リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年11月~’その3

2011年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
国際結婚が破綻してもがんばっている母はえらい

11月21日。月曜日。目覚めは午後12時半。雪は降らなかった。ま、夜中を過ぎてから気温が1度上がり、午前3時に店じまいした頃にはまた1度上がって、プラス3度になっていたから、雪が降るわけはないんだけどな。だから当然朝までに「降雪注意報」は解除。この「降雪注意報」というのは「大雪注意報」とは大違いで、道路がちょっと白くなっただけでてんやわんやするバンクーバーの住人に「雪が降りますよ~」と警告するためのもの。予想積雪量が1、2センチでも発令されるから、雪国の人は笑ってしまう。まあ、バンクーバーの冬は「雨期」であって、世界が一般に想像する「カナダの冬」はめったにないし、移民してきて初めて雪を見る人たちもたくさんいる土地柄だからね。ただし、今日は「降雪注意報」の解除と入れ替わりに「大雨注意報」と「強風注意報」が出ている。こっちの方は典型的なバンクーバーの冬って感じだな・・・。

今日はまじめに仕事をすることにして、後から発注されたけど納期が明日になっている方に手をつける。半日程度の小さい仕事だけど、離婚が絡んだ話。改製される前の旧式の戸籍は数字まで全部漢字で、おまけに癖字や金くぎ流の見本みたいな手書きだったから読むのにひと苦労した。新形式のは人名や地名の読みに苦労するのは同じでも、格段に読み易い。1990年代にはよく移民申請の関係で戸籍の翻訳を持ち込まれたけど、野次馬的好奇心をそそるような人間ドラマもあったな。たとえば、ある40代の男性。移民コンサルタントから来た戸籍では未婚だったのが、1年以上経って「変更があった」と送られてきた戸籍を見たら、なんと二十代前半の妻が入籍。それから1年経って「また変更があった」と送られてきた戸籍には子供の名前があった。入籍と出生の日付からして「できちゃった婚」というやつらしい。悪いけど、あまりモテなかったしょぼい40男が「オレ、カナダに移民申請中でね」なんて言ったとたんに海外デビューを目指す若い女性にモテモテになって、うまくでき婚に持ち込まれたのかなと想像してしまった。その後どうなったのかは知る由もないけど・・・。

今、アメリカのウィスコンシン州で離婚係争中に子供を連れて日本へ帰ってしまった日本人女性の裁判をやっている。アメリカでは夫が単独親権を取り、一方日本では妻が日本の裁判所から親権を取って、日米両国で争っていたとか。この春に自分の永住権を更新するためにハワイへ行ったところで、ウィスコンシン州から逮捕状が出ていたために逮捕されて、ずっと拘留されていたそうな。この人、日本へ子供を連れ帰って、実質的に「ハーグ条約未加盟」の壁に守られて暮らしていたことになると思うんだけど、自分のアメリカ永住権を維持するためにハワイまで行ったのは、いずれ親権問題が解決したらアメリカに戻って(子供と)アメリカで暮らすつもりだったということかな。逮捕状が出ていることを知らなかったんだろうか。知っていたけど、ハワイならウィスコンシン州から遠いから大丈夫だと思ったんだろうか。せっかくのアメリカ永住権が無効になりそうになって慌てたんだろうか。まあ、この人は司法取引で子供をアメリカに戻すことに同意したそうだから、実際に子供が元夫のところに戻ったら無罪放免になるだろうと思うけど、そのままアメリカに住めるのかな。それにしても、永住権ってのは魔物というのか何か・・・。

だけど、国際結婚が破綻しても移住先の国に踏みとどまって、働きながらひとりで子供を育てている日本女性はたくさんいると思う。元夫からの養育費が滞っても、低賃金の仕事しか得られなくても、一生懸命に子供を育てている人がたくさんいるはず。働けなくて生活保護を受けている人だっている。カナダでは結婚破綻の責任を問わないので、不倫した方からでも離婚を申し立てることができるし、女性が結婚して家庭に入るなんてもう昔話だから、小町横町でよく聞かれるような「経験も資格もなくて生活できないから離婚できない」と不満足な結婚を続ける理由は成り立たないし、子供がいればDVなどの問題がない限り共同親権になることが多い。それでも(多くは親を頼って)子供を連れて母国へ逃げ帰るという選択をせずに、がんばっている日本女性が世界中にたくさんいるんだということを声を張り上げて言っておきたい。外国人を配偶者に選んだ動機や経緯がどうであれ、彼女たちは離婚するなり、努力して結婚を継続するなりして、ひとりの女性として自立することができた「勝ち組」なんだと。

まあ、ワタシはもう日本には戸籍がないから、結婚の破綻という状況に置かれても日本に帰るという選択肢はないし、あったとしてもたぶん考えてもみないだろうな。それはともかく、戸籍の仕事はさっさと仕上げて、壮大な地球の話に戻ることにしよう。外はかなりの荒れ模様・・・。

「たかり」の新しい意味

11月22日。火曜日。いやあ、夜中ものすごい嵐だった。ゴォ~ッと風が吹くと、雨がばしゃばしゃと窓に叩きつけられて、ときどきどこかでガシャン、バタン。おかげで寝付けなくて、午前5時半頃に急に外が静かになって、やっと眠りについた。目が覚めたのは午前11時過ぎ。停電していなくて、まずはひと安心。テレビのニュースでは、大木が根こそぎ倒れかかって壊れた建物や外壁のレンガがそっくり落ちてしまったホテルの映像が流れる。木が倒れて来る中で間一髪で窓際のベビーベッドから赤ちゃんを抱き上げて助かったという若い両親の話もあって、見ている方も安堵のため息が出る。瞬間最大風速は30メートルくらいあったらしい。停電は数万世帯とか。

我が家は裏庭に置いてあったゴミの容器が倒れていただけで、家の中は雨漏りの形跡もなく、大雨で水が滲み込むことがあるスカイライトも問題なし。風が吹き付ける雨が洗ってくれたおかげで、東側から南側へかけての窓のガラスはどれもすっかりきれいになっていたから、言うことなしだな。庭や歩道の落葉樹はほとんどが葉をむしり取られて一気に冬っぽい風景になり、玄関を開けたら、ポーチには落ち葉の「吹き溜まり」の山。カレシが掃除をしたばかりの雨どいにも落ち葉が詰まっていたけど、あさって配管屋が来て温室に給水パイプを通してくれたら、いよいよ池の跡の穴を埋め戻す段階になるので、堆肥になる落ち葉はいくらあってもありすぎることはない。ついでに風が穴に吹き落としてくれるとなおいいんだけど、そこまではムリか・・・。

ニューヨークのウォール街から始まって、だいぶ前から美術館前の広場にテント村を作っていた「オキュパイヤー」と呼ばれる連中は、市が裁判所から占拠差し止め命令を取り付けたもので、きのう隣のブロックの裁判所があるロブソンスクエアに移転。ところが、今度は州政府が速攻で差し止め命令を取り付けて、どうやらダウンタウンを離れた公園に移動するらしい。ウォール街で始まった「運動」はアメリカの人口の1%が富を独占しているのに99%(の一般人)が抗議するという趣旨だったはずで、バンクーバーでも最初はそういう草の根運動的な雰囲気があった。それが、いつのまにか無職無為の若者たちのドラッグパーティの場と化した感があって、最初は共感を持った市民もそっぽを向いた。何が「強欲な1%」に抗議だ。(働かずに)生活費や住むところを与えられる権利があるとか、まったく連中こそまじめに働いて税金を払っている99%の市民にたかる「強欲な1%」だな。

この「たかる」と言う言葉、この頃小町横町でもよく聞かれるような気がするな。婚活がらみのトピックでも、低収入の男との結婚はムリと女が言えば、結婚するなら専業主婦はムリと男が言い、それを「たかられたくない」と考えているからだと言う人がいる。元々「たかる」というのは人を脅したりしてお金やものを巻き上げたり、無理強いしておごらせたりする行為だったはずだけど、仕事を辞めた妻が生活費を要求するのを「たかられている」という高収入夫がいたりして、どうやら「相手に経済的に依存すること」という意味も加わったということかな。件の高収入夫は自分の収入は(自分の稼ぎだからと)趣味に使い、低収入の妻に生活費や保育費を負担させて来たそうで、その妻が資格勉強のために(相談もなく)仕事を辞めたので、しかたなく15万円の生活費を渡して、「たかられている」。夫婦なのに、なんかおそろしい心理だけど、こんな思考が幅を利かせるようになったら、「強欲な99%」が支配する社会になってしまいそうだな。

自分が稼いだお金なんだから自分だけのために使いたいのに、政府には税金をたかられるし、慈善団体には寄付をたかられるし、飲兵衛の同僚には飲み会でたかられるし、大食いの友だちには割り勘と称してたかられるし、低収入や無収入の妻/夫には生活費をたかられるし、子供には育児費・教育費をたかられるし、しまいに年老いた親にも仕送りと称してたかられる。ああ、たかられっぱなしの人生。いっそのこと、たかってくるしがらみはすべてさっぱりと捨てて、ひとり飄々と托鉢の旅にでも出たらいいのに・・・。

ていねいに、美しく包み隠す文化

11月24日。木曜日。目が覚めたらもう午後1時に近い時間。何たってきのうは仕事がどたばたでくたびれたもの。超特急の仕事、その日のうちにということで、超特急でやって編集担当に送って、次の超特急仕事にかかったら、終わらないうちに送った仕事に「クライアントから新しい原稿が来た」と。急がせておいて・・・とファイルを開けてみたら、手を入れたというよりは書き直し。これでは翻訳もやり直し。割り増し料金を払ってくれるそうだし、原稿自体が短いからいいんだけど、この忙しいときに超特急だと急がしといて、何をやってるんだろうなあ。新旧の原稿両方に料金を払ってもらいたいな、もう。次の特急仕事も何とか無事に済ませたら、午前3時半。カレシに愚痴りながら寝酒をぐいっとやって、つまみにソーセージを半分も食べて、おやすみ・・・。

おかげで大きい仕事が遅れ気味。こっちは内容がおもしろいからいいんだけど、何だかすごい学術用語がぞろぞろ出てきて、用語や表現例を調べながらの作業だから進捗は少しのろい。でも、今日は工事に来る予定だったマイクが「天気が悪そうだから」と明日に延ばしたので、仕事に専念できそう。きのうの夜からまた「強風注意報」が出ている。どうも11月の嵐は単独で来ないで、2つか3つが団子になって来るから困る。先週の雪交じりの嵐、月曜の夜の風と雨、今日もまた風と雨。あしたは日中は「晴れ」、土曜日は「雨(50ミリ以上)」、プロフットボールの決勝戦がある日曜日は「晴れときどき曇りときどき小雨」、月曜日は「雨(50ミリ以上)」、火曜日は「雨(40~50ミリ)」と言う予報で、11月最後の水曜日になってやっと「晴れ」。翌日12月1日。は何と「晴れのち雨かべた雪」になっている。ま、バンクーバー地方の天気予報は地形が複雑なもので当たらない確率の方が高いから・・・。

オリンパスの怪しげな取引に疑問を持って追及したために解任された元社長が日本へ出向いて、取締役会で例の三人組と対峙すると言うことだったけど、肝心の三人組はその前に辞任してしまったらしい。なんだ、敵前逃亡かいな。さんざん日本の慣習を無視して独断的だったとか何とか非難しておきながら、いざとなると面と向かって堂々と説明できない(したくない)ってことか。ま、ガイジンを社長に据えればグローバル企業でございと見栄えがするし、ガイジンだから日本側でやっていることには首を突っ込んで来ないだろうし、突っ込んで来ても「これだからガイジンはダメだ、日本のやり方を理解していない」とその首をすげ替えればいい、と高を括っていたかどうか知らないけど、やっぱりムラ社会的な発想という感じがする。要するに、ムラの外の社会も自分たちのムラと同じであるはず・・・ということかな。やれ国際化時代だ、やれ国際交流だと、あれだけ長いこと鉦太鼓を叩いて来ても、変えれば変えるほど元のまま・・・。

在日外国人の英語サイトに投稿されていたリンクを辿って、ウッドフォード氏が成田に到着したときのインタビューを聞いてみたら、下っ端から叩き上げてきただけあって、なかなか骨太な人という印象だったけど、社長に復帰する気はあるかと聞かれたときに、まだわからないと答えた後でちょっと曇った表情になって「妻も私もトラウマになっているので・・・」と言ったのが耳に残った。そういえば、解任された直後に急ぎイギリスに帰国したという話だったけど、会長や取締役会におかしい取引の説明を要求してから解任されるまでの間に何があったんだろう。いわゆる「反社会組織」が絡んでいるという報道もあって、オリンパスは否定に必死だけど、日本には株主を黙らせるための「総会屋」という、まるでバーの用心棒のような商売もあるし、(会社の内密の依頼で)水面下でウッドフォード氏とその家族が身の危険を感じるような「働きかけ」をする人間がいたとしてもワタシは驚かないけどな。

法律や規制なんていくらでも立派なものを作ることができるわけで、それを所詮は「建前」として見るから、世間の目に遵守しているようにさえ映ればそれで十分という思考になるのかもしれない。つまり、「中身」よりも「見た目」が重要な判断基準ということなのかな。それとも、中身を見られないようにきれいな紙に見栄え良く包むということなのか。日本語に「包み隠さずに言う」という表現があるのはおもしろいし、ふろしきもモノを包んでおくためのものであって、みだりに広げると「大ぶろしき」と揶揄されかねない。まあ、包み紙文化も社会文化のひとつだから、良し悪しも優劣もないけど、外から見える日本は大海の中で先端だけが水面に出ている巨大な氷山に似ていなくもない。水中の部分を見たいとは思うけど、ワタシ、かなづちなんで・・・。

近頃の日本語、変じゃなくないですか?

11月25日。金曜日。午前9時過ぎ、裏庭でドンドン、ガンガンと物音がして目が覚めた。ラジオが聞こえる。マイクが来て作業を始めたということか。まだ5時間そこそこしか眠ってないんだけど。大雨続きの天気予報の中では今日が1日。だけ開いている作業のチャンス、ということで、そのうち配管屋も来るんだろう。でも、まだ5時間しか眠ってない。シリコンの耳栓をしているカレシは何とも気持良さそうにすやすやと眠っているから、ワタシもひたすら目をつぶって、うとうと、うとうと・・・。

結局、眠っているんだから覚めているんだかわからない状態で、起きた頃には11時を過ぎていた。配管屋が来て、マイクと息子が掘った溝に温室への水道管を敷設中。カレシが話をしたところではキェルという北欧系の人で、窓から見たらそれはまあ見事な金髪。先週まで山の中にこもって猟をしていたと言うけど、なんかイメージが釣り合わないような。そのキェルが業務終了で帰った後は、マイク親子がパティオと歩道を作る場所の表土を掘り起こして、池の跡の大穴を埋め戻す作業。まあ、これでプロジェクトその1はほぼ終了で、次のその2はパティオと歩道。これは掘ったところに砂利と砂を均してコンクリートのタイルを敷くだけだから、うるさいのは均すための機械を使うときだけかな。う~ん、5時間しか眠ってないから、ああ、眠い~。

でも、今日は腕まくりして仕事に専念する日。だけど、どういうわけかここのところちょっと調子が出ない。やたらとおなかが空いたり、咳き込んだりするのは、ひょっとしてストレスか。おまけに何かと欝っぽいような気分になる。やっぱりストレスかな。だとすると、何がストレスなんだろうな。楽しかった絵のワークショップが終わってしまったからかな。描きかけの絵がすぐそばのイーゼルで「まあだ?」と言っているような気がする。先生が言ってたな、「普通の職業と創作的な仕事は両立しない」と。そうだな、オフィスで仕事をしていたら、すごいインスピレーションがわいてもそのときはどうにもできないもの。在宅のワタシでも、芝居や短編のアイデアが浮かんだからといって、仕事を放り出すわけにも行かず、かといって、まともなご飯を食べたいから、貧乏作家として夢を追求というわけにも行かない。フラストレーションが溜まる。お役所から年金の明細が来てから何となく仕事はもういいやという気持がもやもやしているのがストレスなのかな・・・。

手を休めて、小町横町をのぞいたら、『「じゃないですか」という言い方が気になりませんか?』というトピックがあって、この頃とみにヘンテコ日本語に頭を悩ませることが多くなったワタシは見逃せないとばかりにのぞいてみた。まあ、「○○じゃないですか?」というのはわかるけど、「私って、○○な人じゃないですか~」って何じゃいな。つい、「ん、で?」と言い返してしまいそうだけど、どうもそういう反応を想定しているのではなさそうだな。もし「アタシってイケメンにモテる人じゃないですか~」なんていわれた日には何と言ったら良いのやら。もう25年も前になるけど、勤め先でワーホリの女の子を4人くらい次々とアシスタントに雇ってくれたことがあった。さすがバブル時代の落とし子たち、本当に役に立ってくれたのはひとりだけで後は全部ダメ。中でもよく遅刻した20代半ばの(名前は忘れた)人。にこにこと悪びれもせずに「アタシってぇ、ほんとは遅刻する子じゃぁないんですよぉ~」。へえ、今日も遅刻したでしょうが・・・。

