リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年6月

2012年06月30日 | 昔語り(2006~2013)
それでは行ってきま~す

6月1日。金曜日。忙しいったらない。とにかくやるべきことがこまごまとある。6月中の支払を設定して、ついでに急にカナダドルが下がって来たので、アメリカドルの口座から少し移しておいて、東京と札幌と釧路の天気予報を調べて印刷して、それからやっと荷造り。カレシは自分が持って行くものをベッドの上に積み上げて「よろしく~」。大きなスーツケースはずいぶんと余裕があるから、うん、どかっと買い物をするか。今日から免税枠が増えて、24時間だと50ドルから200ドルに、48時間以上だと400ドルから800ドルにと大盤振る舞い。7日だともっと上がるかと思ったら、なんだ、750ドルが800ドルになっただけだった。政府は何を企んでるんだろうなあ・・・。

カレシは「やっぱりまともな服装をしている方がいいかな」と、ちょっと色あせたジーンズはスーツケースに収納。そうだなあ。あまり貧乏くさい格好だとうさんくさい目で見られるかもね。1990年代、ワタシは日本での会議に行くのにビジネスクラスに乗っていたんだけど、搭乗するときにいつもゲートで「ただ今、ビジネスクラスのお客様をお先にご搭乗いただいております」みたいなことを言われて止められていた。まあ、アジア人のすっぴんで冴えない中年おばさんがバックパックにジーンズという格好だから、ビジネスクラスのチケットを持っているとは想像もしないだろうな。ワタシはつらっとした態度で、あ、わかってますと、搭乗券をひらひら。そのときの反応がけっこうおもしろかった。

当時のカナディアン航空のスタッフは、すっと寄って来て英語で普通に「今は・・・」とやって、ワタシがチケットを見せるとあっさり「失礼しました。どうぞ~」で終わりで、周囲の誰も気がつかない。でも、日本航空の場合はすましたおねえさんが「お客さまぁ、まだご搭乗になれませんのでぇ、もう少々お待ちくださぁい」とか何とか日本語でけっこう大きな声を出すので、順番を待っている人たちが一斉にこっちを注目する。そこでワタシはイジワルに知らんぷりを決め込んでいると、もう少し大きい声で「エコノミークラスのお客さまには・・・」とか何とか。それでも無視していると、やっと「ヤダ~、この人、ガイコクジ~ン?」と思うのか、英語に切り替えてくれる。そのときに声のボリュームが一段下がるからおもしろい。通せんぼしてくるから、にっこりと「わかってますって」と搭乗券をひらひらすると、困った顔になってひたすら平謝り。だって、みんなが見てるんだもん。かっこ悪いのはどっちの方かなあ。

もう20年近く前の、世界に誇る鶴丸マークの会社が存亡の危機に陥るなんて誰も想像さえしなかった時代で、客室乗務員は何となくお高くとまっている印象だった。でも、英語をしゃべっている客にはめっちゃサービスがいいと言う噂は本当だった。見ていて接客態度の違いがわかるくらい、特にエコノミークラスの旅なれていなさそうな日本人客にはさりげなくつんけんしていたっけな。まあ、あの頃は「スチュワーデス」といえば若い女性の憧れの職業で、だから採用する方も腕によりをかけて美人を選りすぐったんだろうし、そうやって「選ばれた」人たちだから、たぶんプライドが高かったのかもしれないな。カナダやアメリカの航空会社の客室乗務員は結婚しても寿退社せずにそのまま飛び続ける人が多いから、ベテランのおばさんたちがずらり。きれいどころに飲み物を手渡してもらうのを楽しみにしていた日本人男性には「ババーデスばっか」と不評だったみたいだけど、まさか空の上の「スナックバーのねえちゃん」のイメージを抱いていたわけじゃないだろうな。それじゃあ、つんけんしたくもなるかも・・・。

ま、荷造りも無事終わったから、あとはリラックスしてひと眠り。あした、いよいよ出発。6月21日まで、仕事もブログも放り出して、目いっぱい遊んで来ようっと。では、行ってきま~す!

旅の空はホテルが仮の我が家

6月21日。木曜日。帰って来た。我が家到着は正午。気温は17度で、風が何とも心地がいい。ほぼ3週間、毎日元気いっぱい良く遊んで、もりもりと良く食べたなあ。おかげで体重が2キロちょっと増えて帰って来て、維持目標オーバーがさらに拡大。あ~あ、どうしよ~。まあ、カレシも帰ったら即刻ダイエットだ!と宣言していたから、大きなおみやげを抱えていることは実感しているんだろうけど、それにしても、ストレスがたまって太り、楽しくやりすぎても太り・・・。

ほんとに、自分でも感心するくらい良く遊んだ。一度だけけんかをしたけど、それはカレシが旅行用に買ったビデオカメラを(練習を怠ったから)使いこなせなくてイライラしてキレたのに対してワタシがキレたもので、北海道庁赤レンガの前で派手に口げんか。まあ、外国くんだりまで来て互いにふてくされてみたってしゃ~ないやということで、けっこうすぐに仲直りしたけど、周りにいた人たちはさぞかしびっくりしただろうなあ。だって、いい年をしたヘンな異人種カップルが外国語で大げんかしているんだから。とにかく仲直りして、後はひたすら遊興三昧・・・。

日本での最初の2泊は丸の内(八重洲南口だけど)にあるフォーシーズンズ。ブティックホテルというだけあって、サービスは重箱の隅の隅まで申し分なかったけど、エレベータに乗ったり降りたりするたびにそこにいるスタッフ全員にバカていねいに頭を下げて挨拶されていると、なにしろ「苦しゅうない」と通り過ぎるセレブには生まれ着いていないから、だんだん「もういいよ~」という気分になって来るな。客室はエレガントだけどなんか無菌状態って感じがして、密着サービスと好対照だった。ただしホテルのレストランの朝食は良かった(すっごく高いけど)。札幌の京王プラザは外観とロビーの雰囲気が新宿のと似ているけど、ルームキーを渡されてびっくり。部屋番号のタグがぶら下がっている昔ながらの「鍵」。「高層階」なんだけど、バスルームは昔ながらの「ユニットバス」。おお、昭和の香りがぷんぷんするような・・・。

