いわゆるマナーは誰のためにあるもの?
7月16日。月曜日。起床は午前11時半。今日の予報は24度くらいと、また暑くなるらしいので、ミニのタンクドレスに逆戻り。午前中に配達された飲料水に直射日光が当たると良くないので、2人がかりで19リットル入りの重いボトル3本を家の中に運び込んだら、それだけで汗が出た。カレシは菜園に移植したトマトや目が出たばかりの豆類が目に見えて伸びるので、「農作業」が楽しいらしい。唐草模様のバンダナを頭に巻いて、いそいそと外へ出て行く。今日は野放図に育った青じそを山ほど収穫して来て、お得意のペストソースを作ってくれた。
ワタシはと言えば、今日こそは洗濯。ランドリーシュートがやたらと溢れているなと思ったら、底の方に2組のシーツ類。そうか、そうか、デイヴィッドとジュディが泊まった時に使ったシーツ類の他に、日本から帰って来てすぐに肌に涼しい夏のものに取り替えたので、冬用のフランネルのシーツ類もあるんだった。カレシの家着のスラックスもずいぶんあるなあ。庭仕事のときに泥のついた手をごしごしとやるから、どれも同じところが汚れている。真夏の吹雪なんて風情も何もないので、こっちはポケット全部に手を入れてティッシュが入っていないことを確認。カレシに何度もチェックしてよと言うけど、たいていすぐに忘れてしまう。時には使用済みのティッシュだって出て来る。これが不潔恐怖症を患っているらしい今どきの日本のお嬢ちゃんたちだったら「きゃぁ、汚い!不潔!ヤダ!気持悪っ!」となるんだろうと思うけど、こっちは40年近くも「奥サン」をやってるもんね。自分のダンナが鼻をかんだティッシュを気持悪いと思うなら、赤ん坊が汚したオムツ、どうすんの?
いつも感じるんだけど、日本人の(特に中年以下の女性の)潔癖症はちょっと変わっているところがある。強迫神経症としての不潔恐怖症はそれによって自分自身がまともな生活を営めなくなってしまうものだと思うけど、小町横町に出没するのは、自分の「潔癖」基準を満たさない他人を排除するか、(マナー違反だとか何とか脅して)変えることで自分のまともな生活の営みを担保しようとするタイプが多い。どこかでマナーを「人を不快にさせないこと、そのための気遣い」と定義していたけど、その通りだと思う。問題は「不快」を感じるのは他人であって、その感性を制御できるのはその持ち主だけなので、ある事象を不快と感じる人には誰がどんな気遣いをしても不快だということだろうな。
そこである程度の許容水準のようなものが一般に受け入れられれば、それがマナーとか常識とか言われるものになるんだと思うけど、小町横町型潔癖症の人たちはマナーとは他人が「自分を不快にさせないように気遣いすること」だと解釈しているらしいから、「一般に認められる常識」というものが通用しない。しかもその「不快感」というのが、自分の生理的な拒絶反応に基づいていることが多いようで、自分が「不快に感じるから」、「気になって困るから」、「嫌いだから」、「吐き気を催すから」、他人は原因となる行為を止めるか、行動全般を改めるべき(つまり、他人が変わるべき)であって、それがマナーということになるらしい。何となく「ボクに大嫌いなほうれん草を食べさせるママは非常識」という感じだけど、エスカレートすると「ボクを不快にさせるママは悪い人だから罰にイジワルをしてやる」となりかねないな。
他人と目が合うことを極端に嫌う人もかなりいるようだし、他人の存在を「生理的に」嫌悪しているんじゃないかと思わせるところもある。(本当にそうだとちょっと怖いけど・・・。)4年前、東京で電車に乗っていたときに、ワタシの向かいに座っていた女性とたまたま目が合ったのでにこっとしたら、ものすごい形相で睨まれたことがあった。目を合わせないのが(日本の)マナーだと知らなかったから、いつもの習慣でついにっこりしちゃっただけなんだけど、相手にとっては重大なマナー違反だったんだろうな。(反省・・・してないけど。)みんな電車の中でうつむいて携帯の画面に目を釘付けにしているのは何とも異様な光景に見えるけど、他人と目が合わないようにするための知恵なのかもしれないな。
どうしてそういう心理状態になるのか。まあ、空気を読めとか、人の迷惑になるなとか、自分自身で考えるチャンスも与えられずに、ただやいのやいのと言われていたら、ある意味で萎縮してしまうのも無理はないと思うけど、なかなか興味深い研究テーマになりそうで、社会情勢や文化環境、人間関係などを含めて、多角的に広く観察したらもっと見えてくるものがあるような気もする。
さて、大洗濯も何とか終わったし(仕事するのを忘れてしまったけど)、今夜のランチは「リングィーニと青じそペストソース」と行こう。
旧友の訃報を聞く年になった
7月17日。火曜日。起床は正午過ぎ。起きる前からすでに暑くて、ベッドルームの室温は27度。11時前にタイマーをセットしておいたクーラーがオンになるまで、何度も目が覚めた。カレシも派手に寝返りを打ちまくっていたから暑かったんだろうな。今どき上にかけているのは綿のパーケールのシーツ1枚と同じく綿のベッドカバーのような薄いブランケットだけなんだけど。ワタシって、昔からこんなに暑がりだったかなあ。
朝食のときに、郵便受けを覗きに行ったカレシが日本の切手が何枚も貼られた分厚い封筒を持って来た。差出人は釧路のJ子で、旅行のときの写真が数枚と、なぜか2通の手紙。1通はJ子の字で、挨拶抜きで小学校の同級生H君の訃報。奇しくもワタシたちが釧路でクラス会をしていた同じ日の同じ夕方、H君は住んでいた札幌で久しぶりに会うことになった同級生のN君、T君とお酒を飲んでいるときに倒れ、そのまま搬送先の病院で帰らぬ人になった。心筋梗塞だったとか。スポーツが得意で、頼りになる優しいお兄ちゃん肌の子だった。もう1通の手紙はJ子が出したお悔やみの手紙に対するH君の奥さんの返信で、「最愛の夫、最高の友を失った絶望感はどうしようもない」と。いつも「いい人生だった」と言っていたそうで、H君は小学校時代のあのH君のまんま大人になったんだろうなあ。
享年64歳。あまりにも早すぎると思いながら、ふと、ついこの間までは「訃報」と言えば誰かの親が亡くなったという話ばかりだったのが、いつの間にか同年代の訃報を聞く年令になっている自分に気がついた。実際のところ、病気で他界した同級生もいるし、未亡人になった同級生もいるけど、子供時代を共有した仲間がこの世からいなくなるということは想像したことさえないように思う。H君が亡くなった頃、ワタシたちは子供時代をなつかしく振り返っていた。H君の名前も出てきた。まだテレビ放送が普及していなかった頃の子供の日常の思い出をひとしきり語り合って、ワタシたちの子供時代は「幸せだったよなあ」とみんなで頷きあっていた。いじめっ子もいたし、けんかもよくしたけど、とにかくよく一緒に遊んだもの。あの子供が子供でいられた幸せな時期があったからこそ、みんな人生のいろんな試練を乗り越えて来られたんだろうと思う。
それから四半世紀、半世紀が経って再会したワタシたちは、「また会おうね」、「また来るよ」と言って別れたんだけど、ほんとにその「また」の時が来るんだろうかと思って、ちょっとしゅんとした気持になった。送られて来た写真の1枚には中学1年の同級生で大の仲良しだったK子とワタシが写っている。大人びてきれいな子だった。きれいなのは今も変わらない。でも、そのK子には筆舌に尽くしがたい苦労の人生があった。入ったばかりの高校を退学して結婚し、20歳で娘を産むまでは順調に見えたのが、教師だった元夫の暴力が始まり、やっとのことで娘を連れて離婚。中卒という壁に阻まれながらもがむしゃらに働き、ある小さな会社で社長に働きぶりを見込まれて専務になり、社長の後を継いで恩のある会社を切り盛りして来た。今、アルツハイマーがそのK子から記憶を奪いつつある。J子は「ずっとがんばって来て、がんばりすぎて、頭がもうがんばれなくなってしまったんだろうね」と言う。人生はどうしてこう不公平なのか。
