リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2006年9月

2006年09月30日 | 昔語り(2006~2013)

めでたし、めでたし

9月1日。たっぷり頭を冷やしたカレシはビデオ/DVDレコーダのセットアップに再度挑戦した。ワタシの仕事場はリビングにあるメインのテレビの真下。頭の上でしきりとゴトゴトという音が続くこと小一時間。どさどさと階段を駆け下りてきた。テレビも映るし、ビデオもDVDも録画と再生ができた。ビデオからDVDへのコピーなんかおちゃのこさいさい。ちょっと頭を切り替えたら簡単なものだった、と。

最初の失敗の原因はケーブルのINとOUTを逆につないだことだそうな。バンクーバーのテレビはケーブル放送だから同軸ケーブルが必要になる。ビデオ機器は壁の接続口とテレビの間に来るから、古い機械を外すと末端が同じケーブルが2本残るわけで、カレシはどっちがどっちかを確認せずに逆につないでしまったわけだ。

実は前のDVDプレーヤーをつないだときもそうだった。あっさりとビデオデッキを取り外して、新しい機械を置き、最初につかんだコードをケーブルのINにつなぎ、次のコードをOUTに。だけどもテレビは映らない。ケーブルの見分けがつかなったとは思ってもみなかったカレシは「欠陥品だ」とおおむくれ。もう少しでプレーヤーを返品するところだった。あのとき、ケーブルに目印をつけておいたら、と提案したはずだけどなあ。

それでもまずはめでたし、めでたし。どうして何でもやたらと複雑になるんだ、とぼやきつつ、カレシは今度こそちゃんとケーブルに印をつけていた。

あのねぇ、ワタシのアドバイスを聞くだけでも聞いておいたら損はないのよ。だって、こんな単純ミスで癇癪玉を破裂させて、リコンされちゃったらどうしようもないでしょうが・・・

天高く、たぬき肥ゆる秋・・・

9月2日。夜になってときどき窓の外でコツン、コツンという音がするようになった。

我が家は「眠り姫の城」と揶揄されるくらいに周囲をこんもりと木で囲ってあるから、よもやどろぼうではなさそうなのだが、やっぱり気になる。庭はカレシの領地ということで、いつものように偵察に出て行った。

「やられたあ」と見せてくれたのは食べかけの梨。タヌキが梨が熟れたのをかぎつけたらしい。追い払っても、ちょっと動いて様子を見る。デッキに落ちた梨を投げつけると、またちょっと動く。図々しいこと甚だしい。小さい梨を思い切りぶつけたらやっとすたこら退散したという。

我が家はいちおう都会の中なのだが、そばにゴルフ場があるせいか、野生動物に事欠かない。コヨーテ、タヌキ、スカンク、リス。去年はクーガーを見かけたという話もあって、ちょっと怖かった。

池と木があると野鳥も集まる。スズメやヒワ、コガラ、ヤブガラ、ハチドリのような小鳥から、きょろきょろと落ち着きのないツグミ、きれいなブルーのアオカケス。近所で飼っているらしいハトも水浴びに来れば、カラスもカモメも来る。カラスはハトを追いかけまわし、ときどきカモメと騒々しい空中戦を繰り広げる。よく頭上を編隊飛行して行くカナダガンは下りて来ない。庭が狭すぎるのだろう。でも、大きなアオサギが何度か飛来したのには驚いた。体長1メートルくらい。魚がいるかどうかと、じーっと池の中を睨む姿は壮観だった。

タヌキ君には悪いけど、ほぼ熟した梨はまとめて収穫してしまった。梨のワイン煮もいいし、グリルすればポークの付けあわせにもなる。食べ切れなければジュースにして冷凍しよう。天高く、人間も肥えてしまうかな?

重々しき問題・・・

9月3日。WHOによると、地球上の成人人口のうち10億人以上が太りすぎで、そのうち3億人は病的な肥満体だとか。この頃は子供の肥満も問題になっているし、特に飽食で運動不足の北米では、人体の容量の大きさにびっくりするほどの肥満体を見かける。

思うに、10億人の大半は北半球に住んでいるのではなかろうか。ということは地球はどんどんトップヘビーになっているということだろうか。

もしそうだったら、地球の自転もスローダウンしてしまわないだろうか。そうなったら、倒れそうなコマのように、地軸もふらふらしてしまうだろう。地軸が振れると大気の流れも、大洋の潮流も影響されるに違いない。ひょっとしたら、凶暴なハリケーンや異常天候の元凶は宇宙船地球号の積載量オーバーなのかもしれない。

減量にはなんといっても運動が欠かせない。でも、10億人がいっせいに縄とびだ、ジョギングだ、エアロビクスだと運動を始めたら、地球の回転はますますワイルドになって、そのうちくるくると太陽系の外へ飛び出してしまうかもしれない。そうなったら、火星の天文学者たちが集まって、「太陽系の惑星は7個になりました」と宣言するのかな。ふ~ん・・・

通せんぼ

9月5日。我が家の前にもとうとう「通行止め」の標識が置かれた。オリンピック関連の地下鉄工事で近くの幹線道路が半分閉鎖され、通勤などの車が住宅街に溢れないようにするための手段なのだ。

我が家の前の道路はゴルフ場に沿って10丁ほど四辻交差点がない。スピードを上げられるため、前から通勤者がバイパス代わりに使っていた。近くのカレッジに通う学生の車も多いから、スピードダウンの対策がとられるまでは、朝夕ラッシュの交通量は大通り並みだった。それが、住民が根気よく市に陳情した結果、そこかしこにトラフィックサークルというロータリーができ、スピードバンプという隆起ができて、やっと交通量が減った。そこへ今度は地下鉄工事だ。

住民への説明会でも、もっぱら工事中に迂回する交通の問題に質問が集中し、状況を監視しながら臨機応変に対応するという回答だった。

その対応策が「通せんぼ作戦」なのだ。道路の真ん中にオレンジと白のドラム缶サイズの「通行止」がでんと置かれる。両脇が開いていて、ご近所さん通行可と書いてあるから、しばらくすると通勤者もしかけがわかって戻ってくる。そこで今度は1ブロックが完全封鎖になった。南へは左折、北へは右折するしかない。車の流れのパターンが変わる。そこで別なところをまた通行止め。車の流れが変わるとまた別のところにも通行止め。いたるところで通行止めに遭遇する。ドライバーはまるで迷路のネズミのようにあっちへジグ、こっちへザグ。けっこう頭を使うことを要求される。

