リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年7月~その3

2011年07月31日 | 昔語り(2006~2013)
大型量販店は薄利少売なの?

7月21日。木曜日。正午ぎりぎりに起床。今日はちょっと夏らしい感じになりそうな気配。ニュースを見ると、まだオンタリオ州の上空に巨大な「ヒートドーム」がかかっていて、記録的な猛暑が続いていると言っている。想像するに、すっぽりとドーム型のガラスに覆われて、中が温室のように暑くなっているということか。うう、暑そう・・・。

今日は仕事日。きのうやり残した仕事をひとつ。「ねじ込んでください」と言われてOKしてしまった小さな仕事が2つ。どっちも期限は日本では午前中になっているけど、それだとこっちはちょうど夕食の時間。それで5時くらいには全部仕上げようと必死の様相になって、まずひとつを4時に完了。ちょっとひと休みして、事務用品屋Staplesのサイトで、カレシのプリンタのインクカートリッジとバックアップ電源を注文。カラーのレーザープリンタの黒のトナーも、印刷するたびに「残りはあと100枚分」とうるさくメッセージが出るので注文しようとしたら、「在庫ありません」と来た。困るよ、それ。後100枚しか印刷できないんだから、困るよ。ま、とりあえずあるものだけ注文しておいて、とにかく次の仕事。

トロントの午後5時の気温は空港で37.5度だったそうな。湿度を勘案すると45度は軽く行ってそう。あまりにも暑くて、自動車のボンネット(こっちではフードというけど)の上にクッキーの種を落としたら、見事にこんがり焼けたというからすごい。人がエアコンの効いた家から出ようとしないので、アイスクリーム売りは商売あがったりとか。アイスクリームを買っても、家に入る頃には溶けているかもしれないしね。逆に、さっぱり夏が来る気配のないバンクーバーでは、ダウンタウンの自転車のレンタル店で閑古鳥が鳴いているとか。こう低温で雨がちじゃあ、風を切ってサイクリングもないもんだし、濡れた砂の上で水着でビーチバレーなんて後始末が大変そう。その代わりというのか、ボーリング場が予想外に繁盛しているんだそうな。フィットネスジムも好調らしい。ふむ、あっちは暑すぎて「おこもり」、こっちは涼しすぎて「おこもり」。ヘンなの・・・。

さて、仕事が終わったところで、トナー探し。なにしろ後100枚分しかないんだから、なんとかしないと、スキャンしたPDFのファイルなんかがどさっと入ってきたら大変。バンクーバーのオフィス用品の量販店はどこもなぜか在庫切れらしいので、「あと何枚!」と出てくるメッセージの「消耗品の購入」ボタンをクリックしてメーカーのHPのサイトへ。直販しているようだったので注文しようとしたら、なんだ、アメリカのサイトで対象はアメリカ国内だけ。それでは、とカナダのHPサイトを調べたけど、こっちは直販していないらしい。HPの製品だからHPから買えるのかと思ったら、買えないじゃないの。なんか紛らわしいよっ、その「購入」メッセージ。

我が家から半径20キロ圏内の取扱店のリストを見たら、どれもすでに「品切れ」を確認済みのところばかり。ひとつだけ、Office Depotはまだ調べていなかったし、川向こうに店がある。だけど、特定の店に特定のトナーの在庫があるかどうかを問い合わせるのもめんどうなので、Office Depotの通販サイトを探したら、カナダにもあった(Staplesと同じ会社が持っているんだけど)。目指すトナーがあって、買い物カートに入れたら「品切れ」と出てこない。おお。感激したついでに念のために2個注文。オーダー番号が表示されて、注文確認のメールが飛んで来た。おお。あとは発送通知のメールを待つのみ・・・。

それにしてもまあ、あっちこっちにこんなにもと思うほどの量販店があるのに、モノがないことが多くなったような気もするな。でっかい店の中にうずたかく積まれているのはみ~んな同じもの。昔は、たとえば5社の製品を100個ずつ在庫していたのが、今は2社のものを500個ずつ。へたをすると、1社の製品だけを500個なんて、独占禁止法に引っかからないのかなあと思うようなこともある。おかげで、意外なものがどうしても必要というときい品切れになっていたりする。量販店がのし上がって来たら、薄利多売のはずが薄利「少売」になったのかなあ。ヘンなの・・・。

ま、どうやらトナーの補給ができそうでひと安心。あしたはいったん午前9時に起きて、カレシの注文品の配達が来るまでオフィスのソファで仮眠して、その後でまた寝直しだな。かといって、早寝するのはどうもねえ・・・。

おいしいものを好きなだけ食べられるうちが花

7月22日。金曜日。午前9時に目覚ましをセットしておいたら午前8時58分に目が覚めた。Staplesの配達がいつも午前9時からの予告枠の早い方に来るので、まずは9時に起きて、オフィスのソファで仮眠を取りながら待つ。今まで一番遅かったのが10時半過ぎで、平均すると9時半から10時の間。先に目が覚めてしまったので、目覚ましをオフにして、半分起き上がったところでゲートのチャイム・・・だ。時計を見たら午前9時ちょうど。うひゃあ、堂々の新記録だ。

慌ててベッドから飛び出して、階段を駆け下りて、インタコムに「ちょっと待って」と叫んで、また階段を駆け上がって、着るものをつかんで袖を通しながらまた階段を駆け下りて、防犯装置をオフにして、玄関からゲートまで走って、無事に注文品を受け取って、玄関の内側に置いて、着ていたものを脱ぎながら階段を上がって、そのままベッドに滑り込み!午前9時2分。睡眠の中断は最低限で済んで、何事もなかったように正午近くまでぐっすり眠った。カレシは階段をあがったり下りたりの騒ぎにはまったく目を覚まさず、「よく寝た~」と言って目を覚ました。受け取った注文品、どれもアナタのものなんだけど・・・。

予報によると今日の天気は晴れで、最高気温は平年並み。ということは、21度か22度。いや、やっとのことで夏空にお目にかかれるという感じで、別に夏らしいことをするつもりはなくても気持は高揚するな。仕事は明日に回して、今日は買い物日。まずはWhole Foodsへ行って、その後でメールで注文をしておいたスモークサーモンやサーモンキャビアをピックアップに行く・・・という予定だったんだけど、さすがカレシ、急に「あのさあ」と来る。今日はすでに予告してある通りにサーモンの類を取りに行くだけにして、Whole Foodsに行くのは夕食後にしようと。まっ、それでもいいよと、夕方近くになって、いつも日本にお中元とお歳暮の宅配を頼んでいるところへ、「ラッシュの時間だ」とか何とかぶつぶつ言うカレシを運転手にして、我が家からそう遠くない川べりのオフィスまで注文品を引き取りに行った。川から吹いてくる風がいい気持ち。

予定していたWhole Foodsのカニコロッケの調達が後回しになったもので、今夜のメニューも急遽変更。ぼたんえびをガーリックとレモンでバター焼きして、発芽玄米のご飯に刻みねぎを混ぜて、サーモンキャビアを載せた「即席イクラ丼風」と蒸したアスパラガスの付け合わせ。

食事中にカレシは急遽(また!)気が変わって、「やっぱり今日の内にWhole Foodsへ行こうよ」と提案。まっ、それでもいいけど。それにしても、アナタ、相変わらずワタシを振り回したがるねえ。そこんところをよくわかっているので、ワタシはしなやかに、あくまでもしなやかに・・・。まあ、元々仕事は明日やるつもりでいたから、元の予定に戻るだけのことなんだけどな。また気が変わるかなと思っていたら、8時を過ぎたところ「行くぞ~」。ささっと支度をして、大きなトートバッグを肩に、カレシの気が(また)変わらないうちにいざ出発。(ものぐさのカレシも、おいしいものショッピングはあまり苦にならないらしい。)カレシは豆サラダを作るための量り売りの豆を何種類か買って、ワイン酢やシェリー酢を買って、ワタシはお気に入りの量り売りのシリアルを買って、ランチ用の魚バーガーを3種類買って、明日の夕食になるカニコロッケを買って、フリーザーが上までほぼ満杯だからあまり魚は買えないけどと言いながらぶ厚いキハダマグロとごっついスズキを買って、爪を立てたらプチッと弾けそうな大根を買って・・・。今日の「掘り出し物」はカンボジアのメコン川流域のフラワー米とインドネシアのジャワ西部の火山灰地で栽培されたお米。

あ~あ、食道楽もいいけど、フリーザーも冷凍庫も冷蔵庫も食品棚も満杯。当分の間は食べては寝、寝ては食べての「夏ごもり」になりそうな。(まあ、年を取るばかりだから、おいしいものを好きなだけおいしく食べられるうちが花なんだけど。)だけど秋になって、山椒魚みたいに穴から出られなくなっちゃったら、どうしよ・・・?

どうして大人まで赤ちゃん帰りするんだろう

7月23日。土曜日。目が覚めたら、汗をかいていた。今日はきのうよりも夏らしくなりそう。待ちきれないから、今日は真夏用のタンクドレスに着替えた。肩がペロッと丸出しで、ちょっと胸が開いていて、膝上10センチのミニ。気温が20度を超えたらだいたいスリーブレスになってしまうワタシだけど、タンクはその「ない袖」をさらに短くしたようなものといえばいいかな。少々ミニ丈だと、脚をピンと伸ばせばちょっとは長めに見える「錯覚効果」もあるしね。(心しておなかを引っ込めていないとならないけど。)まあ、長年同じ環境の同じ生活空間で同じものを食べて来たせいで、ワタシもカレシに似て暑がりになって来たのかもしれない。実際のところは、2人が苦手とするのは暑さそのものよりは「湿度」なので、暑くてもめったに皮膚がべたつくことのないバンクーバーの夏は快適すぎて甘やかされてしまったかも・・・。

左目の結膜炎だか角膜炎だかがまたちょっと悪くなったので、今日はコンタクトレンズなしで過ごすことにした。ほとんど治ったかと思ったけど、コンタクトなしでも目頭の方がごろごろするし、鼻っ柱の横あたりがなんとなく痛い感じがする。きのうは買い物に行ったので1日。中コンタクトを入れていたら、夜中のランチの頃には我慢できないくらいの異物感。けさは白目がまた赤くなっていた。年も年だから、ある程度のドライアイになっていて、ちょっとした傷から炎症を起こしたのかもしれない。仕事があるから、コンタクトを外したままと言うわけにはいかない。月曜になったらガファー先生に電話してみよう。とりあえず、コンピュータを置いたデスクとワタシの間にあるキーボードのテーブルを退けて、少し身を乗り出して座れば目がモニタの画面から20センチの近さになって、乱視のおかげで二重にぼやけて見えるのはしょうがないとしても、少し拡大するだけでなんとか仕事をこなせそう。まあ子年の生まれのワタシ、窮鼠何とかというやつ・・・。

もっとも、仕事といっても、社員のチョンボというか、不始末の始末書みたいなもので、いたって簡単。それにしても、多いなあ、チョンボに不始末。社会文化思考がどんどんマニュアル化しているような感じで、元々几帳面ということになっている日本人には仕事がやりやすいだろうにと思うんだけど、どうやらそうでもないらしい。今の若い人はそういいうマニュアルはめんどうがって読まないのかもしれないな。それでチョンボをして一番先に考えつくらしいのが「ばれないように隠そう」。で、ばれたら、まずは「やっていない」と否定。それもばれたら「シャザイ」すればいい。なんだかチョンボに対するマニュアル的対応のようにも見えるけど、「やってない」と否定できるのはセレブか政治家、「シャザイ」して済ませられるのは企業のトップで、下っ端社員の場合は隠蔽がばれた時点でゲーム終了。ものものしい始末書の出番になり、悪くすると、もらいたくない通知が来ることになる。

チョンボは誰でもするんだから、やったら「チョンボしました」と報告して、チョンボ撲滅対策を考えればいいだろうに、隠蔽工作をしたり、嘘をついたりするから「事件」になって、最悪の場合はクビ。何でだろうね。芸能人やスポーツ選手や政治家がそうやってスキャンダルを起こすから、「みんながやっているから」のような感覚になってしまうのかな。それとも、ちょっとしたことで謝罪、謝罪と吊るし上げられるから怖いのかなあ。わからないなあ。記憶力が抜群にいい人でないと、ばれない嘘をつくのはかなり難しい。それでも、犯罪を犯したのなら隠したいと思うのはわかるとしても、誰でもうっかりとやってしまうようなチョンボで、隠したり、嘘をついたりしてキャリアや人生も棒に振ってしまうのはどうしてなんだろう。せっかくわき目も振らずに勉強して受験戦争を勝ち抜いたから、超氷河時代の就活戦線を生き抜いた今があるんだろうに、もったいない。

息抜きで小町の井戸端会議を見物していて、見つけたのが「だんなちゃん」という言葉。何じゃい、それ。で、ちょこっと調べてみたら、「だんなちゃん」だけじゃなくて、「おくたん」。どうもアニメだか漫画だかのキャラクターらしいことまではわかったけど、ふ~ん、「だんなちゃんとおくたん」ねえ。ままごと感覚という感じがするな。さらには、「むこたん」と「よめたん」、「嫁ちゃん」、「ママたん」、「パパたん」、「ベビたん」。これでこの一家が犬を飼ったら「ワンたん」になっちゃう。かわいい志向もここまで来たのかと、しばし絶句。子供ならまだしも・・・そういえば、アイドルと言われるオンナノコにも源氏名ならぬ「幼児名」がついていたりするような。新聞サイトで名前が見えるたびに、いい年をして「ゆうこりん」も「しょこたん」もないだろうがと突っ込んでいたけど、げっ、もしかして、幼児回帰志向(つまり、赤ちゃん帰り)の大波が押しよせている・・・は、いくらなんでも偏差値の高い高学歴者がごまんといる先進経済大国での話ではありえないよね?まあ、そこまで行ったら、嘘も隠し立てもなくなって、「チョンボちゃんしちゃったぁ。ごめんね、カチョーたん」とかわいく自己申告するようになるのかもしれない。げっ、まさか・・・。

よその家で自分の家と同じにやろうとすると

7月24日。日曜日。夏、やっとこさ到来と言う感じで、正午にはポーチの温度計で24度。相対湿度が60%ということで、体感温度を示すヒュミデックスは28度。うん、快適、快適。ワタシの感覚だと、気温が20度で「夏日」、25度で「真夏日」、30度で「猛暑日」というところ。生まれ育った釧路では20度が「真夏日」の感じだったから、22、3度くらいになるとスリーブレスの服を着せてもらえた。ひと夏にめったになかったし、せっかくスリーブレスになっても、午後になればガス(霧)が立ち込めて寒くなるから、遊んでいてもカーディガンを取りに家に走ったりした記憶がある。そういう環境で育ったせいで、スリーブレスやタンクトップは「真夏謳歌」への憧れイメージとして刻み込まれているのかもしれない。

きのう一日コンタクトレンズを入れずにがんばったおかげで、今日は目の状態が少し改善されて、白目の充血がぐんと減ったし、ごろごろする感じもほとんどなくなった。ここで喜んでコンタクトを入れるとまた一歩後退になるかもしれないから、今日もなしでがんばることにした。不思議なもので、きのうよりは「ぼやけ度」が低いような感じがする。きのうはモニタの画面から20センチのところまで顔を近づけていたのが、今日は25センチでも文字を判読できるから、人間の身体の復元力はすごいと思う。検眼のときに、カレシが老眼鏡の度を上げた方がいいかとガファー先生に聞いたら、「安易に度を高めると、目が怠けて老眼が進行する。少し見えにくいという程度なら、目の筋肉に運動させた方がいい」と言われたそうな。ま、最初のうちは不便だったのが慣れて来たということもあるだろうけど、使わない筋肉は萎えるもんだから、なんとなく納得。

ノルウェイのテロ事件が起きたとき、不思議なことに真っ先に思い浮かんだのは1990年代にアメリカのオクラホマシティで起きた連邦政府ビルの爆破事件の方だった。トラック爆弾が使われたことと、映し出された映像が似ていたためかもしれない。オクラホマシティ事件のときは反射的に「イスラム過激派がなんでオクラホマみたいな田舎でテロ?」と思ったのが、アメリカ人による自国政府に対するテロだとわかって、それまでのテロリズムに対する認識が変わった。そのテロがノルウェイのような誰も想像しなかったような国で起きて、ヨーロッパ各地でイスラム過激派のテロが何度も起きていたにもかかわらず、漠然とながら「極右テロ」が思い浮かんで、イスラムのイの字も浮かばなかったのはどうしてなんだろう。

事件を起こした男(なんとなくウィキリークスのアサンジに似ているような)は反イスラム、反多文化主義、反移民、反「文化マルクス主義」を標榜していたという。文化マルクス主義がどんなものかは知らないけど、イスラム教徒の移民が増えることによるノルウェイのイスラム化、あるいはイスラム文化による支配を危惧したということなのかな。歴史的や文化的背景がどうであれ、たしかにイスラム教には排他的で非寛容なところがあると思う。それが宗教そのものの性質なのか、あるいはイスラムを受容した地域に元からあった文化なのかどうかは、ワタシにはわからない。「砂場のけんか」の論理で言えば、キリスト教にだって排他的で非寛容なところはあるわけで、イスラム原理主義と同様に、キリスト教にも経典に示された規範の通りに行動しないものは異端視して排斥しようとする原理主義者がいる。ワタシとしては基本的にどちらも「変化」についていけない人たちなんだと思うけど。

カナダは建国当時から英仏語2つの言語とこれらに根ざした2つの文化があって、1970年代の初頭にいち早く多文化主義を政府政策に取り入れた。主にヨーロッパから受け入れていた移民の機会を、ポイント制度の創設で世界に向けて開いたのはそれより前の1960年代の終わり。アジアからの移民が急増し、インドからの移民が急増し、そしてイスラム教徒の移民が急増した。カナダも先進国の例にもれず出生率が低下しているから、天然資源も先端技術もある国としては、移民で人口を増やさないと労働不足になって経済が回らない。だから、少しペースを落とそうという話はあるものの、毎年20万人以上が新移民としてカナダに「上陸」している。みんな多かれ少なかれカナダでの生活に夢を描いて、大きな「期待」を胸にやってくる。