釧路での「ホテル」は小学校1年生から仲良しだった友だちの家。子供たちが独立し、離婚して小学校前の実家の隣に立てた小ぢんまりした家でダックスフント2匹とひとり暮らし。ワンちゃんたちは客が来るとはしゃぎすぎるということで、「バケーションに行ってもらったの」。ワタシたちが寝る部屋で「適当に布団を敷いて、枕も適当に選んでね」。所用があると言って出かけたと思ったら、外から窓をガラッと開けて「○○忘れた!ほら、そこにあるヤツ」。ついでに「この道を行って信号で左に曲がってお風呂屋の近くにあるコーヒー屋でどれでも好きなコーヒーを買って来て。玄関の鍵?そんなのかけなくたって大丈夫だって」。おひとりさま用のお風呂にカレシが浸かったら、お湯が半分溢れ出てしまったけど、とっときのワインを開けて、25年ぶりのおしゃべりに花を咲かせながらの彼女の手料理は何よりも最高のご馳走だった。

オホーツク海に面した紋別では人口3万以下の小さな市に3つもあるモダンなホテルのひとつ。ホームページの写真で見た部屋が狭そうだったので1室しかない大きな「デラックスルーム」を予約してあった。標準タイプの3倍はありそうな広々とした部屋からの港の眺めは格別。天気が良い日の朝日はすばらしいだろうな。屋上に展望フロアがあるということで、エレベーターの中に「明日の日の出は3:44」という紙が貼ってあった。まあ、いくら朝日に輝くオホーツク海へと漁に繰り出す船を見るのは感動的かもしれないけど、午前3時44分はねえ・・・。ちなみに、この部屋のバスルームは、バスタブは西洋式のだけど、広い洗い場がついていて、日本式、西洋式のどちらでも入浴できるようになっていたのは賢いアイデアだな。

東京へ戻ってのホテルはこの4年間「定宿」のようになっている新宿の京王プラザで、3回目の今回は32階。つい先月殺人事件が起きたばかりだけど、たしかに4年前に泊まった時、2年前に泊まった時を比べると、人のサービスは変わっていないけど、全体的な内容(というか格式というか)がかなり下がって来ているのは目に見える感じがする。部屋においてあるアメニティもずいぶんと減った。アイロンもアイロン台もなくなったし、コーヒーはインスタント、ミニバーのお酒の種類も激減。まあ、それでも部屋の広さは手ごろだし、それほど高くないし、和洋中華のレストランがいくつも入っているし、夜中過ぎまで開いているコンビニまであって、1週間、10日と腰を落ち着けて泊まるには「アットホーム」な心地の良さはある。

もっとも日曜日の夜にバスルームで水もれが発生。すぐに修理の人を連れて来たのは良かったけど、翌日の午後にはまた水がもれて来て、前日と同様にカレシのジーンズのお尻がぬれてしまった。(「説明しにくいよ~」とカレシ・・・。)フロントで「はけるものがなくる」と相談したら、「では、お部屋を変えますので、すぐに荷物をまとめられますか?」へえ、引越しかあ。(隣の部屋が空いていれば便利だけどなあ。部屋中に散らかしてあったものをスーツケースと買い物袋に適当に詰め込んで連絡したら、「引越し先」は33回の角の部屋。入ってみたら、ひ、広い!新宿駅方面の眺めがすばらしいし、遠くにスカイツリーも見える。 ベッドはキングサイズで、1人がけの椅子ひとつの代わりにソファがあるし、バスルームはバスタブの隣に別にシャワー室がある。ふむ、もう2、3日早く水漏れしてくれたら良かったのになあ・・・と邪まなことを考えるワタシ。

でも、残りが3泊だからいい部屋に入れてくれるんであって、あと5泊するというタイミングだと、たぶん同じレベルの部屋だったかもしれないな。街もいろいろ、人もいろいろ、ホテルもいろいろ。そのとき、そのときは何だかなあと思っても、やがてはそれぞれに楽しい思い出になる。

空の旅もいろいろあって

6月22日。金曜日。雨模様。ポーチの気温はなんと13度。夏至も過ぎて、もうすぐ7月になるんじゃないの?7月って夏の季節でしょうが。なのに、この温度。なんで?まっ、台風一過の東京の蒸し暑い30度に比べたら、文句なしに楽ちんだから、いいか。

就寝は平常よりちょっと早寝の午前3時すぎで、普通に眠って午前11時半に普通に目が覚めた。今回も往復とも時差の影響はゼロ。きのうの午後にちょっと眠かったのは単純な寝不足で、2人とも昼寝ですんなり解決。もう10年以上も何となく「日本標準時」に近い時間帯(午後8時~9時就寝、午前4時~5時起床)で生活しているおかげで、実際には3時間ほどずれるはずなのに、生理的なリズムはそれほど狂わないらしい。まあ、元々から宵っ張りの2人が共に24時間在宅になったら自然にそういうリズムに落ち着いたというだけで、別に日本と商売するためにあちらの時間に合わせているわけじゃないし、何かと不便なこともあるんだけど、こと日本旅行に関する限りはまったく時差ぼけがないので便利この上ない。

ホテルもいろいろだけど、飛行機もいろいろ。バンクーバーから成田まではエアカナダ。何だか知らないけど「エクゼクティブファースト」と気取った名前になったビジネスクラス。どうやらファーストクラスをちょっと格下げして、ビジネスクラスをぐっと格上げしたハイブリッド的なクラスというところかな。どうしてもビクトリア朝時代のバスタブに座っている感じがするんだけど、仕事でなくたって、ゆっくりとおひとり様でいられるのは何とも快適・・・。

[写真] (画面の地図ではバンクーバーから東京への方角がなぜか逆になっている。)

おふたり様だと中央の2席にあさっての方を向いて座る形になるけど、そこはよくしたもので、席と席の間に上げ下げできる仕切りがついている。

[写真] ねえ、ねえ・・・。
[写真]あ、そうですか・・・。

食事は前菜、メイン、チーズ、デザートと順に出て来るし、パンは2種類から選べるし、メインも和食も含めて何種類かあった。まあ、それだけの料金を払ってるんだから、そうでないと商売にならないか。あんまり大盤振る舞いでワインを注いでくれるもので酔っ払いそうだったけど。

フルフラットのシートはさすがに快適で、少し後ろの方で豪快にいびきをかいている御仁がいたし、ワタシも1時間ほどぐっすり眠ったらしく、(雲の中を飛んでいるせいか)夢まで見ていた。昔のように歯ブラシだの、耳栓だの、チューブソックスだの、アイマスク、ボディローションだのが入った紺色のちょっとすてきなポーチをくれた。カレシはポーチの中身を全部出して、ネットブック用に持って来た2個のマウスを入れて歩いていた。