おかげでこのところラッシュアワーはいたって静かだ。地下鉄工事はあと2年は続く。

おんぶにだっこ

9月6日。日本語に「おんぶにだっこ」ということばがある。手元の日本語辞典によると「何から何まで他人に頼ること。特に金銭・物品を負担させること」の意味だそうだ。でも、おんぶされ、だっこされてもいいのは赤ん坊のうち。それにしても、人に頼ることを、その甘える赤ん坊になぞらえるところがおもしろい。

でも、甘えには思いがけないとげが含まれていることもある。甘えは「他人への過度の依存・期待」だけれども、依存と期待はどこか違う。依存は他人に「してもらう」という甘えだろうけれど、期待という名の甘えは他人に「してくれ」と突きつける「無言の要求」ではないだろうか。それは自己の価値を計るためのものさしのようにも思える。

そうであれば、相手がその要求を満たしてくれなければ、自分の価値が下がってしまう。でも、自己評価が下がったのは相手が自分の意の通りに動かなかったせいであって、とどのつまりは自分の期待に応えてくれなかった相手が悪いのだということになる。

だから、甘ったれはいくつになっても「誰々が~してくれない」と愚痴っている。

結婚と永住権と市民権

9月7日。2002年の移民法改正で、離婚して扶養料や養育費を滞納していたり、ドメスティックバイオレンスで有罪になったことがある人は新たな外国人配偶者の永住権スポンサーにはなれなくなった。いずれもカナダ人や永住者の配偶者としてカナダに移住してくる女性を保護するのが狙いだ。配偶者に対するスポンサーの生活保護義務もそれまでの10年から3年に短縮され、この期間にDVを逃れるために別居や離婚をしても、いったん取得した永住権は取り消されない。それだけでなく、スポンサーの義務は期間が満了するまで続き、やむなく公的な扶助を受けたりするとその費用はスポンサーから「回収」される。

スポンサー期間の短縮の裏に家庭内暴力の撲滅に取り組む様々な団体の運動があったことはあまり知られていない。異国での言葉の壁や法律を知らないことによって、多くの外国人妻が「スポンサーを撤回して強制送還させる」という脅しにおびえて10年もの長い間不幸な結婚に縛り付けられて来た。子供がいれば「強制送還になったら二度と子供には会えない」と脅される。それでは結婚というよりも10年間の年季奉公と変わりない。

ワタシが市民権を取るといったとき、カレシは「そんなものは必要ない!」と激怒した。でも、ワタシだって生涯住む国の選挙で投票したい。幸いカレシはスポンサーを辞めるとまではいわず、半年後に新カナダ市民になったワタシの宣誓式にも参列したのだった。

でも、数年前に理由を聞いて「市民権を取ったらオレを棄てると思った」と言われたときには返す言葉がなかった。ワタシとの結婚を言い出したときに、ママが「カナダに入り込むのが目当てじゃないの」といったとも。ママにそういわせた裏にカレシの嘘があったこともその時にわかったのだけど、彼はママの言葉を真に受けていたらしい。ワタシは日本国籍を失うことを承知で「あなたのところにお嫁に来たのだからしっかりカナダの人になる」という意思を示すつもりで決断したのに、カレシは短絡的に「ママのいった通りだった」とパニックなってしまったようだ。

その後すぐにワタシは公務員に転職し、2年後には2人の名義でマイホームも買い、カレシの心配は杞憂で終わったのだけど・・・

様変わりした移民法

9月8日。ワタシがカレシと結婚して永住権を申請したのは1967年改正の移民法の下だった。(これは移民の出身国の制限を撤廃して世界に門戸を開放した画期的な改正だった。)どんな手続きをしたのか覚えていない。それくらい簡単だったのだろう。申請書に結婚証明書、英訳した戸籍と日本のパスポート、そしてスポンサーのカレシの出生証明書を添えて出したくらいだろうか。スポンサーの審査もなく、手続き料は一切かからなかった。親身になって対応してくれた年配の移民官の配慮で、当時は原則的に認められていなかったカナダ国内からの申請になり、たしか4ヶ月足らずで永住ビザが下りた。

今永住権申請中の人たちには信じがたいだろうが、30年も昔の話だ。当時は移民の総数も今の半分くらいだったし、日本から来た花嫁なんて一桁の数だったらしいので、移民局にも余裕があったのだろう。

2001年の統計から計算すると、配偶者をスポンサーとするいわゆる結婚移民は3万7千人くらいで、そのうちカナダ生まれのスポンサーは6千人ほど。日本からの結婚移民は年間数百人ともいわれるから、日本人が結婚移民全体のざっと10%を占めている勘定になる。結婚相手がカナダ生まれではない場合を差し引いても、際立った突出ぶりだ。

今は手続きも煩雑で、お金もかかる。移民申請に手数料が導入されたのは1995年。審査などにかかるコストを回収しようという狙いだったらしい。(後になって大幅に引き下げられたのは黒字が出すぎたからだという話もある。)スポンサーする側も申請料を取られるようになった。要求される書類も増えたらしい。移民の受入れ枠が拡大されて、移民の総数も倍増したから、手続きと審査に要する時間も個人移民なら数年はざらという、申請する側にとっては気の遠くなる長さになった。それでも移民の数は減るどころか増えているし、名だたる経済大国日本からの移民が減ったという話もきかない。何よりもそれだけの時間とコストをかけても移住したい何かがカナダにはあるのだろう。

それだけ努力して移民に成功したのに、新天地カナダに不平たらたらで暮らしている日本人が多いらしいのは、夢を膨らませすぎたせいか、期待が大きすぎたのか・・・

駐車違反、初回は無料サービス?

