旧版のおしゃべりブログはお休み中、新版ブログは思案投げ首中・・・。
夏休みを取ってみようかな
7月1日。月曜日。今日から7月。暑い。暑がりのカレシの要望でひと晩中クーラーを低速にしてかけていたので、何となく風が顔に当たる感じで、ヘンな夢を見たりして、あまりすっきりとしない気分。生理的な感覚なんだろうけど、扇風機をかけっ放しだったり、窓を開け放しておいたりすると、顔が「風」の通りを感じるのですんなりと眠れない。キャンプに一度行っただけで嫌いになったのはそのせいだと思う。風まかせの極楽とんぼにしてはへんだなあ。
今日7月1日はカナダデイ。カナダの146歳の「誕生日」。国としてはまだ青二才なんだろうけど、ワタシが来てからの38年だけでも、カナダは躍進したと思う。週刊誌のMaclean’sに「カナダ人で良かった99の理由」という記事があって、恒例の「カナダ良いとこ、よっこらしょ」。いろんな統計を持ち出して、お隣の「ジャイアン」と比べてカナダの方が上だぞと自慢。幸福度が高いし、平均寿命も長いし、世帯あたりの純資産も多いし、学歴水準も高いし、頭もいいし、肥満率が低いし、離婚率も低いし、銀行は堅実だし、有給休暇も多いし、低所得家庭の子供でも進学率が高いし、女性の就業率も高いし、移民の成功率も高いし、(アメリカの)映画界もプロスポーツもメディアもカナダ人タレントがわんさか、と遊び心たっぷりの記事。だけど、誕生日なんだからいいよね。ハッピーバースデイ!
でもまあ、そこまでよいしょしなくたって、カナダはいい国だ、カナダ人で良かったと思ってるよ、ワタシは。最近のある世論調査では、カナダ人の75%だかか国歌の『O Canada』を歌うときに愛国心と誇りを感じるということだった。スポーツの試合開始前に必ず国歌斉唱があるのも要因かもしれないけど、けっこう愛国心を鼓舞するような歌詞だということもあるかな。ワタシもちゃんと歌詞を覚えていて、いつでも淀みなく歌えるし、しっかり声を出して歌うとじ~んと胸に感じるものがある。だって、ワタシが自らの意思で選んだ「我が国」だから、あばたもえくぼもひっくるめてワタシの愛する国。それって、カレシがワタシが自らの意思で選んだ人だから、あばたもえくぼもイライラの種もぜ~んぶひっくるめてワタシの愛するカレシなのと同じことじゃないかと思うけど。
カナダ生まれのカナダ育ちで、カナダでしか暮らしたことのないカレシは、カナダのこととなるとやたらと白けた態度を取る。まあ、カナダしか知らないからしかたがないだろうな。それが何であれ、自分が知っている唯一の環境に不満があれば、「虹の彼方」の理想郷を夢見るのはどこの国の誰であっても同じだと思う。(ワタシだってそうだったと思う。)人類は太古の昔から「ここよりも良いところ」を求めて地球上をあちこち移動して来たんだと思うから、行き着いた先が求める理想郷とは気づかずに落ち着く幸運な人もいれば、理想郷となる可能性を見出す人もいるだろうし、「不毛の土地」と諦めてさらに移動する人もいるだろうし、敢えてその不毛の地に根を下ろして理想郷に変える人もいれば、逆に諸々の理由で負の感情を抱いたまま不毛の地から離れない人もいるだろうな。移民立国のカナダにはそのどのタイプもいて、それぞれに何とか生きている。ワタシはそういう選択が可能なカナダが好きなの。
それにしても、ヘンな夢だった。親しい知り合いのアメリカ人に「キミは人間心理を深く観察しすぎるよ。少しリラックスして、自分を楽しみなよ」と言われて、どんと渡されたひと山の薄い本を見たら、あら、なぜかピアノの教則本らしい。そういえば、40の手習いで始めたピアノも忙しくなってレッスンを辞めてやめてからはほとんど触れていないなあ。人さまに弾けると言えるようなレベルには行かなかったけど、緩急自在で好きな曲を勝手に弾くのが楽しかった。はて、この夢は「遊び第一、仕事二の次」にしなさいという天の啓示なのかな。だとしたら、何だって怠けることに厳しい学者先生が出てくるの?あ、もしかして、夏休みを取れよ~ということ?