東京から札幌へは全日空。お弁当が出るというのでプレミアムクラスにしたら、座席の間隔がカレシが足を伸ばしても前の席に届かないくらい広かったのでびっくり。銀座のミシュラン3つ星の和食レストランが作った「鯛めしと牛しぐれ煮弁当」はおいしかった。ビールを飲み、味わいながら食べていて、周りを見回したらみんなもう終わっている。へえ、日本のサラリーマンは早食いなんだ~と感心していたら、「当機はまもなく着陸態勢に入ります」。あっ、そうか。飛行時間はたったの1時間半。水平飛行になって降下を始めるまでの正味の時間はずっと短い。出張で乗りなれているサラリーマンはそれを知っているから、出されたお弁当を一刻の猶予も許さない勢いで食べるわけか。2人ともあわててビールをがぶ飲みし、お弁当をかき込んで、何とかセーフ。客室乗務員さんたちは悠長なお客さんに焦っていたかもしれないな。無事、初めて降りる新千歳空港に着いたら、こんなかわいい飛行機が飛び立つところ・・・[写真]

オホーツク紋別空港は全日空が羽田との間を1日1往復するだけの地方空港。新しい空港施設を作ったのに飛行機が飛んで来ない時期があったそうで、待望の東京線が就航してからは、何としても搭乗率を採算ラインに維持しようと、飛行機を利用する市民に運賃の補助金を出していると言う。一応は9時から5時までだけど、時には早くに閉めることもあるらしい。おみやげ屋がひとつ、売店がひとつ、小さな搭乗待合室。もちろん搭乗ブリッジなんかないから、エプロンを歩いてタラップを上る。昔のモノクロ映画のシーンみたいで、けっこう乙な気分。8席あるプレミアムクラスはワタシたちとビジネスマン風の男性の3人だけ。飛行時間は千歳線よりちょっと長めだから、スナックで出された東京の某ホテルのアフタヌーンティーの優雅なサンドイッチを慌てずにゆっくり味わって食べた。これがまたおいしかったの何のって・・・。

バンクーバーまでの帰路はまたエアカナダ。ホテルをチェックアウトして、荷物を預けてランチを食べ、午後2時近いリムジンバスで成田へ。さっとチェックインしてやたらと重くなったスーツケースを預け、身軽になったところで検査を通って(提携しているANAの)ラウンジへ直行。内容はバンクーバー空港の(エアカナダの)ラウンジよりはずっといい。背中合わせで後ろに陣取った白人の男性2人が「日本のエアラインは客室乗務員が若くてかわいいからいいよな。アメリカのなんかばあちゃんばかりでうれしくないよ」なんて話をしている。おいおい、おまえさんたち、カリスママンかいな。(バブルの頃に在日外国人の間でヒットした風刺漫画『Charisma Man』の完全収録版を見つけて買って来た。)

搭乗口でいつものように搭乗券とパスポートを見せてブリッジの方へ歩き出したら、カウンターから名前を呼ばれた。何事かと思ったらパスポートを見せろというので出したら、日本人スタッフ(成田だから当然だけど)がどこかへ持って行こうとする。何か問題があるのかと聞いたら、「パスポートの情報が必要で・・・」とイマイチ要領を得ない返事。おねえさん、少し離れたカウンターの隅で何やらやっていて、3分ほどでパスポートを返してくれたけど、カレシには何も言わなかったし、他にも別に呼び止められた人もいないようだったし、いったい何だったんだろう。保安検査も出国管理も済んで、搭乗ゲートでのチェックも済んだ後のことだから、未だに何が何だかわからない。ひょっとしたら、ワタシのミドルネームが日本名で、出生地欄に「Kushiro, Japan」と書いてあるのが目を引いたのかな。あのね、ワタシはカナダ国籍を持っていても持ってないと嘘をついてこっそり日本国籍を「保持」するなんて芸当はやらないんだってば・・・。

何だかさっぱりわからないけど、やましいことは思い当たらないから、ま、いいかということにして、バスタブ座席に納まったけど、今度はいつまで経っても出発する気配がない。30分以上も過ぎてやっと「搭乗しないことになった人の荷物を降ろしています」という、これまた要領を得ないアナウンス。結局、1時間近く遅れて離陸。夕食でおなかがいっぱいになって、愛しのレミを大盤振る舞いされていい気分になったワタシはさっそく座席を平らにしておやすみなさい。そうやって4時間くらいは眠ったかな。朝食に(ジュースや果物、クロワッサンの前菜の後で)メンマ入りの朝粥を食べて、大急ぎで税関の申告書を書き上げて、着陸態勢。ヘリンボン式の座席配置では窓側の席でも窓の外はほとんど見えないから、いつのまにかゴトンっと着陸。ほぼ1時間遅れの到着だけど、帰ってきたぞ~という、ほっとした気分になる。

入国管理まで進んで最後の驚きは、「カナダ居住者用」の列に入るとそこには入国管理官がいないことだった。代わりにキオスクと呼ばれる(セルフチェックインの機械とそっくりな)機械がずらりと並んでいて、2人のパスポートを順にスキャンして、申告書を差し込んで、出てきた「26」と大きく印刷されたレシート(良く見るとパスポートの名前も印字されている)を取って税関の人にパスポートと一緒に見せ、「OK」と言われて入管の手続きは終了。所要時間はほんの数分で、手荷物台のベルトはまだ動いてさえいなかった。行列しなくてもいいし、管理官とあれこれやり取りしなくてもいいから、便利と言えば便利だけど、免税枠を大幅超過して帰って来てもわからないんじゃないのかなあ。自国の人間だからそんなに目くじらを立てることはない、外国人の審査に重点を置いた方がいいということなのか。荷物を引き取って、出口へ向かう途中で税関の係の人にレシートを渡して、はいっ、2人揃って元気で無事に帰って来ました~。(それにしても、成田での搭乗ゲートでのあの一件は何だったんだろうな。エアカナダの乗務員に聞いても首を傾げるだけだったけど・・・。)

初恋の50年後は台風一過の青空

6月23日。土曜日。いやあ、ゆうべはよく降った。風もあったので台風4号のなれの果てが追い付いて来たのかと思ったら、南のオレゴン州あたりに前線がひっかかっているらしい。

