リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年4月~その2

2007年04月30日 | 昔語り(2006~2013)
またかの事件

4月16日。あるまじきことなのに「またか」と思うことが起きた。ヴァージニア工科大学の乱射事件。犯人も死んでしまうから動機の真相はわからずじまいが多いが、カナダででも何度が起きている。私の記憶に今でもはっきりと焼きついているのは、1989年12月にモントリオールの工科学校エコール・ポリテクニークであった事件で、犠牲者は工学部の学生12人を含めて女性ばかり14人。自殺した犯人はフェミニズム打倒を叫んだという。

「モントリオールの虐殺」と呼ばれるようになったこの事件は女性差別や女性に対する暴力をなくそうという意識を高め、政府も様々な施策を打ち出すきっかけとなったし、また銃規制の強化を求める機運も高まった。20年近くを経た今でも毎年12月6日にはカナダ各地で追悼行事がある。

それにしても、学校やモールでの無差別乱射事件が起こるたびに、私の頭の中にはある共通したイメージが浮かんでくる。それはビデオゲームの世界。廊下や道を遭遇する敵を殺しながら進む。そのイメージに学校の廊下やモールの通路を、目の前に現れる人間を片っ端から銃撃しながら進んで行く犯人のイメージが重なる。まったくそっくりのパターンではないか。チャイルドポルノを摘発した専従捜査官が言った、「見ているだけでは物足りなくなって、絶対に手を出すようになる」と・・・。

日本のニュースサイトには、もっとおかしくて、それでいてふっと笑うに笑えない気分になる「またか」が載っていた。今度はどこの企業の番なのか、幹部がひな壇にずらりと並んで、一斉に45度のお辞儀で深くお詫びする、あれ。こっちは乱射事件なんかよりもっと頻繁に登場する光景だ。めんどうだから、不祥事対策として経営幹部揃ってお辞儀の「お詫び」写真を作っておけばいいのにと思ったりする。

でも、「またか」と思った後には、これも謝っておしまいか、という気分になる。とにかく謝ってしまえばこっちのもの、「謝ったんだから後は水に流せ」と、表面的な儀式をやって「解決した」という既成事実を作ろうとする。日本の「包み紙文化」の変形だろうか。何たってザバッと水に流してしまったんだから、誰も問題の根本には触れたがらない(うっかり触れて自分が「責任」という火でやけどするのは嫌だから)。だから解決のないまま、喉もと過ぎて熱さを忘れては元の木阿弥で、「は~い、お詫びぃ!せ~の!」ということになる。国際関係から、国内政治、企業経営、はては個人の関係にいたるまで、「こっちが謝ったんだからそっちも潔く忘れろ」という問題解決法・・・はて、どっかでそういう人をイヤというほど経験したような気がするけど。

人と人の間

4月17日。納品したばかりの仕事は職場の人間関係。外資系では細かな人事問題もいちいち翻訳して報告しなければならないのだろう。セクハラ、パワハラ、モラハラと何でもあり。まあよく次々と問題が起きるものだと思うけど、逆の見方をすれば、そこは外資系だから、なあなあで済ませずに解決しようと努力している証拠なのだろう。日本企業だったら波風が立たないように、問題そのものをカーペットの下に掃きこんでしまうだろうから。

報告書を受け取る方はどんな反応をするのだろうか。だって、どの問題も日本人同士のいかにも日本的な人間関係のあり方をバブル後遺症で悪化させたようなものだから。自分と他人の間の距離感をつかめない人が増えているとしか思えない。悪く言えば、まだ自我ができていない5歳児の自己中心的の対人感覚。人生の視野を広げる時期が昔よりも遅くなっているとすれば、情報過多時代のパラドックスといえそう。

日本人のローカル掲示板は20代~30代が中心。ここに集まる若者たちはいかにも携帯メールやチャットで育った世代らしく、仮想空間ではきわめて雄弁になるからおかしい。ヴァージニア工科大学の乱射事件には、さっそく「だからアメリカは、アメリカ人は」と反応し、犯人が韓国系と報じられると「韓国人は暴力的、いつになったら韓国人はこういうことを止めるのでしょうね」と。なぜか彼らは中国人や韓国人を目の敵にする。

不満だらけの日常を離れて外国に行けば何かが変わってくれると期待して来たのに、肝心の外国の日常が住み慣れた日本とは大違い。言葉も違えば習慣も人間関係も違って、毎日が思い通りにならないから不満がよけいに募る。彼らの中にはカナダイコール白人の国というイメージがあるらしいが、どっこいバンクーバーはどこへ行ってもアジア人だらけ。カナダ人と紹介されたのに良く見たらアジア系。誰もチヤホヤしてくれない。自分が目立たないのは中国人、韓国人が多すぎるからだ、とますます不満が募る。(日本人が多すぎてイヤだという不満もある。自分もその日本人のひとりなのに、その矛盾がおもしろい。)

他人と自分は別々の人格ということを学んでこなかったのか、現実空間で生身の人間と対等に向き合うにはあまりにも未熟な若者たちがバンクーバーに吹き溜まっているということかもしれないけど、そういう若者たちだって、多くは「帰国したら英語を梃子に外資系企業に就職して・・・」という夢を描いているに違いない。だけど、仮想的有能感ばかり肥大させて帰ったのでは、いつの日か彼らが主役の「人事問題」レポートの仕事が私のところに舞い込んで来そうな予感がする。

なぜ自慢話はダメなの?

4月18日。読売小町に立った「日本の不思議」というトピック、私がまだ知らない不思議もいろいろあっておもしろかったのに、いつものように日本人が外国を標準にしてものを言うのが不快という横レス(横やりの新語かな?)が入って興ざめ。どうしてこうもネガティブな人間が多いんだろう、と思っていたら、もっと怖いトピックがあった。「自慢話はやめて~」というやつ。

これも日本の不思議だと投稿したくなったけど、日本批判だともろに非難ごうごうになるから止めておいた。ずらりと並んだ書き込みを読んで思ったのは、日本には相手の話をとにかく何でも「自慢話」と受け取る人がたくさんいて、それを当然とする人がもっとたくさんいるということだった。「自慢屋の困ったちゃん」の報告が続々。友だちの集まりで単に近況報告しても自慢、「どこへ行った」、「何を買った」も自慢。「忙しくて」と言うだけでも自慢していることになるらしい。おいおい、いったい何を話せばいいの、自慢され屋さんはいったいどんなことを話すの、と突っ込み。でも、ちょっと怖い状況。

自分のことを言えば自慢話と取られるからと相手の話に乗れば、今度は「見下された」と来ること請け合い。要するに、人の話は聞きたくないのだろう。特に自分の日頃の不満や嫉妬や羨望を思い知らされる話には「自慢話はやめて~」と口を封じる。それではとアンハッピーな話をすれば今度は「愚痴はやめて~」となる。口封じで自分が上に立った気分になるのかな。

能動態で「自慢する」というのは話し手本人が自分のことについて有頂天になっている状態。聞き手を感心させたいけど、反応がなくてもどうってことはない。自慢の子供、自慢の家、自慢の秘蔵品・・・どれも自分につながったことで、本人はそれでハッピーになるのだからいい。逆に受動態で「自慢された」というと、まさに聞き手が相手の話を自分の劣等感やネガティブな気持というフィルターを通して解釈したものでしかない。まさに自分のコンプレックスを暴露するようなものというか、モラハラ族のコントロールと通じるところがないとはいえないのが怖い。

このブログもきっと「自慢話と愚痴ばっかし」ということになるだろうな。だって、やたらと仕事のことを書いて忙しいのよ~、ポストバブルの日本と日本人のことは批判のし放題、かと思うと、どこのレストランに行ってどんなすてきな食事をしたかをダラダラと書くし、それから、それから・・・。だけど、不特定多数が列を作ってアクセスするわけじゃないからいい。今度、私の「日本の不思議」と「自慢話」をずらりと書いてみようかしら。まあ、日本人の繊細な神経を逆なでしてみようなんて、私もイジワルばあさんになった・・・

ノーコネクション

4月19日。きのうはほぼ1日ADSLがモデムのライトがたま~にチラッと光る程度の実質ノーコネクションの状態だった。どうやら北米中でBlackBerryのメールシステムがダウンして大量のメールがネットワークに滞留したらしく、その余波による交通渋滞ということかな。プロバイダが違うカレシのADSLには影響がないようなのに、ビジネスが主流の私のプロバイダの方は夜には完全にノーコネクション。まあ、調べものが必要な仕事でもないし、バックアップに別のプロバイダのダイアルアップをがあるからメールは下ろせるので、さしたる支障はないんだけど、ちょっぴり落ち着かないのが自分でもおかしくなった。いわば、サイバー空間の無人の孤島に漂着というような感じかな。

常時接続に慣れきってしまっているのだろう。いや、メールもウェブもいつでもアクセスできる便利さに慣れてしまっているのだろう。BlackBerryは忙しいビジネス人のステータスシンボルみたいなもの。そのシステムがダウンしてしまったら、いわばライフラインを断たれたようなもので、かなりのパニックだったそうだ。便利さに慣れてしまうのは怖いことだという警鐘だったのかもしれない。人間、何だって楽な方がいいのがあたりまえ。だけど、不測の事態に対処できるという意味では、少しは不便も残しておいた方が頭の風通しが良くなっていいかもしれない。

ネットに接続できなくて、注意を逸らすものがなくなって仕事がはかどったかというと、これが全然はかどっていない。いつものように「気分転換」と称して新聞や掲示板を冷やかす代わりに、ジグソーパズルを開けて、ちょこちょこと切り替えては何個かはめ込む。しまいには、もうあと何個と・・・これでは仕事がはかどるはずがない。やっぱり私はAD児なのかな?(契約書の類はたいくつ・・・ふはぁ)

まあ、一夜明けてみたら渋滞はクリアされたらしく、メールもすいすい、ウェブもすいすい。さて、今日は仕事がはかどるかな。何だかまた並行処理のぎりぎりの滑り込みセーフになりそうな予感。し~らない・・・

