リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年5月~その2

2011年05月31日 | 昔語り(2006~2013)
旅に出なくても時差ぼけは起きる

5月16日。月曜日。よく眠ったなあ。ほぼ10時間。目が覚めたらとっくに正午を過ぎていて、電話が鳴っていた。今日は決まったスケジュールを追いかけなくてもいいんだから、電話なんかかけて来ないで欲しいのに、鳴り止んだと思ったらまたすぐに鳴り出した。こういうときは時間帯の違うところからの間違い電話か、付き合いのないところからの仕事の話だったりすることが多いけど、いったい誰なんだ。(ニューヨークからドでかい仕事の話・・・うは。)結局、2人ともずいぶんよく眠ったねえと言いながらベッドの中でうとうとして、やっと起き出したら午後1時過ぎ。オレンジジュースがないのでカレシが自分の冷蔵庫に残っていたオレンジとグレープフルーツを絞って、パンがないからトーストは省略。

ほんとによく遊んで、よく飲んで、よく食べて、よくしゃべった。前日のボーイング工場の見学では、バスをチャーターして、747の再装備、767、777、787の組み立てをする巨大な工場へ行ったけど、あんまりにも大きな建物なもので、作業の様子をビルの6階くらいに当たる高さから見下ろしていると、ジャンボ機でさえ小さく見えてしまう。一種の流れ作業だから、尻尾だけの機体があったり、胴体だけの機体があったりで、そうやって何百万個もの部品を取り付けて飛行機が出来上がる過程を目の辺りにするとかなりインパクトがある。新型機787は翼の先端が優雅にカーブして、なかなかすてきだった。ツアーの終わりにはちゃっかりとギフトショップで解散にしてくれるから、チャーターバスが出るまでのしばしの間ショッピング。ボーイングのロゴ入りの野球帽やTシャツ、メモリスティックを買って来た。

会議前夜はすっかり定番になった「親睦会」。その後はホテルのバーで「サゼラック」というルイジアナのカクテルを飲みながらカレシと2人だけの二次会。なにしろ、ここのサゼラックのベースはバーボン代用じゃなくて、本来のアメリカの「ライ」。発祥地ニューオーリンズのフレンチクォーターで初めて飲んで以来「うまい」と言えるできだったので、つい3杯も飲んで、えらく酔っ払ってしまった。(翌日、サゼラック用のライをホテル近くの酒屋で見つけて、アルコール度45%(90度)と知ったときには後の祭り。それでも懲りずに1本買って来たけど。)

おかげで翌朝の8時に目覚ましが鳴ったときは頭が朦朧。カレシが起き出して、会議場まで下りていって、ワタシの分まで登録して、資料と名札と記念バッグをもらって来てくれた。でも、また会議場に戻るのかと思ったら、またベッドにもぐり込んできて、結局は2人とも11時過ぎまで爆睡。開会と基調講演、最初のセッションを見事にすっぽかして、おまけに、起きてみたら、あっちこっちに打ち身のあざ。どうやら、酔って部屋に戻ってから、千鳥足であちこちにぶつかりまくっていたらしい。いい年こいて、んっとにかっこ悪っ!

それでも、午後のセッションをこなし、いよいよ宴会。メニューはローカルの生牡蠣やカニ、エビ、サーモンなどに、ロースとビーフとラム。たくさん出てきたし、おいしかったし、100点満点だな。今回はアメリカ、日本、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールから集まったけど、年齢は40年以上の開きがあるし、学歴もワタシのような無学歴から博士号を持った人たちまで多様だし、人種も職歴も翻訳歴も人生歴もてんでんばらばらと言う感じで、それが「同業」ということで集まって来る。メールでことが足りてしまう今どきは名前だけの知り合いも多いから、名札を見せ合っては「あっ、あなたがあの・・・」という光景はあたりまえ。この商売にはいっぷう変わった人間が多い、というかそういうのが多いせいで、駆け出しの若い人も老練なベテランも、みんなここぞとばかりにおしゃべりに熱中するから、人間大好き、おしゃべり大好きのワタシは七夕の織姫の気分・・・。

にぎやかな宴会がお開きになったところで、近くのワインバーで二次会。バーでは20人くらいがまたひと騒ぎ。真夜中の閉店になったら、雨の中を1本の傘に数人が押し合いへし合いで入って、ホテルまでわいわい、きゃあきゃあ。(みんないい年なんだけど・・・。)頭は濡れなくても、お尻はびしょぬれで、シアトルの人たちが見てさぞ呆れただろうと思うけど、ま、みんな会議の常連で、けっこう気心の知れた仲間だから、そうやって羽目を外すのも後々まで楽しいご愛嬌と言うところかな。

日曜日は午前と午後のセッションを全部こなして、午後6時過ぎに会議は閉会。雨が降って、寒かったけど、いい週末だった。ひとつだけ想定外だったのは「時差ぼけ症状」。午後3時くらいになると、まぶたが重くて、重くて、目を開けていられない。気がつくとこっくり。でも、徹夜したりしての寝不足気味のときの眠気とはずいぶん違う。バンクーバーもシアトルも同じ時間帯なんだから、時差ぼけも何もないだろうと思うけど、ワタシたちの標準生活時間はほぼ日本標準時間なもので、日付変更線を越えて日本へ行ってもほとんど時差ぼけがない。つまり、俗に言う時差ぼけは、生活のリズムが変わったのに体がすぐには対応できないために起きるということで、時間帯を越えて大陸や大洋を渡らなくても、体が慣れている生活リズムを急にリセットしたら体内時計が狂って、自分の家にいてもヘンな時間に睡魔が襲ってくると言ういうことなんだろうな。と言うことは、飛行機とは全然関係ないってことか・・・。

「つい」という名の危険な浮気虫

5月17日。火曜日。起床は午前11時ちょっと過ぎ。就寝は午前3時だったから、まあ、8時間寝たってこと。体が慣れているリズムに戻るのはけっこう簡単で早いもんだな。今日は晩春の気候と言ったところで、まあまあ。もう5月も半分を過ぎて、この週末はビクトリアデイの三連休。このあたりでは伝統的に「園芸の季節」の始まりと言うことになっていて、天気が良ければ、園芸センターは花壇に植える苗を求める人たちで大入り満員の賑わいになる。

それにしても、世の中の男ってどうしてこうも同じようなおバカをやるんだろうと思うような事件が続くなあ。出世も富も頭脳も何も関係なく、性癖であろうが一瞬のたがの緩みであろうがまったく関係なく、後でひたすら後悔するしかないようなことをやるんだから、わからないなあ。IMFのボスがレイプで逮捕されたかと思うと、元ガバネーターことシュワルツネガーが実は10年以上も前に隠し子を作っていたと告白するし、ベルルスコーニにいたってはもういつからスキャンダルにまみれていることやら。で、日本の新聞サイトを見ると、毎日のように偉くも何ともない男たちが女子高生のスカートの中を盗撮したとか、女子高生とホテルへ行ったとかで逮捕されたという記事。女のスカートの中をのぞいて何がそんなにおもしろいんだろう、アホじゃないかと思うけど、捕まったら、会社はクビになるだろうし、そうしたら女房子供にも見捨てられるだろうし、結局は偉くても偉くなくても、たいていそこで人生特急が脱線転覆みたいなことになる。

でも、上は政治家から下はサラリーマン課長まで、みんな一応は頭が良かったか、がっちりお勉強したから、一流の大学に入れて、高学歴を武器に一流企業に就職したり、一流大学の先生になったり、公務員になったりして、高給をもらって、結婚して、子供も作って、傍から羨ましがられるような人生を送っていたんじゃなかったのかなあ。そういう人たちなんだから、それを棒に振ってしまえばその先の人生は真っ暗だということくらいわかるだろうと思うんだけど、「つい」という衝動はそれほど理性を曇らせるものなのかなあ。あんがい、浮気や不倫を含めて、セックスに関することになると、理性なんか屁でもなくなるのかもしれないな。男は(女だって)所詮は動物なんだし、浮気男はたいていが本能だとか何とか似たような理屈を並べるみたいだしね。男の甲斐性は浮気じゃなくて、「つい」を抑制できる理性じゃないのかと思うんだけど。

まあ、世界のどこでもおバカで稼いでいるあまり芸のない芸能人が増えているみたいだし、かのローマ帝国だって末期は似たようなものだったんだろうと思うから、今の文明の質そのものが世界的に低下しているのかもしれないな。斜めに見れば、人間は動物だから、その人間が築いた文明も所詮は動物の産物ということになり、根底では動物本能が動かしていると言うことになるのかな。でも、人間さまよりもず~っと賢そうな動物もいるみたいだけどなあ。

まっ、そういう杞憂はどこかへ置いといて、待ち伏せされた仕事に精を出さないことには、次がつっかえてしまいそう。(ふむ、浮気するやつはきっとヒマなんだろうな。だったら、ちょっとばかりうらやましいかも・・・はないけど。)

ストレス度の高い職業

5月18日。水曜日。咳が出て何度も目が覚めた。会議の最終日の最後のセッションで、ワタシの隣に座っていた人が、ひっきりなしに鼻をグズグズ、咳をゴホゴホやっていたので、さては風邪をもらって来たかと思ったけど、ま、どっちかというと「時差ぼけ」の巻き戻しと、遊びすぎの疲労で体調がイマイチ100%でないんだろう。ほぼ1時間おきに咳き込んで、やっと寝付いたと思ったら、早くに目が覚めて起きていたカレシに起こされた。時計を見たら、午前11時。お、いい天気だ。やっと初夏が来るのかな。

カレシはやっと来た本格的な庭仕事日和に、朝食もそこそこに待ちかねたように外へ出て行き、仕事の待ち伏せを食ったワタシはオフィスへ。「何々法の何条の何項には~」というのがずらりと並んでいて、その法律のひとつをググって見たら、英語名称はあるけど「英訳はありません」と来たからがっかり。法令の英訳プロジェクトはこの分野までは進展していないってことで、定訳がなければ引用されている条文はぜ~んぶ自分で訳さないとならない。日本の法令の文章というのは、明治以来の伝統なのかどうか知らないけど、なんかもちもちっとしたねちっこさがあって、おまけにご他聞に漏れずだらだらと回りくどいから訳しにくい。まっ、そのおかげでこの商売が成り立って、ご飯が食べられるわけなんで、ああだこうだ言ってられる筋合いじゃないんだけど。

商売と言えば、今日のVancouver Sunに世界で最もストレスの多い職業トップ15という写真記事があって、爆発物処理係(15位)、航空管制官(14位)、上級原発運転技術者(13位)、外科医(12位)、特殊コマンド部隊(11位)、森林伐採作業員(10位)、医療廃棄物処理技術者(9位)、プロ野球の選手(8位)、炭鉱夫(7位)、凍結道路を走るトラック運転手(6位)、危険物回収ダイバー(5位)、フリーランサー(4位)、家畜の種付け師(3位)、救急隊員(2位)と並び、1位は凶暴なアフリカ種の蜂の駆除専門家。なるほどねえ。でも、プロ野球の選手が何でそういう危険な職業よりストレスが多いのかは説明を読んでも不可解だし、フリーランスの仕事が第4位というのもびっくり。その理由というのが「仕事がなければ食べて行けない」ことなんだそうな。まあたしかにそうだし、生活が不規則だったり、時には徹夜もしたりするけど、だからと言って爆弾処理とかコマンドとか航空管制官よりストレスが多いというのはどうかなあ。まっ、こういうランキングは話半分みたいなもんだけど。

今夜はホッケーの西部カンファレンス決勝ラウンドの第2試合。地元での試合だから、ニュースの交通情報を見ていたら、おお、平日の夕方というのに、いつもとは逆にダウンタウンに向かって交通が渋滞している。カナックスがプレーオフに進出しておかげで、ダウンタウンの飲食業界に数億円の経済効果があったそうな。今夜はスポーツバーやパブは超満員だろうな。この決勝を勝ち抜いたら、いよいよ東部カンファレンスの覇者とスタンリー杯決勝ラウンド。17年前に決勝まで行ったときは、最後の最後まで粘った挙句に惜しくもカップを逃したら、酔っ払ったファンの一部が騒ぎ出して、とうとうロブソンストリートで暴動が起きてしまった。でも、今のチームは前回のようにまぐれで最終決勝まで行ってしまうというよりは、そこまで行ってあたりまえの実力があると思うから、スタンリー杯優勝はもう夢なんかじゃない。というわけで、バンクーバーっ子は今日も車にカナックスの小旗をはためかせ、雄叫びの奇声を張り上げてホッケー狂い。こっちの方が仕事よりもストレスが大きかったりして・・・。

まあ、第1ピリオドであっという間に2対2の同点になって、シュート合戦になりそうに見えた試合、第2ピリオドでカナックスがリードを取り、第3ピリオドに入ると対戦相手のサンノゼ・シャークスは総崩れになって、最後は7対3でバンクーバーがシリーズ2連勝。次はサンノゼに移って2試合。バンクーバーのホッケー狂にとってはまだしばしストレスいっぱいの状態が続きそうだな。あんがい、ストレス度第4位のフリーランサーよりきついかも。ワタシは仕事に没頭しているときは鼻歌ルンルンみたいなもんだから。

文章力と読解力と、どっちが重要?

