リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年10月~その2

2009年10月31日 | 昔語り(2006~2013)
虎の威を借るなんとやら

10月16日。また何かのサスペンスドラマみたいなヘンな夢を見て、はっと目が覚めた。猛烈に眠いけど、夢には戻りたくなくて抵抗しているうちに眠ってしまって、また続きなのか次回エピソードなのかわからないドラマチックな夢を見て、はっと目が覚めた。きのうはけっこう大まじめにに仕事に精を出したんだから、すごく眠いの。まぶたがふわ~っと下がって来るけど、もうヘンな夢はいやだから、チャンネルを変えてよ~と言ったかどうか知らないけど、また眠りに落ちて、今度はたいしてストレスにならないような夢をとろとろ見ているうちに、ごく自然に目が覚めた(というよりは、カレシの気配で目が覚めたような・・・)。

金曜日。正午過ぎ。雨が降っている。早朝のうちにかなり派手に降ったらしい。早起きしたカレシが、落ち葉が詰まって雨水が盛大に溢れていた雨どいの掃除をしたんだそうな。小止みになったと思ってはしごに登って腐れ落ち葉をかき出していたら、急にどば~っと降って来たもので、びしょ濡れになったとこぼすこと、こぼすこと。バンクーバーの10月は雨期の始まり。カレシは水かきが生えていると言われる生粋のバンクーバーっ子。人生のほとんどをその雨のバンクーバーで暮らして来たんだし、今が一番好きな季節なんでしょ?

きのう、来年のオリンピックのメダルが公表された。アンチ(バンクーバー)オリンピックのワタシだけど、メダルのデザインは独創的で気に入った(もちろん、もらえるわけじゃないけど)。ひとつの大きなデザインから個々のメダルを切り出すという発想がユニーク。全部を集めて並べるとひとつの絵にまとまるようにできている。シャチの絵柄は「チームワーク」を象徴しているんだそうな。地元のデザイナー2人の共同制作で、材料にはリサイクルしたコンピュータやエレクトロニクス製品から回収した金、銀、銅を使い、地元の会社が精錬して作ったというところもいい。だけど、1個の重さが500グラム以上もあるというから、水泳のフェルプスみたいにいくつもの種目に出てメダルを取りまくったら、首の骨がどうにかなってしまいそうだなあ。

メダルはよくできていると思うけど、オリンピックの前後と期間中の交通規制はひどいもんだ。ダウンタウンなど「立ち入り禁止」みたいなもんだし、やたらとセキュリティのチェックポイントができて、バンクーバーがバンクーバー市民のものでなくなるという感じがする。あたりを全面駐車禁止にされた上に、商品の搬入を夜中にやれと言われて商店は大むくれだし、通勤の足を乱される勤め人も大むくれ。車をやめて交通機関を使えと言われても、たぶん「オリンピックさまのお通り」ってことで、ルートの変更やら何やらと不便そう。オリンピックは儲けるチャンスだと腕をまくって喜んだレストランやカフェも、今になって客足が遠のくかもしれないと心配し始めたらしい。だからワタシが初めっから口を酸っぱくして言ってたじゃん、やめときなって。まあ、2月はたっぷり兵糧を蓄えて、冬ごもりだな・・・

セキュリティと言えば、ある日本在住英語人のサイトに「渋谷センター街パトロール隊」とかいう、自警団だか何だかのオヤジと、たまたま歩道のガードレールに座っていて「座るな」と注意されたアフリカ系の兄ちゃんとがもめているYouTubeのクリップが載っていた。日本語が良くわからないらしい外国人を相手に「日本のサムライとやるのか」、「アメリカもアフリカも関係ない。ここは日本だ、サムライの国なんだ」と、なんかやくざ顔負けの凄みよう。ニッポンのサムライねえ。なんか、特高警察や大政翼賛会が市民生活の隅々にまで目を光らせていた戦前の日本みたいな感じもするけど、ああいうやくざっぽい自警団を英語ではVigilantesといって、暴力的で腐敗した社会で見られるものだと考えられている。まあ、サムライの国ニッポンだと威張ってるけど、ああいう人たちが外国に行ったら、へらへら笑って借りてきた猫のようなニッポン人になるのかな。ふむ、見たくないものを見ちゃったような気分・・・

まあ、あれは日本の東京の渋谷の一角のことだし、この次日本に行ったら足を向けなければいいだけのこと。野次馬ワタシは次の仕事に猛ダッシュした方がよさそう・・・。

秋深し、4コマ漫画で読む世相

10月17日。土曜日。正午過ぎ。ヘンな夢は見なかったけど、目が覚めてもまだ眠いなあ。雨模様で薄暗いせいなのかな。だけど、ちゃんと起きて、しっかり朝ごはんを食べて、がんがん仕事をしなくちゃ・・・と、自分で発破をかけてみる。(「はっぱを」と打って変換したら「葉っぱを」と出てきた。ふむ、たぬきのように木の葉っぱを頭に乗っけて仕事をドロンと化かしてしまえたら楽ちんだろうな。だけど、それでお客さんからもらったお金がドロンと化けた木の葉っぱだったら困っちゃうなあ。いつもワタシの周りを舞っている葉っぱは「言の葉」。まあ、言葉って玉虫色の七変化だから、使う人しだいでは化かし合いも自在だけど、いい加減に粗末に扱うとそうでなくともややこしい世の中がよけいにややこしいことになるから、ご用心。

インターネット前の時代で、日付どおりに配達されるのが画期的?だった読売新聞衛星版で、連載小説の「天の瞳」と並んで毎日楽しみだったのが「コボちゃん」。そのコボちゃんのママに赤ちゃんができたんだそうな。長らく1人っ子だったコボちゃんもお兄ちゃんになるってことか。ほのぼ漫画といえば、カナダにもリン・ジョンストンという女性の書いた『For Better or For Worse』というファミリー漫画があって、北米各地の新聞に掲載されていた。ジョンとエリーのパターソン夫婦に、息子のマイケル、娘のエリザベス。この作品では年と共にリアルタイムで子供たちが成長し、ある時点でエリーに思いがけず3人目ができ、4月1日に生まれてエイプリルと名づけられた。連載が一応終了した時には、ジョンとエリーは隠居、マイケルは家庭を持って2児の父、エリザベスは結婚、末っ子のエイプリルは大学に進学。いろいろな社会問題をユーモアに包んで織り込み、やんわりと提起していたっけ。

コボちゃんの作者にも、少子化、高齢化、不況に揺れる雇用問題、と悩み多き日本の世相を4コマ漫画でビジュアルに提起する意図があるのかな。短い言葉とシンプルなイメージで読者に端的に訴えることができるという意味では、こういう漫画(コミックス)は簡潔で効果的なコミュニケーションの手本みたいなものだろうな。ビジュアルということでは、「マンガ」も「アニメ」もあるけど、あっちは娯楽ストーリー(があるのかどうかわからないけど)が狙い。ピリッと効いた風刺やコメントでは、4コマ漫画(あるいは社説欄などに載るひとコマ、2コマの漫画)には勝てない。それはそうとして、「その日」の4コマが読売のサイトに掲載されていたけど、酔ってご帰館のパパを前に、ママの眉がコマごとにだんだんつり上がっていくのがなんともおかしかった。

今日は土曜日だけど、来週の金曜日から少なくとも9日は外食になるから、計画していたおでかけは中止。その代わりのディナーは、刺身にえびと枝豆の酢のもの、カレシ菜園産の(日本種の)かぶの葉っぱご飯。忙しいときはこれが一番の特急料理。刺身には、きのうキハダといっしょにグリルしてあまりの脂の多さにびっくりしたアルバコア(びんなが)まぐろのとろ(「びんとろ」というらしい)も添えてみたけど、元から脂が多いまぐろだから、とろよりも普通の背の方がおいしいという気がする。まあ、キッチンにはまだきのうの脂の匂いが漂っているし、次回はグリルをやめてブロートーチ(バーナー?)を使ってさっと表面を焼いてみようか・・・。

バンクーバーは大雨注意報らしい。どっと降ったと思うと小止み。しばらくしてまた土砂降り。小止みのときに温室に行ったカレシが、土砂降りで出られなくなって、せいぜい10メートルもあるかないかの距離なのにかなり濡れて戻ってきた。ひょっとしたらこの大降り、先週の日本の台風のなれの果てだったりして。ニューヨークも雨の予報らしいし・・・秋、だな、ほんとに。

ユーチューブ症候群

10月18日。やっぱり雨。今日はほんっとに本気になってねじり鉢巻しなきゃならない。しなきゃならないんだけど、どうも、気合が入らない。やるぞ、という気持はあるんだけどなあ。こういうのをスランプっていうのかなあ。それでも、「ニューヨークでの休日」までに片づける仕事はちゃんと片づけなきゃいかんなあ。

コロラド州での「気球坊や」の騒ぎはどうやら作られた「リアリティショー」だったらしい。6才の子供を乗せたまま、相当な高度をかなりのスピードで飛んで行く「銀色のきのこ」の映像は、大手ネットワークが大統領のタウンホールミーティング中継を中断してまで延々と実況中継した。零下の気温というから、最悪の場合は子供が凍死してしまうかもしれないし、落ちれば確実に助からない。北米中が手に汗を握って子供のことを心配して、実は「気球の側で遊んでいたのをパパに叱られてガレージの屋根裏の箱の中にずっと隠れていた」とわかって胸をなでおろした。ところか、テレビの人気トークショー番組に一家揃って出演したところで、どうして隠れていたのかと聞かれた子供が親の方を見てあどけなく、いともあっけらかんと言ってしまったもんだ、「ショーのためだって言ったじゃん」と。パパは一瞬ぎくっ。子供はやっぱり子供。正直なもんだよね。まあ、あのひと言がきっかけで状況にそぐわないパパの言動が明るみに出たりして、「やらせ」じゃないかということになり、結局は刑事訴追されることになってしまったんだけど。

