リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年7月~その2

2007年07月31日 | 昔語り(2006~2013)
ボケ日和

7月15日。何となく久しぶりだなあと思ったら、あら2日ほど空白。どうやら仕事にしっかり集中していたらしい。週末に重なっていた仕事のひとつがドタキャンされて万々歳。おかげでやたらとしちめんどうくさくてイライラするExcelとPowerPointのファイルの仕事にちょっと気持の余裕。早めに終わらせて納品してしまえば、2、3日はのんびりできそう。あれ、なんだかもう休みが欲しくなってきたような・・・

日本は三連休だというのに、台風やら地震やらと何だか大変らしい。こちらは急な猛暑が一段落?して、ごくあたりまえの7の気温に戻ったようだ。カレシはきゅうりとトマトが急に大きくなり出したと大喜び。涼しいのが好きなはずのほうれん草も、たっぷり水をやってさえいれば、どんなに暑くても董が立たない。10センチほどに伸びた葉を摘み取ってサラダにすること4目。若葉を食べていたビーツはそろそろ葉が固くなってきたから、好きにさせるんだとか。大きなビーツが取れたら、ローストにしようか、カルパッチオにしようか。それにしても、人間やモノには完璧を要求するカレシが庭の植物にだけは「ま、いいか」主義らしいからおもしろい。もっとも、昔はちょっと育ちがわるかったりすると「非協力的」と怒ってポイッと捨てていたんだから、よけいにおもしろい。ひょっとして年のせいで気が長くなったのかな・・・?

時差ぼけと風邪ですっかり狂っていた私たちの生活時間も2週間かかってやっと「標準時」に戻ったようだ。朝の8時、9時なんて私たちの標準時ではまだ夜中も同然なのに、そんな時間に起きて朝の光なるものを浴びて妙に感動したり、しかも昼前から仕事を始めたりして、ほんとに変な暮らし。

カレシはまだガンコな咳が続いていて、目が痒いとぶつぶつ。まあ、私が先に罹ってしっかり培養したウィルスをもらったんだから、私より回復が遅れてあたりまえなんだけど、土曜日にはクリニックに行って、点眼薬と鼻づまりの薬を処方してもらってきた。いつもなら医者にかかろうとせずに愚痴ばかり言っているカレシが自分からクリニックに駆け込むんだから、よっぽどなのかな。でも、今日はきのうよりもずっとエネルギーがあると言っているから、後は気の持ちよう。

先週、末弟夫婦と食事に行った時に出てきたコース料理のひとつが冷たい「トマトのエッセンス」。無色で透明なスープなのに強烈にトマトの味がした。お皿の底にはボール形にくりぬいたトマトが2つ。夏らしくて、すごく、すごくおいしかった。どうやってトマト色のないトマト味スープを作るんだろう。ここはひとつレシピを探して、どうしても一度作ってみなくっちゃ!

あ~あ、時差ボケ、風邪ボケ、仕事ボケを早く解消した~い。

天気図を読む

7月16日。何もしないと決めた月曜日。いつのまにかニューヨークタイムズの日曜版クロスワードパズルが1ヵ月分もたまっていた。のんびりするにはこれが一番。このパズルのとりこになってたぶん20年くらい。地元新聞の土曜版に1週間遅れで転載されるのをわざわざ買いに行っていたけど、この分だけに年間購読料を払ってダウンロードできるようになってからは旅行に行っていても逃さずに済むようになった。けっこう大きなのを全部埋めるのに1時間かからないときもあれば、3日くらいウンウンと知恵を絞るときもある。あっとひざを打つような言葉のお遊びがあったりすると、もううれしくて夢中になる。

何もしないはずだけど、食料の買出しという仕事はある。野菜が底をついて来た。私が料理に使うものはキッチンの冷蔵庫の野菜ボックスに、カレシが使うものはセカンドキッチンの小さい冷蔵庫、と分けてあるけれど、二つともほぼ空っぽなのだ。そういえば、シリアルもストックがないから、スーパーにも行き、お酒もなくなりかけているものが多いから、酒屋へも行かなければならない。青果屋に、スーパー、酒屋と回遊ということになる。

それぞれ近いのだから、三ヵ所を一気に回ればいいものを、カレシはとにかく野菜だけ買うことにして、スーパーと酒屋は夜になってから閉店時間近くに行くのだという。(青果屋とスーパーは同じモールにあるのに・・・。)何となくエネルギーがないからだそうな。それだったらなおさらのこと、一回の外出で買い物を全部済ませて、後はのんびり昼寝でもしたほうが良さそうなものだけど、カレシは「話を聞かない男」だ。

風邪が抜けなくて調子が悪い・・・つまりは、日常と違う状態に苛立って、無意識的に自分が支配者であることを確認したい心理になっているらしい。ある意味で、自分の体がマニュアル通りに機能していないことでストレスになって、不安神経症が高じてくるらしい。それが私のレーダーに雨雲になって引っかかる。どう考えても一回で全部回った方が効率的ではあるんだけど、そういう心理になったときは効率もへったくれもないのだ。まあ、今日は仕事はしない日だから、午後と夜と二回のショッピングに付き合った。

地図が読める女は話を聞かない男の天気図も読まなければ・・・。

雨上がり

7月17日。明け方に雨が降ったらしく、今日は朝から涼しい。午後の気温が18度と、7月としてはちと涼しいけれど、この天気は週末まで続くというから、かけっぱなしだったエアコンもしばしお休み。室温がせいぜい25度でエアコンというのも環境にやさしくないぜいたくだけど、何しろ寒冷地育ちのホッキョクグマなもので・・・

バンクーバーは西岸海洋性気候地域にあるから、冬は温暖で雨ばっかりだけど、夏は涼しくて乾燥する。冬には1週間、2週間と降り続いたりする雨も、夏には1ヵ月くらい降らないことがある、降雨量に関してはけっこう極端な気候だ。そんなバンクーバーで生まれ育ったカレシは「高温高湿」の夏が何よりも苦手。(道産子の私も湿度は大の苦手だけど・・・。)その昔、連邦政府官僚のキャリアを捨ててオタワから帰ってきたのも、高温高湿の夏に耐えられなかったからなのだそうだ。

たかだか25度でエアコンをかけたまま寝ると主張するカレシを見ていると、日本へ行って英語教師をやると騒いでいたあの頃に望み通り行かせていたら、どうなっていたかなあ、とちょっぴりイジワルなことを想像してしまう。まあ、ジャパニーズガールにもててもててウハウハという夢は叶った(かどうかは怪しい)としても、東京のような何もかもが高密度で詰まっているところで「生活」するとなれば、ウルトラ高温高湿の夏が来たとたんに夢のシャボン玉が一気にパッチン。極度のストレスで日本の何もかもがイヤ。イライラのキレまくりでロマンスも行き詰まり、ホームシックになって逃げ帰って来たら、離婚訴訟を起こされていて、戻れる家も職もなし、という何ともしょぼい成り行きだっただろうなあ。人生の夢には逆夢でこそ正解というものもあるってことなのだ。

もっとも、カレシが正解だったと思っているかどうかはわからない。家庭も経済基盤も保持して安穏な退職生活を送っている今、「あのときに何もかも捨てて行かなくて良かった」と思っているかもしれないし、あるいは逆に、何かの折につけて「あのとき思い切って行っていたら、今頃は」という思いが心をかすめるかもしれない。まあ、私だって、「あのときに捨て身で止めてよかった」と思っているけど、時には「あのときさっさと日本へ送り出して、彼のものを全部まとめてママのところに送って、きれいさっぱり離婚していたら、今頃はどうしていたかな」と、ふっと想像してみたりするのだから。

何ごとも軽く「水に流して忘れる」ことを美とする文化もあるけれど、人間の心は良くも悪くもハードディスクじゃないのだ。第一、何でもかんでも簡単に水に流して済ませるから、歴史から何も学ばずに同じ失敗を繰り返しているのではないのか。それじゃあ、トラブルがあるたびに「ゴメン、許せ」という形だけのお辞儀で、後はさっぱり水に流して忘れるどこやらの国の企業経営者だちと同じ。喉もとを過ぎればどうせ同じことを懲りもせずに繰り返すだけ。もちろん、過去のぬかるみに足を取られていても進歩はない。だから人間は、一歩進めば岐路に当たり、一歩進んだらまた岐路という、あみだくじみたいな道程を、記憶を地図代わりにして、ぬかるみを遠回りしたり、埋めたりしつつ歩いているんだと思うけど。

市役所はストだって

7月18日。今日も雨模様で涼しい。お昼の気温は15度。おいおい、ほんとうに7月なのかいといいたくなるような天気。週明けまではこの調子らしい。天気のせいかどうか知らないけど、10時間も寝てしまった。カレシまでがエアコンがかかってないほうがよく眠れるなどといっている。

市役所の組合はいよいよ明日の朝からスト入りらしい。月曜の朝にスト決行の72時間予告が出たときにあちゃ!と思った。1週間分のゴミを出すその日の朝からスト入りになる勘定。でも、ごみ収集カレンダーを見たら7月いっぱいは水曜日が収集日。スト入りの前日だ。とたんにラッキー、ラッキーとばかりゴミ容器をいっぱいにして出しておいた。バンクーバーのゴミ収集は1週間に一度だけど、祝祭日があると収集日が移動するので毎月くるくる変わる。金曜日から月曜日に移るときは9日、イースターやクリスマスのときは10日も間が空くことになるから、出し忘れたら大変。

こっちのストライキは、日本でよくある「○時間スト」と違って、いったん始まったら妥結するか政府が介入するまで延々と続く「無期限スト」だ。ずっと昔には郵便が1ヵ月半も止まったし、バンクーバーではバスが2ヵ月近くストップしたこともある。公共事業や公共性の高い産業の場合なら、長引けば政府が介入して、Back-to-work order(職場復帰命令)を出すこともあるけど、そうなると次に協約が切れたときに交渉が難航してまた長期スト入りなんてことにもなるからやっかいだ。

市役所のストでは何年か前にゴミ収集が1ヵ月半ストップしたことがあった。そのときは政府がゴミ収集を「基本サービス」に指定して強制的に再開させたのはいいけれど、怒った組合がトラックの出庫を阻止してしまったので初日のはずの我が家の地区は1週間後になってしまった。ゴミ収集がまだ「基本サービス」に指定されたままなのかどうかわからないけど、今日が収集日だったのはラッキー。野菜くずはコンポストにするし、ビンや紙類はリサイクルするので、問題はキッチンのゴミだけど、市が支給したゴミ容器を一杯にするのにふだんは2週間以上かかるから、ゴミ袋をぎゅっと圧縮して入れておけば、3週間くらいは何とかなるだろう。

カナダに来たばかりの頃、スーパーの組合がストをして、二つしかないスーパーが揃ってシャットダウン。車を持っていなかったから歩いて行ける範囲で食料品を買うしかない。でも、あるのは小さな雑貨屋程度。肉屋や魚屋があっても貧乏暮らしの財布には手が出ないから、缶詰料理で何とかしのいだ。政府が職場復帰命令を出して不自由は2週間ほどで終わったけど、当時はまだ始まったばかりの異国生活で辺りをきょろきょろ見回していたときだったので、うまく対応できるだけの知恵もなくて途方にくれたものだった。