5月19日。木曜日。今日もいい天気。午前11時を過ぎて起きたら、カレシはもう庭に出て「農作業」。やっとのことで5月らしい陽気になった感じ。ワタシはちょっと喉が痛くて、片方の鼻がむずむずするけど、まっ、ちょっとばかり風邪気味というところ。やっぱり日曜日にワタシの隣に座っていたあの人のウィルスを2、3個ばかりもらってきたのかなあ。

それよりも左の足首がすごいことになっている。酔っ払って歩いていて、内側のくるぶし10センチくらい上の脛をどこかにぶつけたらしい(覚えていないけど)。そこは土曜日の朝から青あざになっていたんだけど、けさ見たらくるぶしの下までずっと真っ青で、ちょっと膨れているように見える。よほどガツンとぶつけたんだろうな。深いところでかなり出血して、それが重力で足首の下まで下がってきたということらしい。まあ、痛くもなんともないからいいんだけど。あ~あ、ほんとにかっこ悪いったらない・・・。

せっかくのいい天気だけど、今日は午後から大まじめに仕事。何たってややこしい。法律の条文だけでも回りくどくてややこしいのに、それを裁判所に持ち込んで、重箱の隅を突っつくようにああでもない、こうでもない。原文を読んでいるうちに頭がくらくらするけど、それを英語で書き出すのはけっこう楽に感じるからおもしろい。話がややこしいことには変わりがないけど、英語人だってネチネチと回りくどく議論するから、原文の言っていることがわかったら、原文に忠実にしつこくネチネチと訳す。難しそうに見えるラテン語の法廷用語を混ぜたりしながら、何がどうしてああなってこうでなければならないところを件の結果になったのはそっちの責任だ、と持って回った弁護士口調でネチネチ・・・。

会議で、日英翻訳で最も重要なのは原文をよく理解すること、と言うテーマで、目が点になるような「悪文」を解剖するセッションがあった。法律文書はややこしいけど、それでも一応は誤解がないように筋道の通った文章になっているのは、法律家がそういう文章を書く訓練を受けているからだろうと思うけど、普通のサラリーマンが書く文書には、文系、理系を問わず、すごいのがあるという見本みたいなもので、日本語が母語の人でも解釈を間違うことがあるらしい。それくらいわかりにくい文章なのか、それとも文章はまあまあでも読解力に問題があるのか、そのあたりはワタシにはよくわからない。(ワタシの日本語文だって相当な悪文だし・・・。)

掲示板などでよく「英日翻訳者をやりたい」と言う人に「日本語の文章力が最重要」とアドバイスしているのを見るけど、訳文の文章力と原文の読解力と、どっちがより重要なんだろうな。原文がわかるのは当然のことだから、訳文の質の向上に力を入れなさいということなのかな。実際のところ、車の両輪のようにどっちも同じくらい重要だと思うんだけど。この業界には昔から「訳文言語は母語に限るべし」という主張があって、協会でも時たま論争が起きる。日本語が母語でない人が英日翻訳をするケースは稀だけど、英語が母語でない人が日英翻訳をするケースは逆に多いもので、賛否両論が白熱して来ると訳文(英語)の良し悪しに議論が集中しがちで、しまいにどこまでが正論で、どこからがやっかみなのかわからなくなる。ま、どんなに文章力が優れていても、原文をしっかり読解できなければ、拙訳、誤訳、迷訳、珍訳が満載ってことになるんじゃないかと思う。だけど、近頃は英語の文書にもすごいのがあるし、(たぶん筆者自身がよく理解していない)元からの悪文をしっかり読解せよと言われてもなあ・・・。

何だか「団子より花」の気分

5月20日。金曜日。今日もいい天気。午後にはポーチの温度計がもう20度近くまで行っていた。待ってましたという感じ。だって、この週末はビクトリアデイの三連休だもんね。みんな一斉に庭仕事に精を出し、キャンプに出かけ、好天なら若い人たちはビーチに繰り出し、家族連れは国境を越えてアメリカへ。総じて夏のレクリエーションシーズンのふたが開くのがこの週末・・・。

だけどワタシは仕事。う~ん、何だか不公平って感じもするけど、フリーランス稼業は仕事をしないとご飯が食べられない。それに、日本は別に連休じゃないしね。まじめにやろうとするんだけど、顔の左側だけはまだなあんとなく風邪気味なもので、やる気とは別に体がダラダラ・・・と、適当な言い訳で午後はちょっとサボる。でも、産経のサイトに震災と原発の影響で国際会議が中止になったり、開催地を変えたりして、日本の通訳業界が仕事がなくて悲鳴を上げているという記事があって、どこにいてもメールで仕事ができる翻訳業界はまだ恵まれているなあと、ちょっとシュンとなった。4月などは仕事が90%も減ったんだそうな。駆け出しの頃に起きた湾岸戦争で通訳仕事が干上がったことがあったけど、今度は日本で進行中のことが理由だから先行きは難しいかな。通訳専業だったら青くなっていたかもしれない、なんて思っていたら、先に「ド」が付くようなでかい商法関係の案件を持ちかけて来ていたニューヨークの会社から「失注」のお知らせメール。はっ、よかった!

なにしろひとりで毎日年中無休でやるとしたらゆうに1000日。、つまり3年はかかりそうな膨大な量で、何人くらい確保できたのか知らないけど、OKしてからやめとけば良かったかなと思っていた。いくら手分けをしてやるといっても、プロジェクトチームの人数しだい、それぞれのスケジュールしだいでは何ヵ月もかかりきりになってしまう。そうなったら、今度は常連さんが悲鳴を上げてしまう。ビジネス基盤を構築中で仕事が欲しいときなら渡りに船だけど、一応はベテランのワタシはそのときの気分しだいで「団子より花」・・・。ぜいたくと言えばぜいたくだけど、「定年」まであと1年と11ヵ月だから、徐々に仕事量を減らすのもいいかと思うわけ。ん、仕事が激減している通訳さんから見たら、ぜいたくかなあ、やっぱり。

でもまあ、ビジネスは常に山あり谷ありで、フリーランスもビジネスには変わりがない。こういう膨大な仕事の話が出ると、翻訳会社は大変なのだ。大型の訴訟のような、気が遠くなるような量の文書が飛び交う案件だと、与えられた期間内で完了するためには「Aリスト」の翻訳者だけでは足りなくて、受注する前に必要な数の翻訳者を確保しておこうと、法律関係の日英案件なら、アメリカや日本の協会の名簿から「法律」を専門あるいは得意分野に上げている会員を拾い出してメールを送るわけで、入札がかかっていれば、あちこちから明らかに同じ案件だとわかる募集メールが来ることになる。今回も別のニューヨークの会社からも「大型案件」のメールが来ていたっけな。まったく聞いたことがないところだったから無視したけど・・・。

まっ、アメリカの原理主義キリスト教の説教師が明日から「rapture」が始まると言っているから、もうビジネスの何も関係ないか。まさか。この「rapture」というのは神様の手で人間が昇天することで、つまりは「この世の終わり」。何でも、ノアが箱舟で生き延びた洪水のあった「日」から7千年目だからと言う話。冗談交じりに、へえ、ノアの洪水は何年何月何日に起きたと言う記録があったんだ~と言ったら、口の悪いカレシ曰く、「ノアが日記をつけてたんだよ。それも英語でさ」。でも、発表通りにこの世が終わらなかったらどうするんだろうな。かっこ悪くないのかな。それに、終わるのはキリスト教の世界だけじゃないのかな。仏教もユダヤ教もイスラム教も世界が続いているのにキリスト教徒の世界だけ終わりって、まさか神様が競争相手に世界を明け渡すような損なことをするとは思えないけどなあ。

ま、ワタシはまだ仕事が終わってないし、何よりも善行の貯金が足りなすぎると思うから、神様に「おまえはまだ早い。この次まで待て」と言われてしまうかもしれないな。てことは、まじめに仕事をしたほうが良さそう。「この次」がいついなるのかはわからないけど・・・。

ワンコは降って来るし、ニャンコはけんかする

5月21日。土曜日。いつの間にか土曜日。早くに目を覚ましたカレシが「もっと寝ていていいよ」と言うので、またうとうとと眠りに戻ったと思ったら、防犯アラームがピィピィ。30秒以内に解除しないとサイレンが鳴り出すので、がばっと跳ね起きたところで、カレシが下でピピッと解除。あ~あ。早起きもいいけど、アラームを解除しないで外へ出てしまうなんて寝ぼけもいいところ。おかげで、期せずして早起き。きのうと打って変わった雨模様で、またまた寒い春に逆戻り。先週のシアトルも雨模様で寒かったなあ。

せっかく早く起きたから、朝食後は大まじめに仕事の続き。日本で月曜日の朝が始まる明日の夕方が期限からがんばらなきゃ。それにしても、これだけ細々とつつきまくっていたら、重箱の隅にも穴が開くんじゃないかと思うな。ビジネス絡みの裁判のやり取りというのはだいたいがそういうもんで、そこが弁護士の腕の見せどころなんだろうけど。そういえば、カレッジの通訳講座で法律関係の授業を担当していたの弁護士のガスリー先生はかっこ良かったな。大柄で、長めの髪にちょっとウェーブがかかっていて、裁判所のロビーで先生が法衣の裾をなびかせて颯爽と歩いていたのを見たときはつい見惚れてしまった。ま、つんぼ桟敷のワタシをだしにしてカレシと前妻の違法すれすれの馴れ合い離婚訴訟を扱った、当時はまだ駆け出しの弁護士(前妻の友だちだったそうな)が今や州最高裁判所の判事なんだから、ほんとに弁護士もいろいろ。

はてさて、今日は世界の終わりの始まりということなんだけど、北アメリカ中のあちこちで無神論者がパーティを企画していると言う話。実際に本気にしている人がどれだけいるのか知らないけど、誰も信じていないというわけでもないらしい。世界の終わりが来ることを世間に広く知らせるために貯金を全部はたいて広告看板を出しまくった人もいたとか。ほんとに終わりが来るなら全財産を使い果たしてもいいけど、終わらなかったらそれこそこれから10月21日。の終焉まで続くと言う「地獄」を見ることになるのかな。でも、話題性がたっぷりだから、トークショーもソーシャルメディアも乗りまくり。マーロン・ブランドが出ていた昔の映画のタイトル『Apocalypse Now』をもじって「Apocalypse No」。中国製らしいアニメは「Apocalypse Wow」。あるブログには神様が記者会見して、「世界を終わりにするのは自分。そのときが来たらと思ったら実行する。人間ごときが神の意図を推測するなんぞもってのほかじゃ」と言ったという話まであった。

そういえば、最近バンクーバー郊外で、空から犬が降ってきたという珍事があった。文字通り、空から老人ホームの庭に降ってきたそうで、背中に猛禽の爪あとがあって、墜落の衝撃で肋骨を骨折。どうやらワシか何かの猛禽が浮浪していたところを捕まえたのが、運びきれなくて落としてしまったらしい。写真を見たらかわいい白いプードル。(ちょっとレクシーに似ているかな。)爪は伸び放題で歯はがたがただったのを、さっそくどっと集まった寄付金で歯の治療が始まったとか。猛禽はランチを食べ損ね、メイと名づけられたワンちゃんは九死に一生を得て新しい人生が待っている。なにしろかわいいから、引き取りたいと言う申し出が殺到しているだろうな。

土砂降りの雨のことをraining cats and dogs(犬猫降り)というけども、先週はとなりのパットが猫のけんかに巻き込まれて災難。家の裏のレーンで猫がうるさいもので、自分の猫に何かあったかと思って出てみたら、猫が2、3匹、引っかき合い、噛みつき合いの大乱闘の最中。猫好きのパットは何と仲裁に入ったんだそうな。人間が猫のけんかの仲裁ってのも珍事だと思うけど、その中の一匹が「よけいなことをすんじゃねぇ」と言ったかどうか知らないけど、腕を盛大に引っかかれるは、噛みつかれるは。なんだかずたずたになって「おたくに絆創膏ある?」と我が家へやってきた。とにかく盛大な引っかき傷だらけで、きれいに洗って、消毒して、絆創膏じゃ間に合わないから包帯をしてあげたけど、カレシは「猫のけんかの仲裁ねえ・・・」としきりに感心。

うん、この世界、まだまだ終わりそうにないな。だって、なんたって突っ込みどころが満載で楽しいし、何よりも人間サマも動物たちもいろいろとやってくれるから、神様も「終わらせるのはもったいないなあ」なんて思っていたりして。

ちょっとハチャメチャな日曜日

5月22日。日曜日。シアトルで拾ってきた「風邪っ気」のおかげで、左側だけ鼻がつまって、目の周りと耳の後ろが何となく痛くい。おかげで目が覚めてばかりで、しまいに首が凝って来て、全然寝た気分がしない。おまけに寒い。起きて間もなく突如として天の底が抜けたかと思うようなすごい土砂降りが始まって、ひとしきり降ったと思うといつの間にか普通のしょぼしょぼ雨。ポーチの気温は正午で12度。5月も下旬だってのに、参っっちゃうなあ。

今日はホッケーの西部カンファレンス決勝の第4試合の中継が正午から始まる。西部の同じ時間帯のチーム同士なのに、なんで正午なの?という感じだけど、テレビノ放送権を持っているのが東部のネットワークだから、夜にはバスケットボールの試合でもあって、かち合わないためのスケジュールなんだろうな。でも、日曜日の真っ昼間じゃあ、仲間が集まってビールを飲みながらワイワイ観戦というわけにも行かないような。ま、試合は4対2でカナックスが勝って、カンファレンス優勝に王手。バンクーバーに戻っての第5試合で勝てば、いよいよ念願のスタンリー杯決勝進出だな。ここまで来たんだから、絶対に勝てよ、キミたち。

仕事は午後5時が期限。翻訳作業は一応寝る前に完了させたけど、見直し、書き直し、手直しの作業がある。これが、めんどくさい文書だと、ググって見つけた参考資料を検索して用語を確認したり、(保存した資料はワタシの参考文献のデータベースに残るから)その用語をさらにググって用例を確認したりで、けっこう手間がかかる。結局は午後5時ぎりぎりに完了して、納品。ふあ~くたびれた。冷たい水を飲んで、猫みたいな大きな伸びをして、肩の凝りをほぐしていたら、カレシが「腹へった~。ディナーはな~に?」と来た。ディナーはな~にって、仕事に没頭していたおかげで、全然考えていなかったから、何の準備もない。さあ大変・・・とあわてるところだけど、こういうときには手っ取り早くできる「非常食」。

フリーザーからビンナガとハマチの小さい塊とアサリ1袋と明太子1本。大きなボウルに袋ごと入れて流水で解凍。その間に1合くらいの米を鍋にかけて、岡山の日本酒を冷蔵庫に入れて、薄いしょうゆ味のダシを作って、ねぎを刻んで、大根を超薄切りにスライスして・・・。ご飯が炊き上がるを待つ間にマティニを一杯。ご飯ができたら、ねぎとアサリをダシに入れてスープを作り、ご飯に明太子を混ぜ込んで、マグロとハマチをスライスして、カレシが冷酒を注いでいる間に盛り付けて、マグロとハマチの刺身、アサリとねぎのスープ、明太子ご飯の非常食メニューができあがり。所要時間40分・・・。それにしても、夕食時間になってあわてて作るはちゃめちゃメニューの方がわりとごちそうっぽくできるのはどうしてなのかなあ。

さて、明日の月曜日は三連休の最終日。ま、フリーランスの自営業にはカレンダーの日付の色なんか関係ないんだけど、それても、今しばらくは仕事が入って来ないように祈りつつ、息抜きにパズルなどやろうか・・・。

ハッピー・マンデーなのを忘れてた

5月23日。月曜日。何だか眠っている間中いろんな夢を見ていたような気がする。二本立てどころか、三本立て、四本立て。目が覚めて意味をなさない細切れのシーンだけを何となくしか覚えていないのは、悪い夢じゃなかったということで、趣旨は単純だけど、過程がめっちゃややこしい仕事をしていたもので、ちょっとばかり脳みそのデフラグが必要だったんだろう。かといって、まだ鼻の片側が詰まっているから、別に頭がすっきりしたという気分はないなあ。

でも、今日は仕事なしだから「週末」ということで、サボっていた家庭の事務処理をやることにする。会計事務所に所得税申告の手数料を払うのに、古いファックスマシンを臨時につないで、クレジットカードの情報を送る。それから、来月の網膜検査の予約を午前から午後に変えてもらうように交渉しようと、眼科に電話したら、あら、留守電。あ、そっか、今日はビクトリアデイ。日本で言うハッピー・マンデイの月曜日なのをすっかり忘れていた。(夜になって酒屋に行ったら、ここも休日時間で、午後6時には閉店してしまっていた。いろんなお酒を切らして、かなり長いリストを持って行ったのに・・・。)きのうまでは三連休、三連休と言っていたのに、週日も週末も祭日も区別がつかないのんきな暮らしをしていると、時にはこういう「不便」もあるってこと。