自分を「○○する人」とまるで他人のように表現するのはどういう心理なのか、研究したらおもしろいかもしれないけど、翻訳原稿には絶対に使わないでよね!他にも、最近出くわしたヘンテコ日本語で未だに謎が解けていないのが「いらなくないですか?」という表現。「いらない」はわかるな。つまり、不要だってことでしょ?それを「いらなくない」と二重否定にしたら「いる」ってことにならなくない?(という風に使うらしい・・・。)何だか、「いらないよね」と言っているのか、それとも「いるんじゃないの?」と言っているのか、さっぱりわからなくないと思わない?最近はどうやらテレビの人間までがナニゲに使っているらしい。この「なにげに」と言うやつも、本来は「なにげなく」だったのに、どういうわけか「なく」がなくなってしまっている。ひょっとしたら「ない」と言う語に対して無意識に不安や嫌悪を感じているのかな。ヘンテコ日本語は果てしに続く・・・。

単語ごとにいちいち疑問符(?)で区切る半疑問形という怪しげな話法もあるそうだけど、言葉は生き物だと言われるし、時代と共に変化するものなので、ある時代に多用されるものはあんがいそのときの世相というか、社会全般のムードのようなものが反映されていたりする。だとすれば、この「私は○○な人じゃないですか~(↓)」という言い回しの裏にはいったいどな心理があって、どんな返事を想定しているんだろう。もしも「私ってそうだよね?」という肯定を求める形なんであれば、「私はそうじゃないよね?」という否定に同意を求めるときは「私って○○な人じゃなくないですか~」と言うの?はあ、さっぱりわかんない・・・。

ハリウッド映画にはならないオリンパス事件

11月26日。土曜日。起床午前11時55分。ぎりぎりで「午前中」に起きたけど、9時間も寝たのにまだ眠い。カレシは天気のせいじゃないかと言うけど、外は天気予報の通りに雨が降っている。ハワイ方面から来るから「パイナップル特急」と呼ばれるこの冬の低気圧、ハワイとカナダの間には陸地がないもので、太平洋の水分をどんどん吸い上げて来て、カナダに到着したところでどば~っと落として行く。しかも単独の「嵐」では来ないで、1週間も2週間もかけて2個、3個と行列で来るから始末が悪い。それでもまあ、雪よりはましかもしれないけど、雨風で被害が出ることが多い。

今日は明日バンクーバーで行われるカナダ式プロフットボールの決勝戦の前日。また大雨注意報発令中だから、景気づけのパレードどころじゃなさそう。スタンレー卿が寄付したスタンレー杯がプロホッケーの優勝杯なら、(たぶん紅茶のアールグレイと関係のある)グレイ伯爵が寄付したグレイ杯はカナダのプロフットボールリーグCFLの優勝杯。プロと言うけどチームの数は少ないし、シーズンもアメリカのNFLに比べたらかなり短いと思う。グレイ杯の試合は1試合だけの一発勝負で、試合開催地はシーズン前から決まっているので、決勝進出チームとはまったく違うところでやっていたりする。でも、今年はバンクーバーが開催地で、地元BCライオンズは出だしの連敗でどうなるかとはらはらさせたのが後半は連戦戦勝で決勝進出。たぶんこの大雨でも盛り上がっているだろうな。楽しく前夜祭パーティをして、(勝ったら)楽しく優勝を祝うことにして、くれぐれも暴動だけはやめとこうよね。

大仕事の持ち時間はとうとう今日と明日だけになってしまった。まあ、ワタシはあまりスポーツ試合に関心がある方じゃないから、カレシがテレビの前で(たぶん)うたた寝している間に、仕事に専念できそう。カナダ式のフットボールはフィールドの規格が55ヤードずつで、アメリカのよりも長く、ダウンの数は3つでアメリカよりも少ない。それ以外はあまり大きな違いはないと思うけど、試合時間の大半はヘルメットで頭でっかちになったでかい男たちがうろうろしているだけに見えるもので、サッカーなんかと比べると退屈なスポーツのような感じだな。何であんなに興奮して熱狂できるのかなと思うくらい。それでも、ボールを抱えた選手が体当たりでタックルして来る敵をかわしながらエンドゾーンまで駆け抜けてタッチダウンするのは痛快でいい。

きのう産経にオリンパスのウッドフォード元社長の外国人記者クラブでの講演内容の全文を日本語に訳したものが載っていて、あとでゆっくり読もうとコピーしておいた。YouTubeにも一部が投稿されていて、肉声の講演を一緒に聞いていたカレシが「記事を全部訳してくれ」と。だけど、カウントをかけたら1万文字くらいあったから、びっちりやっても2日。はかかるなあ。まあ、手があいたらということにしておいたけど、ざっと読んでみたらなかなかおもしろい。社長に抜擢されて日本へ行ったら、盛大なレセプションで祝ってくれて、ヨーロッパでの業績が評価されたと感激したという話があって、最後の方で、スキャンダルが大きくなった後の菊川元会長と森元副社長との最後の昼食では、2人に寿司を食べているのに、自分の前に出されたのはツナサンドイッチだったという話には、やれやれ2人とも何とケツの穴のちっちゃい連中なんだと笑ってしまったけど、「重大な非行」があったからと役員報酬をカットしたり、「内部情報を漏らしたから」と法的措置を取るとぶち上げたり、お仕置きするぞ~と脅しに懸命の様子。アホか・・・。

北米のどこかのビジネス雑誌に『オリンパスはハリウッド映画ではない』とかいう記事があって、ハリウッド映画だったらウッドフォードは不正を暴いたヒーローと言う設定になるけど、日本のサムライ映画では御家の恥をさらした大悪人になって、ハラキリを申し付けられるか、悪くすると殿様直々のお手打ちになる(つまり、クビ)という比喩がおもしろかった。言えてるなあ、ほんとに。臨時取締役会で解任されてすぐに会社の携帯を取り上げられ、マンションでも荷造りするのがやっとの時間しか与えられず、車は出せないから空港までリムジンバスで行けと言われ、香港行きの飛行機に乗ってみたら(ビジネスクラスに格下げして)大嫌いなトイレのすぐ横の席を取ってあったとか。いやはや、すごい会社だな。これが日本人をクビにしたんだったらここまで露骨にやれたかなあ。

ウッドフォード氏も講演で「グリシャムの小説の世界にいるような異様な体験をした」と語っていたけど、「ファクタ」とかいう雑誌に取引を疑問視する記事が載っていたのを最初にウッドフォードに教えた人物についてはオリンパスの社員だと認めただけで、「自分は子供が大きいし、貯金もあるので困らないが」と答をはぐらかしていた。日本にも内部告発者を保護する法律があるはずだけど、彼はそんなのは建前に過ぎないことを身をもって学んだってことかな。バブルの前後に社長だった人(ということは「飛ばし」の火付け人?)が、「ガイジンを社長にしたのが間違いだった」と言ったそうだけど、日本人だけでやっていれば不正が外に知られることもなかったものを、よそ者を入れたばかりに・・・ということか。一方で「会社をきれいにしたら自分の役目は終わりだ」と言ったウッドフォード氏、う~ん、ハリウッドの名画『シェーン』のラストシーンと重なって来そうなせりふ・・・。

優勝(前)祝いのスペシャルディナー

11月27日。日曜日。いい天気。フットボール日和というものがあるのかどうか知らないけど、バンクーバーはドーム型のスタジアムだから関係ないかな。でも、テフロンの屋根を開閉式に改装したのはいいけど、大雨が降るたびに雨漏りもがするから問題。試合前日のきのうもフィールドが水浸しになっていたらしい。そのたびに誰かが屋根に上がって穴を塞ぐらしいけど、何だか堤に指を突っ込むような感じがしないでもないな。

仕事は今日1日。がのるかそるかの勝負の日。だけど、せっかく地元BCライオンズの優勝が確実と言われる決勝戦だから、ちょっと特別ディナーを作ってみた。ただし、忙しいのでコースにしている時間がないから、まとめて「エアライン方式」で・・・。

[写真] Whole Foodsで紅鮭の後ろ半分を買って来たので、最後の最後の尻尾の部分を使って、なんちゃら「石狩鍋」風。だしは昆布の味が利いているレッドスナッパーを湯煮したときの煮汁。じゃがいも、にんじん、ごぼう、大根、ねぎを少しずつ入れて、みそ味仕立て。その昔、妹の結婚式の後で今は亡き叔父夫婦と行った苫小牧の郷土料理レストランで、カレシが「おいしい」を連発しながら大半をひとりで食べてしまったのが石狩鍋だったなあ・・・。

主菜の魚はシーバスの「とろ」。きのことブロッコリーニをバター炒めして付け合せ。副菜は枝豆と大振りのむきエビの柚子醤油和え。

食べ終わる前に試合が終わって、予想通りBCライオンズが大勝。ぴかぴかのグレイ杯を高々と掲げてお祝い。ホッケーでもこういう場面を見たかなったなあ。一試合だけ出し、天気も良くないので、祝賀?の暴動は起きないらしい。ダウンタウンに繰り出してまだ雄たけびだかなんだか、奇声を張り上げて徘徊している大人がたくさんいるけど、明日は月曜日。仕事だろうに・・・。

さて、胸突き八丁の終点はもうすぐ。夕食がちょっとボリュームがあったので、ランチはいらないと思うから、とにかくがんばろうっと・・・。

年を取ってしんどくなるのは女も男も同じ

11月28日。月曜日。大雨のはずなのに、外はいい天気で暖かそう。正午ぎりぎりに起きたけど、なんだか疲れが抜けてくれないような気がする。胃が背中まで抜けるように痛かったり、おなかがゴロゴロなったり、やたらとあくびと酸っぱいげっぷが出たり・・・。何かのストレスなのかなあ、これ。ストレスなんだとしたらいったい何だろうな。いつもより飲みすぎているということもないし、仕事の方もまあまあの量と内容だったし、息抜きもしていたはずだけど。年のせいかな?とにかく、な~んかストレス、ストレスという感じ。

それでもまあ、大きな仕事が期限に間に合って完了。学者さんたちって家に帰ってからもこんなことを考えているのかなあと思っておもしろかった。システム関係の仕事のときは、あまりにもマニュアル的な文章だったので、この人たちってデートのときもこんなしゃべり方をするのかなあと思ったし、法律関係の文書をやつといつも弁護士さんたちは奥さんにも物言いをするのかなと思っておかしくなったもんだけど、実際にはどうなんだろう。むにゃむにゃうやむやがを得意とする政治家センセイたちはどうなんだろうな。こういう人たちのお茶の間の壁にとまったハエになって、聞き耳を立ててみたいもんだ。

ワークショップが終わったばかりだけど、カレッジからはもう来年の1月下旬から始まる次学期の講座のカタログが送られて来た。最新作が好評だったガチャリアン先生がフェイスブックで予告していた通り、久しぶりに劇作講座を開講する。これは水曜日の夜。アトキンソン先生の絵のワークショップもまた日曜日の午後にあるし、同じ先生の抽象画の講座が火曜日の夜にある。迷ってしまうなあ、ほんと。カレシはいっそのこと劇作と抽象画とまとめて申し込んだらいいのにと言うけど、いつも2月3月になれば年度末の予算消化がらみで仕事がどんと増えるから、毎週2夜連続はきついな。特に劇作コースは8回の授業の間に30分ほどの一幕物を1本書き上げるわけで、「宿題」として家で書かなければならないから、これが一番きつい。どうしようかな。いっそ、また即興芝居の方に行こうかな。こっちは劇作講座と同じ水曜日で、3時間も飛んだり跳ねたりは重労働だけど、宿題はないし、おなかの底から声を出すのは息抜きになるし・・・。

こうやって迷っていると、早く引退してカレシのような趣味三昧の老後生活に入りたいなあという気持が逸ってくる。日本とカナダとで通算したら40年フルタイムで働いたことになるし、そのうちの25年はダブルシフトでフルタイムの「主婦業」もやったんだから、もういいよという気分かな。ひと昔前だったけど、ローカルの掲示板に国際結婚の若い夫婦が夫が妻に働くように求めたことで紛糾しているという投稿があって、男は妻子を養ってなんぼなのに!と憤慨していた妻の言い分というのが「年をとって働くのはしんどいしぃ~」。そのときは今から年を取った自分を想像して働くのはしんどいも何もないだろうにと笑ったけど、まあ、たしかに60を過ぎたこの年になってみると少々しんどいなあと感じることはあるな。でも、やりたいことがありすぎて、仕事なんかしていられないというのは、何とも贅沢な悩みだと思うけど・・・。

ま、ぼちぼちと考えて、年明けまでにどうするか決めることにしよう。老後になってあんまり趣味がありすぎても、働くのと同じように少々しんどいと感じるようになるかもしれないから、ふむ、欲張るべきか、欲張らざるべきか、それが問題・・・。

仕事がないといろんなことがはかどる

11月29日。火曜日。午前11時に目覚ましが鳴ったけど、ヘンな夢を見ていたので、もう少しで聞き逃すところだった。何だな知らないけど探偵ドラマみたいな夢で、疲れているときって荒唐無稽な夢を見ることが多いような気がする。まあ、よく眠れたような感じがするからいいけど。

今日は仕事戦線が一段落して静かなので、英語教室の午後の部に出かけるカレシのトラックにヒッチハイクして、モールに出かけた。本格的なクリスマス商戦の始まりで、私書箱に入って来るカタログがどんと増えるから、週に1回は回収に行かないと溢れてしまう。案の定、これ以上は葉書1枚入らないくらいにぎっちぎち。全部出したら10センチ近い山になったから、資源の無駄もいいところだな。今日は国内用の普通切手の他に国内用と外国用のクリスマス切手のシートを買って、いつものようにモールのベンチでカタログのアドレスむしり。中の注文用紙のもびりびりとむしり取って、カタログの山は興味があったらどうぞとばかりにベンチに残しておいた。

それからカレンダー屋探し。毎年今頃になると空き店舗(空きがないときはモールの通路)に店ができて、翌年のカレンダーが並ぶ。日本と違って広告入りのカレンダーをくれるのは保険代理店か不動産屋くらいのものなので、毎年本屋などでいろいろとあるテーマから選んで買うのが普通といったところ。まずはクライアントへの「寸志」用をいくつか選んで、次に家庭用。キッチンには「カクテル」。オフィス用はワタシが好きなエドワード・ホッパーとジャック・ヴェットリアーノ。ホッパーは40年以上前に亡くなったけど、20世紀の前半に今となっては遠い過去になった「アメリカ」の風景を描き続けた人。さりげない場面にドラマがある。スコットランド人のヴェットリアーノは20世紀後半の生まれで、何となく危険な匂いが漂ってくるような、心理ドラマの場面のような絵が多くて見飽きない。並べてみると、ホッパーの作品に通じる雰囲気がないでもないような感じがするな。[写真]

カレンダーもたくさんまとめて買うとずっしりと重い。7冊買って、しめて130ドル。でも、いつもならとっくに12月になってからあわてて買いに走るのに、今年は(ぎりぎりではあるけど)11月のうちに済ませてしまったのは、我ながら上々の出来だと思う。仕事が途切れると、こういう具合にいろんな「懸案事項」がはかどるということで、「臨時失業」も悪くないな。使命?を終えてのんきにウィンドウショッピングをしていたら、開店準備中の新テナントがあって、ブルーに塗った囲いの名前を見たら、おお、ティファニー。何か高級な靴屋と宝飾店ばっかりのような感じになって来たけど、ダウンタウンにすでに店があるけど、モールの西の地域は金満家の移民が十何年前は香港から、最近は中国本土からどっと入って来たから、こっちにも出店するメリットがあるんだろうな。バンクーバーみたいなところでも、お金はあるところにはたっぷりあるんだ~と感心しながら歩いていたら、いつも満員御礼のアップルの店では防犯アラームがわんわんと鳴っていた。でも、なぜか誰も慌てている様子がない。宝飾店にはときどき昼間っから強盗が入ったりするけど、ふむ、こっちは誤作動か・・・。

雨がぽつり、ぽつりと降る中を歩いて帰宅。すぐに冷蔵庫からナスやらズッキーニやらを出して、ラタトゥイユの下ごしらえ。トマトやワインと一緒にスロークッカーのポットに入れてスイッチをオン。これで放っておいても今夜の夕食は半分できたも同じ。ストレスの身体症状も治まってきたので、欲張って「今週いっぱい」は仕事が入ってこないことを指をクロスして祈りつつ、うん、久しぶりにジグソーパズルでもやろうかな・・・。

