リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年4月~その2

2012年04月30日 | 昔語り(2006~2013)
長いトンネルを抜けてみたら

4月19日。きのうは水曜日だった。(どうもこの月曜日から始まるカレンダーには慣れなくて、そのうちに納期を勘違いしないかとちょっぴり心配。)きのうの起床は午後1時。なんとものんきなもんだったけど、ひと区切りになる仕事が雑誌の記事だったので、同時翻訳的にぶっ飛ばせば5時間くらいで行けると踏んで、いつもの「ま、いっか」精神丸出しで一日が始まった。

午後いっぱい、雨が降ったり、止んだり。なんか今年も去年に続いて肌寒い春だなあという感じがするな。カレシは手術してから丸5日で、抗生物質は今日でおしまい。縫合した糸が見えなくなって来たというから、溶けて吸収されつつあるらしい。自然に溶ける外科用の糸って、昔「刑事コロンボ」で心臓手術で溶ける糸を使って殺そうとしたエピソードがあったな。ワタシが子宮全摘手術をしたときは、糸じゃなくてステープル針(ホッチキスでパチンとやるあれ)で12ヵ所くらい止めてあって、4日目に看護師さんがオフィスにあるようなリムーバーで抜いてくれたっけ。皮下脂肪の厚いところを糸で縛って縫合すると醜い痕が残るからだろうと思うけど、おかげで細い線の両側に小さい点々がやっと見えるくらいに、きれいに治った。(ちなみに、横に切るのでビキニの水着を着ても傷痕が見えないということで、「ビキニ・カット」と呼んでいたからおかしかった。)膝の内視鏡手術のときは、お皿の周辺に3つの穴を開けっぱなしで、圧力包帯を巻いておしまい。ほんと、手術の縫合のしかたにもいろんな方法があるもんだ。

仕事の方は、その前にやっていた決算報告に比べたら何十倍もおもしろかったもので、4時間くらいで済んでしまった。あと半ページくらいになって終わりが見えて来たところで、夕食の支度にキッチンに上がったら、外は青空。カウンターの窓から見たら、いつの間にか桜はすっかり散ってしまっていた。

[写真] 流しとレンジの間のワタシの作業スペースの窓。毎日料理をしながら、この窓から外を見ていたはずなのに、桜の季節が終わってしまったなんて、全然気づかなかった。穴ぐらに篭っているうちに外界ではどんどん季節が移り変わってしまうみたい。長いトンネルを抜けると、桜の季節は終わりだった、なんて。仕事、しすぎだなあ、やっぱり。・・・。

[写真] カレシの手術とワタシの篭城仕事のおかげで買出しに行けなかったもので、冷蔵庫の野菜ケースはほんっとに空っぽ。何とか見つけたのが「レインボー」にんじんの紫と黄色のやつ。ということで、急ぎのディナーはオレンジラフィーにミックスライスとごく軽く蒸したにんじん。紫のは中がきれいな黄色で、味はすごくマイルド。このレインボーにんじんは色が薄いほどにんじんの味が濃くなるから不思議・・・。

たまたま成り行きでそうなった在宅で翻訳の仕事

4月20日。金曜日。目覚ましがなる2分前の午前11時53分に目が覚めた。カレシは今日から週一で午後の英語教室を再開。前にやっていた午後のクラスの生徒さんがどうしてもと生徒集めをして、その中のひとりが自宅でやっている塾のような教室を使わせてくれることになって、それならばと腰を上げた。いつまで続くかどうかはわからないけど、テーマは生徒さんたちが決めるので準備は不要。楽ちん、楽ちん、と勇んでおでかけ。

ワタシは所得税申告の手続きが全部終わったことだしと、今日は休みを決め込んでのんびりと小町横町の井戸端バトルを岡目八目。ときどき出て来る翻訳関係のアドバイスを求めるトピックがなぜか次々と3つも上がっている。翻訳ビジネスにどっぷり浸かっているワタシとしては500文字のアドバイスがどれだけ役に立つかわからないから書き込みはしないけど、他の人たちがどんなアドバイスをするのか興味津々だし、ついでに業界の見えない部分を見ることができたりする。タイトルから察するに、「在宅で翻訳の仕事をしたい」という人、「医学・薬学翻訳コースに入学したけど」という人、「医療事務よりも医療翻訳の方がやりがいがありそうだけど」という人。翻訳をやりたい人は引きも切らずというところは今も昔もあまり変わっていないな。

在宅で翻訳の仕事をしたい人・・・いったい日本中にどれだけいることやら。質問の主は40代の主婦で現在海外在住、英日翻訳の仕事をしたいけど、海外にいて日本から仕事をもらえるのか、具体的にどうやって翻訳の仕事を始めたら良いのか。う~ん、こういう質問が一番答えにくいな。この業界は年令、性別不問だから問題なし。主婦・・・だから「在宅」なんだろうけど、働きたいのか、小遣いが欲しいのかによって微妙かな。本気で働きたいのなら話は別だけど、小遣い稼ぎのつもりで「そんなに稼げなくてもいいの」なんて超格安料金に甘んじられたら、生計を立てている人が困ることになる。がんばっているシングルマザーも多いんだから。海外在住・・・これはもう何の意味もないかな。海外にいて日本から仕事をもらえるか・・・もちろん。現にワタシの仕事は90%以上が日本から来る。ネットがなかった昔は仕事のほとんどが地元の需要だったけど、今は原則的に世界のどこにいても世界のどこからでも仕事をもらえる。メールでもらって、メールで返す。いい時代になったもんだなあと思う。

具体的にどうやって翻訳の仕事を始めたらよいのか・・・う~ん、これは難しい質問だなあ。会議などでたくさんの仲間に会って来たけど、翻訳者になった動機も経緯も実に千差万別。結婚と似たようなところもなきにしもあらずで、ワタシのような古だぬき世代には「たまたま」とか「成り行きで」というのがかなりいる。ワタシは勤めた先々で翻訳をやらされて来たもので、「まあ、転職のオプションとしてそのうち考えてみてもいいかなあ」と思ってカレッジの通訳コースを取ったのが、気がついたら勤めを辞めて「在宅で翻訳の仕事」に首までどっぷりと浸かっていて、いつのまにか23年目。おまけに他人には翻訳業はビジネスなんだと説教しておきながら、自分はろくに顧客開拓の営業もやらないで、翻訳者の協会に加入して名簿に名前を載せて、後は「果報は寝て待て」みたいな何とも他力本願なビジネスをやっているから何をかいわんや。

まあ、「海外」に住んでいて英語が「できる」という以外には、学歴も専門もなくてこんなにも長くやって来られたのは、幸運な「たまたま」が重なってくれたからだと思うしかない。だから、具体的にどうやって翻訳業を始めたらいいのかと聞かれても答に詰まるんだけど、これじゃあ、ただの古だぬきになるばかりで、ちっとも後進の役には立たないよね。アドバイスしてあげられることが何にもなくて、ごめんね・・・。

日本は近いようでも、やっぱり遠い

4月21日。土曜日。カレシがもぞもぞと寝返りばかり打つので、ぐっすり眠れなくて、起床は午後1時。カレシは寝つけなかったんだというけど、きのうは久々に英語教室をやったりしたもので、くたびれて長い昼寝をしてしまったせいだと思うけどなあ。

今日も「あと1日だけ!」のぐうたら。仕事で首までずっぽり埋まっていたのがすぽっと抜けてしまうと、今度はなかなか穴に戻れなくなる。もっとも今年はもう平均的な年の半年分の仕事をしてしまったから、ついもういいかなという気分になるのかもしれないけど。でも、のんきにぐうたらを楽しんでいたら、あ、カレンダーに赤い印。今日の夜中が期限の仕事があったんだ。小さい仕事だからと思っているうちに忘れていた。やれやれ、あぶない、あぶない。納期厳守は命だからね。まあ、別に泡を食わなくても良かったんだけど、そこは気分だけでもという感じで泡を食って、バンバンと1時間で仕上げ。さっさと送ってしまって、ぐうたらモード再開・・・。

何だかかんだ言いながら、やっとのことで「一応」確定したバケーションの日程を見ながら、ホテルや飛行機の予約を確認をしていて、よく見たら北海道へ行く飛行機の予約ができていない。次々に仕事が入ってくるもので、「いつになったら手が空くんだよっ!」とむくれるカレシをなだめながら全日空の何便と決めたのを、カレシがオンラインで予約したはずなんだけどなあ。印刷したものを良く見たら「20日までに支払がないと自動的にキャンセル」と書いてある。そういえば「すぐに払わない仕組みになっているらしい」と言っていたけど、何でなの?初めての仕組みにどうやら支払の方を忘れてしまったらしい。当然フライトの予約はキャンセル。やれやれ。カレシ曰く、「日本国内の電話番号じゃないと受け付けなかったから、外国のクレジットカードだとダメかもしれない」。外国から直接の予約はダメってことなのかな。まあ、元々日本でやってもらって日本にある円で払おうと思っていたからいいけど。

ということで、さっそく妹にお願い。(お願いばっかりしているなあ、いつも。妹よ、ごめん!)選んでいた座席の番号が何だかヘンなんだけど、そのまま知らせたら、「それだと前後になるよ」との返事。何でなの?並んだ席を取ってくれたからいいけど、どうも古くて解像度の悪いモニターでアルファベットのHとKがぼやけて見えて、どっちもHと読んだらしい。あのさあ、新しいモニターを買った方が良くない?まあ、あっちこっちをキャンセルしたり、変更したりでややこしいのはわかってるけど、「日本に行ってから満室、満席では困る、全部手配して確認して行かないんだったら、オレは行かない!」とぶっち切れたのはどこの誰だったかなあ・・・。

それにしても、日本へ行くとなるとなぜかもめるねえ、ワタシたち。アメリカへ行くときは全然もめないし、ヨーロッパに行ったときも一度だってもめなかったのに。何でなの?あのさあ、かってはアナタがひとりで行ってウハウハと楽しく暮らすつもりだった「夢の国」でしょ?あんがい日本語ができないカレシには自分で想定通りにすんなりとやれないことが多いからなのかなあ。まっ、カレシも来年は70歳だし、ワタシも年金をもらい出したら仕事を減らして行くつもりだし、2人して日本へ行くのもこれが最後になるかもしれないから、いいけど・・・。

