トートバッグとエコバッグ
4月17日。やった~。午前5時。納入期限まで余裕の2時間を残してめでたく完了。校正担当者の現地時間では午前8時。自宅とは別に相棒を持ってオフィスを構えているから、そろそろ出勤時間かなあ。ま、とにかく「結果」を出せたわけで、めでたし、めでたし。ちょっとひと休みして、次、行こう。
とどのつまりは、やろうと思えばやれるわけなんだけど、なぜかさっさとやってしまわないで道草を食ってばっかりいるから、ぎりぎりで(薄くなる一方の)髪をふり乱しての大騒ぎになる。毎日一心不乱に10時間も働きづめだった10年前までのあの集中力はどこへ行ってしまったんだろう。まあ、あの頃はすでにうつ病のあり地獄に滑り落ちつつあって、唯一「自分」の存在を確かめられる仕事空間にしがみついていたようなもので、ほんとうの集中力とは別ものだったんだろうな。納期まであと何日/何時間あって、仕事があとこれだけあるから、∴このくらいはサボってもいっか、というのが本来の極楽とんぼのスタイルだったんだという気がする。もっとも、禅問答の「コップの水」は、のんきにまだ半分あるからいいかと思っているうちにどんどん蒸発してしまうんだけど。
正午を過ぎてからのんびり起き出して、朝食のあとは散歩がてらの野菜ショッピング。夜光虫みたいなとんぼだってたまには燦々とした太陽の光を浴びないとね。でも、春の日ざしはサングラスをかけていてもまぶしい。デパートの地下にある郵便局の私書箱から郵便を出して、モールの外側にある青果屋まで歩いていたら、角のコーチの店になんだかしゃれたトートバッグ。元々グッチだのヴィトンだの、イニシャルをちりばめていかにも「ブランド品なのよ」的なバッグは嫌いで、コーチもそのクチなんだけど、春らしく軽快で派手なトートにはひと目ぼれ。う~ん、欲しい気がする。
野菜の買い出しはメイシーズのエコバッグに詰めて、二人で持ってぶらぶら。秋にニューヨークに行ったらメイシーズに駆けつけて、あと3つくらいは買って来ようと決めているほど気に入っているトートバッグで、せいぜい4ドルのものなんだけど、東京にはなんとその5倍の値段で売っているところがある。でも、その値段ならこっちではもっとがっちりしたLLビーンのトートバッグが買えるなあ。どうも日本では「エコバッグブーム」のようなものがあるらしいけど、スーパーなどが1~2ドルで売っている不織布のバッグは破れやすくて困る。もう少し素材とデザインを工夫したら、値段は高めでもメイシーズのバッグのような「ヒット作品」になるかもしれないのに、これでは結局ゴミを増やしているようなもんじゃないかと思うんだけどなあ。
そろそろ夕食のしたくを・・・という頃にゲートのチャイム。こんな時間に誰だろうと思ったら、会計事務所からの納税申告の書類を届けに来たクーリア。いくら戻ってくるのかな、と早速開けてみたら、うはっ、ほっぺたをつねってみたくなるような金額・・・。年金をもらっている人がその一部を年金をもらっていない配偶者の所得に移して二人の合計納税額を減らせる制度があるおかげで、源泉徴収のない年金をもらうようになって追加払いを覚悟していたカレシにもけっこうな額が戻って来る。単に払い過ぎた税金が返って来るというだけなんだけれども、なんだかずっと無縁だったボーナスをまとめてもらったような感じ。う~ん、コーチのトートバッグ、買っちゃおうか・・・
がきんこ騒動とスカンク騒動
4月18日。大仕事が終わって、二人ともよ~く眠って、なんとなくリセットした感じ。カレシが「今日は庭仕事に専念するからな」というのでベーコンと卵でたっぷり燃料を補給。早くに二階の窓際で育て始めたトマトをひと回り大きな鉢に植え替え、初めて順調に育っている緑と紫のしそも植え替え。さっさと花を開いてしまったブロッコリは思い直したのかまた新しい花芽を出してきた。バジルの種を蒔いたら全然違う葉が出てきたのがあって、どうやらカリフラワーの可能性が出てきた。同じ色の種の袋がいくつもあるのに、カレシは名前を確かめずに蒔いて「バジル」の名札をつけたらしい。まあ、フリゼーのつもりが普通のエンダイブだったり、きゅうりのつもりがとうなすかぼちゃだったり、カレシの園芸はびっくり要素が多いけど、カリフラワーだったら怪我の功名かなあ。
予定変更でとりあえずのスペシャルになった夕食のあと、次の仕事にかかっていたら、カレシが出たり入ったり。そのうち外が騒がしくなって、消防車がやってきた。サイレンを鳴らさなかったし、すぐに帰ったので火事ではないなと仕事を続けていたら、カレシが興奮して戻ってきた。話を聞いてみて、びっくり仰天。十数人のティーンがゴルフ場で騒いでいるので、様子を見に行ったら、火のついたたいまつを持ったひとりが道路を渡って我が家の方へ近づいて来るところ。カレシと出くわして「何をやってる」と怒鳴られてあわてて引き返し、たいまつをゴルフ場にポイ。枯れ草に燃え移って炎が上がり、逃げ遅れた数人があわてて踏み消している間にカレシが消防車と警察に電話。