9月9日。お車一台様に付き一回目の駐車違反チケットは無料サービスさせていただきます・・・なんて粋なお役所があったら誰だってうれしい。

ここ数年の週末の習慣になっている外食。グルメにはこと欠かないけれど、ときには馴染みのところへ馴染みのものを食べに行く。小さなイタリア料理店ファヴォリートもそのひとつ。いつも早い時間に行くので幹線道路なのにすぐ近くに車を止めやすい。今日も2軒先の中華料理店の前にスペースが空いていた。

何年も変わっていないメニューは大ヒットはないけれど外れもない。いつものワインにいつもの前菜、いつものパスタ。満腹になって満足感を味わっているとき、市役所の駐車違反取締係が窓の外を通り過ぎた。時計を見ると、パーキングメーターは時間オーバー。

奥さんがお勘定を持って来た。「車は何色?」「ブルー」「あらら、チケット切っているみたい。すぐに来ますからって言いに行きましょうか?」「ありがとう、でも、オーバーだからしょうがないよね」「でも、まだいるから間に合うんじゃないかしら」

レストランを出るとさっきの係がまだメーターの前にいる。「オーバーしちゃいました?」「うん、してたからチケットを切ったよ」ほんとうだ。ワイパーにチケットがはさまれている。「あら、残念。しょうがないや」無線の機械をペンで突っついていたお兄さん、「この車、前にチケット切られたことある?」「うん。でもちゃんと払ったけど・・・」カレシ、「え、あれは、もうひとつの車のじゃなかった?」「そうだっけ?これだと思ったけど・・・」お兄さん、「ないんだったら取り消しできるよ。ほら」ペンでポンッと「取消し」をクリック。「へえ、初違反は無料サービスなの?」「まあ、そんなところ。取り消したから払わなくていいよ。記念に取っときなさい。じゃあね」

というわけで30ドルの駐車違反チケットがただになった。でも、ほんとうにそんなことってあるのだろうか。初違反は無料なんてまるでどこかの笑い話のよう。

家に帰ってからチケットを見ていて気が付いた。ライセンスプレートのBTFがBFTになっている。つまり、弁護士流の理屈で言えば、私たちのナンバーではないのだから、私たちには罰金を払う義務がない。

ははあ、そうか。間違いに気付いて取り消そうとしているところに私たちが現れたもので、改めてチケットを切る手間を省いたのだろう。だいだいお役所が初違反無料サービスなんてうまい話があるわけがないもの。

子は親の鏡・・・

9月10日。数年前のカレシの行動を単に書き連ねると、いかにも身勝手で浮気で無責任な男に見えるだろう。世界のどこにもそういう男はごまんといて、そんな男を愛して傷つく女も星の数ほどいるはずだけど、ローカル掲示板の短いものさしでは、たまたま白人のカレシは「ジャパフェチのルーザー」で、たまたま日本人のワタシは「ガイジン男だからついていったバカ女」ということになるらしい。人間はそれぞれに違うものさしを持っているから、そういう目盛のものさしもあるだろう。

ほんとうは、カレシは努力せずに自分が優位を保てる女の子であれば誰でも良かったのだ。だから、ワタシが文化・習慣の違うカナダでまるで子供に戻ったようだった頃のカレシはこの上なくやさしかった。たぶんこの頃に日本女性のステレオタイプをさらに膨らませたのだろう。それが変わったのはワタシがカナダでの生活についてカレシに寄りかからなくてもよくなった頃だった。今考えると、カレシにとっては、大人の女は羽を切らなければ自分を棄てて行くかもしれない存在だったようだ。それはカレシの根強い「見捨てられ不安」と切っても切れない関係がある。

30年の間にカレシがぽつぽつと話した幼い頃の思い出には、泣いているママを慰めようとしてはねつけられた、パパが飲み仲間と出かけて何日も帰ってこなかった、両親のものを投げ合う大喧嘩を泣きながら見ていたなど、どんなに年月が経っても美化されないような話が多い。

特に、幼い頃からママが買い物に行くたびに「足手まといになるから」と、年子の弟とデパートの入り口に置き去りにされた話を繰り返し聞かされた。「動いたらお仕置き」と釘を刺されていたカレシは、幼い子供にとっては永遠に等しい時間ぐずる弟をなだめながら立っていたという。

カレシはいつも「オレは誰に声をかけられても絶対に動かなかった。みんなに小さいのにしっかりした子だねってほめるから、ママはいつもそれが自慢だった」と話を締めくくった。でも、見知らぬ大人が往来する雑踏の中で、カレシの心は「ママは戻って来ないかもしれない」という不安でいっぱいだっただろう。ママにとっては「身勝手で浮気で無責任な父親に似ない」良くできた子は失敗した結婚の代償だったかもしれないが、棄てられることを恐れた子供は「ママが自慢するいい子」を演じ続けて、自我を確立しそこねてしまったのかもしれない。

今のカレシはかってと比べるとずっと落ち着いている。それでもときどきはワタシのレーダーが不安な黒雲をキャッチする。ワタシが仕事や勉強に没頭していると、やたらとそばをうろうろしたり、抱きついてきたりする。でも、ワタシは子供を育てたことがないから、ママの代わりに足りなかった愛情を注ぐことはできない。カレシの中でまたママとワタシがダブってしまわないように、あくまでも対等の伴侶として寄り添っているつもりだ。

幸いカレシは退職生活、ワタシは在宅稼業。やり直しのキャッチアップの時間はたっぷりある。

9/11

9月11日。2001年9月11日。カレシが午前中のセミナーに出るので特別に早起きした日だった。キッチンのテレビにただならない光景が映った。事故?事故じゃないらしい。時差が三時間先のニューヨークはもう仕事が始まっている時間だ。煙が吹き出すツインタワーにはたくさんの人がいただろうに。

よくわからないまま勤めていた頃の避難訓練を思い出した。30階のオフィスから地上まで、大勢に人たちに混じって狭い階段を下りた。異様に長い時間に感じられたっけ・・・。そんなことを考えながらふとテレビを見上げた瞬間、タワーの1本がすうっと溶けるように崩れた。ワタシは絶叫したらしい。今でもワタシの記憶の中には映像だけがサイレント映画のように残っている。あの日が来るたびにテレビに繰り返し映る映像を見ることができない。