北海道への飛行機の便が確保されたので、釧路で待っている友だちに電話して知らせなきゃ。小学校1年生から6年間同じクラスだった大の仲良し。この前会ってからもう20年近い。メールもネットもやっていないから、連絡は昔ながらの手紙。それはそれでまた味わいがあっていいんだけど、泊まって行けというから、泊めてもらうことにした。コミュニティ活動に勤しんでいる彼女のこと、どうやら社会人になってからも釧路に留まった同級生たちに声をかけてくれているらしい。「食事会するからね」と。50年ぶりに会う人ばかりで、まるで同窓会だなあ。なつかしさと、覚えていてくれたという感動で胸がじ~んとなってくる。よ~し、電話しようっと。

昭和30年代、さ霧閉ざせる蝦夷の地に・・・

4月22日。日曜日。いい天気。今日は正午前に起きたので、早々と朝食を済ませて、早々とオフィスに「出勤」。早く始めれば、午後5時の期限まで余裕しゃくしゃくで、後は休み。いつもこういうペースならいいんだけどな。

ゆうべ(というか午前2時過ぎだったけど)、友だちに電話した。お互いにああ~っと声をあげて、それから10分くらい2人とも興奮してきゃあきゃあとおしゃべり。「あのさ、食事会には○○クンも来るって言ってるよ」。あ、よくけんかしたあいつだ。なつかしいなあ。「それと○○クンも。いいおじさんになっちゃったけどいいかいって。かわいいよねえ」。うんうん。「○○子ちゃんは孫がいるんだよ~」。うはあ。そうだろうなあ、だって、みんな揃って今年64歳だもの。そうやってひとときおしゃべりして電話を切ったら、カレシが「小学生が騒いでいるかと思ったよ」と呆れた顔。だって、小学校時代の友だちなんだからあたりまえ。父の転勤で釧路を離れてから50年。ちょっとばかりタイムスリップした気分だったな。

でも、いいニュースばかりではなかった。「○ちゃんは認知症になっちゃって、調子のいい日もあるんだけど・・・」。ええ、あの○ちゃんが。高校に入って間もなく中退して結婚したものの、学校教師だったダンナのDVにあって、やっとの思いで離婚して、娘を抱えて死にもの狂いで働いて、地元の会社の取締役にまでなった○ちゃん。思春期の一人娘が一時荒れたときは母子心中を考えるほど思い詰めたという○ちゃん。ほんとに大変な苦労ばかりだった人生の最後に待っていたのが認知症なんて、不公平すぎると思わないの?え、神さま?

電話した友だちも、離婚してからずっとひとり暮らし。子供はいない。釧路で短い期間を過ごした石川啄木の足跡にマーカーを建てて回るんだと、市役所に掛け合ったり、寄付を募ったりの旗振りに忙しい。子供の頃からバイタリティが溢れる子だったな。カレシが50年も経ってもみんな覚えていることに感心するけど、まだ「戦後」だったあの頃(昭和30年代)は今とは比べものにならない「絆」があったと思う。復興中の日本は発展途上国並みで、みんな押しなべて貧しかった。今の人が見たら「仮設住宅」と思いそうな二軒長屋の社宅の天井裏をねずみが走り回っていたし、ワタシが幼い頃は父が娘に卵を食べさせようとニワトリを飼っていた。秋になると沢庵漬けを作るために馬車いっぱい運ばれて来た大根を隣近所が家族総出で洗って干したし、どの家にも子供が何人もいて、テレビ放送が来るまでは、上は中高生から下は幼稚園児までよく外で群れ遊んでいたし、近所のお母さんたちはみんなの「おばさん」みたいなところがあった。何だか一種のコミューンみたいだけど、あの昭和30年代がワタシの原風景なのだ。

50年といえば、織田信長の時代にはそれが人の寿命だったわけだけど、1世紀の半分。それを「半世紀」といえば、すご~く長い年月に感じる。はて、みんなどんな50年を歩いて来たんだろうな。小学校は(中学校も)とうに廃校になってしまったけど、「さ霧閉ざせる蝦夷の地の・・・」で始まる校歌は今でも覚えていて歌える。あんがい感極まって歌い出してしまうかも・・・。

人間が好きといえる幸せ

4月23日。月曜日。今日は特に仕事をしなくてもいい日。なのに、そういう日に限ってごみの収集日だったりして、早くに目が覚めるなあ、もう。でも、今日もいい天気で、気温も平年並み。ワタシの誕生日の予報はあまり良くないけど、初夏のような気候だったトロントに急に雪が降ったのに比べたらごく普通。雨はバンクーバーの名物だし・・・。

朝食後、カレシのリクエストで大好きなラタトゥイユをスロークッカーに仕込む。病み上がり期?を卒業したらしいカレシは少しずつ庭の仕事を始めて、今日は雑草刈り。池を撤去したときに掘り起こされた土はかなりの粘土質で、コンクリートの下になっている間に痩せてしまったらしいので、これから堆肥を混ぜたり、ライグラスを植えたり、1シーズンをかけて土壌改良をやらないと野菜作りはできそうにないと、カレシはぶつぶつ。ま、いつでも「来年」というものがあるんだから。(去年優勝を逃して今年こそと期待されたカナックスは第1ラウンドであっけなく敗退してしまって、こっちも「また来年があるさ」。もっとも、こっちはその「来年」がさっぱり来ないんだけど・・・。)

ゲートのチャイムが鳴ったので出てみたら、知らない人が「ご主人と前にお話したんですけど」と、ガレージセールのちらしをくれた。故国のトリニダードに帰ることになったんだそうで、少し前に家の外にいたカレシと庭中にある植物を売る話をしたことがあったらしい。「帰ったらビーチがすぐそこの丘に家を建てるのよ~」とうれしそう。うはあ、海辺の家だって。いいなあ。トリニダードはカリブ海の国だ。ますます、いいなあ。うらやましいっ!電気屋のロウルもそうだけど、カリブ海の人たちはほんとに楽しい人たちが多いなあ。それも意識してふるまっている「陽気さ」じゃなくて、根っからの陽気さから来るポジティブなオーラかな。知らない人なんだけど、こっちまで楽しくなってしまった。

散歩に行く途中だという彼女と「じゃあね」と別れて、家の中に戻ってふと思い出した。先週、再開した英語教室で「バンクーバーのどこが一番好きか」というディスカッションをしたんだそうな。ちなみに、この教室の生徒さんは台湾系の奥さんたちで、移民して来て10年くらい。ほとんどが夫婦や個人で何らかの仕事をしていて、それなりに生活は安定しているし、英語も中級かそれ以上。で、持ち寄ったテーマのひとつが先の質問だったわけだけど、カレシが「答は何だったと思う?」と矛先を向けて来たので「人」でしょと答えたら、カレシが「どうして知ってるの?」とびっくり顔。どうしてって、ワタシも聞かれたらまずそう答えると思うからそう言ったまでなんだけど、と言ったら、「そうか。まあ、バンクーバーは昔から寛容なところがあったけど・・・」と。

うん、そうだと思う。最近たまたま別々のところで「他文化に寛容で住みやすいイメージがある」とか「人がやさしい」とかいうコメントを見て考えていたことだと思う。バンクーバーは(北海道もそうかもしれないけど)草分け時代は東からいろんな背景事情を持つ人たちが流れて来た「線路の果て」の吹き溜まりみたいなところだったから、「異なるもの」に対して寛容になれる素地があったと思う。もちろん、中国人移民に人頭税をかけて流入を阻止しようとしたこともあったし、こまがた丸に乗って来たシーク教徒を上陸させずに送り返したこともあったし、戦争中に日系人を強制収容所に送り込んで、戦後はカナダ各地に離散させたこともあった。いずれも一部の狂信的な人種差別主義者の煽りが時の政府を動かして起きたことで、近代の政府が過去の過ちを認めて正式に謝罪や補償をしたし、カナダ社会も歴史の汚点ともいうべき事件を風化させない努力をしている。

戦後になって異言語、異文化、異宗教と、あらゆる「異なるもの」が流入して来てからは、努めて異なるものと共存しようとする「tolerance(寛容)」が根付いたと思う。でも、その根源になっているのは、草分け時代に培われた、異なるものを自分たちの基準に合わないと言うだけでむやみに拒絶したりしない「open-mindedness(寛容)」なんだろうと思うな。だけど、そうやって新しい隣人たちに心を開いて接しても、相手が心を開こうとしなかったり、(遠い外国の)自分たちの常識や規範を鎧のようにまとったままでいたら、バンクーバーっ子だってそうそう寛容にはなれないな。これは決して一方通行ではない人間関係の基本だと思うから、人間が作るコミュニティにはどんなところでも多かれ少なかれそういう寛容と非寛容のせめぎ合いがあるだろうと思う。

つまり、バンクーバーの好きなところを「人」と答えた人たちは、寛容に寛容をもって応えることができた人たちなんだろうな。それなりの苦労はあっても、この人たちはこの国で前向きに暮らせているということか。小町の国際結婚トピックで「こちらでは日々外国の悪習を目のあたりにして、外国人として戦いのような日々を・・・」という、まるで敵地に乗り込んだような書き込みがあって思わず噴き出したけど、こういう(たとえそれが「愛する人」の国であっても)移り住んだ国の習慣を「悪習」と言って否定してしまえる人は、異なるものに心を閉ざしているのか、それとも元から非寛容なのか、それとも単に思うように行かない生活の不満を募らせているだけなのか。(それで、「悪習」に染まった同胞を許せないのかも。)まあ、周囲の寛容さに気がついていない場合もあるだろうし、人それぞれの感じ方があるのはわかってはいるけど、寛容に非寛容をもって応えても、ネガティブなオーラを撒き散らすのが関の山で、そのうちに暮らして行くのが辛くなってしまいそうに思える。ま、お好きなようにどうぞ、と言うしかないんだろうけど・・・。

いわしのつみれを作ってみた

4月24日。火曜日。天気は下り坂。起床午後12時40分。やっと仕事のペースが緩んだというのに、なぜか夢の中でせっせと仕事、仕事。フリーランス根性もここまで来たというのか、それとも単に混乱はなはだしい言語中枢をデフラグしているのか(だけど、仕事をだしにしてデフラグってのはなしにしてほしいなあ・・・)。

ペースが緩んだと言っても、まだ手持ちの仕事が2つか3つ(ん、どっちだ?)あるんだけど、仕事前線は急に静かになった感じ。ええ?と思ったら、日本ではそろそろゴールデンウィークが始まるんだった。つまり、あと3日静かでいてくれたら、そのまま来週1週間はずぅ~っと静かってことか。うん、いいね<!