ツッコミ大特集

4月20日。仕事が詰まってくるほど息抜きがしたくなく。おまけに外は春爛漫の良い天気。そこで思いっきりノー天気に掲示板トピックのタイトルだけ見て、いい加減に盲滅法のツッコミ特集と行っちゃおう。

★読売小町:
「結婚の約束をしてるのに二股されてます」 ← されていると言っていてはさせてるのと同じ。自分でしなさい。
「妻が潔癖症で息が詰まります」 ← 判断のものさしの目盛がナノメートル単位なんでしょうね。
「手をつながないのは変なのでしょうか」 ← もちろん誰とつながないかによるけど・・・。
「夫婦茶碗がかけたら」 ← 取り替え時。茶碗、それとも・・・そんなのしらない。
「デートの別れ際の態度はどうしてますか?」 ← 「すぐにメールしてね」
「彼の収入。。。」 ← 結婚したい、でもカレシはビンボー、アタシの将来どうなるの?
「夫に守ってもらっていない人いらっしゃいますか?」 ← はい。おかげさまで、つよ~い女になりました。
「5、6歳児の英語の吸収力は?」 ← 吸収力はPampersのごとく、忘却力は水に流すかのごとく・・・。
「英語を生かした仕事(主婦)」 ← 英語を殺す仕事ってある?(あるんだ、きっと・・・)
「1日中PCに向かって仕事する人の息抜き(SOHO)」 ← 掲示板にツッコミを入れることで~す。
「どうしても嫌なんです」 ← 私も・・・。ていうか、な~んだかヤバそうだから、引いちゃおうか?
「白のスーツ着ても大丈夫??」 ← もちろん!ただし、ミートソースはヤバイですが。

★ローカル掲示板:
「バンクーバーでカッコイイ日本人は??」 ← 同じ日本人だといって他の日本人の足を引っ張らない人。
「カナディアンの彼の子を堕ろしたくない」 ← ハーフじゃん。彼の半分だけ産んだら?
「玉の輿にのりたい♪」 ← う~ん、カナダ人はビンボーだってみんないってるよ~♪
「カナディアンの彼氏欲しくないですか?」 ← 中古品?余りもの?キズもの?間に合ってま~す。
「何が結婚においての優先順位?」 ← 結婚する相手。
「中年カナディアン男と付き合ってる日本人女」 ← 「たまたま族」という。

おそまつ・・・。くだんないことやってるヒマがあったらマジで仕事せんかいな。

今、食道楽が楽しい

4月21日。あっという間に土曜日が来て、あっという間に過ぎる。それでも退屈してダラダラとやっていた銀行契約書もねじ込みの相変わらずの人事の仕事も無事納品。時計の上では日曜日の午前2時ではあるけど、我が家の標準時ではまだ土曜日の夜。だからきっと「今日は何曜日だっけ?」なんてことになるのだろう。

ホッケーのバンクーバーカナックスはプレーオフ第1ラウンド第6戦でまた負けて、結局またのるかそるかの第7戦までおあずけ。月曜日に地元の試合。負けてせっかくのプレーオフを第1ラウンドで敗退なんてことになったらさあ大変、ダウンタウンでまた暴動が起きかねない。日頃のうっぷん晴らしに何でもいいから暴れる口実があればいいドン・バカッチョが多いからなあ。まあ、地元の試合のたびに警備費がかさむから、いっそ負けてくれた方が予算節約に貢献てことになるかな?

今日のディナーは久しぶりに日本食。といっても、このJAPONEという店のオーナーシェフは町外れみたいなところで日本食屋をやらせておくにはもったいないくらいの才能のある人なのだ。いつも野球帽をかぶって、スシバーで黙々と包丁を動かしている。品数は少なくなったけど、創作フュージョン料理は、たまには外れがあったにせよ、バンクーバーの一流カリスマシェフに負けないものだった。今日のトリプルサーモンサラダは、たたきのようなベニザケとこんがりしたサケの皮、それとイクラを、青シソのドレッシングでシャキリとしたベビーグリーンと合わせて、まさに絶妙の味。前菜2つとサラダ1つと特上の刺身2つとビール3本で、チップ15%を足しても1万円以下。これでは安すぎるという気がする。

空前の好景気にわくバンクーバーはカリスマシェフのレストランが大繁盛。ケーブルTV放送に「食」が専門の「Food Channel」というチャンネルが加わって、高級食材を使った料理やレストランを1日24時間見られるようになったことも大きいだろう。日本のテレビ番組「料理の鉄人」のアメリカ版「Iron Chef」でバンクーバーの若いロブ・フィーニーが難攻不落といわれた森本シェフに挑戦して勝ったことも大きい。彼のLumiereは1週間以上前に予約を入れないとダイニングルームにテーブルが取れない盛況だ。料理はさすがにすごい。まあ、値段もすごいけれど、サービスもそれ相応に質が高い。(あまり場数を踏んでいない客筋には時には不評だったりすることもあるけど。)サンフランシスコでの私たちのお気に入り、Michael Minaのシェフ、マイケル・ミナとIron Chefで対戦させたらすごいだろうなあ。

要するに、食道楽にとっては今がバンクーバーの旬なのかもしれない。移民の流入で世界の食材が集まり、才能豊かなシェフが、まさにアジアと北米の接点にある太平洋西岸ならではフュージョン料理を楽しませてくれる。バンクーバーいいとこ、一度はおいで、あ、どっこいしょ・・・満腹ぅ。

アースデイの午後

4月22日。今日はまた日曜のアフタヌーンコンサート。ダウンタウンのコンサートホールの入口前には大型バスが2台も横付けされていた。介護ホームの「おでかけ」だ。車椅子の数もいつもより多い。ステージから見たらきっと雪原のような感じかもしれない。それにしても、白人のおばあちゃま方の白髪はほんとうに真っ白でため息が出るほどきれい。そういえば女王様の白髪もきれい。自分の頭にだんだん増える白いものを見ながら、せめてあんなふうに新雪のごとく、エレガントな白髪頭になりたいと思うんだけど・・・

今日のオープニングはスメタナの『モルダウ』。山の奥深く、雨が降り、木の葉から滴り落ち、小さな流れができ、小さな流れが集まって渓流となり、やがて川となって滔々と流れ出す。私の頭の中では交響詩というより交響風景画のよう。チェコの田園を流れる母なる川ブルタバ(モルダウはドイツ語)。農民たちのお祭でもあるのか、軽やかなリズム。そして嵐。波立ち、溢れる川は堤に体当たりする。川を制しようとする堤は自然が作ったのか、人間が作ったのか。でも、やがて嵐は去って、川はまたひたすら流れて行く。共存しようじゃないか、と。今日はアースデイなのだ。

プログラム2番目はスティーブン・ハフが弾くブラームスのピアノ協奏曲第2番。ピアニストが登場してまず目についたのは何と靴!ラメっぽい薄いグリーンの、サンフランシスコのNeiman Marcusの紳士靴売り場で見た800ドルのプラダの靴にそっくり。グリーンはアースデイだからかな?演奏は顔が赤くなり、おかっぱ風の髪が飛んで行ってしまいそうに見えたりで、すごい気合が入って、しきりにハンカチで汗を拭いていた。

聞いている方も息を詰めて、汗びっしょり。終わって深呼吸をしたとたん、後ろで「なんだ、あれでも音楽か」と声。休憩で席を立ったついでにチラリとみたら、いかにもビジネスマン風のおじさま。さては定年退職して、熟年離婚防止のためか、奥さんといっしょの文化的なセカンドライフを構築中・・・?まあ、先は長いですよ。

プログラム後半はハイドンの交響曲第104番『ロンドン』で肩の力を抜く。パーキングメーターにコインを足してコリアンスーパーに立ち寄って、カレシは大根キムチ、私は大豆もやしとカレシが好きだという味噌味の冷凍ラーメン。前によく行った日本食品店が日本サイズだったのに比べると、新しいビルの二階を占領しているこのコリアンスーパーはとにかく大きい。日本食品もたくさんあるけど、大豆もやしやにんにくの茎がいつもあるのがうれしい。私にできる韓国料理はナムルとキムチチゲくらいだけど、他にいろいろ試してみたいなあ。

気が散れば火花も散る?

4月23日。月曜日。ほんとうは今日いっぱいで最後の仕事を終わらせたいけど、どうも気の散ることが多すぎる。まず、コネクションがまた断絶。小一時間ほどで復旧したけど、仕事のときはやっぱり困るんだなあ。カレシの電話会社の回線は切れないからよけいに頭に来る。

カレシはトラックをスタートさせて見せると、ポンコツトヨタのエンジンをふかしている。何しろマフラーに穴が開いているので、かなり近所迷惑かもしれない。オフィスのあるベースメントは遮音性がかなり良くてふだんはあまり車の音は聞こえないけど、今日は盛大に聞こえる。しばらくして「エンジンがかかったぞ」とご機嫌。ついでに積みっぱなしのゴミを捨てに行くのかと思っていたら、それは後日だそうな。今週で保険が切れるけど、新しいのを買うまでの間1ヵ月だけ保険をかけるという。その間荷台のゴミはどうなるの?

それで気が散っていると、今度はアラームが鳴り出す。リビングのモーションセンサーの電池が切れていて、1日2度必ず「障害」アラームが鳴る。そのたびにいったん「テスト」モードをオンにしてから、「解除」モードでオフにする。めんどうなことこの上なし。でも、これは明日セキュリティ会社の人が来て電池を交換してくれるまでの辛抱。まったく、安全は手間がヒマがかかるのだ。

カレシが外で草むしりをしている間にトレッドミルで運動。夕食メニューのコッコヴァンは初めて作ったにしては上出来。残ったワインを食卓に出して、仕事が終わって時間ができたらバゲットを作るからね、と約束。さっさと食べ始めて、早食いで終わったとたんにコーヒーマグを手にテーブルを離れようとするカレシをや~んわり制して私が終わるまで引き止めておくのに成功。シェフに失礼でしょ!といいたいけれど、そこはやんわりと。どうもテーブルマナーを教えられなかったようなところがあるけど、今さら遅いので、とりあえず自分だけさっさと食べ終わってコンピュータの前に駆けつけないという約束は守ってもらわなくちゃ。なんせ、食事時は(四六時中顔をつき合わせているのに)忙しい二人のクオリティタイムなんだから。

夕食後は私の平常の「営業時間」。さて気合を入れて、と思ったのに、今夜はホッケープレーオフの第7戦。バンクーバーカナックスにとっては何が何でも勝たなきゃならない試合。リビングのテレビで観戦しているカレシ、コマーシャルのたびに経過報告に下りて来る。あのね、この仕事は珍しく逆方向だから、そうでなくても漢字変換でイライラするのに、日本語思考に没頭しているときに話しかけられると、配線がショートしてしまうのよ~。だから、あっち行ってよ~。終わったら勝ったか負けたかだけ教えてよ~。もう!