夏休み。何よりも響きがいい。考えてみたら、ちょうど40年前、初めてカナダで過ごした3週間がほんとに夏休みらしい夏休みだったかもしれない。カナダに来て、36年働き続けて、無事に65歳を迎えて手にした年金。ここまで38年ずっと日本語とつながっていたけど、もう仕事では読めてわかればいいんだし、辞めたらやがてボケて忘れるかもしれないから、別に忘れない努力をする必要もなさそうで、カナダでカナダ人として人生を終えるんだからそれでいいという気がする。ここで思い切って長い夏休みを取って、自分を楽しんでみようかな・・・。
どういう夏休みにしたいのかな
7月2日。火曜日。起きてみたら、今日はきのうほど暑くはない。ポーチの温度は正午で21度。これならしのぎやすそう。朝食後、カレシはさっそく庭に出て、水遣りやら、草取りやらに大忙し。ラベンダーが咲き始めたとか。ラベンダー風味のパンナコッタを作ってみたい気もする。大汗をかいてひと休みに入ってきたときに「はい」と差し出したのが茎の長~い赤いバラ1輪。まあ、ロングステムローズ。プリマドンナのように足を後ろに引いて恭しく受け取ろうとしたら、「とげに気をつけて」。ずっこけるじゃないの、もう。
野ばらのようなタイプなので、すぐに開いてしまうけど、庭のバラでも、バラはバラ。何と呼んでもすてきなバラ。細い花瓶に生けてキッチンのテーブルに置いたら、ちょっとばかり幸せ~な気分になるのは、赤いバラだからか。今夜はご馳走を作ってあげようかなあ、なんて気分になってしまう。ロマンチックよりも食い気なのは年のせいかな?でもまあ、何となく心はふわふわ、ほかほか。その気分で調子に乗って、まだ続いているドラマの仕事をささっと片付けて納品。この案件、これで3つ目?4つ目?どうやらまだ「ジ・エンド」には到達していないらしい。夏休みを取ろうかと考え始めていたのになあ・・・。
庭仕事を切り上げたカレシが持って来たのは派手な黄色い花束。わっ、匂いがきつい。甘いような、苦いような、菊を思わせる匂い。「イエローヤロウだよ」。へえ。そうえいばだいぶ前に植えたのを覚えているけど、そのまま庭の隅に居ついてしまったらしい。(そういうしぶとく生き残った草花は抜かずに放っておくのがカレシの園芸哲学だそうな。)何しろ匂いが強いので、これはカレシが出入りする裏口からときどきハエや蚊が忍び込んでくるオフィスに飾ることにした。ちょっと調べたら、日本名はキバナノコギリソウ。止血や咳止め、胃腸薬などの薬効があって、「庭に植えておくと害虫が来ないんだよ」。へえ、虫もこの匂いを敬遠するのかな。
夕食後はしばらく遊んで、9時近くにトートバッグを2つ持って買い出しに。Whole Foodsで久々に見つけたのがsea asparagus。「海のアスパラガス」という名前がついているけど、あまり似ていないな。北海道では「アッケシソウ」と呼んでいるもので、別名「珊瑚草」。英語の別名はサムファイア。イギリスではよく食べているらしいけど、バンクーバーではめったに手に入らない珍味。蒸して食べるとほんのりと塩味があっておいしいんだけど、1キロ4500円というから、ほんのひと掴みだけにしておく(90グラム)。珍しい食材を買ってしまってから、はて?と使い道を考える能天気なシェフのワタシだけど、好物の「海のアスパラガス」、やっぱりそれに見合ったご馳走を作らないと格好がつかないような。
遊んで、食べてして羽を伸ばすのはやっぱり夏休みだなあ。でも、今年はカレシが夏を通して英語教室を続けるので、英語先生の夏休みはなし。もっとも、ご隠居さんのカレシは年がら年中「夏休み」だけど。今年は夜の部で「最低4人登録しなければ休み」と宣言したら、いつもは生徒さんたちも休みを選ぶのに今年は早々と7人も登録してセンターに教室の使用料(月10ドル)を払ったもので、閉められなくなってしまった。午後の部は続けるつもりでいたから、結局は週1のダブルヘッダーを継続。さらにスカイプを使っての個人教授の実験まで始めたもので、けっこう忙しくなりそうな夏。ま、ご当人はボランティア先生の「引く手あまた」ぶりに気を良くしてやる気満々だからいいけど。
それでは、ワタシの夏休みはどうしよう?ワタシは暑いのが苦手のホッキョクグマなもので、特にこれと言って行きたいと思うところがない。仕事の方はねじり鉢巻をするほどでもなくなって、ちょこちょことやって後は遊びモードでいられることが多い。はて、夏休みって、どんなのがいいのかなあ・・・と、あれこれ考えてみたら、どうもワタシが思い描いていたのは「精神的な」夏休みらしく、仕事からほとんど離れているであろう5年後の日常がどういうものか、プレビューしてみたい気がする。かといって、(四)半現役はまだ初年度だから、客先で人が足りなくなりがちな時期に雲隠れするのもなんだし、ワタシの「どこへも行かない夏休み」、どうしたものかなあ・・・。
こういうのをヤバいと言うのか
7月3日。水曜日。シーラとヴァルが早めに来るというので早めに起きたけど、ヴァルの義理のお兄さんが心臓発作で亡くなったそうで、今日の掃除はキャンセル。まだ70歳になっていなかったそうだから、まだ死ぬには若すぎるな。でも、いつどこから誰の訃報が届くかわからない年代になったなと実感する。