この「リアリティショー」というやつ、ほとんどテレビを見ないワタシにはよくわからないけど、くろうと主演、しろうと主演を取り混ぜてずいぶんあるらしい。主演が芸能人なら、新人にとっては売り出す足ががり、ベテランにとってはカムバックのチャンスになる「ショー」でいいんだけど、しろうとが出ると何かと物議をかもすことが多いような。「イケメン資産家の花嫁募集」というリアリティショーで当の「資産家氏」が実はビンボー青年だったということがあったし、6つ子を含む8人の子持ちカップルのショーが、夫の浮気やら何やらで泥沼の離婚騒動になっているし、俳優を目指してリアリティショーに出ていたカナダ人男が「水着モデル」の奥さんを殺して、逃亡して戻ったカナダで自殺したなんて事件もあった。この事件では指を全部切り落とされ、歯を全部抜かれた死体の身元が豊胸インプラントのシリアル番号から判明して容疑者が浮かんだというドラマそこのけの顛末になった。

「ありのままの日常」を見せる(はずの)リアリティショーの裏で繰り広げられる人間模様の方がずっとドラマチックなのは、やっぱりそこにほんとうの「リアリティ(現実)」があるからなんだろうな。それにしても、「気球坊や」のパパも含めて、やりたい人が押せ押せでアイデアの売込みが半端じゃないらしいそうだから、世の中どうなってるんだろうと思うけど、つまるところは、しろうと出演者には「手軽に有名になれて手軽にお金を稼げる」というのが魅力なんだろうな。まあ目立つためにはなりふりかまわず、考えもせずという人間が増えているのかもしれない。もっとも、ビデオカメラが普及した頃に早速「ケッサクホームビデオ」とでもいうコンテスト番組ができて(まだやっているらしいけど)、初めっから意図的に演出された出品作?も多かったらしいから、目立ちたがりも一攫千金も今に始まったことじゃないのは確かだとしても、昨今のリアリティショーブーム、「ユーチューブ症候群」とでも呼んだらいいのかなあ・・・

他人のことを恥ずかしがる人

10月19日。雨、ひと休み。仕事の予定があんまり遅れてないなと、例によって高をくくって、カレシとモールへ出かけた。図書館へ借りていたCDを返しに行くカレシと、モールを抜けて銀行へお金を出しに行くワタシ。なぜか誰も客がいないので、行列を整理するロープを無視して一番近い窓口に直行して、当座の軍資金としてアメリカドル建て口座から600ドルほど引き出して、モールへ。買い物はコンタクトレンズの保存液とカレシご入用の耳栓。郵便局に寄ったカレシが「ヘンなのが来ている」と差し出した封筒。アメリカの通販会社からの払い戻しの小切手。あはあ、去年の夏に手違いでFedExに送り返されて、そのまま忘れてしまった「あれ」だ。へえ、苦情も何も言わなかったのに、1年以上も経ってから「未処理になっていました」って、律儀だなあ。今でもカタログを送ってくれているから、ひいきにしてあげなくちゃなあ。

きのう「気球坊や」の話を取り上げたら、どもう日本でも注目を集めたようす。男の子の母親が日本人だとわかったからかな。最初にニュースで「リチャードとマユミ・・・」と言ったときにすぐ「日本人」だと思ったけど、少なくともワタシが見た限りでは、アメリカ(カナダ)のニュースでは特に「母親は日本人」とは言っていなかった。見ていた人も、「あ、奥さんはアジア人か」いうぐらいのもので、中国人だと思っている人もたくさんいる。この「マユミさん」が日本生まれの日本人ということは確からしいけど、北米のマスコミで注目を集めているのは子供を出しにしてテレビ進出を図った「目立ちたがりの困ったカップル」であって、2人がハリウッドの演劇学校で出会ったという背景には関心を持っても、異人種カップルということは本題と関係がないから関心を引かないんだろうと思う。

だけど、日本ではやっぱり関心の行きどころが違うんだろうなあ。アメリカの中西部の「困ったちゃん夫婦」の一方が日本人とわかって興味がわいたらしい。そこで、どんな反応なのかと、一番過激そうなローカル掲示板をのぞいてみたら、ははあ、やっぱりなあ。「日本人のイメージが下がる」、「日本人がこんなだと思われたくない」、「日本人叩きの影響がでそうだ」と文句を言った挙句に「同じ日本人として恥ずかしい」。しょっちゅう見かけるこの「同じ日本人として恥ずかしい」という感覚がワタシは未だに理解できない。「恥ずかしい」というのはそういう人の主観的な感情じゃないのかなあ。

日本という国が人道的犯罪を犯したわけじゃあるまいし、どうして国籍が(あるいは人種が)「同じ」というだけで、他人を自分に取り込んで、その言動を恥ずかしいと「感じられる」のか。他人を取り込んでしまうという行為はその他人の人格を否定することだと思うんだけどなあ。ワタシ自身が知らない日本人にさんざん「日本人らしくない」ことをなじられた挙句に「同じ日本人として恥ずかしい」とダメ押しされたときには、「ワタシ」という人格を剥ぎ取られたようなショックを感じた。まあ、自分の人格を肯定できない人が他人の人格を肯定するなんてできないだろうし、他人も人格を持った人間だという意識すらないかもしれないんだけど。そういうレベルで見たら、カレシにもそういうところがあった(ある)から、日本人に限らず個々の人間性の問題なんだろうけど。

それでもやっぱり「同じ日本人として」というところが不可思議だなあ。結局は、「自我」という概念がないから自分と他人の区別がつかないのかな。それとも、自分という人間が見えないないから他人を鏡代わりにしているのかな。バカなことをしている人間を見たら、ワタシは「ばっかじゃなかろか」と呆れはしても、自分がやっているわけじゃないから「恥ずかしい」という気持にはならない。「何をばかなことやってんだ」とは言っても、「(こっちが)恥ずかしいからやめて」とは言えないな。ご当人は「恥ずかしいこと」をしていると思っていないかもしれないから、「同感」でもないし、「共感」とも違うような気がする。だいたいからして、「恥ずかしい」というのは言動を実行した人がそう感じなければ、誰が言ってもまったく意味をなさないと思うんだけど、それを言ってしまうのも「律儀」のうちに入るのかなあ。考えるほどに、わからない・・・

日本人に喜ばれる日本人て?

10月21日。やった、やった。ついに最後に残った仕事が片付いた。出発まであと丸1日。明日は超特急で請求書を書いて、消費税の申告をして、デスクの周りを片づけて、重要書類は金庫にしまって、代わりにパスポートを出して、持って行く新しいスーツケースを買いに行って、お留守番に来てくれるシーラのためにパンを焼いて・・・いやあ、なんだかすることがどっさりあるなあ。どうして旅行の前となるとこうもてんてこまいのてんやわんやになるんだろう。いつものことなんだけど・・・

コロラドの「気球坊や騒動」のその後、なんかまあいろいろと展開している。ニューヨークの新聞に一緒に訴追される奥さんが自分だけの弁護士を雇ったという記事があった。離婚専門の弁護士じゃなくて刑事弁護士。二人が出演したリアリティショーで、ダンナがマユミさんと交換で自分の家に来た別人の奥さんに毒づいて「オレの女房が日本生まれで良かったよ!」とわめいたんだとか。おかげで、DVがあったとか、奥さんはダンナの奴隷も同然だったとか・・・。新聞のコメント欄にも「おとなしくて従順な日本人妻とアメリカ人関白夫」のステレオタイプ的な関係に注目するコメントがけっこうある。はて、マユミさんの新しい弁護士は「DVの被害者であるか弱いアジア人妻」を前面に出して弁護しようという策なのかもしれないな。まあ、今の世の中ほんとうに「おとなしくて従順な日本女性」なんているのかいな、と思わないでもないけど、あんがい情状酌量のネタとして有利なのかもしれないな。

Japan Probeにはデイブスペクターとかいう25年もアメリカに住んでいないヘンなアメリカ人が「気球坊や騒動」の解説をしているフジテレビのニュースが載っていた。ふむ、アメリカのモラル低下の象徴ってことなのか。へえ。日本在住英語人たちはパパラッチみたいな日本のマスコミがマユミさんが日本人だということにほとんど触れないのはなぜかという方に関心がある。そこはワタシも「ん?」と思った。日本人が何か(概ねいいことを)すると、どこの出身とか、地元の人たちが「自分ことのように」喜んでいるとか、日本にいる家族に密着取材だのと追っかけ回すだろうに、名前から日本人だとわかるのにまるで「はあ、気がつかなかった・・・」とでも言う雰囲気だからおもしろい。好対照だから「どうして?」という疑問を生まれるんだろうけど、ほんとにどうしてかな。やっぱり「同じ日本人として、ほめられることだったら自分がほめられたようでうれしいけど、かっこ悪いことだったら自分がかっこ悪く感じるから「恥ずかしい」。だから触れたくないのかな?ま、明日ゆっくりつらつら考えてみるか。

日本人らしさって何だろうな

10月22日。出発前の最終日。のっけからカレシはオンラインでチェックインするのに、まず自分のプリンタの黒のインクが不調でプリントできないかもしれない。じゃあ、ワタシのPCからやればいいということになったら、今度は指定した座席と違うとカリカリ。(あのさぁ、消費税の申告やら、支払いの設定やら、請求書書きやら、今日中にやることが何かとあるんだけど・・・。)まあ、機材が変更になったせいらしいけど、一応は与えられた座席でチェックインして、少し早めに空港に行って変更してもらえるかどうか交渉すればいいということになった。やれやれ、何だって出かける前になるとこうストレスだらけになっちゃうんだろうなあ・・・

消費税の申告は、帳簿付けは後回しにして、ログや請求書からざっと計算。第3四半期だし、納付額はゼロだし、還付される額は微々たるものだし、ま、年度末の処理までに帳簿を整理すればちゃんと帳尻が合うわけだから、いっか(と思う)。留守中に支払期日が来る請求書の支払いの設定をして、最後の仕事を送って、10月分の請求書を書いて、駆け足で夕食をして、カレシは英語教室、ワタシはモールへ。なんせ近頃は機内持ち込みは10キロまで。ワタシが15年も使い古したスーツケースは空っぽで4キロはあるから、軽量のを買わなくちゃ。ということで、いかにも軽快そうな樹脂製のものを買った。空の重さは2.8キロで、4個の車が自在に回るから機内の通路を押して歩けるし、ジッパーひとつで容量が25%も増える。カレシは「ニューヨークで買い物する気満々!」と笑うけど、遊びの旅行では、行きは軽装でも帰りは荷物が増えてスーツケースを預けることが多いから、
何かと便利そう。さて、あとは荷物をまとめるだけ。やれやれ、何とか出かけられそう・・・。