消防車は火が消えていたのでそのまま帰って、カレシがとなりのパットと話をしているところへ、別のティーン集団が現れて「ローゼンバーグさんちはどこ?」となりのブロックの真ん中の家のことで、フランスからの交換留学の高校生の世話をしていて、プログラムが終わったので帰るということでお別れパーティがあるという。ふむ、ローゼンバーグ家はユダヤ教の法事などで人が集まるときは必ず近所に予告して回る律儀な人たちなんだけど、そんな何十人もティーンが集まるなんて話はきいていない。そこでカレシは「大人と話したい」と、家まで出かけていったら、15、6才のガキンコたちがうようよ。どうやら高校生の息子が両親が留守の間にパーティを企んだらしい。(カレシにも前科がある・・・。)まあ、警察と消防署に通報したからと言っておいたそうなので、もうこれ以上の騒ぎはなさそうだけど、それにしても今どきのガキンコは質が悪い。パットは「近頃の若いもんは5才児並みおつむなのさ」と肩をすくめるけど、人さまの生垣に火をつけて、燃えているのを携帯カメラで撮ってYouTubeに投稿しようって魂胆だったんじゃないだろうなあ。
ひと騒動がおさまって、やれやれと仕事に集中・・・のはずが、今度はポーチでなにやら「コトン」。玄関脇の窓からのぞいて見たら、いた~!スカンクがいた!せかせかとポーチの端で穴を掘っている現行犯。だけど、相手はスカンクなもので、ドアを開けて「こら~っ」とやるわけにはいかない。しょうがないから、懐中電灯を持ってきて窓越しに照らしたら、「うっせぇ~なあ」という顔で見上げて、「しゃ~ねぇ~や」とふてくさった態度でのそのそと退散。初めてご対面したスカンク、メタボの猫がでれ~んとへたっているような形で、思っていたより大きい。何となく愛嬌があって憎めないし、ホームレスなのはわかるんだけど、ポーチの下に居候されては困るのだ。ここは、仕事の手があいたら、カレシのお尻を叩いて金網を入れないとなあ。去年からそういってるのに・・・。
今日もまた騒動つづきで・・・
4月19日。きのうから一転してなんとなく湿っぽい日曜日。毎年恒例の10キロマラソン「Sun Run」がある日。今年は去年よりも参加者が減ったそうだけど、それでも5万5千人も走る北米でも有数のイベント。極楽とんぼが出場した最初で最後のは55才を記念してだったから、もう6年。半月板を痛めた膝の手術をしてから7ヵ月だったけど、けっこう余裕で走って、ゴールインしたスタジアムでは用意されたバナナやオレンジやヨーグルトでたらふく朝ごはん。今の生活時間帯では早朝のマラソン参加はちょっときついけど、65才の年には記念にまた走ろうかなあ。
ホッケーの試合を見ながら、あめ色に炒めた玉ねぎとひらたけ、ひまわりのもやしをたっぷり挟み込んだ分厚いハンバーガーの夕食の後、急に入ってきたラッシュの仕事をしていたら、煙探知機が鳴り出した。いけない!焦げ付きを取ろうと水と洗剤を入れたフライパンをレンジにかけたまま。キッチンにはすごい煙が充満。トイレから飛び出してきたカレシと、窓もドアも開けて、ファンを回して、換気装置を高速モードにして・・・ああ、やれやれと思ったら、警備会社から電話。「すんません!フライパンをレンジにかけっぱなしで焦がしちゃって。すぐリセットしま~す」と、パネルに飛びついて、PINを入力してオフ。一時は止まったてもまだ煙がすごいからまた鳴り出す。またPINを入力してオフ。やっと鳴らなくなった。電話に戻ったら、あら、切れている。ま、アラームが止まったことだし、いっか・・・。
と、仕事に戻ったら、あら、サイレンが近づいてくる。「消防車が来ちゃった」とカレシ。外へ飛び出したら赤いライトがくるくる。急いでゲートを開けたら、フル装備の消防士が3人も。警備会社から「電話が切れたから」と通報があったんだそうな。ふむ、同じ回線につながっているアラームのパネルを操作したら電話の方は切れてしまうのか。すいませ~ん、あわくっていたもんで。すごくハンサムな消防士さん、「よくあることさ。一応チェックするからね」と、家の中に入って点検。火の気はなし(OK)。煙もほぼ排出(OK)。安全確認(OK)。ありがとうございました!「煙を吸って倒れていることもあり得るからねえ」と消防士さん。はい、以後気をつけます!
やれやれと仕事に戻ったら、今度は警備会社のパトロールの人。また平身低頭で一部始終を説明して、「ごめんなさ~い」。出動報告書のコピーをもらって、やっと一件落着。これが全部わずか30分の間のできごとだから、カレシは怒りたいのか泣きたいのか笑いたいのか、困った顔。「きのうの今日ってこんなのをいうのかなあ。ストレス、多すぎ!くたびれた、もう」と。そうだねえ、なんかすごいどたばた続きの週末だったねえ。「でも、ボクは何もしてないのにこの騒動だったんだぜ~と言えるから、まあ、いいか」と、カレシ。はあ・・・?