火曜日の深夜、東京でホテルの33階の窓から迫ってくる台風4号を見ていた。高層のせいか、雨風が吹きつけるたびに窓ガラスが振動し、遥か眼下の通りには思うようにならない傘を操りながら家路を急ぐ人たちが豆粒のように見えた。そんなちょっと現実離れした光景を眺めながら、ワタシはかって岡山のホテルの窓から見ていた台風を思い出していた。あれは14年前の秋。ワタシ、ちょうど50歳。休暇旅行の途中の長崎でカレシが青天の霹靂の大爆発を起こして、それまであたりまえだったワタシの人生が一気に崩壊した2日後だったか。まだ精神的なショックが覚めないまま、接近して来る台風に追い立てられるように長崎を後にして、次の滞在地の岡山へ。その夜、台風が追い付いてきて、吹き荒れる雨風をワタシたちはホテルの窓から見ていた。あれがその後の大嵐の予兆だったとしたら、台風4号は何を告げようとしているのか・・・。

なんて言うとちょっとミステリーっぽいけど、あんがいワタシたち2人に「台風一過の晴天」が訪れたことを確認するものだったのかもしれない。そのくらい2人とも今度の旅行は楽しかった。ワタシにとっては、北海道がワタシの「祖国」だと言うことを肌で実感でき、旧友たちとの半世紀ぶりの再会で子供が純粋に子供でいられた幸福な子供時代があったことを確認しただけではなく、思春期から先にいじめやモラハラを引き付けていた「スイッチ」の存在とその根源も知ることができた、精神的に実り多い休暇でもあったから、成田を飛び立ったときにはこの先の人生に台風一過の抜けるような青空が広がって来たように感じていた。

自分の原風景を訪ねるセンチメンタルジャーニーだったのが、台風の通過という形で長~い文章にしっかり「ピリオド」を打ったような結果になったのは、瓢箪から駒ということなのかな。とにかく、ワタシにとって今回の日本行きは本当にいい旅だった。カレシも遠い過去にワタシと親しく交流があった人たちに会うことで、ワタシが育った環境や価値観を感じ取ることができたようだし、何よりも存分に「日本」を楽しんだのは確かで、今までで一番楽しいバケーションだったと言ってくれた。ワタシの初恋の人にも会ったしね。クラスメートたちに声をかけてくれた友だちが気を利かせて呼んでくれたミツオ君は、50年経ってもやっぱり昔の物静かな人のままだった。カレシにはみんなの話からおしゃべりでおてんばだったとわかったワタシの初恋の相手として想像できなかったそうな。いや、ミツオ君の前ではドキドキして言葉も出なかった、ほんとに初々しい思春期の幼い恋だったんだけどなあ・・・。

12人ほどのミニ同窓会がお開きになって別れるときには、ミツオ君と互いの健康と長寿を祈り合って握手した。あはっ、50年も経ってやっと初めてミツオ君と手を握ったんだ!うん、まさに台風一過の抜けるような青空のような爽やかな気分・・・。

使わない日本語は年を取るとどうなるのか

6月25日。月曜日。すっかり「平常通り」に戻ったみたい。1日の時間帯が元からあまりずれていないから、8時間空を飛んで日付変更線を越えてもさしたる影響はないようで、あっという間のこと。3週間も海外にいたなんて、嘘みたいだな。外はまあまあのいい天気だけど、気温はまだ「平年並み」の20度に届かない。週末にはもう7月に入るというのに、どうなってるの、この天気?

土曜日と日曜日を費やして、「ご帰国早々で恐縮なんですがぁ~」という仕事を2本。恐縮って、ほんと?まあ、待ち伏せはいつものことだし、仕事があるときが仕事日だからいいんだけども、やっぱりすぐには調子が出て来ない。旅行中のだいたい半分を英語が通じにくいところで過ごして、日本語をしゃべるのはけっこう疲れると改めて実感した。日本語を話しているんだと強く意識して、何となく無意識の圧力のようなものが働くのかもしれない。友だちとしゃべっている限りは発音や抑揚が少しヘンでもまったく気にしないで何時間でも自然にしゃべっていられたんだけど、それ以外の場面だとなぜか未だに引っかかる。これでは、通訳はもうやりたくてもやれないだろうな。

母語のはずなのに、知らない人が相手だとまだ固まってしまうのはちょっと悲しい気もするけど、やっぱり疑心暗鬼がどこかで騒ぐのかな。ワタシを知らない日本人に日本人であることを否定されたときは自分という人間の存在まで全面否定されたような衝撃があった。居住国や国籍にかかわらず自分が日本人であることを疑ったことはなかったのに、通訳に出て「日本語がおかしい(わざとらしい訛りがある)」とネチネチ説教されても、日常生活で使わなくなって長いんだから多少のさびはしかたがないとやり過ごせたのに、あの頃はうつの治療中で心の抵抗力が弱かったのからモラハラ族のみが知る「スイッチ」を入れられてしまったんだろう。まあ、今はあれはカレシが浮かれている国際婚活女子を煽てて言わせたことだと理解しているけど、浮かれている相手に煽てられたからこそ出てきた本音だったとは思うな。

でも、北海道では知らない人でも接すれば特有の抑揚が耳に心地良くて、道産子の人情にはほっと心休まる感じがして、初めて「帰って来た」という気持になった。(「ふるさとの訛りなつしかし」というあれかな。ちなみに、小学校時代の仲良し友だちは釧路中に啄木の足跡を示す碑を建てる活動をしている。)東京やその他の「津軽海峡以南」ではいつも何となく「異邦人」の気分になるんだけど、北海道を西から東、そして北へと駆け抜けた1週間はそれがまったくなかった。地方の狭い世間からいきなり海を渡ったということもあるだろうけど、北海道で生まれて育って27年、カナダで育ち直して37年。こう言っちゃうと波風が(立つところでは)立つかもしれないけど、やっぱりワタシにとって「故国」と思える原風景は北海道なんであって、一度も住み暮らしたことのない「標準日本」はある意味で異文化社会だったのかもしれないな。

それでもカレシと一緒だった前回2年前に比べると、今回は日本語をしゃべるのがしんどかった。(前回は友だちや家族以外とは英語で用を済ませていたということもあるけど。)かなりまともに日本語を話せていたと思うんだけど、それでいて日本語を話し続けることをしんどく感じたというのは、屈折した心理よりも「年を取った」という現実の方が大きいのかもしれない(そう思いたいだけかもしれないけど。)実際のところ、日本語の読みと入力は仕事でやっているので、いつも頭の中では流暢な日本語が流れているんだけど、日ごろから日本語が耳から入って来ないせいか、あるいはローマ字入力しか知らないので日本語をローマ字綴りで捉えているのか、話し言葉として円滑に音声化できなくなりつつあるような気がするのは事実だと思う。

