五重塔は、人の死を悼むところです。地面の中へ消えて行った人を思うには、大地にひれ伏すだけではなく、大きな空を見上げることも必要でした。
お釈迦さまだって、五重の塔の四方八方から人々に悲しまれたりしました。また、塔によってはたくさんの遺骨や位牌を集めたところもありました。
見上げるような塔は、厳粛な気持ちにさせてくれる。そこへ上ることは推奨されておらず、あくまでも下から見上げられるための塔という存在がありました。時には雷が落ちるのも、人々は納得済みで、天を侵すものは、時には天から復讐されるので、人々は改めて天の恐ろしさを感じ、天をあがめる気持ちになったことでしょう。
多宝塔は、不思議な存在です。二重の塔でしかありません。あの白い漆喰のところはどうなっているんだろう。一度木で木造建造物を作り、重くならないように空洞を作りつつ、ある程度の形を作って、その上に漆喰を塗ったものなのか……。
建築のことは、詳しくはわからないけれど、この白いところがポイントになっていて、他の堂塔とは異質の存在になっている。
仏具の中にこのような形のものがあって、それを実際の建築にあてはめたものか、日本オリジナルの建築物なのか、まさか……? いや、そういうこともあれば楽しいな。平安時代に生まれたものだろうけれど、密教と関係があるものかもしれないな。
そういえば、高野山にものすごく大きな多宝塔スタイルの根本大塔というのがあったけれど、空海さんのアイデアだったら、それはおもしろいな。どうなんだろう。
先日、吉野のお山に行ってきました。厚着したので、まるで寒くありませんでした。お客さんも、お店の方も、ほとんど誰もいなくて、ポツリポツリと訪ねてきた人たちが手持ち無沙汰で歩いているばかりでした。
それと、尾根伝いの一本道を猛スピードで走り抜けようとする他府県ナンバーのクルマたち、観光に来たはずなんだけど、そんな猛スピードなら、何もかも後ろに流れて行って、サクラの花のない吉野なんて、ゴーストタウンにしか見えなかったでしょう。
お店は、開いているところもあるし、お客さんだっていたのです。でも、みんな忙しそうで、お話しするのも時間がないのか、慌ただしく去っていくばかりでした。
中心の建物の蔵王堂、ここに蔵王権現さまが三体おられるのです。でも、私も慌ただしい気分になっていて、御簾(みす)越しに祈らせてもらったし、お顔を拝まなくても、私の祈りは聞いていただいたでしょう、でも、肝心なのは私の頑張りであって、権現様が頑張るわけではないから、もう、帰らせてもらう気持ちで一杯でした。
吉野のほんの一部しか歩いていないし、何もわかっていないのに、もう私は帰る気持ちになっていました。
でも、蔵王堂の東南のところに立つ東南院というお寺に、昭和十二年(1937)に和歌山から移設されたという多宝塔を見つけて、どうしてそんな時に、和歌山からこちらへ移設したのか、その背景が知りたいなとは思ったものの、とりあえず廃仏毀釈の嵐を避けたわけではなくて、太平洋戦争の嵐からの避難だったのではないかと、ホッとするような、悲しいような気持ちになりました。
多宝塔とは、遠い人をしのぶこともできるし、天を見あげることもできる。人々の祈りを引き受け、新たな生活を切り開く手助けもしてくれる、そういう場所、という気がしています。