今、自身もひとり親になった娘と住んでいるK子を、クラス会に来ていたG君が「社長に良くしてもらったから」とK子の手足となって会社を支え、J子は「記憶があるうちにたくさん楽しい思いをさせてあげたい」といろいろと企画しては何とか認知症の進行を遅らせようとしている。ワタシたちが訪ねて行った夜、首を長くして待っていたというK子は「よく来たねえ、ほんとによく来たねえ」と何度も何度も言った。そばで「今日はすごく調子がいいのよ」と言うJ子。だけど、つるんで遊んだ子供時代も、ワタシのことも、J子のことも、いつかはK子の記憶から消えて行くのだと思うと、「また会おうね」という別れの言葉がすごく虚しくて、悲しかった。
これから先、ひとり、またひとりと、旧友の訃報が届くようになるんだろうな。でも、人は誰にでもそれぞれの人生があって、誰にでもその人生の終わりがある。その終わりがいつ来るかは、神のみぞ知る。「いい人生だった」と言いながら早すぎる終わりを迎えたH君。終わり来るときには辛酸をなめた記憶がなくなっているであろうK子。後に残される人と訃報を受け取る人には辛いことだけど、どちらも幸せな終わりと言えるんじゃないかと思う。カレシとワタシと、どっちが先に命を終えるのかは誰にも見通すこともできないけど、ワタシたちには「いい人生」の記憶を積み上げる時間がまだあると思いたい。終わり良ければすべて良し。ワタシも「いい人生だった」と言って終止符を打ちたいな。
スモールトークは一期一会の会話
7月19日。木曜日。起床は正午前。ヘンな夢を見ていたのに、目が覚めたとたんにみんなあっさりと忘却の彼方。何かおもしろい夢だったような記憶がおぼろげに残っているけど、どんな話だったんだろう。今日もまだ少し暑そうだけど、天気はどうやら下り坂らしい。また涼しくなってしまうのかな。
きのうはほんっとに久しぶりに一心不乱?にまじめに仕事をした。少なくとも「かな~り」まじめに働いた。ちょっと難しい仕事が入ってきたなあと思っていたら、案の定2度あることは3度あるで、バタバタと仕事が3つだんご状態になってしまった。まあ、そうなると完全に「平常通り」に復帰した気分になって、こっちの医療関係の難しい方はちょっと横に置いといて、そっちの要領のわかっている企業の社内文書の方を先に片付けて納品してしまって・・・と算段して、ヨ~イ、ドン。だけど、3週間の休みを堪能した6月に続いて、今月もたっぷりと2週間、仕事をせずにだらだらと遊び呆けていたもので、いざ「営業再開」となったら、エンジンのかかりは悪いし、ギアのすべりも悪いし、ガソリンもタンクにどれくらい入っているのやら。まあ、自業自得なのはわかってるんだけど、わかっちゃいるけど・・・。
区切りのついたところで、小町横町を散策していたら、20年もアメリカに住んで、現地企業で仕事をしているのに、英語での無駄話が苦手だという人がいた。いわゆる「スモールトーク」という、辞書では「世間話」とか「雑談」と定義されている、社交的な他愛のない軽い会話のこと。それを英語でやるのが苦手なのは、英語の語彙が少ない(言葉を知っていても使いこなせていない)のか、想定外の話に機敏に反応できない(情報の処理スピードが日本語よりも遅い)からなのか、決まりきった相づちしか打てない(臨機応変に対応できない)からなのか。さあ、どうも、どれもあまり当っていないような気がする。むしろ、見ず知らずの他人とのスモールトークは意味のないおしゃべりで、友だちでもない他人とおもしろくもない会話をするのは自分の時間の無駄だと考えているからではないかと思うんだけど。
ボランティア英語先生のカレシにその話をしたら、アジア人は概してスモールトークは苦手だという人が多くて、特に日本人は知らない人や自分より地位が下の人からスモールトークを振られることを不愉快に感じることが多いらしいという観察だった。英語教室の生徒には、スモールトークは「自然な」日常英語会話の重要な要素だと教えるけど、どうもコンセプトを把握するのが難しいらしいそうな。おそらく、言葉よりも文化的背景と、個人の性格的な要因が大きく影響しているのではないかというのがカレシの見解。なるほど。こっちに来た日本人がスーパーなどのレジ係が気軽に話しかけてくるのがムカつくと掲示板に書き込んでいるのを見たことがある。接客態度がなっていないということだけど、この場合は、レジ係ごときが上下関係を無視して(神様である)客に向かって「むだ口」を叩くとはけしからんということか。たしかに、東京では、レジに並んでから店を出るまで無言の客が多いという印象だったな。
つまり、スモールトークを嫌うのは文化的な要因によると言えそうだけど、北海道のような地方ではかなり雰囲気が違っていたように思う。あんがい、大都市文化と地方文化の違い、あるいは人間関係の見方の違いなのかもしれない。いうなれば、スモールトークは「一期一会のコミュニケーション」みたいなものだと思うんだけど、誰もが忙しい大都会では「無駄な」コミュニケーションということになるのかもしれない。「話しかけないで!」というオーラを振りまいている人もかなりいたから、無駄話以下のものなのかもしれない。用もないのに見ず知らずの他人に話しかけないのが正しいマナーだと教えられているなら、スモールトークが苦手というのもわからないでもないな。まあ、スモールトークが苦手と言う「シャイな」人はどこにでもけっこういるから、その人の性格的なものと言うこともできるけど。
少なくとも現地企業で普通に働ける水準の英語を話すなら、想定外の話に日本語ほど機敏に対応できないということはないんじゃないかと思う。だいぶ以前、gooの友だちとの会話のトピックで嫌なことのランキングで、「自分が知らないこと」や「自分が興味を持っていないこと」などが上位に挙がっていたけど、そういう人たちは概して自分のことで手一杯で、相手の話を聞いていないことが多い。日本人に限らず、世界のどこにもありふれているタイプ(カレシにもそういうところがある)なんだけど、外国にいる人はそういうコミュニケーションの問題を「言葉の壁」のせいにできるから、便利と言えば便利。でも、無駄話の苦手を克服する上では足かせになっているかもしれないな。
スモールトークというのは、まさに即興のコミュニケーション。即興芝居なんか、いうなればスモールトークをスポーツ化したようなもので、いくらしゃべるのが得意であっても、組んだ相手の言動に注意を払っていないと、ブロッキングで進行を妨げるから、反則負けになる。まあ、即興芝居をやらなくたって、スモールトークは別に怖いものではないんだけど。要は日頃からアンテナを広げておいて、自分に興味があるなしに関係なく、キーワードだけでもいいから一種のデータベースを構築しておけば、相手の話に手持ちのデータをつなぐことができて、いつでも、どこでも、誰とでも、楽勝なんだけどな。というのは簡単だけど、そもそも興味がないことに関わりたくないとか、人と交わるのが煩わしいとか、他人の存在そのものが疎ましいと感じる人には、単にめんどうくさいことでしかないかもしれないな。それでも、何語でも無駄話は苦手なんて言っていないで、自分から誰かに話を振ってみたらいいのに。一期一会の会話からすてきな友情が始まるかもしれないよ。
隠蔽とは知らぬ存ぜぬと嘘をつくこと
7月21日。土曜日。起床は午後1時。きのうは1日中ねじり鉢巻で仕事をして、午前5時に完了、納品。空がすっかり白んで、ちょっと耳を澄ますと、どこかで早起きの鳥がチイチイと鳴いているのが聞こえた。夏時間の今は日の出が午前5時半頃だから、お日様が昇って来るのと同時に眠りについたというところ。きのうは夜来の雨の後で涼しかったけど、今日はそれほど暑くないような。
何だか近頃は胸が痛くなるようなニュースが多い。そのせいか、カレシはあまりテレビのニュースをつけたがらない。BBCは見ているけど、ローカル局のニュースの時間になっても天気予報チャンネルを見ていたりする。どうも、痛ましい事故や事件があったときに、カメラの前で泣き悲しむ人を見ると居たたまれなくなるらしくて、そんなときはチャンネルを変えてしまうことが多い。たぶん泣いている人を見るのが苦痛なんだろうと思うけど、共感力がないんじゃなくて、逆にありすぎてすぐに溢れてしまうのかもしれない。何なのかわからないけど幼い時の記憶や感覚に心理的につながっていて、一種のアレルギーのようになっているのかもしれないな。コロラド州での乱射事件の犠牲者の中に、ごく最近トロントのショッピングセンターで起きた銃撃事件で難を逃れた若い女性がいた。新進のスポーツキャスターだったそうで、次の瞬間に何が起きるかわからないから、その時その時を大切に生きることを学んだと言っていたとか。