ラジオでは「郵便組合はまだストの通告をしていないので、水曜日は平常通り郵便が配達される予定」。へえ、ストをやると張り切っていたんじゃないかったの?法律では72時間前に雇用者側に通告すれば合法的にストができる。それをしなかったのは、連休で労使とも休みだったからだったりして。まあ、インターネットや携帯が主流になった今は、郵便配達が途絶えても昔ほど困ることはないから、かってごり押しでならした郵便労働組合もストの効果に疑問を感じているのかもしれないな。ワタシがカナダに来たばかりの頃には1ヵ月半も郵便ストが続いたっけな。あまりいつまでも続くもので日本の郵便局はカナダ向け郵便の受付停止にしたそうな。国際電話はバカ高かったから、郵便がない間は日本とはほぼ音信不通だった。

振り返って考えると、あの頃(1970年代半ば)はストが多発していたような記憶があるな。政権が中道の左に振れたときにストがぐんと増えたような気がする。労働者に優しい政権ができたから、組合がチャンスとばかりに強気になっていろんな要求を出し、交渉がもつれてストになっていたのかもしれない。BC州などは、政権が変わるたびに労働基準法が改正されて、保守政権なら企業側に有利、左派政権なら労働組合側に有利というぐあいにくるくる変わったものだった。産業構造や労働環境が様変わりした今になってみると、嘘みたいな本当の話。特に
1975年は州内で市民生活を脅かすようなストが多発して、組合寄りのはずの左派政権が「職場復帰命令」を連発せざるを得なかったのは皮肉だったな。それで抜き打ちの総選挙をやったもので、あっけなく政権交代。ま、州で初めての左派政権だったから、革新を急ぎ過ぎて州民にそっぽを向かれたのかもしれないけど。

ラジオでニュース専門局を流しっぱなしにしていると、「国勢調査はお済みですか」というコマーシャルがかなり頻繁に入る。調査の基準日はもう2週間も前だったのに、よっぽど回答票の集まりが悪いんだろうな。「国勢調査の回答は法律で決められた義務。出さなければ罰金ですよ」と厳かな声で注意して、回答を呼びかけているけど、今回初めて基本的にオンラインで実施したせいで、どうしていいのかわからなくて無視を決め込んだ人たちが多かったんだろうな。だいたい公用語の英語とフランス語だけでは何が書いてあるのかわからない人たちも多いだろうし、文化的に政府に個人情報を知られるのを嫌がる人たちも多い。未回収率が高いと国勢調査のデータの信頼性が揺らいでしまうけど、どうやって追跡するんだろう。(我が家には該当しないから開封もしなかった「ベースメント」の分の用紙がまだあるんだけど・・・。)

おや、新聞におもしろい見出しがあるぞ。「可能性はゼロではない」は「事実上ゼロ」と同じって、そんなのありえるの?ワタシだったら、「ゼロではない」と言われたら、1%でも2%でも可能性は「ある」と思うし、「事実上ゼロ」と言われたら、可能性は「まずない」と思うけどな。ひょっとしたら日本語ではそうじゃないのかなあ。考えて見なきゃ・・・。

幸福度の指標から考えること

5月24日。火曜日。不思議な夢を見ていた。たくさん人がいて、そのうちの女ばかり4人ほどで歩いているうちに、誰かが「彼女、いないよ」と言うので振り返ったら、いっしょにいたはずの「彼女」がいない。気をつけて見ているからと言って、前にいた2人を先に行かせ、「彼女」を探していろんな群集シーンを通り抜けているうちに、何台ものバスが止まっていて、人が行列している広場のようなところに出た。それが人を探す夢によく出て来る「日本のどこかの観光地の駐車場」のようなところ。行列の中に「彼女」の姿を探していたら、バスが一斉に潮が引くように出て行ってしまった。はて、いなくなった「彼女」は誰だったんだろうな。ワタシはバスに乗り損ねたのか、それともみんなを見送ることになっていたのか・・・。

起きてみたら、右手の中指の付け根が痛い。手を握ると関節がカクカクする感じ。ばね指になってしまったのかな。ばね指はゲリラみたいに指から指へ移動して回る関節炎よりも痛いから困る。ついてないなあ、まったく。シアトルで作ってきた打ち身は、膝の皿はすっかり治ったけど、脛は内出血がくるぶしの下に流れて来て、まるで「足首捻挫、全治1ヵ月」みたいなすごい紫色。よっぽどガツッとぶつけたらしく、少しすりむけたところがたんこぶになっているけど、何にぶつけたのかはまったく覚えがない。いい年して酔っ払うもんじゃないよね。足を突き出して、ほらっ!とカレシに見せたら、「すげぇ。相手の方はいったいどれだけすごいことになってんだか、見てみたいな」。相手って・・・はあ?

新聞を見たら、OECDが国民の実感に近い豊かさの指標として「幸福度指数」(Your Better Life Index)なるものを作ったそうで、住居や所得、環境、雇用、教育、生活の満足度、ワークライフバランス、安全、コミュニティといった11項目を数値化して平均したら、幸せな国民第1位はオーストラリア、第2位はカナダ。なるほどっ。ワタシも生活に満足していて、いろんな意味で生活全体に豊かさを感じる。OECDの国別評価を見たら、オーストラリアとカナダはほとんどの項目でほぼ互角だった。日頃から似ているところがたくさんあるとは思っていたけど、おととしシドニーに行って、バンクーバーとは確かにいろんなところが違うんだけど、それでいて何となくわかり合えるというか、親近感がいっぱいな感じがした。ま、オーストラリアには仕事の内外で親しい友だちがいるからかもしれないけど。

日本はと見ると、総合指数が加盟国34か国中の19位。意外に低いなあと思いつつ、いろんなサイトの解説を読んでいるうちに、教育や安全、所得はたしかにトップクラスだけど、「生活の満足度」や「ワークライフバランス」が低くて、全体的に下がってしまっているらしいとわかってきた。自分の生活に満足している人は40%(OECD34ヵ国の平均は59%、カナダは78%、オーストラリアは75%)。ちなみに、5年先には満足していると思うかと言う質問でも日本は40%で、加盟国中でずっと下の方。おまけに、自分を健康だと思う人の割合は33%(OECD平均は69%)だったそうな。ほんとうに不満いっぱいで不健康な人たちだらけなのか、それとも単に悲観的な文化なのか、どうなんだろうなあ。

そういう文化なのか、今の社会の風潮なのかはわからないけど、掲示板やいろんなサイトの投稿や記事を読んで、今の日本の人は幸せではないのかなという思うことが多い。ローカルの日本人の掲示板などはとっくににいちゃんねる化して、もう興味もほとんどなくなったけど、それなりの理由があって海外に出て来たんだろうに、何もかも不満と嫌悪。まあ、この人たちは日本でも同じように不満だらけだったんだろうけど、自ら身をおいたはずの異文化に背を向けて、カナダが嫌い、カナダ人が嫌い、中国人が嫌い、韓国人が嫌い、カナダで(自分より)うまくやっている日本人が嫌い・・・。いちいち本気で読んでいたらこっちまで欝っぽくなってしまいそう。

だけど、外国に来て不興を託っている人たちに留まらず、日本人は本質的に欝っぽい国民なのかなと思うことはよくある。(ローカル掲示板でこれを言うと、110%の確率で「日本人のくせに日本/日本人のことを悪く言う外国かぶれ」とか「在日の反日発言」と炎上するだろうな。)もし「欝っぽい」というのが不適切なら、「否定的」または「消極的」、つまり「ネガティブ」な性質と言った方がいいかもしれない。でも、これは実はカレシについても言えることなので、日本人の専売特許じゃないんだけど、それでも、不満感や不幸せ感の大きい人の割合が高いと、国の単位で測定したときに「日本人の幸福度は34ヵ国中19位」という結果になるんだと思う。まあ、そういう結果について、どうしたいのかは日本の人が考えることだと思うけど・・・。

ひとつだけ笑ってしまったのは、幸福度第1位のオーストラリア以下どの国でも、「所得」の項目の満足度あかな~り低かったこと。豊かさを感じて満足している人たちでも、「これでもっと収入が多ければもっとハッピーかも・・・」と思っているということだろうな。ずっと昔、「お金で幸せは買えないけれども、お金があると今ある幸せが倍になる」と言った人がいたけど、自分をあまり幸せと思えない人にとっては、たとえ大金が入って幸せが倍になっても所詮は「微増」どまりで、実感がないかもしれない。それじゃあ、いくらお金がたくさんあっても、欝っぽくなるだけかもしれないな。「豊かさの感」はお金の多寡やモノの量だけで測れるもんじゃない。だからOECDはお堅
い経済指標よりも「実感」に近い豊かさの指標を作ろうとしたんだと思う。ま、何が「幸せ」かも、最後的には人それぞれなんだけど・・・。

いよいよスタンレー・カップ決勝戦だぞ

5月25日。水曜日。ずいぶん咳をして、起きてみたら何だか気管支炎に発展しそうな気配。やだなあ。気管支はワタシの急所みたいなもので、風邪そのものが「ちょっと風邪気味」で終わっても、なぜか後で本格的な気管支炎になることが多いから困る。10年くらい前までは、ずっと体中の骨が分解しそうな「喘息」に悩まされていたけど、いくら精密検査をしても、気管も肺もいたって健康で、執拗な咳の原因になるものが見つからず、結局は「心因性」ということになった。でも、今はどうなのかなあ。まだ自分で感知できないストレスがあるんだろうか。まあ、とりあえずトレッドミルで走って風通しを良くしたらいいかも。

きのうの夜は、カナックスが3勝1敗で臨んだNHLの西部カンファレンス決勝第5試合で、延長ピリオド2回目で何だかあっけないけど劇的なゴールで勝って、念願のスタンレー杯決勝に進出。カレシが英語教室から帰って来たときは2対2のままで延長戦に入ったところで、ワタシが合流して酒屋に行ったらみごとにがら空き(道路もがら空き)で、店内に実況が流れ、店の人たちはみんな大型テレビがあるイベントコーナーの方を見ていた。一度だけ業務連絡で音声が途絶えたら、一斉にブーイング。これでもみんな一応は州政府の「公務員」なんだから、のどかなもんだ。(昔は横柄なのが多かったけどなあ・・・。)切らしていたものを全部カートに入れて、ついでにワインを買い足して、レジに行ってもまだ試合は白熱中。今どきはスキャナでピッとやるし、こっちは勝手に空き箱とトートバッグに詰めるし、支払はチップ入りカードを自分でキカイに差し込んでピッピッとやるから、レジ係がテレビの方を向いたままでも支障はない。

酒屋を出たときは延長第1ピリオドの残り時間5分。道路はほんとにがら空き。街中が息を詰めているような感じ。帰り着いてガレージに入れて、エンジンを切ったのが残り時間30秒。家の中に入ってテレビをつけたら、決着がつかないまま延長第2ピリオド。同点はありえないから、どっちかがゴールを決めるまで何回でも延長する。こうなったらもう死闘だな。で、パックがどっちかのネットに入ったところで(入れられた方は)サドンデス(頓死)。いやあ、プロスポーツの用語は荒っぽい。テレビの前に陣取ったカレシをおいて、ワタシはオフィスへ。リラックスしてゲームなどしていたら、カレシがどどどっと階段を下りてきて、「信じられないゴールだ!」と興奮して報告。おお、やっと勝ったんだ。その「信じられない」ゴールを見に、カレシの後についてリビングに。敵も味方も跳ね返ったパックを見失って、ホイッスルが鳴るのを予期するような動きになったところで、ブルーラインの内側でみんなの後にいたビエクサが自分の方へころころと転がって来るパックを見つけて思いっきりシュートして、まっすぐゴール。一瞬、敵も味方も「あれ?」という顔・・・。

試合の後で行われた西部カンファレンス優勝のキャンベル杯授与式では、キャプテンのヘンリク・セディンがテーブルに置かれた優勝杯の後ろに立って写真撮影。ここで選手が優勝杯に手を触れるとスタンレー杯を取れないというジンクスがあるから、手渡しをしないことになっている。ダウンタウンはその後がすごかったらしい。市の方でグランヴィルストリートのバスをあらかじめ迂回させてあったそうで、何千人いるんだか、道路はびっしり人、人、人。顔中をチームカラーに塗って、カナックスの旗やタオルを振り回し、サッカーのワールドカップでなじみになったブブゼラまで持ち出してのにぎやかな路上パーティ。そうだよなあ、17年も「来年こそは」と待ち続けて来たんだもんね。去年のオリンピックのホッケーでカナダが金メダルを取ったときの光景とまったく同じなのは、良い兆しだな。オリンピックで誰彼かまわずみんな一緒に祝って楽しむことを学んだんだろう。平日だというのに、夜中を過ぎてもまだパーティは続いたそうだから、今日は遅刻したり、二日酔いで病休を取った人がけっこういたんじゃないのかなあ。でも、たぶん大目に見てもらえたかもね。

泣けるのは心が健康だということ

5月26日。木曜日。気管支炎どころか、もろに風邪のような感じ。午前8時過ぎあたりから猛烈な咳が出始めて、咳止めドロップをなめても効き目なしで、息もつけない。そんなときに限って、カレシががばっと起きて、「うるさくて眠れない!」と一喝。こっちもがばっと起きて、何でそんなことを言うのよっとやり返したら、「ごめん、寝ぼけてた」と平謝り。へえ、そうなの。昔よくあったよなあ。例の「心因性喘息」に悩まされていた頃、窒息しそうなくらい咳き込んでいるワタシに「うるさい。眠れない」。時にはベッドから追い出されたもんだけど、ふむ、寝ぼけて地が出ちゃったと言うこと?