でも、カナダは個人を基本とする自由な国だから、性格的あるいは文化的に依存性が強いと、新しい生活が期待通りに行かずに失望することも多いだろう。そんなとき、宗教は失意に落ち込んだ人が寄りかかれる「居場所」になる。家父長主義が強ければ、宗教はカナダのリベラルな社会が与えてくれない「権威」を感じさせてもくれるだろう。その宗教の教えに排他性や強い統制志向があると(自分たちとは違う)社会と対峙する集団にもなるし、ときには「ごり押し集団」にもなって、移住先の社会との間に軋轢が生まれることになる。オンタリオ州のイスラム団体が、家族問題を州の法律によらずにイスラムのシャリアによって裁かせろと言い出して、猛烈な批判と反発を招いたのはその好例だろうな。あのとき、ふとカナダのイスラム化を危惧した人たちがいたと想像するのは難くない。

カナダの多文化主義は「モザイク型」と言われる。アメリカの「人種の坩堝」思想と違って、カナダという国を形成する民族の集団がそれぞれの文化を温存しつつ、なおかつ「カナダ社会」というモザイク画を形作るというものだけど、ワタシにはちょっと夢想家の理想像のように思える。だいたい、モザイク画というのはさまざまな色の破片を一定の位置に固定して初めて「絵」になるんであって、その破片のどの1個でも別の場所に移動したらその「絵」は変わってしまう。モザイク多文化推進派にはやたらと「○○系」カナダ人と民族名を頭につけたがるのが多いように思う。そうやって作った「カナダ」という題のモザイク画を眺めて、異人種、異文化を尊重する「すばらしい私」の作品と自画自賛する人たちなのかもしれないけど、これも裏を返せば、イスラム教原理主義やキリスト教原理主義とどこかで通じていそうで、あまりいい気持はしない。ワタシとしては、無理して融合しなくても、ひとつのボウル(国)の中に「み~んな一緒に同じ船」と共存する「サラダボウル型」多文化主義に惹かれるな。文化が溶け合わなくたって、そのうちサピエンス人とネアンデルタール人のように、みんな混ざるんだから。

最近はバンクーバーでも比較的新しい中国人移民たちが、中国の迷信を盾にして、「中国の文化なんだから尊重しろ」とホスピスの建設を阻止しようとして、何世代もいる中国系カナダ人の顰蹙をかっていたけど、よその国へ行って「母国ではこうだから」と、行った国の法律や文化に適合する努力をしようとしないのは、日常のレベルで見ると、たとえば人様の家に同居することになればその家のルールや習慣を尊重するのが当然だろうに、「自分はこういうライフスタイルだから」とその環境を乱す無礼な行為と似ているし、また、結婚した夫婦はそれぞれが育った家庭の文化や習慣の違いに折り合いをつけながら独自の「家族文化」を形成して行くものだろうに、「実家ではこうだったから」と自分に心地よいやり方を通そうして、難色を示す相手を「思いやりがない」と責めるのと似ていると思う。まあ、宗教や国家政策レベルでの軋轢やテロを、日常生活での人間関係の破綻や暴力と比べる人はいないだろうけど、国家も宗教も、政府も右翼も左翼もみんな人間の集まりだから、どこかに共通するものはあるんじゃないかと思う。そこに解決の糸口があるかどうかはわからないけど。

なんだかハイドバークの演説台に立っているような感じになって来たな、これ・・・。

テロリストの理想の国にされてしまった!

7月25日。日曜日。けさはびっくりした。ゲートのチャイムが鳴って目が覚めた。いつもなら鳴っていても目を覚まさずに眠っていることが多いので、「不在通知、入れといてね・・・むにゃむにゃ」。だけど、小包とかサインのいるものが来る予定なんてあったかなあと思いつつ半分眠りかけたところで、誰かが玄関のドアをドンドンと叩いている。家の中から操作しないとゲートから庭に入るドアは開かないはずなのに、どうして?しょうがないから、起きて行って玄関の横の窓から覗いてみると、あのぺらぺらのバスケットのショーツをはいたお兄ちゃん。どうする?一応、防犯装置をオフにして、もう一度窓から覗いたら、箱を持っている。ん、ひょっとして・・・?

びっくりしたのなんのって、さんざん探し回って注文したプリンタのトナーの配達。木曜日の夜に注文受付の確認メールが来てそれっきりで、寝る前にチェックしたときも発送通知のメールはなかったんだけどなあ。まあ、印刷するたびにトナーが残り少ないとメッセージが出て心配になって来たところだったから、間に合って何より。そのままベッドに戻って、またひと眠り。正午ぎりぎりに起きて、朝食を済ませてからメールをチェックしたら、あら、発送通知と追跡番号が来ていた。メールの送信時刻はけさの午前8時で、配達時間は午前9時20分頃。なるほど、普通なら9時には「営業時間」が始まっているから、出勤してきて、メールを見て、配達を待つという手順になるわけか。ま、トナーが来て何より。でも、寝ぼけ眼だったので、ナイトガウン(と言ってもタンクドレスに見えないこともないけど)のままでドアを開けたから、お兄ちゃん、びっくりしたかも・・・。

ノルウェイで反イスラム、反移民を唱えてテロ事件を起こした男が、膨大なマニフェストで日本や韓国を「理想の国」として名指しで称えていたという話に、ちょっとびっくり、だけど、さもありなん。日本在住外国人の英語サイトにかなりの部分が抜粋されていた。(こういうことになると、いつも日本の新聞サイトには3行にも満たないあたり障りのない記事しかないなあ。)そのマニフェストやらを読んでいくと、このサイコ男にとっての日本は「決して多文化主義を採用しなかった西欧的近代国家」であり、西洋化、近代化の中でも保守的単一文化主義と愛国主義を守り、人種/民族の純血維持に高い価値を置いて来たと言っているらしい。投稿者は「たぶん、ウィキペディアをさっとググって日本に関する情報を集めたんだろう。現実の日本を経験していたら違った見方になったかもしれない」と言っているけど、当たっていそう。あんがい「カリスママン」の仲間入りをしていたかもしれないしね。

要するに自分に都合のいい情報だけを集めて、自分に都合のいい理想像を描いたということなんだろうな。もし、日本人が民族の純血を守ることにそれほど誇りを持っているんだったら、バブル景気以来の国際結婚ブームをどう解釈するのかな。芸能界などで白人の混血児がもてはやされ、広告などのモデルに白人が多く登場する現実をどう解釈するのかな。まあ、「国際結婚指定」の結婚願望はブランド志向の延長と変わりなかったんじゃないかと思うけど、「文化保守主義」というのはなんとなく理解できるような気がする。カナダには日本から年間数百人の移民が来ているそうで、その大多数が国際結婚の女性。その割合は他の民族の比ではないらしい。カナダ人の配偶者としてカナダに移民して来たんだから、少しはカナダの文化や考え方に適応する努力をするかと思いきや、カナダに、カナダ人に、果ては夫やその家族にダメだしばかりという人も相当にいるらしく、「日本では・・・」、「日本だったら・・・」、「日本にいた頃は・・・」。

まあ、数を頼んで移住先の社会を自分に合わせようというのではなくて、愚痴る相手が日本人の日本人による日本人のための(2チャンネル化がはなはだしい)日本語の掲示板だし、移民の絶対数そのものが少なく、バブル時代以降はカナダ人の配偶者になった女性がほとんどと言う特殊事情もあって、社会的に固まって数を頼むことができないため、日本の「社会的常識」をそっくり持ち込んで、同胞がカナダ文化にかぶれて「日本人の道」を外れないように互いを監視、牽制しているようなところもあるから、自分たちの慣習を一般のカナダ社会に押し付けようとする集団に比べたら、カナダやカナダ人には実害と言えるものはない。つまりは、ヴァーチャルに日本に住んでいるようなもので、外国に移民しても日本の「保守的単一文化主義」を貫いているという見方もできるかもしれない。

だからといって、そういう人たちが「日本が命」の愛国主義者なのかというと必ずしもそうではなさそうで、どっちかというと、「ナルシシスト的ナショナリズム」と言ったほうがぴったりするように 見える。ナルシシズムは「自己愛」と定義されていて、それが高じると自己愛性人格障害というのもある。この自己愛は、高校の正面玄関に掲げられていた「先愛自己」という校訓が教える「自己を愛すること」とはまったく別のもので、ギリシャ神話の美青年ナルキッソスが水面に映った自分の姿に恋をしたように、ナルシシストが愛するのは実像の「自己」でなくて、多くは他人に投影された「自分の姿」の方だと思う。「先愛自己」というのは、先ず己を愛して(自分を受け入れ、肯定して信頼して)こそ、人を愛することができ、人に対して寛容になれ、異なるものや未知のものを恐れることなく向き合うことができるということだとワタシは思うけど、先ず愛すべき自己が「虚像」では受け入れも肯定も信頼も難しいだろうから、人を愛したり、寛容になったりする余裕がなく、異なるものや未知のものを脅威と「人見知り」をするのかもしれない。

こうしてみると、「ナルシシスト的ナショナリズム」は、ノルウェイのテロ男がマニフェストで理想として持ち上げた日本の、保守的単一文化主義と民族の純血性に基づく「ナショナリズム」とはかなり違うと思うけどな。まあ、とんでもない狂人の理想にされて迷惑もはなはだしいだろうから、誤解のないように、指しされた麻生さんあたりが先手を打って世界にガツンと言った方がいいんじゃないのかなあ。

老夫婦のワークライフバランスはどうなるの?

7月26日。火曜日。曇り。やっと来たはずの夏、どうしたのかな。午後1時を過ぎてもポーチの温度は16度しかない。郊外の農場地帯チリワックのとうもろこしは生育がもう数週間も遅れていて、名物のとうもろこし迷路もオープンの時期が迫っているのに、背丈が足りなくてやきもき。今年も地物のもぎたてとうもろこしは期待できないのかなあ。もう「冷害」と言ってもいいくらいの状況だと思うな。そういえば、米が大凶作で日本中で米不足になった年の8月に東京に滞在していたけど、長袖を着て歩くくらい涼しかった。それが不思議と言うか、新鮮な驚きと言うか・・・まあ、息詰まるような蒸し暑さを覚悟して行った観光客としては、そんな感覚だったと思う。

仕事にかかる前の「サボりのひととき」(仕事を始める前からサボっていていいのか・・・)をネットの新聞や友だちのブログを巡回していたら、洗濯をしたと書いてあって、土曜日から洗濯をすると言っていたのを思い出した。今日こそは忘れずにやらないと、カレシの下着がなくなっちゃう。だだっと階段を駆け上がって行って、ランドリーシュートのドアを開けたら、なだれ落ちる寸前の洗濯物の山。洗濯機に水を張りながら、白系統は洗濯機に、暗色系統は洗濯かごにと仕分けして、洗濯開始。いちいち「下着がなくなる~」なんて言って来ないで、洗濯機くらい自分で回してよ~と言いたいところだけど、ワタシが10日。ほど入院していたとき、着るものに困ってママに洗濯機の使い方を電話で聞いて呆れられたというカレシだから、洗濯機のマニュアルをそばの棚に置いてあってもダメ。まあ、洗い上がって乾いたものを洗濯かごに入れておけば、(自分のものだけ)たたんでしまってくれるから、ご本人は洗濯に「共同参画」しているつもりなのかも・・・。

今週のTIME誌に「家事戦争」とでもいうような特集記事があった。日本でも共働きが増えて、家事の分担問題がしょっちゅう小町のトピックに上がって来るけど、日本よりずっと早くに「男は仕事、女は家事」といった分業体制が崩れた北米では夫婦共働きがほぼ基本になっていて、ほとんどの女性たちがそれまでの仕事を結婚してからもそのまま続ける。(専業主婦か、共働きかという二者択一は存在しないといっていい。)当然のことく家事をどうするかという問題が起きるのはいずこも同じ。女性が自分たちの負担が大きいと感じるのも同じ。男は楽をしているという不満が出るのも同じ。世界の先進国のどこで「共働き夫婦の悩み」であるのは確かだと思うな。社会学者とか心理学者とかいうエライ人たちがあれこれと調査研究して、「妻が家事をする時間は夫のそれよりもこれだけ長い」と数字を示せば、妻たちは夫たちに「ほら、もっと家事を!」と要求する。このあたりは今の日本でも同じだろうな。

だけど、なのだ。アメリカ統計局に長年勤めた人が、ワークライフ・バランスの考えに基づいて、集まってくる膨大な統計数字を分析して、働く既婚の男女の仕事と家事(育児を含む)を合わせた「労働時間」を測ってみたところ、女性が8分から20分長いという結果が出たという。つまり、仕事(ワーク)と家事(ライフ)を総合してみると、夫も妻もほぼ同等でバランスが取れているということになる。母親の育児の時間が増えているのは、子供の早期教育に熱心な母親が増えたからで、それでも子育てが母親の方により負担になるのは子供が幼児のうちだけということだった。現実的には、逆に男性の負担が増えているというからおもしろい。といのは、女性は子供を持つと職場が負担増を察してそれなりに配慮してくれるけど、男性は子供ができても会社の期待や要求は変わらない。そのため、家庭での「父親」の役割を重視して、積極的に子育てに関与したい男性が増えている今、仕事と家庭をバランスよく両立させることが難しくなって来ているという話だった。ふむ、結局、いつの世もつらいのは男のほう・・・ということなのかなあ。

小町に登場する家事負担の悩みを読んで思うに、家事の分担を量の問題としてとらえるから、作業リストを作って労働量によって平等に振り分けようとしたり、稼ぎの少ないほうが多く家事をすることを提案したりと、目に見える「数字」で公平さ(自分が損をしていないこと)を確認しようとするマニュアル的な結婚生活になるんじゃないのかな。縦割り行政の家庭版みたいで、なんか硬直した感じがしないではないな。ワタシはカナダに来て最初の2年だけ専業主婦をやったけど、働き始めてからもそのまま家事負担率100%で、それが25年続いた。まあ、カレシは「家事負担率ゼロ」の父親を見て育ったから、「手伝う」という観念さえなかったんだろうと思う。だから、切羽詰って手伝ってと頼んでも、「後でやればいいよ」という寛容なお言葉しか返って来なかったわけで、それでもご本人は自分は(すぐに苛立つ父親に比べて)思いやりのある夫なんだと思い込んでいたらしい。今では2人ともワークもライフも同じ空間でごっちゃまぜになった暮らしをしているから、まっ、なんとなくバランスはとれているってことじゃないのかな、うん・・・。

お礼してもらうのはしてあげた人の権利?

7月27日。水曜日。なぜかちょっと早めに起床(と言っても午前11時20分)。カレシは裏口からガレージを抜けてレーンに直行。戻ってきて、「ゴミがまだある」と電話に飛びついた。実はきのうが収集日だったのに、うちのと隣のパットの容器だけが空になっていなかった。きのうはパットが市の衛生部に電話して、「後で取りに行くからそのままにしておくように」と言われていたんだけど、とうとう来ないままだった。ごみを大きなビニール袋に入れて出していた頃は、夕方までに市の車で来て拾って行ったもんだけど、規定の容器を使う「自動式」になってそれができなくなった。省力化によるコスト削減は喜ばしいけど、市民には便利になったの、逆に不便になったのか・・・。

バンクーバーは、ショーネシーのような超高級住宅地は別として、一般の住宅区域はほとんどが碁盤目になっているから、普通のブロック構成だと、南側と北側に東西方向の道路に向いて家が並び、裏庭とガレージが真ん中を通るレーンに向いている。ごみ収集車はそこを一直線に走るだけだから、収集もれはまずない。ところが、我が家のあるブロックのように、東側と西側にも南北方向の道路に向いて家が並んでいる場合は、レーンがH字型になっているので、収集経路がややこしくて、たまに取り残しがあった。まあ、ごくたまにだし、電話すればその日のうちに取りに来てくれたから、どうってことなかったんだけど、一回にレーンの片側しか収集できない自動式になってからは、経路が前よりも複雑になって取り残しがちょくちょく起きる。電話したカレシが、「なんだか知らないけど、特別収集の請求票ってのがkあるとかで、その番号をくれたぞ」と呆れ顔でパットに知らせていたから、よっぽど取り残しが多くなったんだろうな。番号順だったかどうかは知らないけど、午後3時過ぎにはトラックが来て、2個の容器は空になった。めでたし、めでたし・・・。

カレシが庭仕事に精を出している間に、仕事をひとつ仕上げる。ま~た始末書の類で、規則違反やうっかりミスじゃなくて、どうやらハラスメントの苦情があったらしく、その申し開き。文章や経緯から推測するとかなり若い人、たぶん30代半ばくらいかな。まあ、ハラスメントと言えるようなことじゃないと思うから、ちょっとかわいそうな気もするけど、それはワタシが判断することじゃないから、原稿の通りに粛々と、でも、こんなんで苦情ってのはちょっと過剰反応じゃないのかなあとか、しょげているようであんまりしょげているようじゃないなあとか、突っ込みを入れながら作業を進める。こうして何でも翻訳屋のデスクには、今どき日本のさまざまな(ときにはメロドラマチックな)人間関係の綾模様(今日のテーマは「してやったんだから見返りを」)が見える仕事がけっこうあって、野次馬根性を満たしてくれるから、かの「500円翻訳者」が言った「ただの翻訳」はおもしろくてやめられない。

