リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年9月~その2

2007年09月30日 | 昔語り(2006~2013)
あなた、作る人、私、食べる人

9月17日。あ~あ、とうとう徹夜しちゃった。ふつうなら3日分に近い量をトータル13時間でやったわけだから、1日で2日働いたってことかな。だったら今日1日は「振り替え休日」・・・というわけには行かないのが玉にキズ。アドレナリンがじゃんじゃん出ている間に押せ押せで行かないとまた徹夜になってしまう。だけども、なぜか切羽詰ってしまうとすごいパワーが出るのが不思議。太古の時代からの生存本能なのかもしれないけど、最後の6時間はトイレにも行かずにひた走りしてしまった。

服を脱ぎ捨ててベッドにもぐりこんだのは午前8時。朝日がキッチンいっぱいに差し込んでまぶしかった。そうだなあ、日の出どころか朝の光を見ることもあまりないもんなあ。少しだけ寝て正午前に起き出したら、サンフランシスコからトライアルに合格したという知らせ。めったに「A」を付けないベテランが「A」を付けてくれたそうな。まあ、英日時代にいやになるほど契約書をやったもので、Legalese(一見難解な弁護士語)はお手のもの。中身が把握できたら、後はあのもって回った文体で書けばいい。それでも、これはめっちゃうれしいニュース。まだ仕事が来たわけじゃないけど、さっそくカレシとハイファイブ!でお祝い。

きのうのカレシは、ブレッドメーカーでパンを焼いて、アイスクリームを作って、パスタソースを作って、と大車輪だったらしい。パスタソースは一緒に入れる野菜の量を減らしたり、外したりして研究に熱心だ。ミートソースにすると特に独特の味わいがあって、すごくおいしいから、私は徹底的にほめまくってしまう。

キッチンで鍋をかき回しているカレシなんて、10年前には想像もつかなかった。だって、結婚してからずっと共働きだったのに、家事はまったく手伝おうとしなかった人なんだから。(ここはパパを見習ったせいだろうけど。)とにかく、「おいしいものを楽しんで食べる」ことには関心が低かったカレシだけど、週末ごとに外食するようになってからは、少しずつレストランをグレードアップして行くうちに、「食」に興味を持ち出したらしい。作戦成功!というわけじゃないけど、人間は年を食うにつれて「色気より食い気」というのが私の信条だから、これは「良い方向へ発展しています」ってことかな。

だけど、カレシは人の指示をあまり聞かないから、そばで手取り足取り教えるってわけには行かない。私も人に手取り足取り教えるのはどうも苦手なたちなので、「レシピ通りに行くと思わない方がいい」というくらいの助言はしたけど、後はカレシにおまかせ。少しくらい危なっかしくても知らんぷり。キッチンからすごい音が聞こえても知らんぷり。とにかく「教えて君」になるまでは耳を塞ぎ、目をつぶっての知らん振り。レシピは目安であって、ニンジン1本でも大きさも違えば味も違うし、調理器具だって、プロ用と家庭用ではパワーが違いすぎて、同じ結果が出ると思ったら大違い。ここは臨機応変に工夫するしかないわけだけど、マニュアル人間的なところがあるカレシはその臨機応変が苦手。おまけに、失敗したらへこむどころかパニックになってしまうことが多い。

それでも、この数年にキッチンがすごいことになったことが何度もあったけど、掛け値なしでおいしい!!といえるものができあがるようになった。そうなると男はますます凝ることになっているらしいし、道具に凝る向きも多いようで、カレシもご多聞に漏れず。メインコースを作る私よりも高級な道具を持っているからすごい。う~ん、仕事に追われていない1日があったら、夕暮れを感じつつカレシが作ったマティニを傾け、カレシが育てた(超オーガニックの)野菜サラダと特製ドレッシング、私のお得意メインコースの後はカレシが作ったアイスクリームかクレムブリュレ。挽き立てのコーヒーの後は、スロージャズを聴きながらゆっくりとアルマニャックのグラスを傾ける・・・な~んてひとときもいいだろうなあ。

渡る世間は・・・

9月18日。急に肌寒くなった。隣町のそんなに遠くないところで真っ白になるほど雹が降ったらしい。そういえば、午後カレシが「雷が鳴ってるよ~」といってきた。へぇ。近ければ、一応はコンピュータをシャットダウンすることも考えるけど、聞こえないよ~。外を見たらけっこう青空が広がっていい天気。不安定なのはやっぱり季節の変わり目なのだろう。

やった、やったという達成感みたいな気分に乗って、そのまま次の仕事にアタック。まあ、よくある職場でのもめごとなんだけど、専門性が何にもないからかえって難しい。どうしてこうも人間関係がこじれるんだろうなあと思いつつ、目を吊り上げた当事者の顔を想像しつつ、「お局さま」になったつもりでやってみるけど、う~ん、やっぱり難しい。難しいんだけど、ちょっぴりのぞき見しているみたいで、ひとり外野席はワイワイ。

それにしても、よくもめるなあ。セクハラでなければパワハラ。でなければ女同士のけんか。読売小町でも頻繁に出てくるテーマだから、ありふれた職場の問題なんだろうけど、いったい何なんだろうなあ。やっぱりバブルの後遺症なんだろうか。根本的に自分に自信を持っていないように見えるし、自分が誰かわかっていないようなところもある。自分が他人みたいになってしまっているのかもしれない。ふ~ん、自分は他人、他人は自分を映す鏡・・・はあ、それでお互いを疑心暗鬼の横目で見てるんかいな。

カレシのコンピュータにまた前と同じ変なウィルスが入り込んだらしい。起動するとへんてこりんなログインのダイアログが出る。セキュリティのアプリケーションを作ったところに電話しても埒があかなくて、どうすればいいんだ!と詰め寄ったら、ヘルプデスクの人が別の会社が作ったアプリケーションを教えてくれたそうだ。「ぼくも使っています」だって。おいおい、昔からある「うちのスタッフは向かいのレストランで食べてます」っていうジョークと同じじゃないの、それ?たとえば、マイクロソフトのヘルプデスクの人が、「マックを使うと良いですよ。ボクも使ってます」というのと同じじゃない?うはは・・・

まあ、おススメのアプリケーションをダウンロードしたらインストールする前にウィルスを検知して、駆除してくれたそうで、あわや・・・のウィルス感染はくしゃみ程度の軽症で済んだようだ。ふぅ・・・

食べる話で元気百倍

9日19日。徹夜ボケというのは2日くらいして後遺症が出てくる。時差ボケと似たようなもので、体内時計が狂うことには変わりがないから、同じことか。そんなわけで今日はちょっとペースを緩めて、野菜の買い出し。

トウモロコシが8本で4ドル。1本60円くらいかな。収穫期もそろそろ終わりだから、4本買って来て今日の夕食にした。スチーマーで蒸すと、茹でるのとはまた味わいがぜんぜん違う。茹でるときは塩を使うけど、蒸すときはトウモロコシそのままの甘さだし、粒々のぱりっとした食感も残っていい。こんなおいしいものを車を走らせるのに使ってしまうなんて、なんとももったいない話だよなあ。

でっかい西洋ナスはムサカの材料。ギリシャ系の食品店でケファロティリというチーズを買ってあるので、料理にちょっと時間をかけられそうな今のうちに作ろう、というわけ。これ、ちょっと塩気のある羊のミルクのチーズで、厚めのスライスに軽く粉をまぶしてオリーブ油で色が付く程度に焼いたものに、レモンをジュッと絞って食べるとすご~くおいしい。

チーズといえば、しばらくチーズショップに行っていないなあ。カレシはスモークしたグーダとか、うんと熟成したチェダー、グロスターといったオランダ、イギリス系が好き。私はブリーとかポールサリュのような柔らかなフランス系のものと、ヤギや羊のミルクで作ったちょっとクセのあるものの両極端が好き。フランスの伝統のあるケベックにはおいしいチーズがけっこうある。クリスマスが近づけば、モッツァレラにバジルの葉とプロシュットを巻き込んだものが出て回る。スライスすると赤とグリーンのクリスマスカラーというわけ。

でも、クリスマスの話はまだちょっと早すぎるなあ。あと2週間半で感謝祭だから、フリーザーに入っている7キロの七面鳥を焼く算段を始めなくちゃ。詰め物の味付けに使うハーブはサイモン&ガーファンクルの歌の通りに「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」。それから松の実と七面鳥のレバー。ふむ、今年は鴨の燻製の脂身をちょっぴり入れてみようか。

来週はそろそろ肉類の買い出しに行かなくちゃ。久しぶりにカスーレを作ろうかなあ。これもちょっと手間がかかるけど、だいぶ前からそのつもりで缶詰めの豆を買ってあるんだし・・・。たまには日本料理的なものも作ってみようかなあと、日本のレシピをググッてみることもあるんだけど、ご飯に添える「おかず」の分量なもので、1品に野菜類を添える我が家の「メインコース」の量がわからなくて、つい「めんどう、やめとこ~」となる・・・食べものの話になると俄然元気が出て来てしまう私なんだけども。

グローバル化は両刃の剣

9月20日。カナダドルがどんどん上がって来たなあと思っているうちに、とうとうアメリカドルと「同じ」になってしまった。10年くらい前にアメリカドル1ドル=カナダドル63セントという底値だったんだから、びっくりする様変わり。何しろカナダはアメリカからたくさんモノを買っているから、1ドルが63セントまで下がってしまうと、物価が上がってしまう。特にあの冬は野菜類の値上がりがすごかった。それがこんどは等価、もしかしたらカナダドルのほうが逆に高くなるかもしれないという。上がったものは下がるし、下がったものはまた上がるのが世の常ではあるけど、カナダは今や世界の「石油大国」で、しかも原油価格はどんどん上がって行く・・・

実は、私が来たばかりの頃はカナダドルの方が高かった。それでカナダ人がどっと国境を越えてアメリカ側でショッピング。国境沿いの町のモールの駐車場にはカナダ人が48時間滞在で免税枠を広げるようとカナダ人がキャンプしていたし、週末ともなるとスーパーの食品が売り切れになったりして、アメリカ人が、カナダ人の「買占め」はけしからんと愚痴っていたものだ。

今はどうか知らないけれど、昔の日本には「北海道価格」というのがあって、海(津軽海峡)を越えて来るというだけでモノの値段が上がった。開拓時代に「内地」の商人に搾取された歴史もあるもんで、北海道独立論に傾倒していた私は、「このやろ~」と憤慨していたけど、カナダでも、西から東へ工業原料を運ぶ鉄道運賃は、東から西へ工業製品を運ぶ運賃よりもずっと安く設定されていたことがあった。同じレールの上を同じ貨車が行ったり来たりしているだけのはずなのに、西部人にとっては傲慢な東部人の横暴・・・。自由貿易協定があっても、アメリカから来るものはアメリカ製でなければ関税がかかるし、マージンが積み上がるってことも計算に入れても、まだカナダ側の値段は高めになっていて、しかも、アメリカドルが安くなってもカナダ側では値段は下がらない・・・

だけど、この調子だともっと気楽にカタログショッピングができるなあ。1ドルが1ドルになれば、アメリカで買った方が安いものがたくさんある。クリスマスショッピングのシーズンにはカナダ人が越境ショッピングにどっと繰り出しそう。30年前は1年に1回しか免税枠を使えなかったけど、今は滞在1回ごとだし、金額もかなり上がっているから、週末ごとにちょこちょこ出かけたらかなり無税で買い物ができる勘定。カナダの人口は国境沿いに集中しているから、アメリカ側のモールはまたもやカナダ人で溢れかえるかも・・・

なんだか得するような気分になるけど、おいおい、ちょっと待て。ひとりぼっちのグローバルビジネスは「輸出」の比率がやけに高い。カナダドル高になって喜ぶのは買う方だけで、売る方には「冬の時代」だ。円安のおかげで円建レートが実質的に「大幅値下げ」になってしまったのに、アメリカドルのレートまでが値下げになってしまうわけだから、あ~あ、がっくり来ちゃうよなあ。レートを上げてくれなんて気安く言えないこの業界、レートの高いところに営業攻勢かけるか、もっと仕事をするか。じゃないとカナダドルでの決算は減益になっちゃうもんなあ。ああ、ヤダぁ~       

持続しない記憶

9月22日。え~と、きのうはまじめに仕事をしました・・・というわけでもなかったけど、まずはメールオーダーで買ったリビングのエンドテーブルをちゃっちゃか組み立てて、その勢いで仕事の方もけっこうはかどった。もっとも、「本日の営業終了」の前にもう10月半ばまで予定が入ってきてしまったから、まだ当面は休めないな~という、ちょっと切迫した気分でもあるけど。

はかどりついでに夕べは久しぶりにムサカを作った。かなり手間はかかるけど、しばらく食べていないと「ああ食べたいなあ」という気分になる料理。カレシはギリシャ風サラダを作った。キャセロールの類はまとまった量を作らないとどうもおいしくできる感じがしないので、けっこうな量になる。それをまたど~んと食べるものだから、寝る前に秤に乗ったカレシは「一気に増えた」と。う~ん、かなりハイカロリーではあるけど、そんなに一気に増えるかなあ。しばらく測ってなかったんじゃない?

その前の夜、カレシが冷蔵庫のドアをきちんと閉めなかったもので、3時間ほどライトが点いたままになって、庫内の温度が15度以上に上がる「事故」があった。下のほうは生鮮品じゃないからいいけれど、問題なのはライトに近いところにあった卵。ケースの端っこの2個はすっかり温かくなっていた。マーカーでバッテンをつけておいたけど、ダメかなあ。では、なぜ冷蔵庫のドアがしまっていなかったか。根本原因の解析をやってみると、カレシはピクルスが好物で冷蔵庫に自作の即席漬けも含めて何本も置いてある。それをドアを開けて最初に目に付いたスペースに置いてしまうのはまあいいとしても、中身を食べ終わったビンまで何気なく、それも大きなものの「指定席」に置いてしまうので、上はすかすか、下はごちゃごちゃ。今回はそこにさらにソーダのビンを入れたから、ドアがつかえてしまった、というわけ。やれやれ・・・

けさはけさで、アラームを解除せずに外へ出て行ってしまう。いつもならドアを開けたところでピィピィと鳴り出すので、慌てて戻ってきて解除するんだけど、なぜかけさは大急ぎで庭へ出てしまったから、いつまでもピィピィピィ。どうやらカラスを追い払うことに夢中になってアラームのことはすっかり失念ということらしい。私が慌てて解除したけど、おいおい、大丈夫かなあ、この人?まさかビッグAの兆候じゃないよねぇ。そういうといつも「オレの健忘症は生まれつきだ」と返ってくる。生まれつき忘れっぽいということだけは忘れていないらしい。だけど、忘れっぽいんだから気をつけなくちゃという方はすぐに忘れちゃうんだなあ・・・

朝から目の覚めるハプニングで勢いづいて、洗濯機を回しながら仕事のマルチタスキング。外はすっかり秋空。西洋の暦には立秋というものがないから、秋は秋分の日の明日から公式に始まる。北方からはもう雪の便り。早いものだ。ひょっとしたら世の中は記憶に留める暇がないほどの猛スピードで動いているのかもしれない。だけど、カレシの忘れっぽさのおかげで私はシャープでいられるということもありそう。だったら、私がいるってことさえ忘れないでくれれば、まあ、いいか・・・ね。

新相対性理論?

9月23日。日曜日。納期を書き込んだカレンダーを見るときは半ば無意識に日付に1を足しているからおかしくなる。夏時間の間、日本標準時は常に16時間先を行っている。日本の人は私より16時間早く年を取るのかな、なんてヘンなことを考えたりするけど、日本へ行くとほぼ1日がどこかに消えてしまうから、なんか寿命が1日縮んでしまったような感じがしないでもない。じゃあ、日付変更線を越えてカナダに来たらその日1日のやり直しみたいなことになるから、その分だけ寿命が延びて、人生のやり直しもできるってことかな・・・?

