リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年11月~その2

2012年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
がんばれ、ルンバ君!

11月17日。土曜日。雨。起床は午前11時半。朝食後、カレシはヘアカットにアントニオのところへ。ワタシは、ああ、今日も仕事だぁ。見たこともない動植物のラテン語の学名がぞろぞろと出て来て、ググってもググっても日本名が出て来ない。そういえば、海の底には100万種だかの生物がいて、人間が知っているのはまだそのうちのたった3分の1だというニュースがあったな。まだ知らないのに100万種もいるって、どうしてわかるんだろう・・・?

きのうの夕方、ルンバが届いた。さっそく箱を開けて、クイックスタートの手順で充電。入っていたDVDをちょっと見て、充電が終わったところでキッチンの床掃除。「それでは、掃除仕りまする」とばかりにホームベースからバックで離れて、作業開始。ランチの準備をしていたら、ルンバ君が「どけどけ、じゃま!」とやって来る。テーブルに着いていたカレシは「おいおい、それはオレの足だよ。ゴミじゃないよ」とテーブルの下のルンバ君にお小言。勝手にリビングの方へ行ったり、廊下に出たりするので、慌てて「ヴァーチャルウォール」という赤外線の「壁」に電池を入れて、キッチンの2ヵ所の出入り口にセットしておいたら、おとなしく「指定」された範囲だけをぐるぐると掃除。いい子だねえ。息切れして来たらそそくさとホームベースに戻ってドッキング。おお、賢いねえ。[写真]

今日はキッチンの椅子をどけておいて、キッチンと隣の洗濯室を掃除してもらうように「壁」をセットして、ワタシは仕事。だけど、見ているとおもしろいもので、何度もキッチンに上がってしまうので、仕事の方が疎かになってしまって、なんだか本末転倒の感。勝手にやってもらうことにして、ワタシはがんばって仕事に集中。静かになったところで上がって見たら、ちゃんとベースに戻って充電中。洗濯室はカレシが1日に何度も庭へ出入りするところだから、汚れているだろうなとは思っていたけど、ゴミの容器を外してみたら、キッチン2回、洗濯室1回の掃除でこんなにもあって、ギョッ。[写真]

がんばるねえ、ルンバ君。すっきりヘアカットして帰ってきたカレシに見せたら、「うひゃあ」とヘンな声。で、「堆肥にするから捨てるな」と。ふむ、たしかに有機物ではあるけど。でも、土に戻ればゴミも何も関係ないか。生けるものすべて、「土より出て土に帰る」ってね。まあ、これでせめてキッチンだけでもいつもきれいにしておけるのはうれしいな。明日はオフィスも掃除してもらおうかな。ルンバ君ががんばるから、ワタシも、仕事、がんばろう。あと4日のがんばりだから。でも、まだ13000語以上あるなあ。それまで電池が持つかなあ・・・。

ああ、終わった~

11月21日。水曜日の午前3時(あ、サイモン&ガーファンクルの歌のタイトル・・・)。ずっと雨、雨、雨。この先も雨、雨、雨だって。

やっとのやっとのところで、でかい仕事が終わった!現行の英語ははちゃめちゃだし、目はしょぼしょぼするし、頭はくらくらするし、しまいにはもう過労死するかと思ってしまった。何と言っても、普通のベースの倍でやっつけようとするのがワタシのいつもの悪い癖なんだけど。それにしても、今月は巨大地震級の仕事が2つも続いて、いやあ、きつかったのなんのって。さすがのカミカゼ翻訳者のワタシも音を上げるところだった。もうそろそろこういう「激務」は卒業したいもんだなあ。友だちにも言われたもの、「あんた、もう年相応の仕事量にしなさいよね」と。指の関節がみんなシクシク痛い。だって、18歳のときからタイプのキーを叩き続けて来たワタシの手。しみじみと見たら、しっかり「老人」の手になっている。あ~あ。

きのう、老齢年金の受給資格のお知らせが来た。もうひとつの年金の方がまだなのは、こっちをServiceCanadaの窓口で申請した形になったからかな。郵便で迷子になっていなければいいけどな。受給開始は65歳の誕生日の翌月だから、来年の5月末。通知を見て、ああ、これで飢え死にする心配はなくなったなあという感慨がした。なんだかヘンな感慨ではあるけど、ワタシの心の奥深くには自分の食い扶持は自分で稼がなければ、何かあったら路頭に迷ってしまうという、ある意味で強迫観念みたいなものがあったのかもしれない。まあ、子供がいないし、その「何か」に近いことも危うくありかけたし・・・。

さあて、一杯引っかけて、リラックスして、では、おやすみぃ~。

ひたすらリラックスを決め込みたい

11月21日。水曜日。雨、ちょっと一服。ま、マザーネイチャーだってちょっとは休みの日がないとね。神さまだって、天地創造の大仕事をして、7日目には「休み!」ということにしたんだし。神さまでさえそうなんだから、人間は休みなしでガシガシ仕事をしていたらなお体が持たない。もっとも、人間ごときは「月月火水木金金」で働けとのたまう神さまもいるところにはいるのかもしれないけど。

仕事の予定が「空っぽ」になったもので、安心してぐ~っすり眠って、午前11時50分に目覚ましで起床。シーラとヴァルが掃除に来て、さっそくヴァルに「あなたのデスク、何、これ?ツナミでも来たの?」と言われてしまった。しょうがないよ。よそ見しないでまじめに仕事をしていたら、カタログやらダイレクトメールやらメモやら印刷した参考文献がどさどさと積み上がって、デスクの上はちょっとメモを書くスペースもない。ヴァル曰く、「弁護士さんのお客さんがいて、彼女のオフィスもそこら中に書類が積んであって、デスクの上は触るなと言われるし、床だって掃除機もかけられないのよ」。でもさあ、とヴァル。「オフィスがあまりきれいに片付きすぎていたら、仕事がないのかと思っちゃうかもね」。そうだよねえ・・・。

あるシンクタンクが統計局のデータバンクの100万人の所得データを20%ずつ5つの層に分けて、それぞれの20年間の所得の変化を分析したら、トップ20%の層はわずか23%しか増えていないのに、最下位20%(いわゆる貧困層)の所得はほぼ7倍になっていた結果が出たそうな。貧困層の10人に9人が20年後には最下位20%から出て、5人に1人はトップの層に到達したという話で、トップと最下位の所得格差も20年前は13倍だったのが今はったの2倍。「金持はますます豊かになり、貧乏人はますます貧しくなっている」というのは「伝説」であって、カナダに関する限りは貧困層に生まれたら一生貧しいままということはないという結論だった。

それだけ多くの人が20年の間に「豊か」になるということは、社会人としての経験値の差が駆け出しの(若い)頃には低収入でも経験を積んで(学んで)行くうちに収入が上がって行くものだということも反映していると思う。カナダには向上心があればその努力が報われる可能性がまだまだあるということだろうな。もちろん、諸々の社会問題はすべて金持のせいだと主張する「オキュパイヤー」は「所得の不平等が問題なんだよっ!」と予想通り聞く耳持たずの反応だったけど、貧困層の90%が(まじめに働いて)やがて貧困から抜け出せているとすれば、問題なのはお金がないのをある人のせいにして)さしたる努力もせずに「富は平等に分けろ」と要求する人たちじゃないかと思うんだけどな。まあ、世界の諸問題は、自分たちの統治能力の不足も含めて、悪いのは西洋であり、アメリカであり、大企業であるとするのが今どきの「正しい」主義主張なのかもしれないけど。

でも、「活動家」を自称する人たちには「自分の考えは決まっていて、それが正しいんだから、今さらそれに反する意見など聞く必要はない」というタイプもけっこう多い。(実は、よけいな事実を持ち出して動揺させないでくれと言っているのかもしれないけど。)宗教組織なんてその際たるものだし、何であれ構成員の思考を統制しようとする組織ほど、言うなれば「心の窓」の閉じた人が上に立っていたりする。自分の正しさが絶対と信じている人、自分とは違う意見や考えは自分の価値を否定するものだと思っている人、自分が知らないことを知っている人が怖い人といろいろだけど、「では、どうしたらいいのか」と問われても合理的な提案が出て来ることはまずない。ま、悪いのは自分じゃないから解決しようという発想がないのかもしれない。結局のところ、人間は何十年、何百年、何千年と、ヴェンデッタを続けて行くことになるのかなあ・・・。

まあ、そういうことはこの際ワタシが出ることでもないから、いいってことにして、今日はひたすらリラックスする。家中がきれいになったところで、ランドリーシュートを覗いたら、洗濯物が今にもドアを押し開けてなだれ落ちて来そうだったけど、明日にする。ちょっとご馳走を作ろうかなと思ったけど、カレシがちょっとおなかの具合が良くないと言うので、ご馳走はやめにして、おなかに優しい簡単料理にする。(とっときのカルナロリ米でゆっくり、ゆっくり、ふっくらとしたリゾットを作ってあげた。)今日はのんびり。ひたすらのんびり。超久しぶりにジグソーパズルやゲームで遊んだり、小町横町を散策してみたり、デスクの上のカタログをパラパラとめくってみたり、リラックス、リラックス・・・。

結局、自己完結でいいじゃないの

11月22日。木曜日。目覚ましで起床午前11時30分。夢の中で鳴っていたと思ったら、実は現実の目覚まし。2日連続の目覚しき症はつらいなあ。と思ったら、歯医者から明日午後12時半の予約の確認電話。やれやれ、明日も目覚ましかあ・・・。

