リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年9月~その2

2007年09月30日 | 昔語り(2006~2013)
あなた、作る人、私、食べる人

9月17日。あ~あ、とうとう徹夜しちゃった。ふつうなら3日分に近い量をトータル13時間でやったわけだから、1日で2日働いたってことかな。だったら今日1日は「振り替え休日」・・・というわけには行かないのが玉にキズ。アドレナリンがじゃんじゃん出ている間に押せ押せで行かないとまた徹夜になってしまう。だけども、なぜか切羽詰ってしまうとすごいパワーが出るのが不思議。太古の時代からの生存本能なのかもしれないけど、最後の6時間はトイレにも行かずにひた走りしてしまった。

服を脱ぎ捨ててベッドにもぐりこんだのは午前8時。朝日がキッチンいっぱいに差し込んでまぶしかった。そうだなあ、日の出どころか朝の光を見ることもあまりないもんなあ。少しだけ寝て正午前に起き出したら、サンフランシスコからトライアルに合格したという知らせ。めったに「A」を付けないベテランが「A」を付けてくれたそうな。まあ、英日時代にいやになるほど契約書をやったもので、Legalese(一見難解な弁護士語)はお手のもの。中身が把握できたら、後はあのもって回った文体で書けばいい。それでも、これはめっちゃうれしいニュース。まだ仕事が来たわけじゃないけど、さっそくカレシとハイファイブ!でお祝い。

きのうのカレシは、ブレッドメーカーでパンを焼いて、アイスクリームを作って、パスタソースを作って、と大車輪だったらしい。パスタソースは一緒に入れる野菜の量を減らしたり、外したりして研究に熱心だ。ミートソースにすると特に独特の味わいがあって、すごくおいしいから、私は徹底的にほめまくってしまう。

キッチンで鍋をかき回しているカレシなんて、10年前には想像もつかなかった。だって、結婚してからずっと共働きだったのに、家事はまったく手伝おうとしなかった人なんだから。(ここはパパを見習ったせいだろうけど。)とにかく、「おいしいものを楽しんで食べる」ことには関心が低かったカレシだけど、週末ごとに外食するようになってからは、少しずつレストランをグレードアップして行くうちに、「食」に興味を持ち出したらしい。作戦成功!というわけじゃないけど、人間は年を食うにつれて「色気より食い気」というのが私の信条だから、これは「良い方向へ発展しています」ってことかな。

だけど、カレシは人の指示をあまり聞かないから、そばで手取り足取り教えるってわけには行かない。私も人に手取り足取り教えるのはどうも苦手なたちなので、「レシピ通りに行くと思わない方がいい」というくらいの助言はしたけど、後はカレシにおまかせ。少しくらい危なっかしくても知らんぷり。キッチンからすごい音が聞こえても知らんぷり。とにかく「教えて君」になるまでは耳を塞ぎ、目をつぶっての知らん振り。レシピは目安であって、ニンジン1本でも大きさも違えば味も違うし、調理器具だって、プロ用と家庭用ではパワーが違いすぎて、同じ結果が出ると思ったら大違い。ここは臨機応変に工夫するしかないわけだけど、マニュアル人間的なところがあるカレシはその臨機応変が苦手。おまけに、失敗したらへこむどころかパニックになってしまうことが多い。

それでも、この数年にキッチンがすごいことになったことが何度もあったけど、掛け値なしでおいしい!!といえるものができあがるようになった。そうなると男はますます凝ることになっているらしいし、道具に凝る向きも多いようで、カレシもご多聞に漏れず。メインコースを作る私よりも高級な道具を持っているからすごい。う~ん、仕事に追われていない1日があったら、夕暮れを感じつつカレシが作ったマティニを傾け、カレシが育てた(超オーガニックの)野菜サラダと特製ドレッシング、私のお得意メインコースの後はカレシが作ったアイスクリームかクレムブリュレ。挽き立てのコーヒーの後は、スロージャズを聴きながらゆっくりとアルマニャックのグラスを傾ける・・・な~んてひとときもいいだろうなあ。

渡る世間は・・・

9月18日。急に肌寒くなった。隣町のそんなに遠くないところで真っ白になるほど雹が降ったらしい。そういえば、午後カレシが「雷が鳴ってるよ~」といってきた。へぇ。近ければ、一応はコンピュータをシャットダウンすることも考えるけど、聞こえないよ~。外を見たらけっこう青空が広がっていい天気。不安定なのはやっぱり季節の変わり目なのだろう。

やった、やったという達成感みたいな気分に乗って、そのまま次の仕事にアタック。まあ、よくある職場でのもめごとなんだけど、専門性が何にもないからかえって難しい。どうしてこうも人間関係がこじれるんだろうなあと思いつつ、目を吊り上げた当事者の顔を想像しつつ、「お局さま」になったつもりでやってみるけど、う~ん、やっぱり難しい。難しいんだけど、ちょっぴりのぞき見しているみたいで、ひとり外野席はワイワイ。