日本はまた三連休とのことで、1日余分に時間をもらえた飛び入り仕事にかかる。またまたお局さま問題。野次馬性たっぷりで、テレビドラマを見るようで、息抜きをさせてもらって、おまけにお金までもらえるから、いうことなしの仕事。『日本語俗語辞書』というおもしろいサイト(http://zokugo-dict.com/)に行き着いて、「お局さん」の意味も勉強した。それにしても、なのだ。この職場は女性社員の年齢が高いのか、やたらとひともんちゃくが起きる。ああいった、こういった、常識だ、非常識だ、とよくもめる。こんな不可解な問題に遭遇した異文化人はさぞかし目を白黒させているだろう。だって、ビジネススクールで学んだMBAの知識などまったく用をなさない世界なんだから。

ある基準に対して何かを「計る」のはおそらく人間だけだろう。度量衡にはいろいろな単位があって、目に見えるものは何でも定量化できる。定量化して並べれば「比べる」ことだってできて、合理的な取捨選択ができる。世の中でいろいろ便利なんだけど、でもそれは目に見えるモノを定量化しているうちだけ。人間を定量化しようとするとめんどうなことが起きてくる。もちろん、知能指数とかTOEICのスコアのようなものは客観的に使えば何かの役に立つのかもしれない。だけど、自分を「基準」にして他人を計るのは主観的な行為。ものさし上の自分対他人の相対的な位置関係を計ることで、結局は自分の相対的な価値を計っているようなところがある。それはそれでいいんだろうけど、相手によって自分自身の価値がくるくる変わるという欠陥があって、自分はこういう人間だという絶対値を見出せないからやっかいだ。常に相手を計って、それで一喜一憂するのは相手じゃなくて自分自身では疲れてしまわないのだろうか。だいたい人間性を定量化するってこと自体が無理難題なわけで、このお局さんたちもそれに疲れているのかもしれないなあ。ふ~ん、これ、社会心理学の「新相対性理論」・・・ってことはありえない?

忘れちゃっていいの?

9月24日。ちょっとストレスなのかな。カレシとけんかになった。この頃ずっと、会話の中で、どこの誰であっても、女性をさすのに「gal」という言葉を使うのが気になっていた。日本語で「ギャル」といえばキャッピキャピの女の子のことをさすのかもしれないけど、英語のふだんの会話で特に中年以降の女性をさしていうときはいいことなしの、むしろ侮蔑的な響きになる。まさに、カレシのトーンはその侮蔑が丸出しなのだ。

英語教室でいろいろと手助けをしてくれたベトナム人女性のことをやたらと「あのgalが」というから、なんで「woman」じゃだめなのときいたてみた。そこで、カレシは大むくれになって、「オレの言葉を直すな」と切れた。「オレはPC(political correct)は嫌いなんだ。オレは言いたいことを言いたいように言う。」と。おまけに「オレはお前がFワード使うのを嫌でも黙っているのに」と来た。ちょっと待て。私はFワードなんか使わないよ。使ったとしたら、街で見かけたおつむ空っぽJガールが得意になって使ってたって話したときだけでしょ?Fワードを使ってたのはあなたが憧れて美化してやまないニッポンのオンナノコ。あのコ達はそういう英語を覚えに来て、そういう英語を使う連中と付き合ってるの。

そこまで一気に言ったら、カレシはドタドタと足音を立ててベースメントへ降りていってしまった。そうか、やっぱりまだ憧れているんだなあ。若くない女は仕返しをしてやりたいママの化身でしかないのだろうな。いろんな想いがフラッシュバックみたいにどどっと襲いかかってきた。人を貶めないと自分を支えられないのは、やっぱり何も変わっていないってことか。何も変わってないのだ。しばらくバスルームにこもって泣きながら、何度も「もう終わりにする?」と自分に問いかけた。

仕事をしにオフィスへ降りて行ったら、カレシが決まり悪そうに腕を広げて「忘れようよ」と言って来た。またゴミをカーペットの下に掃きこんで見なかったことにするつもり?水に流した方がいいことと、流さずにしっかり向き合ったほうがいいことがあると思うんだけど、カレシはすべて「水に流して、なかったことにして、忘れろ」だ。ニッポンジンか!だけど、カレシはカレシで、私が変えられるもんじゃない・・・

頭が割れそう・・・

9日25日。目が覚めたときからすごい頭痛。若い頃は偏頭痛なんかに悩まされたけど、ここのところ長いこと頭痛といえるものがなかったもから、ああ、これはたまらない。なにしろ、頭蓋骨中がまんべんなくずきずきする。今日は仕事が少し遅れ気味だからスパートをかけなきゃならないのになあ。

カレシは朝からやたらとラブラブ攻勢で来る。それほど警戒心が沸いてこないのは、モラハラ時代のハネムーン期の官能的といえるそうな甘美なやさしさとは本質的に違っているからだろう。あの頃の、私が精神的に消耗し尽くした後のやさしさは、捕らえた獲物をむさぼっているようなところがあったけど、。今のちょっともめた後のやさしさはママに叱られて「ボクのこと捨てないで」とべたべたまとわり付くのに似ている。反省したかといえば、まあ、あまり反省していない。でも、少なくとも「まずかった」という気持はあるから、「ごめんね」の代わりにラブラブで来るわけ。元から感情を言葉で表現するのが苦手な人なことはわかっているけど、ん~、しゃあないなあ。

せっかくのラブラブなんだけど、ガンガンと響く頭痛を抱えていては自在に反応することもままならず、何となくしんねりむっつりのまま。何しろ仕事が行列しているから、少し遅れてしまうとまた徹夜モードになってしまいかねない。だけど、カレシを教室へ送り出してから、いつも「gal」と呼んではばからない人たちに会って、きっとにこにこいい人をやってるんだろうなあ、と想像していたらおかしくて、声を出してひとり笑いしてしまった。

とどのつまりは、子供は親の産物で子は親の鏡。カレシだって両親の日常の姿を見ながら「世渡りの術」を体得して来たということなんで、ほんとに「しゃあないや」と思うしかないな。それに、この頃はパパがボケたというのか、1日中ぼんやりと座っているか眠っているかという状態だそうで、それがかなりショックだったフシもある。男のいわゆる「中年の危機」は父親の老いや死がきっかけで始まることが多いそうだし、前の「危機」が私の父が他界した直後から始まったことを考えたら、今、自分の父親の姿に自分を重ねて、ちょっぴり不安定な心理状態になっても不思議はなさそう。ここんところは、私がファイアウォールをアップグレードして、カレシの「無意識のイジワル」を水際で封じるのが一番なのかもしれない。

どっちにしても、カレシがあんまりいっしょうけんめににラブラブをしかけて来るから、こっちはやっぱりうれしくなってしまう。ふ~ん、「頭がガンガン痛いの~」とちょっと甘ったれてやろうかな。あんがい頭痛も和らぐかもしれないし、そしたらロメオ気取りのカレシも「おれってまだイケてる~」と思ってさらによりをかけるかもしれないし・・・。カレシ、Keep up with good workで、がんばって。(ただし、モテ試しは家でだけだぞぉ。外でやったらどうなるか、わかってるよね!)

痛いの痛いの飛んで行け

9月26日。ドアの向こうに広がる世界も見あきたから、テンプレートを変えて気分一新することにした。

けさ目が覚めてまっさきに感じたのが「あ、頭痛」。目覚めの頭痛って、それだけで1日の天気が下り坂のようで、こんなにいや~なものはない。カレシは私の額に手を当てては、「熱はないよ~」と激励?してくれるけど、納期が目の前に待ったなしで迫っているのに何だか起きたくない気分。でも、「今朝はベーコンアンドエッグだぞ~」というカレシのはしゃいだ声。しゃあない、起きるか・・・

いつも私がベーコンを焼いて、となりでカレシが卵を焼くことになっているので、目玉焼、スクランブル、今日はどっち?と注文取り。たまにはスクランブルもいい、ということになって、残っていたアスパラガスのしっぼの使えるところを少しスライスして混ぜてもらった。スクランブルよりもオムレツに近いけど、それでもトーストにベーコンと一緒に乗せて食べるとおいしい。頭痛はまあ、きのうほどでもないようだ。

仕事の期限まで4時間ほどしかないから、必死になってキーを叩いた。たまの英日、なぜか化学物質の名前がずらずらと何十ページも続くから目がくらくらしてくる。重合体に類似体に異性体に何とか体と・・・いやあ、よくこれだけあるものだと感心する。これがみんな人間にも動物にも地球にもやさしくないのだと思うと、ちょっとぞっとするけど、使えなくなったらどうやってモノを作るのかなとも思ってしまう。それだけ化学物質に依存しているってことなんだけど、習慣というヤツはすぐには変えられないからなあ。

結局は、「少しだけ遅れます」と緊急メールをしておいて、4時間遅れで納品にこぎつけた。もっとも、見積りしたときに「最短で」と修飾しておいたから、納期を逃したってわけでもないけど、地球温暖化、気候変動というのはけっこう忙しい分野なのだ。EUが規制をバンバン打ち出して来るから、それに合わせて仕様だの何やかやとアップデートするものが多くなる。「風が吹けば桶屋が儲かる」の論法で、地球が温暖化すれば翻訳者がてんてこまい・・・儲かるかどうかは別の話だけど。

気がついたら、頭痛はいつのまにかどこかへ行ってしまっていた。デスクの上はまるで竜巻に遭ったような形相で、ジャンクメールも何もかもごっちゃまぜ。送るべき書類はまだ手元にあるし、家の保険の請求書もまだそのまま。サンフランシスコの会議の登録もまだ。締切のことを「deadline(死線)」という意味合いがわかるような気がするなあ。なんて思いつつキッチンへ上がってみたら、カレシがまたパスタソースを作ったという。そういえば、いい匂いがしていたっけ。でき立てのソースで買ってあったラヴィオリを食べた。半分はフリーザーに保存。これで4つ目だ。まだ後1回は作れるだけのトマトがあるそうだから、この冬は何度もホームメードのパスタソースを楽しめそう。いっそ、パスタメーカーを買って、スパゲッティとか作ってみない?ラヴィオリだって試せるし。(食いッ気が二人の赤い糸って、あり?)

秋の味覚

9月27日。雨模様になるといよいよバンクーバーの秋。午後の気温はやっと10度。さむ~。夜の気温がかなり冷えるようになって、木々も急ピッチで色づいて来ている。といっても、派手に紅葉するのは落葉樹の多い東部の方で、針葉樹がほとんどの西部ではせいぜい黄色が中心といったところ。元々針葉樹が中心の北国育ちだから、「日本の秋」のビデオなんかに出てくる「錦織」の紅葉を見たのは、一度だけ、富山から高山へ行く電車の窓からだった。ふ~ん、なるほど、これが「日本」の秋の色か、と思いながらながめていた。

週末に食事に出なかったので、Rodney’sに牡蠣を食べに行くことにした。カレシはプリンタのインクがいるというし、私もコリアンスーパーでへ行ける。カレシが英語教室から帰ってくるのを待って、途中で日本に書類を送るために、市役所の向かいにあるクーリアのオフィスに立ち寄った。市役所職員のストもすでに2ヶ月を過ぎて、雨の季節に入ってしまった。夏の間は歩道脇で日向ぼっこをして、みんなけっこういい色に焼けていたのが、今はテントの中でヒーターを囲んで寒そうにピケを張っている。これからは雨が多くなって、気温も下がるからストは厳しい。もう2ヶ月も給料をもらっていないし、クリスマスショッピングのシーズンもすぐそこまで来ている。ご近所随一の情報通であるおとなりさんの「インサイダー情報」によると、来週いっぱいくらいで妥結するという話。そりゃ、早く妥結したいだろうな。でも、できるのかな・・・?

Rodney’sに入ったのは4時半になっていなかったから、人気一番のカウンターががら空き。牡蠣を開けるコーナーに陣取って、引き潮スペシャル3ダース。プロの手さばきをじっくりと観察できた。使っているのは鋭そうな細身のナイフ。ちょうつがいのある方にナイフを突っ込んでこじ開ける。とにかく早い。平たい方の殻が目の前にどんどん積みあがる。水温が上がる夏の牡蠣はクリーミーになるけど、冬の牡蠣は冷たい水で引き締まって、塩味も強くなるんだそうな。養殖場ではかなり深いところで育てるけど、そうすると夏でも比較的水温が低いし、浅いところに集まるバクテリアや汚染物質を避けることもできるからだそう。うまく開けられるようになるのにどれくらいかかるか聞いたら、「う~ん、20針くらいかな」。ええ、そんなに怪我をしていたら、指がなくなっちゃうんじゃないの・・・?

コリアンスーパーでの買い物は、カレシお気に入りの大根キムチとニッスイの魚のソーセージ、ニラとにんにくの茎、大豆もやし、ブルコギ用の牛肉とタレ、それと冷凍の味噌ラーメン。魚の売り場ではサンマとししゃもが並んでいた。う~ん、オーブンのグリルでサンマ、焼けるかなあ。煙探知器が鳴り出しそうだなあ。警備会社から電話がかかってきたら、何て説明しようか。サンマなんて魚、きいたこともないだろうし、魚を焼いてましたなんていってもわからないだろうなあ。サンマに大根おろしは「ふるさとの味」だ。秋になると釧路川の河口に黄色に塗ったサンマ船が集結。豊漁の年は街中がサンマの匂い。獲れ過ぎの年などはバケツを持って行くとスコップでどさっとくれたそうだ。懐かしいサンマ、思い出に留めておいて、久しぶりにニラ入りのギョーザでも作ってみようっと。

読解?見解?

9年28日。秋晴れのいい天気。カレシは元同僚たちとのランチにでかけた。みんな同じ年代で、みんな引退組。数人がときどき集まってビールを飲みながら近況報告をしている。カレシはめんどうくさがって、というよりも「老人クラブみたいでいやだ」と思っているらしく、理由をつけて欠席するのが常だけど、今日は別。初めは火曜日という提案だったのに、金曜しか空いていないといったら、みんなあっさり「じゃ、金曜日」ということになってしまって、断れなくなったというわけ。職場で仲の良かった人たちなんだし、そうやって声をかけてくれる友だちなんだから大切にしなさいっていうの、ほんとに。なぜかお金を持って歩きたがらないカレシは私から20ドル札を受け取ってしぶしぶおでかけ。でも、けっこうご機嫌で帰ってきた。は!

