2011年の東日本大震災のあと、個人的にはずっと暗い気持ちで過ごした。半年ほど気持ちも変わらず、暗い日々の中で、突然にのん気な番組に出会う。NHKのBSの「こころ旅」という、俳優の火野正平さんが自転車をこいで、手紙の主のこころのふるさとを訪ねる30分の紀行番組だった。2011年の前半にもやっていたそうだが、そんなことを知る余裕のないほど、気持ちにゆとりのない毎日を過ごしていたのかと思う。
初めて見た一本は、神戸の西の商店街から隣町の明石市の球場に出かけ、スタンドから手紙の主の思い出をふり返るものだった。その内容は特に記憶はないが、商店街でのオバチャンたちとのふれあい・掛け合いがおもしろく、火野正平さんの持ち味はこんなところにあったのかと気づかせるに足るものがあった。
オバチャンたちはお約束通りに「色男」とか、「いろんな女の人と関係があった人」として、こわごわながらなれなれしく声をかけた。それらに特に反応することもなく、自らの世の中のイメージに向き合い、笑い飛ばすしたたかさが感じられて、確かな芸人魂みたいなのも感じられていた。
それから、2011年の後半、秋のステージは最終到達地のカゴシマをめざし、とうとう最後はフーテンの寅さんのように徳之島でしめくくっていた。
2012年の春、ふたたび火野正平さんは自転車に乗り、千葉から太平洋側を北上して北海道をめざすことになる。茨城あたりから震災の記憶が解きほぐされ、福島・宮城と北をめざしていた。石巻の日和山にも行っていた。ここでの旅は、思い出が重なるもので、2012年には女子高生だった人の手紙が後には番組に届き、その女子高生もいつしか母親となり、今はふるさとを離れて暮らしているという。時々は日和山のことを思い出す、などという番組の中での交流がまた新たな旅を生んだりして、旅の記憶が重なっていくのだった。
南三陸町を初めて訪れた時、海岸沿いの道はダンプばかりが通り過ぎ、自転車で走るのは大変だという風に見えていた。がれきもすでに何度も見させられていた。それでも、復興は続き、人々はダンプにいろんなものを乗せて走り、地元の商用車や軽自動車が落ち着かないで走っている中を、正平さんたちの一行は、手紙の主の「心のふるさと」がどうなっているのか、テレビの画面に映るように、その画面を届けようとしていた。
私は、2012年の南三陸町の回は見たはずではあるけれど、どういう目的地であったのか、記憶はまるでなかった。ただ、そこへたどり着くまでの、ラーメン店の主人は衝撃的で、印象深かったのだった。
正平さんは、その道沿いのラーメン店に逃げ込むように入っていった。ダンプ行きかう道を走るのは疲れるのだと思われた。店主に「フカヒレラーメンを食べさせて」と注文をする。ところが、店主は「今、カーチャンが外に出ていて、フカヒレラーメンは作れないんだ」と答える。「だったら、何ができるの? じゃあ、ラーメンでいいや」と、ラーメンを注文する。スタッフのみなさんもみんなラーメンになったのかもしれなかった。
そんな胡散臭い店主だったのかというとそうではなくて、人懐こい、お話し好きの、少し照れ屋の、「今度来るときは前もって連絡して」と、再訪を待ち望んでいるような、ひとりでお店を切り盛りする頑張り屋さんでもあったようだった。
2013年、ふたたび正平さんたちは南三陸町を訪れ、今回は台風前ではあるが、思いでの小藤浜(こっぱま)を訪れてください、という依頼を実行するべく、ダンプの行きかう道にもチャレンジし、それならとフカヒレラーメンを提供する店にノーアポで訪れる。
もちろん、フカヒレラーメンはなく、ただのラーメンしかできないようだった。それでも、再訪を喜び、注文していないのにムール貝をお皿いっぱいに出したり、存分のもてなしをする。いや、その前に店主が正平さんたちを店先で固い握手で迎えていたではないか。店主はいつもまわりに気を遣う、優しいひとだったのだろう。ブッキラボウに見えたのは、照れ隠しであったのかもしれない。
正平さんが食べ終えたら、番組特製の手ぬぐいにサインしてもらい、喜んだのか何とも言えなかったのか、ずっと店主は見ておられた。
いつもなら、昼食を食べ終えたら、さっさと切り替えて、道路走行モードになるカメラも、しばらくは見送る店主を撮っていた。それくらいに忘れられない人だったのだと思う。
先週の月曜日、再放送で2013年の南三陸町の旅が放映されていた。そして、どういう訳か、オッサンの私は泣けてきたのである。
その流れで、今度私にチャンスがあったら(奥さんの実家の岩手に行くついでに)、南三陸町を回って、フカヒレラーメンの店主を訪ねたいと真剣に考え、ネット検索をしてみた。
「こころ旅」の番組ファンからのメッセージを見つけて、それらの記事の中で、ラーメン店のあの方にお世話になったという人が、あの店主は亡くなったのです、という報告があって、確かにあれから9年も経過しているし、そういうこともあるとは思うものの、人の出会いと別れのつらさみたいなのを何にもわからないまま感じていたのか、などと思って泣けてきたのか、と思う。
店主は、もし書き込みが本当で亡くなっておられたとしても、私どもの心の中には生きておられるし、ぜひそういう場所を訪ねてみたいと思う。私の新しいこころの風景になったのかもしれない。