それにしても、よくもめるなあ。セクハラでなければパワハラ。でなければ女同士のけんか。読売小町でも頻繁に出てくるテーマだから、ありふれた職場の問題なんだろうけど、いったい何なんだろうなあ。やっぱりバブルの後遺症なんだろうか。根本的に自分に自信を持っていないように見えるし、自分が誰かわかっていないようなところもある。自分が他人みたいになってしまっているのかもしれない。ふ~ん、自分は他人、他人は自分を映す鏡・・・はあ、それでお互いを疑心暗鬼の横目で見てるんかいな。

カレシのコンピュータにまた前と同じ変なウィルスが入り込んだらしい。起動するとへんてこりんなログインのダイアログが出る。セキュリティのアプリケーションを作ったところに電話しても埒があかなくて、どうすればいいんだ!と詰め寄ったら、ヘルプデスクの人が別の会社が作ったアプリケーションを教えてくれたそうだ。「ぼくも使っています」だって。おいおい、昔からある「うちのスタッフは向かいのレストランで食べてます」っていうジョークと同じじゃないの、それ?たとえば、マイクロソフトのヘルプデスクの人が、「マックを使うと良いですよ。ボクも使ってます」というのと同じじゃない?うはは・・・

まあ、おススメのアプリケーションをダウンロードしたらインストールする前にウィルスを検知して、駆除してくれたそうで、あわや・・・のウィルス感染はくしゃみ程度の軽症で済んだようだ。ふぅ・・・

食べる話で元気百倍

9日19日。徹夜ボケというのは2日くらいして後遺症が出てくる。時差ボケと似たようなもので、体内時計が狂うことには変わりがないから、同じことか。そんなわけで今日はちょっとペースを緩めて、野菜の買い出し。

トウモロコシが8本で4ドル。1本60円くらいかな。収穫期もそろそろ終わりだから、4本買って来て今日の夕食にした。スチーマーで蒸すと、茹でるのとはまた味わいがぜんぜん違う。茹でるときは塩を使うけど、蒸すときはトウモロコシそのままの甘さだし、粒々のぱりっとした食感も残っていい。こんなおいしいものを車を走らせるのに使ってしまうなんて、なんとももったいない話だよなあ。

でっかい西洋ナスはムサカの材料。ギリシャ系の食品店でケファロティリというチーズを買ってあるので、料理にちょっと時間をかけられそうな今のうちに作ろう、というわけ。これ、ちょっと塩気のある羊のミルクのチーズで、厚めのスライスに軽く粉をまぶしてオリーブ油で色が付く程度に焼いたものに、レモンをジュッと絞って食べるとすご~くおいしい。

チーズといえば、しばらくチーズショップに行っていないなあ。カレシはスモークしたグーダとか、うんと熟成したチェダー、グロスターといったオランダ、イギリス系が好き。私はブリーとかポールサリュのような柔らかなフランス系のものと、ヤギや羊のミルクで作ったちょっとクセのあるものの両極端が好き。フランスの伝統のあるケベックにはおいしいチーズがけっこうある。クリスマスが近づけば、モッツァレラにバジルの葉とプロシュットを巻き込んだものが出て回る。スライスすると赤とグリーンのクリスマスカラーというわけ。

でも、クリスマスの話はまだちょっと早すぎるなあ。あと2週間半で感謝祭だから、フリーザーに入っている7キロの七面鳥を焼く算段を始めなくちゃ。詰め物の味付けに使うハーブはサイモン&ガーファンクルの歌の通りに「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」。それから松の実と七面鳥のレバー。ふむ、今年は鴨の燻製の脂身をちょっぴり入れてみようか。

来週はそろそろ肉類の買い出しに行かなくちゃ。久しぶりにカスーレを作ろうかなあ。これもちょっと手間がかかるけど、だいぶ前からそのつもりで缶詰めの豆を買ってあるんだし・・・。たまには日本料理的なものも作ってみようかなあと、日本のレシピをググッてみることもあるんだけど、ご飯に添える「おかず」の分量なもので、1品に野菜類を添える我が家の「メインコース」の量がわからなくて、つい「めんどう、やめとこ~」となる・・・食べものの話になると俄然元気が出て来てしまう私なんだけども。

グローバル化は両刃の剣

9月20日。カナダドルがどんどん上がって来たなあと思っているうちに、とうとうアメリカドルと「同じ」になってしまった。10年くらい前にアメリカドル1ドル=カナダドル63セントという底値だったんだから、びっくりする様変わり。何しろカナダはアメリカからたくさんモノを買っているから、1ドルが63セントまで下がってしまうと、物価が上がってしまう。特にあの冬は野菜類の値上がりがすごかった。それがこんどは等価、もしかしたらカナダドルのほうが逆に高くなるかもしれないという。上がったものは下がるし、下がったものはまた上がるのが世の常ではあるけど、カナダは今や世界の「石油大国」で、しかも原油価格はどんどん上がって行く・・・