スト中はもちろん給料は出ないから、ストが長引けば実質的には賃上げ以上の賃金カットになってしまう。なんだか無意味な気もするんだけど、組合としては将来の賃上げ交渉のベースになる数字を嵩上げしておきたいということだ。それに、共働きが一般的だから、一人暮らしでもなければ生活に困窮するケースも少ないだろう。私自身も公務員時代に2度ストを経験した。カレシも同じ組合だったから収入はゼロ。初めてのストは1週間で終わったけど、2度目のときは長期化の予想。家のローンの支払もあったから、無収入はたまらんと、スト中に転職先を探して、スト明けに退職願を出したのだった。

出る釘は声高で高慢

7月19日。今日の新聞に短いけれども考えさせられる特別寄稿が載っていた。企業の上層部にvisible minorityが少ないのはなぜかという記事が最近あって、その中で「人種差別」によるものだと説明されていたらしい。Visible minorityというのは、見た目でヨーロッパ系でないとわかる、つまり白人以外のカナダ人や永住者を指す言葉だ。かって何かと差別の対象になった「少数グループ」だけど、バンクーバー圏では次の国勢調査年までに人口の過半数を占めるようになるといわれているから、そうなったら逆に白人が「目に見える少数グループ」になるわけで、そのときはこんな言葉も死語になるかもしれない。

それはともかく、「人種差別」という説明に対して、寄稿の筆者は「アジア人の文化と学業成績偏重に答があるのではないか」という、違う角度からの説明を提示している。アジアではひたすら黙って勤勉に働けば成功するかもしれないが、西洋文化では声高でかつ高慢な人間の方が高く評価される。でも、アジア系の子供たちは人との交流を通じてコミュニケーションのような社会的技能を磨けるスポーツや芸術を疎かにしてまで、学校で良い成績を取るようにプレッシャーをかけられているというのだ。本とコンピュータゲームに鼻を突っ込んだままの毎日では、ソーシャルスキルは身につかないというわけだ。

なるほど、「声高で高慢」とはよくいったものだ。要するに、自己表現、自己主張ができなければ人に話を聞いてもらえない。話を聞いてもらえなければ、どんなに能力があっても注目してもらえないから、リーダーシップを発揮することもできない。特に日本文化は元々「黙って謙虚」を美徳とするところへ、戦後日本は学歴偏重で子供は「遊んでないで勉強、勉強」。「声高で高慢」どころか、どうも対面でのコミュニケーションスキルが退化して来ているようにさえ見える。これではリーダーシップは育たないだろうに。

そこへもってして、自分の考えや信条を主張する人を「自己中」とか「我が強い」とか「自慢屋」とか、まるで反社会的性格の持ち主のようにいう社会では、コミュニケーションを取ろうとする意欲まで沈黙してしまう。まあ、自分が太刀打ちできないから沈黙させようというところかもしれないけど。ローカル掲示板を見れば沈黙へのプレッシャーは一目瞭然。カナダに住んで、カナダ流コミュニケーションスキルを習得した日本人女性となると、「気が強い」、「勘違い」、「嫌味」、「変な人」と非難ごうごうになる。そうして「声高で高慢」な釘を叩いてばかりでは、若い日本人移民の中からカナダ社会でリーダーシップを発揮する人材が生まれる可能性は残念ながらまずなさそうだ。でも、日本文化を守るためだからというのなら、それもしょうがないか。せめて、出る釘は自由にさせておこうという太っ腹くらいは見せてほしいけど・・・

医者通いして、それからが

7月20.相変わらず降ったりやんだりで寒々とした日。何だかアイルランドの天気がここまでついて来たみたい。電力会社が地下鉄関連の送電容量増強のためとか称して我が家のそばの道路を掘るというので、すわ早朝から騒音か、と思ったら、10時に目が覚めてもし~んとしている。雨のせいなのか、掘った穴を週末放置しておけないからなのか、市役所が全面的ストにはいったせいなのか、とにかく今日の作業はないようだ。カレシがせっかく掘らない側に止めてあったトラックをどかしてあげたのに。(まあ、トラックのエンジンがかかることがわかっただけでもいいか。)

カレシの風邪がどうしても抜けならいらしくて、まだ喉や耳が痛いからもう一度ドクターに診てもらうといいだした。コリアンスーパーに行くチャンスだぞというのは、私について来てほしいという意味。私の方はさっと治ってしまったのに同じ風邪で3週間も不調が続いているのは、ひょっとしたら隠れた感染症があるせいかもしれない。ドクターのオフィスまでついて行くつもりでいたけど、カレシは二人で待っていても時間のむだだから、私はコリアンスーパーで買い物をしていろという。予約が2時半ならどっちみち帰りはラッシュにぶつかるのになあ。

ドクターの診断は確かに頑固な感染症が残っているようだけど、細菌かウィルスかは検査をしてみないとわからない。ということで、採取したサンプルをダウンタウンにある検査センターに届けて、時計を見ると3時半。金曜日はなぜかラッシュアワーの始まりが早い。どうする?Rodney’sのスペシャルは何時から?4時。じゃあ、デイヴィーの中古レコード屋で時間をつぶして、それからRodney’sで夕食をして帰ろうか。そういえば土曜日はまだどこにも予約を入れていなかった。車はパーキングメーターに止めてあるけれど、市役所がストということはチェッカーもスト中で回ってこない。早く言えば、スト中はダウンタウンの駐車はタダでおまけに時間制限なし。そうしよっ!

デイヴィーストリートは昔からちょっと変わった雰囲気がある通りだ。私たちがこの辺りに住んでいた頃は派手に露出した売春婦がぞろぞろ歩いていたけれど、今はゲイやレスビアンのたまり場がたくさんあって、おじさんが二人睦まじく手をつないで歩いていたりして、別の意味でまたちょっと変わった雰囲気がある。お目当てのレコード屋は穴ぐらみたいな小さな店で、古いLPがどっさりある。その筋の通が掘り出し物を狙って集まるらしいけれど、いつまでも買い手がなくて埃をかぶっているものもたくさんある。ビートルズやリバプールサウンズ全盛時代の懐かしいレコードもどっさりあるから、大音響で流れる60年代のロックを聞きながら、乱雑に陳列してあるレコードを1枚1枚見て行くと、青春花盛りの頃のときめきみたいなものが蘇ってきて何だか楽しくなって来る。カレシはCD版がないジャズの古レコードを2枚見つけて買って、少し元気が出たようだった。

結局2時間もダウンタウンを歩き回ってすっかり腹ぺこの二人。Rodney’sのいつものテーブルでビールを傾けながら、3ダースの生牡蠣を平らげ、カレシはシーフードたっぷりのサラダ、私は丸々とした蒸しハマグリで仕上げ。ついでに「Sea Witch(海の魔女)」というおもしろい名前のRodney’s特製ソースまで買って、すっかりいい気分になった。ミルクがないからと帰りに寄ったいつものスーパーではチョコレートのかかった大きなドーナッツまで買ってしまったカレシ。どうやら回復に向かい始めたのかな。コリアンスーパーではしゃぶしゃぶ用のビーフを買ったから、明日はうちにいてのんびりとしゃぶしゃぶにしようね。大豆もやしも買ったからナムルも作るね。

夏よ、さよなら

7月21日。今日も朝からどんよりと暗い。午後3時でやっと17度。平年並みの気温は23なんだから、これで本当に7月下旬なのかなあ。おいしいものを食べに行こうという意欲さえ何となくしぼんでしまう。もっとも、きのうたっぷりと堪能してきたから、今日は行きたくなくても別にいいんだけど。いくら食道楽だからって、毎日が道楽三昧だったらくたびれるはず。たまにはマクドナルドのハンバーガーを食べたくもなるというもの。

今日のカレシはしごく機嫌が良い。喉の痛みが消えたとかで、声もあまり鼻声でなくなった。ドクターに行っただけで具合が良くなることもあるんだな、という。それは「安心効果」というものじゃない?我が家のホームドクターは気休めを言わないし、必要だと思わなければ薬もくれない。わからなければ、あっさりとわからないと言い、臨床検査で消去方式に原因を調べる。全部ネガティブだったら「心配ないよ」の一言で終わり。絶対的な信頼がなければ不安になってしまいそうだけど、先生の洞察眼はすごい。腰痛が前面に響いて下腹部から膝まで疼痛がして困ると訴えたら、「内科の原因かもしれないから薬はやめておこう」と言われた。卵巣嚢腫が破れて緊急入院したのはそれからわずか数ヶ月後で、先生曰く、「やっぱりそうか」。だから、心配なしといわれれば、それだけで元気になってしまう。まるでドクター・プラセボじゃないの。

夜でかけないとなれば、今夜が期限の小さい仕事をちょっとのんびりとやれる。週明けには中くらいのが入ってくることになっているけど、その後がてんやわんやになりそうなので、猫が忍び寄ってこないうちにねずみはひと遊びしよう、というわけ。というのも、木曜の「終業時間」間際に緊急マークのついたメールが飛び込んできた。仕上がり語数が推定6桁にもなりそうなメガ仕事を短期でやれるかという。おもしろそうな内容だし、エージェンシーにとっても大きな実績になりそうな仕事だから、一瞬、う~んと絶句。ひとりでも無理すればできないことはないけれど・・・。

メールが早飛脚みたいに行ったり来たりして、結局は二頭(人)立て体制で話がまとまった。それでも私の分は6割だから9月の声を聞くまではねじり鉢巻の毎日になりそうだ。これだけに週7日専念してまじめに1日のペースをこなせば1ヵ月以内に完成させられそうだけど、どっこいそうは問屋が卸してくれないから、一人ぼっち稼業は辛い。これで、大学の課目の取り直しも当分はお預けだなあ。延長の申請期限を逃して結果的に良かったということで、またまた塞翁が馬。缶詰めになってしまえば、夏の天気も、雨続きだろうが猛暑だろうが、どうでもいいや。それよりも、なによりも、もう3ヵ月も手を変え品を変えして「納期はいつ頃になるか」と見積もり依頼ばかり送って来ているダラダラ客に、「作業開始は2ヵ月先で、それから1ヵ月半」と返事をしたら爽快だろうなあ。何だかこっちの方が楽しみのような・・・

世の中をサイバー観光

7月22日。ほんとうに仕事のない日曜日。珍しいなあ。まあ、夕方は日本が週明けになって、何が飛び込んでくるかわからないけれど。それでも、とにかく今日は久々の「日曜日」。いつもそうだけど、急に何も仕事がないと何だか手持ち無沙汰になる。外は相変わらず雨空で寒々。ひまにあかせてあっちこっちとサイバー世界を観光客してみると、世の中っていろいろとおもしろい。

へえ、ケータイって電話じゃなかったのか: 日本ではケータイでリアルタイムに会話をする人が減っているらしい。ふ~ん、顔が見えないといえ、「電話」は向こうに生身の人間がいるもんなあ。電話で話すってことはその場で考えなくちゃということか。テニスマッチみたいに予期しないところへボールが飛んで来たりするから、受動態の他力本願じゃあ勝負にならない。ケータイメールを送って返事が遅いとやきもきする方が精神的に楽なのかなあ。それもヘンな話だけど・・・。

幸せな結婚の鍵は貞節: ニューヨークでの調査の結果。回答者の97%が「貞節」を一番にあげた。次に重要なのが充実した性生活、次いで家事分担だって。日本で同じ調査をやったら、トップはきっと「(男の)収入が多いこと」じゃないのかな。何しろ、彼氏の収入が少なくて結婚に踏み切れないと嘆くお嬢様たちがぞろぞろいるらしいから。どっちみち貞操観はバブルと共に消えたんだから、そんなに男に依存したいなら金持ちの愛人になった方が取替えも楽だし、いつまでも「恋愛モード」でときめいていられるだろうに。まあ、お金で幸福は買えなくても、お金があれば幸福感も高まるのは確か。もちろん、どっちがそれを稼ぐかが問題なんだろうけど・・・。

ダンナが毎日早く帰ってくるのでうっとおしい: へぇ、まだ「亭主、元気で留守がいい」という奥サマたちが健在なんだ。こんな人はどうして結婚したんだろう。やっぱり、いつまでも働くの疲れるから、早く結婚してダンナに養ってもらって・・・?そんなこといったら、ほぼ毎日24時間いっしょにいるうちはどうなんだろう?うっとおしいどころじゃないと思うんだけど、うっとおしいとは思わないなあ。だって、カレシはあばたもえくぼも全部ひっくるめて、私のダーリンなんだもん!