ま、カナックスは無事プレーオフ第2ラウンドに進出。やれやれ、明日の夕方までに間に合うのかい、仕事。

ふ~ん、何やら・・・?

4月24日。今日は朝から(といっても昼過ぎだけど)カレシはトラックの荷台のゴミを捨てに行ったまま帰ってこない。あれ、さては途中でエンストしたか?と思いつつも、私はどうしても今日中に片付けなければならない仕事で手一杯。だけど、そういえば、郵便局の私書箱にしばらく行っていない。クレジットカードの支払期日が近いはずなんだけどなあ、と銀行にログインしたら、小切手口座から20ドルの引き出し。誰だ~と思って日付を見たら今日だった。あはは、そっかそっか、いつもお金を持って歩かないカレシ、ゴミを捨てるついでにモールにでかけて、急遽キャッシュが必要になったらしい。そういえば、カードがどうのこうのと言ってたっけ。

明日は私の誕生日なのだ。レストランから予約の確認の電話があった。ちょうどよく仕事に区切りをつけて、明日は「祝日」のお休み、なんていっていたところだった。モールにはカードショップがあるから、きっとそこでバースディカードを選んでいるのだろう。そう思うだけでうきうきしてしまう。いくつになっても誕生日はうれしい。

こんな誕生日が来るようになったのは、私たちの騒乱期が終わってからだった。昔はクリスマスも誕生日も「プレゼント、何欲しい?」のひとこと。リクエストがアクセサリーや衣類だったら「オレにはわからないから、自分で好きなのを買って来い」だった。当然、女性のファッション売り場などには二人いっしょの時でも足を踏み入れたことはない。アクセサリーやジュエリーもそう。おそらく前の結婚でも同じだったろうと想像が付く。(もっとも、オンナノコの気を引くためとなると積極的にアイデアが浮かぶらしいけど・・・それは昔の話。)

結婚してから初めて自分で考えたプレゼントをしてくれたのは6年位前かな。ジャージーのセットだったけど、私のサイズが見つからなくてとうとう飛び込んだ店で店員さんに選んでもらったとか。いい年をしたおじさんがティーンファッションの店で「ワイフへのプレゼント」を探しているなんて、店員さんはどんな顔しただろうかと想像するとちょっぴりおかしくもあるけど、カレシは必死だったのだ。上下ともぴったり合って、実は私も胸をなでおろしたのだった。だって、せっかく意を決しての買い物だったのに、着られないなんて悲しいもの。

ご機嫌で帰ってきたカレシ。銀行のATM で30ドル下ろそうとしたらダメだったから、20ドルだけ下ろして明日の朝ごばんに必要なコーヒーとシリアルだけ買って来た、と。(銀行はATMに10ドル札を入れていない。)トラックは何とか動くし、ゴミは処分したし、「キミの分も」買ったし、今日はすごく効率的な日だった、と。なんかやたらとご機嫌だなあ。ふ~ん、いったい何を隠しているんだろうなあ・・・

十年紀最後の誕生日

4月25日。いよいよ来た、誕生日。50代最後の1年の始まり。

生まれた日は雪が降っていたそうだ。予定日をうんと過ぎて、大変な難産で、おまけにへその緒を巻きつけて仮死状態でこの世に出てきた。なかり長い時間自発呼吸をしなかったらしい。人生の玄関口に立ったとたんに生きるか死ぬかの狭間でうろうろしていたわけだ。障害らしいものもなく「生」の方に振れたのは、それだけの生命力を神様がくれたということだろう。それは精神のresilienceにも通じるのかもしれない。

朝食のテーブルにカレシがカードとプレゼントを置いてくれた。カードはちょっとコミックなほのぼのイラスト。HAPPY BIRTHDAYの文字の周りにXと○をぐるりと書き込んで、「これからだよ」。これからだ・・・いいなあ。プレゼントは夏のTシャツ3枚。この夏は新しいのをと思っていたからうれしい。「どうしても自分の好きな色になってしまうんだよ」と。みんな私の好きな色だからいいじゃないの。ありがとうのキス3つと「おまけ」。

妹からはケーキのイラストがいっぱいのカードがメールで届いていたので、さっそく壁紙にした。初めて私の年を知ったという友だちからは「めちゃめちゃ若く見える」とメッセージ。う~ん、若々しく見えるのはうれしい。だけど、やっぱり中身が年令相応でなければ。自分の年を感じていないから、どうもそのあたりがあやしい。はて、感じていないということはあまり成長していないということか。まあ、年を取ることと人間として成長することはまったく別もの。中身は成長したけど若々しく見えるのか、あるいは「めちゃめちゃ若い」見かけ相応の中身でしかないのか?はて・・・?

50代は大嵐と共に始まった。一時は人生が音を立てて崩れたようにも思ったけど、瀬戸際で「生きる」方に振れたのは、やはり両親からもらった生命力なのだと思う。明るい前途が見える今は幸せだと思う。10年は長いようで短い。あっというまに次の十年紀がやってくる。50代最後の1年、私らしく極楽とんぼに、それでも確実に前を向いてやって行こうっと。

誕生日の余韻

4月26日。去年の誕生日は忙しすぎて、ディナーに飛び出して、帰ってきてまた仕事で、もらったプレゼント以外はとんど覚えていなかったけど、今年はゆっくりできて思い出に残りそうな1日だった。ディナーはLumiere。しっかりおめかしをしてお出かけ。何を思ったかマスカラまでつけてしまったけど、黒のロングドレスだと馬子にも衣装。アクセサリはスワロフスキーの八分音符の形のブローチだけ。これは初めてカレシが選んで買ってくれたクリスマスプレゼントだから何よりもお気に入りの宝物。たまの盛装は背筋がしゃんと伸びて気持がいい。

この前と同じ壁際のちょっと奥まったテーブルで、ヘッドウェイターも同じフランソワさん。英語とフランス語がちゃんぽんで陽気な人だ。こっちもついサンキューになったり、メルシになったり。まずはシャンペンで乾杯。先にローヌワインを選んでおいて、カレシは前菜はグリーンとホワイトのアスパラガスにトリュフのソース、メインは骨付きのローストラム。私は生とムースのフォアグラのダブルと鴨と鳩の胸肉のコンビ。相変わらず変わったものに目が行ってしまうのが私。鳩といっても公園を飛んでいる鳩とは違って、郊外の農場で食用に育てた若鳥。ほんのりと鴨ともまた違う味がしておいしい。サンフランシスコで食べたのよりもずっと良かった。

デザートの時には私のお皿の端に火のついたバースディキャンドルが1本。食べる前にふっと吹き消したらフランソワさんが「ちゃんと願いごとしましたか」と聞くので、「二つもしたの」というと、「おやおや二つもですか。それではもう一度火をつけましょうか」とライターを取り出したので大笑い。デザートのスフレに添えてあった金柑のシャーベットがとっても良かった。カレシが作れるというから、今度作ってもらおう。

ここは駐車サービスがあるから、お勘定のときにいつも「お車は?」と聞いて来るのだけど、カレシは係に渡されたチケットをコートのポケットに入れたまま預けてしまった。でもフランソワさんは「お車は何でしょうか」とそつがない。車のモデルと色を聞いただけ。「ナンバーとか聞かなくてもどれかわかるのかなあ」とカレシ。「だって、エコーで乗り付けるなんて私たちくらいのもんでしょ」と私。BMWとかベンツだったらナンバーも必要だろうけど、エコーなんか1台きりに決まっているもの。

勘定を済ませて出てくると車がちゃんと前に止めてある。ドアのそばに何とアイアンシェフ、ロブ・フィーニーが立っていて、「ハッピーバースデイ」。握手してますます感激!「またどうぞ」というオーナー直々のお見送りですごい思い出のバースディになったのだった。

と、余韻を楽しみながら、残っていた小さい仕事を片付けて、カレンダーに書き込んだ締切に赤線。このまましばらくは何もない日が続いてくれるといいけれど、実は「ご予定は」という問い合わせ2件に頬かむりをしているから、どうしよう・・・?

今のうちだ!