もちろん、そんなことありえない、わざとやっているんだろうという人たちもいるだろうけど(実際に何人もいたし)、ワタシにとっては現実にそう感じることなんだし、おかげで生まれつきおしゃべりなワタシが母語である日本語を日本で立て板に水のごとくしゃべることができない状況があるということがかなりのストレスになるんだってことが、その人たちにはわかってもらえないのかもしれないな。掲示板などで海外在住日本人が「外国語での生活はしんどい。たまには思いっきり日本語でおしゃべりしたい」と書き込んでいるのをよく見るけど、それと似たような気持じゃないのかなあ。だったらわかってもらえるかと思ってみるんだけど。あ~あ、何だかこれじゃあ仕事をやめられないという気がして来たような・・・。

へりくつ屋が斜めに見た日本の風景

6月26日。火曜日。起床午前11時半。何だか天気が崩れそうな感じで、気温は15度。ちょっと長めだった旅行の疲れは完全に抜けたかな。バケーションに行って疲れて帰って来るというのも何だけど。

きのうの記事をちょこちょこと手直ししながら、ワタシってほんとに屁理屈が多いなあと感心するやら、呆れるやら。あっさりと、もうワタシにゃあ日本は外国だわさと言っちゃえばいいものを、四の五のと理屈探し。まあ、そうでもしないと「転籍」した自分のアイデンティティと人生に連続性がなくなってしまう感じがしないでもないし・・・と、またへりくつ。もっとも、ワタシは子供の頃から理屈っぽくて扱いにくい子だと言われていたような気がするけど。そこは三つ子の魂・・・。

ぼちぼちとお世話になった人たちに礼状を打ち始めたけど、ぐうたらなワタシのことだから1日に1本くらいのペースで、釧路で何から何まで仕切ってくれたJ子ちゃんにはまだ。大きなえくぼが昔のままのJ子ちゃんは今年1月に「石川啄木 釧路第一泊目の地」、4月には「石川啄木 離釧の地」に記念碑を建てた期成会の中枢で大活躍した人で、彼女に「これを持って帰って欲しいの」といって渡されたのが額に入った「啄木かるた」の一枚。(北海道では、百人一首のかるたは「下の句読み/下の句取り」で、読み手が読み出すと同時に下の句を毛筆で書いた木の札を取るわけだけど、白熱するとこの札が吹っ飛んで、ちょっとした格闘競技になる。)華麗な毛筆で「釧路の海の冬の月かな」と書かれていて、上の句は「しらしらと氷かがやき千鳥なく」。子供の頃に遊び場だった港を見下ろす米町(よねまち)公園に建っている歌碑に刻まれている啄木の歌で、あの鼻の奥まで張り詰めるような寒さを思い出させてくれる。釧路にはわずか2ヵ月半しかいなかった啄木だけど、その足跡を示す記念碑を辿って歩く観光客もけっこういるとか。

礼状をぽつり、ぽつりと書いていると、旅の記憶が脈絡のないイメージとしてぽつり、ぽつりと浮かんで来る。たとえば・・・

★東京のホテルのバーで飲んでいたら、近くに座ったおじさんの前に赤いミニばらを飾った細いフルートに入ったピンク色のカクテルが出てきたこと。いかにも「オジサン」という感じのおじさんと甘そうなピンクのカクテルの取り合わせがおかしさを通り越して斬新に見えたな。
★前を歩いていた若い女性の足がすごい内股で、自分で自分の足につまづくんじゃないかと気が気でなかったこと。ヒールが壊れそうなくらいにかかとが外側に曲がっている人もいて、足首を捻挫することはないのかなあと思った。あれではいずれ膝にも無理がかかって来そうだな。何よりもあれだけ気合を入れているファッションやメイクが台なしになってもったいない気がしたな。
★猫も杓子も履いているような感じの、あの中途半端な黒いストッキング。踝が見えるので穴が開いてしまったのかと思ったら、どうやらああいうデザインになっているらしい。2年前に来たときは膝下までのレギンスというやつが流行っていたけど、今度は逆方向に180度転回か。東京のファッションはユニークとしかいいようがないな。でも、梅雨時になって蒸し暑くないのかなあ。
★東京では電車に乗り損ねても数分待つだけで次のが来るのに、ベルが鳴り出すと相変わらずみんなダダダダッと駅の階段を駆け出すこと。最初のうちは人の壁に押し倒されそうでちょっと怖かったけど、帰国が近くなる頃にはワタシたちもいっちょう前にダダダッと階段を駆け出していたっけ。ま、郷に入れば郷に従えというし、いい運動にもなったし・・・。
★日本ではどこへ行ってもキカイがよくしゃべること。エスカレーターも歩く歩道も券売機もATMも何もかも、同じ声で話しかけてくる。おかげでお金を引き出すのに、はいはい、どうもと銀行のATMにお辞儀してしまった。それと、駅もデパートも地下街も地上街でも、歩いていると頭上から「○○にご注意ください」、「○○は危険です」とひっきりなしに指示が飛んで来ること。毎日この調子で親切に注意してもらっていたら、自分で気をつける必要なんかなくなってしまいそうに思えたんだけど、どうなんだろうな。
★店の人間もよくしゃべること。店先で店員が商品を並べたり、整理しながら「今日は○○がお安くなっていま~す」、「○○が何割引で~す」と、いつ通りがかっても同じ口調で立て板に水のごとくしゃべり続けていた。デパ地下の食品売り場も同じで、何となくバザールの賑わいのような雰囲気があるけど、ひょっとしてこの人たちにはエンドレステープが埋め込まれているんじゃないのかとヘンな想像をしてしまった。そうでなくてもこの人たち、1日が終わる頃には声が枯れてしまわないのかな。

要するに、ワタシたちは外国という田舎から来たお上りさんだからこそ見るもの聞くものがおもしろいってことなんで、それが旅行の醍醐味だろうと思う。そして、旅行は自分が帰るところ、戻る日常があるとわかっているからこそ楽しいんだと思うな(と、また理屈っぽいワタシ・・・)。

東京雑感-2年前と比べて変わったこと

6月27日。水曜日。目覚めは午後1時。けっこう早くに寝たのに、今頃になって旅の疲れが出てきたのかな。もにゃ~っとした気分で起きたけど、今日は20度に達しそうなお天気もよう。シリアルに地物のいちごをころころと入れて朝食。今日は仕事がないから、カレシが庭仕事に出ている間に、ワタシは運動がてらモールまでてくてく歩いて買い物。寝酒を1オンスだけに限定して、おつまみはクラッカー2、3枚に制限していたら、日本で蓄えて来た2キロの体重のうち1キロが減った。あと1キロで旅行前のレベルに戻って、そのままさらに1キロ減らせたらしめたものだけど、はてそこまで行くかな・・・?

