リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年5月~その2

2009年05月31日 | 昔語り(2006~2013)
ゴールデンウィークエンド

5月16日。まあ、いろいろな懸案も大体がそれなりに片付いた感じで、土曜日になった。ジャンボ仕事の納期まであと1週間。3割くらい進んだかな。「休養してくださいとは言いましたけど・・・」とねじ込まれた仕事もあるから、大丈夫なのかなあ。ま、詰まってしまったらそれはまたそのとき・・・

イアンから双子の洗礼式の写真が送られてきた。カメラに向かってにっこりの極楽とんぼの横のカレシは横を向いている。そっか、ブライアンと話に夢中でカメラに気がつかなかったんだな。目の下のたるみをさして、「老けて見えるなあ」とちょっと不服そうな顔。いやいや、ひと昔前の「狂乱時代」の写真の老けっぷりに比べたら、今の方がずっとずっと若く見えるってば。ほんとだよ・・・少なくともとんぼの目にはね。

双子はやっぱりかわいいなあ。でも、二人並んだ写真でよくよく見比べてみると、一見して白人顔のジュリアンの方が何となくパパに似ているようで、一見してアジア人顔のマテオの方が何となくママに似ているようにも見える。まあ、二人の子供なんだからあたりまえの話だけど、ふとカレシととんぼの間の子供はどんな顔をしていただろうかなあと想像してみた。う~ん、想像がつかないのだ、これが。いつだったかトロントの科学館で二人の顔から子供の顔を合成する機械があって、面白半分で試してみたら、「二人の子供」はえ?え?え?というくらいのヘンな顔だったもので、顔を見合わせて「子供ができなくて良かったねえ」。まあ、自分の子供なら、二人に少しずつ似ていたらそれでいいと思うけどなあ。このあたりではミックスとわかる子供を連れた日本人ママにたとえほんとうでも「ママに似ている」と言ったら速攻で縁を切られるらしいけど、どうしてだろう。

今日からビクトリアデイの三連休。ふつうはみんないっせいに庭仕事に出るので園芸センターが混む週末なんだけど、今年はまだどうしてもそんな気候には思えない。だけど、本格的な春になって最初の三連休だから、バンクーバー島へのフェリーは何便待ちになっているやら。アメリカとの国境は長い、長い車の列で越えるのになんと3時間待ちとか。あのさあ、ふつうならシアトルまでせいぜい2時間でしょうが。てことは、シアトルまで行くのに5時間もかかってしまうってこと?やだ、やだ・・・。

まあ、カナダドルがだいぶ上がってきたし、何よりもアメリカ側の店はカナダに比べて品揃えがずっと豊富。おまけに48時間以上滞在して帰ってくるときの免税額が一挙に倍の400ドルになったもので、不景気もなんのそので、みんなどっと越境ショッピングに出かけたんだろうな。日曜の夜にはカナダ側の検問所に長蛇の列ができるだろうな。三連休で国境に長蛇の列ができるのは日本のゴールデンウィークの高速道路の渋滞と同じようなもので、人間の考えることは似たり寄ったりということか。カレシは「ひとり400ドルかあ。よっし、来週の週末はひとっ走りシアトルまで行こう」。え、きのうは久しぶりに親友のエイドリアンとロリーンに会いにビクトリアに行こうかって言ってなかった?はあ・・・

怖いのはパンデモニアム

5月17日。びっくり、びっくり。ニュースを見るたびに数が増えるからびっくり。日本での新型インフルエンザの話。バンクーバー周辺では過去3週間で確認数が65人だけど、日本ではたった2日くらいでどっと100人近く。まさかウィルスが日本に潜り込んだとたんに感染力を強めたなんてことはないだろうな。ニュースをよく読んでみると、1週間も前からインフルエンザで休む人が増えていたのに、「海外渡航歴」がないからということで保健当局があっさり「季節性」と判断したらしい。さらによく読むと、政府のお達しでも「海外渡航歴」が診断の指針?になっていたそうな。つまりは「外国から持ち込まれる悪疫」という先入観に囚われてしまって、空港であれだけのものものしい検疫をやっているんだから、海外と接触さえしなければ大丈夫ということだったのかな。ようするにいわれのない安心感。あほか・・・。

聞くところによると、新型インフルエンザでは3割の感染者が熱を出さなかったんだそうな。つまりは、海外から到着した人間に1台300万円もするサーモグラフを突きつけてみても熱のない感染者は捕まえられないということ。第一、飛行機の中の空気は循環しているんだし、乗っている人間もトイレに行ったり、運動したりで歩き回るし、マスクをしたって飲み食いのときは外すわけで、全員が濃厚接触者ということになるんじゃないのかな。だったら、患者の発生国から飛行機が到着するたびに乗員乗客全員を1週間隔離して徹底検査するくらいでないと、「水際作戦」なんて所詮はスイスチーズみたいなもの。それにしてもあの重装備の検疫風景、海外でパロディまで作られているの、日本国政府は知っているのかな。「お空が落っこちて来る!」と、knee-jerk reactionで端っから伝家の宝刀を抜いて上段に振りかぶってしまうと、実際に空が落ちてきたときにはもう後がないんじゃないかなあ。

ここは行政が知恵を絞って柔軟にことに当たらないと、何から何までが自粛、縮小、禁止になって、最後的には経済的な自殺行為になりかねない。英語サイトのコメントに「弱毒性のインフルエンザでこの騒ぎなんだから、これがエボラ熱か何かだったら日本はそれこそ内部崩壊するだろう」というのがあったけど、外野席から見ているとさもありなんと思ってしまう。パンデミックより怖いもの、それは「パンデモニアム」。よけいなお世話かもしれないけど、政府も国民ももう少し視野を広げて事にあたった方がよくはないのかなあ。

ローストガーリック

5月18日。三連休の最終日の月曜日。しずかな、しずかな・・・ま、極楽とんぼには洗濯機を回しながら仕事、仕事、カレシは庭仕事にリサイクル品のまとめに精勤の一日。こんな平穏な日は10年前には想像するどころか願うことさえできなかったなあ。10年いっしょに年をとりながらいっしょに手探りしてやってきたんだよねえ。

いつのビクトリアデイもそうなんだけど、連休中は海でも山でも道路でも事故、事故、事故。飲酒がらみの事故がとにかく多い。なにしろ風薫る5月だもんなあ。やっとのことで来る日も来日も薄ら暗くて、雨ばっかり降る長い雨期を抜けて、み~んなそれっとばかりに待ち焦がれていたアウトドアシーズンに飛び出すわけだから、待ちあぐねて気が急いているのと開放感とでついバカな冒険をしてしまうのもわからないではないんだけど。人間というのはしょうがないもので、毎年「悲劇」が繰り返される。

暑いくらいの好天だったきのうの日曜日。久しぶりに分厚いステーキをグリルして、ワインを開けての盛大なディナー。夜になってもうれつに汗が吹き出してきた。うわ~とにかく暑い。と思ってそばのカレシを見たら、あら、額に汗が光っている。「暑いねえ、なんか」。「うん、暑い。エアコンの準備をしておけばよかったなあ」。そういえば、いつもなら暑がり屋のカレシのために、5月の初めにはエアコンの電源を入れて、寝る前にベッドルームを冷やしているはずなんだけど、今年はまだ電源さえ入れていないなあ。地球温暖化ってどこの惑星の話?

汗をかいたから風呂に入ろうということになって、はたと思い当たったのが、ガーリック。そうなんだ、ひと玉のガーリックをローストして、バターのようにステーキに塗って食べたんだった。二人で丸々ひと玉平らげたわけで、そりゃあ体内原子炉が過熱してもおかしくない。ローストしたガーリックはほんとうにバターのようにとろっとして甘みが出るし、息も臭くならない。レストランではよく使われる食材なんだけど、家で素焼きのロースターを使って作ろうとすると手間がかかるし、ホイルに包んで焼いてみてもあまりいい結果が出ない。

そんなときに通販カタログで見つけたのが電気ガーリックロースター。オリーブ油と調味料を入れた焼き皿に頭を切り落としたガーリックの玉を逆さにおいて、水で濡らした素焼きのリングを底に入れたロースターにセット。蓋をしてスイッチを入れると、30分ほどでローストガーリックのできあがり。とろりとした実を薄皮からしぼりだして、用途はいろいろ。ふつうのサイズなら5個くらいはまとめてローストできるけど、いくらおいしいからといってそんなにたくさん食べたら体内原子炉が溶解してしまうかも。(冷凍は可能)

[写真] キッチンの新しい人気者、ガーリックロースター

裏口から来たウィルス

5月19日。雨のはずがいい天気。まあ、仕事の予定が胸突き八丁に来ているから、晴れても降っても関係ないんだけど、バンクーバーっ子は天気の話をするのが好きなところがある。過去70年間で降雨量が20%も増え、しかも秋口と春先に多くなっているというニュースがあった。ふむ、気候変動の証拠なんだろうけど、あんまり降るようになるとゴムボートを備えておかなければならないかも。

日本の新型インフルエンザは案の定どんどん感染者が増えている。聞くところによると、空港でのあのSF映画さながらの検疫はメキシコ、アメリカ、カナダから到着する便だけに限られていたらしい。海外からの到着便を全部調べているのかと思っていたから、お口あんぐり。水際作戦でウィルスの侵入(侵略?)を防ぐ!と意気込んだのはいいとしても、毎日すごい数の人間が世界を飛び回っていて、しかもどこへ行くにも「直行便」を見つけるのが難しくなりつつあるご時世だってことを知らなかったのかな。政府が「日本はこんなにやってるんだぞ」と誇示するためのメディアイベントで気をよくしている間に、開けっ放しの裏口からウィルスが入ってきたのに気がつかなかったということだろうな。

学校が休みになってひまをもてあました高校生たちがカラオケに殺到したり、盛り場に繰り出しているという話がBBCやワシントンポストで報じられた。アメリカでは学校を閉鎖した後でも感染は減らなかったというデータがある。まあ、どこの国でも十代というのは群れを作る習性があるから、学校があろうとなかろうとどこへ行っても常に「濃厚接触」だものね。キミたちさあ、カラオケボックスみたいな閉鎖空間に何人もで集まって、唾を飛ばしてわいわい騒いでいたらかえってヤバいんじゃないかと思うんだけどなあ。

日本の今年第1四半期の実質GDPが年率にしてなんと15%以上も収縮したんだそうな。これは世界の金融危機と不況による輸出不振と消費の減少と円高によるもので、新型インフルエンザが発生する前の数字。英語サイトに、「海外」での新型インフルエンザ拡大は第2四半期の日本の実質GDPを0.4%下げる効果があるという記事が載っていた。「海外」での蔓延でそれだけの影響があるとしたら、「国内」で蔓延したときのGDPへの打撃はいったいどれだけのものになるんだろうな。なんかウィルスよりもそっちの方が怖いような。

NHKのサイトを見ていたら、まだ感染者の出ていない岡山では、熱も何もないのに病院に行って「感染していないことの証明書」を求める人たちが相次いだそうな。勤め先から「証明がなければ出社するな」と言われたという。どこの企業か知らないけれど、これにもお口あんぐり。これも自分のところから感染者を出したら世間様に申し訳が立たない(悪者になりたくない)という心理なんだろうけど、そうやって健康な勤め人がどっと病院に押しかけたら医療体制はパンクして、肝心の患者の治療さえおぼつかない困った状態になるだろうに。まあ、良きにつけ悪しきにつけ、見ていておもしろい人たちがいるところだよなあ・・・