この「見返り期待感」は小町横丁の井戸端でも人気?のあるテーマのようで、「○○してあげたのにお礼がない!」と憤慨している投稿がよく登場する。日本の美徳とされる「礼儀正しさ」を追求するあまりなのか、それとも心の奥に他人に評価されたい(褒められたい)という欲求が鬱積しているのか、それとも一種の「権利意識」の表れなのか。最近の民主教育は権利を強調しすぎて来たところがあると思うから、どこかで「厚意の提供=お礼当然」という方程式ができているのかもしれない。たぶん「人の痛みがわかる子供」教育や「ゆとり」教育や「平等」教育とも関係があるんだろうと思うけど、ワタシは子供を育てたことがないから、わかりもしないくせにと言われればそれまでの話。でも、現実には社会人になった「よその子供」とさまざまな場面で日常的に接触するわけだから、目の前の子育てと教育の「結果」の言動を観察、分析して、ワタシなりに発達過程を推察する。ある意味、原稿文から筆者の思考を辿る翻訳の過程と似ていなくもないから、あんがい職業的な性癖なのかもしれないけども。

仕事をしながらごちゃごちゃと考えているところへ、まるで青空の黒雲のようにぽかっと浮かんだのが、常々感じていたフランス語の「egalité」、英語の「equality」と、日本語の「平等」の(ワタシだけが感じているのかもしれないけど)微妙なずれは、社会の最小単位が「個人」である場合の平等観と、「集団」である場合の平等観の違いだったのかという疑問。ワタシは「equality」というのは、どんなに有形無形の違いがあろうとも個人はすべて人間として同じ存在価値を持っているということだと思うんだけど、「平たく等しい」日本流の平等はなんかみんなが同じ(たぶん可視的な)レベルで横並びということではないか。だから、出るくいは打たなければならないし、横並びラインの前後にはみ出す者は秩序を乱す厄介者と見られるのか・・・と。

まあ、世界のどこであろうと、人間関係はドラマのようなもので、即興でやるか、台本通りにやるかの違いじゃないかと思う。生まれついてのはみ出しっぺには、フォレスト・ガンプのチョコレートの箱のような即興劇のほうが性にあうかな・・・。

日本人は本当に外国人に若く見えるのか

7月28日。木曜日。午後1時で気温は20度。カレシは勇んで庭仕事に出る。そうのいでたちときたら、まず愛用のiPodのイアフォンを耳に突っ込んで、その上に産業用のイアマフ(聴覚保護)をして、その上に後ろに外人部隊の軍帽のような首の日焼けを防止する垂れ幕のついたつばの広い帽子を被ってのすごい重装備。週明けはもう8月だというのに、まだスナップえんどうが採れるし、レモンきゅうりは少し小さくて色が薄いけど、まあまあの作。トマトは生育不良だけど、ミニトマトが食べられるようになった。身勝手な芽キャベツは今年も「招かれざる客」ですくすくと生育中で、カレシは「オレはカリフラワーが欲しいの!」とおかんむり。カレシの野菜は堆肥だけで化学肥料も使わない100%有機栽培。丸々としたえんどうを食べながら、「これは2年前のサラダの生まれ変わりなんだよ。究極のリサイクルだな」。ほんと・・・。

今日は仕事がないから、のんびりと小町横町の散歩。いつもながらの賑わいだけど、「外国人から見ると日本人は若く見えるのか」というトピックはおもしろい。なんでも、50代半ばの主婦が駅で30代くらいの黒人男性に「かわいいですね」と声をかけられ、一目ぼれしたからメルアドをくれと言われたんだそうな。それで「日本人は若く見えるのかな」と。まあ、いくら日本人は若く見られるといっても、50代半ば女性に「かわいいですね」はないだろうと思うけどなあ。日本で日本人に囲まれて暮らしてれば、日本女性の年令は「印象年令プラス何年くらい」というものさしができていそうなものだと思うんだけど、推定30代の外国人に「かわいい」と言われて、日本人(私)ってそんなに若く見えるの?と、うれしそうに「皆さんもそんな経験ありますか」とトピックを立てるのもなんだかなあ。女性はいくつになっても若く見られたいのは世界共通の願望なのはわかるけど・・・。

それでも、トピックには外国旅行や海外生活で「外国人」からすごく若く見られた~という、うれしい?体験談が続々と書き込まれている。たしかに、一般的にアジア人は西洋人の目に「年齢不詳」に映るのは周知の事実だけど、自分たちと顔かたちの違うアジア人の年令を推定するのは難しいということに過ぎない。外国人が外面の印象に基づいて推測した年がたまたま実年令よりずっと低かったからといって、自分の「実年令」を知っているから「若く見られた」と言えるんだと思う。それに、「若く見られた」と喜んでいいかと言うと、必ずしもそうじゃなくて、書き込みでも指摘されているように、「若い」というよりは「幼い」見られていることもある。若く見られるのと、幼く見られるのとでは天地の違いだと思うけど、今どき日本の「チョーかわいい」志向のファッションやメイクからすると、答は「幼く見える」の方じゃないかと思うな。(幼女的な)「かわいさ」が若さの理想だとすれば、「かわいいね」と言われると「私って若く見えるのよね」という解釈になるのかもしれない。

そういうワタシもアジア人だから、カナダに来てからこの方、実年令に見てもらえたことがない。初めてカナダの土を踏んだ25歳の夏は、どこでも「子供料金」で入れたし、ビクトリアの博物館では、ホームステイ先の友人夫婦の日系人の奥さんの「連れ子」、つまり奥さんの本当の連れ子のハーフの娘の「異父姉」を装って、4人家族の格安料金で入ってしまった。カレシとのデートでミニゴルフに行ったときは、クラブを借りるのに年を聞かれて「二十歳を過ぎた」と答えたら、「16歳以下は割引になるんだから無理しなくていいよ」と言われて、ん?と思った。カレシは当時30歳。う~ん、もしもあのとき「30歳の男が16歳以下に見える女の子とデートするってどうなのよ?」という疑問がわいていたらその後はどんな展開になっていたかなあ。(まあ、あのときのワタシは中身も16歳以下のレベルだったんだろうし、恋は盲目というし・・・。)

外国で「若く見られた」体験談で一番多いのはお酒が絡む場面。レストランでワインを注文して拒否されたり、酒屋でIDの提示を求められたり。うん、わかる、わかる。IDを見せろと要求されるのはいい方で、ワタシは酒屋から追い出されたことがあった。仕事の帰り道にワインを買って行こうと思い立ったのが運のつき。スカートにブレザー、ハイヒールでアタッシュケースを下げた、どこから見ても「キャリアウーマン」風だったのに、店内に何歩か入ったところで「ちょっと、IDを見せなさい」。運転免許証を見せたら、「お姉ちゃんのなんか借りてきたってだめだよ」。免許証の写真なんか誰でも老けて写るんだし、ワタシは亭主持ちのれっきとした大人なんだと抗議したけど、あっさりつまみ出されてしまった。あのときのワタシ、33歳。若く見られるどころか、「未成年者」扱いされたことに愕然とするやら、憤懣やるかたないやら・・・。

オフィス機器の配置換えをしてデスクの周りを整理したときに、積み上げてあった書類バスケットの底からまた出てきた1枚の写真。[写真]

裏に1990年6月20日。と印字されている。カレシがこの写真を撮ったときはフリーランスの翻訳業を旗揚げして4ヵ月半。いきなりカレシの倍も稼いで、「翻訳ってぼろい仕事だなあ」とホクホクしていた21年前のワタシ。人様の目には何歳に見えるのか、あるいは若く見えるか、幼く見えるか、見る人の判断しだいだけど、年がわからなければ「幼い」という印象をもたれるかもしれないな。このときの実年令は満42歳。まあ、こっちの女性は40代に入るあたりから年令より若く見られたいと思い始めるらしいから、40代だとわかれば「かわいいね」じゃなくて、「若く見えるね」と言ってもらえるかな。60歳を過ぎた今、ワタシとしては「若く見える」よりも「若々しい」と言われるほうがうれしいけどな。カレシとの見かけの年齢差が開いて来ると、たまに変な目で見られることがあるから・・・。

遅ればせの夏の普通の週末

7月29日。金曜日。今日は起き抜けから暑くなりそうな気配。玄関ポーチの温度計は午後1時でもう22度。もう8月なんだから、そう来なくっちゃ。8月の第1月曜日は適当に作った「BCデイ」という祝日なので、この週末は三連休。音楽と組み合わせた花火コンペがあるらし、恒例の日系人のお祭りである「パウェルストリート・フェスティバル」があるし、日曜日にはゲイプライド・パレードがある。

パウェルストリートは戦前の日本人移民が住みついて、太平洋戦争で根こそぎ内陸の収容所へ送られるまで「リトルトーキョー」と呼ばれていたところで、今ではスラムの一部になっているけど、日系カナダ人の「心のふるさと」のようなもの。お祭りにはずっと昔に1度か2度行ったことがあったけど、屋台が出て、仮設舞台では日本舞踊や日本語学校の子供たちの合唱などがあった。金魚すくいもあって、ちょっぴり子供の頃の神社のお祭りのような感じがした。たしか、今は御輿行列もあるはずだけど。バンクーバーには特定民族の移民が集まる(あるいはかって集まっていた)コミュニティのフェスティバルがあちこちであって、カレシとそういうところへ出かけていた頃のお気に入りはギリシャ系のフェスティバルだった。ま、2人ともそろって隠居になったら、また出かけて見るのもいいかな。

日本が金曜日のきのうは「おきみやげ」仕事が入って来なかったので、日曜日の夜までは「完全週休」。こんなふうに「区切り」があるのもいいもんだな。ゆっくりと朝食をして、食後のコーヒーを飲みながら、しばしゆっくりと本を読む。アイオワ州デモインを出発したビル・ブライソンは、理想の「小都市」を求めて、南部から東海岸に出てワシントン、ニューヨーク、ニューイングランドと北上して、今度は五大湖沿いに西進。現在、ミシガン州を抜けて、ウィスコンシン州に入ったところ。行けども行けども、モテルにガソリンスタンドにファストフードレストランにショッピングセンター。オハイオ州でクリーブランドからトレドへ向かう途中で、田舎のラジオ局はニュースが30秒しかないとこぼしているうちに、(1987年の)ウォール街で1日。としては史上最大の株価暴落があった言うニュースを耳に挟み、詳しく報道するラジオ局を探し回ってやっと見つかったのがなんとカナダのCBC(カナダ放送)ラジオの番組。アメリカの経済がどうかなってしまいそうなニュースをなんで外国の放送で聞かなければならないんだとおかんむり。ま、アメリカは50の小国家の集まりで、それぞれの中に大小の都市国家がいくつもあるようなもんだから。

そのアメリカ経済、日本と同じように上院と下院で共和党と民主党の勢力がねじれている議会で、国の債務の上限を上げるかどうかで、もめること、もめること。突き合わせていた角が絡んでしまって二進も三進も行かなくなったのかな。期限は8月2日。で、それまでに妥協できなければ、アメリカ政府は「債務不履行」になって、支払いができなくなり、国際の格付けが下がり、資金の調達コストが上がり、経済は大不況に逆戻り・・・と言うシナリオなんだけど、サブプライムの金融危機をいち早く乗り越えて、カナダの金融機関は世界で最も健全と言われ、経済も安定しているということで、カナダドルが安全な通貨と見られているらしく、ずっとカナダドル高。ワシントンの角突き合いの顛末いかんでどういう影響があるのか。今のところはあまり悲観的な話を聞かないから、この週末はまた国境に長~い車の列ができるんだろうな。カナダドルが下がって、アメリカのと等価になれば、アメリカドル口座にたまっている資金を移して、ちょっぴり為替差益を出せるかなあ。

まあ、ことお金に関しては、あんまり欲を出さないのが一番安全で安心なんだけど、たまには取らぬ狸の皮算用をしてみたくなるのもお金の魔力、というよりはのんびり週末の白日夢・・・。

会議は踊るよ、民主主義

7月30日。土曜日。今日も暑そう。午後1時でもう22度まで行っている。昼のニュースで天気予報を見ていたら、バンクーバーで観測史上最高の気温を記録したのが2年前の2009年の今日だった。あの年の夏は暑かったなあ。めったに30度を超えないバンクーバーで30度前後の日が続いて、とうとう33度を超えて「観測史上最高」の記録を更新したのがきのう。暑~い!と悲鳴を上げたら、その新記録をあっさり書き換えたのが今日。最高気温は34度を超えた。あんまり暑かったので、前をエプロンのように首の後ろで結んだだけの、肩も背中も丸出しのドレスで芝居に行ったっけなあ。2年前の話。去年は打って変わって、あんまり暑くなかった・・・。

アメリカ連邦議会の「審議」はいつ果てるともなく続いている。共和党も民主党も「これだけは譲れない」と政治的ドグマを振りかざし、それをさらにかき回しているのが「絶対に妥協はしない」という共和党の茶会派。もう政治駆け引きごっこはいいから、そろそろまじめに国を統治してくれないかなあ。とはいっても人様の国だから、何を言ってもしょうがないけど。ニュースで見る限りはけっこうにぎやかにああだこうだと言っているけど、アメリカでは議会の審議を生中継するんだろうか。中継してもアメリカの人たちは見るのかな。アメリカ連邦議会の議場の配置は議長席をかなめにした扇のような形で、ちょっと日本の国会の配置に似ているな。議論を戦わせると言うよりも、マイクのあるところへ行って「演説」するような感じなのも似ている。

議会制度発祥の地イギリスの議会では、議長が細長いテーブルの端の一段高いところに座り、与党と野党がそのテーブルを挟んで向かい合って、発言するときにそのテーブルのところへ行く。(距離は2、3歩程度かな。)発言することの多い閣僚やベテランが「ベンチ」と呼ばれる席の前の方に座り、「その他大勢」の陣笠議員は後ろの方に座る。(ベンチの後方にいることから、陣笠議員のことを「back-bencher」と言うようになった。)陣笠議員の重要な?役目は野次を飛ばすことらしい。イギリスで発覚したタブロイド新聞の電話盗聴事件が政治家やスコットランドヤードを巻き込むスキャンダルに発展して、盗聴で逮捕された編集長が元側近だったキャメロン首相が議会で弁明したときの様子をBBC Worldで見たけど、あれはおもしろかった。首相が躍起になって説明し、釈明し、対応策を表明している間、反対側の野党席からにぎやかに野次が飛ぶ。事件が事件なもので、野次にも熱が入りすぎて、議長が何度も「Order!(静粛に!)」と注意する。ちょっとの間収まるけど、すぐにまたわいわい。とうとう議長が野党側のベンチの方に身を乗り出して、「子供のけんかじゃあるまいし、やめなさい!」と叱り付けていて、笑ってしまった。

カナダの連邦議会はイギリス議会が手本なので、議場の配置も「ベンチ」が向き合っている。与党は議長の右側、野党は左側と決まっていて、閣僚やベテランは前の方、陣笠議員は後ろの方という席順は同じだけど、質疑応答のときは立って議長の承認を得た上で自分の席から発言する。ケーブル放送にCPACという公共チャンネルがあって、質疑応答の一部始終が英仏の同時通訳付きで生中継されるけど、ここでも陣笠議員はせっせと相手側の発言に野次を飛ばし、自分側の党首の発言には「Hear! Hear!(いいぞ、いいぞ!)」と言いながら、デスクを一斉に手のひらでバンバンと叩いて応援するから騒々しい。特に反対の多い議案があったりすると、見ていてけっこうおもしろいけど、公用語の英語、フランス語のどちらでも発言できるので、フランス語のときは同時通訳の声に切り替わって、なんか機先をそがれたような気がする。

イギリスでもたぶんそうだと思うけど、議場では議員を個人名で呼び合わない決まりになっていて、首相や閣僚を「総理大臣」、「○○大臣」と呼ぶのは日本の国会と同じだけど、一般議員は「The honourable member from ○○(○○区選出議員殿)」」と呼ぶ。たとえば、我が家のある選挙区のウェイ・ヤン議員は「バンクーバー南区選出議員殿」と呼ばれるわけ。選挙区によっては地名が3つくらいつながった長い名前のものがあるから、ときにはちょっと滑稽に聞こえることもあるけど、よく似た名前の議員がいるときに混同しないようにという趣旨らしい。まあ、議論の最中はいちいちそういう長ったらしい呼び方はめんどうだから、「My learned friend(博学なる友よ)」とやっていることが多い。これもイギリスのプロトコルを踏襲したもので、法廷でも裁判官や弁護士が互いにそう呼び合っている(ただし、カナダの弁護士はイギリスのように法廷でかつらは被らないけど。)

ここに来て、慌てて妥協するのかどうかはわからないけど、アメリカ経済の行く末を心配して、カナダドルが下がり始めている。カナダとアメリカの経済は、陸続きということもあってかなり密に連動しているから、アメリカが不興になれば、カナダも足を引っ張られるのは避けられないだろうな。ま、請求書の作成や帳簿整理、売上税の申告といった月末処理で、ワタシのビジネスだけはちゃんと回しておこうっと。

経理部長(私)より、社長殿(私)へ

7月31日。日曜日。予報の雨(といっても確率は40%)はとうとう降らなかったようで、ふと目が覚めた午前9時半にはもう暑くなりそうな気配。汗をかいていたので、エアコンをオンにして、またひと眠りして、12時半起床。のんきな週末はほんとにいいよね。やがてこういう暮らしが毎日になるんだと思うと、年を取るのも悪くないなあと思ったりして・・・。

だけど、今日は7月最後の日。売上税の申告期限。オンラインでやれなかった頃は、月末が週末のときは週明けの月曜日が期限になっていて、ちょっとばかり余裕があった。今回はその月曜日が祝日だから、期限は2日。の火曜日になるところだけど、期限の通知書を見たら7月31日。になっている。しかも、日曜日は現時時間午後1時から午後11時までの受付。ネットなんだから、24時間受付できてよさそうなものだけど、そこははお役所のやること。理解しようとすればするほどストレスになってくる危険が高まるから、「ああ、そうですか、はいはい」で行くことにする。