しゃくにさわるから、ベースメントのソファに移動して横になっていたら、こそこそと下りてきてコンピュータの前に座ってなにやらカチャカチャ。(ストーカーしなくてもどこへも行かないって。)しばらくうとうとして、トイレのついでに空っぽのベッドに戻ったら、しばらくして「ボク、腹へったから朝食するけど、キミも食べる?」と言って来た。もう少し眠りたいと言ったら、「ボクだってそうしたいよ」とか何とか言いながら下へおりて行ったけど、10分も経たないうちにごそごそとベッドに戻って来た。2人とも何とか眠りについて、起床は11時過ぎ。何となくばつの悪そうな顔で、やたらとやさしい。あのね、昔のような心因性喘息だったら考えなくちゃならないけど、これは正真正銘の気管支炎なのっ!カレシ曰く、「ネットで調べたら、1週間ぐらいで治るってさ」。もう・・・。

小町などではよく「モラハラ/DVは治りません」と言う書き込みがあるけど、治らないのは行動の根底にある性格だと思う。生育の過程で固まった性格は本人が変えたいと思ってもおいそれとは変わらない。ましてや他人が変えようとしても変えられるものではないし、第一に変えようとすることで自分もモラハラのあり地獄にはまってしまいかねない。でも、本人がそのつもりになれば、モラハラ衝動をコントロールすることはできる。ただし、自分をコントロールするにはかなりの精神エネルギーが必要になる。衝動や感情で他人をコントロールしようとする方がどれだけ楽なことか。そのあたりが「モラハラは治らない」といわれる所以だと思うけど、カレシも何らかのストレスがたまってくると、コントロールが外れて、つい昔の「モラ行動」が出て来ることがある。でも、その「うっかりモラ」が効き目をなくしたのは、ワタシも自分をコントロールすることができるようになったからだと思う。カレシはワタシじゃないし、ワタシはカレシじゃないし・・・。

産経に『悲哀に寄り添う』という、関西学院大学の野田教授のエッセイが載っていて、その2は「悲しみを抑圧する社会の危うさ」というタイトル。圧倒的な「がんばろう」の声の前に悲しみが抑えられている、あるいは隠されているといい、ある番組で女性キャスターが何度も「家をなくし、職をなくした被災者の方々」と言うのに「家族を亡くした・・・」と言わないのが奇異に感じられたと書いている。英語のメディアの災害報道には「Loved Oneを亡くした人たち」という表現が頻繁に出て来る。ずばり「家族を亡くした人たち」のことで、先日の大竜巻の報道でも使われている。どうして「家族を亡くした被災者」と言わないのか。親や伴侶、子供を亡くした人たちに向かって「あなたはがんばろう」といえるか、と野田教授は問う。ちょっと引用させてもらって・・・

『「がんばろう」のかけ声は、抽象化された「被災者」一般に向かって発せられているのであって、具体的な人の顔を思い浮かべていない。テレビ、役場にあふれる「がんばろう」「希望」の貼り紙におされて、悲しむ人は自分を抑える。第三者は悲惨な話に触れるのは辛(つら)いので、無自覚なまま逃げ、けなげな話題に関心を向ける。こうして、悲哀が圧迫されてきたのではないだろうか。』

悲惨な話だけではない。人の悩みや苦しみや不幸に触れることを嫌がり、自業自得、自己責任といった言葉を投げつけて退けようとする人は多い。カレシもそういう傾向が強い方だけど、観察してみると、共感性がないからというよりも、相手の話によって触発される自分のネガティブな感情に対処できなくて、その苦痛をもたらした相手に責任を転嫁して攻撃してしまうらしい。悲しみのどん底にある人に「がんばれ」というのも、勇気づけたい、元気づけたいと言う善意は疑わないとしても、一見ポジティブながら、どこかに「自分のネガティブな感情」に触れられないようにという自衛的な要素が含まれてはいないんだろうか。もうちょっと引用させてもらうと・・・

『いまなお架空の武士の生き方・死に方を理想として称揚する日本社会は、泣かないこと、悲哀を耐える形の美しさを強調してきた。それが不幸に直面した人々に対し、いかに残酷に作用してきたか。』

ワタシのドクターは話を聞いてもらっているうちに泣き出すワタシに、「泣くのはいいことだ。泣けるのは心が健康な証拠。泣けなくなったらすぐに相談に来なさい」と言い続けた。「がんばれ」の「頑」は頑迷、頑固の頑。「かたくな」とも読む。でも、人間の心は長いこと頑なであることを強いられていると、いつかは折れてしまう。悲嘆にくれている人には、「がんばれ」と言わずに、黙ってハグしてあげて。

たかが学歴、されど学歴、だけど窮屈

5月27日。金曜日。午前7時過ぎに咳が始まった。すぐに咳止めドロップを口に入れて、そこへ急に猛烈な寒気がしてきたので毛布を1枚足して、咳が静まるの待つこと20分ほど。弾みでドロップが気管に飛び込んだりしたら一大事だからと注意しいしいの咳なもので、カレシは目を覚まさなかったもよう。ワタシもそのまま11時過ぎまで眠ることができた。起きたら、きのう鼻づまりで重かった頭が軽くなっていて、まだ咳は出るけど胸のあたりもつっかえが取れたように楽になっていたからびっくり。ひょっとしたら、寒気がしたときにどどっと熱が出て、ウィルスも細菌も瞬時に炎上したのかも。何だか瞬間湯沸し器みたいな・・・。

世界的に天候不順と言う感じで、バンクーバーのあたりも4月からこの方、過去55年で最も低温というありさま。5月も終わりだと言うのに、今日も雨しょぼしょぼで、ポーチの温度計は午後になっても10度を越えるのがやっとこさ。これじゃあ生理機能も狂ってくるかな。日本にはもう台風が接近中とか。「5月に台風って普通ですか」と小町で聞いてみたいくらいだけど、ほんと、子供の頃に番号がひと桁の台風なんてなかったと思うな。(もっとも、めったに台風が台風のままで来ないところの生まれ育ちなもので知らないだけかもしれないけど。)まだ5月だというのに、東京のあたりはもう梅雨入りだそうで、やっぱり天候不順だな。

また週末置きみやげの仕事があるけど、何かめんどうだし、夜はコンサートがあるから、今日は「休日宣言」。たまった洗濯をするつもりだったのがど忘れして、午後いっぱいはだらだらとネット三昧。おもしろいことはないかなあ、と小町横町をぶらついていたら、またまた「学歴論争」。今度は商業高校卒の女性と一流大学院卒の男性の結婚は難しいのかという悩み。300本以上ある書き込みでは「難しい」、「やめておけ」という意見が圧倒的で、そのほとんどが自称「高学歴」。結婚するのに学歴なんか関係ないと言えるのは学歴がない人たちで、高学歴階級の人たちにとっては「一族の存亡の危機」のような問題であるらしく、大学に進学するのが「あたまりまえ」な世の中で(日本の大学進学率は実は50%前後だそうな)大学を出ていないのは、育った家庭の環境、価値観、本人の能力や向学心に瑕疵ありということで、「嫁」として不適格と判定されるらしい。

日本で結婚しなくて良かったなあ。と言っても、ワタシが結婚適齢期だった頃は高卒女性の方が嫁候補としての価値が高かったんだけどなあ。それにしても、建前では「格差は良くない」と言いながら、本音ではあらゆることにものさしを当てては(自分が優位に立てそうな)違いを言い立てて、せっせと「格差社会」を作っているように見える。いつから日本は「カースト社会」になったのかいなと思ってしまうくらい。「恋愛するだけならいいけど、結婚となると話は別」って、「遊びで付き合うだけならいい」ということかな。つまりは婉曲的に「その程度の女」と言っているということかな。(学生時代にキャバクラのバイトをしても、大学卒ならいいのかな・・・。)職業によっては学歴や資格が要件になるのはわかるけど、男女の合意によって新しい家庭を作るのが結婚でしょうが。まあ、平等(みんな同じ)が強調されればされるほど、「自分」を目に見える形で(他人より一段上に)差別化したくなるものなんだろうな。

東京大学の社会心理学の教授を交えた国際チームが、社会的規範の厳しさや規範から外れたときの罰の強さなどの「文化の窮屈さ」を世界33ヵ国で測定したところ、日本は8番目だったと言う記事が読売新聞サイトにあった。「窮屈さ」はそれぞれの文化が歴史的に直面してきた社会的な脅威の大きさと関連しているんだそうで、日本については人口密度の高さや自然災害の頻度が影響しているらしいということだった。ま、高学歴対低学歴、専業主婦対兼業主婦、子持ち対子なし、既婚対非婚、首都圏対地方等々、果てしなく水掛け論的な優劣争いが続く二項対立文化もかなり窮屈そうだなあと思うけど、どんな「社会的脅威」が影響しているのかな。

60代でもジーンズにTシャツはあり

5月28日。土曜日。咳き込んだのは一度だけ。なぜかいつも寝付いてから3、4時間後というのが不思議。でも、風邪気味は抜けたようだし、気管支炎も峠を越したと言うところで、とたんに機嫌が良くなるから、ワタシってげんきんだよね。

ゆうべはVSOポップスのコンサートに出かけた。シーズンチケットを持っているシリーズの最後のコンサートが先々週のシアトル行きと重なってしまって、代替としてカレシが選んだのがポップスの「コットン・クラブの夜」というジャズコンサート。クラシックならイブニングドレスくらい着てめかし込むところだけど、カレシがジーンズで行くと言うので、ワタシも裾にずらりとビーズがぶら下がっているラメ入りのおしゃれTシャツといういでたち。モールまで車で行って、そこから地下鉄に乗れば歩くのはせいぜい2ブロックだからと、気温が10度近くに下がっているのに、Tシャツ一枚で出かけてしまった。いい年なのにいったい何を考えているんだか・・・。

コットン・クラブは「Roaring Twenties」と言われた1920年代にニューヨークのハーレムにあったナイトクラブ。ミュージシャンやダンサーはすべて黒人、客はすべて白人だったそうな。デューク・エリントンはクラブの専属バンドだった頃に数多くのジャズの傑作を書いた。ギャングが活躍?した禁酒法時代のことだから、経営者や客筋にまつわるエピソードは数知れない。ゆうべのコンサートは、ゲストがバンクーバーに住みついたというトランペットとヴォーカルのバイロン・ストリップリング、女性ヴォーカルはカーメン・ブラッドフォード、ヴォーカルとタップダンスがテッド・レヴィ。白いジャケットのブラスセクションと黒いジャケットのストリングセクションを両側に配して、中央にドラマー、そして、おお、ベースはあのジョディ・プロズニク!

ジョディ・プロズニクはバンクーバー生まれの女性ジャズベース奏者で、大きなベースの後ろに隠れてしまいそうな小柄な人だけど、そんなことは感じさせないパワーがある。バンクーバーに彼女の母校マギル大学の同窓生の組織があって、その親睦会に揃って卒業生のイアンとバーバラのゲストとしてときどき招待される。その中のひとつがジョディ・プロズニク・カルテットの演奏会で、コンサートホールやクラブとは違うプライベートな雰囲気の中でごく間近に演奏ぶりを見ることができた。そのとき、演奏の後でジョディと直接話をする機会があって、話の流れで彼女にベースをひょいと手渡された。そっと持ち上げてみたけど、思ったより重くて、弦が太いから指で弾くにはすごい力がいりそうだった。それをワタシとさほど背丈が違わない彼女がいかにも楽々と演奏しているのが強烈な印象として残った。それ以来、ワタシはジョディのファン・・・。

古き良きスイング時代のジャズを堪能して、何となく芯まで温まった気分になって、クラビングの若い男女で溢れる金曜日の夜のダウンタウンを、還暦過ぎの極楽とんぼばあちゃんはジーンズにTシャツ一枚の軽装で、カレシと手をつないでうきうきと闊歩?して、地下鉄に乗って帰って来た。はて、日本でやったら卒倒する人が続出しそうな「浮いた身なり」ということになるのかな。へたをしたら、掲示板に「60代なのにジーンズにTシャツなんて!」と憤られてしまうかもしれない。そんなんでも風邪がぶり返さなかったのは、きっと悪運が強いんだろうなあ、ワタシ・・・。

学歴の差も何十年もいっしょだと

5月29日。日曜日。いい天気だけど、う~ん、まだイマイチ初夏の感じがしない。それなのに、カレシは今年の前庭は何もかも野放図にでっかく育っていると言う。業者の人が来て植木の周りに肥料を注入して行ったせいかな。こんなんだったら野菜を植えた方がいいかも、というカレシ。前庭にトマトって・・・ま、塀と背の高い生垣で二重に囲ってあるから、菜園にしてもきっと外からはわからないだろうな。たとえば、きゅうりのつるが楓の木を登って、枝からきゅうりが鈴なりということにでもなったら目立つかもしれないけど。

カレシが着るものがなくなったというので、今日はまず洗濯。ランドリーシュートを開けたら、なだれ落ちて来そうなくらいのたまり様。まさにぐうたら主婦ってところだけど、ワタシは「主婦」業はやってないの。「ワイフ」業はやっているけど、家事はおひとり様だったら当然やらなければならないことをやっているだけ。だけど、この洗濯物のたまり具合から見たら、相当にぐうたらなおひとり様ってことになりそう。洗濯機を回しておいて、きのうやり残した仕事にかかる。期限は午後5時だから、まっ、何とか間に合うか。いつものんきに「何とか間に合うか」と言っているような気がするけど、これでは自営業の方でもぐうたらかな。まあ、おいしいご飯が食べられたら、ぐうたら暮らしは悪くはないけどね。

カレシが庭仕事をしている間に、極力まじめに仕事。変なフォーマットになっているから、それを崩さないようにする方が肝心の翻訳よりも手間がかかる。それでも、たいして込み入った内容でもないから、ちょっと余裕で間に合って完了。もっとも、終わった洗濯第1ラウンドをドライヤーに入れて次のラウンドを回すのをケロッと忘れたし、カレシがセットしてあったブレッドマシンの種からパドルを抜き取るのもケロッと忘れて、焼きあがったパンは底に大穴が開いたし。まっ、それだけ大まじめに仕事をしたと言うことで、納品して、本日の営業は終了・・・だといいんだけどなあ。(そうはおろさないのが問屋さんで、とりかえっこみたいに次の仕事が。あ~あ。)

夕食のしたくを始めるのを忘れて例の「高卒・院卒カップル」のトピックを読みふけっていたら、カレシが「腹へった~」。で、おもしろいことでも書いてあるのかと聞くから、高卒の女性に対して高学歴階級のお歴々が、学歴の差がありすぎて知識や教養や語彙のレベルが違うから話について行けないだろうし、育った環境が違うし、それぞれの家族の価値観も違うから、結婚はやめておいた方がいいというスレッドだと言ったら、カレシ曰く、「そんな程度の違いで同じ国の人間と結婚できないなんて言ってたら、国際結婚なんか端からできないんじゃないのかな」。

う~ん、なかなかおもしろいところを突いているな。異国人が相手だと、学歴云々の前に、言語が違うから話について行くのが大変だろうし、文化が違うから常識的な知識も教養の範囲も違うだろうし、価値観も違うだろうし、育った環境なんかまるっきり違うんだし、小町横町の人たちの基準から見れば、何から何まで違いすぎて、結婚そのものが論外ということになりそう。だけど、毎年何千人もが「何もかも違う」異人さんと結婚するのは、是非を判断する基準が日本人が相手の場合と違うのかな。社会心理学のテーマにしたらおもしろいかも・・・。

夕食は久しぶりに骨付きラムをギリシャ風にローストしたら、あら、いつまでも肉が胃の中に残っている感じで、ランチの時間になってもおなかが空いて来ない。魚中心のメニューになってから、たまに肉を食べると消化に時間がかかるようになった。そういえば、カレシは生野菜も一度にたくさん食べると消化不良になるとこぼすようになった。柔らかい魚ばかり消化するようになって、胃袋がぐうたらになってしまったのかな。ま、ただの老化現象かもしれないけど、この頃の2人、何だか似てきたところもあるねえ。ふむ、「ワタシ高卒、カレシ学位2個と士のつく資格」の身の丈違いの2人だけど、36年も経ってしまうとこんなもん・・・

塀の中を覗けるおもろい商売

5月31日。火曜日。5月も今日で最後。相変わらず低温気味。この夏は「高温少雨」の傾向だったはずなんだけど、もしかして「夏が来るとしたら」という大前提が付いていたのかな。世界中のあちこちで寒いらしいので、あんがい地球温暖化は中止になって、逆に寒冷化に向かっているのかもしれない。デイヴィッド・スズキみたいなのが「氷河時代が来る!」と触れて回っていたのはそんなに昔じゃないし、そのうちにまた「やっぱり氷河時代の方が正解だ」なんて言い出すのかな。(なんて言っていたら、トロントは30度で、ヒュミデックス(体感温度)は40度。うわぁ、あっつぅ・・・。)

