リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年1月~その2

2012年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
ねずみは仲間を見捨てないそうだけど

1月16日。月曜日。起床は午後1時近く。午前3時過ぎにはベッドに入ったんだけど、週末の汗かき作業で疲れていたらしく、2人ともぐ~っすりと眠ったみたい。雪がちらついたのか、歩道は何となく白くなっていたけど、日が差して来て解けてしまった。ニュースを見ると、郊外ではかなりの雪が降って、交通事故続出だったとか。同じバンクーバー圏でのこの違い、嘘みたいだけど。

まあ、今週いっぱいは「寒波」が続くとの予報で、ニュースは「雪が降るぞ!」と大騒ぎ。降雪注意報が出ているから、どれだけ降るのかと思ったら、予報サイトによって1センチから20センチまで開きがある。つまりは、降ってみなければわからないということか。というよりは、海と高い山があって地形が複雑なバンクーバー圏は「微気候」の集まりという天気予報士泣かせの気候地帯なもので、予報サイトがどこを見ているかによって1センチで済むところ(海側)と20センチも降るところ(内陸側)があるということなんだけど、じゃあ我が家は海側だから1センチくらいかと高を括っていると、どかっと降ったりするから油断がならない。

テレビもラジオも雪、雪と騒いでいるのを聞いて、カレシは「昔は雪が降ってもこんな騒ぎはしなかったのになあ」と呆れ顔。過去の記録によると、カレシが小学生だった頃は一種の「寒冷期」で、マイナス10度とか15度に冷え込んだり、大雪が降ったりしていたらしい。でもまあ、あの頃はまだ人口も少なかったし、誰もが車を持っている時代じゃなかったし、何よりも半世紀前はまだ誰もが「不便がないのがあたりまえ」を期待する社会になっていなかったから、市民もそれほど大変だと思わなかったのかもしれないな。今は便利になりすぎてしまったんだと思う。あまりにも便利さがあたりまえになったおかげで、ちょっとした不便さえも自力で対処することができなくなってしまっているとしたら、(少なくとも先進国の)人間は自立、自助の能力どころか生存本能まで萎縮しつつあるのかもしれないなな。そうなったら人類という種の存続すら危うくなるように思うけど、まあ、誰かが法律や技術で何とかしてくれることになっているんだろうな。

先週(13日の金曜日!)に座礁して横倒しになったイタリアのクルーズ船。写真を見るとすぐ近くに島の防波堤や岬が突き出しているのがわかる。そのあたりは水深が20メートルくらいしかないらしい。たとえ船長が主張しているらしい「暗礁は海図に載っていなかった」ことが事実だとしても、海図には水深が書いてあるはずだし、10万トン以上ある大きな船の喫水深度がどのくらいか知っていただろうに、なんであんな図体のでかい船をそんな浅いところに近づけたのかと思う。ひょっとして島が海底から煙突みたいにまっすぐ突っ立ってると思った・・・まさかねえ。

その船長は、乗客や乗員を傾く船に置き去りにして自分はさっさと島に避難したという話だけど、船が沈むときに一番先にねずみが逃げ出すという伝説がある。でも、実はねずみはそんな自己チュー動物ではないことが研究者の実験でわかったというニュースがあった。仲間を閉じ込めると、何よりも真っ先に閉じ込められている仲間を助け出そうとするんだそうな。そばに餌を置いてみても、見向きもせずに仲間を救出しようとしたそうで、(子年の生まれだからというわけじゃないけど)とかく嫌われがちなねずみの仲間を思うチュー義にワタシは感動さえ覚えたけど、すたこら逃げ出したクルーズ船の船長はそのねずみ以下の人間ということになるな。ハドソン川に不時着して、沈んで行く飛行機の中を2度も往復して乗客が全員退去したのを確認してから最後に自分も救助された、あのサレンバーガー機長とは大違いも大違いだな。

難破船の船長は「ずっと船に留まっていた」と主張しているらしいけど、沿岸警備隊が島にいるのを見つけて船に戻るように説得したけど、従わなかったと言う話もある。バカなことをやらかして、慌てて嘘でその場を切り抜けようとしたのなら、自己保身の能力は人一倍あったということで、やっぱりねずみ以下。ねずみの爪の垢でも煎じて飲めっての、まったく・・・。

雪、こっちは降ってないんですけど

1月18日。水曜日。目が覚めて耳を澄ましてみたけど、何か静かなような、どこかで車が走っているような。ただし、寝室の中はまあまあ明るいから雪空ではなさそうと、しばしうとうとして午前11時45分の目覚ましで起床。ポーチの気温はマイナス4度。薄っすらと雪が降った形跡があるけど、雪雲はまたまた我が家のあたりをかすめて行ったらしい。

キッチンのテレビをつけるちょうど昼のニュースで、郊外の端っこの方では信じられないくらいのどか雪だったらしい。バンクーバー圏(正確にはBC州本土の南端、つまり地図で見ると下端にあるから「Lower Mainland(ローワーメインランド)」)は西に海、北に山脈、南にアメリカとの国境があるもので、おおむねフレーザー川に沿って、フレーザーバレーの奥へ、奥へと東に向かって伸びた形になっている。ちなみに、メトロバンクーバーというのは(郡のような)行政地区の名前でローワーメインランドの西半分。その境界のすぐ東で川の南側がアボッツフォード、北側がミッションで、バンクーバー市内から40キロくらい。アボッツフォードの東隣はカレシの母方の祖父母の農場があったチリワックで、そこを過ぎるとホープまではあまり人が住んでいない。

つまり、バンクーバー圏に降雪注意報が出ていたきのう、我が家のあたりは1日天気が良くて、今日の朝方5ミリほど積もっただけなのに、40キロしか離れていないアボッツフォードでは雪が降り続いて、20センチ、30センチと積もったというから、信じられない話。テレビの画面で流れる映像はまるで別世界という感じがする。バンクーバーの北約500キロ、州の中ほどの内陸にあるプリンスジョージでは「最高」気温がマイナス35度だそうで、体感温度はマイナス42、3度。戸外の温度計が下限のマイナス50度を指している写真があったりして、まさに別世界。(ワタシが経験した最低気温はマイナス36度だったけど、そこまで冷え込んだらもう「寒っ」じゃなくて「痛っ」という感じかな。)

まあ、この寒波(と雪)もあと明日1日がまんすれば、金曜日には気温が上がり始めて、午後には雨に変わって、来週いっぱい(たぶん)延々と降り続けるという予報。これなら、明日少しぐらい積もってもすぐに消えるから、雪かきの必要はなさそうで安心。バンクーバー市には夜間に雪が積もった場合は各戸が午前10時までに前の歩道の雪かきをしなければならないという条例があって、角地の我が家は雪かきする距離が40メートル以上もあるし、何よりも午前10時なんてまだ寝ている時間だから困る。やらなければ250ドルの罰金だそうだけど、出勤ぎりぎりに起きてみたら雪!なんて場合はどうしたらいいんだろう。雪かきしていたら遅刻するだろうに。ドカ雪で交通マヒという場合ならまだいいかもしれないけど、たった2、3センチ積もっただけでもやらなければならないのかなあ。5センチくらいだったらたいていの人は難儀することもないだろうに。もしも翌日には雨に変わるという予報が出ている場合はどうなんだろうな。すぐに消えてしまうものを大汗かいて、心臓発作の危険を冒してまでやることはないと思うんだけど、やらないと罰金なのかなあ。一度、お役所に聞いてみたいもんだな。

今日はカレシが専門医のところへ行くことになっていて、予約が午後4時という遅い時間。それで、一緒に出かけてどこかで食事をしようかという話になっていたら、ワタシは仕事、仕事の状態になってしまった。今日なんか午後10時が納期のものがあるんだけど、ま、ほぼできているので、息抜き?をかねて予定通り付き合って、帰りにWhole Foodsで「お惣菜」を買って来ることにした。地下駐車場に車を止めて、病院までマイナス6度の中を徒歩15分。ワタシの顔には寒冷蕁麻疹が出て来て、かゆい、かゆい。カレシが診療室に入っている間、住宅改装の雑誌をめくって、宝くじが大当たりしたらこんな家を建てたいなあとパイプドリームをふかすこと1時間。ドクターに呼ばれて、奥さんの承諾も必要なものなのかどうか知らないけど、「外科的処置」の簡単な説明を聞いて、「そのときはだんなさんの運転手をしてね」と言われて、はいっ。どうやら日帰り手術で済むようで、それも早くて1ヵ月かそれよりも先の話。(でも、1ヵ月後はまだ仕事のなだれの中なんだけど・・・。)

ちょっと遅い夕食はボルシチとバジリコのペストのラザーニャと根菜サラダと、ついでに買ってしまったチョコレートクリームがたっぷりのカノリ。いつもの夕食よりずっとボリュームがあったもので、この分ではランチは省略かな。じゃあ、仕事だ、仕事っ!あ、その前に「残念ながら」のお断りメールを2本書いて送らないと。もう、どうなってるんだろう、今年の仕事戦線・・・。

会話は自分に興味のある話題でなければだめ?

1月19日。木曜日。ゆうべはちょっと遅くまで仕事を続けて、寝たのは午前5時。だけど、今日はゴミ収集の日なのもで、リサイクルトラックがドッシャンガッシャンと通る音で目が覚めたのが午前8時過ぎ。ごみ収集トラックの往路は午前9時過ぎで、復路は9時50分。まあ、普通に回収作業ができているようだから、けさも雪は降っていないということか。正午過ぎまで寝なおして、起きてみたら今日もいい天気。国境の南のシアトルがかなりひどい目にあったそうだし、アボッツフォードでは玄関の屋根に届きそうな吹き溜まりができた家もあるというのに・・・。

明日の朝には気温が急上昇して、その過程で「氷晶雨」というのが降るらしい。北海道で何度か経験があるけど、凍った雨が降ると道路はスケートリンクになるし、電線にべっとりと着くと電柱が倒れたりするからやっかい。まあ、我が家のあたりは一番先に本格的な雨になっていつもの景観に戻るだろうからいいんだけど、どっさり積もった郊外は濡れた雪が凍り付いて、そうなったら除雪もできなくなって大変だなあ。それでも、気温が上がればだんだんに解けるけど、その過程でも排水溝が塞がったままだと溶けた水の行き場がなくて、今度は浸水騒ぎが起きたりする。週間天気予報は来週の木曜日まで雨降りマークをのんきにコピペ・・・。

今日は朝食後から気合いを入れて仕事。パッケージにして送られてきた原稿は大小のファイルが19個。ファイル名が全部まるで暗号みたいな何桁もある数字だから、ややこしいったらない。しょうがないから自分なりに表を作ってコントロールているけど、それでも数字がみんな似ているからややこしさはあまり変わらないかな。それにしてもいつも思うのは、日本のサラリーマンは押しなべて文書の作り方が下手だということ。Wordの表の使い方になるともっと下手。おまけに、直接表を設定すれば楽だろうに、なぜかわざわざきっちりとサイズを合わせたテキストボックスを置いて、その中に表を入れてみたり・・・。

あのねえ、ボックスの中にきっちり納まっている日本語を英語に置き換えると、ボックスからはみ出してしまうんだけど。で、ボックスからはみ出した分はどこかへ消えてしまうんだけど。で、ボックスの下の方がページからはみ出しても、表のように次のページに続いてくれないんだけど。ま、わかんないだろうな。日本語の文字がきちっと収まるようにボックスのサイズを決めて、ていねいにフォーマットしたんだろうし、まあ、何年も経ってから訴訟沙汰の資料になって翻訳されるとは想像してなかったんだし。言語やら文化やら思考経路やらがみんな違うからしかたがないんだけど、忙しいときに貴重な翻訳作業の時間をフォーマットの整備に取られるのが問題。ほんとにくたびれるったら・・・。