仕事がペースダウンすると、食事にちょっと手をかけてみようかという気になる。きのうはラタトゥイユにいわしのフライ。大きなイワシが6尾入っていたのをぜんぶ解凍してしまったはいいけど、食べきれない。そこで、うろ覚えに聞いたことがある「いわしのつみれ」(つみれ?つみいれ?)というものを作ってみようと思い立った。ところが、聞いたことはあるけど、実は見たことがないし、食べたことがあるかどうかもわからない。そこでいつものようにググったら、「白ごはんdotコム」というサイトに懇切丁寧な説明。ぐうたらしてフードプロセッサでガガ~っと練って、できあがったのがちっちゃなひと口「つみれ」(カレシには「いわしダンプリング」と言っておいた)。味見をしたら、うん、いける。

つれみができたから、今日のディナーはなんちゃら日本風という流れになる。つみれ汁にスティールヘッドの照り焼き(くるくると剝いただけの大根を添えて)に発芽玄米のごはん。それとやっぱり何かもう1品いるかなあ、と考えていて、はたと思いついたのがごぼうのきんぴら。ごぼうがあるし、韓国にんじんがあるし、しらたきもあるから、これでワタシの好みのきんぴらができる。思い立ったが何とかで、ついでに甘さを抑えたしらたき入りきんぴらごぼうも作っちゃった。

おかげで、なんとか「なんちゃら和風」の体裁がついたから、今日のディナーはトレイに並べて「極楽とんぼ航空」の機内食。これで日本酒があったらよけいにいいんだけど、それでも、乱気流もなく、快適なフライトを・・・。[写真]

つみれ、おいしかった。カレシも「おお、うまい!」うん、魚料理は何といってもやっぱりアジアのレシピが一番相性が良くておいしくできるね。

誕生日はお遊び料理で

4月25日。バースデイディナーは金曜日にHawksworthへ行くことにしたので、1日中雨模様の今日は(誕生日の主賓の)極楽とんぼ亭シェフが勝手気ままに思いつき料理で遊ぶ日ということにした。

今日のメニュー: アミューズブーシュ(トマトゼリーとトマトエッセンス)
         焼きフォアグラとチェリーブランディのリダクション
         ビーフのフィレと玉ねぎガーリックジャム、舞茸のソテー
         鶏もも肉のアスパラガスロール、野菜添え

まずはマティニで乾杯して・・・。

[写真] トマトエッセンスはトマトから抽出した透明な液体で、エッセンスの名の通り、トマトの香りが味の中に濃縮される。抽出方法はいろいろあるらしいけど、ここはトマトの缶詰を開けるたびに汁を捨てずにコップに取り、ひと晩冷蔵庫においては、分離した上の透明な液体(エッセンス)をガラス瓶に集めて冷凍してあった。大きな缶詰4個分から集まった液体をコーヒー用の紙フィルターで最後まで残ったトマトの実を漉して、ほんのり黄色みがかった透明な液体が大さじ2杯分。これだけの量にかなり手間がかかったけど、完熟トマト本来の味がなんともいえない。トマトのパサタにブランディとビーフのブイヨンを少しずつ混ぜて、寒天パウダーを加えて固めたゼリーに、クリーム用のピッチャーに入れた冷たいエッセンスを添えて、誕生日の晩餐の始まり・・・。

[写真] こういう特別なときのためにと、冷凍効率の良い貯蔵フリーザーの奥深くに霜焼けしないように大事にしまい込んであったフォアグラからスライス2枚。これにごく少量なのであっという間に煮詰まるチェリーブランディのリダクションソースを添える。玉ねぎのスライスをさっと焼いてから、フォアグラを焼いた。ソースがチェリーだから別にフルーツ風味がなくてもいいかと、薄くスライスしてトーストしたローズマリー風味のフォカッチャを添えた。

[写真] ビーフのフィレがあったので、ちょうどいいから今日は久しぶりにステーキ。といっても、ほんのひと口サイズに胡椒をたっぷりまぶしておいて、後はソースの算段。フォアグラにチェリーソースを合わせたので、どうしようかと冷蔵庫をのぞいて見つけたのが、ローストした玉ねぎとにんにくの「ジャム」。残りが少量だったので、温めて緩めたものを添えたら、これが意外においしかった。

[写真] 鶏もも肉のロールは骨をとって、開いて、アスパラガスの茎の部分を2本ずつ巻き込んだものに冷蔵庫にあったタマリンドソースを適当に塗って、ホイルに包んでオーブン焼き。付け合せはスイートポテト、オレンジピーマン、アスパラガス(しっぽ)のミルポワ風。ステーキに付け合せた舞茸をソテーしたフライパンをそのまま使い、ったので、同時に隅っこでズッキーニも焼いて、なかなかいい味。彩りは金柑。

ディナーの後で、カレシからプレゼント。郵便で届いたままの包みに入っていたDVDは大好きなコリン・ファースが主演した映画『The Importance of Being Earnest』。(舞台劇は『真面目が肝心』だけど、映画版の邦題は『アーネスト式プロポーズ』になっていた。)おなかがいっぱいでランチは不要になりそうだから、寝酒とおつまみをやりながらゆっくり見ようね。ハッピー・バースデイ・トゥ・ミー!

自分に誕生日インタビューしてみた

4月25日。水曜日。正午ちょっと前に起きたら、暗い。予報通りの雨。今日はワタシの64歳の誕生日。極楽とんぼのワタシはこの年になってもまだ誕生日が大好き。ビートルズの楽しいラブソング、「When I`m sixty-four」を口ずさんでいるうちにやって来たその日。ちょっと自分にインタビューしてみた・・・。

Q: 今日で満64歳だね。どんな感じ?

えっ、ほんと?という感じ。へその緒で自分の首を絞めて、大変な難産で仮死状態で生まれて、それでも脳に(少なくとも目に見える)障害が残らずに生きられたのは神さまのおかげ。人生って、チャンスはいつも五分五分ということなのかな。

Q: 年を取ることは気にならない?

年を重ねるのは生きている証拠で、すばらしいと思う。だいたい、年は「取る」、「食う」という自動詞的な現象だから、どういう風に年を取るかは自分しだいじゃないのかな。でも、有名人が亡くなったニュースがあると、享年が80代なら「あ、そうか」、70代なら「まだそんな年じゃないのに」、60代だったら「早すぎるなあ」と感じる。つまり、ワタシの中では80代になって「老人」、90代になったら「高齢」というイメージがあるから、64歳はまだ人生の半ばみたいで、たぶんこれからもっと楽しくなるような気がする。でも、のんきすぎかな、これ。

Q: 来年からいよいよ年金をもらえるけど、仕事、続ける?

それが一番の悩み。仕事以外にやりたいことはたくさんあるんだけど、仕事にはまた趣味とは違った刺激があって、急にやめたら禁断症状が起きるかもしれない。それに心の奥深くに「経済的に自立しなければ」という強迫観念みたいなものが常にあったような気もする。日本の両親が他界してしまって、自分は子供を持つことを諦めた時点で「いつかはひとりきりになる」という自覚ができて、目の前に「離婚」がちらついていた時に一気に濃縮されたのかもしれない。実際にワタシの経済力の方が上で、離婚しても生活には困らない状況だったから、逆に離婚に至らなかったんだろうと思う。だから、年金をもらい始めたら、趣味を優先しながら仕事を少しずつ減らして行くことになるだろうと思うね。

Q: カナダ暮らし、もうずいぶん長いけど・・・

あと2週間ほどで満37年。1975年5月12日。月曜日だった。スーツケースを3つ持ってひとりで「海を渡って」来たんだけど、カレシのほうの問題を片付けなければその先へ進めなかったから、実際にこの国での地位が固まったのは1年とちょっと経ってから。それまではやっぱり精神的にきついときもあったけど、あの頃は日本から来る嫁なんて片手で数えるくらいしかいなかったし、移民局の担当者もめんどうな状況を理解してくれて、親身になってサポートしてくれた。今はとてもそうは行かないだろうから、いい時代に来たんだと思うな。

Q: 自分のいいところは何だと思う?

たくさんあると思うんだけど・・・。

Q: 自分の欠点は何だと思う?

たくさんありすぎて・・・。

Q: 日本のことをどう思っている?

遠きにありて思うべき・・・というよりはもう外国。わからないことが多くなりすぎたもの。

Q: じゃあ、自分のことを何人だと思っているの?

日系カナダ人。10年くらい前に幽霊戸籍を抹消するために行った日本国領事館で、20年以上も前に無効になった戸籍の名前がワタシの唯一の名前で、カナダが法的に認める英語の名前は「別名」に過ぎないと、まるでワタシが「偽名」を使っているようなことを言われたときに、初めてはっきり実感したと思う。ワタシは「日本生まれ」のカナダ人なんだと。ま、カナダは「○○生まれ」のカナダ人だらけの「咲いた、咲いた、チューリップの花が」の歌みたいな国だから。

Q: これから先、老後に不安はない?

まったくないと言えば嘘になるけど、この国はワタシを見捨てないと思うから、大丈夫だと思う。義理の家族は、カレシにとっては問題が多かったかもしれないけど、(たぶんにカレシが作った)先入観を乗り越えてワタシを受け入れてくれたし、ワタシも肩肘を張らずに自然体で接して来て、「義家族」という違和感を持ったことは一度もなかったな。ワタシたち夫婦が危機に陥ったときはみんながワタシの後ろ盾になってカレシを慌てさせたけど、第一、離婚した「嫁」を新しい伴侶ごと受け入れる家族なんて世間にそうあるもんじゃないと思う。2人の義妹たちとはもう「義」を意識しない仲良し3人姉妹だし、甥や姪たちも小さいときから「アンティー(おばちゃん)」と呼んで懐いてくれていたし、まあ、たとえ年を取ってひとり暮らしになったとしても、見守ってくれる家族がいるという精神的な安心感は心強いよね。

Q: どっちかというと良い人生だったと思う?

