大山鳴動して・・・
6月16日。前日の夜は体中がチクチクと痒かったり、咳の発作が出たりしてあまり眠れなかったせいか、ゆうべは早寝したにもかかわらず今朝?の目覚めは12時15分。よく眠れた気がするけど、8時前後にチェーンソーの音で目を覚ましたような夢うつつの記憶がある。ウェーン、ウェーンと2度くらいだったか・・・
そういえば金曜日に市役所のトラックが来て、家の外に「街路樹の剪定作業のため駐車禁止」の標識を立てて行った。その前日は向かいの桜の木を剪定して行ったっけ。じゃあ、月曜の朝は早起きか・・・と思ったら、標識には「月曜から金曜まで、午前7時から午後3時」とある。カレシは「なんだ、これ?」 ワタシも「ええ、なんだ~?」 我が家の横に沿った歩道には街路樹が2本ある。たったの2本。それを剪定するのに1日中、月曜日から金曜日まで5日間もかかるわけがないじゃん!毎日トラックを別の場所に動かすなんてめんどうなことができるかっ。無視するっ!はい、ごもっとも。まあ、憤懣やるかたなかったカレシだったけど、日曜の夜遅くに「いったいどれだけ場所がいるってんだ」と、木のそばに止めてあったトラックをちょこっとだけ前進させた。お役所にイジワルをしかけてもしゃあないでしょうに。
早朝にトラックの防犯アラームが鳴り出さなかったところを見ると、それで十分だったんだろう。チェーンソーの音は2度しか聞かなかったような気がする。その後1度だけバリバリというチッパーの音がした。音に敏感なカレシが目を覚まさなかったのはそのせいかもしれない。ワタシもその後はなんか遠ざかる音を子守唄代わりにまた眠ってしまったらしい。さっそくカレシはトラックを元の位置に戻しに行った。わずか1メートルくらいでごていねいなことと思うけど、そこがカレシ流のこだわり。口笛を吹き吹き入ってきて、「枝を1本切って行った」。そっか、だからチェーンソーの運転2回でせいぜい1分の仕事か。ま、月曜から金曜というのは、その5日間のどれかにやるつもりってことで、それで住民が不便したっててんで気にしないのがお役所流のノンシャラン。それを、あっち見て、こっち見て、どっちも好きにせえと、もよう眺めをするのが極楽とんぼ流のノンシャラン。
カレシの一見して理解しがたいこだわりは今に始まったことじゃない。自閉スペクトラムのどこかにあるのかとも思ったけど、こだわるのは周囲のことで自分のすることにはこだわりらしいパターンがないから、まあ違うのだろう。あんがい、つかまえどころのない自分にはこだわるものかという「こだわり」が自分の周囲の環境へのこだわりになっているのかもしれないけど、これってただの不安神経症じゃないかなあ。まあ、こだわりも人それぞれの事情だろうから、危ないこだわりじゃなければ、いいか。そんなことにこだわらなくたってと苦笑しているワタシのほうがどっか変だったりするかもしれないし。
それにしても大山鳴動して枝1本かあ・・・
縁の切れ目でお金は?
6月17日。せっかく初夏らしくなったと思ったのに、ポーチの温度計はお昼を過ぎても摂氏11度。今にも雨が降りそうな空模様。今日は銀行のフィナンシャルアドバイザーとのアポイントメントでダウンタウンへ。途中で雨が降り出したけど、並木の葉が茂っている歩道なら傘なしでも大丈夫。でも、6月も中旬になってまだジャケットがいるなんて、マザーネイチャーのつむじ曲がりも相当なもんだ。
金の切れ目が縁の切れ目とよく言うけど、銀行はまさにお金を扱う商売。別の銀行にあるRRSP(退職年金積立)が満期になるので移したいといったら、まだ満期まで2週間あるのに、「手続き書類の用意をしておきましょう」と速攻でアポをくれた。今どきはチョンチョンとキーと叩けば、話をしながら客の口座のデータがわかる。預金口座にいくら、小切手口座にいくら、RRSPにそれぞれいくら、合わせていくらで、いっぱしの高額口座になるらしい。そこへさらに400万円分くらい持って来たいというわけで、担当者は張り切ってしまう。うん、張り切ってくれなきゃねえ。というのも、やっと別の銀行に残っていたRRSPの残りを引き上げられることになったのだ。こっちは縁の切れ目が金の切れ目じゃなかったケース。
数年前、この別の銀行においてあった預金とRRSPの残高が増えたのを狙って、投資アドバイザーが登場。投資運用してくれるというので最低額10万ドルを預けたら、カレシが「これならオレにだってできる」というような単純な投資でわずか半年に10%も目減り。呆れはてて残った資金を引き上げて、預金口座を閉じたのはよかったけど、定期に入っていたRRSPは満期まで解約不能。しょうがないから、満期になったら現金口座に入れろと指示しておいたら、さっさとまた2年入れて「解約はできませ~ん」。談判して二人の定期の満期を同じ日にさせたけど、いくらお金が商売とはいえ、人さまのお金を抱えて離さない困ったちゃん銀行。その満期がやっと近づいたので、今度は「絶対」に更新せず、「必ず」現金口座に入れると確約させたのだった。この間、「うちの銀行」はカナダ第2位になり、ちょんぼ続きの別の銀行は2位からビッグ5のびりっけつに転落。ああ、これで私たちもせいせいするなあ。
というわけで、けっこうややこしい書類の準備もとんとん拍子で、後は30日の満期の日を待つばかり。その足で、右のコンタクトレンズの「点」を濃くしてもらおうと、銀行と同じビルにある眼科へ。コンタクトは右と左の処方が違うので、逆に入れると宇宙遊泳のような気分になる。左右を見分けるための黒点は毎日のクリーニングでだんだん薄くなってしまうから、インクを足して濃くしてもらわなければならない。処理してもらっている間にコリアンスーパーに行こうと思って、右レンズだけを預けた。両方とも外したら、鼻先20センチから先は完全にぼやけて、とても街中は歩けない。だけど、近くを見るように処方されている左レンズと大ボケの右目だと、うわ、ピンボケどころじゃないのだ。右目だけ開けて見ると1メートル先のカレシの顔立ちがわからないし、左目だけ開けて見ると距離感がなくてじわっと不安。そのうちだんだん頭痛の気配・・・。
なんとか買い物を済ませて、眼科でくっきりと黒点が見えるレンズを入れて、何もかもがはっきり見えたときの、幸せ~な気持。目がちゃんと見えるってすごいことなんだと実感。大切にしてあげなくちゃ。
しっかり者と言ってくれ
6月18日。まさか寝坊をするとは思わなかったけど、目が覚めたらほぼ正午。ああ、大変。今日はピアノの先生とランチの日。約束の時間は午後12時半。しらない、しらない。がばっと起きて、超特急で身支度をして、メークをして、バッグを掴んで、キーをつかんで、カレシにすれ違いざまのチューをして、外へ飛び出した。携帯のスイッチを入れて、車に乗り込んだところで、先生からの電話。途中で地下鉄工事による渋滞に遭遇して、少し遅れるとのこと。そこはワタシが想定していたルートでもある。走り出す前の知らせはラッキー。逆の方向から行くことにした。ガソリン代の高騰のせいか、近頃は交通量がなんとなく減ったような・・・
落ち合ったのは小さな台湾料理の店。不思議な香りのするお茶で、先生の「離婚」をお祝いした。まあ、実際の離婚手続きはこれからだけど、夫氏から家の権利を買い取って、その手続きがやっと完了したところ。話がまとまってから2度書類へのサインをすっぽかされたので、三度目の正直。破綻してからほぼ7年。人の離婚を喜ぶのは変な話だけど、先生にとってはモラハラからの勇気ある脱出なのだ。ワタシ立の小学校に通う子供を2人抱えてシングルマザーになる先生は家の権利を買い取るのに多額のモーゲージを組んだという。子供の養育費を要求しないことと引き替えに半分以下で済ませたけど、45才の先生はこれからが大変。それでも、久しぶりによく眠れるようになったとか。
夫氏は先生のお母さんに「彼女の愛を取り返してみせる」と言ったそうだけど、おいおい、勝ち取ってどうするんだ。トロフィーみたいに棚に飾って悦に入ろうっての?離婚の話になるたびに見たこともないほど優しくふるまったそうだけど、暴君の父親の前でいい子を演じてきたらしい夫氏も、いい人を演じて周りを騙すのはお手のものなのだ。ワタシが苦しんでいたとき、先生は黙って愚痴や泣き言を聞いてくれて、黙ってハグしてくれた。ワタシが立ち直ってきた頃、たまたま夫氏が失業して前からあったモラハラ傾向が一気に表面化した。カレシの爆発とよく似ていた。今度はワタシが話を聞いてあげる番。カレシもこうだった、ああだった、それは気をつけないと危ないよ・・・忙しくなってピアノのレッスンをやめてからも経験を語り続けた。先生は夫氏が好きだった。ひとつ屋根の下で愛する人に無視され、疎外されることほど苦しいことはない。ほんとうに気が狂いそうなほどつらい。二人して泣いたときもあった。そうやって7年かけて先生は「離婚」という結論を出した。今日の先生はすごく輝いていた。おめでとう!