小町に日本の英会話教育についてのトピックが上がっていて、この手の英会話トピックはだいたいが話せる、話せない、なぜ話せないという方向に行くんだけど、たしかに英語をしゃべることにこだわる割にはしゃべれないと嘆いている人が多いような感じがする。日本人は外国語の習得が苦手だという人もいるけど、ワタシにはそうは思えないな。問題の根っこはコミュニケーションに対する考え方にあるんじゃないかと思う。このトピックではそれを「会話力の欠如」という表現で答えてくれた人がいた。ずばり、「自分の考えや意見を言えない、共通の話題が乏しい、政治経済や文学の知識が少ない、質問力が足りない」と。

でも、日本は教育水準が高い国のはずだから、知識が少ないというのはおかしいと思う。そこで思い出したのが、去年だったかgooの「つまらない会話の中身は」と言うタイトルのアンケートで、ランキングの上位に入っていたのが、自慢話、知らない人の話、愚痴、趣味の話、政治や経済の話、見ていない番組の話、仕事の話、親戚・家族の話・・・つまり、相手のことや自分が知らないこと、興味がわかないことには関心がない。関心のないことを聞いたってつまらないから、そういう話をされるのは耐えがたい苦痛でしかない。それではということで、そういうつまらない話題は全部取り払ったら、いったいどんな話をすればいいんだろう。沈黙には日本語も英語も関係ない。会話力の以前に何かもっと根本的なものが欠如しているような気がするんだけど、いいのかなあ・・・。

ま、ランチを食べて、また仕事、しようっと。まだまだたっくさんあるなあ・・・。

人間として、生き物として大事なもの

1月20日。金曜日。起床は午後12時40分。外は小雨模様。芝生や土の上にはまだ白いものが残っていたけど、車道も歩道もとっくに雪が消えていた。玄関ポーチの温度計は午後1時でプラス1度。

きのうは寝る前に大仕事の一部を分納したついでに、パワーポイントのファイルはどうしたらいい?と質問しておいた。相手はニューヨークだから時差は3時間。ワタシが起きて、朝食を済ませて、どっこらしょとオフィスに「出勤」する頃には、向こうはもうそろそろ退社時間。でも、ちゃんと返事が来ていて、「ベストを尽くしてください」。はあい、ベストを尽くしま~す。訴訟関係の仕事では、原則的に紙に書かれている文字はぜんぶ翻訳しなければならない。どこに「動かぬ証拠」が隠れているかわからないからなんだけど、それを判断するのは弁護士の仕事で、翻訳者はつべこべ言わずにぜ~んぶ翻訳するのが仕事。ま、1語でなんぼの商売だから文句は言わないけど、民事訴訟で金余り大企業が当事者だったりすると、弁護士も豪気になって、「ええ、めんどうだ、ぜ~んぶ訳させてしまえ~」ということになる。

その前に今日は郵便局に行って、デパートの請求書が来ているはずの私書箱を空にして、ミルクとランチの食材を少々買って来ないと、ということで小雨の中をモールまで。郵便を引き取って、ついでに新年早々にモールから(高級テナントを入れるために)立ち退きさせられたサロンがどうなったのか気になって外へ出てみたら、おお、もう移転先の張り紙。それもわずか2ブロック先と来ている。よかったあ。20年も同じ場所で夫婦でがんばって来て、そんな急に立ち退けはないよね。モールの外側に向いたこの一角は中華レストランも含めて5、6店舗がそっくり立ち退き。後に入るのは、サンフランシスコに行くたびに買い物に行っていたCrate & Barrelという、アメリカのおしゃれなキッチン用品店だから、ちょっぴり複雑な気持でもある。でも、それがビジネスというもので、すぐにしかも近くに移転先が見つかったのは常連客にとっても幸運だったな。

わずか1時間足らずのおでかけで、帰って来る頃には本格的な雨になって、午後3時には気温がプラス3度。訴訟仕事はひと休みにして、別の仕事の2点セットのねじ込みにかかる。ひとつは英日翻訳だけど、この英語がまたすごい。(たまにワタシのところに来る英日翻訳の原稿がそういうヘンな英語ばっかりなのはどうしてかなあ。)なぜヘンなのかというと、筆者が英語人でないヨーロッパ人だから。今度のはドイツの大手企業の名前があるから、その研究所のドイツ人研究者が英語で書いた論文ということかな。それとも、EUではかなり機械翻訳が普及しているという話だから、ドイツ語で書かれたものを機械翻訳したとか・・・。

自分の考えを相手に伝えたい、相手の考えを知りたいと思っても、ドイツ語と英語のようなまたいとこ同士みたいな言語の間でさえこんな調子なんだから、英語と日本語の間にはもっと深い溝があるのはあたりまえか。でも、同じ国で同じ言葉を使っている同士で、自分が知らないから、わからないから、関心がないから、(つまらない話は)聞きたくないというのは、何だかある種の引きこもり症とでも言えそうな感じがするな。自分が知っていることや興味がある話題しか話せないということなのかもしれないけど、そのあたりは「英語」はできるけど「英会話」ができないというのと似ていなくもないな。まあ、好奇心が向く範囲が広ければ話し相手には困らないかも知れないけど、実際に話し相手に困らない人って、自分の知らないことや興味のないことでも聞き耳を立てるタイプだと思うから、「つまらない会話」でも楽しめてしまうんじゃないかと思うけど。

きのうからつらつらと考えてみたけど、会話力とかコミュニケーション力がどうこうという以前に、やっぱり人間として、あるいは極端に言えば生き物として、何か大事なものが失われてしまったのではないかという気がしてならない。だけど、何なんだろうなあ・・・。

110番は教えてちゃんホットラインじゃないでしょ

1月21日。土曜日。起きてみたらまあまあの天気で、雨は降っていない。窓の外は完全にいつもの見慣れた景色で、ゴルフ場には人影が見える。まだぐしょぐしょだろうに熱心な人もいるもんだなあ。でも、降雪注意報が解除になってホッとしたと思ったら、今度は強風注意報発令中だって・・・。

朝食後、超特急でヘンテコ英語の日本語訳をやっつけて、さっさと納品。日本は日曜日だけど、校正する人もフリーランスだから、たぶん日曜もへったくれもなく仕事、仕事だろうな。次は英訳に戻って、まあ何ともすばらしい講演の原稿。実際にしゃべったときには、「え~」とか「その~」とか、リズムを取るための合いの手が入っていたんだろうけど、こうして文書に起こすとけっこう格調が上がるもので、それなりの訳文にしないといかんなあと思ってしまう。ま、この人はかなり話し上手なんじゃないかなという印象だけど。そういえば、昔、合いの手に「あいうえお」を全部使っていた政治家がいたんじゃなかったかなあ。

ま、とりあえず頭の切り替えということで、しばしの息抜き。何日か前(あるいはきのう)だったか、「110番」にかかってくる緊急性のない電話が増えているという記事があった。救急車の番号にも「雨が降っているから迎えに来て~」とか言うようなメイワク電話がたくさんかかって来るそうだけど、アメリカでは「亭主が夕食を食べない」と警察に通報?したおばちゃんもいたらしいから、このあたりは世界のどこにいても事情は同じなんだろうな。カナダでは警察も救急車も消防車もみんな同じ911で、かけると「警察っ?救急車っ?消防車っ?」とつっけんどんに聞かれるもので、ちょっとそういうおバカな電話はやりにくいだろうと思うけど、それでもかなりあるらしい。いったい何を考えているんだか・・・。

でも、110番に電話して「今日は何曜日ですか」って、やっぱりアホだなあ。いい年の大人が何でと思うけど、日本にはさもありなんと思わせる手がかりがたくさんある。ざっと検索して出て来ただけでも、「若者消費者110番」、「通販110番」、「震災に関連する悪徳商法110番」、「介護110番」、「科学なぜなぜ110番」、「生活保護110番」、「おくすり110番」等々と、まあ呆れるほど多彩な「○○110番」がある。要するに「ホットライン」のつもりなんだろうけど、「110番」はマニュアル思考の人間の頭には「教えてちゃんホットライン」として登録されているのかもしれないな。だから、「あ、これなんだっけ?」で、すぐ110番。「あ、困ったなあ」で、すぐ110番。何だかそういう構図が浮かんで来てしまったけど、つまりは自分で考えるのをやめてしまったということなのかな。だとすれば、まさに110番ものの緊急問題だと思うけどなあ。

こういう「教えてちゃん」の頭には「○○(のとき)はこうある(する)」(べき)というマニュアルしかないのかもしれないな。とどのつまりは「自分で考えない、考えられない、考えたくない」人が増えているということか。いわゆる「ゆとり教育」は子供たちに自分で考える余裕を与えて、独創性の発達を促すのが狙いだったんじゃないかと思うけど、その前の「他人の痛みがわかる子を育てる」教育もそうだけど、文科省の思惑が裏目、裏目に出ているような印象は否めない。どうしてなのか。まあ、根本的には「自我の欠如」だろうと思う。共感力とか思いやりといった人間関係に関わるものは「まず自己ありき」なんで、「自己」とつくものは悪いことだと刷り込まれてしまうと、自分の人格を確立するどころか否定することになって、へたをすると他人の人格まで否定すべきものになってしまうかもしれない。「自分」を認識できない人には他人が別個の人格だということが理解できないだろうし、自己を信頼できなかったり、大切にできなかったり、嫌いだったりする人には、他人を思いやることまでは考えが及ばないだろうし、ましては人を愛するなんて無理だろうな。いっとき自分探しが流行っていたらしいけど、「幸せの青い鳥」と同じで、「自分」というのは常に自分の中にしか存在しないものだと思う。

まあ、仕事の資料として送られて来た小学校の文科省検定教科書をめくったときに、まっさきに「ああ、こりゃあかんわ」と思ったけど、小町横町にも、ごくごくたまにのぞくだけになったローカルの日本人の掲示板にも、そういう教育の予期しなかった「成果物」が吹きだまっている感じがするから、時すでに遅しだったのかな。日本にも海外にも「自分探し110番」というのはまだなさそうだしね。まあ、ワタシには日本国の日本人教育をとやかく言う筋ではないのはわかっているけど、そこは太平洋をふらふらと風まかせの極楽とんぼのたわごとってことで・・・。

しょうがないから不倫男でも大統領にする?

