リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年9月~その2

2010年09月30日 | 昔語り(2006~2013)
急がば回れは通用しない

9月16日。木曜日。なんだか暑くて目が覚めた。インディアンサマーというあれだな。夏が去りかねているというのか、夏の名残りというのか、天気のいい日はまだ日が高いから暑く感じる。朝食を済ませて、カレシがママに電話して「行くよ」と予告。今日は別にいるものはないというので、Godivaのクッキーだけを手みやげに、トラックで出発。

平日だから週末と違って、幹線道路はトラックだのタンカーだの、超でっかい車が多いもので、ちっちゃなエコーよりは一丁前に「トラックでござい」という顔をしているピックアップの方が乗っていてストレスが少ないような感じがする。それにしても、道路工事の多いこと!まあ、オリンピックの期間中にできなかった分までまとめてやっているからなんだけど、フリーウェイも幹線道路も横道も、いたるところで工事。すいすい走っていたと思うと、急にスローダウンして、まるで日本の自動車教習所のコース(といっても写真しか診たことがないけど)を走るようにオレンジ色の標識の間を抜けたり、どこから続いているのかわからない渋滞に出くわしたり。渋滞している交差点を見つけると、せっかちなカレシはささっと横道に入る。

いつものことだし、ふだん通ることのないところを見られるし、決まった時刻に着かなければならないわけじゃないから、回り道もけっこう楽しい。ところが、カレシは渋滞を避けて時間を節約しているつもりなんだけど、実際にはよけいに時間がかかっていることが多い。というのは、めったに行かない郊外なもので、ちょっと幹線道路から外れると道に迷って、みごとな遠回りをするはめになってしまうから困る。今日はいったん横道にそれて元の幹線道路に戻ろうとしたら、戻れなくなってしまった。あっちへ曲がり、こっちへ曲がりしているうちに、森林公園のようなところへ入り込んで、木立の間から見えていたフリーウェイも遠のいて、どんどん逆方向へ進んでいる感じ。道路が交差するたびに「今○○で、××を過ぎたところ」と標識を読み上げても「どこだかわからないよ」。あ、そう。そのうちに道路の名前が番号になった。おいおい、南へ進んでるよ。メープルリッジは東だよ。北東に針路を取らないとニューウェストミンスターに出てしまうよ~。

なんとか記憶にあった幹線道路に出て、そこからカリブーロードに遭遇。北へ進んでやっとローヒード・ハイウェイに出て一路東へ。とうとうフリーウェイには乗らずじまいのままで目的地に着いた。たぶん少なくとも30分はよけいな時間がかかったと思う。やれやれ。「だって、どこへ行っても工事だらけじゃないか」と口をとんがらせるカレシ。まあ、急がば回れとは言うけれど、カレシの場合は急ぐときは回らない方が無難そうに思えるなあ。

ママはいつものママ以上にほがらかで、やっぱり自分の環境に戻ったのが良かったんだな。骨が脆くなっているから、ヘルパーが持って来たクッションのような腰当をつけているそうな。足腰が思うように動かなくて、脱げたスリッパに手が届かないらしいから、スリッパを履かせてあげて、お湯を沸かして紅茶をいれている間、カレシはママとしばしおしゃべり。何かあったときに首にかけているボタンを押せば誰かがすぐに来てくれるし、ランチや夕食の時間に食堂に姿を見せないと一緒のテーブルに座る人がホームの人に知らせ、まず電話が鳴り、電話に出られないと誰かがドアをノックして、返事がなければドアを開けてチェックしてくれる仕組みになっているそう。カレシが電話のところまで歩いて出るのが大変なら携帯を持てばいいのにと言ったら、「そうしたらみんながどんどん電話をかけてきて迷惑だわ」と(笑って)一蹴されてしまった。あはは、いかにもママらしい。ちょっと耳が遠くなっている兆候はあるけど、まだまだかくしゃくとしていることは確かで、カレシもほっとしたようだった。

ママの夕食の時間が近づいたので、これからはもうちょっと時々来るから、今度はママが育ったチリワックまで行って見ようということにして、一路我が家へ。ラッシュとは逆方向だし、カレシも今度は「のんびり行くから」と回り道をしなかったので、フツーに帰って来たのだった。やれやれ。

牽牛織女が携帯を持っていたら

9月17日。金曜日。目が覚めたら何となく薄暗い。雨かな。午前11時50分。しばらくだらだらしてから、おもむろに正午に起床。朝食は久しぶりにベーコンポテトと目玉焼き。ベーコンは2本でじゃがいもは大きいのが1個。どっちも千切りにしてベーコンの油で炒める「がっちり朝食」の定番。卵は賞味期限ぎりぎりだったけど、なぜかこれが目玉焼きだ!という味わいがあって、2人ともおいしい、おいしい。今日は朝からポジティブで大いによろしい。

カレシは「今日とあしたはどこへも出かけないからね」と宣言。食材はあるもので間に合わせて、なくなったらないで済ませる、と。きのうの今日でくたびれたんだそうな。「交通渋滞はもうごめんだよ」と言うから、ワタシは楽しかったけどなあと反論。「なんで渋滞が楽しいの?」と来たから、楽しかったのは渋滞じゃなくて、「横道にそれて道に迷ったこと」と言った。そりゃ、渋滞にはまってイライラしている人の隣に座っていておもしろいはずがないでしょうが。今まで通ったことのない道に入って、へえ、すてきな家がある、きれいな庭がある、いい景色がある、と、何気ない風景を何気なく見るのが楽しいのだ。ま、運転していないから楽しめるんだろうけど。

どこへも出かけないと言うから、今日は仕事前線の「追いつけ、追い越せ」デーということにする。まあ、お子様プロジェクトは今のところノルマをこなしている(らしい)から、少し気合いを入れれば、来週木曜日の期限までちょっと余裕で行けるか・・・な?夏だからか星の話になって、まあ、これなら天文好きのワタシにもけっこう楽しめる。牽牛と織女の1年に一度のデートのところで、ふと、こんな話は今どきの子供たちにはちっとも悲劇的じゃないんだろうなあと思った。あんがい、「メールすればいいのに。携帯もってないの?」なんて質問が出たりしてね。

男と女の出会いと付き合いも、最近はイメージそのものが土台から様変わりしているからしょうがない。だいたい、「機織り」なんて前近代的なお仕事は日本中探したってない(たとえあってもなり手がいない)だろうし、高学歴と高年収が出会いが恋愛、結婚と進行するための決め手になっているらしいから、「牛飼い」には付き合ってくれるカノジョさえいないかもしれない。なんだか夏の夜空を見上げても、夢もロマンもあったもんじゃないなあ。まっ、都会じゃあいくら見上げても星が見えるとは限らないか。どこか近くで超新星でも爆発したら見えないこともないだろうけど、超新星と言うのは要するに「破局」だから、やっぱり夢もロマンもないか・・・。

午後4時半。カレシが注文してあった新しいコンピュータが届いた。当面はネットに接続せずに使うんだとか。コピー機を置いてある古い勉強机をオフィスの反対側に移動して、そこに古いスキャナ専用においてあった古いコンピュータをおいて、空いたコンピュータデスクは机があったところに移して、新しいのを置く・・・なんだか「秋の大掃除」並みの大仕事になりそうな予感。手を貸せと言うことになりそうだなあ。まあ、日本では「敬老の日」の(またぞろ)三連休だそうだから、今のうちに気合いを入れて作業を前倒しにしておこうか。ふむ、敬老の日って、何歳から敬ってくれるんだろう・・・?

空間認識と利き脳の怪

9月18日。土曜日。午前中に雨が降ったらしい。気持がいいから、午後になって日が差して来たので、エアコン代わりに窓を開けると、雨上がりのさっぱりした匂いがする。

新しいパソコンの設定をするつもりでいた(らしい)カレシ、デスクを移動したら新しい棚がいるとか何とか言っているうちに、「モニターを買うの、忘れてた!」と今さらながらの新発見。そっか、忘れてたのか。新しいのが来たらアプリケーションを積みすぎてえっちらおっちら動いている古いのをこっちに置いて、今コンピュータデスクに置いてあるさらに古いのは机の方に移して当面はスキャナ専用にする、という計画だったけど、それだとなんだかモニターの数が合わないなあと思っていたんだよね。今使っているモニターが比較的新しいから、いらないと思ったのかな。

まあ、こうやって「あと一歩」のところでストップしてしまうのがカレシらしいところで、「後の方/下の方/上の方/奥の方まで探さなかった」、「ボタンをきちんと押さなかった」、「奥の方までしっかり差し込まなかった」、「まだあると思った」といったちょっと不思議な不完全思考のなせるわざ。箱などの展開図を見て完成品をイメージすることができないし、見たものをそれらしくスケッチすることができない(縦横斜めの比がめちゃくちゃになる)というから、やっぱり空間認識に問題があるのかなあ。聞くところによると、この空間認識能力を支配しているのは右脳なんだそうだけど、あれ、右脳って左手の領域じゃなかったっけ?カレシはちょっと不器用なだけの普通の右利きなんだけど。でも、世の中の大多数を占める普通の右利きの人は空間認識に問題があるのかというとそんなことはないだろうな。

ワタシは左利きだから空間認識能力は高いはずなんだろうけど、そういうこともなさそうだなあ。動体視力なんてないに等しいしね。まあ、ワタシの場合は、先天的に乱視、近視、遠視を併せ持っていて視力が低かったことが大きく影響したんじゃないかと思う。なにしろ30才を過ぎてコンタクトレンズを使い出すまで物がぼやけたり、二重、三重にならずにはっきり見えたことがない。つまり、小さいときから五里霧中の世界に住んでいたようなもので、勘とでもいうのかレーダーみたいなものと、そのデータを分析する機能をある程度発達させて、それで何とかまかなっているというところじゃないかと思うんだけど。一説によると、左利きには右脳と左脳を同じように使えいる人や、両方まとめて使える人もいるらしい。ま、右手使いの訓練をさせられることが多いからかもしれないけど、両脳利きだと思考効率が良くなるのかな。だったらいいけど、ワタシに関してはどうもそんな感じはしないなあ。まあ、右利きの世界で生き延びるために、左利きのワタシは右脳でも左脳でも、とにかくありったけの脳細胞を使っているってことかもしれない。

とにかく、モニターがないからできない!とパソコンの設定を放り出した左脳絶対優位のカレシは、何を思ったのか、オフィスのあちこちにたまり放題だったリサイクルごみをかき集めて、ポーチにたまっていた段ボール箱やらちらしの類もまとめて、トラックに積んで市のリサイクルデポへ持って行った。こういう唐突なところも空間認識に関連があるのかどうかは知らないけど、おかげでオフィスはちょっぴりだけ広くなって、何がどう転ぶかわからないなあと感心して見ていたら、あら、プリンターのトナーがなくなったみたい。でも、あら、買い置きがないから注文しなくちゃ。トナーと一緒にモニターも注文すればいい。で、お子様プロジェクトその2が木曜日に終わったら、オフィスの配置換えをやろうね。棚も付けて上げるよ。木曜日なんてすぐに来るから。

すぐに来るんだよね、ほんとに。仕事、気合いを入れようっと。

揚げるも炒めるもフライだから

9月19日。日曜日。目が覚めたら正午を過ぎたところ。いやあ、ものすごい雨で目が覚めてばかりで、よく眠れなかった。ごお~っという音を立てて降っていたかと思うと、しばらくしてぴた~っと引くように止み、うとうとしたところでまたごお~っ。どうやら一時はヒョウも降ったし、雷も鳴っていたらしい。郊外では2時間ほどの間に60ミリも降ったところがあるというから、ほんとに集中豪雨だ。我が家のあたりに一番条件が近い空港では半分程度の34ミリだったそうだけど、それでも2時間くらいでどどっと降ったらすごいよね。ラニーニャになると、ジェット気流の配置の関係でバンクーバーのあたりは「嵐のハイウェイ」になってしまうんだそうな。大変だぞ・・・。

今日は何が何でも買いだしに行かないと、野菜も果物もほとんど底をついた状態。きのうの夕食なんか「超」がつくあり合せで、塩サバの酒蒸しときんぴらごぼう、鍋でご飯を炊いて「イクラ椀」。なにしろワタシはごぼうが大好物で、そのごぼうのきんぴらが大好物。最近Hマートで手に入るようになったのがうれしくて、ときどきまとめてどっさり作るようになった。だけど、野菜が底をついては、さすがの行き当たりばったりシェフも腕の振るいようがなくなる。そういえば、ベイが20%引きの特別優待券みたいなものを送って来て、その最終日が今日。前に見た新技術のフレンチフライメーカーを試してみない?とカレシをそそのかしてモールへお出かけ。

T-Falが出した「ACTIFRY」というキカイで、ほんの少しの油でかりっとしたフレンチフライができるというのがうたい文句。電気フライヤーだとポテトがカリッと揚がるほど油の温度が上がらないのが悩み。どうしてもべちゃ~っとなってしまう。それがこのキカイなら、せいぜい大さじ一杯の油で1キロくらいのフレンチフライができるというから、カレシがさっそく興味を持ったんだけど、値段が300ドルと聞いて「高い」。それが2割引きで買えるなら試してみる価値がありそう。要するに、熱した油の中で「揚げる」のではなくて、油をまぶしておいて時間をかけて「炒める」といった方が良さそうかな。まあ、英語でいえばdeep-fryかstir-fryかの区別はあるけど、どっちも同じ「fry」。超特盛りカロリーのケベック名物「プティーン」もこれならカロリーは半分になるらしいから、いつか試してみるか。ま、さっそくラセット種のいもをどっさり仕入れたから、今夜トレイを洗っておいて、あしたのランチに試してみようね。

今日の夕食はディルを振りかけた紅ザケをフライパン焼きにして、蒸したインゲンと、軽く炒めた残りもののピーマンとアスパラガスの茎としめじ、というごくごくフツーのメニュー。カレシが温室から採って来た「フリゼー」というレタスのサラダ。まだ摘み菜程度の大きさだからなのか、ぜんぜん縮れていないけど、そのぶん苦味もなくて、十代の頃に好きだった「チシャ」を食べているような感じで好感度抜群。さて、主食の魚の在庫がかなり少なくなってきたから、今度は遠洋漁業にでかける番だな。底引き網で行くか・・・。

足がかゆくなってきた

9月20日。月曜日。早いなあ、ついこの間9月になったと思ったのに、もう下旬。もっとも、起床は正午過ぎだから、こっちの方は遅いなあ、もう午後じゃないの。ま、時刻と言うのは人間が作った規律の手段の一種で、いやでも応でもこれがないと世の中が回らない仕組み。悠々自適は悠々時適というところかな。