ま、どたばたしながらも急の仕事も間に合って、めでたし、めでたし。だけど、ほんと、極楽とんぼとしたことが・・・じゃなくて、この極楽とんぼぶり!まだボケてもいい年にはほど遠いんだから、気をつけなくちゃあかんぜよ、この春とんぼ。
若気の至りは忘れた頃に
4月20日。なんともエキサイティングな週末の後、やっと平穏な1日。まあ、人生がごく「普通」なんだったら、たまにはそういうアドレナリンがバンバン出るようなできごともアクセントになって悪くはないと思うんだけど、カレシにそう言ったらもろに「だらかそういうノー天気なやつは・・・」という顔をされた。現代日本語で言うと極楽とんぼは「テンションが高すぎ!」ということになるのかな。カレシの方は「どっと疲れた」んだそうな。あれ、それは日本人が小町みたいな掲示板でいっつも言ってるせりふだけど。ふむ、やっぱり神様がコウノトリに運ばせる「宅急便」の宛名を間違ったということはあり得るかもしれないな。ということは、カレシと極楽とんぼは「取替えっ子」同士の異文化カップルってことか・・・ん?
BC州は総選挙のまっ盛り・・・のはずなんだけど、みんなの関心事はホッケーのプレーオフの方。バンクーバーカナックスが久しぶりに熱い。いつも尻すぼみでプレーオフを逃し、うまく勝ち残っても第1ラウンドでしょぼってしまうチームがメジャーなメディアにまでスタンリーカップ獲得の有力候補に挙げられて、えらいフィーバー。第1ラウンドの対セントルイスブルース戦はホームゲームでまず2連勝。昨日の日曜日はセントルイスに移って第3戦。キャプテンでゴールテンダーのルオンゴが熱い。双子のセディン兄弟も熱い。若手のビエクサもバローズもケスラーも熱い。ほんと、総選挙なんかやってるどころじゃないよ。(きのうの試合は第3ピリオドぎりぎりでのセントルイスの追い上げを振り切って3勝目。あと1勝で第2ラウンドへ進める。スタンリーカップをかけた決勝戦は・・・なんと6月の終わり。まあ、それでプレーオフのことを「セカンドシーズン」というんだけど。
それでも時には総選挙関連のニュースがトップになる。今回は、野党の若い候補者が2、3年前にFacebookに載せた「プライベート」な写真が表沙汰公になって、立候補を撤回したと言う話。この候補者、何才だか知らないけど、新聞にでかでかと公開された写真を見る限りでは、ネット時代の典型的なバカなおにいちゃんという印象。女性と抱き合っておっぱいもみもみしているところとか、パンツを下げて女性が下着のあのあたりをもみもみしているところとか・・・「判断力の欠如だ」というけど、そんな写真を得意になってネットに載せるような「おこちゃま思考」の人間を候補者として立てる政党の方が(支持政党じゃないからいいとしても)問題のような気がする。だけど、ネットの空間と自分の身の回りの空間の区別がつかない人間が増えているんだろうな、きっと。
情報時代、インターネット時代の幕開けの頃にこんな箍の外れたような状況を予言した人はいなかったなあ。検索エンジンで世界中の知識が身近なものになるということは、夢のようなわくわくする展望だったけど、人間を人間足らしめたはずの理智的な思考がここれほどまで視覚的な刺激と反射神経に取って代わられるとは想像もしなかっただろうな。うん、振り返ってみれば、なんとなくばら色の夢のような未来を期待して浮かれていたようなところもある。あんがい産業革命の十八、九世紀や、家電や自家用車が普及した二十世紀の「ばら色の未来」と同じで、新しいユートピアに対するうきうきした期待感だったのかもしれない。ま、これからは仮想の空間に気を許して、(実年令に関係なく)若気の至りのバカをやっては、後で現実社会で悔やんでも悔やみきれない思いをする人が増えて来そうだなあ。
外見から万事を判断する愚
4月21日。イギリスのオーディション番組で一躍世界に注目されたスーザン・ボイル。世の中にはこんな人があちこちに埋もれているんだなあと思うとため息が出る。出演者をサイモン・カウエルが毒舌で苛めるのを売り物にしているオーディション番組はアメリカにもあるし、そのカナダ版もあって、出場者は各地での(本当の)オーディションに長蛇の列を作るタレント志望の中から選ばれる。つまり、この手の番組は純然たる「ショー」だから、選考する側はスーザンの「意外性」、イジワルに勘ぐれば「冴えない独身の中年おばさんにしてはけっこう歌えるじゃないの」という「お笑い要素」を見て選んだのだろうし、彼女がステージに出た時の反応を見ればその思惑は当たったことになる。
だけど、スーザンが歌い出してからの審査員や聴衆の反応が意外性とはまったく無関係の純粋な「感動」だったことは間違いない。漫然と見ていたテレビのニュースで番組のクリップが流れたときは、何のニュースなのか理解する前から目頭が熱くなってしまった。番組の事情がわかってから聞きなおしても、やっぱり涙が出て来る。彼女が10年前にチャリティCDに録音したと言う『Cry Me a River』も聞いてみたけど、やっぱりわけもなく涙が出てきてしまう。元から好きな曲だということもあるけど、歌がうまいとか、声がすばらしいとかいう前に、彼女の歌唱には心の深いところにぐっと迫って来る「何か」がある。その何かに心を動かされた人たちがあまりにも多かったからこそあれほどのセンセーションが巻き起こったのだと思う。