病気のしかたを知らない人

5月20日。きのうずいぶん張り切ったおかげでジャンボ仕事もトンネルの出口から薄明かりがさしてきた。この週末はひと休みできそう。今日一日がんばって、あしたとあさってで仕上げして、完了!と意気込んで作業開始。そんなときに電話が鳴る。ドクターのオフィスから呼び出し。ああ、検査で何かひっかかったんだ。その場で金曜日に予約を入れたけど、「仕事があるからついて行けないよ」と言ったら、即「気になるから」と明日に予約変更。付き添いなんかいらないじゃないかと思うけど、不安症のカレシはもはや「もやもやムード」一色で、明日の夜の英語教室もキャンセル。

「またいろんな検査をするんだよ~。ボクは検査がいやなんだよ~」と駄々をこねるカレシ。あのさあ、何か病気があるなら、検査をしてそれを突き止めて、相応の治療をして治すのが筋道じゃないかと思うんだけど。病気が見つかるのが怖いから検査がきらいだなんて本末転倒じゃないの。といっても、カレシの不安は治まるものではないから、うろうろ、ためいき、うろうろ、ためいき。困ったねえ。大きな病気をしたことがない人は病気のしかたを知らないんだろうねえ、と言ったら、「知りたくもない!」と。まあ、知らずに済めば人生めっけものだけどなあ・・・

というわけで、やる気満々だった仕事のペースが狂ってしまった。こりゃあ徹夜も視野に入れとかないと。もちろん、極楽とんぼだってすごく気になる。確かにドクターからお呼びがかかるということは何か問題があるってこと。だけど、まだほんとに空が落っこちてくるのかどうかわかっていない時点ではおろおろしてもエネルギーのむだ。はっきりしたところでどうするか、どんな選択肢があるか、どうしたいかを考えればいい。これはあんがい経験値のようなものなのかもしれない。いつも危機に遭遇した時に人の本性が現れると言うんだけど、これが昔のカレシならキレまくるしかなかっただろうな。今のカレシは昔のカレシとはずっと違う。あんまり落ち込まないようにうんとお母さんハグしてあげようっと。

病気の話のついでに、ひとつ気がついた不思議なこと。朝日新聞がやたらと「マスク過信は禁物」とかマスク着用は「海外ではまばら」とかいう記事を載せ始めた。マスクが品薄になって、かっての「トイレットペーパー騒動」のようなパニックが起こるのを警戒し始めたのかな。これまではどこを見ても「マスク、マスク」の連呼だったのに、今頃になって手のひらを返したように海外の対策例だの学者の意見だのを持ち出して、暗にマスクを「しない」ことを勧めるようなことを言ってもなあ。引用されていた某保健所長の言葉は「日本では自分をどう守るかということが強調されがちだが、欧米では感染源にならないためにはどうするか、というほうに比重が置かれている」。う~ん、マスク信仰の大衆に信じてもらえるのかな。

マスクの海のような光景を見てふとわいた疑問 ― あのマスクは使い捨て?それとも何度も使うの?何日くらい使うの?洗濯はできるの?人間の呼吸は湿り気があって温かい。子供の頃に自分の息の湿り気でぐしょっとなったマスクが気持悪くて大嫌いだった。あの頃はガーゼでできていたから今は違うのかもしれないけど、吐き出した湿った温かい空気がマスクにしみ込んで、いろんな細菌が増殖する温床にならないんだろうか。長時間そのマスクを通じて息を吸い込み続けていても大丈夫なのかな。病原菌はウィルスだけじゃないわけだから・・・

ドクター・マーの医術

5月21日。普通に起きて、普通に朝食をとって、カレシはドクターのところへ出かけた。何が飛び出すかわからないけど、いろいろ考えたところでは「糖尿病」が第一候補。そこはしろうと診断のやっかいなところで、そうとめぼしを付けるとどんどんそれらしい症状に思い当たってしまう。そうえいばああだった、こうだったと数え上げて、糖尿病なら自分でコントロールできるから、まあ、いいかとなる。うん、ようするに食事療法ね。

今日は早々と翻訳部分を片づけて、仕上げの見直しにかからなければならない。残るは日本の原稿用紙に換算すると10枚以下。なにしろお役所的な文書で、主語らしいものがないから、「する必要がある」の羅列にしてはいったい誰がやるのか、その主体がまったく不明。文脈から判断をつけるしかないんだけど、なるほど、日本語ってのは官僚たちには実に便利な言語。まあ、大変なのはそれからで、元々原稿用紙100枚近い量だから、見直しと文章の磨き上げにゆうに2日はかかる。オーストラリアで羊の相手をしながら待っている編集者への送信期限は土曜日の午前7時。ふ~ん、徹夜になるのかなあ・・・

二時間ほどして帰ってきたカレシ、「マー先生にはいつもびっくりさせられるよなあ」と第一声。ふむ、しょぼっているようには聞こえないから、とりあえずは「深刻な病気」ではないらしい。びっくりと言うところを見ると糖尿病でもなかったらしい。忙しいと言うのに、「キミにもかかわることなんだよねえ」と気をもませる。ええ?ぎょっとさせるなあ。でも、聞いてみると、マー先生の診断はなんと「高コレステロールの高血圧」。ええ?カレシはいつも低血圧気味だったのに。まあ、高血圧は境界域だそうだけど、コレステロール値が高すぎということで、100日分の薬の処方箋をもらってきた。遺伝的な要素もあるらしく、カレシの次弟のジムはもう何年も薬を飲んでいる。

極楽とんぼにもかかわることと言ったのは、さっそく食事療法を始めなさいと言われたからで、赤身の肉は月1回くらいにして、魚をたくさん食べること。なんだ、それくらいは大した影響じゃないな。アルコールはワイン以外は控えること。それって、食前のマティニはだめってこと?でも、ワインはOKというなら、さっそくど~んと仕入れて来ようじゃないの。HマートやIGAに行ってグルメの魚を買い込んで、シーフードのグルメ三昧と行こうじゃないの。それにしても、食事療法の情報シートをよく読んでみると、それほど我が家の普通の食事と変わらない。ということは、やっぱりアルコールが元凶なんだろう。この数年二人してよく飲んだもんねえ。てことは、極楽とんぼも調べてもらった方がいいのかなあ。食事療法だって二人いっしょなら楽ちんだし・・・。

それにしても、診てもらいに行ったこととはまったく別の診断。念のための梅毒検査はおとりにすぎなかったんだろうけど、そこがマー先生の医術で、いつもながら思わぬ結果にびっくりさせられる。梅毒なんて、そんな可能性は「限りなく」ゼロだよね。でも、「限りなく」ということは決して「ゼロ」ではないし、ゼロだと思うことはできなかった。カレシが信頼を取り戻そうとどんなに努力しても、最後の1%は戻って来ないのかもしれない。その1%はどんなに努力しても決して癒えることがないかもしれない私の1%でもある。ひょっとしたらマー先生がとっくの昔にこれもライフスタイル病の一種だから「向き合い療法」でコントロールして行けると診断していたのかもしれない・・・。

夜勤明けみたいな・・・

5月23日。ふうう、やった、やった。納品前の校正が完了したのは期限まであと2時間を残した午前5時。仕上がりはWordファイルにして48ページ、英語の単語数で約16,000語。もっと早くから始めておけばよかったと後悔しても遅すぎるか。後続編はこの倍の量があるから、スケジュール管理を強化しないとなあ。もっともクライアントは翻訳や編集の下請が世界中に散らばっているために日本時間の午後11時を納品の「標準時」にしているだけのことで、オフィスで誰かが待っているわけではないけど、オーストラリアにいる編集者は午前4時に起きて昼まで仕事をするというし、とにかくも期限は期限。それに、今回は(午後いっぱいの作業は別として)せいぜい2時間の「残業」で済んだわけだし(と、またぐうたらしてあわてそうな展望・・・)。

カレシが気持よさそうにいびきをかいているベッドに入ったのが午前5時半。アドレナリン過剰なもので、ちょっと一杯でスローダウンしてから・・・と思ったけど、外はすでに朝日が昇っていて、鳥の声がやかましいくらい。まあ、日が昇ってから寝るのに寝酒も何もあったもんじゃないよなあ、と思ってあきらめることにした。あ~あ、極上のコニャックをの~んびりと味わいたい!

正午に起床。買い物のパートⅠはまず薬局。処方された「リピトール」というコレステロール値を下げる薬、百日分で250ドル、ざっと2万円というところか。「オレ、こんな薬に一生金をかけたくないよ」とカレシ。うん、食事に気をつけて運動をすればたぶんいらなくなるんだろうと思う。だけど、そういいながらも。いつものように医療制度がああだこうだ、何がああだこうだ、あれがああだこうだと、うるさいことはなはだしい。何しろ体重は標準域なもので、カロリーを減らしたらやせてしまうだのなんだのとぶつぶつ(おなかのあたりはちょっとばかり「ポーニョポニョ」だけどね)。はいはい、コレステロールに注意集中ね。次は青果屋で野菜と果物を大量仕入れ。野菜ジュースを作ると言うのにんじんもどっさり。あまり買い込みすぎて冷蔵庫がパンク状態・・・。

それにしてもうるさいなあ、キミ。あのさ、料理をするのは極楽とんぼなんだけど。つまりはカレシの生殺与奪権を握ってるってことで、いい子にしてないと、高カロリー、高コレステロール、高塩分のグルメディナーを食べさせちゃうからね。でも、本屋に行って「ジャパニーズクッキング」みたいな料理本を探して来ようかなあ。そういう「えせ日本食」なら極楽とんぼにも作れる。穀類はいいというからどうかと聞いてみたら、白いご飯は好きじゃないけど、味のついたご飯(つまり、炊き込みご飯)ならいいという。なんだ、なんだ、そのあたりならとんぼも同じ。ならばと、さっそく母が持っていた古い炊き込みご飯の本を引っ張り出してきた。ふむ、嫁入り道具のサンヨー電気釜の出番が増えるかな。まあ、カレシは6週間まじめに食事療法と禁酒(食事時のワイン1杯のみ)でコレステロール値を下げてみせると意気込んでいるけど、さて・・・。

魚重点の食事療法第1日目のきのうは納期が差し迫る中で、松茸ご飯、サーモンとまぐろの刺身、フィドルヘッド(ぜんまいの一種)の煮びたしで済ませた。ところが真夜中のランチの時間になって、できあいの海老天を温めたら、またコレステロールがどうのこうのうるさいから、3分の1だけあげたら「足りないからカップヌードルを食べる」と。あのさあ、カップヌードルの方がカロリーも塩分もすごいんだけどねえ・・・。今日の夕食はおひょうのホイル蒸し。蒸したフィドルヘッドを軽く米酢で酢のものにして添えてみたらおいしいかった。ふむ、「創作えせ日本料理」に凝ってみるのもおもしろそうだなあ。

海鮮料理専門店開業?