帰ってきて、仕事をひとつ片付けて、小町を散策。『海外で仕事をしている女性の特徴』というのがある。またか~と思うけど、ちょっとのぞいてみる。ああ、またか~。まあ、キーワードは「海外」だからしょうがないんだけど、気が強い、気が強いの大合唱。あのねえ、気が強いんじゃないの。しっかりものなのよ。でも、そう言ってくれる人はほとんどいない。みんな気が強いと自己申告。ほんとうにそうなのかなあ。それよりも、外国に行ってまでそこで見かける日本人女性を微に入り細にわたって監視してるってのはちょっとストーカーっぽくないのかなあ。それで、ファッションがダサいとか、日本人の良さを忘れたとか言って、日本で暮らしていない人に(日本人がこだわる)日本人らしさを求めているとは、ほんとに人のことに対するこだわりの強い人たちが多い国なんだなあ。
ま、この人たちの目にはワタシも気が強くて、ファッションセンスがなくて、日本人の良さを忘れた「変人」に映るんだろうけど、ワタシは「海外」で働いていないもので、太平洋の向こうの「海外の人たち」に反論しても意味がないなあ。ここにたむろしている日本人たちは中国人は「気が強いから嫌だ」と言うけれど、そのステレオタイプで見ると香港生まれのピアノの先生も気の強い女になるのかなあ。同胞にも気が強いと思われているのかなあ。中国人がステレオタイプの中国人像にどれだけこだわるのかは知らないけど、私たちは運命に導かれて来て根を下ろしたところでひたすらがんばっているだけ。
どうしても何かにこだわらなければ気がすまないんだったら、自分のことにこだわった方が、いろいろと楽しいと思うんだけどなあ。たとえば、自分ブランドの日本人を追求・・・とか。
何ごとにも時がある
6月19日。まだまだ余裕はあると思いつつ、飛び込み仕事をはめ込みながら、大きな仕事をたらりたらり。う~ん、ちょっとばかりダレ症状が昂進しているような。季節感がおかしいせいかなあ。源泉税だの著作権だの派生的な問題が出てきたせいかなあ。まあ、ここはちょっと視界を広げて見れば、今はたまたまそういう「時」ってこと。早く言えば文章のコンマかピリオドみたいなもの。そうやって自分で納得して・・・
旧約聖書の伝道の書に「何ごとにも時がある」で始まる節があって、フォーク歌手のピート・シーガーが曲をつけ、フォークロック全盛時代にByrdsの「Turn! Turn! Turn!」とうレコードになってヒットした。輪廻転生だの茫洋とした宇宙の摂理に思いを馳せたがるワタシには心の奥底で共感できるところがあって大好きな「言葉」なんだけど、実際には自分で何かをする時に、それがまさに「その時」なのかどうかはわからない。どっちかというと、「Hindsight is 20/20(後知恵は目が良い)」、つまり後で振り返って「なるほど」と思うことが多い。そこが人間たるところなんだけど、そうでなかったら、「占い師」になって、セレブになって、今ごろは左うちわの大もうけでウハウハだ、きっと。
さて、きのうはクライアントのクライアントから来るたび重なる質問と修正要求にとうとう切れて、きっつい返事を出してしまった。もうだいぶ前に完了して、クライアントが校正と編集をして、発注元に納品されている仕事があって、普通はその時点でワタシはお役ごめんのはずなんだけど、翻訳がおかしいとクレームするでもなく、あちこち変更しては「これでいいか」と聞いてくる。どうやら発注元のほうで書き直しをしているらしい。で、自分の英語に自信がないから、「これでいいか」と聞いてくる。ちょいと待てよ。それって添削じゃないの。発注元の業界が業界だから、いわゆるアフターサービスのつもりでいるんだろうけど、自分たちの気に入る英語に書き直したいなら、そうしてくれてけっこう。それがコテコテの日本語英語になってもワタシはしりません。あたしゃ、翻訳をやってるんであって、教えているんじゃないから、書き直しの添削なんかやってられないっつうの。はっ!