1月22日。日曜日。予報どおりの雨。一時はかなりの風が吹いていた。ここのところ毎日けっこう根を詰めて仕事をしているせいか、ぐっすり8時間寝ているのに、目が覚めてからも眠くて、眠くて・・・。

朝食が終わってすぐからせっせとキーを叩き続けて、午後10時半にもうひとつ完了。明日からまた訴訟関係の資料の山との格闘だなあ。だいたい8日かかりそうな仕事をぎりぎり7日。まるでアコーデオンプリーツのごとしで、考えただけでもくたびれて来る。

それでも、エネルギーを養うために、午後4時過ぎにはトレッドミルでひと走り。この3日ほど、なぜか静電気がひどくて、モーターが突然止まってしまう現象が頻発していた。もう7年くらい2人して使っているものだから、ベルトが傷んで来ているのはわかるんだけど、動いているのに合わせて走っているときに突然止まると転びそうになって危険きわまりない。でも、静電気がこんなにひどいのはつい最近のことだけど・・・と考えていて、目が覚めたときにはたと思い当たったのが、デッキの下に敷いたプラスチックのフロアマット。カレシがオフィスの反対側に「支店」を置いていたときに椅子の下に敷いていたもので、「統合」で不要になったのをトレッドミルのデッキが下りるところに敷いたのだった。調子がおかしくなったのはそのあたりからだった。そこで、マットを外してから走ってみたら、あら、何ごともなく15分走れた。やっぱり静電気の元凶はフロアマットだった!まあ、至急で新しいのを買いに行くことはとっくに決めたんだけど、ワタシが半日くらい時間を取れるまではお預けか・・・。

今年の11月にあるアメリカ大統領選の共和党の予備選挙で、ロムニーが勝つと思われていたサウスカロライナ州がギングリッチの方に行ってしまった。ロムニーのカリスマ不足だという評もあるけど、ドが付くほど保守的な土地柄で、直前に元妻に「愛人も加えてオープンな結婚にしたいと言われた」とすっぱ抜かれたギングリッチが大逆転で勝てたのは、ロムニーがモルモン教徒だからだろうと思うな。モルモン教はキリスト教から派生した宗派なんだけど、アメリカ人の間には「ロムニーはキリスト教徒ではない」と思う人がかなりいるんだそうな。だから、高校時代の恋人と結婚して5人の息子がいて、浮気の「う」の字もないけど「異教徒」のロムニーよりも、不倫という保守的なキリスト教徒にとっては許されざるべきことを堂々とやろうとしたけど、キリスト教徒のギングリッチの方がまだましということだったんじゃないのかな。けっこう偽善的だな。まあ、組織化された宗教なんてどれもそんなようなもんだと思うけど。(だから、ワタシは一応はキリスト教だけど、階層的な教会組織が大嫌いということもあって、自分で勝手に信仰しているわけ。)

でも、ギングリッチが大統領候補になったら、オバマさんはほっとするかな。再選確実になりそうだもんね。ギングリッチはオバマ大統領が蹴ったカナダはアルバータのオイルサンド産地からアメリカはテキサスの製油所まで延々とパイプラインを敷設する計画を認可するつもりでいるらしい。だけど、それもどうやら経済効果も雇用創生も関係なくて、ハーパー首相がアメリカがだめなら中国に石油を売ると言ったもので、カナダと中国がラブラブになるのは許せぬということじゃないかと思うけどな。要するに、政治はそっちのけか。これも、どこでも同じような現象なんだろうけど、人類、大丈夫かね・・・。

さて、急いで見直しをして、出前一丁あがりぃ~と送ってしまおう。

いつの世でも嫌われ者にされる人がいる

1月23日。月曜日。晴れ!ずっと雨、雨、雨のはずだったのになあ。起床は午後12時半。ここんところ2人ともよく眠っている。ワタシの方で仕事がぎゅうぎゅうに詰まったせいで、四六時中ひとつ屋根の下にいるのに2人が別々のバブルの中にいるような感じだから、食事時と寝しなはクオリティタイム。特に就寝前のひとときは、寝酒とおつまみで(たいてはカレシのだけど)とりとめのないおしゃべりをしてリラックスする、安眠のためにも大事な時間。それで就寝が少し遅くなって、それにつれて起床も遅くなっているというのが現状なんだけど。

ニューヨークからフィードバックがあって、「もう少し原文に忠実に」とのこと。ワタシとしてはいつも「英語らしく、ナチュラルに」を心がけてきたのを、訴訟の資料なんだからとかなり逐語訳に傾いたつもりだったけど、まだ意訳っぽいところがあるということか。なるほどなあ。ま、これも利用者のニーズに合わせて仕事をするということだから、きちんとフィードバックしてくれるこの会社、うん、気に入った。実際のところ、逐語訳の方が深く考えなくてもいいので割と楽ちんだから、仕事のピッチを上げられそうでいいか。サイモン&ガーファンクルの歌が聞こえてくるような。(バカにされても、罵声を浴びせられても)Just trying to keep customers satisfied(お客を満足させようとしてるだけさ)・・・。

あれはかなり含みのある歌だけど、いるよなあ、どこへ行っても、何をしても、何を言っても嫌われてしまう人。誰が見ても明らかに他人に害を及ぼす悪人なんだったらともかく、客観的に見たら悪い人間ではないのに、嫌われたり、いじめられたりする人(whipping boy)がどの社会にもいる。そういう人を攻撃する方は必ずと言っていいほど攻撃される方が「悪い」と言う。性格がどうのこうの、言動がどうのこうの、過去の行いがどうのこうの、親兄弟がどうのこうの・・・。要するに「多数の規範」から外れているということかな。単に「嫌い」というのなら人間の性で済ませられるけど、「自分はああいう(悪い)ことをしない/言わないから性格がいい」と自己評価の道具に使う人もいるから、「嫌われ者」にはとんだ迷惑。同じことは大から小まですべての「人間集団」についても起きることで、歴史を見渡すと、いつの時代にも「嫌われ者」人気ランキング1位がいる(ある)から、人間てのはおもしろい生き物だと思う。

懐かしい歌の歌詞を思い出していたら思考があらぬ方向に行ってしまったけど、小町に子供が検査で発達障害ではないと言われたのに幼稚園から(集団生活に問題があると)しつこく検査を要求されて困っているという相談があって、最近どうも自分の配偶者、家族、義家族、友人、同僚について「発達障害」を疑うトピックが増えて来たなあと思っていたところだったので、ちょっと重なったんだろうな。ワタシは生まれついてこの方日本の「多数の規範」(常識?)にうまく適合できたことがないので、日本で暮らしていたら「発達障害だ」と思われているかもしれないな。たしかに、発達障害には無数の原因があるそうだし、「ここから先が正常」という明確な基準点がない無限の「スペクトラム」だから、ワタシにもひとつやふたつ該当するところがあってもぜんぜんおかしくないし、たぶんあるんじゃないかと自分でも思うけど、まあ、カナダ版の「多数の規範」にはかなりうまく適合できているようだから、「問題なし」として良さそう。

その発達障害だけど、アメリカの精神医学会がその診断基準ハンドブック(DSM)の改訂で、自閉症の診断基準の範囲を狭めるというニュースがあった。DSMはカナダでも使われているから、カナダの教育界や社会福祉団体などが診断基準を満たさなくなって療育の支援を受けられなくなる子供が出ると騒いでいる。だけど、診断基準には性格が原因で表れそうな行動項目もあって、濃から淡に移り変わるスペクトラム。その果てしなく淡くなる方を詰めようということらしいから、うがった見方をすれば、教育界や社会福祉団体にとっては「障害」を診断される子供の数が増えればそれだけ予算や補助金の増加や教員の増員(つまり、教員組合にとっては雇用創出)を要求できるわけで、それがなくなるということでもある。単にわがままな子や親が扱いにくいと思っている子にまで「発達障害」のレッテルを貼るのはどうかと思うけど、教師も一介の生活者だから、そういう発想がないとは限らない。(小町の相談でもあまりにもしつこく検査を要求するので、補助金目当てではないかという疑いを持っているという母親がいた。)

それにしても、大人の社会で(往々にして自分の思い込みでしかない)多数の規範にピシッとはまらない人を発達障害じゃないかと疑うような風潮が出てきているしたら、怖いな。ひょっとしたら、それも今どきメディアの煽りの産物なのかもしれないけど、そうだったらよけいに怖い・・・。

夫の口から知らない女の名前がでるときは

1月25日。水曜日。朝方に大雨の音で目が覚めて、あまりよく眠れなかった。仕事、進まないと言うよりは、逐語訳に近づけるほど口数が多くなって、それだけ訳上がりのファイルがどんどん大きくなって、すべてキーを打って入力するわけだから最終的にそれだけ時間がかかってしまう。まあ、1語で何ぼの商売だから、口数が多ければ多いほど、請求金額が増えるという利点もあるんだけど、ワタシの翻訳ってクライアントには経済的だったんだなあなんて思ったりする。言葉の自然さ重視だったんだけど、それもだんだん変わっていくのかもしれないな。それにしても、ちょっと時間が詰まりすぎて来たなあ。最後の期限は月曜の朝だってのに、あ~あ、大丈夫なのかなあ・・・。

こっちは目を三角にしてキーを叩いているのに、カレシはまた何となく「かまってちゃん」モード。おいおい、水平線に黒い入道雲なの?知らないよ。夕食をしながらこの夏に予定している北海道旅行の話をしていて、カレシがワタシの旧友の名前を間違えた。他の友だちの名前と混同したのならともかく、ぜんぜんつながりのない名前だから、ワタシは一瞬、は?となってしまった。カレシは「何かふいっと出てきたんだよ」なんていってるけど、なんでワタシの仲良しの「ユリコ」ちゃんが「チカコ」ちゃんになっちゃうの?ワタシたち、チカコという名前の人とはおつき合いはないけど。カレシの英語教室にだって中国人やベトナム人だらけで若い日本女性はいないよねえ。かってのカレシの仮想的ハーレム(アニマルクラッカーの箱)にだってそんな名前のオンナノコはいなかったよねえ。

あのときは、マユミとかユカリとかカヨコとかユキエとかヨシミとかユミとか(つづりにYの入った名前が多かったな、なぜか)いろいろいたけど、「チカコ」はいなかったよねえ。(ま、国際婚活していた人が10年以上もずるずる付き合うとは思えないけど。)ふむ、どうしたもんだろうな、これ。「ねえ、チカコさんて、だあれ?」と聞いてみようか。名前からして、あんまり今どきの若い人って印象ではないよねえ。まあ、今どきの若い人がいくら「欧米人」だといっても来年70になるおじいちゃんに興味を持つとは思えないし、こっちにはキャバクラなんてものもないし。あのさ、ワタシ、今は猫の手も犬の手もとにかく何本あっても足りないくらい生計を立てるのに一生懸命なんだから、アナタ、退屈だとかさびしいとか言い訳できるんだったら、チカコちゃんとこに遊びに行ってもいいよ。もしも、チカコちゃんが「年の差なんてぇ、どうでもいいのぉ。アナタと一緒ならアタシはハッピーなのぉ」と言ってくれたら、結び切りの熨斗をつけて進呈しちゃってもいいかなあ。その後の2人はどうなるのか・・・妄想しただけで鳥肌が立つような爽快感かもね。

それはそうと、ワタシ(たち)が知らない日本女性の名前がほろっと口から出て来たってのは、どういうこと?ねえねえ、チカコさんて、いったいどこの誰なの?