5月24日。日曜日。まるで初夏のようないい天気なのに、なんだかくたびれている。そりゃそうだろうなあ、仕事に追いまくられているところへして、カレシのコレステロール対策がなんだかんだとストレスになって来ているような感じがする。何を言っても「だけど、だけど」を連発して反論しなければ気がすまない御仁なもので、さすがの極楽とんぼもしまいには「だったら自分で情報を探して、自分で考えて、自分で対策を決めなさい!」。ほんとに男って、「いざ」というときになるとどうしてこうも手がかかるんだろうなあ、もう。ストレスになっちゃうよ~。とんぼの血圧まで上がっちゃうよ~。

まあ、それでもカレシは(ああだこうだと大騒ぎしながらも)けっこうまじめに食事療法をやっているから感心。お酒は夕食にワインを1杯だけ。(それでも、とんぼのお抱えバーテン業務は継続して、ちゃんと夕食時にマティニ、ランチの時に注文のカクテルをを作ってくれる。ありがとうね。)だいぶサボりっぱなしだったトレッドミルも早歩きから始めて毎日ちゃんとやっている。(おかげで、2月の旅行以来仕事に埋もれていることを口実にしてサボっていたとんぼもつられて再開。ありがとうね。)うまく行ったら、カレシだけじゃなくてとんぼまでヘルシーになりそうだから、いいか。

お出かけディナーはホテルにあるレストラン「Yew」。極楽とんぼはさっそく「アルゼンチン特集」のカクテルメニューで見つけたピスコサワー。カレシは「ボクは飲めないから」と殊勝な顔。ホタテのセヴィチェにメインはオヒョウで飲み物はミネラルウォーター。とんぼはコーンと黒豆のスープにラムで、それぞれに白と赤のワイン付き。そうなんだ、おでかけすれば別々に料理を注文できるから、とんぼは肉にありつけるし、いいレストランはいい魚料理が必ずあるから、カレシは魚を食べられる。そっか、そっか。肉を食べたくなったら、「どっかでディナーしようよ~」と呪文を唱えればいいってことだな、うん。

おなかがいっぱいになったところで、魚類を仕入れにHマートへ。午後8時を過ぎてもまだ日があるから半袖1枚で十分。肩丸出しのタンクトップにショーツで闊歩している女性もかなりいるけど、明らかに日本人とわかる若い女性たちは中途半端なタイツみたいなものを履いて、ごちゃごちゃ重ね着した上に首から何枚もマフラーをかけるといういでたち。陰で「ホームレススタイル」と評する人たちもいることを知っているのかどうか。けっこうな数ということは、日本ではやっているファッションなんだろうな。暑くないのかなあ。(そういえば去年かおととしの今頃は毛皮のようなふわふわした縁取りのフード付のコートが流行っていたような。)

Hマートでは肉の売り場は無視して、きはだまぐろにしろまぐろ、刺身用の鮭に生のさば。ん?自分でさばを料理したことってあったかなあ。普通のスーパーでは売っていないからないだろうなあ。料理の本をひっくり返してみればなんとかなるだろうけど、まあ、ちょっと冒険のつもりで行こうっと。フリーザーの中には丸ごとの大きなはまちが2本あった。頭と尻尾がないけど、ゆうに50センチはあって、値段をみたら1万5千円くらい。いったい何個くらい握り寿司ができるかな。それより、あんな大きなのを買ってどうするんだろうなあ。まあ、見ているだけでもてあまして、次の買い物はカレシが大好きな魚のソーセージ。ついでに冷凍のおでんセットも買ってみた。ランチ用には冷凍のたこ焼き!

帰り着いてフリーザーの中をかき回すことしきりで、ビーフやラムは底のバスケットに移して、魚類を上のバスケットに移動。そこいらのスーパーよりも品揃え豊富かもしれないな。しばらくは魚料理の徹底研究にのめり込んでみるか・・・

メタボじゃないと言うけれど

5月25日。なんかきのうは猛烈に疲れた気分になって、しばらくぶりにレミを引っかけて寝たのに、いつまでたっても寝つけない。おかげで朝からなんとなくピンボケ。それでも、納期が差し迫っていないのをいいことに、まずはグラヴラックスの仕込み。砂糖と塩とディルとウォッカで大西洋の鮭をしめると、ちょっとスモークしていないスモークサーモンのような味わいに仕上がる。カレシに庭からひとつかみのディルを取ってきてもらって、数分で仕込み完了。

きのうは「オレのコレステロール値は数年前だったら正常だった数字。いつのまにか基準が下がったのは、それを決めた委員会のほとんどが製薬会社の人間だったからで、これは薬を売るための陰謀だ!オレは不要な薬を飲まされているんだ!副作用が出たらどうしてくれるんだ!」と1日中ぐちぐち。そのくせ、「じゃあ、必要がないなら薬はやめたら?」と言うと「いや、やめない」。はああ。でも、今日は過去数年コレステロール値を下げる薬を飲んでいる弟に電話していろいろと話を聞いたらしい。今度は、「これは老化現象でもあるんだよ。ジムは友達のほとんどが同じ薬の厄介になっているんだって。キミも更年期を過ぎてるんだから、調べてもらって来いよ」。う~ん、風向きが変わってきたような・・・

まあ、ネガティブな精神性は自分のエネルギーを浪費して、ポジティブな人のエネルギーまで吸い取ってしまうから困りもの。それに、あれこれと人にやれ、やるなと言われても、「論拠」がないと拒否する人だから、ググッたり、いろんな人にきいたりして、自分が納得して折り合いを付けるのが、ポジティブに向かう方法なのかもしれない。夕食後にいつものように居眠りしないでコンピュータの前に張り付いていたと思ったら、「オレのBMIは23.5で、ぜんぜん肥満なんかじゃない」。ついでに極楽とんぼの体重まで聞き出して(女性に聞くことか!)、「おお、21.5だ」。あのさあ、なんか楽しそうでいいんだけど、もう次に仕事がずらっと並んでいるんだから、手に余るストレスはなしにしてよね。極楽とんぼだっていい年なんだからさあ・・・。

そうそう、いつも見ているソーシャルブックマーキングサイトに、日本各地の「マンホールの蓋」の写真のコレクションのリンクが載っていた。え、マンホールの蓋の芸術とは何ぞや・・・と、ついつられてのぞいたら、うわ~、あるある。日本全国に芸術的なマンホールの蓋がある。でも、車が通るところに芸術も何もないもんだろうと思って、よく観察してみたら、周囲がレンガだったりする。ということは歩道に設置されているってことかな。へえ、日本のマンホールは車道に作らないのかなあ。まあ、どっちにしても、粋というのか何というのか、おもしろい発想。バンクーバー市長さま、こっちもマンホールの蓋を美化してみない?

ボキャ貧者は誰のこと?

5月26日。今日はほぼ4ヶ月ぶりにヘアカット。今日は椅子を借りているロシア人のヘアドレッサーが若い女の子の客とぺちゃくちゃ。会話の中で「ハラショ」と言っているからロシア語だと思うんだけど、どうやらファッションの話をしているらしく、ときどき英語が聞こえる。それもセンテンスではなくて、早口のロシア語の流れの中に訛りのない英単語が混じっているからおもしろい。彼女たちはきっと子供のときに移住してきて、英単語は彼女たちがロシアから持って来たロシア語の語彙にはなかった言葉なのかもしれないな。

たしかに10代や20代の人間の語彙と30代、40代、さらにそれ以上の世代の語彙が同じというはずはない。どこの国のどんな言語でも、年と共に知識を学習し、社会を経験する中で語彙が増えて行くんだと思う。極楽とんぼだって、毎日英語の生活の中で日本から持って来た(20代の)日本語の語彙にない観念や概念を英語で蓄積して来た。たまたま運良く日本語に接していられたから、日本語バーションも取得できて来たわけだけど、それでも英和辞書を調べないと対応する日本語を思いつけないことが多くなった。これは母語が主言語でなくなってみるまでは想像しにくいことかもしれない。ある掲示板で、英語の会話に入っていけないという悩みに対して、おもしろい「比較言語論」を展開している御仁がいた。勝手ながら趣旨をまとめると、

『日本人が英語を話すのが苦手で難しいというのは、美しい日本語に執着するあまり、日本語に対応する英語を探し求めてしまうために引き起こされている現象。日本語の語彙の多さに比べて、英語は極端に語彙が少ない。一つの英語に対応する日本語が、あまりに多くありすぎてしまうのが問題。話すときに日本語に対応する英語を探し求めるために咄嗟に反応出来ないから英語が難しいと勘違い。世界中からの移民が短時間で自分の意志を伝えられるようになるための言語が英語。話すときは日本人のIQレベルを落とせばコミュニケーションが上手く行く』。

英語教室に出かけるカレシにサイトラして聞かせたら、「極端に少ないのは自分の語彙だろう。ほんとうに英語の語彙が少なかったら、誰でも簡単にマスターできて、ボクの出番がなくなるよ」。ふむ、そうだねえ。最後のふた言になると「Japanese supremacist(日本人至上主義者)は白人至上主義者と同じ負け犬さ」。ふむ、日本人は一般に何にでも優劣をつけて判断したがるところがあるし、それが病的に高じたのがいわゆる仮想的有能感だろうと思ったけど、それが外国の風物事象に向くと「日本人至上主義思想」になるってことかな。

もちろん、日本国民である日本人が「日本が一番」と言うのは当然のことで、「それに比べて~はNG」とやらなければ日本人の愛国心はすばらしいなと思うんだけど、この仮想的有能感に溢れる若い人たちの投稿は、文体といい、語彙といい、軍国主義時代の日本語を模倣しているような感じがある。それで、日本語は極楽とんぼの母語だし、生活の糧でもあるから、よけいなお世話とは知りつつも行く末を心配してしまうんだけど、あんがい、彼らの日本語の語彙が単に貧弱なものだから、「大日本帝国大本営発表」スタイルがかっこよく聞こえると思ってまねているだけなのかもしれないなあ。

かわいい子には一人旅を

5月27日。正午に目を覚まして、しばらくベッドの中でだらだらしていたら、カレシ曰く、「良く考えたんだけどさ、ボクはラッキーだった」。え?「ドクターが診てもらいに行ったのとは関係ない検査をいろいろやってくれたから、問題が見つかったんよ。でなきゃ、ある日突然心臓発作ってことになってたかもしれない」。ん、また風向きが変わって来たような・・・。「だからさ、勝手に検査してくれたドクターに感謝しなきゃならないなあ」。ふうん。「いやあ、ググって回っていろんなことがわかったよ」。はあ、それを先にやってくれたらよかったんだけどなあ。

でもまあ、これが病気や障害や喪失に初めて遭遇したときの、最初の「ショック/混乱」の状態から、「拒否/抵抗」の段階を経て、「受容/適応」に到達するステップだったんだろうな。ということは、ほんとうに病気らしい病気をしたことがないカレシの反応の経過はごく普通だったのかもしれないなあ。痛みをがまんしながら対処することを学ばなかった人や、それをそっくり他人に振り向けて来た人や、痛みが去ったらケロリという人には「経験値」が残らないからなのかもしれない。かの国の文部科学省とやらが一時期「人の痛みがわかる人間を育てる」とぶち上げていたけど、人の痛みをわかれと言われても、痛い思いを経験したことがなければわかりようがないだろうし、痛い思いが不快感や恐怖としてしか記憶に残っていなければ、痛みに苦しむ人を拒絶したり、否定したりしてさらに傷つけるような言動に出ることもあるだろう。ふむ、かわいい子には(親の付き添いなしで)旅をさせよってことだ。

きのう言語の語彙の多寡のことを考えていたら、今日は日本の協会のメーリングリストで「アナログ」という新カタカナ語の意味をめぐってメールが行き交っている。技術文書に出てくるアナログではなくて、技術とは何の関係もなさそうな広告文のようなもの。どうやら「アナログ」も本来の観念に基づく意味から遊離して、日本人にしかわからない「意味合い」を持つ日本語として独り歩きを始めたらしい。カタカナ語化される外国語、特に日本人特有の「感覚」に沿った新定義を与えられた語を厳密に「日本語」として日常語に取り入れてくれるならいいんだけど、日本人は元が英語なら英語人にとっても同じ意味だと思い込んでしまうらしいからやっかい。前向きの思考を表現する「ポジティブ」という語が、「自分に都合よく解釈する」、「自己主張する」、つまり「自己中心的な好ましくない態度」という意味で使われているのを何度か見たけど、これも取り入れた外国語の本来の意味が日本人の情緒に染め替えられつつあるケースなんだろう。(なんだか、動物の卵子から遺伝子を取り出して、別の種の遺伝子を入れているところを想像してしまうけど。)

