リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年5月~その2

2007年05月31日 | 昔語り(2006~2013)
そういわれてもなあ・・・

5月16日。最後に残った仕事・・・期限まであと17時間。やれやれ、どうもまた徹夜になりそうだ。どうしてこう今年は仕事が多すぎるんだろう。日本の景気が本当に上を向き始めたのかなあ。それにしては円安だけど。

どんな仕事でもそうだけど、ときどき頭を抱えるようなものに出っくわす。それがおもしろくて、刺激になるのならいいけれど、ほんとうに頭を抱えて泣きたくなるようなこともある。最後に残った仕事はその最たるものだろう。ある文書があって、私に回ってきたのはその補足文書。親文書はすでに翻訳が済んでいるので、これを下敷きに使え、という。ここまではよくあることで、普通なら下敷きとして使える資料があるというのは仕事が楽になって助かる。でも、それが頭を抱えるようなシロモノだと大変どころではなくなる。

ちょうどそんなシロモノに出くわしてしまったのだ。参考にしろといわれても、翻訳が翻訳といえるものではないから困る。英語をわかっているつもりで実はよくわかっていない人が訳したらしい。明らかに日本人の仕事だ。海外にも拠点のあるけっこう大きい企業グループだから、おそらくは社内に「英語ができる」人間がいて、「やって」と命じられたのか、あるいは「できます」と志願したのかだろう。

でも、いくら親文書だからといっても、これを下敷きに使えといわれても困るのだ。互いに参照しているからといわれても困るのだ。こんな英語で読めない英語文をまねろといわれても無理。正直、いくら頑張ってもまねは無理。できない!たとえできたとしても、ダメ。どうしよう?しかたないから、指示を無視するか・・・

朝の光に感動

5月17日。ぶつぶついいながらやっていた最後の仕事が終わったのは午前8時。やれやれ、ほんとうに徹夜になってしまった。気分の方はアドレナリンの生産過剰で高揚しっぱなしだけど、やっぱり指のほうがついてこない。昔110ワードで打てたタイピストの面影なんぞどこかへ吹っ飛んでしまって、年だなあ~とタメイキ。

でも、だんだんに外が白んで、明るくなって行くのが視野の隅っこに見えるのは新鮮だった。何しろ、いつも就寝は午前4時近く、起床は午前11時過ぎという変則標準時だから、夏至の頃にはベッドにもぐりこむ頃に東の空が白々として、鳥がさえずり始めるというのはあるけれど、実際に朝の光を見ることはあまりない。初夏の朝の感触は何だかとっても新鮮で、よけいに仕事が力が入ってしまった。

それにしてもさすがに自分でもよくがんばるなあと感心する。どこからこんなにエネルギーが出てくるのか、めちゃくちゃ機嫌が良くて困るくらい。一応最後のページまで行って、後は見直しだけというところで、ベッドルームへ上がったけど、カレシの英語教室の日だから目覚ましは11時にセットしてある。せいぜい2時間ちょっとの睡眠なら歯磨きも着替えもめんどうくさいと、コンタクトレンズも入れっぱなしで、着ているものだけ脱ぎ捨ててベッドにもぐりこんでしまった。

でも、気分は高ぶったままだからすぐに眠りにつけるわけもなく、おまけにやたらと空腹。飢え死にしそうなくらいにおなかが空く。もちろん真夜中に軽くランチを食べたきりだから、8時間も食べていないことになる。このあたりが徹夜をするときの悩み。眠らずにがむしゃらに仕事をしているのは納期が迫って、切羽詰っているからで、キッチンに上がって冷蔵庫からつまみ食いする暇などあるわけがない。おかげで、今日は一日やたらと空腹感。ストレスと睡眠不足は太る原因になるといわれるのがよくわかる。

というわけで、結局のところ、ろくに眠らずに起き出して、一日中ハイパーなままだったのは、やっぱりADDなのかも。これで週明けまで仕事の予定が空っぽになったんだから、ゆっくりと朝寝と行きたいところだけど、どっこい、朝の8時半にセキュリティ会社がアラームの工事に来るから寝ていられない。その分早寝すればいいのはわかっているんだけど・・・

防衛体制は万全

5月18日。眠ったと思ったら目覚まし。午前8時過ぎ。全身の細胞が思い感じ。でも、今日は1ヵ月ぶりでアラームが完全復旧するはずの日。毎日2回のピピピッから解放されると思えば、起き出す気にもなろうというもの。

予定だと、セキュリティ会社は午前8時半から9時半の間、事務用品の配達は午前9時から午後5時の間。事務用品のほうはリッチモンドの配送センターからダウンタウンへ向かうルートではまず最初の配達先になるから、いつも9時を過ぎてまもなく来るけど、セキュリティ会社はまったくの未知数。なんて話しているうちに朝食の終わった午前9時15分、ゲートのチャイムがなった。どっちだろうと、カレシが外へ飛び出して行った。玄関先に現れたのは事務用品の方。と思ったら、後ろに大きな道具箱を下げた人がいる。何と両方とも同時に到着とあいなったらしい。こんなことはめったにないから、今日は幸先が良さそう。

新しいアラームは、ベッドルームに二次的なコントロールパネルとリモコンを追加してもらった。というのも、アラームセットを担当しているカレシは、ベッドに入ってお互いに腕を回したとたんに「アラーム、セットしたっけ?」と言い出すクセがあって、いちど気になったら気が休まらないタチだから、ベッドを飛び出して階段を駆け下りて確認に行くことになる。もちろん、セットし忘れの確率はごく小さいから、ムダ骨。今度はベッドルームに上がってからセットできるし、階下に下りる前に解除できるから、朝そのまま庭に飛び出して警報が鳴り響くということもなくなる・・・だろうと思うけど。

リモコンはキーホルダー代わりになる小さいもので、車のドアのリモコンに似ている。これはコードなしでもボタンひとつでアラームをセットしたり、解除したりできる優れもの。外出のときはセットしてからオンになるまで60秒だけど、外から帰ったときは、玄関を開けてから30秒以内に解除しないと監視センターで警報が鳴ってしまう。スーパーの袋をどっさり下げているときはけっこう慌てるし、表玄関から入った時はほんの数段とはいえ階段を駆け上がらなければならない。年をとればけっこうやっかいなのは目に見えているから仕様に入れたら、営業マン氏が「サービス」としてつけてくれた。これで、いつも私のバッグに入れておけばガレージの中からでもアラームを解除できるから便利。

パネルにもリモコンにも「パニック」ボタンというのがついていて、これを押すと監視センターで警報が鳴って、ガードマンと警察が駆けつけるという。世の中すごいことになっているんだという気もしないではないけど、自分より弱いものを狙うのがチンピラの常で、老人世帯は狙われやすい。それに、犯罪でなくても、いつも手近に持っていれば、一人きりのときにケガで動けなくなったり、DVで危険な状態になった場合にも、このボタンを押して助けを呼べるわけで、家庭用セキュリティシステムもずいぶん進歩したものだ。

展覧会の絵

5月19日。土曜日。身体的にも精神的にも久しぶりにまともに眠った朝。トロントから来ているカレシの末弟が来るということでお昼前に起き出す。とにかくダウンタウンへ出て、美術館でかねてから見たかった展示を見て、その後はプレゼントはいらないけどチョコレートならというママのために、お気に入りのチョコレートショップで一番大きな詰め合わせを買って、それから夕食の相談ということになった。

美術館の特別展示は「シアターとしての写真」。ダゲレオタイプの時代の古い写真から始まって、要するに自然なポーズなどではなく、初めっから「やらせ」といっていい写真がならぶ。そうだなあ、昔は特に司法の場で「写真は嘘をつかない」とかいっていたけど、今はPhotoshopでいくらでも嘘のつき放題。だけど、よく見ていくと、な~んだ、Photoshopはデジカメより百年も前から写真家は嘘をついているじゃない。それも、写真をメティエとする「芸術」の名で。写実なんだか、幻想なんだか、どれが仮想でどれがリアル・・・?

最後にベラスケスの有名な「ラス・メニナス」がビデオをとして上映されている部屋にたどり着く。あの絵の登場人物が動き回り、くぐもった会話が聞こえるけれど、もちろん何を言っているのかわからない。(当然スペイン語だからだろうけど。)画家が大きなカンバスに筆を動かしているところで、金髪のかわいらしいマルガリータ王女とお付きの女官たち、小人たちや犬が動いているのだ。視点はカンバスのずっと後ろの部屋の一点。いったいこの光景を見ている「私」は誰なんだろう?あのベラスケスの絵を見ている私なのか、それとも画家のアトリエの隅っこに陣取って何かしらドラマに関わっていたのか・・・。

一枚の絵にもその後ろにはドラマがある。ちょうどTIMEで、エドワード・ホッパーの作品をまとめた展示がアメリカを巡回するという記事を読んで、どうにかしてどこかで見たいと熱烈に思っていたから、それだけ動くベラスケスの絵は強烈な印象だったのだろう。ホッパーの、一見して古き良きアメリカの平穏に過ぎるシーンをビデオで再現したら私は一生泣き続けるかもしれない。ホッパーの絵には何だかわっと泣き伏したくなるくらいの壮絶な悲しさ、それでいてアメリカ的な「歯を食いしばるっきゃない」的な、いかにもハードボイルドな反骨精神のようなパワーがある。

そうか、写真は絵と同じ。初めから撮った人の主観を乾板やネガに記録したものに過ぎないんだ。写真は正直に真実を語るなんて、初めっからして存在しない、表面に見える世界の裏まで見たくない人たちの嘘だったのだ。私の中で息づいている不思議な感情を感じた、おそろしく幸せな午後だった。