まあ、今回だけはということで、ダメ、ダメ、ダメとコメントを返して、次回からは料金を取ると言ってくれとコーディネーターさんに言っちゃったわけ。業務の内容が違うんだから別料金になって当然だと思うんだけど、「英語知らずの英語読み」の英語屋に校閲させて「この翻訳は誤訳だらけで文法もなってない」とクレームして来た某クライアントのクライアントに比べるとまだましな方かなあ。あの英語屋センセイにはカレシの「Do you understand English?」みたいなレポートを送ってすっきりしたんだけど、人にお金を払って翻訳させておいて、それを我流に書き直したいから手伝えなんて、どんな神経なんだろう。けっこうあるなあ、こういうの。日本国政府某省の仕事も、HPに載ったのを読んで見たら、実にみごとな日本語英語に「翻訳」されていたっけ。「英語人は英語を知らんなあ」とか言いながら、せっせと「正しい英語」に書き直している(たぶん下っ端の)お役人さんのイメージが浮かんでおかしかったけど、オレは英語わかるんだってこだわりなんだろうなあ。でも、昔から「生兵法は怪我のもと」と言うじゃあないの。
伝道の書のくだんの節は「a time for war and a time for peace」と言って終わっている。「戦いの時、平和の時」。戦わなければならないときもある。「戦うべきときは戦うべし、平和のときは仲良くすべし」とコヘレトは言っているのだ。戦うべきときは戦う・・・自分という人間性を守るためにはあたりまえのこと。神さまは決して「争いは絶対にダメ」とか「けんか両成敗」とか、二股膏薬みたいな「なあなあ」でお茶を濁すようなことは言っていない。人間という小さな存在にはその時(タイミング)を計るのが難しいということなんだ。まあ、正しくタイミングを計って人生を運営できたら神さまクラスになっちゃうけど、神さまは人間の力が及ぶべくもない宇宙のどこかで「神さま」として鎮座していてくれなくちゃ・・・
こだわり屋のスカンク
6月20日。夏至。ベッドに入ったのがそろそろ鳥のさえずりが聞こえる頃。そういうときに限って、どこかで早くからブィーンと甲高い機械の音がして来る。カレシがあまり勢いよくはね起きたもので、てっきり朝寝坊したかと思ってしまった。寝ぼけまなこで「起きる時間?」と言ったら、すでにムカついているカレシ、「これじゃどうしようもないだろ!」 たしかにちょっと耳障りな音だなあ~むにゃむにゃ・・・とまどろんでいると、今度はゲートのチャイムが鳴っている。ん?と思いつつまたとろとろ・・・チャイムはしつこくなり続ける。うるさいなあ。配達だったら不在通知でも入れてってよ・・・
だけど、このしつこさはどうも配達じゃあなさそうだ。目をこすりながら、下へ降りてインタフォンを取るとカレシの顔が大写し。「入れない!」と怒鳴っている。ははあ、あんまりムカついたもので、ゲートにストッパーをかけないで道路へ飛び出してしまったんだ。それじゃあ入れない。我が家のゲートは鍵がなければ外からは開けられない。チャイムを鳴らして、家の中からロックを解除してもらうしくみになっている。だから、思い立ったが百年目みたいな勢いで外へ飛び出すカレシはそのたびに締め出しを食ってしまうわけ。伸び放題の生垣の後ろにもぐりこんで内側にある塀を乗り越えるという手もあるんだけど、だいたいは手っ取り早くチャイムを鳴らして「入れてくれ~」 あ~あ、ひと騒動のおかげで起床は午前9時半。1年で一番日の長い日だというのになんてこっちゃ。
ゆうべはまたポーチの端でゴリゴリ、ガサガサと音がし始めた。またか~とうんざりした気分で、ポーチから裏庭へ通じるゲートを開けてみたら、ふむ、また何ものかが穴を掘った跡。持ち出した懐中電灯で通路を調べていたカレシ、「スカンク!」 あわてて家の中に飛び込んで、ドアをバタン!そっかあ、やっぱりスカンクかあ。もっとも、掘っていたところはベースメントがある部分だから、スカンクにとっては骨折り損でしかないんだけど、こっちは穴を埋めたり、塞いだりの大仕事。それでは困るから、さっそく害虫害獣駆除の会社に電話してみた。罠を仕掛けてもらって、つかまったらどっか遠くへ持って行ってもらえばいいかと思ったわけなんだけど、どっこいそうは問屋が卸さないのがバンクーバーの市条例。人間に危害を及ぼす動物は別だけど、相手がスカンクごときなら神経戦で諦めさせるしかないそうな。あの、スカンクのあれって、人畜無害なわけがないでしょう?もろにぶっかまされたら、すごい危害だと思うんですが・・・ねえ。
考えたら今は不動産バブルでどんどん古い家が取り壊されて、あっちでもこっちでも新築工事だから、ホームレスになってしまったスカンクがうろついているのだろう。スカンクにしてみれば「家がなければ、子供を作ることもできない」ってわけで、たしかに迷惑なことだと思うけど、だけど、だけど・・・やっぱり、何とかしなくちゃ。庭のあちこちに野積みしておいて使いものにならなくなった廃材がたくさんあるから、ポーチの周囲を掘り下げて、壁を埋め込んでからセメントブロックを置いて、塀の下の隙間は角材でブロック、と。それでも「どうしても」というこだわりスカンクだったら塀を越えては行ってくるかもしれないけれど、とりあえずは廃材の処理もできて一石二鳥ってことになるかもしれない。まあ、塞翁が馬というからなあ。それにしても、納期が迫って焦りだしたときに限っていつもこうなるのは何なんだ・・・?
経済は日替わりメニュー
6月21日。前の日のロスを取り戻してやる~といわんばかりに、10時間もぐっすり眠ってしまった。それこそ爆睡。今日は土曜日だから、勤め人がいても同じだけど、このあたりが時間に融通の利く暮らしのいいところ。まあ、変則的ではあってもかなり規則正しい生活をしているわけで、それが工事騒音のような「外圧」に乱されて不規則になる。だけど、この「外圧」が問題になるのは生活が変則的だから。変則的といっても、本人たちにはいたって規則的・・・堂々めぐりみたい。寝すぎたのかなあ・・・
プチ休暇中のカレシは来年のオーストラリア行きの計画を立てている。会議の開催地はシドニー。おりしも燃料費高騰で、各航空会社はあの手この手での対応におおわらわ。採算の取れない路線から撤退する計画も多い。ということは、今からあまり細かく予定を組んでも、年が明けてみたらどんなことになっているかは明けてのお楽しみ。何にしても不透明な時代だなあ。エアカナダは秋にバンクーバーから関西空港への直行便を廃止するという話で、「きゃあ、困る~」の大合唱。JALには関空への便がないらしい。バンクーバー→名古屋の路線はだいぶ前に廃止されたし、トロントから成田便も直行便はなくなったらしい。インチョンのハブ空港化が本格稼動したら、成田からも撤退するところが出てくるかもしれないなあ。まあ、「困る~」といわれても、日本の価値が相対的に低下したってことなんで・・・
私たちのお気に入りのアラスカ航空もバンクーバー・サンフランシスコ線を廃止するらしい。昔よくあったように、週何便という運航はできないものかと思うけど、機材を効率よく使い回す時代だから、かえって非効率なのかもしれない。数年前に乗ったマルタ航空は小さな飛行機13機で「世界39都市」に飛んでいたけども。人間、年を取ってくると長時間飛行はきつくなるもので、できるだけ6時間以下に抑えたいけど、オーストラリアは太平洋を南半球まで斜めに横切るし、中継地もあまりないからどうしても長いフライトになる。細切れにするとかなりの割高になるんだけど、やっぱり楽な方がいい。どうやら今一番楽そうなのは、バンクーバー→サンフランシスコ→シドニー→シンガポール→(ソウル)→バンクーバーというルートらしい。これなら路線廃止のリスクも少なそうだけど、ソウルは行っても真冬だなあ・・・。
ガソリンスタンドのデジタル化された看板に表示される値段はまるで日替わりメニュー。今日は1リットル1ドル43セント。去年の夏に急騰して1ドルの大台を突破したときには、上へ下への大騒ぎをしたけど、1年足らずの間に50%の値上がりということになる。まあ、我が家には車が2台あるといっても、1年に3、4回カードで払って給油する程度なもので、高くなったという実感はほとんどないけど、郊外から通勤する人にとっては大変だろう。誰かがアジア系スーパーの米の値段が倍くになったと憤慨しているけど、それは世界的にそういう状態になっているんであって、小売店が値段を釣り上げているんじゃないのだ。アメリカのアイオワ州での大洪水でトウモロコシや大豆が大被害を受けた。どちらも世界の3割以上がアメリカで生産されるというから、日本のラーメンやピザからコーンが消える日は近い・・・かな?