外国語を取り入れることは言語発達史の一場面なんであって、実際に雑種言語の雄とも言える英語の語源をたどれば、まるで外来語だけできた言語に見えてくる。だから、日本語もそういう風に発達しつつあっても不思議ではないんだけど、カタカナ化されて日本語に入る外国語は実際にはほぼ即席で「日本語化」しているのに、使う人はいつまでも「外国語」意識を持ったままであることが多いように思う。このあたりは、西洋人(白人)が日本に帰化しても日本人にとってはいつまでも「外国人」なのと似ていなくもない。日本語は日本文化の礎なんだからあたりまえだろうけど。

それにしても、「アナログな」ってどんな感じなのかなあ。アナログと言うからには、「ディジタル」の対極として言っているんだろうけど、日本語はどちらかというと「感覚言語」だから、ひょっとしたら「ほっこり」のような感触なのかな。(ふむ、「ほっこり」に飽きたということも考えられるな吾。)リストではまだ結論は出ていないけど、「英語がまたひとつ日本語に取られて、永遠に失われてしまった。残念だ。さびしくなるよ」とイギリス人のメンバーが大根役者よろしく嘆いて見せている。いや、日本人にとっては単なるファッショナブルな「英語ちりばめ用法」でしかないんじゃないの?そのうちに「この子にはもう飽きたので、英語さんにお返しします」ってなことになるんじゃないかな。

できることならデジアナ人

5月29日。先週半徹夜して仕上げた仕事、文体が気に入らぬと言ってきたそうな。なんでも国連の会議で提出するものなんだそうで、もっとしゃっちょこばった文章でないと困る、というのが「苦情」の趣旨らしい。おい、なんでそれを先に言わないんだよ、んったく。だって、いかにも漫画チックなイラストを使っていたから、てっきり「一般人向け」だと推測してしまったじゃないの。これも「日本語で意思を伝達できない日本人」のなせる業なのか、「言わずともわかるはず」主義なのか、これこそ「東大下暗し」。だけど、お堅い文書と漫画チックなイラストはなんだか楽しいミスマッチ・・・。

メーリングリストをにぎわしてた「アナログ談義」。「ディジタル対アナログ」の定義を人間の思考スタイルや性格を表現する形容詞として使われ始めたということはわかって来たけど、いつもの二項対立的な「比較語」だとすると、「ディジタル」な人と「アナログ」な人はどうちがうんだろう。

ディジタルは、情報を量子化して「整数」で表現することだそうで、整数の間には中間値と言うものがなくて離散している。また、ディジタル処理には表現可能な数値の範囲が決まっていて、データがその範囲から溢れるとトラブルが起きるとか。さらには、「二値的な」ものを言うこともある。つまりは、「0」と「1」のバイナリ思考か。一方のアナログは、本来はあるものに「類似」あるいは「相似」した「もの」を表す名詞で、形容詞は「analogous」で、あるものを類似した別のもので表現すれば「analogy」となる。情報は連続した数値として表され、「多値的」とも言える・・・。

ウィキペディアによると、アナログな人というのは「物事を割り切らず、曖昧さを残しつつ理解する人」なんだそうな。つまり、「0」から「1」の間が連続しているので、限りなく「1」に近い「0.9」の場合や逆に限りなくゼロに近い「0.1」の場合もあるだろうし、どっちとも言いがたい「0.5」の場合もあるだろうと考えるということかな。要するに柔軟だとか、融通がきくとかいうことなんだろうけど、それを「どうでもいいよ」と判断するのと、「まあ、いいか」と判断するのとではかなりの違いがある。それに、自分の価値観が確定しいないと茫洋とした中間値の中で迷子になりそうな気もするな。

一方で、中間値のないデジタルな人にはアナログ式の「アバウト」な発想がないということになるか。つまり、大・小、高・低、優・劣、真・偽、美・醜、可・否、勝・敗といった二値的な判断基準の真ん中にある「・」は二者択一の「or」ということかな。どっちかでなければということであれば、自分の価値も他人の価値も縦の基準で測ることになったときにきつそうだなあ。アナログな人には「and/or(どちらか、あるいは両方)」という選択肢もあるし、アンケートによくあるような「all of the above(全部あてはまる)」とか「none of the above(どれでもない)」というのもあるけど、「or」しかないデジタルな人にとっては、割り切れなければ「none of the above(すべてダメ)」となってしまうのかな。一見して一刀両断のさっぱりした考え方のようにも見えるんだけど、実はこだわりや思い込みの強い人なんじゃないかという気もする。

まあ、アナログ人間は器が大き目と言えるかもしれないけど、柔軟すぎていい加減だったりするし、こだわり型のデジタル人間は器が小さめと言えるだろうし、択一的すぎてかえって優柔不断だったりするから、陰陽マークのようにどっちも持ち合わせて、バランスよく制御できるデジアナ人間になれたらいいのかもしれない。でも、世の中が複雑になって選択肢が広がるほど、アナログ型の思考の方がどっちかというと生きやすくなりそうな感じがするんだけど、はて、どうなんだか・・・。

依存体質は自分離れ

5月30日。いつの間にか初夏の気候。まあ、もう6月に入るんだから、あたりまえか。換気装置のフィルターもきれいなのに取り替えて、空気の取り込み口を掃除。ゴルフ場にあるポプラの大木から白い綿毛が盛大に飛んでくるようになったから、ちょっと時期尚早ではあるけど、手が空いたときにやっておかないとね。ついでだから、ベッドのシーツも冬用のフランネルから夏用のパーケイルに取り替えて、ベッドカバー代わりの毛布も厚い純毛のものから軽い綿のものに取り替えて、なんだか久しぶりに家事らしい家事をしてみたような気分。

仕事の合間と月末がうまく週末に重なったから、請求書の作成もささっと終えた。ついでに、アメリカドルのクレジットカードの請求サイクルが切り替わったところで、盛大にショッピング。カナダドルがどんどん上がるもので、アメリカドル建ての翻訳料が振り込まれる口座の残高の価値が相対的に目減りしてしまうから、アメリカドルのまま使ってしまうほうがよけいな為替手数料がかからなくていい。円高とはいうけど、カナダドルへの交換レートも90円に迫りつつあるから、貯まっていく円建ての翻訳料をカナダに送金するのもなんだか損な気分になる。だけど、去年のログと比べてみると、5月末で仕事量(語数)は10%減なのに対して売上高は5%増。つまり、去年に比べて今のところは単価の高い仕事が多いということだから、まあ、いいか。

イギリスのタレント発掘ショーで一躍有名になったスーザン・ボイル。最終回で惜しくも優勝を逃したけど、なんかこれで良かったのではないかと言う気がする。最初のときと同じ曲を歌ったのは、彼女自身にも優勝しなくてもいという気持があったのかもしれない。優勝したのはジャンルの違うダンスグループだから、実質的には「歌手」のジャンルで優勝したようなもので、ミュージカルの大御所アンドリュー・ロイドウェバーが食指を動かしているとも言われるから、プロデビューへの道はすでに開けているのも同然。賞金の10万ポンドは逃したけど、その10倍も20倍も稼いで、悠々自適の老後を故郷のスコットランドで送るだろうと思う。彼女の『Cry Me a River』を聞いては涙を流す極楽とんぼとしては、ちょっとクラシックなブルースやソウルを歌わせたい気がするけど。

さて、今日の読売新聞を見て、びっくり仰天。大学生の成績を親に通知する国立大学が増えているという。私立大学ではとっくにやっていることらしいから、もう一度びっくり。「サービス向上」の感覚なんだそうな。まあ、大学も「教育産業」のうちだからといえばそういうことなんだろうけど、保護者からの要求があるとか、精神的にもろい学生が増えたとか、はては親が子供の成績が「どの位置」かと聞いてくるとか・・・う~ん、どこかで何かがおかしいなあ。大学3年にもなれば一応は大人のはずの学生たちも異存はないらしいから、よけいに何かがおかしい。大学は中学や高校の延長でしかなくなったのかなあ。やっぱり、な~んかヘンだ・・・

ある教育評論家が「子離れできない親、親離れできない大学生が増えたことの象徴でもある。自立を促す観点に乏しい高校までの教育も問われるべきだ」と評している。たしかに日本の義務教育は知識偏重の「受験教育」みたいなもので、しかも知識を入試を通過するための「情報」として記憶させているようなところがある。知識を咀嚼せずにのみ込ませるから、知性や理性の発達の栄養にはならないままで答案用紙に排泄されておわり。自立どころか、自我の発達さえあやしい自分離れ。未熟なまま教師になり、官僚になり、親になり、そのままで子供を作って、育てて、教育して、その子供が未熟なまま大学に行って、社会人になり、親になり・・・という「精神的に消化不良で虚弱体質」の悪循環か。それにしても、大学ってそれだけのところだったのかなあ・・・


2009年5月~その1

2009年05月16日 | 昔語り(2006~2013)
グローバル・メディアイベント

5月1日。のんきにコニャックなど傾けながら、とりとめもない話をしているうちに午前5時をすぎて、空が明るくなってしまった。市民薄明とか常用薄明とか言う、日の出の前の夜明けの時間で、空はなんともいえない、すばらしくきれいなブルー。薄明が始まるのは夏時間で午前5時過ぎ(標準時なら午前4時すぎ)で、今の日の出は6時ちょっと前(標準時なら5時ちょっと前)。あんまり宵っ張りをやっていられない季節ではある。

日本初の新インフル患者発生の大ニュースはどうやら空振りに終わったらしい。日本に帰れなくなると大騒ぎしていた掲示板の住人たちは、「日本のマスコミはがっかりしているように見える」、「マスコミや政府が恐怖を煽っている」と、今度はマスコミ非難。カナダの(英語の)テレビや新聞はよくわからないから、日本の報道や口コミを情報源にしている人は多いだろう。その彼らがそんな印象を受けたのなら、きっと相当なフィーバーぶりだったんだろうな。たしかに、普通のインフルエンザだったと発表されたとたんに、報道が急に沈静化したような観はある。(ひょっとしたらゴールデンウィークでみんな「66キロ渋滞」のどこかにいるのかもしれないけど。)同時に掲示板の方も関心が冷めてきたような感じ。まあ、今どきの人たちの「Attention span(注意の持続度)はそんなていどなのかもしれないけど。

けっこうのんびりして見えるカナダでさえ特にテレビの報道は扇動的だという批判が出てきたところをみると、新型インフルエンザは今世紀最大の「グローバルメディアイベント」ということになるのかな。もちろん、どこかで急に強毒性に変わる可能性はあるだろうけど、普通のインフルエンザだって、HIVだって、何だっていつ突然変異して危険な「毒性」を持つかわからないわけで、新型のインフルエンザだからって、むやみに深刻だ、深刻だと煽っても何の利益にもならないと思う。第一、「H1N1」は1976年にアメリカで発生した豚インフルエンザと同じ型で、まったくの新顔というわけでもない。(ちなみに、この豚インフルエンザで死んだのは1人だけで、あとの25人は急いで製造したワクチンの副作用によるものだったという話がある。)

ゴールデンウィークの海外旅行の出国がピークだそうだけど、ペナルティを払ってでもキャンセルした人も多いらしい。写真を見ると、出かける人たちもけっこうマスクをしている。小町には「遊びに行って感染して来て、日本で広めるかもしれないのに、腹が立つ。倫理観の問題だ」という人がいたけど、いつもの「人(=自分)に迷惑をかけるべからず」型の意見なんだろう。独裁者になって恐怖政治をやりかねないような怖い人もいるもんだ。まあ、出発した人たちも「怖いけど・・・」というところかもしれないけど、戦々恐々の旅行になるのか、スリル満点の旅行になるのかはそれぞれだけど、どっちにしても、後々まで思い出の種になればいいと思うけど。