さて、今日は仕事をするぞ~という気分で、オフィスに落ち着いて、なぜかまずは来月末の会議に出席するための手配を始めた。今年はデンバー。カレシは何も見るところがなさそうだから行かないと言っていたんだけど、お子様プロジェクトとの関連でどうしても出席したいセッションがあるもので、じゃあ、ひとりでとんぼ返りで行くか、友達を誘って一緒に行ってくるよと言ったら、「ボクも行こうかな」。あ、そう。だけど、「水曜日は英語教室があるから出られない」。あ、そう。それならばということで、木曜日に行って、金曜日午後のセッションに出て、日本語部会のディナーパーティで旧知の仲間たちと会って、土曜日の午後に帰って来ることにした。カレシの気が変わらないうちにと、会議場のホテルは2泊だけだからとちょっといい部屋を予約して、会議の方も金曜日1日だけに参加登録して、後はカレシに飛行機の手配をおまかせ。

デンバーは空港なら乗換えで何度か通ったけど、目的地になるのは初めて。たしかに観光地じゃないけど、時間帯はすぐ隣で1時間違いだし、飛行機で3時間かからない「ちょっとそこまで」の感覚だから、気分転換にいいと思うけど、なんともせわしない日程になったのは、土曜の夜はバンクーバー交響楽団のシリーズ第1回コンサートがあるから。どういうめぐり合わせか、来年5月の最終コンサートがこれまたシアトルでの会議と鉢合わせで、シーズン中5回のコンサートの初回と最終回が年2回の会議の日程とみごとにぶつかってしまった。そりゃあないよ~と思っても、偶然のなせる業には勝てないから、最終コンサートだけ別のシリーズのとチケットを交換してもらうことにした。

デンバー行きが決まったところで、今度はプリンタのトナーとカレシが買い忘れたモニターを注文。デスクを移動すると「照明が必要だ」とか何とか言い出すことは目に見えているので、ついでに先回りしてデスクランプも2本注文。なにしろ、我が家は配送センターからダウンタウンへの道筋にあるもので、「午前9時から午後5時」の配達予定だと午前10時前に来てしまう。つまり、丑三つ時みたいな午前9時に(ワタシが)目覚ましをかけて起きなければならないから、そうそう小出しに注文を出していられないのだ。いかに宵っ張りの2人とはいえ、昼夜ほぼ逆転の暮らしはめんどうなことも多い。(もしもワタシがお独り様になったら、きっとフツーの生活時間に戻るだろうとは思うけど、どうかなあ・・・。)

ハリケーン・イゴールがバミューダを通過して、カナダへ向かっている。なにしろ熱帯低気圧級の暴風域が半径500キロ以上、ハリケーン級の暴風域だけでも半径150キロくらいあるそうで、小さなバミューダはばっくりと飲み込まれてしまう。25年くらい前にモントリオールへの出張帰りのカレシと合流して週末だけ行ったことがある。まるで粉のように細かなピンク色の砂がきれいだったな。朝、道路わきに皮手袋のようなものがぞろぞろ落ちていてびっくりしたけど、よ~く見たらぺちゃんこになった大きなヒキガエルの死骸だったのでもっとびっくり。夜の間に道路を渡ろうとして車に轢かれるらしい。ブーゲンヴィリアがたくさん咲いていて、石壁にはヤモリがたくさん張り付いていたっけ。石灰を塗った白い屋根のパステルカラーの家並みはまるでプチフールの箱を開けたようだったし、首都ハミルトンの教会では寺男?みたいなおじさんが「降りてくるときにドアの掛け金をかけといてね」と、鐘楼まで上がらせてくれて、たぶんバミューダで一番高いところから見たハミルトンはかわいい感じのする街並みだった。アタッシェケースを提げたイギリス風の紳士がバミューダショーツに膝までのソックス、革靴といういでたちだったり、白いバミューX
ダショーツのおまわりさんがロンドンのおまわりさんのような帽子を被っていたり・・・また、行きたいなあ。

ふむ、旅に出たい気分のことを「足がかゆい」というけど、なんだかむずむずして来たような・・・。

ほんとにもう・・・

9月21日。火曜日。午前9時に目覚ましが鳴って、飛び起きて着替え。キッチンは朝の日がいっぱいでまぶしい。そのままゲートに一番近い八角塔の窓際のシートに横になって、うとうと。だけど、そのうち本格的に眠ってしまって、おかしな夢を見ていた。やたらと長い廊下があって、それがなぜか水浸し。そこを「べちゃべちゃじゃないのよ~、もう」なんて愚痴を言いながら(誰かと)歩いていたんだけど、足はぜんぜん濡れなかったような。そこが夢の不思議なところで、どういうわけかワタシの夢には、川や海だったり、雨だったりと、「水」がよく登場する。どうしてかなあ。

そうやって夢を見ている途中で「ピンポ~ン」。がばっと跳ね起きたもので、危うくシートから転げ落ちそうになった。午前10時ちょっとすぎ。トナーとモニターとデスクランプの配達。「ファーストネームは?」と聞かれて、綴り間違いで、訂正。「ちょっと寝ぼけていて・・・」と言ったら、配達のお兄ちゃんが腕時計をちらり。あのね、早起きのし過ぎと寝不足は体に毒だから、この次から午後に来てくれないかなあ。といっても「午前9時から午後5時の間」で指定はできないんだよね。ま、サインオフして、またナイトガウンに着替えてベッドにもぐり込んだ。カレシががばっと起きて、「来たの?」 うん、来た。そのまま2人ともぐっすりと寝なおして、次に目が覚めたらもう正午を過ぎていた。

ゆうべはカレシがデンバー行きの飛行機の予約。「がら空きだよ」とか何とか言いながら、座席を選んで、いざ支払いとなったら、「アメリカしか選べない」。え、何で?カナダとアメリカを往復するのに、クレジットカードの情報はアメリカしか選択肢がないなんて、ありえないよね。しょうがないからユナイテッドのヘルプデスクに電話。何のことはない、カナダからの場合は「Worldwide」のページから予約の設定をする仕組みになっているのに、カレシは「アメリカ」を選んでしまったらしい。う~ん、アメリカとは陸続きで、最近まで自由に出入りできていたから、「Worldwide」と聞くとカナダ人はヨーロッパやアジア、アフリカのような「海を越えて行くところ」を連想するのかもしれないな。とにかく、ユナイテッドのページに戻って、最初から予約のやり直し。今度は「帰りの便にはもういい席がない」。土曜日の朝だから、あんがい出張から帰って来る人が多いのかもね。まあ、経費で落とせるからいいだろうということで、少し余分に払って「エコノミープラス」に座席を取った。ふう、これで旅の準備は完了。

さて、今日は英語教室の日。急いで食事のしたくをして、送り出して、さあ仕事!と気合いを入れていたら、ゲートの音、どたどたという足音。何ごとかと思って玄関に出たら、カレシが突入してきた。事故でもあったのかと思ったら、「教材を忘れた」。バッグを持って行ったじゃない。「バッグに入れ忘れた。どこに置いたか覚えてない」。あ~あ。せっかく一生懸命に作った教材なのにねえ。「こんなことは初めてだ」。ん~、そうかなあ・・・。デスクのあたりをごそごそとかき回して見つけた教材をつかんで、カレシはまた飛び出して行ったけど、夕食時のテレビニュースでアルツハイマー症や認知症が21世紀の深刻な医療問題になると言ってたなあ。まあ、カレシはプレベビーブーム世代だけど、大丈夫か・・・な?

先週の金曜日にダウンタウンにあるコンドミニアムのタワーで何かの工事中に煙とガスが発生して、住人が全員避難。戻ったと思ったらまた土曜日に避難。そのままでまだ戻れないでいる。なんでも沈下したコンクリートを持ち上げるのにウレタンフォームを注入する作業をしていたそうで、化学反応を起こして発熱したらしいという話。だけど、どういう化学物質が発生したのかが不明で、疑わしい物質にはシアン化合物もあるらしい。(見当がつかなければ試験のしようがないんだそうな。)元々は電力会社の本社ビルを改装したものなので、電力会社に問い合わせたら、1万ページもの書類が送られて来て、市の関係者は「そんなもの読むヒマがあるか。今すぐヘルプが必要なのに」とカンカン。だよね、ほんと。おまけに、それまで知られていなかった密封された地下倉庫のようなものが見つかって、もしかしてPCBを保管してあったのではないかと言う疑惑浮上でまたひと騒ぎ。ウレタンフォームは少しずつ注入しないと中心から発火する危険があるそうだけど、作業をしていた請負業者はメーカーが呆れるような量を一気に注入したらしい。花の金曜日だから、さっさと終わらせて早く帰ろうと、手抜きしたんじゃないのかな。おまけに営業許可証が1月に期限切れになったままだそうで、着のみ着のままで避難させられて、まだしばらくは帰れそうにない住人は怒り心頭だよね、ほんと・・・。

演歌、今頃になって新発見

9月23日。木曜日。2人ともよく眠って、正午を過ぎて起きてみたら雨模様。ちょっと風もあるような。ラニーニャの冬の前触れなのかなあ。きのうの午後8時何分だかに「秋分」になって、今日が公式に「秋」の初日なんだけど、最高気温はやっとのことで14度。もうすぐ最低気温がひと桁まで下がる日も出て来るんだろうな。庭のトマトはもう赤くならなくなったから、青いまま収穫してしまった。ひとつかみくらい実がなったインゲンもそろそろ収穫しないと・・・。

お子様プロジェクトのその2は、あとは見直しをするだけの状態で午前3時半に無事終了。でも、想定したスケジュールだとけっこう楽々終わるはずだったのに、なぜかやってもやっても終わりが近づいて来ない。夜中を過ぎてもそうなんだから、焦ってしまうよね、ほんと。訳上がりの語数をカウントしてみたら、原稿の日本語文字数カウントから推定した語数よりもなんと25%も多くて、文字数と語数の比率が57%。プロジェクトのその1のときは48%だったし、ワタシの平均は45%だから、ちょっと異常だな、これ。もしかして客先が文字数カウントを間違えたのかな。なにしろ元原稿がスキャンした本だから、たぶん翻訳部分を拾い出して、その文字の数を数えたんだろうと思うけど、それが百何十ページもあったら、数える手元が狂うことだってある。電子ファイルが登場する前(まだ20年も経ってない!)は、見積もりも請求もぜ~んぶそうやって印刷した原稿や訳上がりファイルの文字や単語を手で数えていた。忙しいときにカレシに数えてもらったら、多すぎたり、少なすぎたり。はたして得したんだか、損したんだか、今となってはわからないけど。ほんとに、きのうは焦っちゃった、もう・・・。

朝?一番から数十ページになったファイルの見直しをしたら午後いっぱいかかってしまって、すぐにエクササイズの時間。めんどうだから、まずフレンチフライをセットしておいて、15分運動の後3分シャワー。今日は大西洋のカレイで「フィッシュアンドチップス」風。T-Falのフレンチフライメーカー、これがけっこう優れもので、カレシ好みのフライができる。しかも、でっかいジャガイモ2個をフライにするのに使う油の量は大さじ一杯程度と来ているから、指でつまんで食べても手が油っぽくならない。ごしごし洗って皮付きのままでフライにしたら、これがまたおいしい。いや、これは近年めずらしいgood buy。すっかり要領がわかったら、カレシに教えて作らせようっと。

Japan Probeを見ていたら、いかにもくだらなさそうなお笑い番組にJEROが登場して歌っているのがあった。名前は聞いていたし、演歌歌手だということも知っていたけど、歌っているのは聞いたことがない。まあ、昔は演歌も歌謡曲も好きじゃなかったんだけど、十何年か前に日本語放送でやっていた「ふたりっ子」とかいうドラマに登場した演歌歌手の歌を聞いていてなんとなく興味がわいた。カレシに言わせると、日本の演歌はアメリカ音楽でいうなら「カントリー&ウェスタン」だそうだけど、ワタシはどっちかというと心情的にブルースに共通するところがあるように思う。カントリー&ウェスタンには興味がないけど、クラシックな泥臭いブルースは大好き。日本を離れること35年にして初めて演歌に何か感じるものがあったとしたら、少しは大人になって、情緒的な幅が広がったということなのかもしれないな。演歌はカントリーよりも「ジャパニーズ・ブルース」に近いんじゃないのかなあ。まあ、さわりだけだったけど初めて聞いてみたJEROの『海雪』。う~ん、なかなかいいじゃないの。クラシックな演歌が好きになりそうな・・・。

ま、ひと仕事終わったところで、うまく行けばこの週末は「週末」になるかな。次のプロジェクトその3に取りかかる前に、ちょっとリラックスしておきたいなあ。久しぶりに行き当たりばったりシェフの「お味見メニュー」もやりたい。あと4時間ほど何もなければ・・・むにゃむにゃ(おまじない)。

なんとも変則的な1日

9月24日。金曜日。今日も正午を大きく回ってから目が覚めた。相変わらず雨模様で、のんびりと起き出してから、朝食のミルクがないのを思い出した。卵はあるけど、ポテトはフレンチフライにして全部食べてしまったし、ベーコンも品切れ。粉末のスキムミルクはあるけど、朝からあれはどうもねえ。そこで思いついたのが、「ニッポンの朝ごはん」。海塩を振って冷凍した大西洋のサケがある。少しだけきんぴらごぼうが残っているし、使い残した豆腐もある・・・。

さっそくおかゆを作りにかかって、急遽解凍した塩鮭をオーブントースターに入れて、味噌汁のしたく。きんぴらごぼうはパワーを下げた電子レンジで1分間チン。初っ端がオレンジジュースで、仕上がりがコーヒーというのは変則的だけど、朝食と言うよりは「朝ごはん」と呼んだほうがぴったりするメニューだけど、時間的にはブランチ。味噌汁なんて春の東京以来だよね。いや、久しぶりの日本のご飯はおいしかった。ブランチが終わったらもう午後2時。ポーチの気温はやっと12度。東のトロントはなんと31度という季節外れの猛暑なんだけど。

住所のナンバーがちょっと違うけど配達されたカレシ宛の郵便。差出人はサスカチュワン州の聞いたこともない村。中に入っていたのは1枚の手書きの便箋。みごとなペンマンシップからすると年配の女性かな(カレシが小学生の頃はまだペンとインクで字を書く練習をさせられたんだそうな)。あまりにも達筆で読みにくい手紙をひろい読みしたら、48年続けた農業を引退して、子供が何人で、孫が何人で、どこに住んでいて、と話が続く。カレシは何かの間違いじゃないかと首をかしげるばかり。そうだねえ、「拝啓」も「敬具」もない。いきなり近況で始まって、いきなりおしまい。何だろうなあ、これ・・・と2人でああだこうだ言っているうちに電球がポッ。カレシの高校の同窓生じゃないのか。来年の卒業50周年の同窓会を企画をしている人がいて、カレシがみんなの「その後」のプロフィール作りを買って出ていた。さっそく同窓生のリストを見たら、いた。ゲイル・クヌートソン、旧姓ミッチェル。カレシは「50年も昔だし、ぜんぜん記憶にないけどなあ」。(まあ、学校友だちよりも近所の不良と遊んでいたそうだから、そうかもねえ。)