そうなるとまたぞろ出てくるのが「アメリカのせいだ」、「ブッシュのせいだ」。過激ムスリムの受け売りのようなことを言っているけど、仮に来年の1月にオバマ大統領が就任して、それでも世界市場の情勢が変わらなかったら、「オバマのせいだ」というのかな。まあ、こういう人たちがカナダに来てもまだ不満が募るのは「カナダのせい」・・・つまり、誰かのせいだなんだろうけど、日本とカナダの往来がもっと不便になったら、果たして、美しい国からジェット気流に乗って流れて来て、バンクーバーに漂着して吹きだまるhuddled masses(なんかスギの花粉みたいに聞こえるけど)は減るんだろうか。なんかこっちの方がある意味で大きな影響があったりして・・・
激カワ、激キモ
6月22日。今日あたりから月末までねじり鉢巻の大車輪・・・ということは百も承知でまだたらりたらりとやっている。やっとそれらしい季節感のある天気なんだけど、おこもり状態。と、思ったら、カレシが突然「野菜が何にもない!」とパニックっぽい声。ええ、今ごろ気づいたの~?金曜日に買出しに行くはずが、結局は青果屋のKin'sは閉まった後のスーパーへ牛乳を買いに行っただけ。翌土曜日はディナーに出かけて、帰りに立ち寄ったのはグルメショップのMeinhardtだけ。だって、カレシは「まだいらない」と言っていたじゃん。それが慌てて腰を上げて、「混んでるってのに」。あったりまえじゃない、今の時間。
というわけで、トラックの荷台に前に野菜を詰めてもらった段ボール箱を放り込んで、いざ出発。その段ボール箱いっぱいの野菜を仕入れて来た。地物のイチゴがどっさり。もう25年位前になるかなあ。今の季節、バケツを持って郊外まで出かけて、何キロものイチゴを摘んできた。カレシがそばでイチゴを摘んでいた記憶はないんだけど、その夜遅くまで汗だくになって2ダースくらいのイチゴジャムを作った。(ふ~ん、カレシが手伝ってくれた記憶もない。体はいたけど心はやっぱり不在だった・・・?)今でもこの季節になるとカレシは「イチゴ取りに行こうか」などと言い出す。ただし、ワタシがうんと言うだけで動かないので結局はご当人も動かない。今では「~が欲しいなあ」と仄めかしても「買っちゃったら?」という返事しか返って来ないので、欲しいはずのもの何も買わないままになっている。さんざんおねだりをして買ってもらったものがたいてい使われないで埃をかぶっているところを見ると、「買ってもらう」ことに意義があるのかもしれないなあ。
ブログのサイトにログインするときに「激カワ」とかいうランジェリーの広告が出る。それがまるでアダルトビデオの小道具みたいなデザインで、あんなのつけて出かけるのは憚られると思うけど、今どきの若い日本人にとっては「勝負ランジェリー」なのかもしれない。「カワ」というのは「カワイイ」の略語らしいけど、「激」とのちぐはぐな対比がおもしろい。他にもいろいろな広告が出るけど、最もキモイと感じるのが無料ゲーム。ログインするのに視界の端っこにでんと居座る鎧を来た真っ赤な目の女のキャラが邪魔っけでしょうがない。鎧からバストがぼぃ~んと溢れているのに、顔はどうみても5才。これって、戦いのゲームなんでしょ?それにしては一番ガードを固めるべきところが露出しているのはどうして?鎧って硬いものだろうから、ひとりずつ胸のサイズと形状に合わせてカスタムメードだよねえ。経済的に戦いに負けてるじゃん・・・と、ツッコミどころはたっぷりある。これがオタクが萌えるという美少女なのかもしれないけど、やっぱりワタシの目にはキモイ。
目ざわりといえば、在日ガイジンがやっている2つの日本関連ニュースのサイトにある「Personals」という欄の写真。ニュースを読んでいる横っちょに縦にあるからどうしたって視野の端っこに入って来る。まあ、これがすっごいイケメンの男だったらちょっとばかり目の保養になるかもしれないけど、バナーにカーソルを置くと「Meet Japanese friends」と出てくるけど、最近までは「Meet Japanese girls」になっていたわけだから、要は若いオンナノコのガイジンBF募集サイトのようなもので、20代か30代の女性がほとんど。キュート風のハンドルネームから見ると大多数が日本人らしい。どれも携帯カメラで取った自写像らしいけど、なぜかそろいもそろって思いきりアニメ顔。少し年がいっているとキャバクラの広告みたいなポーズになる。たまに男が登場しても「おい、そこのネエちゃん」みたいな「ワル」気取りのポーズだったりする。まあ、これが今どき日本の風俗なんだろうけど、最近はかなり短いサイクルで同じ顔が2つのサイトに同時に登場するようになったらうんざり。サイトの主宰者が出会い系の印象を薄めようとした結果なのかもしれないけど、ガイジン向けのサイトと知っていてそういう上目遣いのポーズで載せているわけ・・・う~ん、キモイよ、やっぱ。
毎日新聞英語版サイトにあったWaiWaiというページが廃止になった。元々オジサンたちが電車の中で読んでいる週刊誌の記事を英訳して載せていたに過ぎないんだけど、それが日本について「おバカで嘘っぱちの情報」を世界に流していると、日本ネット界に絶大なパワーを持つ2チャネラーたちの逆鱗に触ったらしいという話。そっか、あれは本当だけど、世界の目に映る日本はあくまでも「美しい国日本」でなければならないってことなんだよね・・・
食洗機が壊れると
6月23日。けさはせっかくいい気持でぐっすり眠っていたところをカレシにたたき起こされてしまった。「なんでまだディッシュウォッシャーが回ってるの?」 ええ?「まだ回ってるんだよ」と、ちょっぴり怒ったような、ちょっぴりパニックしたような顔。ぐっすり眠っているところを起こされたんじゃ、こっちのシステムはまだ休眠中。のそのそとキッチンまで下りて見たら、あ、ほんとだ。ゆすぎサイクルの途中。いつも真夜中のランチが終わったところで1日分の食器をまとめて洗うので、午前3時くらいには全部終わっているはずなのに、まだ途中?てことは、8時間以上も回りっぱなしだったってこと?うは~、と目がぱっちり。
カレシは「出そうとしたらまだ回っていたんだよ」と、オレのせいじゃないよとでもいいたげな口調。わかってるってば。そうやってすぐに防衛態勢を取らなくたっていいってのに、そこはカレシなんで、故障の原因がわかる前から「オレが壊したんじゃない」と防衛線を張る。自分が壊したことを隠せない場合は「デザインの欠陥」(オレみたいな不器用なユーザーへの配慮がない・・・)ということになるからつい笑いそうになってしまう。きっと子供のときからそうやってきたので、今でもとっさにそう言い訳してしまうらしい。「三つ子の魂」のおそるべき真実・・・。
サイクルのダイヤルを少しずつ進めてみても、排水サイクルに切り替わらない。ふむ、つい3日前にクリーナーを入れて回したばかりなんだけど、排水口が詰ったとか・・・?ま、考えていてもしょうがないから、そうっとドアを開けて、食器を取り出して、カレシにざっとゆすいで拭いてもらっている間に、前に水漏れが起きたときに呼んだ修理屋の領収書を探してきて電話。明日の朝、修理の人が電話して来るという。その時に時間を設定するってことだけど、来てもらえるのは明日かなあ、あさってかなあ。
たった2人の暮らしとはいっても、兼業主婦(あるいは主婦兼業)にとってディッシュウォッシャーは大型フリーザー、冷蔵庫と並ぶ三種の神器。食器洗いというのは簡単なようで意外に時間がかかる作業で、納期に追われているときの故障は最悪のタイミング。とりあえず今日はできるだけなべやフライパンを使わずにやるしかないかなあ。おまけにごたごたしていてメインの食材を解凍するのをすっかり忘れてしまった。どうしよう?今夜は何食べたい?修理の算段ができて冷静になったカレシ曰く、「簡単でいいよ」。うれしいことを言ってくれるけど、フリーザーに「簡単」なんて入ってたっけ?みんなカチカチに凍ってるんだけど。う~ん、カチカチに凍ってるんだけど、魚だったら早く解凍できるかなあ。