事件の後、アメリカの文化や政策がテロを招いた、アメリカがそうさせた、という声を聞いて、心が凍りつく思いだった。「アメリカが悪い」。ドメスティックバイオレンスの加害者がいうことと同じではないか。「お前が悪い」、「お前がそうさせるのだ」。テロもDVもその根底の動機に大きな違いはない。

だけど、武力行使はいけない。話し合え、という。いったい、国家でもなく、自分の宗教を振りかざして異教徒を殺せと叫び、執拗に心理的な威嚇を仕掛けて来る人間と何を話し合えというのか。譲歩せよというのか。彼らの理不尽な要求を呑めというのか。被害者を責める傍観者の心理にも根本的に違いはない。

あの日、日本企業に勤めていた同業のアメリカ人は、ウォール街時代の友人たちや駐在していた日本人の同僚たちの多くを失った。あれからもう長いこと彼の消息をきかない。今、どこで何をしているのだろう。

いい汗をかく日

9月12日。今日はワタシがトレッドミルを使う日。本格的なトレッドミルを買ったのは去年のクリスマス。この8ヶ月カレシと交代で一日おきに徹底的に汗を流している。同じ30分の運動でも、二人のスタイルはまったく違う。カレシは同じスピードでひたすら走り続けるのに、ワタシはやたらと傾斜やスピードを変える。頭の中のクモの巣を払えて思いがけないアイデアが浮かんだりする。

子供の頃は体育が苦手で、高校時代の全校マラソンは何よりも辛かった。大人になってからはほとんど運動しなかったけど、二十代、三十代はほとんど太らなかった。

太り出したのは一日中家に篭ってPCの前に10時間も座る生活をするようになってからだ。身長が155センチしかないから、服のサイズがMになっただけでも、いやでも目立ってしまう。それがカレシとの葛藤が始まって、あっという間に7、8キロやせてしまった。誰かが「あなたのはけんかダイエットね」と笑ったけど、1年で服のサイズが号数で二回り小さくなった。

運動を始めたのはその頃だった。カレシが近くの高校のトラックでジョギングを始め、ワタシは無理やり見物させられた。冬の間吹きさらしの校庭に立っているのは辛い。しかたがないからトラックを歩き始めた。でも、ただ歩いていると想いが入り乱れて泣いてしまうから、どんどん足を速めているうちに少しずつ走り始めていた。やがて家のそばのゴルフ場の周り約3キロを毎日二人で走るようになり、そのまま運動が生活の一部になった。せっかくの減量を無駄にしたくなかったし、着る物を全部買い替えるのも大変だ。それに味をしめた体がなんとなくうずうずする。

生活が落ち着いて腹筋や背筋の運動もするようになるとじわじわと体重が増え始めた。でも不思議なことに服のサイズはさらにひとつ小さくなり、結局衣服を全部買い替えた。脂肪より重い筋肉が増えて体が引き締まったらしい。体が柔らかくなって、平衡感覚もよくなったし、背筋が伸びてミニを着てもサマになって見えるのがうれしい。何よりも、生まれてからこの方で今が最良の健康体だと思う。

ワタシのモデルチェンジは、カレシの瓢箪から出た駒のお手柄ということになりそうだ。

ブレックファストタイム

9月13日。二人とも出勤しなくていい我が家は宵っ張りの朝寝坊。就寝はいつも午前3時を過ぎてしまう。寝るのが遅い分、起床も遅くて、だいたい11時過ぎ。目が覚めたら正午過ぎということも多い。たっぷりの睡眠はカレシの退職がもたらした一番のご利益だろう。

朝食のしたくはいつからかカレシの仕事になった。メニューはまずオレンジジュース。それからグラノーラという硬いシリアルに麦の胚芽、オート麦のふすま、ヒマワリのタネを好きなように混ぜてミルクをかけたもの。アーモンドやバナナ、季節によってはイチゴやブルーベリー、ラズベリーを混ぜることもある。それにトーストとジャム、マグいっぱいのブラックコーヒー。ちょっと寒い冬の朝には暖かなオートミールも好きだ。

ときには卵とベーコンかスパムというメニューになる。卵は目玉焼きかスクランブルドエッグ、気が向けばコドルドエッグ。たまに何も予定がなくてのんびりの朝は、二人でイングリッシュブレックファストを作ろうということになる。目玉焼きにソーセージかベーコンか時には両方、炒めたマッシュルームにトマトのグリル。ハッシュブラウンはそのとき次第。でもニシンのキッパーはなくてはならない大好物。ワタシは真っ黒なブラッドプディングも大好きなのだけど、これはめったに手に入らない。

イギリス風の朝ご飯は好きだけど、とにかく塩分がすごい。二人とも一日中喉が渇いて水をがぶ飲みする。とても毎日食べる気にはなれない塩辛さだ。私たちには、たまにちょっぴりイギリス気分を味わう程度がちょうど良いようだ。

スカンク騒動

9月14日。午前1時。半地下の仕事場の壁の外でごそごそと音がする。前に土を掘った跡が見つかった玄関ポーチの横のあたり。大きな石で塞いでおいたらその石の下を掘った跡が見つかっていた。

闖入者ご用とばかりポーチに飛び出したカレシ。同じ勢いで飛び込んできてバタンと玄関のドアを閉めた。でも、すでに時遅し。玄関のあたりになんとも言えない強烈な異臭。そうか、犯人はスカンクだったのか。

幸い直撃を免れたカレシが、キッチンから鍋いっぱいの熱湯を持って来てかけたので、スカンクも他に寝ぐらを探すことにしてくれたらしい。だけども後に残していったこの悪臭。いたちの最後っ屁どころではないだろう。

カレシは子供の頃おじいちゃんの農場でスカンクを見ていたから、しっぽが上がった瞬間にすばやく家に飛び込んで難を逃れた。農場で飼っていた犬はスカンクとけんかをしては悪臭プンプンで逃げ帰ってきたそうだ。おじいちゃんは大きなバケツにトマトジュースと水を入れてしょげている犬を洗ってやったとか。トマトジュースの酸が臭いを中和するらしい。

よかった。キッチンの食品戸棚の下に大きなトマトジュースの缶がある。いつからあるのかもわからない古いものだから、万が一のカレシのトマト風呂用に取っておくことにしよう。