もちろん、人間の感じ方は千差万別だから、「なんであれが受けるの?」という人たちも世界中にごまんといるわけで、小町にも「何でこれが世界の称賛を浴びるの?」とか、「そんなにうまいと思えない」、「あのくらい歌える人はいくらでもいる」といった意見もかなりある。はては「テレビに出るなら普通は髪を切ったり、メイクくらいはするはず。あれは受け狙い。独身ならそれなりに自分を磨く時間もお金もありそうなもの」というのもあったけど、まあ、この人は外見とファッションのチェックに夢中で歌の方は聞いていなかったんだろう。たしかにマスコミが「容姿」と「歌声」のギャップを強調しているきらいもあるけど、外見の美醜と歌声と才能には何の関係もあるはずがない。
それでも、容姿が美の基準に合わなければ歌もうまさの基準に合わないだろうと思ってしまうのは、「包み紙」で贈り物の価値を判断する表層的な人なのかもしれないし、視覚から反応的に判断するように感情機能が配線されている人なのかもしれない。番組の制作者が狙ったであろう「見てくれの冴えない中年おばさんでも歌えるんだ」という意外性はそれを「意外」と感じた一瞬だけのものなのに、そこに囚われてしまった人たちもいるだろう。でも、次の一瞬にその囚われから自由になった人たちは、彼女の歌声から伝わってくる「何か」に心を動かされたのだと思う。番組で歌った曲と『Cry Me a River』はまったく趣が違うのにそれでいてどちらもすばらしいのは、彼女がプロの歌手を目指して努力して来たという裏づけがあるからで、ただの「のど自慢おばさん」なんかではないという証拠。プロになって才能がいっそう磨かれるとすばらしいなあ。
ちなみに、バンクーバーのArts Club劇団が来月から公演する『レ・ミゼラブル』はチケットが飛ぶように売れ出したそうな。オープンチケットがまだ2枚残っていると言ったら、ミュージカルには興味のないカレシまでが「観てみるか」。それってちょっとミーハー的な感じがするけど・・・。
日/日翻訳機がほしい
4月22日。またまた予定が詰まって来たような感じがするけど、運転免許証の更新と肉類の買出しをまとめてやってしまうことにした。これから5年間付き合わなければならない写真を撮られるから、今日はきちんとメイクをしておめかし。といっても、免許証やパスポートの写真はなぜか「駄作」が多いんだけど、「こんどこそは」に期待をかけるか。ポーチの温度計を見たら、午後1時過ぎで11度。どうやら春の陽気が定着したということで、七分袖のニットシャツ1枚のままでおでかけ。
週中の午後のせいかもしれないけど、免許証のオフィスはがら空き。順番待ちの番号札をもらって座ったと思ったらほどなくして表示版に番号が出た。過去5年の間に住所変更はなし、免許停止もなしで運転に影響する健康問題もなし。身長も変更なし(縮んでないだろうな)で、体重は、う~ん、ちょっとだけ増えたかな。「けさは○○ポンドでした」と申告。クレジットカードで75ドルなりを払って、床の「足跡」のところに立って、カメラの上の目玉の絵を見る。そばに「スマイルはだめ」と大きな字で書いてあるけど、この「目玉」、笑ってるじゃん。はて、どんな写真が撮れたかなあ・・・
スーパーでは肉や魚をど~んと仕入れ。帰ってきて、フリーザーに入れるための処理をするのにほぼ1時間。もう夕食のしたくの時間。メールをチェックしたら、あ~あ、またラッシュ仕事と大きな仕事。これで4月どころか5月も暮れてしまいそう。「お誕生日までに原稿をお届けします!」って、喜んでいいのかどうか・・・。
やっと取りかかった現在進行形の仕事・・・そうだ、夕べは「ファイルその1はあと少し」というところで、うは~っというようなセンテンスに引っかかって、さんざん頭をかきむしったあげくに諦めたのだった。始まりから最後の「。」までなんと530文字もあって、括弧の注記があって、その中にまた「ところで」とか「つまりは」のような括弧の注記がなんと8つも入っている。最後まで通して読んだら何がどうなのかわからなくなってしまうもので、大括弧を中の小括弧もろとも取り払ってみたら、残ったセンテンスはたったの70文字。すごい道草文学だなあ。なんとかもうちょっとまともな文章を書けないものかなあ、この人たち。そもそも、書いた人自身はちゃんとわかっているのかなあ。
去年やった書類にはワンセンテンスが700文字以上ってのもあったよねえ、たしか。
下から読んだり、上から読んだり、右から読んだり、左から読んだりの悪戦苦闘。なんだかちょっとばかり光明が見えてきたような、見えないような。じゃ、頭のくもの巣を払って、もう一度・・・
日本語の感情表現
4月23日。とにかく終わった。迷路にはまったネズミのような気分にさせてくれる仕事の最後までたどり着いて、「はい、おしまい!」という気分でENTERキーをバン!と叩くと、わっと開放感が沸いてくる。もっとも、日本では金曜日の夕方で、あとほんのちょっとの間何もなければ週末は羽を伸ばせる。あとちょっと・・・結局はまた埋められてしまったけど、誕生日くらいは「休業」の札を下げてもいいかなあ。