一件落着して、洗濯機を回しているうちに、すぐに午後4時。カレシが今日は「トレッドミル休業」を宣言。エクササイズも週に1日くらいは休みがあったほうがいいからだそうな。まあ、朝食が遅かったし、おかゆでも日本食はおなかの持ちがいいのか、というよりはブランチを済ませてやっと2時間だから、全然おなかが空かない。しょうがないから、ラッシュが終わった頃にHマートへ買い物に行って、夕食はその後にして、ランチ抜きの二食にすることにした。変則的もいいところだけど、空腹でもないのに食べると言うのもくたびれるものね。

Hマートはぶどうの季節で何種類ものぶどうがある。韓国の人はぶどうが好きなのかな。病みつきになったぶっとい韓国ニンジンを2本。1メートル近くあるごぼうは2パックで特売。6本くらいになるけど、こんなに食べきれるかなあ。ま、安いからいいけど。カレシの好物のししとうを買って、生しいたけを買って、2把入りのニラを買って、ひょっと見たら、うわっ、松茸の山!トレイに入ったのがどっさり。ハングルの中に「BC」だけ読めるから、ウィスラーの先のペンバートンの周辺で採れたものか。バブル期以来ちょっとした松茸の名産地産地になっていて、最初は村の人たちの小遣い稼ぎだったのが、今では銃を振り回しての縄張り争いまで起きるという話。昔は日本食品店で傘がすっかり開いた大きなのを見かけた。もちろん傘が閉じた姿のいいのは日本へ空輸されて、現地では出回らなかった。時代が変わったのかなあ。トレイの中にいくつも入っている松茸はどれも小ぶりだけど傘はしっかり閉じている。むらむらと誘惑の手を感じるなあ。値段は100グラム13ドル。今のレートだと千円ちょっとか。

とうとう誘惑に負けて買ってしまったトレイは300グラム入り。どうしよう、さっそくレシピを探さなきゃ。ずっと昔の20代前半の頃、妹と奈良と京都に旅行に行ったことがあった。(今になって思うとあれが最初で最後の姉妹2人の旅行だった。)おりしも秋だったので、京都のみやげ屋の店先にも松茸が並んでいて、おみやげに2人でお金を出し合って松茸を買って帰って来た。松茸なんて食べたことがないから、勇んで帰って来たのに、母の反応は「こんな高いものを買ってきて・・・」。ちょっとへこんだ気分になったけど、道産子の母は松茸をどうやって料理していいのかわからなくて困ってしまったのかもしれない。でも、母が作ってくれた松茸料理はすご~くおいしかった。きっとありったけの料理の本をめくってレシピを探したんだろうな。

持って行ったトートバッグひとつでは間に合わないくらいの大きな買い物をして、帰り道は8時過ぎ。買い物を仕分けしているうちにおなかが空いてきた。とりあえず解凍していたまぐろに、あとはめんどうだから買ってきたばかりの紀文の冷凍おでんの変則メニュー。まあ、めんどうだからといいながらも、おでんを作り始めると、大根の他にごぼうを入れてみたり、いなり寿司用の(味つけなしの)油揚げを2枚だけ出して来て、にんじんとささがきごぼうに冷凍エビを1個ずつ加えてきんちゃくを作ってみたり。おかげでかなり食べがいのある「いい加減料理」になって、夕食が終わったのは午後11時。2人とも満腹だけど、なんとも変てこな1日だった。さて、買ってきてしまった松茸、どうしようかなあ・・・。

いながらにして何となくニッポン

ミルクもない、ポテトもない、ベーコンもない。朝からないないづくしの金曜日。ここのところなんたらかんたら言いながらまともな買い物に行っていなかったからしょうがない。

とりあえず、午後1時過ぎに朝ごはん。

大西洋のサケに適当に海の塩を振って、冷凍しておいた「極楽とんぼ流新巻」。解凍してみたらちょうどいい塩加減。おかゆを作っている間にトースターオーブンの上火で焼いた。後は、豆腐とわかめの味噌汁。きんぴらごぼう。京王プラザの和食朝食バイキングとは行かないけど、ちょっとニッポンの朝・・・?

遅い朝ごはんでおなかが空かなくて、夕食のしたくを始めたのは午後9時過ぎ。まぐろを回答してあったけど、これは横に置いといて、まず出来合いのおでんを作り始めた。大きなスープ鍋にだし昆布をちぎって入れて、まず大根を煮始めるのが極楽とんぼ流。おでんのスープを入れて、思いついてごぼうを入れて、フリーザーに残っていた韓国ちくわも入れて、ついでにきんちゃくを作って入れて、最後にかまぼこを入れて、やっと出来上がり。我が家の「おでん」にはからしがつかないのはなぜか・・・。

まぐろはまともに調理するのがめんどうくさくなって、そのままフライパンで焼き始めて、その間に生姜をおろして、お酒と醤油に混ぜて、まぐろの上からじゃあ~っとかけまわして、ふた。一度ひっくり返して、火が通ったところでお皿において、ソースを少し煮詰めてかけるとできあがり。そのままではそっけない感じがしたので、かいわれ大根でちょっとかっこつけてみた。朝に引き続き、いい加減ながらもなんとなくニッポン・・・。

人間は直線じゃないからね

9月25日。土曜日。まだ調子が狂いっぱなしで、目が覚めたら午後12時45分。ベッドルームの中が明るいのは晴れているから。よく眠ったようで、あまりよく眠らなかったようで、2人ともしばしベッドの中でぐずぐず。午後1時が近づいて来て、「起きた方がいいだろうなあ」と2人。「この分だと目覚ましをかけてリセットしなくちゃならないねえ」と2人。まあ、出勤するところがあるわけじゃなし、ご飯を食べさせて送り出さなければならない子供がいるわけじゃなし、どこかに行く予定があるわけじゃなし。ま、こういうところは「老後」は自由でいいと思うけどね。

今日はごくごく普通の朝食。ワタシはきのうやり残した洗濯の続き。カレシはママに電話。実は、きのうの午後に電話したら、ママは足の調子が悪くて思うように動けず、地区の医療担当局がママを別の施設に入れるという話をしたらしくて、落ち込んでいたらしかった。それを聞いたカレシがいきり立って、落ち込んで、どうも一瞬「ママを取られる」という深層心理が動いたんじゃないかと思うけど、ちょっとしたパニック状態になっていた。でも、ママは少し気が弱くなっているかもしれないけど、ボケて自分の希望を主張できないわけじゃない。だから、最終的には自分で決められるし、もしも本当に自分で決められない状態だったら、カレシとジムとデイヴィッドの3人の息子で相談して、ママにとって一番良いと思える決定をすればいい・・・そうアドバイスしたんだけど。

今日のママはうって変わってアップビートで、「みんなのアドバイスはうれしいけど、多すぎて困るのよ」と笑っていたとか。カレシはそれを無視してああだこうだとアドバイス?していたようだけど、後になって「こういうときは気分的にその日その日なんだろうなあ」とやっと納得がいった様子。そう、そういうものなのよね。大病をしたことがないカレシには経験していなくてわからないだろうけど、つまり、人間が身体的、精神的な疾患やショックから回復する過程は右肩上がりの一直線じゃなくて、誰にも大小の波があるのよね。それでも、ホームの食事仲間の話をしたり、「すごく心を開いている」とカレシ。人間は年を取るほどに社会的交流の多寡が寿命の長さにつながるという話だから、ママが少し「社交的」になって来たとすれば、先の見通しはかなり明るいと思う・・・と、半分はカレシに言って聞かせていたんだけど、通じたかな?

まあ、この前行ったときにスリッパを履くのに難儀していると思って手を出したら、人の手を借りるのを嫌がるママが黙って足を出してくれて、履かせてあげたら「足が思うように動かないの。助かったわ」と素直に喜んでくれて、この人も「素直なおばあちゃん」になったなあと感じていた。きっとママもいろんなことを自分の心の中に閉じ込めておくタイプだったのが、ひとり身になって気持が和らいだのかもしれないよ。パパはきっと一緒に生きる人としてはすごくめんどうな疲れる人だっただろうと思うから。人生って、ある程度の高齢にならないと素直に対応できないことがたくさんあるんだろうな。ワタシにもアナタにも、これから先に少しずつ発見があって、新たな学ぶことが多いだろうから、それを大切にして行けば、たとえひとりでも「老後」は決して不幸せなものにはならないと思うけど。

さて、おまじないの効き目なく送り込まれてしまった小さい仕事をささっと片付けて、松茸のレシピ探しをしようっと。きのうは冷凍ウズラの6羽入りパックも一緒に買ってきてしまった。突き出している足がなんともちっちゃくて、なんだか食べてもいいのかなと思うけど、から揚げにしてみるか、ローストしてみるか・・・。Hマートのフリーザーにはハト(squab)もあったし、ウサギもあったなけど、韓国料理にはウズラやハトやウサギも使われるのかな。はて、ウズラと松茸の相性はどうかなあ。試してみるか・・・?

極楽とんぼ亭:: DINE-INスペシャル第29回

9月26日。せっかく買った松茸。冷蔵庫に入れておいたらどれくらい持つものかわからないので、手っ取り早く食べてしまうことにした。でも、300グラムだから、けっこうある。いろいろとレシピを検索してみたけど、松茸となるとやっぱり「松茸ご飯」と「どびん蒸し」が定番というところらしい。それでも検索しまくって見つけたのが「フライ」と「リゾット」。レシピを読むのはめんどうなので、アイデアだけちょうだいして、今夜は「洋風松茸づくし」・・・。

今日のメニュー:
 松茸のクリームスープ
 松茸のリゾット
 松茸のフライ、蒸したいんげん添え
 松茸詰めうずらのフライパン焼き、ほうれん草、オクラ添え
 (サラダ)

[写真] スープはマッシュルームスープを作る要領で、ただし(日本産ほどにはない)松茸の香りが隠れてしまわないように、玉ねぎはほんの少し、チキンストックもごく薄くしたもので作った。仕上げにブランディを少々。ポルチーニのようであり、白トリュフ(はちょっと大げさだけど)のようでもあり、いい味にできた。カレシ特製のかぼちゃの種入りパンを細く切ってトーストしたものを添えて、今夜の晩餐の出だしは上々。

[写真] リゾットは作りなれたきのこのリゾットの要領で、イタリア産のアルボリオ米に松の実と少々のアスパラガス。食材が基本的に同じだから味はスープとそれほど変わらないけど、これもコショウ抜きで、塩を控えてあっさりした味つけ。
パッケージの中の一番大きな松茸を少し厚めにスライスして、塩も何も振らずに衣をつけてけてふつうに揚げた。いんげん豆はカレシ菜園からの収穫。これはさくっとしていて、すごくおいしくて、カレシも絶賛。

[写真] メインはうずら。パッケージの中で一番小さいのを解凍して、まず骨抜き。抜かなくても良さそうだけど、なにしろ小さな鳥だから骨も細い。小骨だらけの魚を食べるようなものかと思い、指先を突っ込んで、いわしを開く要領で背骨と胸の軟骨、肋骨を外してみた。そこでキノアと炒めた松茸、黒オリーブを混ぜて詰め、糸で縛ってフライパン焼き。ほうれん草のバター炒めにフライで余った溶き卵を加えて「巣作り」。小さいにしては一人前に独特の味があって、松茸ともかなり相性が良かったので安心。

これで秋の味覚の松茸はきれいに使い終わって、満腹、満足・・・。

二枚の濡れ落ち葉

9月27日。月曜日。まだ湿っぽい感じだけど、気温は平年よりやや高めでまあまあの日。今日の目覚めは午前11時20分。きのうは午後12時5分だったから、おお、元に戻ったじゃないの。それにしても、このところけっこうすんなり眠りに落ちて、ちょっと長めにぐっすりと眠っていたのは、毎日の運動のおかげか、それとも単純に季節の変わり目だからか。気分良く目が覚めればどっちでもいいけど。

せっかくいい気分で起きたんだけど、超特急の仕事ひとつ。超小型トランジスタサイズの仕事がひとつ。こっちは訳文を特殊なメディアで流すそうだから、ふつうの倍の時間はかかりそうだけど、考えどころが満載でおもしろい。翻訳者はキカイじゃないのだ。原稿の作者の意図やら、訳文の用途やら、対象読者やら、文化的な配慮やら、けっこういろいろ知恵を絞る動物なのだ・・・なんて息巻いても、最近は「翻訳者=翻訳機」だと思っている人が(日本では)増えているんじゃないかと思うことが多くなった。自分の曖昧模糊とした文書を入れると、即、自分の「想定」通りの訳文が出てくるものと、期待どころか当然視しているようなところがあるから、マニュアル思考というのか、視野狭窄というのか。キカイ化されているのはそっちの方だろうが!と言いたくなってしまう。んっとに、もう。

そういうグチが頭の中にふつふつと沸いて来ると、「定年まであと・・・」という定番の思考が下の句のようにつながって来るんだけど、まっ、ここはちょっと休みたい、だらだらしたい気分なんだろうな。もちろん、仕事が詰まった、忙しいと文句を言いながらいつもけっこうだらだらやっているのはわかっているけど、まとまった「だらだら」の時間が欲しくなったんだと思う。へたの横好きの絵を描きたい、創作の時間が欲しい。外へ出て人と交わる時間が欲しい。つまるところは、どこの誰とも知らない、顔も名前も知らない真っ赤な他人の考えていることを推し量って代弁するのに疲れたってことかな。近頃とみに「もう、いいや」と思うようになったのは、ワタシなら微妙な行間まで理解できるはずだった言語がわからなくなって来たからかもしれない。いや、あんがいその言語を使う人たちの思考パターンが変わって来たからかもしれない。まあ、理由はどうでもいいけど、「もう、いいよ」の心境・・・う~ん、デフラグが必要かなあ。

ワタシがそんな気分になっているときに、カレシも「英語を教えるの、もういいかなあ」と言い出した。はあ、なんだ、2人して倦怠期?まあ、夫婦の倦怠期よりはいいんだけど、ワタシは2度目の10年の節目で、カレシはボランティア先生10年目の節目。この頃はマンネリ化を感じて意欲が上がらず、その「つまらない」オーラが生徒に伝わってクラスが盛り上がらないと感じるんだとか。ワタシは生業だから「や~めた」というわけには行かないけど、カレシは無報酬のボランティア。いつ辞めてもいいよと言ったら、「いったん辞めたら再起動は難しいと思うから踏み切れない」と。だけど、「やりたいことがたくさんあるし、一緒にあちこち旅行したいし、いくら時間があっても足りない」と。うん、隠居暮らしはヒマだと言ったのはどこの誰だろうね。きっと趣味も興味も積極性もない人だったんだろうな。いわゆる「濡れ落ち葉」か。

カレシがボランティアを辞めてもすぐ濡れ落ち葉になるとは思えないけど、ママの衰えを目のあたりにして、ちょっと「見捨てられ不安」を感じているらしいところもあるから、辞めても辞めなくても変わりはなさそうな感じ。あのさ、ワタシの定年(年金受給開始)まであと2年と7ヵ月。少なくとも仕事量を半分にするつもりではいるから、そうしたら「二枚の濡れ落ち葉」になってもいいと思うよ。それまで、待っててね。もうちょっとだから・・・。

フレンチカントリーってフランスのこと?