久しぶりに仕事のない今日は、カレシにくっついて午後の英語教室へ。前から生徒さんたちに連れて来てとせっつかれていたんだそうで、まあ、ゲスト生徒というか、「参観」というか。生徒さんは20代後半から50代まで7人で、全員女性。3人は去年からのおなじみ。それぞれの出身は、香港、台湾、中国本土、韓国。英語のレベルは中級の上あたりで、レッスンはテーマを決めてのディスカッション。今日のテーマは「高給/薄給過ぎの職業」。カレシが用意した雑誌の記事を教材にして、うわっ、にぎやかなこと。香港ではこう、台湾ではこう、中国ではこう、韓国ではこうと、人事制度や労働環境、所得税の制度まで、それぞれに異なるお国事情が聞けておもしろい。ゲスト生徒のワタシも仲間入りして、ああだこうだ。2時間があっという間に過ぎてしまった。人との交流って、気持が弾むよね、やっぱり。

ワタシには口から先に生まれたと言われそうなくらいのおしゃべりの才があるらしく、どこでも、誰とでも、何についてでも(自分が知らないことでも)、その場の会話にけっこううまく乗る方で、手も目も顔も総動員で、おまけに大口を開けてきゃっきゃとよく笑う。まあ、日本ではそういうのはあまり良く思われないらしいから、知らない日本人ばかりの時はワタシなりに気遣いをしておとなしくしている(つもりだけど、つい地が出てマナーにうるさい人の顰蹙を買っていそう)。でも、そうでないときは地のままのワタシ。これが英語だと、持って生まれたおしゃべりの才がそれっとばかりに満開になるわけで、生まれるところを間違えたのか、生まれるまでの過程で配線を間違えたのか、そこのあたりはよくわからないけど、とにかく人と交わるのが楽しい。

でも、初対面でも何でも、エライ人でも若い人でも、気後れせずに人と交わるのが大好きなワタシだけど、同時にひとりでいてもちっともさびしいと感じないから、何日もカレシ以外とは口を利かず、ひとりオフィスにコンピュータに向かい、ひとりであれやこれやをごちゃごちゃ考え、ひとりで自分と会話をしていても苦にならない、在宅フリーランス稼業にはぴったりの一匹狼的なワタシ。何となく二重性格のようではあるけど、別に表と裏に分かれているわけでもなさそうで、自分としゃべっているひとりのワタシは人の輪の中にいるワタシと同じ。これ、もしかしたら「自己完結型」と言われるタイプなのかな。

でも、日本語で「自己完結」をググると、一般にあまり良くは思われていないような感じ。前にも「ポジティブ」なのもあまり良く思われないらしいとわかるような話があったけど、どういうことなんだろうな。だって、辞書サイトで自己完結をチェックしてみたら「self-sufficiency」という訳語が真っ先に出て来て、それを逆に引くと「自己充足」とか「自立」といった日本語の訳語が出て来る。どれもじゃあ、自己完結じゃなくて、自己充足していると言ったら、それもやっぱり空気が読めないめんどうな人間ということになるの?じゃあ、自立していると言ったらどういう反応になるんだろう。「自立」の英語訳になると、「independence」、「self-support」、「self-reliance」で、どれも「好ましい」性格のうちに数えられるから、所変われば何とやらということなんだろうな。

小町横町界隈でも、何かと(あたしに)「頼らないで」、「寄りかからないで」、「依存しないで」、「当てにしないで」という、相手の自立を促すような発言が多く見かける。いいことだと思うよ。だけど、それを真に受けて他人に寄りかからずに自分で自分の面倒を見られて、自分で考えて決めて行動に移せる人(自立した人間)になったら、今度は自己完結している、空気が読めないと、落ちこぼれ人間される可能性があるから難しい。どうも日本では「自己」のつく言葉がなぜかネガティブな意味合いを持っていることが多いけど、どうして「自(self-)何とか」は良く思われないんだろう。もしかして、貶される人のことじゃなくて、貶している人の心理が投影されているとか?

ワタシが自立して自己充足した自己完結人間なんだったら、人によく思われようが、非常識なやつと非難されようが、ワタシはワタシでいいということで、それで不満でも不幸せでも孤独でもないから人の迷惑になっているとは思えないな。(迷惑だと感じる人には迷惑なんだろうけど、どうして?)まっ、空気を読めなくても、新鮮なのを胸いっぱいに吸えていれば生きて行けるから・・・。

今年はもう休みにしたい

11月23日。金曜日。午前11時30分。また目覚し起床。もう、くたびれたよ~。もちろん、少し早めに起きるんだから、少し早めに寝るといいんだけど、そこはそれ、そう言いながらもついテーブルを挟んで、寝酒のグラスを傾けながらいつまでもおしゃべりしているから、早寝しなきゃといいつつも、結局はいつもの時間。でも、よく考えたら、ひとつ屋根の下の長い2人暮らしで、そうやって取りとめのないおしゃべりをすることがなかったら悲劇かもしれないな。

今日はワタシの歯医者のアポが午後12時半なので、とりあえずジュースとトーストだけの朝食で、カレシのタクシーサービスで歯医者へ。1年ぶりということでレントゲンを撮って、モニターの画面に自分の歯が大写しになるのを眺める。それから衛生士さんにごりごりと歯垢を取ってもらって、ウー(伍)先生にチェックしてもらって、去年から懸案になっている上の2本の奥歯の古い充填は今すぐ詰め替えの必要はなしということで、じゃあ来年。カナダでは歯科は医療保険の対象外なもので、ひと昔前まえは企業や組合のベネフィットに歯科の団体保険があって、歯医者はしょっちゅう充填や歯冠を勧めていた。それが、経費削減で歯科保険がなくなったりして、歯の掃除は全額患者の自己負担になったし、充填が古くなったからと言って気軽に治療を受けられなくなったもので、最近は「おススメ」程度。何しろ歯医者は過剰気味だから、競争も厳しい。掃除料もずいぶん安くなったような気がするな。

だいぶ前に、うっかりいつもと違うCrestブランドの歯磨きを買ってしまって、それを使い始めたら口の中の粘膜が荒れてしまったことがあったので、ウー先生に聞いてみたら、他にも口の中が荒れたと言って来た患者が何人かいて、Colgateに代えたら治ったという話だった。そっか、「新発売!」のタイプだったし、カレシには何もなかったから、何らかの新しい成分がワタシ(と他の人)には合わなかったということか。なるほど、たかが歯磨きではあるけど、近頃は「歯を白くする」とか、「12時間殺菌効果」とか、やたらといろんな「効能」が追加されているから、「たかが歯磨き」なんて言っていられないな。最後にミントの味のフッ素のうがいをくちゅくちゅと1分やっておしまい。ああ、さっぱりした。いつものように(宣伝の)デンタルフロスと歯ブラシと歯磨きをくれる。外へ出て、カレシのタクシーサービスを待っている間に袋の中を覗いたら、あら、Crestの歯磨き・・・。

帰ってきたら腹ぺこ。だけど、フッ素のうがいをしたら、30分は飲まず食わずで!ということで、しばしの間グーグーとうるさい胃袋をなだめつつ、メールのチェックやら何やら。聞いたことのない会社から引き合いがある。翻訳会社らしいけど、このレートならわりと良心的な会社かもしれないけど、ちょっと安いかな。翻訳業界はすごいデフレになっているらしいけど、ワタシのレートはほぼ23年間でほぼ同じ。ここ10年仕事をもらっているニッチの会社のレートが高いので、逆に平均レートはかなり上がっている。ま、来週の今ごろはサンフランシスコだし、ぎりぎりまであたふた仕事をしたくないので、「現在新規のお客様はお受けしておりません」とメール。何だかエラそ~な返事ではあるけど、今から顧客の新規開拓も何もない
だろうし。

翻訳業界と言えば、この頃やたらと多いのが「翻訳者」からのスパムメール。どれも要は「翻訳します。経歴何年、迅速で正確」的な営業メールなんだけど、毎日5通くらいは来る。実にいろんな言語の組み合わせがあって、特にスペイン語とかポルトガル語、トルコ語と英語。一度だけ日本語というのがあったなあ。どこかでボットを使って集めた翻訳者/会社のディレクトリがDVDか何かになって出回っているのかな。昔からときどき「世界の翻訳会社を網羅したディレクトリを買わないか」というスパムメールもよく来るな。この業界もEUの経済危機が忍び寄っているのかな。でも、EconomistやForbesには「翻訳・通訳業界は隠れた好況産業」みたいな記事があったばかりだけど、もっともEconomistは法律分野の話だったし、Forbesはアメリカの話。ま、悪いけど、ワタシは翻訳会社ではないもので、「削除」ボタンをクリック、クリック、クリック。

さて、あしたはやっと目覚ましなしで、目が覚めるまで眠れる。くたびれたから、本気で12月は「休業」にしてしまおうかなあ。11月末で22年中上から9番目の業績。アメリカドル安でカナダドルの手取りが目減りしていてこれだから、円もドルも高かった1990年代の為替レートだったら、「創業以来最高の売上高」という華々しい決算になりそうだな。10年ほど前に仕事を半分に減らしたはずなのに、これではどうみても仕事のしすぎだ・・・。

200年後の世界地図を見てみたい

11月24日。土曜日。やっと目覚ましなしで、体の気が済むまで眠って、2人ともほぼ同時に自然に目が覚めた。ただし、午前11時40分。なんだ、目覚ましとあまり変わらないか。でも、久しぶりに明るい。朝食が終わったら、まずは洗濯から行こう!