今月最後の仕事が終わり。科学ものはやっぱりおもしろい図解辞典で魚の解剖図を見ながら、ふむむふ。ところが、漢字の読みがわからないと電子辞書を検索するのに入力できない。この頃はこんなイライラが多くなった。しょうがないから、まずはIMEパッドで読みを調べようと、字画を数えにかかるけど、はて、角を曲がってるヤツは1画?それとも2画?点々はいくつあるのか、虫眼鏡で観察。結局のところ、8画数えたはずなのにないから、7画と9画のも調べる。それでもないから、あれぇと思いつつ、やっと見つけたら何と10画だったということもある。日本語ローマ字化を唱える人もいるそうだけど、う~ん、ローマ字日本語というのもけっこう読みにくいんだよなあ、これが。入力は楽になるだろうけど。

カレシが生徒さんに辞書を活用するように勧めたら、英語のスペルがわからないからできないという返事が返ってきたという。う~ん、わかる、わかる。英語だと音で聞いてスペルを想定できるから、辞書を引くのに困らないけど、漢字が読めないと日本語辞書を引けない。同じ現象なのだ。それにしても、いざとなって漢字の読みがわからないということは、ふだんは読まずに目で見て読解しているってことなのかな。漢字は絵文字だもの、読めなくてもわかっちゃうからおもしろい。まあ、英語だって慣れてしまうといちいちスペルを見なくてもわかっちゃうけど。わかっちゃうもんで、スペルミスがあっても気づかずに正しく読めてしまうから、これもおもしろい。これぞまさに「読解」じゃなくて「見解」。

ずっと前だったけど、短い英文の中に「F 」がいくつあるか、というクイズみたいなのがあった。カレシも私もぱっと見て「4つ!」。だけど、残念、正解は「6つ」。ええ、まさか?と思ったら、前置詞に「F」があった。英語人は単語を文字群として「見て」読解するんだけど、前置詞はそこにあってあたりまえなのか、どうも思考回路にレジスターされないらしい。カレシが英語教室にもって行って生徒さんに数えさせてみたら、みんなちゃんと「6つ」と答えたそうだ。ひとつひとつの単語をスペルを見ながら読んでいるのだろう。だからなのかな、ローカル掲示板で他人のスペルミスが気になってしかたがないって人が多いのは・・・

公正は押しなべて平たくじゃない

9月29日。なんか朝から風が吹いて、嵐っぽい土曜日。やたらと寒くて、やっとこさ10度。木曜日に外食したことだしということで、 今日は引きこもりということにした。カレシが何とか赤くなりそうなトマトをみんなもいできたので、セカンドキッチンのカウンターは緑と赤のトマトがごろごろ。いったい何十個あるんだろう。

今年は、キュウリは種に混じっていたカボチャに圧倒されてしまって、ほんの数個しか育たなかったけど、トマトはすごかった。カレシが育てた葉っぱものの野菜はみんな若葉を摘んでメスクランにしている。このメスクランは南仏が発祥地だというサラダで、最近はスーパーでも売っているけど、葉を摘み取るのに人手がかかるせいか、けっこう高い。だけど、家庭菜園なら手っ取り早い。レタスにほうれん草、タア菜にミズナ。マスタードから果てはビーツの葉まで、7、8センチくらいのうちに摘み取って混ぜるだけ。何日かすればまた葉が出てくるから、水と少しばかり肥料をやっていれば、数株ずつ植えるだけで、夏中いつも採れたてのミックスサラダが食べられて、すごく効率的なのだ。来年は大根やカブの葉も試してみるとか。

9月最後の週末。週明け早々に納期の仕事にかかる。きのうは魚の話だったけど、今度のは民事裁判の訴状だの応答だのざっと50ページ。こういうのは野次馬的にやれておもしろい。何たって北米は訴訟社会なもんで、ええ?というようなことで訴訟が起きるところなのだ。もっとも、弁護士の数も多いから、それだけ弁護士も競争が激しいし、生活がかかっているわけだけど。ワシントンかどこかだったか、女性の判事がお気に入りのコートを台なしにされたと、ドライクリーニング屋に何万ドルというとてつもない賠償請求して話題になった。この判事女史、かなりのイジワルなのか、服代の弁償でいいじゃないかという声をよそに、訴訟を起こした。かわいそうなのはクリーニング屋。零細ビジネスだから、そんなお金はないし、弁護士を雇って戦うこともできない。その後どうなったか知らないけれど、たぶん裁判所は「アホくさ~」と訴えを却下したんじゃないかな。Frivolous litigation(くだらない訴訟)の典型例だろう。

仕事の訴訟はもう少し切実な話だ。中立の裁判所で決めてもらうのが一番ということもたくさんあるのだ。どこぞの国みたいに、言い分を聞くでもなく被害者に「おまえにも悪いところがある」と喧嘩両成敗の原則を振りかざしていたら、倫理は地に落ちる。人を傷つけておいて、「おまえも悪い」と、他人を踏みつけたまま逃げられる。双方の言い分は水洗トイレにジャーッと流し、モラルに反することをした方がやり逃げで勝ち、傷ついた方は腹ふくるる思いを抱えたまま黙るしかない。

喧嘩両成敗を考え出したのは徳川幕府だったっけ。問題解決能力のなさを棚に上げて、有無を言わせず両方とも処分してしまえなんて、なんともいい加減。どうりで「公正な大岡裁き」が伝説になっちゃうはずだ。喧嘩両成敗は正義じゃない。でもまあ、ソープボックスは横においといて、仕事のピッチを上げなくちゃ・・・

冬の駆け足、早すぎ

9月30日。また雨模様で暗いもんだから、正午過ぎまで寝てしまった。そろそろフランネルのシーツに替える時期だと思いつつ、まだ夏のシーツと薄い毛布1枚に毛糸のアフガン1枚。暑がりのカレシはシャツ抜き、私もスリーブレスのナイトガウン。だいたいはシーツをフランネルのに、毛布をウールのに取り替えるだけで、冬中も同じいでたちで寝ている。就寝時間の温度設定は20度だからこれで十分。自動暖房さまさまだ。

カレシが小学校の頃に先生が教室のサーモスタットを華氏68度にセットして、これが一番健康な室温ですといっていたけど、あれは寒かったなあ、という話を始めた。華氏68度は摂氏20度。寒くなんかないじゃない。日本では昭和27、8年。セントラルヒーティングという言葉が存在したかどうかもあやしい。私が小学校の頃は各教室に石炭ストーブがあって、当番の子が石炭をくべていた。でも、古い木造校舎だから、暖かなのはストーブの周囲だけ。ぐんとマイナス何度に冷え込んだ日はストーブから遠い席の子供たちが授業中に交代でストーブの周りに集まって暖を取った。あまりの寒さに教室でオーバーを着て手袋をしていたこともあった。私がセントラルヒーティングのある校舎で過ごしたのは新校舎に移った高校卒業直前の三学期だけ。カレシはまさか~みたいなことを言うけれど、私が育った北海道はそうだったの。

もっともバンクーバーのあたりで住宅のセントラルヒーティングが普及したのは戦後になってだったらしい。それまではキッチンの調理用ストーブが暖房を兼ねていたようだ。(こっちでは「ストーブ」というと調理用のレンジのことを言っている。)建て替え前の我が家は1946年に建てられたものだったけど、石油を使った温水暖房だった。地下室に巨大なボイラーがあって、何とも時代がかった蛇腹のヒーターが各部屋の窓の下にあった。金色のペンキを塗って、なんだかレトロ調でロマンチック!と喜んでいたけれど、その頃にはほとんどの家が天然ガスの温風暖房だったから、未亡人だった前の持ち主は取替えの資金がなかったのだろう。石油が高くなっていたし、家には断熱材が入っていなかったから、冬ごとの暖房費がすごかった。それでいてあんまり暖かくなかったんだから踏んだりけったり。超断熱の新居に建て替えて、放射熱式の電気暖房にしたら、1平方フィートあたりの暖房費が6分の1以下。しかも家中どこへ行ってもほわ~んと暖かくて、二人とも大感激したものだ。

午後3時で外の温度計の針は10度に届いていない。地球温暖化なんてどこの話なんだろうなあ。平年の最高気温は17度だというから、寒すぎるなあ(といいながら、家の中では相も変わらず半袖なんだけど)。うん、今日はギョーザにたっぷりとにんにくを入れて中からぽかぽかに温めてやろうっと。


2007年9月~その1

2007年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
昔と今・・・

9月1日。今日から9月。夏休み最後の三連休の初日でもある。別に関係はないけども、何となく改まった気分で、さあ、仕事にかかろうかと思ってしまう。ま、今日はまずトライアルを済ませなくちゃ。

市役所ストは7週目。新聞の調査によると、最初は組合の肩を持つ市民が多かったのが、今では激減したそうだ。あたりまえだよなあ。賃上げの方は雇用者側の提案で不足はないが、委託などでポジションがなくなってもレイオフはしないという一文を入れろといっているらしい。要するに、仕事はなくても雇って給料を払えということだけど、委託でポジションがなくなれば組合員が減る、組合員が減ると組合費の収入も減る。組合にとってはそっちの方が困るのだ。もちろん、市役所は冗談じゃないと突っぱねる。彼らの給料を払う市民だって冗談じゃない、いい加減しろという気持になる。

カレシはかって市役所職員だったから内部の「風土」みたいなものを良く知っている。きっかけは高校時代の夏休みのアルバイトだったそうで、そのままドロップアウトしようと考えたのが上司に卒業して来いといわれて学校に戻り、翌年卒業して正式に就職した。仕事は測量の助手みたいなものだったそうだけど、そんなに毎日測量する道路や歩道があるわけではない。雨の多い冬は事務所で仲間たちとポーカー三昧。晴れた夏の日は上司が「今日は遊んどれ」とテニスコートに置いてけぼりでテニス三昧。退屈してデスクワークの仕事に移動したら上司に「テニスできなくなってもいいのか」といわれ、デスクワークも単純だったので、大学へ行こうと決めて辞めたら「どうして大学なんか行きたいのか」といわれたそうだ。まあ、当時はまだ大学卒よりも「たたき上げ」の方が尊重されていた時代だったらしいけど、「英国病」的な職場なのだ。

9月7日はバンクーバーでアジア人排斥の暴動が起こってちょうど100年になるそうだ。まだ小都市に過ぎなかったバンクーバーで、9千人もの白人市民が市役所にデモをかけ、アジア人移民阻止の集会を開き、その一部が暴徒と化して中華街や日本町を襲撃したという。集会には労働組合の有力者や政治家も参加していた。労働組合の指導者は「アジア人に職場を奪われる」と煽り、政治家や聖職者は当時の大英帝国の優越感丸出しで差別を煽った。それが1907年のカナダ、百年前の世界だった。だけど、ここで「白人は人種差別者」と決め付ける前に、1923年の大震災直後の日本で何が起きたかを考えてみるといいだろう。驕れる者は内心で常にしっぺ返しに恐れ戦いているから、どんなきっかけも攻撃の口実にするということを。

来週は暴動から百周年を記念する集まりがあるそうだけど、「You’ve come a long way, Vancouver」と多民族都市バンクーバーへの百年の歩み祝うものになるらしい。一世紀を経て、メトロバンクーバーでは人口の5人に2人がアジア系。異人種カップルの割合は100組に7組とカナダ全国平均の二倍以上だし、異人種婚を容認する人の割合は95%にもなっているという。差別した方も、差別された方も、共に世代を重ねながら100年かけてここまで来たのだ。だからこそ、何百年経とうが変わりそうにない島国の単一民族国家の驕り高ぶりを多民族都市バンクーバーに持ち込まないでほしい。

ついでにスポーツニュース

9月1日。これ、スポーツニュースの写真、それともメンズ何とか?MSN-Mainichi Daily NewsのPhotojournal(http://mdn.mainichi-msn.co.jp/photospecials/graph/photojournal/index.html)に載っていた世界陸上のひとコマ。

キャプションには「女子1500メートル」とあるけど、何だ、これ?走っている選手たちの後姿を撮ったもの。それも下半身だけ写したものじゃないか。カメラマンの私的な視線だとしたら、品格と良識のある新聞は採用しないと思うけどなあ。これが「男子1500メートル」だったら、こんな構図を思いついただろうか。

女子選手の後姿にコーフンしちゃったのかな。それとも、日本人男の女性を見る目線はここまで低くなったということ?

ふ~ん、どうりで分別盛りのいい年をして、スカートの中を盗撮したり、女子高生を買ったりして人生を棒に振るアホが多いはずだよなあ。このオヤジ、いったい何を考えてたんだろうといつも思ってたけど。大人の理性も相手の人格尊重もきっと教えられていないんだろうなあ。どんなに尊敬される職業であろうと、高い偏差値が要求される専門職であろうと、理性や自制心が発達していないことではみ~んな5才児と同じ。じゃあ、30になっても幼児的な「かわいさ」を追求する女は何なんだろう?う~ん、もうようわからんわ・・・

長けりゃ良いってものじゃないし

9月2日。今朝は目を覚ましてあわててエアコンを止めた。晴天だと起き出す頃には日が高くなってベッドルームのある最上階は温度が上昇するから、天気予報を見て寝るときにオンのタイマーをセットする。でも、今頃の時期になると賭けみたいなもので、起きたらエアコンの設定温度より低くなっていたりするからやっかい。へたをするとエアコンと暖房が同時に入りかねない。もう文句なしに夏と秋の過渡期なんだなあ。んっとに時間の足は韋駄天すぎるのが難・・・

久々に大洗濯。この方面は徹底して悪妻モード。全自動とは言っても、やっぱり仕事にがっちりつかまってしまうと、ちょっとトイレのついでになんてのもめんどうになるから、カレシが下着がなくなるよ~と騒ぎ出すまでお預け。そのために下着なんかひと山どさっと買い込んであるわけだけど・・・

トライアル、ひとつ完了。契約文書だから、高給取りの弁護士になったつもりでやるとけっこうおもしろい。これは無賃仕事だけど、サンフランシスコへ遊びに行く口実になるかも・・・なんて、いらぬタヌキの皮算用をしながら、特に念を入れて、ゆっくりやった。契約文書は何語でもややこしい。昔、ニューヨークの有力な弁護士事務所が作ったらしい、巨額投資の契約書を和訳していたら、「ピリオドはどこだ?」という場面に出くわした。コンマやセミコロンはあるけど、どこまで行ってもセンテンスの終わりを示す「ピリオド」がない。どうなってるんだ~とページをめくって見たら、ひとつのセンテンスが、なんと延々2ページ半も続いていたのだった。ギネスブックに載せても良さそうなくらいの超長文だったけど、そのまま翻訳したところで思考は迷子になるし、脳の配線はショートする。しょうがないから、えいやっといくつもの短文に切り分けて危機を脱した。いやあ、参った、参った。悪文もあそこまで行ったら芸の域だよなあ。

ハムレットで「簡潔は機知の精髄」と書いたのはイギリスのシェークスピアだったけど、弁護士嫌いだったディケンズが活躍していた頃のイギリスでは、弁護士報酬の基準は書類の「ページ数」だったとか。つまり、だらだらと長い文章を書けば書くほど儲かったというわけ。私だって、仕上がりの語数を請求基準になっているところがほとんどだから、訳文がだらだらと長いほど儲かるはずだけど、まあ、そこはやっぱりプロのプライドみたいなものがあるし、簡潔に書いて「機知に富んでいる」と思われた方が気分がいいからなあ。

でも、ブログに書いてるこの日本語、ちっとも簡潔じゃないなあ・・・

バラにはとげがあるのだ

9月3日。ダウンタウンに出るたびに買い込んでくるDVDがけっこううず高く積み上がってしまった。シュリンクラップを破ったけど結局まだ見ていないもの、封さえ切っていないものを合わせて20枚近くある。そんなわけで、きのうは「どれか見る?」という話になって、仕事の予定がきつくなるのを承知しいしい座ってしまった。

見たのはかれこれ20年くらい前の『The War of the Roses』という映画。「ばら戦争」というのはもちろん15世紀のイギリスであったランカスター家とヨーク家の血みどろの王位争いのことだけど、映画は時代劇とは関係がない。20世紀のローズ夫妻の文字通り血みどろの離婚戦争を描いたブラックコメディだ。

ストーリーはダニー・デヴィートが演じる弁護士が離婚の相談に来た依頼人に聞かせる話として展開する。冒頭のオリバーとバーバラの出会いのシーンからして予言的だ。学生同志の二人がオークションでたかが数十ドルの東洋の置物を競り合う。やがて結婚した二人。オリバーはやり手の弁護士になり、バーバラは豪邸で料理やインテリアに精を出す。高級な家具や、豪華なクリスタルや置物のコレクションに囲まれて、まさにセレブの暮らしを絵に描いたようなシーンが続く。

その二人が離婚することになって、財産の分割をめぐってばら戦争が繰り広げられる。バーバラは「私が見つけた家だから」と要求した豪邸は、かって車で通りかかって欲しくなり、速攻で売ってもらおうとしたら、ちょうど所有者の葬式だったという伏線がついている。家を巡っての神経戦はだんだんエスカレートして、しまいにスリラーじみた展開になり、最後には二人とも巨大なシャンデリアと一緒に墜落して死んでしまう。そこで、弁護士は依頼人に言う。「気前よく何でもやってきれいさっぱりと別れるか、でなければ家に帰って昔彼女に恋したときの何かを思い出して、それを手がかりにやり直せ」と。

これは男と女の戦いなんてものじゃなくて、まさに所有欲のぶつかりあいだ。この二人、本当に愛し合ったことがあったのかしらんと思ってしまう。オリバーは最後まで愛しているらしく見えるんだけど、バーバラが仕事を始めると言いだしたときの反応や、ドアや窓に板を打ち付けてバーバラを閉じ込めてしまうところを見ると、どうも所有欲に近い愛のようにも思える。うん、このバラ、いたって鋭いトゲがたくさんある。

離婚話になるたびに、カレシは「オレは手に入るものは全部もらうからな」と言った。私の方が収入が多かったから「扶養料ももらう」とまで言った。きっと、家だって「オレの庭と温室があるからオレのものだ」と主張したかもしれないな。さて、私はどうしただろう。この家は私が設計して、設計図も自分で書き上げて、工務店に建ててもらったものだ。でも、たぶん、そっくりカレシに上げたと思う。なぜなら、文字通り私の「作品」なわけで、家の隅々まで私の手がかかっているから、カレシは「思い出」の中で暮らさなければならなくなる。オンナノコが後釜に来てくれたとしても、「前妻の残したものなんかいや」とくどかれるだろう。そういわれるとカレシはよけいに「オレのもの」にこだわる。前妻の亡霊を追い払いたい現妻との間に戦争が勃発して、私はそれを「Revenge is sweet」と笑って高みの見物という展開。バラはみんなとげがあるんだもん。私にだってこわ~いイジワル心があるのだ、ウフフ・・・