実は、私が来たばかりの頃はカナダドルの方が高かった。それでカナダ人がどっと国境を越えてアメリカ側でショッピング。国境沿いの町のモールの駐車場にはカナダ人が48時間滞在で免税枠を広げるようとカナダ人がキャンプしていたし、週末ともなるとスーパーの食品が売り切れになったりして、アメリカ人が、カナダ人の「買占め」はけしからんと愚痴っていたものだ。

今はどうか知らないけれど、昔の日本には「北海道価格」というのがあって、海(津軽海峡)を越えて来るというだけでモノの値段が上がった。開拓時代に「内地」の商人に搾取された歴史もあるもんで、北海道独立論に傾倒していた私は、「このやろ~」と憤慨していたけど、カナダでも、西から東へ工業原料を運ぶ鉄道運賃は、東から西へ工業製品を運ぶ運賃よりもずっと安く設定されていたことがあった。同じレールの上を同じ貨車が行ったり来たりしているだけのはずなのに、西部人にとっては傲慢な東部人の横暴・・・。自由貿易協定があっても、アメリカから来るものはアメリカ製でなければ関税がかかるし、マージンが積み上がるってことも計算に入れても、まだカナダ側の値段は高めになっていて、しかも、アメリカドルが安くなってもカナダ側では値段は下がらない・・・

だけど、この調子だともっと気楽にカタログショッピングができるなあ。1ドルが1ドルになれば、アメリカで買った方が安いものがたくさんある。クリスマスショッピングのシーズンにはカナダ人が越境ショッピングにどっと繰り出しそう。30年前は1年に1回しか免税枠を使えなかったけど、今は滞在1回ごとだし、金額もかなり上がっているから、週末ごとにちょこちょこ出かけたらかなり無税で買い物ができる勘定。カナダの人口は国境沿いに集中しているから、アメリカ側のモールはまたもやカナダ人で溢れかえるかも・・・

なんだか得するような気分になるけど、おいおい、ちょっと待て。ひとりぼっちのグローバルビジネスは「輸出」の比率がやけに高い。カナダドル高になって喜ぶのは買う方だけで、売る方には「冬の時代」だ。円安のおかげで円建レートが実質的に「大幅値下げ」になってしまったのに、アメリカドルのレートまでが値下げになってしまうわけだから、あ~あ、がっくり来ちゃうよなあ。レートを上げてくれなんて気安く言えないこの業界、レートの高いところに営業攻勢かけるか、もっと仕事をするか。じゃないとカナダドルでの決算は減益になっちゃうもんなあ。ああ、ヤダぁ~       

持続しない記憶

9月22日。え~と、きのうはまじめに仕事をしました・・・というわけでもなかったけど、まずはメールオーダーで買ったリビングのエンドテーブルをちゃっちゃか組み立てて、その勢いで仕事の方もけっこうはかどった。もっとも、「本日の営業終了」の前にもう10月半ばまで予定が入ってきてしまったから、まだ当面は休めないな~という、ちょっと切迫した気分でもあるけど。

はかどりついでに夕べは久しぶりにムサカを作った。かなり手間はかかるけど、しばらく食べていないと「ああ食べたいなあ」という気分になる料理。カレシはギリシャ風サラダを作った。キャセロールの類はまとまった量を作らないとどうもおいしくできる感じがしないので、けっこうな量になる。それをまたど~んと食べるものだから、寝る前に秤に乗ったカレシは「一気に増えた」と。う~ん、かなりハイカロリーではあるけど、そんなに一気に増えるかなあ。しばらく測ってなかったんじゃない?

その前の夜、カレシが冷蔵庫のドアをきちんと閉めなかったもので、3時間ほどライトが点いたままになって、庫内の温度が15度以上に上がる「事故」があった。下のほうは生鮮品じゃないからいいけれど、問題なのはライトに近いところにあった卵。ケースの端っこの2個はすっかり温かくなっていた。マーカーでバッテンをつけておいたけど、ダメかなあ。では、なぜ冷蔵庫のドアがしまっていなかったか。根本原因の解析をやってみると、カレシはピクルスが好物で冷蔵庫に自作の即席漬けも含めて何本も置いてある。それをドアを開けて最初に目に付いたスペースに置いてしまうのはまあいいとしても、中身を食べ終わったビンまで何気なく、それも大きなものの「指定席」に置いてしまうので、上はすかすか、下はごちゃごちゃ。今回はそこにさらにソーダのビンを入れたから、ドアがつかえてしまった、というわけ。やれやれ・・・

けさはけさで、アラームを解除せずに外へ出て行ってしまう。いつもならドアを開けたところでピィピィと鳴り出すので、慌てて戻ってきて解除するんだけど、なぜかけさは大急ぎで庭へ出てしまったから、いつまでもピィピィピィ。どうやらカラスを追い払うことに夢中になってアラームのことはすっかり失念ということらしい。私が慌てて解除したけど、おいおい、大丈夫かなあ、この人?まさかビッグAの兆候じゃないよねぇ。そういうといつも「オレの健忘症は生まれつきだ」と返ってくる。生まれつき忘れっぽいということだけは忘れていないらしい。だけど、忘れっぽいんだから気をつけなくちゃという方はすぐに忘れちゃうんだなあ・・・