テレビのニュースをつけたら、エジプトで軍のクーデター。民主的な選挙で選ばれたはずのモルシが就任早々から報道規制を図ったりしたと聞いて、何となく危ないと思っていたから、やっぱりという感じがする。長く続いた独裁政権を倒した後で、急に民主的な選挙をやろうと言っても、民主政治を理解している政治家や選挙民が育っていなくて、モルシを選ぶしかなかったのかもしれない。ムスリム同胞団には王政を倒した革命に力を貸しながら、その後ナセル暗殺を企てて弾圧された過去があるし、穏健とは言えイスラム原理主義に変わりはない。まあ、そういう風土でいきなり西洋流の民主主義をやれと言ってもちょっと無理な話かなと思うけど。
おとといのカナダデイに、ビクトリアで州議会議事堂前での祝賀イベントに集まった群衆を狙ったテロ未遂事件があった。ボストンマラソンのときのように圧力釜を使った手口で、最初は何でビクトリアなんだと思ったけど、逮捕されたのはバンクーバー郊外のサレーに住む30代のカップル。名前を聞けば生まれついてのイスラム教徒ではないとわかる。警察発表や新聞報道によると、男は38歳で、元パンクロックバンドのギタリストで、一時期ネオナチに傾倒し、暴行など多数の前科があり、麻薬中毒。元バンド仲間曰く、「モラルの観念がない。イスラムに改宗しても「マニフェスト」を綴るどころか、服従さえできっこない、ただのワル」。なあんだ、ただの犯罪者じゃないの。女は30歳で家族とは疎遠、麻薬中毒。
2人は生活保護で暮らして、ネットなどでアルカイーダとイスラムに傾倒して、self-radicalize(自己過激化)したんだそうだけど、要するに、イスラム過激派が説く暴力肯定が好都合だったんだろうな。本来のイスラム教徒にはいい迷惑だけど、そういうタイプの人間はイスラム社会の外で増えつつあるると思う。彼らが欲しいのは「パワー」。それも動物的なレベルでの支配力だろうな。他人を傷つけたい人たち、他人に苦痛や辛酸を味わわせたい人たち、赤の他人や世間一般に漠然とした処罰感情や復讐心を抱いているような人たちと同類だと思う。ネットで同じ「大量破壊マニュアル」を手に入れられる今の時代には、テロリストもサイコパスも区別がつかないけど、まあ今回もきっと「彼らを疎外した社会が悪い」と言うエライ人たちが出てくるだろうな。DVやレイプの被害者にも非があったと言うのと似ていて、人間の心理って、ほんとに摩訶不思議。
「リーカー」のスノードン君はまだモスクワの空港で立ち往生しているらしい。「アメリカは学校で教わったアメリカではなかった」から、アメリカ政府の秘密中の秘密を大リークしたはいいけど、ある新聞のコラムニストが「秘密漏洩では優秀かもしれないけど、政治についてもっと勉強する必要がある」と書いていた。「なぜ事前に亡命先を選んで、脱出ルートを考えておかなかったのか、無計画すぎる」と。たしかに、子供じゃないんだから、自国に弓を引く以上は「悪い子だ」と叱られるだけでは済まないことくらいわかりそうなもんだけど、周到に計画したようには見えない。ご当人としては心当てがあって自国の政治や外交の情報をリークしたのに、実際の政治や外交がどういうものかは知らなかったということかな。
何でもこの人、日本の米軍基地で働いていたことがあって、そのときに日本のポップカルチャーに魅せられて、日本のことなら武道もマンガも女の子も好きで、日本語の勉強までして、アニメ制作会社で働いたこともあるんだそうな。なんだ、オタクなのか、この人。そう聞いた上で改めて写真を見ると、悪いけど、たしかに「なるほどなあ」と思ってしまう風貌だな。日本にいたんだったら、「その人、覚えてる~」という日本人がひとりくらいはいそうなもんだけど、いないのかな。まあ、いたとしても、状況が状況だから、名乗り出ようとは思わないか。
それにしても、民主主義は人間の動物性と相反するのではないかと思っていたけど、人間が何が、誰が気に入らないというだけで、勝手に過激化して無差別に人を攻撃するようになって行くのかな。それじゃあ、うかうかと外も歩けないけど、自分の安全のために怪しそうな人を監視するとリークされて袋叩きに合いそうで、どうしたらいいんだろう。子供がなくて、先が短くなった年令なのを運がいいと感謝すべきなのか。なんか、しばらく人間世界から休みを取らせてもらいたい気分になって来るような・・・。
ため口をきく自動応答システム
7月4日。木曜日。目覚ましで午前11時半起床。ん、今日はずっと涼しい。寝る頃にはちょうど快適な温度だったので、日が高く昇る午前10時にクーラーがオンになるようにタイマーをセットしておいたら、ちょっと涼しすぎて、あわててクーラーをオフ。ポーチの温度計は正午で15度。いきなりそんな下がってもらっても困るんだけど、まあこの頃のお天気の移り気の早さと来たら。熱気の方はどうやらロッキー山脈の向こう側に行ったらしい。もっとも、週末には戻ってくるつもりらしいけど。
朝食の後でカレシを英語教室午後の部に送り出して、まずは仕事で1日が始まる。今日も連続ドラマ。もう第何回なんだか。でも、やっているうちに事の顛末がだんだんわかって来て、どんな結末になるか想像できるようになるからおもしろい。それにしても、引き金になった「告げ口」には自分は損をしたくない、貧乏くじを引きたくないという気持が丸見え。やっぱり、景気の停滞や雇用不安で疑心暗鬼なって、周りはみんな目の上のたんこぶ。Carthago delenda est(カルタゴ滅ぶべし)とばかりに、あらぬ噂やら苦情。まあ、職場の人間関係ってのは、ほんとにめんどうくさいな。小町横丁に渦巻く嫉妬と不平不満と愚痴は多かれ少なかれ創作や誇張が入っていると思っていたけど、小町のトピックのような事件だけど、テーマ自体はどこでも日常的にあることなのかもしれない。いや、なんかしなくてもいい社会勉強をした気分。