それでも、事業者番号をもらって四半期ごとに連邦売上税の申告をしなければならないワタシにとっては、連邦と州の売上税金を分けて計算しなくても良くなったもので、経費の請求書やレシートからHSTの数字を拾い出して計算機でちゃっちゃと合計するだけで済むのは助かるな。特に大きな出費がないときは、2本の電話料金と2つのISPのインボイスだけのこともあって、集計は5分で終わり。作業ログの3ヵ月の売上高を合計したら、後は事業者番号と通知書のアクセスコードでログオンして、売上はこれだけ、(ゼロ課税の「輸出」だけなので)徴収したHSTはゼロ、経費にかかったHSTはこれだけと数字を入力して、「計算」のボタンをクリックすると、還付額が自動的に出て来る。お役所仕事にしては進歩したもんだ。「提出」のボタンをクリックすると、確認番号つきの申告書が現れるから、それを印刷して完了で、後は小切手が送られてくるのを待つだけ。ま、24時間体制でなくても不便がないシステムというところか。

それにしても、2011年度の第2四半期の実績は、これが上場企業の四半期決算報告だったら株価が急落しそうな数字だな。作業ログは2001年まで遡って記録があるけど、1990年2月に旗揚げして以来の自営業歴で最低だったのは2003年で、なぜか終わってから「ん?何でこんなに少なかったの?」というくらい、知らないうちいn「不景気」だった。日本が不景気だったのかと思っていたら、翌年のアメリカ翻訳協会の会議で、日本語以外の人たちも「去年はひどかった」と言っていて、どうやら世界的な不景気だったと察したけど、未だにその理由さえよくわからない。なんだったんだろうな、いったい・・・。

今年はその「最悪」の年の7月末の売上を5.6%下回っている。ええっと!と思って、作業実績(英語の単語数)を見たら、なんと15.2%も少ない。日本からの受注がメインだから、やっぱり大震災と原発事故の影響なんだろう。でも、仕事量の減った割に売上の減少幅が小さくて済んでいるのは、1語あたりの単価が11%ちょっと上がっているから。2003年度はアメリカドルの方が高かったことを考えると、カナダドル高で手取りが目減りする現状では悪くない数字だな。フリーランスの自営業を長くやっていると、好調と不調の年の落差が大きくなる。売上が最高だった年は最低の年の4倍以上で、公務員で専門職のカレシの年収の3倍近く。カナダの有職女性の上位1%に入る所得があった。まあ、ダメな年でもひとりでなら十分に暮らせるラインを保っているから別にがっかりすることもないんだけど、決算書類を見るとやっぱり「あ~あ」とため息のひとつも出る。今にも倒産しそうなどこぞの国々に比べたら、超健全経営なんだけど。

カナダで働き始めてから34年。基本的には何があっても自分を養えることだったから、その点では合格点だと思う。ま、ビジネスにも人生にも、良いときもあれば悪いときもあるもんだから、「あんた、良くやってきたじゃないの!」と自分を褒めてあげようっと。


2011年7月~その2

2011年07月21日 | 昔語り(2006~2013)
察しの文化?察してちゃん文化?

7月12日。火曜日。ゴミ集のトラックの音にも目を覚まさなかったくらいぐっすり眠ったらしい。午後12時半に目が覚めて、2人して「今日は忙しいのに!」と跳ね起きた。今日も何となく涼しい。東部は暑いし、アメリカ南部は酷暑だし、日本も暑そうなのに、こっちは20度を超える日があっても1日。か2日。ですぐにぐずぐずと涼しくなってしまう。ちょっと不公平じゃないかと思うけど。

きのうは気の滅入るような仕事を1日。がかりで仕上げて、どよ~んと疲れてしまった。供述書のようなものは、ビジネスでもめているときは頭が疲れるだけでけっこうおもしろいけど、人間同士がもめているときは心の方が疲れてちっともおもしろくない。(リコン関係だったらゴシップ雑誌のようなおもしろさがあることはあるけど。)元々人間関係のもつれから始まったもめごとなもので、「気持」を描写する表現がてんこ盛り。しかも最近蔓延っているらしい過激化した表現があちこちにあって、それが本当にその人の気持のレベルなのかどうかがわからないから困る。「泣く」にしても、目がウルウルしたのか、しくしく泣いたのか、よよと泣き崩れたのか、手放しでわあわあ泣いたのかによって、それぞれの泣き方を表す単語を選ばなければならないのに、しれっとした語調で「号泣しました」って、ほんとはど~なのよ。勝手にもめてていいよ、もう、・・・。

まあ、日本の「察しの文化」が問題の根っこであることは間違いないだろうと思う。「自分の気持ち」、「自分の気持ち」の一点張りで、その「自分の気持」が相手に伝わっていないと口説いてみても、伝わっていないものは伝わっていないんだからしょうがない。「察しの文化」とか「思いやりの文化」というのは本来は自分「が」相手の気持や反応を推測して言葉や表現を選ぶものだと思っていたけど、今やどう見ても相手が自分「の」気持や反応を推測して(自分に都合の良い、あるいは心地の良い)言葉や表現を使うということが前提になているとしか思えない。だから、自分にとって心地の良くない言葉や物言いは自分の人格を否定するものであって、許しがたい行為と言うことになるのかなあ。何だか生きにくそうな世の中のような感じがするけど・・・。

いつの間にか日本人が誇る「察し」のエネルギーの流れが逆になっているということなのかなと思ったけど、だいぶ前に比較言語学者の論文に、英語は意思を伝えるというコミュニケーションの責任を話し手に負わせるのに対して、日本語では「聞き手」が話し手の意思を慮るという責任を負わされているというくだりがあったから、相手に察してもらうことを期待するのが元からの「察しの文化」、「思いやりの文化」だったのかもしれない。だから、話し手は好きなだけあいまいな表現を使ったり、論旨を意図的に隠したりすることができるのに、聞き手の方はその不完全な情報から話し手の言わんとすることを正しく察することができなければ「気の利かない人間」と評価さ
れることになるんだろうし、言わんとすることを筋道を通して主張しても「気の利かない人間」と評価されるんだろう。つまるところは「物言えば唇寒し」か。ワタシには日本人の心のひだのそんな深いところまで理解できるような「察し力」がないんじゃないかと言う気になって来る。

ま、「察し力」や「思いやり力」はあまりないかもしれないけど、この人はどうしてそういうことを言うんだろうという心理分析はしていると思う。それでも、日本では「空気が読めない」ということになるんだろうけど、少なくとも、言うべきことをはっきり言わなくても、相手がワタシの思うところを察して対応して「くれる」はずとも思っていない(と思う)から、いうなれば精神的な収支はトントン。不思議なことに、カレシのはかなり「察してクン」的なところがあって、批判されるのが怖くて結婚したくないことをはっきり伝えなかったからしたくない結婚をするはめになり、妻にさえ自分の気持を素直に言わないで腹の底にため込んだから人生に立てなくてもいい荒波を立てるはめになり、どれもこれも相手が自分の気持ちを「察してくれなかった」からと、なんか小町に立つトピックのようだな。あんがい、ワタシたちって、生まれるべきところが逆だったのかも・・・。

夢に妹、グーグルに我が家跡

7月13日。水曜日。正午のぎりぎり前に起床。雨のはずだけど、降っていない。ずっと不思議な夢を見ていたような気がする。ストーリーが切れ切れでまとまりがないけど、ある点で、妹が夜明け前の空のようなきれいな青のドレスを着ていて、出かけるというので化粧して行ったら?と言っていた。で、しないと言うから、ワタシのアイブラウペンシルを持ち出して来て、せめて眉を引いた方がいいよと一生懸命に「姉の権威」を発揮しようとしていた。このあたりのシーンで最後に覚えているのは、すっきりと眉を引いた妹が「じゃあね」と出かけていくのを、ワタシは「きれいだなあ・・・」と感嘆して見送っていたところ。

周りに他にも何人かいたんだけど、顔すら思い出せない。まるで、ワタシと妹だけにスポットライトが当たったようだった。(ワタシに当ててもしょうがないんだけどな。)高校時代は英語だけダントツで後はほぼ底辺レベルだったワタシに比べて、妹の方がオールラウンドに成績が良かったし、その頃にぐんぐん背が伸びてワタシを追い越したから、長幼の序も何もあった、もんじゃなくて、3つしか違わないのにずっと大人びていた妹に頭が上がらなくなってしまった。(と言うよりは、おてんばなワタシの方が年の割に子供っぽかったのかもしれないけど。)だけど、夢の中で青いドレスを着ていた妹は若くて、すごくきれいに見えたなあ。(元から色白できれいなんだけど。)

その後も不条理劇のようなつじつまの合わない夢を見て、目が覚めて一番先に思い出したのが仕事。またもや閉店間際の駆け込み注文。んっとに日本のビジネスってどうしこうせっかちなんやろうねえ、とぶつくさ言いながらキーを叩いているうちに午後の2時間があっというまに消えてしまった。今日の夕食はオヒョウとヤムいものてんぷら。てんぷらは揚げ物だから、オヒョウを対のスパイスで蒸して、蒸しインゲンを添えようと思っていたら、カレシが「これもてんぷらにできる?」と菜園から大きな青しその葉を2枚。うは、大きすぎてミニフライヤーに入らないかも。しょうがないから2つに切って、インゲンはメニューから外し、ヤムいもと青しそのてんぷらをメインにして蒸したオヒョウをサイドに添える変則的な形になった。(フライヤーの火力が足りないのか、しその葉はあまりカラッと揚がらなかった。)ヤムは天つゆがなくてもそのままでおいしい。

日本の英語写真ブログサイトに広島のストリートビューへのリンクがあったので、来年行くことだしと思って覗いてみたけど、なんかイマイチぱっとしない。まあ瀬戸内海は津軽海峡から遠すぎて、お城はいくつも見た「どこそこ城」と区別がつかないし、厳島の鳥居も陸地から見ると思ったよりも小さくて、おまけにアングルを回してみたら商店らしい建物のそばにコカコーラの赤い自動販売機が見えたので、「こんなもんなの?」と言う感じ。まあ、実際にそこに立って見たらまた印象が違うのかもしれないけど。

その弾みで何となくグーグルマップを札幌にズームインして行ったら、5本の道路が星のように合流しているところが見えた。かって実家が建っていたところで、さらにズームインしたら、屋根が見える。去年見たときはまだ更地だったのにと、ストリートビューに切り替えたら、わっ、我が家があった土地いっぱいに新しい家が建っている。長年噂されていたところに地下鉄の駅ができていたし、砂利道だった道路はダウンタウンから貫通する広い舗装道路になっていたし、となりの土地に「何とかハイツ」と言う小さなマンションが建っていたから、たぶん同じようなものが建つんだろうと想像していたけど、どう見ても戸建ての注文住宅だな。そうか。何年か前に不動産屋?に売ったあの土地を買って、終の棲家を建てたんだろうな。それにしても、敷地の境界すれすれに建っていて庭がないし、二階の正面にベランダはあるけど、なんだかのっぺりした感じの家だなあ。

カレシ曰く、「来年見に行こうよ」。え?ヘンな2人組が人さまの家を観察してうろうろしていたら、警察を呼ばれてしまうかもよ。だけど、行って見てみたい気もするな・・・。

職業性情動障害(またはナマケモノ症候群)?

7月14日。木曜日。なんかたら~んとした気分で、そのまま寝てたいかったけど、また駆け込み仕事があるのでしかたなく正午ぎりぎりに起きた。昨夜から降っていた雨が上がって、玄関のドアを開けると清々しい空気がさっと入って来た。でも、ポーチの温度計はなんと摂氏13度・・・。

天気予報では未だに「夏は来ます!」と言っているけど、環境省の気象部には連日「まだですか」と夏の到来を催促する電話がかかって来るんだそうで、「こちらは天気情報をお伝えするだけで、お天気メーカーではありません」と答えているとか。観光地やキャンプ場、自転車レンタル、アイスクリーム売りと言った夏のビジネスは閑古鳥が鳴いているらしい。昼のニュースでは、夏休みに入る子供たちのための「おうちピクニック」のアイデアを紹介していた。要は、ピクニックのご馳走を作って、家族でリビングの床に座って食べようということらしい。ふむ、おにぎりを作って、水筒にお茶を入れて、おうち遠足をやってみるとか・・・何だかなあ。

冬に日照時間がぐんと少なくなる高緯度地域では季節性情動障害(SAD)というのが問題になるけど、夏になると毎日じっとりと重い霧がかかるところで生まれ育ったワタシにとっては日照不足はちっとも苦にならない。でも、どうやら夏に発症するタイプもあるようで、冬型と夏型では症状が違い、冬は倦怠感、気力の低下、寝すぎ、過食、夏は食欲低下や不眠が主なんだそうな。どっちにしても、体がだるくて疲れた気分になり、鬱々とすることには変わりはないらしい。まあ、夏場の食欲低下や不眠は暑さや湿度とも関連した一種の「夏ばて」じゃないかと思うけど、元々あまり暑くならない乾いた夏のバンクーバーでのSADは何が原因なんだろう。

とにかく近頃はな~んか気合が入らない。でも、食欲は減るどころか寝酒とおつまみのおかげでじわじわと体重が増えて来たし、1日。中でも眠っていたいくらいだから、天邪鬼のワタシらしく、夏に冬型のSADというところかな。いろいろと精神的に動揺したり疲れたりすることが多くて、気合が入らないだけなのかもしれないけど、まっ、そこは名前のあるビョーキのせいにした方が気分的にいいから、季節性情動障害になってちゃってぇ・・・な~んて。

それでも気を取り直して、またもや閉店間際に飛び込んできた仕事にまじめな気分で対応。こんどは無味乾燥なビジネス上のけんかだから、ロンドンはオールドベイリーで馬の毛のかつらを被り、黒い法服をなびかせるランポール先生をイメージして、「したがってすべからくむにゃむにゃするべきところ・・・」とやる。商売の世界も何かともめごとが多いけど、少なくともこっちは感情的な主張はないし、言い分を通すためには「言わなくてもわかるだろう」では裁判で負けかねないから、文章は(回りくどかったりするけど)実に明瞭明確明快で、いったい何を言いたいんだ!と悩まずにすむから楽なもの。いつもこういう日本語の原稿ばかり来るるんだったら、ルンルンの気分で楽しく毎日の食い扶持を稼げるのになあ。ひょっとして、「職業性情動障害」みたいなものがあるのかな(別名「ナマケモノ症候群」とか?)。あるとしたら「一過性」だといいけどね。

まあ、日本はそろそろ金曜日の午後。あと2時間くらいの間に駆け込みの置きみやげ仕事が飛び込んでこなければ、新しい1週間が始まる日曜日の夕方まではワタシの「週末」。心ゆくまでだらだらとへたれていたいので、神さま、仏さま、どうか何も入って来ませんように・・・。

人間が記憶することをやめたら?

7月15日。金曜日。目が覚めたときにはカレシはとっくに起きていた。きのう夕食後にテレビの前で2時間も眠ってしまったもので、午前10時には目が覚めて全然眠くなかったんだとか。今日はがんばって眠らないようにするから2時くらいには寝ようねと言うから、10時に起きようと思って先に起きたんだから、2時に先に寝ようと思えば寝られるんじゃないのとやり返した。まあ、就寝時間が午前4時過ぎにずれ込むたびに「せめて2時に」とリセットを試みるけど、なにしろ「超」がつく宵っ張りのカレシのこと、成功した例はないから、どうなるか・・・。

何かよくわからないテレビドラマみたいな夢を見ていた。カレシとワタシと、どこかよその国っぽいところの、市場なんだか遊園地なんだかデパートなんだかよくからないところで、泊まるところがないからとソファのようなところで夜明かしを決め込んでいたら、何だか知らないけど重大なヒミツ情報を耳にしたらしく、不思議と「重大情報」ということはわかっていたようで、逃げたのかどうか知らないけど、最後はお役所の受付のようなところでおじさんに「どうやって手に入れた?」と聞かれて、カレシが「女房が・・・」とワタシを指したところで目が覚めた。ふう・・・。ヘンな夢ほど支離滅裂に手の込んだ筋書きになることが多いけど、これはちょっとスリルがあったな。

今日は仕事なしの「週末」。目頭の結膜炎?がまだ完治しないので、今日はコンタクトレンズなしで過ごすことにした。(コンタクトを入れると沁みるから黒目(茶色いけど)との境目のあたりに傷ができているんだと思う。)テーブルの向こうのカレシの顔も目と口があることしかわからないけど、住み慣れた家の中にいる限りは良く見えなくてもまったく困らない。でも、一歩外へ出たら話は別で、不在通知が入っていた小包を引き取りにメインストリートの端の郵便局まで行ったのはいいけど、車の方向指示ランプが見えないし、道路標識もぼやけて読めないからけっこう危険。帰り道には家に通じる道路に曲がらずにそのまま通り過ぎてしまったから、大汗をかきながら坂道を上って来た上によけいな何十歩・・・。

メールのチェックは鼻先を画面から10センチくらいまで近づけて、小町横町の散策は150%に拡大してちょっと身を乗り出し、ブログ書きは250%に拡大して(乱視を軽減するために)目を細めて、それぞれに何とかなるから、技術の進歩はありがたいもんだと思う。初めてコンピュータを買ってからもう25年近いけど、あの頃のは小さい画面にオレンジ色の文字だけで、それがいかにも「コンピュータ」という感じだったから、画面の表示を自在に拡大したり、縮小したりできるようになるとは思ってもみなかった。当時、視覚障害者に認定されていたカレシの叔父さんがカナダ視覚障害者協会に勤めていて、文書を作るのに画面の文字を拡大する特殊なソフトウェアを使っていると言っていた。今ではそんなソフトも過去の遺物になっているんだろうな。