大津のいじめ自殺の隠蔽は、加害者だけじゃなく、彼らの親も教師たちも教育委員会も警察も、まったく酌量の余地はないと思う。人の命も人権も人格も何もあったもんじゃない。何か都合の悪いことがあれば真っ先に世間の目から「隠さなければ」と思いつくのが日本の大人社会なんだろう。「臭いものに蓋」というけど、人の目に付かないように床下やじゅうたんの下に掃き込まれたり、納戸の奥にしまい込まれるのはいつも「臭いもの」。価値判断が「人にどう思われるか」を基準としているからだろうけど、「隠さなければ」とパニックになるほど怖い基準なのかな。困った、どうしようと、パニックで頭の中がまっ白になって、浅知恵でちゃちな隠蔽工作をするから、結局は綻びができて、そこから腐敗の進んだ「臭いもの」がとんでもない悪臭を振りまくようになる。そうなってからかく恥はとてつもない恥辱だと思うけどなあ。
都合の悪いことを隠すということは嘘をつくこととあまり変わらないと思う。ある情報や事実を故意に隠されることによって、判断を誤ってしまう人が出て来る。それがその人の一生を左右するような重要な判断であったりもする。知っていれば自分に都合の悪い判断をするだろうと予測できるから、隠すことによって人の「判断」を自分に好都合な方へ誘導しようとするんだと思う。隠蔽の事実が明るみに出ると、「言わなかっただけで、嘘はついていない」と釈明する人が多いけど、要するに不都合な真実を「知らない」という嘘で隠蔽したってことじゃないのかな。経済界、政界、官界の隠蔽癖は一種の文化そのものになっていそうだけど、教育界までがそうだということになったら、もうこれは国家存亡の危機につながる大問題だと言えるかもしれない。どうしてそういうことになるんだろう。「建前」と「本音」の二本立て(二枚舌?)文化と関係がありそうかな。
東京電力の下請け会社が福島原発での作業する従業員の線量計に鉛のカバーをつけさせたというのは、唖然とするしかない。親が親なら、子も子を地で行くような話。なんでも去年の12月のことだそうで、どうして今まで表に出なかったんだろうな。何でも、役員が下見したときに線量計の警報が鳴ったので、線量が高いと考えて、線量計にカバーをつけることを思いついたんだそうな。つまり、被曝量の基準値を超えてしまっては商売上がったりだから、線量計に記録されないようにしたということか。超えたことが記録されないようにすれば基準以下で収まるからいいじゃないかと考えたんだろうけど、この人たち、「基準値」が何のためにあるのかもわかっていないらしいな。この話を聞いたカレシ曰く、「表向きを規定通りに見せかければ安全なんかどうてもいいってことだろう?それ、中国あたりでやってることとまったく同じことじゃないか」と。ふ~ん、そう言われれば、あの国も負けず劣らずの隠蔽大国だよなあ・・・。
そう不思議でもないことと不思議なこと
7月22日。日曜日。正午過ぎに目を覚まして、2人してしばらくうつら、うつら。そういえば今日の夜8時(日本時間で「明日」の正午)が期限の仕事があったんだ~と思い出して、せっかく心地が良かったんだけど、起きた。ベッドルームの室温は25度。外は曇りがち。今日はあまり暑くならないな。
朝食中にカレシが「モールまで歩いて行く時間があるか」と言う。あると言えばあるけど(ないと言えばない)、ちょっと微妙なところ。夕食にサラダの本にあるレシピでサラダを作るので、りんごとレーズンが必要なんだそうな。だったら、ワタシはやっと地物が出回っているはずのブルーベリーが欲しい。首を長くして待っていたんだから、どっさりと欲しい。ということで、運動がてら野菜を買いに出かけることにした。ほぼ袖なしのTシャツを着て、靴を履く前にポーチの温度計を見たら、なんと14度。あわててベッドルームに駆け上がって、ちょっと長めの半袖のシャツに着替えて、出発。何となく雨が降って来そうな予感・・・。
ぼちぼちおしゃべりをしながら、手をつないでテクテクと歩くこと30分。モールに進出して来たワタシたちお気に入りのアメリカのキッチン用品店Crate & Barrelは「今冬オープン」と書いてあった。クリスマス商戦に合わせてのオープンだな。モールの中に入ったら、似たような名前のキッチン用品店で「75%オフの在庫一掃セール」をやっていた。Crate & Barrelとは競争でき(そうに)なくて閉店することにしたのか、あるいは名前が似すぎていてCrate & Barrel側から追い出しを食ったのか。そこのところはわからないけど、このモール、ティファニーの店ができたりして、最近はしきりにテナントの高級化を図っている。売れ残りの投げ売りの店みたいだったZellersはアメリカのTargetに買収されたけど、モールのオーナーは高級デパートを入れたがっているという噂もあって、このモールのZellersがTargetとして残るかどうかは微妙らしい。もともと大改修した際にモールの東側一帯の低所得層を呼び込むためにZellersを入れたんだけど、繁盛しているように見えたことがないから不思議(でもないか)。このモールは高級ブランド品の店や宝飾店ばかりで、スーパーも安くないから、たったひとつの、それも売れ残りのガラクタばかりのような店にわざわざ来ないと思うけどね。
まずは郵便局の私書箱をチェックして(クレジットカードの請求書とカタログの山)、野菜を買いに。カレシはレーズンと青りんごときゅうり。ワタシはアスパラガスとインゲンと、そしてブルーベリー!「甘いよ~」と顔なじみになったアンジェリーナ。大きな紙の容器にびっしり入っているのを(頼めば小分けしてくれるけど)どさっと袋に空けてもらって、そばの秤に載せたら、おお1.5キロ。うん、青くなるまで食べて、食べまくろうね。帰り道、重くなったトートバッグを持つのはカレシの番。電線の下にあるために頭をちょん切られた街路樹がずっと下の方へ繁って来て、カレシは頭を引っ込めないと葉っぱの中に顔を突っ込んでしまうので、木があるたびにぶつぶつ。本来はすっくと伸びる高木なのに、上へ伸びられないから、横と下へ伸びて、まるでメタボツリーでかわいそうだけど、歩道側だけを刈ってしまうとヘンな形になってしまうし、バランスが崩れて倒れるかもしれないな。どうして上に電線があることを考えて樹種を選ばなかったんだろうな。お役所のすることはいつも不思議(でもないか)。このままだとワタシの頭もつっかえそうで、そのうち立体交差道路で見るような「身長最大150センチ」なんていう標識が必要になるかも。
帰って来て、さっそくブルーベリーを洗って味見。うん、甘い!だけど、やらなければならない仕事があるから、味見だけでお預け。幸いにも同じようなことの繰り返しなので、超特急でやっつけて、まずは夕食。見直しをして、フォーマットを整えて、午後7時半納品。やれやれ間に合った・・・。
ところで、世の中にはときどきほんとに不思議なことが起きることがある。たとえば、東京のかっぱ橋のある店で見つけた「死なない金魚」。[写真]
(プラスチック製だから)死なないというところが気に入って、大きいのを1匹、小さいのを2匹買って来た。たまたまシーラが花瓶の代わりに花束を活けて置いて行った金魚鉢があったので、ビー玉やおはじきと一緒に重りの長さを調節した金魚を入れて窓際に置いてみたら、死なないどころか、どうやら生きているらしい。(最初に「生きている!」と言ったのはカレシだった。)食事のときなど、テーブルから見ていると、小さいおちょぼ口がパクパクと動いているように見えるし、さらによ~く見ていると、わずかだけど尾ひれや胸びれがひらひらと動いているように見える。目の錯覚にはまちがいないだろうけど、この生きている「死なない金魚」、ほんとに不思議・・・。