9月28日。火曜日。目覚めは正午きっかり。外はまぶしい。きのうは何となく疲れていたけど、今日は元気。自分で盛んに「年だ、年だ」と言っているけど、そうやって自分をなぐさめているのか、それともはっぱをかけているのか・・・まっ、どっちでもいいか。

今日はまず最初にモニターの入れ替えの作業。カレシが買い忘れて、トナーと一緒に配達してもらったコンパックのモニター。今はみんな横長なんだよねえ。カレシがついこの間?買い換えて使っているのも横長で、見たらファイルを2つ並べている。ははあ、そういうことか。横長だとPDFの原稿ファイルとワードの作業ファイルを並べて表示できる。印刷しなくてもすむし、カラフルすぎてモノクロ印刷では判読できないところでも、いちいち画面を切り替えなくてもい。実際にはモニターを2台並べて使っている人がけっこう多いし、ワタシもそういう設定にした方が早いんだろうけど、ここはとりあえず「ね、ワタシが使ってもいい、これ?」とカレシにおねだり。カレシが思いのほかあっさり「いいよ。キミのを古いのに使うから」というので、さっそくいただき~。

なにしろデスクの裏はコードがスパゲッティ状態。埃もたまっているから、ミニ掃除機を持ち出してきて、まずは掃除。それからモニターのコードを見つけて、なんとか複雑にからみ合ったスパゲッティから解放して、モニターを撤去。新しいのをつないで、PCを起動して・・・うは、アイコンがみんな横長。そうだよなあ、5年使っているPCだもん。ドライバをインストールして、モニターの設定をして・・・いやあ、広いなあ。不動産の広告じゃないけど、「ひ、広い」。カレシは一番小さいのを買ったというけど、広く見える。ただし、ちょっと寸詰まり。そっか、縦横の比が変わっただけで、表示面積は同じなのかもしれないな。それでも、2つのファイルを並べて見られるのはたしかに便利だな。いっそのこと、ファイルを拡大しても表示できるように、もうひとまわり大きいのを買っちゃおうかなあ。で、これはカレシに返還する・・・と。

コントラストだの、明るさだのをさんざんいじりまわして、ま、こんなところかと落ち着いて、ひと息。小町を見たら、『フレンチカントリーの我が家をけなす帰国子女の友だち』という実に詳細なタイトルのトピックが目についた。フレンチカントリーテイストとやらで新築した「かわいいおうち」をフランス帰りの友だちに「こんなのフレンチじゃない」とけなされてしょぼ~ん。「どうかワタシをなぐさめてください」。トピックの主の曰く、「でも今はかわいいおうちが増えていますし、インテリア好きの女性ならみんなナチュラルカントリーやフレンチカントリーは大好きなはずです」と、「かわいい」と「おうち」の連呼。あちこちで揶揄の標的になるほっこりだかロハスだか言っているマダムのブログってこんな感じなのかなあ。

フレンチカントリーテイストのおうちで、かわいいドーマーがあって、アンティークの雑貨を飾ったり、リネンのカーテンやアイアンのグッズでさらにかわいく飾って・・・愛読するインテリア雑誌の受け売りなんだろうけど、背中を毛虫が這っているようなむずむず感というか、手の届かないところがかゆくてしょうがない気分になる言葉遣いだな。まあ、French country、Early American、Shabby chic、Scandinavian modernなんてのはたしかに家具やインテリアのスタイルとしてあることはあるけど、お金がどっさりあるお屋敷クラスの家の話だと思っていた。そりゃあスーパーへ行けば写真満載のインテリア雑誌がたくさんあって、たしかにデザインもスタイルも家具も設備もインテリア装飾も(時には窓からの景色も)とにかくすばらしい。ワタシもキッチンの改装のときは何冊か買って参考にしたけど、思わずため息が出るほどすてき。だけど、見れば見るほど何かが足りないという気がしてくる。

長いこと何なんだろうなあと思っていて、ある日ふと気がついた。何かが足りないって、足りないのは人間のぬくもり。インテリア雑誌の写真には「人間」の姿がほとんどない、無機質な風景でしかないということだった。つまり、生活感がない。人が住んでいる温か味がない。日本でフレンチカントリーだのナチュラルカントリーだのを謳っている人気インテリア雑誌の類もそうじゃないのかなあ。それにしても、ググってヒットしたタイトルを見ただけでびっっくり。「フレンチカントリーな○○」と形容詞になってしまっているからもっとびっくり。なるほど「雑貨」という言葉はここまで進化したのかとさらにびっくり。おままごとだ、これ。

ビクトリア朝時代のドラマを見ると、あの頃のイギリスの家はなんかやたらといろんなものを飾っていたんだなあと思うんだけど、あれは世界に植民地を持って戦利品?を持ち帰った大英帝国の絶頂期で、家は「おうち」なんてもんじゃないし、マダムは埃ひとつ払わないでよかった時代。日本でも日常生活の場にこんな雑貨とやらをごちゃごちゃ飾れるというからにはさぞかし広い家なんだろうなあ、とちょっぴりイジワルな気持にもなるけど、ま、「家」というのはそれぞれの生活の入れ物だから、趣味がほっこりであれ、ロハスであれ、かわいいおうちであれ、そこで暮らしている人がほのぼのと幸せであればそれでいいじゃないの、誰が何と言おうが。世界には「ジャパニーズカントリーテイスト」を気取って悦に入っている人たちだってたくさんいるんだからさ。

帰国子女云々に関係なく、人さまの趣味をけなす人もけなす人だけど、けなされた(ほめてもらえなかった)からって「なぐさめてください」と掲示板に泣きつく方も泣きつく方。またそれに自分はフレンチカントリーは大嫌いだとか何とか書き込む人も何だかなあ。まっ、こういうおもしろい人たちがたくさんいるからと、小町横町の井戸端会議を野次馬参観してはこうしてブログに書いているワタシもちょっとばかりなんだかなあ、うん・・・。

割れ鍋にとじ蓋の2人

9月29日。水曜日。正午前に目が覚めて、あ、今日はシーラとヴァルが来る日だ!と、あわてて起きる。カレシはなんだかすごい汗をかいてよく眠れなかったと、ちょ~っとばかりナナメのような。でも、外はいい天気で、週末まではインディアンサマー。なにしろ、ずっと乾燥しっぱなしで最終日の土砂降りだけで月間降雨量の記録を更新した8月と違って、9月はずっと記録的な雨量だったというから、そろそろ虫干しなくちゃね。気分的にも・・・。

カレシはちょっと精神的なストレスがたまっているらしく、なんだか黄色信号。ジムから「ママはボケてきたんじゃないか」というメールが来るし、ママは骨折の予後がはかばかしくなくて痛みが取れなくて食欲もないというし(つまりボケているようには見えないんだけど)、英語教室のボランティア先生も辞めたいんだか、続けたいんだか、気持がぐらぐらして定まらないし・・・イライラ。そうこうしているうちに、家の外に市のトラックが止まっていて、何やら作業中。きゃっきゃと楽しそうな笑い声が聞こえて、カレシ、何を思ったか庭に出て行って、「うるせぇ~。黙れ!」と一喝。笑い声は一瞬だけやんだものの、すぐにまたきゃっきゃ。すっごいむくれ顔のカレシに「何かおかしいことがあったんでしょ」と言ったら、「なんであいつらを弁護するんだよ!」とこっちに一喝。あのね、人間はおかしいことがあったら笑うのよ。だから、そう言っただけなのに、何でアンタはすぐにそうやって見捨てられた孤児みたいな、被害妄想みたいなことを言うのよ?「だって、そう感じるんだから、しょうがない」。いい年して、アホか~っ!

ま、庭に出て何やらあれこれやって頭を冷やしたらしく、入って来たときはごく普通を装っていたけど、やっぱり何らかの発達障害か人格障害があるんじゃないのかと思ってしまう一瞬だったな。小さいときからどうしても打ち消すことができないるらしい「見捨てられ不安」。ほんとに生きにくいだろうなあと思うと悲しい。あれだけのことがあって、それでもまだこうして2人でいるのに、そX
れでもまだ不安が消えないなんて悲しい。でもまあ、パニックを起こしてぶっちぎれなかったのはエライ。この10年でやっぱり少しは変わって来ているんだと思う。だけど、こういう場面に直面すると、ひょっとしたらこのあたりが限界なのかなあという「信号」が一瞬だけでも点る。あのさ、ワタシはアンタのママじゃないんだから、そうやっていつまでもワタシを試していたら、いつかは「臨界」に達してしまうよ。そうなったら、メガトン級の核爆発で2人の35年の歴史は跡形もなく吹っ飛んでしまうよ。ワタシだってこの10年の間に壊れてしまった自分を解体して、再構築してきたんだから。いい大人が、いつまでも子供みたいに甘えるんじゃないっちゅうの、んっとに。

でも、それがワタシが40年来ずっと好きでいる人、ワタシのアナタなんだからしょうがないよね。今だったら何らかの「障害」の診断が下るのかもしれないけど、60年前の昔はそういう発達障害のことなんか誰も知らなかったから、家でも学校でも「内気な子」、「神経質な子」、「癇の強い子」、「注意力散漫な子」・・・いろんなラベルを貼られて来たんだと思う。考えたら、ワタシも小学校の成績表に先生が「注意力散漫」と書いたそうだし、級友との意思の疎通が思うように行かない苛立ちからか、教室のど真ん中に突っ立ってめっちゃくちゃ大泣きして先生を困らせたことも一度や二度じゃなくて、「すぐ泣く子」という評判だったらしい。あ~あ、割れ鍋に綴じ蓋というやつじゃないの、私たち。そうでなかったら、とっくの昔に限界を超えてしまっているだろうな。

だからといって、やっぱりいつまでも甘えていちゃいかんでしょうが、カレシよ。ワタシは(たぶんちょっと弱気になったときに)父に言われたの、「いつまでも親がいると思うな」と。父が逝ってしまってもう20年近くになるけど、大切にして来たこの言葉、アナタにあげるね。いつまでも親がいると思うな。いつまでも妻がいると思うな。一日も早く「見捨てられ不安」の呪縛から自分を解き放って、精神的に自立しなさいって。その方がだんぜん生きやすいんだから。

子供を産み捨てる人たち

9月30日。木曜日。正午ぎりぎり。いい天気。ラジオでは「夏の最後のあがき」だと言っている。そうなんだ、今日で9月も終わり。早いなあ・・・と、毎月、毎月ぶつぶつ言っているような木もするけど、やっぱり早いよ。早すぎる。若い人たちの時間はどんどんベースを速めていいから、私たち老後に向かってまっしぐらの世代の時間はちょっと緩めてくれないかなあ。

正午になってテレビのニュースに切り替えて、朝食を取っていたら、バンクーバー島ビクトリア郊外のサニッチの家で赤ん坊の死体が見つかった事件があって、警察がその母親を逮捕したという。最近バンクーバーでも(家族に知られずに)生まれた赤ん坊(2人)の死体を遺棄した母親が逮捕された事件があったから、似たような事件かと聞くともなく聞いていたら、母親は「20歳の日本人交換留学生」だと。一軒家をシェアで借りていたとかいう話だけど、誰も彼女が妊娠していることに気がつかなかったのかなあ。日本人の女の子なんて拒食症みたいなのが多いから、おなかが目立つだろうと思うんだけど。まあ、日本でも高校生が家族の知らない間に妊娠、出産して、赤ん坊を捨てたなんて事件がけっこうあるから、「ぽっちゃりして来たな」とは思っても、面と向かって言うと傷つくかもしれないなどと考えているうちに手遅れになって、「気づかなかった」ということになるのかもしれないけど。

この夏には大阪で若い母親が幼い子供を置き去りにして死なせたニュースがあって、そのときはこっちでは10年ほど前にカルガリーで起きた幼児餓死事件を思い出した人が多かっただろうと思う。高校で出たてで語学留学して来た女性が、たちの悪いDV男に引っかかって2人の子供を産んで、まだ1歳ちょっとと3ヵ月だかのその2人をアパートに置き去りにして(子供の父親ではない)男のところで何日も遊んでいた結果だったけど、こっちでは大きな事件だったのに、日本ではまったくといっていいほど報道されなかったらしい。(日本人が被害者だとちょっとしたことでも報道されるのにね。)女性の親がマスコミに手を回して報道されないようにしたという噂もあったようで、懲役8年のうち数年を服役したご本人は仮釈放になって日本へ強制送還され、その後は何食わぬ顔で暮らしているという噂だった。まあ、カナダの日本人村では未だに日本女性がらみの事件があるたびに引き合いに出される「セレブ」だけど、日本ではただのアラサーの女性として平穏に生活しているんだろう。

まあ、ビクトリアの事件はどうやらカナダに着いたときにはすでに妊娠していたらしいから、カルガリーの事件とは性質が違うと思うけど、だとしたら本人は妊娠に気づいていなかったのかなあ。高校生ならまだしも、20歳の大学生。自分の体の変化に気づかないはずはないと思うんだけどな。検死解剖の結果では赤ん坊が死産だったのか、自然死だったのか、殺人だったのかは判断できなかったそうだから、さらに詳しい検査の結果如何ではもっと大変な罪名がつくことになるかもしれない。英語がほとんど話せないそうだから、まだ通訳業をやっていたら(法廷通訳課程の修了証書を持っているので)お鉢が回ってきたかもしれない。やだよ、こんな気の滅入りそうな仕事・・・。

だけど、20歳と言えばやっぱり一応は「大人」のはずだよね。セックスはちゃんとできるんだから、生理が何ヵ月も来なかったら「もしや」と気になるんじゃないかと思うけどなあ。ちょっと理解しがたいんだけど・・・。まあそれはともかく、たぶんこの事件も日本のマスコミには報道されないだろうな。冷凍乳児遺棄事件とやらが盛んに報道されているから、その影にひっそりと隠れて、この女性もやがて日本へ帰って何事もなかったように平穏な生活に戻るのかな。いや、こっちの新聞には実名が載っていたし、留学仲間もいるようだし、ミクシィだのFacebookだのが隆盛して、マスコミが報道しなくたってジョーホーはウィルスのように増殖して流れる世の中だから、日本にも話は伝わると思う。若いのに、というよりは若いからこそ、大変だろうな、これから。
 