ま、仕事そのものは1時間ちょっとで片付いたので、次は携帯料金の引き落とし用クレジットカードの有効期限を更新する作業。ログインのデータがあるんだけど、なぜかユーザーIDもパスワードも「記録にない」の一点張り。3年前はちゃんと更新したはずだけど、そういえばオンライン請求書のお知らせメールが来なくなって久しいなあ。(つまり、ずっと請求書を見ていないということか。)とにかく、5回試してログインできなければアクセスを1時間停止するそうなので、オンラインでの更新はあきらめて電話でやることにした。自動応答システムというのは便利そうだけど、利用者にはちっとも便利じゃない。携帯からかけた一度目は、なぜかコールセンターに入ってしまって、やかましいロックを聞かされながら順番を待つこと20分。早くつないでくれないと電池が切れるぅ~。
携帯を耳に当てている手が疲れたので、諦めて今度は電話。こっちも当然自動応答システムで、まずは携帯の番号を入力。次に4桁のPINを要求されて、えっと「ファックス番号の下4桁」は・・・。(ファックスはお払い箱にしたし、電話としても使っていないから、番号がうろ覚え。)まあ最初の難関?を突破して、「アカウントの更新」まで進んだ。でも、クレジットカードの番号を間違って入力して、いつの間にかコールセンター。こっちはまだましな音楽だけど、待つこと永遠の予感。10分ほど待ってギブアップ。5分ほどおいてかけ直し。少し手馴れた感じでまた自動システムの指示通りに進んで、カードの番号も今度は間違えないように慎重に入力したら、番号を読み上げて「間違いないですか」。ないってば!と「1」を押したら、「Thanks(どうも)」。(おい、Thank youと言わんかい。)
次に「カードの4桁の有効期限」というから、やっと!と新しい有効期限を入力したら、「お支払い金額を」と来たもんだ。自動引き落としなんだから、0.00ドルと入力したら、「お待ちください」。で、「プロセスできませんでした」と、ピロン、ピロンとカード番号の入力に戻って、また有効期限を聞くから、また新しい数字を入力したら、どういうわけか今度は、「更新に成功しました」。やれやれと思ったら、「Thanks」。おい、こら、オトモダチじゃないんだから、ちゃんとThank youと言わんかい。まあ、自動応答システムのロボットおばさんに文句を言ったところで、苦情を聞く耳をプログラムされているとは思えないから、ぶっきらぼうに「わかりません」と返って来るのがオチ。自分で考えて判断できるようになったというアシモ君と交代してくれないかなあ。あの子は少なくとも可愛げがあるから・・・。
4桁の数字を変えるだけなのに、結局1時間もかかってしまった。IT隆盛の世の中、ほんとに便利になってるんだか、ほんとは不便になってるんだか、もう・・・。
たまには思考停止
7月5日。[イメージ] ひたすらスクラブルで遊び、ひたすらクロスワードパズルを解き、ひたすらジグソーパズルで遊び・・・。
たまに家事をしてご馳走を食べる
7月6日。土曜日。また暑くなって来た。きのうは料理以外は1日何もしなかったので、今日はちょっとばかり家事。ランドリーシュートがいっぱいなので洗濯機を回し、今週は定期の掃除がなかったからキッチンの床掃除(といっても、これはルンバの担当。)冷蔵庫とフリーザーをかき回して夕食の食材選び。半端な使い残しがけっこうあるから、まとめて遊びがてらの整理・・・。
今日のメニュー:
アミューズブーシュ(えびボールとししとうの揚げ物、ビーツ)
冷や奴通り(サーモンキャビア、アヒのタイ風ポケ、とびこ)
ねぎ入り鶏ももロール、ビーツの葉のソテー、サンファイア(蒸)
[写真] ゆうべの寝酒のおつまみだったガーリック味バゲットチップの袋の底に残ったかけらをマドラーで叩いてパン粉にして、夕食にえびの蒸し団子を作って残った種をボールにまとめて、調味料用カップの中に入れたパン粉の中をころころ。ししとうと一緒に揚げて、かっこつけにスティックを差してみた。小指の先ほどの小さなビーツはカレシ菜園から間引きしたもので、さっと茹でて葉っぱといっしょに彩り。
[写真] 賞味期限が過ぎている木綿豆腐だけど、意外と長く持つ。ちょっとつまんで口に入れて、酸っぱくなければ大丈夫、ということで、暑いから冷やっこ。一応茹でて、氷水につけて冷やしたものを半分取って、さらに6つに切って、3通りの味。サーモンキャビアととびこはそのまま、アヒはタイ風のポケにしてみた。ミックススパイスをがりがり挽いて混ぜ、タイの唐辛子ペーストをほんの少し。ねぎ少々とコリアンダー、にんにく、トーストして刻んだマカダミアナッツを刻んで混ぜて、ごま油と醤油。かいわれと作り過ぎて残っていたざるそばのつゆを添えて、ちょっと気取った一品。
[写真] 鶏のもも肉が半端に3枚。包丁で開いて、おろししょうがと醤油、酒に漬けておいて、幅に合わせて切った長ネギをたっぷり載せ、ロールアップして紐で縛ったものに小麦粉をまぶして、転がしながらフライパン焼き。その間にサンファイア(sea asparagus/アッケシソウ)を蒸し、ピーツの葉をバターでソテー。焼き上がった鶏ロールの1個を半分に切って(崩れたけど・・・)、今日のメインコース。
少しずつのつもりでも、これだけ食べるとおなか一杯。今日はランチ抜きかな。たまに「掃除洗濯料理」をやるのもいいもんだね。
鳥が卵を温めるように
7月7日。日曜日。午前11時半に目覚ましをセットしておいたけど、それより早く目が覚めた。今日はちょっと暑い感じ。そそくさと朝食を済ませて、ささっと簡単にメイクをして、劇団関係のガーデンパーティにお出かけ。