朝から目の覚めるハプニングで勢いづいて、洗濯機を回しながら仕事のマルチタスキング。外はすっかり秋空。西洋の暦には立秋というものがないから、秋は秋分の日の明日から公式に始まる。北方からはもう雪の便り。早いものだ。ひょっとしたら世の中は記憶に留める暇がないほどの猛スピードで動いているのかもしれない。だけど、カレシの忘れっぽさのおかげで私はシャープでいられるということもありそう。だったら、私がいるってことさえ忘れないでくれれば、まあ、いいか・・・ね。

新相対性理論?

9月23日。日曜日。納期を書き込んだカレンダーを見るときは半ば無意識に日付に1を足しているからおかしくなる。夏時間の間、日本標準時は常に16時間先を行っている。日本の人は私より16時間早く年を取るのかな、なんてヘンなことを考えたりするけど、日本へ行くとほぼ1日がどこかに消えてしまうから、なんか寿命が1日縮んでしまったような感じがしないでもない。じゃあ、日付変更線を越えてカナダに来たらその日1日のやり直しみたいなことになるから、その分だけ寿命が延びて、人生のやり直しもできるってことかな・・・?

日本はまた三連休とのことで、1日余分に時間をもらえた飛び入り仕事にかかる。またまたお局さま問題。野次馬性たっぷりで、テレビドラマを見るようで、息抜きをさせてもらって、おまけにお金までもらえるから、いうことなしの仕事。『日本語俗語辞書』というおもしろいサイト(http://zokugo-dict.com/)に行き着いて、「お局さん」の意味も勉強した。それにしても、なのだ。この職場は女性社員の年齢が高いのか、やたらとひともんちゃくが起きる。ああいった、こういった、常識だ、非常識だ、とよくもめる。こんな不可解な問題に遭遇した異文化人はさぞかし目を白黒させているだろう。だって、ビジネススクールで学んだMBAの知識などまったく用をなさない世界なんだから。

ある基準に対して何かを「計る」のはおそらく人間だけだろう。度量衡にはいろいろな単位があって、目に見えるものは何でも定量化できる。定量化して並べれば「比べる」ことだってできて、合理的な取捨選択ができる。世の中でいろいろ便利なんだけど、でもそれは目に見えるモノを定量化しているうちだけ。人間を定量化しようとするとめんどうなことが起きてくる。もちろん、知能指数とかTOEICのスコアのようなものは客観的に使えば何かの役に立つのかもしれない。だけど、自分を「基準」にして他人を計るのは主観的な行為。ものさし上の自分対他人の相対的な位置関係を計ることで、結局は自分の相対的な価値を計っているようなところがある。それはそれでいいんだろうけど、相手によって自分自身の価値がくるくる変わるという欠陥があって、自分はこういう人間だという絶対値を見出せないからやっかいだ。常に相手を計って、それで一喜一憂するのは相手じゃなくて自分自身では疲れてしまわないのだろうか。だいたい人間性を定量化するってこと自体が無理難題なわけで、このお局さんたちもそれに疲れているのかもしれないなあ。ふ~ん、これ、社会心理学の「新相対性理論」・・・ってことはありえない?

忘れちゃっていいの?

9月24日。ちょっとストレスなのかな。カレシとけんかになった。この頃ずっと、会話の中で、どこの誰であっても、女性をさすのに「gal」という言葉を使うのが気になっていた。日本語で「ギャル」といえばキャッピキャピの女の子のことをさすのかもしれないけど、英語のふだんの会話で特に中年以降の女性をさしていうときはいいことなしの、むしろ侮蔑的な響きになる。まさに、カレシのトーンはその侮蔑が丸出しなのだ。

英語教室でいろいろと手助けをしてくれたベトナム人女性のことをやたらと「あのgalが」というから、なんで「woman」じゃだめなのときいたてみた。そこで、カレシは大むくれになって、「オレの言葉を直すな」と切れた。「オレはPC(political correct)は嫌いなんだ。オレは言いたいことを言いたいように言う。」と。おまけに「オレはお前がFワード使うのを嫌でも黙っているのに」と来た。ちょっと待て。私はFワードなんか使わないよ。使ったとしたら、街で見かけたおつむ空っぽJガールが得意になって使ってたって話したときだけでしょ?Fワードを使ってたのはあなたが憧れて美化してやまないニッポンのオンナノコ。あのコ達はそういう英語を覚えに来て、そういう英語を使う連中と付き合ってるの。