寝不足でおなかが空くのは

5月20日。雨が降って寒い日曜日。5月も下旬に入るのというのに暖房が入っていた。カレシのママの90歳の誕生祝いに出かけた。ずっと郊外の次弟の家までは車で1時間半はかかる。元義妹や甥や姪に至ってはもっと遠い。途中はかなりの強い雨で、それでも迷子にならずに到着。ここまで出ると幹線以外の道路はまさにサバービアの典型で、袋小路だらけの迷路のよう。

それでも特に「家族」に会うのは楽しい。甥夫婦と姪夫婦、二組の間に姪孫が2人、甥孫が2人。ひとつ上の世代だけど、Auntie(おばちゃん)と呼ばれる。他に元義妹の現パートナーの娘夫婦も子供を連れて参加。オーストリア出身のパートナーの元妻はレソトのアフリカ人。その娘の婿はインド系と英国系の混血だから、2人の子供は半分白人系で後の四分の一ずつはアフリカ系とインド系。でも、二人とも何系ともいいがたいエキゾチックな顔だちだ。ここにいつか未来に実現する「カナダ民族」形成の芽があるように思える。

ママは90歳ととは思えないほど元気だけど、パパは何だか縮んでしまって、自力では足元がおぼつかない。おかげであちらから近づいて来れなくて、悪いけど少しほっとした。それでも、小さい子供たちが多いせいもあって、出前の中華料理と元義妹が持ってきた特大のケーキでのお祝いが早めにお開きになった帰り道は急に疲れが出てきた。でも、困った空腹感はどうやら後退してくれたようだ。

先週後半は2日続けて極度の睡眠不足。2日間でせいぜい2時間しか寝ていなかった。生理的システムが生存ストレス満杯の原始モードになってしまったのか、身体の疲労感よりも、やたらと空腹感に悩まされる。普通に食べても1時間くらいでおなかが空いてしまう。人間は睡眠不足だとグレリンというホルモンがしきりに「腹減った、腹減った」とせっつき、横からストレスホルモンが「食べろ、食べろ」とけしかけるらしい。それで、常習的に睡眠不足の現代人は「幻の生存の危機」とも戦うはめになって、太ってしまうらしい。

まあ、夕べはかなりまともに眠ったし、これでやっとストレス要因になっていた「行事」がほぼすべて終了して、明日は目が覚めるまで寝ていられる日だから、今夜はバッタンキューと寝てしまいそうだ。次の仕事はまた明日の話。今度はすこ~しゆったりと構えて、お付き合い?で何だかくたびれてしまったというカレシとゆっくりブランディでも傾けながら、映画でも見て、次のラウンドに向けてたっぷり鋭気を養っておこっと。

Engrishって?

5月21日。業界の機関誌などにたびたび登場するのが世界各国で発見された迷訳、珍訳の例だ。おいおい、というものから、おなかを抱えて笑ってしまうものまで、どうしてこんな訳がと頭を引っかき、首をかしげるものがわんさかある。このEngrishコレクションがずらりと載っているサイトがある(http://www.engrish.com)。

元々は日本で見かけた変てこエイゴを集めていたらしいけど、今ではアジア各地を始め、ヨーロッパでの発見もある。英語が世界のハブ言語になったせいで、Engrishは世界共通語なのかもしれない。だけど、中にはへたをすると生死に関わりかねないものもけっこうあるから笑ってばかりもいられない。

ずらりと並んだ変てこエイゴの大半は元の言語がそのまま透けて見える。逆読みすると元言語の構文が薄々わかって来ることもある。すごいのになると、「こんなもんだろう」ぐらいの気持で元の単語をそのまま英語に置き換えたとしか思えないようなケッサクもある。ここまで来るともう「翻訳」とはいえるものではない。中国の三つ星レストランのメニューを見たことがあったけど、漢字をひとつずつ英単語に置き換えたことは一目瞭然。人食い人種のメニューか、みたいな強烈な珍訳、そしてそれを印刷して使ってしまうガッツに、まさにバイタリティそのもの!といたく感服してしまった。

カレシがよく「日本で日本人に売るものなんだから英語にする必要ないだろうに」と不思議がるけれど、まさに不思議。まあ、とにかくなんでも横文字ならカッコいいという感覚もあるだろう。だけど、なのだ。よく見ると子供のものからプラスチックの日用品まで、ユビキタスなかわいいキャラといっしょに、ユビキタスに英文らしいものが書いてある。元の「夢見る夢子ちゃん/夢男くん」的な日本文を再現できそうな「英文」だ。要するに、日本人の感覚がそっくりデザインされているわけで、日本人に売るためのものならそれでもいいではないかと思う。でも、「どうして大人の商品まで子供の絵本のようなイラストと、妙に夢哲学風の文章で飾るのか」という疑問がわいて来る。これはヘンな英語の問題ではなくて、なぜそういうデザインにしたがるのかということだ。プレーンな空間は気分が落ち着かないという心理でもあるのだろうか。

空間を目に見えるもので埋めなければ落ち着かないというのであれば、じゃあ、なぜ文字デザインくらいは意味のあるものにしないのか。結局は視覚に訴えるデザインなのであって、あんがい意味が通じない方がいいのかもしれない。女の子たちが卑猥な言葉をデザインしたTシャツを着ているとしても、気合いを入れてファッションを決めたであろう本人たちにとってはそれが「外国語」であればいいのかもしれない。あくまでも視覚的デザインで選んだのであって、それが赤面するような卑猥な言葉で見る人が失笑しているとしても、本人にはまったく「想定外」。それで思い出したエピソードがある。

ダウンタウンで、妙に舌足らずっぽい「Fワード」を耳にして振り返ったら、(歩きかたから)日本人らしい若い女の子が、にこにこしながら下品なスラングをちりばめて何人かの男性とおしゃべりをしていた。その今風のカワイイ顔と下品極まりない言葉遣いのギャップに仰天してしまった。声が大きかったから、振り返って目を丸くした人がけっこう多かった。語学留学生はスラングを覚えたがり、会話力ができる前に汚い言葉を覚えてしまう。それが「ネイティブ並みの英語をしゃべるカッコいい私」像らしいけれど、商品を飾る「英語」の意味を知らないのと同じように、スラングのTPOも知らないから、笑うに笑えない場面になることも多い。

とすれば、外国語で飾った商品と、外国語学習が苦手ということは深いところでつながっていそうに見える。要するに英会話も装飾パッケージなのかもしれない。商品も自分もファッショナブルにパッケージするのはいいけれど、それでも、せめて注意書きや標識の類くらいは正確に翻訳してもらわないと、ひとつ間違うと人命にかかわりかねないんだけど・・・

うるさいのはキーボード、それとも・・・

5月22日。仕事のペースにうまく乗れないと、小町を見る。ローカル掲示板も注意力散漫のADモードの時はいいけど、この頃はぜんぜんおもしろくないから、結局は小町。一応は有力新聞がしっかりと検閲しているというからまだレベルは低くない。タイトルだけを見て突っ込みを入れてけっこう気晴らしになるし、「え?」というようなタイトルを開いて、へええ~という日本事情に遭遇することのも一興。まあ、暇がないからいいのであって、暇だったらとっくの昔に飽きているだろうけども。

小町でいつも強烈なのは、最近の若い日本人は五感、特に視覚と嗅覚が異常に肥大しているらしいという印象だ。目で見ただけで生理的に好き嫌いが決まるようだし、嗅覚となると「加齢臭」とかいうこっちでは聞いたこともない「問題」があるらしい。ものごとを生理的な感覚だけで判断してやっていけるのだろうけど、この頃は聴覚まで肥大症らしい。たとえば、「キーボードの音がうるさい人」というトピックがある。日本のオフィスも今はパソコンがあたりまえだけど、他人のキー操作の音がうるさくて気になって困るというのだ。例によって「いるいる、そういう人」というリンチモブ的なレスが並ぶと、ああ日本にいなくて良かったと思う。なぜって、私はキーの文字が1年くらいで消えてなくなるくらいにバンバン叩くからだ。日本にいたらきっとトータルシカトの総スカンなんだろうなあ。こわいところだ・・・

だけど、日本のオフィスには欧米のような「タイプライター時代」がなくて、手書きから一足飛びにパソコン時代になってしまったので、キーを叩く音を1日中聞くことに感覚的に慣れていないのだろう、とちょっとは同情してあげてもいいかもしれない。タイプの音は欧米のオフィスではごくあたりまえのサウンド風景で、偉い人のオフィスの外にある秘書のデスクには必ずL字型の袖がついていて、タイプライターがあったから、みんなタイプの音を聞きながら仕事をしていたわけだ。電子タイプライターが登場するまでは、キャリッジが設定した行末に来ると「チン!」とベルが鳴って、ジャン!とレバーを叩いて戻していた。リロイ・アンダソンが作曲した「タイプライター」という標題音楽を聴いてみると良い。チャカチャカチャカ、チン!これにジャン!が加わるわけだから、繊細な聴覚を持ったポストバブル人はぶっち切れしてしまうかも。

もっとも、家でネットをやっている時の自分のキーの音はまったく気にならないのだろうから、カレシを観察して来た結果とダブらせると、キーを叩く音がうるさいというのは「建前」であって、「他人の音が自分の感覚領域に侵入してくるのが耐えられない」というのが本音ではないかと思う。「耳障り」と表現するあたりにもその本音がチラリと見え隠れしている。要は、他人の存在を感じさせられるのが耐え難いということかもしれない。まあ、うがった見方をすれば、あらゆる人間関係が縦のものさし(価値観)の目盛で決まるような「比較社会」では、いやでも自分との優劣の比較対象になる他人の存在がストレスになるだろうということは想像できる。職場という、そうでなくてもストレス満載の環境ならなおさらだろう。

ただし、「他人の音の侵入」にはストレスを感じるカレシもキーボードの音を耳障りだと感じたことはないそうだから、このあたり、やっぱり文化の違いはあるようだ。

うつうつとはいえ・・・

5月23日。いつの間にか5月も下旬。なのに、どうしてかな、仕事が途切れてくれない。日本はやっとのことで景気が良くなりつつあるそうだけど、それにしては円安がどんどん進むから、アメリカドルで払ってくれる客からの依頼にはなかなかノーと言えない。まあ、円建のところも、カナダドル1ドルが120円くらいまで下がって平均的な料金とトントンというところで、さして気に病むこともないんだけど、日本国総理大臣様、この円安何とかしてくださいよ~。日本からの情報発信に貢献してるんですから。

ほんとうに日本の景気がよくなっているのかどうかは私には知る由もないし、ものの値段が安いのか高いのかも皆目わからない。カナダ暮らしが人生の半分を超えてからは、日本はどんどん遠くなって行くように思える。元々自分では気づかずに知らないことだらけだった国がますます知らないことだらけ。それもありなのが人生というもの。鬱っぽい気分でつらつら考えることはあっても、結局は「それでいいじゃん」という結論に戻って来てしまう。で、ブルルルッと雑念を払って、「そう、それでいいじゃん」を呪術の言葉のように飲み込んで、アイデンティティに関する自問自答は終わり。それでいいじゃん!