2010年9月~その1

2010年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
何の代表か知らないけど民主主義

9月1日。水曜日。きのうとはうって変わったいい天気で、ちょっとだけ夏復活の感じ。でも、空の色は完全に秋の青さだし、日差しは夏っぽくても、大雨で洗われた空気には秋の匂いがある。きのうの雨(55ミリ)は夏としてはまれな「豪雨」だっただけでなく、冬の雨期の最中だった2005年1月の記録に匹敵する雨量で、観測史上でもトップ10位に入るんだそうな。この夏は記録的な乾燥と記録的な大雨が同居する異常天候ということか。

シーラとヴァルが掃除に来て、その間にワタシ達は酒屋へ買出し。ワインセラーの在庫がかなり減ったし、寝酒のコニャックもアルマニャックも切れたし、カクテル用のジンもウォッカも残り少なくなって、のんべえ夫婦にはちょっとした「危機的な状況」。ワインの段ボール箱2つに空き瓶を詰めて、入りきらないワインとその他諸々のお酒の空き瓶でレジ袋2つ。カレシが返却カウンターでデポジットを返してもらうのを待っている間に、我が家の定番になったニュージーランドのソヴィニョンブラン(お気に入りのStarboroughとKim Crawford)を12本。チリのソヴィニョンブランを2本、ヴィオニエを2本、たまには赤も飲みたくなるからニュージーランドとBC州のピノノワールを2本。一番大きい瓶のジンとポーランドの芋のウォッカと、そしてワタシの愛するレミ。ついでにカクテルや料理用に普通のブランディ。同じ段ボール箱に詰めてもらって買出し終了。この頃はレジで「またか」くらいの反応しかないのは、家にワインクーラーを置いたり、セラーを作ったりするのがけっこう流行っているせいかな。

日本の民主党の総裁選挙、こっちで選挙で負けた後によくやる「leadership review」というのと同じものらしいけど、つくづく小沢って「政治イコール金と権力」の策略好きな人なんだなと思う。写真を見ただけでも、いかにも「黒幕」という印象でいけ好かない。でもまあ、選挙区の有権者が民主的プロセスで選んだ人のはずだから、政治家としての魅力はあるのかもしれないけど、やっぱり「お友だちにはなりたくない」タイプだな。首相の職を「や~めた」と投げ出したくせに、ここぞとばかりにしゃしゃり出てきたハトヤマ星人はひとり相撲をしてひとりでこけた挙句に「ボクは何だったんだ~」。誰かが「宇宙語しか話せない伝書バトは役に立たん」と言ったとか。かって「日本は経済は一流だけど政治は三流だ」と評されたたことがある。まあ、羽振りが良かった頃は「経済が一流だからいいじゃないか」と言えただろうけど、このままでは「経済は二流、政治はバナナ共和国並み」になってしまいかねないよ。菅さんが最終的に「談合」を拒否したのはエライと思うし、堂々と政見を戦わせて投票で決めるのが民主主義なんだけど、大丈夫?

政治と言えば、バンクーバーの(自己陶酔してそうなところがある)エコ市長、わざわざ州議会議員を辞めて左派グループから出て当選したのは良かったけど、だんだんに本性を表して来たような感じで、(元々投票しなかったけど)この頃はますますいけ好かなくなってきた。「エコでかっこいい自分」に酔いしれてるんじゃないのかと思うようなアホくさい施策が多いなあと思っていたけど、市役所の大半を大改装のために(すでに)借り上げた民間のビルに移して、市長執務室を大きく(たぶん豪華に)して、ついでに市会議員専用の休憩室も作ろうという浪費計画。とうとう「驕り」が見えきたと思ったら、今度は財政が厳しいからと消防署の予算を削減。2年連続の削減で消防署は閉鎖や統合を余儀なくされそうだとか。おい、エコあんちゃん市長、市民の安全をおざなりにしておいて豪華市長室ってのは、元社会主義国とかバナナ共和国の政治家の発想とあまり変わらないと思うんだけどねえ。で、今度は中国へお大名旅行なんだって?へえ、そんなに気前良く税金払ってるんだ、私たち・・・。

これだから、社会主義とか革新派とか環境派かという政治屋はうさん臭く見えてしょうがないんだよなあ。建て前と本音がみごとに裏表になっている、頭でっかちで見栄っ張りで傲慢な自己陶酔タイプが多すぎる。頭でっかちで見栄っ張りで傲慢なところでは保守派の政治屋も大して違いはないけど、保守陣営にはバカ正直に本音を明かしてしまう天然ボケが多いから、まだわかりやすくていい。ま、先進民主主義の国々でさえ右派、左派にかかわらず「政治」が世襲の家族経営ビジネスになりつつある風潮が見られるし、政治家はどこへ行っても政治家なんだろうと思うけど。もっとも、小沢のように保守も革新もなくて、人と金を動かす「権力ゲーム」にしか興味がないのが誰の目にも一目瞭然じゃないのかという政治屋もいるけど、ま、そういう人でも選挙で「代議士」に選ばれたり、一国の首相の座を争ったりできるのが代表制民主主義なんで・・・。

男女の仲は近いのか、遠いのか

9月2日。木曜日。いい天気。午前11時半に起きて朝食を済ませ、カレシはヘアカットに、ワタシは仕事。9月になったばかりだから当然だけど、平年並みの20度前後。少し暑くなるかなあという程度で、いたって快適。(ヴァルがあしたノバスコシアの家族に会いに行くのを楽しみにしているってのに、なんとハリケーン「アール」が接近中。まあ、どうやらカテゴリ2まで弱まったらしいけど、飛行機、飛ぶのかなあ。)仕事の方はお子様向けはしばらく横に置いといて、大人向けの別件。これも大きいんだよなあ。秋風と共にドカンと来られてはわがオフィス方面もまるでハリケーン到来。

ジャパンタイムスに笑っていいのかどうかわからないけどケッサクな記事が載っていた。横浜のどこかの駅前を21歳の男が素っ裸で歩いていて捕まったという話で、ここまでなら「何やってんだか」で終わりだけど、この男、22歳の女と一緒に住んでいて家賃を払わず、腹を立てた女が「服を脱げ」と命令されて裸になり、「後をついて来い」と言われて女が乗った自転車の後を歩いていたというから、え~っということになる。男が脱いだ服は女の自転車のかごに入っていたそうな。あらゆる珍事には慣れているはずの警察官もさすがに呆れるやら、頭をかしげるやらだったそうで、ほんと、笑っていいのかどうか一瞬迷ってしまう話だなあ。

チリの政府が、鉱山の落盤事故で地下深く閉じ込められている作業員の家族に生活支援のための補償金の支払いを始めたら、妻と愛人が鉢合わせしてつかみ合いになったり、家庭争議の扱いに詳しい福祉担当官が送り込まれたりで、てんやわんやの騒ぎになっているらしい。愛人が名乗り出てきて初めて夫の不倫を知った妻は少なくとも5人。4人もの女性が名乗り出て一堂に会してしまったケースもあるそうで、「このまま地底にいた方が安全じゃないのか」というキツイジョークまで流れる始末。政府は地底の作業員に地上の騒ぎを知らせないように気を使う一方で、「誰に補償金を受け取って欲しいか」をそれとなく聞いてみる意向だとか。まあ、地上で妻が待機していることはわかっているだろうから、よもや愛人を指名することはないだろうけど・・・。

男は外で稼いで、女は家にいて家事をやっていれば家庭は安定・・・そんなほのぼのホームドラマみたいな結婚像なんて、所詮は「絵に描いたもち」に過ぎないという見本みたいなもんだな。このあたりをどう思うのかカレシに聞いてみたい気もしないではないけど、別に有益な話が聞けるわけじゃないからやめとこう。人間の世界には、妻と家庭がありながら、やれ風俗だ、浮気だと遊びまわっては、ばれると「もうしません」と土下座して謝罪して、あとはケロッとしている夫族も多いようだし、中には専業主婦の妻に収入がないのをいいことに「オレの稼ぎで遊んでどこが悪い」と開き直る輩も多い。(「悪妻」という言葉があるのに「悪夫」がないのはなぜなんだ?)ま、人間のオスってのは記憶系統に欠陥があって、自分に都合の悪いことはうま~く忘れてしまうらしく、喉もと過ぎれば何とかの例えどおりに性懲りもなく同じことを繰り返す種族も多い。むらむらっと来たら後先も考えずにスカートの中を盗撮したり、十代の女の子を買ったりしてマスコミをにぎわす種族も増殖しているらしいところを見ると、自制心という「たが」も相当にゆるんで来ているようだから、困ったもんだ。

カレシはコンピュータが壊れ始めたと、ぶつぶつ、ぐちぐち。こっちは忙しいのに、うるさいったらない。あのさあ、買って7年も経ってるんだし、もう2年も前からそうやって愚痴ってたんだし、そのたびにワタシは新しいのを買ったらと言ってたんだし、そのたいびに「そうしなきゃ」って言ってたんだし・・・もう、つべこべ言ってないでさっさと新しいのを買いなってば!まっ、この人はどっちかというと「何でもとにかく愚痴ってみる」のが趣味みたいなもんらしいから、イライラしてもしょうがない。「買い替え時だねえ」とだけ返事をして放っておけば、そのうちに二進も三進も行かなくなって新しいのを買いに行くだろうしね。まったくもう、亡くなった父親にそっくりだと思っていたけど、何となく小町ムラのグチ文化の香りもしないではないかなあ。せっかくすっきり散髪してきて上がった男っぷりが台なしじゃん、もう・・・。

どうしてこうくたびれるのか

9月3日。金曜日。ずいぶん咳が出て、あまりよく眠らないうちに、暑くて目が覚めた。外はまぶしいくらいの上天気。きのうあたりが月曜日だと思ったら、ああ、もう金曜日か。ほとんどの子供たちにとってはこれが夏休み最後の週末。火曜日からは新学年。もっとも、入学式とか始業式という儀式がないから、家の外を通る車の量が増えて、あ、夏休みも終わりかとわかる程度だけど。

すし詰めになった仕事、ちょっとだらけるたびに日程がアコーディオン式に詰まって来るんだけど、な~んかやる気が出ない。から困る。ときどきこんな風に「もう何もかもいいや」という気分になるのは、あんがいうつ病を経験したからそういう「抑うつ気分」に陥っている自分がわかるのかもしれない。ちょっとばかりストレスがたまっているんだろうな。寝ていて起きる喘息のような咳き込みも、徹底的に検査を繰り返した挙句に「ストレス性」といわれたし、ストレスを「ストレス」と自覚していなくて、押せ押せ気分でやっているつもりでも、身体機能の方が感知して「スピードを落とせ」とブレーキをかけて来るんだろうな。それにしても、仕事の大なだれに埋まったときに限って、いろいろとあるのはどうしてなんだ・・・?

それでもまあ、カレシは今日やっと2年越しの重い腰を上げて、新しいコンピュータを注文したそうだから、懸案事項がひとつ解決、かな。ワタシのも1日中仕事をしているとうんざり、イライラするほどスローダウンするから、そろそろ新しいのが必要なんだけど、たぶんそれもストレス要因なんだろうけど、調達する暇がない(あはは、カレシと同じことを言っている・・・)。資料の検索専用に小さいノートブックを買おうかなあ。買い換えるたびに値段が下がってびっくりするのがパソコン。20年前に仕事用のマックを買うために(カレシが連帯保証人になって)銀行から借金したのがまるで嘘みたい。馬車馬みたいにバリバリ働いてくれたあのマック(SE/30)は処分せずにしまってあるけど、その少し前まで勤めてもらっていた給料の手取り4ヵ月分にあたる7,000ドル近い値段だった。駆け出しの自営業にとってはすごい設備投資だったわけだけど、今だったらデスクトップなら数台、ノートブックなら10台以上買えてしまうよなあ。ためいき・・・。

入院中のママは、この2、3日のリハビリが好調で、今度は早くホームの自室に帰りたいと言っているそうで、いい方向に進んでいる感じ。うつ病は深い谷底へストンと落ちてしまうわけじゃなくて、一進一退を繰り返しながらだんだんに深みにはまっていくようなところもあると思う。何か落ち込むようなことがあってしばらくうつうつとしていても、かすかな希望が見えると這い出そうという意欲が沸くんだけど、その希望を打ち砕かれると、ずるっと前よりも深いところへ落ち込んでしまう。そんなことを繰り返しているうちにだんだん深くて暗い井戸の底へ落ちて行って、明るいところに出したいとは思っても、「何をやってもむだ。もう這い上がれない」という絶望感の誘惑が強くなってくる。そういう状態まで落ち込んだら、誰かが救命ロープを投げ下ろしてくれないと、「出たい」という気持にそのロープを掴むだけの力が残っていないと、自力で這い上がるのはたぶん難しいと思う。特に高齢者は生理的にうつ病になりやすいそうだけど、ママは元々強い人だから、「まだまだ大丈夫」という希望を持ったところで退院できたら、きっと元気になると思うな。

さて、ワタシも仕事の山を見上げてうつっぽい気分になっているわけには行かない。自分でやると引き受けた仕事なんだし、なんたって自分の生業なんだし・・・。だけど、これからの長丁場を考えるだけで、もうくたびれた気分になっちゃうなあ。年なのかなあ、やっぱり・・・。そうは思いたくないけど、だけど・・・。ま、納期ってものがあるから、ここんところはやらなきゃね。

かくれんぼしましょ

9月4日。土曜日。今日もちょっと暑め。ゆうべはなんだかものすごくぐ~ったりした感じで、カレシからの寝酒のお誘いも断って寝てしまった。寝た、寝た、ほんっとによく寝た。まあ、(ワタシの)標準で2日分の仕事を1日でやっつけたもので、「灰白色の細胞」が真っ黒けになってしまったんだろうけど、ちょっとは気分がすっきりしたかな。とりあえず、あと6日で3万文字を消化。それからお子様向けの仕事に戻って、2週間で5万文字を消化。原稿用紙のマスをびっちり埋めたら、げっ、200枚・・・か。X
あるフォーラムで、NHKが方言を「○○弁」と表記するのは地方差別であると指摘されて「○○ことば」と(ひらがなで!)言い換えているが、英語に訳すときはどう対処したらいいのかという質問があった。いつから「○○弁」が差別用語になったのか知らないけど、英語のdialect(方言)やaccent(なまり)には「地方差別」の意識はないから、従来通りの表記でいいんじゃないかなあ。日本語が差別語ということになったからって、対応する英語までが差別語になるという道理があるわけないでしょうが。都会のエライ文化人や役人が「○○弁というのは地方差別である」と言ったんじゃなくて、「地方」の(大)都市の市長が「地方差別だ、けしからん」とかみついた結果らしいけど、その人の劣等感が反映されているみたいな感じがするな。30年くらい前に北米を席巻したPolitically correct(略してPC)族による「差別語言い換え」は結局広く受け入れられずに廃れたかと思っていたら、どっこい日本で息を吹き返しているということか。ま、都会(おおむね東京圏)が地方(百万都市もあるけど東京圏じゃないから「田舎」)を見下して、「都会(=東京)=日本」と信じているらしいことはメディアの端々にも見え隠れしているけど。(カナダでもトロント人は「トロント=カナダ」だと信じているようだけどなあ・・・。)