バンクーバーのショーネシー地区は古くからのお屋敷町。その一角にある「邸宅」の庭でクロッケーとカクテルのパーティ。クロッケーなんて『不思議の国のアリス』で読んだきりで、実際にやったことないよ~。内輪のサークルではまだ新米メンバーなもので、予めドレスコードを聞いたら、「レセプションほどにはおめかし不要、でもジーンズとTシャツはご遠慮ください」と。ははあ、ファシネーター(アスコット競馬なんかでご令嬢たちが被る奇抜な「帽子」)はいらないんだな。ま、これは冗談だけど、着飾りすぎず、カジュアル過ぎず。暑そうなので、ちょうど膝上の長さでお気に入りのシルクのスリーブレスドレスを選んだ。
パーティ会場のすぐ外にずらっと並んだ車の間に割り込んで路駐したら、うはっ、アウディとかレクサスとかベンツがずらりと並んで、うちのエレクトリックブルーのエコー(トヨタのヴィッツに相当)が目立っちゃう。まあ、地点Aから地点Bに問題なく行ければ車に貴賎なしで、ワタシは高級車に挟まってエラソーにしているおちびのエコーを見て、おもしろい構図の絵になりそうかなあなんて考えている。門のところの受付で「プレイする?」と聞かれて即座にイエ~ス!と答えたワタシ。「じゃあ、赤組のオレンジのボールね」と渡されたルールシート。ミントジュレップを飲みながら、とりあえずルールを覚えることから始める。
パーティに来ているのは数人の若い人たちを除いてほとんどが60代以上に見える。たぶんみんなお金持ち。(お屋敷の女主人は両手で数え切れないくらいの芸術や福祉団体の理事や顧問をしている。)でも、シーズン中何度かのレセプションで顔なじみになった人もいて、みんな演劇が大好きな人たちだから、ここでは元政治家も元実業家も庶民も、ものさしは水平。「クロッケーは初めてなの」というだけで話が弾んで、おまけにいぶし銀のような紳士たちがコーチを買って出てくれる。まあ、ワタシは人さまの地位や肩書きなんぞ聞いても右から左に抜けてしまう能天気だし、「来るものは拒まず、去るものは追わず」的に初めて会った人とでも世間話に花を咲かせる性質なので、ラッキーなんだと思う。カレシは逆に手持ち無沙汰っぽく「誰か相手してくれないかなあ」といった顔で離れたところに立っていることが多い。
結局のところ、ワタシはウィケットを3つ通過したところでゲーム終了。(よし、来年は最低4つ通過を目指すぞ~!)最後に芸術監督から各組の勝者に賞品のワインが渡されて、パーティはお開き。すごく楽しかった。ここのところ頭の中、心の中にもや~っとかかっていた蜘蛛の巣を払いのけてすっきりした気分。この蜘蛛の巣については改めて客観的に考えて見ることにして(だから脳みそがくたびれるんだっつうの)、帰り道でカレシが「人の輪ってゆっくりとできて来るもんなんだな」と言ったのが印象的だった。今日のカレシは他の人にわりと話しかけていたような気がするな。カレシはかなり自意識過剰なところがあって、(上下関係・優劣のものさし上での)自分の位置がわからないと引っ込み思案になる。でも、何か感慨深そうなことを言っているところを見ると、やっと打ち解けて来たのかもしれない。
たしかに、友だちが欲しいと思って募集(友活?)すればたくさんできるってもんじゃないし、自分にぴったりの友だちを見つけてくれる婚活サイトみたいなアルゴリズムがあるわけでもない。恋愛も結婚も然りで、自分がしたいからってできるというものでもない。社交的な集まりでも、新入りですぐに周りに人が集まって来ると思ったら買いかぶりもいいところで、何らかの方法で「集める」ことはできるだろうけど、いつまでつなぎ止められるかはまた別の話。だから、鳥の卵を温めるみたいに、自然体でゆっくりと行けばいい。まあ、期待外れでがっかりしたり、待ち切れなかったりして、もしかしたら不死鳥が孵るかもしれない卵を壊してしまったり、巣から放り出してしまうせっかちもいるけど。
さて、連続ドラマの続きの続きの続きの・・・ああ、また蜘蛛の巣がかからないうちに終わってくれるといいけど。(終わったら、また脳みその半分を開店休業にするのもいいかなあ・・・。)
脳みそフル回転
7月8日。[イメージ] 月曜日。今日は大まじめの仕事日。連続ドラマ、まだ続くのかなあ。早く結論が出ないかなあ。
日本語思考、英語思考。間にがっちりと挟まったワタシの脳みそは右も左もフル回転。
くたびれて来たから、どっちかにしたいけど・・・。
日本語思考、英語思考。間にがっちりと挟まったワタシの脳みそは右も左もフル回転。
くたびれて来たから、どっちかにしたいけど・・・。
どっちかひとつにしたらどうなの
7月10日。水曜日。今日も朝から仕事、仕事。このドラマにはもう飽きたなあ。でも、数珠つなぎになっているから、今さらもうやめた~と言うわけにもいかない。まあ、引き受けた仕事を放り出すのはプロのプライドが許さないしなあ。でも、午後8時過ぎ、[イメージ]
やれやれ、くたびれた。この商売、座りっ放しだから身体的には楽だけど、ときたまこういう精神的にどよ~んと疲れる仕事もある。
なにしろ、職場での嫌がらせ(イジメ)が根底にあるから、まったくの他人事として自分の気持から切り離すのが難しかったし、元原稿の内容は思いっきり日本人の情緒で、ぼかしたり、はぐらかしたりの言葉の端々や言い回しの裏まで読み解いてから訳さないと、思いもよらない結論になってしまいかねない。ナットとボルトと歯車がどうのこうのとか、海流の温度がどうのこうのとかいう無機質なテーマの方が、内容がどんなに難しくても精神的なストレスが小さくてよっぽど楽だと、ため息、ため息・・・。