この2、3日、カレシは喉が痛い、体がだるい、熱っぽいということで、何となく機嫌が悪い。仕事をしているそばでやたらとこれ見よがしの大きなため息をつきまくるから、だんだんイライラしてくる。「うるせ~」といいたいのをぐっと抑えて、「ぐあい悪いの?」と聞くと、ご本人はあわてて「いや、機嫌が悪いんじゃない、ちょっと具合が悪いだけなんだよ」と説明にかかるからおかしい。風邪気味だったりすれば誰だって機嫌が悪くなるでしょうが。でも、「通常」の範疇を外れると半パニック状態で機嫌が悪くなるのがカレシなのだ。それでも本当にキレなくなったと思う。この前キレたのはもう何年前だろう。はあはあとタメイキをつきながら問題解決に取り組む姿勢は大いに評価してあげなくちゃ。そこで、ぎゅうっとハグして、う~んと熱くキスしてあげて、「いい子、いい子」と看護婦さんしてあげた。ほんとはおもいっきりじゃれつきたいけど、仕事が・・・

この週末はおいしいものを食べに行こうね。何だかあれこれ忙しくて2週間ほどどこへも食べに行ってない。そろそろ私の食道楽虫が切れそう。せっかく終わった仕事に続きがあるとメール。ため息つきつつも、ここはアメリカドルで稼いでおかなきゃ。やれやれ、5月もこのままバタバタと終わってしまうらしい。あ~あ、少しは息を抜きたいよぉ。このままじゃ、本当に鬱に戻っちゃうよぉ。お~い、時間よ、止まってくれぇ。だけど、まだ「なんか鬱っぽいなあ」と思っているうちは大丈夫なんだろうと思う。何にもしたくないというよりは他にしたいことがありすぎてもがいているわけだし、そんなのはうつ病のうちに入らないよなあ・・・

宝くじが当たったら

5月24日。初夏らしいとってもいい天気。ずっと東のトロントはもう真夏日でスモッグ発生。ロッキーのすぐ向こう側のカルガリーでは夜来の雪が10センチくらい積もったとか。バンクーバーはごくごく普通の初夏の1日。

カレシが英語教室に出かけた後、ジャケットなしの半袖Tシャツだけでモールまででかけた。口笛でも吹いたら気持良さそうな気温17度の日和。どこの家の前庭も色とりどりの花が咲いて、芝生刈りサービスのトラックがあちこちに止まっていて、芝刈り機のエンジンの音が鳴り響いて、そよ風に刈ったばかりの草の青い匂い。昔、空中に浮遊するあらゆるものにアレルギーになった観があった頃は、3ブロック先で涙目になっていたなあ。それも4年かけた減感作治療のおかげで15年ほどアレルギーフリー。

行く先はデパートの地下にある郵便局の私書箱。そろそろクレジットカードの支払期限なんだけど、私は忙しくて、カレシは迷路の運転がめんどうで、ご無沙汰だから請求書がない。カレシが重い腰を上げるのを待ってはいられないから、仕事の合間を縫って自分で行動を起こすしかない、と気張ったわけではないけど、早足で20分。ぎっしり詰まっていた郵便物を引っ張り出して、また徒歩20分の帰途に着く。

見ると宝くじの売場に長い行列。しばらく当選が出ていない6/49というロトの賞金が2700万ドルに膨れ上がっている。ざっと30億円近い。我が家は3ヵ月分ずつ前払いで、二人の誕生日を組み合わせた番号なんだけど、さっぱり当たらない。30億円当たったらどうしよう。自営業は即刻引退・・・はないだろうなあ。でも、好きな仕事だけをするってことも可能だろうな。そうなったら楽チン。旅行だって、いつでもどこへでもファーストクラスでゆったり行けるなあ。年なんだし、そのくらいの贅沢もいいよなあ。

大当たりの確率は天文学的だけど、買わなければ確率は確実にゼロ。誰でもチケット1枚につきチャンスはひとつ。10枚買えばチャンスは10でも、大当たりは一人1枚。すでに大金持の人も、明日からはホームレスになるしかないという絶望的な人も、くじ運は人を差別しない。ある意味、確率というのは実に平等だと思う。まあ、当たる当たらないは別として、2ドルでいっときの夢を見るのも悪くはない。スタバのコーヒーを買って白日夢から目を覚ました方がいいって・・・そんな野暮なことはいいっこなしにしよう。

だけど、半分でもいいから、当たらないかな~?

キモイもの見ちゃった

5月25日。カレシはどうも本格的な風邪だったらしく、今日ちょっと熱っぽい。夕べは一晩中かなり咳をしていた。私もおつき合いで目が覚めてばかり。起きたのは正午過ぎ。カレシが開口一番に「眠れなかったろう?ごめんね」と。私はひと昔とはだいぶ違うなあと思いつつ、「風邪を引いちゃったんだもの、しょうがないよ」。まさにそうだもの。でも、あの「ひと昔前」には、私がカレシの咳で目を覚ましただけでキレたし、私が咳の発作を起こすと「うるせぇ!眠れない!」と怒鳴られた。あのむずかりようは赤ちゃんと同じようなものだったかもしれない。今のカレシを見て、誰でも変わることができるんだなあと思って、人間に対する信頼感がまた少し高まったような気分になった。

午後の気温摂氏20度。酒屋と銀行と薬屋へ行く。夕べのマティニが変な味で、調べてみたらベルモットが酸化してしまったらしい。お酒も「腐る」ということは知らなかったけど、ベルモットは元来安ワインみたいなもの。ワインは開けてから放っておくと酸っぱくなる。よく使うから何度も酒屋に足を運ぶのがめんどくさいとまとめ買いしたのがそもそも間違いだったらしい。まあ、腐る前に飲んじゃえばいいんだよね・・・ん?

気晴らしによくやるのがジグソーパズル。新しいパズルを作るのにいろいろなサイトから画像をコピーする。でも、毎日新聞英語版のフォトジャーナルのある画像に思わず「オエッ」となった。何のことはない、おそらく生身の相手がいない男の相手をする人形だ。そんなものは昔からあっただろうからどうってことはないけど、どの人形も首から下は成熟した女なのに、顔はどう見たって幼い女の子だ。日本人にはあれが「セクシーな女性」の理想像なのかもしれないけれど、欧米人には5、6才の幼女にしか見えない。あんな人形を抱いてコーフンする男なんて、ペドファイルみたいでチョーキモ!

こっちの高校生たちは学業、アルバイト、ボランティア活動、遊びと、多忙すぎて慢性的に寝不足だそうだ。調査ではかなりの割合が自分を「ワーカホリック」と評していた。でも、インタビューに答えていた12年生の女の子たちは、日本人の目には20代後半から30才くらいに見えるかもしれない。どおりで、お留学とかワーホリのおギャルたちが「白人女性はビッチで性格がきつくて、すぐ太ってカワイクなくなるから嫌われて、アタシたちはカワイくてイケてるからもてるのよねぇ」と豪語するわけ。まさに、ある「傾向」を持った男たちにとってはその通りだろう。カナダにだって男女平等が互いを尊重することだということにナットクできないでいる男がけっこういるってことで、需要と供給がつりあっているわけか。

別の調査では、カナダの男性は教育水準が同じ女性を選ぶ傾向があるという結果が出た。履歴書に書く、実質の伴わない「学歴」のことではない。つまり、普通のカナダ人男性は教養や知性でつりあいの取れたごく普通のカナダ人女性と出会って、少なくとも中年の危機に陥るまではごく普通の家庭を築いているわけ。その中年の危機が来ないうちから、あのセックス人形のような幼女顔で、内面も同じようなレベルの女性に憧れるような男はやっぱりどうも普通じゃないような気がする。もてるって有頂天になっている場合かなあ。

まあ、人間みんな年だけは平等に取るから、誰だってその気になれば大人になれる・・・よね?