薬局でインフルエンザの予防注射

11月30日。水曜日。目が覚めたら明るい。今週はほぼ毎日雨の予報だと思っていたら、いつのまにか気が変わって、週明けまでずっと晴れの予報。マザーネイチャーはほんとにお天気屋だから困る。ま、天気が良くて困ることはまずないけど、今の時期に好天が続くと最低気温がぐっと下がる傾向があって、雨雲が接近してくると雪が降り出したりするから困る。でも、今日で11月も終わりで、あしたからは早くも12月2011年も追い込みに入ったと言うことか(誰が何を追い込むのかよくわからないけど・・・。)

今日はバーナビーとの境目にあるイタリア食材の輸入卸問屋へ行く予定だったのが、例によってカレシが土壇場での予定変更で、まさにドタキャンならぬ「ドタチェン」。せっかく天気がいいんだから運動代わりに歩いて出かけて、とっくの昔に口座を閉めた銀行にひっかかったままの退職年金積立て制度の残高を引き出し、ついでに道路向かいのモールのスーパーの薬局でインフルエンザの予防注射をしてもらおうという提案。まあ、イタリア食材は別に今すぐ必要なわけじゃないからそれでいいとして、そうやってやたらとドタチェンしては人を振り回すの、そろそろやめにしない?アナタがやたらと唐突に話題を変えるのと同じで、こっちはちょっと疲れるんだけど。そうやって采配を振るいたいという気持はわかるけど、すごく非効率的だと思うよ、人生・・・。

メインの銀行と交差点を隔てて斜め向かいにあるCIBCの口座を閉めたのは数年前。プロが運用するという投資口座の開設を勧められて、10万ドル預けてみたらわずか半年で何と1万ドルも減ってしまったので、怒って投資口座も預金口座も解約してしまった。でも、年金貯蓄だけは銀行間で移動してもらわないと「引き出し」とみなされて課税されるので、(それでもめんどうな手続きをして)移動できたのは定期だけ。たまたま満期で現金で入っていた分は残高が毎日変わるために簡単に動かせないまま「腐れ縁」のような状態になっていた。それを今年はワタシの課税所得がかなり低くなりそうなので、所得に加算されても税金は増えそうにないと見込んで、思い切って引き出してしまうことにした。手続きをした人は、「臨時に口座を開けばすぐに入金されるけど、そうでなければ小切手を郵送するので2週間くらいかかるけど」と商売っ気たっぷり。いえいえ、今すぐお金が要るんじゃなくて、処理の日付が「今年中」であることが重要なんで、小切手でいいですから・・・。

それでも30分近くかかったけど、何年も懸案だった2人分の年金貯蓄の残高をやっと「取り戻す」ことができた。これでCIBCとの縁はすっぱりと切れた。お金よりもこっちの方がうれしいくらいだな。なんだか意気揚々として、道路を渡ってセーフウェイの薬局へ。インフルエンザの予防注射は去年もしてもらったので記録が残っていて、健康状態の質問票にイエスかノーの印をつけるだけ。新型インフルエンザの流行をきっかけに薬局で予防注射を受けられるように訓練を受けた薬剤師に資格が与えられて以来、予防注射と名のつくものは無料のものも有料のものもすべて薬局で済むから便利でいい。エレインさんの注射はそこらの看護師さんよりもずっと上手で、全然感じないくらいだからすごい。カレシは65歳を過ぎているので無料。ついでに「政府推奨」の肺炎ワクチンも無料。ワタシの場合は、インフルエンザの予防注射は(たぶんストレス性の咳だと思うけど)慢性の呼吸器疾患があるということで、65歳以下でも無料でしてもらえるけど、肺炎ワクチンの方は「無料の分しか置いていないので」ということでしてもらえなかった。ま、いいけど・・・。

懸案事項がまた2つ完了して、せいせいした気分でモールを出たらもう夕焼け。明日から12月で、1年で一番日暮れの早い日ももうすぐそこ。冬の夕焼けは何となく薄紫がかった色合いで、今夜は冷えそうだなあという予感がする。日暮れの道はつないでいる手が冷たい。つないだままでカレシのポケットに居候したけど、それでも冷たい。ねえ、手をつないではめる2人用の手袋を買おうか・・・?


2011年11月~その2

2011年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
生まれ変わったら、またこの人と一緒になる?

11月11日。金曜日。くたびれたと言って午前2時に早々と寝てしまったカレシは今日も早起き。ワタシはいつもの3時過ぎに「営業終了」して、Miss Mappの本を読みながら、ブリーを肴にちょこっとレミで寝酒をしてから就寝。普通に午前11時半に目が覚めて起きた。キッチンに下りて行ったら、いきなり「腹減った~」とカレシ。8時過ぎに目が覚めて、9時までがんばったけど眠れずに起きてしまったそうで、「どうしても東部時間が抜けないんだよ~」。ええ?たった1週間いただけで、しかも帰って来てもう2週間近く経つのに?ま、きのうデイヴィッドが電話して来て、金曜日にトロントを発って月曜日にバンクーバーに着くということだったので、2人して東部時間で寝起きするのもいいかもね。もっとも、4000キロ以上を3日。かけて旅して来たら、時差ぼけなんか全然関係ないだろうと思うけど。

ボストンから帰ったばかりでバンクーバーへ長旅をするというのはすごい。でも、カレシの見るところでは、大学時代からのエンジニア仲間の集まりがあると言うのはたぶん口実。「あいつ、家にいてもすることがないんだろうな」と。ワタシと同じ誕生日のデイヴィッドは2つ年下だから今年61歳。同い年のジュディと結婚したのはワタシがカナダに来た年。会うたびに、何かイマイチかみ合っていない夫婦を感じることが多い。デイヴィッドが些細なことで切れては怒鳴り散らして、ジュディが周囲から離婚を勧められていた時期もあったというから、かみ合わないままになっているのかもしれないけど、ジュディには何らかの発達障害があるのではと思わせるところも多い。ある意味、「外向的自閉症」があったのではないと思われる今は亡きカレシ(とデイヴィッド)のパパとそっくりで、音楽専攻で大学を出ているし、お人よしと言われるくらい気立てのいい人なんだけど、誰と話しても話題をすべてそのときに関心のあることに結び付けるので、なかなか会話がかみ合わないことが多い。無関係の(それもみんなが暗記しているくらい何十回と聞かされている)話題で唐突に人の会話に割り込むくせがあったカレシのパパと違って、ジュディはその場の会話に参加しようという努力をしているのがわかるんだけどなあ。

旅先で4人で連れ立って歩いていても、足の速いワタシたちはどんどん先に進み、膝の関節炎を患っているデイヴィッドは少し遅れ、ジュディはさらに遅れるので、ワタシたちはどっちへ行くかを決めるような交差点で2人が追いつくのを待つんだけど、2丁も3丁も遅れたジュディは、3人が待っていても足を速めるでもなく、ウィンドウを覗くわけでもなく、ひたすらマイペースで歩いて来る。ワタシはその数分を利用してきょろきょろと周りを観察したり、写真を撮ったりするんだけど、待つのが苦手なカレシは「みんなが待っているのを知っていて何で早く追いつこうとしないんだ」とイライラする。(でも、ワタシとモールへショッピングに行ったときは、ワタシがそれほどペースを落としていなくてもちゃんと並んで歩いていたけどなあ。)ま、今はキリスト教史の勉強をしていて、デイヴィッドが「のめり込みすぎ」と言うくらい、思考のすべてがそれを中心に回っているらしいので、引退して手持ち無沙汰のデイヴィッドは辟易して「バンクーバーに行って来る」という気分になったのかもしれない。夫婦って、ほんとに十組いれば十組がそれぞれの形を持っていて、たとえ仲の良い親族であっても、その真の姿は見えないものなんだと思う。

日本はすでに週末だし、こっちは戦死者追悼の日で三連休なので、今日はワタシも休みということにして、小町横町に散歩に出かけたら、『生まれ変わったら、また今の夫(妻)と一緒になりたいですか?』と言うトピックを見つけて、おもしろそうなので覗いてみた。300本近い書き込みがあって、「絶対に嫌!」というのから「絶対にまた!」というのまでいろいろあって、ヒマだからと統計を取ってみたら、「Yes」が43%、「No」が57%だった。数少ない男性の書き込みはほとんどが「Yes」。ま、結婚に関しては男の方が妙にロマンチックなイメージを抱いていたりするから。「No」陣営は、道ですれ違うのも嫌だと言う人もいれば、義両親が付属していなければいいかもという人、違う人生を歩いてみたいからと言う人、そもそも結婚なんてしたくないと言う人がいる。結婚1年でもう「絶対に嫌」と言っている人もいれば、30年も一緒に暮らしてきて「来世はまっぴらごめん」と言う人もいる。相手が知ってか知らずか、特に今の夫が嫌いなわけではないけど、もうおなかいっぱいなので次は違う人、と言う猛者?もいるからすごい。

まあ、結婚に至った流れや目的、結婚した動機や期待感もそれぞれに違うだろうから当然なんだけど、夫婦の絆や形はほんとにいろいろだな。夕食のテーブルの向こうにいるカレシを見ながら、ワタシだったらどうするか考えてみた。どうするかなあ。地獄も見たけど、幸せだと思うことも多かったし、今は四六時中一緒にいてけっこう楽しいしなあと考えながら、ゆうべWhole Foodsへ行って、商品に鼻をくっけるようにラベルを読んでいたら、同じ品物を取って読み上げてくれた男性のことを思い出した。コンタクトを入れていないのでよく見えないと説明したら「それは大変だろうね」と。でも行き交う男性がみんなハンサムに見えるという利点もあるのよと言ったら、その人は「うれしいことを言ってくれるね」と楽しそうに笑った。そうだなあ、テーブルの向こうにいるカレシも38年前の夏に初めて対面したときと同じくらいにハンサムに見える。いや、細部がすっかりぼやけているもので、あのときよりもずっとハンサムに見えるような気もするな。

で、生まれ変わったらどうするか。う~ん、やっぱりカレシと一緒になりたいかなあ。この36年半の間にいろいろとあって、カレシのいろいろなところがわかったし、自分のいろいろなところもわかったから、もう割れ鍋に綴じ蓋のようなものなのかな。生まれ変わったら、前世のことを何か遠い太古の記憶のように漠然と覚えていて、「自分」を危うくするようなことはしないと思うし、また出会って一緒になったら、ずっといい関係になれそうな気がするんだけど、まあ、コンタクトをしていなければ、あばたもえくぼも同じに見えるし、小さなあばたなんか全然見えないしなあ・・・。

TPP、パートナーシップと言えば聞こえがいいけれど

11月12日。土曜日。雨模様。きのうの午後はかなり強烈な寒冷前線が接近していて、夜遅くにはワタシたちの頭上を通過するような予報だったけど、どうも知らないうちに来て、さっさと通り過ぎてしまったらしい。ニュースでも大木が倒れた、雹が降った、フェリーが遅れたと、海峡の向こうのバンクーバー島を中心にあちこちで被害が出た模様。川向こうのリッチモンドでは停電もあったそうだから、かなりの強風だっただろうに、2人ともまったく気づかないままだった。となりのバーナビーの高台バーナビーマウンテンでは雪が降ったそうだし、入り江の向こうのサイプレスマウンテンのスキー場にはどかんと雪が降って、この週末に早々とスキー場開きをするらしい。やっぱり、この冬は荒れるのかなあ・・・。

今日は仕事の手をちょっと緩めて、いつまでもつかわからない古い電子辞書の科学用語辞典から、これはという用語を拾い出して、エクセル形式の用語集に入力する作業を始めた。翻訳者にとって用語集は命。ワタシも20年ちょっとのキャリアで蓄積して来たものがあるんだけど、何でも屋なもので分野ごとの用語集があって、エクセルのファイルに『科学用語集』ならシートを「気候変動」、「環境・気象」、「バイオ」、「地球」、「森林」、「化学」、「医薬」、「医学」、「心理学」、「臨床試験」、「分析法・機器」、「物理」、「天文」、「統計・数学」、「略語」と分けてあり、『ビジネス用語集』では「ビジネス一般」、「証券」、「税務」、「法律名」、「法律用語」、「政府機関」、「政治用語」、「制度」、「条約」、「特許」、「略語」、『産業用語集』では「企業名」、「製造用語」、「工学用語」、「品質管理」、「林業」、「鉱業」、「漁業」、「農業」、「基準・規格」のシートがあり、さらには生物の学名を集めた『生物分類』や訳例を集めたファイルもある。他にもまだどこにも整理していない用語集がたくさんあって、開くたびにいつも整理しなきゃなあと思っていた。今どきはネットでググればたいていの用語は見つかるんだけど、紙の辞書をひっくり返して調べていた癖が抜けないのか、やっぱり自分なりに整理した用語集のほうが使いやすい。

まあ、新しい発見や技術や事象があるたびに「用語」が増えるわけで、何でも屋には追いつくのが大変だけど、調べたときに記録しておかないと、後で再登場したときにまた探すのにひと苦労したりする。でも、いざ整理を始めてみると、人間というのはほんっとに言葉数が多いなあと思ってしまうな。それもずらりと並んでいるのはどれも「知識」であって「知恵」ではないような感じがする。つまり、たまたま翻訳業なんて商売に足を突っ込んだから持っていなければならない「在庫」なわけで、早い話が商品を作るための「部品」。これだけたくさんあっても、たいていの人はその99%を知らなくたって支障なく普通に生きて行ける。ワタシだって、翻訳業から足を洗ったら不要になって、やがては99%が忘却の彼方ということになるんだろうな。言葉、たかが人間の道具、されど言葉・・・。

今ハワイで開かれているAPECの会合でTPPが議題のひとつになっている。日本が参加を表明したけど、日本の総理大臣が「すべての物品やサービスを対象にする」と言った、言わないでもうアメリカと日本で話が食い違っているから、何だか前途多難そう。まあ、「すべて」と言ったら、今7百何十パーセントだかの極端な関税をかけているコメも自由貿易の品目になるわけで、日本人の日本のコメへの思い入れを考えると政権の命取りになるだろうな。日本国内ではTPP参加への反対が強いようだけど、アメリカ国内でも日本参加に反対する声がけっこうある。日本の参加でTPP交渉の先行きが不透明になったという記事もあった。どうせまたGATTのときと同じようにあれこれと例外を認めてくれとダダをこねるんだろうからと言う理由だったな。

ちなみにこのTPP、カナダは参加していない。わずか2万戸ほどの酪農家と養鶏農家を高関税で保護しているのはけしからんと、アメリカとニュージーランドが反対しているとかで、招かれてさえいない。でも、カナダ政府は「TPPがカナダにとって良いことかどうかまだ見極めていないから」と、慌てず騒がずの態度でいる。もちろん、参加しないと取り残されるとせっつく業界や団体も多いけど、ま、TPPはどう見てもオバマ政権のなりふり構わぬ「雇用創出策」の一環のような感じだし、何よりもカナダは北米自由貿易協定(NAFTA)の下でアメリカの「横暴」にさんざん手を焼いて来た経緯があるから、ここは外野席でもよう眺めをしている方が賢明かもしれない。

日本では、TPPに参加したら日本人は日本のコメを食べられなくなるとか、アメリカ式の医療になるとか、外国(アジア)人がどっと流入して来て犯罪が増えるとか、心配性の日本人の不安を掻き立てるような反対論を展開している人もいるらしいけど、あんがい交渉で日本の聖域を主張して例外を認めろと声高に要求すれば、TPPの成立が困難に・・・なんてことにならないとも限らないから、感情的に反対、反対と叫ぶよりも、外交ゲームだと思って攻略の戦術を練った方がいいと思う。外交というのは人間関係の延長だと思うけど、友だちづきあいじゃなくて、いわば「営業」。営業マンはウザったい相手だから距離を置くとか、疎遠にするとか、絶縁するとか言ってはいられないでしょうが。

ワタシの用語集に「TPP用語」のシートを作らないで済めばいいけどなあ。わけのわからない交渉用語でいっぱいになりそうだから・・・。

定年退職した男には7人の敵より1人の友だち

11月13日。日曜日。ぱっとしない天気だけど、普通に近い時間に起きた。カレシの睡眠パターンの乱調には困ったものだけど、小学生の夏休みキャンプじゃないんだから、同じ時間に寝て同じ時間に起きなければならない理由はないか。カレシはワタシが起きるのを待っていてくれて、いっしょに朝食をするし、ま、互いに差し障りがない限りは、起きてから寝るまでの間に一緒に「生活」を共にする時間さえ十分にあればいいんじゃないのかな。要は、量より質・・・。