そういえば、日本の大手新聞のサイトなどで「障害者」と「障がい者」と表記しているのを見かけることがあって、一瞬えっ、「害」って当用漢字のはずだけどなあと思った。これも日本版のPCなんだろうか。北米でPCが猛威を振るっていたのはもうかなり昔な気がする。目の見えないことを「blind」と言ってはダメ、「visually-challenged(視覚的に難あり)」じゃないと。当初は「社会のために良かれ」という意図だったんだろうけど、むやみにあれもこれも差別用語だ、蔑称だと槍玉に挙げて言い換えさせようとしたもので、巷では言い換えジョークが大流行して、PC人は今どき日本風に言うなら「KY」という評価になってしまった。PCを一番嫌ったのはたぶん「障害者」だっただろう。Blind(めくら)を別の言葉に言い換えたからといって目が見えるようになるわけじゃないし、Disabled(身体障害)を別の言葉に言い換えたからといって歩けるようになるわけじゃない、と。いくら言葉を変えてみたところで、現実を変えなければ何も変わらないってことなんだけど、まあ、PC人には「差別語を改めさせるパワフルなワタシ」に自己陶酔しているような連中が多かったから、今頃は別の「狂信的」アクティビズムに転向して、「パワフルなワタシ」活動に勤しんでいるのかもしれないな。

要するに、PCのような反差別主義には「臭いものにふた」という面があるということなんだけど、たまたま散歩のつもりで訪れた小町横丁が、『カーテンをしないで生活が丸見えって迷惑なんでしょうか』というトピックで盛り上がっていて、読んでいるうちにPC人の深層心理をちょっとばかり「チラ見」できたような気がした。家の窓のカーテンを開けっ放しにしていたら「常識がない」、果ては「見せる暴力だ」と言われたそうで、「そんなに他の家庭の生活が見えるのが嫌か」と聞いているんだけど、これがまた「いや!」の大合唱。見たくないものを見せられたくない、それを見せられるのは苦痛だと言う。トピックの主が欧州生活が長かったようなことを書いてしまったのがまずかったのかもしれない(ここは日本だ、欧州へ帰れ・・・)けど、見たくないのなら見なければいいと言っても、この人たちは「見せられる」、「見えてしまう」と、まったく自分が被害に遭っているような感覚になっているから通用しそうにないな。

とどのつまりは、自分では自分が見たくないものを「見ない」ということができないので、そっちの方で自分が「見なくてもいいようにしてくれ」ということなんだろうな。誰かが「日本はとにかく隠す文化だから・・・」と書いていたけど、なるほどな。そのあたりは企業や役所の隠蔽体質や、建て前と本音という裏表の二重性にも関係があるんだろうな。日本人は「シャイ」だからと書いている人もいたけど、日本語では「恥ずかしがり」の意味に使われているだろうとは理解できても、英語で「shy」といったら、「恥ずかしがり」、「内気」から始まって、「しり込みする」、「自意識が強い」、「慎重」、「臆病」、「用心深い」、はては「疑り深い」まで、守備範囲が広いもので、かの有名な「はにかみ王子」も英語にしたらとんでもない王子サマになってしまいかねない。だから、「日本人はシャイなのよ~」と説明されても、他人に「見せないのがマナー」と押し付ける他動的な隠蔽心理にはちょっと理解しがたいところがある。

日本に住んでいるんなら日本の常識に従えという、「郷に入っては郷に従え主義」の人もいるけど、(経験上)そういう人に限って外国に住むことになった日本人がそっちの郷に従うと、今度は「日本人の誇りを忘れたのか」と叩いてくる傾向があるように思う。だけど、「見る気がないのに見てしまったら、自分がのぞき趣味のいやらしい人間のように思えてしまうから(カーテンを閉めておけ)」って、それは見た人の勝手な被害妄想じゃないのかなあ。見せる気はなかったのに見られて、それで不快な気分にされたと文句を言われてもねえ。まあ、小町を見ていると、他人の家の中が見えるのが嫌なだけじゃなくて、ストッキングを履かずに、メークをせずに外出するのは(自分を不快にさせるから)マナー違反だとか、○○歳になって××は気持が悪いとか、なんたらかんたらととにかく喧しいけど、共通しているのは「自分を制すること」ができないから「他人を制すること」によって、自分が快適でいられるようにしたいという「情動」だと思う。たぶん(本人はそうは思わないだろうけど)不安感が強い人たちなんだろうな。

我が家はワタシが「開放派」。よほど日差しが強くて暑くなければ、カーテンはうっとうしい。外から見えたって別に気にならないし、あられもない姿のときはもちろんの窓の近くには行かないだけの良識は持ち合わせている。他人の家でも、通りがかって見えるときは見るけど、じっくりと見るなんてこと(ガン見ってやつ?)はマナーに反するからやらない。我が家の後の家は前のオーナーの時代からカーテンがない。だから、うちのキッチンから二階の窓にヘンリー坊やを抱いたミシェルの姿が見えたりするし、互いに気づいたときには手を振り合ったりもする。片や、カレシの方はまさに「隠れたい派」。最近は少し寛容になって来たように思うけど、家の周りに他人が車を止めるのも嫌がるし、他人の生活音さえ嫌がる。小町にもそういう苦情が多いような感じがするから、ある意味で今どきの日本的な心理感覚過敏症なのかもしれない。(たぶんに自分と他人の間の線引きができないから、逆に自意識過剰になるんだろうけど。)まあ、自分の言いたいことをはっきり言わない「わかってちゃん」だし、ネガティブ思考でちょっと被害妄想っぽいところもあるし、ひょっとして、あの国のはぐれ遺伝子がカレシの中に潜り込んだとか・・・?

嫌いは疲れる感情だと思う

9月5日。日曜日。レイバーデイの三連休の中日。いい天気で始まったけど、あまり暑くはない。またかなり咳き込み発作が起きたので、なんとなく寝足りない気分が抜けない。

朝食を済ませて、カレシは庭に出て、ガレージとポーチの屋根の雨どいの掃除。北側は日が差さないので、木の葉がたまるとそっくり堆肥状になって、しまいにはぺんぺん草が生えてくる。そうなると、雨のたびにじゃあじゃあと雨どいが溢れて、土台にとって好ましくない状態になる。はしごに登ったり、高いへいの上に立ったりのけっこう危ない作業だから、天気のいいときにやっておかないとね。作業が終わった後、ガレージの破風の先端にぶつけたと言って、少しすりむけた頭のてっぺんを見せてくれた。ほとんど毛がないもんねえ、そこ。よくぶつけるから、今度ヘルメットを買ってあげようかな。現場監督用の白いやつを・・・。

ワタシは案件Aのうちでちょっとだけ残っていた大きいファイルを仕上げて納品。即行でねじ込まれた案件Bにかかって、これは一括納品で残り4,000文字くらい。まあ、あまり慌てなくても明日の午後の納期に間に合いそうかな。明日の夜は案件Aに戻って、残るファイルを仕上げれば、次の週末に1日くらいは休めて、鋭気を養ったところでお子様向け案件に戻れば、納期までにちゃっちゃかとやっつけられる・・・という胸算用の通りに行くかどうか。まあ、自分で何から何までやらなければならないのが在宅自営業のつらいところでもあるけど、ゆるゆるとやるのも、きちきちでやるのも、基本的には自分しだいというところは在宅自営業の醍醐味でもあるから、なかなかやめられないんだなあ、これが。

ワタシって結局のところ、カレシが好き、言葉が好き、人間が好き、誰とでもおしゃべりが好き、あれやこれやをごちゃごちゃと考えるのが好き、なんでも知りたがって調べるのが好き、すばらしいことが好き、食べるのが好きで飲むのも好き、何にもしないでだらだらするのだって好きだし、お金を稼ぐのも好きで使うのも好き。好きなことを数え上げていたらキリがないみたいだけど、嫌いなことってあるのかなあ。人間なら誰だって「好き嫌い」があると思うんだけど、すぐには思いつかないから、自分でも不思議。心理的に「苦手」とか「なんだかなあ」と思うものはあるけどね。まあ、「好き」というのはエネルギーの消耗がなくて、逆にポジティブエネルギーをたくさんもらうことが多い心地のいい感情だけど、「嫌い」というのはものすごいエネルギーを一方的に消費させられるだけの感情だと思うから、ぐうたらなワタシには手に余るのかもしれないな。

まあ、精神的にどっと疲れてしまうようなめんどくさいことはやらないに越したことないから。さて、もうひと仕事・・・。

サボるのも楽しいもんだ

9月6日。月曜日。三連休の最終日。雨模様で、寒い。午後になってもポーチの温度計は12度がやっと。ちょっと、ちょっと、季節の変わり目なんだってことはわかるけど、ちょっとばかり変わり身が早すぎるんじゃないかい?ま、別に出かける予定もないからいいんだけど。

今日の納品期限は午後5時。案件Bの残り4,000文字の日本語は英語にすれば2,000語くらい。ふつうならこれが1日の業務処理量の目安だけど、期限までぎりぎり4時間もないから、間に合うのかなあとちょっと心配。でも、めずらしく素直なわかりやすい日本語なので、トイレにも行くヒマも惜しんでキーを叩いたら、一気に完了。代名詞があまり大きな役割をしない言語なので、ひとつの名詞を繰り返して少々くどい感じがするのはいたしかたないけど、修飾句なんかの使いかたがちょっと英語っぽい感じがしたのがおもしろい。最近お目にかかる日本語文としてはめずらしくすんなり読めて、わかりやすくて作業がしやすかったのはそのせいかなあ。いつもこうだとこっちは助かるんだけどな。

ひとつ仕上げて納品した後は、なかなかギアの切り替えができなくて、ついついだらけモード。夕食を済ませたところで、カレシがミルクとシリアルを買いにWhole Foodsへ行こうと言うので、渡りに船とばかり「ついでだからダウンタウンのHマートにも行きたい」と言ったら、「じゃ、そっちで野菜も買ってこよう」という話にとんとんと発展。三連休が終わりだし、小雨模様なのでダウンタウンは閑散とした感じで、路上駐車のし放題(ただしメーターは午後10時まで稼動)。普通なら夕食時のせいもあってか、店内もわりと閑散。ノルウェイ産のサバ、タコ、冷凍サンマとシシャモに魚のソーセージ。チヂミに入れる豚肉の薄切りも1パック。

サラダ用の野菜を選んでいたカレシは「郊外の店では野菜の値段がKin’sよりも高いけど、こっちは安いよ」と。客層が違うからかな。ダウンタウン店の客は語学留学生やワーホリの(経済的にあまり余裕のない)韓国人、日本人が多い。だから、品揃えも少し違っているしね。ワタシの野菜はニラとししとうとぶっとくて甘い韓国のニンジン、ゴボウ、エリンギ、そしてしめじをどっさり。いつのまにかいろんなアジアの野菜が食べられるようになって、バンクーバーもいい時代になったなあ。昔は~というと若い人のヒンシュクを買うけど、ほんと、カナダに来てから長い間、こんな豊かな食生活は(少なくとも中国系以外のアジア人にとっては)夢だったんだから。

ミルクとシリアルを買うだけのはずだったWhole Foodsだけど、案の定、あれやこれやとバスケットが一杯。せっかく来たんだからと、ホタテやおひょうのほっぺた、そしてアメリカ産のナマズ(catfish)。身が半透明で柔らかいベトナム産のナマズ(バサ)とはかなり違って見える。ルイジアナ州で養殖したものだそうな。だったら、さっそくケイジャン料理を考えなくちゃね。ああだこうだとそぞろ歩きで「衝動買い」しているうちに、もう少しのところで肝心のミルクを買うのを忘れるところだった・・・。

ま、これで当面のおなかの手当はできたから、今夜は久しぶりに極楽とんぼ亭風チヂミでランチ。仕事は、う~ん、25,000文字も残っているぞ。ちょっときつくなって来たなあ。だけど、だけど。ま、あしたの風にまかせてしまおうっと。ハリケーン並みに吹いてくれたらパラセーリングのようにス~イスイと行けちゃうだろうなあ・・・。

なさすぎても、ありすぎても困るもの

9月7日。火曜日。雲からちょこちょこと晴れ間がのぞく天気。朝方の最低気温がかなり下がったらしく、目を覚ましたら、手足の先がじわ~っと冷たい感じで、2人とも「なんとなく寒かったねえ」。そりゃそうだよね。身体にかけてあるのはシーツと木綿の薄いブランケットだけなんだもん。だけど、今日は正午でもう15度あるから、まだ「毛布」は時期尚早かなあ。それでも、ベッドの上に載せる小さい毛布を出しておこうか。季節の変わり目ってのは、なんとも微妙に中途半端。

今日から新学年。日本の4月1日みたいなもんだな。入学式という厳かなものはないから、親に連れられて三々五々?学校に行って、「はい、今日からいちねんせい」。BC州では(公立)幼稚園が全日制になったとか。へえ、これまでは半ドンだったんだ。コキットラムの学区では幼稚園と小学1年生を対象にした英語・中国語のバイリンガル授業が始まったとか。中国政府からの「助成金」が出ているらしいけど、新聞の写真に写っているのはほとどんが白人系の子供たち。親たちの関心が高くて、希望者が殺到したために抽選になったというからすごい。

日本のバブル時代には日本語教育への関心があったと思うけど、公立学校でバイリンガルプログラムを立ち上げたという話は聞かなかったな。日本から助成があったという話も聞かなかったのは、日本政府が教育の「き」の字も知らない「大学出の英語ネイティブ」というだけの若者を集めて、「英語ができる日本人」を育てる方に熱心だったからだろうな。その基幹?だったJETプログラムが民主党政権下の「仕分け」で廃止されそうになって、特にJETのOBや在日英語人の間で賛否両論の議論が起きている。あれは英語教育というよりは、単に日本人がイメージした「国際交流」にすぎなかったんじゃないか、とワタシは思っていたけど、廃止論議との関連で、有道出人(あるどう・でびと)がジャパンタイムズにJET存続を支持するなかなか洞察的なエッセイを投稿していた、なるほどと思った。(有道出人は日本国籍を取得して、いわば「アメリカ系日本人」になった人で、日本での外国人差別撤廃運動の先鋒になっている。)