こういうときに貯蔵用フリーザーが本領を発揮する。三種の神器のひとつたる所以。バスケットを出して、身を乗り出して底の方の在庫を調べて見たら、マグロがある。タコの足がある。サケがある。冷蔵庫には使いかけの大根とししとうの残りがある。そ、今夜は刺身ってことにしてしまえばいいんだ。ついでにスモークサーモンを前菜にして・・・ディッシュウォッシャーが故障したおかげでえらく豪勢な夕食になったもんだ。使った調理器具はまな板と包丁と小さいフライパン。前菜用の小皿1枚、わさび用の小鉢1個、サラダボウル、ディナー皿2枚にナイフとフォークが2本ずつ、コーヒーマグ2個。いやあ、簡単、簡単。これだったら毎日でもいいかなあ。だけど、豪勢なディナーも毎日では飽きるだろうし、いくら数が少なくても「カレシが洗ってくれるかも」なんて淡い期待を持つわけにもいかない。早く、修理屋さんが来てくれるといいけどなあ・・・
家事は好きじゃないの
6月24日。ベッドのわきにおいておいた電話が鳴ったの9時50分。今日の午前11時から午後1時の間に行きます、という話。おお、早いなあ。ああ、よかった~と安心したところで、もうひと眠りしようとしたけど、寝すごすわけには行かない。とろとろしているうちに11時になってしまった。カレシはぐうすか。しょうがないから、起きて身づくろいだけして、インターコムに近いベースメントのソファに横になった。これなら眠ってしまってもチャイムが鳴ったら飛び起きられそう、という胸算用だったんだけど、すぐに頭上のキッチンでカレシの足音。なんだ、おきちゃったのか・・・
修理屋氏は朝食の最中に登場。ダイヤルを少しずつ回して、排水サイクルのあたりで止めてはドアに耳をつけて聞き入って、「ふむ、これはシリアスかも」と。おやおや。買ってから8年近くなるから、寿命に近づいているらしいけど、しばらく底にたまったままの水の中に手を突っ込んでいて、「バッドニュース」。おやおや。サイクルをコントロールするタイマーが壊れているそうな。「へえ、脳卒中みたいなもの?」とカレシ。「まあ、そんなもの」と修理屋氏。そっか、うちのディッシュウォッシャーは脳死も同然なんだ。あ~あ。タイマーを取り替えると500ドルくらい。新しいのに買い替えるなら800ドルから千ドルくらい。寿命は9年から10年。「どうしますか?」と修理屋氏。では、今日にでも新しいの買いに行きます。ということで、ワタシの三種の神器のひとつは往診料?80ドルで御臨終を告げられたのだった。アーメン。
そういうときに限ってカレンダーに納期が並んでいるから困る。午後に納期の仕事を大急ぎで仕上げて送ったけど、そのときはもう午後3時。目当ての店は5時半までやっているけど、川向こうだからラッシュアワーに真っ向から突入するようなもの。結局は明日ということにした。「食器洗いなんか、23日くらい何とかなるさ」とカレシ。今日買っても、配達して取り付けしてくれるまで少なくとも1週間はかかると思うけどなあ。まあ、1日ずれたって、食器を手洗いしなければならないという現実には変わりないから、しばらくは「ワタシ、洗う人、あなた、拭く人」で行くっきゃない。あ~あ、なんだか今からくたびれたような・・・
どうもワタシは料理以外の「家事」という作業は好きではないらしい。だから、掲示板などで「家事が好き」と言っている奥さんに遭遇すると、「へえ、変わった人もいるなあ」と思ってしまう。上から下までお掃除をして家の中がピカピカになると気持がいい。ふ~ん。きれいに洗濯して、ピシッとアイロンをかけるのは気持がいい。ふ~ん。きちんと片付いた家は気持がいい。ふ~ん。たしかにそうだろうけどなあ。ずっと昔まだ親元にいた頃は週末に家族全員の洗濯をして、アイロンかけをした。食事のしたくも手伝ったし、後片付けも妹と交代でやった。自分の部屋もよく思い立って模様替えをしていたけど、かなり片付いていた方だった(と思う)。つまり、このワタシにだって「いいお嫁さん」になる兆しはたっぷりあったわけ。
なのに、今「家事か、仕事か」と二者択一を迫られたら、迷わず「仕事!」と言うだろう。どっちかというとぐうたらなところがあるけど、働くこと自体は好きだ。集団ルールに操られるのは嫌いだけど、ほうっておいてくれれば勝手にどんどん仕事をしてしまう。その点今の仕事はワタシにぴったり。もしもカレシが専業主夫になってくれたら、バリバリ仕事をして、もっともっと稼ぐかもしれないなあ。カレシが扶養家族になったって変だと思わないし、抵抗感なんかさらさらない。どういう風の吹き回しでこうなったのか知らないけれど、ワタシって中身はあんまり女らしくないのかなあ。ふむ、もしも男に生まれていたら、どんなオジサンになっていたんだろう・・・ヤダぁ!
ああ、加齢なるかな
6月25日。ゆうべはなぜか猛烈な頭痛とすごい疲労感で、どうしようもなくなって早寝してしまった。胸が苦しくて、息ができないような気分で、なんだかこのまま死んじゃうのかなあ・・・なんて漠然と考えるほど頭痛はガンガンと鳴り響くし、ベッドに横になって涙がポロポロ。どうなってんだろうなあ。自分で気づいていなかったストレスがたまりすぎたんだろうか。たかが仕事の予定がちょっぴり詰まっているときにディッシュウォッシャーが壊れた程度なのに。
元同僚たちとのランチに出かけたカレシが帰って来るのを待って、家電の店へ。なんだか白いのが少ないなあ。たいていはステンレス。黒もある。まあ、かっこいいかもしれないけど、うちのキッチンにはそぐわないなあ。などなど、それでも全機種を開けて中をのぞいて、ラックやトレイを引っ張り出してみて、Miele製のは一番上にカトラリーのラックがあって魅力的だけど、考えたら二人の食生活ではそんなに数は出ないしと判断して、結局は壊れたのとあまり変わらないBoschに決定。ところが白いのがなくて、ひとつ下のモデルでどうかという。値段は100ドル安い。何が違うのかと聞いたら、「残り時間の表示がない」。え、うちは寝てる間に回すんですよねえ。「水の汚れによってサイクルを調整する」。ええ、洗ってくれさえすればいいんですけど。まあ、そういうややこしい「ハイテク」機能ほどあんまり使い勝手がよくなくて、壊れると修理がえらく高くつくからなあ。
不要な機能なしで100ドル安くなってほくほく。配達と据付は別の請負業者がやるから200ドルくらいかかるとか。でも、古いのを持って行ってくれるそうなのでいいか。カードで払って、据付の人の名刺をもらって、運がよければ金曜日、でなければたぶん来週中。ああ、良かったと、なんだかグルメ料理に凝ってもいいかなあという気分で店を出たら、カレシが向かいに園芸店を見つけて、「土を買って行こう」。向かい側なのにけっこう回り道して、やっと駐車場へ。重さ50ポンドの園芸土の袋を抱えて、レジへ。レジのちょっとすてきなオバサンが「あなた、シニア?」 カレシは「シニアって何才から?」「60才」との返事にカレシ曰く、「おっ、それよりずっと上!」 というわけで1割引になった。「ほら、年を食うといろいろご利益があるよなあ」と、20キロ以上ある土の袋をえっさえっさと運ぶカレシ。そうだ、ワタシも割引してもらえるんだよね!ま、たいていのところは65才だけど、それでも「老人割引」ってなんとなく新鮮?な感じがする・・・
さて、これで気分を引き締めて仕事にとりかかろうと意気込んだところで、電話。カレシのパパが肺炎にかかって緊急入院したけど、持つかどうかわからないという知らせ。とにかくどんどん抗生物質を投与してもあまり効果が見られないんだそうな。ママの骨折事故以来、ライフスタイルの激変について行けなかったのか、急激にボケが進んでしまったという。最近はあまり歩くこともできず、1日中ぼんやりしているか眠っているかで、67年連れ添った妻の顔さえわからないことがあるという。まあ、89歳という長い一生を大人に成長する節目を悉く見逃すか、やり過ごして来て、まるで5才児のままで生きてきたような人だから、そのまま高齢になってなすべもなく下り坂を転げ落ちるという運命だったかもしれない。カレシは「オヤジとはあまり仲がよくなかったから」と平静を装っているけど、でもぽつんと言った、「体も頭もまじめに鍛えておかなくちゃ・・・」と。
だいじょうぶだよ、カレシ。来週からはまた英語教室が始まるじゃない。このカナダでまともに生きて行くためにカレシ先生を必要としている人たちがいるんだから。誰だってその気にさえなれば人間として成長するのに遅すぎるということはないんだから。
今日は何の日?