名誉の殺人にはこれっぽちも名誉なんかない

1月30日。月曜日。正午過ぎに起床。ずっと何日も根を詰めて仕事をして疲れ切っていたはずなのに、よく眠れなかった。ベッドに入ってから、カナダにいて普通のカナダ人になりたかったばかりに命を絶たれた少女たちのことが頭を離れなくて、涙が止まらなくなって、ほとんど眠れなかった。自分の中のどこかにある怒りを呼び起こすような、何だかフラッシュバックのようなものが起こっているような気もして、とにかく納期に間に合わせるために「雑念」はできるだけ頭の中のどこか隅っこに積んでおいたのが、その仕事がおわったとたんに積みあがった感情の重みに耐えられなくなっ、て崩れ落ちてきたような感じだったのかもしれない。

きのうの日曜日、オンタリオ州キングストンで3ヵ月以上続いていた第一級殺人事件の裁判で、陪審員の評決が出た。被告3人全員が4件の殺人それぞれについて有罪、自動的に終身刑、最低25年服役しないと仮釈放の審査対象にならない。ずっとテレビや新聞で報道されていたし、検察側、弁護側の最終弁論を聞いていたので、ずっと気になっていた。南アジアや中東の家父長社会で起こるものだと思われていた「名誉の殺人」という名のおぞましい風習が移民の流れに従って世界に広がりつつあり、男女同権と機会均等の浸透に成功しつつあるカナダにも持ち込まれて、実行されていたことを白日の下に暴露した、あまりにもショッキングな事件だった。

事件が起きたのは3年ほど前。キングストン近くのリドー運河に沈んでいた乗用車から4人の女性の遺体が発見された。アフガン系の十代の3人姉妹とその「伯母」で、死因は全員溺死。でも、発見場所は車が誤って落ちるようなところではなかったこと、車のイグニションキーはオフになっていたこと、現場には別の車のヘッドライトの破片があったこと、さらには全員がシートベルトをしていなかったのに完全に開いていた運転席側の窓から脱出できなかったことから、殺人事件の疑いで捜査が始まり、やがて容疑者として逮捕されたのは少女たちの実の両親と兄だった。(4人目の女性は少女たちの父親の第一夫人で、カナダでは重婚が認められないので一家の「使用人」の名目で住んでいた。)食い違う話を怪しんだ警察が車にしかけた盗聴器には、娘たちを「売女」と罵り、「男は名誉を守ることが何よりも大事なんだ」と息子に言い聞かせる父親の声が録音されていたことから、裁判が始まって一気に「名誉の殺人」が注目されることになった。

長女ザイナブ、19歳、次女サハル、17歳、三女ギーティ、13歳。彼女たちがなぜ殺されなければならなかったのか。それは、カナダの普通のティーンになりたかったから。友だちや級友たちのように、流行の服装をして、きれいにメイクをしてショッピングモールに繰り出したり、ボーイフレンドとデートしたかったから。「普通のティーンになりたい」。それは、カナダに移住しても頑なに母国の家父長的価値観をまるでアフガニスタンを一歩も出なかったかのように守ろうとしたモハメド・シャフィアにとっては自分の名誉を冒涜する、許すことのできない「犯罪」だった。そういう父親に歪んだ「名誉観」を刷り込まれた長男も3人の妹たちの抹殺におそらく疑問を持つことなく加担したんだろうな。自分の実の娘を3人も殺した母親は、警察での尋問でも、裁判での証言台でも、ずっと長男を庇い続けていたという。

カナダに移民して来て、カナダ人と一緒に人種やジェンダーに制約されない教育を受けて、カナダでの未来に大きな夢を描き、やがては好きなった人と家庭を築いて次世代のカナダ人を育てる・・・そのどこが許せないというのか。ここはカナダであって、アフガニスタンではないのに。故国の価値観に従わないのは許せないから殺す・・・それは、永住者を希望し、それを叶えてくれた国の個人の自由と個人の尊重という価値観に唾を吐きかけるような、後足で砂をかけるような行為ではないのか。これから生きていく環境に溶け込もうとしただけで実の両親と兄に殺された少女たちが不憫で泣いているうちに、この10年以上ワタシの心の奥でもやもやしていたものがやりばのない怒りという形で姿を表したのかもしれない。

ワタシは命こそ奪われなかったけど、何年外国に住んでいても日本の文化や価値観を保って日本人らしさを固守するのが日本人の誇りだという不特定多数の日本人に「ワタシ」という人格もアイデンティティも否定されて、自分が実存するのかどうかさえわからなくなった時期があった。そのときはカナダですでに25年も暮らしていたのに、その人たちにとっては日本人として生まれた以上は、(外国に行っても)「その国の普通の人」になろうとするのは、外国の文化や価値観に身売りをするような恥ずべきことで、罰を受けて然るべきことだったんだろうな。たとえ命は奪わなくても、自死にまで追い込まなくても、言葉という名の石をもってその人の「魂」を破壊する行為は、その人を殺すのと同じことではないかと思う。だったら、「名誉の殺人」とどれだけの違いがあるのか。でもまあ、何かにつけて「○○はかくあらねばならない」(そうでないものは受けつけられない)という思考に凝り固まってしまった人たちには、そんなことを言ってもむだだろうな。

殺された少女たちは学校や児童福祉機関に何度となく相談したり、助けを求めたりしたという。それなのに教師たちも福祉士たちもなぜ彼女たちを助けることができなかったんだろうか。それは「移民の母国の文化習慣を尊重する」という政策が行過ぎてしまったからだろうと思う。カナダは移民が築いて来た国だから、異文化や異なる価値観の尊重には誰も異論はない。では、昔の奴隷のように強制連行されて来たんじゃあるまいし、何らかの利益を期待して自由意志で移住して来た人たちに受け入れ側の文化や価値観を(同化とまでは行かなくても)少なくとも尊重するように求めることがどうして非難されなければならないのか。問題の元は移民して来る人にカナダの文化や価値観の尊重を求めることを異文化を蔑ろにする差別行為だと攻撃する人たちだろうと思う。それも、実は異文化を「尊重してあげている心の広いぼく/あたくし」に陶酔しているだけだったりする人たちは始末が悪い。

即日3人に終身刑の判決を言い渡したオンタリオ州高等裁判所のマレンジャー判事は「殺人の動機となったのは名誉に対する文明社会では絶対に存在し得ない不健全きわまりない観念であった」と。その名誉というのが、女性を支配し、コントロールする権利を持つということであるならなおさらのこと。そんなちっぽけな「名誉」を守るために妻や娘を殺せるような人にはカナダに来て欲しくない。(自分であれ、他人であれ)郷に入っても郷に従うのは○○人としての名誉にかかわることだと考えるような人にも来て欲しくない。何につけても自分たちの母国に比べてカナダは劣っているとダメ出しばかりする人はすばらしい母国にお帰りいただきたい。ワタシの国の文化や習慣や価値観を尊重する気のない人には来ていただかなくてもいいですから・・・。

夫婦げんかをして思い出した初恋の人

1月31日。火曜日。正午過ぎに起きたら、雨模様。ワタシはまあまあ普通に眠ったけど、カレシは夜中にこむら返りで目が覚めて、ふくらはぎがまだ痛いと、起きぬけから何だかご機嫌ななめ。裏庭で人の気配がすると思ったら、マイクの息子が雨の中をひとりでガレージからの通路になるところを掘っていた。それを見たカレシが「なんであんなに深く掘り起こすんだ。枯葉まで掘り起こして、これじゃあ今年は菜園を作れない!」と怒り出したもので、アナタが施主なんだから出て行って話をしたら?と言ってみたけど行動する気配なし。ひとりでプリプリしているから、どうして欲しいのか説明しないとわからないでしょうがと言ったら、「オレは共感して欲しいだけなんだ」と切れた。

これにはワタシもカッチ~ンと来て、グチグチとネガティブなプレッシャをかけられるのはもうたくさん、やってられなぁい!ぶっちぎれたもので、朝っぱらけっこう盛大な夫婦げんか。まあ、落ち着いたところで朝食をしながら、「プレッシャなんかかけていないよ」というカレシに言ったもんだ。あのね、自分で考えればやれることをやらずにグチグチ、ワタシにはどうにもならないことで何が気に食わない、何がダメとをグチグチ。アナタのことなんかどぉ~でもいいんだったら何をグチグチ言っていても無視できるだろうけど、そうじゃないからこそ無視できなくて、年がら年中そうやってグチグチグチグチやられているうちに、何もできないもどかしさがプレッシャになってのしかかって来るの。そんなときに「オレはそんなつもりじゃない。そういう性格なんだから、勝手にプレッシャに感じるおまえが悪い」と言われると一気に崩れてしまうの。(それがモラハラの手口のひとつで、たしかに本人がほんとにそのつもりでない場合もあるだろうけど、誰よりも一番の支えになってくれるはずの人を傷つけて、人格を破壊するという結果は変わらない。)

でも、ワタシもよっぽど頭に来ていたと見えて、言っちゃったな。アナタにチャンスがあったときに行きたいところへ行かせるべきだったかも、と。アナタのスペック通りに、従順にかいがいしく、かゆくないところにまで手が届くような世話を焼いてくれる人が見つかるチャンスがあったときにね。カレシ曰く、「キミの世話の焼き方に全然不満なんかないよ、ボク」と。あ、そうですか、はあ・・・。まあ、人間ってのは生き方や人との関わり方は変えられても、自分の本質はなかなか変えられないものだと思う。カレシの気持が「ニッポン女子」のイメージに大きく動いたのは紛れもない事実だから、ひとりひとりについては記憶も定かでないだろうけど、その「イメージ」は忘れていないだろうな。ま、例の「チカコ」ちゃんはそのイメージにふと名前がついたということで、たぶん実在する人ではないだろうと思うけどね。

まあ、誰だって一度心を動かした相手を忘れることはないと思うけどね。このワタシだって、未だに「初恋」の人の顔と名前をよく覚えているもの。まさに思春期の入り口だった中学1年生のとき、おてんばなワタシが同級生のササキ・ミツオくんに恋をした。道路の向こうとこっちで気になる人をちらちらと見ながら下校する途中の交差点で、ミツオくんは右に曲がり、ワタシはまっすぐ。道路を渡り切ったところで、そおぉっと背中を逸らせてミツオくんが歩いて行った方を見たら、きゃあ、何とミツオくんがこっちの方を振り返っていた!心臓はどきどき、顔は火が出てかっか。たぶん無我夢中で走って、バス通りを越えて、家までの上り坂を一気に駆け上がったんだろうと思うけど、そのあたりはまったく記憶にない。バタバタと玄関に駆け込んで、息を切らしてしばらく座り込んでいたらしいけども。(ワタシにもそういうかわいいときがあったということか・・・。)

翌年2年生になってクラス替えで隣のクラスになったミツオくんは、休み時間になると廊下に立っていて、顔が合うたびに2人ともあわてて教室に飛び込む毎日。夏に父の転勤で転校してから、1度だけ、写真と一緒に「○○さんが転校してからは廊下に出て遊ばなくなりました」という、何とも胸がじ~んとする手紙が来た。(その時の写真は今でもワタシのアルバムにある。)思い起こせば、目が合うたびにどきどき、かっかするばかりで、2人だけで話をしたことなんかなかったな。ワタシの13歳の初恋は純情だったのだ。ミツオくん、高校を卒業して市役所に就職したという噂を聞いたけど、今頃どうしているのかなあ。好々爺になって孫の相手をしていたりして・・・。

その後はカレシに出会うまで何事もなく過ぎて、結婚してから一度だけ、ランチを買う行列の中でふと目が合った人がいて、違う場所でも何度か見かけているうちに互いの顔を見覚えてスマイルを交わすようになったことがあったなあ。東欧系かな。いかにも紳士然とした物腰の人で、たった一度だけだったけど、朝オフィスに向かう下り坂を歩いていたら、後ろから良く通る低音で「グッドモーニング」と言って、びっくりして挨拶を返せないでいたワタシを追い越して行った。声を聞いたのはそのときだけで、言葉を交わしたことはなかったし、名前も勤め先も何をしている人かも知らないまま、ワタシがオフィス勤めをやめるまで、行列の中に互いを見つけてスマイルをかわすだけの、淡い慕情とさえ言いがたいような気になり方だったけど、わっ、ひょっとしたら、あれはワタシのウワキ心だったのかなあ・・・?