この四半世紀のコンピュータ技術の発展はすばらしい。たしかに、ビジネスも日常の暮らしもいろいろと便利になった。でも、あんまり便利になりすぎてしまって、人間が誰もが持って生まれて来る「コンピュータ」を使わなくなりつつあるのもたしかだろうな。グーグルのような検索エンジンの発達で、人間は情報を自分の脳に記憶する代わりにコンピュータを「外部記憶装置」として扱うようになって来ているらしい。ハーヴァード大学での実験で、情報は「消去される」と言われた人たちに比べて、「保存される」と言われた人たちは情報の内容を忘れる傾向が強いという結果が出たという記事がBloombergに載っていた。コロンビア大学での実験でも、情報そのものよりもその保存場所の方を良く覚えていたそうな。アインシュタインはかって「どうしてそんなに多くのことを知っているのか」と聞かれて、「何にも知らないよ。どこで調べたらいいかは知っているけどね」と答えたそうだけど、アインシュタインはそうやって知識の記憶を「外部委託」することで頭の中にできた空き容量を使って相対性理論を考え出したけど、普通の人間の世界では単に「教えてちゃん」の増殖に次いで、今度は「覚えてちゃん」が蔓延るだけかもしれないな。

そのうち、使われなくなった頭の中にコンピュータを移植するなんてことになったりしてね。もしもそうなったら、もう画面の表示を拡大する必要もなくなるだろうな。目をつぶるだけでコンピュータに接続、おでこを指先でポンポンとやればたちどころに知りたい情報が瞼の裏に表示される・・・何だかゆうべのはちゃめちゃな夢みたいな話だなあ。まあ、そういう技術の発達が人類にとっていいことなのかどうかは別として、少なくともハッカー対策だけはしっかりやっておかないと。

思いがけず三連休のお相伴

7月16日。土曜日。雨。寒い。こんなんじゃ、へたをすると最高気温が平年並みの最低気温に近くなってしまいそう。ロッキー山脈の向こう側はえらい猛暑だそうで、ずっと東のトロントは湿度が高いから体感温度は40度にまで行ってしまうらしい。あんまりいつまで経っても夏らしくならないもので、東部やアメリカ南部の猛暑を伝えるテレビに向かって、やけっぱち半分で「お気の毒にぃ」なんて言っていたら、トロントのデイヴィッドから電話。「もう、暑くて、暑くて、暑くて、いやんなった」と言うのに対して、「だったらこっちへ帰って来いよ」とカレシ。まあ、この兄弟は、冬には「もう、雪が降って、降って、降って、いやんなった」に対して「だったらこっちへ帰って来いよ」とやっているので、定番の掛け合い漫才といったところかな。でも、ほんとに、猛暑の気温と冷夏の気温を足して2で割れたらみんなが快適な夏なのに・・・。

仕事のない「週末」の2日。目。実は日本では三連休の週末なんだそうで、やった~。たまたま仕事を置いて行かれなかったから、ワタシも三連休のお相伴。つまり、月曜日の夜までは完全にフリー。自由!雲のごとく、風のごとく自由・・・はちょっとはしゃぎすぎだけど、まあ、期せずして三連休の中日はうれしい限り。今日はさっそくデスクの山のように積み上がってしまったカタログやらDMメールの片付け。2週間ほど郵便が止まってくれたおかげで、デスクは積載荷重超過でつぶれないで済んだのかもしれないな。雑誌購読の勧誘がぞろぞろ。カタログもぞろぞろ。ついに去年の固定資産税の明細書まで出て来た。

とにかくレター状のものをまず封筒から出して、シュレッダにかける必要のあるものはシュレッダでジャッ。そうでないものは住所氏名を「消しポン」で隠蔽してリサイクルボックス行き。次はどうも過去1年分はありそうな通販の送付明細書。これも住所氏名を判読不能にしてリサイクルボックスへ。最後にカタログの類。一度注文するといつまでもカタログが送られてくるから、あっという間にすごい数が積み上がる。裏表紙の印刷してある宛名を隠蔽して、中の注文用紙にも宛名を印刷してくるとわかっているものはページをめくって宛名を消しポン。悩ましそうな下着のカタログまである。大手のVictoria’s Secretあたりはまだ品は悪くないけど、聞いたこともない会社のはポルノ風の写真が満載だったりする。よくテレビで宣伝販売しているような「ネズミ捕り以来の最大の発明」みたいな、一見便利そうでたぶん2回使ったら壊れそうなものばかりのカタログもある。ふむ、いつも利用する通販カタログにはどれも「厳選した一流企業にアナタの住所氏名を譲渡することがあります」と書いてあるけどなあ。もっとしっかり「厳選」して欲しいもんだ。

コンタクトレンズを入れていないから、全部片付けるのに午後いっぱいかかって、やっとデスクの表面が見えるようになった。やれやれ、背中が痛い。こんなにた~っぷりとしたデスクを作り付けにしたのに、めったにスペースが空いていることがない。ふだんから、まじめにシュレッダにかけるものはその場でかけ、興味のないカタログはその場で宛名を消してリサイクル箱に放り込み、ファイルすべき書類はその場でファイルキャビネットにしまう習慣をつけておけば・・・あはは、言うは易しの見本みたい。かくしてせっかくの三連休をオフィスの整理整頓に費やす羽目になる。そういえば、今月末は第2四半期の売上税の申告期限だぞ。売上税と言えば、住民投票の用紙、まだ返送していないぞ。やたらと購読更新のDMをよこすもので半年分ほど購読注文が重複してしまった高い雑誌に手紙を書くのもまだ。そういえば、新年に手紙を書くからねとクリスマスカードだけ送った小学校時代の友達にまだ約束の手紙を書いていないぞ。でも、再来週の芝居の席はちゃんと予約した。ふむ、他に忘れていることはないかなあ・・・?

そうやって午後が風のごとく過ぎて、すぐに夕食の準備の時間。魚をさばくのに細身の鋭利なナイフを扱うのがちょっと怖くて、コンタクトを入れることにした。きれいに手を洗って、そろ~っと入れてみたら、あら、沁みなくなった。まだ異物感が残っているけど、きのう1日。コンタクトを入れないでいたのが良かったんだろうな。(しまいにはちょっと頭痛がして来たけど、がまんしてとうとう寝るまで入れなかった。)今日は白目もほんとど充血がなくなったし、何よりもコンタクトを入れたとたんに沁みて涙がでるほど痛かったのがなくなってうれしい。黒(茶色なんだけど)目との境界にできたポチッとした濁りらしい点が気になるけど、まっ、いつまでも残るようだったら眼科に行けばいいか。世界がすっきりと見えるのはやっぱりいいもんだ。つい鼻歌が出て来そう。

さて、明日も丸一日休み。うまく行けば、日本で連休明けになる月曜日も夜までは何も起きないかもしれない。あしたは日曜日。天気予報は雨、予想最高気温は20度。さあて、あしたは何をしようかなあ・・・。

人間には品質保証書が付いてこない

7月17日。日曜日。10時くらいに咳で目が覚めて、ひとしきり咳き込み、それでカレシが目を覚まして、ひとしきりもぞもぞして、だけど2人の頭の上に吹き出しの中に「起きるにはちょっと早すぎて中途半端だなあ」と書いてあるのを読んでいる(気分でいる)うちに、2人ともぐ~っすり眠ってしまった。どうも最近は8時半から10時くらいまでの間にいったん目を覚まして、その後で爆睡してしまうことが多くなったような気がする。昔のワタシは寝入り端は火事でも起きなかったんだけど、年とともに睡眠パターンが逆転するのかな。とういわけで、起床は午後1時・・・。

カレシがきのう朝食用のパンを焼くのを忘れた(さぼった)ので、今日はベーコンとポテトと目玉焼きの「ブランチ」。今日のポテトはさいの目に切って、シャンテレルきのこを入れた。ひと口食べて「おお、ホテルのレストラン並みの朝食だ~」とカレシ。じゃあたっぷりチップを置いてってね。朝食が終わればもう午後2時過ぎで、思いついてシーツの洗濯。カレシが英語教室のディスカッションの教材に使う「ストーリー」のネタを探していて、普遍的な日常の人間関係のテーマとしてどんな「問題」がいいだろうかと聞いてきた。ある状況を示して、「どうしたら良いか」を聞き、その答について「なぜか」を説明させるんだそうな。(英語社会でやって行くには「説明力」が重要だということらしい。)人間関係のトピックなら小町にずらりと並んでいるから、これはと思うものをメモしておいてあげることにした。

まあ、職場の関係や家庭の関係はそれぞれの国や民族の人間観の違いや文化的、社会的な要因による表層的な違い違いはあっても、根本的にはどこへ行っても似たりよったりだという気がする。そのレベルの人間関係では、言語や文化にかかわりなく、わかり合える人とはわかり合えるし、わかり合えない人とは所詮わかり合えないんだと思う。どんなレベルでも完全にわかり合えそうにないのは男と女の(逆説的だけど)親密な関係くらいかな。わかり合えない相手が異民族の場合は、人種や言語、文化の「壁」を理由にして、退却するもよし、相手を一把ひとか
らげにくくってこき下ろすもよし、猛然と立ち向かうもよし。だけど、自分の民族、言語、文化の環境にいる場合は退却というわけには行かないだろうから、後は相手をこき下ろすか、相手に立ち向かうか。立ち向かうことで「ある日わかり合えた」ということもあるだろうけど、こき下ろしは百害あって一利なしか。

アメリカでの実験によると、完ぺき主義と言われる人は、ムカつく相手のことをいくら同僚や友人に愚痴ろうが悪く言おうが、それで胸がすっきりするどころか逆にストレスが高まるらしい。完ぺき主義も努力やがんばりの動機付けになったり、逆にエネルギーの空焚きのような状態になったりするけど、そのエネルギーが自分に向かわずに他人に向かったときは「誰もかれもムカつく、非常識、いい加減」と苛立つことになるんだろうな。自意識や自尊感情と何らかの関係があるんだろうけど、相手は自分の完ぺき基準に合わせようとはしないし、基準に合うようにその人を変えることもできないから、よけいにイライラが積もってストレスになるだろうな。小町横町にはそういう完ぺき主義者がたくさん住んでいて、飽くことなく「完ぺき」を追求したり、要求したりしているけど、そういうところは人種や国が変わっても似たりよったりの「所変われど品変わらず」のようだから、人類に普遍的な人間性なんだろうな。

それにしても、人類が「完ぺき」を追求して来たことはたしかだし、ギリシャ神話なんかではその完ぺきさ故に神さまたちの怒りを買って悲劇になる話も多い。古代ギリシャでも完ぺきは神さまたちの専売特許なんだけど、自分たちと肩を並べそうな人間を見るとやきもちを焼くなんて、これまたえらく人間的な完ぺき主義だなあ。まあ、人間には「完ぺき」なんてあり得ないということだろうな。この際、ストレスの多い完ぺき主義は神さまたちに任せて、人間は欠点、短所、大小の瑕疵が満載のままでもいいんじゃない?よく考えたら、誰も「品質保証書」付きでこの世に生まれて来たわけじゃないんだし・・・。

マナーが悪いのはネアンデルタール人のせい?

7月18日。月曜日。正午の気温は摂氏17度。ああ、眠い。カレシがやたらとドタン、バタンと寝返りを打つし、その弾みで一回は危うくベッドから押し出されそうになるしで、まともに寝つけなかった。カレシが早くに起きたのでやっとつかの間の熟睡。と思ったら、今度は防犯装置をオフにしないで外へ出るから、突然のアラームでがばっと跳ね起き、カレシがアラームを解除したところでまたひと眠り。何だか1時間くらいずつの小出しの睡眠ではさっぱり寝たような気になれない。朝から疲れるなあ、もう。

女子サッカーのワールドカップで日本が優勝して、『日本にやっと歓喜の花が咲いた』と言う見出しがあちこちのメディアで躍っている。大震災と原発/放射能問題で暗い気分になっていた日本にもたらされた明るいニュースと言うところで、体格負けしている日本選手たちは良くやったと思う。なんたって足の長さが違うから、走るにも、転がるボールを横から奪うにも、歩幅の大きな相手チームよりもずごいエネルギーがいるんじゃないかと思う。ま、最近の(たぶんバブル以来の)日本は女の活力で持っているような印象がないでもないけど。でも、「日本は世界一になった」とナデシコの七光りに浴して浮かれるだけで、「よ~し、我々もやるぞ~」と被災地の復興や社会経済の活性化に腕まくりをして取り組もうという気風が生まれなければ、せっかくナデシコたちが奮戦して咲かせた「歓喜の花」もあだ花で終わってしまうように思うけどな。

ネアンデルタール人は今の人類とはまったく別の種ということになっていて、数十万年前にアフリカで出現して、その後ヨーロッパやアジアへ移動して約3万年前に絶滅したと考えられている。「動物界後世動物亜界脊索動物門羊膜亜門哺乳綱真獣亜綱正獣下綱霊長目真猿亜目狭鼻猿下目ヒト上科ヒト科ヒト下科ホモ属サピエンス種サピエンス亜種」というギネス級の長ったらしい学名の今の人類がアフリカで共通の祖先から別れたのは15万年前だそうだから、ネアンデルタール人はホモ属としては大先輩と言うことになるかな。そのネアンデルタール人のX染色体のDNA配列が解析されて、そのデータを今の人類のX染色体と照合したら、サンプルの約9%がネアンデルタール人の遺伝子の断片を持っていたという研究結果が出たという。交わらなかったと考えられていた2種類のヒトが実はどこかで出会って交わったということだけど、ちょっと考えたらそれは当たり前じゃないのかなあ。要するに、国際結婚の先史時代版というところかも。

何らかの理由で現人類と共存できずに死に絶えたのはたしかだろうけど、現人類はネアンデルタール人を野蛮で粗野な低脳人間の代名詞みたいにしているけど、実は脳の大きさは現人類と同じで、言語をつかさどる遺伝子を持っていたそうな。装飾品を作ったり、葬礼や儀式も持っていたらしい。つまり、現人類と同じように「人間の感情」を持っていたということだと思う。あんがい現人類よりも豊かな情緒を持っていたかもしれないな。だって、動物のように野蛮で粗暴だったら、数万年経った今地球の生物界の頂点に君臨しているのはネアンデルタール人で、「大昔に絶滅したサピエンス人の遺伝子の断片が現代ネアンデルタール人のX染色体に見つかった」という新聞を読んでいるかもしれない。

カナダ自動車協会の調査によると、カナダ人の道路マナーは5年前の調査に比べてかなり低下しているらしい。割り込みをしたり、携帯をいじりながら運転したり、車間距離を十分にとらなかったり、右折左折のシグナルをしなかったり、窓からゴミを捨てたり、スピードを出しすぎたり。一番迷惑なのはroad rageと言って、他の車のちょっとした動作でカッとなってぶっちぎれるドライバー。見境がなくなっているから何をするかわからない。後ろからホーンを鳴らされたことに逆上して相手を殺してしまったというような事件は日本でもあったような。現代人は精神的な余裕がなくていつもカリカリしているのか、あるいは自尊感情が低くて、他人の言動を自分への侮辱と感じて反射的に報復的な行動に出るのか。まあ、どうなのかわからないけど、ネアンデルタール人が見たら何と思うだろうな。「粗暴で低脳で、そのくせオレ様なところは間違いなくサピエンス人の遺伝子だな」なんて、ハンドルの向こうで笑っていたりして・・・。

老後の暮らしはもう始まっている?

7月19日。火曜日。ごみ収集日。午前7時過ぎにリサイクル品収集車がガチャン、ドシャンと通って行って目が覚め、8時前後に「上り」のごみ収集車がゴゴ~ッと通り、30分ほどして「下り」がゴ~ッ。寝ぼけた頭でやれやれと安心した気分になって、ぐっすり眠って午前11時55分に起床。2人とも正午前に起きたのはエライな。今日は薄曇りだけど、予想最高気温は20度。でもまた今夜からずっと金曜日まで「雨」の予報で、最高気温も17度とか18度。トロントでは35度とか37度という猛暑で、けっこう湿度の高いところだから大変らしい。よく歩道で目玉焼きができる暑さというけど、テレビのレポーターが冷た~いフラペチーノを炎天下の歩道に置いて実験したら、2分ほどで普通のコーヒーになったとか。それでも、7月中旬を過ぎてもまだ20度前後では、猛暑に辟易している人たちに「涼しいよ~」と自慢したい気分にもならないな。夏、どうしちゃったの・・・?