そこまで一気に言ったら、カレシはドタドタと足音を立ててベースメントへ降りていってしまった。そうか、やっぱりまだ憧れているんだなあ。若くない女は仕返しをしてやりたいママの化身でしかないのだろうな。いろんな想いがフラッシュバックみたいにどどっと襲いかかってきた。人を貶めないと自分を支えられないのは、やっぱり何も変わっていないってことか。何も変わってないのだ。しばらくバスルームにこもって泣きながら、何度も「もう終わりにする?」と自分に問いかけた。

仕事をしにオフィスへ降りて行ったら、カレシが決まり悪そうに腕を広げて「忘れようよ」と言って来た。またゴミをカーペットの下に掃きこんで見なかったことにするつもり?水に流した方がいいことと、流さずにしっかり向き合ったほうがいいことがあると思うんだけど、カレシはすべて「水に流して、なかったことにして、忘れろ」だ。ニッポンジンか!だけど、カレシはカレシで、私が変えられるもんじゃない・・・

頭が割れそう・・・

9日25日。目が覚めたときからすごい頭痛。若い頃は偏頭痛なんかに悩まされたけど、ここのところ長いこと頭痛といえるものがなかったもから、ああ、これはたまらない。なにしろ、頭蓋骨中がまんべんなくずきずきする。今日は仕事が少し遅れ気味だからスパートをかけなきゃならないのになあ。

カレシは朝からやたらとラブラブ攻勢で来る。それほど警戒心が沸いてこないのは、モラハラ時代のハネムーン期の官能的といえるそうな甘美なやさしさとは本質的に違っているからだろう。あの頃の、私が精神的に消耗し尽くした後のやさしさは、捕らえた獲物をむさぼっているようなところがあったけど、。今のちょっともめた後のやさしさはママに叱られて「ボクのこと捨てないで」とべたべたまとわり付くのに似ている。反省したかといえば、まあ、あまり反省していない。でも、少なくとも「まずかった」という気持はあるから、「ごめんね」の代わりにラブラブで来るわけ。元から感情を言葉で表現するのが苦手な人なことはわかっているけど、ん~、しゃあないなあ。

せっかくのラブラブなんだけど、ガンガンと響く頭痛を抱えていては自在に反応することもままならず、何となくしんねりむっつりのまま。何しろ仕事が行列しているから、少し遅れてしまうとまた徹夜モードになってしまいかねない。だけど、カレシを教室へ送り出してから、いつも「gal」と呼んではばからない人たちに会って、きっとにこにこいい人をやってるんだろうなあ、と想像していたらおかしくて、声を出してひとり笑いしてしまった。

とどのつまりは、子供は親の産物で子は親の鏡。カレシだって両親の日常の姿を見ながら「世渡りの術」を体得して来たということなんで、ほんとに「しゃあないや」と思うしかないな。それに、この頃はパパがボケたというのか、1日中ぼんやりと座っているか眠っているかという状態だそうで、それがかなりショックだったフシもある。男のいわゆる「中年の危機」は父親の老いや死がきっかけで始まることが多いそうだし、前の「危機」が私の父が他界した直後から始まったことを考えたら、今、自分の父親の姿に自分を重ねて、ちょっぴり不安定な心理状態になっても不思議はなさそう。ここんところは、私がファイアウォールをアップグレードして、カレシの「無意識のイジワル」を水際で封じるのが一番なのかもしれない。

どっちにしても、カレシがあんまりいっしょうけんめににラブラブをしかけて来るから、こっちはやっぱりうれしくなってしまう。ふ~ん、「頭がガンガン痛いの~」とちょっと甘ったれてやろうかな。あんがい頭痛も和らぐかもしれないし、そしたらロメオ気取りのカレシも「おれってまだイケてる~」と思ってさらによりをかけるかもしれないし・・・。カレシ、Keep up with good workで、がんばって。(ただし、モテ試しは家でだけだぞぉ。外でやったらどうなるか、わかってるよね!)

痛いの痛いの飛んで行け

9月26日。ドアの向こうに広がる世界も見あきたから、テンプレートを変えて気分一新することにした。

けさ目が覚めてまっさきに感じたのが「あ、頭痛」。目覚めの頭痛って、それだけで1日の天気が下り坂のようで、こんなにいや~なものはない。カレシは私の額に手を当てては、「熱はないよ~」と激励?してくれるけど、納期が目の前に待ったなしで迫っているのに何だか起きたくない気分。でも、「今朝はベーコンアンドエッグだぞ~」というカレシのはしゃいだ声。しゃあない、起きるか・・・

いつも私がベーコンを焼いて、となりでカレシが卵を焼くことになっているので、目玉焼、スクランブル、今日はどっち?と注文取り。たまにはスクランブルもいい、ということになって、残っていたアスパラガスのしっぼの使えるところを少しスライスして混ぜてもらった。スクランブルよりもオムレツに近いけど、それでもトーストにベーコンと一緒に乗せて食べるとおいしい。頭痛はまあ、きのうほどでもないようだ。