自由党の党首候補と目されるジャスティン・トルドーが、2年前のケベックでのインタビューで、「アルバータがコミュニティを牛耳っているのは良くない。ケベックが政権を持つべき」と言ったのが表面化して、ちょっとした騒ぎ。トルドー議員はかってのトルドー首相の息子で、若いし、ルックスはいいし、美人の奥さんと幼い2人の子供がいて、どん底で低迷する自由党の「希望の星」。あわてて、ハーパー首相(アルバータ選出)のことを言うつもりだった。カナダの首相はケベック人がなるべきだ」と説明したもので、お膝元のケベックでもひと騒ぎ。その前には「こんな政策じゃボクだって独立を支持したくなる」と言って顰蹙を買ったばかりで、おまけに今ケベックは独立派の政権だし、西部は未だに(親父の)トルドーにムカついている人が多いし、もろに地雷を踏んじゃったなあ。

分離独立といえば、スコットランドが2年後に独立に向けての住民投票をするんだそうな。北海油田の収入でやっていけると。スペインでもカタロニアとバスクが独立の旗を振り出したそうだし、ベルギーなんかもうずいぶん半分解状態。どっちも言語問題も抱えている。でも、独立したがっているのは比較的豊かな地方なんだそうで、EUの経済危機で「ビンボーな地方に自分たちの稼ぎをたかられるのはたまらん」と言う心情らしい。このあたりは税制や年金制度などで他の州にはない「自治」を認められているのに、景気が悪くなると「出て行く」と脅してはオタワから優遇策を引き出しているケベックと違うところだな。それでもケベック人は自分たちがたかられていると思っているらしいから、たいしたプライド。

そういえば、アメリカでもオバマ大統領の再選で、各地で「分離独立」を要求する署名運動みたいなものが起きたそうで、テキサス州では5万人以上の署名が集まったとか。テキサスはメキシコと戦って独立を勝ち取って、10年くらい独立国家「テキサス共和国」だった歴史があるし、南北戦争では南軍だったし、反ワシントンの感情はけっこうあると思うな。州都オースティンの州議会議事堂を見に行ったことがあるけど、敷地のいたるところに南軍の記念碑があって、正面玄関には今でも使えるという南北戦争時代の大砲がデンと置いてあって、テキサスはまだ南北戦争を戦っているのかと錯覚するくらい。アラモの砦のテキサス魂はまだまだ廃れていないようだな。

BC州とワシントン州、オレゴン州は「カスケーディア」というひとつの地域文化圏を形成していて、分離独立を唱える人たちもいて、ダグラスファーをデザインした「国旗」まで用意してある。たしかに、性格も英語の訛りも似ているから、シアトルに行っても隣町と同じ感覚だけど、今のところはほとんどの人が「地域文化圏」で満足している。でも、地理的な境界と言うのは人類が陣地を張って所有権を争うようになってからこの方、いたってアモルファス。チャールズ・イームズの短編フィルムにローマ帝国の境界線の変遷を毛糸の輪の伸び縮みで表現したのがあって、国境は人間が作ったもので、常に押しつ押されつで変わっているものだと実感させてくれたけど、今から100年後、200年後の世界地図にはテキサス共和国があり、カスケーディア共和国があり、ケベック共和国があり、北海道共和国もあるとなおいいし、ヨーロッパにはかってそうだったように小さな国が乱立しているかもしれない。

ま、EUは拡大を急ぎすぎたあまりにあちこちが綻びているように見えるし、アメリカでは共和党派と民主党派の二極対立が先鋭化しているし、カナダも古い東部と新興の西部の対立が目に見えて来ているし、国境が永遠に変わらない、変えるべきでないと考えるのはちょっとナイーブ過ぎるかな。問題は戦争をしないで変えられるか、だろうな。ダーウィンによると、適者生存と言うのは力の強いものが生き残れるということではなくて、変化に適応して変われるものが生き残ることだそうな。ちなみに、最近発表されたある研究によると、人間の知性はこの6千年の間に高まるどころか逆に低下しているらしい。政治家の失言とか経済の混乱とか、あれこれを見回してみて、何となく「なるほど~」という感じがしないでもない。

そういう先の話は別にしても、ケベック、出て行ってもいいよ。でも、資源の豊かなラブラドル半島も(財産分与で?)持って行くつもりらしいけど、ニューファウンドランドが何というかな。(ケベックが自分のものだと言い出したから、ニューファウンドランド&ラブラドル州という長ったらしい名前に変えたんだっけ。)いっそのこと、全国で住民投票をやってみる?出て行けという結果になったら、どうする?独立してやっていけないから、出て行くのはや~めた、と言う?トルドー君に聞いてみるか・・・。

本年の営業は終了しました

11月25日。日曜日。目が覚めてから、しばらく2人してうとうとして、正午に起床。今日もわりと明るい。ゆっくり、ゆっくりで行こう。大洗濯は済んだし、キッチンの床はルンバ君がきれいにしておいてくれるし。

メールをチェックしたら、え、仕事?またニューヨークかと思ったら、今度はロンドンのオフィスから。この会社との付き合いはサンフランシスコから始まった。何年か前にトライアルをやってみないかと声をかけられて、普通は断るんだけど、専門が法律分野だからおもしろそうだとOKしたら、送って来たのは目が回るようなややこしい契約書のサンプル。評価が「A」だったので、(新人だから)小さな仕事の話がちょこちょこ来るけど、タイミングが合わない。そのうち今年の初めにニューヨークのオフィスからドカンと仕事が来た。思えばあれがクレージーな2012年の予兆だったのかな。今度の話は来年まで続く見通しなんて言っている。やだ、もう。でも、世界中ぐるっとオフィスのある会社だし、無碍に断るのもなんだから、年が明けて「プロジェクト」がまだ続いていたら声をかけてくれと返事をしておいた。

ここのところずっと座りっぱなしが多かったので、運動しないとプヨプヨが進行しそう。今年は(日本で美食を堪能しすぎたのもあるけど)仕事のストレスの大食い、大飲みで3キロも増えてしまったからまずいよね。(太ると顔がふっくらして皺が目立たないというご利益もあるけど・・・。)そこで、トートバッグを肩にモールまでてくてく。空気が冷たいけど、背筋を伸ばして、おなかを引っ込めて、ぐいぐいと歩くのは気持がいい。今の季節、私書箱はちょっと目を離すとカタログでぎっしり。それだけでトートバッグが肩にずっしり。次は毎年臨時に出るカレンダー屋。6枚。カレシにはニューヨークの白黒写真。キッチンにはアールデコ時代の食品の宣伝ポスター。ワタシのオフィスにはポーチの写真。湖畔や海辺の優雅なポーチの風景。いよいよ「年金受給者」になる来年にぴったりだと思うけど・・・。[写真]

カレンダーの手当ができたら、次はクリスマスカード。送り先がそんなにあるわけじゃないから、あまり数の入っていないのを2種類。これで今年のクリスマスの準備が出来てしまった。トートバッグはずし~んと重い。だけど、化粧品がなくなりかけていたのを思い出して、Bayのクリニークのカウンターへ。いつもの昼間のクリームと夜のクリームとローションを頼んだから、ローションの他に洗顔ソープやアストリンゼントの入ったセットだと旅行用のミニサイズも付いて来て、おまけに今なら40%オフなのでお得ですよ~と言うのに釣られて箱ごと買ってしまった。ついでに寝ている間に使うアロエ配合とかの保湿クリームも「これから暖房が入るとお肌が乾燥しますよね~」と言うのに乗ってお買い上げ。ついでにハンドクリームも要ると言ったら3種類も出して来て、手の甲のあっちに塗り、こっちに塗りのお試し。足のかかとにも効くというボディバターが一番大きかったので、それに決定。おまけに色は派手なピンクだけど、わりと使えそうなトートバッグをもらって、大きなショッピングバッグに一杯。重い荷物を肩に担ぎ、手に提げて、片道30分をえっさえっさと歩いてご帰館。ああ、くたびれた。

でもまあ、まったく仕事がない日もいいもんだ。すっかりその気になって、常連のお客さんにも、12月は「勝手ながら休業させていただきます」メールを送ってしまった。もちろん、どうしてもという「緊急」の仕事があればやりますと但し書きを付けてだけど、何もなければ「晴読雨読」でのんびりと暮らすご隠居さんトレーニングと行こうか。でも、もしも退屈してしまったら悲劇だなあ・・・。

銀行がもうかってくれないと

11月26日。月曜日。寝る前の一杯のつもりが、話が盛り上がってしまって、寝たのは午前5時半。なのに11時過ぎには起きてしまったから、眠くてしょうがない。でも、早めに起きるようにしておかないと、サンフランシスコで時差ぼけになってしまう。同じ時間帯の中なのに時差ぼけするというのもヘンな話だけど、生活時間が変わるので、実質的に時間帯をいくつか越えたのと同じことになる。(だから生活のリズムが近い日本へ行くと時差ぼけがほとんどない。)

眠たいせいか、何だかやる気が出て来ないので、今日は銀行に行くのはやめにして、だらだらモードを決め込む。新聞サイトめぐりを始めたら、びっくり仰天ニュース。カナダ銀行のカーニー総裁が来年イギリスの中央銀行の総裁に就任するんだって。日銀総裁が任期途中で他の国に引き抜かれるようなもの。カナダの経済はまあまあだし、銀行の経営は堅実だし、本人はオックスフォード大学で経済学の博士号を取って、経済学者の奥さんはイギリス人だし、イギリスとしてはぜひうちに来て!ということなんだろうな。候補に挙がって「その気はない」と否定していたのに、キャメロン首相がハーパー首相に「ぜひ譲ってください」と頼み込んだと言う噂もあるらしい。まだ47歳だから、ロンドンでの5年の任期が終わったら、次はIMFの専務理事を目指すのかな。だけど、できる人を引き抜かれちゃって、カナダ、大丈夫かなあ。カナダドルのレートがちょっと下がっちゃったけど・・・。

カナダの銀行は儲けすぎだという批判が多いけど、きちきちに規制された環境での儲けなんだから、虎の子のお金を預けてある銀行が儲かっているのは喜ばしいことじゃないのかな。カナダでも銀行がいくつか破綻した時代があって、それに懲りた政府が金融機関の監督官を置くようになった。初代の監督官はワタシがいた会計事務所のトップだった人で、年収が半分になるのも厭わず、銀行の健全経営を監督する基盤を作った。カーニー総裁と同じように、まだ50歳になるかならないかで、すごく頭が切れて、しかも温かみのある人だったな。考えようによっては、銀行制度を監督する基盤がしっかりしているから、政府が銀行を支援することもなくリーマンショック以来の世界的な経済危機を乗り切って来れたんだと思う。だから、(どこかの新聞記事にあったけど)カナダよりもイギリスの方が切実にカーニーさんを必要としているってことだろうな。