ほっとひと息ついたところで、きのうベッドに入ってからも考えていた「日本人が同じ日本人として恥ずかしいと思わない日本人」とはどんな人なのかと、またつらつら。この「同じ」という表現がクセモノ。「同じ」と言いつつ他人のことを評価しているわけで、ある意味「理想の自分像」を他人に求めているようなところもあるから、「自分は誰なのか」というアイデンティティの疑問とは次元が違うとしか思えない。昔、政府が「期待される日本人像」なんてぶち上げたけど、ひょっとしたらその流れでみんな「かくあるべき日本人像」を求めているのかもしれないな。でも、その「かくあるべき日本人」とはいったいどんな人なんだろう。日本人が思い描くイメージなのか、それとも外国から見たイメージなのか。要は「日本人らしさ」を持っている人なんだろうけど、じゃあその「日本人らしさ」ってのはいったい何なんだろう。

この「らしさ」という言葉はもっと手ごわいクセモノなのだ。物心ついた頃から、ワタシはどうも何かにつけて「~らしくない」と言われて来たように思う。ワタシとしては、「ワタシはいつもワタシらしい」と思っていたけど、よく考えてみたら、どうもそれがいろんな「~らしくない」批判につながっていたようなところがある。つまりは、「~らしくない」ということは、日本人、女性、社会人、既婚者、高齢者・・・なんでもいいけど、相手が求めている(たぶんに自己の投影像としての)イメージと「同じ」じゃないということか。だけど、他人に投影した自己のイメージを(常識でもマナーでも国民性でも)何らかのものさしで測って、周りの目に映る自分を評価しているってことかな。だって、「らしい」とか「らしくない」というのは、あくまでもそう思う人の主観的な感覚じゃないのかなあ。なんかやたらと回りくどい自己評価法だと思うけど、やっぱり「自分」と「他人」の間の線引きがはっきりしていないからなのかなあ。
それで他人のことなのに「同じ~として恥ずかしい」というややこしいことを言うのかなあ。それで海外へ出ると「同じ日本人として」なんて、まるで「日本人代表」みたいな感覚になるのかなあ。わかるような気もしないではないけど・・・う~ん、やっぱりわからない。

早いとこ荷物をまとめてしまおうっと。トロントでの週末が先だけど、New York, here we come!


2009年10月~その1

2009年10月16日 | 昔語り(2006~2013)
旧暦の中秋の名月のケーキ    
                                                                                   
10月1日。ああ、10月・・・。雨がちで、お昼の気温がやっとこ9度。きのうはかなりの「勤務時間」をイベントに取られたもので、納期が迫っている2つの仕事はまるで水平線のまっ黒な入道雲みたいに見えて来る。ほんとに予定通りに終われるのかな・・・?

でも、きのうのチャリティイベントは、食事はイマイチどころか「イマサン」ぐらいだったけど、思ったよりも楽しんで来た。チャイナタウンのわりと新しいモールのようなビルで、あのあたりはしばらく行っていなかったので、少し早めに家を出て、車を止めてから時間まで外を歩いてみることにした。気温が10度ちょっとなのに、コートなしの薄いイブニングの装いでの散歩はないだろうと思ったけど、道路向かいにT&Tという台湾資本系のスーパーがあるのを見つけて、結局は「屋内」で過ごすことになった。最近カナダ東部の大きなスーパーに買収されたところで、さっそく魚売り場をのぞきに行って、うわ、すごい。日本の冷凍食品もたくさんあるし、値段もけっこう安い。あちこちにあるから、今度じっくり探検してみよう。それにしてもチャイナタウンの様変わりにはびっくり。

イベントの司会役はメゾソプラノのジュディス・フォースト。地元の生まれで、北米オペラ界のベテラン。VSOの主席ピアニストであるリンダ・リー・トーマスの演奏に乗って、『カルメン』のハバネラを歌いながら登場した。歌いながらテーブルの間を回るから当然マイクなし。カレシと同い年だけと、いやあ、ぜんぜん衰えを感じさせない。カレシのところで立ち止まってカルメン風にモーションをかけたけど、当のカレシは愛嬌も見せずに照れ隠しでむっつり。そばにいて「そりゃあないよ、きみ」と突っついてやろうかと思ったけど、ま、どうみてもカレシは闘牛士エスカミリオって柄じゃないし、かといってドンホセという柄でもないもんなあ。

合唱団が日本語で歌った「赤ワタシ」はしっとりした感じがよかったな。リンダ・リーのタンゴのピアノ演奏は予期したようにすばらしい。バッハのアリアのハミングに乗ってのマイムのパフォーマンスは平野弥生という人。真っ白な顔に着物とはかま。頭には真っ赤なかつら。紙を使ったマジックを交えて、ゆるゆると流れるような動きがすてきだった。ワタシは例によって知らなかったけど、世界的に有名なアーティストなんだそうで、数年前にカナダに永住しに来て、バンクーバーに住んでいるらしい。イベントには各系カナダ人の他に、日本人と台湾人のコミュニティの名士がたくさんいたけど、やっぱり日本人もいろいろで、それなりの人たちにはそれなりのところでお目にかかるってことかな。

というわけで帰ってきたら午後10時半。遅れを取り戻そうとがんばって、まあ、90%くらいに追いついたところで店じまい。

今日は99%というあたりまでがんばったところで、バスルームの改装をしてもらうことになったマットが登場。6年前に二階のバスルームと「物見の塔」の改装のプロジェクトマネジャーだった人で、すごく芸術的なセンスがあるし、大工としての腕も一級品。今日はケンの発案に沿っての現場の下見で、あっちを測り、こっちを測り。どうやらそれほどの大工事にならずにかなりのモデルチェンジができそうな感じ。ついでにキッチンの窓の下におく本箱もマットが作ってくれることになった。この次は配管屋を連れてきて下見して、トイレットやシンクのカタログを持ってきてくれると言う。(日本のメーカー製のでいいのがあるそうな。ただし、お尻を洗ってはくれないそうだけど、ワタシはあれは苦手だからいいの・・・。)ああ、これでここ数年の懸案が解決へとまた一歩前進。

ということでまた予定が少し詰まって、カレシにご飯を食べさせて、英語教室へ送り出してから、残りの1%を完了。ああ、やれやれ。残る仕事はあとひとつだけど、正味3日しかないぞ~。またもやぎりぎりになっちゃうのかなあ。まあ、なんとかなるさと、たかも腹もまとめてくくって、ブログを書いていたら、カレシが生徒さん一同からの中秋節のプレゼントだと、化粧箱に入ったムーンケーキ(月餅)を持って帰って来た。蓮のあんこが入ったずっしりと重たいのが4個。さっそくランチの後のデザートに1個を2人で分けて食べたけど、思ったほどの甘さがなくて、甘いものはあまり食べないワタシにも食べられるさっぱりした味でおいしかった。旧暦の「中秋の名月」は土曜の夜。中国では1日の国慶節と重なってゴールデンウィークも顔負けする大連休だとか。連休と言えば、12日はカナダの感謝祭。大変だあ。今年はでっかいメタボ七面鳥の丸焼きというわけにはいかないから、何かスペシャルメニューを考えなくちゃ・・・

子供は親のモノじゃないのだ

10月2日。金曜日。目が覚めたら午後12時45分。これがもし12月のある日だったら、日のある時間が3時間くらいしか残っていないなあ。まるでもぐらだな、もう。まあ、あと3週間でトロント、そしてニューヨーク。時差にかこつけて生活時間を調整するチャンスが来るし、帰ってきてから「新標準時」を維持しておけば、改装工事が始まっても「時差ぼけ」はないかもしれないな。今日から突貫工事で仕事をやらなきゃならないから、今のところはどうでもいいんだけど。

きのうの政府の不信任案は予想通りボツ。なにしろその前のときに新民主党が失業保険制度の臨時措置と引き換えに政府支持に回ったもので、ここで不信任案に賛成するとその措置がボツになってしまうからできない。この次は自営業者を失業保険制度の産休手当の受給対象にしようということなので、また不信任案が出てもやっぱり賛成できないだろうな。自営業にはフリーランスで仕事をしている女性がかなりの数いて、「事業主」として失業保険の対象にならない今の制度では出産して働けなくなる期間の保障がまったくない。そこで選択制で失業保険加入を認めて、産休手当を出そうというわけで、自営、在宅という就労形態がひとつの選択肢として定着した今は、次のステップとして当然の流れじゃないかと思う。それにしても、失業保険制度の改革案を小出しにして野党分断を図るなんて、ハーパーもやるなあ。イギーよ、キミは政治はしろうとだよ。早くハーヴァードへお帰り。

元妻が日本へ連れ帰ってしまった子供を取り返しに行って、逆に誘拐罪で逮捕されてしまったアメリカ人がいて、アメリカのテレビや新聞がかなり報道している。子供たちは日本で生まれて育ったらしい。夫婦はアメリカへ移ってすぐに離婚。親権を取った父親はすぐに再婚。元妻は近くに住むことになっていたのが、休暇という触れ込みで子供をつれて日本へ帰ってしまった。(アメリカはハーグ条約締結国だから、当然元妻には誘拐罪で逮捕状が出ている。)ここまでなら世界中で起きていることだけど、このアメリカ人元夫が日本国籍を取得していたらしいということで、ややこしい話になって来た。日本は重国籍を認めていないから、この元夫が日本国籍になっているのなら、アメリカ国籍は放棄したはず。おまけに、どっちの国で結婚したのかわからないけど日本の戸籍上はまだ離婚していないそうで、ますますややこしいことになって来た。かわいそうなのは板ばさみになってしまった8才と6才の子供。いっそ子供に選択させるわけには行かないのかなあ。就学前の幼児じゃないんだから、一人前に意志ってものを持っていそうに思うけど。(有道センセイならどうするのかな?)