はしかと昔話と・・・

5月26日。日本では大学生の間にはしかが流行して大学が続々と休校しているそうだ。おまけに百日咳まで出現しているとか。昔は、はしかは小さい子供があたりまえにかかる病気だったから、思春期の初恋などを「はしかみたいなもの」と言っていた。ワクチンができたからもう大丈夫と過信していたのかもしれない。

カナダでは東部のカレッジでおたふくかぜが発生して、西の方へ広がっているそうだ。日本のはしかと同様ワクチンをしていなかったり、していてもその効果がなくなってしまっているためらしい。

はしかだけなく、おたふくかぜ、水疱瘡、百日咳といった子供の病気に成人してからかかるときわめて重い症状になることがある。いつだったかカレシの同僚に水疱瘡にかかって1ヵ月近くも欠勤した人がいた。ワクチン接種を受けたことがあれば、大人になってかかっても軽くて済むのだろうか。私は、はしかはやったけれど、おたふくかぜと水疱瘡にはかかった記憶がない。母からかかったという話を聞いた記憶もないから、たぶんやっていないだろう。そういえばポリオのワクチンも受けた記憶がないけど・・・

今年は映画『Star Wars』の公開から30年だそうで、特別イベントがあちこちである。私たちも行列して観たっけ。大宇宙に勧善懲悪の古典的な西部劇の要素を持ち込んだスリル満点の大ロマン。映画史上の一角に永久に輝いていい傑作だと思う。当時はスティーブン・スピルバーグのUFO映画も大ヒットしていて、観客がみごとに二派に分かれていたのを覚えている。私の脳裏に今でも焼きついているのは、育ての親である叔父夫婦を失ったルークが、辺境の惑星のまた辺境の地で沈んで行く二つの夕日を見ているシーン。それと、怪しげなキャラがうようよしている辺境の酒場のシーン。いろんな星から集まってきた流れ者たちの異星人語に字幕がついていたのが妙に新鮮だったのを覚えている。

まだコンピュータによるSFXがなかった時代に、あれだけの特撮をやってのけたのはすごい天才だと思う。制作過程のドキュメンタリーを見ると、何から何まで手作りなのだ。日本の特撮の神様、円谷英二に通じるものがある。今のSFXは派手だけど人間の手の温もりが感じられなくてつまらない。アーティストと称するCGオタクが自分の手並みを「すごいだろう」と見せるのが狙いになって、ストーリーなんか二の次のような映画が多すぎる。アニメーションも、画像はシャープになったけど、やはり手作りの温もりはなくなっている。だから、『SHREK』はめっちゃ楽しい映画ではあるけど、どうも無機的でくつろげない。

ディズニーが戦前に作った『ファンタジア』は、人間がセルロイド一枚、一枚に絵を描き、色をつけていた。「禿山の一夜」から一転して「アヴェマリア」につながる最後のシーンは感動的だ。ランタンを持った人の列が霧の中を粛々と進んで行く場面をCGでリメイクしたら、あのスピリチュアルな感動は微塵もなくなりそうだ。古い時代の人間だといわれればそれまでだけど、昔は人間がもっと人間だったように思えて来る。私だってコンピュータ化の恩恵を大いに享受している身なんだけども、やっぱり、何だかなあ・・・

続けてみないとわからないこと

5月28日。とにかくしちめんどうくさいことこの上ないPowerPointの上書き作業がやっと終わって、バンザイ!と思ったのもつかの間。6月のカレンダーに納期のマークがつき始めてしまった。イギリスへ行くまで少しはゆっくりと準備でもと思ったのに・・・。それでもちょっと御託を並べて残り少ない5月は休みにしちゃえ。

カレシは咳込んではカリカリしてるけれど、季節外れの風邪もどうやら回復期入ったらしい。私の方は風邪をもらわずに済んでやれやれ。この忙しいのに風邪なんか引いていられないのだ。夜中の咳込みは、私の長~い経験からいうと、生理的に覚醒期と睡眠期のスイッチの切り替えが引き金になるらしい。だから、ちょうど寝入った頃に咳で目が覚め、そろそろ目を覚ます準備にかかる頃にまた咳で早々と目が覚める。おかげで今朝方は二人で咳のデュエット。ゴホゴホやりながら笑ってしまった。

カレシはこれで旅行中に風邪を引かなくて済むなあと自分を慰めているけど、考えたら、よく旅先で風邪を引く人なのだ。どうしてだろう。環境の変化がストレスになって免疫機能が低下するからだろうか。そんなんでは、あの時日本へ行ったとしても、肝心のデートのときに風邪をひいてぐずぐずだったろうなあ。右も左もわからない異国の旅と、大嫌いな湿気の高い気候と、フリンの罪悪感と・・・カレシには荷が重すぎたかもしれないなあ、なんて、ティッシュを次々に使っては捨てるカレシを横目で見ながら変なことを考えてしまったではないか。

「継続は力なり」という。もちろん、続けてもムダでしかないことも、続けるべきでないこともあるだろうけど、人生って続けてみないことにはわからないことが多い。カレシとベッドを共にする生活ももう満32年を過ぎた。25年を境に結婚記念日という「節目」は捨てた。カレシは25年間結婚記念日を忘れてばかりだったから、今さら反対のしようがなかったみたい。指輪も捨ててしまった。カレシは怒ったけど、自分自身は最初から指輪なんかイヤだとしたことがなかったから、これも反対のしようがなかった。そうやって制度的な「枷」を捨てたことがかえって継続の力になったのかもしれない。

カレシがそんなことを考えることがあるかどうかはわからないけれど、やっぱり続けてみてよかったのかもしれないね。咳のデュエットで、互いに背中をさすりあうなんて、昔は夢のまた夢だったもんね。

遠回りの産直ニュース

5月29日。アルバータ州のバンフで修学旅行らしい日本人グループが隔離されてホテルに缶詰になっているという。一行の中からはしかと思われる病人が出てバンクーバーで入院中らしい。カナダでははしかワクチンの接種が徹底して、はしかはほぼ根絶した状態だけど、人間が手軽に世界中を駆け巡るこの時代に水際で予防するのは至難の業だろう。今、保健所では同じ飛行機に乗ってきた乗客を追跡しているとか。何年か前のSARS騒動を思い出した。

バンクーバー市警察がヴァーチャルコミュニティの『Second Life』にヴァーチャル警察署を設置して募集セミナーを開くとか。コンピュータやネットに詳しい人材を募集するのが狙いだそう。地元の大学・カレッジが合同して立ち上げる「ディジタルメディア修士」課程の一環でもあるそうな。いろんなネット犯罪が横行する時代だから、取り締まる方も同じ知識で武装しないと追いつかない。そのうち、「毒には毒」式に元ハッカーなんかがネット犯罪の捜査官になったりして・・・

地下鉄工事の影響で沿線のビジネスが潰れたり、移転し始めた。私たちお気に入りのレストランもとうとうキツィラノに引っ越してしまった。20年も角に赤いトマトの看板を出した名物レストランなのに。前の道路で工事が始まって客の入りが4割以上も減ったという。動くに動けず、貯金を取り崩して生活しているという商店主もいる。オリンピック委員会や工事会社は「平常通り営業中」とか「SHOP THE LINE」なんて一見カッコいい商店街があるような宣伝で、ビジネスオーナーの機嫌を取っているつもりなんだろうけど、肝心のアクセスがカットされていては、いくら営業中といっても客は来ないし、客が来なければ商売は成り立たない。オリンピック委員会はきっとそんな原理もわからないんだろうけど。

この地下鉄工事、公聴会やカラフルな広報で住民に「約束」したことと、実際にやっていることが全然違う。だから住民は怒っているのだ。街を東西真っ二つに分断してしまったも同然交差点を重点的に工事してトンネルができ次第オープンするというのならともかく、車も歩行者もダウンタウンから市の南端までを貫く幹線道路を渡れないのだ。ブリッジを仮設したごくわずかな交差点はいつも大渋滞だし、おまけに右にも左にも曲がれなかったりするから困る。周辺の道路もバイパス化を防ぐつもりの通せんぼだらけ。みんな大学で都市計画を専攻して来たって、ひょっとしてネット大学のヴァーチャルコミュニティ科・・・?

郊外の湿地Burns Bogで火災が発生との夕方のニュース。郊外に広がる4千ヘクタールの泥炭湿地ではときどき火災が起きる。自然発火が多いけれど、事故や放火のときもある。そこはずぶずぶの湿地だから消防車は入れない。おまけに泥炭地だから一度火が地下にもぐってしまうと、泥炭がぶすぶすと燃え進んで、いつ鎮火するのかわからない状態になるからやっかいだ。2年前の火災のときは我が家の辺りまでしばらく煙たかった。二階へ上がって見ると、南東の方に濃い灰色の煙が上がっているのが見える。煙たくならないうちにすぐに消えるかなあ。

おばあちゃん気分

5月30日。今日は暑いくらいの1日。週末までには内陸の郊外で28度とか29度とか言う予報。ということは我が家のあたりの25度近くまで行くかもしれない。まあ、もう6月だもんなあ。1日からは芝生の散水制限が始まる。今年は冬に雪が降りすぎて貯水池が溢れているせいか、制限は芝生だけ。花壇や家庭菜園は対象外だそうで、いつもならホースかじょうろのみOKなのに、今年はスプリンクラーを使っても良いということらしい。

それだけ水あまりなのだ。フレーザー川やピット川の流域の郊外では山岳地帯に平年以上の雪が積もって、急速な雪解けによる氾濫を想定して、堤防の嵩上げ工事が進んでいる。世界中に雨をもっとうまく配分してくれればいいんだけど、元々気まぐれな自然がこの頃は人間のいい加減さに怒ってるからなあ。

夕方、プリスカが子供を連れて池を見に来た。我が家の後、レーンを隔てた家に住んでいる。フィンレー君は2歳半、ラクラン君はまだ8ヶ月。カレシがいつでも池を見においでといってあったので、フィンレー君がずっとママをせっついていたらしい。プリスカが池に手を突っ込みたがるフィンレーを押さえている間、私はラクランを抱いて庭をぐるりと散歩。赤ちゃんのとりとめのないやわらかさがとっても感じがいい。にっこりと笑った顔はほんとうにあどけなくて、思わず頬ずり。今度はフィンレーが滝を見たいと抱き上げて欲しがる。えいっと抱き上げて、ピチャッと水をはねかけたらキャッキャと喜んで自分もバチャバチャと水をはねるから二人とも顔がびしょびしょになってしまった。

考えたら、生まれなかった子にもこのくらいの子供ができていて、私は今頃こんな風におばあちゃん馬鹿をやっていたかもしれないなあ。孫がいてもおかしくない年だという実感はないけど、赤ちゃんを抱いているとそれなりの感慨が沸いてくるのは、子供を産まなくてもちゃんと母性というものがあるという証拠なのだろう。欲しくなくて産まなかったのとは違う。私だってもうちょっとのところで母親になれたんだもの。子供が幸せな子供時代を過ごせそうな環境がなかったのだから、産めなくてかえって良かったのだ。

それにしてもたかが20分くらいしか抱いていなかったのに、腕の筋肉がコチコチ。子育てって大変な力仕事なんだ、と改めて感心した。ほんとに母は強し、なのだ。ちょっとだけだったけおばあちゃん気分になって頬の筋肉がゆるみっぱなしの楽しいひとときだった。そろそろパパが帰ってくるからと、ママが引く手車に乗ってバイバイしながら帰っていった。またおいでね!