まあたしかに、銀行にあれこれ手数料やら何やらを取られてムカついている人は、銀行はぼろ儲けしすぎだ!とよけいにムカつくだろうな。当座預金なんか残高が少ないと口座維持料みたいなものも取られるらしいから、その一定の残高を維持する敷居が高いと感じる人もたくさんいると思う。自分のお金なのに使うとお金を取られるわけで、何となく理不尽な感じもしないではないけどな。でも、箪笥にしまっておけば泥棒の心配があるから、銀行に安全に預かっていただいているわけで、銀行の儲けは安心料だと思えばいいんじゃないかと思うけど、そこはそれ、オレ(アタシ)の金を使ってぼろ儲けするとはけしからんと怒る人もいる。(億の単位のお金を動かす銀行にしてみたら、そんな金じゃあ儲けは出ないよというところだろうけど。)まあ、投資信託に預けたようなもので、銀行が利益を出していなかったら逆にワタシは心配になるけどなあ。

ま、持っているアメリカドルを下ろさなければならないから、あしたこそは銀行に行って来よう。カナダドル、下がるかなあ。アメリカドルで入って来てそのままで使っていればいいんだけど、使い道が限られてしまうし、アメリカドル口座から振り替えると(窓口よりは低率だけど)為替手数料込みのレートになるから目減りがすごい。少しは下がってくれないと困るんだけど、アメリカが財政の「断崖絶壁」を見下ろしてああだこうだいっている間は、等価ラインでの「もみあい」が続くのかなあ。あと5セントくらい下がれば差益が出るんだけど、無理かなあ・・・。

語学は音楽に通ず

11月27日。火曜日。モーターの音で目が覚めたら正午になるところ。外は明るい。ガーデナーのジェリーが伸びて来た生垣の刈り込みをやっている。歩道の芝生刈りは季節的にもう不要なので、カレシが生垣の手入れを頼んであった。上は平たく揃えてクルーカット。横は(基本的に市有地側に植えてあるので)放っておくと歩道にはみ出して市役所からお小言が来るから、平らにそそり立つ緑の壁にしてもらう。カレシはすぐに自分でやると言うんだけど、道具がないし、時間がない(らしい)し、やる気がなくなるから、結局はプロのガーデナーに頼むのが一番手っ取り早いし、きれいに仕上がる。

銀行へ行こうと思ったけど、考えたら当座預金はほとんどを貯金口座に移してあったので、シーラの留守番料と来月の掃除料と手持ちの現金を下ろしたら、明日引き落とされる医療保険をカバーする残高がなくなる。カレシの年金の振り込みも明日だけど、処理の順番によっては残高が一瞬マイナスになる可能性がある。いくらか当座に戻しておくか、貯金口座から直接下ろせばいいのに、なんだかめんどうくさくて、銀行は明日。今日はデスクに山積みで散乱しているカタログやダイレクトメールの整理。仕事が休みだと、いろいろと予定変更の融通が利いて(ドタチェンできて)いいな。(カレシが予定をドタチェンしたら怒るワタシだけど・・・。)デスクの整理をしたのはそれほど前じゃないような気がするけど、カタログ類は積み上げたら20センチ近い高さになった。ひとつひとつアドレスを隠蔽して、リサイクル箱へ。日本製のこの隠蔽スタンプ、「Kes’pon」の名前で売られている優れもの。半日かかったけど、きれいになった。ふぅ・・・。

協会のメーリングリストではまたぞろ「ネイティブ論争」をやっている。なにしろ、英語人と日本語人がいるもので、どこかで「翻訳は外国語からネイティブ言語に限るべき」主義的なエッセイなどが出ると、いつもひとしきり(飽きもせずに)同じ論争をやっている。そもそも「ネイティブ言語とは何ぞや」という定義がはっきりしていないし、「翻訳の質」や「翻訳者の技量」をどうやって測定するかという基準もはっきりしていないから、議論もてんでの方向へ発展して、だんだん噛み合わなくなるからおもしろい。この業界には基本的に「日本語訳市場「と「英語訳市場」とがあって、日本語訳市場はほぼ日本語人の独占だけど、英語訳市場は日本語人も多数参入している。このあたりが特に日本在住で英語訳をやっている英語人の神経を逆なでするらしい。でも、2ヵ国語使えれば翻訳できるというもんじゃないし、英語がネイティブ言語だから英語訳の質が高いというわけでもないから、翻訳という職業が成り立つんだけど。

何日か前、ローカルのテレビで日本人起業家が商品を説明しているのを聞いていたカレシが、「文法は間違っていないし、単語も聞き取れるけど、何の話をしているのかわかりにくい」と評していた。たしかにワタシにも少々わかりにくかったけど、英語教室で生徒の英語を聞きなれているはずのカレシがなぜ、この日本人の「達者な」英語が、わかりにくかったのか。カレシ曰く、「流暢だけど、抑揚が英語になっていないから、発音があまり良くないと、英語だと意識して聞かないとわかりにくい」。かえって、たどたどしい英語の方がわかりやすいと。そういうものなのかなあ。

よく、「英語はネイティブ並み」、「ネイティブのように話したい」という人がいるけど、この「ネイティブ」と言うのが曲者。どの言語でもそうだけど、単語を文法に沿って正しく組み合わせて、正しく発音すれば(書けば)いいってもんじゃないから難しい。その言語に特有の抑揚があり、リズムがあり、さらにそこに顔の表情やボディランゲージが加わる。おまけにボディランゲージには微妙な表現が隠されていたりするから、ますます難しい。そうしたものを全部ひっくるめて「ネイティブ言語」になるんだと思う。でも、「語学」というと、文法や単語、発音、綴り、聞き取り、書き取りの「勉強」であることが多いように思う。ワタシの中学、高校の英語はまさにそれだった。

でも、今では英語が「Primary language(主言語)」という感覚で、話す、聞く、読む、書くのどれにも(内容の良し悪しはともかく)まったく不自由を感じていないし、誰にも違和感がないように見えるから、自分がどんな風に英語をしゃべっているのか考えることはないな。訛りはあるはずだと思うんだけど、あるかとカレシに聞けば「ないなあ」と言われる。抑揚とリズムとボディランゲージが「ネイティブ並み」になって、誰も訛りには気がつかないということかもしれない。でも、どうやって「英語らしさ」を学んだのかと聞かれても、英語環境で長く暮らしていたもので~としか言えない。その「言語らしさ」というのは教科書には書かれていないし、言葉では説明できないことなのかもしれないと思う。

ただ、ワタシは知らない言語が耳から入ってくると、それを音楽のように聴いているところがある。(知らない言語だから言葉して聞いてわからないのはあたりまえ。)抑揚はメロディ、リズムはリズム、単語は歌詞。歌詞がわからなくても、「歌い手」の表情や身振り手振りを見ていると歌の雰囲気が何となくわかる。どの民族にも「民謡」があるように、どの言語にもそれぞれに独特の「音楽」がある。だから、ワタシの耳はいつも聞こえる英語をラジオから流れてくる音楽のように聞いていて、鼻歌まじりで合わせているうちにメロディ(抑揚)を覚え、人と話しているときは、テレビの歌番組を見ているのと同じに歌い手の身振り手振り(ボディランゲージ)をまねるようになったのかもしれない。(いい加減な言語学習法だな・・・。)

かっての同僚に他人が外国語をしゃべっていると腹が立つという人がいて、その理由と言うのが「だって、何を言っているのかわからないじゃないの」。彼女はきっと言語を「意味を伝えるもの」と考えていたんだろうな。それで聞こえる言葉の「意味」を知ろうとして、わからないから苛立ったんだろうと思う。音楽として聞いていないから、「雑音」でしかなかったのかもしれない。つまり、彼女にとって言語は「語学」だったのかな。語学としての言語学習は、言葉の意味を汲み取ることに集中するあまり、相手の話の抑揚や顔の表情やボディランゲージは学習の対象にはなっていないのかもしれない。言語の習得ひとつをとっても、人はそれぞれで、自分に合った学習方法に出会えたらラッキーだけど、そうでなければ習得できても実践では苦労するかもしれないということかな。

やっとバケーションの気分

11月28日。水曜日。またモーターの音で目が覚めた。午前11時20分。ああ、眠い~。ガーデナーのジェリーが今日は道路向かいのマージョリーの生垣の剪定をやっている。うちの生垣の倍くらいの高さがあるから、大変だなあ。ガーデナーが使う3本足の脚立は目が眩みそうな高さで、トリマーを動かすたびにゆらゆらと揺れる。そのうちに雨が降り出した。

今ごろになってちょっぴり疲れてきたけど、何でだろうな。ま、それでも銀行へ行かなきゃと、したくをしていたら、カレシが「一緒に行くよ」。夕食にサルサを作りたいから、トマトがいるんだそうな。トマトくらい、ついでに買って来るけど~と言ったら、「車を走らせておいた方がいいから」と、どうしても付いて来る気でいる。ははあ、旅行の前だから落ち着かないんだな。出発の日が近づくと、何となくそわそわして、ああだこうだと絡んでくる。場合によっては興奮状態でストレスになるらしく、機嫌が悪くなったりするから、ヘンな人。今回は行き慣れたサンフランシスコで、しかもたったの5泊6日なんだけどなあ。