離婚と言えば、小町で金持ちになった元カレに浮かれて低収入になった夫と別れて再婚すると意気込んでいたおばさん。元カレ氏にあっさり結婚の意志はないと宣告されてしまったらしい。それでは、と離婚要求を撤回したら、ひょんなことから夫の浮気が発覚して、「浮気は許せない」と大変なお怒り。今度は義理の親の退職金を狙っているらしい。ほんとの話ならすごいメロドラマだけど、みんなそろそろくたびれて来たかな。ここでも、「できのいい長男は私、反抗的な次男は夫に」などと母親に持ち物のように扱われている子供たちが一番の被害者。悪くすれば、将来モラハラ、DVの被害者になる女性が今どこかにいるかもしれない。子供は親の背を見て育つというけど、これ以上モラハラ予備軍を作らないでほしいもんだ。妻が夫の所有物じゃないのと同じで、子供は親の所有物じゃないんだから。それぞれに独立した人格を持った一個の人間なんだから。

だんだん鼻息が荒くなって来たところで、仕事に突入するか。

しゃぼん玉はどこまで飛ぶ?

10月3日。土曜日。おお、いい天気。ここんところの雨模様続きでじっとりしたものを乾かす日か。ちょうどいいから、今日はまず洗濯(といっても外に干すわけじゃないけど)。ぎっしり詰まったランドリーシュートから、白いもの、色もの、冷水で洗うものと分けて、洗濯・乾燥が3ラウンド。出し入れの楽なフロントローディングの洗濯機を早く買いたいなあ。もう2年も買おう、買おうと言っているんだけど、相変わらずのワタシはなかなか腰を上げないから困る。川向こうの店まで行って、これ!と指差せばすむのに、行くのがめんどうくさい。だけど、来年の夏から連邦と州の消費税が統合されたら、エコ家電の州消費税(7%)の免除がなくなるらしいから、早く腰を上げた方がいいかも。

開設から10周年を迎えたばかりの小町の井戸端会議場。最近はどうも「えええ~っ」と言ってしまうような投稿が増えて来たような感じがする。色恋や夫婦のお悩みトピックは相変わらずだけど、なんかお金絡みがやたらと多いのは世相を反映しているのか。稼ぎの悪い夫を捨てて資産のありそうな元カレと再婚したいおばさんのトピックは盛り上がったけど、もうひとつ、『収入の低い夫は必要なし』というのがある。投稿主曰く「稼ぎの少ない男は無意味だ。離婚してもっと収入のある夫と暮らしたい」と。だけどこのトピック、まるでTwitterのつぶやきみたい。投稿した人、勘違いしているんじゃないのかなと思うけど、「必要なし」と言っておきながら、「子供がいるから離婚できない」(収入の低い夫でもやっぱり必要)と矛盾したことを言っている。(こういう人たちに限って、養ってもらうのがあたりまえで、男は稼いでナンボという「囲われ人」型の専業主婦が多いような観がある・・・。)

どっちも「一生幸せにすると言うから結婚したのに、(貧乏で苦労させるなんて)約束不履行」と言っている。お金のかかるときだということは、教育費の増える十代の子供がいるということで、結婚して15年から20年か。ふむ、お金だぶだぶのバブル時代に女子大生か新社会人で、ちやほやされて三高だのハイソだのと浮かれているうちに成金価値観が骨の髄まで染みついてしまった人たちなんだろうな。いわゆるバブル景気はどこの国でも定期的に起きる現象なんだけど、あの日本の巨大バブルほど、経済的よりも社会的なインパクトの方が大きかった例はないかもしれないと思う。第二の鹿鳴館時代の狂騒に溺れた犠牲者と言えば犠牲者と言えるのかもしれないけど、どう見ても本当に「貧困」とはいえない収入レベルらしいから、自己責任だろう!と突き放してもいい人たちなのかもしれない。

まあ、高く舞い上がるほど落ちたときの衝撃が大きいというから、「失われた10年」が20年になり、あるいは30年になっても驚くことほどではないし、まだ夢のような時代から抜けられず、人生を現実に即してリセットできないでいる人たちがたくさんいても不思議はないだろうな。あんがい、他人のことに細かくチェックを入れては嫉妬してイチャモンをつけ、自分と違うからと他人の自我や価値観や人格をぶち壊し、我々こそ優等だと人種差別や排外主義に走り、停滞する人生に鬱々としている人たちは、未だにバブルの後遺症を引きずっているか、家庭や社会でその価値観を刷り込まれてしまったのかもしれないな。その意味ではバブルは日本の社会に大きな禍根を残したわけだけど、まあ、それも自分たちは悪くない、何もかもアメリカのせいだというのかなあ。でもなあ、世界経済や国際政治の裏表を学びつつある発展途上国(子供)というならまだしも、日本は世界第二の経済大国、てことは立派な先進国(オトナ)じゃなかったの?おっと、腐れ卵が飛んで来るかな・・・?

イワシを骨抜きしながら考えた

10月5日。夏、再来。気がついたら月曜日。なんたって日曜日はすごかったのだ。お天気の話じゃなくて、仕事。日曜日の夜中までには終わるはずだったのに、語数のどこで見積もりを間違ったのか、20%も多い。これじゃあ、いくらがんばっても、想定外の時間が初回訳に2時間、推敲に1時間はかかる。てことで、結局3時間オーバーで完了。もう、くたびれた。だけど、「成果物」の語数ベースだから入ってくるお金も20%増えるから、そこはくたびれ・もうけってところか。

起きてみたら、あら、今日はやる仕事がないんだ。わっ、久しぶりかなあ、こんなの。急になんとなくウキウキした気分になって、さて何しようかと、スケジュールボードを見ると、エコーを整備に持って行く日。買って4年で走行距離がまだ8500キロの「乗ってもらえない」車。オイル交換に行くたびに呆れられる。この調子だと百年は乗れるかなあ。だけど、その頃にはガソリンてものがなくなっているかもね。トヨタさん、早くエコーの電気版を作って売り出してくだされ。

車をディーラーのところにおいて、トラックでついてきたカレシに拾ってもらって、そのまま底をついた野菜や果物類の買出し。ハロウィンが近づいているから、でっかいメタボかぼちゃがごろごろと山積み。ランタンを作るのもいいけど、肝心のハロウィンに家にいないから、スープにしておいしい手ごろな大きさのと、飾りにするミニかぼちゃ1個とカラフルなとうもろこし2本を買った。とうもろこしはかんからかんに乾燥した食べられないもの。ひもをつけてキッチンの壁にかけたら、そこだけちょっぴり「rustic(田舎風)」。中秋の名月は西洋では「harvest moon(収穫の月)」で、収穫を祝う季節だからね。カレシ菜園も今年は大豊作だったし。

整備が終わった車を(また2人がかりで)引き取ってきて、夕食の準備。きょうはイワシ。水揚げしたのをそのまま冷凍して1キロ入りの袋で売っているから、頭も腸わたもついたまま。せいぜい15センチくらいだから、20匹くらい解凍しておいて下ごしらえ。頭を落として、内臓を取って、親指と人差し指の爪の先を使ってしごくように背骨を外す。このときに尻尾の方から外すのがワタシ流で、柔らかい身を崩さずにきれいに取れる。初めは慣れなくて手際が悪かったけど、今は20匹くらいちゃっちゃと開いてしまえるから進歩したもんだ。(そろそろ魚をおろす専用ナイフを買ってもいいかなあ・・・。)

イワシを開きながら、小町の井戸端でにぎやかに行き交う恋愛やお金の悩みごとや愚痴についてあれこれ考えていたら、なぜかカレシの姿が重なって来てしまった。ふむ、今どきのお嬢さんたちとのレンアイはもう無理だな。夢と憧れと期待への甘い陶酔から覚めたくないのは人間の性なんだろうけど、現実は厳しい。洋の東西を問わず、もろに「生活」なんだから、自分でなんとか生きなきゃ。自分の人生を自分でなんとか楽しまなきゃ。自分でなんとか幸せにならなきゃ。お金もだいじには違いないけど、何よりもまず自分という人間を愛してやらなきゃ。そうしようと努めることで初めて人間は他人を受け入れられて、愛せて、許せるんだと思う。自分は人間、相手も人間・・・と。恋愛「が」、結婚「が」したいと焦っている「お嬢さん」たちにはそういう愛はなさそうだし、カレシだって自分を肯定できないでいたから、どっちも相手に対する期待があっただけということじゃないのかな。まあ、いっときだけでも仮想空間で「甘い夢」を見させてもらったと思っておけば?