今のうちに旦那を厳しく教育します: うへぇ、今どきの日本人妻って教育ママみたい。あたしの仕様通りに家事をやってね、ベッドが汚れて気持悪いから毎日シャワーしてね、ちらかさないでね、おかたづけしてね、あなたの親兄弟とは仲良くしないでね・・・あたしの理想の夫にたたき直してあげるわねって?まあ、今どき日本人妻志向の男はお子さま風が多いらしいから、ミスマッチというわけでもないだろうけど、「おとなしくて従順」な日本人妻が「ダンナの教育」について情報交換してるの、知ってるのかな?それにしても、ママがやり残したしつけをなんで妻がやらなきゃならないの・・・?

友だちをやめようと思うんですけど: おいおい、「随時入会、随時退会」のフィットネスクラブの話じゃないでしょうが。「はい、あなた、今から私のお友だちね」・・・「今日であなたとは友だちやめるね。さよなら~」なんて、自分の意思ひとつで「友だち」を作ったりやめたりできるとは。それじゃあ友情を育てるヒマもないでしょうに。今どきの人の友だちって何なんだろう・・・。

まあ、社会文化は時代と共に、世代交代と共に、政治や経済の情勢に合わせて変わって行くのは、どこの国でも同じ。恋愛観、結婚観、道徳観、世界観、歴史観、人生観・・・人の価値観も常に変わって行くけど、それが前進なのか後退なのかはまた別の話で、人それぞれ・・・

夏、再デビュー?

7月23日。夕方になってちょっとだけ青空がのぞいた。さよならしたと思った夏がどうやら戻ってくるらしい。連続7日雨が降ったそうだ。7月は乾期じゃなければならないんだけどに・・・

バンクーバー市役所は今朝から内勤もスト入りで、業務はほぼ全面的にシャットダウン。秋まで続きそうな予想だとか。長く、くさ~い夏になりそうだとマスコミは騒いでいる。ま、夏の盛りに街中がゴミの山になって、健康被害が出そうだということになれば、ごみ収集だけはまた何らかの法的手段で再開させるだろうけど、当面はキッチンのゴミ箱には腐るものだけを入れて、袋をできるだけ小さく圧縮して、外のゴミ容器に保管するようにしなくちゃ。あまり猛暑にならなければ良いんだけど、う~ん、青空が見えたからって、喜んでもいられないような・・・

だけど、イマイチ釈然としないのが、「パーキングメーターにはストの影響がない」というニュース。この前のときはチェッカーもしっかり職場放棄したから、メーターにコインを入れなくても駐車のし放題だったのに、今度は平常通りチェックするというのはなぜなんだ?どうして、駐車料金の徴収がなくてはならない「基本サービス」で、なければ市民が一番困るゴミの収集は「基本サービス」じゃないの?わからないなあ・・・。

イギリスからはまたあちこちで洪水のニュース。エイヴォン川も危ないような話だけど、バスは大丈夫かな。イギリスは島国だから川は短いだろうし、あまり幅の広そうな感じでもないから、何十年とか百年に一回というような雨量だと、外海に排出しきれないで溢れてしまうのだろう。北半球では降雨量が増加しているという話だから、これからもあちこちで洪水は増えるだろうなあ。

そういう我が家もBC州の「母なる川」フレーザー川の北支流の河口からあまり遠くない。ロッキー山脈から延々千数百キロを流れてくる大きな川だけど、この春は冬に積もった多量の雪が急に融け出して、支流も含めて、上流のあちこちで洪水が起きた。バンクーバー郊外のふだんはゆったりして見える下流一帯でも、カレシが5才の年(私が生まれて間もない頃)に2万ヘクタール以上が冠水するという大洪水があったそうだ。この春だって氾濫ぎりぎりの水位まで増水して、避難勧告が出た地区もあった。バンクーバー市も将来は氾濫原にならないという保証はないのだ。

我が家が建っているところは大昔は川底だったから土は粘土質で固く、雨が続くと庭が水たまりだらけになるほど水はけが悪い。もっとも、斜面の中腹にあるから、今のところは側溝が溢れても道路が川になる程度ですむ。だけど、もしも日本で起きるような24時間に数百ミリとかいう集中豪雨があったらどうなるかわからないなあ。半地下にある私のオフィスも水浸しになってしまうかな。まあ、窓はかなり密封度が高いから、じゃぼじゃぼと流れ込んでくることはないんじゃないかなあ・・・と、極楽とんぼは考えるけど、う~ん、地表より低いベースメントドアの外にある排水口だけは泥が詰まらないようにしておこう・・・

ああ、お役所

7月24日。ぐっすりよく眠っていたのに、カレシに鼻づらをなでられて目を覚ました。「あまりすやすやと眠ってるもんでつい」だと。時計は11時。久しぶりにいいお天気。外は静か。仕事があるんだけど、まあ、せっかくいい気分で目が覚めたんだし・・・と、そろそろ起きようかと言い合いながらも、しばしいちゃいちゃ。だけど、20分もしないうちに外でドタン、ドタンと工事の音。あ~あ、せっかくいい雰囲気だったのに・・・。

送電線埋設の工事は、まとめて一気にやればいいものを、何だか小出しにやっている。しばらく大音響が続いて、静かになったと思ったら、道路の舗装が長方形にきれいに剥がされていた。曲がり角でもあるから、そこにジャンクションボックスを埋めるらしい。それにしても、カレシは外で大きな音がするたびに二階に上がったり、外へ見に行ったり。元々外で物音がすると「どこのどいつが~?」と気になってしかたがない性質だからしかたがない。まあ、運動になっていいのかもしれないけども。

郵便の中に私宛の政府の小切手が混じっていた。金額は何と2ドルと81セント(約320円)。ビジネスの関係で返ってくる物品サービス税かなと思ったら、「所得税の還付」と書いてある。ええ、どうして?4月の申告のときには、還付どころか、収入増で税額が前納分では足りなかったから、差額を送ったのになあ。と、首をひねっていて思い出したのが、5月に税務署から来た確定通知。ちゃんと納税期限前に小切手を送ったのに滞納の利子がついていた。その額が2ドル81セント。5月末までに払わないとどんどん利子がつきますよ~なんて脅かすから、たかだか3ドルに満たない金額で税務署とけんかするのも無駄だなあと思って、現金化されていた小切手の額を差し引いた利子分の2ドル81セントを送ったのだった。

ふ~ん、それを税務署は「還付」と称して送り返してきたわけか。つまり、「実は、所得税を2ドル81セントも取りすぎてました~」と。う~ん、2ドル81セントの小切手を送るのに郵便料金が52セント。その小切手を入金処理して、納税記録をアップデートして、そこで間違いに気がついて還付手続き。小切手を印刷して、封筒に入れて郵送・・・やれやれ、いったい何人の手をわずらわせたやら。時給にして合計したらどれだけ経費がかかったやら。おいおい、腕まくりにねじり鉢巻で稼いだお金から払う税金なんだから、取りすぎてもらっては困るけど、チョンボしてムダ使いしてもらっても困るなあ。はあ~~~

夕方のニュースで、郊外で道路工事中の重機が石油パイプラインをぶち抜いて石油が噴出したと報じた。ロッキー山脈の向こう、アルバータ州のエドモントンからバンクーバーの製油所へ原油を送るパイプラインなんだそうな。真っ黒な原油が何十メートルも噴き上がって、近くの住宅地を川のように流れて、バラード入江に流れ込んだという。あたりは並木も家も車も原油をかぶって真っ黒け。入江沿いの幹線道路は通行止めで、避難した住民はしばらく家に帰れそうにないと。ンも~、掘る前に道路の下に何が埋まっているかちゃんと確認しなかったのかなあ。しかるべきところからからちゃんとした図面をもらわなかったのかなあ。それとも、しかるべきお役所がちゃんとしたものを作ってなかったとか・・・?

あのお、うちの外で道路を掘っている電力会社の下請け屋さん、お願いだから、まちがっても水道本管や下水管をぶち抜くなんてヘマはしないでくださいね。市役所はスト中なんだから・・・

騒がしい一日だこと

7月25日。午後10時。やっと暗くなってきたところで、ドドン、ドドンと盛大な音が始まった。恒例の花火コンペの初日。毎年3ヵ国代表チームが花火と音楽のシンクロを競う。ロックあり、クラシックあり。ラスベガスのベラジオの前でやっている噴水のショーを花火を使って空でやっていると思えばいい。

我が家は南斜面で丘のこっち側、花火を打ち上げるイングリッシュ・ベイはあっち側で、残念ながら、音はすれども花火は見えない。それにしても、今夜のスペインのフィナーレはドドドドドーッと派手だった。まあ、国を代表するコンペの形式だけど、コンピュータと打ち上げ装置を連動してのハイテク演出だから、お雇いチームが多い。イベントの仕事をセールスするためのデモみたいなものだ。さて、終わったあとのゴミの山、市役所の管理職が動員されるらしいけど、大変そう・・・

外の工事、誰かが時計を見ながら、「よーい、ドン」と合図をしたのか、今朝は午前7時きっかりに始まった。だけど、二人ともなぜかまた眠ってしまって、起きたのは10時近かったから不思議だ。あんがい、単調な音なら、飛行機の中でのように、少々の騒音でも眠れるのかもしれない。安眠用の「小川の音」が流れているし、カレシは耳栓をしているから、この分なら明日も大丈夫かも。

ドアを開けるとすごい騒音だけど、家の中は遮音性が高いので私はたいして気にならない。そういえば、札幌にいた頃は、冷房のないオフィスで、オリンピック関連の地下鉄・地下街工事のまっ最中に窓を開け放して仕事をしていたし、10何年か前には、向かいの市営ゴルフ場の大改修工事で、来る日も来る日も重機の轟音と家の外でアイドリングするダンプカーの騒音と猛烈な土ぼこりの中で、家に篭って仕事をしていた。最後にバンカーに砂を入れる時は1週間も毎日低空でヘリコプターを飛ばしたから呆れた。さすがにぶっち切れて、何度か施主である市の公園委員会と大げんかをしたけれど。

カレシは1中、工事現場などで使う聴覚防護用のイアマフをつけていた。産業用のごっついヤツだ。やっぱりどうしてもがまんができないらしい。赤ちゃんのときに、夜昼かまわず隣から聞こえる騒音に目を覚ましては泣き叫んだというから、そのせいで生理的に(他人の)騒音がストレスになるのかもしれない。私は仕事の手が離せないので放っておいたら、午後になって、園芸センターで買い物してくると出かけて行った。そうやって自分でちゃんと対応できるのだからエライ。ふつうの園芸店で売っていない、育苗用の四角いプラスチックポットを見つけたといって、100個も買い込んで意気揚々とご帰館。やれやれ・・・