日本ではカロリーの高いレストラン食がほとんどだったから太ったわけだけど、ふだんの体重増加は主にお酒とストレス食いが原因だと思う。特に仕事が立て込んだり、よく眠れなかったりするとやたらと空腹感があって、3食は普通に食べても最後の寝酒のときに酒量とつまみの量が増えて、それがそっくり蓄えられてしまう。普通の睡眠時間が取れていてもこれなんだから、大きなストレスになる睡眠不足では肥満になる確率はかなり高くなるだろうな。朝の東京で駅の方から津波のように押し寄せてくるする人たちを見ていて、2年前と比べて太った人が増えているという感じがしたけど、オジサンたちだけじゃなくて、若そうな女性にもぽっちゃりを通り越したような人がけっこういたな。毎日の長い通勤と長時間の残業で睡眠不足が慢性化して、もう「肥満脳」になっているのかもしれないよ。寝不足は太る。まあ、寝すぎるのも太るらしいけど。

東京の印象で2年前と比べると変わったなと思ったことは他にもいくつかある。たとえば、ワタシたちが入ったレストランのほとんどで喫煙席と禁煙席が分かれていて、全面禁煙というところもあった。もっとも、分かれてはいても、近すぎたりしてちょっと煙たいところもあったけど、それでもたいへんな進歩だと思うな。どこの駅だったか忘れたけど、ガラス張りの「喫煙所」というのがあって、煙が充満する中で黙々とタバコを吸っている人たちが檻に入れられた動物のように見えた。それが禁煙に踏み切らせるための手段なのかもしれないけど、通る人たちの冷たい視線にさらされて、ちょっぴりかわいそうでもあったな。百害あって一利なしだから、禁煙するにこしたことはないけどね。

もうひとつ2年前と違うなあと感じのは、空気がきれいになっていたことかな。喫煙人口の減少と関係があるのかもしれないな。新宿のような人と車が溢れているようなところを歩いていても、空気が汚れているという感じがあまりしなかった。ワタシは別に慢性の呼吸器疾患があるというほどのことでもないんだけど、かなり昔から体中の骨がばらばらになりそうなくらい咳き込むことがあって、かっては東京で汚れた空気の中を歩き回った日は夜ホテルでひどく咳き込むことが多かった。今回はどこへ行ってもホテルの部屋に空気浄化器なるものが置いてあって、それが効果的だったのかもしれないけど、とにかく寝入りばなに10分も20分もひどく咳き込むことがなくて助かった。やっぱり、東京の空気は2年前よりもきれいになっているんだと思うな。

こういう変化は1年、2年と間を開けて来て体験するから感じるのであって、毎日を東京で生活している人たちには体感しにくいことかもしれないな。じゃあ、2年前とちっとも変わっていなかったことって何だろうなあ。節電、節電と声高に叫ばれている割には、新宿界隈はまだまだ目が眩むくらいに明るかったことかな。夜も眠らぬ街のみほんみたいなもので、エレクトロニクス/マルチメディアの量販店では、どの店も外ではネオンが煌々、中ではどのフロアも昼間よりも明るい照明が煌々。いったいどれだけの電力を消費しているんだろうな。月々の電気代、ものすごい額になるだろうな。東京電力は値上げしたがっているそうだけど、いいのかなあ。

ついでに、通行人の頭上のスピーカーから昔のパチンコ屋よりも騒々しい広告音楽が鳴り響いていて、これもメロディは2年前と同じ、つまり「おたまじゃくしはカエルの子」というアレ。もちろん、「おったまじゃくしはかえるのこぉ~」と歌っているわけはないんだけど、女の子の粘るような声のせいなのか、途中の歌詞がさっぱり聞き取れなくて最後の「みんなのよどばしか・め・ら」しかわからない。だけど、駅とホテルの間にあるもので、何回も聞きながら通っているうちに、ワタシもついに口ずさんでしまった。

     ぐろーり、ぐろーり、はれるぅーやぁ!
     ぐろーり、ぐろーり、はれるぅーやぁ!
     ぐろーり、ぐろーり、はれるぅーやぁ!
     よっどばしかめら・ふぉ・えっ・ぶりー・わん!

自分のお金を使うのに遠慮する必要ある?

6月28日。木曜日。正午起床。青空が急速に消えて行くような日。だけど、何とか18度あるから、少しは夏が近づいているということかな。今日はカレシの手術後のチェックアップ。4月半ばにやって今さらという感じだけど、バケーションの前に開いている日がなかったせい。診察といっても、執刀したフェンスター先生が「おお、うまく行ったな」と自画自賛しておしまいで、「診察室で30分も待たされてたったの30秒だよ」と、カレシはぶうすか。まあ、それで一時はヒヤリとさせられた問題と完全に縁が切れたことを確認したわけだから、いいじゃないの。

日本人の掲示板で、国際結婚妻たちが欧米の医療制度がすぐに診察や手術をしてもらえないということで不安だと愚痴り、それに比べて日本の医療はすばらしいと褒めちぎるのをよく見るけど、彼女たちは東京や大阪のような大都市圏から来て、そこでの何でも至れり尽くせりの経験しか知らないのだということを、北海道の過疎地を旅してやっとわかった。優れた健康保険や医療制度が整備されているはずの日本で、人口2万5千の紋別の病院では医者が週に1、2回しか勤務していないので病気になってもすぐに診てもらえないことがあるし、出産するには旭川の病院まで行かなければならないという。椎間板ヘルニアを疑われている友人は、鉄道はとっくに廃線になり、公共交通機関もなくて、車が頼りの土地で運転できなくなることが一番不安だともらしていたっけ。どこの国でも似たようなものだろうけど、大都市圏ほど人は視野が狭まるのかもしれない。目の前に人が多すぎるからか、高層ビルが多すぎるからか、満ち足りすぎて不便を知らない人が増えたからなのか、そのあたりはワタシにはよくわからない。