アメリカドルはATMから出せないから、カウンターに並ぶ。さっそく「2人揃って待っていることもないから、ボクは私書箱をチェックしに行く。モールの入り口のところで落ち合おう」と言って、さっさと外へ出て行ってしまった。ワタシの前にいるのはたったの2人。行列と言えるほどの行列でもないのに、それでも待てないんだなあ。やれやれ。5分もしないうちにワタシの番が来て、アメリカドルをアメリカドル口座から、カナダドルを当座預金口座から、400ドルずつおろして、5分もしないうちに完了。最近発効されたばかりのポリマー製の新しい20ドル札が混じっていた。なんかぺらぺらなビニールの手触りで、おまけに透明な模様つきの窓が開いているから、あんまりお札らしくない。偽造しにくいし、紙と違って長持ちするので経費削減になるそうだけど、ATMはまだ新札に不慣れで、多すぎたり少なすぎたりするという話。そういえば、1ドルと2ドルの硬貨も、経費削減?でほんの少し重さを減らしたら、駐車メーターや自動販売機で使えないという苦情が出たとか。新硬貨の裏にメープルリーフの刻印があるのは見分けのためかな。

セイフウェイによって当座の買い物をして、レジでトートバッグに詰めてもらっていたら、どこかへ姿を消していたカレシが現れたので、「あら、ヘルパーさんを雇ったのね」とレジのお姉さん。「アタシもいつもそうなの。買い物にはうちのヘルパーを連れて行くのよ。高くつくことが多いけど、楽ちんだもの」。そうだなあ、ついでにあれも、これもを追加されたりすると、ヘルパー料が高くつくよねえ。あはは。カレシは苦笑しながらバッグを受け取って、道路の向こう側に止めた車へまっしぐら。帰って来たら、ジェリーとヘルパーのおじさんがそろそろ作業完了。その場で請求書を頼んで、生垣の刈り込み料と11月の芝生刈りの料金をまとめて小切手で支払い。これで、残るは1日早い月末処理だけとなった。バケーションモードに切り替えても良さそうだな。

今夜はカレシが前から食べたいとヒントを出していたとんかつ。ヒレカツに大根おろしにゆず醤油。ついでに刻みキャベツも添えて、麦ご飯を炊いて、味噌汁以外は(店の名前は忘れたけど)東京で食べたのとほぼ同じメニュー。東京駅だったか、新宿駅だったかの店には元気な(ちょっとイケメンの)お兄ちゃんがいて、「ボク、英語できますから」と張り切ってサービスしてくれたっけ。学生アルバイト君なのかな。半年前のことだけど、なつかしいね。カレシは未だに日本で「一番好きな日本食は何?」と聞かれて「とんかつ!」と答えたときのびっくり反応を思い出しておかしがっている。「だって、とんかつって日本食なんじゃないの?」う~ん、と思うけど・・・。

さてさて、後はゆっくりするか。仕事のことを考えない日々にだんだん慣れてきたような・・・。

荷造りにその人となりが見える

11月29日。木曜日。目覚ましより1分早く目が覚めた。また雨。記録的な少雨だった秋の分もまとめて降らせているのかな。いつものシリアルがないので、急ぎでホットシリアルを作って、朝ごはん。

カレシを午後の英語教室に送り出して、まずは月末処理と家計の処理。請求書を作って、仕事ログの11月分を締めて、年間ログのアップデート。ふむ、12月にまともに仕事をしたら、過去10年で最高の業績を達成ってことになりそうだな。どうりでくたびれているはずだ。家計の方は手元の請求書を全部まとめて支払日を指定しておいた。電気料金、(業務用)電話料金、ケーブルテレビ料、ワタシのクレジットカード。これで帰って来て忘れていたなんてことがないから安心。コンピュータがなかった昔は、2週間か3週間くらい家を空けるときは、ざっと見積もって先払いしておいたり、ママのところへ郵便を転送して立替払いしてもらっていたっけな。こういう便利さはいいね。

夕食は冷蔵庫の野菜の在庫一掃セールでグリル。夜の英語教室に行くカレシを送り出して、荷造りの準備。といっても5泊だし、特にエキゾチックなところへ行くわけでもないから、ワタシのは簡単。たった2時間のフライトだから、重いDVDプレーヤーに代わって本を1冊。ちょっと悩んでデジカメの代わりにスチル写真も撮れるカムコーダー。充電コード2本。後は衣類と化粧品。そうそう、お酒のびんが割れないように保護する袋も入れておかないと。そうだ、ほぼ毎日雨の予報だから傘も入れなくちゃ。サンフランシスコでお酒を買えば、帰りはスーツケースを預けることになるので、予備の機内持ち込み用のバッグを入れておく。買い物をしすぎてスーツケースがいっぱいになっても、衣類や化粧品が入る大きさのトートバッグがあれば安心。後はハンドバッグの代わりに旅行用のショルダーバッグ。暗黒大陸の探検に行くわけじゃないんだから、いるものがあればドラッグストアを探せばいいんだし、身軽が一番・・・。

カレシはBoseの「消音ヘッドフォン」を今回は持って行かないことに決めた。エンジンの音や周囲の雑音をシャットアウトして音楽を聴きたいという理由でいつも必ず持って行くんだけど、ハードケースに入っているから、けっこうかさ張る。まあ、2時間なんだから、少々周りがうるさくてもガマン、ガマン。そうでなくても、ネットブックにミニマウスにiPodが2個、さらに電源コードやらUSBケーブルやらと、とかく持ち物が多いのに、iPodはそれぞれ買ったときの箱にていねいに納めて、それを全部大きなダッフルバッグに詰めて機内に持ち込みたがるのがカレシ。だけど、たったの2時間なんだから、お目当てのものが見つからないとかき回したり、出したものをしまったり、とにかく狭い座席でもぞもぞしているうちに目的地に着いてしまうって。

旅行の荷物の内容や荷造りのしかたを見ていると、その人性格やものの考え方、世界観などをちょっとだけ垣間見ることができておもしろい。さて、カレシは搭乗券を印刷したと言っているし、ワタシもそろそろ荷造りをしなくちゃ・・・。


2012年11月~その1

2012年11月16日 | 昔語り(2006~2013)
自分で自分にボーナスを出すのがフリーの稼業

11月3日。土曜日。日が差さなくて暗いせいか、目が覚めたのは午後1時ぎりぎり。今日も雨。昨日も雨。明日も雨。まあ、これがバンクーバーの普通の「冬」。でも、1980年代には11月に寒波が来て、氷点下の日が何日も続いたり、雪が降ったりしていた。入り江から吹き上げる寒風で体感温度がマイナス30度というときに出勤途中、イアマフからはみ出していた耳たぶに凍傷ができたのも11月だったような気がする。長い目で見たら、何でも上がったものは下がり、下がったものは上がるってことなんだろうけど。

きのうもおとといも大車輪で仕事をしたもので、まだあと1週間あるというのに、もうくたびれて来た。でも、その後にもまた大きな仕事が入ってしまっているから、くたびれて萎れているわけにも行かない。元々フリーの在宅稼業は仕事があるときが仕事日で、仕事がなければ休み。もっとも、その「休み」が長く続くと、永久の休みになってしまうのではないかと心配になって、楽しむどころでなくなるという困った稼業。かといって、仕事が洪水の濁流のごとく押し寄せて来てあっぷあっぷの状態でも、自力で必死に泳ぐしかないから、ほんとに困った稼業。で、今日も犬かき・・・。

二階へ上がったついでに先週からずっと放置してあった洗濯かごから自分のものとタオルの類を選り出してたたみ(カレシは適当に要るものを引っ張り出しているらしい)、ついでに上と下のバスルームの戸棚にトイレットペーパーを補給し、洗濯室にまだぶら下がっていたカレシのシャツを二階へ運んでカレシのクローゼットのドアのノブに引っ掛け、ついでにカレシのクローゼットから空のハンガー(16本!)を回収して洗濯室に戻し・・・ついで、ついでで階段を上がったり、下がったりがせめてもの運動。なにしろ座業だから、忙しいほど動かなくなって、しまいにはトイレに行く時間も惜しくなって来るから、あんまり健康的とは言えない困った稼業。おまけにストレスのせいで寝酒の量が増えて、おなかはますますプヨプヨ・・・。

オーブンが壊れているのに新しいのを買いに行く時間がないし、気晴らしにおいしいものを食べたいけど、外へ食べに行く時間の余裕もないし、元々おいしいものはゆっくり味わって食べたいから外へ行こうという気にもなれないし、だけど自分で作っていると食材がなくなって来るし、(お酒はカレシが買いに行ってくれたけど)寝酒のつまみもなくなって来るから、時間がないと言いつつ緊急の買出しに飛び出すことになるから、困った稼業。でもまあ、今日は「夏時間」最後の日で、時計の針を1時間戻す明日は実質1日が25時間ということになるから、「ボーナス」の1時間を緊急買出しに充てるか・・・。

でも、でも・・・。開けない夜はないし、出口のないトンネルはない。通り過ぎない台風はないし、止まない雨はない。降り積もった雪だって春になれば解ける・・・その「春」がいつ来るかが問題だけど。まあ、そうやって自分を鼓舞してがんばれるのがフリーの在宅稼業のご利益と言えるかもしれないな。がんばった甲斐があれば自分で自分にボーナスを出せるのもこの稼業のいいところ。というわけで、カレシがサンフランシスコでの5泊6日のバケーションを企画してくれた。アメリカでは感謝祭がとうに終わって、クリスマス商戦が佳境に入っている時期。ホテルは定宿になりつつあるユニオンスクエア地区のマリオット。元は東急系のパンパシフィック・ホテルで、何年か前、間違いなく「パンパシフィック」に予約したのに、着いてみたら「マリオット」になっていて、思わずホテルを間違えたかとびっくりしたところ。