仕事の期限まで4時間ほどしかないから、必死になってキーを叩いた。たまの英日、なぜか化学物質の名前がずらずらと何十ページも続くから目がくらくらしてくる。重合体に類似体に異性体に何とか体と・・・いやあ、よくこれだけあるものだと感心する。これがみんな人間にも動物にも地球にもやさしくないのだと思うと、ちょっとぞっとするけど、使えなくなったらどうやってモノを作るのかなとも思ってしまう。それだけ化学物質に依存しているってことなんだけど、習慣というヤツはすぐには変えられないからなあ。

結局は、「少しだけ遅れます」と緊急メールをしておいて、4時間遅れで納品にこぎつけた。もっとも、見積りしたときに「最短で」と修飾しておいたから、納期を逃したってわけでもないけど、地球温暖化、気候変動というのはけっこう忙しい分野なのだ。EUが規制をバンバン打ち出して来るから、それに合わせて仕様だの何やかやとアップデートするものが多くなる。「風が吹けば桶屋が儲かる」の論法で、地球が温暖化すれば翻訳者がてんてこまい・・・儲かるかどうかは別の話だけど。

気がついたら、頭痛はいつのまにかどこかへ行ってしまっていた。デスクの上はまるで竜巻に遭ったような形相で、ジャンクメールも何もかもごっちゃまぜ。送るべき書類はまだ手元にあるし、家の保険の請求書もまだそのまま。サンフランシスコの会議の登録もまだ。締切のことを「deadline(死線)」という意味合いがわかるような気がするなあ。なんて思いつつキッチンへ上がってみたら、カレシがまたパスタソースを作ったという。そういえば、いい匂いがしていたっけ。でき立てのソースで買ってあったラヴィオリを食べた。半分はフリーザーに保存。これで4つ目だ。まだ後1回は作れるだけのトマトがあるそうだから、この冬は何度もホームメードのパスタソースを楽しめそう。いっそ、パスタメーカーを買って、スパゲッティとか作ってみない?ラヴィオリだって試せるし。(食いッ気が二人の赤い糸って、あり?)

秋の味覚

9月27日。雨模様になるといよいよバンクーバーの秋。午後の気温はやっと10度。さむ~。夜の気温がかなり冷えるようになって、木々も急ピッチで色づいて来ている。といっても、派手に紅葉するのは落葉樹の多い東部の方で、針葉樹がほとんどの西部ではせいぜい黄色が中心といったところ。元々針葉樹が中心の北国育ちだから、「日本の秋」のビデオなんかに出てくる「錦織」の紅葉を見たのは、一度だけ、富山から高山へ行く電車の窓からだった。ふ~ん、なるほど、これが「日本」の秋の色か、と思いながらながめていた。

週末に食事に出なかったので、Rodney’sに牡蠣を食べに行くことにした。カレシはプリンタのインクがいるというし、私もコリアンスーパーでへ行ける。カレシが英語教室から帰ってくるのを待って、途中で日本に書類を送るために、市役所の向かいにあるクーリアのオフィスに立ち寄った。市役所職員のストもすでに2ヶ月を過ぎて、雨の季節に入ってしまった。夏の間は歩道脇で日向ぼっこをして、みんなけっこういい色に焼けていたのが、今はテントの中でヒーターを囲んで寒そうにピケを張っている。これからは雨が多くなって、気温も下がるからストは厳しい。もう2ヶ月も給料をもらっていないし、クリスマスショッピングのシーズンもすぐそこまで来ている。ご近所随一の情報通であるおとなりさんの「インサイダー情報」によると、来週いっぱいくらいで妥結するという話。そりゃ、早く妥結したいだろうな。でも、できるのかな・・・?

Rodney’sに入ったのは4時半になっていなかったから、人気一番のカウンターががら空き。牡蠣を開けるコーナーに陣取って、引き潮スペシャル3ダース。プロの手さばきをじっくりと観察できた。使っているのは鋭そうな細身のナイフ。ちょうつがいのある方にナイフを突っ込んでこじ開ける。とにかく早い。平たい方の殻が目の前にどんどん積みあがる。水温が上がる夏の牡蠣はクリーミーになるけど、冬の牡蠣は冷たい水で引き締まって、塩味も強くなるんだそうな。養殖場ではかなり深いところで育てるけど、そうすると夏でも比較的水温が低いし、浅いところに集まるバクテリアや汚染物質を避けることもできるからだそう。うまく開けられるようになるのにどれくらいかかるか聞いたら、「う~ん、20針くらいかな」。ええ、そんなに怪我をしていたら、指がなくなっちゃうんじゃないの・・・?