2012年1月~その1

2012年01月16日 | 昔語り(2006~2013)
元旦の祝い膳はなんちゃってオセチ

1月1日。元旦。起床は午後12時45分。薄日が差しているまあまあのお正月日和。遅い始まりだけど、八穀米のおかゆを作りながら、まずはオレンジジュースにシャンペンの「ミモザ」で新しい年の始まりに乾杯。自家製の塩鮭とめんたいこを焼いて、カレシには大根の漬物を小鉢に入れてあげて、いつもとは違う「朝ごはん」が終わったらもう2時。いいのかなあ、こんなんで・・・。

夜の食材を用意しておいて、ぼちぼちと仕事を進める。PR仕事の方は行けども行けども気が乗らないので、科学分野のファイルも開いておいて、行ったり来たりすることでとりあえず「仕事」へのモチベーションを保つ。でも、来年(2013年)の春に年金受給年令になったら科学分野だけに絞ろう・・・と、なんとなく「新年の決意」。ま、一年の計は元旦にありというから、今年がフルタイムで働く最後の年だということにすれば、ホームストレッチに入った気分で、猛然ダッシュで走り抜けられると思うけど。

元旦の夕食は「なんちゃってオセチ」。もっとも、オセチの形さえ成していないし、和食と言えるかどうかもわからないんだけど、ファーストクラスの機内食トレイに今年もぶっ飛びと舞い上がりで行こうという気概?をこめて(まさか)の祝い膳。[写真] タイの酒蒸しとししとう、じゃこの佃煮。ロコあわびと大根、茶碗蒸し、ポケ、潮汁風おすまし、バンブー米。

ロコあわびは寝る前から大根と一緒にスロークッカーでゆっくりと煮ておいた。実のところは、貝よりは味がしみ込んだ大根の方がおいしくて好きなんだけど。

茶碗蒸しは卵1個で2人前。具はしいたけと枝豆、なると(紅白の渦だからちょうどいい)。きのうからずっと醤油(=塩分)の摂取が多かったので、今日はすべてかなりの薄味にした。

ハワイ料理のポケはキハダマグロを使って、ごま油、醤油、赤唐辛子、ねぎ、マカダミアナッツ、白の炒りごまで和えたもの。写真の色はちょっと暗いけど、かなり赤い。赤唐辛子を2本も入れたので、いつもよりもピリッとした味。

潮汁風おすましは、3枚おろしにしたタイの頭と骨でとった出汁を漉して、醤油と海塩でごく薄く味をつけ、別に温めておいた絹ごし豆腐、ロコあわび、ねぎを入れたお椀に注いた。ごはんはほのかに青竹の香りがするバンブー米。

メインのタイの酒蒸しは少量の塩を振ったものにお酒をかけて蒸しただけのものだけど、あっさりしすぎているかなと思って急遽ししとうを焼いて付け合せ。御節料理の中で「豊年豊作」を象徴するという小魚(ごまめというのかな)の代わりに、ちりめんじゃこの韓国風佃煮をひとつまみ添えてみた。

日本の外で御節の「お」の字も知らない人と結婚したもので、40年近いカナダ暮らしで元旦にお雑煮を食べたのは2回くらい。母が作ったお雑煮を思い出しながら見よう見まねで作ったものだったし、御節は作り方がわからないどころか元旦にはどうしてもという郷愁のような気持にならなかった。実を言うと、子供の頃に北海道の最果てで食べた御節で大好きだったのはごぼうの煮しめくらい。きんとんと里芋は嫌いだったし、紅白のかまぼこや昆布巻きがあったと思うけど、後はどんなものが入っていたのか記憶に残っていない。お正月の懐かしい「おふくろの味」がごぼうだけなんて、なんとも親不孝な娘だなあ、ワタシ・・・。

曜日のずれたカレンダーと老後への雑念と

1月2日。月曜日。起床午後12時50分。これがほんとの寝正月というところかな。相変わらずのどんよりた空からときおりしょぼしょぼと降る湿っぽい天気だけど、ポーチの温度計の気温は摂氏9度。球根が芽を出して来たりして・・・。

さて、今日からはまじめに気合を入れて仕事、と思ってカレンダーを見たら、あれ、何かヘンだ。きのうの1月1日が右端にある。今年の元旦は日曜日だったはずだけど、ひょっとして去年のを印刷してしまった欠陥品か・・・実は、よ~くよく見たら、このカレンダー(ドイツのテノイエス社発行)、何と週の列が月曜日から始まっているじゃないの。去年もその前の年もテノイエス発行のヴェットリアーノの絵のものだったけど、曜日はちゃんと日曜日から始まっていたのに、どうして今年のは月曜から始まっているんだろうなあ。ひょっとしてドイツではそういうことになったのかと思って見たけど、カレシのはフランス、キッチンのはアメリカの出版社のもので、どっちも見慣れた日曜日から始まっていて、わからずじまい。時差のおかげで日本から指定される日時といつも1日ずれる(早い)納期を書き込むカレンダーだから、納品が1日遅れるなんてことがないようにしないとね。ま、日付だけを見ていれば確実だと思うけど、ややこしいったらないなあ・・・。

ややこしいようだけど、考えてみたらカレンダーはその年1年だけのものだし、新年の決意を実行すれば、「日本時間何日何時」という納期を頭の中で自分の生活時間に換算しながら仕事に精を出すのも今年1年だけのことだし、ということでやっぱりいつもの「ま、いっか」主義で肩をすくめるのが極楽とんぼの極楽とんぼたるところか。新年2日目にしてなんとなく気持が固まって来てしまった感じがするのは、あんがい、「65歳定年」を1年後に控えた年だということで、神さまがこういう内容の仕事はもういいやという気持になるような仕事が入るように計らってくれたのかもしれない。フルタイムで働くことをやめたら、カレンダーの1週間の始まりが日曜日も月曜日もどうでもよくなって、朝食後のコーヒーを飲みながら「今日は何曜日だっけ?」なんて言うようになるんだろうけど、穏やかな人生の余韻を楽しむというか、あるいは「定年」を勤労生活からの卒業として、後はのどかに草を食む毎日を重ねて行くというか、それなりに幸せそうなシーンにある種の憧憬を感じるな。

実際のところは、憧憬を感じて目をうるうるさせている場合じゃなくて、現実になろうとしている自分自身の「老後」をどのように設計するか、そこを目先の仕事以上にじっくりと腰を据えて考えなければならないのが今年。小町には今年の夏に定年退職(日本だから60歳か)になる男性が「定年退職後の生活」について先人?の意見を聞いているトピックがあって、週/月/年に何回という単位でいろいろなことをやっている自分の生活を退職後の「過ごし方」の計画例としてあげた人がいたけど、きっとこの人は根っからのサラリーマンだったんだろうな。まあ、定年退職して何もすることがないよりは「日程表」があった方がいいのかもしれないけど、子供の「夏休みの生活時間表」じゃあるまいし、10年も20年も続けられるのかなあ。

かといって、毎日起きて「さあて、今日は何をしようかな~」という生活にも一抹の不安のようなものを感じるのは確かで、このあたりはワタシも日本人らしさを残しているということかもしれない。さりとて、日ごろから現在以上の「主婦業務」はやらないと宣言しているとおり、(カレシとの共同作業ならともかく)月曜日は洗濯、火曜日はトイレの掃除などという日常は極力避けたいから、念のために毎日の「今日は何を」の中に「仕事」という選択肢を残しておきたいとも思う。たまたま会社勤めの身分でないからそれが可能なわけで、自分のアイデンティティを揺さぶられて、10年経っても消せないわだかまりを植えつけられる出来事がなかったら、今頃は天職だと思ったほど好きだったこの仕事を65歳になったからと言ってやめるなんてとんでもないと思ったかもしれないな。

ワタシの人生って、なんだか曜日の並びがずれたカレンダーのような感じがしないでもないな。

仕事納めなしで気分だけ仕事始め

1月3日。火曜日。今日も起床は午後12時半過ぎ。外はかなり本降りの雨で、ベッドルームの中は暗い。日曜日だった元旦の振替休日が終わって、今日から新しい「平常」。もっとも、寝正月の癖がそのまま平常になってしまうというのはちょっと困るような気もするけどな。

カレシの要望で今夜のメニューに載ったラタトゥイユをスロークッカーに仕込んで、英語教室の午後の部がまだ休講中で夜の部の教材の準備に勤しむカレシを置いて、雨の中を銀行まで歩いて出かけた。カレシは「車で行けば?」というけど、バンクーバーのドライバーは雨が降るとなぜか猛烈に危ない運転をするので怖い(雪の日はもっと怖いけど)。濡れても困らないトートバッグを肩に傘を差してテクテク。それにしてもよく降るなあと思ったら、今日は大雨注意報が出ていたんだった。道路を渡るたびに交差点で排水溝に流れずにたまっている水がけっこう深くて、モールの道路向こうの銀行に着いた頃にはつま先がじわっと濡れた感じ。やだ、もう。

それでも銀行はかなり人がいた。クリスマスからのホリディ明けでお手元不如意の人が多いのかもしれないな。珍しく銀行の中にあるATMの前に並んで、今月必要な現金を引き出して、今度はモールへ。外側を回ってスーパーで在庫が少なくなって来た白身の魚をどんと調達。ついでにカレシがなくなったと言っていたきゅうりも買って、重くなったトートバッグを肩にまたテクテク。家に着いた頃にはジーンズの裾はびしょびしょで、つま先が靴の中で泳いでいた(は大げさだけど絞れるくらい)。でもまあ、トロントは最高気温がマイナス12度とか言っているから、寒くないだけましってことかな。

夕食は買って来たばかりのオヒョウといい具合に出来上がったラタトゥイユとアスパラガス。テレビのニュースで、不動産の公式評価通知が今週中に届く予定だと言っていた。バンクーバー市内の戸建ては10%から25%の上がっ、逆にウィスラーでは10%も下がったそうだけど、こっちはアメリカの不景気でリゾートに別荘を買う人が減ったせいかもしれないな。それにしても、バンクーバーの標準サイズの土地に建っている標準的な戸建ての平均評価額がとうとう100万ドルの大台に乗ってしまったというからすごい。感覚的に1億円ってところか。リーマンショックのときにほんの一時期だけ値下がりしたけど、後はかなり急な右肩上がり。誰が買っているんだろうな。我が家は土地が標準より少し小さいのでいつも平均よりやや低めだけど、今度は地下鉄開通に合わせた大規模なキャンビーコリダー再開発計画のおかげで沿線の不動産価格が高騰しているそうだから、ある程度おこぼれ的な影響があるかもしれないな。まあ、通知が来て見てのお楽しみだけど、バンクーバー市に戸建てを持っているとみんなそれだけでペーパー百万長者。固定資産税が増えるだけなのに、やだ、もう。

英語教室に行くカレシを送り出したら、腕まくりして仕事。めったに来ないところから「もう仕事を始めてますか~?」なんてメール。これもちょっとばかりかさ張る仕事だなあ。今月はもうぎっちぎちなんだけど、まあ、久しぶりだからぶち込んでしまおうか。それよりもまず、仕事納めの日に仕事始め早々の納期指定で置き逃げされた仕事を片付けてしまう。何しろ今どきのビジネスのホットなキーワードをキラキラとちりばめてあるけど中身がない。直訳すればますますわからなくなるし、コンセプトが日本的過ぎるのかポイントがイマイチわからないから意訳のしようもない、鼻をつまみたくなるような文書。固有文化の色が濃い美辞麗句を別の固有文化の読者が読んでわかるように翻訳するのはほんとに難しい。それに、どっちみち最終的には発注元で日本語的直訳英語に「訂正」されてネットに発信される公算が大だから、脳みそをかき回してがんばるのも無駄なような気もするし、やだ、もう・・・。

こいつは春から縁起が・・・どうなの?