イワシを骨抜きにしながらそんなことをつらつら考えてひとりで笑っていた。ワタシが来年の会議でプレゼンをやることになったときいて俄然あたりまえのように日本行きのプランを立て始めたカレシ。いっしょに日本へ行くのはうれしいけど、ワタシの人生が一気に崩れ落ちたあの巨大地震の「震源地」といえる長崎だけは二度と足を向ける気持にはなれないからね。「もう一度行ってみたい」なんて、カレシはまだ見果てぬ夢を見ているのかなあ。ま、夢は見ているだけならいいけど、「あの頃」だって無理な夢だったんだから、10年以上経った今ではもっと無理な夢なのに・・・。

イワシの骨、カリカリに焼いてあげるね。子供の頃に父がよく夕食の魚の骨をストーブの上で焼いてくれた。そ、骨粗しょう症にならないためにも、カルシウムたっぷりの骨せんべいを食べようね。

たまにはプータローも楽しい

10月6日。火曜日。曇り。また秋の空もように戻って、さむ~というほどではないけど、ま、秋の天気。今日も仕事なし。こういう状態を「プータロー」っていうのかな。おもしろい語感のある言葉だけど、失業中の人をさすのかと思っていたら、自らの意思で定職を持たない人をさすこともあるらしい。ようは「無職」と言う意味なのかな。考えようによっては、フリーランスの自営業なんてのは、一寸先は闇のまさに「明日をも知れぬ」稼業で、仕事の切れ目が金の切れ目だから、定職を持つことが「安定」を意味するなら定職といえないのかな。それでも、業務ログによれば、今年はもう去年1年間の「売上高」を達成してしまっているから、今日のワタシはプータローワタシでいいってことにしとこう。

タイミングが良いことに、今日はカレッジで「Improv(即興芝居)」のクラスが始まる日。家の近くのコミュニティカレッジにけっこう名の知られた俳優を輩出している演劇科があって、継続教育部と呼ばれる「夜間学校」にもプロの俳優が教えるコースがいくつかある。何年か前に取ったときは、人前で話をする機会の多い職業の人たちがけっこういて、ちょっとした「臨機応変コミュニケーション講座」といったところ。バンクーバーには地元の俳優たちで作っている「シアタースポーツリーグ」というのがあって、夏のオフシーズンにチームに分かれてImprovのリーグ戦をやっている。スポーツというだけあって、ワタシは自己表現欲を満たしてストレスをふっ飛ばし、大きな声を出して身体を動かすから、またとない有酸素運動。さらには何が飛び出すかわからないもので、ひっくり返っての笑いっぱなしだったりする。ぶっちゃけ、こんなに楽しいことはそうそうない。

即興と言えば、おとといオタワであった芸術家育成資金を集めるチャリティコンサートにハーパー首相が登場。ピアノを弾きながらビートルズの『With A Little Help From My Friends』を披露して、やんやの大喝采を受けた。ハーパー夫人が基金の総裁なもので、きっと「スティーブン、あなたも少し手伝ってよ」とかなんとか言われたのかな。ちょっと冷たいイメージといわれるハーパーがサプライズで世界有数のチェリストのヨーヨー・マといっしょのステージに現れて、大枚の寄付金を払った聴衆を沸かせるなんて心にくい戦術。しかも選曲が皮肉っぽくていいし、ちょっとカラオケ風にところどころ調子が外れるところもご愛嬌。新たなスティーヴィー・ワンダー登場とはいかないけど、日本だって歌える?総理大臣が誕生したし、ま、政治家だって楽しいやつはいるんだってことで、大いにけっこう。(楽しすぎて羽目を外してしまうのはどうかと思うけど・・・。)

カレシを英語教室に送り出して、ワタシもいそいそと学校へ。歩いてすぐのカレッジは、ワタシにとっては母校のようなもので、通訳の勉強をした後、小説、短編、映画脚本、舞台脚本、絵画と、おもしろそうな創作科目を総なめ。最近新しい校舎が完成したけど、保健医療の分野で「準学士」のような課程ができているところを見ると、やっぱりいずれ四年制大学への昇格を狙っているんだろうな。教室はA棟2階。生徒は男性3人、女性5人。軽く柔軟体操をして身体をほぐしてから、今日はゲーム感覚で演劇の基本に慣れる。4人ずつ2組に分かれて、発声練習の言葉ゲームだったり、マイムだったり。やっているうちに感情が入ってきて、みんな熱演になる。初対面同士で、年令も人種も職業もいろいろだけど、笑い転げてひと汗かいて和気藹々。来週が楽しみ・・・

ほんと、たまにはプータローとやらをやるのも楽しいもんだなあ。

ジョークを言ってもいいかな

10月7日。なんだかここのところ寝つきが悪いもので、就寝時間の終わりの方でぐ~っと深い眠りに入ってしまう。まあ、目覚ましをかけて起きる生活でもないからいいんだけど、どうしてなんだろうなあ。カレシはとっくに起きていて、食洗機も空にして、朝食のテーブルもセットしたし、菜園の水やりも済んだし、配達された飲料水も取り込んでおいたし、と寝ぼけまなこのワタシに報告。は・・・。

久々にプータローしてひとりで喜んでいたら、はあ、仕事?せっかく楽しんでるってのに、仕事って?そちら猛烈台風なんじゃないの?早くおうちに帰った方がいいんじゃないの?う~ん、神様はお見通しなのかな。こっちは良いお天気で、ワタシは「仕事がない!」と浮かれているもんで、「喜びすぎて、遊びすぎて、羽目をはずしてはいかんよ」ってことか。そういえば、いつまでも寝つけないでいたのは、来年の会議でのプレゼンの構想を練っていたからじゃないかなあ。テーマと話のだいたいの流れは決まった。プレゼンのタイトルも決まった。副題も決めた。問題はプレゼンを日本語でやるか、英語でやるか。そこでワタシの思考は立ち往生してしまうのだ。

テーマからしておそらくは駆け出しフリーランサーの若い日本人(女性)が来るだろうと予想される。まあ、バイリンガルが基本の「国際ビジネス」の商売人の団体だし、プログラムを見てもワタシが「日本人」だとはすぐにわからないだろうけど、なんたらかんたら欧米流のジョークを交えて英語でやってしまっていいのかどうか。なにしろ、長年アメリカでテレビを見ているのにまだジョークの突っ込みのツボがわからないという人がかなりいるから、ユーモアのセンスが本質的に違っているのかもしれない。そのあたりで日本人の目には高密度フィルターがついていることを忘れると痛い目にあいかねない。かといって、いつもまったく意識せずに英語でやっていることを日本語でやるのもなんかしんどいし・・・ああ、んっとに、こんなことを軽々しくたら~んと引き受けちゃって、もう。

副題が「電球を取り替えるのにフリーの翻訳者が何人必要?」元々はある民族を嘲笑するジョークではあるけど、プレゼンのテーマの前提になるからもじって使うんで、茶化すつもりではない。まあ、これで誰も反応しなかったからジョークは通じなかった、笑う人がいたら通じたか、あるいは笑う人がいるからつられて笑った、もしも怒る人がいたら気に食わなかった・・・ということか。こっちには誰を茶化すつもりはなくても、そこはたとえ民族は同じでも環境も価値観もユーモアのセンスや性格も違うんだから、通じる人、通じない人、怒る人、恨む人がいる。隠された意図があるときも、思いもしない方向に受け取られるときもある。そういう意味では、ジョークは人間関係のリトマス試験紙のようなところもある。ま、そこのところは生のままのワタシ流で、プレゼンは英語でやっちゃうか。

だけどなあ。なんだかそんなことで頭が冴えて眠れないなんて、ワタシらしくないような気がする。ひょっとしてこのところ小町の井戸端に蔓延っている常識警察やマナー警察の毒気に当てられたってわけでもないだろうけど、あそこも開設して満10年でなんとなく怖いところになって来たような感じがする。毎日10万本を超える投稿があるとかで、編集部が一定基準でそれを選り分けているんだろうけど、それでもだんだん怖い雰囲気になって来る(と、ワタシは感じる)のは、溢れ返る情報の量に反比例してなぜかどんどん視野が狭窄して行く人たちや、長い閉塞に疲れ果てて心に余裕のなくなった人たちが増えているからなのかな。その10万本の中から取捨選択されたものでさえこれなんだから、ふむ、ボツになった何万本ものトピックやレスはいったいどんな雰囲気なのか、なんだかそっちの方に興味がわくなあ・・・。

最近Japunditにブックマークされてかなりの票を稼いだおもしろい記事の中に「誰がニュースを伝えてくれるの?」という、同業者のオーストラリア人「Guyjin」氏が書いているニュースブログがある(URL)。日本のニュースメディアについてなかなかおもしろいことを書いている。Japunditにも近頃は若いオタク風のメンバーが増えて来たけど、日本・アジア関連のニュースのリンクを投稿する人たちはほとんど日本に住んでいて、言ってみれば、自分たちが住んでいる国のニュースを英語で読める「壁新聞」を回し読みしているようなものかな。日本の内外のニュース記事あり、YouTubeあり、多彩なブログありで、ワタシにとっては日本関連のニュースを日本語記事と対比したり、突っ込んだ記事や論説を読んだりできる貴重なサイト。(モジュールに貼り付けておいても、欧米亜中韓アレルギーの人たちはきっと英語の記事なんか関心ないだろうから、いいよね・・・。)

臨時プータローになって浮かれていたら、仕事が入ってきてしまった。ほんとに仕事。まだこの後があるような話の仕事。ねじり鉢巻を10本くらいしないと間に合いそうにないくらいちょっときちきちの仕事。あのぉ、今週末は感謝祭の三連休なんですけど・・・といっても、日本では関係ないか。なんだか(仕事)台風がこっちへ向かって来そうな、や~な予感がする。おいおい・・・

ワタシは右往左往

10月8日。いい天気だなあ。テレビを見たら、台風が日本に上陸して死者が出たと言っていた。なぜか日本のニュースって昔から災害の話が多いけど、この台風(Melor)、「最大級」とか言われていた頃はハリケーンでいうならカテゴリ5に匹敵する勢いだったとか。つまり、あのハリケーン・カトリーナ並みだったわけ。南太平洋一帯での大地震の連鎖といい、アジアでのスーパー台風の団子といい、マザーネイチャーがなにか癇癪を起こしたのかなあ。

きのうからグーグルマップでカナダ各都市のストリートビューが見られるようになった。撮影は4月に済んでいたけど、プライバシー保護法にひっかかることが多くて、それを解決するのに半年かかったということらしい。そのせいだろうな。きのうはずっとグーグルマップにアクセスできなかった。みんな自分の家がどんな風に写っているかと、どっとアクセスしたからだろうな。今日はどうかなと試してみたら、あら、うちの前の雨水桝を掃除している人が写っている。ただし、ヴァーチャルに道路を曲がったら消えるからおもしろい。「ワタシ邸」は背の高いシーダーの植木に囲まれているから、写っているのは一階の上半分から上で、正面は葉を出したばかりの木々の間に見え隠れする程度。路上駐車のカレシのトラックはライセンスプレートを白く塗りつぶして読めないようにしてあった。まあ、こんなもんだろうな。