6月26日。電話がなっていたとかで11時前におきてしまったカレシ。こっちはまだ気持ちよく眠っているのに、ほっぺたを突っついたりするから目が覚めてしまった。時計は10時54分。「まだ11時前じゃな~い」と抗議しながら、とにかく起きる。カレシはなんかやたらと機嫌がよくて、やたらとべたべた。外は小雨模様の木曜日。朝の電話はディッシュウォッシャーの据付の人。ボイスメールの番号にカレシが電話して、どうやら明日あたり配達、据付をしてもらえることになった。めんどうな食器洗いもあと1日だ~。ちょっとうきうきした気分で朝食の後、今日は揃ってヘアカット。ワタシはジュゼッペの椅子、カレシはアントニオの椅子。並んで座って、鏡の中のお互いをちらちら。カレシとアントニオはいつものように園芸の話に熱中。今日のトピックはコンポストを作る赤い虫の話。聞き耳を立てていたジュゼッペは「詳しいねえ。参考になるよ」。ワタシに園芸はするかと聞くから、「ワタシは食べるの専門よ」といったら、「それが一番さ」と大笑い。二人とも伸びすぎた髪を切ってもらってさっぱり。別に買うものもないから、モールの道路向こうにある銀行に立ち寄って、政府から送って来た100ドルの小切手2枚を口座に入れた。来月から「炭素税」というものが始まるんだけど、1人100ドルは排出削減努力の配当の先払いなんだそうな。だけどなあ、炭素税でガソリン代が上がる。いろんなものも多分値上がりする。つまり、せっかく100ドルもらっても新しい税金でみんな取り戻されるのは時間の問題。まあ、お金は天下の回りものなんだけど・・・
カレシには65才の誕生日を控えて政府からいろんなお知らせが来る。年金受給の申請はとっくに出して確認状が来た。州政府職員組合の年金は公的年金の額が引かれるけど、振込みが2つになるだけで合計金額はほとんど変わらない。実際は老齢年金も出るので収入が増える勘定。悪くないなあと思っていたら、州の自動車保険公社から「シニアディスカウント」のお知らせが来た。誕生日が過ぎたら保険の更新期限を待たずに最寄の代理店で保険えの手続きをしなさい、と。内容にもよるけど、最高で25%くらい安くなるらしい。お知らせはトラックとエコーの両方のが来た。そっか、エコーはカレシと共同名義になっているから、まだ65才にならないワタシもご利益のおすそ分けに預かれるってことだ。
8月が楽しみだねえなんていっていたら、今度は「高齢者所得補助金」のお知らせが来た。これはうちは所得が多すぎてもらえそうにないんだけど、まあ、1度申請しておくと、毎年の納税申告を見て、必要であれば自動的に送ってくれるということで、じゃあ、出しておくか。これは個人ではなくて、夫婦の所得が基準になるので、カレシのといっしょにワタシの所得まで記入しなければならない。申告書のコピーを引っ張り出して書き込む。二人の所得、しめて・・・うへ、これじゃあ、ずっともらえそうにない。もっとも、年金だけで生活に困る高齢者への補助だから、もらえないほうがいいのかもしれないけど。
書き上げて、数字をチェックしていたカレシ、「あのさぁ、結婚証明書を付けろって書いてあるけど」きっと(法律婚、事実婚、同性婚を問わず)カップル単位の制度だから、ほんとうにカップルなのか証明しろということだろうけど、手元に結婚証明書を持っている夫婦なんてたぶんいないだろう。何十ドルか払って取り寄せなければならない。めんどうな話だけど、我が家にその証明書のオリジナルがあるのだ。ワタシが改名したときに、旧名までが新しい名前に変えて送って来たもので、その証明書に記録されている結婚の日は、1976年6月26日。そう、今日、6月26日は結婚32周年の記念日。パリで二人だけで銀婚式を祝った後でひとつの「章」を閉じたから、今は1日、ひと月、1年が過ぎるごとに記念日のようなもの。でも、カレシが朝からそわそわしていたのは今日が何の日かわかっていたからかなあ。せっかくだから、Happy Anniversary!(アズナブールのおかしくてしんみりとしたBonne Anniversaireを聞こうか・・・?)