おんぶおばけが黄金に変わるとき
7月24日。火曜日。せっかくよく眠っていたのに、午前8時過ぎに「寒い。毛布はないか」と言うカレシに目を覚まされた。ワタシには「寒い」という感じじゃないけどなあ。たしかにちょっと涼しいかな。ん~、毛布はあっち・・・むにゃむにゃ。でもねえ、睡眠時間の半分くらいのところで「毛布がないか」とワタシを起こしたのは前にもあったよね。毛布はあのときと同じところに置いてあるんだけど。何年もそこにあるんだけど。もう20年以上もこの家に住んでいるのに、未だに何がどこにあるか知らないというのは、ちょっとまずいんじゃない?といっても、毎日やれ眼鏡がない、やれ何がない、どこにおいたかわからないとひと騒ぎもふた騒ぎもした挙げ句に「5つのときからこうだ」とのたまわっちゃう人だから、単に忘れっぽいか、absent-minded(上の空)で生きているかのどっちかなんだろうけど・・・。
今日は何とか20度まで行ったけど、平年並みが22度か23度なのに、きのうは午後3時を過ぎてもポーチの温度は13度だった。7月もあと1週間で終わるというのに、どうなってるんだろうな。もっとも、きのうのワタシは1日中ねじり鉢巻の仕事三昧だったから、外の暑さ寒さは関係ないし、カレシは涼しくていいと、張り切って庭仕事。豆が蔓を伸ばし始めた、トマトの花が咲いた、ねぎが伸び過ぎた、青じそがまた繁ってきたと、逐一報告。あのぉ、お仕事中なんですけど、ワタシ・・・。まあ、仕事の方は予定からあまり遅れずに進んで、今日午後の期限にわりと余裕を持って納品。ということで今日は一応オフだけど、今度は、これは新しいのがいる(買って~)、あれが必要(買って~)とうるさいことはなはだしい。
自分が使うものなんだし、どこで売っているかわかっているんだし、クレジットカードも車も持っているんだから、さっさと自分で買ってくればいいのに、と思いながら聞いていると、カレシが「おんぶおばけ」みたいに見えて来て、笑い出したくなる。何しろ80キロ近くあるから重い。カレシの精神的なお荷物も一緒だったときはもっと、もっと重かったな。ワタシの背には背負いきれなかったのに、なんで重いんだろうと考えもせずにひたすらとぼとぼ歩いていたら、重くなるばかりのお荷物にとうとう潰れてしまったな。人間の心にも積載量に限度ってものがあるんだと思った。まあ、今のカレシ80キロはお荷物抜きの正味重量だから、「おんぶおばけだ~」と笑っていられるんだろうな。いや、「だっこおばけ」かもしれないな。それとも、「おんぶにだっこおばけ」かなあ。まあ、男ってどうしてもそういうところがあるのかもしれない。だけど、そうやっていつまでもおんぶにだっこでいて、いいのかな。
昔話の「おんぶおばけ」はどんどん重くなっておぶってくれた人を試す困ったチャンだけど、重いからと捨てずに、がんばって背負い続けた人には黄金になって報いてくれたそうな。う~ん、カレシがいつか80キロの金塊に化ける・・・な~んてことは、はて、あり得るんだろうか。もしもそうなったら、純度はどのくらいなのかな。あらま、想像がとんでもなくヘンな方に発展して行きそうけど、いやいや、今のアナタはすでに純度100%で、まさに値千金だと思うよ。
食文化と味覚のすれ違い
7月25日。水曜日。ごみ収集トラックの轟音で目が覚めた。顔に汗をかいていて、じわっと暑い。気温が落ち着かないのでクーラーのタイマーはセットしていなかったけど、うん、今日はわりと暑くなりそうな予感。しばらくだらだらした後で、起きて、クーラーをオンにして、朝食。
ドライシリアルを切らしてしまったので、久しぶりにポリッジ(洋風の朝粥みたいなもの)。カレシが子供の頃から好きなRed River Cerealという、砕いた小麦とライ麦に亜麻の種を加えたホットシリアル。鍋にお湯を沸かして、ひとつまみの塩とシリアルを入れて、好みのとろみが出るまで混ぜていればいいから、いたって簡単。亜麻の種の色なのか、やや赤茶っぽい色になる。熱々のところに温めていないミルクとブラウンシュガーをかけるけど、(ワタシたちには甘すぎる)メープルシロップを使う家庭も多い。今日はその砂糖をさらに控えて、ブルーベリーをごろごろと入れたら、うん、おいしさが50%増!
Red River Cerealは、ちょっと見たところまるで小鳥の餌みたいだし、調理すると何となく種っぽい味がするから、カナダでのホームステイなどで初めて朝食に出された日本人の中には「とても食べられたもんじゃない」とか、「こんなまずいものを食べさせるとはひどい」と憤慨する向きもあるらしい。もっとも、オートミールも日本人には「まずい」と評判が悪いらしいし、生まれたときから食べて来た人たちの舌にはまずくも何ともないわけだし、日本人の味覚に記憶がない「未知のもの」をおっかなびっくり食べるからそう感じるのかもしれない。まあ、日本で白米のお粥を食べて、「glue (糊)を食べているようだった」と酷評していた人もいたから、このあたりは双方痛み分け。どっちも「porridge(かゆ」であることは間違いないんだし。日本食に必ず出る白米のご飯は敬遠しがちなカレシだけど、お粥は大好き。ふむ、今度、お粥と塩鮭と味噌汁の日本風の朝ご飯を作ってみようかな。
昔、日本在住の外国人の内輪のメーリングリストに加わっていたことがあって、あるとき若いアメリカ人が「うちのカミさん(日本人)がさ、オートミールに醤油と卵を混ぜて食べるんだ。刻みねぎまで入れちゃってさ」と言うと、別のアメリカ人が「香港では魚を入れたのがあって、けっこううまかったよ」と言い、あれこれオートミールの食べ方の話になった。そのときに、年配のイギリス人が「ケンブリッジ大学の寮でいつも隣に座っていたアフリカ人留学生がね、オートミールにケチャップを混ぜて食べていたんだよ。それも真っ赤になるくらい入れて。あれには閉口したなあ」と言ってもので、ワタシがフレンチトーストにケチャップをかけて食べる人(カレシのこと)がいると言ったら、一斉に「おえ~」。カレシに、ほら、フレンチトーストにケチャップは邪道なのよと言ったら、「パンを卵に浸して焼いただけで、オムレツにケチャップをかけるのと同じだよ」と澄ました顔。まあ、そう言われれば、たしかにそうなんだけど、でもねえ・・・。
まあ、人間には未知のものを「試してみる」勇気があるし、人によってその程度に差はあるとしても、異なるものに「慣れられる」能力も持っているはずだけど、初めから食わず嫌いの人もいれば、ひと口食べて生理的にダメとそっぽを向く人もいれば、すっかり病みつきになってしまう人もいて、特に食文化の違いによる味覚のすれ違いから起きる悲喜こもごも?はなかなかおもしろい。人間というは、スポーツとか恋愛とかセックスとか、若い頃にはあたりまえに楽しくできたことが、年を重ねるにつれてひとつ、またひとつとできなくなって止めるようになるんだけど、最後まで止めるわけには行かないのが食べること。食べるのを止めたら死んでしまうから、とにかく食べなければならない。そんなときに、あれは口に合わない、これは嫌い、あれはまずいと言っていたら、せっかくの残りの人生がつまらなくなってしまいそうだな。
まあ、その人の味覚というのはたぶんに離乳食で覚えた味が原点になって、成長過程で好みと言うものが発達して来たんだろうと思う。ずっと昔、日本のある雑誌に小児科医が「市販の離乳食だけで育った子供には食に対する関心の薄い子が多い」と書いていたのを覚えているけど、あの小ビンに入れて売っているベビーフードほどまずいもの、まずいのでなければ「つまらない」ものはないと思う。この秋にママになる姪のスーザンが食べ(させられ)ていたのをちょっと味見させてもらったことがあったけど、ひと言でいうと「味がない」。赤ちゃんだって味の微妙な違いはわかるはずだと思うんだけど、舌がいろいろな味を記憶しなければその違いを意識することはできないと思うし、それでは「味覚」は発達しないんじゃないかな。
それにしても、好き嫌いが多すぎて、命をつなぐ「食」を楽しめないというのは、食い意地が張ったワタシから見たら、人生最大の悲劇だなあ・・・。
ネットに接続できない、メールもチェックできない!