週末にねじり鉢巻になった場合に備えて、ちょっと遠い方のスーパーに買い物に出かけた。カレシは今夜の教材を作らなくちゃということで、ワタシのソロショッピング。目当ては他のスーパーにはない魚。オレンジラフィー、マヒマヒ、スティールヘッド、アヒ。月曜日は感謝祭だから、七面鳥の胸肉だけを仕入れて、コーニッシュヘンの小さいのも1羽。フリーザーには鴨があるから、感謝祭は「Birds of a feather (類友)」の鳥づくしスペシャルとしゃれてみるか。つけ合わせになりそうなのが、カラフルなミニピーマン。ランチ用に久しぶりに薄焼きの冷凍ピッツァ。フォーの素もここにしかないからどっさり仕入れ。カレシに探してと頼まれていたタヒニがあったから、一番大きな瓶入りを調達。コーヒーはスターバックスの競争相手のSeattle’s Bestのを3袋。ついでにチャイのティーバッグを衝動買い。大きなトートを2ついっぱいにして帰館の途についたら、うは、もろに午後のラッシュ。しばらくはまるで葬送の列のようにのろのろ。これでオリンピックが来たらどうなることやら。

家に着いて、ガレージに車を入れるのに苦心していたら、カレシが走り出てきて、「マットと配管屋が来ているから、早く行け」と、入庫作業を交代してくれた。家に入ってみると、バスルームを改装するマットが、配管工事をするフランクを連れてきて、ああだこうだ。今回はカレシの園芸ルームの天井を半分はがしてトイレとシャワーの排水管を入れ替えるんだけど、排水管の他に、換気装置のパイプ、セントラル掃除機のパイプ、温冷水の給水管と、いろんなパイプがごちゃごちゃ走っているところ。先週探し出しておいた間柱や配線の位置がわかる写真を見せた。新築工事のときに家ができあがる過程をつぶさに撮っておいたのがいろいろと役立っている。バスルームは換気扇をつけるので、天井に埋め込んである電気ヒーターは床暖房に切り替え。うん、シャワーから出てきたときに床が暖かいというのは気持よさそうだなあ。

マットとフランクが帰ったら、もうとっくに5時を過ぎている。カレシのご飯が間に合わなくなると、超特急でインゲンを蒸し器にセットして、解凍しておいたティラピアにイタリアンのスパイスをまぶして簡単ムニエル。わっ、たった20分で「ご~は~んよ~」 食べ終わったら、15分の余裕。カレシを送り出して、買ってきた魚をパックし直して、レシートを見ていたら、あら、集めるとVilleroy & Bochのグラスがただでもらえるスタンプが、33枚のはずなのにシートに貼ったら25枚しかない。さっそく店に電話。「キャッシャーの数え間違いだろうと思いますけど・・・」とワタシ。結局、この次にレシートを持参して、事情を説明して足りない分をもらってくれということになった。くれるかどうかわからないけど、8枚(80ドル分)も足りないのはやっぱり損した気分になるもんなあ。

ふわあ、なんとも忙しない1日・・・と書き終わったところで、客先の客先の決断待ちだったねじり鉢巻仕事が「ゴー」。ふわあああ・・・

西も東も、そろって三連休

10月9日。もう金曜日になってしまった。正午で摂氏10度。秋の日和かな。ニュースを見ながら朝ごはんを食べていたら、オバマさんがノーベル平和賞をもらうんだって。えっ、大統領になって日が浅いんだし、外交では何も結果を出してないじゃないの。(内政だって、反対、反対の大合唱に手を焼いてるし。)そういえばついこの間、どこかの記事で「平和賞は、これという人がいなくて受賞者選びが難航している」と書いてあったっけ。世界の最高峰の賞なんだから、「これはという人」がいないんだったら、「該当なし」ってことでいいんじゃないの?そうしたら、ノーベル賞(特に平和賞)の価値だってぐんと上がるだろうと思うんだけど。だけど、こんな賞をもらっちゃったら、オバマさんもやりにくくなりそう。「先払い」みたいなもんだなあ。

カナダは感謝祭の三連休だけど、日本でもまたまた三連休なんだって。ついこないだ長ぁ~い連休だったばかりなのに、すごいのかどうなんだか。来月にはまた2つも祝日があるし、そうこうしているうちにまた長い、長い年末年始の休みだし・・・連日遅くまで残業しないと仕事に追いつけないらしいのは、あんがい休みが多すぎるからだったりして。で、連日の残業と寝不足で疲れているところへ、また連休となれば「おでかけ」しなければ(あるいは行事に参加しなければ)ってことで、交通渋滞と人ごみの中での集中ファミリーサービスでさらにお疲れ。サラリーマンが「気楽な稼業」だったのはいつのことだったかなあ。

おかげさまでメール前線は静かでいいけど、え、来年のプレゼンのタイトルが長すぎ?まあ、たしかに長いし、予想される出席者にはあまり通じそうにないジョークをタイトルにしてもむだだなあと思い始めたところだったので、さっそく「仕事と家庭の間のどこかに人生はあるの?」に変更した。カレシの反応は「おもしろくないよ」。あのさ、ワタシはお笑い芸人やるためにわざわざ日本へ行くわけじゃないの。フリーランスのビジネスの「あり方」について一席ぶちに行くんだから。聞きに来るのはたぶん在宅自営(志望)の人たちだろうから、こっちの方がもっと素直でいいんじゃないかと思うけどなあ。だいいち、「なんだかいまいちよくわかんないからいくのやめとこ」って誰も来てくれなかったら、どーするの? 

北の内陸地方からはもう雪の便り。まあ、BC州の北の端は北緯60度で、カムチャツカ半島の付け根に近いあたりの「北方圏」だからね。カナダの失業率が下がり始めて、9月の雇用創出はBC州がトップ。住宅も売れ足が速まって、どんと落ち込んでいた値段も不況前の水準に戻りつつあるとかで、なんか次のバブルが膨らみ始めているような様相。クリスマス商戦の消費予想も楽観的な雰囲気。カナダが世界不況からの回復を先導すると言ったのはIMF。カナダの銀行経営と監督を見習えと言ったのは世界銀行だったか、OECEだったか。ぶた風邪の流行が広がっている。一番気にしているのはBCの人で、気にしてないのはケベックの人だとか。いろいろニュース・・・でした。

見なかった夢は何色かな

10月10日。土曜日。暑くも寒くもない、快適な秋の日和。だけど、なんだ?今夜は初霜の恐れ?北極寒気団の冷たい、冷たい空気がノースショアの山を越えて溢れてくるとか。やだなあ。まだ10月じゃないの。内陸はいざ知らず、バンクーバーには霜はまだ早い。早すぎるってば。カレシ菜園だって、まだラディッシュが、かぶが生育中で、青いトマトがあちこちにあるんだから。最低気温2度って、ずっと郊外のことを言ってるんでしょ、ね?

カレンダーを見たら、アメリカも「コロンバスデイ」の三連休なんだ。あっちもこっちも三連休始まりの土曜日だけど、ワタシはきりりと鉢巻しめて、まじめに仕事。気合が逸れそうになるのをぐっと押さえて仕事。法律に文化の違いや情緒的な違いが絡むと争いがよけいにややこしくなる見本みたいなものだけど、日本で日本人が日本の法律に基づいて訴えていることだから、日本的に処理されて然るべきことだろう。だけど、こういう争いの法律文書は訳す方には神経の磨り減る仕事なのだ。なにしろ、どの言語を訳しても多様なニュアンスを表現できるから、いくらその言語の翻訳としては正確でも、結局はどこかに「ずれ(バイアス)」が出て来て、へたをすると訴訟の行方になにがしかの影響を及ぼしかねない。だから、昔から「翻訳者は裏切り者」っていうんだけど・・・

たかが言語、されど言語。日本人が英語勉強に熱心なのは世界に知られていることだけど、(英語習得をひとつの目標にして)英語圏に来ている最も野心的で最も柔軟な脳みそを持っている(はずの)若い日本人が、いつも「日本語を話す○○」、「日本語で○○できるところ」、「日本人の○○」を探しているのはどうしてなんだろうと思う。「英語がよくわからないから」というのは非英語圏から来た人なら誰でも多かれ少なかれ同じだろうし、まあ、英語人だってどこへ行っても英語を話す人間がいる「はず」と思っているから、そこらへんはどっこいどっこい。だけど、世界の英語人口と日本語人口は比べものにならないから、日本人がごろごろしているバンクーバーは別として、日本の外では日本語での対応はまず期待できないと考えるのが妥当だろうと思うんだけど、日本人の場合は日本語で対応してもらえる「はず」という確信みたいなものがあるんじゃないかと思うことが多い。

バブルの頃にはたしかに「日本語で対応してもらえてあたりまえ」みたいなところがあって、日本の企業は太平洋の向こうでもこっちでも「おらぁ、買って欲しいんだったら資料くらい日本語で持って来いよなぁ」といった態度だったから、日本と取引したい企業はこぞってワーキングホリデイの日本人を雇ったし、大学では日本語習得に将来のキャリアを賭ける学生も多かった。ワタシの勤め先にもお金だぶだぶでふんぞり返った成金日本人客が毎日のようにやって来たし、日本企業の駐在員は肩で風を切って歩いていた。おかげで、ノー学歴のワタシも金融、会計、税務、法律の知識を学ばせてもらって、バブルが潰れる直前にフリーランスの旗揚げをしてしばらくはカナダ側の英日翻訳需要にてんてこまいでウハウハの荒稼ぎをさせてもらったから、「ありがとう」のひと言くらいは言ってもいいかな。だけど、英語の資料を送ると「気が利かねえなあ」と言われたのは、バブルがぽしゃっと潰れて見る影もなくなるまでの話で、今は「日本語じゃわからないから英語で送って」と言われる番かな。