このキーボード、キーの文字がほとんど消えて新調したのはそれほど前じゃないはずなんだけど、なんだかNのキーが心なしかもう薄くなっている。やっぱり力を入れて叩きすぎるのかなあ。そんな自覚はなくても極楽とんぼは手動のタイプライター育ちだからなあ。おりよく小町に上がっていた『パソコンを力強くたたく人っていますよね?』というトピック。うん、いるいる、ここに。だけど、よく読んだら全然良いことを書いていない。どうやら日本では「力強く」キーを叩くのは嫌われるらしい。「お仕事してます」という嫌味に取られたりするようで、とんぼが日本のオフィスで働いたら袋叩きに遭うかもしれない。くわばら、くわばら。臭いの次はキーを叩く音がうざい。ほんとに他人が気になってしかたがなくて、他人のことでイライラしている人が増えているのかなあ。
読売の別のセクションで読んでいた連載の中にこんな一節があった。「外国で5、6年勤務して帰国した時に街で出会う人達の表情が非常に気になりました。口をヘの字に結び、きつい目をして、不満そうに口を尖らせている人がたいへん多いのです」。そういえば、電車の中では、たまたま目が合った人に怖い目で睨まれたっけ。長いこと知らない人とでも目が合ったらスマイルを交わすのに慣れていた極楽とんぼは「にこっ」。向こうは「ぎろっ」。いや、びっくりしたのなんのって。すごく鬱屈した感情があるのかもしれないけど、見るなと言われても、お互いに同じ空間に存在しているわけだし、消えろといわれても走っている電車の中だし、「謝罪」すべき罪も犯してないしねえ・・・。
ふむ、この「謝罪」という言葉もちょっと乱用されている印象がある。ちょっとしたことでも「謝罪しろ」。言葉の持つ重みが感じられなくなったのか、もうちょっと怒ったときは「土下座して謝罪」。この調子で「死んでお詫び」にエスカレートしないといいけど。人に頼み事をするのに「懇願する」と書いていた人がいたし、友達関係に疲れたというのに「疲弊しています」と書いた人や、意外なことで驚いただけなのに「吃驚した」と書いた人がいた。まるで言葉がどんどん軽くなって行くみたいで不気味な感じもするけど、ひょっとしたら逆にもやもやした閉塞感の中で、感情が激しくなって来て、これまでの普通の言葉ではもの足りなくなって来たのかなあ。日本語、ほんと変だよ、この頃・・・。
本質的にうつっぽい人たち
4月24日。週末にやるはずだった仕事の入稿が遅れてくれたおかげで、少なくとも日本で月曜日の夜が明ける日曜の午後までは安全圏。久々にのんびりの週末になった。もうすぐ午後1時という時間におきだして、午後はのんびりとニュースを読んで、夕食後は3月までの帳簿を整理してGSTの申告。済んだところでニュースめぐりと小町のぞき。
極楽とんぼの「お気に入り」には「ニュース」フォルダの中に30近いサイトが登録されていて、その日のいの一番はいつも地元の新聞。それからGoogle Newsで世界各地のめぼしいニュースを拾い読み。その後で、Reuters、Bloomberg、BBC News、New York Times、Financial Times、Japan Times、UPI Asia、Japan Todayと回って来たところで、娯楽ページをめくる感じでJapan Probe、Japundit、読売小町と進み、Google Newsに戻ってブックマークしていないニュースサイトをあれこれのぞいて、ちょうど日本が朝になる頃に読売、朝日、毎日、産経と回る。こうやって並べたら、まるでニュースを読むのが趣味のように見えて来るけど、まあ、毎日飽きもせずに、この世界にはほんっとにいろんなことが起こっていて、いろんな人がいて、いろんなものがあるもんだと、ひとりで勝手に感心しているところを見ると、やっぱり趣味なのかもしれないなあ。
昨日は妙に感情を誇張したような表現をするのはどうしてかと通りすがり程度に考えてみたけど、小町のキーボードの音がうるさいというトピックの書き込みを通して読んでいるうちに、他人がキーを叩く音がうるさい、迷惑だと言っている人たちは、必ずしもその「音量」そのものが嫌なのではなくて、キーを叩いている「人」に対して何らかのネガティブな「感情」を持っているのではないかと思えてきた。「自分は大きな音で周りに迷惑をかけないようにこんなに努力しているのに」、「仕事もできないくせに、仕事しているとアピールしている」、「がさつな人」、「デリカシーがない」と。しまいには「自覚している人は言い訳なんかいいから職場では気をつけなさい。ほんっとに迷惑なんだから」とお叱り。はいはい、し~ずかに、し~ずかに、ひっそり息をひそめて打つんですね。