一緒に出かけたついでに西の方のスーパーへ回り道して魚の仕入れ。夕食のメインが魚になってもう4年になるのかな。ワタシの遠洋漁業の「漁場」は、オヒョウやシーバス、舌びらめ、銀ダラなどの「白い魚」はWhole Foods、バサ(ベトナムなまず)やチカ、ポンパーノなどの「冷凍の魚」はセーフウェイ、サバやホッケ、サンマ、刺身の材料など「日本食向きの魚」はHマート、鮭やマス、イワナ、アヒ(まぐろ)などの「赤い魚」はIGAがだいたいの穴場になっている。ホタテやエビの類はどこにでもあるし、その日によってはWhole Foodsにはレストランに売り切れなかったらしい鯛その他の珍しい魚、IGAにはメバルの類やカジキ、アメリカなまず、シイラ、1キロくらいの大きな袋入りの大西洋カレイやイワシ、Hマートにはタコやイカ(ゲソも!)、ビンナガ、ハマチ、太刀魚、トビコ、うなぎの蒲焼まであって、肉類を食べるよりもずっと食卓が豊かな感じがする。かさばるトレイを外してフリーザー用の袋に詰めなおし、我が家の食糧備蓄は完全。上までいっぱいのフリーザーを開けて、今日は何を作ろうかなあと思案できる毎日は幸せだとしみじみ思う。

小町に『ママ友同士での年収の違い』というトピックが上がっていて、「うちは年収1千万弱で専業主婦。仲良くなったママさんたちはみんな年収があまり高くないような方が多くて、生活の話や節約の話をしても話が合わなくて無理に合わせている・・・服もインテリア雑貨、家や車なども持っているものが何となく違うようで・・・お金の使い方の価値観を本音でしゃべると嫌がられそうで」、無理に生活が苦しいふりをしている、と。ふ~ん、めんどくさいつきあいをしているんだなあ、この人。生活が苦しいふりをするのって、裕福なふりをする以上に神経を使いそうな気がするんだけどな。最近はよく似たような趣旨のトピックが上がって来るけど、こういう、表面では年収が(って亭主の稼ぎだろうに)、学歴が、育った環境が違う(自分より下の)人たちとは話が合わなくて辛いと言っているけど、裏に回ると自分が重なって甲羅干しをしている亀の子の一番上なんだと認めてもらいたいらしい人、多いのかなあ。

お金の使い方の価値観なんていっても、モノやサービスと交換して初めて価値があるんで、真っ当に稼いだお金が最低限の衣食住を満たしてもまだあり余っているんだったら、誰にも遠慮せずに好きなように使えばいいし、なければそれまでのこと。「節約」だって、自分がしたければすればいいんであって、している人に無理に合わせることもないと思うけどな。(だいたい、節約するのが趣味のような人だっているし、ゲーム感覚でやっている人もいるだろうし。)それにしても、「うちは年収がン千万なの~」と言いたいのを我慢して無理に生活が苦しいふりをしてみせるってのは究極の虚栄、あるいは驕りと言えそうな感じがする。

ワタシはしたくない浪費をせず、しなくてもいい節約もせずに、使える範囲内で好きなように使う主義で、あっけらかんと使い道を言っちゃうほうだけど、もちろん「使える範囲」を良く知ってのことだし、それで人に嫌われたらどうしようと考えたことはなかったな(鈍感なのか・・・)。だって、自分で真っ当に働いて稼いだお金なんだから、わざとらしくないふりをしたり、人さまに弁解しながら使うこともないし、そもそも自分がハッピーな気持になることに使うのになんで遠慮する必要があるのかと思う。それで他に誰か喜ぶ人がいたら、ワタシはよけいにうれしくなるんだけど、こういう無遠慮なお金の使い方は、日本ではやっぱり「奥ゆかしさ」がないということで、嫌がられるのかなあ・・・。

つれづれなる日は旅のつれづれ話

6月29日。金曜日。起床は午後1時過ぎ。ここんところなぜか良く寝るなあ、2人とも。まあ、特に何時までという用事がないんだから、何時まで寝ていてもいいんだけど、やっぱり年だってことか・・・な?寝るまで(つまり、日本の金曜日が終わるまで)に仕事メールが入ってこなかったので、少なくとも2日半は完全にフリータイム。このままで1ヵ月くらい休みが続いてくれたらいいなあ・・・なんてのんきなことを考える。

仕事がないのをこれ幸いと、今日は「だらけモード」。見えるところにおいてある年金申請の書類をちらちらと見て、ため息。だって、老齢年金まで「受給を1年遅らせるごとに7.5%ずつ受け取る金額が増えますよ~」とニンジンをちらつかせるもので、考えるだけで頭がもやもやしてしまう。昔はあれこれ考えなくても、65歳になったら年金をもらってリタイヤという流れだったのに、あ~あ、年金をもらうのがこんなにストレスになるとは・・・。

でも、せっかくのフリータイムなんだから、ぼちぼち旅の写真の整理でもすることにして、デジカメの写真をダウンロード。432枚。構図を選んで、注意深くピントを合わせて撮ったフィルムの時代と違って、ピンぼけやでき損ないは消せばいいやと簡単に考えるもので、歩きながらやたらとカシャカシャ。質的にはどんなもんだろうな。最後に残るのはいったい何枚になるやら。ビデオカメラを買って張り切っていたカレシは結局あまり使わずじまい。東京タワーに行くに日にはビデオカメラは「いらない」。せっかく「晴れ女」の友だちが雨の予報を覆してくれて、かなり遠くまで東京が見えたのにね。地上に降りてから「ビデオカメラを持ってくればよかった」なんていっても遅いよ。(練習不足に加えて、老眼では小さなモニターに映るイメージが見えなくて思うように使えなかったイライラもビデオカメラを放り出した原因らしいけど・・・。)

[写真]東京タワーからのひとコマ。こうして見ると、東京って何となくレゴランドのようで、ちょっとかわいい感じがしないでもないかな。

[写真]地上250メートルの特別展望台で見つけた昔ながらの緑の公衆電話。こんなところから、いったい誰がどんな用事で誰に電話するのかな。「今、東京タワーなんだけどぉ・・・」って?