ひとつになりたいの

9月4日。ほら、やっぱり。映画なんか見てしまうから、予定がきちきちになってしまったじゃないか。水曜日の午後が納期だというのに、まだ4千文字以上あるぞ。しらない、しらない、もう。

どうしてかわからないけどやたらと仕事が多い。営業みたいな機能は苦手だと思って、まじめに営業などやったことがないから、本当にどうしてかわからない。頼みもしないのに次々入ってくるから困るのだ。誰に愚痴ってみたところで、同情してくれるどころか、今どきの日本語で言う「ドン引きされる」のが関の山かな。何か損な状況だなあという気もしないではないけど、損だなあと自分で思ったらおしまい。しょうがないから、ブログという穴を掘って、「おうさまのみみはろばのみみぃ~」と吐き出してたら、じゃ、次行こう・・・

長くおつきあいして来た日本の客先に同僚を紹介しようかと思っているといったら、カレシは猛反対。いくら友だちだからって長い間築いてきたものをただでくれてやるのは狂気の沙汰、下請の形でやらせろと。だけど、私はエージェント稼業は不向きだし、友だちの上がりを掠めるようなことはしないし、それに英日はもうあまり興味がわかないの。お客の方だって円安で予算がきついのだ。いくら15年据え置いたレートとはいっても、価格破壊の日本ではすごく高いんだろうと察しは付く。私の方は本来の得意分野での契約の話が続けて来ているから、いい機会だ思うんだけどなあ。ふ~ん、これもカレシの「オレのもの」思考なのかしらん。でも、これは私のビジネスの話なんだけど・・・

とうとう頭にきて言っちゃったもんだ。私は友達から見返りなんか期待しないの。友だちの役に立てるならそれでいいの。そりゃあ、動機が何であれ私を潰そうとした人間はどうなったって知るもんかと思う。困っていても手を貸そうという気など起こらないと思う。勝手にしろと思う。だけど、信頼する友だちはとことんまで友だち。「他人のことなどどうなろうと知ったことか」なんて人間は私じゃない。私の親は私をそんな人間に育てなかったんだから。It‘s not me!と。

もっとも、私としては言語思考の流れをひとつの方向に統一したいという気持もある。その方が老いて行く脳みそには楽でいいと思う。すごくモノリンガルになりたいという気がしてならない。どんなに日本語を書く能力だけは維持したいという気持を持っていても、こんなブログでひっそりと愚痴を吐き出していれば十分という誘惑には抗し難いものがあるのも事実。ある意味、自分という人間を統一したいという気持があるのかもしれない。ふむ、これはもっと深く考えてみなくちゃ・・・

だけど今は石頭のカレシにも、分裂気味の自分にもかまってるヒマはない。腕をまくり直して、仕事をして、生活しなきゃ。だけどなあ・・・

蓼食う虫は乱視

9月5日。間に合った、納入期限1分前に送信ボタンをクリック!やれやれ、最近でこれが一番ぎりぎりだったなあ。どうしてこんなに詰まっちゃったんだろう、ほんと。ま、無事納品して、請求書も送って、一件落着だから、細かいことはどうでもいいけど、これくらいに時限爆弾を抱えたみたいな状況になると、よけいなこ思考にかかわりあっているヒマがない。ちょっと隙間ができれば懸念邪念雑念の洪水になる私にとってはちょうどいい「リセット」タイムなのかも知れないな。だからといって、邪念を払うために仕事をぎりぎりまで引伸ばすわけにもいかないんだけど・・・

小町を見たら、まだ大学生なのに「人を愛するって疲れる」というお嬢さんがいた。おいおいおい、ちょっと待ってよ。まだ20歳前後なんでしょ?その若さで、疲れるのがいや、振られて傷つくのもいやで、自分の容姿にも自信がないからって、「人を好きにならないようにしています」なんてありえる?ふむ、今どき風の若者はやたらと未熟で幼稚な半面、妙に年寄りじみたところもあるんだなあ。まだそれほど人生を経験していないだろうに、いや、していないからこそ、単純に「ON or OFF」で操縦できるのかもしれない。

「そういう男だとわかっていたんでしょう」   いいえ、愛してしまったらあばたもえくぼで、「そういう男」だなんて見えなくなるし、それに見たくもなくなるものなの。

「そういう男と結婚したのはあなたでしょう」   いいえ、私が結婚したのは私が心から愛した人であって、ただの「そういう男」じゃない。世界にたった一人の「この人」なの。

「私なら即刻別れます」   いいえ、それができたら、これほど傷ついて、悶々と苦しんでのた打ち回って、生きる気力が尽きるほど自分を消耗させてないの。愛するって、なんだか超強力接着剤みたいなもんで、手先が狂って貼るところがずれたからって、ぺリッと引っ剥がしてはり直すなんてできないないからなあ。

「人を愛するって疲れる」なんてせりふは、誰かを自分の全身全霊で前後不覚に愛して、何があってもその愛を消滅させることができなくて、傷つきながら、苦しみながら、果てはマゾな自分を呪いながら生きて来て、それで初めていえるもんじゃないか思うんだけど、違うのかなあ・・・

ひとつだけ私に言えるのは、それは、愛すると「強度の乱視」になってしまうってこと。う~ん、生まれつき「正常眼」で育った人には、乱視の世界は説明したって理解できないだろうけど・・・

台風9号?10号?

9月6日。9月になって一応秋のはずなんだけど、ここへ来て何だか要エアコンの夏っぽい天気が続いている。庭のトマトはどんどん熟れてきて、さすがのカレシもてんてこまい。毎日トマトのサラダが続いているけど、すごく甘みがあっておいしい。採れたてだし、第一に何百キロを旅してくる大手スーパーのとは種類が違う。でも、だんだん食べきれない数になってきたから、今日あたりパスタソースを作るんだって。

東京は台風通貨中。日本では今でも番号で呼ぶけれど、世界的にはこの台風の名前は「Fitow」なのだ。ミクロネシアはヤップ島の香りの高いきれいな花の名前なんだそうな。暴れん坊の台風にそんなすてきな名前をつけてもいいのかなと思うけど、アジア太平洋諸国が出し合った160いくつの名前のリストを見ていると、植物や動物、宝石、伝説の人物や、はては食べ物まであって、なかなかおもしろい。どの国もそれぞれに誇りに思うものの名前を挙げたらしいのに、日本政府が出したのは星座の名前。それも日本人がほとんど知らないようなのが多い。クジラ、ヤギ、ウサギ、テンビン、カジキ・・・。どうして日本文化の代表と常日頃誇りにしてやまない「サクラ」、「フジ」、「ウメ」はダメなの?大災害をもたらす台風の名前だから?それとも、「我が国は従来通り我が国独自の制度で行くのでどーでもいいです」なの?どう見たって想像力不足とは思えないから、失望のきわみもいいところ。まあ、こっちまで台風は来ないからそれはいいとして、アメリカのNOAA(海洋大気局)のサイトには世界中の熱帯性サイクロンの名前リストが載っていて、一見の価値あり。

道産子の私にとっては台風はいつも「どっかよその土地のこと」だったけど、台風が通過したらしいと思う記憶がひとつだけある。たぶん中学生になった年だったのではないかと思う。夜通しの嵐の後、朝起きてみて家中がやけに薄暗いと思ったら、なんと窓という窓に塩がびっしりこびりついていた。当時の我が家は裏の芋畑の先は崖で、その先はもう太平洋というところにあった。これまた太平洋を見渡す崖の上にある学校へ行ってみたら、やはりどの窓も塩でまっ白。全校行事で窓掃除があったように思う。まあ、あの嵐がほんとうに台風だったかどうかはわからないんだけど・・・。

さて、次の台風10号は「Danas」になりそう。「体験する」という意味だそうで、出所はフィリピン。もっとも、日本は自国の領域に影響する台風しか数えないらしく、今頃は東北地方目指して北進中の「台風9号」は、一歩日本国外に出ると今年「10番目」のTyphoonということになる。つまり、今年11番目の「Danas」が日本近海に接近すれば、日本の天気予報で「台風第10号」と呼ばれるわけで、まったくもってややこしい。こういうところこそもうちょっと「国際化し」て欲しいもんだけど・・・

Typhoon Lyra?

9月7日。台風9号は自転車並みのスピードだったとか。青森ではまたリンゴが落ちてしまったのかしら。フロリダで寒波が来てオレンジが凍ってしまうようなもので、もったいないなあ。日本列島はちょうど収穫期に台風の通路になるから困ったもんだけど、マザーネイチャーは「乙女心と秋の空」みたいなところがあるからね。どうして今年10番目の台風が日本では「9号」なのか不思議だったけど、ちょっと調べたら謎が解けた。

北西太平洋の熱帯性低気圧を「台風」と認定するのは日本の気象庁。一方で、アメリカ海軍と空軍は合同台風警報センター(JTWC)というのを持っていて、熱帯性低気圧に番号を振って予報を出しているけれど、「台風」という用語は使わない。数が食い違ってくるのは、この両者の認定基準が違うためなのだ。つまり、今年発生した熱帯性低気圧の数は、気象庁の認定基準では9個だけど、JTWCの基準では10個になる。でも、英語メディアはどっちの情報でも台風にしてしまうから、ややこしいことになってしまうわけ。

洞爺丸台風があったのは1954年。日本ではすでに番号制になっていて、あれは15号台風だったけど、国際的にはまだ女性名を使っていて、Maryという名が付いていた。青函連絡船「洞爺丸」が転覆沈没して1200人近い人が死んだから、通称が「洞爺丸台風」になった。高校を出たばかりの年にやっていたNHKの朝の連続ドラマが鉄道員一家を描いた「旅路」。終盤あたりでたまたま会社を辞めて、毎朝見ていたら、洞爺丸のエピソードがあった。あの台風は時速100キロという超スピードだったのが、津軽海峡あたりで急に減速したために船長が判断を誤ったのではないかという話だ。

バンクーバー市役所のストは今日で50日目。そろそろ市民の堪忍袋の緒も切れ始めたようだ。夜陰にまぎれて道路わきにゴミを捨てて行く不届きな輩が増えてきた。今朝は我が家の外の歩道にもゴミ袋があったので、カレシは向かいのゴルフ場に捨てに行った。ちなみにゴルフ場は市営だから、ただいま職員ストで休業中。おまけに街灯が消えていて、修理をする人もスト中なもんで、我が家の前の道路は一寸先は闇の真っ暗。だから、初めっからゴルフ場の方に捨ててくれればいいんだけどなあ・・・

交渉行き詰まりの焦点になっている雇用確保の問題にはオリンピックが絡んでいるそうだ。大会前後は市のスポーツ施設のかなりがオリンピック委員会に収用されるらしいけれど、管理や整備担当の職員も一緒に出向するかどうかわからないし、悪くすればレイオフされるかもしれない。雇用を保証して欲しい、というわけだけど、市にしてみれば、オリンピック委員会の意向がわからないんだから交渉のしようがないということらしい。オリンピック実行委員会はとにかく態度がでか過ぎて気に入らないけど、こんなところにまでとばっちりを食らっているとなると、ますます頭にくる。改めて、オリンピックはんた~い!

まあ、鼻息荒げてないで仕事に取っ組まないと、どんどん積みあがる山を崩すどころか潰れてしまいそう。でも、何となく昔懐かしい「テトリス」をやっているような気分だなあ・・・

女の深情けは怖いのだ

9月8日。暖かな土曜日。日本を縦断した台風のおこぼれなのか、ダウンタウンは風が強かった。二人のパスポート写真を撮ってもらって、お気に入りのBacchusでディナー。ラウンジとの境、ピアノのそばのテーブルを指定してあった。あまり人気のあるテーブルではないそうだけど、私たちには特等席。ワインを傾けながら、食事をしながら、ピアニストとおしゃべりができるのが楽しい。

今日は少し若い目の人だったので、カレシが好きなビリーストレイホーンはあまり知らないようだったけど、何気なく引き始めた「黒いオルフェ」のテーマが良かった。映画も名作だけど、ルイスボンファの曲も傑作だ。タイトルの通り、ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディケの悲恋が下敷きになっている。

ギリシャ神話では、最愛のエウリディケを失ったオルフェウスがエウリディケを返してもらおうと黄泉の国に降りて行く。とき遅し、最愛の人は黄泉の国の食べ物を口にしてしまった。だけど、オルフェウスのたっての願いとあって、黄泉の国を掌るハデスは地上に出るまで後ろを振り向かないという条件で、エウリディケを連れて帰ることを許す。愛は何よりも強し・・・というところなんだけど、もうあと少しのところで、エウリディケがついて来ているかどうか疑心暗鬼に取り付かれたオルフェウスはつい後ろを振り向いてしまい、最愛の人は永遠に黄泉の国に引き戻されてしまう。愛よりも強いものがあるということか。

何となく見捨てられ不安みたいな猜疑心で衝動的にエウリディケを犠牲にしてしまうオルフェウスの愛に比べたら、メディアの愛はまさに女の深情け。夫イアソンに裏切られたとき、イアソンとの間の息子も、将来イアソンの子を産むはずの若妻も、その父親も殺してしまうけど、イアソンだけは文字通りすっからかんにして放り出してしまう。オルフェウスはエウリディケが本当に「自分のもの」なのかどうか疑いを持つけれど、男としての未来を封じられたイアソンは永久にメディアのものになったも同然。このあたりが男の愛と女の愛の違いなのかもしれない。

片っ端から人を利用して英雄になったのにそれを自分の力量だと思い上がった勘違い男イアソンの話を、カレシがまじめに聞いていたからおかしくなった。思い当たるのは2日ほど前の年金の話だ。来年はカレシが国の年金を受給できる年なので、早めに申請して65才になってすぐに受給できるようにしておかないと、今は組合の年金がカバーしているつなぎの分がなくなってしまう。でも、カレシはすぐに申請しないで70才まで繰り延べするつもりだという。そうするともらえる金額が増えるんだそうな。それはそれでいいんだけど、「別に金に困ってないし」のひと言に、おいおい。

つなぎの分をカットされたたら家計は年間100万円くらいの減収になる。カレシはお金に困っていないかもしれないけど、その100万円は誰が穴埋めするの?今やっと心身ともに自由になって自分の稼ぎをエンジョイできるようになったのに、また仕事漬けになった挙句に「かまってくれなかった」なんていわれるのはごめんだからね。だけど・・・だけど、ちょっと待てよ。角度を変えて考えてみると、組合年金だけでは自分ひとりでも暮らせない。養って欲しい今どきのオンナノコにとって稼ぎのない年寄り男は自分の将来が不安で、いくらカナディアンでも魅力はないだろうから、私が放り出せばカレシはすっからかん。つまり、カレシは私のものってわけなんだ。私を囲い込もうとしたカレシが自分から「囲いもの」になるって、なんかすごい皮肉だけど、専業主夫になってもらうのも悪くないかなあ・・・

イアソンとメディアの話を神妙に聞いていたカレシ、結論はいったいどっちに転ぶのかな。

子供の情景

9月9日。今日は9月の9日。重陽の節句なんだそうな。節句というのは暦の上での区切りだから、夏が一服して、ちょっと秋の気配がして来るとか、そんな意味なのかな。陰陽では奇数は陽なんだそうだ。9という陽の数字が二つ並ぶから重陽の節句。偶数の方が陽だと思っていたけど、違うんだ・・・

菊の節句ともいうけど、子供の頃に住んでいたところでは菊は8月に小さな花を咲かせていたような気がする。夏は毎日のように塩気を含んだ霧がかかるもので、庭の草木はみんな下の方が茶色く枯れていた。別の土地へ行って、地面までずうっと緑色の植物を見てびっくりしたものだ。生まれて初めて水田に生えている稲を見たのもその頃だったかな。