トロントでは、ある財団が予定していた講演会が、東京から招いた講演者が「最近の北米における豚インフルエンザの状況に鑑みて」カナダへ来るのを取りやめたために、ドタキャンされたとか。日本国外務省がカナダへの渡航を禁止したわけじゃないだろうけど、きっと「危険地域」に指定されているんだろうな。まあ、本人が「だから行きません」というならしょうないな。メキシコのリゾートでインタビューされたカナダ人の家族は、夫婦とも医者で、2人の子供を連れての休暇。「子供たちにもしっかり手を洗わせているし、予防手段を実行しているから、あまり心配はしていませんよ」とにこにこ。ほんとに、人間はいろいろ・・・

世界のメディアの報道を読み比べると、地球規模でなかなかおもしろい人間模様が見えてくるし、個々の人間のレベルでは個々の人間その人が見えてくる。ある意味で、People watchingの絶好の機会とも言えそうな事件ではある。

ぶたも災難のパンデミック

5月2日。久しぶりに雨模様の空が広がってきた土曜日。まだぽつぽつ程度だからと、カレシは庭仕事に忙しい。バックルームの窓の外には野菜の鉢がずらり。最低気温も10度前後で推移するようになって、やっと夜間のヒーターが不要になった。なにしろ。冬の間にたかだか12平方メートルの小さな温室を最低でも5度に保つためにかかる電気料金が、185平方メートルの家全体の暖房費の倍以上になる。この冬は特に寒かったし、料金体系の変更で一定以上の使用量は大幅値上げになったもので、1月/2月分の請求書は一気に前年同期の20%増だった。さすがに次の冬は床に作った大きなプランターの土の中にヒーターケーブルを埋め込んで、サラダ用の摘み菜を栽培することにしたそうだけど。

極楽とんぼは日本のゴールデンウィークに便乗して、この週末はしっかり休業。結局のところ日本の金曜日ぎりぎりに仕事を2つばかり置きみやげされたけど、まあ日本は水曜日までの五連休ということで、こっちものんびり。(もっとも、ジャンボ仕事第1陣の方のそろそろ手を付けないとまた慌てることになるんだけどなあ。)仕事がほぼ途切れずに続いたあとはいわば宇宙ステーションで、船外作業が終わって、エアロックで宇宙服を脱ぐようなもので、もたもたしているとすぐにまた次の船外作業の時間になってしまう。わかっているんだけど、やっぱりやろうと思っていたことも思っていただけで、結局はやらずじまいで1日だらだらとリラックスのしっぱなし・・・

まだまだ患者が増えているH1N1インフルエンザ。お隣アルバータ州の養豚農場で、こともあろうに豚がメキシコ帰りの従業員にインフルエンザを移されたんだそうな。豚インフルエンザの発生源とさんざん白い目で見られたあげくに、人間からその豚インフルエンザをもらっちゃうなんて、豚も楽じゃないなあ。すぐに隔離されたそうだけど、このまま死んだら仲間も危ないからといっしょに殺されるかもしれないし、快復したら快復したで、やっぱりいずれは人間に食べられてしまうんだから、つらいところだなあ。

つらいといえば、このゴールデンウィーク、はんぱじゃないキャンセル料を払って海外旅行をやめた人もかなりいたらしい。これから予定があって、行こうか、やめようか、どうしようかと悩んでいる人も多いらしい。小町でも「行く人」、「キャンセルする人」、「行くなという人」と、いろいろ。だけど、まとめて読み通してみると、ワクチンが効かない新型インフルエンザに感染するかもしれないのは怖いけど、もっと怖いのはどうやら「世間の目」ということらしい。勝手にちょっと引用・・・

「日本人で感染または感染疑いになるとかなりの報道がされて、大変なことになるのも怖い」
「熱出しただけで今ならテレビにも映されるから」
「無事に帰国したとしても、この騒ぎの中で「海外に行った」ことに対する周囲の白い眼が怖くてやめました」。
「万が一貴方が日本にウイルスを持ち込むかもしれない。一人の人間が自分の周りを考えて行動しなければ日本にもこのウイルスは持ち込まれるでしょう・・・」
「豚インフルエンザに感染して帰ってきたら、あなた一人の問題ではないということ」

周囲からぎろっと睨まれているような、すごいプレッシャーで、ストレスもたまるだろうなあ。あげくには「渡航禁止になってくれれば諦めもつくのに・・・」とため息。政府もつらいところだなあ。感染者が出た国を渡航禁止に指定してみたところで、向こうから来る人たちの日本入国も禁止しないと意味がないような気がするけど。つまりは、絶対に確実に安心したいのなら、日本は周囲を海に囲まれた「島」なんだから、1週間なり2週間なり、あるいは世界中が安全になるまで、鎖国すればいいってことじゃないのかな。そうしたら、危ないところへ出て行った人たちは帰って来れないからみんな安心できるし、海外旅行ができなくなるから泣く泣くキャンセルする人もなくなるし・・・

ホッケーのプレーオフ第2ラウンド第2戦は、2点のリードをふいにして負け。こっちの熱かげんはまだまだ高温だから、怒ったファンが暴動を起こさなければいいけどなあ・・・

日曜日、双子の洗礼式

5月3日。雨の予報に反して青空がのぞく日曜日。今日は双子の洗礼式の日。寝過ごさないようにしっかり目覚ましをかけて、午前11時半起床。軽い朝食を取ってから、二人ともめかし込んで出かけた。カレシは長いこと着なかった上着を「ちょっときついなあ」と言いながらご着用。極楽とんぼは二十歳くらいの頃に亡き母が縫ってくれた水仙色のレースのスリーブレスドレスとボレロのコンビ。嫁入り荷物に入れて来て、その後母の形見として大事にしまっておいたドレスは、膝上ぎりぎりでシンプルなデザインだから、40年の流行の変遷とは無縁の感じ。それにしても、花も恥らう二十歳の頃に着たドレスを(ちょっぴりきつくは感じたけど)還暦を過ぎてまだ着られるというのは、うん、なんだか感激ひとしおのような気持。

会場の聖カシミール教会はポーランド人移民が最初に集まって住みついた地区にあって、イアンとバーバラの二人の子供たちもここで洗礼を受けのだという。幼稚園や修道院も同じ敷地にある。着いたときはまだ日曜日のミサの最中。洗礼の参列者が教会の前のあちこちで談笑しながら待っていると、やがて教会のドアが開いて、司祭と聖歌隊。その後から出てきたのは揃いのクリーム色の生地に鮮やかな刺繍を施した民族衣装を着て、大きな羽根のついた(ちょっとチロル風の)帽子をかぶった男性たち、続いて軍人のような襷をかけた人たち。5月3日は日本と同じくポーランドでも憲法記念日なのだそう。ポーランドの憲法は1791年にできたもので、世界で2番目に古い近代憲法だったけど、その4年後にはポーランドは分割されてしまい、第一次世界大戦後まで百年以上もの間ポーランド人の団結を支えてきたのだという。今日の憲法記念日はポーランド人にとっては一番重要な祝日で、そのための特別ミサがあったわけ。ちなみに衣装は山岳地帯の人たちの伝統衣装なんだそうな。どうりでちょっとチロル地方の民族衣装を思わせるところがある。

アンとブライアンは透けたレースのブラウス風のフィリピンの伝統衣装を羽織っていた。男性のはバロン、女性のはキモナと言うそうで、なかなかしゃれた感じ。双子はレースで縁取りして、すそに小さな花を散らした真っ白な長い洗礼用ガウンに同じデザインのボンネット。まるで赤ちゃん人形のようで、思わず頬ずりしたくなるくらいかわいらしい。ゴッドファーザーはモントリオールから双子より3週間先に生まれた息子のアンドレアスとママのシンシアを連れてやってきたアンのお兄さんのロバート、ゴッドマザーはブライアンの妹。ポーランド系もフィリピン系も家族や友達との密なつながりを大切にする人たちだから、参列者は100人近くい。

洗礼はポーランド系フランス人の司祭が(参列者の半分はポーランド語がわからないので)英語で進め、ジュリアン・ヘンリックとブライアン・マテオの兄弟は順に銀の壺から頭に聖水をかけられて、めでたく教会のメンバーになった。その間、ジュリアンはカメラのフラッシュがおもしろいらしくて、終始きょろきょろ、にこにこ。式の前から大あくびをしていたマテオは、水をかけられたときに「キャッ」と声を上げたけど、すぐに眠ってしまって、記念撮影の間も騒ぎをよそにスヤスヤ。ふ~ん、なんだか大物になりそうな子だなあ。

双子と、いとこのアンドレアスの3人をよく見比べて見ると、パパがポーランド系、ママがフランス系とオーストリア人の混血のアンドレアスは目も青くて、(あたりまえだけど)どこから見ても白人。双子の方は、マテオは丸顔でくりくりした目がパパにそっくり(それでミドルネームがフィリピン名の「マテオ」)、色白で面長のジュリアンは髪の色も薄茶色でママによく似ている(それでミドルネームがポーランド名の「ヘンリック」)。だけど、二人とも(あたりまえなんだけど)アジア系、ヨーロッパ系のどっちともつかないミックスの特徴があるからおもしろい。でも、この三人三様の違いが何世紀か先の未来のカナダ民族の姿なんだと思うなあ。とってもすばらしい日曜日だった。

黄色いジャーナリズム

5月4日。静かな月曜日。日本はまだゴールデンウィークなおかげで、極楽とんぼの仕事場も便乗して静か。土曜日にけっこう食べ過ぎたり、日曜日にでかけたりの忙しい週末だったので、今日は休養日ということにしてしまおう。(あとであわてるのに懲りないなあ・・・。)

いろいろと騒がしかった1週間のグローバルメディアイベントも息切れし始めたのか、落ち着きを取り戻したのか、どっちにしろ静かになった観がある。ニュースでは毎日政府や医療の関係者の記者会見があるけど、カナダの確認患者数は何人で、どういう容態で、管轄省庁はどんな見解で、何をしているか、という発表があって、そのあとの質問にも、「インフルエンザウィルスの性質上、楽観は許さないけれども、対策は講じているのでむやみに心配する必要はない」という答が返ってくる。ちなみに、カナダでの現在の確認された感染者数は140人、豚約200頭。大半がメキシコと接点があり、軽症で快復。入院した重症例は子供1人。死者ゼロ。

ローカル掲示板では、「カナダ発の感染」が空振りとわかってからは、呆れるくらいの冷めっぷり。心配になったのかどうか知らないけど、日本から「ほんとに日本だけが騒いでいるのか」という書き込みが登場した。「新しい伝染病について心配するのは万国共通のはずなのに、アメリカ、カナダで騒いでいないというのは、英語がわからなくて現地のニュースを見ていないだけなのか、カナダでも絶対に必要以上に心配して対策をしているんじゃないのか」と。新種のインフルエンザを「新しい伝染病」と誤解しているらしいことの方がちょっと気になるけど、まあ、カナダだって個人のレベルでは必要以上に心配な人はいるだろうな。マスクはしていないかもしれないけど、カナダ人は無知でもなければ、無責任でもない。心配のしかたと対応のしかたが日本人とは違うというだけで、要するにこれが異文化なんだと思ってもらうしかないんだけどなあ。