朝食が終わって、夕食の算段をして、重い道具を担いで絵のワークショップへ。コンタクトなしの目でちょびちょび手を入れて来たカラーの花の絵を先生に見せて、ずいぶんフタロブルーを使ったんですけど~と言ったら、「ちゃんと見えている。今度は奥行きを出すのにライムグリーンで葉をほのめかすように入れてみて。メディアム(展色剤)を使ってね。それから、花の陰影はピンクが強すぎるので、ちょっと黄色を入れた白でぼかしてトーンダウンしてみて」とアドバイス。う~ん、ほのめかすって言ってもなあ。要は、葉っぱとはわからないけど何となくそれらしくってことかな、と勝手に決め込んで、少し明るいグリーンを作って、メディアムを混ぜて、しゅっ、しゅっ。こういうときは両手利きは便利なもので、一方の手で絵の具を塗っては、別の手で濡らしていない絵筆で擦って行くと、けっこううまくぼかしになる。小学校のときは「両手はダメ。ちゃん右手で描きなさい!」と子供心にうんざりするほど言われたけど、ま、日本工業規格の権威はカナダまで及ばないから安心して両手に筆・・・。

帰ってきて、夕食を作って、カレシが午後の間何をして、何がうまく行ったかを聞きながら食べる。ニュースではカナダとメキシコがTPP参加を決めたと言っていた。「オバマ大統領のたっての要請で」なんて言ってる。へえ。カナダとメキシコとアメリカはとっくの昔に自由貿易協定(NAFTA)を結んでいるから、ある意味で勝手を知っているというところかな。さっそく日本が「どうだ、手を組んでアメリカに例外条項を認めさせようじゃないか」とそそのかしているらしい。個々の品目に例外を認めたら、自由貿易とは言えないけどな。いうなれば「今よりはもうちょっと自由な貿易」かも。EUのように労働力の移動が自由になると喜んでいる日本人もいるらしいけど、好きなだけカナダにいて、好きなように働けると思っているのかもしれない。あんまり期待しないほうがいいような気がするけどな。(最近は落ちこぼれ組が多いみたいだから、期待しない方がいいのはカナダの方かもしれないけど。)それにしても、オバマ君、来年は大統領選挙の年だから、必死という感じだな。これから1年、交渉がどんな風に展開するか楽しみな気がする。

8時過ぎにとなりのパットがやって来た。先週12年物のアイリッシュウィスキー(ジェイミソン)を買ったので、カレシが一杯やりに来ないかと誘ってあった。(パットはアイルランド系。)スコッチとアイリッシュウィスキーでは製法が違っていて、後者はモルトがピートの煙に直接触れないので、何ともいえないまろやかな甘さがある。ワタシとしてはシングルモルトのスコッチの方が好みだけど、たまにはアイリッシュもいい。男同士のおしゃべりを始めた2人におつまみを出して、ワタシはちょこっと仕事をしたり、ときどき首を突っ込んだり。おつまみがなくなったら、野菜チップを出し、夜も更けてきたところで、ニラをたっぷり入れたチヂミを作ってひと口サイズに切り分けて出し、自分の分を(グラスと一緒に)持ってオフィスに下りてまた仕事。(チヂミのたれは生地に混ぜ込んでおいた。)でも、グラスを片手にキーを叩いているワタシも、かなり出上がって来ているような感じだけど、いいのかなあ・・・。

カレシとパットは年が近いし、商学部と工学部の違いはあっても同じ大学を出ているし、性格がわりと似ていたりするので、人付き合いが苦手らしいカレシもパットとはウマが合うらしい。最近来た雑誌のどれだったかに、男性は出世競争をしているうちに若い頃の友だちがどんどんいなくなり、定年になって引退する頃には友達と呼べるつきあいがほとんどなくて、孤独感からうつ病になる危険が大きいと言う記事があったから、きっとそれを読んで「気をつけないといかん」と思ったのかな。男は外へ出たら7人の敵がいると言うけど、いったん社会に出たらそれまでの友だち付き合いをそのまま継続するのは難しいのかもしれないな。大学の仲間なら競争相手になり得るし、十代の頃の悪友仲間なら、その後の人生に差ができているかもしれないでも、定年退職したら7人の敵もどこへやらだろうに、どうしてわざわざ人生をめんどうにするのかと思うけど、男ってのはそれだけ孤独な存在なのかなあ。

雑誌に記事によると、年を取って引退した女性は趣味やボランティアなどに行け行けのエネルギッシュな勢い乗る人多いのに対して、男は概してテレビの前のソファでへた~っとなってしまうことが多いらしい。仕事が忙しいとか、男子何とかと言って家庭に参画して来なかったのなら、手持ち無沙汰の濡れ落ち葉になるのも当然かも。男もふだんから仕事やキャリアとは別に交友の輪を広げておくべきということだけど、夫婦の老後のライフスタイルにすれ違いが大きくなると、男は浮気に走り、女は離婚へ進むんだそうな。どうやら、男と女ではそもそも「交友」のコンセプトからしてどえらい違いがあるってことかなあ。やれやれ、男って、んっとにもう・・・。

鉄道の旅は楽しいけど3日半は長い

11月14日。月曜日。この2、3日。はカレシに釣られて少し(というよりはかなり)早く寝ているもので、当然目が覚めるのも早くなって、結局は起きるのも早くなってしまった。それで、今日は午前10時半。ま、日本時間の朝一番(今日の午後)が納期になっている仕事があるから、早起きも悪くはないかな。余裕でやれるし・・・。

先週Via Railでトロントを出たデイヴィッドは、今日バンクーバーに着いたはずなんだけど、まだ連絡がない。カレシは金曜日に出ると聞いたと言っているけど、バンクーバー行は火曜、木曜、土曜の週3便しかないから、木曜日に乗っていれば今日の朝10時前到着ということになるけど、今回は郊外のジムの家に泊まることになっているから、レンタカーを借りて直接そっちへ行ったのかもしれないな。それにしても、いくら運賃無料で、乗り換えなしだといっても、3日。半(シベリア横断鉄道の半分の約4500キロ、所要時間は3日。と11時間・・・)は長いだろうなあ。始発駅のトロントと終着駅のバンクーバーの間には、降りる人がいるときだけ止まる駅を含めて停車駅が何と65もある。特にプレーリーを走る2日。目は、「今は山中、今は浜」なんてものじゃなくて、行けども行けども、果てしなく小麦畑(畑と言う感覚ではないかもしれないな)だったり、大草原だったりするだろうな。オンタリオ州もマニトバ州も高いところで標高千メートル以下だし、次のサスカチュワン州も西側のアルバータ州との境まで行ってやっと一番高い1400メートルちょっとの「山」があるそうで、それまでは地球のスケールで見たらぺっちゃんこのまっ平ら・・・。

先月ボストンに行った帰りに、トロント経由でモントリオールまで飛んで、Via Railでトロントまで帰って来た。オンタリオ州やケベック州は人口もかなり集中しているから、「鉄道網」と言っても良さそうなものはある。モントリオール中央駅は、駅の部分そのものはダサいけど、小さくても東京駅と比べられそうなおしゃれな食べもの屋が並ぶコンコースがつながっていた。

[写真:モントリオール中央駅時刻表]
時刻表はフランス語が先。モントリオールはどこもフランス語最優先で、姪のスーザンのパートナー(フランス人移民二世で完全な英仏バイリンガル)が最近は「反英語」の風潮が強くなっていると言っていた。ちなみに、カナダでは英語とフランス語が公用語だけど、ケベック州だけはフランス語のみが公用語で、しかも英語の表示などの大きさや位置を取り締まる「言語警察」まがいのことまでやっているから、フランス語人口がほとんどいないのにあらゆる商品のラベルにフランス語を「押し付けられている」英語圏はおもしろくない。おかげで、ワタシは特に習ったことのないフランス語を読んで(見て)だいたいの趣旨を察することができるようになったけどな。単語もちらほらと覚えたし・・・。

モントリオールからトロントまでは5時間。Wi-Fiもあるし、ラップトップ用のAC電源もあるし、座席は飛行機よりも快適。車内では飲み物や食べ物のカートが行ったり来たり。カナダ版の駅弁とでも言った感じのランチは、ビールが2ドル、イタリアンサブマリンが6ドル。どれも値段は2ドルか6ドルのどっちかというからおもしろい。サンドウィッチには3種類のハムと3種類のチーズが挟まっていた。列車はどれだけのスピードなのか知らないけど、なぜか途中でよく止まって、「予定より早いので、待ち合わせのために○分停車しま~す」というアナウンスがある。しばらくすると反対方向へ行く列車がゴォ~っと通過して、ゆるゆると発車。Via Railを使い慣れているデイヴィッドが「いつも最低30分は遅れているのがフツーなのに、今日はヘンだなあ」と首を傾げていた。その日はハロウィーンだったから、そのせいじゃないのかなあ。

トロントのユニオン駅到着はみごとに定刻。プラットフォームは駅の地下にあって、狭いし、少々薄暗い。モントリオールでも地下にあって、狭かった。それで、地上部にある改札口は発車の時刻が近づくまで開かないのかも。降りて出口へ向かって歩いていると、ホームが低いので大きな車体が両側から迫って感じられる。何だか古いアメリカのサスペンス映画で見た駅の風景の感じがしないでもなかった。(アメリカのアムトラックの車体は二階建てだったので、もっと見上げるくらいに大きかった。)来年はジャパンレールパスを買って、日本列島を鉄道で旅したいね。のんびりと車窓の風景を眺められる鉄道の旅は楽しい。でも、3日。と11時間も乗り続けるのはやっぱり長いと思うなあ・・・。 

国際学会が国際結婚の研究を始めた

11月15日。火曜日。午前3時ちょっと前に寝て、目が覚めたのは2人とも11時ちょっと前で、今日はカレシの英語教室の日なので、11時半に目覚ましをセットしてあったけど不要だった。外はすごく明るい。このくらい天気がいいと昼と夜の寒暖の差が大きくなる。夜の気温がぐっと下がったときに天気が崩れると雪になることもあるけど、市制選挙の投票日がある週末の天気予報には雪印マークだなあ・・・。

カレシを第1ラウンドに送り出して、モールへちょっと。郵便局へ行って、私書箱にたまった郵便物を引っ張り出す。そろそろクリスマス商戦なもので、カタログ攻勢がすごい。思いし、たいていは家の方にも送られてくるので持ち帰る意味がないから、モールのベンチに陣取って、裏表紙に印刷してあるワタシのアドレス(と、中の注文書にアドレスが印刷してあればその部分)を破りとって、受取人不明になったカタログの束はゴミ箱にどさっ。その足でカード屋へ行ってクリスマスカード選び。子供たちがサンタクロースと写真を撮るためのセット作りが始まっていた。あ~あ、今年もいつのまにかそういう季節か・・・。

家の郵便受けには『エコノミスト』の最新号が入っていた。「ベルルスコーニ退陣後のユーロ危機はどうなるか」。目次をざっと見渡したら、「国際」のセクションの「国際結婚」という見出しが目を引いた。「国際結婚」を「国籍が違うカップルの結婚」と定義した上で、100年前は、イギリス貴族がアメリカの成金富豪の娘を娶って資力の回復を図ったように、上級階級がするものだったのが、今では世界の最も顕著な社会的潮流のひとつになり、ここへ来てやっと国際人口学会による研究が始まったと言う話。政治家だけを見ても、フランスの大統領夫人はイタリア人、首相夫人はウェールズ人、ネルソン・マンデラの奥さんはモザンビーク人、デンマークの首相夫人はイギリス人で、アジアではスーチー女史もソニア・ガンジー女史も国際結婚の未亡人。

先進国だけでも少なくとも推定1千万組はいるそうで、雑多な人種がいて国籍者と外国籍者の区別がつけられない北米では「International marriage(国際結婚)」という表現は稀だけど、EUは国籍まで統一していないから、お隣の国の人と結婚したらやっぱり「国際」ってことになるな。でも、国際結婚はグローバル化を反映するものだけど、そのおかげで今度は「国際結婚」をどのように定義するかが(少なくとも人口統計学者には)難しくなって来ているらしい。たとえば、インドからカナダに移民してカナダ国籍になった人が母国インドからお嫁さんをもらった場合は、人種は同じでも「国際結婚」ということになるけど、もしも、たとえばフランス系カナダ人と結婚したら、人種は違っても国籍は同じなので「国際結婚」にはならない。つまり、カナダ国籍のワタシが何らかの理由でひとりになったと仮定して、もしも日本国籍の日本人男性と再婚したら「国際結婚」したことになるわけか。何だかいまいちピンと来ないけどなあ。

スイスは世界で4番目に国際結婚率の高い国なんだそうだけど、おもしろいことにドイツ語圏のスイス人は隣国ドイツの人と、フランス語圏の人はフランスの人と、イタリア語圏の人はイタリア人と国際結婚するんだそうな。このパターンはベルギー人の国際結婚でも同じで、フランダース語圏の人はオランダ人と、ワロン語圏の人はフランス人とそれぞれ結ばれるとか。ヨーロッパでの国際結婚には依然として「言葉の壁」が立ちはだかっていて、第2言語としての英語が普及してもそれは変わっていないらしいということだった。また、欧米では移住した結果として国際結婚が成立する傾向があるのに対して、アジアでは(経済的な理由で)「移住」するために国際結婚する傾向があるとか。(貧しい国の女性が豊かな国の男性に嫁ぐケース・・・。)

さらに、夫と妻の年令や教育水準などの差が同胞婚の夫婦と比べて大きいけれども、その差が大きいほど結婚は長続きする傾向があるそうで、理由を知るのは難しい。(同胞婚よりも双方が結婚の維持に努力をするからかもしれないし、あるいは貧しい国から来た若い妻たちが離婚するのは難しいと知って留まるからかもしれないし・・・。)いずれにしても、経済や教育水準の格差を背景とする搾取や虐待などといった問題はあるものの、国際結婚の持続率は平均よりも長く、夫の国に移住した外国人妻がその国で大きな役割を果たすようになることを示す証拠があるという話だった。(台湾では、台湾企業の対ベトナム投資が始まって以来ベトナム女性との国際結婚が急増したそうで、女性が結婚しても普通に働く台湾ではベトナム人妻が夫のビジネスを助けることも多いだろうと思うな。)

不思議なのは、日本人女性の国際結婚については、いわゆる欧米人(白人)との結婚についてはひと言も触れず、東京の女性が東南アジア人と結婚して、夫の国に住み着く「逆移住」や日本でアフリカ人と結婚するケースが増えている(推定3千人以上とか)という話が載っていたこと。まあ、経済的理由で欧米(豊かな国)に移住するために国際結婚するのではないことはたしかだし、離婚率は相当に高いと言われているから、世界のどの国際結婚のパターンとも一致しないということで、記事にならないと無視されたのかなあ・・・。

夫の上の空は生まれつきなんだそうで

11月16日。水曜日。雨模様。久しぶり?に2人揃っ普通の時間に起床。午前11時50分。カレシは一度も目を覚まさずにぐっすり眠れたとか。ワタシは、う~ん、何だかヘンな(と言うかシュールな)夢を見ていたような気がする。ヘンな夢はときどき見るんだけど、いつもよりヘンだったのは、夢の途中でカレシが姿を消さなかったことかなあ。消さないどころか、車がガンガン走っている道路を歩いていたワタシを一段高いところから手を伸ばして引っ張り揚げてくれた。ワタシの夢にカレシが登場するときは、いつの間にか姿を消していることが多かったから、これは由々しき「ヘン」だよなあ。ひょっとして、ワタシの精神性に由々しき変化が起きているとか・・・?