日本の職場には「タイプライター時代」がなかったからこれほどまでに「神経質」なのかとも思ってみたけど、どうしても他人の存在そのものが嫌な人が多いのではないかと思えて来る。小町には他人のことが気になってしかたがない人が立てたトピックがずらっと並んでいるけど、ほとんどがその「気になること」に対してネガティブな感情を持ち、「同感」を得ることで自己を肯定しようというもくろみが透けて見える。「同感」と「共感」の違いがわからないのかもしれない。自分を肯定できていないのは、ひょっとしたら自我ができていなくて、そのために自分と他人の境界がはっきりせず、自分が受け入れられていないと感じるからかもしれない。ネガティブな感情や攻撃、批判はそんな閉塞した空間から生まれてくるのかもしれない。ひょっとしたら、本質的に鬱っぽい人たちなのかもしれないなあ。ふむ・・・
日本語の表現に戻れば、いつから始まったのか知らないけど、ニュースでも多用(濫用?)されている「元気をもらう」、「勇気をもらう」、「感動をもらう」といった表現も不思議な言い回しだと思う。極楽とんぼが覚えている日本語では、元気や勇気は「出す」、感動は「する」という能動態なんだけど、いつの頃からか、元気も勇気も感動も自分の中から沸いて来なくなって、人さまから「もらう」という受動態になってしまったのかなあ。でも、この「もらう」は、「してもらう」のとは違って、「命、もらいます」のように自分から手を伸ばして取るような、能動的な感じがするなあ。まあ、勇気も元気も欲しいという人に「分けてあげる」ことには異存はないんだけど、「元気をもらいました」と言われたら、「えっ、その元気、私のなんですけど」と言ってしまうかもしれないなあ。もっとも、返してちょうだいとはいわないけど・・・。
極楽とんぼはLⅩI
4月25日。すばらしく晴れ上がった土曜日。今日は61回目の誕生日。ローマ数字で表すと「LXI」。なんだかスタイリッシュなスポーツカーみたいに聞こえて、うん、かっこいいじゃないの。極楽とんぼは未だに誕生日が大好き。プレゼントをもらうとか、ごちそうを食べて祝うとか言う前に、自分がこの世に生まれて「生き始めた」日だから。
予定日をめちゃくちゃに過ぎて、大変な難産の末にやっと生まれたけど、へその緒を首に巻きつけていたので、なかなか自発呼吸をしなくて、危うく新生児死亡率に貢献するところだった。その赤ん坊が今日満61才。この年令がまだ若いのか、もう年寄りなのか。その判断は当人にはつきかねるので人さまに任せるとして、60年といえば人間の平均寿命の4分の3。それだけの年月を生きて来たんだから、それなりに「成果」はあったと思う。振り返ってみて、一度しかない人生はどんなことがあっても生きる価値があると思えるようになったのは、やっぱりよる年波のせいなのか・・・。
今とんぼの心の目に映る世界は、20才の頃とも、40才の頃とも、確実に違っている。それが視野の広がりだし、人間としての成長というものだと思いたい。視野というのは自らの働きかけと経験によって広がって行くものであって、20才と40才と60才ではそもそも経験の絶対値が違うから、世の中も違ったものに見えて当然なんだと思う。また、視野は視点がどこにあるかによっても違いが出てくるだろうな。ひとつの国、文化圏、生活圏の中と外では「見え方」が違っていて当然だろう。中にいると無限の空間のようでも、外から見ると有限であり(というよりも、「外」が存在すること自体がその「空間」が有限であることを示している)、外から見えるものは離れるほどに小さくなって見える。小さくなるにつれて、別のものが同じ視野の中に入ってくる。心の中に宇宙が見えてくる。それをどこまで広げるかは、まさに人それぞれ。だけど、自分の宇宙がどれだけ広いかは、中にいる自分にはわからないし、こればかりは外へ出て見るわけにもいかないし・・・。
平均寿命まで、「あと20年ある」と見るか、「あと20年しかない」と見るか、それとも「まだ20年もある」と見るか。う~ん、極楽とんぼとしては、あと39年、。ノンシャランにいい風に乗って100才を目指そう。人生は有限の時空間。だからこそ、どんなことがあっても生き抜いてみる価値があると思うよ。
丸い穴に四角い杭
4月26日。誕生日から一夜明けた(は大げさだけど)日曜日。今日も天気が良い。カレシは午後いっぱい庭仕事。iPodのイアフォンの上に産業用の防音イアマフをして、きっとそこはカレシにとって一番気持が落ち着く時空間なんだろうな。
極楽とんぼは、大学の講義のDVDのカタログをぱらぱらとめくって、何を思ったか2つも注文してしまった。ひとつは「楽しい科学」とでも言えそうな、物理学、化学、地学、地球物理学、生物学と広く俯瞰する全部で30時間の講義で、もうひとつは「人間の言語史」という18時間の講義。「言語とは何か」に始まって、人工言語まで。先週のTIME誌にはYouTubeやiTuneが教育分野に乗り出したという記事があった。一流大学の授業を無料で受けられるようなもので、インターネットもやっと「門前大学」として人類の役に立てるところまで来たという感じもする。科学やそのた諸々の知識の世界を垣間見ては目を輝かせるのは子供の頃からちっと変わっていないのかもしれない。理屈はいろいろこねたけど、大学に行かなかったのは、とどのつまりは「学校」そのものが嫌いだったんだろうな。