サンフランシスコは歩き回るのが楽しい街。あごが擦れそうな急な坂道をハアハア言いながら登り、フィッシャマンズウォーフへの急な坂道をケーブルカーの外側にしがみついて下るスリルを楽み、いたるところで遭遇するPainted ladiesと呼ばれるアン女王様式やビクトリア朝様式のドールハウスのようなカラフルな家を鑑賞するのが楽しい。コロンバス・アヴェニューの「The Stinking Rose」(くっさいバラ)は前菜からデザート(ガーリックアイスクリーム)までガーリック尽くしの楽しいレストラン。ユニオンスクエアを囲むように並ぶSaks Fifth Avenue、Tiffany、Williams Sonoma、Neiman Marcus。マーケット・ストリートを渡ればBloomingdale’sにNordstrom。どこも値札の数字の桁がひとつ多いんだけど、見るだけならみんな「ただ」。大いに目の保養をして、最後は庶民的なMacy’s。

ちょうどユニオンスクエアではMacy’sのクリスマスツリーがライトアップされている頃だなあ。今年から免税枠が二倍になったことだし、クリスマスショッピングして来るか。うん、楽しみにして、がんばろうっと。

仕事しすぎの自分へのごほうびはルンバ

11月5日。月曜日。おお、久しぶりにまぶしい日差し。まあ、雨期の雨もたまには止んでくれないとね。太陽が燦々と照るところから来た人たちには辛い季節だと思うけど、カレシはこの湿っぽいバンクーバーの生まれ育ちだし、ワタシは「狭霧閉ざせる蝦夷の地」の生まれ育ちなもので、毎日雨が振ったり、空が灰色だったりしても、2人揃ってち~っとも苦にならないから、このあたりにも何かのご縁があったのかな。

朝食もそこそこにまずは買出し。ワタシとしては納期がなければついだらだらと過ごしてしまいちがちなほんの3、4時間の午後が一番効率的なので、仕事に埋没してしまている今回はワタシの希望で午後のおでかけ。今日はいつもの大きなトートバッグ1つと予備のエコバッグ4つという重装備で西のIGAへ。常食の魚をどっさり仕入れて、ランチの食材や寝酒のつまみを念のためにいつもの2、3倍買って、野菜もどっさり。なぜかやたらと人にぶつかる(ぶつかられる?)のでヘンだなあと思って、よく周りを見回してみたら、あちゃ、何となく視力が落ちているような。腕の長さくらい先にあるモニターの画面を睨みっぱなしだもんね。たまには遠くへ出て、はるかな水平線を眺めないとダメか・・・。

大小10個あるファイルの文字を原稿用紙にびっしり詰めたら、まだ200枚以上はありそう。はて、原稿用紙を200枚重ねたらどれくらいの厚さになるのかな。考えただけでいささか気が滅入ってしまいそうだな。ひょっとしたら、半徹夜になるかのかな。徹夜はもうしたくないけど、キャリア最後の半徹夜は、どうしてもとなったら、まっ、いいか。だけど、仕事、やり過ぎ。あり過ぎ。積み上がり過ぎ。この年になって働き過ぎ。(そんなことを言ってみたところで、クライアントには馬東風でちっとも気を使ってくれないけども。)仕事ログを見たら、11月が終わる頃にはほぼ去年の2倍。震災の影響で低調だった去年の反動もあるとしても、やっぱり多すぎ。来年の税金がタイヘン・・・。

カレシが「がんばってるんだから、自分にご褒美をあげなよ」と言うので、最近友だちが買って大感動している掃除ロボットを買っちゃった。メーカーのサイトで、いろいろシリーズがある中から価格的に中間あたりのRoomba 760を選んだ。メーカー直販だけど、量販店で買ったほうが安いのかどうかはわからない。すぐに予想配達日は15日から20日の間という確認メールが来て、ヒャッホ~、ワタシもとうとうルンバを買っちゃったあ!ついでに見つけて買ったのは雨どいの掃除ロボットLooj 330。これはカレシ用。何しろ、落ち葉が詰まって雨どいが溢れるたびに、はしごに登ったり、塀の上を伝ったりして、腐って泥になった葉っぱを掻き出さなければならないんだけど、雨の中で足場が滑って危ない。はしごを登ることに変わりはないけど、庭仕事のついでにでもロボットを雨どいにポンと入れて掃除をしてもらえばいい。ちょっと値段は張るけど、何よりも安全第一だから。

さて、冷蔵庫もフリーザーも戸棚も兵糧はたっぷりだし、ご褒美も上げちゃったし、仕事、するぞ・・・。

がっつりという言葉の使い方

11月6日。火曜日。また雨模様。起きて、朝食。仕事にかかる前に、シチュー用のビーフを玉ねぎと炒めて、カレールーと一緒にスロークッカーにセット。にんじんとじゃがいもは後で入れる。うん、今日はがっつり肉を食べるぞ。この「がっつり」という言葉、いつも何かしら飢えてがつがつしている粗野な人のやることのように思えるんだけど、「カレーライス」を食べるときだけはなぜかぴったりして感じるから不思議だな。日本のカレーライスはそれくらい気合を入れて食べるものなんだろうな。がっつり食べれば、がっつり満腹感か。よし、仕事に追いまくられて息切れしそうなワタシ、今日はカレーライスをがっつり食べる!

今日はアメリカの選挙の日。大統領選挙だけではなくて、議会の上院、下院、州の選挙や各種の住民投票とてんこ盛り。でも、アメリカはいつもけっこう投票率が高いな。今日のテレビはカナダのも、アメリカのも、どのチャンネルを見てもがっつりと大統領選の特別番組ばかりでつまらない。ああだこうだと言っても、投票が終わって開票結果が出るまでは報じるべき「ニュース」はないのに、待ちきれないジャーナリストや評論家たちがまるで競馬の予想屋みたいにべらべvらしゃべりまくっているから、朝食が終わった頃にはもううんざり。カメラを向けられて「もうオバマもロムニーもいやんなっちゃったぁ」と泣き出して、ママに「もうすぐ終わるからね」と慰められていた4歳の女の子アビゲイルちゃんの気持がよくわかるなあ。民主主義を守るためにはしょうがないといっちゃしょうがないんだけど、アメリカ人は(何かと側杖を食うカナダ人も)がっつりと選挙疲れ・・・。

日本の(どこにあるのか知らないけど)オバマという町では、アメリカの大統領と「同じ名前」だというので、町を挙げて熱烈にがっつり応援しているそうな。はあ?で、オバマが当選したら、町を挙げて戦勝祝賀パレードでもやるのかな。もしかしてロムニーが当選したら、「ロムニーはロムにする」なんて、駄洒落にもならないけど、全国から観光客が来て「アメリカ大統領と同名の」駅名の看板と一緒にがっつり記念写真を撮って行くのかなあ。オバマさん、オバマさんと、太平洋の向こうの国の選挙の行方を町の選挙みたいに一喜一憂しながら「勝手に応援」してはしゃいでいて、みんな楽しそう。お膝元の日本で「そのうち」にあるらしい総選挙でもそれくらい熱を上げてがっつりと取り組んだらもっといいのにとは思うけど。

今日本全国で話題の中心になっている(らしい)、「事実は小説よりも奇なり」を地で行くような猟奇的な事件の首謀だという女性の写真がいっせいに新聞に載ったけど、記事の中の年令を見てびっくり仰天。このおばさん、64歳だって。ええ~?うっそぉ~。ほんとぉ~?やだぁ~。だって、ワタシ、この、メディアが何かすごいタイトルを付けているおばさんと同じ64歳なんだけど。まあ、最初に逮捕されて以来ずっと拘置所生活だろうから、その疲れでがっつり老け込んだのかもしれないけど、どう見たって(少なくともワタシの目には)70代に見えてしまう。おかげでイレに行ったときに思わず鏡に映った自分の顔をがっつりと見つめてしまったけど、このおばさんと比べたらワタシの方がずっと年が下に見えることは間違いない(といっても、他人にどう見えるのかはわからないけど)。ワタシ、こう見えても「もう」64歳なの?それとも「まだ」64歳なの?おっと、「まだ」というと、実年令よりもずっと老けて見えるという意味になってしまうのかな。まあ、人は見かけによらないとは言うけど、だけど、だけど・・・。

さて、こってりジャワカレーを麦ご飯にたっぷりかけてがっつり食べた後は、がっつりと仕事をするかな。だけど、この「がっつり」という言葉、まだ正しい使い方がわかっていないのかもしれないけど、どうしてもしっくり来ない。ま、そんなのどうでもいいから、ワタシは気合を入れてがっちり仕事にかかろうっと。

そんなに不安なら自分でやれば?

11月8日。水曜日。少し早めに目が覚めて、起床は午前11時20分。いい天気。今日は掃除の日で、朝食のしたくをしている頃にもうシーラとヴァルが来た。シーラが二階の掃除、ヴァルがベースメントのオフィスの掃除で、ワタシたちはその中間のキッチンで走り回るワンちゃんのレクシーをじゃらしながら朝食。

ヴァルが上がって来て、「仕事始めていいよ~」というので、コーヒーを持ってオフィスへ直行。PCを立ち上げてメールをチェックしたら、おえっ。週末に納品した仕事に客先からの質問だって。校正担当がいて、校正してから客先に納品したはずなのに、何でその校正者を飛ばしていきなりこっちに丸投げするの?誤訳の可能性があるならもちろん責任を持って対応するけど、それでもまずは校正者が誤訳かどうかを確認するのが筋だと思うんだけどな。だいたい客先からの質問に「あは!」というのがあった試しがない。この表現でいいんですか、これは一般的表現ですか、これで大丈夫ですか・・・と、不安神経症の塊みたいな質問が多くて、「オレ(アタシ)んとこに社内からクレームが来るとやだから」という保身心理が丸見えだから頭にくる。まあ、小町横町の住民性に似ていると言えそうだけど、こっちは仕事が詰まってきりきり、かりかりしているから、まずはご担当者様にてご対応を・・・と返事。