ああ、やかましい・・・

7月26日。午前7時。ドッタン、ドッタンと家までが揺れるような騒音で、とても寝ていられない。睡眠不足気味もあって、カレシはふくれっつらのむっつり。騒音だけでなく、コンピュータに侵入した正体不明のトラッキングクッキーを駆除できないこともストレス要因らしい。こりゃ、だいぶマグマが上がってきているなあ・・・とじっくり観察している自分がいるから不思議だ。これがひと昔前だったら、「キレるぞ」というカレシのオーラに金縛りになってしまっていたんだから。まあ、今は「キレたらおしまい」という不文律みたいなものがあって、カレシもそれを重々承知でがんばっているということだろう。お互いにだいぶ成長したということだよね。

今日は英語教室の日だけど、とにかく起きるのが早すぎた。騒音と振動に包まれての朝食が終わった後、カレシは時間がありすぎるとぶつぶつ言いながらイアマフをして庭へ出て行った。何するのかなと見ていたら、ガレージからチッパーシュレッダーを引っ張り出して、生垣の剪定くずを粉砕し始めた。この機械、業務用よりやや小型の一般用なんだけど、7.5馬力とかいうエンジンで、マフラーがないので、暴走族のナナハン顔負けの轟音を立てる「ご近所メイワクの花形」的存在。ふ~ん、どうやら「毒には毒」式の対抗手段に出たらしい。カレシにしてみれば仕返しのつもりなんだろうけど、ま、どうせご近所中が大騒音だから、迷惑にならないちょうどいいタイミングでもある。

午後は教室の終わる時間を見計らってモールへ出かけた。カレシは前から庭に引っかけて出られるサンダルを欲しがっていたし、屋内用スリッパがボロボロで、自分で注文できるはずなのに、「歩きにくい」、「足元がすべって危ない」と文句タラタラだった。折りしも外では埋め戻した溝の砂利を機械で叩いて固めるところ。家中にビリビリと振動が伝わって来るから、重機よりもこっちの方が精神に良くない。おでかけはもっけの幸いの逃避行でもある。今日はゆっくりデパートで時間つぶしと行こう。

カレシと落ち合って、ヘアカットの予約を取り、私のも入れてサンダルを3足、スリッパ1足、ついでにカレシのブリーフ6枚パックを買って、ついでのついでに、前から買おうねと言いながら実現しないでいた四角いディナー皿も4買ってしまった。ちょうど5時近いことだし、このまま外で食べて帰ろうということになって、久しぶりにJAPONEへ。まだ開いたばかりだから、がら空き。今日のシェフのスペシャルに「くらげのキムチ和え」がある。カレシが何だと聞くから、「海の中でふわふわ浮いてる、あのくらげ」といったら、「げっ、jellyfishなんかヤダよ~」。でも、おそるおそる一口食べて、ふ~んという顔で、またもう一口食べたからおかしい。あのコリコリした食感がお気に召したのかな・・・?

帰ってきたら、家の外の工事は道路の仮舗装が始まるところまで進んでいた。穴掘りは角を曲がって、もう2丁くらい先まで進んでいる。この分なら、明日の朝は騒音源も少し遠のいて、目が覚めてもまたひと眠りできるかもしれないなあ・・・

わ~い、静かだ

7月27日。今日こそは静かかなと思ったけど、午前7時、また家の外で、かなり単調だけど工事の機械の音。だけどすぐにまた眠ってしまった。腹ペコのカレシが朝めしのしたくができてるんだけど」と起こしに来たのは8時半。カレシは私より1時間以上も早く寝たのに、5時、6時と目が覚めて、工事の音と共にやけになって起きてしまったとか。外では新しいマンホールの周りをアスファルトで仮舗装中。「これだけ騒々しいのによく眠れるなあ」とカレシが感心するけど、衝撃音でない限りは、「ああ、やってるのか」とナットクするとあまり気にならなくなるらしいから、自分でも不思議。もっとも、家の外に車を止めてカーステレオをガンガンかけられたら、私だってカッと目が覚めて、「どこのアホ野郎だ」とムカつくと思うけど。

10時過ぎには舗装も終わって、2丁先で進行中の工事に専念したらしく、やっと家の中が静かになった。さっそくカレシはオフィスの奥のソファで昼寝。正午まで寝返りも打たずにぐっすり眠っていた。連日の騒音のストレスと寝不足で心身共に疲れ果てていたのだろう。カレシは宵っ張りの夜型人間なのに、夜ベッドに入って眠れないとパニック状態になって、ますます眠れなくなって悶々としているうちに精神的にくたくたになってしまうらしい。そういう寝不足のときは、単なる夜更かしをした結果の寝不足のボケッとした顔つきとは全然違う。やっぱり、赤ちゃんの時に十分に眠らせてもらえなかった苦痛が記憶の奥にしっかり刻まれているのかもしれないと思う。

日本では地震で被害のあった柏崎の原発に関する海外での報道に過剰報道だといちゃもんをつけているらしい。まあ、放射能が絡むことだから世界の注目が集まって当然だろう。中にはいい加減な報道もあるだろうけど、日本のマスコミはアメリカで銃の乱射事件があるたびに、「銃社会アメリカ」ではどこでも日常茶飯事で銃撃戦があるような書き方をするんだから、痛み分けというところ。他人に降りかかる火の粉はニュースになるけど、我が身に降りかかる火の粉はこっそりもみ消したいというのは、どうもねぇ・・・

アリゾナ州で、逃げる車をパトカーが追跡するのを生中継していたテレビ局のヘリコプター同士が衝突して墜落したという。事故のあったとき、上空には警察の他に報道陣のヘリコプターも合わせて、5機も飛んでいたというから呆れる。警察の追跡を空から一部始終実況中継するという狂気の沙汰は、殺人容疑者のO.J.シンプソンの車を警察が(ノロノロと)追跡する様子が中継されてから、放送中の番組を中断してまでやるほど過熱してしまったんだと思う。テレビで追跡の中継が始まったらメールで知らせてくれるサービスまであるそうで、ニュースもリアリティショー化したってことだけど、「おお、逃げる、逃げる。すご~」なんて中継を見ていた人たちは、カメラが捕らえた墜落の模様にも「すご~」と歓声を上げたのだろうか・・・

札幌の高校で、1年生の夏休みの英語の宿題用にと英会話の本からコピーした参考資料に卑猥な表現があって、親に指摘されて慌てて別のと取り替えたとか。宿題のテーマは「男女の出会い」だったそうだけど、市販の英会話の本からコピーしたというのもズボラだけど、「40代の男性」教師は気が付かなかったんだそうな。気がつかなかったって、自分が出した宿題の参考資料として選んだ本なんでしょ?読みもせずに適当なページをコピーしたんで内容に気がつかなったってこと?それとも、読んでみたけど、セックスの話とは知らなかったってこと?でも、年からして長年英語教師をやって来たんでしょ?ほんとうに、ほんとうに先生の「うっかりミス」なのかなあ・・・

ありゃりゃ、大変!

7月28日。土曜日。先に目を覚ましていたカレシがまたぞろラブラブ攻勢で来るから10時半に起きてしまった。朝のうちはけっこう静か。買ったばかりの四角いお皿に、ベーコンと卵とマッシュルームの朝食が何となくハイクラスに見えるからいいなあ。でも、大きなお皿にちょこっとあるように見えるうちがエレガントでいい。丸いお皿と違って表面積が大きいから、これにをいっぱい盛りつけたら、いやでも肥満予備軍だもん。

我が家の周りでの工事が終わって騒音はずっと先に移動したんだけど、前の道路をやたらとダンプカーが10分くらいおきくらいに通る。そのたびにカレシは外へ飛び出したり、二階へ駆け上がったり忙しい。子犬じゃあるまいし、近くで工事してるんだからトラックが通ってあたりまえと思うんだけど、私は知らぬが仏を決め込んで仕事に集中(といっても、退屈だなあ、この仕事・・・)。

でも、さくらんぼのアイスクリームを作るといって、その最中のはずなのに、せわしなく出たり入ったりするからちょっとはキッチンが心配になる。なぜか出るたびにレンジのスイッチをオフにしていたらしく、ダブルボイラーを煮立たせることなく作業が終了したようで、後は庭へ出てまたチッパーシュレッダーでの作業。近所も少しは静かな週末と思っただろうに、何しろトラックの音にムカついているカレシはそれに対抗することで頭がいっぱいで、ご近所のことは念頭になし。すいません・・・

今夜は花火大会があるのでディナーにでかけるのはやめて、サテイとアジア風サラダで夕食。デザートにと、アイスクリームメーカーに仕込む前の最後の段階で、砂糖煮してピューレにしたさくらんぼとクリームをブレンダーで混ぜたところまでは良かったけど、「これはどうやって外すの?」との質問に、「銀色の・・・」と答えかけた矢先に、カレシの手が先に動いて、銀色のベースを押さえたままジャーを外してしまったから、さあ大変!中の液体がどぼ~っ!

夕食のしたくが始まったばかりのキッチンは、カウンターもキャビネットの前も床も、ブレンダーも、とにかく何もかも紫色の液体でべとべと。ブレンダー本体を救助した私も、お気に入りのジャンパーは紫色の染みだらけ。カレシは「ボク、知らなかったんだ~」と泣きっ面。う~ん、頭では手順を聞いていても、なぜか手の方が待ちきれずに勝手に次に行っちゃうんだよねぇ。前にも何度かあったよねぇ。また私のいうことを聞いてなかったでしょ、と怒っても、元々人の話を聞かないんだから馬の耳に念仏だろうし。はぁ・・・

私がブレンダーの掃除をしている間、カレシは床やカウンターの後始末。でも、黙って自分で後始末をしてくれていることだから、「アクシデントだった」ということで、ここは優先すべきことを優先ゃ。べとべとの液体をどっぷりとかぶってしまったブレンダーの掃除は、何だか原油流出で油まみれになった海鳥の救助作業みたい。ざぶざぶ洗えるものじゃないから、濡らしたペーパータオルを何枚も使って、細かいところは竹串で清掃。おかげで、ブレンダーは無事だったようだ。フードプロセッサとのコンビなので、液体が入ってショートしたら二つの道具が同時に昇天ということになるから、私も必死だったけど。

ジャンパーの染み取りをして、洗濯機を回して、食事のしたくに戻ったのはほぼ1時間後。ま、さくらんぼのアイスクリームを食べ損なった以外は大きな被害はないんだし、カレシはすっかりしょげているけど、人の話を聞いても損はしないという教訓になれば幸い。だけど、だけど、アスペルガーとかボーダーライン人格とかADDとかいった言葉が、私の頭の中をちらりちらりと浮遊するのはなぜ・・・?