4月27日。カレシの友だちランチがキャンセルでゆっくり寝られるはずなのに、朝から(といっても11時過ぎだけど)電話で目が覚めた。警備会社がシステムのアップグレードの話で・・・と思いきや、会計事務所。納税申告をアップロードするのにまだ承認をもらっていない、と。そうだ、すっかり忘れていた。申告期限は月曜日30日。飛び起きて、朝ごはんを済ませて、書類にサインして、カレシにもサインさせて、とりあえずファックスで承諾書を送った。ついでに足りない税金の小切手も書く。私は仕事が増えたからしょうがないけど、減税があったのに年金暮らしのカレシが増えたのはどうして?私の追加納税12万円、カレシ7千円・・・

トラックは毎日エンジンをかけると何とか走ってくれる、というわけで、まずは家から遠くない市営のリサイクルデポでカタログ類やビン類を捨てる。好天の週末は行列ができるくらいだけど、金曜日とはいえ週日の午後でおまけに小雨模様だからガラガラ。プラスチックはこのコンテナ、透明なビンはここ、グリーンのビンはこっち。雑誌はこっちで、その他いろいろの紙類はそのとなり。最後に運搬に使った段ボールも潰して捨てておしまい。

ホームセンター(DIY店というのかな)の途中にある排ガスの試験場。入口の待ち時間の電光標識は「ゼロ」で、ほんとに並んでいる車がない。制度が始まった頃は30分待ちだったりしたけど、新車は最初の7年間が試験免除になってからテスト対象の台数が激減したらしい。制度自体が廃止されるのではという噂もある。なにせ、この排ガス試験に合格しないと、州の強制保険をかけられないし、保険のステッカーがないと車を動かせなくなる、というわけで保険が切れる前に試験場へ出向かなければならないのだ。走行中とアイドリング中の炭化水素、一酸化炭素、窒素酸化物の排出を測定する。幸いこのトラック(86年)もポンコツトヨタ(87年)もまだ不合格になったことはないし、環境保護のための制度だから文句はいえないけど、やっぱりめんどうなことこの上ない。でも、ポンコツトラックは今回も好成績でパス。一酸化炭素の排出はなんとゼロだった。

次はホームセンター。去年の夏からカレシのセカンドキッチンになっているランドリールームにたくさん棚を吊る話(棚を吊るのは私・・・)になっていたので、とりあえず今のうちに材料だけでも確保しておくことになった。センターは端まで見通しが利かないほど広い。(日本だったら戸建が何十軒建つだろう・・・?)あれこれ探して、けっこうな距離を歩き回ることになる。そのせいか入口に高齢者用らしい電動カートまで用意してある。とにかく12インチ×4フィートの板2枚、10インチ×4フィートが7枚、8インチ×4フィートが3枚。野菜入れになりそうな壁付けの4段ワイヤラック1個。合わせて3サイズのブラケットを必要量と100本入りの木ねじをひと箱。楽にビットを変えられるねじ回しを衝動買い。カナダでは-、+、□と3種類のねじ回しがあるからめんどうくさい。

ついでにデイライトというブルー系の渦巻き型蛍光電球も買い込む。カナダは5年で白熱電球を禁止する方針らしいけれど、ずっと気候変動に関連のある仕事をやっていたせいで、白熱電球に比べると値段はまだかなり高いけど、やれることはやれるだけやった方がいい。この蛍光電球はあまり熱くならないし、低ワット数だから最高60ワットの器具でも100ワット相当の電球(27W)を使える。もちろん電気代もずっと安い。スーパーでももうかなりのスペースを占めるようになったけど、このデイライトタイプだけはまだあまりない。従来の蛍光灯に近い色なので明るすぎて抵抗感があるのかもしれないけれど、老眼には明るさが何より・・・

DIY工務店開業

4月28日。もうすぐ初夏が来そうな土曜日の1日。カレシが英語教室に行っている間に、テープメジャーで棚を吊る算段を始める。まず問題なのは間柱の位置を確認しておくこと。ツーバーフォー工法は普通心心16インチの間隔で間柱を立てて、その上に厚さ3/4インチの石膏ボードを貼る。石膏ボードは文字通り石膏をだから、荷重を支えるためのねじはまったく効かない。つまり、棚受けを間柱の位置に合わせるか、それがダメならねじの位置にアンカープラグを埋め込まなければならないから、作業のステップが増えることになる。

我が家の場合、外壁は設計図に合わせて工場生産した特殊なスタイロフォーム構造なので、間柱の間隔は24インチの部分と標準の16インチの部分がある。工事中に毎日写真を撮ったので、家のたいていの部分で石膏ボードを貼る前の壁の構造が写ったものがあって、今頃大いに重宝している。今度棚を吊るのは北側の外壁。洗濯機用の配管と排水パイプ、コンセントが写っている。コンセントのボックスは間柱に取り付けるので、こういうときにかっこうの基準点になる。問題は柱の両側に電気配線が通っている柱が一本あること。見当が狂ってねじが柱を外れたらえらいことになりかねない。そこでDIYの鉄則。測って、測り直して、もう一度測る。どうやら問題の柱は使わずに済みそうでひと安心。後はカレシと相談して棚の間隔を決めるだけ。

仕事場もカレシのデスクも、壁を埋めている本棚は全部私がひとりで吊ったのでけっこう手馴れている。水準器と1メートルのものさしと電気ドリルとねじ回しと鉛筆があれば十分。壁ひとつあたり3段~4段の棚でだいたい半日の仕事。棚を吊る壁は3面だから、半日の暇を見つけては1面ずつやって行けばいいと胸算用。おりしも日本は今ゴールデンウィーク。仕事もちょっと一段落だから、今のうち、今のうち。

まあ、これでずっと懸案だったセカンドキッチンの整理整頓が少しでも実現するといいけれど、水平にものを置くカレシのことだし、それに、「スペースはあればあるだけモノで埋まる」というから、はたして・・・?

ネットがないと・・・

4月29日。朝食を終わって、さて、とPCを立ち上げたら、またまたノーコネクション。この2週間ほどで4回目か5回目か。いくらなんでもこれはないだろと、プロバイダに電話したらのっけから「ただ今障害が起きて復旧作業中です。復旧予定は不明です」とのメッセージ。おいおい、これは重大だよ。最初の2回かそこらのときは「サポートは何番を押して」なんて言っていたのに、きのうはイライラした女の子が出て「復旧作業中だってば!」みたいな返事。それで今日は録音メッセージ。小さな障害であちこちいじっているうちにお手上げになってしまったのか。明日の月曜日は所得税の申告期限。ノーコネクションでクライアントの申告書をアップロードできないという状態になったら大騒ぎだろう。し~らない。

ネットワークにしろ、何にしろ、どっちみち人間が作ったものだから、どこであってもいずれは大障害が起きる。フールプルーフ、フェイルセーフなんて本当は存在しないのだ。だったら、日本がゴールデンウィークで大して影響がない今が私にとっては障害発生の絶好のチャンスだったということになる。おまけに別のプロバイダの今どき古風なダイアルアップのアカウントがあるから、まったくのサイバー孤島にもならない。

Eメールを使い始めたのはインターネット時代の前のこと。もちろん当時はダイアルアップだけで、専用の電話回線が必要だった。モデムも今では考えられないほど超スロー。おまけに料金は1ヵ月何時間までという契約。それがインターネットが普及し始めて、午後9時あたりから接続できない状況が起きるようになった。それでは仕事にならないからと、別のプロバイダにアカウントを作って、こっちがダメならあっちがあると二股作戦に出た。ところが、プロバイダ間の競争が激化して「接続時間制限なし」を打ち出し始めると、夕食後の時間帯から先は接続できない元の木阿弥状態になってしまった。結局、法人客の多い(当時は)小さなプロバイダに乗り換え、ついでに念のためと、電話会社にもアカウントを作った。

仕事用メインの前者が常時接続になってからは、後者のダイアルアップには接続する必要がなくなったけれど、思いがけず役に立って、「地獄に仏」とはこのこと。バックアップが重要なのはファイルだけじゃなかった・・・。

おかげで、のんびりと棚をひとつ吊って、ジグソーパズルで遊んで、たまっていたクロスワードをやって、今年の第1四半期の帳簿を整理して・・・ネットのない頃の方があんがい生産的な生活をしていたのかもしれない。

でも、やっぱり早く復旧してくれないかなあ。

プロジェクト第1期完成

4月30日。あれよあれよというまに4月まで終わり。どうも年をとるにつれて時間の足が速くなるのか、それともこっちの人生の足が遅くなるのか、よくわからないけど、日にちの経つのがやたらと早い。

のんびり洗濯を始めて、さて棚つりのプロジェクトと古いジーパンに着替えていたら、仕事の電話。そっかあ、ゴールデンウィークは日本だけの話。まあ、小さめだし、納期まではゆとりがあるから、いいでしょう、と返事。でも、いいのかなあ・・・。

それで、洗濯機を回しながら、その横で壁一面の棚つり作業にかかる。一番上が1.8メートルで幅30センチ。まず間柱を探し当てて、棚受けを取り付ける。それから水準器で測りながら真ん中の棚受け。ここで棚板を乗せて固定。松材は軽くて扱いやすい。端っこの棚受けをつけて出来上がり。2段目は長さが1.2メートルで、幅は25センチ。間柱を使えるのはどうしても片側だけ。しょうがないからアンカープラグをはめ込んで、一気に2段目と3段目。一番下4段目は長さ1.2メートル、幅20センチ。ここまで来ると、踏み台代わりのスツールでカウンターに上ったり下りたりしなくても良いから楽ちん。棚板を全部固定して、今日の仕事はおしまい。所要時間は3時間半。

庭仕事にくたびれたカレシが入ってきて、さっそくあれこれ棚に並べ始めた。見ていたら、何だか私よりも台所用具が多いような・・・。それでもモノがごたごたして使えなかったカウンターの上がすっきりした。これでもう「場所がない」なんていわせないぞ。

それにしても、ふだんトレッドミルで走っていても使わない筋肉がたくさんあるらしい。特に上半身は少しばかり弛緩していたのか、腕の筋肉が痛い。両手利きをフルに利用するもので、明日の朝起きたら両方ともコチコチかもしれないなあ。でも、久しぶりの大工仕事はけっこう楽しかった。やっぱり好きなんだなあ、こういうこと。

さて、月末処理ということで請求書を書かなくちゃ・・・


2007年4月~その1

2007年04月30日 | 昔語り(2006~2013)
エイプリルフールはいとおかし

4月1日。イギリスのある日曜新聞に「地球温暖化を招く二酸化炭素の排出削減政策の一環として、市民の裏庭でのバーベキューに課税することになった」という記事が載ったそうだ。許可料5ポンド。無許可は罰金50ポンド。へえ~と思ったら、何とエイプリルフールの嘘っぱち記事。だけど、なのだ。時代が時代だけに、この「大うそ」の方が素直に信じてしまうような真実味を持っている。「嘘から出た真」っぽい嘘。ああ、二十一世紀。

昔、エイプリルフールに「今日だけは嘘をつかないことにしました」といった人がいたらしい。周りがおなかを抱えて笑ったそうな。これは実に意味深々。だって、「今日だけは」というからには、つまりあんたは「毎日嘘をつきまくっている」ってことかい、と突っ込める。「1日だけ嘘をつかないこと」が嘘なのか、それとも「毎日嘘をついていること」が嘘なのか・・・はて、どっちだろう?