コリアンスーパーでの買い物は、カレシお気に入りの大根キムチとニッスイの魚のソーセージ、ニラとにんにくの茎、大豆もやし、ブルコギ用の牛肉とタレ、それと冷凍の味噌ラーメン。魚の売り場ではサンマとししゃもが並んでいた。う~ん、オーブンのグリルでサンマ、焼けるかなあ。煙探知器が鳴り出しそうだなあ。警備会社から電話がかかってきたら、何て説明しようか。サンマなんて魚、きいたこともないだろうし、魚を焼いてましたなんていってもわからないだろうなあ。サンマに大根おろしは「ふるさとの味」だ。秋になると釧路川の河口に黄色に塗ったサンマ船が集結。豊漁の年は街中がサンマの匂い。獲れ過ぎの年などはバケツを持って行くとスコップでどさっとくれたそうだ。懐かしいサンマ、思い出に留めておいて、久しぶりにニラ入りのギョーザでも作ってみようっと。

読解?見解?

9年28日。秋晴れのいい天気。カレシは元同僚たちとのランチにでかけた。みんな同じ年代で、みんな引退組。数人がときどき集まってビールを飲みながら近況報告をしている。カレシはめんどうくさがって、というよりも「老人クラブみたいでいやだ」と思っているらしく、理由をつけて欠席するのが常だけど、今日は別。初めは火曜日という提案だったのに、金曜しか空いていないといったら、みんなあっさり「じゃ、金曜日」ということになってしまって、断れなくなったというわけ。職場で仲の良かった人たちなんだし、そうやって声をかけてくれる友だちなんだから大切にしなさいっていうの、ほんとに。なぜかお金を持って歩きたがらないカレシは私から20ドル札を受け取ってしぶしぶおでかけ。でも、けっこうご機嫌で帰ってきた。は!

今月最後の仕事が終わり。科学ものはやっぱりおもしろい図解辞典で魚の解剖図を見ながら、ふむむふ。ところが、漢字の読みがわからないと電子辞書を検索するのに入力できない。この頃はこんなイライラが多くなった。しょうがないから、まずはIMEパッドで読みを調べようと、字画を数えにかかるけど、はて、角を曲がってるヤツは1画?それとも2画?点々はいくつあるのか、虫眼鏡で観察。結局のところ、8画数えたはずなのにないから、7画と9画のも調べる。それでもないから、あれぇと思いつつ、やっと見つけたら何と10画だったということもある。日本語ローマ字化を唱える人もいるそうだけど、う~ん、ローマ字日本語というのもけっこう読みにくいんだよなあ、これが。入力は楽になるだろうけど。

カレシが生徒さんに辞書を活用するように勧めたら、英語のスペルがわからないからできないという返事が返ってきたという。う~ん、わかる、わかる。英語だと音で聞いてスペルを想定できるから、辞書を引くのに困らないけど、漢字が読めないと日本語辞書を引けない。同じ現象なのだ。それにしても、いざとなって漢字の読みがわからないということは、ふだんは読まずに目で見て読解しているってことなのかな。漢字は絵文字だもの、読めなくてもわかっちゃうからおもしろい。まあ、英語だって慣れてしまうといちいちスペルを見なくてもわかっちゃうけど。わかっちゃうもんで、スペルミスがあっても気づかずに正しく読めてしまうから、これもおもしろい。これぞまさに「読解」じゃなくて「見解」。

ずっと前だったけど、短い英文の中に「F 」がいくつあるか、というクイズみたいなのがあった。カレシも私もぱっと見て「4つ!」。だけど、残念、正解は「6つ」。ええ、まさか?と思ったら、前置詞に「F」があった。英語人は単語を文字群として「見て」読解するんだけど、前置詞はそこにあってあたりまえなのか、どうも思考回路にレジスターされないらしい。カレシが英語教室にもって行って生徒さんに数えさせてみたら、みんなちゃんと「6つ」と答えたそうだ。ひとつひとつの単語をスペルを見ながら読んでいるのだろう。だからなのかな、ローカル掲示板で他人のスペルミスが気になってしかたがないって人が多いのは・・・

公正は押しなべて平たくじゃない

9月29日。なんか朝から風が吹いて、嵐っぽい土曜日。やたらと寒くて、やっとこさ10度。木曜日に外食したことだしということで、 今日は引きこもりということにした。カレシが何とか赤くなりそうなトマトをみんなもいできたので、セカンドキッチンのカウンターは緑と赤のトマトがごろごろ。いったい何十個あるんだろう。

今年は、キュウリは種に混じっていたカボチャに圧倒されてしまって、ほんの数個しか育たなかったけど、トマトはすごかった。カレシが育てた葉っぱものの野菜はみんな若葉を摘んでメスクランにしている。このメスクランは南仏が発祥地だというサラダで、最近はスーパーでも売っているけど、葉を摘み取るのに人手がかかるせいか、けっこう高い。だけど、家庭菜園なら手っ取り早い。レタスにほうれん草、タア菜にミズナ。マスタードから果てはビーツの葉まで、7、8センチくらいのうちに摘み取って混ぜるだけ。何日かすればまた葉が出てくるから、水と少しばかり肥料をやっていれば、数株ずつ植えるだけで、夏中いつも採れたてのミックスサラダが食べられて、すごく効率的なのだ。来年は大根やカブの葉も試してみるとか。