7月26日。木曜日。今日も暑い。と言っても、平年並みの23度くらいで、まあ「夏らしい」陽気というべきかな。午前11時半起床。シリアルを切らしたままなので、今日はベーコンポテトと卵焼き。後はそのままキッチンテーブルでコーヒーを飲みながら読書。今読んでいるのは、アイルランドの女流作家のモリー・キーンの『Good Behavior』(たぶん日本語訳はない)。アイルランドでは何世紀もの間イギリス系の貴族や大地主によって土地を領有されていて、物語の主人公はそういう地主の娘。子供時代の話から始まって、第一世界大戦を経て、一家が没落して行く様子が語られる。一人称の語り口が淡々としていて、逆に時代の変化に疎くて退廃的な田舎の地主階級のイメージが際立って来る。
区切りのいいところで本を閉じて、さて、今日の活動。仕事がないからのんびり。乱雑に積んであったTシャツを、秋まで不要の七分袖はしまい、袖の長さによって仕分けした山を棚に並べて整理整頓。針と糸を持ち出して来て、取れたボタンをつけたり、切れたボタンのループを修理。今でこそ針仕事はごく稀にしかやらないけど、まだやればできる。これでも昔はカレシのソックスの穴を夜なべでかがってあげたんだから。(勤めも主婦業もフルタイムで100%だったなあ。若かったからできたんだろうけど・・・。)
今日の家事(といえるのかどうか)が終わったところで、PCを立ち上げて、まずメールをチェック。ところが、接続されていないとメッセージ。インターネットを試してみたら、こっちも「接続」なし。よくみたらモデムにも接続を示すライトが点いていない。おいおい、困るよ。メールをチェックできないよ。お客さんと音信普通になっちゃうよ。まずはISPに電話。テクニシャンの指示に従っていろいろとやったけど、「ノーコネクション」。電話のコードを取り替えてみたけど、やっぱり「ノーコネクション」。こうなると何だか手足をもがれたような気分になって来る。まいったなあ・・・。
庭仕事から入ってきたカレシに、ネットに接続できなくてメールをチェックできないので別のISPに持っているダイアルアップ(古い!)の電話番号を探してもらおうとしたら、あら、カレシも「ノーコネクション」。じゃあ、問題はワタシのISPじゃなくて、カレシのISPでもある電話会社の方かも。今度はカレシが電話会社に電話して「ネットに接続できない」。テクニシャンの指示に従っていろいろとやっているけど、どうしても「ノーコネクション」。30分以上やりとりしていて、持ち札がなくなったらしいテクニシャンが電話ジャックの位置は、コードの長さはとヘンなことを聞きだして、カレシはだんだんイライラ。(20年も同じ状態できのうまでちゃんと機能していたんだから関係なさそうだけど。)しまいに、「道具もないし、知識もないことをやれといっても、できるわけがない!出張料を払うから誰かよこせ!」
まあ、カレシの方は電話会社の方で何か細工したのか知らないけど、まるで嘘のように復旧。今度はワタシの番だけど、カレシがうろ覚えのことを言いまくったもので、話がややしこしくなっている。我が家には電話回線が2本あって、メインのにはカレシのルータと電話をつなぎ、もう1本にはワタシのモデルをつないである。おまけにカレシとワタシではISPが違う会社で、さらにカレシはルータ、ワタシはモデムを使っている。ワタシの回線にはスプリッターもフィルターも装着していなくて、完全にモデム(インターネット接続)専用になっている・・・とくどいほど説明。とりあえずと、言われる通りに同じことをやってみたけど、やっぱり「ノーコネクション」。さじを投げたテクニシャンがISP側の問題に違いないと言うので、ISPに再度電話する前に、別々の電話回線につないである2台のコンピュータのネット接続が同時にダウンしたという事実を踏まえて、電話回線の問題ではないことを確かめたいと食い下がったら、「使っていない電話機をつないでみて」。
たまたま長年キッチンで使っていた(コードレスでない)電話機を春にお払い箱にしたばかりだったので、階段を駆け上がってリビングの隅っこに放置してあったのを掴んで、階段を駆け下り、引き出しの隅からスプリッターとフィルターを探し出して、デスクの下にもぐって装着してから、電話機をつないでみた。(それまでじっと待っているヘルプデスクのテクニシャンて、忍耐のいる仕事だなあ。あんがいマンガを読んでいたりして・・・。)「電話機は機能しているか?」う~ん、してな~い。ダイアルトーンがない。スプリッターを外して直接ジャックに差し込んでみたけど、やっぱりうんともすんとも言ってくれない。どうやら電話回線の不良と判断したらしいテクニシャン氏、「では、この電話を修理部へ回します。Have a nice day♪♪」
こっちはビジネスのライフラインを遮断されてど~しよ~とうろたえているのに、「どうぞ良い日を」も何もないもんだと思うけど、修理部門につながって、若い女性の声で「修理部で~す」。また電話機をつないだり、外したりの「テスト」をやって、やっとのことで電話回線が不通だと理解してくれたらしい。「明日の午後2時から4時の間に修理テクニシャンが伺いま~す」。ああ、やれやれ。「念のため、電話機をつないだままにしておいて、ときどき試してみて、もしもつながっていたら電話で予約をキャンセルしてくださいね~」。はあ、夜中のうちに奇跡的に復旧するかもしれないってこと?もう2時間も、受話器が熱くなるまであれこれやってダメだったんだから、奇跡が起きるとは思えないけどなあ・・・。
やっと電話を切って、とりあえず電話機をカレシの回線につないでダイアルトーンが聞こえることを確認してから、また故障回線につないだら、もう夕食のしたくの時間。日本では金曜日の朝。やっぱり手足をもがれた気分できになるから、食後に当座の対策をカレシと頭を突き合わせてあれこれと考え、一番手軽そうな方法として、モデムにつながっているイーサネットのプラグを外し、カレシのルータからコードを引いてつないでみたら、あ~ら、ちゃんとつながったじゃないの。メールも下ろせたし、インターネットもルンルンでサーフィン。こんなんだったら、無言の電話回線なんか、なくたってちっとも困らない。でも、ビジネスのライフラインだから、カレシのルータがダウンしたときのためにもやっぱり別回線は維持しておく方が安全だと思うと言ったら、カレシ曰く、ルータに変えろよ。ボクの回線がダウンしたときにはキミのルータにつなげばいいから」。ふむ、相互にバックアップ、いいアイデアかも。
大汗をかいて1日がつぶれた午後11時現在、ワタシの専用回線は依然として、無言・・・。
インターネット接続が復旧したお祝いはとんかつ
7月27日。金曜日。きのうは何か気分的に疲れたけど、シャワー代わりに久しぶりに2人風呂に浸かって、背中をごしごしとこすり合ったら、けっこうよく眠れた。今日は暑くはならないらしく、正午の気温はポーチで15度。雨が降るかもというけど・・・。