思う。人生のできごとをサイコロになぞらえるとしたら、いい目が出たときの方がずっと多かったかな。人間、ある種の「運」を持って生まれて来るのかどうかわからないけど、まっ、これからも自然体で行けば、なるようになるだろうと思うね、うん。

東西の多彩な食材を東西の多彩な味で食べる

4月28日。土曜日。目が覚めたら午後12時50分。4月最後の週末。日本がゴールデンウィークに入って、仕事戦線は静かなり・・・といいたいところだけど、案の定、ばたばたとメールが来て、あれもこれもと置きみやげ。おまけにニューヨークからもスケジュールのお伺い。んっとにもう・・・。

きのうはワタシの誕生祝いとカレシの快復祝いを兼ねて、久しぶりにHawksworthでディナー。季節の「お試し」メニューが魚介類中心で最後に鴨だったので、あっさり意見が一致して、久しぶりにコースメニュー。(どこでもコースメニューはテーブル全員が注文する決まりになっている。)料理を待つ間にカクテルでリラックス。カレシが注文したLiquid Sword(液体の刀)というおもしろい名前の創作カクテルはテキーラがベースで、何だろうなあというエキゾチックな味。メニューはイカ、マグロ(アンチョビの天ぷら添え!)、ホタテ、スティールヘッドと続いて鴨。デザートはバニラプディングと練乳のアイスクリーム。アイスクリームの上にはきれいなオレンジ色のにんじんのキャラメルクロカンが載っていた。練乳とにんじん・・・おもしろい思いつき。

ワタシたちは普段から夕食の時間が早いから、レストランでも早番の午後6時に予約を取るんだけど、7時過ぎにはもうほぼ満員御礼になったから、バンクーバーのナンバーワンシェフの店だけある。バンクーバーの「グルメ」はフランス料理をベースに、アジアの食材や調味料を取り入れて発展して来た「ウェストコースト料理」。フランス人は種類の限られた食材を多彩なソースで食べ、日本人は多彩な食材を単純なソイソース(醤油)で食べるといった人がいたとかいないとか。その延長線で行くと、この20年ほどの間に、バンクーバーっ子は洋の東西の多彩な食材をこれまた洋の東西の多彩な調味料やソースで、しかも素材の味を生かして食べるようになったと言えるかな。最近は地元のセレブシェフたちが一緒になって「地産地消」を推進しているけど、それも西に太平洋があり、東に肥沃な農業地帯があるという「地の利」があればこそで、それがミシュランも知らない「ウェストコースト料理」の真髄だと思う。ワタシにはこの地球上にバンクーバー以上の「おいしいものいいとこ取り」の天国はないと思うな。

帰ってからレストランのサイトでカクテルの材料を調べてみたら「スダチ」と唐辛子。カレシはさっそくどこでスダチ果汁を買えるかとリサーチ。カリフォルニアから通販で買えることはわかったけど、「東京で買った方が安いよな」と。う~ん、いつでもどこでも売っているもんじゃなさそうだし、東京は広いしねえ。そういいながら今度はワタシがリサーチ。最初に2泊するホテルから駅ひとつのところに徳島県の産物を売っているところがあって、「スダチ果汁」もあると書いてある。店があるビルには他にもおもしろそうな店があるよと言ったら、「これだと帰りの予定を変えなきゃダメだな」。広島行きをやめたら、東京で何日もやることがないと、400ドル払って最初の5日をばっさり切ったカレシ。今度はどうやら尻尾の方を2、3日延長か。早く決めないと、近くなるほど変更料金が上がるから、今度はいったい何百ドルかかることやら。ま、いいけど、スダチ、ちっとも安くないじゃん・・・。 

さて、今日はバンクーバー交響楽団のMusically Speakingシリーズ最後のコンサート。来シーズンからは別のシリーズに鞍替えするから、ワタシたちにはほんとに最後の最後。女王様の即位60周年を記念して、前半はウォルトンの戴冠式のマーチとアイアランドのピアノコンチェルト。後半の部の出し物はギルバート&サリバンの1幕もののオペレッタ『Trial by Jury』。うん、これはおもしろそう。置きみやげ仕事に埋もれる前に、ちょっとばかり息抜きして来ようっと。

食べていけなくても職業として成り立つのか

4月30日。月曜日。2人揃ってはっと目が覚めたのが午後1時。ごみ収集日なのに、いつものようにトラックの音で目が覚めなかった。年を取ってくると、この時期にはどうしても生理的なシステム全体が何となくもや~っとするように感じるんだけど、春眠暁を覚えずと言った孟浩然センセもあんがいそういう年だったのかもしれないな。でもまてよ、次の行で「夜来風雨の声」って言っているから、単に春の嵐のせいで寝つきが悪くて、朝方に寝入ったから目覚めが遅かっただけなのかも・・・。

きのう、やっと日本滞在を3日延ばすことで「合意」が成立して、カレシに帰りのフライトとホテルの予約を変更してもらった。料金に変わりはなかったけど、また変更手数料が1人100ドルずつ。これで日程は確定だよね?と念を押したら、「ウェブでチェックインするときに空席があったらビジネスクラスにアップグレードしようかなあ」とカレシ。こらっ。あんまり何度も変更したら、そのうちへたをするとビジネスクラス並の料金でエコノミーってことになっちゃうって。まあ、いくらかかるかによってはそれも悪くないなあとは思うけど・・・。

ま、すったもんだのあげくだけど、とにかく日本旅行の日程が確定したので、ワタシは大車輪でまず今日が納期の仕事を済ませ、今日が期限の売上税の四半期申告を済ませ、日本の協会の会費の支払を済ませ、レンタル携帯の予約を入れて、ずっと目の前にあったポストイットをべりっと剥がしてポイ。やれやれ、これでもうちょっと仕事に気合を入れられそう。カレシは何年か前に英語留学に来たことがあるワタシのいとこの息子(英語だとfirst cousin once removedと長ったらしい関係になるけど、日本語では従甥とか従兄弟ちがいとかいうそうな)とメールで食事をする日を相談。後はぼちぼちと東京で人と会ったり、ショッピングしたりする日程を詰めるだけになったけど、こっちは昼の部と夜の部の二交代になるかも・・・。

会費を払ったついでに協会のイベントカレンダーを見ていたら、5月に東京である月例セミナーのタイトルが『翻訳でメシは食えるか』。曰く、「景気低迷の長期化やグローバル化、低価格化で翻訳だけで家計を支えるのが難しくなり、専門性の高い分野の人でさえ生活が厳しくなりつつあるような今の時代、そもそも翻訳でメシは食えるのか」。東京にいたらぜひとも行きたいところだけど、残念。専門性の高い人も苦労していると言うけど、専門化するか、しないかは古くて新しい問題だけど、専門化できないから「何でも屋」のワタシから見ると、専門性が「高すぎる」のが足かせになっている場合もあるんじゃないかと思う。専門分野の業種が不況のどん底になったら否応なしに仕事は減るだろうし、そういうときに他の分野の仕事を拾うというのもあんがい難しいことなのかもしれない。まあ、潰しが利かないというか・・・。

でも、どうなんだろうなあ。今どきは初めから翻訳者になることを目指して大学院などで勉強して来る若い人たちが増えているけど、メディアが描く「フリーランス」のイメージ先行で翻訳者になりたいという人たちも相変わらず星の数ほどいるようだし、自動翻訳サービスも台頭して来ているし、これからの時代、ほんとに翻訳1本で食べて行けるんだろうか。これはワタシの偏見ではあるけど、大学院で修士号を取って来る人たちは理論武装はたしかかもしれないけど、悲しいかな実務経験や知識が乏しいことが多い。翻訳をやりたいと言って、翻訳学校で実入りの良さそうな分野を「勉強」して来る人たちはそもそも頭の中の「翻訳をやっている知的な私」のイメージが強すぎて、プロ意識に欠けることが多い。翻訳コスト削減の担い手となる自動翻訳はまだとても「翻訳」ができる段階に至っていない。じゃあ、「翻訳業」はこれからどういう方向に進むのか。

ワタシはこの先3、4年くらい自分の食い扶持を稼げたらいい年令だから、特に深く考えることはないけど、これから入ってくる人たちにとっては敷居の高さは変わらないか、あるいは低くなることはあっても、職業として「メシを食う」のは難しくなるという予感がしないでもないな。(それ自体では食べて行けない職業というものあるのかもしれないけど。)まあ、深く考えずに足を突っ込んでそのまま深く考えずにやって来たワタシは、いろんな世間のいろんな「常識」に対して統計などでいうoutlier(外れ値)。よく考えると、たしかに仕事は(北海道語で言うと)はっちゃきこいてやって来たけど、そのために「血のにじむような努力」をしたという記憶がないから、ほんっとにどこまで逆説的にできているんだろうな。やっぱり幸運の星というものがあるのかなあ。


2012年4月~その1

2012年04月16日 | 昔語り(2006~2013)
エイプリルフールの笑いのツボは

4月1日。日曜日。久しぶりにまぶしい春の空模様。桜は満開。はらり、はらりと散り始めている木もある。今日から4月。ニュースサイトを見たら、「ウェストジェット航空がキッズフリー便を始めます。お子様はおもちゃとおやつを豊富に揃えた貨物室の特別保育室で保育士がお世話をします。大人は静かなキャビンでリラックス・・・」。それを聞いたカレシ、即座に「おお、そりゃあいいねえ」。あのぉ、今日はApril Fool’s Day(エイプリルフール)なんだけど。