宝くじスキャンダル

5月31日。5月も今日でおしまい。早いなあ。まったく早すぎる。とにかく月末処理の請求書書き。6月のカレンダーはイギリスへ出かけるまで仕事漬けになりそう。仕事が途切れて気を抜いてしまったのか、この週末は3社の締切が重なっている。しまった~といっても後の祭り。ねじり鉢巻を締めなおすしかない。やれやれ。

さらに賞金が膨らんでいた昨日の宝くじの抽選、誰か当たったんだろうか。うちが大当たりしなかったことは確実。今、その宝くじでスキャンダルが起きている。なぜか宝くじを売る店のオーナーや従業員の当たりの確率が高すぎるというのだ。6年間で1万ドル(113万円)以上の賞金の4.4%を稼いだそうで、州の人口に占める比率に比べて高額賞金の当たる確率が数倍だという。1億円以上当たった人も2人いる。さらにKenoという連続的にやっているくじの賞金は11.6%が店のオーナーや従業員だそうだ。

もちろん、ほんとうにラッキーだったのかもしれないけれど、たった5ドルや10ドルの賞金だってめったには当たらないのに、宝くじ公社から手数料をもらって宝くじを売っている人たちの当選確率がふつうの何倍というのは、やっぱりちょっとあやしい。それも、一人で何度もけっこう高額の賞金を当てている人もいるから、よけいにあやしい。店が暇だからたいくつ紛れにKENOをちょいちょいやってこまめに当ててるんだよ、と説明していた人がいたけれど、くじは1枚2ドル。確率からすれば、こまめにやってもそんなに当たらない。

オンブズマンが「前からごまかしが横行している疑いがあると警告していたのに無視された」と言い出して、宝くじ公社のトップの首まで危ないスキャンダルになった。宝くじ公社のCEOのサラリーは年間50万ドルというからすごい。数千万円の年俸!宝くじは売る方にもうかるものではあるけど、これではいくら何でもぼったくりみたいでしょうが。売上金はアマチュアスポーツや文化芸術の振興に使われるはずなのに。

そういいながらも、週2回の1枚2ドルの宝くじを3ヵ月分ずつ前払いで買っている私。ほんとに当たらない。あんがい、宝くじ売り場に就職した方が大当たりの確率は高いからと、セブンイレブンみたいなコンビニの店員募集に応募者が殺到したりして。人間はやっぱり欲張りだからなあ・・・


2007年5月~その1

2007年05月31日 | 昔語り(2006~2013)
数字のない切手

5月1日。月末処理も全部済んで無事5月。請求書を出すのに散歩がてらモールまで切手を買いに行く。その程度の買い物なら歩いた方がずっと早い。地下鉄工事が全延長工事中になって、街はほぼ東西二つに分断された形だ。何しろ東西方向に通過できる交差点は数えるほどで、まるで壁があったときのベルリンみたいなもの。市民生活への影響は最小限にします、なんていったくせに、これでは最大限のしわよせ。だからオリンピックなんてヤダといったのに。

昔は国内の2倍だった海外向けの郵便料金がいつの間にか3倍になっている。6枚つづりのシートを買った。あまり使わないから今では料金不足の古い切手がたまる一方なのだ。国内向けにはP切手を30枚。料金の代わりに「P」と印刷してある切手で「Permanent」の意味だそうな。つまり、そのときの通常料金で売るから、値上げするたびに新しい切手を印刷しなくてもいいし、買った方も値上がり分を足さなくてもそのまま使えるというしくみらしい。便利といえば便利かもしれない。

もうだいぶ昔の話になるけど、郵便料金の値上げを決めたものの、なぜかごたごたして新料金も施行期日も決まらなかったことがあった。新しい通常切手の印刷が間に合わなくなるということで、急遽発行されたのが「A」の文字印刷した切手。さっそく新聞に「A」の代わりに「Eh?」と書き込んだ風刺漫画が載った。「Eh」というのは「ええ?」という意味もあるけど、カナダでは「ね、そうでしょ?」といった意味でよく語尾につける語で、カナダ英語の象徴みたいなものだ。(アメリカ人は「Huh」という。)

赤いかえでの葉っぱの上に「P」と白抜きした切手。2005年に値上げした時は、値上げ分の1セント切手を6千万枚も印刷しなければならなかったたそうで、1セントも50セントも印刷コストは変わらないはずだから、たぶん採算が取れない!と悲鳴を上げたのだろう。まあ、郵便公社にも消費者にもいいなら、いいじゃない。年末近くなったら100枚入りのロールでごそっと買っておこうかな。100枚でも1セントの値上げなら、たった1ドルの節約でしかないんだけど、そこはそれで・・・

雨の日雑感

5月2日。雨の日。お隣ではこの雨の中で屋根の葺き替え工事。古いアスファルトのこけら板を剥がしては、新しいのに張り替えて行く。我が家も今年で築後19年になるから、来年か再来年は屋根の葺き替えが必要になりそうだ。我が家は傾斜が急だし、八角形の塔があったりするから、かなりの費用がかかるらしい。稼いでおかなきゃ。

ゆうべ2年ぶりにカエルの声を聞いた。戻ってきてくれた!まだシングルだけど、また以前のように我が家の池に住み着いていついて、そのうちまた3町先まで聞こえるような盛大なデュエットが始まると良いなあ。

今日は小さな仕事をひとつだけ。デスクの上の片付けを始めるつもりだったのが、なぜか脱線してしまった。新築の時に造り付けにしてもらったデスクはコの字型で全長ほぼ4メートル。そこら中にカタログ類や雑誌やその他もろもろの郵便物が山と積んで、教科書は埋もれっぱなし。超ミニアトリエも絵を描く時間がないまま埋もれっぱなし。払い忘れた請求書が出てきたりしないと良いけれど。コンピュータ類の領域以外に辛うじて自分の肩幅程度のスペースが残っている。それにしても、現代は要らないモノがたまり過ぎる。困ったものだ。

ブログのテンプレートを新しいのに変えて見る。青空も良いけど、広々とした野外を眺めているっていいなあ。どこかへ行きたいような気持。そういえば、イギリス行きまであと6週間しかない。それまでに、一部センサーが故障したままの防犯アラームを取り替えてもらわなくちゃ。システムチェックとやらで、1日2回アラームが鳴る。モニタールームは故障を知っているから別に電話もしてこない。毎日だから、いいかげんにうんざりしてきた。

システムが古いので取替え用のセンサーがないというから、システムをそっくりアップグレードすることにした。何万円とかかるわけで、営業担当が飛んで来るだろうと思ったのが大間違い。人手不足なのか、何なのか、電話してもたらい回しで、まだ営業の人と話もできない。「大至急」マークをつけて送ったリクエストのメールもまだなしのつぶて。どうなってるんだろう。カレシはもうカリカリ。だけど、ちょっと待て。目的はシステムのアップグレード。ここのところは、「よ~し、そっちがそうなら」と、電話とメールでしつこく追いかけてやろう。

それにしても、カナダ最大のセキュリティ会社なのに、ちょっと商売っ気がなさ過ぎるような・・・?

主婦と妻はどう違うの?

5月3日。黒雲が広がっていたかと思うと青空に白い雲。秋空が女心なら、こんな春空は男心なのか・・・?

セキュリティ会社のウェブサイトにあったトールフリー番号に電話。ちょっと間のびのした南部訛り。ふ~ん、コールセンターはカナダ国内にはないらしい。それでも用件を伝えたら、ローカルオフィスに連絡します、と。好奇心で聞いてみたら、何とフロリダ州ジャクソンヴィルだって。「いくらリクエストしても連絡ないけれど」といったら、のんびりと「カナダってどうなってるのか、よくわかんないのよねぇ」だと。おやおや。明日は金曜日だ。週明けまでに進展がなかったらいっそ他へ鞍替えしちゃうか。

棚つり第2期工事完了。カウンターにずらりと並べてあったお酒を全部に棚に移動。棚2段があっというまにいっぱい。何だかすごい飲兵衛夫婦に見える。だって、1年の酒代がン十万円だもんなあ・・・

小町でまたまた専業主婦論議が白熱している。子なしの専業主婦はなぜ働かないのかというトピック。夫に働けと言われたと大むくれの専業主婦のトピックもあるし、今どきの20代、30代は働くのがいやになって結婚したがっているのかと思っていた。結婚移民だってそういうのが多い。移民手続き中はいつになったら働けるのかとうるさいのが、移民になったらとたんに専業主婦。ま、こういうのは「カナダ人ダンナが高給取りだから働かなくてもいいの」と暗に共働き日本人妻の「不運」を揶揄しているわけなんで、そういう書き込みを数えたら、バンクーバーの高収入カナダ男はみんな専業主婦の日本人妻にかしずかれている勘定になる。日本人の数からしてもありえないけど、それで本人が幸せな気分になるのなら、良かったね、と・・・。

それにしてもどうしてこう人のことが気になるんだろう。働く、働かないは夫婦の問題だろうに。カナダにだって専業主婦はいるけど、子育て中が多い。妻が高収入なら夫の方が専業主夫になって子育てすることだってある。だけど、子なしの専業主婦ってのは聞かないなあ。いたらやっぱり、毎日何してるの、退屈しないのって聞かれると思う。私もカナダに来て最初の2年間は専業主婦だった。あんな退屈な毎日は今考えてもゴメンだ。というわけで30年も兼業主婦をやって来た。今ではカレシもボランティアをしながらの「兼業主夫」だから、二人合わせてやっと「主婦一人分」になるかならないか・・・。