午後2時前に「今から30分以内に行きます」と予告があって、2時過ぎに電話会社Telusの修理係が2人到着。まずは家の外にある電話の引き込みボックスを調べ、次に裏のレーンの電線にはしごをかけて(びっくり!)、我が家の方へ分岐しているジャンクションを調べ、最後に家の中の回線を調べ、ワタシのデスクの下にもぐって故障回線の差込口を調べて、「新しいボックスに取り替えるので、しばらく全回線が不通になります」。口の悪いカレシの曰く、「原因がはっきりしないときはとりあえず新しいのに取り替えるんだよ」。なるほど、原因を追究して結局ボックスを取替えなければ、ということになる可能性があるから、ここはよけいな時間と労力を使わずに、さっさと取り替えてしまえということか。
家の外側に前よりも一段と大きいボックスを取り付けたら故障回線につないであった電話が息を吹き返した。でも、解決!と思ったのも束の間で、モデムは頑として接続を拒否。「新しいモデムがあるので取ってきます」と外へ出て行ったテクニシャンが持って来たのはワイヤレス機能付きのルータ。おお、ルータをつけてもらえるんだ。「そのモデム、ちょっと古すぎますよ」。そうだろうなあ、10年以上だもの。あれをつなぎ、これをつなぎして、さっそく試してみたら、おお、ネットへの接続が復活。しかも、何だかすごく早くなったような。回線の修理が所要時間3時間超の工事になったけど、全面的に復旧して、しかもアップグレードで、言うことなし。何でも根本原因は道路向こうのジャンクションの不具合だったとか。それでワタシのとカレシのとが同時にダウンしたわけか。この一帯の電話回線網はちょっと脆弱と言うことは聞いていたけど・・・。
作業完了の報告があったのは午後5時過ぎ。おとといの夜に買い物に行ったときに豚のヒレ肉を買って来て、Whole Foodsにいい大根があったらとんかつを作ると約束したら、ゆうべ爪を立てたら皮が弾けそうなのがあったので、さっそく今夜のメニューは東京のとんかつ屋で味を覚えてきた「みぞれ」とんかつ。長いヒレの半分をさらに2枚にして、台湾キャベツを刻んで、大根を下ろして、ゆず醤油ソースを作って、黒ごまを炒って、カレシに(かっぱ橋で買って来た山椒の木のすりこぎで)炒ったごまをすらせて、ミニフライヤーでとんかつを揚げて・・・。2日がかりの騒動が終結したことでもあるし、ちょっぴりお祝い風にしてみようかと、思いつくままに作って、ご飯の代わりに添えたのが、これ↓[写真]
チーズのような硬い豆腐があったので、1丁の半分を玉ねぎと一緒にフードプロセッサにかけ、少々の醤油、少々のごま油、飲み残しのにごり酒少々で味付けして、コーンスターチ少々ととんかつ用の溶き卵の半分を混ぜ込んで、シリコンのマフィンカップにまず半分。小エビを入れて残り半分。これを20分ほど蒸してできあがり。コリアンダーの葉をちょっと置いて彩り。名づけて「エビ入り豆腐のプディング」。絹ごし豆腐だったら舌触りがもっと良かっただろうと思うけど、カレシがおいしいといってぺろりと食べてくれたので、合格。大根おろしで食べるヒレカツと共にあっさりと食べやすい味のディナーになった。(でも、次は麦ご飯だなあ、やっぱり・・・。)
それにしても、こういうドタバタはさすがに気分的に疲れるよねえ。やっぱり年なのかな。ワタシも何だかどろ~んとくたびれたという感じがする。ま、週末こそはの~んびりしようね。
ネットの情報は見たところタダなんだけど
7月28日。土曜日。起床は午後12時40分。ああ、2人ともよ~く眠った。この年になっても、肉体的な疲労の方はけっこうささっと回復するんだけど、何かあたふたとした後の気分的な疲労感からの回復は昔ほど早くなくなったような感じがする。目が覚めるまで、子供の頃に遊んだ砂浜が目の前で(早送りのビデオのように)侵食されて消えて行き、突っ立っている足下まで波が寄せてくるのをなす術もなく眺めている夢を見ていた。夢が何かのメッセージだとしたら、いったいどんな何なんだろうなあ・・・。
今日の朝食はまたグラノーラパフェ。前のギリシャ風ヨーグルトはちょっと固めだったので、今度は別のブランド。容器にはバルカン風と書いてあるけど、ずっと緩めだから、シリアルとちょうどいい具合に馴染む。これにブルーベリーを盛大に散りばめて、ちょっとおしゃれっぽい週末の朝食というところ。カレシは未だに札幌と東京で全国チェーンらしいところで食べた朝食を「よかったなあ」と思い出している。昼間はカフェ、夜はバーというところで、クロワッサン、サラダ、ヨーグルトにコーヒーのセットに、にんじん100%のジュースを加えても2人分1500円でおつりが来た。ホテル内のレストランの朝食バフェは、外にへ出なくてもいいという点で便利ではあるけど、1人分で2千円近くするし、高いから元を取ってやるという狭い了見を起こさないようにしても、どうしても朝から食べ過ぎてしまうから、ホテルから駅まで10分、15分と歩く価値は十分あったな。
新しいルータのサイズがお払い箱になったモデムがあった棚の奥行きに合わないので、つらつらとプチ模様替えを考えてみるけど、なんかめんどうくさいから、明日に「先送り」。スィ~っと下りてくるようになったメールを見ていたら、同業協会のMLに、インターネットの不調で初受注した仕事が納期に間に合わず、損失を出した上に客をなくしたという投稿があって、タイミングの良さにびっくり。今どきのフリーランス稼業にとってはメールとインターネットは必要不可欠なんだけど、参考資料や用語の検索ができなくて仕事が思うように進まなかったというのを読んで、若い世代のネット依存はそこまで進んでいるのかと改めて感心。古参会員が「紙」の参考資料や辞書を含めて緊急時対策計画を立てておきなさいとアドバイスしているけど、果たして「何でもインターネット」の世代に通じるのかな。ワタシもインターネット以前の古参世代だから、手に入る辞書の類を片っ端から買い集めて、いったい何百万円くらい「設備投資」したかわからないけど、情報が簡単にタダで手に入るのに「紙」の経営資源に多額の投資をするというのはネット世代には思いもよらないことなのかもしれないな。(ワタシは紙の方が好きだけど・・・。)
たしかに検索すれば情報が何でもあるインターネットは便利なんだけど、サーバーや回線がダウンすると、バックアップがない限りはそれまで自在に往来していた「世界」から遮断されるという欠点がある。また誰でも自由に「情報」を流せるという性質上、玉石混交の中から何が信頼できて、何が嘘なのかを判断するのが難しい。もちろん鵜呑みにしなければいいんだけど、どうも近頃は考えずもせずにそのまま飲み込む人が多いらしい。情報そのものはタダでも、それを提供するためにお金がかかるから、場合によっては「タダほど高いものはない」を実証するようなことも起こるわけで、その典型例がいわゆる「自動翻訳サービス」。ある省庁がウェブサイトの翻訳を「無料」でやるというIT会社に依頼し、(たぶん無料サービスで)機械翻訳したものをそのまま掲載して赤っ恥をかいた例もあった。ワタシがときどき(無料登録もせずに)使っている辞書サイトにも「翻訳機能」が登場したけど、英訳に関する限りは、いくら無料でも(まだ)とてもじゃないけど使いものにならない。(学校の英語の宿題に使っちゃあダメだよ、キミ。)