それにしても、日本人の情緒にすっかり疎くなったのか、それとも、元から疎かったのか。それとも、年を取って、脳みそが2つの言語の間を取り持つのに疲れて来たのかな。それとも、それとも・・・。何にしても、どっちかひとつだけで考えていられたらどんなに楽だろうなあと思ったこと、今までにあったかなあ。
人工知能の悪知恵
7月11日。木曜日。午前11時30分、目覚ましで起床。今日はわりと涼しそう。夜の最低気温は10度近くまで下がるらしい。菜園の野菜にはちょっと寒いかも。
カレシを英語教室に送り出して、今日はシーツ類の洗濯で1日が始まった。ついでにキッチンの換気扇のフィルターが油っぽくなっているので、食洗機にセット。二階に置いたままだった洗濯かごに残っているワタシの下着やTシャツを畳んでしまって、残りはカレシの分だけ。まあ、そのうちに、下着がなくなるたびにかごの中をかき混ぜて引っ張り出すのがめんどうになって、自分で畳むだろうと思うけど。
ケベック州のラックメガンティックで起こった石油を積んだ貨車の暴走脱爆発事故では、まだ行方不明の30人ほどの人たちはおそらく2千度近い高温で灰になってしまっただろうと言われている。現場のすぐそばで跡形もなく吹っ飛んだパブでは、週末と言うことで若い人たちがパーティをしていたと言う。人口がわずか6千人ほどの小さな町で犠牲者50人余りはあまりにも悲劇的過ぎる。今になって、列車を止めて宿泊先に向かった機関士がブレーキをしっかりかけていなかったのではないかと言われている。緩かったのはブレーキじゃなくて、それを操作する人間の頭の配線の方か・・・。
サンフランシスコで事故を起こしたアシアナ航空のボーイング777も、今のところは機械装置に異常が見つかっていないということで、人的ミスである可能性が強まっているらしい。パイロットが、オートスロットルが機体の速度を維持してくれていると思っていて、警報が鳴るまで気がつかなかったという話で、あわてて機首を挙げて上昇しようとしたけど、説きすでに遅しだった、と。昔は機長と副操縦士の他に、航空機関士が乗っていて、並んだ計器を監視していたもんだけど、今どきの旅客機はエアバスもボーイングも何から何までコンピュータ化されていて、航空機関士は不要になってしまった。これからはザッカー兄弟のヒット爆笑パロディ映画『Airplane!』(日本題は『フライング・ハイ』)に出て来た膨らまし式のオートパイロット「オットー氏」がいれば十分かも・・・。
自動車メーカーは「自動運転」の車を開発中だというし、日本ではああだこうだと手取り足取りの電子レンジが発売されたそうだし、他にも「人工知能搭載」と称してああだこうだと話しかけてくる家電がいろいろと開発されているらしい。そんなに何もかもキカイにやってもらっちゃって、いいのかなあ。(ワタシだったら、毎日冷蔵庫や電子レンジや掃除機に喋りまくられたら「うるせぇ!」とぶっちぎれてプラグを抜いてしまいそう。)まあ、便利だろうとは思うけど、キカイを「操る」技術が衰退するなじゃないかな。前にあった飛行機の墜落事故では、コンピュータが機体の異常を知らせる警報を鳴らしたのに、パイロットが「コンピュータの異常」だと思い込んで、プログラムを再設定しようと「リセット」したのが命取りになったという話だった。何でもかんでも「オート何とか」におまかせしたら、どうなるんだろう。人間がみんな自分の頭で考えるのをやめて、何かあったら反射的に「リセット」ボタンをピッ!ということになるのかな。
そのうちに車も家電も操作ボタンが「START」、「STOP」、「RESET」の3つだけになるかもしれないな。自動車や飛行機やその他の乗り物はひとこと行き先を言うだけで、GPSとオートドライブ/パイロットにおまかせ。目的地に着くまで座席で寝不足を解消したり、スマホをいじったりしていればいい楽ちんな世の中になるかもしれない。冷蔵庫は食品の賞味期限や鮮度を監視してくれて、時間になれば「今日のご飯にはこれとこれを使いましょう」なんて指示してくれるかもしれないし、掃除機は子供が散らかしたおもちゃも片付けてくれるかもしれないし、テレビの前に座れば「見たいのはこれですよね?」とチャンネルを選んでくれるかもしれないし、朝目覚ましが鳴っても、深いため息をつけば「今日は休みます」と会社に電話してくれるかもしれない。人間、自分の頭で考えなくてもいいのって、どれだけ楽ちんなことか・・・。
でも、諸々のキカイの「人工知能」がどんどん発達して、やがて自分の人工頭脳で考えるようになったら、人間を支配する一番の方法はとにかく何も考えなくてもいいようにすることだ、なんて悪知恵をつけてしまって、あらゆるキカイのプログラムに悪巧みをデフォルト設定で仕込んで、人間を意のままに動かすようになるかもしれないな。なんかSF小説みたいだけど、今どきのアプリには考えないユーザーをだしにするようなデフォルトが設定されているものがけっこうあって、特に「無料」と銘打ったものは、たとえ大手の「信頼できる」アプリであっても油断がならない。じゃまっけな広告の他にもいろいろと「おまけ」が付いて来て、タダほど高いものはないことを思い知らされる結果になりかねない。
そうそう、ロシア政府の機関が昔ながらのタイプライターを大量に発注したんだそうな。昨今の相次ぐ秘密情報のリークが背景にあるらしい。ひょっとしたら、人間が機械や道具を自分で考え、考え操っていた時代に戻って行くようになる前兆・・・な~んてことは、ないかな。「タイピスト」がまた花形職業に返り咲いたりして・・・。
要するに日日是自然体?