だいたい、節分だって厳寒の最中。弥生3月桃の節句なんていっても、まだつぼみすら見当たらない冬。桜も梅もゴールデンウィークを過ぎてしまってからだったし、子供の頃は5月のそのゴールデンウィークによく雪が降った。幼稚園の出席表で今でもなぜか覚えているのが6月のページ。しとしとと降る雨に濡れるアジサイの葉をカタツムリが這っている絵が描いてあった。なにしろ、梅雨などというのは無縁だったし、カタツムリなんか見たこともなかったから、ある意味で異国の風景のような印象が残ったのかもしれない。小学校の社会科の教科書だって、農村の風景や山村の風景の挿絵は、北海道の最果てで育つ子供にはめずらしくさえあった。

私が育った風景にあったのは、囲炉裏ではなく石炭ストーブ(古いのはルンペンストーブと呼んでいた)。石炭は馬車で配達に来ていた。煙突の途中に大きな湯沸しがあって、熱いお湯がいつもたっぷり。でも、冬中何回かの煙突掃除はどこの家でも父親の大仕事だった。ストーブといえば、夕飯のおかずに食べた宗八(カレイ)の骨をよくストーブの上でこんがり焼いて食べた。骨せんべいと呼んでたけど、あれは育ち盛りの子供にカルシウムを摂らせようという両親の知恵だったらしい。そうそう、毛糸の長靴下を履いていて、それでも足にしもやけができたっけ。お正月のみかんも箱の中でよく凍ったらしい。

こんなところが私の記憶の中にある「日本」の原風景のひとつなんだけど、あれは高度成長期よりももっと前の、まだ後進国の方に近くて、NHKのテレビも見られなかった頃の話。半世紀経った今では、北海道にだってさすがにこんな風景はありえないだろうなあ。今では日本が隅々まで標準化して、日本全国どこへ行っても「日本の風景」なんだろうか。まあ、あたりまえだといわれればあたりまえなんだろうけど、やっぱり何となくピンと来ないなあ・・・

旅の空もようは

9月10日。何だかそんな気がしなかったんだけど、カレンダーを見てみたら今日は月曜日。昨日(つまりは今日?)はカレシの10代の頃の音楽の話を聞きながら、お気に入りのシングルモルトのスコッチを2杯(ひょっとしたら3杯?)。ベッドに入ったのは午前5時に近かった。ちょっと酔った勢いでカレシにちょっかいを出していたような。あはは、それも愉快。思い出せたらもっと愉快なんだけど・・・

久しぶりに退屈で退屈でしょうがないプロジェクトから解放されて、まあ、相も変わらずスケジュールは満杯なんだけど、人事につながる仕事はまるでメロドラマを見ているようでおもしろい。もちろん、当事者たちは全然楽しくも何でもないだろうけど、手間取る割にはつまらない仕事が続いて、ああ、何かおもしろいことがないかなあ、と切実な気分になっていたところだから、一見他愛のないもめごとを訳しながら、ウヒョウヒョ、キャッキャッと息抜きをする。今どきのデモグラフィックな日本人を観察しているようでおもしろいんだけど、やっぱり、最後的には「あ~あ、完全にたがが緩んで外れてしまってらぁ~」となってしまう・・・

パスポートの写真ができて、後は早めに更新の手続きをするだけになって、飛行機は取ったのにホテルはまだだったことに気づいた。会議場のホテルか、いつものホテルか、検討中というところだった。ところが、お気に入りのニッコーも、かってのパンパシフィックであるマリオットも予約の受け付けは中止と来た。ええ、ゴールデンウィークでもあるまいし、いったい何があるんだろうなあ。ま、サンフランシスコは予期せずしてホテルの確保が難しかったりするから、しょうがない。ユニオンスクエアのウェスティンなら空きはあるけど、ここはめっちゃお高いのだ。だけど、サンフランシスコの最後の夜はここ!と決めているMichael Minaのレストランがあるし、ふ~ん、どうしよう・・・

結局は、会議のあるフィナンシャルディストリクトのホテルに決めた。ま、サンフランシスコの中心部はほぼ徒歩圏内だから不便はないし、何よりもコンファレンス参加者向けの特別レートで超格安。それに、経費で落とせるんだから、高かろうが安かろうが、あまり気にすることもない。サンフランシスコは飛行機で2時間。私たち二人が揃って楽しい「逃避地」なのだ。どんなところか、と聞かれても、う~ん、サンラフランシスコはサンフランシスコ。ニューヨークがニューヨークで、シカゴがシカゴなのと同じことで、「土地それぞれ」というところか。バンクーバーがバンクーバーであるのと同じように、比べられるはずがないし、それぞれに個性豊かな土地柄なわけで、比べようがないのがあたりまえだろうと思う。今まで行ったところはどこも独特のキャラクターがあってみんなそれぞれに好きで、二人ともどうしても馴染めなかったのはロンドンくらい。

旅人の感性もひとそれぞれってところなんだろうけど、自分が馴染んだ「我が国」と違うからってストレスになって罵詈雑言を吐いていてもしょうがない。ヨーロッパは北米とは違うし、アメリカはカナダと違う。「違う、違う、ぜんぜん違う」の連続だ。そこのあたりにどのように折り合いをつけるかは、時代ごと、民族ごとに、その視点が大きく異なっているからおもしろい。だからこそ旅はいつも新鮮で楽しいんだけど、突き詰めて言えば、現代の日常を離れた物見遊山の旅は「Survival of the fittest」。つまりは、動物的な闇を脱して文明の明かりを点した人類にとっては最後の「適者生存」の(楽しい)テストなのかも・・・。

うわっ、衝動買い!

9月11日。なんだかモンシロチョウになってしまったカレシだけど、今日から英語教室を再開。希望者が少ないといわれてキャンセルしたら、ネイバーフッドハウスの方が慌てたらしい。一挙に10人も生徒を集めたそうな。ハウス側は会費みたいな形で10ドル徴収するけど、実質的に無料クラス。でも、クラスは昼過ぎに始まるので来れる人が少なかったりする反面、口コミで生徒が増えすぎたりもする。日本人移民はよく掲示板で無料の学校、安い学校がないか聞いて回っている割にはほとんど来ないらしいから不思議。

大まじめに仕事をするはずだったのが、なんとなくオンラインショッピングに脱線して、結局ドレスを4着も買ってしまった。土曜日にパスポート写真ができ上がるのを待っている間ぶらぶらウィンドウショッピングをしていたらティファニーの店があった。へえ、なんでこんなところに?というのが印象。というのも、1丁南は有名ブランド店が並ぶロブソンストリート。上にさして高級でもない日本レストランがある古ぼけた二階建てビルとハイクラスの代表格みたいなティファニーの組合せがちぐはぐなのだ。そこから先は日本のバブル全盛時代に日本人向けのおみやげ屋が軒を並べていた通りで、今は見る影もない。でも、ティファニーが敢えてそんな場所を選んだのは、その一角にも高級化の波が来る日が近いことを期待してのことだろう。

去年の秋に開店してから一度も入ったことがなかったからちょっと入ってみた。思ったよりずっと小さいから、品数も少ない。でも、その中で、アメジストとトルマリンとぺリドットの小さいビーズをあしらったペンダントに直感的に「これ!」と思ってしまった。ティファニーではケースのアクセサリー類は値札を見せないという、けっこうにくい演出をしている。ニューヨークでも銀のヒトデのチョーカーが気に入って、ケースの回りをぐるぐる回ってやっとおそるおそる値段を聞いたのだった。ああ、あのペンダント、300ドルくらいかなあ。それとも500ドルくらい行っちゃうかなあ。買ったらちょっと胸の開いたドレスがいるなあ・・・なんて思っているうちに、ドレスのほうを先に、それも4着も買っちゃった。あのペンダント、クリスマスまでちゃんとあるかなあ。なんて、買えるかどうかもわからないのに、し~らない。

やれやれ、今から腕まくって、がんばって仕事をしなくちゃあ・・・

結婚しない人たち

9月13日。カナダ統計局が去年の国勢調査に基づく「家族形態」のデータを発表した。これによると、伝統的な「結婚」が減り続けているそうだ。伝統的というのは法律上の結婚のことで、単親家庭、事実婚、同性婚といった「非伝統的」な家庭が急増しているというわけ。

事実婚カップルが最も多いのはカトリックの伝統の強いケベック州で全体の半分。増加率が最も高かった年齢層はなんと60才から64才で、5年間で77%も増えたとか。法律婚にこだわらなくなりつつあるのは、いったん結婚したら解消する手続きがめんどうだからだろう。どこの州でも結婚するのに結婚法があって、離婚するのに離婚法があるけど、BC州の結婚法と離婚法を比べたら、離婚法の方が格段に長いのだ。で、よくよく読んでみたら、ほとんどが子供を含めて何が誰のものかという、相互の「コミットメント」などは二の次で、結局は「所有権」の話ばかり。だったら、結婚は社会契約なんていうくらいなんだから、好きな同志で契約を作って、互いに資源を持ち寄って暮らし、冷めたら「契約書」に従って別れた方がよっぽど民主的かもしれない。

それに、カナダには戸籍制度がないから戸籍謄本というものがないし、嫡出子と非嫡出子の差別もなく、夫婦別姓が認められているから、結婚している、いないは見てわからない。税金や社会保障の上では法律婚でも事実婚でも同性婚でも、配偶者の権利は同じだし、就職するにしてもそんな私生活の質問はご法度だ。要するに、社会的に法律婚にこだわる理由が見あたらなくなっているということだろう。

私だって、もしも日本のように離婚届に判を押して役所に届けるだけで「結婚」を解消できるんだったら、たぶんそうして、改めて「事実婚」としてカレシと再出発していたかもしれない。それができないから結婚指輪を捨てるという「儀式」で自分なりにやり直しのけじめをつけたけど、カレシの方は「法律ではまだ結婚しているんだ」とのたまわるから、「その法律を蔑ろにしたのはあなたです」といっておいた。

でも、まあ、あれから数年経ったけど、二人はまだカップルでいるわけなんだから、家族の関係など元からして法律で縛れるものじゃないのかもしれない。家族の愛やコミットメントは法律で「~たるもの~すべし」なんて四角四面に規制できるものじゃないもの。ディケンズの言葉を借りるなら、「The law is an ass(法律など頑迷なおバカ)」なんだから。

新聞記事によると、(離婚や死別によらない)単親、事実婚、同性婚という新しい家族形態が増えたことで、カナダ人はその多様性にきわめて寛容になったという。これは大いに喜ぶべきことだよねぇ。

安倍さんでなくたってストレス

9日13日。安倍さんが急に辞めちゃったと思ったら、機能性胃腸症とかいうので入院したとか。「美しい国」を標榜する経済大国日本の総理大臣が、なんだか「ボク、もう、や~めた」みたいな感じで仕事を放り出してしまうって、どう見てもやっぱり今どき風だなあ。経費のごまかしみたいなケチっぽいスキャンダルで次々大臣が辞職なんてバナナリパブリックじゃあるまいし、と思っていたけど、見たら二代目、三代目のお坊ちゃまばっかし。昔から「売家と唐様で書く三代目」というからねぇ。それに、子供は親を見て育つものだし・・・

胃腸障害というから何かと思ったら機能性胃腸症だって。ちょっとググッてみたら、日本人の4人に1人は経験者で、比較的女性に多いんだそうな。世界的にも増えているそうだけど、要するに、カレシなどは成人した頃からずっと患っているというストレス性の胃腸障害。消化不良に胸焼け、げっぷにおなら・・・。カレシはTUMSという制酸薬の一番大きいのをいつもベッド脇においているし、旅行に行っても必ず一度は薬局を探し回ることになる。だけど、入院するってのはちょっと大げさじゃないのかなあ。世界中にごまんといる患者は、薬を飲んで、愚痴をこぼして、それでも仕事は投げ出さずにがんばってるんだけど。

バンクーバーではレストランの屋外パティオや建物の入口付近などでもタバコを吸えなくなるそうだ。夏は人気のパティオだけど、歩道の一角を占拠しているわけで、若い人に人気のレストランやスターバックスのあるところでは、歩行者はタバコの煙の中を歩かされる。歩道いっぱいに若いアジア人が固まってタバコをふかしているところには英語学校があると冗談に言われるくらい。(まあ、歩道いっぱいで通れないから、煙の中を歩かずに済むんだけど。)新条例ではビルの入口6メートル以内は禁煙になるそうで、毎日雨の季節が来たら、スモーカーにはストレスの溜まる街になるかもしれない。

バンクーバーの住宅取得可能指数が71を超えたそうだ。平均的な世帯が平均的な戸建の家を買うには世帯所得の71%のお金がかかるということだけど、これは税引き前の世帯所得だから、手取りの所得で見たら100%を超えてしまう。何とか平均的な家を買えたとして、平均的な25年償却のローンだと月々の支払が実に3230ドル(約35万円)だから、共働きでも苦しいだろう。金利が一ケタの今でもこれだから、若い世代には大きなストレスだろう。ちょうど25年前に私たちが初めてマイホームを買ったときの金利は20%近かったから、半分近い頭金を払ってもまだ私の手取りがほぼすっぽりローンの返済に消えたけど、それでもバンクーバーに家を買うことはできた。今だったら、標準25%の頭金を貯めるのだって難しそう。

きのうの家族形態の統計によると、一世帯あたりの人数が減り続けて、今では単身世帯が全世帯の3割近くになっているという。15才以上の人口で未婚者が過半数を占めるようになったこともあるだろう。独居人口が増えると、住居もそれだけの数が必要になる。ダウンタウンはコンドミニアムの建設ラッシュだけど、このあたりにも原因があるのかもしれない。独身で、大きなローンを抱えて、気晴らしにスターバックスの歩道のテーブルでエスプレッソを飲みながらタバコを吸うこともできないとなれば、安倍さんじゃなくたって機能性胃腸症になるんじゃないかなあ。若いって大変・・・

秋の日のためいきの・・・

9月14日。夏らしさもどうもこれまでらしい金曜日。朝食もそこそこにダウンタウンへ出た。まずは、予約をしてあった公証人のところへ行って、日本で必要な書類に署名して、自筆の署名であることを証明してもらう。何しろ、結婚して英語苗字になって、それからファーストネームが変わって、日本国籍はとっくにないし、おまけに戸籍も抹消してしまっているというややこしい話になもんで、あっちの国のお役所が「どこの誰なんだろ?」と首をかしげてあたりまえのユーレイ日本人なのだ。

次の目的地はとなりのブロックにあるパスポートオフィス。テロ対策におおわらわのアメリカが、これまではパスポートもビザもなしで往来できたカナダ人にもパスポート所持を求めることに決めたから、さあ大変。今年は空路でのアメリカ入りだけなんだけど、今までアメリカは庭続きの「お隣のワシントンさんち」みたいな感覚でいたカナダ人はパスポートを持っている人が少ない。それがパスポートがなきゃ出張もできないとなって、パスポートオフィスには初めてパスポートを申請する人たちが長い、長い列を作った。朝の5時に並んで、手続きが終わったのは正午近くなどという信じられない話もあったそうだ。

でも、先月から、すでにパスポートを持っている人は写真とパスポートと簡単な申込書だけで、めんどうな国籍や身元の確認手順が不要になったおかげで、混雑はかなり緩和されたらしい。着いたのは午後1時過ぎで、待合室には空いた椅子がちらほら。おお、と思ったら、番号をくれた案内カウンターの人が「ここで待っていなくても、1時間くらいで戻ってくれば大丈夫」だって。なんだ、番号をもらってコーヒーでも飲みに行ってしまった人がたくさんいるらしい。というわけで、私たちもダウンタウンをぶらついてくることにした。

パスポートオフィスに戻ったのは午後1時ちょっと過ぎ。歩き疲れた足を休めること30分ほどで私たちの番号が表示板に出た。その間、応答がなくて別のに変わった番号がいくつかあった。あれあれ、ランチに出かけて戻るのが間に合わなかったのかな。この人たち、また並び直しになるのかしら。二人分を一緒に手続きしている間に、案内窓口にオフィスの外まで溢れる行列ができた。どうやら金曜日の午後ということで、早めに仕事を抜け出して来た人たちがかなりいるようだ。二人分174ドルの手数料をクレジットカードで払い、レシートをもらって、手続きはおしまい。新しいパスポートは10月第1週に書留で郵送されるとのことで、サンフランシスコ行きに十分間に合いそうだ。