でも、飛行機の中で小さい子供が嫌われるのは世界共通なんだろうな。それを一番良く知っているのは航空会社。だからこういう秀逸?なエイプリルフールのジョークを飛ばせるわけだけど、もっともらしい広報ビデオを作ったというから手が込んでいる。もちろん、最後はちゃんと「Happy April Fool’s Day!」とやって締めくくっているけど、今頃はぜひキッズフリー便を予約したいという早とちりの人たちが電話に飛びついているだろうな。エイプリルフール!なあんだ、あはは。担ぐ方も担がれる方も、長い冬を抜け出した春の一日を笑って過ごせたら勿怪の幸い。でも、日本の企業がこれをやったらどういう反応になるのか。「人をばかにするにもほどがある!」と抗議の電話が殺到するかもしれないな。元々ユーモアの感覚が違っているわけで、何がおもしろくて笑えるか(笑っていいことか)という意識も違っていてあたりまえだろうと思う。

何をおもしろいと感じるかは人それぞれなんだけど、最近はそれを「笑いのツボ」の違いと表現して、それが一致するかしないかが人間関係の成否を決める主要素のひとつになっているらしい。(と、小町横町で教えられたけど、小町は新しい日本語を覚えるほぼ唯一の手段になっているような感じがする。)「笑いのツボ」というのは指圧の「ツボ」のような「感じどころ」と想像したけど、英語では俗に言う「funny bone」のことか。肘をぶつけたときにビリッと来る部分のことで、英語人はあの感覚をfunnyと言うんだけど、ただし、この「funny」と言う語には「こっけいな」という意味の他に「変だ」とか「いんちきくさい」とか「頭がおかしい」といった(笑えない)意味もあるからおもしろい。それにしても、「笑いのツボ」が合わないために交友関係さえぎくしゃくしかねないというのは、ひょっとしたらそれも(たぶん)メディアに植えつけられた「かくあらねばならない」という強迫観念(こだわり)なのか、あるいは「自分と同じ人」の追求なのか・・・。

あちこちをのぞいて見ると、「笑いのツボが合わないから付き合えない」とか、「笑いのツボが合わないとキツイ/しんどい」といった表現がぞろぞろ出てくる。結婚してから「笑いのツボが合わない」と後出しで文句を言うのは国際結婚トピックでよく見ることだけど、どうやら恋愛ではこの「笑いのツボの不一致」が致命傷になることが多いらしい。結婚難だというのに、それでなくてもいくつもありそうな「譲れない条件」に新しい項目を作って婚活のハードルを高くしていいのかいなとおせっかいながら思うけどね。実際のところ、この「笑いのツボが合う」って具体的には何なんだろうな。お笑い番組の好みが同じことなのか。飲み会やサークルのように楽しく盛り上がれることなのか。同じことをおもしろいと感じることなのか。それともコミュニケーションのスタイルのことなのか。

ワタシとカレシは同じようなジョークに反応するし、2人してお笑いコンビみたいなことをやっては笑い転げるから、「笑いのツボ」が合っているのかな。だけど、性格は元から違うし、コメディ番組や映画や本の好みは全然違うし、まだときたま出てくるカレシのモラハラ的ジョークには笑えないし、愉快とか楽しいと感じるものにもかなりの違いがある。夫婦とて一心同体じゃないんだから勘どころが違ってあたりまえで、笑いよりも金銭感覚の「ツボ」の一致度の方がよっぽど高い。つまり、ワタシとカレシは笑いの「ツボ」という集中点でよりも、もっと全身的な「humor」(ユーモア)が合っているんだろうな。「ユーモア」は人の笑いを誘うことに集中しているけど、「humor」は元々「湿り気」、中世医学では「体液」、そのバランスが気分を支配すると考えられたことから、転じて人の「気質」や「気性」のこと。それが合うということは、何となく「相性」がいいってことになるのかな。要するに、俗に言う「割れ鍋に綴じ蓋」ってこと・・・?

穴倉からちょっと頭を出して

4月4日。水曜日。少し気温は低めだけど、桜は見渡す限りの満開。いい天気。少し早起きして、朝食もそこそこに運動がてら徒歩でヘアカットに出かける。何しろ仕事、仕事できれいにしているヒマも何もあったもんじゃないから、髪は方の下まで伸びて外側にカールし始めている。(ワタシには髪がカールしやすい遺伝子もあるみたい。)てっぺんに逆毛を立てたら『ヘアスプレー』のちょっと太っちょの女の子みたいになりそうな感じだな。前髪などは牧羊犬そっくりだし・・・。

アンナとジュゼッペが新年早々に新しいテナントを入れるためにモールの外側にあった店を立ち退かされて、2ブロック先の大きなサロンに椅子を2つ借りる形で移転した。新しいテナント言うのがサンフランシスコに行くたびに立ち寄っていたCrate & Barrelというワタシたちお気に入りのおしゃれキッチン用品店。こんな近くに進出してくれるのはうれしいけど、そのために20年夫婦で切り盛りしてきたサロンが立ち退きというのはちょっと胸がキュン。でも、すぐに営業できるところが見つかって、しかも近いからお馴染みさんを無くさずに済むのはせめてもの幸いだったな。まずワインレッドのカラーを入れ直して、白髪を染めて、それから伸び過ぎた毛をばっさり。なんだか頭が軽くなったような感じがする。

すっきりしたところで、明日の午後が納期の仕事に戻って、またひたすらキーを叩く。今週は納期が迫っているのに、月曜日はダウンタウンの会計事務所まで確定申告の書類を届けに行って、ついでWhole Foodsで買い物。「獲れたてのオヒョウが入荷!」と張り紙がしてあったので、さっそく魚の売り場に行ったら、氷の上にでっかいのがどんと置いてある。先週はIGAでも塊を買ったけど、カウンターにも大きな半身。また誘惑に負けてこのぐらいと手で大きさを示して切り分けてもらったら、ずっしり1キロ。うは、3食か、4食分はありそう。ついでに同じように氷の上に載せてあったえらそうな顔をした鯛の大きいのを1尾包んでもらった。この週末は復活祭だから、ちょっとご馳走を作りたいし・・・。

火曜日は最後に未完で残っていた裏のポーチの手すりを取り付ける工事。なかなか頑丈そうなまっ白な手すり。いいねえ、すてきだねえと何度も裏口のドアを開けて見てしまったけど、カレシもペンキ塗りのメインテナンスが不要になるから助かるよね。去年の秋に始めた庭の改修工事もこれで後始末を残してやっと「竣工」。秋にやるつもりだった屋根の葺き替えは、南側の天窓を潰すだけのはずが、北側に窓を開閉できるドーマーを作ろうかと言う話になって、またぞろプロジェクトが大きくなって来た。屋根をぶち抜くとなれば、雨が降り出す秋は無理だから、来年の春から先。あ~あ、年金をもらっても引退なんかしてられないなあ、この調子じゃ。

期限が迫っているのにとぶつぶつ言いながらやっている仕事は商品のカタログみたいなもので、消費者向けじゃないのにキャッチコピーは華々しく感嘆符がいっぱい。だけど、日本語の感性のコピーだから、そのまま英語にしたって通じない。もっとも、これは商品を海外で売ろうという話ではなさそうなのであまり頭をひねらなくてもいいからラクといえばラク。それにしても、なんだかんだとこんなに家中にシュッシュと化学薬品を振りまいていたら健康にいいわきゃないと思うんだけどな。アレルギーとか、アトピーとか、発達障害とか・・・。セシウムの粒子が1個あって大騒ぎするけど、こういう化学薬品は日常的に使い慣れてしまって怖いとは感じないのかな。長い間に遺伝子のあちこちに小さな、小さな損傷が起きて、それが将来生まれて来る子供に蓄積されるという危険性はないのかな。まあ、最近の日本人はことさら神経質で無味無臭無色無害を追求しているようなところもあるから、売る方も熱が入ってるのかもしれないけど、人間には安全だといわれてもワタシはつい考えてしまうな。

ま、あと少し。がんばろうっと・・・。

芝居に行く日のお急ぎディナー

4月5日。木曜日。いい天気。今日は午後5時に納品しなければならない仕事があるから、ちょっと眠いけどがんばって正午前に起きて、午後1時にはまじめに勤務中・・・。

今日は久々に、というよりは今シーズンで初めての芝居で、オスカー・ワイルドの『The Importance of Being Earnest』(邦題は『まじめが肝心』というらしい)。この仕事の納期に合わせて席を取ってあったから、何としても外せない。こういうときは不思議とやる気度が急上昇するから、ワタシってけっこう現金なヤツだと思うけど、でも人間は適度に息抜きをしないと精神も魂も鈍ってしまうから。

というわけで、ワードで作業してスペルチェックと見直しを済ませた訳を指定どおりにエクセルのセルにコピーして、圧縮ファイルにして、午後4時58分に送信。やれやれ、どうにか間に合った。7時過ぎには家を出なければならないから、夕食のしたくは超特急。月曜日に作ったラタトゥイユの残りを温めることにして、メインは白身の魚の切れっぱしを集めたフィッシュケーキ。いうなれば、魚コロッケ・・・。
[写真]

じゃがいもを茹でて、バーで使うマドラーで潰しておいて、次に魚をさっと茹でて、ほぐしながらじゃがいもに混ぜ、玉ねぎ、ガーリック、ねぎなどを刻んで適当に混ぜて、パン粉少々でつなぎ。スパイスはそのとき次第でイタリアンにしたり、アジア風にしたり、タイ風にしたり。何しろじゃがいもと白身の魚の寄せ集めだから、何風にでも作れるのがいいし、魚の種類の組み合わせによっても味が微妙に違うのがおもしろい。

今日はパルメザンチーズと温室にしぶとく残っているイタリアンパセリとイタリアンスパイスでイタリア風魚コロッケ。濡らした手で形をまとめたものにパン粉を押し付けるようにつけて、フライパンでこんがりと焼くだけで、簡単しごく。温めておいたラタトゥイユを添えて、お急ぎディナー。だけど、これだけでは後で猛烈におなかが空きそう・・・。

メールをチェックして、送ったファイルを「受け取った」という確認メールが来ているのを確認して(これは夜のお出かけのときは肝心)、超特急でパウダーをはたき、アイシャドウを入れて、眉毛を描いて、着替え。気温はひと桁でちょっと肌寒いけど、チュニック風のTシャツ一枚でめんどうだからジャケットはなしで、いざ、おでかけ・・・。

ビクトリア朝時代の婚活も厳しかったらしい

4月6日。金曜日。グッドフライディ。復活祭の週末の初日。起床は正午ちょっと前で、今日も春爛漫の天気。新しいポーチの階段のふもとにあるひょろりとした桜にも庭に下ろしてから初めて2つ花がついた。