まっ、ワタシがワタシでいて、そのワタシと仲良くしていれば問題はなしだと思うから、ワタシの精神性もフツーに戻って、カレシがワタシの記憶装置からデフラグされなくなったってことかな。いや、デフラグされなくなったのか、できなくなったのか・・・そんなこと、わかるわけがない。ま、カレシが途中で消えない夢は目覚めがいいから、どっちでも問題はないってことでいいか。ワタシは一挙手一投足を見守ってくれる守護天使がいて、ワタシが知らないうちに危ない方へ進んでいれば、いつも「おいっ!」と声をかけてくれていると信じている。ま、いわしの頭も何とやらというけど、自信たっぷりにそんなのいらないと否定するからその存在が感じられないだけで、実際は、キリスト教も仏教も関係なく、誰にも遠くから見守っている守護天使がいると思う。だから、夢はある意味で眠っている間に守護天使から「注意喚起」の目的で送られて来るメッセージのようなものかもしれないな。夢って、ほんっとに不思議なものだな。

朝食後、嵐もようだと言うのにカレシは庭仕事用のつなぎに着替えて外へ。ワタシはその間に少し仕事を進めるつもりだったけど、何となくだらだら。年金の記録と改正のお知らせが来てからというもの、どうも仕事に身が入っていない気がする。年金の方は最終決定と受給手続きまでまだ一応10ヵ月はあるんだけど、1年以下になったと思うと何だか「そのとき」が迫って来たという感じがするな。ふと数えてみたら、結婚前に日本で勤めていた年数を含めると、再来年の「定年」までに通算40年以上働いたことになる。長いことがんばったワタシ、自分で背中をポンと叩いて、「ごくろうさん」と労ってあげていいかなあという気もするから、改正で増える選択肢に悩んでしまうんだけどな。

午後3時のポーチの気温は3度。郊外の高台では雪混じりの雨だそうな。外の歩道や家の雨どいの落ち葉を掃除したぞ~と入って来たカレシはずぶ濡れ。ドライヤーに入れてと渡されたつなぎは裾が泥んこ。ついでに洗った方がいいからと洗濯機に入れて水を入れ始めたら、「ポケットにティッシュが入ってる」と。洗濯場が雪模様になっては大変だから、引っ張り出してポケットを点検したら、何とガレージのドアのリモコンが出て来た。水に浸かる前だったから良かったけど、おいっ、何がティッシュだっ。ティッシュの方は別のポケットからリップクリームと一緒に大きな塊が出て来た。リップクリームが入ったままでドライヤーに入れたら、解けてえらいことになるじゃないのっ。やれやれ・・・。

でもまあ、とりあえずティッシュの吹雪は回避できたからいいかと思っていたら、今度はゲラゲラとひとり笑いしながら階段を上がってきた。「眼鏡が見つからなくてさ~」とゲラゲラ。それはいつものことだけどなあと思っていると、「どこにあったか当ててみろよ」とまたゲラゲラ。あのさ~と、じっとカレシの顔を見ているうちにワタシもゲラゲラ。頭のてっぺんの禿げているところに老眼鏡がちょこんと載っているじゃないの。あはは、いくらなんでも人間の目では頭のてっぺんは見えないよねえ。でも、何それが見つからないと騒いで家中を探し回ったあげくに灯台下暗しだったというのは、本人が「5歳のときからこうだった」というくらいの日常茶飯事。けさもある本が見つからないと家中を探し回っていて、発見魔のワタシも手伝おうかと本棚のあるリビングに行ったら、探していた本はカレシがいつも座っているリクライナーの横のテーブルの下。探していなくても「こんなところに本がある」と気がつきそうな状態だったんだけど、なぜかカレシの目には止まらない・・・。

ひとしきり2人してゲラゲラ笑っていたら、午後3時半過ぎにやっとデイヴィッドから電話があって、明日の午後に我が家に来て泊まるからよろしく、と。翌金曜日の午後にエンジニアの集まりに出てから、午後8時過ぎ発の列車で帰ると言う。トロントまでは3日。と13時間の旅(なぜ復路が2時間長くなるのかは不明)。往復に丸7日。かけて、滞在は到着日と出発日を含めてもたった5日。って、カレシと同じくご隠居さんの身なんだから、もっとゆっくりすればいいのにと思うけど、家にいたってもて余すぐらいにたっぷりと時間があるからいいのかな。カレシは明日は2人で古いコンピュータを解体することにしたと張り切っている。7つ違いのご隠居さん2人が頭をくっつけてコンピュータを壊している図を想像しておかしくなったけど、仲のいい兄弟ってのはいいもんだなあ。兄弟姉妹はいくつになっても兄弟姉妹であることに変わりはないんだものね。

人気レストランで非売品のボトルを売ってもらった

11月17日。木曜日。午前11時ちょっと過ぎに起床。外は明るかった。ちょうど朝食を終える頃にデイヴィッドから、ダウンタウンに出たのでこれから地下鉄で行くからと電話。荷物は大丈夫かと聞いたら、今回はバックパックひとつで来たとのこと。ま、どこへ行ってもレールの上を走る乗り物に乗りたがるのは、元国鉄OBの土木技師だけある。カレシはいそいそとめったに使わない工作室の片付けにかかって、デイヴィッドが到着したのは正午過ぎ。なるほど、旅慣れたバックパッカーみたいな出で立ち。キッチンでちょっとひと休みしていたと思うと、もうコンピュータの解体作業・・・。

そのうちに、我が家にない道具を買いに行くと言って、兄弟2人で出かけて行ったので、ワタシはその間にまじめに仕事を進めておく。2人が出かけた頃に雨が降り出した。気温はきのうよりはましな5度。仕事のカレンダーを見ると、時間的にちょっとばかり詰まって来ているから、あんまりのんびりしてはいられない。科学でもあまりやったことのない分野なので、参考になる論文や抄録を探しながらの作業だけど、だんだんにどういうことなのか(何となくだけど)イメージが出来てくると、内容がわかっておもしろくなる。おもしろくなって来ると調子が出てくるからしめたもので、2人が帰って来るまでには思った以上に捗っていた。酒屋へ寄って来たそうで、カレシが「うっかりしてアメリカドルのカードを使ってしまった」と告白。いつものカードは緑色、アメリカドルのカードは茶色。眼鏡を持っていなかったからというけど、やっぱりそういう違いまで注意が回らないんだなあ。まあ、今日はまたカナダドルのレートが下がったからいいかと思うけど・・・。

ディナーに出かけるまでのしばしの間、2人はまたコンピュータの解体。カレシが何年も使った古いものなので、よっぽど中は埃がびっしりなんだろう、何となく埃っぽい臭いが同じベースメントにあるオフィスのワタシのデスクまで漂ってくるからすごい。たった1台でこうだから、デスクトップがどのデスクにもある職場はあまり健康に良くないかもしれないなあ。シックビル症候群ならぬシックオフィス症候群なんてあったりして、技術革新はビジネスにはプラスかもしれなくても、人間の健康から見るとちょっと考えものかもしれないな。

ワタシたち2組の夫婦がつるんでどこかへ行くときは、食事などの払いは最終的に何となく帳尻が合っていそうなどんぶり勘定の「割り勘」になることが多い。たとえば、ボストンでのホテル代はワタシがアメリカドルのカードで2部屋分まとめて払い、ワタシたちのトロント→ボストン→モントリオールの飛行機代とモントリオールンホテル代は予約を受け持ったデイヴィッドが払った。通貨は違うけど、双方の頭の中ではだいたい「とんとん」というところ。実際に換算して、それぞれ合計してみたらどっちかが払い過ぎている可能性は大だけど、それはいつかどこかで帳消しになるだろうということで、いちいちレシートを見て計算したりしない。でも、今回はモントリオールでの家族ディナーをデイヴィッドがまとめて払ったから、今度はワタシたちがホストになる番、ということで、開店以来早く行ってみたいと思っていたHawksworthにディナーに行くことになった。

Hawksworthは前によく行ったWestのシェフだった人が改装・増築した老舗のホテル・ジョージアに自分の名前で開いたレストラン。Westは毎年バンクーバーのレストランでナンバーワンに選ばれていたのが、彼が去ってからじりじりとランクを落とし始め、シェフが2度交代しているのに対して、Hawksworthは「長く待たれていた」という形容詞がつくほどの好評。おりしも道路向かいの美術館前にはウォール街に始まった格差に抗議するテント村が出来て、どうやらドラッグパーティ村と化したようで(すでにドラッグ中毒による死者が出ている)、レストランの外は報道陣やら警備の警察、消防署でいっぱい。これではビジネスに差支えがあるんじゃないかと思ったけど、中に入れば盛況のようで、おしゃれな若いカップルも多く、「他に行くところがない」とテント村に居座ろうとする同世代の若者たちとは好対照だった。

さて、レストランが気に入るかどうかは、内装やサービスも要素だけど、やっぱり最終的には料理が決め手。ということで、ワタシたちの印象は「Westのランクが下がった理由がわかった」。やっぱり、シェフのデイヴィッド・ホークスワースはヨーロッパの星付きレストランのシェフと十分に肩を並べられそうな逸材だと思うな。食事が進んでサーバーと打ち解けたところで、カレシが店の名前とロゴがあるミネラルウォーターのびんをさして、「これ、買いたいんだけど」とおねだり。ちょっと困ったサーバーが上司に相談して、「数量限定で作らせているので売れないものですが、特別に25ドルでお持ち帰りOK」ということになった。(びんのキャップが古風なスプリング式の栓なので、たぶん製造元に戻して詰め直しをするんだろうと思うから、客の求めに応じて売っていたら、まとまった量のびんを作り足さなければならなくなるだろうな。)まあ、飲みかけの水のびんが25ドルというのはバカ高い買い物だけど、(何度目かの試みで)非売品を手に入れるのに成功したカレシは有頂天。おしゃれな黒い袋に入れてくれたびんをおみやげに、ホテルの外の歩道を埋めた消防士や警官をかき分けて、みぞれが降りしきる中を地下鉄でご帰館となったのだった。

みぞれはまだ降っている。Hawksworthのミネラルウォーターのびん、透明ですてきだし、クリスマスパーティでも開いて、炭酸水を入れて出したら話しの種になりそうだなあ・・・。

薬漬けで長生きしても楽しくなさそう・・・

11月18日。金曜日。午前11時に起きて外を見たら、日陰に薄っすらと雪が残っていた。ゆうべはバンクーバー市内でもちょっと高いところでは(ベタ雪ではあるけど)わりと本格的に降って積もったらしい。年末まではラニーニャが続くそうだから、ひょっとして今年はホワイトクリスマスになりそうかな。(過去の記録から計算した確率は11%ということだけど・・・。)ゆうべはカレシとデイヴィッドが午前2時過ぎまでスコッチをやりながら「大学教育」について議論をしていた。ワタシは1時過ぎに仕事を店じまいして「飲み会」に加わったけど、アルマニャックを傾けながらもっぱら拝聴。人が議論しているのを黙って聞いているのも楽しいもので、文系(商学部で経済学専攻)のカレシと理系(工学部で土木工学専攻)のデイヴィッドとでは、大学教育のあり方に関する視点がほぼ正反対なのがおもしろかった。

とっくに起きていた(寝床を片付けてくれていた)デイヴィッドが上がってきて、3人で朝食。デイヴィッドが薬の容器を持っていたので、成人病が話題になる。魚を主食するようになってからコレステロールは問題なし(血圧もかなり下がった)のカレシに対して、ひとつ年下のジムは高脂血症の上に糖尿病、7つ年下のデイヴィッドは膝の関節炎と睡眠時無呼吸症候群の上に高血圧症ということで、どちらも複数の処方薬を常用している。3人とも肥満体ではないんだけどな。そういえば、ジュディも何種類かの処方薬を持っていて、2人の家のキッチンカウンターに処方薬の容器がずらっと並んでいてびっくりしたっけ。(カレシの故パパも一体何種類の薬を飲んでいたんだか・・・。)ベビーブーム世代は健康意識が高くて、ジャンクフード依存の子供の世代より長生きしそうだという話を聞いたこともあるけど、あんがい何らかの処方薬を常用しているのが平均的な60代ということなのかなあ・・・。

まあ、テレビを見ていると、中高年をターゲットにしている薬のコマーシャルがけっこうあって、消炎鎮痛剤だったり、高脂血症の治療薬だったりする。処方箋の必要な薬だから、直接薬局で売られるものではないので、薬を飲んで元気いっぱい老後を楽しんでいる老人男女の姿を映して、「ドクターに相談しましょう」とやっている。で、それを見た人がさっそく医者に駆け込んで「あの薬を処方してくれ」ということもあるだろうな。そうでなくても、製薬業界の売り込み合戦のおかげかどうか、医者の方もかなり安易に薬を処方する傾向があると思うし、人気?の薬を飲んでいるとうれしそうに言う人もいるから、ある意味でファッション感覚なのかもしれない。まあ、成人病関係の治療薬はずっと飲み続ける性質のものがほとんどだから、処方箋が一枚書かれるたびにその先何年もの製薬会社の売上が保証されるようなもので、高齢化社会の医療費は膨らむばかりだし、何よりも薬漬けで長生きしてもあまりおもしろくなさそうな感じがするんだけど・・・。

カレシがエンジニアの会合に出る前に駅に荷物を預けると言うデイヴィッドを駅まで送って行って、つむじ風のような「帰省」は終わり。また「 get itchy feet」になったらいつでも来てね。(ジュディと一緒ならなおいいけど。)この、どこかへ行きたくて、旅に出たくて、うずうずと落ち着かない気分を「足がムズムズする」と表現するのはおもしろい。ワタシもときどき仕事を放り出して、どこかへぶらりと言ってみたいような気持になるけど、子供の頃にしもやけになったかかとが痒くて、痒くていても立ってもいられなかった感覚と何となく似ているような気がするな。いつも2人揃って隠居になったら、のんびり旅行したいねと話しているけど、年を取ってから旅を楽しもうとすれば、やっぱり健康と体力がものを言いそうだな。つまりは、普段の摂生の積み重ねしだいと言うことか。

うん、やっぱり70歳まで年金受給を延期するのはやめにしよう。いくら年金の額が43%も増えると言われたって、そのときになって毎日この病気にあの薬、こっちの病気にこの薬という状態になっていたら、旅の楽しみが激減するどころか毎日の生活の質も落ちてしまいそう。ここんところは、再来年65歳になったら年金をもらい始めて、健康や体力が衰えないうちにムズムズする足の向くままを楽しみ、仕事を今の半分くらいでぼちぼち続けて、ボケ防止を兼ねて新設の退職後追加給付(PRB)をもらうのが一番良さそうな気がして来た。薬漬けにならずに長生きするためにも、そうするか・・・。

市議会選挙と、ついでに食卓の話

11月19日。土曜日。外は明るいけど、最低気温はマイナスだったらしい。起床は午後12時過ぎ。なぜか朝食にベーコンとポテトと卵を予定している朝は2人とも目が覚めるのが遅いから不思議。いつものシリアルにトーストの朝食と違って調理する時間がかかるから、朝食が終わる頃にはもう午後1時半。ぐずぐずしているとすぐに日が暮れて来る・・・。

とりあえずやるべきことをやってしまおうと、市政選挙の投票に出かけた。投票所は4ブロック先のコミュニティセンター。受付で有権者カードを渡して、名簿の自分の名前のところにサインして、投票用紙をもらう。いつもながら市の選挙のは大きな紙に裏表に投票する項目があって、投票に時間がかかるから、テーブルの上に段ボールの囲いを置いた記入場所の数も他の選挙のときの何倍もの数がある。まずは、市長。これは候補者のリストから1人、フェルトペンで名前の横の丸を塗りつぶす。次は市議会。定員10人なので、ずらっと並んだリストから10人選ぶ。多すぎたら無効になるから、途中で塗りつぶした丸を数えながら10人。次に公園委員会。市の公園や市営ゴルフ場の運営を監督する機関で定員7人。これもひとつ、ふたつと数えながら7つの丸を塗りつぶす。最後の教育委員会(定員9人)も同様。有権者1人1票でないところがおもしろい。

ここまでが選挙で、次に投票用紙をひっくり返すと、市の借入れ計画の賛否を問う住民投票の部になる。社会福祉や図書館、公共施設など民生関係の施設やサービス拡充に必要な借入金はいくら、道路や街灯、交通信号など交通関係で必要なのはいくら、警察や消防署の補修整備など生活の安全に関して必要なのはいくらで、しめて1億8千万ドル。そんなに借金してもいいのかなあと思いつつ、ひつの項目は「ノー」、2つの項目はひとつはじっくりと考えて、もうひとつはすんなりと「イエス」に投票した。ここまででたっぷり5分。用紙と一緒に渡されたフォルダに挟んで、出口そばの「投票機」のところへ持って行くと、係の人が上に突き出した部分をスロットに差し入れて、投票用紙はするっと機械に飲み込まれた。読み取り装置で瞬時に「開票集計」されるしくみで、これで市民の義務は完了。まあ、バンクーバーは「月光」市長とあだ名される現職が再選されるだろうけど、市長の会派がほぼ独占していた市議会の勢力がちょっとバランスのとれたものになればいいか・・・。

やるべきことが終わったので、ぼちぼちと仕事にかかる。全部で5つあるファイルを完了するのに手持ちの時間が後1週間になったけど、大丈夫なのかな。このまま1週間ずっと新規の発注がなければいいけど、来週の今頃になって、ああ大変だ~と慌てていたりして。それでも、今日は出足が遅かったせいで、1ページしか進まないうちにもうあたりが暗くなって、夕食のしたくの時間だ~ということになる。おととい久しぶりにおいしいものを食べに行ったのに触発されたのか、きのう、今日とちょっぴり手をかけたメニュー。今日はレッドスナッパーを(尾頭抜きで)丸ごと昆布だしとしょうがで湯煮。大根おろしに柚子の汁とポン酢を混ぜて添え、付け合せは蒸したインゲンと、思いつきできのう使った残りのソフト豆腐にイクラと刻みねぎを和えたもの。子供の頃大好きだったメンメの湯煮の味にはならないけど、種類の違う魚だからしょうがないか。でも、あっさりしていて、すごくおいしかった。

[写真] ついでに、これはきのうメニュー。ホタテのバター焼きと紅鮭の即席ムース風。付け合せは蒸したズッキーニときのこ入りの黒米ご飯。ホタテは柚子の汁を振っておいて味付け。紅鮭は尻尾の方を切り落とした残り物。メインには使えないし、そのままでは小皿料理にもならないので、ソフト豆腐と玉ねぎ少々とスターチ少々をチョッパーでピューレにして、シリコンのカップに入れて蒸してみたらムース風にできあがった。上に載っているのはケッパー。途中でスチーマーにズッキーニを入れたので、一石二鳥。真っ黒な米はその昔中国で皇帝に献上するために栽培されていたとかいう「古代米」の一種で、緑色のバンブー米、ブータンの赤米と並んで我が家の「お米コレクション」の花形のような存在。炊いても真っ黒できのこが見えない・・・。