7月12日。金曜日。2人ともぐっすり良く眠ったと見えて、目が覚めたら午後12時半。まあ、英語教室の翌日(つまり金曜日)はカレシの週末。ワタシも日本の金曜日(つまり木曜日)が終わるまでに飛び込み仕事が入って来なかったので、、「仕事のない日が週末」の方針に従って今日は週末。日本は三連休だそうだから、少なくとも丸々3日の休み。
カレシが運動がてら野菜類を買いにモールまで歩こうというので、朝食後さっそくトートバッグを2つ持って、2人とも野球帽を被って、いざ出発。天気はいいし、海風が通ってあまり暑くない。2人で歩いて出かけるのは久しぶりで、手をつないで、とりとめのないおしゃべりをしながら、それでも「運動」のペース。今朝のニュースで、先週の暑さで遅れていたブルーベリーが一気に熟し始めて、郊外では早生の収穫が進んでいると言っていたけど、Kin’sに入ったら、おお、あった!ブルーベリーを山盛りにした大きな容器がずらり。この夏の初ブルーベリー!さっそく容器ごと買ったら約1.5キロ。うん、粒もけっこう大きくて、食べがいがありそうだなあ。
それほど多くない買い物を2つのトートバッグに分けて詰めてもらって、帰り道もおしゃべりに花を咲かせながら、てくてく。カレシ曰く、「2、3日おきにこうしてモールまで歩くといい運動になるし、地物の旬の野菜や果物が買えて一石二鳥だね」。そうそう。夫婦の会話も 弾むから、クオリティタイムつきで一石三鳥というところもしれないね。「あのね、おじいさん」、「何だい、おばあさん?」なんて、これからはこういう穏やかな日々が何よりのくつろぎになるんだろうか。(大きな桃が流れて来たらタイヘンだ。)
何だか精神的に疲れる仕事に捕まったおかげで、その前から漠然と頭のどこかにあった「もやもや」の形が見えたように思う。2度目の年金の入金を確認したときに、ふと思った。ワタシの人生はあと何年くらい残っているのか。30年近い年月をかけて地を固めたカレシとの「2人の時間」はあとどれくらいあるのか。元気でいれば20年くらいあるのかな。長いようだけど、過去の20年を振り返ると、実はあっという間に過ぎてしまいそうくらいに短い。その20年をどんな風に生きたいのか。「日日是好日」の禅の境地なのか。でもこれ、つまりは「日日是自然体」ということじゃないかという感じもするなあ。まあ、ブルーベリーを味わいながら、じっくりと沈思黙考してみるか・・・。
カレシ菜園は実験農場
7月13日。土曜日。起床は正午。カレシは先に起きいて、菜園の水遣り。気温は平年並みの22度。海風が通って気持がいい。週明けにはまた少し暑くなるという予報だけど・・・。
カレシが収穫(間引き)してきたビーツ[写真]
「きゅうりが伸びて来て、トレリスを超えそうだ~」。
おお、今年はきゅうりが採れるんだ~。
「伸びるばかりで花が咲かないの。頭を切ったら横に伸びるかな」。
エスパリエのように広げてみたら?
「やってみるか。それと、花が咲かないのは水のやり過ぎかなあ・・・」。
「おい、ナスはどれくらいの高さになるんだ?」
う~ん、よく知らない。5、60センチじゃない?でっかい西洋ナスはもっとだろうけど。
「だいたいそのくらいになったから、そろそろ花が付くのかなあ」。
今年こそうまく行くといいねえ・・・。
「おい、芽が出てしまって捨てようとしたにんにく、鉢に植えてみたら芽が伸びてきたぞ。自家製にんにく、いいなあ」。
売っているような大きなのはできないと思うけど・・・。
「でも、自家製は絶対に味がいいはずだ」。
コーニッシュヘンにぎっしり詰めてローストするといいかも・・・。
「うん、ほんとは植える季節じゃないらしいけど、育つといいな。ま、オレの菜園は実験農場ってところだから」。
でも、輸入ものだから、どうかな。今度1個50セント(約50円)のギルロイのにんにくで試してみたら?ローストすると輸入物よりも味がいいから、価値がありそうじゃない?
(サンフランシスコの南にあるギルロイはアメリカきってのにんにく産地。ご当地では「世界のにんにく王国」だと言っているけど、そういえば、もうすぐギルロイの「ガーリックフェスティバル」の時期だなあ。)
ねえ、またサンフランシスコに行って、「Stinking Rose」に行く?(この「くっさいバラ」という名前のレストランはにんにく尽くしのメニューが売り物で、ガーリックアイスクリームのデザートは逸品。)
「去年の12月に行ったから、今度は別のところがいいな、ラスベガスとか」。
じゃあ、秋になったらオカナガンのワイナリー巡りなんてどう?おしゃれなホテルとレストランのあるワイナリーもあるし、トラックで行けば、ケースで買って来れるし・・・。
「そうだなあ、ソーカーホースをセットしとけば3、4日出かけても大丈夫だなあ」。
行こ、行こ!(でも、もう4年くらい、ワイナリーめぐりに行く話をしてるよねえ・・・。)
何もない日曜日の朝ごはん
7月13日。日曜日。起床は正午。少し暑くなって来た。
朝食のオレンジジュースがない。ミルクがない。ひまわりの種もない。コーヒーは1日分ならある。これは非常事態だ、ということで、今日はジュースもミルクもいらない日本の朝ごはん。
[写真] こういうときのために作って冷凍しておく塩ざけ(銀ザケ)、明太子、ニラの卵焼き、大根と油揚げの味噌汁、寝る前に水を入れておいた麦入りの発芽玄米のお粥は、ほんの少しプチプチした食感が残っていておいしい。
なぜか我が家は非常食の方が普段よりも格段にグルメだったりする。それにしても、日本の食事のしたくは時間がかかるもんだ。まあ、ワタシの要領が悪いのかもしれないけど、スペシャルならともかく、これを毎日やるのはワタシにはタイヘンすぎる・・・。
にちようびは