ユーモアたっぷりの嘘はかつがれた方も怒れない。ちょっと立ち止まって考えたら「ちょい待てよ」となりそうな嘘にまんまと引っかかってしまっては笑うしかないし、そこでやっと立ち止まって考えて「一本技あり!」だったとわかったら、相手のユーモアに脱帽するしかない。Wikipediaを見たらそんなエイプリルフールがあるある。

1977年にイギリスの有力新聞『ガーディアン』紙がサンセリフというインド洋の小国について大特集を組んだ。アッパーケース、ローワーケースのセミコロンの形をした2つの島を中心とする島国で、首都はボドニ。元首はパイカ将軍。南国の極楽・・・情報を求める読者の電話が殺到して、新聞社では1日中電話が鳴り響いていたそうな。サンセリフはArialのようなひげのない活字体のことだし、アッパーケースは大文字、ローワーケースは小文字、ボドニは活字の名前、パイカは活字のサイズ(12ポイント)。何とも新聞社らしいいたずらではないか。それよりも『ガーディアン』紙ほどの新聞を読む人たちがまんまとひっかかったというのがオドロキだ。

1998年、アメリカのファストフードチェーン「Burger King」が左利き向けのWhopper(ハンバーガー)を売り出すと発表。マヨネーズやソースの位置を180度変えたので汁は右側に垂れるという、常日頃右利きの世界で苦労している左利きにはおいしい話。さっそく左利きバーガーを注文した人がたくさんいたという。それよりもわざわざ「右利き用」と指定して注文した(右利きの)客もたくさんいたというからケッサク。だって、よく考えたら丸いハンバーガーに右も左も・・・ある?

人間の心理というのはほんとうに摩訶不思議・・・

嗚呼、ニッポン

4月2日。日本語のコミュニケーションに始まって、日本という国について今までとは違った意味で興味がわいて来た。過去30年余の日本に関しては、ほんとどが1回せいぜい2週間かそこらの滞在だったから、観光客の目でしか見ていない「外国」だ。もちろん、いくらそういっても日本としっかりへその緒でつながっている日本の人には通じない。「外国かぶれした恥ずべき日本人」として、私に代わって恥じてくれるのはご愛嬌でも、へたをするとえらいバッシングにあう。(まあ、彼らにとっては、どこを向いても彼らが当然と期待する通りに動かないカナダと違って、日本は細やかな思いやりと奥ゆかしさと礼儀正しさを誇る類稀な文明国家のなのだから、そんな後進国の国民になるということは彼らの「日本人の誇り」が許さないのだということはようやくわかって来たけれども、そんな彼らがカナダのような「後進国」にしがみつこうとするのはなぜなんだろう。)

興味につられてもう少し知りたいと調べて回っているうちに毎日新聞の「縦並び社会」という特集を見つけた。2005年暮れに始まって1年以上も続いているものらしく、半日かかって読み通し、しばらくほぼ呆然とした。そこに見たのは私の記憶にある「実」母国日本ではなかった。カナダにたむろするポストバブルっ子たちが絶賛してやまない「美しい国日本」などどこにもない。弱い者を無造作に切り捨て、失敗した者を「自己責任」と突き放す冷たい国。政治にも、行政にも、学校にも、人間はただの「化粧箱入りのクッキー」にしか見えないのか。そんな国に比べたら、私の「養」母国カナダは限りなくやさしいと思った。

カナダの医療制度は不安でたまらないというキミたち、保険料が払えずに国の健康保険から放り出されて、医者にかかることもできない家族が日本に40万もあることを知っている?老人世帯や単親世帯を数えたらおそらく100万人にもなるだろう。日本の人口が1億2千万なら、キミたちが誇る日本の医療制度の恩恵に浴せない同胞が実に120人にひとりの割でいることになる。キミたちがいずれ年老いて介護が必要になったときにキミたちを待っているのはロボット介護士だろう。そのときになって、キミたちはどうするの?

カナダがホームレスだらけの最悪の国とういキミたち、役人の手で山谷のドヤ街に厄介者のように捨てられる人たちがいることを知っていた?戦前のずっと昔、日本語には「棄民」という言葉があった。明治維新の頃から落ちぶれた士族たちを北海道へ追いやり、生活苦の小作農たちをハワイや南米へ移民として送り出した明治政府の政策だ。祖国に捨てたられたと知ってか知らずか、移民たちはいつか成功して故郷に錦を飾れる日を夢見ながら船出して行った。ひょっとしたらキミたちも、故国が必要としないから国際化という美名の下で送り出されて来た現代の棄民ではないの?だからカナダの何もかもが不満で不幸せで苛立っているの?

日本で街角の無人のブースで機械に向き合ってボタンを押すだけで金を借りられるんだって?でも、ちょっとのつもりで金を借りたキミに生命保険がかかっているのを知っていた?そのちょっとのローンを返せなくなった時、キミはその生命保険で借金を返すために自殺することになっていて、サラ金会社は「またひとつ解決」とキミの名前を消すんだって知っていた?シャイロックが要求したのは1ポンドの肉だった。日本のシャイロックは命を要求する。それも政府が後押しした制度を盾にしてね。

国際化や規制緩和への外圧を口実にして、政治家や財界人が自分たちに都合の良い「アメリカ式経営」を持ち込んでバブルを膨らませ、「日本社会」の崩壊が始まった。政策エラーだと特集は言う。でも、それは長崎出島以来の伝統ではないの?マニュアルに印刷できる「方法論」にしか興味がないのが日本流「国際化」。やり方さえわかればコピーできるからそれで十分。根底にある精神などは日本人には異質のもの。セーフティネットは金がかかる。競争に生き残るためには多少の犠牲もしかたがない。どこか「一億総玉砕」を唱えた戦時政府と似てはいないか。この政府にして今ここに無為に群れているキミたちありなのか、キミたちのような国民にしてあの政府ありなのか。そんなにも日本人の誇りが溢れているなら、カナダくんだりまで来て、ぬくぬくと「不幸症」に浸っていないで、早く祖国日本へ帰って腕まくりしたら?

まあ、日本国民でもない私がこんなことをいってもよけいなお世話なのはわかっているけど・・・

どうしてだろうねぇ

4月3日。夫の浮気が発覚して、夫は家庭に戻ってきた。なのにのうのうと生きている相手の女への嫌悪感や恨みが増すばかり。どうしてなんでしょう・・・と。今の世の中、こんな悩みを抱える妻はけっこう多いだろうな。でも、掲示板なんかに相談したら、「なぜ夫に怒りをぶつけないのか」、「浮気をした夫の方が悪いのに」、「彼女だって傷ついたはず・・・」と、暗に浮気相手の女を擁護するような意見がずらりと並ぶこと請け合い。まさか「浮気相手」の経験者ではないだろうけど、思わず「ン?」となった。

でも、どうしてなんだろう。自分のすべてを否定されたように思うから?プライドを傷つけられたから?浮気するような男を選んだ愚かな自分を擁護したいから?

浮気した夫ではなく、相手の女が憎いのはね、まだ夫を愛しているから。だからこそ、戻ってきた夫を許して、二人の歴史の新しい章を書き始められる。だけど、一度血を流した心の傷は疼き続けるから、とても苦しい。信頼を裏切って、きっと相手の女の気を引くために妻を貶めた夫を憎むべき、というのは正論なんだろうけど、まだ夫を愛している妻にはそれができない。できっこない。それができるくらいなら、さっさと別れているって。

愛はなくなっても夫にまだ何がしかの「価値」があるなら、憎みつつも一緒にいられるのかもしれない。だけど、愛があるうちはそこまでは考えられない。価値があるのは夫その人なのだもの。愛する人に愛されたいのが人間というものでしょうに。愛する人を憎むようになったら、愛は終わりでしょうに。だけど、心の傷は「怒れ、憎め」と疼き続ける。だから、その葛藤に潰されないためには、男に妻がいるとわかっていながら、「自分の気持に正直でいたい」とか何とか言って浮気の相手になった女がまたとない心の安全弁になるわけ。

少なくとも私にとっては、男の口車に乗せられて、私がいかにおかしいかを論った挙句に「同じ日本人として恥ずかしい」と言い放った女たちにずたずたにされた心が癒えるまでの松葉杖。まだ愛している人を憎めないとしたら、痛む心の恨みを向けるのは相手の女たち以外にいないわけ。それに、男にとってはそれが一番の罰なのかもしれないし・・・

鏡よ、鏡

4月4日。コンプレックスが見える・・・最近やたらと見かける文句。いろいろと例文?を読み比べて見てやっとわかった、批判や反論に反撃するための「口封じ語」らしい、と。反論されたら、「あなたのコンプレックスが見えます」。現代日本のキーワードになるかどうかは別として、覚えておいて損はなさそうだ。いつ、どこで仮想的有能感にぐさりとやられるかわからない。そんなときにはひと言、「あなたのコンプレックスが見えてますよ」で反撃。

Complexというのは、複雑なという形容詞だし、名詞として複合群、複合体、錯体、症候群、その他諸々の意味がある。アパートや工場などの建物の集合体も complexという。心理学でも使われる。カタカナ語では、数多い「コン語」の中でも、マザコン、ロリコンの「コン」だ。どうやら、単純に「コンプレックス」とつづった場合は、「劣等感」の意味になるようだ。すなわち、「コンプレックスが見える」というのは「劣等感が見える」、つまりは、「あなたに(私に対する)劣等感があるから、そんなことを(そんな言い方で)言うんでしょう」ということになる。

劣等感というのは他人と比べて自分を低く評価して、その自己評価で落ち込んでしまう感情であれば、あなたのコンプレックスが見えるということは、他人に対して、「あなたは自己評価が低いから、私を批判することでして自分を持ち上げているのね。(かわいそうな人)」という意味になるのだろうか。口には出さないで行間に込めた「かわいそうな人」は、回りまわって「私は自己評価が低いから、私に反論する人の自己評価の低さを指摘して哀れむことで自分を持ち上げているのよ」という意味になるのか。まさにcomplex(複雑)な心理。

劣等感というのはアメーバのようなもので、そのときそのときで形が変わるから始末が悪い。ある人によると「理想の自分と現実の自分のギャップへの反応」が劣等感にもなり、向上心にもなるのだそうだ。自分自身を知らなければ、理想が非現実的かもしれないと考えられずに、現実の自分を受入れられないのが劣等感であって、理想の自分に対する現実の自分がわかっていて、その上で理想に近づける可能性や動機を考えるのが向上心ということか。まさに両刃の剣というところ。

ビジュアルに言えば、自分を計るものさしを、自分と他人のどっちにあてるかということだろうと思う。動物の目が頭から外側を向いて付いているせいかどうか、自分をありのまま見るというのはけっこう難しい。鏡に映すという手段があるけれど、不思議なことに鏡に映った自分はカメラの目(=他人の目)に写る自分よりは数段はよく見えるもの。嘘だと思ったら、これぞと思う最高の美顔を鏡に映しながら、デジカメを自分に向けてその美顔を撮って比べて見ると良い。どっちを現実の自分像と見るかは人それぞれだけど・・・

ん?私のコンプレックスが見えるって?ひょっとしてそれは私に映ったあなたのコンプレックスじゃない?