小町では、在宅翻訳業で、仕事をしていない時間は庭の手入れや趣味に精を出し、犬と過ごして、ピカピカの家で温かいご飯を作って夫の帰りを待っているという「半専業主婦」のレスポンスに、思わず、「へぇ、すごい」。現実の私はどう見たって仕事が7、主婦業は3くらいで、それさえサボりがちの「つっかけ主婦」というところ。「兼業主婦」とさえ大きな声でいえそうにないもの。「妻」も「女」もしっかり専業でやっているんだけど・・・

ま、人間は何であっても向き、不向きってものがあるんだし、仕事が好きな人もいる一方で、働きたくないっていう人もいることは確かだし、「人それぞれ」という結論しかないように思えるんだけど、あちこちで熱い議論が燃え上がるからおもしろい。

けっこう愉快な一日

5月4日。カレシが友だちとのランチに出かけた。いつもなら朝食の時間だから、もちろん朝食抜き。朝っぱらからビール、という図式。まあ、最後の仕事に転職した時からの仲良し三人組だったからもうかれそれ20年の付き合い。とっくにそれぞれ別の道に進んでいるけど、こういう付き合いは一生大切にしたいもの。

終わった仕事のスペルチェックをして納品。次は日本のゴールデンウィークが終わるまでお預けだ。これで私もゴールデンウィークエンドになりそう。第3期の棚吊りをやっつけてしまう。洗濯機と壁の間に挟まって、後ろのものを取るにも上半身だけひねってやっと。ねじを取り付けるのに、背中を反らせて前に力をかけるという芸当になってしまう。さすがに腰が痛くなった。でも、これで懸案のプロジェクトは完了。やれやれ。

ランチから帰ってきたカレシがセキュリティ会社との接触に成功。営業担当が電話するとのこと。さて?と思ったら、30分後にほんとうに電話がかかってきた。明日の午後に来るという。カレシが自分は留守だけど、妻に全権委任してあるといったら、「いや、うちも自分がボスだと思いたいけど女房が全権を握ってましてねぇ」と返してきたそうだ。あはは、おもしろそうな人だ。明日が楽しみ。

小町をのぞいたら「国際結婚で日本在住」というトピックがあって、見たらこれが何ともケッサクだ。外国人の夫と日本で暮らしている妻が、何かにつけて日本のこと、日本の習慣、日本人について文句が多く、日々聞かされてぐったりしているという愚痴なのだ。「うちもそうなの~」という書き込みが並んでいる。愚痴を聞くのにくたびれて離婚してしまったという人までいる。散々日本のことを愚痴っては「~では」と母国をよいしょとやるらしい。もっとも母国に帰ると今度は母国の愚痴になるらしい。

読みながらひとりで笑ってしまった。だって、カナダ人夫が「国際結婚でカナダ在住」と題して「日本人妻がカナダのこと、カナダの習慣、カナダ人に文句たらたらで、聞いていて疲れてきた」なんて書いているようなもので、つまりコインの両側。ローカル掲示板には「だからカナダは、カナダ人は~・」という愚痴がずらりで、最後に必ず「日本では、日本は」とつくし、しかも日本に帰ると今度は日本の愚痴になるところまでそっくり。

でも、普通に日本人と結婚して、義両親がどうの、小姑たちがどうのと愚痴っているのとあんまり変わらないと思う。とどのつまりは、人間はどこの誰でもやっぱり人間ってことで、何だか妙に安心・・・。

人生はアドリブで行こう

5月5日。ふと目が覚めたら11時過ぎ。カレシの英語教室がある日なのになんと目覚ましをかけ忘れていた。きのうカレシがランチに出かけたから、土曜日のつもりになっていたのかなあ。教室が始まるのは正午だから、カレシは超スピードで着替えをして、朝食を食べて、コーヒーを半分飲み残したままで駆け出して行った。どうやら間に合ったようだった。やれやれ。

セキュリティ会社の営業マンは、午後1時半というアポだったのにとうとう夕方になっても現れなかった。こうなるとほんとうに商売する気がないんだ~と思わざるを得ない。月曜日にもなしのつぶてのままなら、別の会社に鞍替えすることにした。毎日判で押したような午後2時と午前2時のシステムチェックの警報にいつまでも付き合っていられないもの。やれやれ。

教室から帰ってきたカレシはなんとなくへたれ模様。土曜日だからいつもなら食事にでかけるところだけど、「今日はうちで食べようよ」と言い出した。疲れているんだ、機嫌が悪いんじゃないんだ、何となくくたびれた気分なんだ、と。急にいわれても肉を解凍する暇がないから、冷凍のハンバーガーを焼いて、大きな玉ねぎを丸々1個薄切りにしてバターで炒めて、カイザーロールに挟んだ。冷凍からすぐに焼けるハンバーガーは我が家の非常食だけど、サーロインを挽いたパティが1個150グラムもあるから、このオニオンバーガーはかなり食べがいがある。

今日はカレシがトレッドミルを使う日。あまり乗り気ではなかったらしいけど、走ったら何だか元気が出たんだそうな。それでも、「ポーチでゆり椅子に座って、世の中を眺めるのもいいよなあ」なんて、年よりじみたことを言っている。あれ、そういう「老人」になりたくなくて英語教師を始めたんじゃなかったっけ?それに普通だったらまだ「定年退職」の年になってないじゃないの。来週は月曜と木曜と土曜に英語教室、木曜の夜は友だち夫婦とその娘夫婦と6人でジャズコンサート、金曜の夜にはクラシックのコンサートと、予定がぎっしりで、もっと大変なんだけど・・・

まあ、このところ、セキュリティシステムの問題やら、夏の英語教室の算段やら、来週からの代講の準備やら、他人との折衝が必要なことばかりいろいろあったから、精神的に疲れてしまったようだ。人は思い通りに動いてくれない。そこへもって機械も正常に作動しない。このあたりのシナリオはカレシは一番苦手とするところだ。どうも、他人との交わりが思うように行かずに「疲れた」とこぼしている今どきの日本人と似ていなくもないと思ってちょっとおかしくなかった。あんがい深層心理では日本人的なのかもしれない・・・

心の不思議

5月6日。小雨模様の日曜日。カレシとどこかへ旅行して、空を飛んで回って、それでどこかの日本の家のようなところで眠りについて、ふと目が覚めたら、カレシが「まだ9時だから早いよ」というのでひと眠り、というところで、「11時11分だぞ~」とカレシの声。あれ、さっき9時だっていったじゃないの。またひと眠りは夢だったの?

なぜか知らないけれど、私はよく夢の中で眠るらしい。眠りから覚めて見た夢の話をしていたら目が覚めた、というマトリョーシカ的な眠りをしていたりする。夢の中の夢の中で夢を見る三段睡眠術なんて可能かなあ。

数年前に近くのカレッジの初めて創作コースを取ったとき、書き始める前に、輪になって座った生徒が手を取り合って黙想した。先生のソフトな声に導かれて心の中の階段を下りて行くときに両側にいくつもドアが並んでいるのが見えたものだ。階段を降りて、開けたところが心のサンクチュアリ。心の眼を開いて、耳を澄ましていると、ほら、ストーリーが・・・。

私のサンクチュアリにはいつも海辺の風景があった。生まれ故郷の原風景なのだろう。そこに座って波を見ているといろいろなストーリーのイメージが浮かんでくるから不思議だ。今でも強烈に覚えているのは、「Visitor」をテーマにした黙想のときに私を訪れたぼうっとした球状星団のような光芒。それが、「迷子になったのかと心配したけど、ここなら見つけられると思っていた」といったのだった。女の子の声で、しかも英語だったけど、それより前に夢の中で会った父が日本語で言ったことと同じことを言ったのだ。

その夜書いたショートストーリーは「私」再生の原点になった。宇宙のどこかで、私が迷子になっていた私と出会って、許しあって、やがて一人の私になる、という話。そのときは名前がなかったけれど、ジョギングをしていてふと梢を見上げたときに光芒の女の子の名前が生まれた。その名前がやがて正式に私の名前になった。今考えると、うつ病から抜け出しつつあったあの時に何か不思議な力が働いていたように思える。『Dreamscape』というそのストーリーの中で、子供の私が「歌って」という。私が歌いだしたのはグノーのアヴェマリアだった・・・

スパムはおいしい?