新学年だから新聞には教育関係のニュースが多いけど、カナダ統計局の発表で、15歳から19歳までのティーンで2008年度に就学していなかった割合が全国平均で20%にもなったそうで、「大変だ、大変だ」という記事の洪水。同じ年度に、25歳から64歳までの人口のうち、高校中退者の雇用利は58%だったのに対して、カレッジ/大学卒業者は83%で、大学卒業者の平均所得は高校教育だけの人口に比べて75%も高かったという。高校中退率が一番高かったのはアルバータ州でなんと25%。大きな石油ガス資源を抱えているおかげで、教育程度が低くてもけっこういい収入を得られる仕事がたくさんあるためらしい。BC州でも森林産業が基幹だった頃は、地方の若者たちには早く学校を辞めて製材所で働くという選択肢があった。労働組合が強くて賃金が高かったから、誘惑は大きかっただろうと思うな。親兄弟がすでに働いていればなおさらのこと。森林産業が斜陽になって失業してまっさきに困ったのはそうやって高校を中退した人たちだった。

夏休みの市役所のアルバイトで「自分の金」の魅力を発見して、もう少しのところで高校中退になりかけたカレシは、「学校へ行かなくてすんで、けっこういい金を稼げるとなったら、遊び盛りのティーンは飛びつくだろうな。ボクだってそうだったから」と同情的。ワタシだって、「学校に行きたくない」のが大学に進学しなかった理由のひとつでもあるから、よくわかる。カレシの場合は働X
きながら夜学で高校卒業の資格を取るつもりでいたそうだけど、周囲の大人から「みんなそういって結局は遊んでしまうんだよ」と言われて(しぶしぶ)学校に戻って、卒業してから改めて市役所に就職したといい、思うところがあって大学に入って初めて、あのときにドロップアウトしなくて良かったと思ったそうな。でもまあ、人間というのは年令に関係なく、「今」が楽しいときは遠い「将来」のことは考えないし、自分では見通せない「将来」に不安を感じているときは「今」を楽しむことに集中する傾向があものねえ。

新学年と共に、カレシの英語教室も今日から再開。夏休みの間に「登録」した生徒が16人もいるんだそうな。端からこんなに多いのは初めてなので、いつもは生徒が集まるかどうかちょっぴり不安になるカレシもさすがに目を白黒。まあ、何回かでいくらか減って、後はこれまでのように増えたり減ったりしながら6~8人の規模で落ち着くんだろうけど。それでも、急に英語レッスンの需要が高まるようなことでもあったのかなあ。ボランティアESL教師を始めてから10年(ということは退職してもう10年・・・)になるけど、「多すぎる~。めんどうみきれない」とこぼしながらもいそいそと教材の準備をしている後姿を見て、あの時にむりやり止めさせずに、なんとか社会奉仕に役立てる方向に背中を押すことができてよかったなあとつくづく思う。今度はどんな国の生徒さんたちが来るのかな。Have fun。

たかが学校、されど学校。でも、どこの国でも学校は国民の教育の場。グローバル時代には、先進国であるほど「さらなる高等教育」は必要だと思う。ただし、社会での実践上大きなウェイトを持つのは「○○大学卒」という看板よりも、大学で「どんな教育を受けて、何を学んで来たのか」、そして習得したことを実社会でどのように活用していくかの方だと思うから、実際には知識ばかりで活用力も応用力もない大学卒が増えても、何のスキルもないために雇用できない人が増えるのと同じように、国の将来にとってはあまり好ましいことじゃないかもしれない。ま、大学卒の「肩書き」を持たないワタシはその両極端の間をテキトーに泳いできたわけだけど・・・。

200歳まで生きる方法

9月8日。水曜日。三連休があったおかげで、火曜日から1日ずれて水曜日になったごみ収集日。やっぱりまた午前7時になるかならぬかの時間に轟音でたたき起こされた。ふむ、収集経路を変えたのか、早出早じまいでもやっているのか。リサイクルのトラックが午前6時57分。次いでごみのトラックが午前7時20分。良く寝ていたのに起こされてしまって、おまけに寒い。しょうがないから、たたんだままでクローゼットに放り込んであった古毛布を引っ張り出して来てかけた。室温があと2度下がったらヒーターが入っちゃう。それでも寝なおして起きた頃にはちょっとだけ夏の気分が復活。ああ、エアコンをかけたり、毛布をかけたり、忙しいこっちゃ。

ときどき息抜きでのぞくJapan Probeに「所在不明の超高齢者」を取り上げた「バンキシャ」とかいう番組のクリップがあった。とうとう200歳の人が登場したって、すごいなあ。こんなにたくさんの超高齢者が戸籍上で生きているのは、関東大震災や戦争で死亡届を出す人がいなかったことや、さらには戦前海外へ移住した70万人の中に移住先で死んでこれまた死亡届が出ていないために戸籍から抹消されていないことが要因だという。なるほど。てことは、もしもワタシが数年前に在ヴァンクーヴァー日本国総領事館までわざわざ出向いて行って、国籍喪失届けを出して戸籍抹消の手続きをしなかったから、今でも日本で生きているってことだな。つまり、あのとき何もしないで放ったらかしにしておいたら、ワタシだって少なくとも戸籍上は200歳くらいまで「日本人」として生きられたかもしれないってことか。どこかで自分の幽霊に出くわしそう。もっとも20年以上も「幽霊日本国民」だったんだけど、ちょっとヘンな感じ・・・。

今日はノルマ達成に向けて腕まくり。大人の理科だとしゃれてみせるけど、お子様向け仕事がちょうちょを飼ったり、バッタ獲りをしたり、野菜を育てたりするのに対して、こっちは虫を退治したりするから、これもちょっとヘンな感じ・・・。

ま、あしたがのるかそるかの勝負の日。がんばろうね。

今日はお仕事ダービー

9月9日。木曜日。雲はあるけど秋らしい空模様。午後1時のポーチの気温は15度で、まだちょっと夏の名残があるような感じ。最低気温は10度近くまで下がるけど、昼と夜の寒暖の差が大きくなるのが今の季節だから、まあ、これもごく普通。それでも、家の中も朝方に冷えるようになるから、「throw」というハーフサイズの毛布を出して来て、ベッドの上にかけて寝た。この毛布、赤に黒のタータンチェックが気に入って買ったんだけど、遠い明治の昔に「赤ゲット」と呼んでいたのと似ているかもしれないな。バージンウールだから薄手なのに温かい。おかげで2人ともぐっすり眠れたのだった。

今日はママが退院してホームへ戻る日。ジムとマリルーが朝食の食材と処方薬を用意してから、迎えに行くという。必要な「介護」やサービスだけを受ければいい仕組みのホームなので、ちょっとしゃれたレストラン風にしつらえたダイニングルームがあるけど、部屋にも標準的なアパートサイズのキッチンがある。そこで、ママは朝食だけ自分で作り、ランチと夕食はダイニングルームに「おでかけ」という暮らしをしている。退院直後の2週間は州の医療制度に基づいて、地域の医療行政を担当するオフィスから1日2回ヘルパーが派遣されて、(前よりも歩行が不自由になったという)新しい生活条件に早く適応できるようにコーチしてくれるんだそうな。そういうのは心強いな。(ベビーブーマー世代のワタシが必要とする頃になってもまだそういうサービスが受けられるとは限らないけど・・・。)

英語教室を再開したカレシは「今日はボクのウィークエンド」。今回は生徒が14人の大盛況で、香港人、スペイン人、ベトナム人、スリランカ人、中国人、チリ人と、けっこう国際色が豊かな顔ぶれ。男性もめずらしく数人いて、手ごたえはなかなかいいらしい。よかったね。さっそく庭へ出て、iPodに落とした音楽に合わせて首をふりふり、秋の園芸作業。のどかそうなカレシを横目で見ながら、まだ現役のワタシは仕事、仕事。もっとも、カレシとは5歳の年の差があるんだからあたりまえか。まずは電話やケーブルの料金やらクレジットカードやら、税金やらの支払いの設定をしてからにしよう。税金は勤め人の「源泉徴収」にあたるもので、年4回、前年度の納税額にCPP(カナダの厚生年金)の雇用主と被雇用者の両方の掛け金を足した金額の4分の1ずつ払わされる。自営業って、自分が自分の雇用主なんだよね。

ごちゃごちゃと事務処理をしているうちにもう午後4時。期限は時差の関係で明日の午前7時で、残りは約1万文字・・・か。ま、きのうだってそのくらいやったから、なんとかなる・・・よね?

午後9時半。残るところ、あと7200文字。めんどくさい技術的な話から事務的な記事になって来たから、間に合うか・・・な?

お、真夜中。残りあと6000文字。大丈夫なのかなあ。まあだけど、とりあえずランチで腹ごしらえをして、ホームストレッチに向かって猛進と行くか。腹ペコでは戦いも何もないから・・・ね。

戦い終わって、今日は「カレシの日」

9月10日。金曜日。キーをバンバンとたたき続けて、午前4時半。つきあいで起きていたカレシがあきらめて「寝る」。うん、そうして、そうして。だって、仮想ねじり鉢巻3本の状態でがんばっているすぐそばで「ぐうぉ~ん」とゾウアザラシみたいな大あくびを連発されたら、やりにくくてしょうがないよ。というわけでやっと静かになったオフィスで、午前5時過ぎに全作業が終了。ファイルをまとめて、メールにつけて、「送信」ボタンをクリックして、やったあぁ~。まあ、10時間くらいかかったけど、無事に1万文字を消化。いや、やればやれてしまうから、我ながら火事場の何とかはすごいと思う。もっとも、あんまりしょっちゅうはやりたくないよね。この年では身が持たないもん。

そのまま超特急で歯を磨いて、顔を洗って、ベッドに飛び込んだら、カレシはなんか気分の良さそうな大いびき。でも、さすがにくたびれていたと見えて、ほどなくして眠ってしまった・・・。

起床は正午過ぎ。まだ頭がどんよりした気分だけど、とにかく全体の語数をチェックして、作業記録ログに入力した後は、仕事の行列なんか放っておいて、骨休めということにした。なんたって、手の指の関節炎が痛い。なぜか右手の方がしくしくと痛くて、握ったりするのがちょっとばかりつらいけど、キーを叩きすぎたんだからしょうがないか。

カレシはママに電話して、ちゃんと退院したことを確認。思ったとおり、元気一杯だそうな。うん、病院て、そういうもんだよね。どんなに明るくて、楽しい看護師さんたちがいて、優しくめんどうを見てくれても、自分で何も好きなようにできないとなると、上げ膳据え膳があたりまえの人でもなければ、誰でも気が滅入ると思うんだけどな。ま、この調子なら100歳まで大丈夫だと思うよ。

さて、今日は日本はもう週末だからメールはないだろうし、カレシがやたらと周りをうろうろして、ああだこうだと話しかけてきて、かまってもらいたそうにしているから、うん、「カレシの日」ということにするか。次の仕事の山に飛び込んでしまえば、またしばらくは「仕事の鬼(嫁)」になっちゃうだろうからね。お~い、カレシぃ~。何をする~?

千年後のコミュニケーション

9月11日。土曜日。きのうは早々とシステムをシャットダウンして、ほんとに寝るまで遊んでしまった。夕食は久々にちょっと手間をかけてチキンギョーザ。我が家のは鶏ももの挽き肉に、キャベツとにんにく、しょうがとニラをたっぷり入れて、ごま油で味をつけたほぼ緑色のあん。なぜか大根おろしも食べたいというので、鍋でご飯を炊いて、大根おろしをたっぷり。日本のメーカーがアメリカのオレゴン州で作っている日本酒を冷やして、ゆっくりの食事。ここんところ、せかせかと魚を焼いて、野菜を蒸して、せかせかと食べて、せかせかと仕事に戻っていたもんねえ。

で、何をしようか・・・ということになって、言語学の講義のDVDを見ることにした。大学の教授や研究者の講義シリーズを制作してDVDやCDとして売っている会社があって、1回30分の講義が1枚のディスクに6回分ずつ収録してある。講義はテーマによって12回、24回、36回、48回、長いものになると60回、すごいのになると96回(合計48時間!)という構成で、科目も科学・数学、美術・音楽、文学・英語、歴史、哲学、宗教、経済といろいろ。そのうちにゆっくりと思っていくつか買いおいてあるんだけど、今のところ少しずつ見ているのが言語学者ジョン・マクウォーターの『The Story of Human Language』。きのうは36回の講義のうちの5回目と6回目で、言語の意味と語順の変化や言語の分化の流れがテーマ。

ドイツ語を例にとって、「祝福された」といった意味だった「selig」が英語に入って、時の流れと共に「純真なもの」、「か弱いもの」と意味あいを変え、現代の「silly(おバカな)」に落ち着いた「シフト」、「幼鳥」を意味した語が「鳥」を総称する語に「拡大」し、本来「鳥」を総称した語が「狩猟鳥」をさす語に「局限」される過程はおもしろい。また、ラテン語がイタリア語、フランス語といったロマンス言語に分化していく過程もおもしろい。ペルシャ帝国の拡大が征服地へのペルシャ語の普及につながらなかったのに、ローマ帝国の拡大ではラテン語が帝国領土の隅々に行き渡ったのは、征服地の支配政策の違いで、広く普及したラテン語はやがて地理的な距離からそれぞれに変化して、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ルーマニア語に発展した、というのもおもしろい。

ひと口に中国語と言っても、北京語、広東語、福建語、客家語などは「中国語」の方言と言うよりも、ロマンス言語のようにルーツを共有する個別の「言語」と言ったほうが近いというのは、なかなかおもしろい洞察で、ほんとに言葉というのは生きものなんだなと思った。英語もやがてはラテン語がロマンス語を生んだようにいくつもの言語に分化して行くのかなあ。でも、それは地理的な距離が即交流の疎遠化につながった時代のことだから、インターネットで常時接続の世界では、逆にいくつもの言語が合流して、混じり合って、「スーパー言語」が形成されるなんてことにはならないのかな。

もっとも、それよりも前に機械の発達で人間は書くことを忘れ、言葉がどんどん略語化され、記号化されて行って、ひょっとしたら統合どころか。やがてほんとの「バベルの塔」になってしまうんじゃないのかなあ。もしもそんなことになったら、人類は必要最低限の言葉だけで意志の疎通を図らなければならなくなるかもしれない。なんとなく原始の時代に戻ったようなイメージだけど、ひょっとしたら、千年くらい未来には「言葉」なんてものはなくなってしまって、人類は脳波だけで意思伝達ができるように遺伝子操作されているかもしれないな。そうなったら、どうやって脳波を翻訳するんだろう。機械翻訳?それじゃあ商売上がったりだな。まあ、千年後の地球上にまだ人類が存在しているという保証はないから、ここんところはとりあえず、目の前にど~んとある仕事の方を心配をした方がいいような・・・。