*****

木曜日。目覚ましがなっている。あちこち走り回って手当たりしだいに時計のボタンを押しまくっても止まらない。ピーコ、ピーコ、ピーコと鳴り続けて、だんだんパニック状態・・・というところで目が覚めた。午前11時30分。なんだ、本当に目覚ましが鳴っていたのか。今日はカレシの英語教室ダブルヘッダーの日だから。いい天気。バタバタと朝食。カレシを送り出して、さて・・・と思ったら「エコーのバッテリが上がってる」と言って戻って来た。月曜日に走ったばかりなのに、もう。カレシは何やらぶつぶつ言いながらトラックで(いつものように遅刻して)お出かけ。

メールをチェックしたら、客先からの質問の数を減らしたから何とか朝一番に返事をくれないかというメール。しゃあないからファイルを開いてみたら、表現がストレート過ぎないかと言っているような質問。要するにもうちょっとぼかしてくれということか。おえっ。あのぉ、そちらでは英語はストレートに表現する言語ってことになってるんじゃなかったですか?そんなに人に任せるのが不安なら自分でやりなっつうの。それとも、機械にやってもらう?無料の翻訳サイトは選り取り見取りであるから、想定通りの結果が出るところを探したら?ワタシが使っていた辞書サイトは(なぜか最近とみにおバカになって来たけど)文章を入力してクリックすればとりあえず翻訳が出て来て便利だよ。まあ、客の客に毒づいていてもしょうがないから、ここはこうすれば、こっちはああしたらと返事をして、ここは来年度は「引退」と決めた。

でも、よく考えると「校正」と「編集」は機能が違うから、「チェッカー」がいるところと「エディター」がいるところでは翻訳の扱いも違ってあたりまえかな。日本のエージェンシーにいるのはだいたいが「チェッカー」だから、文字通り句読点やスペルのような文法を「チェック」しているのかもしれないな。「エディター」がいるところは翻訳全体を「編集」してくれるけど、編集には翻訳を「チェック」する以上のスキルが要求されるので、なかなか人がいないらしい。翻訳者との相性も絡んでくるから、優秀なエディターがつくと相乗効果で翻訳者にも刺激になる。まあ、日本語系と英語系の会社の間には翻訳ビジネスに対する考え方の違いもあるんだろうけど・・・。

さて、まだゆうに3日分は残っているのに、今日と明日の2日。気合を入れてぶっ飛ばさなきゃ!

残業から解放された!

11月11日。日曜日。寝るのが遅かったわりには結構早くに目が覚めてしまった。天気は下り坂。ここ何日か日が差していたので、寝る頃には温度計がゼロぎりぎりを指していたけど、どうやら気温が上がって、低気圧が来てもこのまま雪にならずに、いつものバンクーバーの雨期に戻るらしい。良かった。

大仕事、金曜日の夜7時から「待ったなし」モード。気合が入ってかなり順調に進んだけど、胸突き八丁のきのうは起きるなりおなかがシクシク。仕事を始めたとたんにトイレ。治まったと思って仕事に戻ったら、5分もしないうちにまたトイレ。のんきにトイレに座っている暇なんかないのに、それを4、5回繰り返してやっと落ち着いて仕事に集中できるようになった。疲れていても精神的には元気いっぱいのつもりだけど、やっぱりストレス反応なのかな、これ。それでも、きのうはとうとう1日合計で12時間の長丁場。最後はわき目も振らずに一心不乱で集中してやって、とにかく無事に完了したのが(今日の)午前4時半。今日はさすがにちょっと視力が低下している感じがする。次の大仕事の前に休めておかないと・・・。

文字の量がなにしろすごかったけど、あちこちに写真や図がいろいろとあって、子供の頃の科学図鑑を見ているようで、仕事そのものはめちゃくちゃおもしろかった。そうでなかったらストレス負荷が大きすぎてダウンしていたかもしれない。いくつになっても科学はおもしろいし、楽しい。もう少し数学的な才があったら、ワタシも科学者になりたかったな。もしなれるとしたら、どんな分野に進もうか。生きたものを直接扱うような分野よりも、宇宙とか地球とか海とか、途方もなくスケールの大きいものがいいな。天文学は昔から好きだし、海洋学も船に乗れるからいいな(泳げないけど)。科学者って、興味のあることを仕事にできていいなあ。親に言われてなりたくないのにいやいや「○○」になったという話は聞くけど、好きでもないのに「科学者」になっていやいや研究をやっている人はいないだろうと思う。

まあ、とにかく終わって、やれやれ。もう少しで電話料金の支払をすっぽかすところだったり、食べるものがなくなって来たり、パスポートや寝ている間に来た配達品を受け取りに出かけなければならなかったり、いつのまにかデスクの上はカタログの類が山になっていたり・・・。[写真]

まあいつものことだけど、とにかく仕事量そのものよりは「日常生活」の方面から何かとストレスがかかって来るような気がする。どれも仕事のあるなしに関係なく「日常」のことだから、ストレスと言っても気がつかないような些細なものに思えるけど、それでも溜まれば無視できなくなるということかな。火山のマグマと同じようなものなのかな。どうしてなんだろうね。もしもワタシが男だったら、そういう日常の細かなことにいちいち煩わされずに仕事に没頭できるのかな。でも、そのためには誰かにその細かなことをやってもらわなければならないし、やってもらうためにはせっせと稼がないとならないだろうしなあ・・・。

それで人生が楽になるんだったらいいけど、必ずしもそうは行かないようで、いくら好きなことなら寝食を忘れてでもやれると思っていても、楽しんでいるつもりで気づかないでいるうちにストレスが溜まって行くだろうな。そうなったら人生そのものが激務になってしまいそう。あ~あ、何とも難しいもんだな。だけど、「激務」の反対語って、何だろう。いや、そもそも反対語があるのか・・・?

年を取ったということかな

11月12日。月曜日。きのうの日曜日がRemembrance Day(戦没者追悼記念日)の祝日だったので、今日は日本流に言えば「ハッピーマンディ」。雨模様のせいもあって、外は静かなもの。あまり静かなもので午後1時近くまで寝てしまった。

11月11日午前11時。第一世界大戦の停戦が発効した時刻。元々は「Armistice Day(停戦記念日)」と呼ばれていたもので、Remembrance Dayになってからは第二次大戦やその後も続く戦争での戦死者も含めて、英連邦を中心に各国で追悼式がある。アメリカでは戦死者を追悼するの日は5月で、この日はVeteran’s Day(退役軍人の日)。カナダに来たばかりの頃のワタシはこの日が何となく苦手だったな。あの頃はパレードの中心が第二次大戦を戦った世代だったから、特に西部ではテレビも新聞も日本が相手の太平洋戦争や日系人強制収容に絡むテーマが満載で、日本では高校では日本史でも世界史でも教えられなかったし、毎年のテレビの終戦記念日特集にも出て来ないような話がたくさんあって、日本人としてそれを知らないことにもやもやした気持になっていた。

その「もやもや」も、日本企業で働いたり、日本国籍でなくなったり、日本人の上司の下でバブル期の日本人を間近に見たりしているうちに、いつの間にか消えてしまって、11月11日は苦手でも何でもない、ただの「休日」になっていた。でも、何の関係もない他人にワタシという人格を侵略され、ひとりの人間として存在する権利と自由と自分の安全を守るための「個人的な戦争」を戦って、そして生き延びたと安堵することができたとき、11月11日はワタシの中で特別な意味を持つようになったと思う。人間の世界は21世紀になってもまだ「自由と安全」を守るためには戦わなければならないこともあるという思いを、この日の追悼のラッパを聞くたびにかみしめる。もちろん、戦争なんてなくなるのが一番。人が人を殺すことがなくなるのが一番。だけど、力ずくで人を支配しようとしたり、「異なもの」というだけで人を排除したり、殺したりできる人間がいる間は、戦争のない平和な世界を作ろうと言ってみたところで、平和ぼけした人の幸せな絵空事でしかないと思う。

折りしもきのうはカレシが前から約束していたサイモン&ガーファンクルのアルバムを全部MP3に変換してくれて、飲みながらそれを聞いていた。ロック化する前のモダンフォークが全盛だった頃に出たアルバム(『Wednesday Morning 3 A.M.』)のトップは『平和の誓い』。ゆうべ不思議な夢を見た。世界の指導者が集まって、二度と戦争はしないと言う協定に調印した・・・。あの頃、ワタシは十代の後半。夜だけ聞こえて来る東京のラジオ局にかじりついて、フォークの番組に聞き入っていた。誰もいないときに(へったくそな)ギターをひきながら歌っていた。まあ、ワタシも波というものに乗っていたんだと思う。成人して初めての総選挙では社会党の候補に投票したっけな。若かったんだな。何とも気詰まりだったワタシの青春時代だけど、大人になれば何かが変わるかも、という期待感もあった。

あの頃のワタシは人生の中で一番政治的で、左に傾いていたときだった。同時にアメリカのフォークソングにすんなりと共感したのは、ある意味でキリスト教がワタシの思想に大きく影響していたからかもしれない。でも、信仰の軸がキリスト教にあるというだけで、教会という組織や形式化した儀式が好きではなかったから教会には属さなかった(今でも属していない)し、社会主義の組織的な思想統制が嫌いだったから、社会主義者にはならなかった。未成年で社会人になって初めての職場では労働基準法があたりまえに無視されていて、大人社会に痛く失望した。反体制を叫んでやがて殺し合いの「内戦状態」になった学生運動にも失望した(と言ってあの時代を知らない大卒に「大学に行かないで何がわかる」と失笑された)し、ヒッピーにも傾倒したけど、平和な日本ではただの若者ファッションになって失望したな。

