンですが、昔はお笑いって、好きな番組でした。二十代の頃、サンマさんたちの「オレたちひょうきん族」という番組がありました。
ベストテンでも芸人さんのモノマネ、タケちゃんマンでサンマとタケシのお芝居の2本立てになっていて、途中にいくつかのコーナーはありますが、これで番組を組み立てていた。当時、サンマさんは、30前後で、元気で、女性にもてて、それを芸の肥やしにして、男と女の機微みたいなのを表現して、みんなを笑わせていた。
その後は、ドラマに進出し、映画にも出て、ついでに大竹しのぶさんと結婚して、しばらくしたら別れて、それでも昔の栄光が忘れられないのか、男と女の間で起こるあれこれをネタにして、ゲストにしゃべらせたり、素人のメールみたいなのを題材にしたり、自らは肥やしを開発しないけれど、他人の男と女の機微を食い物にして生きていくことなっていきました。
そういうことを続けて30年経過した。彼はもう60男になっている。いいかげんみんなが飽きてきたのに、それでも昔の栄光によってテレビ世界で生きてきた。
しかし、とうとう年貢の納め時というのか、落ち目のテレビ局から少しずつ遠ざけられつつある。仕方がないのでNHKに出てみたり、何か生きる道を探そうとしている。
でも、彼もパスする才能(人から話を引き出す才能?)はあると思いますが、それだけで満足するかです。「オレは芸人なんや。人を笑わせなあかん」とか思ってしまうと、それは大間違いで、誰も彼に笑いを期待していないのです。さあ、これからサンマさんは、どのような芸人さんになるのか、タモリさんみたいに、こっそりと何かを蓄えていないと、華麗な転身ができないでしょう。

タケシさんは、映画作家であり、プロデューサーであり、たくさんのお弟子さんがいる。タモリさんは、地理マニアとして好きな仕事ができるようになった。所さんは、昔から趣味を大事にしてきた。サンマさんは、仕事が趣味で、自分の番組・仕事に惚れていた。何度も自分の番組を見て、おもしろいなあオレと思い続けてきた。たぶん、今もそう思っているでしょう。だから、私はかわいそうだなと思うのです。一番熱心だった彼が、生きていく道がだんだんなくなるなんて……。
相方もいないし、島田紳助みたいに、お店仕事でもやるだろうか。何だか彼にはそんな落ちぶれたことができない気がするんです。いや、したたかに生きていくのかどうか。まあ、これから時々は見ていきたいです。30年前楽しませてもらいましたからね。見ていきます、時々。
そういう時はスペシャルだから、村人のおもしろさもさることながら、サンマさんと所さんとのやりとりを楽しみに見ている時がありました。
今は、スペシャルですよ、おもしろいですよ、と言われても、たぶん見ません。トキオの鉄腕ダッシュという番組もみなくなりました。ということは、すべては2011年に私のテレビの趣味は変わったんでしょうね。もう何をしていても、何を見てもむなしい気持ちが先に立って、楽しめなくなりました。
そりゃ、村人たちは今もおもしろいことを聞かせてくれるかもしれない。でもそれは、テレビ局の人たちがおもしろおかしく編集したもので、実際は一生懸命に何か話し、何かを聞かせようとしてただけかもしれない。それを言うなれば悪意で、笑いのネタに使ってしまおうという魂胆、それがもう見え見えでアホらしくなりました。それを笑おうとする自分もイヤになってしまった。
だから、なるべくなら、そのまんまの姿を、声を聞かせてもらいたい。と思って、「鶴瓶さんの家族に乾杯」とかを見ていると、松阪編なんて、ひどいもので、あまりにあさましい人々が出てくるのでウンザリしてしまった。NHKも、ちゃんと人を選ばなきゃいけないのに、松阪でテレビカメラがあって、そこに芸人さんがいると、変な人しか集まらないようになっているようです。実際はそうではないのに、とても残念でした。
わざとらしいのはダメ、作ったものもダメ、そのまんまじゃおもしろくない。ああ、素人をテレビに出すというのはムズカシイ。テレビ局としても永遠のテーマですね。画面への活力として出したいけれど、素人は笑いのパワーなんか持っていないのです。変なところに力が入ってしまうし、わざとらしいと見てる人たちはゲッソリするし、適当な芸人の適当な芸のようなもの、これが一番安心です。でも、すぐに飽きてしまう。

私は、お笑い研究家でもない、ただのオッサンですが、昔はお笑いって、好きな番組でした。二十代の頃、サンマさんたちの「オレたちひょうきん族」という番組がありました。
ベストテンでも芸人さんのモノマネ、タケちゃんマンでサンマとタケシのお芝居の2本立てになっていて、途中にいくつかのコーナーはありますが、これで番組を組み立てていた。当時、サンマさんは、30前後で、元気で、女性にもてて、それを芸の肥やしにして、男と女の機微みたいなのを表現して、みんなを笑わせていた。
その後は、ドラマに進出し、映画にも出て、ついでに大竹しのぶさんと結婚して、しばらくしたら別れて、それでも昔の栄光が忘れられないのか、男と女の間で起こるあれこれをネタにして、ゲストにしゃべらせたり、素人のメールみたいなのを題材にしたり、自らは肥やしを開発しないけれど、他人の男と女の機微を食い物にして生きていくことなっていきました。
そういうことを続けて30年経過した。彼はもう60男になっている。いいかげんみんなが飽きてきたのに、それでも昔の栄光によってテレビ世界で生きてきた。
しかし、とうとう年貢の納め時というのか、落ち目のテレビ局から少しずつ遠ざけられつつある。仕方がないのでNHKに出てみたり、何か生きる道を探そうとしている。
でも、彼もパスする才能(人から話を引き出す才能?)はあると思いますが、それだけで満足するかです。「オレは芸人なんや。人を笑わせなあかん」とか思ってしまうと、それは大間違いで、誰も彼に笑いを期待していないのです。さあ、これからサンマさんは、どのような芸人さんになるのか、タモリさんみたいに、こっそりと何かを蓄えていないと、華麗な転身ができないでしょう。

タケシさんは、映画作家であり、プロデューサーであり、たくさんのお弟子さんがいる。タモリさんは、地理マニアとして好きな仕事ができるようになった。所さんは、昔から趣味を大事にしてきた。サンマさんは、仕事が趣味で、自分の番組・仕事に惚れていた。何度も自分の番組を見て、おもしろいなあオレと思い続けてきた。たぶん、今もそう思っているでしょう。だから、私はかわいそうだなと思うのです。一番熱心だった彼が、生きていく道がだんだんなくなるなんて……。
相方もいないし、島田紳助みたいに、お店仕事でもやるだろうか。何だか彼にはそんな落ちぶれたことができない気がするんです。いや、したたかに生きていくのかどうか。まあ、これから時々は見ていきたいです。30年前楽しませてもらいましたからね。見ていきます、時々。