日本のテレビ報道は見られないからどんなものかはわからないけど、例の何とか君の裸事件の報道の過熱ぶりや、小町の『豚インフルエンザ』というトピックの書き込みを追っていて得た印象からすると、たぶんかなり不安を煽るものだったんだろうな。それもたぶんに「怖い病気」への不安よりも「社会的な村八分」への不安の方がかなり大きく煽られているように見えた。もちろん、その社会の中にいる人たちにはそういう圧力をかけ合っている感覚はないんだろうけど、大不況で節約だ、貯金だと走り回る姿と、6ケタのキャンセル料を払って旅行を取りやめる姿は、外野の目にはどうも乖離が大きすぎて理解しがたい。金はあるところにはあるということかもしれないけど、それにしても、半月やひと月の生活費に匹敵しそうな金額をムダにさせるほどの「恐怖」って、いったい何なんだろう。

過熱?報道で思い出したのが、『The Front Page』という映画。狂騒の1920年代のシカゴを舞台にしたもので戦前に作られ、70年代半ば頃にリメイクされた。死刑執行目前の殺人犯が脱走して、特ダネ争奪戦にてんやわんやするコメディだけど、リンドバーグ事件やサッコ・ヴァンゼッティ事件の過熱報道に代表されるような、当時の扇情的なマスコミの「イエロージャーナリズム」を風刺したものでもあった。イエロージャーナリズムといってもアジアとは無関係のネーミングで、一般大衆に新聞を普及させた功績はあるものの、その新聞を競争相手より1部でも多く売るためには捏造も朝飯前という俗悪なものだったらしい。

現代になって、北米では24時間ニュース専門のチャンネルが雨後のたけのこのようにできたり、ニュース番組がショー番組化したりで、イエロージャーナリズムは裏口から忍び込んで来ている感じがするけど、日本在住外国人向けのサイトにときどき載る日本の「テレビニュース」のクリップを見ると、あっちも相当なイエローぶりに見える。ありとあらゆる情報が玉石混交で氾濫するインターネット時代では、主流のメディアも、アマチュアがネットに垂れ流す情報の目線や感性にまで質を下げないと太刀打ちできないのかもしれないなあ。

擬音語・擬態語・擬情語

5月5日。国もいろいろ、人もいろいろ・・・と打っていたら、IMEがひらかなに飽きたのか、急に「色々」と変換して来た。そっか、「いろいろ」というのはカラフルということなんだ。カラフルということはおもしろい模様が描けるということだなあ。英語でよく「various」と訳すのがこの「いろいろな」と「さまざまな」という2の形容詞。「さまざま」は漢字変換すると「様々」。辞書を引いたら、「様」というのは、「ありさま、ようす」、「すがた、かたち」と書いてあった。つまり、「様々」というのは抽象、具象をひっくるめて異なるものがたくさんあるということか。英語の「Various」も「異なる形状、種類などを持つ形質または状態」を意味するラテン語から来ている。なるほど、「異をもって合す」というところか。

「様々」と書いて「さまさま」と読めば感謝感激になるからおもしろい。「ざまぁ見ろ」と悪態をつくときの「ざま」も同じ漢字だったとは知らなかった。つまり、(自分のかっこ悪い)「様」を見ろ、ということらしい。「ありさま」を漢字変換すると「有り様」。辞書には「ようす、形態、光景」と書いてある。同じ「有り様」を「ありよう」と読むと、「ありさま、ようす」の他に「ありかた」が加わり、さらには「実情、あるべき理由」という意味があるらしい。読み方が変わるとニュアンスが違って来るところがおもしろい。「様子」には、「ありさま」のほかに「身なり、姿」、さらには「物事が起こりそうな気配」、「そぶり」、「事情、わけ」と発展するから、ほんとに言葉も「様々」。それにしても、その「様」がどこをどう回って人の名前につける敬称になったんだろう。

おもしろくなったついでに「色」を引いてみたら、もちろん視覚的に見える「色」の他に、「顔色、表情」という意味もあって、さらに「情愛、色情、情人、愛人」と続き、「おもむき、風情」と出てくる。人間の肌の色という定義もあるけど、これは人種によって違う肌の色ではなくて「色が白い、浅黒い」という色合い。ついでに「おまけ」の意味まであるのはおもしろい。ちなみに英語の「colour」はラテン語のcelare(隠す)に近い語らしい。色を塗って地を隠すということかな。そういえば、「色をつける」だけでなく、「潤色する」とか、「影響する」といった意味もある。ほんとにいろいろで、これも展開して行くとおもしろそう。

それにしても、日本語には音や語を反復させる擬音語や擬態語が多いなあ。音を表現する擬音語(phonomime)はどの言語にもあるんだけど、音のしない状態を表す擬態語(phenomime)は日本語(と韓国語)に圧倒的に多く、心理的な状態を表す擬情語(psychomime)というのもある。ほとんどが「きらきら」とか「いらいら」といったように、二音を二度繰り返すものが多いのがおもしろいところだけど、同音語の多い中国語の影響なのかな。擬態語と擬情語は、英訳では副詞を当てることが多いけど、それでも「感性」をぴたりと一致させるのは難しい。

ちなみに、副詞の代表格は「-ly」で終わる語だけど、使いすぎると安易な表現を使った拙い文章だという印象を与えるらしい。創作クラスで「-ly」で終わる副詞を使わない練習をさせられたときは、ありったけの想像力と語彙を駆使しての大変な作業だった。それでも、できあがった短編は描写に奥行きのようなものができていて、自分でも驚いた。だからといって、擬態語や擬情語を使わずに書いた日本語文が良い文章なのかというと、必ずしもそうではないらしい。日本文化が感性を重視するものであるなら、それを表現する日本語から擬音語、擬態語、擬情語を取り除いてしまったら、意思伝達の手段の役をなさなくなってしまうのかもしれない。あ~あ、つらいのは「理屈派」と「理屈抜き派」の間に挟まって悶々とする翻訳者。あげくの果てに「Traduttori traditori(翻訳者は裏切り者)」とまで言われてしまうし・・・

きのうという1日

5月7日。あれ、気がついたらきのうは「空白の日」。「空白」と言っても別に頭の中が空っぽだったわけじゃなくて、刻々と迫って来る納期を示す時計を横目で見ながら、ねじり鉢巻の一心不乱で仕事をしているうちに1日が終わってしまうのがいつもなんだけど、きのうはジャンボ仕事にやっと着手したのが真夜中を過ぎてから。

そもそもカレシがやたらと早起きしたのが始まり。「気になることがあるからドクターの予約を取った」と起こしに来た。2年ほど前に似たようなことがあって、たいしたことなくおさまったけど、今度はもうちょっと様子がおかしいという。とにかく起きて、朝食もそこそこにダウンタウンへ。マー先生には1年半くらいご無沙汰かな。まあ、それは無病息災だったということだけど、その間に先生のオフィスは前の場所よりさらに4ブロック西のビルに移転。いつも車を止めるところからは歩いて20分くらいかかるから、ちょうど良い運動になる。

前の感染症の再発かなと思っていたら、今度は潰瘍が見られるので血液検査をするという。検査でわかるものはまとめて検査して、その結果から絞って行くのがマー先生の診断手法なんだけど、検査項目になんと「梅毒」があるというから、思わず「おいおい」とカレシの顔を見てしまった。「消去法なんだってさ」とカレシ。ふむ、症状から考えられるのは、機械的な炎症、性感染症、がんの3つ。カレシの名誉?のために言えば、性感染症の可能性は限りなくゼロに近い。うん、消去法だな。それで行くと、最悪の場合は「がん」という可能性が残るか・・・

検査をしてから帰ろうとラボに行ったら、「食事をしたのは何時間前?」と聞いてきた。「最低10時間絶食してからでないと」って。実はマー先生、この際だからということか、糖尿病と腸がんの検査も入れておいたのだった。ということで、検査は出直しということになった。薬局で処方された抗生物質のクリームを買って、車の方へ歩いて行く途中、今度は極楽とんぼが「いてっ」。コンドミニアムの建設工事で歩道に段差ができていて、そこで足首をひねってしまった。捻挫だ、訴えてやる!とわめいてみたけど、そろそろと歩いているうちに痛みが治まったから、捻挫はしなかったらしい。ジョギングでけっこう鍛えられていたのかな。やれやれ・・・

家に帰ってきてからも、カレシは「何であまり関係ないことまで検査するのかなあ」とうるさい。(本題の「可能性」から意識的に注意をそらそうとしているのかもしれないけど。)でも、糖尿病になっているのを知らない人がかなりいるって言うからね。いろんな合併症があるんだし、それも消去項目のひとつじゃないのかな。大腸がんだって、自覚症状が出てからでは遅いけど、自分から検査してくれって行く人は少ないんじゃないの。「老人医療は予防から」って言うかどうかは知らないけれど、あんがい、治療コストのかかる病気を早期発見して早期治療するのも「予防」の範疇に入るんじゃないのかな。まあ、食事のタイミングを考えなくちゃならないから、検査に行く日を決めたら早めに予告してね。

それにしても、カレシはかなり気になって、頭の中に「空白」ができていたと見えて、きのうの朝はゴミの収集日だったのに、もののみごとに忘れてしまっていた。長い人生、大小いろんな事件が起きるけど、毎日の生活を忘れてはいけないなあ。生活って文字通りの「生きる活動」。つまり、毎日の諸事万端の積み重ねこそが生きることじゃないのかなあ・・・

インフルエンスは怖い

5月8日。ずっと好天のはずなのになんとなくどよんとした日。カレシは今日から3日間は赤身の肉は「禁止」と宣言。赤身の肉を食べるなというのは何の検査なんだろう。ま、フリーザーには魚がどっさりあるから、まず今日はティラピアと行こうか。今日からってことは月曜日に検査に行くってことかな。いつもなら「めんどくさい」、「検査したって何もわかりっことない」とごねて先延ばしするのに、やっぱり今回は気になるのかもしれないな。カレシがドクターが処方した検査を嫌がるのは「病気だとわかったら怖いから」。体調が悪いときはドクターに行って、検査をして原因を突き止めてそれを治す、というのが妥当な流れだと思うんだけどなあ。

今日からはちょっと気合を入れて仕事をしようと早々とPCを立ち上げて、いつものようにニュース巡りを始めたら、お、日本もやっとH1N1感染者を見つけた。それも一挙に3人も。ま、これで世界の仲間入りってことで、まずはおめでとさん。国際交流という名目でカナダに来ていたそうだけど、せいぜい10日じゃ実質的に観光旅行。きっとあちこちの観光スポットへ行ったんだろうな。観光スポットはとにかく人が集まるところだから、観光客は地元の住人よりも他の観光客集団との接触の方が多いかもしれない。観光産業で働く人たちは体調が悪ければ休むけど、観光客は無理しても観光するだろうし、楽しんでいるつもりでも時差や過密スケジュールで体はストレスを感じているだろうから、ウィルスの格好の標的になりそう。それにしても、このご一行様はマスクをしてなかったのかなあ。それとも、感染者がたくさん出ている(滞在先の町でも一行が離れる前後に2人出た)のにカナダ人が無責任にマスクもしないで歩き回っていたせいで「感染させられた」と説明するのかなあ。

電車もどこもかも満員の日本国内では、感染者が出たらあっという間に広がるかもしれないから、日本政府の「水際作戦」も、物々しさと悲壮感はやっぱり滑稽に見えてしまうとしても、島国であることの利点が生かされているわけで、それなりに理に適っていると思う。だけど、病院が熱のある患者の診療を拒否するという現象にはもう言葉がない。成田空港で働いているとか外国人と付き合いがあるというだけで拒否された人もいるという。どうやら「新型インフルエンザの患者が自分のところに来たら困る」ということらしい。病院てのは病気の人が行くところだと思っていたけどなあ。人間の本性は危機のときにむき出しになるものだけど、ここまできたら、根本的に人間として何もかもが欠けてしまっているとしか思えない。