ホッケーと暴力と

4月5日。緊急です!という小さい仕事を立て続けに突っ込んでいたら、また大きめの仕事の納期が目の前に迫って来た。ほんとうにしょうがない性分だけど、それでもまた予定通りに芝居を見に出かけてしまった。今夜のは『Hockey Mom, Hockey Dad』というコメディ。カナダの国民的スポーツであるアイスホッケーがテーマとあって、劇場の全員が起立して国歌斉唱ということになった。みんな試合気分になって、テープの歌手の声が聞こえないほどの熱唱。私もつい大きな声で歌って、みんなといっしょにエールしてしまった。

田舎町のリンクで、ガタピシのベンチに陣取って息子たちの子供リーグの試合を応援するシングルファザーのテディとシングルマザーのドナの話だ。早朝のリンクで連戦連敗のチームを応援しているうちに、二人の間にロマンスらしいものが芽生えて来る。テディは積極的だけど、ドナは「まだ早い。そんなに速くは進めない」と逃げ腰だ。第二幕でその理由がわかる。ドナはやっと暴力夫と離婚して、ストーカーになった前夫から逃れるために小さな町に引っ越してきたのだった。「おはようといっただけで殴られ、言わなければもっとひどい目にあった。いつか変わってくれると思っているうちに9年も経ってしまった」と。テディは「こんどは絶対にそんなことはない」という。ドナの気持が傾いた時、そのテディが負け試合への苛立ちからか、息子に相手チームの選手とのけんかをけしかける。ドナの息子も加わってリンクでは子供たちの乱闘になったらしい。後ずさりするドナにテディは「ついかっとなって。我を忘れてしまった。悪かった」と謝る。「ついかっとなったのよね、つい」というドナ。それまで、「やり返せ、やっちまえ」とリンクに飛び出さんばかりの勢いで怒鳴りまくるテディに大笑いしていた観客がし~んとなった。ため息も聞こえないほど静まり返ってしまったのだ。観客の胸に何かが響いたとしかいいようがない一瞬だった。

帰ってきて仕事に戻ったけど、カレシがやたらとべたべたしてくる。ひょっとしたら芝居に何か感じるところがあったのかもしれない。カレシはニュースであれ何であれ、DVの話になるともじもじし始める。いつもわざと大きな音を立てたり、急に突拍子もないことを話しかけてきたりして、私の注意を逸らそうとする。だけど、劇場の中ではそれもできない。芝居が終わってから劇場を出るまで、まるで子供のようなふくれっつらをしていた。まあ、苦手な「敵」に出くわして折り合いがつなかないから、「安心感」を求めてべたべたしてくるらしい。自分で背負い込んだ重荷をやはりまだ自分で扱い切れずにいるというところか・・・な?

あら、今夜のあなたってとってもすてきねぇ(翻訳:ママは今忙しいから、あっちで遊んでいてちょうだいね)

DINKSの次はTHINKER?

4月6日。今日はGood Friday。世間はイースターの連休。公務員や学校は月曜日も休みだから一気に4連休となる。要するに連休なんだけれども、退職者と在宅稼業の我が家は「年中連休、年中仕事日」みたいなものだから、特に天気の良い日が増えてみんながどっと外に出る春の連休は、「お出かけはやめとく日」のようなものだ。

というわけで、私は迫り来る納期を横目で睨みながら仕事、仕事。カレシは春の(ちょっぴりの)大掃除。PCをシャットダウンして出て行ったところを見ると、かなり本気らしい。たまった雑誌やカタログを車に積んでリサイクルデポへ持って行き、温室の掃除やら、庭の整備やらに汗をかいている。気温は初夏並みの17度。この頃のカレシは庭仕事以外の「家のこと」をひとりで考えて、実行するようになった。家事参加型から自主分担型になってきたのかもしれない。私が兼業主婦なら、カレシは兼業主夫かな?

ひと昔前にDINKSと言う言葉が流行って、「共働き、子なし」も夫婦の一形態としてすっかり定着したようで、最近はそれをさらに一歩進めたTHINKERという言葉ができた。「Two Healthy Incomes No Kids Early Retirement」の頭文字で、65才の定年前に退職して優雅な引退生活を送ろうと計画する子なしの共働きキャリア夫婦のことだ。熟年に近づいてきたベビーブーム世代の新しいライフスタイルらしいけれど、それを「Thinker(考える人)」というところがおもしろい。だって、先立つものがなければ「ああ、どうしよう」と考える人になってしまう。

納期まで36時間ほど。その後は所得税申告の準備が待ったなし。書類を揃えて、月曜にダウンタウンの会計事務所に届けなければ。申告期限は4月30日。1日10時間体制で仕事をしていた「のめり込み期」に比べたら、所得は半分だけど税金は3分の1に近い。あの頃の納税額は秘書時代の年収よりも多かった。カレシの給料だって決して低くはなかったから、二人合わせるとDINKSの見本のような収入があったわけだけど、あのときのお金はいったいどこへ行ったのかと思うときがある。後になってむだとわかった家の改装工事に消えた金額も大きい。カレシの歓心と愛を買おうとしたようなところもある。帳簿付けをして数字を見せるたびに喜んでくれた(と信じていた)。まあ、人生の高いレッスン料だったと思うことにしようか。

妻の方が年下の夫婦なら、いずれはどの夫も先に年金暮らしになって、まだ現役の妻の収入の方が多くなる時期を経験するはずだ。妻が仕事をしていなければ、へたをすると即緊縮財政。そのときまでに「男は家族を養ってなんぼのもの」みたいな苔むした(あるいは女の煽てに乗せられた)男のプライドを捨てて、「誰が薪をくべてもひとつのかまど」のような夫婦観でも確立しておかなければ、居心地が悪いのは男の方ではないかと思う。カレシはふつうなら来年が定年。考えてみたら、その年が来ないうちに、顔で笑って、心で怒って、プッツンとキレて、結局は早期退職させられてしまったわけだけど、どうやら今は夫婦いっしょにお金に不自由しないでもいい生活を享受する余裕が出てきたようだ。そんなら、フリーの自営業には連休もへったくれもないことだし、ここはもうひとふんばりするかあ・・・

親の背中

4月7日。子は親の背を見て育つというけれど、年を取るにつれて親とそっくりのことをやっている自分を発見してついおかしくなることがある。いささかハイパーなところは母親似ではないかと思う。直情径行なあたりもやっぱり母親似かな。新婚の夜に、当時将校だった父は「かわいい妻でいてほしい」というようなことをいったらしい。したくもない見合いをぶち壊そうとして逆に気に入られてしまった母は、世を挙げて女は良妻賢母の時代に、夫となった人に「そのままでいていい」と、全面的に人格を肯定されてしまって、さぞかし仰天したことだろう。

直情径行な母は父の言葉の通りにいつまでもおきゃんなかわいい妻だったと思う。そんな母を愛した父との犬も食わないけんかやいちゃつきを見て私は育った。漠然といつか結婚したらこんな夫婦になりたいと思っていた。結局は日本に「貰い手」がなくて、結婚しなくてもいいやと思っているうちに、外国に来てしまったけれど、そこで最後に土俵際で踏みとどまって自分を立て直せた「復元力」は父が残してくれた最高の遺産だ。

カレシは年を取るにつれてパパに似ているなあと思うことが多くなった。キレなくなったのはパパを超えたということだと思う。倫理観も結婚観もパパの言動をお手本にして来たら大きな壁にぶつかって「ケガ」をして、やっと社会ではいかにパパが少数派であるかがわかったのかもしれない。だけど、だけど・・・。

テレビのニュースを見ながら他人の意見にやたらと悪態をつくのはパパそっくり。パパは他人が、しかも遠い地球のどこかで言っていることに腹を立てては、テレビと取っ組み合いしそうな勢いで怒鳴りまくって、家族に呆れられていた。でも、それを今自分がやっていることに息子は気づいているのかな。おかしくて笑ってしまうけれど、時には毒が強すぎてうんざりすることもある。たまに私もまねして見せるのだけど、「他山の石」効果のほどはどうも・・・。

自分のことは棚に上げて他人に完璧を求めて苛立つところもパパそっくり。パパは商品などの些細な瑕疵にこだわり、他人の欠点や障害は無神経に笑いの種にしていた。カレシはさすがにそこまではしないけれど、他人に些細な規則違反などを注意するのが好きで、それで思い通りに動かない他人にイライラするところはパパによく似ている。まあ、他人が気になってしかたがないところは、何だか日本的だなあと感じることもあるけれど、これは文化にはかかわりなく、そういう人間の心理なのだろう。

その延長線で、家の外で車の音がすると飛び出して行ったりするところは、もうパパを通り越して元義妹が飼っていたワンちゃんに似てしまっている。この頃はそれとなく口実をつけて外へ出て行ったりするからよけいおかしくてしかたがないのだけど、これは自分のスペースを侵されるのではという不安な心理の表れだそうで、どうやらどこまでが自分でどこからが他人なのか、その境界線があいまいだから他人を放っておけないということらしい。おかげで人生の時間をけっこうむだにしているだろうに、他人にはかかわるのが嫌いなママに似たほうが良かったのに、とは思うけど、男の子はやはり父親に手本を求めるのかもしれない。