これで今日の用足しはおしまい。始まりが早い金曜日のラッシュアワーの中を、帰り着いたら3時半過ぎ。市役所からの郵便を見て仰天。先月払ったはずの駐車違反のチケットが未払いだからと何と「召喚状」。小切手帳を見たら、あちゃ~、払った金額を間違って、足りないではないか。すでに払った分は丸損ということにして、倍になった罰金を払うか、裁判所へ行って「無実」を主張するか。もちろん、メーターの時間をオーバーしてたんだから、無実ってことはありえないわけで・・・しょうがない、60ドル、スト中でサービスがゼロの市役所に、鼻をつまんで寄付しちゃおっと。

仕事はどんどん遅れて来た。ここんところは、のんきにブログなど書いてないで、腕をまくらなくちゃ。いや、腕まくりなんて柔なことは言ってられない。もろ肌脱ぎにねじり鉢巻3本で徹夜、くらいじゃないと・・・

秋来たりなば冬遠からじ

9月15日。土曜日。天気はどうやら下り坂。今年はあちこちで早々と紅葉の始まっているそうだ。そういえば我が家の池のほとりにあるツタカエデも半分ほど紅葉している。木々はラニーニャのせいで寒い冬が来るって知っているんだろうなあ。

仕事が詰まったと言いながら(ほんとにきっちきちに詰まっているんだけど)、ディナーにお出かけ。今日は久しぶりにお気に入りのLe Crocodile。前回のサーバーだったラファエル君の担当のテーブル。ちょっとおちょぼ口のフランス語訛りがかわいい。(ケベックのフランス語じゃなくて、フランスのフランス語の訛り。)私は焼いたフォアグラとウズラのグリルの前菜にカリブーのヒレ肉。カレシはシャンテレルのサラダとヒレ肉のステーキ。ちょっとこってりだから、ワインはローヌ川下流のグレナシュを多く使ったものを選んでもらった。

フォアグラの横についていたウズラ。ちっちゃなドラムスティックを見たら、こんな「小鳥」を食べちゃってもいいのかなあと思ったけど、けっこうあっさりしていい味だった。カリブーというのはカナダ北部の森に住むトナカイ。そのヒレ肉なんだけどクセがない。ラムの方がよっぽど自己主張が強いくらいだ。ソースはワインリダクションという、ワインを煮詰めて濃縮したもの。

このリダクション、エスコフィエが考案したという話で、今けっこう流行っているソースだけど、簡単なようで実はすごい量のワインやお酒がいる。飲み残しのワインを使い切ろうと思って作り始めたら、結局もう1本開けて、その半分も使ってしまったくらいだ。それでできあがったのが、二人前ちょっとくらいのレッドワインリダクション。思いつきにしては上出来で、おいしかったけども・・・

カレシに、明日は2日分の仕事を超特急でやっつけなきゃならないもんで、おかまいできませんよ~と予告したら、「ボクはパスタソース作りで忙しいからいいよ~」ときた。緑色のままぐずぐずしていたトマトも慌てて色づいているらしい。やっぱり冬はすぐそこまで、なのかな。


2007年9月~その1

2007年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
昔と今・・・

9月1日。今日から9月。夏休み最後の三連休の初日でもある。別に関係はないけども、何となく改まった気分で、さあ、仕事にかかろうかと思ってしまう。ま、今日はまずトライアルを済ませなくちゃ。

市役所ストは7週目。新聞の調査によると、最初は組合の肩を持つ市民が多かったのが、今では激減したそうだ。あたりまえだよなあ。賃上げの方は雇用者側の提案で不足はないが、委託などでポジションがなくなってもレイオフはしないという一文を入れろといっているらしい。要するに、仕事はなくても雇って給料を払えということだけど、委託でポジションがなくなれば組合員が減る、組合員が減ると組合費の収入も減る。組合にとってはそっちの方が困るのだ。もちろん、市役所は冗談じゃないと突っぱねる。彼らの給料を払う市民だって冗談じゃない、いい加減しろという気持になる。

カレシはかって市役所職員だったから内部の「風土」みたいなものを良く知っている。きっかけは高校時代の夏休みのアルバイトだったそうで、そのままドロップアウトしようと考えたのが上司に卒業して来いといわれて学校に戻り、翌年卒業して正式に就職した。仕事は測量の助手みたいなものだったそうだけど、そんなに毎日測量する道路や歩道があるわけではない。雨の多い冬は事務所で仲間たちとポーカー三昧。晴れた夏の日は上司が「今日は遊んどれ」とテニスコートに置いてけぼりでテニス三昧。退屈してデスクワークの仕事に移動したら上司に「テニスできなくなってもいいのか」といわれ、デスクワークも単純だったので、大学へ行こうと決めて辞めたら「どうして大学なんか行きたいのか」といわれたそうだ。まあ、当時はまだ大学卒よりも「たたき上げ」の方が尊重されていた時代だったらしいけど、「英国病」的な職場なのだ。

9月7日はバンクーバーでアジア人排斥の暴動が起こってちょうど100年になるそうだ。まだ小都市に過ぎなかったバンクーバーで、9千人もの白人市民が市役所にデモをかけ、アジア人移民阻止の集会を開き、その一部が暴徒と化して中華街や日本町を襲撃したという。集会には労働組合の有力者や政治家も参加していた。労働組合の指導者は「アジア人に職場を奪われる」と煽り、政治家や聖職者は当時の大英帝国の優越感丸出しで差別を煽った。それが1907年のカナダ、百年前の世界だった。だけど、ここで「白人は人種差別者」と決め付ける前に、1923年の大震災直後の日本で何が起きたかを考えてみるといいだろう。驕れる者は内心で常にしっぺ返しに恐れ戦いているから、どんなきっかけも攻撃の口実にするということを。

来週は暴動から百周年を記念する集まりがあるそうだけど、「You’ve come a long way, Vancouver」と多民族都市バンクーバーへの百年の歩み祝うものになるらしい。一世紀を経て、メトロバンクーバーでは人口の5人に2人がアジア系。異人種カップルの割合は100組に7組とカナダ全国平均の二倍以上だし、異人種婚を容認する人の割合は95%にもなっているという。差別した方も、差別された方も、共に世代を重ねながら100年かけてここまで来たのだ。だからこそ、何百年経とうが変わりそうにない島国の単一民族国家の驕り高ぶりを多民族都市バンクーバーに持ち込まないでほしい。

ついでにスポーツニュース

9月1日。これ、スポーツニュースの写真、それともメンズ何とか?MSN-Mainichi Daily NewsのPhotojournal(http://mdn.mainichi-msn.co.jp/photospecials/graph/photojournal/index.html)に載っていた世界陸上のひとコマ。

キャプションには「女子1500メートル」とあるけど、何だ、これ?走っている選手たちの後姿を撮ったもの。それも下半身だけ写したものじゃないか。カメラマンの私的な視線だとしたら、品格と良識のある新聞は採用しないと思うけどなあ。これが「男子1500メートル」だったら、こんな構図を思いついただろうか。

女子選手の後姿にコーフンしちゃったのかな。それとも、日本人男の女性を見る目線はここまで低くなったということ?

ふ~ん、どうりで分別盛りのいい年をして、スカートの中を盗撮したり、女子高生を買ったりして人生を棒に振るアホが多いはずだよなあ。このオヤジ、いったい何を考えてたんだろうといつも思ってたけど。大人の理性も相手の人格尊重もきっと教えられていないんだろうなあ。どんなに尊敬される職業であろうと、高い偏差値が要求される専門職であろうと、理性や自制心が発達していないことではみ~んな5才児と同じ。じゃあ、30になっても幼児的な「かわいさ」を追求する女は何なんだろう?う~ん、もうようわからんわ・・・

長けりゃ良いってものじゃないし

9月2日。今朝は目を覚ましてあわててエアコンを止めた。晴天だと起き出す頃には日が高くなってベッドルームのある最上階は温度が上昇するから、天気予報を見て寝るときにオンのタイマーをセットする。でも、今頃の時期になると賭けみたいなもので、起きたらエアコンの設定温度より低くなっていたりするからやっかい。へたをするとエアコンと暖房が同時に入りかねない。もう文句なしに夏と秋の過渡期なんだなあ。んっとに時間の足は韋駄天すぎるのが難・・・

久々に大洗濯。この方面は徹底して悪妻モード。全自動とは言っても、やっぱり仕事にがっちりつかまってしまうと、ちょっとトイレのついでになんてのもめんどうになるから、カレシが下着がなくなるよ~と騒ぎ出すまでお預け。そのために下着なんかひと山どさっと買い込んであるわけだけど・・・

トライアル、ひとつ完了。契約文書だから、高給取りの弁護士になったつもりでやるとけっこうおもしろい。これは無賃仕事だけど、サンフランシスコへ遊びに行く口実になるかも・・・なんて、いらぬタヌキの皮算用をしながら、特に念を入れて、ゆっくりやった。契約文書は何語でもややこしい。昔、ニューヨークの有力な弁護士事務所が作ったらしい、巨額投資の契約書を和訳していたら、「ピリオドはどこだ?」という場面に出くわした。コンマやセミコロンはあるけど、どこまで行ってもセンテンスの終わりを示す「ピリオド」がない。どうなってるんだ~とページをめくって見たら、ひとつのセンテンスが、なんと延々2ページ半も続いていたのだった。ギネスブックに載せても良さそうなくらいの超長文だったけど、そのまま翻訳したところで思考は迷子になるし、脳の配線はショートする。しょうがないから、えいやっといくつもの短文に切り分けて危機を脱した。いやあ、参った、参った。悪文もあそこまで行ったら芸の域だよなあ。

ハムレットで「簡潔は機知の精髄」と書いたのはイギリスのシェークスピアだったけど、弁護士嫌いだったディケンズが活躍していた頃のイギリスでは、弁護士報酬の基準は書類の「ページ数」だったとか。つまり、だらだらと長い文章を書けば書くほど儲かったというわけ。私だって、仕上がりの語数を請求基準になっているところがほとんどだから、訳文がだらだらと長いほど儲かるはずだけど、まあ、そこはやっぱりプロのプライドみたいなものがあるし、簡潔に書いて「機知に富んでいる」と思われた方が気分がいいからなあ。

でも、ブログに書いてるこの日本語、ちっとも簡潔じゃないなあ・・・

バラにはとげがあるのだ

9月3日。ダウンタウンに出るたびに買い込んでくるDVDがけっこううず高く積み上がってしまった。シュリンクラップを破ったけど結局まだ見ていないもの、封さえ切っていないものを合わせて20枚近くある。そんなわけで、きのうは「どれか見る?」という話になって、仕事の予定がきつくなるのを承知しいしい座ってしまった。

見たのはかれこれ20年くらい前の『The War of the Roses』という映画。「ばら戦争」というのはもちろん15世紀のイギリスであったランカスター家とヨーク家の血みどろの王位争いのことだけど、映画は時代劇とは関係がない。20世紀のローズ夫妻の文字通り血みどろの離婚戦争を描いたブラックコメディだ。

ストーリーはダニー・デヴィートが演じる弁護士が離婚の相談に来た依頼人に聞かせる話として展開する。冒頭のオリバーとバーバラの出会いのシーンからして予言的だ。学生同志の二人がオークションでたかが数十ドルの東洋の置物を競り合う。やがて結婚した二人。オリバーはやり手の弁護士になり、バーバラは豪邸で料理やインテリアに精を出す。高級な家具や、豪華なクリスタルや置物のコレクションに囲まれて、まさにセレブの暮らしを絵に描いたようなシーンが続く。

その二人が離婚することになって、財産の分割をめぐってばら戦争が繰り広げられる。バーバラは「私が見つけた家だから」と要求した豪邸は、かって車で通りかかって欲しくなり、速攻で売ってもらおうとしたら、ちょうど所有者の葬式だったという伏線がついている。家を巡っての神経戦はだんだんエスカレートして、しまいにスリラーじみた展開になり、最後には二人とも巨大なシャンデリアと一緒に墜落して死んでしまう。そこで、弁護士は依頼人に言う。「気前よく何でもやってきれいさっぱりと別れるか、でなければ家に帰って昔彼女に恋したときの何かを思い出して、それを手がかりにやり直せ」と。

これは男と女の戦いなんてものじゃなくて、まさに所有欲のぶつかりあいだ。この二人、本当に愛し合ったことがあったのかしらんと思ってしまう。オリバーは最後まで愛しているらしく見えるんだけど、バーバラが仕事を始めると言いだしたときの反応や、ドアや窓に板を打ち付けてバーバラを閉じ込めてしまうところを見ると、どうも所有欲に近い愛のようにも思える。うん、このバラ、いたって鋭いトゲがたくさんある。

離婚話になるたびに、カレシは「オレは手に入るものは全部もらうからな」と言った。私の方が収入が多かったから「扶養料ももらう」とまで言った。きっと、家だって「オレの庭と温室があるからオレのものだ」と主張したかもしれないな。さて、私はどうしただろう。この家は私が設計して、設計図も自分で書き上げて、工務店に建ててもらったものだ。でも、たぶん、そっくりカレシに上げたと思う。なぜなら、文字通り私の「作品」なわけで、家の隅々まで私の手がかかっているから、カレシは「思い出」の中で暮らさなければならなくなる。オンナノコが後釜に来てくれたとしても、「前妻の残したものなんかいや」とくどかれるだろう。そういわれるとカレシはよけいに「オレのもの」にこだわる。前妻の亡霊を追い払いたい現妻との間に戦争が勃発して、私はそれを「Revenge is sweet」と笑って高みの見物という展開。バラはみんなとげがあるんだもん。私にだってこわ~いイジワル心があるのだ、ウフフ・・・

ひとつになりたいの

9月4日。ほら、やっぱり。映画なんか見てしまうから、予定がきちきちになってしまったじゃないか。水曜日の午後が納期だというのに、まだ4千文字以上あるぞ。しらない、しらない、もう。

どうしてかわからないけどやたらと仕事が多い。営業みたいな機能は苦手だと思って、まじめに営業などやったことがないから、本当にどうしてかわからない。頼みもしないのに次々入ってくるから困るのだ。誰に愚痴ってみたところで、同情してくれるどころか、今どきの日本語で言う「ドン引きされる」のが関の山かな。何か損な状況だなあという気もしないではないけど、損だなあと自分で思ったらおしまい。しょうがないから、ブログという穴を掘って、「おうさまのみみはろばのみみぃ~」と吐き出してたら、じゃ、次行こう・・・

長くおつきあいして来た日本の客先に同僚を紹介しようかと思っているといったら、カレシは猛反対。いくら友だちだからって長い間築いてきたものをただでくれてやるのは狂気の沙汰、下請の形でやらせろと。だけど、私はエージェント稼業は不向きだし、友だちの上がりを掠めるようなことはしないし、それに英日はもうあまり興味がわかないの。お客の方だって円安で予算がきついのだ。いくら15年据え置いたレートとはいっても、価格破壊の日本ではすごく高いんだろうと察しは付く。私の方は本来の得意分野での契約の話が続けて来ているから、いい機会だ思うんだけどなあ。ふ~ん、これもカレシの「オレのもの」思考なのかしらん。でも、これは私のビジネスの話なんだけど・・・

とうとう頭にきて言っちゃったもんだ。私は友達から見返りなんか期待しないの。友だちの役に立てるならそれでいいの。そりゃあ、動機が何であれ私を潰そうとした人間はどうなったって知るもんかと思う。困っていても手を貸そうという気など起こらないと思う。勝手にしろと思う。だけど、信頼する友だちはとことんまで友だち。「他人のことなどどうなろうと知ったことか」なんて人間は私じゃない。私の親は私をそんな人間に育てなかったんだから。It‘s not me!と。

もっとも、私としては言語思考の流れをひとつの方向に統一したいという気持もある。その方が老いて行く脳みそには楽でいいと思う。すごくモノリンガルになりたいという気がしてならない。どんなに日本語を書く能力だけは維持したいという気持を持っていても、こんなブログでひっそりと愚痴を吐き出していれば十分という誘惑には抗し難いものがあるのも事実。ある意味、自分という人間を統一したいという気持があるのかもしれない。ふむ、これはもっと深く考えてみなくちゃ・・・