無料の情報やサイトにはいろいろな広告が貼ってある。グーグル然り。フェイスブック然り。ブログその他の多種多彩なポータルサイト然りで、どれも広告収入で成り立っている。gooも広告収入を増やす必要があるようで、今までは無料のアカウントでも広告非表示にを認めていたのが、8月1日からはテキスト広告を表示すると予告している。つまり、このブログの記事にも広告が表示されるようになるわけで、おそらくIPアドレスやキーワードに応じた広告が出る(見る人の所在地によって違う)んだろうけど、どんなのが出て来るかは見てのお楽しみ。出会い系のようなお品のよろしくない広告はどうかと思うけど、このご時世では背に腹は代えられないという事情もあるだろうし、「テキスト広告」という話だし、ものによってはブログのネタにして突っ込んでみるのもおもしろそうだな。
広告もヒマなときは(クリックしないけど)眺めていておもしろいものがある。ワタシのIPアドレスはカナダなので、日本語のサイトでは「カナダ留学」とか「海外転職」とか「帰国後の住まい」とかいった日本からの広告、英語のサイトではカナダの企業の広告が多いんだけど、最近は国際出会い(婚活?)系の広告がやたらと増えて来ている。もちろん、オトコがアジア人女性を探すための一方通行サイトが多いけど、日本女性に特定したものも多くて、「Genuine(正真正銘の?純種の?本場の?)日本人レディが愛とロマンスを求めています」(URLの名前を見る限りは出会い系)とか、(なぜか日本語で出て来る)「独身の日本女性との出会い。今すぐ独身メンバーを見る」なんてのがページを賑わしている。写真の女性たちはどれもかなりお水系っぽく見えるんだけど、まあこういうのが好みのオトコも多いってことだろう。どれもAds by Googleと表示されているもので、こんな広告を誰も見ないようなブログに貼り付けるなんて、グーグルもさすがに昨今は懐ぐあいが厳しいのかなあなんて勘ぐってしまったりする。
広告料で持っているのがソーシャルメディアということだろうけど、そのうちに広告の注目度を測るために、「少なくともどれかひとつをクリック」が無料の情報にアクセスするための必須条件になるなんてことはないだろうなあ。まあ、どっちにしても今どきの時代、どこを見ても何かとちゃらちゃら、ごちゃごちゃして来たなあという気もする・・・。
クールビズとウォッシュレット
7月29日。日曜日。午前11時前にオンになったクーラーの音で目が覚めたけど、すぐにまた眠りに戻って、起床は午後12時半。きのうあたりから雨がふるかもと言っていたのに、さっぱりその気配なし。まあ、この時季のバンクーバーでは1週間も2週間も雨が降らないことが多い(その代わりに冬には1週間も2週間も降ることが多い)。
きのうカレシが予想通りにパンを焼くのを忘れたので、今日は念のために解凍しておいた塩鮭で「日本の朝ごはん」を作った[写真]↓
こりこりした歯ごたえが残る押し麦入りの発芽玄米の朝粥に、自家製の塩鮭、大根とアスパラガスの煮物、わかめとねぎの味噌汁。ついでに明太子も1本解凍。起き抜けはコンタクトを入れていないので、視界不良で何となく手探りのような作業になるし、その上お粥を作るのにけっこう時間がかかって、大根を煮るのにもちょっと時間がかかった。日本の家庭料理は手間がかかって、共働きの奥さんは大変だろうなあと感心しているうちに、朝食は午後1時半。前後にオレンジジュースとコーヒーというところは規格外れだけど、まあ、お粥の押し麦がオートミールのように見えるからいいか。塩鮭は紅鮭の切り身に南極の塩をガリガリと挽いてたっぷりまぶし、ラップに包んで冷凍しておいたもので、甘塩のちょうどいい「塩梅」にできていて、カレシにも好評。わりとさっぱりした口当たりの麦と玄米の朝粥、この次はスロークッカーで作ってみよう。
日本列島は猛暑だそうで、湿度も高いだろうから大変そう。暑いのは何とかなるとしても、あの湿度はワタシには耐えられない。カレシなんか、オタワの蒸し暑い夏に耐え切れず、連邦政府の職を投げ出して帰郷したくらいだから、東京や大阪で暮らすなんてことは、と~ても、とても。日本では、男性の間で女性の持ち物とされていた日傘の需要が高まっていると、イギリスのロイターズが報じていた。男性だって紫外線に当りすぎると顔のしわが増えるんだし、日差しを遮れば誰だって涼しいと感じるんだから、日傘も炎天下で営業回りをするサラリーマン必携のクールビズとして、ロンドン紳士必携?の雨傘のようにかっこ良く普及するといいね。
「クールビズ」は日本独特の「節電」ファッションだと思うけど、日本独特といえば、先週だったか、ウォッシュレットが日本の技術遺産か何かに指定されたという記事があった。今や日本中ないところがないくらい普及しているウォッシュレットだけど、実は元々はアメリカで痔の患者のために開発されたもので、日本で改良や工夫が加えられて現在のものに発達したという話だった。水を温めたり、モーターを動かしたりして、あまり省エネとは言えないように思うけど、慣れてしまえば今さら昔には戻れないかもしれないな。(実を言うと、カレシもワタシも日本で一番の苦手があのウォッシュレットで、どこでも真っ先に普通に流すためのレバーを確認するけど、いつもなんかなじめないというか・・・。)
カナダであのウォッシュレットを高齢者・障害者向けの福祉機器として売り込んでいたことがあったけど、あれはもう25年くらい昔の話。買えないことはないらしいけど、ついぞお目にかかったことがない。あれも日本独特のものということになるのかな。ちなみに、我が家で15年以上使っている日本製のスプリット型エアコンは北米でも普及し始めて、世界標準になりつつあるという話だけど・・・。
引退したらこんな暮らしになるのかな
7月30日。月曜日。今日はちょっと高曇りの空模様。取り立てて急ぐこともなく、いつもの朝食、そしてコーヒー片手にしばし読書。おもむろに今夜は何を食べようかと考える。こういうのどかな生活もいいもんだなあ。
運動がてら銀行と郵便局へ歩いて行くつもりで、したくをして玄関に出たら、カレシがジャンパーケーブルを持って出て行くところ。トラックを1ヵ月も走らせずにいたもので(またしても)バッテリが上がってしまっていた。そこでエコーにつないでジャンプスタートさせるんだそうな。どこかへ行くのかと聞いたら、「いや、その辺を走ってバッテリを充電して来るだけさ」。それだったら、とモールまで乗せて行ってもらうことにして、エンジンがかかるのをしばし待ったけど、上がったまま放置していたせいか、なかなかスタートしてくれないらしい。しまいに「おい、出てきてエコーのアクセルをちょっと踏んでくれないかな」。トラックと鼻をつき合わせているエコーの運転席に座って、足の先で針がふわっと動く程度にそろ~っとペダルを踏むこと2回。トラックはやった息を吹き返した。やれやれ。