振り返って見ると、あの頃の(海外に出てきた)日本人は、すでに海外(しゃぼん玉の外)にいた日本人に対してはお山の頂上からの目線だったし、世界のどこでも、「この葵のご紋が目に入らぬか!」と印籠(日本国旅券?)を突きつければ相手が「へへぇ~」と平伏するものだと思い込んでいたのかもしれないな。たしかに世界中が「円」に目がくらんで日本にへいこらしていた感じがあるけど、まあそれはあくまでもそのときの日本円が持っていた「パワー」が魅力的だったからで、「ニッポン(人)」に対する世界の目線は「フジヤマ、ゲイシャ、サムライ」の時代からあまり変わらかなったような感じがする。まあ、何かにつけて「日本では~」と知ったかぶりで持ち上げて悦に入っていたのも、どうも「夢見る夢男クン」たちに多かったような。あの頃街でワタシに声をかけて来たそういう夢男クンたちも、目を見たらやっぱり「¥」のマークがチカチカしていたんじゃないかなあ。だから、ワタシが「10年住んでます」と言ったらみんなすたこらと逃げてしまったのかも。まあ、夢見る夢男クンはカレシだけで間に合っていたからどうでもよかったんだけど、あはは、あの頃はバンクーバーもジャパンバブルだったんだ。知らなかったなあ・・・。

う~ん、カレシが焼いているハーブパンのいい匂いがして来た。このあたりで見なかったバブルの夢から覚めて、まだ20ページも残っている仕事をやんなきゃ・・・

誰か、国際婚活マニュアルを

10月11日。日曜日。いい天気。ゆうべはどれくらい冷えたのかなあ。まあ、霜が降りるほどではなかったらしいけど、天気がいいほど夜になると冷え込むもんだから、今夜もまた冷えるかも・・・と、これはワタシ気象台の予報。温室にヒーターを入れなければならないから、電気代が大変。省エネハウスの家全体を電気暖房するよりかかる。まあ、園芸はカレシの趣味だし、冬でも新鮮な完全オーガニックのつまみ菜サラダを食べられるし・・・ソーラーパネルをつけてくれるところが見つかるまでは目をつぶる、と。

さて、今日は明日午後が期限の手持ち仕事をなんとしてでも仕上げたい日。国の違う人間同士の争いで日本人側の主張だけを訳していると、もしもアメリカでの裁判だったら日本人側が負けるんじゃないかなという気がするけど、日本で日本人の裁判官が決めることだから勝ち目がありそう。まあ、それはどうでもでもいいんだけど、訳しながら「ええっ?」と言ってしまうのは揉め事のないようじゃなくて、不思議な日本語。弁護士が書いた訴状のはずだけど、お硬い表現の合間に「お願いする」なんて今どき言葉が出てきたり、やぶからぼうにていねい語になったり、口語体になったり。日本語文書としてはそれでもいいもしれないけど、英語も同じレベルの口語表現にしたらアメリカ側の弁護士は突っ込みどころ満載だ~と喜んでしまいそう。

それにしても、文語体?の文書の中に「お願いする」なんてひょこっと出て来たら、裁判官だってずっこけてしまうんじゃないかなあ。小町の井戸端会議で縦横に飛び交っているこのいや~に媚びた言い回しが、「要請する」、「依頼する」、あるいは口語で「頼む」といったオトナ言葉を駆逐して、すっかり「標準語」になったということなんだろうか。大きな災害があっても自衛隊が出動しても、新聞記事や報告書には「出動を要請した」とは書かずに「出動をお願いした」と書くのかなあ。びっくりしたけど、ワタシの反応を今どき表現で言わせてもらうと、「うわっ、キモッ」。

その小町の井戸端にすごい人が来た。「ワーホリでオーストラリアかカナダに行って現地で結婚相手を見つけて永住したい」と考えている人。「どっちの国の方が現地人と結婚できる可能性が高いんでしょうか?」という質問。なるほど。国際結婚があるんだから「国際婚活」もありだろうなあ。譲れない条件が「現地人」てことになるけど、年収やルックスはどうでもいいのかな。「現地人」もピンからキリまでいるからなあ。たまたま目の前に来たのを捕獲しないと次がなかったカレシの頃と違って、今は供給がだぶつき気味で「現地人」も選り好みのし放題らしいから、婚活市況は日本とあまり違わないんじゃないかなあと思うけど、ま、そこは「初めに条件ありき」のコンカツ。それにしても、これくらいあっけらかんと「国際婚活シナリオ」を披露されると、たいしたもんだというほかないなあ。

実際のところ、国際婚活にしろ、国際就活にしろ、こんなふうに「初めにシナリオありき」で持ちかけてくる相談はけっこう多いように思う。マニュアル世代だからなのかどうかは知らないけど、まず手順を決めて(筋書きを書いて)から、それを実現する(演じる)ための情報提供を匿名掲示板で「お願い」するタイプで、お願いしておきながら、現実的なアドバイスには聞く耳を持たず、あてにならない他人の「成功談」でシナリオを完成させようという他力本願の人。だいたいは「海外生活をする私」というイメージは持っていても、外国へ行く(国境を越える)という観念は「県境」を越えるのと同じレベルなので、非現実的なことはなはだしい。まあ、若いんだから何ごとも経験して学べばそれでいいんだけど。ただし、カナダ暮らしが自作のシナリオの通りにならなかったといって、ゆめゆめその責任をカナダやカナダ人に転嫁などするなかれ。

さて、明日は感謝祭の晩餐の日だ。うん、この仕事、なんとしてでも今日中にやっつけるぞ~

いっそ駆け落ち、してしまう?

10月12日。とにかく仕事を終わらせて寝たのが午前5時。これが夏だったら朝日が昇ってくる頃だけど、そこは秋。ま、それほどの残業でもないか。相変わらず秋らしいいい天気だけど、最低気温は霜降り寸前。ずっと内陸の(冬の厳しい)地方ではマイナス二桁の寒さで、オカナガン地方のワイン産地ではぶどうが凍ったとか。あわてて収穫を急いでいる。ひょっとしたら、2009年はアイスワインの生産量の方が多かったりして。でも、甘いアイスワインとして収穫するにはちょっと早すぎたかもしれないな。

起床はまあまあ普通の正午。月曜日だけど、カナダは感謝祭、アメリカはコロンブスデイの三連休。日本は(何のだったか忘れたけど)ハッピーマンデーの三連休が終わるところ。のんびりと朝食の後は、フリーザーや冷蔵庫をごそごそとかき回して、今日の「晩餐」のアイデアをひねったり、小町の井戸端を冷やかしたり。なんということか、ブログのアクセス数がいつもの倍。えっ、ワタシ、なんか気に障るようなこと言ったかなあ、と読み返してみたら、ははあ、そうか。犯人?は「婚活」だな。今日本で大流行のコンカツ。結婚の夢を海外に広げれば「国際婚活」。人気トピックなのかもしれないけど、まじめな検索でワタシのぶつぶつごちゃごちゃブログがヒットしたんだったら、ごめんあそばせ。

午後4時、「よしっ」と、極楽とんぼ亭のシェフがとキッチンにご出勤・・・。小皿料理は満腹すぎもせず、もの足りなくもなく、ちょうどよい程合いでいろんな料理が食べられるから楽しい。おまけに使い残した切れっ端のようなちょっぴりの食材も、ほんとうは思いつきの簡単料理なんだけど、まるでちょっと手をかけたグルメ料理のように見せかけて、むだを解消。おかげで200リットルのフリーザーの中は残りもの食材の小袋がいっぱい。まあ、それでも食べるのは楽しい。健康でおいしく食べられるのはなお楽しい。(もっとも、ワタシは小さい頃に熱を出して寝込んだときに母が作ってくれる卵入りのおかゆが大好きで、高熱も何のそので食べるのが楽しみだったけど・・・。)

晩餐を終わって、オフィスでメールをチェックしたら、あああああ。仕事の山が右から、左から。連休前に置きみやげをしていったところも、しばらくごぶさただったところも、なんだって示し合わせたように仕事、仕事なんだろうなあ。ヘンなオーラが飛び交っているのかなあ。もう知らない。予定表を更新しているワタシの後から覗き込んだカレシ、「駆け落ちでもするか」と。ニューヨーク「出張」まであと10日。う~ん、なんだか仕事は「ダンナ」、カレシは「恋人」みたいなワタシだけど、いっそのこと、カレシと手に手をとって駆け落ちしちゃおうか。言いだしっぺはカレシだし・・・

ワタシは大根役者

10月13日。火曜日。雨が降るという予報なのに、夕方になってパラパラ、ちょぴちょぴ、でおしまい。なあ~んだ、拍子抜け。今日は即興演劇クラスの2回目なので、まず次の仕事の算段をしておいて、早めの食事の時間までのんびり。カレシを送り出してから、今日は忘れずに水を水筒に入れて持って「学校」へ。大掃除のときに整理した不要の衣類を学校の駐車場の片隅にある「寄付ボックス」に入れて、教室へ。

家が近すぎるせいかどうか、このカレッジではどのクラスでも遅刻常習犯のワタシだけど、今日はなんと一番乗り。先生がキャンプに行くようないでたちで待っていて、「誰も来ないのかと思ったわ」と。キャスティングのオーディションに行っていたんだって。そっか、俳優にとってはオーディションが「営業」ってことになるか。ハリウッドのセレブスターでもないかぎり、プロの俳優は「演劇業界」で地道に仕事を拾って生活しているんだろうな。そこへ二番乗りで来たエマがカレッジの演劇科に入りたいと相談を持ちかけたら、先生は「高校を出てすぐはまだ無理」。(エマは19歳。)へえ、カレッジには高校から「進学」できるのかと思ったら、演劇科はそうじゃないんだ。大学でBFA(芸術学士?)という学位を取ってからオーディションを受けて入るのが一般的で、中には(将来食べていけないときのために)大学院へ行ってMFA(芸術学修士?)の学位を取ってからという人たちもけっこういるらしい。なるほど、プロの俳優への道は若ければいいってもんではないらしい。ハリウッドじゃないもんなあ。先生曰く、「高校を出たばかりではまだ人間を洞察する力が不足がち」。ふ~ん、演劇というのは若さだけじゃだめなものらしい。なるほどなあ・・・