9月最後の週末。週明け早々に納期の仕事にかかる。きのうは魚の話だったけど、今度のは民事裁判の訴状だの応答だのざっと50ページ。こういうのは野次馬的にやれておもしろい。何たって北米は訴訟社会なもんで、ええ?というようなことで訴訟が起きるところなのだ。もっとも、弁護士の数も多いから、それだけ弁護士も競争が激しいし、生活がかかっているわけだけど。ワシントンかどこかだったか、女性の判事がお気に入りのコートを台なしにされたと、ドライクリーニング屋に何万ドルというとてつもない賠償請求して話題になった。この判事女史、かなりのイジワルなのか、服代の弁償でいいじゃないかという声をよそに、訴訟を起こした。かわいそうなのはクリーニング屋。零細ビジネスだから、そんなお金はないし、弁護士を雇って戦うこともできない。その後どうなったか知らないけれど、たぶん裁判所は「アホくさ~」と訴えを却下したんじゃないかな。Frivolous litigation(くだらない訴訟)の典型例だろう。

仕事の訴訟はもう少し切実な話だ。中立の裁判所で決めてもらうのが一番ということもたくさんあるのだ。どこぞの国みたいに、言い分を聞くでもなく被害者に「おまえにも悪いところがある」と喧嘩両成敗の原則を振りかざしていたら、倫理は地に落ちる。人を傷つけておいて、「おまえも悪い」と、他人を踏みつけたまま逃げられる。双方の言い分は水洗トイレにジャーッと流し、モラルに反することをした方がやり逃げで勝ち、傷ついた方は腹ふくるる思いを抱えたまま黙るしかない。

喧嘩両成敗を考え出したのは徳川幕府だったっけ。問題解決能力のなさを棚に上げて、有無を言わせず両方とも処分してしまえなんて、なんともいい加減。どうりで「公正な大岡裁き」が伝説になっちゃうはずだ。喧嘩両成敗は正義じゃない。でもまあ、ソープボックスは横においといて、仕事のピッチを上げなくちゃ・・・

冬の駆け足、早すぎ

9月30日。また雨模様で暗いもんだから、正午過ぎまで寝てしまった。そろそろフランネルのシーツに替える時期だと思いつつ、まだ夏のシーツと薄い毛布1枚に毛糸のアフガン1枚。暑がりのカレシはシャツ抜き、私もスリーブレスのナイトガウン。だいたいはシーツをフランネルのに、毛布をウールのに取り替えるだけで、冬中も同じいでたちで寝ている。就寝時間の温度設定は20度だからこれで十分。自動暖房さまさまだ。

カレシが小学校の頃に先生が教室のサーモスタットを華氏68度にセットして、これが一番健康な室温ですといっていたけど、あれは寒かったなあ、という話を始めた。華氏68度は摂氏20度。寒くなんかないじゃない。日本では昭和27、8年。セントラルヒーティングという言葉が存在したかどうかもあやしい。私が小学校の頃は各教室に石炭ストーブがあって、当番の子が石炭をくべていた。でも、古い木造校舎だから、暖かなのはストーブの周囲だけ。ぐんとマイナス何度に冷え込んだ日はストーブから遠い席の子供たちが授業中に交代でストーブの周りに集まって暖を取った。あまりの寒さに教室でオーバーを着て手袋をしていたこともあった。私がセントラルヒーティングのある校舎で過ごしたのは新校舎に移った高校卒業直前の三学期だけ。カレシはまさか~みたいなことを言うけれど、私が育った北海道はそうだったの。

もっともバンクーバーのあたりで住宅のセントラルヒーティングが普及したのは戦後になってだったらしい。それまではキッチンの調理用ストーブが暖房を兼ねていたようだ。(こっちでは「ストーブ」というと調理用のレンジのことを言っている。)建て替え前の我が家は1946年に建てられたものだったけど、石油を使った温水暖房だった。地下室に巨大なボイラーがあって、何とも時代がかった蛇腹のヒーターが各部屋の窓の下にあった。金色のペンキを塗って、なんだかレトロ調でロマンチック!と喜んでいたけれど、その頃にはほとんどの家が天然ガスの温風暖房だったから、未亡人だった前の持ち主は取替えの資金がなかったのだろう。石油が高くなっていたし、家には断熱材が入っていなかったから、冬ごとの暖房費がすごかった。それでいてあんまり暖かくなかったんだから踏んだりけったり。超断熱の新居に建て替えて、放射熱式の電気暖房にしたら、1平方フィートあたりの暖房費が6分の1以下。しかも家中どこへ行ってもほわ~んと暖かくて、二人とも大感激したものだ。

午後3時で外の温度計の針は10度に届いていない。地球温暖化なんてどこの話なんだろうなあ。平年の最高気温は17度だというから、寒すぎるなあ(といいながら、家の中では相も変わらず半袖なんだけど)。うん、今日はギョーザにたっぷりとにんにくを入れて中からぽかぽかに温めてやろうっと。