極楽とんぼはつらいよ

7月30日。妙にし~んと感じられる月曜日。二人とも11時近くに目を覚ました。ぐっすりと9時間も寝てしまったわけ。日曜日のカレシは一日中ごろごろ、だらだらで、うたた寝ばかり。それでもこれだけ眠ったということは、やっぱりストレスの極みだったのだろう。わかるなあ、そこのところ。先週は私だってさすがにすごく疲れたもの。これでもかみたいに続けて入ってくる仕事はどれもしちめんどうくさいExcelやPowerPointで、その上に騒音と振動、さらに生活時間の狂いで「仮性時差ぼけ」ときたら、さすがの極楽とんぼだって羽が重くなって来るのだ。

それでも日曜日は一日静かだったから、かなりまじめに仕事に励んだ。もう月末なのに、消費税の申告に必要な帳簿処理をまた3ヵ月さぼったからタイヘン。無理しなくていいといわれても、やっぱり無理してでも月曜日中に終わらせたい。カレンダーをめくったら、大仕事の中に中仕事をはめ込んで、その中にさらに小さいのをはめ込んで、何だかロシアの入れ子人形みたいなことになっている。どうしていつもいつもこういうことになってしまうんだろうなあ。

きのうはストレス解消のつもりで6週間ぶりにトレッドミルを再開した。スピードは普通なら駆け出しの時速8キロで通して、時間は20分に短縮したけど、初めのうちは何となく速すぎるような感じ。ちょっと落ちてるなあと思いつつ、ひと汗かいてタイムアップしたところで脈拍を測ったら180と出た。220マイナス年令が運動後の適正な最高脈拍数だそうだから、180だったらやりすぎたということになる。2分ほどで130まで下がったけど、定期的に走っているときは2分で120まで下るから、かなり遅い。まあ、時差とか風邪とかストレスとかいった要因があったとしても、何年もかけて鍛えたものがちょっと休んだだけであっという間にout of shapeになってしまうんだから、人間は身体も怠けるとすぐにダレるようにできているらしい。

オフィスに下りてきて、いつものようにメールをチェックしたら、日本の超一流企業の子会社だというところからの「お誘い」メールが入っていた。グローバル企業だから翻訳部門もあっておかしくない。財務や法律関係の日英翻訳が主になるらしいけど、なぜか最近はやたらとこの分野の仕事の「お誘い」が飛び込んで来る。公開されているディレクトリから拾って送ってくるんだけど、メールアドレスは親会社のドメインだし、メッセージもスパム風のばらまきメールではなさそうだし・・・と、また食指が動く。おいおい、燃え尽きそうになってクライアントを「大幅削減」したんじゃなかったの?今あるクライアントだけでもてんわわんやなのに、またぞろ「おもしろそうだ」なんて、大丈夫なのかなあ、この極楽とんぼ・・・

くすぶる気持をどうしよう

7月31日。とうとう月末。仕事を1件片付けて、大汗かきかき帳簿の整理。第2四半期分の物品サービス税(GST)を納付する期限なのだ。税率ゼロの「輸出仕事」がほとんどだったので、経費に払ったGSTの方が多くて、今月は差額が戻ってくる。この場合は午後11時までオンラインで申告できるから、小切手を持って銀行に走らずに済むわけ。さて、あとは請求書を書く作業で7月はおしまいということになる。

今週末はまた三連休。近所の家で息子が結婚式を挙げるということで、3日連続でパーティをするそうな。インド系の結婚式は何日もお祝い行事があるそうだから、する方も祝う方も大変だろう。かなりの大音響で音楽をかけるけど、「そこをひとつよろしく」というお願いメールが来た。私の方は「そうか、そういうことなら」という反応になるんだけど、カレシはそんなわけにはいかない。案の定、即刻大むくれ。ごていねいに市の騒音防止条例の一節をタイプして、印刷して、「法律によると・・・」と来た。頭の中で、カテゴリー4級のハリケーン接近!の警報が鳴り響いてしまった。

先週の工事の騒音が相当なストレスだったことはわかるんだけど、ご近所が「すみませんけどよろしく」と挨拶して来ているのに、法律を持ち出して威嚇しようというのはまともな大人の尋常な反応とはいえない。法律を持ち出すといっても、カレシは順法精神が旺盛なわけではない。自分の領域を侵されるという「脅威」を感じた時に、何らかの権威を振りかざして相手を威嚇することで不安を抑えようとするのだと思う。そういう人はどこにでもいるんだろうけれど、カレシの場合は自分と他人の境目がわからないために不安が増幅してパニック状態になるらしい。

私がずっと感じてきた違和感のようなものは、トイレのシートを上げっ放しとか、脱いだものを散らかすとか、後片付けをしないとかといった生活習慣の違いや、楽観的、悲観的といった性格の違いから来るものとはまったく違う。文化や言語の違いで違和感を感じたことはないのに、心の結びつきのようなものを求めると、そこに目に見えない「壁」が立ちはだかっているのだ。率直に言えば、カレシは「普通」じゃないということだ。ボーダーライン人格障害の「傾向」は確実にあると思うし、その原因が幼児の頃の家庭環境にあることは想像に難くない。去年、両親の生活が急変した頃から元のカレシに逆戻りつつあるのではという危惧がいつも私の心の奥の巣食っていたのは事実。いつまでそれを打ち消していられるのか、いつか心を開いて話し合えるのか・・・わからない。


2007年7月~その1

2007年07月16日 | 昔語り(2006~2013)
旅の空は荒れ模様

7月3日。なんともくたびれるハプニング満載の旅から帰って来て2日。昔はバケーションの目的地に向かう飛行機の旅は旅の楽しみの半分といったものだけど、21世紀の空の旅はそんなのんきなことを言っていられない。出だしからして、ロンドン行きの便の出発が30分遅れ、と来た。しかたがないから空港ホテルのバーで特大のマティニで景気をつける。

ハドソン湾からグリーンランド南部の上空を通過して、アイスランドの北をかすめ、スコットランドあたりからイギリス上空に入る9時間の旅。ロンドン上空を旋回したおかげで、バッキンガム宮殿やビッグベンが見え、新名物ロンドンアイも見えて、ちょっと観光した気分。やっとヒースロー空港に降りたら、入国管理が長蛇の列。整理をする係はあいも変わらず無愛想。バッキンガム宮殿の衛兵じゃないんだからちょっとはにっこりしてもいいだろうにと思うけど、そこはヒースロー空港なのだ。

ヒースローエクスプレスでパディントン駅へ。所要時間たった15分で一人15ポンド50ペンス(約4千円)。「往復で買うとお得です」とうるさい。パディントンに着いて見たら、月曜日は週末のグラストンベリー音楽祭から帰る人たちで列車が混み合います、と大きな看板。アイルランドへ行くのにロンドンまで出てこなきゃならない日ではないか。しょうがないから今のうちに座席指定で切符を買っておこうと列に並ぶ。ところが、切符を買おうとしたお兄ちゃんに「もうぜ~んぶ売り切れ」とそっけない返事。順番待ちの私たちは真っ青。窓口で事情を説明して、迂回ルートはないかと聞いてみたら、「心配ない、レディングでバスに乗り換えてヒースローへ直行するのがあるから」と、なんでそんなに青い顔してるのといわんばかりの返事でこっちはぽか~ん。それでも、念のためにいっしょになる友だちの分も合わせて座席指定券を3枚買って、ほっ。改札口の辺りで立ったままベーグルを頬張りながら、3時半頃の便に乗るという友達の姿を探す。トレードマークみたいになっている巨大なスーツケースを持った彼女が現れて、一路目的地のバスへ。

会議が終わって、さあバケーション。バスからヒースローへ戻るのに、友達はさすが準備周到の日本人だ。ちゃんとロンドン経由の座席指定券を買ってあった。じゃあ、エアリンガスの搭乗ロビーで落ち合おうね、と別々の車両に乗る。私たちの切符は何と一等車だった。なあんだ、空きがあるはずだなあ。でも、普通車の友だちのよりもずっと安いではないか。片道だとこんだけ高くつくぞと脅かして往復を買わせたがるし、イギリスの鉄道料金の設定は実に摩訶不思議だ。一等車はテーブルに新聞が置いてあるし、飲み物各種だけでなく、果物やマフィン類までワゴンサービスする。不要になった3つ目の「予約席」は、カレシが大きなスポーツバッグをでんと座らせて利用した。ただし、検札のときは人間の切符だけ見せたけど・・・。

レディングで私が座席にバッグを置き忘れるという危ういハプニングもあったけど、何とかバスに乗り継いでヒースロー空港に到着。エアリンガスのコーク行にチェックインして、腹ごしらえ。搭乗ロビーへで友だちと落ち合ったはいいけれど、機材の問題で出発は1時間ほど遅れるとか。それでも、シャムロックマークの飛行機でコーク到着。寒い。おまけに晴れたと思ったらさあっと雨が降る。これぞ、Welcome to Ireland。

いよいよ帰国の日曜日。コークで始まった私の風邪は本格的な気管支炎模様。予約してあったタクシーを飛ばすこと2時間でシャノン空港へ。200ユーロの出費だけど、キラーニーからの公共輸送の便が悪いのだからしょうがない。チェックインカウンターが閑散としていて変だ思ったら、実はダブリン始発の便だった。残ったユーロを使っちゃおうと免税店をうろついていたら、ゲートが変わったとアナウンス。いたるところに出征途中の米兵がごろごろ転がって眠りをむさぼっている。

飛行機がプッシュバックされて、さて離陸かと思いきや、これがうんともすんとも動かない。別に混み合った空港でもないのになあと思っていたら、「ラダーの油圧異常のランプがついたので修理中です」だと。ああ、またしても遅れ。しばらくして飛行機はほぼ満席の客を乗せたまま空港の端の駐機場に送られてしまった。修理完了→検査待ち→検査終了→検査係のサイン待ち→サインオフ完了→給油車待ち→給油完了→プッシュバック車待ち→エンジンをかけて修理結果の確認(結果次第ではターミナルに戻って降りてもらう)→修理確認→やっとこさ滑走路へ。座席に閉じ込められたまま2時間。トロントでの乗り継ぎ時間は2時間。すでに間に合わない。それでも、飛行中にラダーの異常が起きたら命取りだから、文句はいわないけれど。

トロントまでは7時間だけど、実際には機内に9時間いたことになる。トロント到着は乗り継ぎ便の離陸と入れ替わり。エアカナダのカウンターに行ったら、私たちの搭乗券だけが見つからない。なんのことはない、荷物を預けていなかったために、積み替えが不要だからと無視されてしまったらしい。そこがエアカナダのエアカナダらしいところ。それでも、次の便に乗ることはできたけど、飛行機の中も自分のミニバンの中も同じと思っているらしい若い中国系の家族連れと通路を挟んで隣になってしまった。バンクーバーまでの5時間があれほど長く感じられたことはなかった。ビデオカメラで撮影してYouTubeに載せたいような傍若無人ぶり。子育て失敗も親から子へ世代間連鎖するということなんだろうけど、だけどなあ・・・。

ま、交通機関が旅の楽しみの半分だった時代は遠い昔になってしまったのだろう。カレシはこの次は絶対にビジネスクラスで行くと息巻いているけど、それもいいよねぇと乗り気になってしまうのは、やっぱり旅そのものがしんどくなる年になってきたということだろうか。

超乾燥した機内で気管支炎と副鼻腔炎は一気に悪化。おまけに二度の降下では鼓膜が破れそうなほど痛く、しばらく耳が聞こえなかった。2日経って、カレシも風邪気味。それでも、私の気管支炎はちょっと落ち着いて来たし、熱もなくなった。耳もときどき聞こえが悪くなる程度で回復に向かってはいるようだ。でも、今度は声が出なくなりそうな気配。ひそひそ声しか出ない。あ~あ、やれやれ、もう仕事が並んでいるのに。これって遊びすぎたバチなのかなあ・・・

平常通りとは

7月4日。あ~あ、やっぱり仕事は待ったなしの崖っぷちになってしまった。でも、午前7時なんてとんでもない時間に起き出してしまうので、稼働時間は長めに見える。風邪のせいで時差ぼけに悩まされているヒマがない。だから、1日が長いのはいいんだけど、それでついいつもの極楽とんぼになってしまうから困ったものだ。