[写真]東京タワーの足下にある増上寺。由緒あるお寺とモダンな赤い鉄塔のコントラストがいかにも東京らしいような・・・。

[写真][写真]増上寺の境内にずらりと並んだお地蔵さん。見ていると、みんなそれぞれに愛おしくなる表情が
ある。カラフルな風車がカラカラ。宿ったはずなのに生まれて来なかったワタシの子供のことを思って、ちょっぴりしんみりとした気持。この世に生まれて来ることができなかった水子たちの魂に平安あれ・・・。

[写真]東京ミッドタウンでランチ。ガレリアというところで、古ぼけた軒先のような入り口に引かれ、「肉なし、魚なし」のメニューに引かれて入った「淡悦」。レストランでは料理の写真を撮らないワタシだけど、最初に出てきたお膳のかわいらしさに、ついパチリ。いやあ、あれは美味だった。

[写真][写真]華やかな場所だと思うけど、なぜか無機質・・・。

[写真]高そうなお店なんだけど、どうして「二流」なの・・・?

東京を歩き回る前に、昔よく「東京都札幌区」と揶揄された札幌に行った。駅前はすっかり様変わりで、JRの駅から大通公園の地下鉄の駅まで広い地下歩道ができていた。40年前にワタシの勤め先があった薄野に近いビルはもうすっかりしょぼくれて、上から下までカラオケ屋になっていた。あの頃はまだ新しくてきれいなビルだったのに。その札幌ではちょうど「YOSAKOIソーラン祭り」というのが始まるところ。聞いたことはあるけど、どういうものか知らなかったけど、お墓参りで乗ったタクシーの運転手さんに今夜から踊りが始まると聞いて、さっそく夕食後の散歩がてら大通公園へ。

[写真]う~ん、この弾けるようなエネルギーで何とか日本起こしができないもんかなあ・・・。

日本を離れたときは27歳だったワタシも、あれから37年経って今年は64歳。歳月という人間の時間の流れはなつかしい思い出をたくさん作ってくれるけど、同時にある意味で苛酷なものでもある。たとえば・・・

[写真]ワタシの実家があったところに建っていた新しい家。父が逝ってからもう20年だもの、変わるのはあたりまえだけど、どんな人たちが住んでいるんだろうな。仲の良いすてきな家族だといいな。

[写真]子供の頃に遊んだ釧路の弁天が浜。けっこう遠浅の浜で、天気のいい日には漁師さんが砂浜いっぱいに長い昆布を干していた。遊びに夢中のワタシたちはその昆布を踏んでよく怒られたり、端っこを千切ってしゃぶったり。夏でも身を切るほど冷たい海に入るのに、よく焚き火をして暖を取ったものだった。あれから50年経って見た浜はテトラポッドの山。潮流が変わったらしく、すっかり侵食されて、短い夏休みの日をガス(海霧)がじっとりと立ち込めるまで遊んで過ごした浜は面影すらなくなってしまっていた・・・。

[写真]毎日学校へ通った「家の前」の坂道。春になればぬかるみの道だったのが、きれいに舗装されて、歩道までできている。(でも、人影はない・・・。)坂のふもとのバス通りを渡って、まっすぐ行って、左へ折れて短い坂を上がれば6年間通った東栄小学校、右の坂を上がれば1年と1学期を過ごした弥生中学校。そのどちらも少子化と人口減による統廃合でとっくに廃校になってしまった。50年という歳月はやっぱり長いな・・・。

今日はとりあえず思いつきディナー

6月30日。土曜日。せっかくのカナダデイの三連休なのに雨がち。気温は15度。普通だったら「夏到来!」と感じるんだけど、なぜか未だに春のままで足踏みの状態が続いている。

留守の間にバッテリが上がってしまったトラック。あまり使っていなかったので、ひと走りさせておけばと言ったのに、ぐうたらしてたんだもんね。でも、まずいと思ったのか、正しいジャンプスタートのやり方をネットで調べて、もう一台の車でスタート。ガレージから出すところまではやったけど、また1週間ほったらかしだったので、Hマートへ行こうということになって、またバッテリが上がっている。でも、「一度うまく行ったら、今度は簡単、簡単」とまたジャンプスタートして、郊外のHマートへひとっ走り・・・というところで、「ガソリンが切れそうだ」。ひとしきり走らせて、見つけたガソリンスタンドでは、クレジットカードで払う機械の使い方がわからない、タンクのキャップが開かない、とかなり手間取ったけど、無事に給油。いや、頭が悪いんじゃなくて、アナタは説明や指示を頭の中でイメージ化するのが苦手なだけだと思うんだけど・・・。

アジア(風)食の材料をたっぷり買出しして来て、フリーザーの在庫を点検して整理したら、もう夕食の時間。おとといあたりから「いつ刺身が食べられる?」と遠まわしに要求していたので、何となく疲れてめんどうでもあるから、買い込んで来た食材をフリーザーバッグに詰め替えるときに少しずつ流用して、まあまあのおめかしメニュー・・・。

[写真]カレシが大好きなアサリとねぎのスープ。だしはアサリだけで、薄っすらと醤油味。かつら剝きを作った残りの大根も入れてしまった。

[写真]しゃぶしゃぶ用の薄切りビーフ3枚を細切れにしてニラと一緒にブルゴキのソースにつけておいて、さっと炒めているところに白いミニトマトを転がして付け合せ。

[写真]半身が3切れ入っている生干しほっけ1枚を半分に切って、子持ちシシャモを2本。ししとうとミニトマト2個も一緒にグリルして、「ゆず醤油」の大根おろしを添えて・・・。

[写真]カレシが要望する「刺身」はさけとまぐろ。かつら剝きの大根と茹でて冷やしておいたオクラを添えて、今日は麦ご飯で・・・。

カレシが気に入って2度も行ったとんかつ屋で出された麦ご飯がすごくおいしかったので、さっそく押し麦を買って来たのはいいけど、袋にはハングルしか書いていない。それでも15~20%という数字が読めたので、混ぜる割合だろうと推測して、発芽玄米に20%ほど混ぜて炊いてみたらうまく行った。玄米の甘みと麦のこりっとした歯ざわりがなんともいえなくて、病み付きになりそう。

浅草のかっぱ橋で仕入れてきた小皿を使ってみたかったので、太極マークのように2つに分かれた丸い小皿を大根おろしに、大中小の丸いお皿が3つくっついたものを刺身の醤油とわさびに使ってみた。かっぱ橋はあれもこれも買いたくなってしまうところで、カレシまでがレストランで見かけた使い勝手のいいドレッシングボトルを3つも買ってきてご満悦。

帰ってきてから10日足らずの間に、あっちのスーパー、こっちのスーパーと走り回って、フリーザーもすっかり満杯になったから、この次は何かもうちょっと工夫して、「クリエイティブ」にやってみようかな。