ほぼ1週間ぶりでかなり普通に眠れたので、今日は元気いっぱい。咳で目が覚めたのは一度きりで、それもゴホゴホと2回くらい。咳止めドロップを口入れる必要もなくまた眠ってしまった。日本で買って来た咳止めは良く効くし、砂糖なしなのでいいんだけど、朝には舌が白くなっていて、ざらざらしてヘンな味がするもので、起き抜けからうぇ~という気分になって困る。あんがい、砂糖の代わりに入っている甘味料のせいかもしれない。ま、何にしても、「薬」と名の付くものは、使わないで済めばそれが一番ということかな。(ま、ワタシは飴玉の類をなめるのがあまり好きな方ではないし、薬を飲むのはめんどくさい方だから、そう思うんだろうけど・・・。)

朝食後はゆっくりと仕事にかかる。日英訳は当然日本語の文書を英語に翻訳するわけだけだから、日本で日本人が日本人向けに書いた(海外への発信を想定していない)ものもかなりある。そういうのでも、外国資本が入っていたりすると、内部報告を親会社などに英語で出さなければならない場合があって、そういうのが高度な専門分野を看板にしていない「何でも屋」のワタシのところに頻繁に回ってくる。たいていは請求額の小さい仕事だけど、地道に拾っていればそれなりにけっこういい商売になるし、なによりも、日本の企業文化の「内情」がいろいろと読み取れるのがおもしろい。それを英語思考の人間が読んでわかるようにするわけだけど、ちょっとのぞき趣味的なこともあるし、逆に、やっているうちにこっちまで欝っぽくなるようなこともある。だけど、特に人間関係が絡む問題になると、日ごろ小町横町の外野席で見ている今どき日本の「世情」と一致するから、ま、メディアと言う「建前」に対峙する人間社会の「本音」を垣間見せてもらっているようなものかな。

ただし、その「本音」は必ずしも日本だけの心理というわけではなくて、人間なら多かれ少なかれ持っている性格が、時(今)と場所(日本)と場合(ポストバブル環境)によっては「主流」になって、たとえばOECDの「幸福度指数」とか「文化の窮屈さの研究」といったことによって数値化されることで、日本の外で(ステレオタイプ的ではあるけど)やや具体的なイメージが形成されるんだろうと思う。もちろん、逆も然りで、ある国や文化や人に関する雑多な情報が交錯して、それを外にいる人間がどこまで弁別、解析できるかによって、日本人の間に(ステレオタイプ的)なイメージが形成されるのだと思う。それがまたそれぞれのこだわりや思い込みの強さによって、固まったり、流動的だったりするわけだけど。

問題は、そうやって出来上がった相手方のイメージを、「そういうものか」と受け取るか、「生理的に受けつけない」と拒絶するか、「どうやって変えようか」と思案するか、あるいは「レベルが低すぎ」と侮蔑するか。これまた感性が異なる人それぞれに違うから、人間てのはほんとうにおもしろい動物。基本的には、どちらかというとネガティブな反応にはその人自身の心理が投影されていることが多く、そういう反応をする人はポジティブな反応をする人(とネガティブな反応をする他人)に不快感を持つことが多いように思う。TIME誌に「楽観は遺伝子に組み込まれた機能」という研究についての記事があって、「楽観すると言うメカニズムが備わっていなかったら、人間はみな軽度のうつ病になっていただろう」と言っていた。つまり、ものごとに総じてネガティブに反応しがちな人は楽観遺伝子がうまく機能していないということなのかな。それとも、本当に千差万別、十人十色の「感性」が楽観的な人と、悲観的な人を分けるんだろうか。

楽観的な人も悲観的な人も、それぞれがさらにサブカテゴリみたいな性格に別れるから、やっぱり人間は複雑怪奇。ま、それよりも、仕事の後は月末処理にかからないと先立つものが入って来なくなるから、よくわからないことに納得しているヒマがあったら、ちょっとあわてないと・・・。


2011年5月~その1

2011年05月16日 | 昔語り(2006~2013)
もうひとつ、10年のひと区切りかな

5月1日。日曜日。今日から風薫る5月。ふむ、「風薫る」というのは慣用表現だと思うけど、sweet wind of Mayか、それとも、fragrant windかな。それとも、windよりはbreezeに近いのかな。空の色合いが春から初夏の明るい青へ移って行くのを鼻で感じているようなところがあっておもしろい。日本語には嗅覚的な抽象表現が多いような気がするけど、それだけ鋭い嗅覚の持ち主が多いってことなのかな。まっ、いい天気で始まったから、きっとそよ風も芳しく薫っていることだろうな。

今日の日本はゴールデンウィークの「中休み」で、ワタシは夕方の納期を目指して仕事。ポカミスの始末書みたいな内容で、なんともしょぼい。それでも、経過をたどって行くと、サラリーマンがうっかりミスの「穏便」な収束にあたふたしているイメージが見えて来る。ミスのおかげで迷惑を被った相手方に「つきましては、ぜひとも今回の件は穏便に・・・」なんて口止め工作をしたのかなあ、なんてついちらっと考えたけど、まっ、うっかりミスだから世間に知られたって特に不都合があるようには見えないな。それでも、社内では上へ下への騒動だったんだろうけど。それにしても、日本語作文の質の低下ははなはだしい。(完全にバイナリ思考だし・・・。)一流の職場なんだから、みんな一流大学で教育を受けて、厳しい就活を勝ち抜いた人たちなんだろうに。

仕事を納品して、月末処理をして、夕食後をのんびりしていたら、CNNが「ビンラーデン死亡」のニュース。へえ、とうとうやったんだ。ウィキりークスもすっぱ抜けなかった隠密作戦らしい。大統領が特別声明で発表して、アメリカ中が沸いているそうな。もちろん、石川五右衛門の「浜の真砂は尽きるとも・・・」の通り、ジハードだとか何とか言って「異教徒」を殺すことしか頭にない人間や、殺意の標的にされるアメリカ人に「アメリカの態度が、過去の行動が悪いから自業自得」と言えてしまう人間がいる限りは、テロの脅威はなくならない。アメリカ人だってそれはよく知っている。それでも、彼らにとっては10年前のトラウマのひとつの区切りなのだ。アメリカ合衆国は宗教上の迫害を逃れて来た人たちが作った国。この世界では、自分を信頼して、自分の力と知恵で自らの存在する権利と尊厳を守るしかないということをよく知っていると思う。

たしかに、ニューヨークやワシントンに集まって喜ぶ大勢のアメリカ人たちを見て、「だからアメリカ人は・・・」と鬼の首でも取ったように軽蔑する人たちもいれば、「かえってテロが増えるではないか」と糾弾する人たちもいるだろうな。日頃アメリカ発祥の文物の恩恵に浴しながらもアメリカに嫉妬にも似た嫌悪感を持つ人たちもごまんといる。10年前だって「アメリカが自ら招いたこと」と言う人たちはたくさんいた。「自業自得だ」と。十人十色、人それぞれの反応があって当然だけど、殺人者をそっちのけで、殺された人に「おまえにも悪いところがあった」というのは、DVを受けている人に「あなたにも悪いところがある」と言うのと、DV人間が人を殴っておいて「殴らせるおまえが悪い」と言うのと、同じことじゃないのかな。人はテロとDVはレベルが違うと言うだろうけど、恐怖と暴力で他人を自分に隷従させようというのは同じじゃないのかと思うけどな。

まあ、ワタシが感じる限りでは、日本の社会文化は昔から「けんか両成敗」で人間関係の縺れを一刀両断するのが最善と思っているらしいから、テロにもDVにも虐待にも遭わずに生きて来られた幸せな人にはそれが妥当な解決策なんだろうな。どちらの側にも組しないから、何かあっても責任は降りかかって来ないし、選択を間違ったと糾弾される心配もないし、ことがうやむやになってくれれば、丸く治めた力量を評価されることになるかもしれない。加害者と被害者が明らか過ぎて両成敗が不可能であれば、「こういうことになるとわからなかったのか」と被害者の先見の明のなさ、人を見る目のなさを指摘してやればいい。10年前の9月のあの日をテレビでリアルタイムに見てしまったワタシは、そういう人たちからのまるで中世の異端裁判のような糾弾の嵐から脱出できたばかりだったのところだったな。だから、あの頃の深いトラウマとアルカイダのテロのショックとがダブってしまって、感情のうねりが大きくなってしまうのかもしれない。まっ、あのときに学んだことを忘れずに、自分を信頼して、自分の力と知恵で自分の存在する権利と尊厳を守って行かないとね。最後的にはそれしかないような気がするから。

番狂わせの総選挙が終わった

5月2日。月曜日。総選挙の投票日。小雨もよう。正午過ぎにのんきに起き出して、朝食をすませてすぐに近くの投票所へ出かける。選挙区は「バンクーバー・サウス」、投票ブロックは56で、投票カードの番号は369と370。この選挙区は東西にひょろ長く、西の端は何億円もする邸宅が並ぶ裕福な地区、東の端は中流の下くらいの人たちが多い地区と、所得格差のスペクトラムがやたらと広いもので、いわゆる「浮動選挙区」。現職は前回わずか二桁の票差で当選した野党自由党のウジャル・ドサンジ(インド系)で、対立候補は保守党がウェイ・ヤン(中国系)、躍進目覚しい新民主党がミーナ・ウォン(中国系)。道を歩いていくと、庭先に支持する候補の看板を立てている家がかなりある。一軒の家に2つの政党の看板が出ているのは、夫婦や親子で支持政党が分かれているんだろうな。きっと熱い議論が戦わされて来ただろうけど、まっ、選挙が終わったらまた元の通りに仲良くしなさいね。

投票所はコミュニティセンターの体育館で、ブロックごとの投票箱を置いたテーブルがぐるりと並んでいて、選挙管理委員会のスタッフが2人ずつ。ひとりが投票カードと身分証明(運転免許証)の名前と住所と顔写真を照合して、名簿の名前の横に確認済みのチェックマークをつけて、名前に線を引き、もうひとりがたたんだ投票用紙をくれる。それを後ろにある段ボールの囲いを置いたテーブルに持っていって、備え付けの鉛筆で投票用紙にアルファベット順に印刷されている候補者の名前の横の白い丸の中に✕をつけ、元のようにたたんで投票箱のところへ持って行く。ただし、そのまま投票箱に入れるのではなくて、用紙をくれた人に渡して、たたんだ用紙から突き出している照合用のタブを切り取ってもらって、返された用紙を投票箱に入れる。ワタシが先に投票を済ませて、離れたところでカレシが投票を終えるのを待っていたら、なんとカレシ、タブを取った投票用紙を渡されて、ひょいとポケットに入れようとしたから、テーブルの人が大あわて。ジャケットを引っ張られて、投票箱を指差されて、カレシの「清き一票」は無事に投票箱に収まったけど、この寝ぼけっ!

カナダは西から東までだだっ広い国で、いくつも標準時間帯がある。アメリカもそうだし、ロシアもそうだし、それはそれどうってことはないんだけど、選挙法で西端での投票が終わるまでマスコミは東部での開票結果を報道することが禁じられている。というのは、即日開票なもので、3時間先のオンタリオ州で開票が終わる頃には西の端のブリティッシュ・コロンビア州はまだ投票の最中。オンタリオは超巨大票田なもので、西部でまだ投票しているうちに選挙の大勢が決まってしまうことが多い。そこでとっくに判明した結果を知って西部の有権者が投票をやめてしまわないために報道規制を敷いたわけだけど、それがデジタル時代になって崩れてしまったから大変。前は全国一律で午前8時から午後8時までだった投票時間を、東部では午前9時から午後9時、平原部では午前8時から午後8時、西部では午前7時から午後7時に変更して時差を縮小してみたものの、フェースブックやツイッターなどで即時に情報が流れるから、報道管制は実質的に無意味になってしまった。テレビやラジオは規制できても、個人が主役のソーシャルメディアを規制することは難しいもの。

午後7時になったとたんにメディアはいっせいに開票結果の報道が始まる。西部の票がかなりのウェイトを持つようになったのは過去2、3回の総選挙からかな。アジアからの移民が増えて、西部の人口増加率が高くなり、それにつれてカナダ経済の軸足もだんだん西の方へ移動して来ている。二十一世紀は西部の時代と言えるかもしれない。国政を左右できるだけの影響力を実感するようになって、西部は報道管制など必要としなくなっているんだけど、「トロント=オンタリオ=カナダの中心」というプライドはなかなかそう簡単にはなくならないだろうな。(ちょっとテレビを見て来ようっと・・・。)

午後8時30分。保守党念願の過半数獲得が確定。万年第2野党だった社会主義政党の新民主党が議席3倍増で野党第1党(Her Majesty’s Official Opposition)に躍進。「国民は選挙を要求している!」とぶち上げて少数政権の議会を解散させた自由党は見るも無残なありさまで、党首のイギー自身も落選確実。長年議会を引っかき回して来たa thorn in the side(目の上のたんこぶ)政党のケベック連合は3選挙区でリードしているのみで、党首のデュセップも落選して、まさに風前の灯。速報に「デュセップはオレンジ色のツナミにのまれて潰えた」という見出しをつけたメディアもある。(オレンジは大躍進した新民主党のオフィシャルカラー。)ケベック州の分離独立派の勢力が弱まったということかもしれないし、ケベックの人たちがカナダからの独立を掲げる政党をカナダの議会に送り込んでも無意味だと悟ったのかもしれない。新民主党のレイトン党首がモントリオール出身というのも追い風になったかもしれない。

いずれにしろ、経済危機やら不況やらテロやらと落ち着かない世界で、5年間も不安定な少数政権の下でそこそこに繁栄して来たカナダだけど、やっぱり単独過半数の安定した政権が誕生するのは国にとっていいことだと思う。いくら世界第2位の広大な国土と莫大な天然資源があっても、人が少なすぎるカナダは「大国」とは言えないし、別に大国にならなくたって安定した実務的な政府が国を運営してくれればいい。それにしても、選挙というのはほんとに投票箱を開けてみるまでわからないもんだな。だって、けさの朝刊を見た限りでは、またまた保守党少数政権か、あるいは野党2党の連立政権が濃厚と言う予測だったんだから。まあ、カナダは1選挙区1議席のシステムを取っているので、世論調査の支持率の数字がどうであっても得票率が第2位では意味がないんだけど。

やれやれ、メディアを駆使しての選挙戦も終わって、あしたからはまた静かな日常。まあ、日本のように候補者が拡声器を載せたトラックで名前を連呼して走り回るというスタイルはないから、選挙戦といっても実は静かなもので、防犯意識が高まった今は候補者の戸別訪問もなくなった。うるさいのは各政党のテレビ広告とマスコミに出てああだこうだと御託を並べる政治評論家くらいのものかな。それでも、いかに政治好きなワタシでも毎日5週間も付き合っていればくたびれるし、3月、4月は何かと精神的な動揺が多かったから、元の日常に戻るのはうれしい。