1月4日。水曜日。いい気持ちで寝ていたら、アラームの音。がばっとはね起きて、アラームを解除。午前11時50分。いつも正午過ぎに来るシーラとヴァルがもう到着して、「起こしちゃった?ゴメンねえ。でも、ハッピーニューイヤー!」と、あんまり申し訳なさそうではない明るい顔。う~ん、正午に目覚ましをセットしておいたのになあ。

とにかく、シーラが二階、ヴァルがベースメントで掃除をしている間に、ワタシたちは中間の一階で朝食。それからメールをチェックして、字あまりのような仕事が来ていないこと、鼻つまみ仕事を送ってあったことを確認して、廃用の電子機器を。「The Hackery」というおもしろい名前のリサイクルショップに持って行くカレシに付き合って、途中にあるGourmet Warehouseに行くことにした。ここはスパイスなどの食品もあるけど、何よりもワタシの狙いは料理道具や小皿の類。店のオーナーはテレビでモーレツな早口で料理の仕方をまくしたてたり、地元の雑誌にレシピを書いているマクシェリーさんというおばちゃんで、じっくりと見て回ると優れものがいろいろと見つかるから楽しい。今日の目当ては魚の鱗落とし。これが1本あれば、Whole Foodsで時間のかかる鱗落としをしてもらわなくてもいい。

カレシが姿を現したのはまだ店内の3分の1も見ていない頃で、「店のすぐ外にトラックを止めたけど、午後3時から駐停車禁止だから、あと20分だ」と言うので、それは無理。カレシは別のところへ止めると言って出て行った。その間、別の店で品切れでクリスマスに間に合わなかった「ワイン試飲セット」を見つけてばんざ~い。細長いお皿にミニのワインカラフが3本。ワインだけでなく、いろいろな三通りに使えそう。戻って来たカレシに見つけたと報告しようとしたら、あら、すんごいふくれっつら。どうしたのかと思ったら、店の後ろにスペースがあって、バックで入ったらガスのメーターを保護するために立っていた柱にガン!とぶつかって、後ろのバンパーがバンッとへこんでしまったとか。「見えなかったんだよ~」とむくれているカレシ。まあまあ、トラックは後ろの視界が良くないから、事故のひとつやふたつくらい起きるわな。バンパーだけなら修理も簡単でしょ・・・と、ちっとも怒らないワタシ。

昔なら「おまえが他に止めろといったのが悪い」とぶっちぎれるところだけど、非難抜きで冷静に修理の話に持って行かれると、どうもその切れが鈍るらしい。ワイン試飲セットを見せられてご機嫌が直ったらしいカレシ、ビターや珍しいジャムの類を探して回って、見つけてきたのが柚子のマーマレード。掘り出しもんだなあ、それ。結局、2人でバスケットいっぱいの買い物。店を出たらまん前で駐車していた車が違反チケットを切られていた。途中でトヨタのディーラーの向かいにある修理屋で予約を取ろうということになって、ラッシュの中を目指す工場まで行ったら、駐車スペースは満杯で、路上駐車の場所も見つからない。繁盛しているってことかな。何ブロックか先にやっと駐車できるところが見つかって、カレシだけ修理工場へ。だいぶたって戻って来たカレシ、「何ブロックも歩かなくても、すぐ前にあったのに」とひとり笑い。

何でも、目指した工場では受付で待っていても誰も応対しに来なかったので、諦めてトラックに戻る途中で向かい側に小さい修理工場があるのに気づき、立ち寄って事情を説明したら「持って来て」。印象が良かったというのでさっそく行ってみたら、つなぎのおじさんが「バンパーを取り替えないとね」。パーツの手配をしている間、いかにもイタリア人といった感じの愉快なオーナーがオフィスの床が何となく傾いているこの修理工場を始めたのは50年前だそうで、移民して来た子供の頃の古きよきバンクーバーの回顧談を生粋のバンクーバーっ子のカレシと延々。聞いているとなかなか楽しくて、かなり待っていたことに気づかなかったくらい。最終的に、OEMのバンパーが見つかって、明朝配達。修理費用は推定1500ドル。うわ~、1500ドル(15万円くらいの感覚)かあ。やれやれ、駐車違反の罰金の方がずっと、ずっと安いよねえ・・・。

家に帰ってきて、急ぎ食事の支度を始めたら、またまたふくれっつらのカレシが「持って行くのを忘れたリサイクル品がベースメントにたっくさんある」。どうやら、床に置いてあったものに気を取られて、ワークベンチの上に積んであったものはまったく目に入らなかったらしい。(これだけの量なのに目に入らないというのもすごいというか何というか。)「運びながら何だか少ないなあとは思ったんだけどさ」とカレシ。あっ、そう・・・。

保険がきいて修理費が実質5分の1

1月5日。木曜日。夢の中で、カレシやデイヴィッドがいて、食べ物がたくさんあって、何だかんだと言っているうちに目覚ましが鳴って目が覚めた。午前11時30分。トラックを修理工場に持って行くことになっているんだけど、起きたとたんからカレシは保険のことを調べなければとか何とか・・・。

きのうはトラックをぶつけて「壊した」ことで気が動転してしまい、おまけに修理に1500ドルもかかると聞いてますます動転して、自動車保険のことは頭に浮かばなかったとか。ふ~ん。黙っていたけど、早く修理の予約を取ることにこだわって視野狭窄になっていたのはたしかだよねえ。ワタシがトヨタのディーラーに衝突事故専用の番号があるからまずそこに相談してみたらと言っても即刻却下だったし、保険でカバーされないのかと聞いても「手続きがめんどうだし・・・」とか何とか聞く耳持たずだったよねえ。その結果、高すぎるんじゃないか、ぼったくられるんじゃないかと疑心暗鬼になってひと晩悶々としていたなんて・・・。

自動車保険の証書を見ると物損事故は自損でも他損でも自己負担控除が300ドルでカバーされている。なんだ、要するに保険で修理すれば300ドルで済むってことじゃないの。出費15万円と3万円では気分的にずいぶん違うのはたしかで、カレシは気を取り直してトラックを修理屋に持って行った。預けて歩いて帰るなら付き合おうかと言ったけど、保険の相談をするだけだし、きのう忘れて行ったリサイクル品を置いてくるから「どっちでもいい」。しばらくして、保険代理店と相談してから決めるように言われたと帰ってきたので、たまたま今月31日が更新期限なのでついでに払ってしまおうと、さっそく保険代理店へ直行。

BC州の自動車保険は州営(ICBC)の強制保険で、基本保険料はかなり高い。移動中の物損事故の修理費や人身事故の賠償金、最低限度しかかけていない人にぶつけられたときの修理費や賠償の不足分の補填などを増やせば保険料はどんどん上がる。(だから、月賦で自動引き落としする制度もある。)でも、移動中の事故の保険請求がなければ毎年少しずつ「格付け」が上がって保険料が最高43%まで減額され、請求があると金額によって格付けが下がって減額率が減り、また1年ずつ事故を起こさなければ減額率が上がる仕組みになっている。人身事故など重大な事故を起こせば格付けがマイナスになって保険料は基本額よりぐんと高くなるので、ぶつけてばかりいたら年間の保険料は数千ドルにもなることがある。

50年を超える運転歴で事故の保険請求をしたことがないカレシはずっと最高率を維持して来たので、トラックの保険料は1300ドル弱。それが保険請求でマイナスの影響があるかもしれないということなんだけど、結果は最高格付けから1段階下がるけど減額率には影響はなし。ならばと請求手続きを教えてもらって、帰って来て電話で5分で終了(オンラインでもできる)。カレシが請求したことがないから知らなかっただけで、いつのまにか様変わりしていたらしい。昔だったらICBCの請求センターが破損状況を実際に見て損害額を査定し、衝突事故の場合は当事者の責任を按分して保険金の支払額を決めていたけど、手続きに手間隙がかかる上に実際の修理費が保険金より大きかったりしてえらく不評だった。今は請求番号をもらって認定工場へ行けば自己負担分を払うだけで、残額は工場が直接ICBCに請求する仕組み。出向いて行って順番待ちして車の損害を査定してもらって・・・という手間がなくなったのはサービス向上かな。

今度は工場にトラックを置いて来るということで、カレシに付き合って行って、帰り道はおしゃべりしながら手をつないで歩け、歩けの「運動」。家までは30分もかからないけど、そういう時間もなかなか乙なもの。風はまだちょっと強いけど、天気は穏やかで、いつのまにか増えた新築の家の評定をしながらしばしの2人だけの時間。他人の評価がくるくると変わるのはボーダーライン人間の特徴らしいけど、一時は不安症や疑心暗鬼に陥ったカレシは自分で考えて実行することで、特に人との関わり合い方について何か学ぶところがあったらしい。この世に「夫教育」なるものがあるとすれば、ワタシの一度だけアドバイスや提案をして後は突き放す「教育方法」も間違いではないということかな。(そもそも夫は妻が教育する対象じゃないと思うんだけど。)

「相手を変えることはできない」。これは対人関係の悩みごと相談サイトの定番になっているアドバイスであり、ワタシが複数のカウンセラーにくどいjほど植えつけられた思考。自分が心地良くて楽なように相手を変えようとしても、角を矯めて牛を殺すの譬えどおりになるだけだろうけど、自分の視点や相手との対処法を変えてみることで思いがけない人間像や新しい人間関係が見えて来て、交流しやすくなるということかな。まあ、それぞれに個性を持った個人なんだから、それがあたりまえなんだろうけど、「自分で対処しなければならない」体験を通して、来年は70歳になるこの年でも対人スキル(不合理な人間不信の思考に囚われないこと)や問題解決スキル(今何が問題点で、まずは何をするべきか)を学んだと言えるカレシ、見直しちゃったなあ。

バブリーな豊かさはめでたくもなし

1月6日。金曜日。2人ともぐ~っすり寝て、起床は午後12時40分。きのうは10度も会ったけど、今日は雨で平年並みの5度。天気予報は月曜日まで雨、雨、雨。まあ、予報マークの雨粒に雪印が混じっていないだけいいか。

カレシのトラックの修理が終わって、雨が降る中を歩いて行くのもなんだからと工場までタクシーサービス。盛大にへこんだバンパーの取替えが済んで、カレシはご機嫌。実は前にもちょこっとぶつけて小さいへこみができていたのを1回の修理で、しかも保険でまとめて直せたということで、まあ、めでたし、めでたし。カレシは何かとくたびれたので、この先はゆっくりすると宣言。いいなあ。ワタシは年末に鼻つまみ仕事をねじ込んだおかげで、仕事前線が大荒れの予報。来週の金曜日までに400字の原稿用紙をびっちり埋めたら90枚以上になる量をこなして、その次の金曜日までにさらに40枚・・・。

大丈夫かいなと思案していたら、何度も声をかけてもらっているのにタイミングが合わないでいたアメリカの会社から大型プロジェクトのお声がかかった。訴訟の資料だけど、ワタシには長いキャリアの中で一度遭遇するかしないかというくらいの、何としてもやらせてもらいたい案件。迷わず、やりたいっ!と返事をしたら、とりあぜず月曜日までに原稿用紙16枚分はどうだ、と。 うは、そんなにたくさん入るわっきゃないよ。だけど、だけど、この仕事はどうしてもやりたい。徹夜してでもやりたい・・・。