外はもうマイナス2度。明日は絵のワークショップの最終日で、「おやつ」を持ち寄ることになっているから、何を作るか考えなくちゃ。この調子では、ねじり鉢巻での仕事は明日の夜になってからになりそうだなあ・・・。

割り勘をこじらせる損したくない病

11月20日。日曜日。天気がいいけど、外はまだ寒そう。ポーチの温度計は正午でやっとプラス1度。今日は絵のワークショップの最終日で、朝食が済んだらまっさきに持って行く「ポットラック」の準備。みんなが適当に持ち寄ったものを「おやつ」につまみながら最後のレッスンをということで、午後と言う時間からして甘いものが多いと想定して、調理している時間がないのでフリーザーにあった鴨の胸肉の燻製を流水につけて解凍してスライスし、プロシュットを巻き込んだモッツァレラチーズもスライスして、プラスチック容器に詰めた。後は自分が好きな野菜のチップひと袋。使い捨てのフォークが見つからないのでデザートフォークを8本ほど袋に入れて、ついでにナプキンをひと束。ささやか過ぎるように見えるかもしれないけど、ごく少人数だからこれで十分・・・。

こういうカルチャー教室のような講座やコミュニティセンターなどのプログラムでは、クリスマスやクラスの打ち上げのときにポットラックパーティをやることが多い。カレシの英語教室でもほぼ毎年のようにハウスの食堂を借りてポットラックのクリスマスパーティをやっていて、それぞれの家庭料理だったり、お国料理だったりして楽しい。先生は奥さんを連れてくればいいよと言われるので、カレシは忘れられやすいナプキンや紙のお皿、プラスチックのフォークやナイフ、カップなどを用意して行く。手ぶらで来た人がいても誰も気にしないで、自分の自慢の料理をどんどん食べさせてしまう。ま、ポットラックというのは元々中世のイギリスなどで不意の客にありあわせのものを食べさせたことに由来するそうだから、それでいいってことだけど。(昔のアイルランドにはよそ者や旅人に一宿一飯を与える法的な義務があったそうだし。)

日本でも(ホムパと略して)ホームパーティをするファッショナブルな人たちが増えているようだから、たぶんポットラック・パーティもあるだろうと思うけど、どんな感じなんだろうな。まあ、(見劣りがしないように)腕によりをかけすぎて疲れたとか、他人に嫌味な批評をされたとか、手作りせずに出来合いのものを買って来た人がいて目が点になったとか、手ぶらで来て食べまくった人がいてドン引きしたとか・・・よく小町に出てくるようなめんどうくさいことがないんだったら、ホスト側の主婦がキッチンに篭って汗だくで料理をするなんてこともなくて、みんなが楽しい集まりになるんじゃないかと思うけど、日本の「お呼ばれ」的な付き合いの感覚からすると、どうなんだろうな。自分の家に呼んでおきながら、料理は客の持ち寄りなんて!と小町に投稿されてしまうのかなあ。(たしか「こっちは客なのに失礼な!」という憤慨トピックもあったなあ・・・。)

まあ、小町によく割り勘でもめた話や、デート費用の分担や、共働き夫婦の家事や生活費の分担などでもめている話が登場するのは、人間関係を維持する上で一番難しいのが「お金」に関する価値観だからということかな。というよりは、人間はそれぞれに価値観を持っているわけだから、人間関係を円滑に保つには互いの価値観の違いをすり合わせて行く必要があるはずだけど、価値観の根底に「自分が損をしないこと」という考えがあるとそれが難しくなるということかもしれない。自分は損をしたくないと言うのは、ひっくり返して裏から見ると相手に得をさせたくないという気持でもあるな。自分が損をしていると感じるのは、相手が得をしているからに他ならない。相手が得をして自分が損をするのは不公平、不平等。つまり、公平、平等であるためには、両方が得をするか、両方が損をしなければならないってことか。まあ、人間関係を足して2で割れたらどんなにすばらしいかと思うけど、元々マイナスのもの同士は足して2で割ってみてもマイナスだから、そういう平等は両方が損をして終わりってことになるんじゃないのかな。

それにしても、どこからそういう「自分(だけ)は損をしたくない」という後ろ向きの利己主義が生まれて来たんだろうな。ちょっと見には「自分さえ良ければ」という自己中的な考えのようだけど、どうも精神的エネルギーが自分を前面に押し出す方に流れずに、逆に、他人が自分より前に出ないように袖を掴んで引き戻すことに使われているような感じがするな。人の痛みがわかる子を作るとかいう教育の時代に、小学校の運動会で足の速い子をゴール前で遅い子が追いつくまで待たせて、全員手をつないで一斉にゴールインさせているという話を聞いたことがあったけど、そのときの勝利を味わう機会を奪われた足の速い子の心に「自分はいつも損をさせられたから、大人になったら絶対に他人に得はさせない」という気持で社会へ出てきたのかな。まさかと思いたいけど、人間の器の容量に関わることだけに、「損したくない病」はある意味で「得したい病」よりも何倍も扱いにくい難病かも・・・。


2011年11月~その1

2011年11月11日 | 昔語り(2006~2013)
午前0時57分、バンクーバー国際空港に着陸

11月1日。火曜日。今日から11月1週間前、月曜日があと少しで火曜日になる頃にバンクーバーを飛び立って、今日、暦が火曜日に変わって間もない時刻にバンクーバーに降り立った。ちょうど1週間の旅。久しぶりの自分たちのベッドでたっぷり9時間も眠った後は、ばたばたと「日常」に戻る。

ボストンはひたすら寒かった。それでも着いた水曜日の午後は曇り空。ホテルから近いコプリー広場の教会と市立図書館を見に行った。図書館の古い建物の部分は宮殿のような豪華さで、へえ、これが市立図書館か~とびっくり。まあ、ボストン市そのものはバンクーバーと同じ人口規模だけど、都市圏の人口はバンクーバーの2倍もあるし、何よりも1630年に移住者が入って開いたと言うから歴史の長さが雲泥の差。でも、古ければそれだけおいそれとは取り壊せない継承遺産も多いだろうから、都市開発などはやりにくいだろうな。何となく小ぢんまりとした印象だったのは、ガラスの高層ビルがそれほどにょきにょきと立ち並んでいないからかもしれない。

翌日の木曜日は雨。まだ10月だからバンクーバーとそれほど変わらないと高を括っていたもので、Tシャツを2枚重ね着して、ホテルの外へ出るときは会議場で買った協会のロゴ入りのフリースのベストとフード付きの毛糸のジャケットという着膨れ状態で、カレシもマフラーを買い込んでの応急の冬装備になった。とりあえず、ワタシのたっての希望でボストン美術館へ行き、そこからランチのためにボストン・レッドソックスのフェンウェイ球場の横にあるビール工場兼レストランへ。この球場、できてから来年で何と100年になるそうで、外側は赤レンガのどう見ても野球場とは思えない古色蒼然とした「建物」。でも、アメリカ発祥の伝統ある「野球」というスポーツを考えると、なかなか趣の深い味わいがある。この7、8年の間ホームゲームは連続してすべて満員御礼だったそうで、新しい球場を作ろうなんて言ったら、ボストンっ子は暴動を起こすかもしれないな。

翌日の金曜日はまぶしいくらいの晴天だったけど、風が冷たい。それでも、トロントから同行したデイヴィッドとジュディと4人で、地図を見ながらアメリカ建国につながったボストンの歴史を辿る「Freedom Trail」の散策。ボストンは実に教会が多いような印象で、少し歩くとビルの間に教会の尖塔が見える。それと開拓時代の埋葬地がたくさん残っていて、刻まれた文字が読めるか読めないかの古い墓標が並んでいる。見て歩いているうちに、18世紀、19世紀は若くして死ぬ人が実に多かったんだということに気づく。開拓地の環境はそれくらい厳しかったということで、開拓者が開いた北海道にこういう墓地があったら、同じように「早すぎる死」を迎えた人たちの多さがわかるだろうなと、並ぶ墓標に何となく自分の先祖の歴史が重なって見えたように思う。

ホテルに戻ると、テレビでは何やらただならぬ雰囲気の天気ニュース。どうやらアメリカ東海岸の冬に特有の「nor’easter」というハリケーン級の低気圧が、「北東」が訛ったその名の通りに北東へ向かって進んでいて、ワシントンやニューヨークではすでにべた雪が降り積もって、空港は閉鎖され、大規模停電が多発しているらしかった。曇り空で始まった翌土曜日の朝は、季節外れのドカ雪のニュースで持ちきりで、ボストンに向かっているという話。このnor’easterという嵐、衛星写真で見るとハリケーンや台風のような「目」がはっきりと見える。ハーヴァード大学へ行って帰ってきた午後には雨が降り始め、暗くなる頃には雪混じりの横殴りの降りになった。夜半にはボストンも勢力圏に入って、翌朝までに10センチから15センチの積雪という話。おいおい、翌朝はトロントへ向かう予定なのに。気になるので、テレビの天気予報チャンネルをつけておいたら、ケーブルの放送が途絶えてしまった。こんなときこそ頼りになるチャンネルなのに・・・。

こういうときのワタシはけっこう運が良いらしくて、日曜の朝起きて一番に窓の外を見たら、雪は屋根の上に薄っすらと見えるだけで、地平線は晴れてきそうな雲行き。テレビのニュースによると郊外ではわりと降ったようだし、マサチューセッツ州としてはかなりの被害が出たらしい。それでも、ワタシたち4人は何事もなかったように定刻でボストンを離れ、予定通りにトロント経由でモントリオールに向かうことができた。飛行機の窓から見下ろす景色は一面の雪だったけど。

モントリオールは夕方着いて、デイヴィッドの娘のスーザンと10年来のパートナーのモンティと夕食をして、翌日月曜日の昼には列車でトロントへ向けて出発と言う、まさに駆け足の寄り道。トロントのピアソン空港を飛び立ったのは午後10時55分。ロッキー山脈を越えたところで暦が変わって火曜日、そして11月。午前零時57分、バンクーバー空港に到着。けっこうおもしろいことがあって、いい「バケーション」だった。

旅に出て実感する自分の幸運さ

11月2日。水曜日。曇り空。寝る前にフランネルのシーツに取り替えたせいか、ほどよく暖かで、なぜか早起きしたカレシが正午前に起こしに来たくらいよく眠った。シーラがミルクを買っておいてくれたので、当面の朝食に困らないのはありがたい。メールを見ると、仕事が3つで全部明日の夕方が期限。お客さんが仕事を送っておいてくれるのもありがたいけど、う~ん、こっちはちょっとば
かり早すぎるような気がしないでもないなあ。せめて2、3日。は後片付けをしながらダラ~ンとしていたかったんだけど、まっ、遊んだ後は、ねじを締めなおして稼がなくちゃね。

だけど、まずは買出し。きのうは冷蔵庫に残っていたもので夕食とランチを間に合わせたけど、今日はそうは行かない。カレシの冷蔵庫にいたってはすっかり萎れたレタスの残りがあるだけで、ほぼ空っぽ。ということで、旅行中は野菜不足で「菜っ葉が食べたい」カレシは、午後のうちに野菜だけ買い出しに行って、スーパーは人の少ない夜になってから行こうと提案。ふむ、仕事があるのに、1日。に2度も買い物に出るってのはちょっときついような。それでも、仕事モードへの切り替えがあまりうまく行きそうにないから、ここのところは「ま、いっか~」主義で妥協。トートバッグ2つにいっぱいの野菜類を買って、スーパー側の駐車場に止めた車まで運んだら、カレシが「どれくらい込んでいるかちょっと見て来よう」。夜になって来る予定なんだから、混み具合を見たって意味がないだろうになあ。でもここはまあ、込んでいなかったら買い物をする条件で妥協。入ってみたら、なんだ空いているじゃないの。

ということで、夜の部の買い物も済ませることができたのはラッキー。「Have the luck of the Irish(アイルランド人の運を持っている)」という言葉があるけど、やっぱりワタシには大昔に西へ移動する仲間に背を向けて東へ向かったあまのじゃくケルト人のはぐれ遺伝子が混じっているのかもしれないな。ボストンでは日本語グループの夕食会で、アメリカでよくフィリピン人と間違われると言うどさんこ同業者と、マレーシア人かインドネシア人に間違われるワタシとで、はぐれ遺伝子の話で盛り上がったっけ。生まれたアフリカを出た人類は・・・と、ワタシ得意のぶっ飛び理論ではぐれ遺伝子説を展開したら、彼女曰く、「ありそうなことよねえ」。結局、どっちも縄文人の末裔に違いないねと確認しあって、彼女はさわやかな笑顔で(国際結婚で海外在住歴の長い人にありがちな)自分の居場所という問題に違った角度が見えて来たと言った。そうそう、未開の蝦夷地に渡った開拓者の末裔であるどさんこは芯が強いんだから。

ま、いろんなはぐれ遺伝子が混じっている(と勝手に思い込んでいる)からこそ、ワタシは雑種の強さによる生存力があるんだろうと思うし、そういう自分は運がいいと思っているから極楽とんぼでいられるのかもしれないな。日常を離れて旅に出ると(というと大げさだけど)、日常生活では経験しないような大小さまざまのできごとに遭遇する。そんな中で行き交う人たちを観察していると、いろんな発見があって、世の中には実にいろんなタイプの人間がいるもんだという感慨がわいて来る。その中で、自分なりに広い世界で自由に生きているワタシはすごく幸運なんだと、しみじみと感じられるのも旅の収穫と言えるかもしれないな。

でもまあ、旅の思い出話はちょっと横に置いとくことにして、またぞろ迫り来る納期にあたふたする「日常」にどっぷりと浸かってしまわないように、まずは仕事にかからないと・・・。

仕事が終わったので、旅のつれづれ話

11月3日。木曜日。我ながら感心するくらい良く眠って、もそもそと起き出したら、先に起きていたカレシ曰く、「うらやましい」。どうやら睡眠のパターンが狂ってしまって、なかなか元に戻らないでいるいるらしい。トロント行きの便では眠らずにネットブックをいじっていたから、もろに徹夜。その日は早寝したけど、寝不足に弱いカレシはひとたまりもなく「時差病」。眠気に勝てずにヘンな時間に居眠りをするもので、体内時計は狂いっぱなし。だから言ったでしょうが、この年で夜行便はやめといたほうがいいよって。

夜行便での往復はカレシなりの(机上の空論っぽい)理屈に基づいた選択だったから、ま、いい経験にはなっただろうな。何につけても、ああだこうだと想像して理屈をこねるよりは、とりあえず経験してみるのが手っ取り早いってことが多いしね。ワタシも往復とも眠らなかったけど、そこは毎年一度や二度は徹夜仕事をするもので、この年ではたしかに少々きつくても身体の方が勝手を知っているという感じで、かなりうまくリセットしてくれた。帰りの便は到着が普段の就寝時間の前だったから、そのままベッドに入ってすんなり「日常パターン」に戻ってしまった感じがする。ワタシ、もう63歳半なんだけど、ちょっと元気が良すぎるのかなあ・・・。

とにかく、まずは今日中に納品する仕事3つの仕上げから始める。いい大人のうっかりなんだかおバカなんだかわからないようなミスをして問題になっていたり、またぞろ社内不倫がもめごとに発展していたりで、ここは実にいろんな人間模様のあるところだなあと感心する。この頃は小町横町で展開される人間模様をそっくり反映したような事件も多いから、ついこれが今どきの日本の(都市)社会の縮図なのかと思ってしまう。そう思ってしまうと、なんか暗~い雰囲気になって来るような気がしていけない。それにしても、よくこうも簡単にすぐにばれるような嘘をついたり、見境なく不倫関係に走るのはどういう心理なんだろうな。元禄時代のような華やかに爛熟した社会という感じはしないのに、奔放な通俗文化だけが爛れているということなのかな。

でもまあ、仕事としてはすいすいと進んで、余裕を持って納品。入れ替わりに2つ仕事が入って来たけど、今夜はオフということにして、旅行の写真をカメラからダウンロード。昔ボストンを訪れたことがあるという人が「茶色の街」という印象だったと言っていたけど、まさに、古い赤レンガの建物があちこちに残るボストンは「茶色」。アメリカン・リーグのボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ球場も外側は古いレンガ造り。来年で100年になるというから、野球というスポーツの歴史の長さを感じる。レッドソックス(赤いソックス)の名の通りの赤いソックスのチームロゴがまた何ともご愛嬌でかわいい。

ボストンのファッショナブルなショッピング街ニューベリー・ストリートはずらっとつながった昔の住居を改装したブティックやレストランが並んでいる。そのニューベリー・ストリートを歩いていたら、ショーウィンドウ一面にアンティークのミシンを並べた店があった。紳士服店のようだったけど、子供の頃に母が使っていたような足踏みミシンがこれだけ並ぶと壮観というか何と言うか・・・。