5月7日。このブログ、原稿ページで新しいコメントの有無がわかるようになったから、「保留」を「公開」に戻したけど、ゴールデンウィークにすることも行くところもないヒマ人が多かったのか、異常な陽気で頭がおかしくなった「イカレポンチャー」が増えたのか、どうでもいいんだけど、またぞろ怪しげなコメントが付いている。これもスパムの一種なのだろう。誰かが釣られてクリックすればなんぼというヤツかな。ちょっとググッて見ると、あるある。ネットでお小遣い稼ぎ、在宅バイト感覚、楽しく楽に金儲け・・・おいおい、バブルポンチかい。

タイトルを見ると、どうせポルノサイトへのお誘いリンクが入っているだろうとは予測がつくけれど、それにしてもポストバブルジャパニーズはこぞってセックス狂になったかと呆れる。みんながやっているから自分もやってないとおかしいと思われる(と困る)からやる、という論理なのかもしれないけど、どう見ても、たがを外すときは一億総何とか式で式にぶっちゃけ外してしまうところはまさにバブルポンチ症候群。

「2チャンネル」とやらいうサイトは見たことはないけれど、ローカル掲示板も2チャンネル化したといわれるところを見るとだいたいの察しはつく。HPに日本語ページがあったときも、Hサイトの「未承諾」広告メールが殺到した。まあ、日本語ページを削除したら日本語のスパムはぱったり来なくなったけど、英語のスパムは相も変わらず毎日もぐら叩きのような様相。だけど、内容の違いがおもしろい。Hサイトへのお誘いは、前はたまにあったけれど今はなくなった。その代わりというか、格安のED治療薬、絶対に儲かる株、オンラインカジノがスパム広告のベストスリー。クリスマスやバレンタインの頃には贋作ブランド品の広告が殺到する。

あの手この手のスパムが後を絶たないのは、きっと釣られる人間がごまんといるからだろう。所詮、人間は儲かる話とセックスには弱いのだ。Googleで「アフィリエート、ネット」と入れたら、「儲け話」がずらりと並ぶ。ヒット数は2,640,000!ついでに「affiliate program」と入れてみたら、ヒット数は49,700,000 !まあ、自分のところに広告リンクを貼っているのがほとんどだろうけど、「ブログで儲ける」と入力してみたらヒット数が24,900。「無料ブログで儲ける方法」というのもある。他人のブログにコメントやトラックバックをつけて自分の「ビジネス」ブログに引き込もうという輩はこんなのを見て「オレもひと儲け」と思ったのだろう。

歌にもなった名言「There’s a sucker born every minutes(1分ごとにカモが生まれる)」はサーカス王のP.T. バーナムがいったことになっているけど、実は19世紀末のジョセフ・ベッシマーという天才的詐欺師がオリジナルだそうで、後に「but none of them die (だけど誰も死なない)」と続くのだそうだ。ベッシマーが二十一世紀のサイバー世界を見たら、「オレは100年早く生まれすぎた」と嘆くかもしれないなあ。

ゆるせない食べ物だって

5月8日。午前零時のランチタイム。キッチンに上がって行くと、カレシが「シー」。戻ってきて以来、夜遅くなるとカエル君のラブコールが始まるんだけど、耳を澄ましてみると、おっ、二重唱だ!呼吸ぴったりのリズムが良い。池の中におたまじゃくしが群れるのもそう遠くない・・・と、喜んでいたら、あれ、三重唱じゃないの?おいおい、知らないよ。それでも、我が家の裏庭は恋の季節で、人間様が寝静まった夜中は3ブロック先まで聞こえるくらいのにぎやかさ。

オンタリオ州のどこかの都市の郊外では、庭に作った池にカエルが住み着いて、近所の苦情で騒音防止条例違反のチケットを切られた人がいたそうだ。その点うちはラッキーなのかもしれない。お隣さんも裏の若夫婦も我が家の滝の水音が気に入って家を買ったのだそうだ。だから、カエルの声も気にしない。池の掃除をサボってカエルが来なかった去年は顔をあわせるたびに「カエルの声がしないねぇ」といわれた。やっぱり、水濁ればカエル住まず、か。

ゴールデンウィークエンドでダレたのか、どうも仕事に気合が入らない。そんなときは小町でおもしろそうなトピックを探す。今日の愉快トピは「この食べ物はゆるせない」というヤツ。かっこに「駄」とあるだけあって、おもしろい。軽く「ゆるせない、ありえない」という言葉を使う風潮にはちょっと違和感を感じずにはいられないけれど、読んでみればおかしくてひとり笑い。要するに自分の嫌いな食べ物を、「なんでこんなものがあるんだ」といっているわけだけど、ええっと思うような、聞いたこともないものが出てくる。まあ、本州ではあたりまえの食材でも北海道育ちの私には食べたことはおろか見たこともないものが多い。

食べものだけでなく、いろいろな意味で、北海道は本当に日本の異文化圏なんだと思うようになった。私は日本人であるよりも前に誇り高き道産子なのだ。インターネット時代で日本の「あたりまえ」の風物を見ることができるようになって、逆に伝統的な「日本」とのつながりの薄さを感じることが多くなった。そういえば、まだテレビがなかった小学校時代の社会科の教科書も私には異文化の世界に見えたように思う。カナダは風景も、またある意味で人情も、北海道と似ているから、居心地がいいのだろう。だから、津軽海峡以南の風景は「へぇ」で済んでしまうけれど、北海道の風景には心の奥からなつかしさがこみ上げてくる。やっぱり、それが私の原風景なのだ。

それにしても、私が「ゆるせない」食べ物って何だろう。この「ゆるせない」という感覚はどうも匂いや食感に対する反応であるらしい。味覚、触覚、嗅覚、視覚という本能的感覚に操られるのが食なのだから、それもそうだと思うけど、「この食材はこうして食べるべき」という思い込みから違うものに「ゆるせない」と反応しているようなところもある。「理解不能」と来るからおもしろい。私は鳥肌が立って絶対にダメというものはないけれど、思い出すのは子供の時に母が作った呉汁。一生で真に口に合わなかったのはあれくらいだろう。でも、苦手なものはけっこうある。特にようかんやこしあんの入った和菓子類。逆に私が好きなオートミール、ブラッドプディング、ライスプディングなどは小町では「ゆるせない」リストに挙げられてしまっている。う~ん、食い物の恨みは怖いっていうからなあ・・・

世の中、≠がおもしろいのに

5月9日。洋の東西を問わず思考がショートして結論に飛躍してしまうことは誰にもあると思う。人によってはそれがたまたまショートしてしまった結果であったり、あるいはどうやら思考経路そのものが短絡的配線になっているためであったりする。

前者は誰にでもあることで、深く考える余裕がなかったりすると、いわばパニック状態になって、論理的なプロセスを飛び越してA=Bという結論に飛びついてしまう。それでも、だいたいは落ち着きを取り戻せば、A≠B=な~んだ、という図式になって、本来の合理的な結論に達する。ある意味、その状態に戻るまでの時間にその人の精神的な成熟度を垣間見ることもできなくはない。「成熟度」という表現に語弊があるなら、「合理性」と言い換えても良い。

後者の場合はパニック状態にならなくてもA=Bになる。思考経路の配線が元からそうなっているらしい。早く言えば、すべてがA=Bとプログラミングされていて、A≠B=想定外、という図式だから、どう対処していいのかわからない、という状態になるのだろう。そのプログラミング言語がいわゆる社会通念であったり、文化やメディアによる刷り込みであったりする。三つ子の魂百までも、というけれど、刷り込まれるだけでは先が思いやられるというもの。というのも、A≠Bに遭遇したときに、Bを受け入れられずに排除してしまいやすいからだ。

小町に書き込まれる雑多な人間関係の悩みや愚痴を見ていると、どうも「A≠B」の状態に対処できないでいるのではないかと思えてくる。だけど、なのだ。「A=B」というのはきわめて自己中心的な思考でもある。AはBと決まっていていつもその通りであれば、「どうしたらいいか」ということを考えなくても済むのだから、これほど楽なことはない。でも、それは自己がまた発達していない五才児の思考ではないのかなとも思う。人間世界は「必ずしもA=Bではない」のが基本だから、「A≠B」のときに、はて、どうしたものか、と考えることによって人間は自分を取り巻く世界との関わり方を学んで来たのではないだろうか。

A(自分)≠B(他人)だから、引くだの、疎遠にするだの、絶縁するだのって、何だか砂場での関係みたいに見える。世の中、すべてにおいて「A=B」だったら、逆に不気味ではないのかなあ・・・

ジャズナイト

5月10日。今夜は毎年恒例のマギル大学同窓会主催の「ジャズナイト」。といってもマギル大学はモントリオールの大学だからカレシとはぜんぜん関係がないし、私はそもそも「大学卒」なんて肩書きからしてまだまだ先の話。よくつるんで遊ぶポーランド系の友達夫婦が揃ってマギル大学卒業生なので、私たちをゲストとして招待してくれるわけ。今年は彼らの娘夫婦もいっしょで、ほぼ百年前に建てられた「ハイクロフト」という大邸宅が会場。

バンクーバー草分け時代の大富豪の邸宅が、傷病兵の病院を経て、今は大卒エリート女性のクラブになっている。廊下に架かっている過去の理事の写真を見るとすごい顔ぶれ。MRSが付いているけど、名前を見るとどれも道路や学校や公共の建物に残っているものばかり。いわば古き良き時代の令夫人の集まりだったわけだけど、Noblesse obligeの伝統で慈善事業などにかなり忙しかったようだ。

今年はベース奏者ジョディ・プロズニク、夫君でピアノ奏者のティルデン・ウェブ、ドラムのジェシー・ケーヒルのトリオ。そろってマギル大学音楽科の卒業生だ。マギルには北米有数のジャズ学科があって、かなりの若手演奏者を輩出しているという。ジョディは去年も来ていたけど、ジャズの世界で女性のベース奏者はまだ珍しい方だろう。私とそう変わらない小柄な人だけど、すごいパワーの持ち主。大きなベースを愛人のように抱えて、まるでラヴメーキングのように官能的なプレイだ。休憩時間にジョディと話をする機会があったけど、ベースは持ってごらんといわれても私には片手では持ち上げられなかった。重さは20キロ近いそうだ。優雅なハープ奏者の力こぶの話をしたらジョディも大笑い。彼女の自作の曲がたくさん収録されたCDを買ってしまった。

私が切り欠きのあるシンバルを見て(すごいイケメンの)ドラマーに「誰がかじったの~」なんて冗談をしかけたのがきっかけで、カレシを交えてジェシー君とジャズ談義。まあ、演奏者との交流は数十人の小さな集まりだから可能なわけだけど、去年は女性ヴォーカリストと発声法の話に花が咲いたし、何たって楽しい。

クラブの役員らしいとっても上品なおばあちゃまが、「あなたもお入りになりません?」と声をかけてくれたので、「私、2020年位まで大学を卒業できそうにないんです」といったら、「それでも遅くはありませんから、どうぞ」。見回したところでは、出席者の中で大学卒でないのはたぶん私だけだろう。そんなことはどこ吹く風とばかりに誰とでも、どんな話題でも、臆面もなく「パーティ会話」に紛れ込んでしまうところが私の極楽とんぼたる所以で、考えたら相当な強心臓なのかもしれない。生まれた星が違ったら社交界の花になっていたかなあ?自分ではへっぽこコメディアンだなあと思うこともあるけど・・・