心の中のお荷物も断捨離

5月3日。火曜日。久しぶりにすごく良く眠ったような気分。就寝はいつもより早い午前3時半だったけど、目が覚めたら午後12時半。取りとめのない夢を見ていたような気がする。その夢の中で、日本語だったか英語だったか覚えていないけど、マニフェストみたいなものをせっせと書き綴っていたような。選挙の影響かな。いや、いつも自分の中に潜んでいる別の(たぶん元の)自分と会話しているような、やたらと自問自答しているするようなところがあるから、あんがい自分宛のマニフェストだったのかも・・・。

だけど、朝食後にいつものようにネットの新聞サイトを巡回していて、なんとなく今までとはちょっと違う視点(あるいは受け取り方)で世の中の出来事を見ている自分に気がついて、切れ切れに記憶にある夢のことを考えているうちに、なんとなく「吹っ切れた」ような気分になったから不思議。これが心理学で言う「closure」なのかどうかはわからないけど、コンマ、コンマで、どこまでも完結しない文章に「ピリオド」がついた感じというか、ジグソーパズルのピースが全部きちっとはまったときの感じというか。夢の中で、ここ2ヵ月に見聞きしたいろいろなできごとから感じたことや自分なりに考えたことの整理がついたのかもしれないし、ひょっとしたら、ワタシが眠っている間にワタシの分身が心の中に積み上がった人生の「お荷物」の断捨離を決行してくれたのかもしれない。(お荷物はきちんと焼却処分してよね。リサイクル不可だから・・・。)

テレビ(少なくともカナダの)は総選挙のpost-mortem(検死)でもちきり。かって自由党が過半数を取っていた頃は淡々と報道していたのに、保守党が過半数を取ったら「カナダは大変なことになる」みたいな騒ぎようで、メディアの偏向が丸見えでおもしろい。少数政権とは言え、保守党はもう5年も政権を担当してきたんだけどなあ。惨敗した自由党のイグナチエフはハーパーが議会を2度も停会にしたことを民主主義を踏みにじるものだとして、選挙の争点にしようとしたけど、国民の関心はもっぱら経済、すなわち個人の懐具合。まあ、この「prorogation」という手段は国民を代表する議会の活動を止めるわけで、たしかに反民主的に見える。でも、元はと言えばイギリスの議会制度から受け継いだ立憲君主制ならではの正当な手続きで、総理大臣が勝手に発動できるものではないんだけどな。

意外と知られていないみたいだけど、カナダは立憲君主制国家。だけど君主はイギリスにいるから、その代理としての総督がいて、総選挙で第1党になった党の党首が総督のところへ行って「女王陛下の総理大臣」に任命してもらう。それで、議会開会のときに日本では総理大臣が「施政方針演説」をやるけど、イギリスでは女王が、カナダでは女王の代理である総督が「my government(朕の政府)はこれこれしかじかの政策を行う方針である」と読み上げる。だから、停会も君主の承認をもらわないとできないし、勝手にやったら君主(総督)は総理大臣を解任することができる。まあ、議会を停会にしたのはハーパー政権が始めてというわけじゃなくて、自由党政権もクレチエン首相が汚職疑惑で形勢が悪くなったときにやった。まあ、中道の左側がやるのは問題はないが右側がやるのは民主主義に反すると言うのは、「オレは浮気してもいいけど、妻のおまえがやるのは許せん」と言ってるのと同じような屁理屈だわな。

ま、ワタシが感じる今日のワタシがきのうのワタシとはちょっと違っていることはたしか。追々夢の中で書いていたマニフェストらしきものを記憶から引き出して来て読んでみよう。頭の中まで断捨離されてないといいけど・・・。

巷に溢れるリスクを回避する?管理する?

5月4日。水曜日。いい天気。いい気持ちで眠っているところをカレシに起こされたもので、何か寝起きが悪い。夕べ、テレビの前のリクライナーでいい気持ちで寝ているところを起こしたから、そのお返しなんだと。ふん、そうやってうたた寝するから肝心のときに寝つきが悪くなって困るとこぼしていたのは誰だったかなあ。ホッケーのプレーオフでカナックスがまたまた延長ピリオドに持ち込まれてるってのに舟なんか漕いでいるから、見逃すといけないと思って起こしてあげただけなんで、別にお返しはしていただかなくてもいいんだけど・・・へへへ。

選挙が終わってやれやれと思っていたら、今度は国勢調査のお知らせが来た。郵便で来るのは初めてで、やたらと薄い折りたたんだ紙が2枚。よく見たら、住所は我が家のものなんだけど、1枚は「MAIN」、もう一枚は「BSMT」と書いてある。うちはベースメントに間借り人はいないけどなあと思いつつ、とりあえずMAINの方を開いてみたら、見慣れた国勢調査の用紙じゃなくて、「アクセスコード」の通知。なるほど今回からオンラインでやるということか。紙の用紙でやりたい人はトールフリーの番号に電話すれば送ってもらえるらしい。そうか、戸建てのベースメントを間貸ししてローン返済の足しにしているところが多いけど、今までは臨時採用の人たちが戸別訪問して、貸し部屋の有無を確認して用紙を置いて行ったのが郵便ではできないもので、「念のため」に貸し部屋の分も送ることにしたんだろう。通知には「受領後10日。以内」に国勢調査のサイトにアクセスして回答せよと書いてある。それにしても、「BSMT」の分はどうしたらいいんだろう。国勢調査への回答は法律で義務付けられているけど、幻の居住者をでっちあげるわけに行かないし、関係ないからとぽいと捨てるのも危なそう。問合せ用の番号に電話して聞いてみるか。ああ、めんどくさ・・・。

朝食が終わったら、カレシはさっそく庭へ飛び出して行った。急に気温が上がったもので、温室にあった苗が急成長。放っておくとあっという間に種になってしまって、野菜は食べられなくなるから困る。涼しい方がいいらしいほうれん草やラディッシュはてきめん。そういえば、カレシはなぜかラディッシュの栽培が苦手。初心者でも簡単に栽培できる野菜のはずなのに、カレシのラディッシュは速攻でとうが立ってしまって満足に食べられたことがないから不思議。逆に園芸雑誌などで「育て難い」と書いてあるような花木ならうまく育つから、ますます不思議。園芸上手な人を「green thumb(緑の親指)」を持っていると言うけど、カレシの親指は何色なんだろうな。

日本では焼き肉店で「ユッケ」を食べて食中毒になって死ぬ人が出ていると言うニュース。前から「焼き肉店」てどんなレストランかと思っていたけど、ユッケが人気アイテムと聞いて、やっ「コリアン・バーベキュー」のレストランらしいとわかった。同時に、日本では生の肉を食べるのがグルメとされている(流行している)らしいとわかった。(そういえば、魚じゃなくて、生の獣肉を使ったすし屋ができて繁盛しているという話を聞いたっけ。)まあ、生肉の料理は世界のあちこちにあって、ワタシたちもWilliam Tellが閉店してしまうまではときどきタルタルステーキを食べに行っていた。でも、事故を起こしたチェーンが「激安」で人気だったと聞いて即さもありなんと思ったな。安く売れるのは肉の質を落としているか、工程で手を抜いているはず。でも、肉の質を落とせばこだわりの強い日本人にすぐばれるだろうな。そこで一番手を抜きやすいのは客の目には見えない工程。食品を扱う工程でコストがかかるのは安全対策・・・。

何につけても日本はパラドックスだと思っていたけど、リスク忌避の日本でリスク認識がこんなにも甘いというのもすごいパラドックス。国の衛生基準を満たす生食用の牛肉の出荷が「ゼロ」なのに、焼き肉店ではユッケが大人気?卸元がアルコールで消毒しているから安全?細菌検査でずっと陰性だったから「菌はつかない」?国の基準は満たしていないけど、基準に強制力がないから生でも食べられる?言い訳のどれも閉めは「~と思った」。極め付きは、「お金を払って出されたものだから安全だと思った」という客のコメント。お金を払ったと言っても、「激安」で人気のチェーン。他では800円近いものが300円以下の価格という格差に疑問を感じなかったのかな。デフレになって何でも安いのがあたりまえと刷り込まれてしまっているのかな。もっとも、どうしてそんなに安いのかと聞いてみたところで、「当店では国の衛生基準を満たさない肉を使っておりますので」なんて言うわけがないか。

ハッカーに侵入されてプレステの客の個人情報をごっそり(7700万人全員!)盗まれたソニーが異常を察知していながら1週間も黙っていた上に、呼ばれた議会公聴会に出なかったことで、めんどうなことになりそうな雲行き。欠陥車問題のときのトヨタみたいなことになるんじゃないかなあ。ソニーが情報の漏出をすぐに公表しなかった理由と言うのが「不確かな情報提供で顧客の混乱や不要な行動を招かないため」。ふむ、これ、原発事故で情報の遅れや不足を指摘されて、東京電力や日本政府が繰り返し使った「国民に不安感を与えないため」という説明と何かだか似てるような感じがするんだけどな。即刻公表して注意を呼びかけて、もし情報が違っていたら「すいません」と訂正すればいいだろうに。もしかして、まずは「社外への漏洩リスク」を回避しようということで、内々で何とかことを収拾できないものかと、頭を突き合わせて会議をやっていたのかな。次は記者会見して、「ただちにクレジットカードなどへの被害はない」と言うんだろうか。もしかして、もうそれも言っちゃった・・・? 

視力0.008でも世の中は見える

5月5日。木曜日。何か湿っぽい天気。正午ぎりぎりに目を覚まして、同時に目が覚めたらしいカレシに腕枕をしてもらってちょっぴりいちゃいちゃしたい気分だけど、カレシの左肩がまだ不調なので、カレシの枕に侵入して、頭をくっつけてしばしの間うとうと。ご隠居さんはいいなあ・・・とのどかに考えていて、あ、今日は目の検診に行く前に納品しておく仕事があったんだ。ワタシはまだバリバリの現役で、のんきにご隠居さんをやるにはまだちょっと「若すぎる」もんね。

けさはシリアルの牛乳を切らしているので、粉末のスキムミルク+水+ハーフ&ハーフ(乳脂肪10%)を味を見ながら混ぜ合わせて代用。ふだん使っている乳脂肪1%の水っぽい牛乳に比べるとやっぱり牛乳らしい味がする。まあ、1%のでもスキムミルクに比べたらまだ牛乳らしい味がする方かな。カレシの高コレステロール騒動があって全乳から切り替えたんだけど、ときどきは全乳をコップ1杯ぐいっと飲みたい気もする。北海道の牛乳で育ったせいかな。そういえば、ウェールズを旅行中にスーパーで買って飲んだ全乳はカナダの全乳よりもずっとコクがあって飲みごたえがあったな・・・。)

仕事のファイルを送信して、入れ替わりにフィリピンからの仕事に見積もりをして、月末処理関係のメールに返事を出して、ダウンタウンへ出発。予約したときになるべく車で来ない方がいいといわれたので、今日は地下鉄。新聞に市が草案を出している地下鉄沿線の再開発計画に関する公聴会の記事があって、ノースショアの山並みの景観が売り物の北の斜面は最高4階建て、オークリッジのモールまでは12階建て、バンクーバーの南端にあたるマリンドライブ駅までの南斜面は36階建てという構想で、今後30年で14000人くらいの人口増になるらしい。例によって「長年住んだ閑静な住環境が失われるのは困る」と反対する人もいるけど、明日すぐにそうなるわけじゃあるまいし、30年後にはこの世にもいそうにない年令だな。ワタシたちも20年後にはたぶん再開発でできた地下鉄駅そばのコンドミニアムに住んでいると思うけどね。

行きつけの検眼クリニックのガファー先生はイラン系二世で、年(といってもまだ40代前半?)と共にイケメン度があがる感じ。ワタシが先に検査室に入って、コンタクト付き、コンタクトなしで視力を測定して、眼球の検査。左目の隅でときどきフラッシュが光ると言ったら、99%は正常だけど、1%の確率を否定するために網膜の専門家に見てもらうことになった。(そういえば、前回はカレシが同じ問題?で、同じ専門家のところで問題なしのお墨付きをもらって来たっけ。)ま、第1期にある老人性白内障も進行していないようだし、視力がやや低下している以外は異常なし。新しいコンタクトレンズを頼んで、外で順番を待っていたカレシと交代するときに、何気なく裸眼の視力スコアは20/200くらいかと聞いてみたら、あっさり「2400だよ」という返事。

えええ。北米で使われている「スネレン式」視力スコアでは20/20が日本では視力1.0に当たるから、20/200は0.1に相当する。つまり、ワタシの裸眼視力20/2400は日本式に言うと0.008と言うことになる。日本にいた頃に0.05だったことがあるけど、0.008って少数以下の桁がもうひとつ多いじゃないの。そんなに視力が低かったんだ。生まれつき角膜がでこぼこなためにかなりの乱視で、ついでに近視と遠視も同居しているワタシの目。でも、コンタクトレンズを入れると角膜のでこぼこがなくなるので、矯正視力は0.1以上になって、法的な視覚障害者には認定されないんだそうな。まあ、目がちゃんと見えるに越したことはないけどな。

2人とも検査が終わって、65歳以上で医療保険が利いて半額自己負担のカレシと、「若すぎて」医療保険の対象にならないために全額自己負担のワタシと、今日の検査料は2人分合わせて176ドル(1万5千円くらい)。かなり目を酷使する生活だから、投資と思えば安いものかな。後は久しぶりにRodney’sでビールを飲みながら、カウンターで殻を開けてくれる生牡蠣を2ダース平らげた後、ワタシはディルとバターとワインで蒸したムール貝、カレシは魚介類満載のサラダで夕食。レストラン特製の生牡蠣用の辛いソースを2種類ひとびんずつ包んでもらって(頼むと売ってくれる)、外へ出たらなぜかしゃっくり。(冷たいビールを2パイントも飲んだせいかな。)そのまま盛大なしゃっくりとおしゃべりで周囲の注目(それとも顰蹙?)を浴びながら、地下鉄で帰って来た。(年を取ったら、ヒック、ワタシは地下鉄の駅から徒歩1分くらいの、ヒック、コンドミニアムの最上階に、ヒック、住みたいなあ・・・ヒック。)

コロンブスのアクシデント

5月6日。金曜日。けっこう早い時間に電話が鳴っていたような気がするけど、起床は正午ちょっと前。夜来の雨がまだ降っている。日本はまた週末の休みで、うまく仕事を交わせるかと思っていたら、ぎりぎりに小さい仕事の置きみやげ。金曜日の、それも普通の終業時間をとっくに過ぎた時間になって月曜日が納期の仕事を発注するという発想がすごいな。受注する方の担当者がひと足違いで帰ってしまっていたらどうするんだろう。どこでもみんな遅くまで職場にいるのが「普通」ということになっているらしいから、まあ、それが日本的なんだろうけど。