今日も仕事がないから、朝食後はリビングのテーブルに貯まった雑誌の類を片付ける「家事」。ふむ、家事と言えるようなものじゃないけど、何も置いていない平面があるとものを起きたくなるのがカレシで、ほうっておくと雑誌だけじゃなくていろんなものがテーブルの表面を埋めることになる。まあ、ディナーのお客があるときくらいしか使わないテーブルだから不便はないけど、手が空いているときに片付けたほうがいいだろうから、一応これで今日の「家事とする。毎日起きている時間のいったい何割くらい「主婦」をやっているんだろうな、ワタシ。仕事か遊びが9割くらいで、主婦は1割くらいかな。つくづく専業主婦になるように生まれ付いていないんだなあと思う。毎日、家の掃除をして、洗濯をして、アイロンをかけて、買い物をして、子供がいれば子育てもして、家族のご飯を作って・・・ということができる専業主婦はえらいと思う。家の中や身の回りを整頓したり、きれいにしておくのが好きじゃないと、毎日やるのは精神的にしんどいだろうなと思う。ワタシにはとってもできそうにないから、それを何年も毎日やれる人はすごいなあと思う。ほんと。

カレシを英語教室に送り出して、ふと思いついてオフィスの配置転換。といっても、L字型のデスクの隅にまだある古いコンピュータ一式と新しいコンピュータの置き場所を入れ替えるようなものなんだけど、それでも、「足のやり場」に困らないように、デスクの下にびっしりと置いてある段ボール箱や古いプリンタ、たまに使うときだけ接続するファックス機、シュレッダといったものも配置転換することになるから、けっこうな重労働。あれをこっちに動かして、これをあっちに動かして、あれをちょっとこっちに置いて、これはちょっと向こうに置いて、と大汗をかきながら1時間ほどかかって、作業エリアは右へ90度方向転換。山積みしてあった不用品を片付けたせいもあるけど、ずいぶん広くなった感じがする。部屋の反対側に「オレのドメイン」を持っているカレシとは背中合わせの形になるので、英語教室から帰って来たカレシに「お互いにバックミラーをつけて、ときどきハ~イと手を振れるようにしようか」と言ったら、即座に却下。ま、たしかに。互いに回転いすをぐるっと回せばいいわけだし・・・。

ワタシのオフィスはデスクが「コの字型」に作り付けになっていて、総延長は5メートルちょっと。そのままさらに壁に沿ってカレシのオフィスに続いて、そっちは一辺が広がった変形「コの字型」で、少し短くて4メートルちょっと。2人の間は天井に届く高さのIKEAの本棚2つで隔ててあるけど、デスクの方は新しいプリンタが「隔壁」の代わりになっている。用紙の補充などでアクセスしやすいように本棚の端との間を空けておいたら、いつの間にかカレシが床に段ボール箱を置いてしまったので、カレシの側に「遠征」するときは本棚の反対の端を回って行く(つまり、正面玄から行く)か、えいっと段ボール箱をまたいで行く(つまり、裏口から奇襲をかける)か、そのときの気分しだい。

まあこんな風に、ご隠居さんのカレシと現役稼働中のワタシは、同じ部屋で日がな一日(今日からは背中合わせに)コンピュータに向かって、それぞれの仕事や趣味に没頭したり、時には互いにネットで見つけた話や音楽を聞かせたり、「腹へった~」、「ランチにするか~」、「そろそろ寝るか~」と合いの手を入れたりしているうちに毎日が過ぎる。ワタシが時間と競走で仕事をしているときにカレシが「かまってチャン」になるとイライラすることもあるけど、平穏と言えばいたって平穏な毎日。ワタシは引退しても専業主婦はできそうにないから、カレシと同じ「ご隠居さん」になる。10年前には想像すらできなかったけど、ワタシとカレシの「老後の暮らし」の形が確実にできあがりつつあるということだろうな。いや、2人そろって60代なんだから、老後の暮らしはすでに始まっているか・・・。

もてなすも地獄、もてなされるも地獄

7月20日。水曜日。シーラとヴァルが掃除に来るので、目覚ましを午前11時55分にセットしておいたら、なぜか11時53分にパッと目が覚めた。さっそく目覚ましを止めて、カレシを肘鉄でやさし~く起こして、しばしぐずぐず、いちゃいちゃ。またまた何だか冴えない天気。玄関ポーチの温度計、正午の気温は14度。これって、今頃の平年並みの「最低気温」じゃないの・・・。

今日は仕事日なんだけど、まずは小町横町を散策。カレシの英語教材にうってつけのトピックを見つけた。毎年のように休みが近づく頃になると海外在住の人が立てるトピックで、「故国からの訪問客」。家族やごく親しい友だちが来て泊まるのはうれしいけど、悩みの種はあまり親しくない「知人」で、要するに海外の、それも大都市や観光地に「知っている人」が住んでいるということで、ホテル代その他の経費を節約できてラッキーという図々しい人たち。すごいのになると、その知人の親戚や友だちまでが登場する。いくらやんわりと断っても、平気よ、気にしないで、気を遣わないで、おかまいなく・・・。ほんとに「おかまいなく」ならいいんだけど、向こうも日本人。あそこに行きたい、ここに行きたい、あれを買いたい、これを食べたい、あのショーを見たい・・・。根負けしてOKしたら、上げ膳据え膳、おんぶに抱っこ。ガソリン代、食事代、観光地の費用はすべて「ホスト」持ちで、「楽しかった~」と言って日本に帰った後はなしのつぶてで、自分たちが日本へ行くことになっても、「泊まってね」どころか食事のお誘いさえない、と。やれやれ・・・。

日本の慣習だと客は上げ膳据え膳とおんぶに抱っこでもてなされるのが当然ということになっているらしい。それでも、日本国内なら訪問する側は手土産だの何だの、ホスト側は家中の掃除やご馳走の準備だの何だのと、双方がひと騒ぎするんだろうけど、訪問客の方はたぶん日本の礼儀作法に従ってかなり行儀良く振る舞うんじゃないかと思う。それが海外となると、友だちの見ず知らずの友だちのさらにその友だちまで「利用」するという構図になるらしく、掲示板に書き込まれる経験談を読んでいると、(ふだんはたぶん「外国暮らしです~」と吹聴しているかも知れなくても)海外在住組の悩みは深刻なんだなあと思ってしまう。いやはや、「旅の恥は掻き捨て」流の強心臓ぶりにはほんっとに驚愕することしきり。

我が家はある意味設計ミスで客室がない。ないんだけど、泊まって行ってほしい親しい人たちには「キャンプみたいだけど泊まってね」と言うし、ひとりで観光や買い物に行きたい人には玄関の鍵を渡して自由行動してもらう。ワタシは元々日本的に一から十まで世話を焼かれると窮屈で逃げ出したくなるたちだし、カレシにいたっては鼻先をつかんで引っ張りまわされているように感じるそうだから、我が家に来るお客にも窮屈な思いはさせたくない。家の中はちょっと片付ける程度で普段のままだし、世話が必要なところは世話を焼き、必要でないところはどうぞご自由にということになるんだけど、カナダ国内でも日本からでも来るのはそういう環境でも気にしないで楽しんでくれる人たちばかりなのはラッキーなのかもしれない。

一度だけ、語学留学する息子をホームステイさせてくれと頼まれたことがあったけど、こちらはワタシの仕事の都合で生活時間が変則的だから、それを変更して1ヵ月も朝食、弁当、夕食のめんどうを見るのは無理。でも親が安心できるからということで、本人が(大学生なんだし)自分で朝食を作って食べて行くならOKと言う条件を出した。結局は、本人が半自炊に難色を示したようで、よそでホームステイしてもらい、週末に夕食に呼んだ。(せっかく英語留学に来たのだからと、我が家でも日本語は一切なしで通した。)本人はそれなりに楽しんだようだけど、親の心証はきっと良くなかっただろうと思う。カナダもアメリカも(たぶんヨーロッパも)けっこう気軽に親類や友だちを家に呼んだり、泊めたりするけど、客もホストもぐったりと疲れてしまうような、がんじがらめの「もてなし」はあまりしないから、こっちも気軽に「おいで」、「行くよ」と声をかけられるのがいいな。

親しいはずなのに客が来るとなると(散らかっているところを見せるのは恥ずかしいと)大汗をかて家中をピカピカに掃除したり、山ほどのご馳走や帰りのお土産まで用意して、一方で客の方は晴れ着を着ておみやげを持って行って、(少なくとも表面的には)おかまいなくと遠慮しいしいかしずかれてもてなしを受ける。人間関係の文化の違いと言えばそれまでなんだけど、やっぱり打ち解けていないような、窮屈な気がするな。それで、呼んだ側が「(招待したのに)手ぶらで来た」、「(手間とヒマとお金ををかけてもてなしたのに)お礼がない」と愚痴り、呼ばれた側が「(わざわざ行ったのに)ごちそうが出なかった」、「(呼んでおきながら)家の中が散らかっていた」等々と愚痴るトピックを立った日には、もう何をかいわんや。人間関係の潤滑油になるべき「ホスピタリティ」が大きなストレスになったんでは本末転倒だと思うな。共に寛いで楽しいひとときを過ごしたいので、ワタシにはどうぞほんっとにおかまいなく。ワタシも窮屈なおかまいはしないので、どうぞ気兼ねなくごゆるりと・・・。


2011年7月~その1

2011年07月11日 | 昔語り(2006~2013)
10年がひと昔なら30年は何昔かな?

7月1日。金曜日。今日から7月だというのに、う~ん、やっぱり何となくすっきりしないなあ。まっ、それでも、今日はカナダの144歳の誕生日ってことで、ハッピーバースデイ!

毎年、カナダデイには各地で新しいカナダ市民の宣誓式がある。市民権を取得した人の宣誓式は年中あるけど、申請のタイミングなのかどうかしらないけど、建国記念日にピカピカのカナダ市民として忠誠を誓うことができるのはラッキーだな。ワタシが市民権の申請をしたのは1980年の夏。本来ならカナダ市民の配偶者として永住権を取得した1年後の1978年春に申請できたはずなんだけど、その前年に法律が大きく変わって3年待たなければならないことになった。その3年が経って、ちょうどビクトリアからバンクーバーに戻って来たときに市民権申請の手続きを始めた。市民権の申請をすると言ったら、カレシは「そんなもの、必要ないっ!」と猛烈に怒ったけど、ワタシは単純に「この国の人のところに嫁に来たんだからこの国の人になる」という発想で、カレシの反対の真意がわかったのはずっとずっと後のことだった。

あの当時はスポンサー期間が10年で、スポンサーが降りてしまったら、外国人配偶者は永住権を剥奪されて母国へ送還されることがあった。手っ取り早く言えば、外国から来た嫁は「10年の年季奉公」みたいなもので、実際にスポンサーの権力を笠に来たDVが後を立たなかった。外国籍の嫁がカナダ国籍を取得するということは強制送還をちらつかせて脅されることがなくなるわけで、スポンサーがある意味で外国人配偶者に対して持っていた生殺与奪権が消失するということだった。今では法律が大幅に改正されて、スポンサーはいったん承認されたら降りることができず、3年間は経済的な責任を負わされるので、離婚などで外国人配偶者が生活保護を受けたりすると、州政府からスポンサーにその費用が請求されるしくみになっている。

ビクトリアから戻って来たのが5月の下旬。申請は6月に入ってからで、新市民としての宣誓式は9月半ばだったから、その間3ヵ月。申請書類を郵便で送って、カナダ人としての基礎知識を詰め込むための「虎の巻」(数ページの絵本のようなものだった)を郵便で受け取って、市民権判事との面接の呼び出しを受けて、指定の日時に1対1の面接を受けて、郵便で宣誓式の通知を受けて、実際に「新カナダ市民」としてエリザベス女王とその継承者に対して忠誠を誓って、市民権証書を渡されるまでの期間がたったの3ヵ月だったということになる。今は申請してから1年くらいかかるらしいし、市民権の「試験」があって、60点だか65点だか取らないと申請しなおしと言うことになるという話。まあ、トルドー政権の時代に移民の受入れ枠がわっと広がって、市民権の申請資格を満たす人もわっと増えたからだろうな。

おまけに申請料もかかるらしい。そもそもカナダ人と結婚して移民するにも、スポンサーの資格審査や永住権申請にかなりのお金がかかるそうで、1970年代に比べて、政府の移民政策が大きく変わったということだろう。だって、ワタシのときは全部タダだったもの。永住権の手続きも、自分で英訳した戸籍謄本以外はあれこれ証明書の類を要求されることはなく、申請書につける書類はけっこう簡単だったから、のんきと言えばのんきな時代だったかも。特殊な事情があったワタシたちは、ワタシがカナダに来る前からカレシが特定の移民官に助言してもらっていたし、ワタシが来てからも、その人にビザの延長をしてもらっていた。警察官から転職したという年配のおじさんで、行くたびに「もう少しの辛抱だからね」とやさしかった。永住手続きはごく短期間で終わって、「おめでとう」と言いながらパスポートに「Landed(上陸)」というスタンプをペタッと押してくれたけど、今はものすごく時間がかかるらしい。まあ、日本政府のある人口統計から推算すると、1970年代半ばに日本からカナダ人のところへ嫁に来た女性は「数人」だったらしいから、手続きもさして手間はかからなかったんだろう。あれから30年とちょっと・・・時代の移り変わりとは言え、ずいぶん変わったもんだなあ。

ワタシの国カナダが、多民族国家から「カナダ人」と言う混血民族がひとつになった国家になるのに、あと何百年くらいかかるんだろうなあ。

たかが英語、されどグローバルな英語

7月2日。土曜日。おお、今日はちょっとばかり夏らしくなりそうな気配。でも、今日のワタシは大まじめに「仕事日」。何だか土日というと仕事に追われているような気がするな。そういえば、日本の自動車メーカーでは、この夏は木曜日と金曜日が「週末」で、土曜日と日曜日は「平日」ということになったとか。電力の大量消費を他のビジネスが休みの日にシフトするということだけど、製造業がみんな一斉に右ならえして土日に稼動するとなったら、今度は週末に電力不足にならないのかなあと思うけど、大丈夫なのかな。

決算報告の仕事は何とも退屈きわまりないので、半ページくらいやっては「よそ見」。業界仲間のメーリングリストを見たら、意味のわからないカタカナ語の質問がある。カタカナ語はほんとに悩ましいよなあと思いながら読んでみたら、なんだ、カタカナ語特有の語尾の促音の後の子音が変わるパターン。たとえば、ストレートにカタカナで言えば「~ッド」となるのが(たぶん日本語では後に母音がつくために音しにくくて)「~ット」となる。変換ミスじゃなくて、普段からそういう風に発音しているから、そのまま入力しているんだと思う。「バッグ」が「バック」になり、「ホットドッグ」が「ホットドック」になり、「デッドボール」が「デットボール」になる。(「グッズ」なんて舌をかまないのかなと思っていたら、カタカナ語論争のトピックで、「グッツ」と言う人がいてイラッと来るという書き込みがあって、やっぱりと思った。)

こういう変化は言葉の進化の一環なんだと思うけど、英語を母語とするベテランの日英翻訳者が字面のまま読んで首をかしげているのがおもしろいと思った。たぶん、どこの大学の日本語科に行っても「カタカナ外国語の語尾変化」なんてものは教えてくれないんだろうな。日本に住んでいて日本語を常用している人でも、日本語が母語でない場合は、耳が元の外国語発音で聞いてしまって、子音の変化には気づかないのかもしれない。逆に、英日翻訳をやっている日本人が「この文の意味がどうしてもわからない」と質問しているので読んでみると、単語がつづり間違いでまったく別の単語に化けていることがある。単語が違えば意味が通らなくてあたりまえ。意味が通じない単語をアナグラムというつづり換えのパズルの要領でつづりを変えてみて、文脈と合わせて考えると正しい単語がわかって、文の意味もわかるんだけど、英語が母語でない場合、正規のつづりの単語であれば「つづり間違いかも?」とは思いつかないのかもしれない。

英文をタイプしていると、自分の打ち間違いの癖のようなものがわかってくるからおもしろい。ワタシの一番の得意?は「|United States(合衆国)」を「Untied States(分解国)」にしてしまうこと。(Untiedは正規の単語だからスペルチェックをかけても引っかからない。)なんか、アメリカ合衆国を解体してしまったように聞こえるな。オバマさん、ゴメンネ。英文タイプの「QWERTY」というキーの配列は、(大)昔、タイプライターができた頃に、キーを押したときに持ち上がって来る活字バーが、早く打ったときに一番絡み合いにくい配列として普及したものだそうな。活字バーがボールやホイールに取って代わられても「クワーティ」呼ばれる配列は廃れることはなかった。バーもボールもないコンピュータのキーボードの時代になって、アメリカのドヴォージャックという人が手にやさしくて、打ち間違いの少ない新しい配列を提唱して、しばらくの間注目されていたけど普及はしなかった。それで英語キーボードは未だにQWERTY配列で、アメリカ合衆国はいったい何千回くらい解体されたことやら・・・。

ワタシは主に日英翻訳をやっているけど、まだときどきは英日翻訳を頼まれることもある。ワタシじゃなくても日本語の文章力に優れた英日翻訳者はたくさんいるだろうにと思いつつ、原稿を開いてみると、ほんとに英語なのかいなと思うようなすごい英語。何がすごいのかって、教科書英語とは似ても似つかないグローバル時代の「英語」。どうも、「こんなの訳せない」と他の人たちに断られたものを「あの人はこういうのが好きだから(マゾっ気がある人だから)」とワタシのところに回してよこすんじゃないかと勘ぐっているけど、どこから来たのかとよく見たら、(イギリスという英語の本家本元が加盟している)EUの公的機関だったりするからびっくり。ま、著者の名前を見るとびっくりは引っ込むんだけど、まずはイタリア語やフランス語やドイツ語の香りがほのかに漂う英語を「解読」しないとどうにもならないから、翻訳は謎解きの作業でもある。

たかが英語、されど和製英語

7月3日。日曜日。今日も少し夏らしいかと思ったのに、また20度以下。でも、おかげでそよ風がさわやかでいい気持ち。なんだか仕事なんか放り出して遊びに行ってしまいたいような・・・。

まっ、とにかく仕事を片付けないと、日本では月曜日。まだみんな寝ている時間だけど、その間にやってしまわないとね。ほぼ日本標準時間帯で仕事をしているので、週末が金曜日と土曜日になるのはしょうがないし、勤め人がいないから別に困らないんだけど、やっぱり日本の週末の駆け込み仕事は、ああ、めんどくさ~。そういえば、法律関係の大きな引き合いがあると言っていたサンフランシスコの会社からなんとも言って来ないけど、また失注したのかな。入れ替わりに、これまた法律文書の引き合い。よく見たら、ヨーロッパの大きな投資銀行じゃないの。レートはいくらだと聞くから、ちょっと高めに言ってみようかな。たぶん他の人たちにも声をかけているだろうから、受注できなくてダメもと。でも、もしも「お願いします」なんてことになったら、大きなところからの直接受注だから、ちょっぴりコワイかも・・・。