カレシも私があげた(と主張する)風邪が速攻で喉頭炎に発展したらしく、声がかすれて小さい。私もヒソヒソ声なもので、何を言うにしても互いに顔を近づけてささやき合うという、実に親密な光景になる。片方だけなら静かでいいとか冗談のひとつも出そうだけど、二人揃ってヒソヒソ声になってしまうと意外にめんどうなことになる。何しろ離れたところから大きな声で話すわけにいかないので、何か言うことがあるたびにいちいちどっちかが相手のところに出向かなければならない。けっこう運動になっていいと思えば、まあそれもそうだけど。

さて今日から平常というはずのきのうはまったくもって奇怪な日だった。二人揃ってコンピュータに向かっていたら、急に停電。(まあ、停電というのは急に起きるものなんだけど・・・)。バックアップの電源があるから、ファイルを閉じて、シャットダウンする。午前中だから夜の停電と違って明るい。おかげで妙に手もちぶさたな気分になって落ち着かない。電力会社は復旧作業チームを出動させたというから、後は待つほかない。カレシは庭に出て行き、私は窓際に陣取って遅ればせながら旅日記を書き出す。停電は1時間ほど続いた。おかげで留守中に伸びた雑草がだいぶきれいになり、旅日記も4日分くらいまで進んだ。

正午という私たちには変則的な時間にランチを食べて、さてさてと仕事の算段をしていると、カレシが一階のトイレの水が濁っているといいに来た。タンクの蓋を開けてみたら泥水みたいなのに、シンクの水は濁っていないのだそうだ。トイレが故障しちゃったんだ。配管屋を呼ばなくちゃ・・・と、いささかパニック気味。ちょっと待て。流れないというのはわかるけど、トイレの水だけが濁るなんてありえないでしょうが。問題のトイレに行って、シンクの栓を開ける。最初はきれいだったのがすぐに泥水になる。キッチンのシンクも同じ。水道局が何かやった疑いが濃厚。隣のパットさんに電話したらやっぱり濁っているそうな。うちのトイレの故障じゃなくて水道の問題というわけ。

夕食のしたく時とあって、大きなボールにオフィスのウォータークーラーの水を取ってきて料理に使った。水の配達は毎月けっこうな出費でもあるけれど、こんなときにあわてずに済むというメリットもある。夕食ができ上がる頃には水もけっこうきれいになっていた。でも、とんだハプニング続きで、仕事は遅れるばかり。まあ、少なくとも今日は今のところ平穏無事な流れ。やっと平常の生活に戻りつつあるということらしい。

ペアルックのピンクアイ

7月6日。さあ、落ち着いて仕事にかかろうと思った水曜日はまたハプニングの日だった。どうも右眼のコンタクトがかすんでいる。もっとも、コンタクトは右は遠方、左は手元というように設定してあるので、家の中で鼻先にあるものを見るときは、右は奥行きをつけるだけで実際にはよく見えていない。

でも片方がかすんでいるのはやっぱりイライラするから、レンズを洗いにバスルームに上がって行った。少し念を入れてレンズを洗って入れなおしたら、ふつうならこれで視界すっきりのはずなのに、オフィスにたどり着かないうちに、あれれ、またまた曇り模様。忙しいのに困ったもんだとぶつぶつ言いながらまたバスルームへ行く。そこで外したレンズを洗いながらふと見た鏡の中の顔。右眼の周りがぷっくり膨れて、目頭に目やにがびっちり。白目は真っ赤になっている。

テレビを見ていたカレシのところへ行って、「目がヘンなの」とあかんべぇをして見せたら、カレシは椅子から飛び上がって、「大変だ、そりゃピンクアイだ、伝染する、オレにくれるな・・・」となんかパニック。ピンクアイというのは何だかなまめかしいような病名だけど、急性カタル性結膜炎、つまりは夏によく子供の間で流行する流行性結膜炎のことだ。伝染力が強いのだとか。すぐにドクターに行かなきゃというけれど、ファミリードクターはもう診察終了に近いし、今でかけたら仕事の締め切りに間に合わなくなる。けれども、お岩さんみたいな目を見たら、どうもそんなのんきなことは言ってられない気もする。

結局のところ、編集者の方にちょっと余裕がありそうだったので、緊急で納期の1日延長を頼んでおいて、一番近くのウォークインクリニックへ行った。やはりピンクアイということで、抗生物質の点眼薬を処方してもらい、となりの薬局に飛び込んだ。夕方のラッシュと待ち時間で3時間近くかかったけど、発注元の方で余裕があるからということで期限延長を認めてもらえて助かった。けれども、なのだ。薬の注意書きにはコンタクトレンズの着用は不可と書いてある。見えなければ仕事にならない。マンガチックに分厚い予備の眼鏡があることはあるけれど、これをかけると世界がウワ~ンとワープして見える。ま、しょうがないけど。

金曜日、やっと終わった仕事を納入して、カレシと揃ってドクターへ。カレシの右眼も真っ赤になっている。風邪だけじゃなくて結膜炎まであげちゃって、「私って気前がいいのよね」といったら、「よすぎる!」ケチよりもいいんじゃないかと思うけど、まあ、そこは何をあげるかによるわけで・・・

火元の私が先に診てもらって、気管支炎ということで抗生物質の処方。ドクターの問診はコンピュータに答を打ち込みながらだ。処方箋もプリントアウトされてくる。まだ痛む耳は少しすれば治るとのことだけど、ときどき鼓膜がカシャカシャと音を立てるのは裏に滲出があるせいらしい。入れ替わりにカレシが診てもらって、目はやはりピンクアイであと軽い気管支炎。まったく同じ抗生物質を処方されて出てきた。帰りに薬局で薬を買ってきて、バスルームのカウンターのそれぞれの側に置いたら、おお、ペアルック。外国のバクテリアだから薬がよく効くかもと、ドクターは言っていたけどなあ・・・

旅は食道楽・・・

7月7日。今回の旅はイギリスのバスに4泊、アイルランドのコークとキラーニーに3泊ずつの、10泊11日の日程。私たちの旅の楽しみのひとつが「おいしいものを食べること」にある。このあたりで、思い出になった食事を回顧して、まとめておくことにしよう。

会議の宿舎は大学の寮。夏休みの間にレンタルで稼くらしく、テレビや湯沸しポットを置いてあるけれど、大学構内のレストランは夏休みで休業中。大学構内のカフェは9時からということで、翌朝の朝食としてミルクやジュース、デーニッシュを仕入れて帰る。何だか苦学生メニューみたいだ。

会議の前夜祭はローマ時代の温泉遺跡での立食会。けっこうしゃれたフィンガーフードがたくさんあった。立食会の前には市長に迎えられてのレセプションで、じゃんじゃんシャンペンを注がれて、本番前にかなり出来あがってしまった。

翌日は会議の晩餐会。ギルドホール、つまり市役所のシャンデリアきらめく宴会場が会場。バフェ形式で、ラムのシチューがけっこういけた他は、やっぱりイギリスの料理はまずいと思ってしまう。でも、結局みんなおしゃべりに忙しいから、きっと何を食べたのか覚えていないだろう。

翌日曜日は友だち共々全日会議をサボることにして、両側に店が並ぶ橋の下のカフェで、イギリスに来て初めてのイギリス式朝食にありついた。う~ん、イギリスのベーコンは塩辛い!夕食はビーフと玉ねぎのコーニシュペースティのテークアウェイ(こっち方がイメージに合うイギリス英語)を買って、宿舎で食べた。昔、コーンウォール地方の鉱夫の妻たちがお弁当に作ったのが始まりだそうだけど、すごくおいしかった。

夕食後はpub crawl、つまりパブのはしごで会議打ち上げの飲み会。初めのうちは飲み過ぎないようにと半パイントだったのが、いつのまにか1パイントになり、みんな長年の友だちのようにうちとけて、わいわいがやがや。私たちは夜中近くに4軒目でストップしたけど、今回はなぜかあまりバプに入らなかったので、いい思い出になった。

6月25日(移動日)。ロンドン行きの列車を待つ間コーヒーを飲みに入ったのが、DASHIという名の店で、ショーケースに寿司が並んでいる。看板に日本語で「出汁」と書いてあった。はあ、たしかに「だし」だけど、ローマ字なら英語のdashに通じてカッコよく聞こえるんだけど、「出汁」はねぇ・・・。

アイルランドに移ったその日の夕食はWAGAMAMAという店。日本語の「わがまま」だ。長いテーブルとベンチが並ぶ、創作?ラーメンが売り物の変てこなジャパニーズレストラン。北米以外で広くフランチャイズ展開しているようで、若い人たちの人気スポットらしい。味噌ラーメンはチキンや野菜満載でおいしかったけど、麺はラーメンではない。隣のおじさんは何とチャーハンを食べていた。

6月27日。やっと落ち着いてB&Bの朝食。アイルランド式朝食はベーコンが薄塩でおいしい。私が好きなブラッドプディング(ブタの血とオートミールのソーセージ)は苦手なカレシの分まで食べた。やっぱり朝はしっかり食べなくちゃ。この日はコーヴ(Cobh)の小さなパブで、ギネスとアイリッシュシチューのランチ。薄味のスープがなんとも言えずおいしかった。

コークに戻ってどこで夕食をしようかとさ迷っていたら、ふと目に入った「寿司」。つられて古い建物の狭い階段を上がって見ると、ヒッピーが出てきそうな、小さなレストラン。火曜日だけが「寿司ナイト」なのだそうだ。いかにもアイリッシュといった赤毛のお兄さんがやっているらしい。注文したのは長崎チャンポン。長崎の大村にいたというお兄さんは、材料がそろわなくてといったけど、実だくさんで、体が温まっておいしかった。キッチンで魚を切って、寿司を握る手つきから見ると、日本で修業したのかもしれない。

6月29日。鉄道で4年ぶりのキラーニーへ。翌朝はキャシーさんが作ってくれる朝食。何だか家に戻って帰ってきたような気楽さを感じる。しばらく見ない間にすっかり発展した町で、フランス料理とイタリア料理を食べた。どれも本格的な作り方と出し方で、キラーニーはダブリンよりも洗練されてきているようにさえ思う。最後の日のイタリア料理店では、まず空気乾燥したビーフのカルパッチオ。イタリア流のビーフの刺身だ。テーブルでオリーブ油をかけて用意してくれたけど、これがすごくおいしかった。カレシはプロシュットととローストした梨に舌鼓。メインはシーフードのスパゲッティ。これも上出来。デザートのパンナコッタは青い炎を上げるソースがかかって、ここまできたら天国。

7月1日。シャノン空港へ向かう私たちのために、キャシーさんが早起きしてスクランブルエッグを作ってくれた。トーストに乗せた熱々でふかふかの卵のおいしかったこと!ジョンさんとキャシーさんと、三度目の再会を約束して、ハグでお別れ。この日、たどり着いた我が家でとりあえず食べたのもスクランブルエッグだった。スクランブルエッグで始まって、散々スクランブルすることがあって、最後にスクランブルエッグで終わった長~い1日。いつか何度も語られそうな旅の思い出・・・

旅日記-イギリス(パディントン発)

7月8日。日曜日。午前9時の起床。風邪で早寝がちだけど、だんだんに起床が遅くなっているのは、時差の調整が進んで標準時間に近づきつつあるということだろう。眠ってばかりいたカレシも調子が出てきたのか、今日はアイスクリームを作っている。一足遅れて日本に帰国した友人からは風邪を引いて咳をしているとメール。あ~あ、やっぱり彼女にまで風邪をあげてしまったんだ。ゴメンね!