一夜明けてもまだ玄関を開けると悪臭が忍び込んでくる。人間さまのはガスだからさっと放散するようだけど、スカンクのは噴霧状だから霧の塊のように漂って土やカーペットに染み付くらしい。お隣さんは、消えるのに2、3日はかかるよ、という。やれやれ・・・

寒い

9月15日。ほぼ1ヵ月ぶりだろうか、土砂降りのひと雨があって一気に空の色が変わった。

けさは目が覚めるとほやっと暖かい。明け方にヒーターが入ったらしい。いつの間にか暖房の季節になってしまったようだ。サーモスタットで日中、夜間に分けてヒーターのスイッチが入る温度を設定して、一年中そのままだから、設定温度になると勝手に暖房が始まる。

我が家の暖房はESWAというノルウェー製の電気ヒーターを使っている。ノルウェーでは戦前から使われているそうだけど、温風暖房が一般的なカナダではまだ珍しい部類だろう。パネルを天井に埋め込んであるというと、暖かい空気は上に溜まるから非効率だろうといわれる。温風暖房はファンを使って、床下に配管したダクトで温風を送る。どの部屋も吹出し口は一番寒いところ、つまり窓の下にある。

我が家の電気暖房は空気を動かさない。排気も音もゼロ。ほこりも立たない。断熱性の高い2×6工法なので、実際には天然ガスを使った温風暖房の半分以下のコストですんでいる。直接空気を暖める代わりに壁や家具が熱を吸収する(といっても触って特に暖かいわけではないけれど)しくみは、天気の良い日に陽だまりにいるとぽかぽかして来るのと同じ原理なのだ。ベッドルームではパネルがベッドの上にあるから、寝る頃までには冷たいと感じない心地良いほどよさに温まっている。

人間も熱を吸収して体が温まる。だから冬の寒い日に外から帰ってくるとしばらくは寒い。逆に外に出るとしばらくは寒さを感じない。

子供の頃、朝晩の冷え込みを感じて石炭ストーブを取り付け、初夏が来てストーブを外すのが年中行事だった。石油ストーブになってそれがなくなっても、「ちょっと寒いね」と、手動でスイッチを入れるという「行事」はまだあった。

サーモスタットまかせの季節の切替行事。ちょっと味気ないかな・・・

ママが入院

9月17日。木曜日の夕方、遠い郊外に住む元義妹から珍しく電話がかかって来た。

「ママが転んで大腿骨を骨折したって。入院した病院では手術できないので、あした別の病院でするって・・・」

ママは今年88才。前から足が不自由になっていたのにママらしく誰にもいわなかったらしい。敷地内にある郵便受けに郵便を取りに行って、ちょっとの段差に足をとられて転んだそうだ。

車で40分くらいいの郊外のタウンハウスに住んでいる。もっと近くに来て、という次男夫婦の説得で移り住んだが、次男夫婦は離婚し、それぞれ新しいパートナーができてさらに遠い郊外に引っ越して取り残された形になっていた。

「ママは気丈だから心配ないんだけど、パパはどうするんだろう」と、カレシはやや他人事のような口調。パパは86才。生まれつき弱視で、今は耳も遠いし、足腰も弱っているらしい。とりあえずは、離婚後も「嫁さん」をやって来た元義妹が娘夫婦に泊り込ませたというが、問題は今後のことだ。タウンハウスは内も外も段差が多い。もし車椅子が必要になったら住めなくなる。

翌日、義妹からママの手術が無事に終わって元気だと連絡が来てほっとした。どうやら今後の対策の話になったらしい。カレシは「本人の意思にまかせるべき」と主張している。どうやら元義妹はもう夫婦で入れる介護ホームを物色し始めたらしい。

「もううちと関係ないのによくしてくれて感謝するけど、ここはやはり落ち着いてからママの意思を聞いた方がいいよなあ」と、カレシはいう。ワタシはかってワタシがカレシから一時避難したときに、元義妹がその日のうちにアパート探しを始めたのを思い出していた。良かれと思ってのことなのだけど、暖かい家庭に恵まれずに育った彼女は大家族願望が強い。近くにみんな集まって仲良く暮らしたいのだ。

今のところ、パパは孫娘夫婦と3才と1才のひ孫たちに囲まれてご機嫌らしいが、いつまでもそういうわけにはいかない。元の病院に移ったら、お見舞いがてらママの意向を聞きに行こうと、カレシはいう。出張から飛んで帰ってきた次弟とも相談しなければならないだろう。距離を口実にしばらく遠ざかっていた郊外の家族との接触が増えそうだ。これで家族が少しまとまることがあれば、人生塞翁が馬でいいのだけど。

ここはどこの・・・?

9月18日。仕事の合間によく読売の大手小町の見出しだけ2、3ページをざっと見る。これがけっこう息抜きになる。ええ?何で?何のこと?どうして?そんなこときいたって??ひっくり返ってしまいそう。書き込んでいる人は真剣に悩んでいるのだろうけど、笑ったり、つい突っ込んでみたり、思わず独りごちたりのひととき。

並んでいる悩みごとともためいきともつなかないトピックが日本の縮図なのかどうかは知る由もないけど、マンガで描いたらワタシの頭上にはクエスチョンマークがずらっと浮かんでいるだろう。

ワンコ・・・ああ、誰かが家にお迎えして「うちの子」になったお犬サマのことか。花のお江戸の通りをお犬サマがまかり通って、人間が土下座したのは綱吉将軍の時代。江戸っ子は土下座しながら恐れ入っていたのか、あるいは笑っていたのか。ワンコちゃんは今・・・

ホームクリーニング・・・ジャケットを家で洗濯できるかという相談。秋の大掃除かと思った。そういえば、うちもそろそろハウスクリーニングしなくちゃ。

キンコンダッシュ・・・どこ国語????これはワタシの想像力も遠く及ばない。お手上げ降参。

アップルロード・・・ビートルズのはアビーロードだっけ。レコード会社はアップルだけど。これはどうもりんごに関係のある観光地らしい。そういえば、カナダ東部には「メープル街道」というのがある。秋の紅葉を愛でて止まない日本人観光客誘致のための名前。カナディアンには何のことかわからない。(秋になって木の葉が赤くなるのは自然の摂理でしょ?)でも、西の端は針葉樹ばかりでどこの山もぜんぜん紅葉しない。赤く染まって見えるのはマツクイムシの害でたち枯れる森林。