でも、契約とか法令法規といった法律関係の文書はけっこう訳しやすいととろがある。要するに、元原稿が日本語でもこと細かに誤解のないように努めて明確に書いてあるので、文章は回りくどいけど趣旨はわかりやすい。わかったら後は弁護士口調で英語文を書けばいいわけで、要領がわかればそれほど難しいものではない。、これも日本語に負けず劣らず回りくどくなるけど、よく会社案内の冒頭にある「社長のごあいさつ」の何が言いたいのかよくわからない文章に比べたら、具体的過ぎて味も素っ気もないから、かえって作文しやすいくらい。少なくともソフトウェアのマニュアルよりはよっぽどおもしろいと思うけど、ま、そこは好き好きか・・・。

ここのところ小町におもしろいトピックがあったので、仕事の合間に「よそ見」で読んでいた。「外国語ではぜんぜん通じない常用カタカナ横文字」ということで、トピックを立てた人が「ホッチキスはステイプラー」という例を挙げている。小町横町ではカタカナ外国語の話が出ると井戸端がにぎわうけど、これもかなり盛り上がっている。まず、いわゆる「和製英語」がぞろぞろと出てくる。「サラリーマン」や「マンション」は和製英語の粋だろうな。まあ、本来の「英語圏」でなくても英語が広く使われている国には必ずと言って良いほど自国の外では通じない「ローカル英語」があって、英語が公用語のひとつになっているシンガポールには悪名高い?「シングリッシュ」がある。リー・クアン・ユーが首相だったときに「正しい英語を話せ」とシングリッシュ撲滅を図ったけど、どうやら成功には至らなかったらしい。シングリッシュには味な表現があっておもしろいけどな。

だから、和製英語も外国では通じないローカル英語のひとつ「ジャプリッシュ」として堂々と存在していいと思う。問題は和製英語が「英語」としてではなくて、日本語の一部になっていることだけど、それも「カタカナ表記することで帰化した日本語」と思えばよさそうに思う。カタカナ化して定着した元横文字の言葉をその出身国で使われている「外国語」、しかも「英語」だと思うから話がややこしくなる。それで、書き込みが本来の質問からどんどん外れて、和製英語が「通じない」理由を指摘するのに、居住国、居住地の経験から「英語ではこういいます」と断言し、それに対して別の国に住む人が「それは違う」、「そんなの聞いたことがない」と言い出して、ちょっとした論争になったりする。アメリカ英語だって東西南北それぞれにローカル英語があるし、カナダ英語だって、ときには東の端のカナダ人と西の端のカナダ人の間で「英語」がうまく通じないこともあるくらいなんだけど、どうも自分が住んでいる地域の英語が「ザ・エイゴ」と思っている人がずいぶんいるらしい。こういっちゃ悪いけど、「半径何メートルの英語」というところかな。

中には「英語ではこう発音するんですよっ」と、けんめいにカタカナで英語の発音を表現しようとしている人もけっこういて、トピックの趣旨がカタカナ英語の「発音の間違い」を指摘する方へ逸れてしまっているからおもしろい。その努力は買うけれども、日本語は五十音表を見るとわかるように、子音と母音が一体になってひとつの「音」として表記されるから、母音と子音を切り離し考える外国語の音を表現するのは、カタカナを使おうが、ひらがなを使おうが、万葉仮名を使おうが、どだいからして無理な話だと思う。誰かが「セロテープ」を英語では「セェロテェィプ」と発音すると書き込んでいたので、カタカナ発音記号の通りに読んでみたら「アラバマ州からお越しですか」と聞かれそうなセロテープになった。

和製英語はあくまでも外国語由来の「帰化日本語」として、日本語式に発音しても間違いではないし、ヘンでもないと思うけどな。「マンション」は英語では邸宅のことだとか何とか言われたら、集合住宅のことを「日本語ではマンションといいます!」と教えてあげればいいんじゃないのかな。ワタシとしては、英語で話しているときに「mansion」と言われると大邸宅を想像するし、日本語で話しているときに「マンション」と言われたら「○○団地」や「○○荘」を連想するから、ぜんぜん問題はないけどな。日本で日ごろ「マンション」と言う言葉を使っている人は日本人と日本語で話しているんだし、外国(英語圏)に住んで「mansion」と言う言葉が使われるのを聞いている人はその国の人と英語で話しているわけで、まさにキプリングの言う「東は東、西は西。交わることなきこのふたつ・・・」。

まあ、日本人の外国語(英語)への思い入れの強さを垣間見せてくれるトピックだったな。

フリータイムの日は歩け、歩け

7月4日。月曜日。起床は正午ちょっと前。今日は20度を超えそうな感じ。夜に飛び込んできた小さな仕事を寝る前に済ませて納品しておいたので、今日の午後はフリータイム。と言っても、朝食を済ませたら、まずは市役所まで明日が期限の固定資産税の書類を届けに行かなければならない。

昼のニュースを見ていたら、カナダを公式訪問中のケンブリッジ公夫妻(ウィリアム¥&ケイト)は今日は「赤毛のアン」の舞台になったプリンスエドワード島。ケイトのスマイルはほんとに衒いのない自然なやさしがあるなあと思う。プリンスエドワード島(PEI)はカナダで一番小さな州で、全体の人口もバンクーバーの4分の1くらい、州都シャーロットタウンは4万人にも満たないけど、イギリスの自治領としてのカナダ連邦の結成を決めた会議が開かれたという由緒のあるところ。PEI自体はそのときには連邦に加わらなかった。だから、いわゆる今のオンタリオやケベックなどのともすれば利害が対立する地域の「統一」を話し合う会議の場として選ばれたのかもしれないな。奥さんの名前がケイトのギーズ州首相が「殿下、一番重要なのはケイトたちはいつも正しいということを忘れないことですぞ」と夫婦円満の秘訣をアドバイスしたもので、若い2人は爆笑したとか。

さて、今日は天気が良いから、運動を兼ねて2つ先のキングエドワード駅まで歩いて、そこから地下鉄に乗って市役所まで、と言う行程で、しっかりとウォーキングシューズを履いて出かけた。さすがに7月だから日差しは暑いけど、ノースショアの山並みはにいつもならほとんど消えている雪がまだ残っている。まっすくクィーンエリザベス(QE)公園の裏側まで行って、そこから駅の方へ出ることにしたけど、バンクーバー市内で一番標高が高いところなもので、胸突き八丁の上り坂。まるでステアマスターで運動してるようなもの。キングエドワード駅に着いたところで、どうせあと13ブロックだからそのまま市役所まで歩こうということになった。家から45、6ブロック、距離にすると4キロくらいかな。つないでいた2人の手のひらは汗でびっしょり。

結局50分ほど歩いて市役所に着いたら、わっ、すごい行列。固定資産税の通知を手にした人たちが、オフィスから溢れ、ロビーから溢れて、正面玄関の外まで並んでいる。郵便が止まっていたせいもあるかもしれないけど、月曜日だと言うのにすごい列。ロビーの隅に固定資産税の「受付箱」が置いてあるんだけど、そこでも箱が置かれたテーブルで書類にサインしたり、小切手を書いている人がいて、いすが空くのを待っている人たちが二重、三重の人垣を作っている。だけどなあ、家でそういうことを済ませて封筒に入れて持ってくれば、受付箱にポンッと入れるだけで済むのに、何でなの?納税期限は明日5日。だから、行列はもっとすごいんだろうな。

まあ、税金を納めるのをぎりぎりまで引き延ばしたいのは庶民の心理なのかもしれない。ワタシたちもぐずぐずしているうちに「あっ、今日が期限だ!」と、期限日の真夜中ぎりぎりに市役所の玄関ドアに取り付けてある受付箱に封筒を入れに来たことが何度かあった。で、ああ、間に合った~と安堵していると、同じように封筒を手に息を切らせて駆けつけてくる人がいて、目が合って「おたくもですか~」と互いにニヤリ。今は固定資産税の繰延べ制度を利用しているので、実際の支払はない。これは60歳以上の人が自宅の固定資産税を州に肩代わりしてもらって、自宅を売ったり、死んだときにまとめて返済する制度で、要は借金だから利子が付くけど、年毎の単利なので低金利の今はあまり負担にならない。この先金利が急上昇したり、家の価格が暴落したりするようなことがあれば、また別の話だけど。

市役所から4ブロック先のWhole Foodsでちょこっと買い物をして、ブロードウェイ駅から地下鉄で帰って来たけど、てくてくとよく歩いたのでふくらはぎや股関節が痛い。階段をヒョコン、ヒョコンと下りて来るワタシを見て、カレシが「なまってるなあ。ボクなんか毎日農作業をやってるから鍛えられてるよ」とニヤニヤ。ふむ、たしかにここのところちょっと運動をサボっていたからなあ。それでも、久しぶりに日光を浴びて、いい汗をかいた日だった。仕事がないときくらいはもう少し外へ出るようにしなきゃね。

内職感覚でフリーランス稼業をやっても

7月5日。火曜日。ベッドから起き出して、一歩前に足を踏み出したら、あっ、イテテ。股関節のあたりから膝まで、お尻から太ももの後ろが筋肉痛。元凶はクイーン・エリザベス公園沿いのあの坂道だな、きっと。たぶん相当な大またでガシガシ歩いていたんだろうな。カレシはワタシより30センチ近く背が高いけど、身長に対する座高の割合でいうとカレシは上体がやや長く、ワタシは寸詰まりだから、たぶん歩幅には身長ほどの大きな差はないと思う。でも、36年もカレシの歩調に合わせて歩いていたもので、体に惰性がついてしまったのか、今さら減速しようにもうまく減速できず、急な坂道であろうが5キロの行軍であろうが大またでのしのし。(女としてはあんまりかわいげがないような・・・。)

今日もいい天気で、起きたときにはもう20度。やっと平年並みになって、カレシがやきもきしていた菜園のトマトも成長し始めたとか。昼のニュースを見たら、ゆうべフレーザー川を跨ぐ高圧送電線の鉄塔が突然倒れて水没したために、川向こうのサレーは大停電で、ハイウェイや橋が閉鎖されたそうな。そういえば、午後9時前にワタシのバックアップ電源がカチッ、カチッと切り替わる音がして、続いてカレシのバックアップがビーコ、ビーコと警告音を鳴らし、音楽をダウンロードしていたカレシは「何だ、何だ」とパニック寸前。停電はしなかったけど、あれが送電塔が倒れたときだったんだろうな。それにしても、それまで立っていた鉄塔が「突然に」はないもんだと思うけど、どうやら融雪期で川が平年以上に増水していたために、川っぷちに立っていた鉄塔の地盤が急激に侵食されたのが倒壊の原因という話。けっこう川の流れは速いけど、でも、「急激に」ってのも何だかなあ・・・。

新聞サイトを見たら、ビクトリアで裁判中だった日本人語学留学生に陪審団が「無罪」の評決を出したというニュース。ほおお。陪審員は「死産だった」と判断したんだろうな。日本語を話すという弁護士が(具体的に何がどう違うのかは新聞記事には載っていなかったけど)「文化的な違い」を訴えていたけど、ビニール袋に入れて自室に置いていたのは「赤ちゃんと一緒にいたかったから」という話も「文化的な違い」と判断したのかもしれない。弁護士の話では彼女は日本の所属大学からの「圧力」ですでに退学したようだし、元々「殺人」は罪状にないから、たとえ有罪の評決が出たとしても日本へ送還される程度で、2児を放置して餓死させたカルガリー事件のときのようにカナダの刑務所で服役しないで済んだかもしれないな。ま、無罪放免になって日本へ帰れるんだからよかったじゃないの。まだたったの21歳なんだし。

小町を見たら、フリーランスの年収/月収をずばり聞きたいというトピックがあったので、好奇心で覗いてみた。ふむ、雑誌などのライターやグラフィックデザイナーはけっこう厳しいんだなあ。関心を引かれたのは、本業のITだけでは仕事が少ないので翻訳もしているという人の書き込み。「IT」という職業がどんなものか知らないけど、A4一枚の英文を訳して500円くらいというのはちょっと安すぎやしないかなあ。それも「ただの翻訳ではなくIT系の技術翻訳」なのに、それでもまだマシな方って、しかも日英もほぼ同じというのは信じられないなあ。激安の理由を「翻訳は子持ちの専業主婦が内職でやれる仕事なので値崩れしている」と言って、他の人に「そんなことを言っているから500円しかもらえないのだ」と言われているけど、ほんとに英文3行か4行分の金額だから、A4一枚でそれでは値崩れどころか「大出血サービス」。まあ、この人は本業のITでは食べられないから翻訳「も」やっているわけで、その点では「専業主婦の内職」とさして変わらないレベルなのかもしれない。

たしかに日本の翻訳業界ではかって、特に英日翻訳で一種の「価格破壊」現象が取りざたされたように思う。バブル時代からこの方、ワーキングホリデイや語学留学でどっと海外へ出た人たちが日本に戻って、当時「トレンディ」と思われていたらしいフリーランスの翻訳業にどっとなだれ込んできたということもあるかもしれないし、その後の経済低迷で在宅で翻訳を始めた人たちも多く、その中には「子持ち専業主婦」もたくさんいただろうと思う。独身者ならアルバイト、主婦なら「おうちでできる」パートの感覚だっただろうから、「ビジネス」という気持はほとんど持っていなかったのではないかと思うし、採算割れなんてもんじゃない激安料金で引き受けて、「アタシ、翻訳やってるの~」と触れて回ったバブル頭のお嬢さんたちがごまんといたのも確かだと思う。

まあ、翻訳であれ何であれ、フリーランスの仕事はそれを発注する「ビジネス」が相手だから、家事や育児の合間にやれる「お仕事」ではないのはたしかだと思う。専業主婦の小遣い稼ぎでもいいんだけど、対価を得て翻訳というサービスを提供するものである以上は、仕事の合間に子供のオムツを取り替え、手が空いたときに家事をするくらいの覚悟(プロ意識あるいはビジネス感覚)がなければ、対等のビジネスとして向き合ってくれる取引先を得ることは難しいし、それどころかあくどい業者に片手間仕事であることを嗅ぎつけられ、足もとを見られて、どんなに優れた才能を持っていても、それを安く買い叩かれてしまうことになるし、ひいてはそのレベル全体で「値崩れ」を起こしてしまうこともになる。

それにしても、A4サイズの1ページで500円ねえ。作業スピードにもよるけど、1日。8時間あたりの平均的作業量をベースにして、1ページあたりの経験則的な語数から大雑把に時給換算してみたら300円ちょっとにしかならないんだけど、いくらデフレの日本でも、これでは最低賃金以下じゃないのかなあ。信じられない。フリーランスは常に仕事があるとは限らないし・・・。

もらってうれしい通知、うれしくない通知

7月6日。水曜日。午前11時55分に目覚ましがなって目が覚めた。シーラとヴァルが掃除に来る日だけど、いつもは正午を過ぎてからなので、何となくベッドの中でぐずぐずしていたら、電話。シーラが「おはよ。起きた?」と家の外から。どうやらゲートのチャイムが鳴らないらしい。急に気候が変わったりすると接触が悪くなるのか鳴らないことがあるから困る。「今起きた~」と言ったら、いつも持っている鍵でゲートを開けて入って来た。「玄関を開けて防犯アラームが鳴ったらベッドから転げ出しちゃうでしょ?」それで遠慮してまず電話をした・・・というわけ?

いつものように、ヴァルがベースメントのオフィス、シーラが二階の掃除をしている間に、中間のキッチンでテーブルの周りをうろうろするわんちゃんのレクシーにちょっかいを出しながらの朝食を済ませ、ヴァルと入れ替わりにオフィスへ。システムを立ち上げてメールを見たら、やだ、寝ている間に仕事が入っている。日本はほんとに残業、残業で大変だなあ。毎日のように遅くまで残業しないと終わらないくらいの仕事があるんだったら、人を増やせばいいのにと思うんだけどな。長時間かけて出勤して、長時間仕事をして、(ときには飲み会にも参加して)長時間かけて家に帰ればもう深夜で、寝たと思ったらすぐに起床時間で、またせわしなく出勤・・・なんて、体に良くないだろうし、家での人間関係にも良くなさそう。(それほど「激務」であっても浮気をするヒマはあるらしいのが不思議だけど。)

何でも屋で翻訳をやっていると、いろんな企業の内部文書にお目にかかる。決算書類や契約の類はビジネスそのものだけど、社内の通知文書には内部の事情や職場環境がちらちらと見えるものも多い。採用通知や表彰状のようなものは簡単な文が多いけど、もらった人の笑顔が見えて楽しい。反対に、チョンボをしての訓告とか戒告といったものは何となく「アホやなあ、キミ」という気持になるし、解雇通知だったらく「この厳しいご時世に気の毒になあ」と思ってしまう。まあ、だいたいは「うっかり」(わりと初歩的な)ミスをして叱られる程度で済んでいることが多いけど、ときには「やってはいけないこと」をやった社員をクビにする通知もあって、そういうときは「地位も責任もある大人の人間がどうして一瞬の気の迷いでキャリアを棒に振ってしまうんだろう」とため息が出る。

つい癇癪を起こしてしまうことは誰にでも一度や二度はあると思うけど、だいたいはある程度の自制心や自尊心が機能して我を忘れて突っ走るのを思いとどまらせてくれていると思う。酔っていたならまだしも、しらふの大人の人間でその「最後の砦」が自己防衛が働かなかったというのは、それほどストレスや不満が積もりに積もっていて、すべてをかなぐり捨てたいという衝動に負けてしまうのかな。それが「魔が差した」ということなんだろうか。後になってそのときの(常軌を逸した)行動を自分でも説明がつかないからそういうんだろうな。まあ、今どきは感情や欲求のコントロールがどんどん難しくなりつつある時代なんだろうけど、「悪魔」のせいにしてしまっていいのかなあ。

でも、解雇通知をもらってしまった人は、家に帰って奥さんに何と言うんだろうな。高収入だったのにある日「懲戒解雇」で無職無収入になって帰って来たダンナさんに奥さんは何と言うんだろうな。修羅場にならないだろうかと想像をたくましくしてしまうこともあるけど、すべてはドラマの筋書きではなくて、日本の大都会で生活している生身の人間に起きた現実の話だから、やっぱり大きなため息が出て来てしまう。なぜかよくわからないんだけど・・・。