だけど今は石頭のカレシにも、分裂気味の自分にもかまってるヒマはない。腕をまくり直して、仕事をして、生活しなきゃ。だけどなあ・・・

蓼食う虫は乱視

9月5日。間に合った、納入期限1分前に送信ボタンをクリック!やれやれ、最近でこれが一番ぎりぎりだったなあ。どうしてこんなに詰まっちゃったんだろう、ほんと。ま、無事納品して、請求書も送って、一件落着だから、細かいことはどうでもいいけど、これくらいに時限爆弾を抱えたみたいな状況になると、よけいなこ思考にかかわりあっているヒマがない。ちょっと隙間ができれば懸念邪念雑念の洪水になる私にとってはちょうどいい「リセット」タイムなのかも知れないな。だからといって、邪念を払うために仕事をぎりぎりまで引伸ばすわけにもいかないんだけど・・・

小町を見たら、まだ大学生なのに「人を愛するって疲れる」というお嬢さんがいた。おいおいおい、ちょっと待ってよ。まだ20歳前後なんでしょ?その若さで、疲れるのがいや、振られて傷つくのもいやで、自分の容姿にも自信がないからって、「人を好きにならないようにしています」なんてありえる?ふむ、今どき風の若者はやたらと未熟で幼稚な半面、妙に年寄りじみたところもあるんだなあ。まだそれほど人生を経験していないだろうに、いや、していないからこそ、単純に「ON or OFF」で操縦できるのかもしれない。

「そういう男だとわかっていたんでしょう」   いいえ、愛してしまったらあばたもえくぼで、「そういう男」だなんて見えなくなるし、それに見たくもなくなるものなの。

「そういう男と結婚したのはあなたでしょう」   いいえ、私が結婚したのは私が心から愛した人であって、ただの「そういう男」じゃない。世界にたった一人の「この人」なの。

「私なら即刻別れます」   いいえ、それができたら、これほど傷ついて、悶々と苦しんでのた打ち回って、生きる気力が尽きるほど自分を消耗させてないの。愛するって、なんだか超強力接着剤みたいなもんで、手先が狂って貼るところがずれたからって、ぺリッと引っ剥がしてはり直すなんてできないないからなあ。

「人を愛するって疲れる」なんてせりふは、誰かを自分の全身全霊で前後不覚に愛して、何があってもその愛を消滅させることができなくて、傷つきながら、苦しみながら、果てはマゾな自分を呪いながら生きて来て、それで初めていえるもんじゃないか思うんだけど、違うのかなあ・・・

ひとつだけ私に言えるのは、それは、愛すると「強度の乱視」になってしまうってこと。う~ん、生まれつき「正常眼」で育った人には、乱視の世界は説明したって理解できないだろうけど・・・

台風9号?10号?

9月6日。9月になって一応秋のはずなんだけど、ここへ来て何だか要エアコンの夏っぽい天気が続いている。庭のトマトはどんどん熟れてきて、さすがのカレシもてんてこまい。毎日トマトのサラダが続いているけど、すごく甘みがあっておいしい。採れたてだし、第一に何百キロを旅してくる大手スーパーのとは種類が違う。でも、だんだん食べきれない数になってきたから、今日あたりパスタソースを作るんだって。

東京は台風通貨中。日本では今でも番号で呼ぶけれど、世界的にはこの台風の名前は「Fitow」なのだ。ミクロネシアはヤップ島の香りの高いきれいな花の名前なんだそうな。暴れん坊の台風にそんなすてきな名前をつけてもいいのかなと思うけど、アジア太平洋諸国が出し合った160いくつの名前のリストを見ていると、植物や動物、宝石、伝説の人物や、はては食べ物まであって、なかなかおもしろい。どの国もそれぞれに誇りに思うものの名前を挙げたらしいのに、日本政府が出したのは星座の名前。それも日本人がほとんど知らないようなのが多い。クジラ、ヤギ、ウサギ、テンビン、カジキ・・・。どうして日本文化の代表と常日頃誇りにしてやまない「サクラ」、「フジ」、「ウメ」はダメなの?大災害をもたらす台風の名前だから?それとも、「我が国は従来通り我が国独自の制度で行くのでどーでもいいです」なの?どう見たって想像力不足とは思えないから、失望のきわみもいいところ。まあ、こっちまで台風は来ないからそれはいいとして、アメリカのNOAA(海洋大気局)のサイトには世界中の熱帯性サイクロンの名前リストが載っていて、一見の価値あり。

道産子の私にとっては台風はいつも「どっかよその土地のこと」だったけど、台風が通過したらしいと思う記憶がひとつだけある。たぶん中学生になった年だったのではないかと思う。夜通しの嵐の後、朝起きてみて家中がやけに薄暗いと思ったら、なんと窓という窓に塩がびっしりこびりついていた。当時の我が家は裏の芋畑の先は崖で、その先はもう太平洋というところにあった。これまた太平洋を見渡す崖の上にある学校へ行ってみたら、やはりどの窓も塩でまっ白。全校行事で窓掃除があったように思う。まあ、あの嵐がほんとうに台風だったかどうかはわからないんだけど・・・。

さて、次の台風10号は「Danas」になりそう。「体験する」という意味だそうで、出所はフィリピン。もっとも、日本は自国の領域に影響する台風しか数えないらしく、今頃は東北地方目指して北進中の「台風9号」は、一歩日本国外に出ると今年「10番目」のTyphoonということになる。つまり、今年11番目の「Danas」が日本近海に接近すれば、日本の天気予報で「台風第10号」と呼ばれるわけで、まったくもってややこしい。こういうところこそもうちょっと「国際化し」て欲しいもんだけど・・・

Typhoon Lyra?

9月7日。台風9号は自転車並みのスピードだったとか。青森ではまたリンゴが落ちてしまったのかしら。フロリダで寒波が来てオレンジが凍ってしまうようなもので、もったいないなあ。日本列島はちょうど収穫期に台風の通路になるから困ったもんだけど、マザーネイチャーは「乙女心と秋の空」みたいなところがあるからね。どうして今年10番目の台風が日本では「9号」なのか不思議だったけど、ちょっと調べたら謎が解けた。

北西太平洋の熱帯性低気圧を「台風」と認定するのは日本の気象庁。一方で、アメリカ海軍と空軍は合同台風警報センター(JTWC)というのを持っていて、熱帯性低気圧に番号を振って予報を出しているけれど、「台風」という用語は使わない。数が食い違ってくるのは、この両者の認定基準が違うためなのだ。つまり、今年発生した熱帯性低気圧の数は、気象庁の認定基準では9個だけど、JTWCの基準では10個になる。でも、英語メディアはどっちの情報でも台風にしてしまうから、ややこしいことになってしまうわけ。

洞爺丸台風があったのは1954年。日本ではすでに番号制になっていて、あれは15号台風だったけど、国際的にはまだ女性名を使っていて、Maryという名が付いていた。青函連絡船「洞爺丸」が転覆沈没して1200人近い人が死んだから、通称が「洞爺丸台風」になった。高校を出たばかりの年にやっていたNHKの朝の連続ドラマが鉄道員一家を描いた「旅路」。終盤あたりでたまたま会社を辞めて、毎朝見ていたら、洞爺丸のエピソードがあった。あの台風は時速100キロという超スピードだったのが、津軽海峡あたりで急に減速したために船長が判断を誤ったのではないかという話だ。

バンクーバー市役所のストは今日で50日目。そろそろ市民の堪忍袋の緒も切れ始めたようだ。夜陰にまぎれて道路わきにゴミを捨てて行く不届きな輩が増えてきた。今朝は我が家の外の歩道にもゴミ袋があったので、カレシは向かいのゴルフ場に捨てに行った。ちなみにゴルフ場は市営だから、ただいま職員ストで休業中。おまけに街灯が消えていて、修理をする人もスト中なもんで、我が家の前の道路は一寸先は闇の真っ暗。だから、初めっからゴルフ場の方に捨ててくれればいいんだけどなあ・・・

交渉行き詰まりの焦点になっている雇用確保の問題にはオリンピックが絡んでいるそうだ。大会前後は市のスポーツ施設のかなりがオリンピック委員会に収用されるらしいけれど、管理や整備担当の職員も一緒に出向するかどうかわからないし、悪くすればレイオフされるかもしれない。雇用を保証して欲しい、というわけだけど、市にしてみれば、オリンピック委員会の意向がわからないんだから交渉のしようがないということらしい。オリンピック実行委員会はとにかく態度がでか過ぎて気に入らないけど、こんなところにまでとばっちりを食らっているとなると、ますます頭にくる。改めて、オリンピックはんた~い!

まあ、鼻息荒げてないで仕事に取っ組まないと、どんどん積みあがる山を崩すどころか潰れてしまいそう。でも、何となく昔懐かしい「テトリス」をやっているような気分だなあ・・・

女の深情けは怖いのだ

9月8日。暖かな土曜日。日本を縦断した台風のおこぼれなのか、ダウンタウンは風が強かった。二人のパスポート写真を撮ってもらって、お気に入りのBacchusでディナー。ラウンジとの境、ピアノのそばのテーブルを指定してあった。あまり人気のあるテーブルではないそうだけど、私たちには特等席。ワインを傾けながら、食事をしながら、ピアニストとおしゃべりができるのが楽しい。

今日は少し若い目の人だったので、カレシが好きなビリーストレイホーンはあまり知らないようだったけど、何気なく引き始めた「黒いオルフェ」のテーマが良かった。映画も名作だけど、ルイスボンファの曲も傑作だ。タイトルの通り、ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディケの悲恋が下敷きになっている。

ギリシャ神話では、最愛のエウリディケを失ったオルフェウスがエウリディケを返してもらおうと黄泉の国に降りて行く。とき遅し、最愛の人は黄泉の国の食べ物を口にしてしまった。だけど、オルフェウスのたっての願いとあって、黄泉の国を掌るハデスは地上に出るまで後ろを振り向かないという条件で、エウリディケを連れて帰ることを許す。愛は何よりも強し・・・というところなんだけど、もうあと少しのところで、エウリディケがついて来ているかどうか疑心暗鬼に取り付かれたオルフェウスはつい後ろを振り向いてしまい、最愛の人は永遠に黄泉の国に引き戻されてしまう。愛よりも強いものがあるということか。

何となく見捨てられ不安みたいな猜疑心で衝動的にエウリディケを犠牲にしてしまうオルフェウスの愛に比べたら、メディアの愛はまさに女の深情け。夫イアソンに裏切られたとき、イアソンとの間の息子も、将来イアソンの子を産むはずの若妻も、その父親も殺してしまうけど、イアソンだけは文字通りすっからかんにして放り出してしまう。オルフェウスはエウリディケが本当に「自分のもの」なのかどうか疑いを持つけれど、男としての未来を封じられたイアソンは永久にメディアのものになったも同然。このあたりが男の愛と女の愛の違いなのかもしれない。

片っ端から人を利用して英雄になったのにそれを自分の力量だと思い上がった勘違い男イアソンの話を、カレシがまじめに聞いていたからおかしくなった。思い当たるのは2日ほど前の年金の話だ。来年はカレシが国の年金を受給できる年なので、早めに申請して65才になってすぐに受給できるようにしておかないと、今は組合の年金がカバーしているつなぎの分がなくなってしまう。でも、カレシはすぐに申請しないで70才まで繰り延べするつもりだという。そうするともらえる金額が増えるんだそうな。それはそれでいいんだけど、「別に金に困ってないし」のひと言に、おいおい。

つなぎの分をカットされたたら家計は年間100万円くらいの減収になる。カレシはお金に困っていないかもしれないけど、その100万円は誰が穴埋めするの?今やっと心身ともに自由になって自分の稼ぎをエンジョイできるようになったのに、また仕事漬けになった挙句に「かまってくれなかった」なんていわれるのはごめんだからね。だけど・・・だけど、ちょっと待てよ。角度を変えて考えてみると、組合年金だけでは自分ひとりでも暮らせない。養って欲しい今どきのオンナノコにとって稼ぎのない年寄り男は自分の将来が不安で、いくらカナディアンでも魅力はないだろうから、私が放り出せばカレシはすっからかん。つまり、カレシは私のものってわけなんだ。私を囲い込もうとしたカレシが自分から「囲いもの」になるって、なんかすごい皮肉だけど、専業主夫になってもらうのも悪くないかなあ・・・

イアソンとメディアの話を神妙に聞いていたカレシ、結論はいったいどっちに転ぶのかな。

子供の情景

9月9日。今日は9月の9日。重陽の節句なんだそうな。節句というのは暦の上での区切りだから、夏が一服して、ちょっと秋の気配がして来るとか、そんな意味なのかな。陰陽では奇数は陽なんだそうだ。9という陽の数字が二つ並ぶから重陽の節句。偶数の方が陽だと思っていたけど、違うんだ・・・

菊の節句ともいうけど、子供の頃に住んでいたところでは菊は8月に小さな花を咲かせていたような気がする。夏は毎日のように塩気を含んだ霧がかかるもので、庭の草木はみんな下の方が茶色く枯れていた。別の土地へ行って、地面までずうっと緑色の植物を見てびっくりしたものだ。生まれて初めて水田に生えている稲を見たのもその頃だったかな。

だいたい、節分だって厳寒の最中。弥生3月桃の節句なんていっても、まだつぼみすら見当たらない冬。桜も梅もゴールデンウィークを過ぎてしまってからだったし、子供の頃は5月のそのゴールデンウィークによく雪が降った。幼稚園の出席表で今でもなぜか覚えているのが6月のページ。しとしとと降る雨に濡れるアジサイの葉をカタツムリが這っている絵が描いてあった。なにしろ、梅雨などというのは無縁だったし、カタツムリなんか見たこともなかったから、ある意味で異国の風景のような印象が残ったのかもしれない。小学校の社会科の教科書だって、農村の風景や山村の風景の挿絵は、北海道の最果てで育つ子供にはめずらしくさえあった。

私が育った風景にあったのは、囲炉裏ではなく石炭ストーブ(古いのはルンペンストーブと呼んでいた)。石炭は馬車で配達に来ていた。煙突の途中に大きな湯沸しがあって、熱いお湯がいつもたっぷり。でも、冬中何回かの煙突掃除はどこの家でも父親の大仕事だった。ストーブといえば、夕飯のおかずに食べた宗八(カレイ)の骨をよくストーブの上でこんがり焼いて食べた。骨せんべいと呼んでたけど、あれは育ち盛りの子供にカルシウムを摂らせようという両親の知恵だったらしい。そうそう、毛糸の長靴下を履いていて、それでも足にしもやけができたっけ。お正月のみかんも箱の中でよく凍ったらしい。

こんなところが私の記憶の中にある「日本」の原風景のひとつなんだけど、あれは高度成長期よりももっと前の、まだ後進国の方に近くて、NHKのテレビも見られなかった頃の話。半世紀経った今では、北海道にだってさすがにこんな風景はありえないだろうなあ。今では日本が隅々まで標準化して、日本全国どこへ行っても「日本の風景」なんだろうか。まあ、あたりまえだといわれればあたりまえなんだろうけど、やっぱり何となくピンと来ないなあ・・・

旅の空もようは

9月10日。何だかそんな気がしなかったんだけど、カレンダーを見てみたら今日は月曜日。昨日(つまりは今日?)はカレシの10代の頃の音楽の話を聞きながら、お気に入りのシングルモルトのスコッチを2杯(ひょっとしたら3杯?)。ベッドに入ったのは午前5時に近かった。ちょっと酔った勢いでカレシにちょっかいを出していたような。あはは、それも愉快。思い出せたらもっと愉快なんだけど・・・

久しぶりに退屈で退屈でしょうがないプロジェクトから解放されて、まあ、相も変わらずスケジュールは満杯なんだけど、人事につながる仕事はまるでメロドラマを見ているようでおもしろい。もちろん、当事者たちは全然楽しくも何でもないだろうけど、手間取る割にはつまらない仕事が続いて、ああ、何かおもしろいことがないかなあ、と切実な気分になっていたところだから、一見他愛のないもめごとを訳しながら、ウヒョウヒョ、キャッキャッと息抜きをする。今どきのデモグラフィックな日本人を観察しているようでおもしろいんだけど、やっぱり、最後的には「あ~あ、完全にたがが緩んで外れてしまってらぁ~」となってしまう・・・

パスポートの写真ができて、後は早めに更新の手続きをするだけになって、飛行機は取ったのにホテルはまだだったことに気づいた。会議場のホテルか、いつものホテルか、検討中というところだった。ところが、お気に入りのニッコーも、かってのパンパシフィックであるマリオットも予約の受け付けは中止と来た。ええ、ゴールデンウィークでもあるまいし、いったい何があるんだろうなあ。ま、サンフランシスコは予期せずしてホテルの確保が難しかったりするから、しょうがない。ユニオンスクエアのウェスティンなら空きはあるけど、ここはめっちゃお高いのだ。だけど、サンフランシスコの最後の夜はここ!と決めているMichael Minaのレストランがあるし、ふ~ん、どうしよう・・・

結局は、会議のあるフィナンシャルディストリクトのホテルに決めた。ま、サンフランシスコの中心部はほぼ徒歩圏内だから不便はないし、何よりもコンファレンス参加者向けの特別レートで超格安。それに、経費で落とせるんだから、高かろうが安かろうが、あまり気にすることもない。サンフランシスコは飛行機で2時間。私たち二人が揃って楽しい「逃避地」なのだ。どんなところか、と聞かれても、う~ん、サンラフランシスコはサンフランシスコ。ニューヨークがニューヨークで、シカゴがシカゴなのと同じことで、「土地それぞれ」というところか。バンクーバーがバンクーバーであるのと同じように、比べられるはずがないし、それぞれに個性豊かな土地柄なわけで、比べようがないのがあたりまえだろうと思う。今まで行ったところはどこも独特のキャラクターがあってみんなそれぞれに好きで、二人ともどうしても馴染めなかったのはロンドンくらい。

旅人の感性もひとそれぞれってところなんだろうけど、自分が馴染んだ「我が国」と違うからってストレスになって罵詈雑言を吐いていてもしょうがない。ヨーロッパは北米とは違うし、アメリカはカナダと違う。「違う、違う、ぜんぜん違う」の連続だ。そこのあたりにどのように折り合いをつけるかは、時代ごと、民族ごとに、その視点が大きく異なっているからおもしろい。だからこそ旅はいつも新鮮で楽しいんだけど、突き詰めて言えば、現代の日常を離れた物見遊山の旅は「Survival of the fittest」。つまりは、動物的な闇を脱して文明の明かりを点した人類にとっては最後の「適者生存」の(楽しい)テストなのかも・・・。

うわっ、衝動買い!