こだわりのエネルギー
6月27日。今日はかなり気温が上がりそうな気配。新しいディッシュウォッシャーの据付は今日の午後ということになった。 ばんざ~い。これで三食ごとに食器洗いをしないですむぞ~。便利さにすっかり慣れてしまうとそれがなくなったとたんに手足をもがれたような苛立ちを感じるものらしい。地球を守るためにこれからどんどん便利さを縮小しなければならないときにこれではいかんなあと思っても、やっぱり便利なほうがいいってことなのだ。新しい機械はボタンが4つあるだけで、よけいなお世話の機能がない。全サイクル終了の「お知らせ機能」がないのが何よりいい。寝入りばなに「終わったよ~ピッピッピー」とやられたらたまったもんじゃない。
だけど、どうして近頃の便利道具はあれにもこれにもよけいな「お知らせ音」を付けたがるんだろうなあ。知らせてあげるのが親切と思っているのか、知らせてもらわないといつ終わったかわからないから不安なのか。おそらくは、PL法とやらに神経をとがらせるメーカーが、うるさい消費者の先回りをしてあれもこれも「リスク」と想定してのことなんだろうけど、過ぎたるは及ばざるがごとしというでしょうが。便利さも行き過ぎると逆に不便になる。なんだか「ライナスの毛布」のような感じもするけど、ある意味で誰かの「こだわり」が現れているんだろうか。
こだわりにもいろんな形があると思うけど、日本人は概してこだわりの強い人が多いように思う。それは一種の「完ぺき主義」なんだけど、職人や芸術家の「自分の技」へのこだわりとは違って、外部から供給されるものや事象に完ぺきを求める。だから、こだわりの強い人ほど他人の人間の容貌から容姿、服装、一挙手一投足にまであれこれイチャモンを付けたがる傾向がある。おそらく、自分が安心感を得られる世界があって、周囲にその実現を求めているわけで、だけどそれをそうと言えば自己中心的と思われるから、「こだわり」という、なんとなく芯が強そうな言葉で表すんだろうか。他人や物に完ぺき性を求めていることには変わりはないと思うけどなあ。
このあたり、「日本人は概して完ぺき主義の人が多い」と言い換えたほうがいいかもしれない。ちょっと肩の力を抜けば楽なのに、それができないのが他力本願性完ぺき主義症。それで離婚の危機にある人がローカルの掲示板で相談しているけど、あれもこれも夫には任せられない、家事を頼んでも結果に満足できないので結局自分がやる。温かい家庭を作りたいのにけんかばかり。その果てに離婚の話。離婚はしたくないけど、どうしたらいい・・・。ふ~ん、自分のものさしにこだわる典型的なタイプだなあ。何にしろ完ぺきでないと不安で、自分のスペック通りでないとイライラ。旦那に同情してしまうなあ。何をやってもダメ出しで、おまけに自分のやり方を押し付けてくるんじゃ、人格を否定されるのと同じで、やる気が失せて当たり前。自分と他人との区別ができていないから、人を自分の付属物のように扱うのかもしれないけど、なんだか典型的な日本の教育ママみたいな感じがするなあ。そうやって相手に自分の完ぺきさを見せつけたって、自分が疲れるだけだと思うんだけど。もっと楽にかまえたらいいのに。
こだわりはものすごいエネルギーを必要とするし、モノへのこだわりだったら相当なお金もかかるだろう。うわべを飾る「包み紙文化」が生まれたのはこだわりの強い人が多かったからなのか、そういう文化があったからこだわりの強い人が増えたのか、それはワタシにはわからないけど、この隠蔽志向の土壌から昨今日本全国を賑わしている振り込め詐欺や数々の偽装事件が生まれたんだろう。こだわりといっても他力本願なもので、結局はこだわらないヤツのカモにされやすいということじゃないんだろうか。他人や周囲の環境に完ぺきを求めて安心を得ることに費やされるエネルギーを、自分の羽ばたきに向けたらすごい力になると思うんだけど、もったいないよなあ・・・
美景、美観、美食、美味
6月28日。正午の気温が20度を超えて、やっと夏が来た感じ。夏至から1週間経って、日の出は午前5時10分、日の入りは午後9時21分。ただしこれはサマータイムでの時間。標準時間だったら日の出は午前4時過ぎということになって、朝日を拝んで眠りにつくような生活になってしまいそう。サマータイムにはこういうメリットもあるってことか。今日の午後の紫外線指数は過去最高水準だそう。予報では湿度はやや高めで、体感温度は26度。トマトが大喜びの天気。今日のおでかけはスリーブレスでもよさそう。
今日のディナーはバラード入江に面したパンパシフィックホテルのレストラン。1986年のバンクーバー万博で「カナダ館」として水上に建てられた施設で、元はカナディアンパシッフィック鉄道の埠頭があったところ。5つの帆の形をした巨大なテントがコンベンションセンター、これに直結したホテル、吹き抜けのホテルロビーを見下ろす形で取り巻くオフィス。スタンリー公園側から見ると、出帆する船のデザインになっている。クルーズ船のターミナルにもなっていて、殺風景な港湾施設にぐるっと取り囲まれた入江の華と言えるかもしれない。
ホテルは当初は東急が所有、経営していたけど、もうアジアのホテル資本に売却されてしまったらしい。(そういえば、サンフランシスコの一等地にあるパンパシフィックホテルもマリオットに売却されていた。)レストランの名前は窓から見える「帆」にちなんで「Five Sails」。できた時から超がつく高級レストランで、当時の上司が「今度連れて言ってあげるね」といいながらランチにも連れて行ってくれなかったところだ。(まあ、彼は空約束が得意だったし、ランチであっても秘書を連れて行くにはどうやら高すぎたらしい。)ホテルのレストランは昔から高くてまずくてサービスが悪いという観念があったけど、バンクーバーでは増える人気グルメレストランに対抗してかなりアップグレードしたのか、料理は人気レストランに劣らず、値段は少し低めのホテルレストランが増えた。
今日は満席ということで、取れた予約は5時45分。行ってみたら大きな会議があるらしく、首から名札を下げた人たちが大勢いた。何の会議だろうと案内板を見たらアメリカの移民法専門の弁護士の集まり。カレシ曰く、「急に怪しげな連中に見えてきたなあ」。そうだなあ。Ambulance chaserと呼ばれる交通事故専門の弁護士くらいのレベルに見られそうだなあ。それにしてもたくさんいるもんだ。それだけビジネスが繁盛しているんだろうなあ。まだ静かなレストランで案内されたのは窓際の一等席。アラスカ航路のクルーズ船が船出し、水上飛行機がひっきりなしに離着陸し、ノースショアとダウンタウンを結ぶシーバスが往復する中、その間を縫うように陽気に誘われたヨットやボートが行き交う。入江の向こうに聳えるノースショアの山並みはまだ頂上にわずかに雪が残っている。夜になればノースバンクーバーやライオンズゲート橋の灯りがきれいだろうなあ。独立するまでの6年間いつも上司のオフィスから眺めていた景色なんだけど、やっぱりいつ見ても「ああ、バンクーバーはいいなあ」と実感する。
Five Sailesのシェフはどうやらオーストリア人らしいけど、メニューはウェストコーストコンテンポラリーと言えるだろう。カレシはカニのサラダにメインはオヒョウ。サーバーの薦めるソーヴィニョンブランとペアリング。ワタシはまぐろのカルパッチョとタルタルのコンビに「グレーステル」というオーストリア風の田舎料理がメイン。ワインはオカナガンのピノノワール。こういうレストランでよく前菜の前にちょっと出て来るamuse boucheはハマチのカルパッチョとハマグリのビスク。これがえらくおいしくて、今日のディナーは楽しみだぞ~という気分になる。出てきたグレーステルは田舎風の料理とは言っても仔牛のスィートブレッドに仔牛のヒレ、炒めポテトにエビのグラタンを白い四角の大皿に上品に盛り付けてあって、予感どおりにおいしかった。溶けた砂糖を急速に冷やして作ったクリスタルのようにきれいな容器に盛ったチョコレートとバナナのガナッシュもとびっきりおいしくて、満足、満足・・・。
帰りに迷子になったイギリス人夫婦に道を教えてあげた。山のある方が北。ダウンタウンの道路は東へ行くほど番地が小さくなる。ゼロになったらまた大きくなるけど、そこまでは行かないほうが安全。南北の道路は南へ行くにつれて番地が大きくなる。交差点の標識を見ればそのブロックの番地の頭の数字がわかる。偶数の番地は道路の南側で奇数の番地は北側。これだけの基本知識があればあとは地図を見ながらダウンタウンのどこへでも行ける。夏到来、バンクーバーは観光シーズンの到来なのだ。