ニューベリーストリートに近いコプリー広場に面したボストン市立図書館の中はヨーロッパの宮殿を見るような豪華な造りで、大きな読書室では市民がめいめいに本を読んでいた。フラッシュをオフにしたのでちょっとピンボケしたけど、緑色のシェードの読書灯が何ともいえない。

さて、会議場になったコプリープレースのマリオット・ホテルのワタシたちの部屋。緩やかにカーブした角の部屋で広いのは良かったけど、バスルームの換気口のファンがうるさい。おまけに止めようにもスイッチがないし、やたらと強力なもので、部屋のドアの下や回りから冷たい空気を吸い込んで来て、バスルームのドアを閉めても中で「風」が吹いているのが感じられるから、寒くて風呂に入ることもできない。ホテル側は「全館の空調システムの一部だから止められない」と澄ましたもの。部屋を変えてくれるというけど、引越しはめんどうくさい。それならばと、ドアのすきま風を余分の枕とジャケットで防ぎ、さらにバスルームのドアの内側の隙間にありったけのバスタオルを当てて、やっとなんとか「寒中露天風呂」の入浴にならずにすんだ。

翌朝、バスタオルの山と一緒に説明のメモを置いて出かけて、帰って来たら換気口に形に合わせて折ったペーパータオルがぴたっと吸いついていた。これでハリケーン並みのすきま風は納まったけど、意外な知恵に感心するやら、呆れるやら・・・。旅に出るといろんなことがあるもので、これから「ほら、ボストンのホテルでさぁ」と笑い話として思い出すことになりそう。一応は
38階くらいあるモダンな高層建築のホテルではあるけど、設備はかなり古かった。そろそろ建て替え時じゃないのかなと思ったけど、今の景気ではそうも行かないんだろうなあ。ま、冬のボストンでコプリープレースのマリオット・ホテルに泊まるときは、625号室は避けたほうがいいかも。窓からの風景は、レンガ造りのアパートの屋上にテラスがあったりして、渋くてすてきなんだけど・・・。

オリンパスの山頂に向かって吼えてみる

11月4日。金曜日。いい天気。カレシはまだ異常な早起き症が治らないらしい。困ったねえ。とは言っても、夕食後にテレビの前のリクライナーで高いびきで寝てしまうから、狂った体内時計がなかなか復旧しないんだと思うけどな。この週末は時計の針を1時間戻して、「夏時間」から標準時に戻る。ますます狂いがひどくならないといいけど、めんどうくさいことこの上ない。(次の夏時間までたった4ヵ月くらいのことだから、いっそのこと「冬時間」と呼んで、夏時間を「標準時」にした方がいいような気もするけど。)

今日の朝食はマッシュルームのオムレツ。カレシがベトナム人の生徒さんからもらってきたものなんだけど、なにしろ大量なもので食べるのが大変。英語教室の生徒さんたちはカレシがボランティアで無報酬なのを知っているから、ときどき庭で採れた野菜やアジアのおみやげやお茶の差し入れがある。おかげで、我が家には高麗人参茶があり、鉄観音茶があり、ジャスミン茶があり、中国のお菓子があったりする。カレシもお金は中国正月の赤封筒に入ったご祝儀以外は受け取らないけど、こういう現物の差し入れは喜んでもらってくる。それにしても、このマッシュルーム、傘がしっかり閉じた新鮮なものだけど、大きいし、何よりもすごい大盛り。毎日もう1週間近く手を変え品を変えして食べているけど、全部食べ終わるのにまだあと2日。はかかるかなあ。

さて今日は、洗濯機を回し始めて、きのう「交換!」と言って置いて行かれた2つのファイルをアタックする。ひとつはきのうぶつぶつ言いながらやっていた「不倫騒動」の続きの始末書みたいなもの。当事者たちは30代後半くらいかな。たぶん女の方から会社に苦情が出されて、慌てた男の方が申し開きと言うか、逆に相手の女がきっかけを作って始まったことで、手を切ろうとしたらストーカーになったと苦情の申し立て。まあ、いい年の所帯持ちの大人が相手に浅はかにも自分を良く見せようと必死なのは痛々しい。んっとにしょうのない人たち。何だか知らないけど、まるで安っぽい通俗小説でも読んでいるみたいだな。でも、仕事は仕事だから、私情をはさまず、粛々と・・・。

日本のメディアにはあまりニュースがないけど、今世界のメディアで話題のオリンパス。会計士で証券の上場審査をやっていたカレシが関心を持っているので、ワタシもニュースめぐりをしていて記事があればつい読んでしまう。経理上の問題はカレシがぽろぽろと出てくる情報を会計基準に照らしてああだこうだと解説してくれるのに任せるとして、メディアの関心は日本の「企業風土」や「ガバナンス」の方に集まっているような感じ。なにしろ、あやしげな人物や会社が登場するから、そこらの小説よりもずっとおもしろい。日本の首相が一企業の不祥事で日本全体を評価しないでくれとか、日本はそういう社会じゃないとか、言ったとか言わなかったとか。ほんとにそうだよねっ。たまたま見た外国人が何をしたからってその国の人たちが全部そうだってことにはならないということだよね。それと同じことだよねっ。ま、それとこれとは別と言われそうだけど、オリンパス事件はまさに「日本」。カレシは、「日本の政治も企業も、んったく、もう・・・」と、かってはすべてを捨ててもいいくらいに憧れた夢の国のていたらくに少々やけ気味。今に始まったことじゃないけどなあ。日本は昔から日本なんだし、国それぞれなんだし・・・。

まさに、国は人の集合体だから、人それぞれなら国もそれぞれ。ユーロゾーンの危機や各国の駆け引きも、ドイツ君、フランスさん、ギリシャちゃん、イギリス君、イタリアちゃんという風に擬人化して、小町横町レベルにまで還元して見ると、EUという「社会」の問題が、そこら中に転がっている人間社会の問題とさして変わらないなあと思う。EUが急速に東へ拡大し始めたときに、ワタシは何か危なっかしいなあと感じて、カレシにそう言ったんだけど、そのときは「またキミのぶっ飛び理論が出た」と笑われた。ワタシは「人」のレベルで世界を見ているだけなんだけどな。まっ、ワタシは政治家でも学者でも評論家でも何でもないから、神々が住まうオリンパスの山のてっぺんに向かって何を言ったって鼻もひっかけてもらえないのはわかってはいるけど、せめて「神々の黄昏」なんてことにならないように・・・。

カメラを向けたらそそっと近づいて来たボストニアンのリス君だったら聞いてくれるかな。ひょっとしたら、かの「常識は教えてくれない」ハーバード大学を出ていたりして・・・。[写真]

アンディ・ルーニー逝く。享年92歳

11月5日。土曜日。しっかりと眠って午前11時半起床。カレシは今日も超早起きだったらしい。まあ、勤め人じゃないんだから、あわてずさわがずで、そのうちに元の睡眠パターンに戻ると思うけどね。でも、常習的に超早起きの人は寿命が短い傾向があると言う研究発表をどこかで読んだような記憶があるなあ。でも、ママは昔から超早起きだけど、94歳でかくしゃくとしているし、頭脳もかなり明晰だから、カレシも眠れなかったら起きちゃっていいんじゃない?

アメリカのCBSの長寿番組『60 Minutes』のしんがりで30年以上も日常のあれやこれやを辛口で論評していたアンディ・ルーニーが、ちょっとした手術の合併症で亡くなったそうな。享年92歳。引退してからわずか1ヵ月後のことだった。年をとるにつれて眉毛がもじゃもじゃになって、気難しい一言居士の隠居じいさんという感じだった。自分はにこりともせずにドライなユーモアでありとあらゆるものに苦言を呈して人気があった。今でも良く覚えているのが「ニュース番組はなぜ良いニュースだけを流すようにしないのか」という話。デスクから身を乗り出して、「毎日、戦争、犯罪、事故と、暗いニュースばかりで気が滅入ってしまうよね。どうして明るいニュースだけ報道しないんだろう」と言って、たとえば「フロリダ州では今日も気候温暖で、オレンジの実は木からぶら下がってフツーに育っていました」と言うニュースはどうだと。たしかにいいニュースだけど、毎日それじゃあ・・・と、カレシと2人でおなかを抱えて笑ってしまった。犬が人を噛んでもニュースにならないわけがわかるエピソードだったな。

アンディおじいちゃんはかくも言ったとか。「コンピュータのおかげでいろんなことがやりやすくなったよね。だけど、コンピュータがやりやすくしてくれたことって、ほんとのところはやらなくたっていいことなんだけど」と。また、「みんなちょっとしたミスをしでかしたことを自慢に思うよね。だって、どえらいミスはしなかったんだって気分になれるものね」とも。さらには、「菜食主義者ってのは、へぼハンターを意味する古いインディアンの言葉だよ」と。「細かな字で印刷してあることにいい話があったためしがない」というのは、まさにその通り。「もしも犬がしゃべれたら、犬を飼う楽しみが激減してしまうよ」というのは、ペットを飼う人の心理をついているのかな。もの言わぬペットは自分の権威に挑戦しない存在、あるいは、いちいち自分の気持を言葉で伝えなくてもい
いめんどうくさくない存在と言うことか。

「一般に、人間は自分がすでに信じていることと一致する場合のみに事実を真実として受け入れる」というのは、かなり奥が深いな、こういうのもある。「みんな山の頂上に住みたがるけどね、幸せも成長もみんな山を登っている途中で起こることなんだよ」。また、「みんな長生きすることには魅力を感じるのに、年を取ることには魅力を感じないってのはパラドックスだね」というものある。そうだなあ、たしかに長生きするってことは年を取るってことに他ならない。長生きはしたいけど年は取りたくないってのは人類のパラドックスなのか、それとも単なるぜいたくなのか。どうも、今どきの時代は「長生きも何も、とにかく年だけは取りたくない」と、実際に年を取ることを拒否する人が多いような感じがする。残念ながら人間が年を取るのをストップできるのはおつむの中身だけで、いくら年を取らないつもりでいても肉体はおかまいなしに年を取るもんだけどな。

「たしかに、我々はたくさんの理由で40歳以上の女性を称えますが、残念ながら相互的とは言えません。美人で賢くてきれいにおしゃれしているホットな40歳以上の女性と同じ数だけ、黄色いズボンをはいて22歳のウェイトレスなんかと醜態をさらしている禿げでメタボの老いぼれがいるのです。女性の皆さん、ごめんなさい。さて、ただでミルクが手に入るのに牝牛を買うこたあないよという男性諸君には、最新のニュースがあります。昨今は結婚はいらないないという女性が80%もいます。なぜかって?女性たちはちっぽけソーセージを手に入れるのに豚を丸ごと買うのはむだなことだと知ってしまったのですよ」。いやはや、アンディおじいちゃんは毒舌だけじゃなくて、観察眼も鋭いからたまらない。

こっちが思わず「ん?」と耳をそばだてるような鋭いことを、にこりともせずに、しかもドライなユーモアで包みながら言っていたアンディ・ルーニー。ワタシにとってはこんなおじいちゃんがいたらいいなあという人だった。アンディおじいちゃん、安らかに・・・。

日曜の午後は絵の具だらけでお絵かき

11月6日。日曜日。いい天気。時計が変わって「標準時」に戻った初日。カレシはまたまた早起きしたらしいけど、ワタシはのんびりと午前11時ちょっとすぎに起床。まだ時刻を変えていない時計がいくつかあるけど、これから4ヵ月だけの「太平洋標準時」。午前1時59分になって、見ているとコンピュータの画面の時刻が「1時」になる。(夏時間に変わるときは、1時59分からいきなり3時になって、このときはちょっとばかり時差ぼけの症状が出る人が多い。)今日は1日。が25時間の長い日だけど、ま、余分に眠れると思えばいいかな。

今日はお絵かきのワークショップ。先々週の「逆さま模写」はうつむいて物思いにふけっている女性の肖像画がモデルだったけど、いくらがんばっても「物思いにふけって」くれず、スマイル満開で今にも踊り出しそうなって顔にしかならないので諦めてしまった。目の描き方がまずいのか、それとも目の周りの陰影がうまく描けていないのか。どっちにしろ、ワタシの絵の女性は楽しい夢を見ているようなにこにこ顔で、うつむいてなんかいないし、物思いにふけっている様子もない。ワタシって、どうして写生ができないんだろうなあ。名画を模写するなんて逆立ちしたってできない相談。まあ、ワタシはマニュアルを読まない人だし、人の言うこともあまり聞かない人だから、どんな巨匠の絵であってもきっと斜めに構えてみているのかもしれないな。

今日の講義はマーク・ロスコの作品について。あの、でかいカンバスを2色とか3色に塗り分けた作品で有名な画家だけど、抽象表現主義の極限を追求した挙げ句に(他にも理由はあったけど)欝になって、最後は自殺してしまった。カンバスを塗り分けるというのは、素人目には誰にでもできそうに見えるけど、プロの画家に言わせるとすご~く難しいんだそうな。ま、プロだからあれこれと主義主張があって難しいというんだろうな。シロウトのワタシだったら、あれこれ考えないから、えいやっとどこかに線を引いて、上は赤で、下は何色にしようかなあなんて、鼻歌交じりに絵の具を塗って、一歩下がって眺めて「へえ、意外とイケてるじゃん」なんて悦に入ってしまうだろうと思うけど、なまじっかプロの画家となると、きっと色のコントラストがどうの、バランスがどうのと考えて悶々としてしまうだろうから、ちっとも楽しくないかもしれないな。

今日の実技?で選んだのは濃い緑の地面に白いカラーの花がたくさん咲いている写真。「黄金の三分割」を斜めに切って、先がカールした大きな花が2つ並んでいるあたりにズームインして、スケッチブックにサムネイルのスケッチ。スケッチが苦手なワタシにはこれがなかなか難しい。それでも、バランスが取れて見える構図を決めて、カンバスに大雑把なスケッチ。中心になるのは緑と白の2色だけだから簡単そう・・・と思ったのがとんだ大間違いで、緑には青が入っているし、白には赤と黄色と緑が入っている。結局は、カラーの花畑の写生どころではなくなって、花の先のカールにズームインした形になったもので、先生が背景に流していた『くるみ割り人形』の「花のワルツ」のような絵になってしまった。どうもワタシは曲線などの「動き」というかリズムに目を釘付けにする傾向があるらしい。ひょっとしたら、これがワタシのスタイルなのかもしれないな。

午後いっぱい、手も腕もエプロンも絵の具だらけになって格闘して、先生に「もう少し青が必要」と批評されて、宿題を抱えて意気揚々と帰ってきた。趣味はへたの横好きに徹していられるから楽しい。帰って来たらさっそく懸案の大仕事が確定。別の仕事も飛び込んできて、こっちの方は一応はプロだから、楽しいも何もまずは先に鉢巻をきりっと締めてウンウン・・・。

予定はあってなきが如しだけど、年金は・・・

11月7日。月曜日。目が覚めたら午前11時少し前。横を見たら、カレシが気持良さそうにすやすやとお休み。ははあ、疲れたといって、私よりひと足先にベッドに入ってこれだから、超早起き症が治まったというところかな。11時過ぎて目を覚まして、「いやあ、よく眠ったなあ。時差ぼけが抜けるのに1週間もかかったよ」と。どうやら身体のリズムが平常に戻ったとうことだろう。でも、時差ぼけと言うよりも初っ端のトロント行きの「徹夜」の後遺症じゃないのかと思うけどなあ。

雨模様の空だけど、今日は午後いっぱい買い物その他の予定。メインの銀行に直接移動できずに残っている退職年金積立口座を解約する手続きを聞きに言って、斜め向いのメインの銀行に行って使い残しのアメリカドルを口座に戻し、その間にカレシが酒屋へ行ってジンを買い、道路を渡って郵便局の私書箱を空にして、それからHマートまで足を伸ばして・・・と算段していたら、カレシがいつものように「午後は近場で済ませて、Hマートは夜に行こうよ」と言い出した。ま、土壇場での予定変更はいつものことだし、近場は交差点の角を東南、北西、南西と巡回するだけだからそれでいいけど、車に乗り込んだらカチカチいうだけでエンジンがかからない。バッテリが落ちているとわかっていたんだから、ゆうべのうちに当初の予定通りにHマートまで走っておけばよかったのに、土壇場で「明日にしようよ」と言ったのはだあれ?(答は「なんでだ~」とカリカリしている人・・・。)