仕事はまだ詰まっているほどでもないや、とバケーションの延長気分が抜けない。旅行中に撮った二人分合わせて500枚の写真を見る。うん、けっこうできのいいのもあるぞ。旅行の写真となるとやっぱり風景を撮るのだろうけど、私は目を引かれたものにズームインする傾向がある。もちろん風景も撮るけれど、車や人や電線といった邪魔ものが多かったりするから、上等の絵葉書を買ったほうがいいやということになる。

というわけで、私たちの旅のハイライトをば・・・

なぜか性に合わないヒースロー空港からロンドン市内に入るエクスプレスの終着駅がここパディントン駅。アガサ・クリスティのミステリーのタイトルにもあったっけ、「パディントン発何時何分」というの。10年前のシェフィールド会議で初めて見たときは、すっかり落ちぶれてみすぼらしい駅だったのが、4年前に来た時はしゃれたショッピングモールができ、かって泊まった駅の隣の安宿は華やかなヒルトンホテルになっていて、その変貌振りにびっくり仰天。

旅日記-イギリス(バスの坂道)

さて、最初の目的地、バスはローマ時代の温泉遺跡があるからBath(お風呂)という名前がついたところ。会議があったのはBath Universityだけど、もうひとつ、Bath Spa Universityというのがある。一見してなんだか「バス温泉大学」といった感じで、つい本気かいと突っ込みたくなるネーミングなのだけど、れっきとした大学なのだ。この二つの良く似た名前の大学がダウンタウンを挟んで向かい合った丘の上にあって、Bright Orange Busという名の通りに派手なオレンジ色の連結バスが走っている。大学までの2キロほどの坂道は一本調子に上りで、サンフランシスコの坂道よりもきつい。そんなに急には見えなかったけれど、大学に戻りつく頃には三人ともかなりあごが出ていた。でも、よほどの運動選手でもないと自転車通学はしんどいだろうなあと思うけど、大学の駐車場の隅にはちゃんと自転車置き場があったからすごい。

旅日記-イギリス(ストーンヘンジ)

会議の前日は、早めに到着した参加者のために、午前中にストーンヘンジ見学のバスをチャーターしてくれていた。ときどきいかにもイギリスらしくさあっと通り雨が来るけれど、天気は比較的良好。羊や牛が草を食むのどかな田園風景の中を走っていると、前方に見えて来たのがストーンヘンジ。駐車場は大型バスでいっぱい。入口も人でいっぱい。道路の下を通る地下道を抜けると、草原の中に写真で見慣れた巨石群が立っている。第一印象は、う~ん、思ったよりずっと小さいんだなあ。伝説では魔術師マーリンが巨人の助けを借りて作ったことになっているけど、実際に紀元前3千年という大昔にこれだけの石を切って、円形に並べたり、大きな石をきちんと重ねたりするというのは、大変な作業だったことは確かだろう。今は近くを通っているハイウェイをストーンヘンジの下にもぐらせ、駐車場も少し離れたところに移して、古代の厳粛な雰囲気を再現しようという計画があるとか。

旅日記-イギリス(ローマ時代の温泉郷)

前夜祭があったのはローマ時代の温泉大浴場跡。イギリスで唯一の温泉だそうな。パーティの前に、市が国際会議だと聞いて急遽用意してくれたというレセプションが大浴場であった。ここはPump Roomといい、日中は入場料金を払って見学できるところだけど、たっぷりのシャンペンつきで無料とはうれしいかぎり。権威を象徴するチェーンをかけた市長が入口にいて、参加者一人一人が出身地と名前を名乗って握手。正式なプロトコルに従ったレセプション。私たちの番になって、「カナダ、バンクーバーの○○でございます」といったら、市長さんは「いいところだそうですね。私もいつかアラスカに行って見たいと思っていますと・・・。

思わず、ン?でもまあ、いいか。市長さんが数十人の参加者の間を回って自ら遺跡の説明をしてくれる。温泉はまだ滔々と湧いているそうで、大浴場の上に手をかざしてみたら、ほんとにほわ~んと温かいのだ。一度は埋没した遺跡の上にあった建物の住人が、涼しいはずの地下室が暖くてワインを貯蔵できないと文句を言ったのが発掘のきっかりとなり、ビクトリア朝時代に周囲にテラスが作られて、保養にやって来た紳士淑女の社交の場になっていたとか。今は近くに新しい近代的な大入浴場ができて、市民や観光客が温泉気分に浸っているという。

旅日記-イギリス(めっけもの)

7月9日。バスはいろんな有名人が住んだところで、作家ジェーン・オーステンゆかりの建物も多い。小さな家がその博物館になっていて、テレビドラマ化の衣装などが陳列されている。ギフトショップにはBBCテレビ制作で大ヒットした『Pride and Prejudice』のコリン・ファース演じるMr. Darcyのポートレートがたくさんあった。

日曜日に全日会議をサボって行ったのがMuseum of Bath at Work(働くバス博物館)。ちょっと中心をそれて、おまけにさっぱり目だ立たない建物なもので、見つけるのが大変。日曜日とあってボランティアの老夫婦がカウンターの番をしていた。あまり期待できそうにないような気にさせる古ぼけた展示室の中に入ると、実はこれがすごくおもしろい。配管工の徒弟からたたき上げて炭酸飲料業を起こしたJ.J. Bowlerという人の会社で使っていた雑多な機械や道具が展示されている。そこで遭遇したのが何と昔なつかしいラムネのびん!炭酸レモネードの容器として考案されたという。途中がくびれているのは、抜いたビー玉が落ちてびんの底が割れるのを防ぐためだとか。そうか、レモネード→ラムネ。ナットク。日本人が発明したとばかり思っていたけど、そうじゃなかったんだ。神戸か横浜で紅毛人が飲んでいるのを日本人が目ざとく見つけて、さっそくコピーしたというところだろう。

旅日記-イギリス(バス寺院)

バスの市内をエイヴォン川が流れている。馬蹄形の堰があって、別にリバーボートを通すためのロックもある。この川にかかっている名物がパルトニー橋だ。昔のロンドン橋のように両側に店が並んでいるけど、何しろ橋の上だから奥行きはほんとどない。ショーウィンドウを覗いたら、向こう側に川が見えた。

バスにはまた大きな寺院がある。起源は7世紀頃の尼僧院というから古い。聖堂として完成したとたんにヘンリー八世の命令で鉄やガラスを略奪されて荒れるまま放置さて閉まった。それを再興したのはバスの次世代の市民たちで、ヘンリーの娘エリザベス一世が支援したとか。寺院の前は広場になっていて、片やローマの温泉、反対側はおみやげショップなどが並んでいる。

日曜日はやはり午前中は礼拝などで入れなかったけれど、午後に行ってみたら開放されていた。ステンドグラスがすてきで、フラッシュをオフにして何枚も写真を撮った。こうすると外の光でステンドグラスだけを撮ることができる。壮大なゴシック様式の寺院は何となく心を高揚させる雰囲気がある。東洋の寺社仏閣文化の中で育ったはずなのに、何かほっとする気分になるから不思議。神様がいる天国に向かって高く、もっと高くと伸び上がる気分が好きなのだと思う。やっぱり日曜学校に行った幼稚園時代からの三つ子の魂なのかもしれない。私はお釈迦様よりはキリスト様との方がウマが合っているようだ。

旅日記-アイルランド(コーク)

コークは4年前に南ウェールズのスウォンジーから夜行フェリーで来たところ。コーク港は「港」というより「湾」といったほうがいいほど広く、フェリーのターミナルはリンガスキディというおもしろい名前のところにあった。コークはゲール語でCorcaigh(コルキー)といって、「沼地」を意味するとか。アイルランド第2の都市で、人口約30万ほど。(アイルランド全体の人口は4百万人程度でその3割以上が首都ダブリンに集中しているという。)道路標識はほとんどがゲール語が上、その下に英語のバイリンガルだ。ちなみに、ウェールズでもウェールズ語と英語のバイリンガル標識だった。見慣れてしまうと英語よりもそっちの方がとっさに認識しやすかったりするから不思議な話。

リー川の川中島に当たる中心街ではあちこちで道路工事の砂ぼこりが舞い上がり、コンドミニアム建設のクレーンのアームの下で聖フィンバー聖堂の尖塔が頭をすぼめているように見える。好調なアイルランド経済を象徴しているようだ。川端にモダンなホテルも建っている。いたるところにあるパブにまじって明るくしゃれたワインバーも多い。これも経済発展と共に若い世代が豊かになり、おしゃれになって来たことの印なのだろう。

旅日記-アイルランド(コーヴ)

コーヴ(Cobh)はコーク港に面したうっとりとする絵のような町。4年前にフェリーから見た早朝のコーヴはめちゃくちゃにかわいらしかった。かってはクィーンズタウンと言う名で、19世紀半ばにあったジャガイモの大飢饉のときに、ここから何十万人もの人たちが活路を求めてアメリカへ移民して行った。ニューヨークのエリス島を通過した移民の第1号はコーヴから旅立ったアニー・ムーアという女の子だったそうだ。今では大きなクルーズ船が横付けされる岸壁にアメリカへ向かうアニーと弟たちの銅像が立っている。

コーヴにはまた第1次大戦中に沖でドイツの潜水艦に撃沈された客船ルシタニア号の犠牲者の記念碑がある。処女航海で沈没したあのタイタニック号が最後に寄港したのもこのコーヴだったそうだ。カラフルで小さな町にはいろんな歴史のエピソードがあるのだ。

旅日記-アイルランド(コーヴの坂道)

コーヴは港町らしくいたるところに急な坂道がある。ルシタニア号の記念碑の後側にあるゲートを抜けたところが、今にも顎がこすれそうなこの坂道。色とりどりに塗った家が少しずつずれて並んでいる。それがまたおもちゃの町に迷い込んだようで、見ているだけで楽しい。上りきると家々の頭上に尖塔が聳えている。コーヴの町を見守るように建っている聖コルマン大聖堂だ。建物そのものは100年ほどしか経っていないけれど、中へ入ると通路がケルト結びにアイルランドの象徴シャムロックを配したすてきなモザイク模様になっていた。大聖堂のある丘から、埠頭に横付けされる巨大なクルーズ船が見えた。

旅日記-アイルランド(キンセール)

コークから南へバスで40分ほどのキンセール。コーヴの方から見ると、コーク港の反対側に当たる。長い歴史のある町だけど、風光明媚なリゾートということで、ちょっとすれっからしたようなところもあるにはある。地図を片手に13世紀の教会とデズモンド城を探して歩いた。ところが、道路の名前を示す標識がほとんどない。どこを見回しても何通りなのかまったくわからないから、地図を見ても今いる場所さえわからない。観光地なのにそんなのないよ~と文句のひとつも出てこようというもの。迷子になりながら、くねくね曲がる坂道を上ったり下りたりして、やっと見つけた「お城」は今は建物の合間に埋もれて、何とワイン博物館になっていた。かってのキンセールはフランスから運ばれて来るボルドーワインの陸揚げ港で、お城は税関として使われていたという。高級コニャックの「ヘネシー」はアイルランドのワイン商人の一族がフランスに渡って作ったものだった。

旅日記-アイルランド(キラーニー)