アキハバラのあと
6月29日。秋葉原事件の後、犯人の生い立ちや心理分析がちらほらと続いている。若い人たちの挫折感、孤独感、閉塞感という言葉に混じって、「彼女がいたら」、「日常の不満やうっぷんをぶつけられる相手がいたら」事件は起きなかったかも、といういわゆる「識者」の発言が並ぶ。文部科学省は近く有識者会議を招集して事件を研究するんだそうな。動機の見えない犯罪というけど、ほんとにそうなんだろうか。政治家も識者と呼ばれる偉い人たちも、たぶん大勢の日本人も、日本の特にバブル以来の社会の「見たくないところ」を見ようとしていないだけのように思える。
格差社会、格差社会と、まるで降ってわいた災害のように騒ぐけど、実は人もモノも縦のものさしで測らなければ気のすまない自分たちが作り出したものではないのか。失敗を許さない社会というのは弱肉強食の動物社会とさして変わらないように思える。出る杭を叩くのは「和」を重んじるあまりというよりも、杭の高さがきれいに揃っていれば安心する社会だからではないのか。見かけの整然さに安心し、そのみごとな整然さに対する外からの評価に慢心し、その評価を維持することにこだわって、神経質なほどのきれい好き、他力本願の完ぺき主義、異常な美醜へのこだわりと、みんなが表向きだけ「いい子」を演じることを強いてきたのが日本社会ではないのか。それは中国や北朝鮮でおびただしい人間が一糸乱れず整然と行進する映像を彷彿とさせる。日本という国は、建前は自由民主国家でも、本音は全体主義志向なのではないのか。
もしも日常の不満やうっぷんをぶつけられる相手がいたらというけど、掲示板を見れば、親しいはずの人の不満やうっぷんを聞きたくないという人間が溢れているではないか。みんな格差社会で脱落しないように、失敗しないように必死で他人を振り返る余裕がなさそうに見える。人の愚痴を黙って聞くだけの器量もないから、疲れると言ってさっさと切り捨ててしまう。仮想の人間関係は結べても、現実の人間に向き合えない人が増えすぎたのだろう。極端な表現だけど、社会の見えないところで互いの人格を否定しあっているようなものだ。東京の雑踏の中でなんとなく無機質さを感じたのは、歩いている人が纏っている目に見えない「鎧」のせいだったのかもしれない。
もしも望むとおり「彼女」がいたら、彼はあの事件は起こさなかったかもしれないけど、自分の苛立ちをその女性への暴力としてぶつけたに違いないと思う。なぜなら、今どきの日本には「三流短大卒で派遣労働者で将来性のない負け組」の男の彼女になるのは、心から彼を愛する優しい女性だけだろうから。もしも彼女がいたら、彼はモラハラやDVでその人の人格を殺したのではないかと思う。彼の心理にこれほど関心をそそられるのは、たぶん、ママにはいい子でなければ捨てられるという強迫観念を植えつけられ、パパには不器用な故の失敗を執拗にからかわれて屈辱感を味わって育ったカレシの心理とどこかで共通するところがあると感じるからだろう。臆病なカレシは社会から見えないところでワタシを相手にその怨恨を晴らそうとしただけのことで、無機質な世界に住んでいたあの若者は周囲に生身の相手がいなかったから秋葉原の雑踏を選んだということなのかもしれない。
いい子を演じることを強いられて育ったというあの若者は、実は都合の悪いところは見ない、見せない文化の「いい子社会」の覆いを剥ぎ取って見せたのかもしれない。あの事件が何かが変わるきっかけになれば7人の犠牲者の命をむだにせずにすむと思う。だけど、「アメリカだって」、「アメリカに比べたら日本はまだ安全な国」といったような、問題から注意を逸らすような発言に、あの男が自分の不幸せの責任を両親や社会、できなかった彼女に転嫁しているのと通じるものが感じられる。日本という社会はますます窮屈になって、いずれはブラックホールのように内部へ向かって崩壊するのだろうか・・・
セレブとワイワイ
6月30日。日曜日と祭日に挟まれた月曜日。休みを取った人が多いと見えて、なんとなくあたりがひっそりしている感じ。まあ、1日だけ有休を取って五連休だから、きわめて効率の良いカレンダーの配置というところ。勤めていたらワタシもカレシもさっさと休暇を取っていただろうけど、ワタシは自分が自分の雇い主。仕事が詰まっているから、「お休みください」のお願いにはコワイ顔で「NO!」 あ~あ・・・
東京に「自由が丘」という地域があるらしい。なんか昔風に颯爽としていて、のびのびとして、かっこいい名前だなあと思ったけど、小町のセレブ論議を読んでいたら、どうやらあまり自由闊達とはいいがたい場所という印象。この自由が丘に引っ越すといったら友だちに「セレブ、セレブ」といわれて嫌味だという愚痴なんだけど、嫌がっているようで心のどこかで「羨ましがられている」という満足感がありそうな感じ。自由が丘がどんなところなのか想像もつかないけど、やっかまれて困るとこぼしながら内心はうれしくて、だけどその本音を言うとほんとに嫌味を言われそうでいやだから、匿名掲示板に「どうしてそんなことをうのか理解できない」みたいなトピックを立てて「羨ましがられているのよ~」と自分の本音を代弁してもらわなければならないほど(ああ、まわりくどい・・・)、鼻っ面が天を向いた人たちの住むところらしい。
ここでおもしろいのは、海外在住組がセレブの語源である英語のcelebrityの本来の意味を書き込むと、それに対して「セレブは日本語、なぜ必死に文句を言うのか」というような反駁が出てくること。たしかにセレブはカタカナ語だから元の英語とは意味がぜんぜん違ってあたりまえなんだけど、そこはおそらく「海外在住日本人」に英語の講釈をされるとカチンと来て、いちいちうるせ~ということになるんだろう。まあ、そうカリカリしなさんな。英語だってcelebrityの省略形のcelebというのはジューシーなゴシップでタブロイド紙を賑わす人たちのことなんだから。日本のセレブっておセレブ雑誌にブランド品に囲まれて登場する単なる成金らしいけど、欧米のセレブはパパラッチに追い回されてスキャンダルをさらされる羨ましくもない存在なんだから。それにしてもなあ、「海外在住」とか英語の意味の講釈に何かにつけて過敏に反応する心理はおもしろい。「いかがなものか」と気取って、暗に「黙れ」と言ってるわけだから。
毎日新聞が英語版の「WaiWai」というコラムを「不適切な表現があった」という理由で廃止し、編集者を停職処分にした上、監督不行届きと幹部まで減給処分にした。「不適切な表現」というのは日本語版に載った理由で、英語版に掲載された理由とはかなり違っていた。だから、日本語のブログや掲示板では「日本について嘘っぱちの下品な情報を垂れ流していた」と憤慨し、英語のブログや掲示板では「言論統制だ」と憤慨。読者の反応がまったく違ってくるからおもしろい。元々このコラムは日本の通勤電車でおじさんたちが読み耽る週刊誌の記事を英語訳したもので、出所が出所だから当然セックスに関するものが圧倒的に多かった。まあ、かなりおもしろおかしく書いてあったけど、元の週刊誌名も掲載されていた。それを日本人は「日本人の恥を捏造して世界にばらまいた」かのようい怒っているけど、つまりは、「不適切な表現」そのものについて怒っているわけではなく、日本の週刊誌に載っていて、(その膨大な発行部数から推測すれば)膨大な数の日本人が愛読する卑猥な記事(日本の恥)を「世界にさらした」といって怒っているということになるなあ。
そっか。世界最大級のセックス産業、痴漢に美少女趣味に援助交際といったセックスへの執心ぶりが世界に知られたら、慎重に築き上げて来た「品行方正なニッポン人」のイメージが穢れてしまうと恐れているわけで、ここにも上辺さえきれいに飾ればそれでよしとする日本の「包み紙文化」が見えて来るからおかしくなる。な~んだ、臭いものにふたってことかあ。自分自身の嫌な部分は見たくない。見たくないから見ない。見ようとしないから、いつもそのふたを押さえるのに忙しくて、結局はどこかでボロが出る。こっちではとっくにボロが出ているみたいだけどなあ。近頃は何かにつけて「在日」の仕業。いくら注意を逸らしてみたって、臭いものはいくら蓋をしたって結局は臭ってしまうんだけど・・・