居心地が悪かったのは学校だけではなかったように思う。世間一般というところもかなり居心地が悪かった。居心地が良かったのは家庭と最後に勤めたスウェーデン系の会社くらいだろうか。どうしてもしっくりとこなかったと言うほかない。今どき風に言えば、常に空気が読めない状態にあったというところだろうか。あのまま日本を離れなかったら今頃はどんな暮らしをしていたか、見当もつかないのは長い年月のせいなのか、それともまだしっかり根を生やしていなかったせいなのか。
逆にカナダは初めから不思議なくらい居心地が良かった。言葉や文化の壁がなかったはずはないのに、何もかもひっくるめてその心地の良さは今も変わらない。日本以外の国に旅をするようになって20年足らずだけど、どこへ行っても「着なれた服」に近いような心地良さを感じていた。自分が素のままでいられるという微妙な安心感のせいかもしれない。不思議なことに、というよりは今になって考えると不思議でもなんでもなかったんだけど、唯一なんとなく漠然と居心地が良くなかったのが「家庭」。学校時代のあの気の休まらなさのような感じだったのかもしれない。去年の春に10年ぶりに東京を訪れた後でその理由がわかったように思う。
要するに「Square peg in a round hole(丸い穴の四角い杭)」。日本でしっくりしなさを感じながらも無意識に世間一般に合わせようとしていたのと同じように、無意識にカレシの(日本人)妻の型に合わせようと、ある意味無理をしていたのだと思う。その無理に気づくきっかけがカレシの大爆発。そのときの状況や「ヒロインたち」への反発もあったけど、「自分」を取り戻すために自分の中にあった(であろう)「日本人」を剥がして捨てた。でも、捨てたのは「日本」という国家や文化に属する「日本人」なんだけど、日本の中から見ている日本人には「日本人という人種でなくなったわけではないし、なくなるはずもない」と説明しても通じないことが多い。その違い(二人について言うならば「国際」結婚ではなくて「異人種」結婚だということ)に最初に気づいてくれたのがカレシだったのはちょっと皮肉でもある。
窮屈な「満員バス」から降りたたような気分で、胸いっぱい深呼吸をして大手を振って歩き始めたのが今の極楽とんぼ。還暦は10年の苦闘が終わった大きな、大きな節目の年でもあった。東京の空の下でどこへ行っても感じる居心地の良さを感じることができたのは、四角い杭が丸くなったわけではなくて、その穴に自分をはめ込まなくても良くなって、初めて素のままの自分でいられたからだと思う。あれから1年経って、カレシがくれたカードには「そのままのキミが一番いい」と書いてあった。理想郷としての「日本」にはまだ未練があるらしいけど、少なくとも私という人間からその「日本」を剥がして、素のままで受け入れてくれているらしいのが何よりもうれしい。
このブタやろー
4月27日。引き続き好天。仕事いっぱい。日本はゴールデンウィークだから静かになるともくろんだのになあ。元原稿が原稿用紙にして270枚分くらいある巨大な仕事も全量確定。おもしろそうだからと飛びつく極楽とんぼもとんぼなんだけど、あ~あ、せっかくの初夏の候もベースメントのオフィスでモニターとにらめっこしているうちに過ぎてしまいそう。いっそ還付される税金でラップトップを買って、日当たりの良い二階で仕事しようかなあ。
メキシコで始まったSwine Flu(豚インフルエンザ)が世界的流行の一歩手前のフェーズ4に指定された。BC州は今のところ患者2人が確認されて、数人が検査の結果待ちだという。確認された2人のうちの1人は川向こうのリッチモンドの若い人。メキシコはカンクンでのバケーション最終日に体調を崩して、水曜日の帰りの飛行機の中で猛烈な寒気が始まり、それ以来ずっと寝込んでいたんだそうで、「想像のつく限り最悪の食中毒が4日も続いた感じだった」とか。メキシコはカナダ人にとって人気バケーションスポットだから、これから患者が増えるだろう。でもカナダにはSARSで何十人もの死者を出した時の苦い経験があるから、防備体制は大丈夫だと思うけど。当面は、保健所勧告の通りに、やたらと鼻や口を手で触らない。しっかり手洗いを励行。あとは鼻が乾燥しないように生理的食塩水のスプレーをシュッシュッ・・・こんなところでいいんじゃないのかな。
新型インフルエンザの大流行は今に始まったことではないけど、呼吸器は健康なのに慢性的に咳をしている極楽とんぼは気をつけないととんでもないとばっちりをこうむることがある。SARSのときはダブリンでの会議に行くのに、入国拒否を食らわないようにとドクターに「まったくの健康体」という証明書を書いてもらった。そういえば、出発ゲートに向かう途中で、吹き抜けになっている下の入国管理フロアを見たら、ちょうどアジア便が続々と到着する時間帯で、見渡す限り白いマスクの海。あれはかなり異様な光景だったけど、SARSは原因不明の死亡率の高い新型の病気だったから、深刻度は相当なものだった。
今回の新型インフルエンザは40年前の「香港インフルエンザ」以来の大流行になるかもしれないという話もある。日本でもたしか「香港かぜ」といって騒がれていたような記憶もあるけど、北米では学生たちが冗談に「毛沢東かぜ」と呼んでいたと、カレシは言う。世界での死亡者数は推定50万人と言われる。当時に比べたら今は人の往来が増えたし、移動のスピードも昔の比ではないから、流行が広まるのもずっと早いだろうな。