なぜか目に入れてあったコンタクトレンズが壊れた夢を見た。ここんところ、どういうわけかどこかに「滞在中」らしい場面が夢に出てくる。ゆうべも、ホテルだかアパートだかわからないけど(知らない人ばかり)何人もが一緒にいて、その中でコンタクトレンズを外したら大きな切り欠きがある。急いで目の中を探したら三角の破片があったからピンセットでつまんで取り出したけど、壊れたレンズは1部を切り取ったパイチャートみたいだったな。こんな時間に困ったな(真夜中らしい)。仕事がどっさりあるってのに・・・(近くを見る左のレンズだった)。で、なぜかガラス張りのビルのようなところにいて、ドアの向こうで談笑している人たちが見えた。レンズのケースを振ったら女性がドアを開けてくれたので、「こんな時間だけどコンタクトレンズが壊れて」と言ったら、「大丈夫です」。それで、蛍光ペンだらけの紙を見せられて「注文しましたからね」。ああ、良かった~と言ったところで目が覚めた。まったく意味不明の、すっごくヘンな夢・・・。

きのうの芝居はパンチが効いていておもしろかった。ビクトリア朝時代のイギリス。仲良しの有閑紳士アルジャノンとアーネスト。アーネストはアルジャノンのいとこのグウェンドリンに首ったけだけど、当の彼女は「結婚相手はアーネスト言う名前でなければダメ」というこだわり屋もので困っている。実は「アーネスト」はロンドンで遊ぶときの名前。本当の名前は「ジャック」で、アーネストは遊び人の弟ということになっている。「どうしてもアーネストでないとダメ?たとえば、ジャックという名前だったらボクを愛せないの?」 グウェンドリンの返事は「ジャックですって?と~んでもない。アナタがアーネストでうれしいわ」とプロポーズOK。でも、彼女の怖いママが、収入はおいくら?お住まいはどちら?ご両親は?と「面接」をやって、優しい紳士に拾われた捨て子だったとわかったとたんに「条件が良くないから、娘との結婚は認められない!」と却下。(あはは、ビクトリア朝の「婚活」も厳しかったってことか・・・?)

一方、ジャックが後見人なっているセシリーという女の子が気になったアルジャノンは「アーネストおじさん」になりすましてお屋敷に遊びに行ったはいいけど、セシリーも「私の結婚相手は絶対にアーネスト」。夢見る夢子ちゃんのセシリーは日記の中で「アーネスト」と婚約して、3ヵ月前に婚約破棄していた。「ボクたち、婚約破棄したの?」と驚くアーネストことアルジャノンにセシリーは「プロポーズ、お受けしますわ」。そこへジャックが帰ってきて、すったもんだのどたばた騒ぎ。最後にはジャックが乳母が散歩に連れ出したきり行方不明になったアルジャノンの兄とわかり、しかも名前は「アーネスト」だったとわかり、グウェンドリンの手を取って「やっとわかったよ、the importance of being・・・」と、ここで客席から「アーネスト!」とせりふを横取りする声。役者が客に向かって「待ちなよ」と言い、観客がどっと爆笑してカーテン。演出だったのか、たまたまだったのかわからないけど、涙がぽろぽろ出るほど笑ってしまった。

だけど、切り欠きコンタクト(パックマンの形でもあった)の夢と「なりすましコメディ」とは関係ないよね。おなかを抱えて笑って気分がすっきりしたんだし。まあ、今日は復活祭の晩餐の前々夜のプチご馳走を食べて、次の仕事にかかる準備でもするか・・・。

[写真] 復活祭の日曜日には久しぶりにコース料理をやってみることにしているから、今夜はごく簡単に、アヒまぐろたたき風三通り(しょうが醤油、梅干しペースト、ゆず胡椒ペースト)におまけのライムと一味唐辛子に漬けたジャンボえび。野菜はピーマンとアスパラガスで、みんなまとめてグリル。日曜日の食材を集めるのにフリーザーの中をかき回して、ついでに少しは整理になったし、まじめに仕事にかかろう。何たって「まじめ(being earnest)が肝心」だもんね、うん・・・。

駅前留学ならぬ駅前海外旅行

4月7日。土曜日。いい天気。今日はカレシがリッチモンドのアントニオの家までヘアカットに行くので、途中で降ろしてもらってT&Tスーパーまで行ってみることにした。アントニオはアンナとジュゼッペのサロンに週に3日だけ椅子を借りて仕事をしていたけど、立ち退きで自宅営業に切り替えたのだった。何でも、不動産投資がうまく行って管理の方が忙しくなったもので、本業はなじみの客だけを相手にやっていたのが、(カレシも含めて)ほとんどみんな自宅までついて来て、そのまま週3日だけ営業しているらしい。うん、ビジネスは一にも二にも人間関係なのだ。

T&Tスーパーマーケットは台湾系の女性が台湾の大手スーパーなどの投資を得て始めた店で、2、3年前に東部の大手スーパーのチェーンにびっくりするような金額で買収されたけど、そのままアジア人向けスーパーとしてカナダ各地で営業している。そのT&Tが地下鉄のバンクーバーの最南端のマリンドライブ駅横の総合開発(これから建てる予定のマンション415戸がたったの4時間で完売した)でできる大型モールに出店すると聞いたもので、まあ、今日は下見。ゆうべ、ググって下見の下見をしたところ、バンクーバーに近いキャンビー・ロードにひとつ、地下鉄(というか川向こうのリッチモンド側は地盤の関係で高架)の終点のモールにもうひとつ。

そこで大きいから便利が良さそうなモールの外で降ろしてもらって、終わったら電話してね、バイバイ。ところが、モールに入って案内マップを見たけど、大きな店はベイとシアーズだけで、T&Tは影も形もない。細長いモールを端から端まで歩いたけど、ない。変だなあ。外へ出て道路標識のブロック番号を見たら、なんか違うような・・・。勘違いしちゃったのかなあ。まあ、ないものはないんだからしょうがいない。目の前にあるブリグハウス駅から2つ先のアバディーン駅まで電車にのって行ってみたら、なんだ、ヤオハンセンターのとなりじゃないの。なつかしいなあ。かってやっとまともな「日本食品スーパー」ができたと喜んだヤオハン。大御所がこけてしまって、モールの名前は残ったけど、スーパーの名前は(なぜか)「大阪超級市場」。後でわかったけど、実はこれが「もうひとつ」のT&Tスーパーマーケットだった。何を勘違いしたか知らないけど、まっ、いいか・・・。

入ってみたら、わっ、すごい。何がすごいって、人間のエネルギーがすごい。通路ごとに試食のテーブルができていて、う~ん、何だろ、これ。説明してくれているみたいだけど、ワタシ、中国語はダメ~。高校時代に漢文が大の得意だったから、何とか読めることは読めるけど、それだけのこと。(こういうところは店員が英語を話せるとは限らない・・・。)商品のラベルは中国語(繁体字のものと簡体字のもの)、ハングル、ベトナム語。日本語のものもあって、「北海道」と書いてあると思ったら、アメリカの「クェーカー」の朝食用シリアル。はあ、なんで北海道?(中国人は北海道に憧れていると聞いたけど・・・。)英仏語で名前と原料とか成分とか栄養データを書いたステッカーがあるけど、これ、なあに?どうやって食べるん?頭の上では中国語のアナウンス。昔、NOVAの「駅前留学」がキャッチコピーとしては良くできている思ったけど、ここはまさに「駅前海外旅行」というところで、自国にいながらにして留学、自国にいながらにして海外旅行。どこかに空間を超える魔法のマシンがあったりして・・・。

バスケットを引っ張りながら、ふむふむ、へえ、はあ、とあれやこれやを見て歩いたら、大きなドリアンの実がごろんとがあったり、掘ったままみたいな筍の山があったり、ぶっとい豚の足を積んであったり、鳥の足があったり、きゃっ、「豚の舌」なんてものがある。鴨の「舌」は食べたことがあるけど、豚の舌かあ・・・。ハトもあるし、ウサギもあるし、ヤギのぶつ切り骨付き肉まであった。魚売り場にも(英語の)名前を聞いたことのない魚がある、ある。エキゾチックなものは見るだけにして、バス、ホッケ(ロシア産)と子持ちシシャモ(カナダ産)とウニと、まっ、勝手を知っているものだけにしておく。後は竹に包んだ台湾式チマキ、「日式」ミニごまだんご。野菜売り場は、しめじにまいたけ、ひらたけ、しいたけ。大根とごぼうとコリアンダー。ヘアカットが終わって合流したカレシも、「やっすぃ~」と野菜の類を買いまくり。下見のつもりがけっこう大きな買い物になってしまった。それでも、レシートを見てびっくり。やっす~い!