まだ牛乳がないので、今日は卵でちょっと目先を変えた朝食にしてみた。ほうれん草少しとアスパラガス1本としめじを何本かに塩を水をほんの少し振りかけて、ラップに包んで電子レンジで15秒。ソーセージを2切れスライスして細切れにしておいて、しめじ以外を全部油を塗ったラメキンに入れて、卵を2個ずつ割り入れ、しめじを載せて、パルメザンチーズを載せてトースターオーブンで焼いてできあがり。カレシが庭からめずらしくうまく育ったフレンチラディッシュを採って来たので、トマトをスライスして、ブルーベリーを添えて、ちょぴりおしゃれな朝食になった。フレンチラディッシュは普通の丸いラディッシュよりもマイルドな味で、上が赤、下が白と、見た目もきれいでいい。ラディッシュの葉っぱは捨てるのがもったいないくらい大きいので、明日にでも炒めて付け合せにするか、「大根めし」風に粟かキノアに炊き込んでみるか・・・。

仕事は明日に回すことにして、今日はのんびり。コンピュータの画面から世の中を斜めに眺める。アルカイダは報復テロを展開するんだそうな。イスラム過激派にとっては異教徒やアメリカ人を無差別に殺すのは「聖戦」で、相手の反撃は聖戦に対する冒とくということらしいから、黙っているのはプライドが許さないんだろうな。で、どこかでテロ事件が起これば、また世界が「よけいなことをするから」とアメリカを非難するだろうな。9・11のときにも口先ではテロは許せないと言いながら、内心では「いい気味だ」と舌を出した人たちが世界中にたっくさんいたはずで、さらにテロを招くから報復するなと言ったのはそういう人たちだろうな。本当は自分たちに危険が及ぶのは迷惑と言うことだろうけど、人間の正義なんて所詮そんなものだろうと思う。

最近はあちこちで政治や社会が分極化して、自分の意見を受け入れない相手を敵視したり、蔑視したりする風潮の高まりを感じる。異端者は抹殺してしまえと煽らないだけまだ文明社会は健在と言えるんだろうけど、時代の漠然とした不安感に対する反応なのか、あるいは単なる「負け犬の遠吠え」なのか。まあ、人間の営みは社会も政治も経済も関係もみんなダイナミックに連動しているもので、歴史という記録はあっても、未来への「ロードマップ」なんてものはない。ないからこそ、「予言」に期待をかけるんだろうけど、実際のところは、一歩ごとに周りを見回して危険をチェックしつつ、転ばないように前進する以外にないように思う。(それでも、つまづいて転ぶことがあるけど。)「黄金の国ジバング」という途方もない投資話をイサベラ女王に売りつけたコロンブスは相当な山師だったらしいけど、それでも海図のない大西洋を渡るのは太陽と星空と風向きが頼りのおっかなびっくりだったろうな。きが頼りのおっかなびっくりだったろうな。結局、黄金のジパングじゃなくて未開のアメリカ大陸に行き当たるというアクシデントがあったわけだけど・・・。

変わらないものと変われないもの

5月7日。土曜日。今日も湿っぽい。正午ぎりぎりに起き出して、まずは牛乳作り。ぐうたらして買いに行かないから、ソースやスープに使うつもりで買ってあったハーフ&ハーフがとうとう全部ただの牛乳に化けてしまったじゃないの。

置きみやげの仕事は論文の抄録。短いから夕飯前に終わりそうでいいなあ、なんてのんきに訳していたら、ん?何かおかしい。どうも日本語の主語を間違えたか、動詞の意味を勘違いしているらしく、そのまま訳したら全体の趣旨とは逆の意味になってしまう。困るなあ、こういうの。だけど、増えて来ているんだよね、この頃。漢字熟語の定義やことわざの意味の解釈がずいぶんと変わってきているらしい。ま、言葉は人間と同様に流行り廃りのある生き物だから、「ら抜き」や「さ入れ」が文法を変えたように、単語の意味の勘違いがそのまま定着してしまうこともあるだろうけど。そういえば、小町に「自覚」のつもりで「自負」と書いてある投稿があったな。自分の欠点を自覚するのと自負するのとでは、この先の人生に大きな違いがありそうな気がするけど。

さて、相変わらずいろんな新聞を読み比べながらつらつらと考える。膨大な個人情報の流出で騒がれているソニーは、前からサーバーの欠陥を指摘されていたらしいのに、対策を取らずに「システム管理者が認識していなかった」と言っているそうな。科学者が巨大津波の可能性を指摘したのに「確たる科学的証拠がない」と退けた東電と何だか似てるな、これ。「日本ブランド」の信用まで失われかねないというけど、これは日本ブランドの「技術」の信用問題というよりは、日本ブランドの「企業風土」の信用問題だと思う。機械的なことなら日本の技術はどの国よりも信用できる。でも、その優秀な技術で作ったものを世界に売る企業文化の方は信用できないな。不正侵入に気づいてから公表するまでに1週間もかかったのは対応が「ずさん」だったからって、細かいところまでこだわる日本人が「ずさんな対応」なんてありえない・・・よね?

焼き肉チェーンでの生肉ユッケによる食中毒は、サプライヤーもレストランも客もみんな安全は「あっち」がやることだと思い込んでいたような印象。流行に載った「~は○○でなきゃ」というこだわりには落とし穴が多いけど、そういう「こだわり」はこだわる人の自己責任(つまり、リスクの存在に対する事前の了解)みたいなところがある。でも、単純に「誰かがやってくれている」という思い込みはその自己責任を放棄したようなもので、命の安全が絡むことでのそういう思い込みほど怖いものはないと思う。自分の安全を自分の知恵で守るというのはけっこうしんどいことだから、それをしないで済めばストレスがなくていいだろうけど、そのくらい他力本願でいていいのはまだ知恵がついていない赤ん坊くらいじゃないのかな。

ビンラーデンがこの世から消えて1週間立たないのに、きのう配達されたTIME誌はもう特集を組んでいた。特に読もうという気にはならなかったけど、ページを繰っていて見つけた短い記事に興味を持った。10年前の9月のあの朝、ブッシュ大統領はフロリダ州サラソタの小学校の教室で2年生の子供たちが本を読み上げるのを聞いていた。そこへ、補佐官が入ってきて大統領に耳打ち。大統領の表情がこわばり、真っ赤になるのを間近に見た当時6、7歳だった子供たちも今では多感な高校生になっている。国際バカロレア資格を取ろうとしている男の子はあのとき「世界はすごく広いこと、アメリカについていろんな見方があって、そのすべてが好意的ではないことを知った」と言う。大学ではビジネスと語学を学ぶつもりとか。ミリタリーアカデミー(陸軍式の規律で知られる私立学校)に進学した女の子は、当時はまだ7歳で何が起きたのかよくわからなかったとしながら、「時が経つにつれて、世界中のみんなを支配して、どのように考え、何をするかをコントロールしたいがためにと思うとビンラーデンに対する怒りがどんどん大きくなった」と言う。カメラをまっすぐに見つめて立っている制服姿の彼女の夢は獣医になることだそうな。

おもしろかったのは、テロリストをやっつける人気テレビシリーズ「24」を軸に、テロ後のアメリカのエンタテインメントの流れを見て、尋常でない時でも「我々が普通の形に戻って行く様を見ることができる」と分析した記事。(ちなみに「24」はテロの前に制作が始まっていたとか。)TIMEは最後のページのコラムに、「勝利は、ビンラーデンの死ではなく、あらゆる面で彼が我々を変えられなかったことにある」と言う見出しをつけた。それはたぶん、ビンラーデン一味は自分たちの不満を異教徒や欧米に向け、暴力で「変われ」と脅したのであって、イスラムの聖戦でもなければ反帝国主義闘争でもなかったからだろう。チュニジアに始まって、エジプトに広がり、今は中東各地で起こっている民衆の民主化要求デモがそれを裏付けているんじゃないかと思うけどな。

行く川の流れは止まらない

5月8日。日曜日。何か湿っぽいけど、まあまあの日。マニトバやケベックではあちこちの河川が融雪洪水を起こしているし、アメリカでもミシシッピ川がテネシー州で大洪水を引き起こしている。はて、今年のフレーザー川はどうなるんだろうな。だけど、古代のナイル川と同じで、氾濫するごとに土地に栄養分を残して行くから、ダムや堤防で自然の営みを無碍に遮るのも何だかなあという気もしないではない。川が氾濫しなくなれば、土地は栄養分が補給されなくなって、やせて行くばかりということにならないんだろうか。ゆったりと流れる川は見ているだけで癒されるような穏やかさがあるけど。

あれはハリケーン・カトリーナの翌年だから、2006年だったかな。アメリカの協会の会議があって、10月にニューオーリンズに行った。(カレシがそのときに復興支援のTシャツを着ていたから思い出した。)観光名所のフレンチクォーターには「売り」、「貸し」の張り紙をした店先がまだたくさんあって、ビジネス街でさえもドアや窓に合板が打ち付けられたままのところが残っていた。ミシシッピ川を見たくて、「あっち」と指差された方角に道路を渡って、階段!のある斜面を「上って」行ったら、急に目の前に海かと思うような広々とした川が現れた。子供の頃に『世界の国々』とかいうシリーズ本で見た観光用の外輪蒸気船「ナッチェス号」(9代目)が見えたから、あれがまちがいなく大いなるミシシッピ川。ミネソタ州に始まって、Mighty Moと呼ばれるミズーリ川やオハイオ川のような大河と合流しながらアメリカ大陸をほぼ縦断してきたミシシッピ川は、大河と言うよりは、まるで湖を見ているような感じだったな。

川が海と出合うところで生まれたワタシは、旅先で見た川がいろんな印象となって記憶に残っている。セーヌ川の河岸は観光船が忙しく往来して、絵葉書の方がロマンチックだったし、テムズ川はヒースロー空港に向かって旋回する飛行機の窓から見たのが一番良かったな。あのときはバッキンガム宮殿も国会議事堂もビッグベンも見えて、ひと回りでロンドン観光ができてしまった感じ。ダブリンのリフィー川は何ともいえない重々しさが印象的だったし、シカゴ川は洗練された感じで、日曜の朝ミシガン湖へ出るヨットを通すために、次々と開閉する跳ね橋がまるでバレエのようだった。ニューアークから見るハドソン川はいかにもニューヨーク。イーストリバーはブルックリン橋を歩いて渡った。去年、宮崎でホテルの窓から眺めた大淀川はゆったりとしてすばらしかったな。十数年前に北上のホテルでひとり眺めていた北上川もほっとするような雰囲気の川だった。大津波はどこまであの北上川を遡ったんだろう。

日本で3番目か4番目に長くて、2番目か3番目に広い流域を持つ石狩川はいうまでもなく北海道の「母なる川」。生まれ故郷の釧路川はワタシの母なる川。霧の中に幣舞橋がおぼろげに浮かび、秋には船体を黄色に塗ったさんま漁船が終結し、冬になると河口に砕けた流氷が流れ着いたものだった。BC州の「母なる川」フレーザー川は日本で一番長い川よりも4倍近くも長い。大陸と島の地形の違いだけど、それでもカナダではやっと10番目の長さ。我が家からずっと坂道を下りて行くと、そのフレーザー川の北支流に行き着く。昔は春になるとよく氾濫したそうな。ずっと郊外のチリワックで、眼下にフレーザー川を見渡せる山の斜面の1000坪ちょっとの造成地をもう少しで買うところだったのは、もう十何年も前の昔の話だなあ。眺めて暮らすなら、やっぱり川よりは海の向こうの水平線の方がいい。

本棚のバインダーを整理していたら、10年くらい前にコンサートでシューマンの交響曲「ライン」を聴きながら、ふと浮かんだのを書きとめた「The River」という詩があった。シビアに推敲しないと詩とは言えないような駄作だけど、ひたすら流れてゆく川のイメージ・・・。

The river runs forward forever,
Only forward, never looking back.
Unconcerned of your woes,
Or dreams, or nightmare,
The river just flows past you.
Where does the river comes from, you ask?
See, way over there,
Beyond cities, and tall forests,
Up the mountain till you touch the sky,
There, you see, the majestic trees,
In a tryst with the gentle spring rain.
From their dreamy rapture,
Deep inside a mysterious veil,
The river is born, drop by drop,
On the bed of soft green moss.
Sensuously, and secretly,
The river comes running down,
And down the mountain as it grows.
Someday, the river will come to the ocean
Where it will rest, in a slumber of the blue.
Someday, the river will rise to the sky,
Into the rain cloud, drifting over
To the top of the mountain,
For a misty tryst with tall trees.
You see, the river never runs backward.

さて、ノスタルジックな気分に浸っていないで仕事をしなきゃ。行く川の流れは何とかというから。

信号無視は自己責任でお願いね

5月9日。月曜日。まだ肌寒い。季節はずれの低温と日照不足の落ち着かない天気はまだしばらく続くと言う予報。水曜日と木曜日は「3月の雨の日」のような感じだそうな。でも、夏は「そのうちに来ます。いつもそうですよ」と、環境省のお天気おじさん。まあ、そうだけど・・・。

今日はシアトルまでちょっと長いドライブに出るトラックを整備してもらいに行く日。カレシがトラックを運転して、その後ろをワタシがエコーを運転してついていく。トヨタのディーラーはその気になれば歩いて帰って来れる圏内なんだけど、結局はめんどうくさくて「送迎サービス」付き。こういうときには車が2台あるのは便利。エコーをガレージから出して、あれ、燃料ゲージがピカピカ。表示が最後の1本。うはっ、ガス欠寸前だ、これ。でも、行く先は近いし、たしか両側にガソリンスタンドがあるから、ま、いっか。

カレシが選ぶジグザグのルートに従って、誰にも間に割り込まれることなく順調に進んで、あとひと息のフレーザーストリートとマリンドライブの交差点で赤信号。信号が青に変わって、カレシが道路を渡り、後ろのワタシもそろりと発進したとたんに、どこかでホーンが鳴って、ひゃっ、目の前に人間が!!反射的にガシッとブレーキを踏んだら、その人間、大きな声で「Oh, sorry!」っと言って、何ごともなかったみたいに歩道へヒョイ。おいっ、何が「ソーリー」だ!こっちは心臓を吐いちゃうところだったよ!あんたをはねちゃったら、いくらワタシの責任じゃなくたって、一生のトラウマになっちゃうでしょうがっ!そうなったらどうしてくれんのよっ!