ま、誰でも多かれ少なかれ「この親にしてこの子あり」の部分があるもので、本人がそれに気づいていようが、いまいが、みんなひっくるめたのがその人なんだし・・・

ゼイゼイの季節

4月8日。イースターの日曜日。結局、チョコレートのイースターバニーを買い損ねてしまった。もっとも、私は耳をかじる程度で、バニーちゃんを食べるのはチョコホリックのカレシなのだけど。中にいろいろなチョコが入っているイースターエッグは開けてみるのが楽しいのに、今年はなぜか卵が半分だけで中身が丸見えなのが興ざめ。まあ、大きなウサギを売っているのは安いチョコレートショップかスーパーくらい。明日ダウンタウンに出たらGodivaのダークチョコレートを買うことにするか。

やっと仕事がゼロになって、慌てて納税申告の準備を始めた。そのせいかなぜか月曜日かと錯覚してばかり。帳簿の方は12月まで済んでいるけれど、決算となると資産の減価償却だのいろいろ余分な計算があるからややこしい。会社を作らないフリーランスの稼業もカナダではれっきとした個人事業主ということになるから、在宅でも一人前に「事務所」を構えているわけで、そこにはコンピュータだのコピー機だのと資産があるはず。事業に使う資産は経費ではなくて減価償却、ということになる。その減価償却も去年は過去のエラーを修正するための数字の辻褄合わせで会計事務所の担当者とてんやわんや。おまけに帳簿上と税務上では減価償却の処理方法が違うから、ややこしいったらない。

カナダではアメリカと同じで納税申告は個人がする。会社は申告に必要な給与や課税給付などの伝票を(国が決めた書式で)発行するだけ。だから、2月あたりから勤め先や銀行や学校からまるでアルファベットスープのような申告用書類が届くようになって、また税金の季節が来たことがわかる。つまり、サラリーマンも事業主も億万長者も、一斉に同じ書式で所得税の申告をするわけで、その申告期限が4月30日。

さて、2006年は売上高が増加、経費が減少。さては忙しすぎたか。つまりは収益増というわけで、万々歳なのだけど、その純益が即個人所得になって、控除が増えなければ即税金が増えるということになる。一人何役の個人事業主はここでも年金の掛け金は雇用主と雇用者の二役で両方の分を納めなければならない(もちろん両方とも税額控除にはなる)。ただし、雇用者としての失業保険料はない(当然、失業保険もない)。そりゃそうだろうなあ。雇用主の自分と雇用者の自分がいて、自分で自分を解雇するなんてできっこない。でも、雇用主としては倒産もありなんだけどなあ・・・

去年1年間の前納分はその前の年の所得がベースだから、結論としては申告書といっしょに差額の小切手を送らなければならない。(クレジットカードを使って納税する手もあるけれど、税金を納めて信用の実績を作るというのも何だかなあ・・・。)まあ、商売繁盛で所得が増えたから税金も増えてあたりまえなんだけど、やっぱりそこは何となく損をしたような気分になってしまうところがおもしろい。「死と税金は逃れられない運命」と言ったのは誰だっけ?Godd citizenはぶつくさいいながらもまじめに税金を納めるのでした。めでたし・・・か、な? 

おいおい・・・

4月9日。日本の民法が決めている離婚後6ヶ月という再婚禁止期間は女性だけに適用されると知って驚いた。男女平等の民主社会になったんではなかったの?堂々とそういう法律があるからには、日本の男女平等は絵に描いた餅ということか。おまけに離婚後300日以内に生まれた子は自動的に前夫の子になってしまうというから呆れる。子供は生まれるのに親を選べるわけじゃないのに。

はてどこぞの狂信的宗教の国のこと?と思ったけど、何度見てもやっぱり日本のことだ。平等、平等と一億総クローン化に勤しんでいると思ったのに。女性がすぐに再婚できないのは、ひょっとしたら妊娠しているかもしれないからだそうだ。要するに、生まれた子供を旧夫と新夫のどっちに振るか、めんどうなことは避けようということか。それとも、二十一世紀にもなって、まだ妻が産んだ子供はオレのもの(つまり「腹は借りもの」?)ということか。ほんとにどこぞの中東あたりの国のことかと思ってしまう。

だいたい、結婚している間だって妻が産んだ子が夫の子とは限らないだろうに。その点、「子供の父親が誰か知っているのは母親だけ」というユダヤ人は賢明だ。もっとも、アナ・ニコル・スミスの例を見れば、母親だって誰が父親がわからないこともあるんだけども。二十一世紀的にいうなら、「DNAのみぞ知る」というところか。第一に、妻以外の女性にちょっかいを出したり、買春したりする男が、結婚指輪1個で女の貞操を確保できると思っているのかなあ。

浮気は男の甲斐性といい、女だって自分に正直でいたいと、「愛する」妻帯男と関係を持つような「フリン文化」爛漫みたいな国で、妻だって遊んでいるかも知れないのに、妻が産んだ子供は自分の子と信じているとしたらなんともマンガチック。そこへして、法務大臣サンが貞操義務がどうのこうの、性道徳が乱れるのとぶち上げたそうだから、もう何をかいわんや。日本は熱狂イスラム国家かい・・・

そういえば、カナダにも再婚できない期間がないわけではない。カナダでは離婚届を出して協議離婚という制度がないから、夫婦が合意していても離婚は訴訟の形を取る。もちろん、ほとんどは形式的な手続きではあるけれど、裁判所が最初に出すのは「仮判決」で、3ヵ月経ってから「確定判決」をもらうまでは「どちらも」再婚できない。結婚許可証が下りないのだ。男も女も、離婚はしたけど、離婚しきっていないような宙ぶらりん状態になる。なぜかというと、この3ヵ月の間に離婚判決を覆す異議や証拠がないことを確認しているわけで、この間に仲直りして離婚は取り止めという夫婦もいる。もっとも、一番簡単な離婚方法は最低1年間別居することだから、離婚後に生まれた子供が前夫の子という可能性はまあなさそうだけど。

資格三角丸バッテン

4月10日。小町に『役に立たなかった資格』というトピックがあって、おもしろそうと読んでみたら、まあびっくり。ええ?という資格がたくさん出てくる。こんな仕事があるの~というオドロキから始まって、こんな仕事にこんな資格がいるの~というオドロキになって、その資格の中にはさらに何級といった具合に細分されているのがあるからまたオドロキ。日本ほど「資格ビジネス」が大産業になっている国はないだろう。これも「(目に見える)ものさし」が大好きな国だからこそかと感心してしまった。

カラーコーディネーターにジュエリーコーディネーター、着物コンサルタント・・・何しろファッションにはがっちり気合を入れなければ外出もままならないらしい国だから、「有資格の専門家」が必要なのか、そういう職業があるからファッションに気合を入れてもらわないと経済が立ち行かなくなるのか。インテリアコーディネーターはわかるとして、紅茶コーディネーターなんて資格の人はどんなところでどんな仕事をするのだろう。それよりも、いったい何をコーディネートするのかしらん?コーヒーコーディネーターとか、ビールコーディネーターとかいう資格・・・はまさかないだろうなあ。

ほんとうに資格や検定の多いこと。資格マニアといって、あれこれ受けてあれこれといくつも持っている人も多いらしい。まさかここでも不安症というわけではないだろうけど、そんなにあっても使い切れないだろうに。これだけたくさん資格を持ってますと言ってみたところで、仕事と分野が違えばあまり意味もなさそうに思えるけど。もちろん、たくさん資格を持っている人たちは「資格はあればあるほど心強い」というかもしれないけど、結局のところ、資格マニアにとっての資格はコレクションであって、「見せるため」のものという気もする。立て看板というところか・・・

もちろんカナダにだっていろんな資格がある。でも国家資格というのがないところが日本と違っておもしろい。たいていは専門職業を自主管理する団体が資格試験や授与を取り仕切っている。弁護士も医者もそうだし、会計士もしかりだけど、その団体に属していなければせっかく苦労して取得した資格もふいになることが多い。カレシは仕事上「証券アナリスト」の試験に合格したけれど、職場は証券取引を監視する立場で、取引をするわけではなかったので、団体には加盟しなかった。だから、実際には資格はない。

BC州で私が持っている翻訳の「資格」は州法で保護されるれっきとした専門職業の資格で、協会の会員しか使えない「称号」。もっとも翻訳は「私だってできる」と思えば誰だってなれるきわめて敷居の低い職業だから、たぶん「無資格」翻訳者のほうがダントツに多いだろう。私だって資格を取った組合せとは反対方向の仕事をしているから、その点では「無資格」かもしれない。おまけに大学卒の肩書きもないと来ている。まあ、私の方は翻訳家志望の日本の若い人たちにそれを「白状」して、「マジ、そんなのありえな~い」といいたそうな顔を見るのをイジワルに楽しみにしているところがある。だって、無学歴、特に専門なし、資格は無視で仕事をしまくって、おまけに自慢のしまくり・・・これって、アマノジャクの見本みたいでおもしろいと思うんだけどなあ。

いっそ、アマノジャク検定なんて資格を作ったらどうだろう?6ヵ月コースで1級から3級まで、とか・・・?