9月11日。なんだかモンシロチョウになってしまったカレシだけど、今日から英語教室を再開。希望者が少ないといわれてキャンセルしたら、ネイバーフッドハウスの方が慌てたらしい。一挙に10人も生徒を集めたそうな。ハウス側は会費みたいな形で10ドル徴収するけど、実質的に無料クラス。でも、クラスは昼過ぎに始まるので来れる人が少なかったりする反面、口コミで生徒が増えすぎたりもする。日本人移民はよく掲示板で無料の学校、安い学校がないか聞いて回っている割にはほとんど来ないらしいから不思議。

大まじめに仕事をするはずだったのが、なんとなくオンラインショッピングに脱線して、結局ドレスを4着も買ってしまった。土曜日にパスポート写真ができ上がるのを待っている間ぶらぶらウィンドウショッピングをしていたらティファニーの店があった。へえ、なんでこんなところに?というのが印象。というのも、1丁南は有名ブランド店が並ぶロブソンストリート。上にさして高級でもない日本レストランがある古ぼけた二階建てビルとハイクラスの代表格みたいなティファニーの組合せがちぐはぐなのだ。そこから先は日本のバブル全盛時代に日本人向けのおみやげ屋が軒を並べていた通りで、今は見る影もない。でも、ティファニーが敢えてそんな場所を選んだのは、その一角にも高級化の波が来る日が近いことを期待してのことだろう。

去年の秋に開店してから一度も入ったことがなかったからちょっと入ってみた。思ったよりずっと小さいから、品数も少ない。でも、その中で、アメジストとトルマリンとぺリドットの小さいビーズをあしらったペンダントに直感的に「これ!」と思ってしまった。ティファニーではケースのアクセサリー類は値札を見せないという、けっこうにくい演出をしている。ニューヨークでも銀のヒトデのチョーカーが気に入って、ケースの回りをぐるぐる回ってやっとおそるおそる値段を聞いたのだった。ああ、あのペンダント、300ドルくらいかなあ。それとも500ドルくらい行っちゃうかなあ。買ったらちょっと胸の開いたドレスがいるなあ・・・なんて思っているうちに、ドレスのほうを先に、それも4着も買っちゃった。あのペンダント、クリスマスまでちゃんとあるかなあ。なんて、買えるかどうかもわからないのに、し~らない。

やれやれ、今から腕まくって、がんばって仕事をしなくちゃあ・・・

結婚しない人たち

9月13日。カナダ統計局が去年の国勢調査に基づく「家族形態」のデータを発表した。これによると、伝統的な「結婚」が減り続けているそうだ。伝統的というのは法律上の結婚のことで、単親家庭、事実婚、同性婚といった「非伝統的」な家庭が急増しているというわけ。

事実婚カップルが最も多いのはカトリックの伝統の強いケベック州で全体の半分。増加率が最も高かった年齢層はなんと60才から64才で、5年間で77%も増えたとか。法律婚にこだわらなくなりつつあるのは、いったん結婚したら解消する手続きがめんどうだからだろう。どこの州でも結婚するのに結婚法があって、離婚するのに離婚法があるけど、BC州の結婚法と離婚法を比べたら、離婚法の方が格段に長いのだ。で、よくよく読んでみたら、ほとんどが子供を含めて何が誰のものかという、相互の「コミットメント」などは二の次で、結局は「所有権」の話ばかり。だったら、結婚は社会契約なんていうくらいなんだから、好きな同志で契約を作って、互いに資源を持ち寄って暮らし、冷めたら「契約書」に従って別れた方がよっぽど民主的かもしれない。

それに、カナダには戸籍制度がないから戸籍謄本というものがないし、嫡出子と非嫡出子の差別もなく、夫婦別姓が認められているから、結婚している、いないは見てわからない。税金や社会保障の上では法律婚でも事実婚でも同性婚でも、配偶者の権利は同じだし、就職するにしてもそんな私生活の質問はご法度だ。要するに、社会的に法律婚にこだわる理由が見あたらなくなっているということだろう。

私だって、もしも日本のように離婚届に判を押して役所に届けるだけで「結婚」を解消できるんだったら、たぶんそうして、改めて「事実婚」としてカレシと再出発していたかもしれない。それができないから結婚指輪を捨てるという「儀式」で自分なりにやり直しのけじめをつけたけど、カレシの方は「法律ではまだ結婚しているんだ」とのたまわるから、「その法律を蔑ろにしたのはあなたです」といっておいた。

でも、まあ、あれから数年経ったけど、二人はまだカップルでいるわけなんだから、家族の関係など元からして法律で縛れるものじゃないのかもしれない。家族の愛やコミットメントは法律で「~たるもの~すべし」なんて四角四面に規制できるものじゃないもの。ディケンズの言葉を借りるなら、「The law is an ass(法律など頑迷なおバカ)」なんだから。

新聞記事によると、(離婚や死別によらない)単親、事実婚、同性婚という新しい家族形態が増えたことで、カナダ人はその多様性にきわめて寛容になったという。これは大いに喜ぶべきことだよねぇ。

安倍さんでなくたってストレス

9日13日。安倍さんが急に辞めちゃったと思ったら、機能性胃腸症とかいうので入院したとか。「美しい国」を標榜する経済大国日本の総理大臣が、なんだか「ボク、もう、や~めた」みたいな感じで仕事を放り出してしまうって、どう見てもやっぱり今どき風だなあ。経費のごまかしみたいなケチっぽいスキャンダルで次々大臣が辞職なんてバナナリパブリックじゃあるまいし、と思っていたけど、見たら二代目、三代目のお坊ちゃまばっかし。昔から「売家と唐様で書く三代目」というからねぇ。それに、子供は親を見て育つものだし・・・

胃腸障害というから何かと思ったら機能性胃腸症だって。ちょっとググッてみたら、日本人の4人に1人は経験者で、比較的女性に多いんだそうな。世界的にも増えているそうだけど、要するに、カレシなどは成人した頃からずっと患っているというストレス性の胃腸障害。消化不良に胸焼け、げっぷにおなら・・・。カレシはTUMSという制酸薬の一番大きいのをいつもベッド脇においているし、旅行に行っても必ず一度は薬局を探し回ることになる。だけど、入院するってのはちょっと大げさじゃないのかなあ。世界中にごまんといる患者は、薬を飲んで、愚痴をこぼして、それでも仕事は投げ出さずにがんばってるんだけど。

バンクーバーではレストランの屋外パティオや建物の入口付近などでもタバコを吸えなくなるそうだ。夏は人気のパティオだけど、歩道の一角を占拠しているわけで、若い人に人気のレストランやスターバックスのあるところでは、歩行者はタバコの煙の中を歩かされる。歩道いっぱいに若いアジア人が固まってタバコをふかしているところには英語学校があると冗談に言われるくらい。(まあ、歩道いっぱいで通れないから、煙の中を歩かずに済むんだけど。)新条例ではビルの入口6メートル以内は禁煙になるそうで、毎日雨の季節が来たら、スモーカーにはストレスの溜まる街になるかもしれない。

バンクーバーの住宅取得可能指数が71を超えたそうだ。平均的な世帯が平均的な戸建の家を買うには世帯所得の71%のお金がかかるということだけど、これは税引き前の世帯所得だから、手取りの所得で見たら100%を超えてしまう。何とか平均的な家を買えたとして、平均的な25年償却のローンだと月々の支払が実に3230ドル(約35万円)だから、共働きでも苦しいだろう。金利が一ケタの今でもこれだから、若い世代には大きなストレスだろう。ちょうど25年前に私たちが初めてマイホームを買ったときの金利は20%近かったから、半分近い頭金を払ってもまだ私の手取りがほぼすっぽりローンの返済に消えたけど、それでもバンクーバーに家を買うことはできた。今だったら、標準25%の頭金を貯めるのだって難しそう。

きのうの家族形態の統計によると、一世帯あたりの人数が減り続けて、今では単身世帯が全世帯の3割近くになっているという。15才以上の人口で未婚者が過半数を占めるようになったこともあるだろう。独居人口が増えると、住居もそれだけの数が必要になる。ダウンタウンはコンドミニアムの建設ラッシュだけど、このあたりにも原因があるのかもしれない。独身で、大きなローンを抱えて、気晴らしにスターバックスの歩道のテーブルでエスプレッソを飲みながらタバコを吸うこともできないとなれば、安倍さんじゃなくたって機能性胃腸症になるんじゃないかなあ。若いって大変・・・

秋の日のためいきの・・・

9月14日。夏らしさもどうもこれまでらしい金曜日。朝食もそこそこにダウンタウンへ出た。まずは、予約をしてあった公証人のところへ行って、日本で必要な書類に署名して、自筆の署名であることを証明してもらう。何しろ、結婚して英語苗字になって、それからファーストネームが変わって、日本国籍はとっくにないし、おまけに戸籍も抹消してしまっているというややこしい話になもんで、あっちの国のお役所が「どこの誰なんだろ?」と首をかしげてあたりまえのユーレイ日本人なのだ。

次の目的地はとなりのブロックにあるパスポートオフィス。テロ対策におおわらわのアメリカが、これまではパスポートもビザもなしで往来できたカナダ人にもパスポート所持を求めることに決めたから、さあ大変。今年は空路でのアメリカ入りだけなんだけど、今までアメリカは庭続きの「お隣のワシントンさんち」みたいな感覚でいたカナダ人はパスポートを持っている人が少ない。それがパスポートがなきゃ出張もできないとなって、パスポートオフィスには初めてパスポートを申請する人たちが長い、長い列を作った。朝の5時に並んで、手続きが終わったのは正午近くなどという信じられない話もあったそうだ。

でも、先月から、すでにパスポートを持っている人は写真とパスポートと簡単な申込書だけで、めんどうな国籍や身元の確認手順が不要になったおかげで、混雑はかなり緩和されたらしい。着いたのは午後1時過ぎで、待合室には空いた椅子がちらほら。おお、と思ったら、番号をくれた案内カウンターの人が「ここで待っていなくても、1時間くらいで戻ってくれば大丈夫」だって。なんだ、番号をもらってコーヒーでも飲みに行ってしまった人がたくさんいるらしい。というわけで、私たちもダウンタウンをぶらついてくることにした。

パスポートオフィスに戻ったのは午後1時ちょっと過ぎ。歩き疲れた足を休めること30分ほどで私たちの番号が表示板に出た。その間、応答がなくて別のに変わった番号がいくつかあった。あれあれ、ランチに出かけて戻るのが間に合わなかったのかな。この人たち、また並び直しになるのかしら。二人分を一緒に手続きしている間に、案内窓口にオフィスの外まで溢れる行列ができた。どうやら金曜日の午後ということで、早めに仕事を抜け出して来た人たちがかなりいるようだ。二人分174ドルの手数料をクレジットカードで払い、レシートをもらって、手続きはおしまい。新しいパスポートは10月第1週に書留で郵送されるとのことで、サンフランシスコ行きに十分間に合いそうだ。

これで今日の用足しはおしまい。始まりが早い金曜日のラッシュアワーの中を、帰り着いたら3時半過ぎ。市役所からの郵便を見て仰天。先月払ったはずの駐車違反のチケットが未払いだからと何と「召喚状」。小切手帳を見たら、あちゃ~、払った金額を間違って、足りないではないか。すでに払った分は丸損ということにして、倍になった罰金を払うか、裁判所へ行って「無実」を主張するか。もちろん、メーターの時間をオーバーしてたんだから、無実ってことはありえないわけで・・・しょうがない、60ドル、スト中でサービスがゼロの市役所に、鼻をつまんで寄付しちゃおっと。

仕事はどんどん遅れて来た。ここんところは、のんきにブログなど書いてないで、腕をまくらなくちゃ。いや、腕まくりなんて柔なことは言ってられない。もろ肌脱ぎにねじり鉢巻3本で徹夜、くらいじゃないと・・・

秋来たりなば冬遠からじ

9月15日。土曜日。天気はどうやら下り坂。今年はあちこちで早々と紅葉の始まっているそうだ。そういえば我が家の池のほとりにあるツタカエデも半分ほど紅葉している。木々はラニーニャのせいで寒い冬が来るって知っているんだろうなあ。

仕事が詰まったと言いながら(ほんとにきっちきちに詰まっているんだけど)、ディナーにお出かけ。今日は久しぶりにお気に入りのLe Crocodile。前回のサーバーだったラファエル君の担当のテーブル。ちょっとおちょぼ口のフランス語訛りがかわいい。(ケベックのフランス語じゃなくて、フランスのフランス語の訛り。)私は焼いたフォアグラとウズラのグリルの前菜にカリブーのヒレ肉。カレシはシャンテレルのサラダとヒレ肉のステーキ。ちょっとこってりだから、ワインはローヌ川下流のグレナシュを多く使ったものを選んでもらった。

フォアグラの横についていたウズラ。ちっちゃなドラムスティックを見たら、こんな「小鳥」を食べちゃってもいいのかなあと思ったけど、けっこうあっさりしていい味だった。カリブーというのはカナダ北部の森に住むトナカイ。そのヒレ肉なんだけどクセがない。ラムの方がよっぽど自己主張が強いくらいだ。ソースはワインリダクションという、ワインを煮詰めて濃縮したもの。

このリダクション、エスコフィエが考案したという話で、今けっこう流行っているソースだけど、簡単なようで実はすごい量のワインやお酒がいる。飲み残しのワインを使い切ろうと思って作り始めたら、結局もう1本開けて、その半分も使ってしまったくらいだ。それでできあがったのが、二人前ちょっとくらいのレッドワインリダクション。思いつきにしては上出来で、おいしかったけども・・・

カレシに、明日は2日分の仕事を超特急でやっつけなきゃならないもんで、おかまいできませんよ~と予告したら、「ボクはパスタソース作りで忙しいからいいよ~」ときた。緑色のままぐずぐずしていたトマトも慌てて色づいているらしい。やっぱり冬はすぐそこまで、なのかな。