やる気が猛烈に逸って、徹夜を覚悟でOKの返事。ねじり鉢巻が何本いるかなあ、なんて武者震いしていたら、同じ関連で優先案件が入って来たので、「とりあえず」はとりあえずキャンセル。(ほっ。)送られて来た優先案件というのが、これまた原稿用紙に詰めたら75枚相当はあって、期限は30日。でもまあ、これなら徹夜しなくても何とかなりそうなスケジュールで、ちょっと安堵。まあ、通年でのフル稼動は今年が最後と決めたんだし、そんなときに舞い込んだワタシにとっては「どうしてもやりたい」仕事だし、がんばろうっと。それにしても、こんな調子で今年1年を突っ走ったら、もしかしたら婚活女性が求める「高収入」の範疇に入れてもらえるかもしれないけど、ワタシにはすでに「専業隠居」の婿さんがいるし、スケールダウンする再来年に税金で跳ね返って来るから、めでたがってはいられないな。まあ、これでも昔ほどは「激務」でやっていないからそんなことにはならないだろうけど、税金のこととなると何となく胃のあたりがじわ~っと痛くなって来そう・・・。

不動産の査定通知がやっと今日の郵便で届いて、我が家は去年より18%アップ。平均の上昇率よりやや高いけど、数字だけ増えてもそんなにめでたいのかどうかはわからない。土地の評価だけを見ると、買ってから30年で10倍を超えたけど、絶対に確実なのは固定資産税が上がるってことくらいで、その分だけ市のサービスが良くなるってわけでもないから、さっぱりめでたくないな。日本のバブルの時代に東京に戸建ての家を持っている実家があった普通の人たちはどんな気持でうなぎ上りの地価を見ていたんだろう。裕福になったという感じはあったのかなあ。だって、田舎に引っ越すのでない限り、庶民にとってはマイホームがバカ値で売れてもバカ値で新しいマイホームを買うしかないから、所詮は数字だけの裕福さ。これではばら色の夢の描きようがない。やっぱり、まじめに働いて、こつこつと日銭を稼ぐのが一番確実な暮らし方か・・・。

ということで、グチグチ書いている暇があったら、まじめに仕事、仕事・・・。

超過密スケジュール、どうして?

1月7日。土曜日。相変わらず雨。きのうは寝酒もせずに早めに寝て、たっぷり、ぐっすり眠って、起床は正午。朝食後にぼちぼちとクリスマスツリーの取り外しを始める。クリスマスの12日間が終わる公現祭(きのう)の前の日に片付ける習慣になってはいるんだけど、仕事の予定しだいでは手が空かない年もあって、今年はまさにその年。まあ、飾りを少しずつ外してしまって行けば、週末中に何とか終わるかなあ・・・。

土曜日だというのに、ニューヨークからまた仕事の話。びっちり縦書きのなんたらかんたらややこしい判例のようなもので、縦書きだから当然数字まで漢字。まあ、旧漢字じゃないからまだいいけど、なぜか苦手なんだなあ、漢字の数字を読むの。だけど、これも原稿用紙に詰め込んだら80枚は行ってしまいそうな量。これ、全部はできないよ。がんばっても1週間はかかるよ。ワタシのスケジュール、もう立錐の余地がないんだから、これじゃあ1月は31日ぶっ通しで仕事ということになってしまうじゃないの。いったい、新年早々からどうなってんだろう・・・。

とりあえず、この日からこの日までの間にこれくらいならねじ込めるという返事を送っておいたから、あとはコーディネーターの裁量しだい。翻訳会社のプロジェクトマネジャー、コーディネーターというのは大変な仕事だなあとつくづく思う。クライアントは無理難題を吹っかけて来るし、原稿は遅れるのに納期だけはいつもせっかちだし、下請けの翻訳者はラッシュのときに限っていつもの人がいなかったり、翻訳者とチェッカーの相性が良くなかったりで、間に入ってほんっとにしんどいだろうな。もうかれこれ10年近くお世話になっているコーディネーターさんも、メールの送信時間を見たら午後7時過ぎということがざらだし、週末もメールをチェックすることが多いらしい。そういうところを考えると、自分の家にいて、引き受けた仕事をきちんとこなして期限までに納品できれば、後はどうにでも自由がきく在宅フリーランスは楽な方なんだろうな。

でもまあ、切羽詰るとデスクの周りの整理も適度の息抜きになるということで、来週中に支払期限になる請求書はひとつにまとめ、不動産の査定通知はファイリングキャビネットのフォルダに。クリスマスカードの封筒は別のところにひとまとめ。返事を書きたい手紙は請求書の隣に。新年に入って届いた小学校1年生からの友だちは、もうひとりの同級生の活躍を伝える新聞記事の切り抜きを送ってくれ、長い手紙には3年前に夫を亡くして悲嘆のどん底にあった娘さんが再婚したと書いて来た。相思相愛の人と結婚して幸せだったのにわずか2年で突然の別れ。激務の末の突然死だったらしい。27歳の若さで未亡人になった娘を母親としてどう慰めていいのかと途方にくれる友だちにワタシも一緒に泣いてしまった。その娘さんが悲しみから立ち上がって、新しい伴侶に出会って再出発できたという喜びと安堵が伝わって来て、何だかワタシもほっとした気持で涙がほろっと出て来た。長い返事を書きたいから、彼女の手紙は手近なところにおいておこう。

肘を突っ張れるelbow roomができたところで、今日の仕事は自然科学。科学方面の仕事は、参考資料をググりまくり、百科事典をめくり、科学用語の辞書をひっくり返しながらの作業だけど、ワタシにとってもいろんな新発見があって、難しくはあるけどとにかく楽しい。人間、いくつになっても好奇心は常に磨いておくもんだなあと思う。さて、この仕事の残りは原稿用紙にして後60枚くらい。ひとつ、腕まくりにねじり鉢巻で、木曜日の納期に向かってぶっ飛ばすか・・・。

超過密スケジュール、もう知らないから

1月8日。日曜日。起床午後12時半。起きてまもなく電話が鳴って、カレシが発信番号表示を見てニューヨークからだというので出たら、きのう大きな仕事をねじ込もうとしていたところ。日曜日だというのにコーディネーターが出社している!へえ、アメリカ人までが残業に休日出勤?世界中がどうかしちゃっているんじゃないのかな。大丈夫か、2012年・・・。

まだ顔も洗っていなくて、寝ぼけたまんまの頭だったし、向こうも何だか切羽詰っているような感じだったもので、既訳部分を外した残りだったらどうだろうというのについ何とかなると返事をしてしまった。さらにそれをわずかな隙間にぎゅっと詰め込まれて、5日あれば何とか・・・と言ってみたけど4日でということになってしまった。量が減ったとは言え原稿用紙単位で量ったら60枚はあるんだけど。へたすると2012年の徹夜第1号になりかねないんだけど。夜討ちはまだいいけど、朝駆けはなしにしてほしいなあ。ボケッとしていて墓穴を掘っちゃうじゃないの、んったく。

在日外国人がやっているとあるニュースブログのサイト(ここは日本のテレビニュースの動画クリップが多い)をちょこっとのぞいてみたら、「あちゃ~」と顔に手を当てている日本の総理大臣の写真。世界のメディアは未だに日本の「野田ヨシヒコ」総理大臣の名前をちゃんと覚えていないという話で、欧米の有力新聞までが「ヨシコ・ノダ」と書いているそうな。あちゃ~だな、ほんと。少しばかり斜陽とはいえまだまだ世界有数の経済大国である日本の総理大臣の知名度がそんなものでしかないのか、それともあまりにもくるくる総理大臣が変わるものでジャーナリストたちもきちんと覚える気がないのか。もっとも、日本の毎日新聞の英語版で日本人のコラムニストの記事の英訳でも「ヨシコ・ノダ」になっていたそうだから、日本に住んでいるであろう翻訳者も編集者も間違いに気づかないほど影が薄いということなのか・・・。

さて、今日から「おうちジム」の営業を再開。まずは腹筋運動をして、それからトレッドミルに乗って15分で1マイル(1.6キロ)のスローペース。それでも汗がわっと吹き出す。まあ、ホリディの間は目いっぱい食べて飲んで(仕事をして)、フィットネスの方は休みにしてしまっていたけど、そろそろおなかのぷよぷよ加減が気になって来たから、おうちジムに復帰して緩んだ筋肉を締め直しさないと、2人とも目も当てられなくなるものね。ひょっとしたら早々と徹夜第1号ということになるかもしれないワタシは、しっかりエネルギーを蓄えて、ついでに血の巡りも良くしておかないと仕事の効率が上がらない。効率が上がらないと、しなくてもいい徹夜をする羽目になって、ますますその後の効率が下がる。負のスパイラルというやつかな、これ・・・。

トレッドミルをとことこ走りながらつらつらと考えていたら、ビートルズのポール・マッカートニーが書いた歌がふと頭を過ぎった。「Will you still need me, will you still feed me, when I’m, sixty-four?(64になっても、まだ必要としてくれる?まだご飯を作って食べさせてくれる?)」という、なかなかかわいいラブソングだけど、これをクライアントに宛てたら、何となく「64歳になってもまだ必要としてくれる?まだ仕事をくれて食べさせてくれる?」とラブコールを送っているようにも聞こえる気がするなあ。42歳でこの稼業に足を踏み入れたときはそんなことは考えてもみなかった。もっとも、ワタシにはもうすぐその「64歳」になるという実感が(というか認識が)まだぜ~んぜん
ないんだけど・・・。

徹夜をしなくても良くなった!

1月9日。月曜日。相変わらずぐずぐずの天気。正午起床。あまりよく眠れなかった。早寝をしたと言っても、ちょうど区切りのいいところまで仕事をして、ささっとシステムを落として、オフィスを閉めたから、すぐさまベッドに飛び込んでそのままぐぅ~というわけには行かない。脳みその回線はまだ火花を散らしているわけだし、5日分はある仕事をどうやって4日間に詰め込もうかと考えているとリラックスできなくて寝つきが悪い。でも、ここのところお酒の量を控えているから、我が愛しのレミに頼るわけにも行かないし・・・。

それでも今日はぶっ飛ばさなければと意気込んでオフィスへ。早々と発注書が来ていた。送信時刻は午前7時。日曜日出勤していて、翌月曜日もこんなに早くから出勤かあ。ニューヨークの人にはそんなのはあたりまえなのか、それともこの会社がそういうところなのか、そのあたりは知る由もないけど、コーディネーター同士で下請けの奪い合いをやることもあるのかな。(別の会社でそういうこともあるという話を聞いたことはあるけど、真偽のほどはわからない。)とにかく、既訳部分を外して期限は来週の火曜日。それまでの仕事量を合計してみて、今日からのカレンダーの日付を数えてみたら、あ~あ、やっぱりどうしてもどこかで徹夜が入りそう。ま、後悔は先に立たずなんだけど・・・。

最初に期限が来るファイルを開いて、目を三角に吊り上げてぶっ飛ばしていたら、コーディネーターさんから緊急メール。クライアントから案件のキャンセルが入った、と。まずは、はあぁぁぁ?で、ふぅぅ~。それから、イェ~イ!うっはっはあ!これで徹夜をしなくてもすむぅ!助かったぁ!よくあることではあるけど、発注元に振り回されるコーディネーターさんは大変だな。ワタシの方は、生業の仕事がキャンセルになって欣喜雀躍というのも何だけど、今回は大いにうれしい。何しろ徹夜しなくて良くなったし、金曜日まではまだ押せ押せだけど、それをさらに押せ押せにしなくてもいいし、運が良ければ、週末から先、次の仕事を始めなければならないぎりぎりまで休めるかもしれないし。まあ、日本ではまだ新年が始まったばかりだし、さっそくの三連休が終わったばかりだから、運が良ければ・・・。

何だか急に元気が出て、トレッドミルはルンルンの気分。背筋を伸ばして走っていると一番先にスリムになるのがウエストの上の胃の辺りからわき腹にかけてのぷよぷよ。もっとも、運動をさぼっていると真っ先に緩むのもここで、スカートがきつ目になって来るからすぐにわかる。一方で、おなかの皮下脂肪の方は一度増えたらなかなか減ってくれないから、こっちは腹筋体操で対処することになるけど、立っているときに背筋を伸ばして、意識的に腹筋をぐっと締めていると少しは効果があるような気もする。背筋をすっと伸ばしていると胸郭が広がって呼吸量も増えるし、背が伸びたようでちょっと若々しく見えそうだし、もしかしたらちょっぴり上品に見えるかもしれないし、一石何鳥なんだか知らないけど、いいこと尽くめ。何よりも健康にいいし・・・。

運動の後はシャワーでさっぱりして、さて、夕食。きゅうりうおのパックを解凍してあったので、冷蔵庫にあった残り物のトマトのパサタ、ちょっとくたびれたししとう、コリアンダー、しいたけで、即席に「きゅうりうおのタイ風トマト煮」。刻んだコリアンダーを混ぜたメコンの花米を添えてみたら、意外と良くできていた。後は、コーヒーもジュースも野菜類もトイレットペーパーも底を尽きそうだから、盛大に買出しに行って来ないと。うん、縦書きのお役所文学のやりにくそうな仕事、キャンセルされてラッキー!