カラスが襲撃・・・ヒッチコック風!バンクーバーだって郊外でフクロウがジョギング中の女性を襲撃する事件が相次いだ。まだくちばしの黄色い子フクロウが、揺れるポニーテールをリスのしっぽと勘違いして、「ご飯だ!」とばかりに急降下するとか。フクロウって知恵の女神ミネルヴァのお供をするくらいに賢い鳥じゃなかったのかなあ。実は日本語の学名でアメリカフクロウというこの種族はあまり賢くない方らしい。

ひとしきり横目で見たところで、目を据えて仕事に戻るか・・・

ぜいたくなひと時

9月20日。ピアノの先生に呼ばれてリサイタルの練習を聞きに行った。先生は香港生まれ。ピアノ教師のお母さんに小さい時からまるで映画『シャイン』を思わせる特訓を受け、ニューヨークにあるマンハッタン音楽院に留学して修士を取った。

ワタシがレッスンをやめて半年経つ。四十の手習いでレッスンを始めたけど、何しろ忙しがって練習しないからでさっぱり上達しない。だけど音楽は好き。楽器で音を出すのが好き。下手の横好きを決め込んで10年楽しく通った。カレシと闘っているときはワタシの愚痴を聞いて黙ってハグしてくれた。先生の結婚生活に同じような危機が起きた時はワタシが黙って話を聞いてサポートした。レッスンをやめたけど、今は何でも話せるすばらしい友だち。

先生は「家庭内離婚」に近い状態になってから、結婚以来止められていた演奏活動を始めた。外へ出ることで明るさを取り戻した。今は声楽のレッスンも受けている。きれいなソプラノだ。「歌うとおなかがぺったんこになっていいわよ」といって、前には子供を生んでたるんでしまったと嘆いていたおなかを見せて笑った。ついでに、アルトはなかなか見つからないからもったいない、とワタシにもレッスンを薦めるから、思わず全身で歌ったら楽しいだろうなとその気になりかけてしまう。

フリーの稼業に定年はない。今はとにかく、一に仕事、二に大学。あ~あ、ピアノに触れて、絵を描いて、下手の横好きを思う存分堪能できるのはいつだろう。

モーツァルト、ショパン、ドビュッシー、ラフマニノフ・・・生で間近に聞く音楽はすばらしい。しかもたった一人の聴衆。こんな贅沢なリサイタルがどこにあるだろうか。あっという間に1時間が過ぎ、立ち上がって100人分の拍手をした。

先愛自己

9月21日。6年前、ホームドクターと精神科医の二人がかりでカウンセリングを受けていた時期がある。カレシの嘘と攻撃と懐柔を繰り返す手口に振り回されて精神的に消耗していた頃だった。

どう?何かあった?と聞かれると、当然のように愚痴が口をついて出てくる。とめどもないその愚痴のひとつひとつに返ってきたのが「あなたはどうしたいの?」という質問だった。どうしたいって・・・口から出てくるのはカレシの行動に対する怒りや心の痛みばかり。あれもこれもやめてほしい。黙って聞いていた先生がまた質問する。「やめなさいといっても、それは彼がすることでしょう?あなた自身はどうしたいの?」

実に巧妙な質問だ。毎週そんな会話を繰り返しているうちに、何か違ったものが見えてきた。そうか、嘘をつくのをやめて欲しいといっても、実際に「やめる」ということを実行するのはワタシではなくてカレシだ。彼は彼なりの行動をとる。ワタシもワタシなりの行動をとる。その間で合意や妥協があり、決裂もある。

なんとなく目の前が開けてきたような気がして、それからはだんだんに自分自身について話すようになった。話しているうちに自分という人間像が見えて来る。天の邪鬼だけど、素直なところもたくさんある。得意もあるし、不得意もある。自分を他人と比べないから、人を羨まないし、妬まない。短気なところもあるけど、けっこう辛抱強い。堅実なのだけど能天気な面もある。要するに、ワタシはあばたもたくさんあるけど、すてきなえくぼだってある人間なのだ。ひっくるめて全部がワタシ。そんなふうにみているうちに自分が「かわいいヤツ」に思えてきた。そう思うとあばたまでが意外とかわいい。

自分を肯定すると、他人を否定することが難しくなる。自分のあばたがかわいいと思えると、他人のあばたもさして醜いものには見えなくなる。たとえ相手のあばたが気になったとしても、気にしているのは実は自分なのだから、自分がどうしたいかを考えればいい。

高校時代に毎日見ていた「先愛自己」の額の意味が今頃になってやっとわかったように思う。

カレシの英語教室

9月22日。退職以来カレシはネイバーフッドハウス(隣保館)でボランティア英語教師をしている。今のハウスの教室はそろそろ4年になる。少しマンネリになってきたら場所を変えようと、別のハウスに問い合わせたら即座に「話を聞きたい」ということになって、今日はそこへ「面接」に出かけた。

カレシの英語教師歴はまさにひょうたんから駒。ジャパニーズガールに熱を挙げていた頃、日本へ行って暮らしたいと、夜間カレッジでESL教師のコースを取っていた。毎日職場を抜け出してはナンパスポットとして悪名高い会話クラブで教えたこともある。幸か不幸かワタシを置いて行くことをためらっているうちに日本へ行きそびれ、突然予期せぬ早期退職の声がかかったときに、スタッフだったフィリピン系女性が近くのネイバーフッドハウスでボランティアの英語教師を探していると教えてくれた。カレシは会話クラブに未練があったらしいが、社会福祉機関でのボランティアの方が世間に見栄えがすると判断したようだ。

今のハウスは2ヶ所目で、小さな組織なので運営の人手も設備も足りない。それでも週2回のカレシのクラスは、政府が資金を出してプロの教師が教える移民向けプログラムよりも生徒の数が多い。膨らむ人数を減らすために、苦肉の策として1年以上出席した生徒を「卒業」させたこともあった。熱心に通って就職先を見つけた生徒も多い。大半は中国本土からの移民で、他に思いつくだけでも、ベトナム、スリランカ、韓国、カンボジア、ロシア、エチオピア、エクアドル、アルゼンチン、インド、トルコなど多彩だ。英語が就職の壁になっている人たちが多い。日本人はたまに来てもなぜか一度きりで来なくなるそうだ。