それにしても、中国人のエネルギーはすごいなあ。通路で人が止まって、塞がっていてもぐいぐいと押しのけて行く。何人も固まっていればぐいぐいかき分けて行く。カートやバスケットがぶつかってもちょっと「にこっ」。これが世界にチャイナタウンを作って、差別や偏見をものともせずに繁栄して来た中国人のバイタリティなんだろうな。みんな「我が道」を行っていて、それでいて混み合う時はお互い様と認識しているような感じがあって、なぜか冷たいネガティブなオーラはほとんど感じられないから、ワタシも気後れせず、気兼ねせずで、隙間があれば狙いをつけて負けずにずんずん。もしも、日本人がこのバイタリティ、このエネルギーの何分の一かを持っていたら、バブルが潰れても「失われた10(20年)」にはならなかったかもしれないのに・・・と、ふと思ったけど、民族の生命力とでもいうものも、良きにつけ悪しきにつけ「民族それぞれ」なんだろうな。

一尾の鯛を全部食べた復活祭

4月8日。日曜日。まだ何とかいい天気。復活祭の日曜日。今年は暦のめぐり合わせで、キリスト教の復活祭とユダヤ教の過越しの祭りの始まりが重なって、どちらも金曜日に始まっている。そういえば、4月8日は、日本の仏教ではお釈迦様の誕生日の花祭りじゃなかったかなあ。こうして大きな宗教行事が重なるのはやっぱり「春」という、新しい命が芽吹いて来る季節と深い関係があるんだろうな。

日曜日だし、復活祭だし、仕事をひとつ納品したし、前からある仕事は期限がだんだん迫って来るけど、これはあしたから気合を入れて没頭すればいいか・・・ということで、久しぶりに極楽とんぼ亭を開店して、シェフの思いつきぶっつけ本番「なんちゃらコース」。目玉は頭の先から尻尾の先まで40センチはある鯛1尾。これをどうさばくか・・・。

今日のメニュー: アミューズブーシュ1(とこぶしのポン酢風味)
         アミューズブーシュ2(ジャイアントシュリンプと
            チリマヨディップ)
         鯛、オヒョウ、まぐろのカルパッチョ
         ロブスターとほうれん草のバターソテー
         鯛のポエレ、野菜添え
         鯛がゆ、若竹煮
         (デザート:いちごのチョコレートディップ)

まず、鯛のうろこを取って、三枚おろし。30ドルはたいて買ったスケーラーが役に立って、うろこがほとんど飛び散らずにきれいになった。頭を落とすのに長い間使う機会がなかった嫁入り道具の小さい出刃包丁の出番。最後にどきどきするような細身で長い魚さばき包丁で三枚におろす。ちょっと透き通ったきれいな身だな。頭と骨はすぐに鍋に入れて出汁を取りにかかる。

[写真] ゆうべからスロークッカーで殻ごと煮ておいたとこぶし(あわびもとこぶしも英語ではabaloneだけど、大きさといい、身の平たさといい、殻の穴の数といい、絶対にとこぶしだと思う)をスライスしてポン酢を垂らしてねぎをちょこっと散らしただけの先付け。じっくりと煮たからいい味。カレシが「もっとあるといいのに」。う~ん、それじゃアミューズブーシュにならないよ。

[写真] アミューズブーシュのその2はジャイアントシュリンプ。「シュリンプ」といえばチビのことを指すけど、これは「ジャイアントなおチビ」。たしかに普通にシュリンプとして売っている剝きエビの倍くらいの大きさだけど。茹でて殻を剝いたのを即食用可。オリーブ油のマヨネーズにアジアのガーリックチリソースを混ぜたディップ。コリアンダーの葉を添えて、ちょっとアジア風に・・・。

[写真] セヴィチェにしようと思ったけど、漬け込むのがめんどうで(というよりは、鯛を下ろすまで作れないことに気がついたもので)、思いつきでカルパッチョ。鯛の前の部分を削ぎ切りにして、オヒョウとキハダマグロは薄切り。さばき包丁が刺身包丁の代わりになる。レモンとライムを振りかけて冷蔵庫に入れておいて、テーブルに出すときにマイヤーレモンを混ぜたオリーブ油をたらたら、ケッパーをぱらぱら。刺身とはちょっと違った味わいで、この次にマグロやサーモンのタルタルを作るときはケッパーを入れてみようか。

[写真] 冷凍で売っているロブスターテール。これはかなり小ぶりなので殻から外して縦に2つに割ってバター焼き。ロブスターを横に寄せて、ほうれん草を入れてソテー。同じコストならロブスターよりはカニの方が断然いいワタシたちだけど、凝らずにシンプルにやればロブスターだっておいしい。

[写真] 鯛の真ん中の部分を切り身にしてさっと焼いて、オーブントースターでローストしていた赤いビーツの上に乗せた。アスパラガスはさっと蒸し、きゅうり(日本系)はピーラーでリボンのように薄く引いて、マイヤーレモンの残りを絞って「きゅうりもみ風」にさっと混ぜたもの。マイヤーレモンは酸味が強くないから、砂糖を使わなくても普通の酢の物よりずっとマイルドになる。(ワタシは隠し味でも何でも料理に砂糖をほとんど使わない。)

[写真] 最後の仕上げはワインを日本酒に切り替えて、鯛がゆと若竹煮。鯛ご飯を考えたけど、このあたりに来る頃にはだいぶおなかがきつくなっているだろうと、半がゆみたいな炊き加減にした。出汁は鯛をおろしてすぐに作ったもの。お粥風だから(コーヒー用のフィルタを使って漉した)出汁を全量使ってしまった。鯛は出汁を取る途中で骨から外した身と下ろした身の尻尾の方を少々の醤油とお酒で味付けしておいて、炊き上がりに混ぜ込んだ。なかなかあっさりして美味。皮付きの茹で筍はべりべりと皮を剝いて、穂先の部分は飾りのつもりで、食べ始めた頃から通しでじっくり煮てみた。飾りだと言っているのに、カレシがどこまで食べられるかと、穂先まで皮を剝いてはかじり、剝いてはかじりしたもので、円錐形の皮がテーブルの上にごろごろ。まあ、皮付きの筍なんて初めてだもんね。

[写真] やっとデザートにたどり着いて、イチゴのチョコレートフォンデュ。3つくらい食べるのがやっとだった。久しぶりのコース料理で有頂天のシェフはちょっと張り切りすぎ。それでも、鯛1尾を頭から全部使って、2人で全部食べてしまって、残ったのは出汁の抜けた骨だけ・・・。ま、これで今日は夜中のランチは不要だな。

ハッピーイースター!チョコレートのイースターバニーの耳をかじったのはワタシ・・・。[写真]

なつかしきかな、お父さんの味

4月9日。月曜日。午後の気温15度。復活祭の「四連休」の最終日だけど、法定祝日ではないので、公務員や労働組合があるところは休みだけど、普通の仕事日の人たちも多い。ワタシも公務員時代は四連休だったけど、会計事務所時代は三連休。まあ、3月、4月は政府予算の発表があるし、所得税の確定申告の期限もあるから、会計事務所はみんな残業、残業で、連休どころの話じゃなかったんだけど。

週末にちょっと息抜きしたので、今日から腕まくりをして手持ちの最後の仕事にかかる。これも大きいなあ、なぜか。比較的緩い納期だからとのんきに他の仕事をはめ込んでいたら、納期まであと8日。でも、環境関係のけっこうやり慣れたテーマだから、ガシガシやったら6日で終わるかなあ。早く終われば「予約」の仕事が入って来る前に休みを創出できるわけだけど、まっ、始めてみてのお楽しみということにする。(上は社長から下はお茶くみまで会社の「業務」をぜ~んぶひとりでやって、さらに休みの日まで自分で作らなければならないのが、フリーランス自営業の宿命というか・・・。)

イランの核開発問題で欧米との間に緊張が高まっているときに、日本の元首相がよせと言うのを振り切ってイランまで出かけて行って、アマディネジャッドと何を話したんだか知らないけど、イラン政府の(イランに都合のいいことを言ってくれたという)発表を「捏造だ、遺憾だ」と言っているらしい。この人、首相だったときも基地問題でアメリカの大統領に「Trust me」なんて啖呵を切っておきながら結局何も進展しないうちに「国民が聞く耳を持たない」とか何とか言って首相の椅子を放り出したなあ。底抜けにお人よしなのか、根っからのお坊ちゃま思考なのか、欧米にいじめられるイランの頭を友愛精神でなでてあげに行ったつもりかもしれないけど、グローバルなスケールのKYな政治家としては世界でも断トツだろうな。さすが「宇宙人」といわれるだけのことはある。次はシリアに行ってくるなんて言い出さないといいけどね。

仕事の前に、ちょっと小町横町の散歩。相変わらずの他人がどうたらこうたら。いっそのこと「どいつもこいつも存在自体がウザい、消えて欲しい」と正直に言っちゃえばすっきりするんじゃないのかと思うけど、それでは決して人様に迷惑をかけず、常に人様への気遣いを第一とし、厳正なマナーを身に付けた礼儀正しい「私」のイメージに反するから口が裂けても言えないだろうな。実際には「他人に迷惑をかけられず、常に気遣いをしてもらい、丁重に扱われる私」を求めているのかもしれないけど、小町で多用される「違和感」と言う自分自身の中に湧いて来る感情に対処できないということなのかなあ。トピックのタイトルだけをながめていたら、とっくに終わったはずの「左利き是非論」のトピックが蒸し返されていて、ここでも違和感、違和感、違和感。「箸使いが、字がきれいなら」と条件付きで許容する人たちもいるけど、今どき、きれいに箸を使い、字を書ける「右利き」の日本人がどれだけいるんだかね。ま、世界のどこでも、社会全体が不況や世情不安などで落ち込んでいるときに、人種や宗教、文化、その他異なるものへの嫌悪感や差別、偏見が顕著になる傾向があるようで、日本とて例外ではないということだけど。

そういう日陰の多い小町横町にもたまにはぱあっと明るい日が差すことがある。『おやじの味、ありますか』と言うトピックは、「父親が作ってくれた思い出の味」を通して子供時代に見た「おとうさん」の思いがけない一面の話がつづられていて、どれもこれも世間一般の「おふくろの味」はひと味もふた味も違う。思わず投稿しそうになったけど、ワタシにもなつかしい「おやじの味」はいくつかあるなあ。食紅で色をつけたあんこ入りのお好み焼きとか、ストーブの上でじゅっと焼いてくれた魚の骨せんべいとか。その中でも一番の「お父さんの味」は法事か慶事で母と妹が泊りがけで出かけて留守のときに作ってくれたお弁当。ワタシは中学1年生だった。あの頃はアルミの弁当箱にご飯とおかずが定番だったけど、一計を案じた父が作ってくれたのはなんと「コロッケバーガー」。(まだマクドナルドもハンバーガーも知らなかった時代の話。)

丸いパンを横に2つに切って、中をほじくり出したくぼみに刻みキャベツを詰めて、とんかつソースをつけたお惣菜のコロッケをはさんだものだったけど、父はそれをハンカチに包んで持たせてくれた。教室でハンカチを解いたときに注目されて、かっこいい「ランチ」を持たせてくれた父をすご~く誇らしく感じて、おいしさ百倍だったなあ。やっぱり、ワタシって「お父さん子」だったんだろうね。いわくつきの男に恋をした無鉄砲な娘を海の彼方へ送り出してくれた「お父さん」。そのいわくつきの男が敬愛した「お父さん」。弱音を吐きかけたワタシに「いつまでも親がいると思うな」と叱咤してくれた「お父さん」。その父が逝ってから今年はちょうど20年。1月の命日はとっくに過ぎたけど、ねえ、カレシ、札幌へ行ったら「お墓参り」する・・・?