急遽トラックでのおでかけとなったけど、今度は「こいつもバッテリがちょっと落ちているから少し走って充電してから銀行に行こう」ということになって、銀行とは逆方向へ。しばらく行ったところで、「ついでだからHマートまで飛ばそう」ということになって、一路コキットラムまでぶっ飛ばす。途中で「混んでいるから」と横道に逸れて袋小路に入り込むこと2度。カレシの「急がば回れ」は、よけいな時間を食う確率が90%、道に迷う確率が10%。やっとのことで高速に乗って、2人以上乗っている車が走れる車線を飛ばしながら、エコーを処分すると言う話がまとまった。なにしろ、6年保有して走行距離がやっと12000キロ。んっとに、出不精の2人に2台も車はいらないよね。売ってしまえば年間1500ドルくらいの保険料や諸経費が浮くから、めったにひとりで遠出しないワタシのタクシー代に転用すればおつりが来る。乗用車が必要なときのためにカーシェアリングの会員になるという手もあるし、何よりもバッテリを充電するために不要にガソリンを燃やしてドライブにでかけなくても済むからエコだし・・・。

Hマートに着くまでによけいな時間を食ったので、ささっと買い物をして「近場」の交差点に戻って来たのは午後3時55分。メインの銀行のとなりにある酒屋の駐車場にトラックを止めて、斜め向いの銀行に行くのかと思ったら、「今どきの銀行はけっこう遅くまで開いているから」とさっさと酒屋の方へ。それではと、ワタシはメインの銀行へ。それぞれに用事を済ませて、最初に行く予定だった銀行に行ったら、「午後4時」で終業でとっくに閉まった後。(メインの銀行は夜8時まで開いているのに。)しょうがないから道路を渡って、モールの二階にある郵便局の私書箱からぎっしり詰まっていたカタログの類を引っ張り出して、本日の「用務」は終了。ハプニングやら土壇場の予定変更やらがあっても5件のうち4件まで完了できたのは上出来だな。

帰ってきて、今日配達された郵便を整理していたら、ワタシの年金の明細書が来た。政府から何年おきかに送られてくるもので、過去に払い込んだ金額の一覧があって、その下に、今すぐ年金受給を開始するといくら、今65歳だといくら、70歳になってからもらい始めるといくら、重度の障害があるといくら、ワタシが死んだら遺族年金はいくら、そして政府から出る葬式料はいくら。質問、訂正、年金の申請などはすべてService Canadaという、いわば「窓口サービス省」のようなお役所に一本化され、「マイアカウント」を登録することもできる。お役所仕事としてはなかなかよくできているな。他に、年金制度の改正点の説明書が入っていて、来年からは年金をもらいながら働いて掛け金を払い続けると(65歳以下は義務、65~70歳は任意)、新しくできた退職後追加年金制度によって物価スライド式の生涯年金がもらえると書いてある。

ベビーブーム世代が人口の3割を占めるカナダでは今はまだ潤沢にある年金基金が目減りする心配がある。70歳は私的な年金貯蓄を年金に切り替える期限でもあるし、ある意味で「70歳」が年金の新しいキーワードになりつつあるのかな。横道に逸れて道に迷うヒマはないのだ。ワタシも本格的に「老後の生活設計」をしなければならない時がすぐ目の前に迫ってきたと言うことで、じっくりと考えて、申請を出す来年の夏までにはどうするか結論を出さなければならない節目の問題。でもまあ、まだ半年以上あるから、とりあえずは仕事、仕事だけど・・・。

年金の話が老後の人生設計の話に

11月8日。火曜日。目が覚めたら何となく薄暗い。今日もまた雨模様か。カレシはまたまた早起き。きのうはまたヘンな時間にテレビの前で眠り込んで、真夜中近くにランチだよ!起こしたのに、ぐずぐず。こっちは仕事中だから、のんきに待っていられない。さっさと(イカのゲソのしょうが揚げ)を食べ始めたら、もそもそとキッチンに現れてワタシの目の前でトドのような大あくび。(そんなに大きなあくびばっかりしていたら、今に顎がはずれるってば・・・。)

カレシを英語教室午後の部に送り出して、まずは仕事。気持の隅っこで年金のことを考えながらやっているもので、何だか進み具合が良くない。特に、カレシが「65歳ですぐにもらわないで70歳まで待った方が、5年間の金利とか考えたら有利じゃないの?」なんて(頼まれもしない)アドバイスをよこすから、よけいに仕事と年金と老後の設計が重なってしまって始末が悪い。何で?65歳で引退して70歳まで無収入で過ごせというの?それとも、70歳までこのままフルタイムで働き続けろっていうの?どっち?もちろん年金受給開始を遅らせればもらえる額はぐんと増える。でも、追加年金という制度ができたので、年金をもらいながら仕事を減らして払い込みを続ければ、結果はさして違わないんじゃないのかなあ。選択肢が増えた分、検討することが増えてめんどうな気もするけど。

まあ、60才を過ぎれば、誰しも人生があと何年残っているのか気になって来ると思う。アナタはつまらない火遊びにのめり込んだおかげで、60才にもならないのにいつも文句ばかりの職場から解雇同然に退職させられたけど、それから10年毎日やりたいことをやっていられた隠居暮らしに関しては後悔してないでしょ?65歳になって組合年金に公的年金が2つ加わって経済的に潤沢だし、 女房はまだバリバリの現役で稼いでいるし、傍目に見ても「楽隠居」といわれるいいご身分だと思うな。だから、ワタシも毎日やりたいことをやって暮らしたいと思うわけなんだけど。ひょっとして、ワタシが仕事をやめたら自分の存在理由がなくなってしまうとでも思ってる?前にもはっきり言ったけど、ワタシは「専業主婦」にはならないつもり。だって、長い間働いて来てそれではまるで再就職するようなもので、そんなの真っ平ごめんだから・・・。

引退はあくまで仕事からの引退。それまでお金を稼ぐこと(仕事)に費やしていた時間は、ワタシもアナタと同じく自分がやりたいことに振り向けるつもりでいる。でもまあ、年金問題は、ワタシにとっては単にいくらもらえるかという金額の多寡の問題じゃなくて、「老後」という残りの人生をどんな風に生きたいかという、soul-searching(つまり、徹底的な自己分析)が最重要不可欠の人生の根本問題のように思える。カレシがワタシの分析と結論の舵を取りたそうな素振りを見せるのは、ワタシが自分には与えられなかった自己決定の機会を持つということへのある種の危機感から来るのかもしれないな。専業主婦への「再就職」はないと言っているだけで、「結婚」からも引退するって言っているわけじゃないんだけどなあ・・・。

それにしてもまあ、人間、年を取るほどに男と女の精神的な成長度の違いが顕著になって来るものなのかな。特に共に「仕事」という公共の場を離れたときに、その差が加速的に開き出すのではないかという印象もある。1日。24時間のほぼすべてが自分の可処分時間になったとき、長い間常に仕事と家庭の諸々の雑事をやりくりして来た女と、仕事以外ではその長い間をおんぶに抱っこの酔生夢死で過ごして来た男とでは、人生力というものに大きな格差ができてしまっているような感じもするな。だから女性の方が長生きするんだろうか。やもめになった男は長生きしないそうけど、未亡人になった女性は生き生きと輝き出す人が多いというしなあ・・・。

寿命を考えたとき、ボストンの草分け時代の埋葬地にあった小さい墓標を思い出した。[写真]

子供2人を一緒に埋葬したものらしく、左側は「ジョサイア・スミス、享年1歳と約1ヵ月」、右側は「ナサニエル・スミス、享年3歳と約7ヵ月」、共に1721年11月13日。死去。何かの事故があったのかな?疫病が流行していたのかな?かわいい盛りだったであろう幼い子供2人を同じ日に亡くした両親の悲しみは計り知れないものだったろうな。墓標の保存状態の良さから見て、きっと短い人生を愛されて生きた子供たちだったんだろう。出産で命を落としたのか、まだ年若い妻
たちの墓標もたくさんあった。ワタシは西洋の墓地で墓碑銘を読んでは、長寿を全うした人、若くして世を去った人たちがどんな人生を送ったのかと想像してみるの好き。それを自分の来し方に重ねて、今の自分が徐々に年を取りながらも生きていて、こうして「老後はどんな風に生きようか」と夢を描けることに「天の恵み」を感じる。未来にタイムスリップしてワタシの墓標を見つけたら、「稀代の極楽とんぼであった」なんて墓碑銘が刻まれているかも・・・。

あのさあ、カレシ、2人して年を重ねるこれからは、偕老の契りでやってみることにしない?[写真: 2人の影]

一瞬のボケをシニア・モーメントという

11月9日。水曜日。起床午前11時10分。カレシは今日も早起き。今日はお掃除日だし、ワタシは1時20分に歯医者の予約があるから、ささっと朝食を済ませる。「けさのコーヒー、何だか水っぽいねえ」とカレシ。そういえばあの24時間営業のファミリーレストランの味だなあ。どうして?「袋の底のコーヒーだから香りが抜けたのかも」と、コーヒーを入れるのが担当のカレシ。まっさかぁ~。目分量でコーヒーを少なく量ったんじゃないのかなあ・・・。

正午を過ぎて、シーラとヴァルが来たので、ボストンのおみやげを渡して、おしゃべりしていたら、カレシが「メールを送れない!」と言って来た。サーバーがダウンしてるんじゃないの?「ネットにはつながるのに、いくら送信ボタンをクリックしてもメールが出て行かない」。しょうがないから、どれどれといっしょにオフィスに下りて行って、まずメーラーをチェック。ほんとに「送信」をクリックしてもメールは送信箱から出て行かない。あれ?と思ってちらっと横のルータを見たら、ライトが1個もついていない。(カレシはなぜかよくルータの電源をオフにする。)メールを送れるわけがないでしょうが、アナタ。接続していないんだから。「なんだ、そうか」と、スイッチを入れながらばつの悪そうなカレシ。ま、一瞬ボケする、いわゆる「シニア・モーメント」と言うやつだな。

午後1時過ぎ、エコーのバッテリは上がったままなので、トラックで歯医者まで送ってもらう。イン先生の報告書を読んだウー先生がワタシの舌を引っ張り出して、「赤みがだいぶ落ち着いたね。これからはちゃんと少なくとも9ヵ月ごとに歯の掃除をしなきゃね」。なんだか、このあたりに歯科業界の陰謀が隠れていたりして・・・。ま、歯も健康管理の一部だから、いつまでも自分の歯でおいしいものを食べられるように、せいぜいまじめに掃除をしてもらいに来るか。新しい歯科衛生士が歯垢を落として、磨きをかけて、「フッ素は、ミントとラズベリーのどっちがいいですか」。昔はイチゴとかバニラもあったけど、チョコレート味がないのはどうしてかな。ミントを選んだら、小さな紙コップに入ったミント味の液体を渡されて、それを1分間口の中でくちゅくちゅ回してやる。ひと昔はどろっとしたものを入れた入れ歯みたいなものを上下の歯にはめられて1分間だったから、進歩したと言えるかな。1分が経ったら紙コップにペット吐き出して、歯ブラシとデンタルフロスと歯磨きのサンプルをもらって、今日はおしまい。やっぱりなんだかさっぱりした気分・・・。

カレシのタクシーサービスを呼んで、バス停のベンチに座って待っている間、ぼんやりと辺りを眺めて過ごす。今日はコンタクトレンズを入れていないから、0.008の視力では世間はまさにぼんやり。交通信号は菊の花のようだし、信号で止まった車のテールライトはまるで花火大会の総花のよう。建物や街路樹は二重、三重に絡んだ抽象的モチーフ。これが、角膜に異常を持って生まれて来たワタシがコンタクトレンズを入れるまでの30年間、見続けてきた「世界」なんだと思う。細かいところまではっきりと見えないから、色と形と線の動きで自分の周りの世界を「こういうもの」と判断して来たのかもしれない。それで、具象画が苦手なんだろうな。なにしろワタシの目は具象的なイメージを正常な目が見るようには見ていなかったんだから。ベンチに座って、地面に届かない足をぶらぶらさせながら、ワタシはワタシの目にだけ見える「抽象画」を眺めていた・・・。

カレシのタクシーサービスで帰ってきて、ちょっとした仕事を済ませた後、今日の夕食は(食材を出すのを忘れていたので)速攻で解凍したサーモンとビンナガの刺身と松茸ご飯。つい買ってしまった松茸はたぶん今年最後のものかな。100グラムあたり1400円くらい。全体的に小ぶりで、香りも最盛期ほどではないけど、2本ほどスライスして、イタリア系のカルナロリ米で炊き込んでみたら、もっちりとしたご飯が松茸の香りと柚子の味を吸っていい味だった。松茸のとびん蒸しのレシピをひねってリゾットを作れないかなあと、つらつら考えるワタシ。おいしいものを食べて幸せな気分になっていられる限りはボケることはない。ときたまの一瞬ボケはあるけど・・・。

絶対にばれないと思って嘘をつくのか

11月10日。木曜日。目覚めは午前11時過ぎ。ゆうべはカレシが居眠りをせずにがんばって、午前2時に先にベッドに入ってしまったので、ワタシも仕上げるつもりでいた仕事を3時前に切り上げた。カレシはすでに高いびき。そのままぐっすり眠ったそうで、今日は爽快な気分とか。へえ・・・。ま、ワタシもかなりよく眠れたので、すっきりした気分でやり残した仕事をと仕上げる意気込みたっぷりで起きた。ところが、カレシが「トーストするパンがない」と。きのう焼くつもりだったのがケロッと忘れたとか。しょうがないから、シャンテレルと平茸としめじでオムレツを作って、カイザーロールに挟んだら、えらく気に入った様子・・・。

だけど、ワタシが仕事を始めるやいなや、「ジャンパーケーブルがどこにあるか知らない?」とか、「エコーのラジオをオフにできない」とか、うるさい。アナタがどこかにしまったものをワタシが覚えているわけがないでしょうがっ!それに、探すのを手伝いたくても4時までに納品しなければならない仕事があるし、目の調子が悪いからコンタクトをしていないし。ま、カレシはマニュアルを読んだりして、カレシなりに努力をしたけど、とうとう諦めて「トヨタのロードサービスの番号は?」と聞いてきた。ああ、やれやれ。最長7年のサービスパッケージを買ったのは正解だったな。来年の8月まで、バッテリの充電やら、動かない車の牽引は「ただ」。よく考えたら、このパッケージ、とっくに元を取っておつりが来ているかも。

でも、買っておいたライターに差し込む小型の充電器がエコーでは機能せず、トラックでは機能したというのはおもしろい。エコーの場合はラジオをオフにできなかったためらしいけど、たぶん、実用性が求められる小型トラックとファッション性もある乗用車では、装備するアクセサリにもかなりの違いがあるんだろうな。電話してから40分後にサービスのトラックが来て、数秒でエコーはエンジンスタート。しばらくアイドリングさせておいて、カレシはひとりで「ドライブ」に出かけた。ワタシはその間に仕事を片付けてしまう。雑音が入らなくなって、思考の流れはすいすい。デスク周りをちょっと配置換えしたおかげで、画面の距離は鼻先25センチ。拡大せずに100%のスケールでもかなり無理なく文字を判読できるから、鼻歌が出そうな楽々気分。

仕事を納品した頃にカレシが「調子は上々だよ」と(今泣いた何とかさんのごとく)機嫌よく帰ってきて夕食。この頃はオリンパス事件を中心に日本が会話の軸になることが多い。カレシは州の証券取引委員会で当時は海千山千のバンクーバー証券取引所への上場審査をやっていたから、オリンパスがエリート企業の高嶺から転げ落ちた経緯に少なからぬ関心を持っていて、ワタシはニューヨークタイムズやウォールストリートジャーナル、ロイターズといったサイトに載る記事を見つけては印刷して渡している。それが今のところ我が家の「食卓の話題」になっているわけで、マティニとワインの酔いも手伝ってか、エンロン事件まで持ち出して話が弾む。

ワタシは、組織の性格はその構成員の平均的性格の集合体であるという持論に立って、企業といえども人間が営むものであれば、その企業を形成する人間集団の性格を反映していると思っているから、オリンパス事件は「日本」そのものの縮図に見える。必定、日本の社会や文化、人間関係にも触れることになるけど、過去の体験に根ざした偏見があるワタシの口からは(バブル時代の太鼓持ちのような)日本礼賛論は出て来ない。それで、これまではむきになって反駁のための反駁攻撃をしかけて来ることが多かったのに、ここのところは「なるほどなあ」とか「そうかもしれないなあ」と、どういう風の吹き回しか反駁して来ないから、会話は盛り上がっても議論はのれんに腕押しの感じで、何だか気が抜けてしまうな。

カレシの考えが変わって来たのか、戦術を変えたのかはわからないけど、「ばれないと思っていたのかなあ」と言うカレシに、ワタシは「アナタはばれないと思っていたの?」と聞いてみたいような、イジワルな気持になる。どうなんだろうなあ。ほんとにばれっこないと思って嘘をついたり、不正をしたりするのかな。それとも、ばれるかもしれないとは考えてもみないのか。「悪いことは
一切していない」と胸を張っておいて、後になって「実は・・・」と認めるのはサマにならないと思うんだけど、そのときは「一時の恥をしのんで」頭を下げて謝ればそれで免罪になると考えているのかなあ。どうなんだろう・・・?