人間はやっぱり頭で考えなきゃ

9月12日。気がついてみたら、日曜日。雨が降って、じわりと寒い。まだ公式に秋が始まるまで日があるのにね。なぜか今日は正午を大きく回ってから目が覚めた。なんかストレス気味なのか、咳き込みがひどくて睡眠時間が少なめ。こりゃ、ガス抜きして、空気の入れ替えしなきゃダメかなあ・・・。

日本で100歳以上で所在が確認できない高齢者が23万人以上もいるという話がとうとう地元の新聞にまで回って来た。戸籍制度そのものにもある意味で欠陥があるのかもしれないけど、つまるところは事務処理上の問題なんだろう。お役所仕事の「闇」みたいなものかもしれない。カレシとお役所仕事の話をしていて思い出したのが、在ヴァンクーヴァー日本国総領事館でのおもしろい事件。あれはワタシの戸籍を抹消して、誰もいなくなった実家の戸籍を除籍するために「国籍喪失届」を出しに行った数年前のこと。カナダ国籍になって日本国籍がなくなったから日本のパスポートは出せないと言われて「あ、そうですか」と引き下がったときに、わざわざ「日本国籍をなくしました」と届け出ないと抹消できないということは教えてくれなかったもので、戸籍上では「日本国民」として残っていた。父が亡くなってワタシひとりだけ残ってしまってから、何とかした方がいいかなとは思っていたんだけど・・・。

とにかく名前を変えたのを機に、やっと書類を揃えて領事館に持って行った。なにしろ昔ながらの手書きの届出用紙だから書き込むのが大変。漢字が違うだの何だの、ああでもない、こうでもないとやっているうちに、おじさんが「バンクーバーじゃなくてヴァンクーヴァー。修正しないとダメ」と言い出した。あの頃、日本国法務省だったか、外務省だったかが、長い間頑なに「ヴァンクーヴァー」と表記していた市名をこれまた長い間の慣習になっていた「バンクーバー」に変更すると発表したというニュースを聞いていた。それで「バンクーバーに変わったんじゃないの?」と聞いたら、「それは4月1日から」という答が返って来た。は?今日は3月31日でしょ?てことは、あしたからってことでしょ?どっちみちすぐに日本に送るわけじゃないんでしょ?ヴァンクーヴァーがバンクーバーになってから日本に着くんでしょ?「書類が3月31日付だからまだヴァンクーヴァーでなきゃダメなの」。はあ・・・。ちょこちょこっと修正して、ハンコなんてものはないから親指に朱肉をつけて、拇印をぺたぺた。手続きを終えて外へ出てみたら、そこはきのうもあしたも変わることのないVancouverだった・・・。

ケンタッキー州で、奥さんが作った朝食の玉子焼きが気に入らなくてぶっちぎれに切れた男が、銃を持ち出して近所の家に逃げた奥さんを追いかけて射殺したという話。奥さんの連れ子の娘と居合わせた近所の人たち3人も射殺して、警察が到着する頃に自分も自殺。聞いた人がみんな「え、卵ごときで・・・?」と絶句なのは当然だな。でも、この人はいろいろと近所の人たちともめごとを起こしたりして立ち退きを要求されそうになっていたらしい。付き合いのあった人は「悪いやつじゃなかった」と言う一方で、「些細なことでいつ切れるかわからなかった」という人もいて、何となく人物像の輪郭がわかるような感じがするけど、47歳という年令を勘案しても、自分の好みにできていなかった玉子焼きは単なる地雷のひとつにすぎなかったんだろうな。でも、ここまで極端じゃなくても、こういう「カッとなってつい」大変なことをしてしまう人、けっこういるよね。カレシも一時は一触即発状態のときがあったし、、日本にもかなりあたりまえにいるらしいし、どうも抑うつされた人間が多くなって来ているような感じがしないでもないけど、どうしてなんだろう。

さてさて、今日からは本腰を入れてお子様仕事に戻る。う~ん、日本の9歳ぐらいの子供って、一体どんなことに興味があって、何をどんな風に考えるんだろうなあ。ワタシがそのくらいの年頃だった時代とはずいぶんかけ離れて、「学ぶこと」についての考えそのものが様変わりしているような感じがする。これたゆとり教育というヤツなんだろうけど、まあ、来年からはもっと内容が増えるらしいから、子供たちも少しは「お勉強」をする(させられる)ことになるのかな。知識を詰め込むのもいいけど、それを自分の判断と責任で使える能力を養わないことにはねえ。それこそが「考える」ということだと思うんだけど・・・。

運動再開、効果てきめん

9月13日。月曜日。近所で重機を持ち込んで家の解体工事をやっているけど、ブロックの反対側なので安眠妨害になるほどの騒音ではないようで、正午前ぎりぎりに目を覚まして起床。

週末はカレシが重い腰を上げなかったので、ママのところへはとうとう出かけずじまい。ワタシは仕事の予定をやりくりして昼間の時間を空けておいたのになあ。しまいに「みんなが入れ替わり立ち代り来てるだろうから、別にボクに会いたいとは思ってないよ」と言い出す始末。まあ、退院したてだし、家族が子連れで会いに行っているだろうから、疲れているだろうとは思うけど、だからって息子のカレシに会いたくないってことはないんじゃないのかなあ。それでも、電話では話をしているから、まだいいんだけど、なんだかどこか気持の奥でストレスになっているのかな。困ったちゃんだねえ、もう。ま、週末よりは週日の方がいいかもしれないから、今度の木曜日にGodivaのクッキーを持って行こうね。

精神的ストレスの「減圧」には運動が一番!ということで、きのうから2人揃ってトレッドミルでの運動を再開。考えてみたらずいぶん長いことごぶさたしていたなあ。カレシは去年コレステロールを下げる薬の副作用で末梢神経障害を起こして以来だし、ワタシにいたってはいつから乗ってないのか思い出せもしない。(もっとも、ワタシは別の器具を使って、背筋や腹筋の運動はしていたし、思いつくままにストレッチもやっていたんだけど。)とにかく、毎日午後4時になったら、「4時だよ~」と声をかけて、まずはカレシが15分、そのすぐ後でワタシが15分。それから2人いっしょにシャワーに飛び込んで、汗を流してさっぱりしたら夕食のしたく。年をとって、転んだり、骨折したりしないためには、何よりも運動が大切だもんね。

おかげで今日は仕事がはかどってしかたがない。くたびれていた脳みそにたっぷり新鮮な酸素が行き渡ったと見えて、(あまり)よそ見もせずにけっこう午後一杯と夕食後を通してがんばって、かなりいい気分。ここのところ、ちょっとだらけてなんとなくうつうつとした気分でいたのは、運動不足だったと言うことらしい。体重が増えないからしなくても大丈夫と高をくくっていたのかもしれないな。体重が増えないのは魚中心のメニューに切り替えて以来、わりと低カロリーの食事だったからで、体の方は運動しなければだれてしまうってことだよね。今はまだ時速6.5キロの「早足」だけど、それだけでもこの効果!うん、なまけないで、ちゃんと毎日やろうよね!

みんな複雑に違って、みんないい

9月14日。火曜日。目覚めと起床は正午過ぎ。運動を始めたばかりで、今はちょっと体の方が疲れているのかもしれないな。今日はちょっと夏が再開したような陽気。ま、まだ9月もやっと半分。雨さえ降らなければまだまだインディアンサマーなのだ。

仕事がけっこうトントンと進んで、あら、あんまり遅れてないじゃないの・・・という極楽とんぼ流の「評価」で、午後はモールまで化粧品を買いに。日本語は化粧品?コスメ?どっちでもいいけど、チュイの後釜というか新しいコンサルタントができて、ボーナスセールがあるけど何かいるものはないか?という御用聞き。「ボク、ヘクター。売り場で男性はボクだけなのですぐにわかります」というので、きょろっと見回したら、いた!これまたつい「うほっ」と思ってしまうようなイケメン君。まだ20代後半か、浅黒い肌から見て南米系かもしれない。挙動を観察するに、たぶんゲイだろうな。若いゲイの男の子って、どうしてこうかわいいと思っちゃうのが多いんだろうなあ。うん、まじめにメークをしては、せっせとローションやクリームを買いに行くようになる・・・かな?

郵便局でワタシ書箱にぎ~っしり詰まった(主に)カタログ類を引っ張り出してからGodivaへ回って、ママの退院祝いに持って行くビスケットを2箱。ひとつはカレシ用。こうして買っておけば、カレシもごちゃごちゃ被害妄想的なことを言っていないで、出かける気になると思うけどね。やっぱり、観察すればするほど、この人はボーダーライン人格とアスペルガーとADHDがごっちゃになってるんじゃないかという感じが強くなる。あんがいひっくるめて「広汎性発達障害」というものに近いのかもしれない。ストレスがたまるとパニックを起こしやすいところなんか、まさにそうじゃないかと思わせるのに十分だけど、空間認知力にはまちがいなく問題がある。だけど、カレシが子供の頃にはほとんど知られていなかったし、だから療育や適応訓練なんてものは存在しなかったから、この年まで生きにくい人生を生きてきたと言うことにもなるのかもしれない。今だったらいろいろわかって来て、対応策がたくさんあるのに、時代的に早く生まれすぎてしまったんだね。

ワタシだって人生の最初の27年はある意味で生きにくかったから、ワタシにもどこかに「発達障害」といえる何かがあるのかもしれないよね。いや、多かれ少なかれ人間てのは誰でも、どうしてもしっくり来ないと感じる「何か」をどこかに抱えて毎日を生きているのかもしれない。なにしろ、動物界の頂点に立つ「高等動物」だもんね。のんきそうな単細胞のアメーバと違って、人間はきわめて複雑な生きものなんだよね。そうだったら、ひとりひとりが複雑。世界にこれだけたくさんの「複雑な」人間がいるんだから、いわゆる「健常」といわれる人たちだって互いに誤解したり、うざいと思ったり、好き嫌いしたりと、心は複雑。こうなってくると、どこまで「健常」で、どこからが「非健常」なのか、線を引くところがわからない。ということは、みんなが生きにくい世の中なのかなあ。そうかもしれないな。フツーの人だって、自分の人生のこと、他人のこと、世の中の諸々のことに、不平、不満、グチがたくさんあるもの。とどのつまりは、「みんな(複雑に)違って、(それでも)みんないい」ってことだろうと思うけど、そこが難しいところなの、人間は・・・。

企業戦士のお墓

9月15日。水曜日。カレンダーを見たら、9月もあっという間に半分が過ぎてしまった感じ。朝食を始めたところでシーラとヴァルが来て、上と下で掃除。ダスターを取りに上がって来たヴァルが、故郷のノヴァスコシアの小さな町まで行くのに、ハリケーンの接近で乗換え地のハリファックスで足止めを食ったけど、航空会社が夕食の手配をしてくれて、いいホテルに泊めてくれて、翌日の朝食券もくれたと楽しそうに報告。1日遅れでふるさとに着いたら、今度は初めて一緒に行ったリッチを案内して歩くのに、坂道を登ったり降りたりで、「やせて帰って来た」とうれしそう。

テレビのニュースでキューバが「国家公務員」を50万人もリストラすることになったと報じていた。合計して100万人が対象だそうで、そんなリストラしたら公務員がいなくなるんじゃないかとふと思ってしまうけど、キューバでは街角の床屋にいたるまでみんな「公務員」。どうやら仕事をしてもしなくても、いい仕事でも雑な仕事でも、ちゃんと給料をもらえるということで「マニャーナ(あした)役人」がはびこっていたらしい。自営や農業を勧めたりして、元公務員が「民間経済」に吸収されることを期待しているらしいけど、民間経済って要は「ヤミ」じゃないのかな。100万人もの労働力の吸収を期待できるほどの規模だってことか。今頃チェ・ゲバラはお墓の中でのた打ち回っているかも。まあ、ヘンなたとえだけど、今まで動物園でのんびり暮らしていた動物を自然の中に放して、「じゃ、あとは自分で餌を探しな」というようなものかな。どうなるやら。

CNNGoの東京版におもしろい写真があった。高野山の奥の院という墓地にある「パナソニック墓所」と刻まれた御影石らしいぴかぴかの立派な墓標(?)。え、何これ?と思ったら、なんと会社専用の区域があって、重役や永年勤続社員の墓があるらしい。墓標(と言っていいのかどうか知らないけど)が新しく見えるのは社名が変わって建て直したせいだろうな。奥の院墓地にはソニー、日産、トヨタ、クボタといった大企業の専用墓所もあるんだそうで、まあ、武将の墓もたくさんあるそうだから、「企業戦士」にはふさわしいところなのかもしれない。だけど、いくら「家族的経営」が日本の企業風土だと言っても、死後も「社宅」ってのは、ちょっと何だかなあ。それに、高野山って昔は女は入れなかったんだよね。ま、男女の機会均等時代だから、今は女性社員でもがんばって会社に貢献すれば「企業墓所」に入れてもらえるんだろうとは思うけど。

ローカルのニュースサイトを見ていたら、急げ急げのA型、のんびりのB型という性格タイプのほかに、「D型性格」が提唱されていて、このタイプの人は、自尊感情が低い、引っ込み思案、マイナス思考といった傾向が強く、ストレス、怒り、不安、嫌悪、緊張感といったネガティブな感情を持ちやすいのに、それを人に伝えることが苦手なもので、うつ病になりやすい。日本ではいじめは減っているらしいのに「感情のコントロールができず、コミュニケーションの能力が低い」子供による暴力が増えて、しかもその年令が低くなって来ているという話だけど、A型性格が多いのかと思っていたら、ひょっとしてこのD型が多いのかな。このタイプは長期的には心臓疾患につながる確率が高いんだそうで、おまけに病気になっても心配はするのに医者の治療を受けたがらないことが多くて、予後は良くないらしい。ふむ、この性格タイプ、誰かさんに似ていなくもないなあ・・・。

ま、トレッドミルの運動を再開して、ガス抜き効果がかなりあったと見えて、ちょっとストレス不安症みたいだったカレシもわりとアップビートになって来た。要は、新鮮な酸素(運動)とバランスの良い食事が心身の健康の鍵なのだ。健康関連のニュースはだいたいがそういう結論で締めくくられることが多いのは、ほんとにそれ以外に有効な即効薬なんて存在しないからだと思う。でも、運動をして、栄養のバランスの取れた食事をして、規則正しい生活をするというのは、現実的には実行と継続がなかなか難しい。人間、誰だって楽な方法があればいいなあと願っちゃうから、その筋の企業が「これだけで、今すぐ!」みたいな甘~い言葉をかけてきたら、誘惑に負けてふらふらっとそっちの方へ流れてしまいかねない。自尊、自律、自制・・・。