というわけで、2回目の今日は、軽い体操で筋肉をほぐしてから、「五段階」の発声を練習。一番下の「ささやき」から「親密同士の話」、「普通の会話」、「大勢の前での話」、そして一番上の「お山の大将の演説」までの五段階。特に「ささやき」は、舞台でほんとにヒソヒソやったら観客には聞こえないから息の使い方がちょっと難しい。慣れたところで、次に2人ずつ組んで、同じテーマの話を同時に即興で1分間しゃべる。ワタシとデヴォンのテーマは「映画」。かって製材所で機械の轟音と競争で通訳したワタシは大きな声でしゃべるのはお手のもの(というか、もとから声が大きい「らしい」)。映画の時間的構成について、手を後で組んで、ちょっと前に身体を傾けて「講義」。

次は向き合った同士で感情の表現。せりふは切り出す方が「1、2、3、4」で、受ける方が「5、6、7、8」。哀しみ、喜び、怒り、呆れといった感情を4つの数字に込めるわけだけど、みんなけっこう気持がこもった口調になって来るからすごい。お次は、手渡された仮想の「箱」を開けて、中身について「ちんぷんかん語」をしゃべりながらマイム。見ている人は外国の映画を見ている「つもり」で、しまいに演じている本人もひっくるめて爆笑の渦。マイムになれたところで、今度はペアになって(互いに相手の意図がわからないまま)ちんぷんかん語でのやりとり。最後にやっと普通のせりふで即興芝居になったけど、これも先生がそれぞれにシチュエーションの指示をするので、相手の意図は始めてみなければわからない。食い違ったり、とんちんかんだったりしながら、だんだんにわかってくると、やることがけっこうかみ合ってさまになって来るからおもしろい。

というわけで、ワタシの「役」はランチをするのにベンチに先に座っている「同僚」のトロイを追い出すこと。ハンバーガーとフレンチフライ、飲み物を持って、「まあ、ご一緒ねえ~」と、食べかけのフライを「食べる?」と差し出したり、ケチャップを飛ばしたり、生の玉ねぎをガリガリ食べてぐっと顔を寄せたり。しまいに、2人の間に置いた飲み物をひっくり返したもので、トロイ君はべちゃべちゃ。「いつもここでランチするの?」と聞くから、「そのときによるけど、明日あなたがランチに出るのを見たらご一緒するわねえ。一緒だと楽しいじゃな~い」とノー天気なワタシ。「雨が降るかもしれないよ」と、雨が降りますようにとジェスチャーをしながら立ち去るトロイ君。こうしてワタシのベンチ独り占め作戦は成功したのだった。

あはは、いやあ、笑った、笑った・・・。すか~っとストレスを発散したところで、さて、ねじり鉢巻を締めることにするか・・・

ワタシのドメイン買います?

10月14日。水曜日。雨だなあ。ま、今日からねじり鉢巻モードだから、シーラとヴァルが掃除をしてくれている間、つまりワタシがオフィスから締め出されている間に、ささっと野菜類の買い物に行って来る。まあ、マルチタスキングはくたびれるだけだからやりたくないけど、鉢巻の数が増えて来るとそうもいってられないし・・・。

帰ってきてメールをチェックしたら、なんだ、これ?ワタシのドメインを買いたいという変なメッセージ。ノートン君が「スパム!」と警告してくれているけど、何なんだろうなあ。気持が悪いじゃないの。ま、メールの内容は普通のメールっぽいし、差出人の名前とメールのアドレスが一致するし、ヘッダ情報も一貫しているようだし、詐欺を狙っているってことではなさそうだけど、ワタシのドメインを買ってどうするつもりなんだろうなあ。キモイよ、ほんと。ワタシのドメインはもろにワタシの名前だから、もとから売る気はないんだけど、ほんとに買って何に使うつもりなのかちょっと気になる。(ワタシと同じ名前の薬があって、アメリカ中で副作用に関する集団訴訟が起きていることは確かなんだけど、それもきのう今日始まったことじゃないしなあ・・・。)

気になるから、メールの差出人をググって見たら、ドメイン名のブログサイトとLinkedInのページが見つかって、同じ自己紹介が書いてある。へえ~、イギリスはロンドンにお住まいで、ほぉ~、20代半ばの若さでインターネットビジネスのベテランねえ。名前は確かにイギリスっぽい名前だから、架空の人物ってことはなさそうだけど、へえ、ネットビジネスをいくつも「共同」で立ち上げたって、すごいじゃないの。そのうちいくつが成功したのかな聞いてみたいな。ちょこちょこっとネットビジネスの会社を作っては売りつける商売なんだろうけど、ワタシのドメインにはいくら払うつもりかなあ。100万ドル?1000万ドル?(カレシが横から「ポンドだよ、ポンド」と言うから)1000万ポンドでどう?そのくらいど~んとお金が入ってきたら、ワタシもカレシも趣味三昧の旅行三昧の美食三昧で悠々と暮らせるもんなあ。いや、ロトでもっとドカンと当たるかもしれないから、そのあたりを勘案して、よっしゃ、1億ポンドでなら売ってあげるけど、どう?

ま、ボットで探して適当に声をかけているんだろうから、どれくらい札束を積み上げられたって売る気にはらならないけど、やっぱり気になるよなあ、ちょっとは。いくら高く売れても、出会い系ビジネスとか、変てこなネットビジネスとか、ワタシの名誉にかかわるようなことには使われたくないもんなあ。何と言っても、ワタシの名前そのものなんだから、うつ病の地獄から抜け出す最後の一歩になった名前なんだから、同名さんがそんじょそこらにいるような名前じゃないんだから、また名前を変えなければならなくなるようなことはごめんだから、たとえ1億ポンドでだって売れないよ~。

だけど、だけど。もしも、10億ドルとか10億ポンドとか出すと言われたら、どうするかなあ・・・ふ~ん、んなことありえるわけがないよなあ。やっぱり、「必稼」鉢巻をきりりと締めて、まじめに仕事しよっと。

妬み、嫉みはカインの遺伝子?

10月15日。木曜日。ニューヨーク出張まであと1週間だ!あと1週間っきゃないってのに、どうしてこんな仕事の山ができちゃってるの?ふつうにやれば2週間はかかる仕事をぎゅっと1週間に圧縮して詰め込まなきゃならないし、請求書を書いて送っておかなきゃならないし、帳簿を整理して消費税の申告をしておかなきゃならないし、あああああ、お尻に火がついている!

きのう、ワタシのドメイン名を買いたい人がいた話を書いて、カレシとランチを食べながら、もしもどこか本当にお金のあるネット企業が、1000万ドルとは行かなくても、500万ドルくらい払うと本気で言って来たらドメインを売る気になるかどうかという話で盛り上がった。500万ドルねえ。でも、相当なところを税金で持って行かれるだろうな。すぐに店じまいして引退できるくらい残るのかなあ。そりゃワタシだって、異言語と異文化と異星人との格闘から解放されて、毎日が読書のし放題、絵の描き放題、ストーリーの書き放題、おいしいもの食べ放題という暮らしを夢に見るけど、いきなりどんと何百万ドルも積まれて、さあ!と言われてもなあ。たぶん、この30何年、まじめに働いて、地道に稼いで、地道に蓄えて来たお金の方がありがたくて、使いでがあるんじゃないかと思うけど。

人間の世の中はお金を軸にして回っているのは確かだけど、ありすぎてもなさすぎても始末が悪いのがお金。人間が最初に「貯める」ことを覚えたのは食糧だっただろうと思うけど、狩猟や採集などの能力に違いがあれば、必然的にそれぞれが貯められる量にも違いが出ただろうな。原始時代には食糧備蓄の多寡は即生きるか死ぬかの問題だっただろうから、たくさん貯めたもん勝ち。備蓄が少ない人は「たくさんあるんだから分けてくれてもいいだろうに」と思い始め、多い人は「オレが貯めたものをなんで他人にくれてやらなければならないんだと」と思い始める。まあ、「資本主義」と「社会主義」の対立構図はその頃にとっくに芽生えていたんだろうな。でも、あるだけ食べ尽くしてしまう人もいて、空腹になってまだ食べている方に「分けてくれ」と要求したかもしれない。で、要求された方にも「この次はちゃんと気をつけなさいよ」と言いながら分けてあげる人と、そっぽを向いて「計画性がないからだ。自己責任だ!」と突っぱねる人とがいただろうな。で、運良く分けてもらえた人にも、腹八分目を学んだ人と、即もらっただけ食べてしまう人がいただろう。それで、また腹ぺこになった方は懲りずに「分けて」とお願いしたかもしれないし、これではいかんと奮起して貯め込む側に回ったかもしれないし、あるいは「くそ、貯め込んでやがって。オレによこせ」と強硬手段に出たかもしれない。

そこは学習能力の高い人間のこと、強硬手段で手に入れることを覚えて、自分では貯めることをせずに他人が貯めたものを奪う「キラーキリギリス」も現れただろうな。まあ、キラーにまでならなくても、初めから自分で貯めることをしないで、ああだこうだと他人が貯めたものに依存するキリギリスも出てきただろうな。もちろん、自分で貯めたくても自分の力の及ばない理由で貯められない人だっていただろう。だけど、せっせと貯めているアリの方はそのために働くのが忙しくて、どっちがどっちなのか考えている暇なんかないから、とにかくみんなに分けてあげたかもしれない。だけど、そうすると今度は「あっちは必要もないのにもらって、ずるい」とか、「こっちの方がキツイんだからもっとくれてもいいのに、ケチだ」とか、やいのやいのとめんどくさいことになっただろう。まあ、そのあたりが人間なんだろうと思うけど。

でも、自分で精一杯やって得た成果を他人に恨まれるのは困りもんだよなあ。困るんだけど、まあ、自分で精一杯やっていない人には他人が精一杯やっているなんてわからない。だから、他人が(自分と同じで)精一杯やっていない(はずな)のに自分にないものを手にしているのは、あるいは、自分の方は精一杯やっている(つもりでいる)のに楽をしている(ように見える)他人が自分よりも得をしている(ように見える)のはどういうことなんだ、不公平だ、ずるい、許せないということになるのかもしれないな。聖書によると人類最初の殺人は「嫉妬」が動機だったけど、人間の世界に子孫を残したのは殺されたアベルじゃなくて、神様にほめられた弟アベルに嫉妬して逆上したカインの方だった。ふむ、時は下って、はて・・・。