まあ、それでもまだ前方は青だったので、気を取り直して道路を渡り始めたけど、今度はバックミラーにオートバイの警官が!あああ、やだぁ、もう。止められるかと思って、ディーラーの駐車場に曲がったら、なぜか先を行っていたカレシはそのままどんどん走って行くじゃないの。おいおい、ワタシを見捨て逃げるの、アナタ?!リコンだよ、リコン!だけど、思案しつつ待っていてもオートバイの警官は現れない。さては、信号無視で横断した歩行者の方を追っかけて行ったんだな。もしも、もしも万一そのおバカやろうとぶつかってしまったとしても、ワタシのせいじゃないもんね。ワタシの左側から走って来たし、左側にはでっかい市役所のトラックが止まっていて、ワタシには見えなかった。たぶん、市役所のトラックの運転手が赤信号を無視して横断し始めたあんちゃんにホーンを鳴らしたんだろうな。なんせ、エコー(日本ではヴィッツ)はおチビだから、でかいトラックの横についたらもうひたすら前方しか見えないの・・・。

中途半端な場所でギアをニュートラルにして待っていてもカレシも警官も来ないもので、どうしたものかとしばし思案していたら、カレシのトラックがワタシの横を通り抜けて、整備工場の入り口の方へ。なんだよっ、今ごろっ!あわててエコーを駐車して、工場のオフィスに入ってみたら、カレシ曰く、「ついうっかり通り過ぎちゃった」。あ、そっ・・・。見たでしょ、おバカなやつ?「うん、信号が変わって交差点に出てから、走り出すやつがバックミラーに見えたけど、きみに動くなよって念力をかけるしかなかったの」。あ、そっ。まっ、Uターンして駆けつけるってわけにも行かないしね。それにしても、近頃の若い人は命を大事にしないねえ。んっとに、もうっ。

あのおバカと対照的なのが、今すごい話題になっている、冷え込む山の中で7週間も生き延びた女性。BC州内陸のペンティクトンから車でラスベガスを目指した50代のカップルがオレゴン州のコンビニの防犯カメラに写っていたのを最後に行方不明になったのが3月。遭難したのか、事件に遭ったのかもわからずにいたら、先週になってネバダ州のアイダホ州との境の山中で奥さんが見つかって救助された。何と7週間ぶりの生還。景色を楽しもうとハイウェイを出て田舎道を行くうちに、車が通らない林道に迷い込んだらしい。旦那さんはその後助けを求めに行ったまま行方不明。雪の残る厳しい環境だから、おそらく凍死したんだろうな。奥さんは持っていたナッツやクラッカーのミックスを1日。にひと口くらいずつ食べ、雪を食べて水分を摂り、日記をつけ、聖書を読んで救助を待っていた。発見されたときは餓死寸前だったそうだけど、病院では医者がびっくりするくらいの回復ぶりだそうな。

赤信号を無視して動き出そうとする車の前を駆け抜けようとする(駆け抜けられると思う)バカがいる一方で、人っ子ひとりいない荒野の中の動かない車の中で、救助されると信じて手持ちの食べ物をできる限り長持ちさせようと自律しながら生き延びる人がいる。何なんだろうな、この違い。年齢の違いによる経験値の差かな?生命観や自分の価値観の違いかな?単なる若さゆえの無謀なのかな?深く考えずに無謀な行為をするのはやっぱり自分を大事に思っていないということなのかな?まあ理由が何であれ、自分の命が大事に思えないなら好き勝手に粗末にしてくれてもかまわないけど、ワタシの心に一生癒えないトラウマを残すのだけはやめてよねっ!

文明の利器を妄信するなかれ

5月10日。火曜日。5月だけど、さっぱり初夏に近づくどころか春爛漫にもならない。それでも、人間はけっこう慣れてくるから不思議だな。もっとも、いつまで待っても来ない春に慣れているみたいなのはワタシだけかもしれないけど。ま、ゴールデンウィークのメーデーのデモによく雪が降るところで生まれ育ったもんで、「春」と言うものがなかなか来ないことにあまりイライラしないのかな。春だって夏だって、いつかはそれなりに来るもんだから・・・。

でも、やっぱり春の遅い北国の人間は我慢強さを鍛えられるのかもしれないな。自分の支配の及ばないことにイライラ、せかせかしないのが生き延びるための知恵なんだろうか。だけど、それは決し「長いものには巻かれる」ことではない。北方圏の人たちにとっては、やっと春が到来し、短い夏が来たときに、その後にやってくるあるかないかの秋と長い長い冬に備えるエネルギーを自分の手で生み出して蓄えることが生存本能に近いものなのかもしれない。それが都会化の波や社会・文化の画一化で失われて行くとしたら残念だけど、ま、それも時代の流れなんだろうし、そういう時代に生きる人たちの選択だろうから、それが幸福ならそれでいいけどね。

ラスベガスへ向かう途中でネバダ州の荒野で遭難して、奥さんだけが7週間(49日。)ぶりに救助されたカップルは、車に搭載してたGPSシステムの指示に従っていて、しだいに条件の悪い道に迷い込んで行ったらしいということだった。カップルが辿ったルートを車が発見された地点まで走ったレポーターは、でこぼこの泥んこ道を80キロも行く間に人家らしいものがまったく見えなかったと言っていた。助けを求めに行って行方不明になっている夫は携帯用GPSを持っていたそうで、北へ14キロほどのところに牧場があるにもかかわらず、おそらくGPSは数十キロも離れた「一番近い町」へ戻ることを示唆しただろうということだった。一見して理に適っているようだけど、そこはキカイのことだから、地図に線として描かれた道路は知っていても、途中の地形が険しくて、まだ深い雪が残っていることなどは知る由もない。

キカイを使うと便利だし、それを可能にする技術はすばらしい。だけど、やっぱりキカイはキカイ。プログラムされた思考、入力されたデータしか持ち合わせていないから、臨機応変に周りを見渡して、最善の手段を考えてはくれない。いや、考えてくれないんじゃなくて、人間に代わって考えられるようにはできていないということなんだと思う。GPSシステムに限って言えば、去年の夏にウィスラーに行ったときにデイヴィッドが持ってきたGPSを使ったんだけど、目的のホテルがU字型に大きく旋回する1本の道路に2度目に出たところにあるのに、最初に交差するところで「左折」を指図したおかげでワタシたちは迷子になってしまった。引き返してやり直しても「左へ曲がれ」と指示が出るのに、どこまで行ってもリゾートホテルらしい建物がない。結局は、同じところをぐるぐる走り回った挙句に、「左がだめなら右へ行ってみよう」ということになって、GPSの指図を無視して右折。半信半疑ながらそのままず~っと走っていたらホテルに行き着いた。

まあ、ウィスラーは都市化しているし、車の4人が船頭多くして何とやらのことわざよろしく、あっちでもない、こっちでもないと議論した挙句にGPSの意向を無視することで事なきを得たけど、もしも人里を遠く離れた山の中での「誤案内」だったら、不運なカップルのように遭難してしまう可能性だってあったと思う。人間と言うのは、便利さに慣れてしまうと自分で考えるのをやめて、つい「おまかせ」の方へ流れてしまいがちだけど、あのときのGPS騒動は「文明の利器」の過信や妄信ほどこわいものはないことを思い知らされたできごとだった。

だからといって、むやみやたらと自分の力を過信するのも危険であることには違いないな。札幌にいた二十代前半の頃、深夜のススキノで迷子になって、「北極星を見つければバス停の方向に出られる」と、夜空を見上げながら彷徨したことがあった。酔いでぼやけた視界いっぱいにネオンがまたたいているところで天文観測も何もあったもんじゃないけど、相当に酔っ払っていたし、世間知らずで怖いもの知らずの若さゆえに、たぶんかなり危険な状況だったんじゃないかと思う。考えたら、世間知らずもまたこわいし、何よりも、若さゆえ、それにまつわる経験不足ゆえの怖いもの知らずもかなりこわいということか。ま、あのときは何とか「遭難」せずに無事に家に帰り着いて、母から「嫁入り前の娘が何たること」と大目玉を食って無謀を反省したけど・・・。

やれやれ、うるさいったら

5月11日。水曜日。雨もよう。いい気持ちで寝ていたら、早く目が覚めたらしいカレシに起こされてしまった。何でも防犯アラームがピコピコと鳴り出して、起きてみたところへ警備会社から電話がかかってきて、停電のときのための予備電池の寿命で新しいのと交換すると言って来たとか。「明日の午前8時から12時の間に来るってさ」と。ふむ、午前8時ジャストかもしれないし、正午ぎりぎりかもしれない。ま、シアトルでは早起きしなければならないから、いいか。

とにかく今日は明日の出発前に仕上げて送らなければならない仕事が最優先中の最優先。これ、玉の日本語訳だから、むやみに話しかけないでね。英訳しているときは話しかけられてもうるさいだけなんだけど、なぜか日本語を書いているときに限ってカレシに話しかけられると、脳波がめちゃめちゃに乱れてしまうから困る・・・。

カレシが忘れかけていた国勢調査の回答をしながら、「生まれて最初に覚えて今でも理解できるのが母語だから、キミの分は日本語でいいよね」と聞いてくる。聞かなくたってわかってるだろうに。カレシ曰く、「重要な統計だから、念のため」。キーをカチャカチャやっていたと思ったら、今度は「家庭で日常使われている言語のところに日本語も入れとく?」と聞いてくる。そんな質問項目なんてあったっけ?我が家では日本語での会話なんてしないし、やろうとしたってできないでしょうが。日本語はワタシの頭の中で以外はまったく使われてないんだから、統計が狂っちゃうようなふざけたことを答えるんじゃないのっ!カレシ曰く、「そう言われれば、うちは英語だけだよな」。夫婦のコミュニケーションの言語はひとつありゃ十分でしょうが。んっとに、もう・・・。

間に合うのかどうか、心配しながらの追い込みの最中、「ポーチの電球が切れている」と報告。あのっ、電球くらい自分でさっさと取り替えられないのっ?「どこにあるかわからない」。あのっ、いったい何年この家に住んでるのっ?電球はもう10年も同じ引き出しに入ってるんだけどっ!「普通のやつ?渦巻きのやつ?」ううう、普通のやつっ!「何ワット?」うううう、60ワットっ!

たまたま明日は早起きしなければならなくなったから、仕事の方は何とか間に合って終わりそうだけど、怒るよ、ワタシ。ああっ、もうしらないってば! 

ではちょっと国境の向こうまで

5月12日。木曜日。午前8時に目覚まし。体内時計にしたらまだ夜中の感じで、頭がぼや~ん。だけど、久しぶりに朝の光。ポーチの温度計はほんとに季節はずれの5℃で、ちょっと湿っぽいけど、晴れて来そうな予感。いびきをかいているカレシを横目にさっさと身支度して、オフィスに「早朝出勤」。

大特急で残りの仕事をやっつけにかかる。きのうは結局午前3時頃までがんばったけど、まだかなりの量が残っている。9時過ぎにカレシが起き出して来たので、仕事を中断して早い早い朝食。すぐにオフィスに戻って仕事を続行。親指の関節が痛くてちょっとつらいんだけど、とにかくやるっきゃないから、カレシがバンバン送ってくる「かまってチャン」オーラを無視して、ひたすらキーを叩く。(なぜか旅行に出る前になると何となく不安でストレス状態になるのか、カレシは「かまってチャン」モード全開になる。今回は「すぐそこ」のシアトルまで行くだけなのに・・・。)

午前11時45分、警備会社のテクニシャンが来て予備電池の取替え。こっちは手を離せないもので、ここはカレシに対応してもらう。仕事をしながら、電池の取替えにしては時間がかかっているなと思っていたら、制御盤の中にある変圧装置が手で触れないくらい熱くなっていたんだそうな。原因は変圧器の容量不足で、過熱による故障停止の寸前だったとか。ドアの開閉とモーションの無線センサーが合計6つ、煙探知機が1ヵ所、おまけにワタシが持って歩いているリモートコントロールもあって、かなりの荷重になっていたらしい。容量の大きいのに取り替えてくれて、電池も取り替えてくれて、全部正常に作動することを確認して、作業終了。まあ、過熱しても故障するだけで火事になる危険はなかったらしいのでひと安心。留守の間に故障してアラームが鳴り出したりしたら、留守番約のシーラがびっくりしてしまうもんね。

午後1時半に仕事が完了。さっと見直しをして、さっと送信。やれやれ、間に合った。さて、まずは平常時間のランチを食べて、ぼちぼちと持って行くものをまとめるか。といっても、飛行機に乗るわけではないし、週末だけだから、小さいスースケースと後はそれぞれがバッグひとつずつ。適当に詰めて、トラックの座席の後ろに放り込むだけ。こういうときは陸続きでハイウェイ一直線というのは楽でいいな。国境まで約30分。アメリカ側に入ってシアトルまで約2時間。カナダ人はパスポートだけあればビザも指紋採取も不要でアメリカに入国できる。ただし、国境で込んでいればカナダ人も何国人もなくて、復活祭の連休のときのようにのろのろと3時間待ちなんてことになるんだけど、まあ、今日は平日だし、連休はまだ先だから、深夜になればすいすいと行けそうな気がするな。(それが待つのが嫌いなカレシの狙い目なんだけど・・・。)

さて、シャワーをして、洗髪して、ちょっとはメイクをして、夕食の支度をして・・・ああ、やることがいっぱい。腹ごしらえができたら、ちょっとそこまで、行ってきま~す。

世界で一番長い国境の北と南

5月15日。日曜日。シアトルでの会議がけっこう盛況で終わって、夕食後にハイウェイをぶっ飛ばして帰って来たら、午後11時前。まだ日曜日だった。狙った通り、連休でもないので、日曜の夜の国境はがら空き状態。ほぼ待たずに入国管理のブースへ。けっこう機嫌の良さそうな女性の入国管理官とやり取り:

 「お帰りなさい。いつカナダを出たの?」
 「木曜日の夜。」(これで48時間以上滞在で1人400ドルまで免税になる。)
 「どこへ行って来たの?」
 「シアトル。」
 「何をしに行ったの?」
 「翻訳会議。」
 「あら、翻訳をするの?」
 「いや、ワイフがそうで、ボクは隠居」
 「じゃ、お供で遊びに行けるのね。」
 「かばん運びもするよ。」
 (ワタシの方をのぞいて)「うらやましいわ~。」

和気藹々になったところで、持ち帰った買い物の金額や、定番の質問と応答があって、2分ほどでカナダ側に戻って、カレシが「お供で遊びだってさ」と大笑い。カナダの入国管理官はけっこう態度がていねいだし、ユーモアのセンスもあるのだ。

木曜日の夜は国境に着いたのが午後8時40分。電光掲示板に所要時間15分と出ていたけど、実際には10分もかからずにブースまで進んで、アメリカの入国管理官とやり取り:

 (パスポートを読み取り機に通しながら)「どこへ行くの?」
 「シアトルまで。」
 「何しに?」
 「会議があるので・・・。」
 「何の会議?」
 「翻訳者の会議。」
 「アメリカにはいつまで?」
 「日曜の夜まで。」
 (パスポートを返しながら)「OK。」

アメリカ側はきっとテロリストの入国を水際で防ごうと意気込んでカリカリしているところもあるんだろうけど、ぶっきらぼうで、淡々と台本を読むような質問のしかたが柔らかめのカナダ側と対照的でおもしろい。カナダ側で態度が柔らかいのは、ワタシたちが「カナダ市民」だという要素もあるのかな。カナダ永住者でも、たとえば日本のパスポートを持っていれば、日本から訪れた人と同じように指紋を取られるし、ESTA(電子渡航認証)を取得する必要もある(と思う)けど、カナダのパスポートを持っていれば指紋採取はないし、ESTAも不要という手続き上の違いはある。もしもワタシが日本国籍のままでいたら、手続き上の違いの他にも何か国境での対応に違いはあるんだろうか。(去年は空港でワタシのパスポートの真偽を疑っているような対応だったけど・・・。)

でもまあ、我が家はやっぱりいいよなあ。帰って手足を伸ばせるところがあることも旅の楽しさを増す要素だろうと思うし、特に管理された国境を越える旅の後は、「帰って手足を伸ばせるところ」があることのありがたさがよくわかるような気がする。さて、2人でゆっくりと風呂に入って、今夜は寝なれたベッドでぐ~っすりと寝ようっと。