新ニッポン語のお勉強は楽しいね

7月7日。木曜日。ん、涼しい。起きてみたら小雨もよう。午後にはいっときかなりの雨になった。午後2時でポーチの気温は13度。きのうはしっかり25度行ったのに、なんでなの?UPSがランズエンドに注文しておいたTシャツを届けに来た。かなり薄地で、うんと袖が短くて襟ぐりの深いのばかり10枚。LLビーンに何枚か注文したのもそのうちに届くだろうけど、この天気では夏中に全部を一度は着られるのかな。

ぽちぽちと郵便が来るようになったけど、郵便局には拠点スト中やロックアウト中にたまった郵便物が4千万通もあって、全部消化できるのは来週の終わりくらいなんだそうな。月曜日が支払期限の電話料金の請求書も今日になって着いた。連邦と州の売上税を統一したHSTの継続の賛否を問う住民投票の用紙も今日になって着いた。なんかやたらと分厚い封筒を開けたら、投票用紙の付いた説明書1枚と、封筒が3枚。まず、投票用紙のYES(継続反対)かNO(継続賛成)のどちらかに×かチェックマークをつける。質問が「HSTを廃止して、GSTとPSTの並列制度に戻ることに賛成するか」という回りくどい表現だから、継続に反対する人が、英語の語順だと最初に出て来る「賛成するか」というところだけを見て、HST反対のつもりで「NO」と投票することもあり得る感じだな。英語だって作為的に相手の反応や回答を誘導するような微妙が表現ができるという見本みたいなものかな。

YESかNOに印を付けたら、次あ投票用紙をミシン目に沿って切り離して、封筒Aに入れて封をする。「守秘封筒」という意味のことが印刷されている。次にこの封筒Aを封筒Bに入れて封をし、表の所定欄に生年月日と電話番号を書き込んで、サインする。住所氏名は封筒に印刷されている。住所変更などがあったら、裏に新しい住所を記入しなさいと書いてある。最後に所定事項の記入と署名を確認して、封筒Bを黄色い封筒Cに入れる。あて先が印刷されていて、切手は不要なので、そのまま郵便ポストにポイと入れておしまい。選挙管理委員会に届いたら、封筒Cを開けて封筒Bを出して、住所氏名と記入された生年月日を照合して、本人と確認できたら開封して封筒Aを出して開票に回すという手順なんだろう。郵便投票というのは初めてだけど、けっこう手間がかかるもんだなあ。ま、郵便ストのおかげで期限が延長されたから、この週末にゆっくりと「投票」しようか。

外は雨だしということで(あまり関係ないけど)、午後はのんびりと小町横町の散歩。「その省略語にむずむずする」というのトピックがあって大盛況。延々と340本だかある書き込みを読んでみたら、おもしろいの何のって。翻訳原稿にこんなのが出てきたらお手上げだけど、新日本語のお勉強としては笑い出したり、目がまん丸になったりで楽しいことこの上ない。純粋日本語も省略されるとたいだいがカタカナ語になるらしいところもおもしろい。それに和製英語の省略版や輸入もののカタカナ語の省略版や、さらに若者言葉の省略語があって、カタカナ日本語はまさに混戦もよう。こんなのをちりばめて話をされたら、浦島花子36年のワタシにはぜ~んぜんわかりませ~ん。

モンペって「親ばか」の現代版かと思ったら、誰かが「問題を引き起こすペアレントかと思った」と書き込んでいて、う~ん、言い得て妙とはこのことか。アクセ、コスメ、コーデ、ファンデ、ワンピにカーデ・・・最近は特に若い世代の省略語に3字音のものが多いような。(まあ、俗語を作るのはどこでもだいたいは若い世代だと思うけど。)携帯メールの普及とも関係があるんだろうけど、注意の持続時間が短くなって、「昔風」の4字音では最後まで聞けないのかもしれないな。それが今どきの若者言葉の乗りのリズムということもありえるかな。ざっと拾ってみただけでも、ホムペ、ホムパ、トイペ、ホケミ、クリチ、クリパ、イミフ、ガルトー、バーベ、メアド、コスパ、ハロワ、シンマ、ホカペ、リスケ、マーケ、インパ、フリマ、スマホ、クレカ、ポテチ・・・ほとんどガイコク語も同然で、書き込みの「定義」を読んで爆笑したものもあれば、ゲッとなったものもある。

それでも、4字音の省略語もまだまだしぶとくたくさんある。ナルハヤは「ASAP」の日本語版かな。ヘビロテは気味が悪いし、ブレスト、レンチン、マタママとなった淫靡な感じがしてぞくっとするなあ。もっと短くなって2字音のものもあるけど、ベビーがなんでベビになって、ダーリンがダーになるんだろう。おしゃれな若奥さんが「うちのダーとベビがさあ」なんて言っているのを聞いたら、日本女性も強くなったもんだと感心するしかないかなあ。で、略語の最たるものがアルファペット語。WMはワーキングマザーの略だそうな。(英語の出会い系広告だと「白人男性」ってことになるからややこしい。)この流れだと、ワーキングウーマンはWWになるのかな?WWって世界大戦を連想するけど、まあ、女の仕事は戦いだからいいのか・・・。

まあ、英語も若者たちがどんどん省略語を作り出しては、大人をイライラ、ムズムズさせている。先日もオンラインのホテル予約サイトのコマーシャルで「この夏のヴェケーを計画してんのさ」と言うのを聞いてゲッとなった。なんだか、ワタシもどっかにヴェケーに行きてぇ・・・なんて。

ラベンダーの花咲く頃の実験メニュー

7月8日。金曜日。なぜか2人同時に目が覚めたら、あら、もう午後1時半。何と9時間も寝た勘定になるけど、どうしてだろう。どうも、揃って睡眠時間の後半になって眠りが深くなる傾向が出て来たようで、午前9時前後の、ちょうど熟睡に入るあたりに眠りを中断されると、正午過ぎまでぐっすり眠ってしまうような感じ。けさは9時くらいにゴルフ場の芝生刈りか、どこかの家でのカーペットクリーニングか、とにかくモーターの音で目が覚めて、かなり長いことうとうと状態だったような気がする。

1日。の始まりは遅かったけど、カレシが庭で咲き始めたラベンダーを切って来てくれたので、今日は久しぶりに実験メニューを考えてみることにした。

今日のメニュー:
 ホタテのラベンダー風味タルタル、ヤムのてんぷら添え
 あわびのワイン蒸し煮、ズッキーニリボン添え
 オヒョウのステーキ、蒸したインゲンと3色にんじん
 (サラダ)

[写真] ホタテのタルタルはバニラを使ったレシピで作ったことがあるので、ラベンダーの香りに代えて見た。小さな鍋に水とお酒を沸騰させて、ラベンダーを入れてさまし、そこにホタテを漬けてしばらくおいたものを刻んで、塩、ライムジュース、カイエンペッパー少々で和えた。付け合せはヤムいものてんぷら。ラベンダーの風味はほんのりだけ。ひと晩くらい漬け込んだほうがいいかもしれない。

[写真] 殻つきの冷凍あわび。ググってみて、どうやらオーストラリア産のグリーンリップという種類らしいとわかった。ひと苦労して殻から外し、白ワインでさっと煮てスライスしたものをきれいに洗った殻に並べて、刻みねぎをパラパラ。ズッキーニは皮むきを使って薄いリボンにして、さっと塩もみして黒オリーブのスライスを合わせてみた。食べてみたカレシがちょっと味が足りないというので、ちょっとポン酢をたらしたら不思議とオリーブとも良くあって成功。ほんのちょっとだけだからいいのかもしれない。あわびはちょうどいい柔らかさ。(あわびを軟らかく煮るには、ほんの数分だけか、2、3時間をかけるかのどちらかで、その間の時間では硬くなるんだそうな。)

[写真] かなり尻尾に近いほうの小さめのオヒョウのステーキ。海草入りの海塩をグラインダーで挽いて下味をつけておいて、インゲンと3色のにんじんを蒸し器にかけて、頃あいを見てフライパン焼き。3色のにんじんのうちで一番本来のにんじんらしい味だったのは意外にも白いにんじんだった。

遅く始まった夕食が終わったのは午後9時。この分では今日はランチなしの2食になりそう。生活時間があまりずれすぎないように、ちょっとリセットした方がいいと思うけど。

一夜限りでけろりと治る不思議な病気

7月9日。土曜日。なんか調子がヘンで合計11時間も寝てしまった。きのう9時間も寝た後だから、なんだかン?な感じ。きのうは起きてから何となく頭がクラクラする感じだったけど、寝すぎたせいだと思っていた。それが、夜中近くなって急に軽いめまいがしたり、寒気がしたり、冷や汗が出たりし始めたので、バックルームのソファで横になって3時間ほど眠った。(なんか夢を見ていたような気がするから、かなり熟睡したみたい。)カレシに「寝る時間だ~」と起こされて、歯磨き、洗顔もそこそこにベッドにもぐりこんで、そのまま朝まで8時間。よく眠ったと見えて、頭はまだちょっともやっとしていたけど、ごく普通の目覚め。

まあ、一過性の自律神経失調症のようなものだろうと思うけど、どうもワタシは急激に始まってひと晩眠ったらケロッと治っているような病気?を持っているらしい。十代の終わり頃に、関節が焼ける感覚が始まったと思うと猛烈な寒気がして、30分もすると熱が39度になっていることが1年に1、2回起きるようになった。いても立ってもいられなくて、ベッドに入って震えながらひたすら眠ると、次の日には熱も関節の痛みもまるで嘘のようになくなっていた。疾風のごとく来て去るから医者に診察してもらう暇もない。それでも1度だけ、昼休みに関節がひりひりし始めて寒気がして来たので、速攻で隣のビルの内科に駆け込んだら、そのときにはもう39度を超える熱。医者は「普通は害のないウィルスに過剰反応したのかもしれない」と自信のなさそうな診断だった。関節痛と高熱だけのあの病気?はカナダに移ってからも2年に1回くらいは出てきて、30代の終わりまで続いた。

その後はめまいと嘔吐だけだったり、ゆうべのようにめまいと冷や汗と吐き気だけだったりする「急病」がときたま起こって、そのたびにカレシはオロオロ。昔はどうしていいかわからなくてオロオロがイライラになったりしたけど、最近は顔を覗き込んで頭をなでたりして、けっこうやさしくオロオロしてくれるからおかしい。(ひょっとしたらおかしがっているうちに治ってしまうのかもしれない。)とにかく急激だし、ピークに達する頃にはすごくつらくなってしまって起きていられないから、仕事の納期が迫っていたりしたら慌てる。一度はビニール袋に吐きながら何とか仕上げて納品して、ベッドに転げ込んだことがあったけど、まあ、年とともにそういう「鬼のかく乱」みたいな突発性何とか症はめったに起きなくなったのは幸いと言えるかな。原因、何なんだろうな。やっぱり自覚していないストレスがあるのかなあ。一夜限りの病・・・全然ロマンチックじゃない。

朝食が終わる頃には頭もすっきりして、今日は予定通りに段ボールのリサイクルと野菜の買出しに出かける。リサイクルすべき紙類が山とあるんだけど、カレシは「買い物のついでに寄るだけだから」となんとも非論理的な返事。どうやら、紙類や他のリサイクル品を集めるのはめんどうくさいということらしい。ま、つぶしてポーチに放置してあった段ボールの山だけでも持って行こうと思ったんだから、この際いいか。夏らしい天気で、市のリサイクルデポはかなりのにぎわい。ごみの投棄場に入る専用レーンはトラックが列を成していた。我が家から近いんだから、もっと昼間に出かける「ついでに」積み上がる一方のリサイクル品を持ってきた方がいいと思うんだけど、そういうと天邪鬼のカレシは「この次でもいいよ」とか何とか言ってはぐらかすに決まっているから、ここは放っておくか・・・。

IGAでは昼間だけ人がいる魚と肉のカウンターで、ティラピア、ロックフィッシュ、紅鮭、オヒョウを包んでもらって、冷蔵庫に品薄になった野菜を買って、今日の掘り出し物は「ヒマラヤの塩」。南アフリカから輸入されたもので、グラインダーつきのびんにきれいなピンク色をした岩塩を砕いたような粗い粒が入っている。ふだんは地中海やオーストラリア、ハワイの海塩を使っているけど、岩塩は初めて見た。ヒマラヤは海から遠く離れているから、ネパールあたりの料理は岩塩を使うんだろうな。小ど山奥の国の料理のレシピが見つかったら、岩塩を使ってみようか。もうひとつの掘り出し物は「豆類のもやし」。2、3センチの根が伸びた緑豆、インゲン豆、ひよこ豆、あずき豆のミックス。昔、母が大豆をうるかしてストーブのそばにおいて根を出させたものを豚肉やひじきと炒めてくれたことがあって、しまいに顎がだるくなったのを今でも覚えている。あれはおいしかった。生のままではきっと青くさいだろうから、炒め物にしてみよう。

買い物が終わって帰ってくればもう夕食のしたくの時間。ゆうべのクラクラ病がまったく嘘みたいに食欲はもりもり。後はぽちぽちと週末の小さい置きみやげ仕事を片付けるか・・・。

夫婦だけど、フェイスブックではお友だち

7月10日。日曜日。よく眠った。目が覚めたら午前11時半。カレシはとっくに起きて朝食の支度をしていた。それで食器のガチャガチャいう音で目が覚めたのかな。ワタシが起きたとわかると、さっそくコーヒーミルをガアッとやる。引き立てのコーヒーの香りが二階まで漂ってきて、今日はおきぬけからいい気持ち。日中の気温はまだ平年よりやや低目らしいけど、最低気温はまあまあ普通だから、菜園の野菜も喜ぶな。

日本は月曜日だから、きのうのうちに済ませておいた仕事を送っておいて、後はのんびり。左目に移動した結膜炎?がまだ治っていないので、できるだけコンタクトレンズを入れないで済まそうと、こういうときの予備の眼鏡をかけてみたら、きゃっ、コンピュータの画面が湾曲して見える。前のモニターはもっと小さかったからほとんど問題がなかったけど、新しいのはずっと大きいから、いくら角度を変えても全体が湾曲してしまう。かけて5分もしないうちに何となく頭痛がして来たので眼鏡はあきらめた。この眼鏡はかけたまま歩くと視界がゆがんで吐き気がして来るくらい度が強い。座っていても使えないとなると無用の長物だな。しょうがないから、コンタクトを入れたけど、しばらく目がひりひりして、後は1日。中ごろごろ。コンタクトを入れないと、身を乗り出して画面に顔を近づけないとメールも読めないから、首が痛くなって結局は頭痛がしてくるし、ああ、いやになっちゃう。早く治ってくれないかなあ・・・。

新聞サイトを巡回していたら、バンクーバー市がこの秋から食品ゴミの堆肥化を始めることになり、我が家のあるサンセット地区が2つの試験地区に決まったというニュース。いよいよかと思って読んでみたら、当面は調理していない果物や野菜、コーヒーや紅茶の出しガラ、ティーバッグ、卵の殻くらいのもので、油や調味料が含まれる食べ残しは悪臭を出さずに処理できる施設がないので、回収できるのはまだ先の話だという。なあんだ、持って行くのは今カレシが堆肥にしているものだけってことか。カレシにそう言ったら、「熟成した堆肥は純金ぐらいの価値があるの。もったいなくて市役所になんかやれない」んだそうな。試験収集が始まったら、普通ゴミの収集が今の週1回から2週間に1回に減らされるそうだけど、我が家は1週間で120リットル容器が満杯になることはめったになくて、収集日にリサイクル品だけでゴミは出さないときも多い。つまり、今と変わらないってことで、まあ、池を潰して菜園に転換したら大量の堆肥がいるだろうから、あまり関係ないか。

今日はカレシの好物の紅鮭のファルシを作って、芽だし豆の炒め物と蒸したズッキーニを添えてのんびりと夕食。トロントなど東部の方は猛暑でヒュミデックス(体感温度指数)が40度を超えたそうな。東京あたりも梅雨が明けて猛暑らしい。電気は大丈夫なのかな。エアコンを我慢して熱中症で死んでしまう人たちが出ないといいけどね。食後に二階へ上がっていってサーモスタットを見たら28度。あまり暑くは感じなかったけど、暑がりで汗っかきのカレシが「あっつ~い」と言ってエアコンのスイッチを入れた。う~ん、そんなに暑くないって・・・。

メールをチェックしたら、あら、カレシからフェイスブックにアカウントを作ったというので、さっそく「お友だち」リクエストを送ってあったのに、入れ違いにフェイスブックからカレシからの「お友だち」リクエスト。どうなってんだろうと思いつつ、OKしたら、ワタシは何と「2人のカレシ」とお友だちになって両手に花。どうやら以前に作って「削除した」はずのアカウントがまだ生きているらしい。3人しか友だちのいないのが今のカレシで、もう1人のカレシには、おいおい、「知らない女性」が友だちリストに載ってるよ。「使い方を覚えないうちにいつの間にか知らない友だちができて困ったからアカウントを削除したの。そっちはアンフレンドしてくれよ」とカレシ。な~るほどっ。ということで「元カレシ」はアンフレンドして、「今カレシ」のアカウントは「お友だち限定」に設定してあげた。

夫婦でフェイスブックの「お友だち」ってのもちょっと変な感じだけど、怪しい展開があったら速攻でアンフレンドしちゃうよ。まあ、ワタシはときどき「お友だち」の近況を見るだけで、めったに書き込みはしないんだけど、カレシは旅行の写真を載せたいらしい。ネットの世界は知らないうちに何が起きるかわからないんだから、基本的な機能を覚えてから使った方が安全だと思うけど。