面接に行ったハウスは規模が大きく、組織の運営もしっかりしているという。犯罪歴がないかどうかもチェックするとか。教室も広くて視聴覚教育の設備もあるという。随時受入れではなく期間を限定しているから生徒の進歩も把握しやすい。しかも、すでに生徒が待機していてボランティアの先生が見つからない状態なのだそうだ。何百校もの英語学校があるから、無報酬のボランティア教師をする人は少ない。特にビギナーのレベルは先生のなり手がない。無資格のカレシは教授法にとらわれずに自分なりに工夫するから、ビギナーに人気がある。今、手始めに土曜日に短期の教室を開こうかと、大いに食指を動かしている。

別れの形

9月24日。土曜日の午後、ママのお見舞いに行った。病院は片道30キロの郊外にある。

ママはナースステーションのすぐそばの個室に入っていた。普通は保険でカバーされる病室は4人用なのだけど、手術した病院から転送されたときに、空いたベッドがなくて個室ということになったらしい。個室の料金は高いけど、病院側の事情だから追加の負担はなしという。

ママは3年半前よりもずっと細くなっていたけど、これが10日ほど前に大骨折した人かと思うほど元気が良い。少し耳が遠くなりかけているのか、ときどきベッドの横で話しているカレシの方に身を傾ける。前は人にめんどうを見られるとうるさそうにしていたママが、「みんなよくしてくれるのよ」とニコニコしていて、改めて年を取ったと感じた。もっとも、カナダの人間はおばあちゃんたちにはこの上なくやさしいのだ。

カレシは少し遠まわしに退院後のプランを聞いた。タウンハウスは次弟のパートナーに頼んで冷蔵庫のものを処分し、電気も止めたそうだ。もこのままタウンハウスに戻ることはないだろうという。歩行器を使って生活するには階段が多すぎるし、日々の買い物も遠い。とりあえずソーシャルワーカーが見つけてくれるホームに入って、次男一族が住む郊外の町に落ち着き先を探すという。

カレシの次弟は離婚してからも双方の新しいパートナーとその子供一家を取り込み、自分たちの子供や孫たちも集めて、密着した「大家族」になっている。(おまけに息子、娘、元妻みんな彼の会社の社員なのだ。)カレシは少し複雑な面持ちだったけど、必要なときに誰かがすぐ駆けつけられる人数が多いにこしたことはないと思う。

パパとはこのまま別々の生活になるようだ。パパは介護ホームの毎日を楽しんでいるという。「あの人は年金ですべてめんどうを見てもらえるから心配ないし、ワタシも年金と投資で何とかなるから大丈夫よ」と笑っている。仮面夫婦とはいえ、65年いっしょに暮らした夫婦が突然こんな形で別離するとは想像もしなかった。私たちにもいやでも別れ別れになってしまう状況が起きないとは言えない。いろいろと考えさせられてしまった。

試験地獄?

9月25日。とうとう試験の通知が来た。10月15日日曜日、午前9時。3時間の試験。

通信制だけど大学生になって最初の科目の総仕上げだ。実は10月22日に終了期限が切れる。だから15日の試験は背水の陣。それなのにまだ最後のエッセイを書いている最中で、指導の先生から心配メールまで来る始末。

例年なら4月あたりから仕事量が減って楽になるのに、今年はなぜかずっと減らなかった。燃え尽き状態の数年前に思い切って客先を減らして、別に営業もしないから、今入ってくる仕事は生活の糧であり、学費の財源だ。断るのは気が引ける。こんなときに大学の勉強を始めるとはまったく誤算。しかも仕事のためではなく、その先の人生の夢を追っての勉強だ。あと少しで日本で言う還暦。なのにまだ夢を描いている。大学に行ったことのないワタシには、そのチャンスは今しかない。ほんとうに極楽トンボだなあと我ながら嘆息する。

カナダの大学1年生にとっては地獄だといわれる必修の英語科目のひとつだけど、思うように勉強時間が取れなかった割には新鮮でおもしろかった。元々は文学少女。大きな夢というのはカナダの作家・劇作家になることだ。カナダの文学史上に名前を残したい。夜間のカレッジでつまみ食い式に創作の勉強をしてきたから、この科目はそれを系統的にまとめたようなもの。

これまでのエッセイは雲をつかむような議論をぶったり、言いたいことが多すぎて語数をオーバーしたりだったけど、先生はユニークな視点が良いと、期待以上の点をくれた。(カレシは「普通はみんな書くことがなくて苦労するんだけどなあ」と、感心するとも、呆れるともつかないことをいう。)でも、試験ではそうはいかないだろう。読まずに済ませたものをひと通り読まなければならないし、文法の教科書も読んでおかなければならない。何よりも、最後のエッセイを仕上げて提出しなければ埒があかない。

あと3週間。カレンダーに並んでいる仕事の締切、そして締切。宝くじでも当たらないかな。そうしたら、ワタシも引退して勉強に専念できるのに・・・。

宿題が終わった

9月26日。ああ、最後のエッセイがやっとできあがった。

午前2時だけど、朝の集配に間に合うように近くの郵便ポストに投函。最終成績の四分の一を占める大きなものだから、採点如何によって試験の重みが違ってくる。首尾よく80点取れたら、今までのエッセイで累積約50点。これなら試験でちょっとポカをしても及第確実なのだけど、目論み通りうまく行くかどうか。

オーステンの「自負と偏見」。BBC制作のミニシリーズ5時間分のDVDを一気に見て、小説に設定された時間と空間が限られているからこそ、テーマが時代を超えて生きている、という議論をぶち上げた。現代のダーシーとエリザベスのイメージを描いて、とうとうと熱論を振るったのだけど、はてさて・・・

試験まであと2週間半なのに仕事は待ったなし。二足のわらじが擦り切れそう。

行く川の流れは

9月27日。初めて鴨長明の「方丈記」を読んだ(というより教科書に出てきた)のは高校時代。

 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、 かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」