ちょっぴり履歴書

4月11日。せっかくここでひと息と思ったのに、のんきにいつもの調子で「イエス」と言っていたら、いつのまにか仕事が積み上がってしまった。自営業ではノーというのがなかなか難しい。スケジュールがぎちぎちのときに「ではまたこの次」と言ってくれて、待ちかねて(いたわけではないだろうけど)発注してくれるお得意さんには、少しでも隙間があったらねじ込んであげなくちゃと思って「イエス」と言ってしまう。それで二股、三股なんてことになってまた手一杯・・・。

なんていうと手広くやっているように聞こえるけど、実はコンスタントに仕事が来るところは2社しかない。あと時々スケジュールを聞いてくるところが2社。たまに社内で扱えないものを送ってくる企業が1社。仕事量を減らす前でもせいぜい10社前後だった。独りの稼業では客の数よりもコンスタントに仕事があることが先決。仮に10社あっても、たまに小さな仕事を送ってくるところばかりだったら、何よりもまず生活が成り立たない。

何にしても「プロ」の定義はいろいろあるけれど、それで食べて行けることもそのひとつ。食べて行くためには売れるものがなければならない。売るとなれば良い値段で売りたい。そのためには良いものを作らなければならない。良いものを作るためには技術を磨き、資源を開発しなければならない・・・こんな連鎖が自己流のプロの定義なので、翻訳業界で商売をしている私は自分を「翻訳家」とは呼ぶ気にはならない。

それもこれも翻訳家になりたくて翻訳を始めたわけではないせいだろう。勤めを辞めて家で内職程度にやれというカレシに押されてカレッジの通訳講座に入り、そこで先生にスカウトされたのがそもそもの始まり。勤めを辞めないうちから仕事をもらって、夜も週末も翻訳。とうとう有給休暇を取って通訳業務をしていたのがばれて、上司に「オレを取るか翻訳を取るか」と叱られ、あまり迷わずに翻訳の方を取って給料取りを辞めた、というのが私の在宅翻訳業への「転職」の流れだった。日本のバブル経済が潰れ始めた1990年の春。まだWINDOWSもMS-OFFICEもなく、Eメールもインターネットもグーグルも、ほんとに何もなくて、ファックスが頼りだったあの頃、いったいどうやって仕事をしていたんだろう・・・?

口封じ語

4月12日。私が勝手に「口封じ語」と呼んでいるものがある。言語心理学の分野で研究したらおもしろいかもしれないという類のものだけど、どこの掲示板でも、最近はトピックでもレスポンスでもそういう表現がやたらと目に付く。私自身が長い間そういう受動攻撃型の表現で口を封じられて来たからよけい目に付くのかもしれないけれど、日本の言語文化に元からそういう土壌ががあったからポストバブルに一億総不安症になってしまったような条件が整って花を開いたのではないかとも思う。

「あなたの話は聞きたくない」といわんばかりに、相手がそれ以上何も言えなくなってしまうような表現を使う。理由が何であれ相手のいうことは聞きたくないわけだから、コミュニケーションは成立しない。英語だってそういう表現はいくらでもできる。私は長い間カレシの「口封じ語」を聞かされて来た。だけど、自己主張する文化では口封じ語はあまり効果がない。カレシが私に使って効果的だったのは私が英語文化で育った人間ではなかったからだ。他人の口を使って「日本人でなくなった私」を非難したカレシの攻撃が効果を発揮したのは私が日本人だったから。口封じ語を正面から受けて何も言えなくなった。曲がりなりにも二人の「形」を作り直す方向へ進めたのは私がカウンセリングで自己を解放して、口封じ語が通じない「日本人ではなくなった」私になったから。考えようによってはカレシの心理の方がずっと日本人的に見えるというのは皮肉な話ではないか。こんな逆説的二人だからこそけっこう釣り合っているのかもしれないけど。

口封じ語はそれを使う人間の不安症や、劣等感等々のコンプレックスを反映した負け犬の語法だといったら極端かもしれないけれど、勝ち犬は遠回りな言葉で相手を黙らせる必要はない。一方で負け犬は勝ち犬が自分より上だと感じているから、何とかして自分と同じ目線まで下ろそうとする。自慢している、見下している、疲れる、引いてしまう、~してくれない、傷ついた・・・いろいろ表現はあるけど、互いに「もの言えば唇寒し」の状態になってやっと心の平安を得られるとしたら、コミュニケーションなんか絶望的でないのだろうか。日本の人間関係のものさしには縦に一億の目盛があるから大変だ。

こんなことを考えたのは小町の『日本の不思議』というトピックの展開がきっかけ。海外在住の読者が「日本のここが不思議」と投稿した。「なるほど」、「そうかなあ」と突っ込みながら、浦島花子ぶりを楽しんでいたのに、案の定出てきた。「海外の日本人が日本を悪くいっているのが不快」と。海外生活が長くない人はまだ日本の記憶が鮮明だからこそ目に付くのだという書き込みがあった。異文化に触れれば誰だって「自国」との違いに目が行く。それで自国に戻れば「他国」との違いに目が行く。つきつめればそんなところだろう。そんなのどこの国の人間でもやることなんだけど、ここで噛み付くいている人は、それを自分が他人と比べられていると感じているのかもしれない。それで自分に不安だから「私に気遣って自慢をやめろ」と口封じに出ているのかな。

それにしても、今度日本へ行ったらだんまりを通した方がいいのかなあ。自己表現派の私としてはきついなあ。いっそ、英語で通してしまおうかなあ。外国人にはけっこうやさしそうだし・・・

13日の金曜日

4月13日。カレンダーを見ると何と13日の金曜日。カレシ共々ヘアカットに行く。彼のは髪が少ないから早いけど、私の方はカットしてハイライトを入れて、と大事業になってしまう。でも、13日の金曜日はけっこうラッキーな日だったりするから、宝くじでも買おうかしら?案外、そんなことを考える人がたくさんいたりして・・・

今夜はバンクーバーカナックスのプレーオフの第1ラウンド第2戦。水曜の夜の第1戦はすごかった。同点で延長戦にもつれ込んで延々と、いや長いこと。延長第4ピリオド18分6秒でやっと双子のヘンリク・セディンがゴール。ほぼ7ピリオド、合計138分6秒。歴代で第6位になる長い試合が終わったのは夜中過ぎ。アリーナが白いタオルで埋まっていた。

白いタオルを振っての応援は20年以上も前にカナックスがなぜか決勝まで進出したときに始まった伝統だ。当時の監督がいい加減な反則コールに白いタオルを乗せたスティックを高々と掲げて抗議したのが始まり。決勝では負けたけど、チームが凱旋して来たときはみんな洗面所のタオルを持ち出してパレードの沿道に並んだっけ。「来年があるぞ~」と。その「来年」が来たのは10年くらい後だったけど。あれからさらにまたさらに13年。さて、今年はどこまで行けるかな。

きのうはカレシのおもいつきでダウンタウンのRodney'sへ生牡蠣を食べに行った。手始めに、と断ってまず2ダース。なかなか良い味だったから、まだ1ダース。私はレモンもソースも使わずに、裸のままで海の味のする汁ごとつるんと吸い込むのが好き。生命が生まれた原始の海に帰ったみたいな・・・は大げさかな。カロリーはかなり低いという話だけど、ビールを2パイントも飲んだら帳消しかな。二人で36個も食べてまだ足りないから不思議で、ついでに蒸したぷくぷくのムール貝も平らげて満足、満足。胃袋がハッピーになれば仕事にも身が入るというもの。

13日の金曜日。何かいいこと、あるかなあ。金、土、日と続けて納期が3つ。ヘアカットで頭もすっきりさせて、並行処理作戦でがんばろうっと。もうすぐ誕生日が来ることだし・・・

あたふたの週末

4月15日。きのう土曜日はシーク教徒のお祭ヴァイサキの日。シーク教の開祖グル・ナナクの生誕を祝う祭で、いわばキリスト教徒のクリスマスと同じようなもの。それはそれでいいんだけど、パレードの時間になると頭の上を飛行機がぐるぐる飛ぶ。うるさくてとても仕事にならない。おまけにカレシは英語教室から帰って来るのにいつもは10分の道のりを交通止めやら何やらで40分近くかけたと憤懣やるかたない。でも、ひと昔と違って今は「なんで私が代わって憤慨しなくちゃならないのよ~」と思い直せるのは進歩したと、我ながら感心。

イライラの絶頂で帰ってきたカレシ、「おい、今晩はカニを食うぞ」とひと声。仕事になりそうにないから、えいっと放り出してグランヴィルアイランドへ出かけた。また予定が遅れるんだけど、しょうがない。いつもの魚屋で「一番大きそうなカニ」を注文する。タンクから取り出したのを秤に乗せたら1.7キロもあった。4千円というところか。茹でてもらっている間に行きつけの画材屋をのぞいたり(絵を描く時間が欲しい~)、マーケットをぶらぶら。お気に入りのイタリアンデリでお気に入りのミックスオリーブを買い、ついでにシーフードの酢漬け。小さいタコとイカ、ムール貝にエビ。カニを半分とシーフードサラダにフリーザーで急速冷凍のシャブリで夕食。カレシは今週のグルメはヒット続きだねぇ、と満足の様子。ハッピーな胃袋の癒し効果はバツグン!

それで明けて日曜日。納期がふたつ。腕まくりのねじり鉢巻。ところがもうすぐ2つ目が終わりそうるという頃、しょぼんとしたカレシが「キッチンが大変なことになった」。カラメルソースを作っていたら吹き零れてそこらじゅうべとべとなんだそうだ。そういえば砂糖の焦げた匂いが漂ってくる。カレシはすぐにも私に出動して欲しいそぶりだけど、とにかく、仕事を終わらせるのが先決。終わってからキッチンに上がったら、カウンターや床は何とか自分で掃除したらしく、ところどころペタペタする程度。なあ~んだ、大山鳴動ねずみ一匹か。まあ、レンジに焦げ付いたソースを削って、クリーナーで掃除。火を使う料理は注意を逸らしたらダメ、といつも言っているのに、なぜかCDがプレイしなくて、そっちに気を取られてしまったらしい。間違ってDVDに焼いてしまったということらしいけど、ADDの気のあるカレシはマルチタスキングが苦手。掃除をしながら、退職して年中家にいる亭主がウザイという愚痴を思い出してひとり笑い。キッチンはめちゃくちゃにされるし・・・と。あはは。

おかげで思いがけずレンジの掃除ができて、めでたく塞翁が馬。明日1日で小さい仕事をやっつけて、その後大きいのにかかって・・・と、算段していたらまたねじ込み仕事のメール。週末がまたあたふたと過ぎる。いつのまにか春になってたけど、あ~あ、今度はこのまま夏になっちゃうのかなあ・・・