青春時代は失望ばかりだったような気がする。ワタシにだって考えがあるのに誰も聞いてくれなかったし、左手が自在で楽なのに、左利きは嫁に行けない、就職できないと出来損ない扱い。だからかな、その頃はまだ主流だった見合い結婚などするもんかと、「女らしさ」に背を向けて夜な夜な天体望遠鏡を覗いていたワタシ。星も次々と生まれて、やがて死ぬのだと知ったときは不思議な感動だったな。殺さなくたって、「命」はすべて生まれてはやがて死ぬ運命にある。でも、理性を得たはずの人間は、互いを尊重して、できる限り折り合いをつけて、助け合って、みんなが命を全うできるのが理想ではあるけど、意にそぐわないものを抹消することしか考えられない/教えられていない人間や組織がいる限りは、自分の「命」を守るために戦わなければならないときもあるのが、矛盾だらけの人間の世界。若かった頃には考えもしなかったな。年を取ったということかなあ。

天才には生まれ損ねたけど

11月13日。火曜日。起床午後1時。就寝が午前5時だったから、こんなものかな。今日も雨模様で薄暗い。それ以上に、標準時間になってからは起きてすぐに暗くなってしまうから。まるで北極圏に住んでいるような気分。

ずっと待ち構えていた大仕事に取りかかった方がよさそうなんだけど、1日休みにしてしまうとなかなかすんなりとは仕事モードに戻れない。わかっちゃいるけどそうなるのはもともとぐうたらな性分だからで、そこのところもわかっちゃいるけど、ぐうたらなせいで何もしないから、何も変わらない。今日も今日とて、朝食後のコーヒーを飲みながら、しばしの読書。いやあ、ファインマン先生、一生に一度でいいから会ってみたかった。時には突飛に見える発想にうんうん、そうそうと共感してしまう。頭脳のレベルに雲泥の差があるのはわかっていても、ついこの人となら話が合いそうと思ってしまう人の典型かな。本を読んでいるとたまにそういう人に遭遇する。でも、会うことができたら、ワタシは憧れいっぱいの視線でぼ~っとしてしまうかもしれないな。それでも、恋に落ちたときの「ぼ~っ」とはまた違った感覚のようで、恋愛とは別の次元でこんな風にうっとりさせてくれる人がワタシの「タイプ」なのかもしれない。(何となくアイン・ランドのヒロインを思い出すけど・・・。)

どうもワタシには相手が誰であっても気後れしないところがあるらしくて、通訳をやっていたときに日本側のエライ人たちに態度がでかいと言われたことがあるし、カナダで最初に勤めたところではかなりの物議をかもしたこともあった。勤め先は日本の当時は超がついた大企業のカナダ法人の合弁子会社。あるとき、その超大企業の(当時は)社長が大名行列みたいな数のお供を連れてやって来て、会議室に鎮座。一番下っ端のワタシがお茶を出すことになったけど、みんなご立派で誰が誰やら見当がつかないもので、端から順にぐるっとお茶を配ったら、「なぜ社長に一番先に出さなかった。失礼も甚だしい」と駐在ボスに叱られて、どれが社長かわからなかったと言ったら、日本では総理大臣の方から会いに来るほどエライ人なんだ!と、よけいに叱られた。そんなこと言っても、ワタシは知りまへんがな。

あとで日系三世の取締役が「いい服を着たどんぐりだと思えばいいよ」と耳打ちしてくれて笑ってしまったけど、そのエライ社長、バブル景気の頃にさすが!という発言をして内外のメディアの失笑を買い、最後は汚職事件に関与して逮捕されたそうな。ま、そういう人が上に立っている企業だったということだけど、ワタシが日本で社会人をやっていた頃に勤めた日本的な会社は田舎の同族経営の会社で、それもわずか10ヵ月だったから、日本のOLに求められる資質もなかったということかもしれない。その田舎の会社も地元では老舗だったけど、当時の労働基準法では未成年者の深夜労働が禁止されていたのに、月の残業時間はあたりまえに7、80時間で、夜中過ぎまで残業をさせたり、日曜出勤もざら。それでも午後7時になると誰かが勝手にワタシのタイムカードを押すので、深夜労働をしていないことになって、おまけに残業手当はなし。ま、この会社のエライさんたちも後に選挙違反か何かで根こそぎ逮捕されたっけ。

何の本だったか忘れたけど、「組織全体の知性はその組織を構成する個人の知性よりもずっと低い」、つまり、個々の人は優れた能力を持っていても、集団になると、そして大きな組織になれるにつれてバカになると言っていた。それぞれはすごい知識や能力を持った人たちであっても、組織に組み込まれると誰かがやっているだろうと自分で考えなくなり、やがて組織全体の能力は所属する個人の能力よりも低くなるということらしい。企業であれ、国家であれ、「組織」というのはそれを構成する人の「性格」を反映するものだと思うけど、それがたとえば企業風土と呼ばれるものなのかな。そうなったら個人の知識や能力は逆に統治の邪魔になるのかな。逆にバカな組織の中で朱に染まっておバカになるのかな。それも生存競争で生き残るための知恵のひとつかもしれないけど、それが「風土病」になったら、組織全体の生き残りにも影響して、結局みんな共倒れになるのか・・・。

ワタシはいつも組織や標準枠からはみ出してしまう外れ値で、小学校5年のときだったか、つり鐘型のSS何とかという評価方法が導入されたことあって、見ると何と右端のぺっちゃんこのところに印がついていて、鐘のてっぺんでなかったのがショックだった記憶がある。あんがい子供心にトップに立ちたい願望があったんだろうな。親にも子供にも理解されなかったらしく、あの評価方法は1年きりだった。でもまあ、外れ値だからこそ、今こうしてひとりでオフィスに籠って、仕事に追われながらもけっこう楽に生きていられるんだろうから、良しとしなくちゃ。

うたかた政党はかつ消え、かつ結びて・・・

11月15日。木曜日。眠い~。ちょうど心地良く眠ったところで、カレシが突然ライトを点けたもので目が覚めてしまって、そのままいつまでもウトウトの状態。何かがピーコ、ピーコ言っていて、どこから聞こえるんだろうと探し回っているうちに目が覚めたら、目覚ましが鳴っていた。あ~あ、今日はバタバタの木曜日だ・・・。

きのうはすご~く根を詰めて仕事をした。原稿を開けてみたら、英語。そっか、日本語訳の注文だった。でも、この英語がまたすごい。ヨーロッパにある国際組織が書いて、公式に出したもので、いつも思うんだけど、ヨーロッパには「イギリス」という英語の総本家みたいな国があるのに、何でこんなはちゃめちゃな英語文書を堂々と出すんだろうなあ。イギリスはEU加盟国なんだし、国際組織なんだから、イギリス人の職員のひとりやふたりいそうなものだけど。まずもってコンマがない。(なくてもいいところにないだけマシだけど。)おまけにコンマ抜きの長いセンテンスに動詞が3つもあったりするから、何が何して何になるのやら。まあ、こんなもん読めねぇよということでワタシのところに回って来るんだろうけど、ワタシだってわかんないものはわかんない。もっとも、原稿が日本語のときは「この日本語、わかんな~い」となるから、翻訳するときのワタシの言語中枢の働きに問題があるのかもしれないけど。

それでも日本語訳の用語はやっぱり英和辞典。出番がなくて本棚で埃をかぶっていた『科学技術35万語大辞典』という、手首を捻挫しそうなくらい思い辞典を出して来た。2千ページ以上あって、虫眼鏡が要りそうなくらい小さい字がぎっしり。フリーランスとして旗揚げして3年目だったか、10万円以上はたいての「設備投資」。和英版は買おうかなとは思ったけど買わなかった。いずれ英訳にシフトするとは夢にも思っていなかったし、英和よりも高かったし、だいたい欲しくてもどこにも売っていなかったし・・・。あれはまだ便利なネットもグーグルも(そういえばウィンドウズも)なかった頃。辞典や事典はビジネスの設備投資と思って、日系の本屋を漁り、日本で紀伊国屋を漁りして、いったいどれくらい注ぎ込んだんだろうな。日本で買うとすごい円高だったし、カナダで買うと「ブックレート」という、ぼったくりのような特別為替レートがあったし、ゆうに500万円くらいは投資したかもしれない。それで結局は元が取れたのかなあ・・・。

新聞サイトをみたら、日本はとうとう総選挙をやることになったらしい。何だか新しい政党がまるで雨後の竹の子みたいにやたらとできて、どこがどこと手を結ぶとか、結ばないとか、水流を「強」にした洗濯機の中を見ているような感じがするな。昔、「泡沫候補」というのがぞろぞろ出たときがあったけど、今度は泡沫政党乱立の様相。世界中で政治も経済も揺れ動いているときにいいのかな。あんがい揺れ動く時代だからこそ戦国時代のようにみんな一国一城の主になれるチャンスだと思うのかもしれないけど、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。これでは国の統治が立ち行かないんじゃないかと思うんだけど、年中行事のように総理大臣が入れ替わる政府も、いうなれば「泡沫政府」みたいなもんだなあ。

まあ、大宇宙の時間スケールで見れば、星もうたかたのごとく「かつ生まれ、かつ死に、久しく輝きたるためしなし」なんだけど、といって長明センセイみたいに「この世は無常である。やんぬるかな」なんて嘆いてばかりで何もしないから、無常であるはずの世の中は頑として変わらない。矛盾しているな。うたかた。泡沫。あぶく。バブル。結んで消えた後にはいったい何が残るのか。水はうたかたがどうなるかなんてことにはおかまいなく、今日もひたすら前へと流れる。科学的に考えると、流れっぱなしではなくて、川を流れ下った水は大海に出て、やがて雲になって、陸地に雨となって降り注いで、川を作って流れるから、元の水と言えそうだけど、ぐるぐると無限に循環を繰り返しているわけで、大枠を見ると不変だけど、定点から見るとやっぱり無常ということか。まあ、無常であることこそが唯一の常住の真理なんだと思う。でも、水が変われば変わるほど、変わりたくないのが人間てもので・・・。

あまりとほうもないことを考えて頭がくたびれて来ないうちに、仕事、しようよねっ。