内容そのものはケロリと忘れてしまったが、この冒頭の部分だけはしっかり心に焼きついた。

方丈というのは昔の単位で1丈四方、相当に小さなスペースらしい。長明という人はそんな狭苦しいところに引きこもって、「川はどんどん流れる。泡沫も浮かんではすぐ消える。ああ、世は無常なり」と嘆息してしたわけだ。人生に疲れた人が長い川のほとりに座り込み、目の前の淀みを凝視して、ため息ばかり・・・ひょっとしたら、長明の時代の人たちは世をあげて抑うつ状態だったのだろうかと思う。

でも、ワタシはこの冒頭の一節に「無常」を感じたことがない。川と海の合流点で生まれ育ったワタシは、ゆったりと流れる川のイメージが好きだ。絶えず一方向に流れ続ける川は「時間」や「人生」を象徴しているようにも思う。堰き止めようとしてもやがて滞った水が堰を越えて溢れ、さらに先へと流れて行く。水源に滴り落ちてから海に流れ出るまで、先へ、先へと進む。

海に出た川はまた雨雲となって、水源に滴り落ち、川となって山を下る。そのサイクルはこの地球上から水がなくなるまで、永遠に繰り返される。今目の前を流れる川の水はかってナイル川を下って来たのかもしれない。霧のロンドン橋の下をくぐったのかもしれないし、ナイアガラの滝の落ちたことがあったかもしれない。

時には流れに逆らってみるのも良し、時には悠々と身を任すのも良し、あるいは身を浸して禊をするのも良し。淀みの水も元の水にあらず。やがて茫洋とした大海に出る日を夢見て、川はひたすら前進する。ワタシはそのひたむきなエネルギーが好きだ。

文化の秋

9月29日。秋とともにコンサートや芝居のシーズンが幕を開ける。交響楽団も劇団も、シーズンが終わる翌年の初夏までのプログラムが決まっている。野球やホッケーのシーズンと同じようなものだ。シーズン全体のチケットをまとめて買うと割安だし、座席がいつも同じなのも良い。

昨日は2006/7年シーズンの第1弾、アーツ・クラブ劇団の「Cookin’ at the Cookery」。初期のブルース歌手アルバータ・ハンターの破天荒な生涯をつづったミュージカルレビュー。ブルースの衰退で長年の歌手業をすっぱりとやめ、猛勉強で看護婦に転進すること20年。病院では誰も彼女の前身を知らなかったそうだ。定年を5年も過ぎたと70才で退職させられて憤慨するが、実は年令を偽っていて本当はなんと82歳!その後また歌手に戻って死ぬまで歌い続けたというからすごい。二人の俳優の熱演に終わったときは思わず立ち上がって拍手をしていた。今シーズンは好調な滑り出しといったところだろうか。

このバンクーバー最大の劇団は専属劇場を2つ持っていて、シーズンの出し物は合わせて10作。ライブの芝居の魅力は映画の比ではない。我が家では長年の友達夫婦と行くことも多いので日時も座席も未指定のチケットを14枚買ってある。

シーズンお次はバンクーバー交響楽団の室内楽シリーズ。カレシが選曲がちょうど頃合の良い重さだと気に入っている。ブリティシュコロンビア大学の構内にある超モダンなホールでのコンサートが5回。もう5年ほど最前列の中央の席を確保している。目玉は12月恒例になったヴィヴァルディの「四季」。リーダーによって曲の雰囲気がまったく違ってくるからおもしろい。

10月末にバンクーバー交響楽団の日曜シリーズが始まる。トップレベルのシリーズから5つのコンサートを抜き出した午後のシリーズ。けっこう大物のソロイストが出演する。カレシは選曲がちょっと重すぎるとこぼすけれど、座席を見回せば目立つのは白髪頭。老人ホームなどから団体でいそいそとお出かけして来た人たちだ。

来年6月末までコンサート10回、行きたい芝居はあと5つ。欲張りすぎて今シーズンも忙しい。

書書、然然

9月30日。思いつきでブログを初めて1ヵ月半が経った。カレンダーには抜けている日もあるけれど、けっこうマメに書いているではないかと、とりあえず自分の肩をポンポン・・・。

思ったことを簡潔に書くのは意外と難しい。何か思いついて書き始めたら止まらないのだ。英語でも洪水のごとしなので、日本語だから日ごろたまった思いが溢れて来るというわけでもないらしい。大学のエッセイ(英語)も最初のドラフトはいつも指定の倍以上の長さで、書き直しにとにかく大変な時間がかかる。

この冗舌、なんとかならぬものかと思ってはみるけれど、どうも生まれつきのような気がする。テーマという袋の中からありったけのものをテーブルに並べて、並べ替えたり、不要なものを捨てたりしながら、考えを整理するような思考回路ができているのかもしれない。実際に、取捨選択する過程で自分の考えの焦点が見えてくることが多い。大げさな言い方をすれば、自分と対話をしているようなところもあるのだ。

この作業を英語でやっているときは、カレシが話しかけてきても、ちゃんと会話が成り立つ。ところが、日本語となるとそうは行かないからやっかいだ。

手書きではもうひらかなさえおぼつかないから、日本語はキーボードが頼り。この「打つ」作業が、日本語で書くことが「おっくう」に感じられる根源なのだと思う。キーボードは英語だから当然ローマ字入力でなければならない。ところが、昔は英文タイプ110ワードで電動タイプライターを壊しまくったのに、ローマ字入力ではなぜかやたらとつっかえてしまうのだ。「日本語」と入力するには「に+ほ+ん+ご」ではなくて「N+I+H+O+N+G+O」と打つ。つまり、スペルを意識しながらキーを打って、次に「変換」でずらりと並ぶ漢字を見ているうちに、思考の流れが分断されてイライラして来る。そんなときにカレシが話しかけて来ようものなら、混線した思考回路は火花を散らしてショートしてしまう。

それでも文字に関する限りは、英語も日本語も正常に機能していて、しかもを両方を道具にして生計が成り立っているのだから不思議なものだ。いつかMRIに頭を突っ込んで、自分の脳みそがどうなっているのか見てみたい。