バロックの夕べ

5月11日。昨夜に続いて今夜はコンサート。ブリティシュコロンビア大学構内にあるコンサートホールでのバロック音楽シリーズのシーズン最終回。このチャン・センターは完成して今年でちょうど10年。明るいモダンな設計で、音響もすばらしい。チャン財団が今の日本円で10億円以上も寄付したので、その名がついた。欧米では成功して大金持ちになった人たちが作った財団がたくさんあって、慈善事業や文化事業に寄付をしている。バンクーバーには香港系の富豪が多いから、大学構内には中国名前がついた建物がかなりある。

今夜のプログラムはバッハのブランデンブルグ協奏曲全6曲を一気に演奏しようというもの。前半は一番お馴染みの第3番で始まって、第2番、第1番。後半は低音の効いた第6番、ハープシコードのソロがある第5番と続いて、華々しく第4番で打ち上げ。ハープシコードとチェロ以外は立ったままの演奏で、全員がカラフルなシャツやブラウスだから華やかだ。リーダーはコンサートマスターのマーク・フュアー。この人はニューファウンドランド出身で、バイオリンのボディランゲージはまさにその地方に伝わるケルト系音楽のフィドル(バイオリン)弾きのそれ。思わず足でリズムを取りたくなってしまう。(やっぱり中央アジアで生まれたというケルト人のはぐれ遺伝子が私のどこかに隠れているのだ!)

曲ごとに楽器の構成が変わるので、スタッフが楽譜台を動かしている間、リーダーがマイクの前に立ってちょっとおしゃべり。バッハがブランデンブルグ侯爵に協奏曲を送ったときのカバーレターを読み上げると聴衆は大爆笑。なぜって、就職活動を目論んだバッハの魂胆がミエミエ、慇懃にゴマをすりすり、なのだ。

今では音楽の父、楽聖といわれる大バッハだけど、彼が生きた時代、音楽家は音楽師という職業だった。宮廷や教会に雇われて「音楽監督」をやっていたわけで、バッハは20人も子供がいる大家族だったから、芸術家でございなんて気取っているわけには行かなかっただろう。失業保険もなければ生活保護もなし。一家の柱たる大バッハは家族のためにいつも条件の良さそうなところへの転職を考えていたのだろう。

全6曲、2時間半の長いコンサート。気分が高揚したところで、それを仕事に向けなくちゃ。カルチャーに浸っている間に、仕事のINBOXが溢れ始めた。うへぇ、ここらでちょっとねじを巻かないことには・・・

いいお天気だというのに

5月13日。やれやれ、今日はきりきり舞い。分納第1弾の納期がこっちの真夜中。何とか30分の余裕でセーフだった。おつかれさま、と自分にポン!だけど、大きなファイルがあと2つ。その間に「小さいですから」とねじ込もうという話まであって、おまけにうまく全部終わる頃にはすぐに次が控えていそうな気配。だからというわけではないけど、「客先が安くしてくれといっているから何とか」と持ちかけられているモンスター級の仕事については頬かむりをしたまま。レギュラーのところじゃないんだし、膨大な仕事を安く引き受けてしまって、後でお得意さんの高い仕事をどんどん断るなんてことになっては商売にならないもの。

セキュリティ会社は1週間前にやっとシステムのアップグレードの契約をしたはいいけれど、作業の予定についてはなしのつぶて。あいも変わらず午前2時と午後2時にアラームがなる。なりっぱなしにしていたら、今日はケベックにある監視センターから電話がかかってきた。明日は真っ先に「おい、いつ来るんだ!」とはっぱをかけてやらなくちゃ。営業氏はちょっとばかり調子が良かったからなあ。

カレシの次弟から電話があって、末弟も来ることだし、次の週末にママの90歳の誕生祝をするという。ママのお祝いはもちろんいいんだけど、パパがいっしょに来ると思うと、「う~ん」という気分になって、足が重た~くなってしまう。まあ、あまり動き回れないというし、家族が全員集まれば相当な人数だから、離れたところにいるということもできるだろうけど。カレシは気を利かせたつもりか、「忙しかったら、残念だけど行けないっていえばいいんだよ。遠いんだし」といってくれる。まあ、みんなは過去の経緯を知っているから行けないというだけでわかってくれるだろうけど、カレシにとっては高齢の両親なんだし・・・。

今年はずっと忙しくてほとんど週7日営業体制。自分ではそう思わなくてもストレスがたまっているらしくて、どうも高揚した気分が続かない。何となく「うつ病」への階段をそろそろと下りて行くような気がするのが怖い。そんなときだからかもしれないけど、う~ん、やっぱり考えるだけで気が滅入るなあ。どうしよう・・・?

テクノストレスだ!

5月14日。う~ん、ちょっときついなあ・・・という仕事の話について、「残念ながら??客先によってキャンセルになりました」というメールが来た。私は「きついけど何とかできます」と返事したけど、肝心の編集者がいない。残念ながら」に疑問符が2つもついているところを見ると、どうやら客先の方からキャンセルしてくれて万歳!ということらしい。おかげで週末は空きそうな予感がするけど、予告分が確定してしまったから、週末まではねじり鉢巻の半徹夜モードになりそう。(ブログなんぞ書いていていいのかなあ。)

日本語のWord文書にはおもしろい特徴みたいなものがあることに気がついた。まず、必ずといえるほど1ページの行数と文字数が決まっている。フォーマットを見ると必ず「グリッドに何とか・・・」がチェックされている。(私のMs-Officeは英語版なので日本語のコマンドは判らない。)次に、タブの使い方を知らない。わざわざ数だけスペースを入れている。自動改行を知らない人も多いらしい。行のおしまいまで行ってはポン!とEnterーを押すらしい。20年前に比べたら、ワープロ機能は格段に進化したんだけど、どうも使い手の方はまだ20文字×20文字の原稿用紙の観念から抜け出していないらしい。半角カタカナなんか旧式のワープロといっしょに絶滅したかと思ったら、どっこいしぶとく生きている。

おもしろい現象はWordだけではない。表計算ソフトのはずのExcelを使って手紙を書く人がいるから閉口する。英語で上書き処理をするこっちはつい、Excelは文書作成ソフトじゃないんだってば!と叫ぶ。おまけに、フォーマットのしかたを知らないのか、行のおしまいに行き着いて、何と下のセルに「改行」してあったりする。英語文は日本語文の通りにちょん切れないんだけど・・・

PowerPointのプレゼンもおもしろい。まず、やたらとごちゃごちゃとしたスライドが多い。ポイントだけすっきりグラフィックに表現して、説明文なんかプレゼンの場で口頭でやればよさそうなものだと思うけど、人前でしゃべるのは苦手なのか、事細かに書いてあったりする。おまけに、やたらとたくさんの色を使って、しかも極彩色だったりするもので、日本人の色彩美の感覚はどうなったんだ?といいたくなる。こんなのに上書きするのは至難の業もいいところだけど、DTPは私の仕事じゃないから、テキストだけ送って、後はクライアントにおまかせなのがせめてもの慰め。

日本のオフィスにもPCが登場して以来もうだいぶ経つはずなんだけど、未だに原稿用紙の枠を思い描いて文章を書いているらしいのはおもしろい。おかげでヘンなテクノストレス症になってしまうのは私・・・

初夏だ!

5月15日。ちょっと肌寒いと思っているうちに、一足飛びに初夏の陽気に。午後2時の気温は23度。だけど、だけど、私は相も変わらず仕事場に缶詰のトホホの身。今日と、あしたと、しあさって・・・がんばったらこの週末は休めると考えればやる気も沸きそうなものだけど、とにかくがんばるっきゃないとなれば、やる気どころの話ではなくなる。やるっきゃないのだ。しょうがないから、「生活かかってるんだからね」と自分の背をドン!

夜のうちにセキュリティ会社の営業マン氏に「工事の日はいつか」とメールをしておいたら、朝8時に電話。留守電のメッセージは「金曜日午前8時半から9時半の間」。本当は午後にしてもらいたいけど、やっとのことでここまで来たんだから、目をつぶって早起きすることにしよう。ついでにオフィス用品の注文を出しておけば、同じ頃に配達されるだろうから、どうせなら一石二鳥と行こうか。それにしてもセンサー12の故障から明日で丸々4週間。4週間も毎日決まって午後2時8分と午前2時8分にピピピッとアラームがなって、そのたびに階段を走って上がってキャンセルして来た。二人とも切れずにいるのは、ひょっとしたら、年のせいで気が長くなったのかしら・・・?

夕方になって営業マン氏がひょっこり現れた。実は契約書の見積りが100ドル多すぎたので、訂正箇所にイニシャルが必要と。金曜日の工事を確認しておいたけど、う~ん、実際に現れるまではわからないなあ。だから、別件で早起きの理由を作っておこうというわけなんだけど・・・

カナダドルがまた上がって、アメリカドルが91セント。日本円は下がりっぱなしで、こっちはもうお手上げだ。日本の銀行に振り込まれる料金収入を移動しようにも、1ドル110円のレートではつい躊躇する。こっちで必要なお金だからいつまでもおいておくわけには行かないけれども、片方の目で増えて行く残高を見てはため息をつき、もう一方の目で為替ニュースを見てはため息をつく。結局のところは、バブル時代の日本で円が高かったのと同じで、好景気に沸くカナダの通貨が強くなっているんだからしょうがない。このままではアメリカドルと同じになりそうだという。そうなったら、ユーロみたいな共通通貨の採用も考えたらどうだろう。北米自由貿易協定NAFTAの頭文字を取って「ナフタ」なんて・・・テキサスとアルバータの協定かい。

ことお金に関しては良いときもあればつらいときもあるのが世の中。ここは黙って、背中をドン!