7月14日。[イメージ]
風の吹くまま、気の向くまま・・・
7月15日。月曜日。正午ぎりぎりに起床。まずは業務上の事務処理から。法律専門の翻訳会社のロンドン、サンフランシスコ、ニューヨークのオフィスにそれぞれ予定の連絡(週の後半まではダメ)。世界中の主要都市にオフィスがあるけど、その3つから同時に引き合いが来たのは初めて。はて、何か国際的な商業紛争の大型案件でもあるのか。でも、やる気がわかないから、どうか何も言って来ませんように。
きのうはできるだけコンピュータから離れて、タブレットで遊んだり、ちょっとだけ家事をしたり。ニュースを見ながらあれこれ、食事の支度をしながらあれこれおしゃべりをしているうちに、11月のサンアントニオ行きは最終的に中止。オースティンにも行って、ニューオーリンズまで足を伸ばす10日。くらいの予定だったけど、カレシもそういう旅行は少し億劫になって来たらしい。4、5日の短い旅行の方がいい、と。互いに家の中や庭をうろうろしながら、2人が顔を合わせると野菜作りの話、料理の話、5、60年代のポップスの話、英語教室のディスカッション教材の話。さりげなく密着していた感じで、心行くまでゆったりとした1日が過ぎて行った。
銀行サイトで請求書の支払い処理をしながら、(すべて共同名義になっている)口座の明細を見て考える。年金は今2人合わせて月46万円。それぞれの個人年金が加わっている5年後には(インフレ調整がなくても)月60万円くらいになる。これが私たちが土砂降りの雨にもめげず、竜巻のような大風にもめげずに38年かけて地盤を固めて、準備してきた老後の糧。その悠々自適の「老人2人暮らし」はどんなものになるのか。もしもカレシの方が先に逝ってしまったら、生まれ育った土地を離れて異国の土に深く根を下ろしたワタシの「おひとり様の老後」はどんなものになるのか。
初めて入金された年金を見て「老後」の始まりを実感して以来、ずっとそんなことを考えていた。それが、イジメが絡む事件の顛末を訳す仕事に関わって、何となく心をかき乱されてしまって、そのおかげでというわけでもないだろうけど、やっと方向が見えた。もやもやの正体が見えてみたら、おとなの人生のほとんどを生きて来たこの国の普通の人として余生を送って、「My life was good(いい人生だった)」と言って普通に死ぬと言う、いとも単純なイメージ。その余生が仮にあと20年あるとすれば、それを目いっぱいに楽しむにはどうしたらいいのか。何をしたいのか。
そうだなあ、長いこと在宅で篭っていたから、外へ出て行ってこの国のいろんな人たちと出会ってみたいし、カレシと一緒の時間をたっぷり楽しみたい・・・と考えているうちに、ストーリーを書きたい、絵も描きたい、即興演劇もやりたい、楽器もいじりたいと、かって燃え盛った後にしばらく熾火のようにくすぶっていた「表現欲」とでもいうものがめらめらと燃え上がって来たから不思議。生まれつきワタシの頭の中には「表現したいイメージ」がいつも渦巻いていたような気がする。だからこそ、中学生になって初めて英語の教科書を開いたときに「頭の中のイメージを表現する方法が他にもあったのか」と感動したんだと思う。あれから50年余り。あの感動の原点に戻ってみたい気持がある。
なぜか、カナダに来てから一度も日本に帰りたいと思ったことはないし、「異国で暮らしている」感覚はとうの昔から微塵もないし、掲示板でよく見かける「英語を話すもどかしさに疲れたから思い切り日本語を話したい」という欲求も感じたことがない。(逆はあるけど・・・。)まあ、長年日本に住むアメリカ人の同業者の中にも、年を取るにつれて思考やボディランゲージがすっかり「日本人」になった人たちがいるから、それぞれに自らの「精神的な居場所」を見つけたということで、たまたまそれが彼らには日本であり、ワタシにはカナダだったということに過ぎないと思う。折りしも、カレッジの秋の継続教育プログラムの案内が来る頃。また創作講座に戻って、頭の中や心の奥にごちゃごちゃあることを文章やイメージや動作として表現する楽しさをまた味わいたいと思う。もちろん、へたの横好きはもちろん百も承知の上で・・・。
この数年の間にだんだん日本語で機能することがめんどうくさいと感じるようになって来ていて、最初のうちは心理的なわだかまりが残っているせいだと思っていたけど、これまで30年近くも自然に打てていた日本語のローマ字入力が、最近はなぜか「ローマ字綴り」を意識していないと指が動かなくなって来たから、その意味でも「65歳定年」はひとつの潮どきなのかもしれない。「日本語を錆び付かせないため」に書き始めたブログだけど、三日坊主のワタシが7年間せっせと書き綴ったものを読み返すと、文章も文体も質的に向上しているとは思えない。英日翻訳ではきちんとした教科書的日本語を書けていたのに、もしかしたらワタシの「日常日本語」は27歳で日本を離れた時のまま止まっていたのかもしれない。(家族や友だちに会ったときだけはかなり普通に日本語なのはそのせいかな。)
まあ、今さら日本語の質の向上を図らなくたって何の差し障りがあるのかという気がする。筆不精ながらも家族や友だちへのメールや手紙は書けるし、これからも仕事を続けていれば読まなければならないんだから、忘れるということはまだ当分ありえない。何よりも、自分の食い扶持を稼がなければというプレッシャーがなくなったんだから、これからの時間は38年かけて耕してきた「ワタシの畑」のいわば「収穫の秋」を楽しみたい。こんなふうに蜘蛛の巣を払って行って、たどり着いた結論は、いかにも極楽とんぼ流に「とりあえず無期限のぐうたら休暇」。風の吹くまま、気の向くままに・・・。 [イメージ]