極楽とんぼも時には愚痴をこぼしたくなる

4月12日。木曜日、だと思う。カレンダーも頭の中もぎっちぎっち。下手をすると心の中までぎっちぎちになりそうで、ちょっとしんどいなあ。

先月からカレシの日帰り手術が4月13日に予定されていたんだけど、今日最終確認の電話が来て、明日一番の手術などので午前6時に「出頭」しなさいとのお達し。おやおや、寝ている暇がないよねえ、それでは。一応、どっちみち真夜中以降は食べ物は禁止だからということで、カレシは早めにひと眠りして、午前5時に起きてでかけることになった。大学病院だから、すぐそばにある駐車場に念のため1日分の駐車料金を払って車を置いておき、終わった頃を見計らってワタシはタクシーで病院へ行って、カレシが放免になったら家までタクシーサービスという算段。

病院は違うけれども、ワタシの膝の手術のときを参考にすれば、「チェックイン」してから何かと準備に時間がかかって、筋肉弛緩剤でリラックスさせてもらって、実際に手術が始まるのはおそらく午前8時頃かな。1時間以内で済むそうだから、術後の観察室でしばらく休み、その後控え室のベッドでしばらく休んで、まあ、全部で6時間くらいの予定か。それはいいとして、カレシは退屈するのがいやだからiPodを持って行くとか、ネットブックを持って行くとか、んっとにうるさいったらない。いったい何しに行くの、アナタ?退屈なんかしているヒマなんかないって。ろくに睡眠を取らないで行くんだから、昼寝をするチャンスだと思うけどなあ。

ワタシの仕事の方は、あ~あ、まだあと30ページもある。(そのすぐ後にもう次の仕事が待っているし・・・。)ひたすらキーを叩いても、叩いても、何だか遅々として進んでいないような気がして、くたびれるなあ。日本での会議の参加登録もしなければならないし、ホテルや乗り物の予約だの何だのといろいろとやることが並んでいるし、戻って来た所得税申告の後処理もあるし(ワタシはどんと還付されるけど、カレシは追加納税。それでも相殺して20万円くらい戻る勘定か。)のおまけに今月末は売上税の申告期限なのを忘れていた。ほんとに、この2、3日は常に頭の中で時刻表をチェックして、更新して、想定外のことが起きれば時間をやりくりして、時刻表を改
訂して・・・。人間て、こういう、つい愚痴のひとつやふたつ言いたくなるような時ってあるんだよね、誰にでも。さすがの極楽とんぼにもそういう時が来たってことか・・・。

だけど、やっぱりしんどいなあ。久々にほんっとに「疲れた~」という気分。まあ、あと1週間くらい歯を食いしばっていれば抜けられるかもしれないけど、それでは歯が磨り減ってしまいそう。指はどんどん短くなる気分だし、ああ、くたびれたなあ。も~し~らないよ~。

手術の日が13日の金曜日だったら?

4月13日。金曜日。早寝したカレシは午前5時に起床。ワタシはカレシを病院に送り出して、午前5時半就寝。もう少し早く寝るつもりだったけど、おひとり様でぼぉ~っと寝酒をしていたら、いつの間にかカレシが起きる時間。ふむ、ひとり酒というのは飲み過ぎになりがちだからいけない。あと2日分くらい残っていたはずのレミを空にしちゃったから、以後気をつけなきゃ。

午前9時に目覚まし。眠い。胃が重い。朝食は食べる気がしないから、ジュースだけ。タクシーを呼び、道路に出て待っていたら、携帯に病院から「あと20分くらいで帰れますよ」と、電話。タイミングがいいなあ。道路工事が多いもので大学まで25分かかった。病院の玄関先で下りて、受付で日帰り手術の患者を迎えに来たと言ったら、「まっすぐ行って左側の最初のドアです」。ほんとだ、「Day Surgery」(日帰り手術)と書いてある。ドアを押して中に入ったら、にこやかな受付の人がこっちが何も言わないうちに「○○さんですか?」は~い。ドアを開けてくれて、床に描いた足跡を辿って行って、空っぽのベッドが並んだ大きな部屋。「ああ、いたいた。あちらですよ」と指された方を見たら、服を着て後は帰るだけのカレシがベッドのようなリクライナーでのんびりと本を読んでいた。(ふむ、iPodは持って行かなかったんだな。)

これまた陽気な看護師さんから、薬の処方箋と自宅養生の注意事項のリストを2枚ずつ渡されて、無事に放免となった。患者に自分でケアさせることでマイナーな手術は全身麻酔でやっても入院は不要。ワタシの子宮全摘手術のときも、手術後5日で退院させてくれた。(あのときは手術してから3週間後に丸一日通訳をしにでかけたっけ。若かったんだなあ。)駐車場から車を出して、ワタシが運転、カレシがナビゲータ。大学構内の道路はすごくわかりにくい。「左に曲がって・・・いや、右の方が早いかな」。すでに左折車線に入っていたのに、後ろから車が来ていないのをいいことに2車線をえいっと越えて右折車線に。「そこは曲がるか、まっすぐ行くか、どっちが効率的かなあ・・・」。こらぁ、早くどっちかに決めてよぉ。結局曲がって、制限時速80キロの道路に出た。あっ、この先はワタシにも道順がわかっているから、ナビゲータは昼寝していいよっ。

途中でモールに寄って、カレシを車で待たせたまま処方箋の薬を買って、ティッシュの6箱パックや看護師さんに使うように言われた抗生物質の軟膏などを買って、家に着いたのは午前11時30分。さっそくの朝食はいつもの時間。ワタシの方は仕事があるってのにあくびの何連発。とにかく眠い。でも、眠いのは半徹夜に近かったワタシだけで、カレシは良く眠った気分で麻酔から醒めたというから、うらやましい話だなあ。ワタシは全身麻酔から醒めると必ずひどい嘔吐にやられる。膝の日帰り手術のときも何時間も吐き続けて看護師さんたちを慌てさせたっけ。カレシは「ちょっとグロッギーだな」といってのろのろ歩いているけど、あまり痛みはないらしい。麻酔後の注意事項を読んでいたら、24時間は車の運転はダメとか、ひとりで外出してはダメというのにまじって「重大な決定をしないこと」、「法的な書類に署名しないこと」というのがあったからおもしろい。もやがかかった頭で契約書などにサインしちゃいかんよってことか。

優先順の低いマイナーな手術は緊急手術の患者が出るとキャンセルされる。そうすると、順番待ちのリストが長くなって、将棋倒しにドタキャンになることも多い。ワタシの膝のときは2度も予定日の前の日にキャンセルの知らせが来て、春の予定が夏になり、夏の予定が秋になった。でも、カレシの手術がドタキャンされずに一発で進んだのは、ひょっとしたら今日が「13日の金曜日」だということと関係があるのかな。執刀するフェンスター先生はユダヤ系だから関係ないんだろうし、カレシも「そんなのぜんぜん気にならないよ」。ワタシも気にならないけど、ちょっと大きな手術だったら不安になる人もいるだろうな。縁起が悪いと別の日をリクエストする人もいるかもしれない。(日本でもきっと仏滅に手術なんて言われたらためらう人がいると思うな。)あんがい、カレシにとって今日の「13日の金曜日」はラッキーな日だったのかも。

それにしても、まだなんとなく瞼が重いし、寝不足のせいかやたらとおなかが空くし・・・。

ぶんぶんと、かほどうるさきものはなし

4月14日。土曜日。いい天気。よく眠っていたのに、頭の上を飛ぶ飛行機の爆音で目が覚めた。そっか、今日はシーク教の始祖であるグル・ナナクの生誕を祝うバイサキのパレードがある日。シーク教徒のインド系人口が郊外のサレーに移ってしまって、我が家から近いメインストリートの「パンジャブマーケット」は寂れる一方なもので、パレードのために道路が交通止めになってもひと昔前のような混雑はなくなって、困るのは「祝バイサキ」のバナーを引いて上空をぐるぐる何時間も低空で飛ぶ小型飛行機だけかな。

まあ、ひと昔前には4機が金魚のうんこみたいにつながって何時間も飛び回ったことがあったけど、今日はどうやら1機だけのもよう。我が家のすぐ上を通るときはブォォォ~ンとうるさいけど、ベースメントのオフィスに篭っている限りはそれほど気にならない。それでも、パレードが終わって、交通止めも解除になってみんな帰ってしまった午後5時近くまで飛び回っていた。もちろん途中で降りて給油したんだろうけど、午後いっぱい数時間もブォォン、ブォォンとやられると、年に一度のお祭りだからと思っていても、やっぱりちょっとは迷惑!という気分にもなるな。ま、撃ち落すわけにも行かないから、カレシはヘッドフォンをかけてがっちりと自衛、ワタシはがむしゃらにガンガンとキーを叩いて仕事に神経を集中。おかげでけっこう進んだような。でも、後どれくらいあるやら。行けども、行けどもという感じで、期限に間に合うのかなあ。はあ・・・。

カレシは、ゆうべは寝返りを打ったはずみに2度くらい痛みで目が覚めたそうだけど、回復ぶりは超が付きそうなくらいに順調で、処方された痛み止めは完全に不要。縫合した糸は溶けて吸収されるタイプだそうだけど、出血もほとんどないらしい。年の割に治りが早そうなのは健康だという証拠だよね。1週間ほどは重いものを持ち上げたり、激しい運動をしてはいけないと言いつかって来たもので、「どのくらい重いのが重過ぎだと思う?」とか、「これはちょっと重そうだからやめとこう」なんてど~しょ~もない冗談をかましてくる。ま、内心ちょっぴり心配していた「赤ちゃん返り現象」も起きなくて、不安症のカレシには手術までかなりのストレスだったろうに今回はしっかり大人の対応をしてくれたカレシに感謝、謝謝、多謝。おかげでワタシの仕事も難なく遅れを取り戻せて、この分ならきついけどまず大丈夫そうだな、月曜の納期。来週末は休みになるといいなあ、うん・・・。