この延長でそのうち、海外から帰って来たとか、喘息もちで咳をしているとかいうだけで村八分のいじめが起きるだろうな。海外旅行したというだけで実質的な停職とも受け取られる出社禁止命令を出した企業もあるらしい。誰かが電車の中で咳をしただけで「ウィルス、怖い」とみんな我先に降りてしまったりするかもしれない。もちろん、そういうのはごく一部の無知な人たちだと言うだろうけど、病院も企業も学校もマスコミも、そこで働いているのは大学を出た「学歴」のある人間で、無学無知の人たちじゃない、よね。みんな神妙に「周囲に迷惑をかけたら申し訳ないから」なんて言っているけど、それは建前も建前。みんなその「周囲(世間の目)」怖いから、とにかく「保身第一」というのが本音じゃないのかな。まあ、そこに住んでいるためにはそうならざるを得ないのかもしれないけど、なんだかインフルエンザよりもインフルエンス(influence)の方が猛威を振るっているような感じがしないでもない。

かくいう極楽とんぼは今日は起きてからなんとなく喉が痛くて熱っぽい感じ。計ってみたら37.5度で、熱というほどでもなかったけど、もしこんな状態で成田に着いたとしたら、わっと白い重装備の人たちに取り囲まれて、逮捕された犯罪人みたいに飛行機から下ろされて、どこかに閉じ込められて、「カナダからの疑い例」と大々的に報道されるのかな。バイキン扱いされそうで怖くて日本に帰れないという人の気持もなんとなくわかるような・・・

ポジティブ思考で手を洗おう

5月9日。土曜日の今日はディナーにお出かけのつもりだったけど、プロホッケーのプレーオフ第2ラウンド第5戦があるので、人がたくさん出そうなダウンタウンは駐車がめんどうになりそうだと予想して、極楽とんぼ亭でのDine-inに変更した。なにしろ7試合のラウンドで現在2対2。あと2試合勝たないとならないんだけど、若い選手が多いチームはちょっと派手に勝ってしまうとその勢いに乗って勝ち進んでしまうから怖い。シカゴはまさにそういうチームで勝つ気満々。さて、どうなることやら。

テレビのニュースを聞きながらディナーの段取りをしていたら、日本でカナダから帰った人たちが日本初の新型インフルエンザ感染が確認されて、一行が訪れていたオンタリオ州のオークヴィルに突如「外国」のマスコミが殺到して、住民がびっくり仰天しているという。もちろん、この「外国」というのは日本のマスコミだろうな。オークヴィル他2つの市町村で形成する地区で確認された感染者数は現在5人なのに日本人が4人も感染したのは何かあると勘ぐってたりして(うっそぉ、ま~さかぁ。)だけどなあ、日本では企業が海外旅行を差し止めたりしているのに、なんだってマスコミがざわざ地球の反対側の日本の新型インフルエンザ「発祥地」に殺到するんだろう。まあ、日本のマスコミは魚の群れみたいにみんなそろってひとつのことにハマってしまうらしいから。

あるアメリカのメディアが、「手洗い、手洗い、手洗い」のキャンペーンの効果で、インフルエンザの感染は続いているけど、「アメリカ国民は総じて清潔になった」と報じていた。あはは、このあたりがアメリカ流のポジティブ思考だなあ。まさにアメリカの活力の源泉だと思う。健康な人がうがいをする習慣がほとんどない北米では、予防といえばとにかく石鹸とお湯で最低15秒かけて手を洗うこと。この15秒をどうやって計るか。それは簡単、簡単。ハッピーバースデーの歌を歌いながら手を洗えばだいたい15秒。これなら幼い子供でもできるからいいし、おとなたちは「ハッピーバースデートゥミー」とやってなんとなくおかしい気分になる。それで、多くの人たちがまめに手を洗うようになればしめたもんだよね。

先日、カナダの失業率が発表されて、かなりの数の雇用創出があったということだったけど、よく見たら、新規雇用のほとんどが「self-employment」なんだそうな。文字通り自分で自分を雇用することで、要するに自営業。この就業形態がクローズアップされたのは27年前の大不況のとき。失業率は二ケタに達して、ホワイトカラーの中堅層に大量の失業者が出た。その中から再就職に見切りをつけて、経験や知識を元手に自営業を始めた人たちが急増した。要するに不況を機におんぶに抱っこの会社勤めに背を向けた「脱サラ」ブームが起きたわけで、今回も「売れる何か」を持っている人たちがそれを自分で売り始めたということだろう。

あるビジネス新聞は自営業の増加を「D-I-Y景気回復」と呼んでいた。まったくいいところを突いているなあ。自営業に転じた人たちは収入が大幅に減ったというけれど、起業したばかりなんだからあたりまえ。自分の事業なんだから、成功してビジネスを大きくする人もいれば、うまく行かなくてサラリーマンに戻る人も出てくるだろう。ビジネスの世界では景気にかかわりなくそれがあたりまえ。インターネットを活用してコンサルタント業を始めたばかりという人がテレビのニュースで「失業率が8%ということは、92%の人は働いているってことだからね」と言っていた。あはは、コップの水の禅問答みたいだけど、ポジティブな思考はエネルギー源。がんばってね。

ちょっと斜めな母の日雑感

5月10日。日曜日。好天。母の日。極楽とんぼは母になれなかったから、何にもないごくふつうの日。どこかで母の日にもらうプレゼントについてのアンケートをやったら、「もらってうれしくないもの」に家電や調理道具、清掃用品が挙げられたそうな。うん、わかるなあ、そこんところ。なんか子供から見た「母」の役割が如実に現れている感じがする。ご飯作ってくれる人、洗濯してくれる人、掃除してくれる人・・・おそらく世界共通の「ママ」のイメージなんだろうな。

人が抱くイメージや第一印象はおもしろいもので、故意に作り出したものの方が受けそうな場合が多いからおもしろい。日本在住外国人の英語ブログに「32才の人気グラビアアイドル(無芸タレントの一種らしい)が外国で18才以下に見られてカジノに入れてもらえなかったんだって」という記事があって、にぎやかなコメントがついていた。「アジア人は実年齢より若く見える」というのが大勢の意見だけど、「若く見えるのと幼く見えるのは大違い」というのもある。でも、(限りなく幼女的な)「かわいい」ことがもてはやされる日本では、32才になってもその半分の年頃に見えるというのはすごいことなんだろうな。でも、そのかわいい顔の後にある中身がどれだけ実年令に近いかの方が重要だろうと思うんだけど、ま、それは逆立ちしたってかわいくないばあさんのほざきってことになるか。

別のサイトには、「外国人が日本人のオンナノコの八重歯をどう思うかをリサーチしています」という触れ込みで、八重歯丸出しのオンナノコが艶然と微笑んでいる写真が4枚。これもグラビアアイドルとかいわれる手合いなのかな。おそらく20代なんだろうけど、せいぜい10才、何とか12、3才にしか見えない。(逆に、欧米の12、3才は日本人の目には30才近くに見えるらしい。)「かわいい」、「かわいくない」の投票は今のところ「かわいくない」が優勢。「3才ならかわいいけど」とか、「ロリコンはかわいいだろう」とか、「いや、なんたって日本のオンナノコはかわいいよ」とか、ここもコメントがにぎやか。それにしても、日本男子はそういうオンナノコにも「ママ」を求めるのかなあ。

ソーシャルブックマーキングのサイトには「日本の男性の半数がトイレに座って用を足している」というジャパンタイムズの記事と、それに呼応して、トイレにひざまずいて用を足すための「天使のひざ枕」とかいう、絶対に女性がデザインしたと思われる道具の写真とイラストを載せたブログの記事が載っていて、これには吹き出してしまった。日本の男は大人になってもまだトイレを汚さないようにと「ママ」にトイレのしつけをされているんだ!奥さんが日本人のメンバーがたくさんいるから、ここでもにぎやかなコメントがつきそうだなあ。男性のトイレに関しては、欧米の奥さんの苦情ナンバーワンは「便座を上げたままで出てくること」だけど、日本では「立ちション」ってことか。う~ん、笑っていいのかどうか微妙なところ・・・。

あらら、母の日の雑感がヘンな方向にずれてしまった。

つまりは平均的な60代

5月11日。雨がどどっと降って空気がさわやか。午後になってさっぱりした晴れ間が広がってきた。でも、なんだか開き深しのような気温。内陸部では雪が降ったとか。5月なんだけど・・・

今日はホッケーのプレーオフの第2ラウンド、バンクーバー対シカゴ第6戦。すでに3敗しているから、第3ラウンド準決勝に進むには、今日は絶対に、絶対に負けられない試合。「勝たなければ」なんて言ってるときじゃない、「負けられない」のだ。ここんとこのニュアンスがなんともなあ・・・。まあ、先制点を挙げるのはいいけど、それを守るのに必死になりすぎて、それ以上攻撃に出ないでいるうちに相手にそれ以上の得点を入れられるから負けているんだという感じがする。リスクを避けて、リスクを冒さず、ひたすらブルーラインを守ればいいってもんじゃないんだけどなあ、もう・・・

今日配達されたMacLean’s誌に「あなたの健康度は?」という特集があった。1年間にわたって読者から集めた気になる「身体症状」をまとめたグラフを見ると、男女共に60才あたりを境にすべての項目でグラフの方向がはっきりと変わっているからおもしろい。加齢に伴う健康問題が増えるのは当然だとしても、男は「社会心理的な問題」以外はすべてが上昇しているけど、女は上昇しているのは身体的な問題ばかり。どうやらカナダの女性は年を取るにつれてハッピーになるということらしい。あるドクターは訪れる患者にまず「職場ではハッピーですか、家庭ではハッピーですか」と聞くんだそうだけど、たしかに現代はライフスタイルそのものがどんどん複雑になって来て、職場だけじゃなくて家庭にもストレスの要因が溢れかえっている。それでも60代になればとっくに子育ては終わっているし、あとは定年までリラックスして行こうということかな。うん、極楽とんぼも60才あたりからハッピー度が上がったから、平均的ってこと・・・。

同じ雑誌に、WHOが新型インフルエンザを「フェーズ6」に引き上げた時にカナダ政府が実施する「パンデミック対策計画」の記事があった。全体でなんと550ページもあって、終わりの方では最悪中の最悪の事態で大量の死者が出たときの遺体の処理方法まで細かく処方されているという。そこまで行かないとしても、いろいろな対策がきめ細かく計画されているそうで、そのほとんどは「common sense(良識)」に沿ったものだというからちょっと安心。要は、効果が期待できて、市民に受け入れられることでなければ、やっても根拠のない安心感を持たせるか、あるいは逆に不安を煽るだけで無意味だからやらないということらしい。

政府関係者の曰く、「対策計画が有用であるためには、柔軟に運用できるものでなけれならない」。どんなに柔軟に運用しても市民生活にある程度の制約が起きるものであれば、きちんと説明しないと、「自己決定」が基本の社会ではあまり効果が上がらない。それで、マスク着用や旅行の是非、人の集まるイベントなどについては、かなり合理的な理由を上げて強制や禁止の処置は取らないとしている。最後に引用文献のページが長々とあるそうだけど、そうやって根拠を挙げていちいち説明するから、550ページという大仰な文書になったんだろうな。騒ぎになってまだ3週間も経っていないのに、我が政府もちゃんとがんばっているじゃないの。(と、安心するところも平均的・・・。)

では、安心したところで、ねじり鉢巻をぎゅっと締めて仕事にかかろう。ジャンボ仕事は15%くらいしか進んでいないのに、つい「ねじ込みます!」と腕をまくってしまうもので、また予定が詰まってきてしまった。あ~あ、こっちの方がよっぽど火急の危急の危機だぁ。

まいっちゃった~

5月13日。今日は12時間も寝てしまったせいで、背中が痛い。外は暗くて、いかにも寒そうな空模様。気温は10度に届かない。5月も半分過ぎようというのに、いったいどうなってるんだろうなあ。