寄る年波というのはやっぱり手ごわい

1月14日。土曜日。午前11時ちょっと前に目が覚めたら、外は明るいようす。耳を澄ましても、シャベルが歩道を引っかくような音がしないので、雪は積もっていないと判断してまたうとうと。正午を過ぎて起きてみたら、案の定、車道も歩道も雪はすっかり消えていた。ほっ。

きのうは、北極の寒気が降りてきたということで降雪注意報が出て、ニュースは「大変だ、大変だ」と、まるでチキンリトルの「お空が落っこちて来るぅ!」に似ていなくもない大騒ぎ。(2008年から9年にかけてのドカ雪がまだトラウマになっているらしい。)夜になって降り始めた雨が夜半になって雪に変わって、地面が白くなり始めたけど、午前3時頃には気温が上がって来たのか、ぼたん雪なんてもんじゃない。直径が2、3センチもありそうなでっかい雪ひらが窓にベタッ。そのうちにボテッ、ボテッと地面に落ちる音が聞えるんじゃないかと思ったくらい。

いやあ、それにしてもこの4日間というもの、我ながらよくがんばったと思う。昼ごろ起きて朝食を済ませたら、すぐ仕事。夕方になったら夕食の支度をして食べて、また仕事。真夜中のランチを食べて、また仕事。ちょこっと寝酒をしてリラックスして、就寝午前4時。まあ、まっじめに1日8時間勤務で仕事をしたような気がする。おかげで大きな仕事を納期に間に合わせることができて、次の中くらいの仕事も1日半はかかる量をきのう1日ぶっ飛ばして納期に間に合って完了。ああ、くたびれた。もっとも、その間に「徹夜してでもやりたい」と手を上げた大きな訴訟資料の仕事がどんどん増えて、とうとう2月の後半までいっぱいになってしまったから、ひと休みは今日と明日だけで、月曜日からはまたねじり鉢巻を締め直さないとね。

でも、何だかすご~く久しぶりに仕事に没頭したという感じがした。フリーランスとして旗揚げしたのが1990年の2月1日。振り返ると、のっけからアメリカでの大きな訴訟の資料を英訳する仕事があって、いきなり月月火水木金金の営業体制。そのままY2Kの到来と共に燃え尽きるまで、家事も100%負担しながらがむしゃらに仕事をした10年。着て行くシャツがない!とカレシに怒鳴られて、夜中過ぎに半泣きでアイロンかけをしたこともあったな。どんなに遅くまで仕事をしても、朝は6時半に起きてカレシのお弁当を作っていた。日本から買って来たお弁当箱に、日本の奥さんが作るようなお弁当を作って詰めていたっけ。その間カレシはベースメントに下りて行って体操をしていた。だから、その体操の時間を日本のオンナノコたちとの歯の浮くようなチャットに費やすようになったときはすごいショックだったのかもしれないな。

あの10年間、ワタシはいったい何を考えていたんだろうな。会社勤めと違って、フリーランスは仕事をすればするほどお金が入って来る。(もちろん、仕事がなければお金は入って来ない。)ワタシの毎月の財務諸表を見ては、「この調子だと、ボクは早く引退できるなあ」と言うカレシのにこにこ顔を見るのがすごくうれしかった。ひょっとしたら、ワタシの心のどこかに「アジアから来た嫁」という引け目のようなものがあったのかな。それとも、何となく遠い存在のように感じていたカレシの歓心を買おうとしていたのかな。(あのニコニコ顔の裏で嫉妬や嫌悪感が育っていたなんて想像もしなかったな。)それとも、カレシと一緒に暮らし始めたばかりの頃に「ボクに何かあっても自分で生活して行けるでしょ?」と言われたもので、経済的に自立しなければと人一倍の気張りがあったのかな。何を考えていたのか、今では自分でもよくわからない。

いずれにしても、あの頃はこんなしっちゃかめっちゃかな働き方をおかしいとも、辛いとも思わなかった。今になって考えると、やっぱりおかしいな。でも、あの頃はおかしいことをおかしいと思わない精神状態に陥っていたんだろうな。まあ、ワタシってあんがい負けず嫌いで、窮すればライオンにだって噛み付くところがあるんだけど、そこがモラハラの陰湿なところで、どんなに強気の人間でもだんだんに自分の意志に反して相手の言動に合わせて考えるようになってしまうということなんだろうな。そんな中で、人生最大の嵐の最中でも仕事にしがみついていられたのは、元々生存意欲が強かったということなのか。

それでも、今はあの頃ではなくなったんだと実感しながらのガリ勉ならぬガリ勤ではあったけど、やっぱり時間の流れにだけは勝てないなあ。家事なんか食べることに関する以外はろくすっぽやらないのに、4日間の猛ダッシュは少々きつかった。うん、徹夜をしなくても良かったのは、もうそんな年じゃないんだからという、神さまの思し召しだったんだな、きっと・・・。

大汗をかいたつかの間の休み

1月15日。日曜日。ゆうべは盛大にあられが降ったり、雪がちらついていたりしたけど、起きてみたらまたいい天気。予報では次の週末までは冷え込んで、雪/雨/雪交じりの雨が降るんだとか・・・。

休みと決めたこの週末、土曜日のきのうはカレシの「オフィス」の模様替えの手伝い。ワタシの後ろにある本箱を長方形の部屋の長辺の反対側に移して、今まで仮にそこにおいていた新しい方のコンピュータをデスクごと本棚のあとに持って来るという、一見して簡単そうなプロジェクトだけど、本棚はIKEAの天井まで届く大きなもので、空っぽだからと言ってひとりで動かせるしろものではない。それをワタシが仕事に没頭していた4日の間にカレシが自分でやると言い出したのを、人が必死で仕事をしているすぐ後ろでどたばたと家具の移動をやられるのはメイワク以外の何ものでもないので、手伝うからという条件で延期してもらったのだった。

案の定、頑丈にできている本箱は相当の重量があるから、2人がかりでも、滑るようにカーペットの床に段ボール紙をしいて、そろりそろりと動かすのがやっと。何とか一時的に置く場所まで動かしたら、今度はコンピュータデスクを移動。これはキャスターがついているから楽々。そのあとに所定に位置までそろそろと本棚を動かして、こっちはまず完了。コンピュータデスクの方は八角塔の壁なので直角になっていないから、どうも収まりが悪い。結局、ワタシのオフィスから壁沿いにひとつなぎになっているデスクの2人のスペースの境界の角に置いてあったプリンタの向きを90度変えて、操作パネルはワタシの側からアクセスするように変更。その角にコンピュータデスクを付けて、ぽつんと立っていたワタシの(同じIKEAの)本箱を2人でえんやこらと押してコンピュータデスクと並べて、どうやら収まりがついた。(ずいぶん広くなって見える。)

次は、カレシのデスクの下に取り付けてあったキーボードトレイを外して、ワタシが15年使ったハーマンミラー製のキーボード/ラップトップ用スタンドに切り替える作業。自動車修理工のようにデスクの下にもぐり、ねじ回しで何本もねじを外して・・・最後のねじを外したところで、重たい金属のトレイが突然落下して、ワタシの口にガツン!幸い上唇のすぐ上にごく浅い切り傷ができただけで歯が折れなかったのは、ほぼ座った体勢だったので、唇そのものが前歯の上を滑ってクッションになったんだろうな。トレイを運び出したカレシが、「こんな重いものが当たって歯が折れなかったのは奇跡だ」と感心していたけど、うん、まったくワタシって運のいい人だよね。

きのうの真夜中のランチはカレシが作った「ガスパッチョ・ドレッシング」を利用した「スパゲティのガスパッチョソース」。水曜日にカレシが「忙しそうだからボクが夕食を作る」と言って、本をひっくり返して見つけたレシピと写真を見ながらディナーサラダ↓を作ってくれた。

[写真] ニース風サラダとガスパッチョドレッシング」と言うんだそうで、お皿の手前のオレンジ色のソースがそのドレッシング。レシピの通りに作ったらボウルにいっぱいできてしまった。(野菜の方はレシピの分量では少なすぎたので、発芽玄米を炊いてトーストした松の実とマカダミアナッツ、バター炒めしたシャンテレルきのことマッシュルームを混ぜ込んで補足。)そのドレッシングがまたやたらとおいしかったもので、残りを翌日にルイジアナの唐辛子ソースをちょっと加えて温めたものをオヒョウのソースに使い、ゆうべは赤ピーマン、にんにく、玉ねぎを炒めて唐辛子ソースを加えたものと合わせ、赤ワインで緩めてパスタソースにしてみたら、どれもなかなかいける味。すっかり気を良くしたカレシは「ソース・シェフ」を目指すと宣言。まあ、ドレッシングもソースのうちだから、作りすぎてしまったら、いろいろと利用法を考えてみるからね~。

休みの2日目はまたも大工仕事。ワタシが奥の小部屋に置いていた開き戸式の小さい収納ボックスを、カレシが自分のデスクの上の幅が同じ壁に取り付けたいと言っていた。我が家では実際に棚の類を取り付けるのはワタシなんだけど、今日はきのうの勢いのついで。ワークショップから使い残しの棚受けや道具の類を持って来て、さあ、どの高さがいい?カレシが想像のボックスに手を伸ばして「取っ手がこのあたり」というところに鉛筆で印を付け、カレシがコンピュータをいじっているそばで、まずは一方の端の棚受けを取り付け、もう一方の端の棚受けは、長い物さしを渡して水準器で水平線を決めてから、取り付け。その上にボックスを載せて固定し、中から上の方を後ろの壁に固定して、作業完了。ねじを締めるのに力が要る以外は簡単な作業なんだけどなあ・・・。

でも、このボックスはワタシが札幌で勤めていた20代の初めの頃に給料を注ぎ込んで三越から買って来たユニット本棚の一部で、本棚一式は嫁入り道具代わりに遥々カナダまで持って来て、引越しするたびに解体と組立てを繰り返しながら37年も使って来たものだから、言うなれば我が家の「重要文化財」といったところかなあ。同じ年数を連れ添って来たカレシと同じで、捨てられないよね、今さら・・・。