モールの近くの交差点で降ろしてもらって、まず銀行、次いで郵便局。そしてついでに在庫売り尽くしセールをやっているキッチン用品店へふらふら。なにしろ最高70%オフ。まっ白な四角いお皿・・・そろそろ新しいのがいるなあ。だけど、何枚も買って帰るにはちょっと重いか。マティニグラスの4個セット。あまり広がっていなくてエレガント。35ドルが14ドルだって。クリスタルではなさそうだから食洗機で洗えるな。我が家では必需品のマティニグラスだけど、毎日使うせいでよく壊れる。何年か前にベイの在庫一掃セールで75%オフで1ダース買ったのが、もう残りが後3個くらい。14ドルなら2、3箱買いたいところだけど、トートバッグに入らない。あれこれ考えて、グラスは後日カレシを引っ張って買いに来ることにして、とりあえずボストンシェーカーを1セット。ボストンシェーカーはプロのバーテンダーがよく使っているステンレスとガラスの容器をはめ合わせて振るタイプで、カレシの手にかかると(厚手なのに)ガラスの方が壊れる。どこでも売っているものではないし、いつも40ドルくらいするから、13ドルは超お得。(帰ってきてみたら、「予備」がすでに2セットあった・・・。)
カレシが庭仕事に勤しんでいる間に、日本で撮った写真をプリントできるところを探す。東京ではセルフでプリントできる(らしい)キカイが並んでいる店があった(と思う)けど、バンクーバーではそんなもの見たことがない。(デジカメの写真をプリントしたことがないから知らないでいただけかもしれないけど。)でも、ググって見たら、London Drugsで写真をアップロードすればプリントしてもらえるのがわかった。プリントだけじゃなく、専用の無料ソフトを使えばフォトブックやカレンダー、グリーティングカード、絵葉書なども作れるというので、さっそくソフトをダウンロードしておいた。デジタル写真は記憶媒体に保存しておけばいろいろに使えて便利だけど、テクノロジーの変遷が早すぎて、貴重な思い出の写真にいつアクセスできなくなるかわからない時代だから、やっぱり半永久的にアクセス可能な「紙」の形でも残しておきたい。でも、今回はとりあえず写真は友だちへの手紙に同封するもの12枚を標準的なサイズで2枚ずつ。ピックアップはWhole Foodsの上のブロードウェイ店を選んで、税込みで7ドルとちょっと。引取りの際に現金払いを選んで「注文する」をクリック。「できましたよ~」というメールが来たのは4時間ほどしてからだった。早いのとメールでの知らせを待つところが違うけど、手順は昔あちこちにあったカメラ屋やドラッグストアにフィルムを持って行って現像とプリントを注文していたのと同じ・・・というところがおもしろい。
午後10時近くなって、カレシの提案で国境近くまでトラックでバッテリ充電のドライブ。夜なので周囲の風景が見えないから、よく迷子になるんだけど、今度は国境まで行ってしまわないうちにハイウェイを下りて、「州道91号線北方面」をひたすら走って、迷子にならずに帰って来れた。たぶん「バッテリ充電ドライブ」のベテランになったってことで、あまり名誉なことじゃないような・・・。
さて、のどかな1日が終わって真夜中のランチの時間。いいもんだなあ、こういう暮らし。でも、7月が終わる明日は売上税の申告期限だし、月末の事務処理もしなければならないし・・・。
石油パイプラインはカナダのフクシマになる
7月31日。火曜日。正午直前に起床。今日もちょっと暑め。朝食を終え、数ページ読書したところで、今日の日程をカレシが「決定」して、ワタシに確認。まあ、それもいいんだけど・・・。
まずはトラックで南西の方角に走って、寝酒の肴用に注文してあったスモークサーモンをどさっと仕入れて来て、超特急でフリーザーに入れたら、今度はエコーに段ボール箱いっぱいのお酒の空き瓶を積んで北の方角へひとっ走り。London Drugsで出来上がった写真のプリントを引き取って、Whole Foodsで前回買い忘れたジンジャーエールとスパイス。駐車メーターの時間が30分以上残っているので、道路を渡ってHome Depotで雑草刈り機に補充するプラスチックの「紐」を買い、それでも20分残っているたで、角の酒屋で空き瓶を返して、ワイン数本とジンの大瓶とワタシのレミ。いやあ、何たる効率のよさ!
このところ、アルバータ州のオイルサンドから取った原油をアジア(特に中国)に輸出するためのパイプラインをBC沿岸まで敷設するプロジェクトが、アルバータとBCの政治問題に発展して、にぎやかなことこの上ない。各州の首相が集まる会議でBC州のクラーク首相がアルバータの首相に、BC州沿岸の積出港までのパイプライン敷設を承認する代わりに、石油収入の分け前を寄こせと要求し、アルバータのレッドフォード首相が石油はアルバータのものだからびた一文やらぬと撥ねつけたもので、州首相会議では女性首相が互いにシカト合戦。国のエネルギー政策を話し合う会議まで頓挫の状態。BC州の言い分は、パイプラインから原油が漏れ出したり、アジアへ向かうタンカーが海峡で座礁して流出事故を起こした場合に甚大な環境被害と多大な経済損失を被るのはBC州の方なんだから、海へのアクセスを持たないアルバータ州はもっと利益を分かち合うべきというもの。現時点の計画では利益のほとんどが連邦政府とアルバータ州の懐に入って、BC州の分け前は雀の涙らしい。巨大なタンカーが座礁でもしたら、流出した原油の後始末だけで微々たる利益は吹っ飛んでしまうだろうに・・・。
そこへして、パイプライン会社がアメリカのウィスコンシン州を通るパイプラインで原油が漏れる事故を起こしたもので、「パイプラインは安全だ」という会社の説明がますます嘘っぽく聞こえて来た。(現実に、この会社のパイプラインはちょくちょくマイナーな漏出事故を起こしているらしい。)はて、どこぞの国でも似たようなことがあったんじゃなかったっけ?大事故が起きたときに取り返しのつかない被害を被るのは直接の恩恵をほとんど受けない人たち。連邦政府は衰退するBC州北西部には大きな経済効果があるんだし、アジア(特に中国)への輸出によって国全体が潤うから喜べというけど、アジアのかの国の中央政府と(域外に原発を建てた)電力会社も似たようなことを言ってなかったっけ?冗談じゃないよ。潤うのはアルバータといつも「オレ様」のオンタリオだけで、BCの懐に入るのは雀の涙だと言うじゃないの。なのに、環境汚染と海洋汚染のリスクはBC州が100%請け負うなんて、アリソンおばちゃん(アルバータ州首相)、冗談がきつくない?
積出港となるプリンするパートから海峡を挟んで西にあるのがハイダグワイ(クィーンシャーロット)諸島で、このあたりは水産資源の宝庫。貴重な海洋生物資源も多い。だから、せっかく海底に巨大な石油天然ガス田があるのに連邦政府が発動したモラトリアムのせいで開発されないままになっている。そういうところで経済的な分け前に与らせてもらえないアルバータのオイルサンド原油を垂れ流しになんかされたら取り返しのつかない事態になるのは火を見るよりも明らか。(アルバータは「すみませ~ん」とか言って何がしかの「支援金」を送って来るんだろうけど。)石油タンカーもモラトリアムの対象にした方がいいんじゃないのかな。もとより環境保護団体はこぞって大反対だし、地域の先住民部族にも反対派が多いし、来年の総選挙では政権奪還がほぼ確実の州の野党新民主党は初めから「ノー」のスタンス。クリスティおばちゃん(クラークBC州首相)、がんばれ。強欲なアリソンおばちゃんなんかに負けるんじゃないよ。(最近まで州の標語だった)「Beautiful British Columbia(美しきブリティッシュコロンビア)」を守らないでどうするの?ひとつ、メディアに「リメンバー福島!」ってパイプライン反対の投書をしてやろうか・・・。