どうなってるんだろうと思ってどうにもわからないのがきのうの極楽とんぼ。州議会の総選挙の投票にでかけた以外はごくふつうの火曜日で、4時になったら英語教室に出かけるカレシのためにちょっと早めの夕食。段取りを始めたところで突然猛烈な咳が出た。ひとつし終わらないうちに次々と後が続くもので、息を付くひまもなくて、とうとう頭の中が一瞬真っ白になった。それで咳は止まったけど、な~んかふらふら。料理をしながらもふらふら。だけど、手はちゃんと動くし、脳もちゃんと機能しているみたいだから、そのうちに落ち着くかと思ったら、胃がむかついてきた。

なんとか夕食はできたけど、食べるのが怖い。それで下へ行ってソファに横になっていたら、今度は猛烈な下痢。どうなってるの、これ。おまけに冷や汗がどんどん出てきて、寒い。始めなければならない仕事があるから、横になっていても気になってしょうがない。めまいが落ち着いたところで、コンピュータの前に座ったけど、むかむかしてきて、パラグラフひとつがやっと。また、横になり、起きてみるとむかむかしてまた横になるの繰り返し。これはまずい。せっかくおもしろそうな仕事なのに、まずいなあ。朝食以来何も食べていないから胃の中はからっぽ。むかっと来るたびにげぇげぇやっても何にも出てこないから、ただ苦しいばかり。まいったなあ。

教室から帰ってきたカレシが熱を測れと体温計を口に突っ込んできた。熱なんかないってば。しばらくして体温計を取りに来て、水銀柱と数字が見えないとひと騒ぎ。大きな天眼鏡を持ち出してきて、ライトにかざしてやっと、「見つけた!36.4度」。え、それじゃあ平温より低いじゃないの。なんでなの?「なんだ、新型インフルエンザじゃなさそうだ」とカレシ。あったりまえでしょ、仕事に埋もれてろくに外にも出られないでいるってのに。「だけど、ダウンタウンへ行ったのは先週だし、こっちから日本にインフルエンザ持って帰ったのがいたしな」と絡んでくるカレシ。あれは東のあっちのオンタリオからだってば。

午後11時を回って、日本標準時は午後3時過ぎ。仕事の納期は日本時間の明日正午。ひと晩寝て、明日の午後に猛然とアタックすればできないことはないけど・・・けど、けど、けど。もしも、できなければ、日本で「できません」と言うメールを見るのは朝の9時。平均的な作業速度でも5時間はかかる仕事なのに、納期まで3時間しかないから、いくら交代が見つかったとしてもとても間に合いそうにない。意を決して交代を探してもらうようメールを送った。しばらくして「なんとかなります」という返事が来たのを見届けて「本日の営業は終了」とサインオフ。気合を入れてやりたかった仕事なんだけどなあ。

それからばったりと寝込むこと12時間。目が覚めたらおなかがグゥッとなる。頭が軽いのか重いのかちょっとわからないけど、まずは台風一過というところか。オフィスに下りて、メールをチェックしたら、ジャンボ仕事の発注元から明日送る予定のサンプルを1日早く送れないかと言ってきた。サンプルは見直しだけになっていたけど、きのう仕事をキャンセルしなかったら、こっちの「緊急事態」にまでは手が回らなくて間に合わなかったところ。これがほんとの塞翁が馬だなあ・・・

ナオミ・ヤマモト州議会議員

5月13日。きのうの州議会総選挙。ホッケーのプレーオフに押されて、なんかぱっとしない選挙戦だったけど、与党自由党の勝利でキャンベル首相はこの州ではまれな3期目。選挙制度改正の是非を問う州民投票は「ノー」が勝利。これはどうも比例代表制を加味した大選挙区制度のようなものらしいけど、推進派の説明だとグリーン党のような万年びりっけつで議席ゼロの政党でも得票の割合によっては議席を獲得するらしい。前回は賛成派が60%にあと少しのところまで迫ったけど、今回は反対派の大勝利。どこでどんな風に風向きが変わったのかなあ。

ニュースで話題になっているのが、ブリティシュコロンビア州の歴史上初めての日系州議会議員。ノースバンクーバーの選挙区で自由党から立候補した日系三世のビジネスウーマン、ナオミ・ヤマモト新議員。ブリティシュコロンビア州は日系人が最初に住んだところであり、また苦難の歴史の始まったところでもある。太平洋戦争中に敵国人として内陸の強制収容所へ送られ、収容中に財産はすべて二束三文で売り払われて、戦後になっても、長い間州やバンクーバーの有力者たちの反対で西海岸へ戻ることを許されなかった日系人は、多くがロッキー山脈を越えてアルバータへ、オンタリオへと散らばって行って、二度と苦難を繰り返さないためにもカナダに同化しようと努力した。

インタビューで「私は何よりもまずカナダ人なのだと父に教えられた」と答えたヤマモト議員に少年時代を強制収容所で過ごしたという父親は感慨深げ。自分の会社を経営し、ノースバンクーバー商工会議所の会頭を始めいろいろな団体の活動にかかわってきたというヤマモト新議員は典型的なカナダのビジネスウーマンに見えた。日本のメディアが聞きつけたら、「日本人」ということでひと騒ぎするかもしれないけど、ナオミ・ヤマモトはカナダのブリティシュコロンビア州でノースバンクーバー・ロンズデール選挙区に住むカナダ人を代表する州議会議員としてカナダの日系人史に新しいページを加えた人。その上、今回の総選挙で議席のほぼ半数を占めた女性のひとりでもある。州の政治のためにがんばれ~。

熱さは喉もと過ぎるまで

5月14日。寒かったきのうとはうって変わって、まあまあの春らしい天気。この週末はビクトリアデイの三連休で、早々と旅行に繰り出した人たちもけっこういたらしいけど、内陸部と沿岸部を結ぶハイウェイは積雪15センチの冬景色。ひと足先にバケーションのつもりが、ひと足先に次の冬先取りかな。

胃の調子まあまあだけど、首が凝って、目と目の間でちょっと頭痛がする。熱っぽい感じなのに、計ってみれば平温以下。ときどき冷や汗が出る。なにかがしっくりしない感じで、こういうのを「体調を崩す」というんだろうな。熱はないし、咳も出ないし、関節痛もないから、風邪ではなさそうだけど。

風邪といえば、産経ニュースにカナダでインフルエンザにかかって帰った高校生の学校や市役所などに「帰ってくるな」、「謝れ」、「他人に迷惑をかけた」と、誹謗や中傷の電話が殺到して、拘束を解かれた生徒たちが帰ってくるのに、いわれのない偏見などを危惧しているという記事があった。「誤解にもとづくもの」というけど、ほんとに新型インフルエンザを「かかったら助からない」伝染病と誤解してのことなのかな。モラハラ人間は危惧や危機が生むストレスに弱いところがあって、そのストレスにさらされると弱いものを敏感に嗅ぎつけて攻撃することで対処しようとするからなあ。

  『感染しなくても カナダに行った事でご近所から白い目でみらる。 感染したら、報道関係に吊るし上げられて日本中から差別をうける。これが怖いですよね。』

これはローカル日本人の掲示板にあったやりとり。彼らは今どきの日本人だから、どういう展開になるかわかっているんだろうな。まあ、小町のトピックでもずいぶんたくさんの単細胞人がいて、外国へ持って帰って来て「周りに迷惑をかけるな」と騒いでいたし、マスコミのイエローぶりを考えたら、そういうイジメがなかったら、そっちの方が奇跡かもしれないな。何の落ち度もないのに、1週間も独房の囚人のような生活を余儀なくされた子供たちが、やっと家族の元へ帰ることができたと思ったら今度は周囲から疎外されたり、イジメられたり。それじゃあ「思いやりのある日本人」のイメージを裏切るもので、日本人にとっては恥ずべきことじゃないかと思うんだけど、まあそのあたりは日本社会の価値観に任せるしかない。

まあ、日本のマスコミもさすがにもう飽きたらしいきらいはある。ふと思いたって「熱しやすく冷めやすい日本人」という日本語のキーワードでググってみたら、108,000件のヒットがあった。ふ~ん、「夏は暑く、冬は寒い家」のように断熱性能が低いのかもしれないなあ。それとも「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」という冷め方なのかなあ。

シュールレアリズムの午後

5月15日。カレシは結局10日もああだこうだ言い続けて、今日やっと検査のサンプル採取に出かけることにした。(今夜はシーズン最後のコンサートがあるというのに。)前夜から絶食しての検査があるから、起きてすぐにでかけて、ダウンタウンでブランチをしようということになった。午前11時の気温は13度。天気がいいから長袖のTシャツだけで十分。

ラボの待合室で待つこと20分。病気の検査に来る人たちだから、げっそりした顔の人たちが多い。急に奥の部屋から「水、水!」という声。誰かが失神してしまったらしい。しばらくして出てきたのはカリカリにやせた若い女性。露出したへそのあたりだけがぽっこりと出ている。過激なダイエットをして栄養失調にでもなったのかな。カレシは片腕の静脈が潰れて採血できないと言われたあげくに、血液サンプルを4本も取られたそうな。それでも、これで今日からでかいステーキを食べられるぞ!やっぱり極楽とんぼは雑食の肉食動物だからチキンと魚ばかりじゃさびしいもの。

ブランチはビルの1階にあるイタリアンのカフェ「べラジオ」。観光客にも人気のあるところらしいから、ランチタイムということもあってほぼ満席。お愛想いっぱいのオーナーが壁際のブースに案内してくれた。カレシは早速ビール(朝ごはんなのに)とサンドイッチ。とんぼはアルコールはとりあえずひかえておくことにして、トスカナ風パニーニとコーヒー。「きのうより血色がよくなってるよ。ときどきは外に出て日に当たらなくちゃ」とカレシ。うん、今日は普通の調子に戻った感じ。どうやらとんぼの「急病」は激しく咳き込んだときに第2頚椎の古傷を痛めたのが原因らしい。頚椎を痛めたそもそもの原因が咳だったんだけど、一種のむち打ち症の後遺症のようなものか。(大きな仕事があるから、念のために吐き気止めの薬を買っておいたけど。)

のんびりとブランチを楽しんでいたら、突然警報装置のサイレンが鳴りわたった。だけど・・・あれ、誰も気がついていないような雰囲気。すごい甲高い音なのに、お客はてんでにおしゃべりに夢中だし、サーバーは何もないように料理を運んだり、注文をとったりと、なんだかシュールな光景だ。止めるためのマニュアルを探しているのかなと思うほど、いつまでもしつこく鳴り続けたサイレン。息切れしたのか急にザ~と雑音に変わった。「バッテリが切れたんだろ」とカレシ。

何事もなくすんだと思ったら、消防車のサイレン。「ランチタイムなんだな」とカレシ。店の外にでんと止まった消防車から重装備の消防士たちがばらばらと降りてきた。オーナーが出て行って話をしている。「実は料理を焦がしまして・・・」と説明してるのかなあ。外のパティオのテーブルの人たちを見たら、やっぱり何事もおきていないかのよう。重装備の消防士がうろうろしているのに、お客はランチを楽しむのに忙しそうで、誰もそばで起きている「事件」には見向きもしないから不思議だなあ。やがて雑音になっていたサイレンの音がぴたりと止んだ。引き上げて行く消防車をみながら、カレシが目を輝かして言った。「わかった!胸焼けだよ、胸焼け!」

あはは、胸焼けで消防車出動!それにしても、耳をつんざくサイレンにもすぐ外に止まった消防車にも入ってきた消防士にも目もくれずにひたすらランチの人たちって、すご~くシュールレアル・・・