7月10日。キラーニーは200年以上の歴史を持つ観光地で、アイルランド最初の国立公園でもある。ゲール語名のCill Airneは「リンボクの教会」という意味。キルアイルネというのをアイルランド人が発音すると心地良い音楽的な響きになるからすてき。(アイルランドやスコットランドに「Kill」で始まる地名が大いのは、どちらもQ-ケルト語と呼ばれるゴイデリック語群に属するためだ。)観光が最大の産業なせいか、町の中心部は、車道はご多聞にもれず狭いのに、歩道はけっこう幅がある。旅に出て以来、バス、コーヴ、キンセールとあるかないかの歩道を、慣れない方向から来る車を気にしながら歩き回っていたので、ここへ来て何となくほっとした気分にもなる。

4年ぶりのキラーニーの町はその活況にまずびっくり。駅で拾った観光案内冊子にも高級化のトレンドが感じられて、その変貌ぶりがうかがわれる。前はかわいい印象だった「ロスホテル」は後ろにガラス張りのモダンな新館が増築されていた。毎日夕方には大都会を思わせるような交通渋滞が起き、観光客がどっと乗り込んで来る夏になるともうお手上げらしい。ちょうど渋滞にひっかかってしまった観光バスの運転手が「キラーニーでラッシュアワーなんて」とため息をついていた。

旅日記-アイルランド(ロス城)

気温は低めだけど朝から青空が広がった日、午前中にjaunting carという馬車に乗って国立公園の中を回った。緑の中にパカポコと蹄の音が響いて気持がいい。あちこちの大量の枯れた植物がまとめてあったので、大嵐があったのかと思ったら、はびこるシャクナゲを駆除しているとのことだった。満開になる時期は見事だけど、元々は19世紀末に庭園の植栽用にとアメリカから持ち込まれた外来種。キラーニーの土がよほど気に入ったのか、野放図に増殖し、野生化して土着の樹林を脅やかすようになったのだという。

ロス城で馬車を止めてしばし散策。湖畔の古城はロマンチックな趣がある。もっとも、城というよりは城砦に近いもので、有力者の家族が住んだ15世紀の防備つきの家(tower house)だ。アイルランドには全国で「~城」という名で何千ヶ所も残っているという。4年前は車で訪れたので中をじっくりと見学できた。各階がタワーの隅のすごい段差のある螺旋階段で結ばれている。家族は最上階に住んだらしいけど、女子供はどうやってあの階段を上り下りしたのだろうと不思議だ。まあ、領主の奥方ともなれば外出はしなかったのかもしれないけど。大きな暖炉のそばの壁にある穴は、赤ん坊の保育器のようなものだったらしい。冷え冷えとした石造りの住居で赤ちゃんを育てるのは並大抵のことでなかった。大人にとってさえ、暖炉の煙と煤にいぶされる、あまり健康な環境ではなかったのだから。

旅日記-アイルランド(夢の跡)

マクロスハウスはキラーニー国立公園の中のマクロス湖のほとりに立つ19世紀半ばの65室もあるという邸宅だ。広大な庭園や優雅な邸宅の生活を支えた農場も残っている。キラーニーに行幸することになったビクトリア女王一行がお泊りになるという知らせで、邸宅の主ヘンリー・ヒューバートは多額の費用を投じて大改装をした。(お気に召してもらえば、叙爵も期待できるという下心もあったらしい。)火事が怖くて一階でしか眠れないという女王のためにしつらえた寝室は、目を覚ましてベッドから起き上がると、窓の外に湖がきらめいているという、さしずめ超高級ホテルの特別スイートといったところか。女王様は大満足でご機嫌麗しくロンドンへご帰還。ところが、さて朗報はいつと期待をしているうちに女王の夫君アルバート公が急逝。悲しみにくれた女王は公務もおろそかになるありさまで、結局は何の音沙汰もないまま、ヒューバート家の家運は傾いてしまったというから、なんともお騒がせな話だ。

旅日記-アイルランド(ヨーロッパの果て)

ディングル半島はヨーロッパの西の果てだ。色とりどりの町並みが絵になるディングルの町から、半島の先端へとドライブすると、めまぐるしく変わる空模様の下、まさに「さいはての地」の風景が広がる。子供の頃に見なれた「北海道さいはての地」の風景に似ていなくもないから、先史時代に東の方へ迷ってしまった遠い、遠い祖先の遺伝子がなつかしそうな声を上げているような気がしてしまう。晴れていれば風光明媚、そうでなくてもそれなりに不思議な情緒をかきたてる風景なのだ。ダンクィンの村を通過したところで雨が本降りになって来た。ぼうっと霧に包まれて見えるのはヨーロッパの最西端の地点。はるばるヨーロッパの果てまで旅をして来たということか・・・

スレーヘッド・ドライブは、名前のイメージとはほど遠い、狭くてカーブだらけのけっこう怖い道路だ。二台が出会ったらどうするのか心配になるくらい狭いところもある。いたるところで「SLOW」とか「SLOWER」と路面に大書してある。アイルランド語で「GO MAL」と書いてあるときもあるけど、この「GO」が間違っても「行け行け」の意味ではないことは一目瞭然。(スローダウンという意味。)もしも「VERY SLOW」と書いてあったら笑ってはいけない。度肝を抜くようなヘアピンカーブが待っているかもしれないのだ。「車は右」になれている北米のドライバーはつい左に寄り過ぎるから怖い。低い土手の向こうは崖っぷち。はるか下は霧が忍び寄る海岸だったりするから、助手席に乗っている方は「もっと右、右!」と叫び続けることになる。そのくらいストレスたっぷりのルートなんだけど、にわか雨を降らせていた雲が途切れて、石を積んだ低い垣根で区切られた緑の放牧地にひと筋の日光が当たると、いかにも「これこそアイルランド」という風景にうっとり見とれてしまうことになる。

Keep Cool!

7月11日。わっ、急に暑くなった。天気予報は週末まで記録的な猛暑になると騒いでいるけど、ほんとに暑い。裏庭に出るとわっと熱気。我が家の玄関ポーチの気温は午後3時で30度。バンクーバーで最高気温が30度を超えるのはかなり稀だったのが、この数年は増えてきているような気がする。炎天下で水撒きをしているカレシは、気候変動でバンクーバーの気候がカリフォルニアのようになったらオレンジでも植えるさ、といたってのんきだ。

我が家は猛暑でもなぜかあまり暑くならないので、窓を開けることはあまりない。裏庭には池の水が常に滝として流れているし、前庭にはいろんな植物が鬱蒼と茂っているし、家の周りは伸び放題の生垣がある。水と緑がクーラーの役割もしてくれるわけ。ベースメントは半地下だから夏は凉しい方だし、日光が入って暑くなる最上階の寝室でエアコンをかけておけば、冷えた空気が自然に階段を下りてくるので、キッチンも暑くは感じない。1年中あまり温度差のない家なのだ。まあ、週末には雨模様でバンクーバーらしい気温に戻るというから、ここは冷たいマティニでも飲んで、keep coolと行こう。

結膜炎の点眼薬は今日でおしまい。やっとコンタクトレンズに戻れて、気持が晴れやかなになった。何しろ、やっと0.1あるかないかの視力では何をするにも不便だ。生まれつき近視と遠視の上にかなりの乱視があるから、ライトがぼわ~んと散大してしまい、夜なら交通信号と他のライトの区別が全然つかなくなって危険きわまりないことになる。予備に作ってあった眼鏡は度が強すぎてかけて歩き回ることすらできない。すわってモニターを見ている限りではいいけれど、これも視界の縁が湾曲して、しかも虹色がなって見えるから、何だか金魚蜂の中にいるような感じだ。おまけに辞書の細かい活字は判読できないとくるから、もう踏んだり蹴ったり。コンタクトの上に老眼鏡をかけるほうがよっぽど楽ちんというもの。目を大切にしよう。

何度も「この量なら、時間はどれくらいかかって、いくら」と聞いてくるのにさっぱり話が煮詰まらないでいるめんどうくさいクライアント。大量発注のつもりで、ページ単価にして安くさせようという意図が含みがあるから始末が悪い。おいおい、こんなの大量のうちには入らないんだけど。それに、この円安で大幅な賃金カットも同然になっている時に「お安く」なんてご冗談でしょうが。まあそれでも、仲介する人の立場も考えて、(条件の良い仕事を断らないで済むように)時間枠をう~んとたっぷりくれるなら少しだけ安くしましょうと、見積りを出しておいたら、実際には5割も多い原稿を送ってきて、これだけ当初見積りの期間でやるとどのくらいかかるかと聞いて来た。おいおい、疲れる人たちだなあ、まったく。それでもこっちもkeep coolで、「当初期間なら単価アップ。増量に合わせて期間も5割増しなら当初見積りの単価」と返事。さて、なんと言ってくるか楽しみでもあるような・・・

し~らない

7月12日。今日のほうが暑くなるはずだったけど、なぜか少し「涼しい」気味。海からの風があるせいだろう。

Excel形式の仕事にイライラ。効率がひどく悪い。元々ワープロじゃないんだからしょうがないんだけど、テキストファイルに落として処理したものを元のファイルに上書きコピーするという手間をかける。一見してめんどうそうだけど、それでなぜか作業のスピードが上がるから変な話。例のめんどうなところからはまだ返事がない。しめしめ・・・

午前中、強いインド訛りの英語で、「妻の戸籍を翻訳してくれ」との電話。そういえばすぐにやってもらえると思っているような感じ。そういうパーソナルな仕事は扱っておりませんといったら、「じゃ、誰がやるんだ」と何だかムカついたような口ぶり。「戸籍」というからには妻というのは日本人なのだろう。まあ、どこの誰が誰と結婚して移民しようと私の知ったことではないんだけど、仕事が終わって値切って来たり、ひどいのになると高飛車に難癖をつけて払わずに逃げようとするのがいたりして、煮え湯を飲まされた経験からして、この手の仕事だけは最初からお断りなのだ。

午後、今度はサンフランシスコの翻訳会社から電話がかかって来た。法律関係の翻訳者を探しているが、やる気があるかという問い合わせ。「もうひとつエージェンシーを増やす気はありますか」と。商売であればもちろん取引先が増えるのはいいことだ。だけど、うまく行くところもあれば、何かしっくりしないところもある。「男女関係みたいなもんですね」といったら、向こうは「わかる、わかる」と大笑い。う~ん、何となくウマが合いそうな感じだなあ。9月まで待つというから、ふつうはやらないトライアルもOKしてしまった。取引先というのはほんとうに男女の関係みたいなもので、付き合ってみなければわからないところも多いのだ。

夜は明日アラスカへクルーズに出発するトロントの末弟夫婦と食事。ロケに来るハリウッドのスターなどがお忍びで泊まるという小さなブティックホテルのレストランで、私たちのお気に入りだけど、いくら仲の良い兄弟でも割り勘なら高すぎるとNGを出されるから、今回は私たちがホストで、この次に私たちがトロントに行ったときにトロントのグルメレストランに連れて行ってもらう、ということで手を打った。北米人は互いに「いやいや、それでは・・・」なんて、(何を押し付け合っているのかわからないけど)いつまでも堂々巡りをしないから、社交がストレスにならなくて良い。

帰ってきたら、仕事のメールのラッシュ。仕事。酔った勢いで「よっしゃ~」みたいにお気楽にOKしていたら、いつのまにか納期が重複。どうしようったて、知らないよお。どうやら明日からはねじり鉢巻モードだ・・・