スペインかぜが世界に大流行したときの死者は5千万人とも1億人とも言われるから、中世の「黒死病」大流行に匹敵するくらいの規模だったのだろう。この黒死病は腺ペストではなくて、現代アフリカでときどき猛威を振るうエボラ出血熱のようなウィルスによるものだったという説もあるけど、人間も地球上の動物界の1種で、どこかで遺伝子のかけらを共有しているだろうから、鳥や豚からインフルエンザをもらっても不思議はないだろうな。逆に人間からウィルスをもらって病気になる動物だっているだろうし。
だけど、病気の流行を阻止できるのは今のところ人類だけなんだから、ここはあわてずに自分でできる最善のことをするのが一番の防御策かな。大変、大変、怖いよ~と大騒ぎしてあとで笑われるのはチキンリトルだけでいいと思うけど。あ、そろそろ怪しげなオンライン薬局がパニックを利用して、タミフルやリレンザを安く、翌日にお届け!なんてスパムを大量にばらまいてくるんじゃないかな。You swine!(このブタヤローが!)。でも、引っかかる人、きっといるだろうな・・・
ほんとに世の中って
4月28日。世の中にはほんとにいろいろとヘンな人、困った人、呆れた人、ど~しょ~もない人がいるもんだ。
州議会総選挙の真っ最中だというのに、与党の大物候補の法務大臣が辞任。なんとスピード違反の切符を5年間に9枚ももらって、とうとう免許停止になったのが明るみに出たからなんだけど、実は州の道路交通法はこの人の管轄だから、スピード違反で免停なんてもってのほか。投票日まであと2週間では候補をやめるわけにも行かず、閣僚ポスト辞任となったらしい。足が重くてアクセルから離れなかったっての?んっとにまあ、困ったお人だねえ。
ニューヨーク上空を大型旅客機がジェット戦闘機に追われて低空飛行。まだ7年半前の9/11のトラウマが癒えないニューヨーカーはパニック状態でオフィスを飛び出し、道路に避難。聞いてみると、なんと旅客機は大統領専用機エアフォースワンの予備機で、ジェット戦闘機にはカメラマンが乗っていて、「ニューヨーク上空飛行」の写真撮影。ホワイトハウスの担当部署はニューヨーク市警察に通知したというけど、ブルームバーグ市長にも市民にもなしのつぶて。記者会見に臨んだ市長の額には青筋が立っていた。だいたい、写真Shopを知らないの?動画がいるなら、飛行機を飛ばさなくても、民主党びいきのハリウッドに合成できるテクニシャンはごろごろしているだろうに。んっとにまあ、無神経きわまりない、呆れた人たちだなあ。
メキシコにある日本企業の駐在員の家族が続々と「脱出」することになるらしい。たしかに「豚インフル」が怖くて、怖くて、いても立ってもいられないと気持が逸っているんだろうけど、「脱出」ねえ。豚インフルの地獄に残る「メキシコ人」についてはどう思うのってききたいなあ。「カナダに行っても大丈夫ですかっ」て、もしもこっちで流行し始めたら、パニクっている外国人なんかじゃまっけだから、来てくれなくてもいいけど。ついでに、あたふたする人が少ないほど対策を実施しやすいので、カナダで豚インフルの患者が出たから「怖い!」という人は、どうぞ安全な日本へお帰りください。どれだったか、日本の新聞に「日本の報道が一番過剰だ」と書いてあった。マスコミが率先しておたおたと騒ぐから、国民もおたおた騒ぐんじゃないの?んっとに、ど~しょ~もない。
東京のどこかの公園の真ん中で夜の夜中に素っ裸で騒いでいて、逮捕された何とか言うタレント君。それをトップニュースで報道する日本のメディア。どこかのテレビ局なんか、現場の模型まで作って、レゴのピースみたいな人形とパトカーまで動かして、オジサン解説者たちがていねいに説明。へえ~、これって「識者」が解説するような重大事件なのなかあ。日本ではそうらしいから、海外のメディアも「ン?」と思って報道。んなの、ハリウッドのおバカスターたちが年中やってるけど、芸能ゴシップでよいしょするくらいかな。んっとにまあ、ヘンな人たちだなあ。
ちょっと著書に触れたら、ほめたわけでもないのに、どこをどうやって探し出して来たのか、しつこい人。どうやら、どこでもかしこでも、ところかまわずリンクを貼って自著の販促をやっているようだけど、あんたがどうやって女をナンパしたかなんて興味ないんですけど。あんたのようなのはこっちにもわんさといるし、どこでどんなふうに出会おうが、そういう相手と出会ったってことには変わりないだろうし、どういう関係であろうがとんぼの知ったことではないんだけど。それを何でとんぼが世の中に説明してやらなきゃなんないの?知りたい人が本を買って読めばいいだけじゃないの。わずらわしくなって来たから記事をそっくり削除しちゃったけど、んっとにまあ、しつこい人だなあ。どっかよそで相手になってくれる人をつかまえなっつうの。
ほんと、世の中にどこを見てもあたりまえにいるらしい、いろいろなヘンな人、困った人、呆れた人、ど~しょ~もない人に、今日のとんぼはただただ感心のいたり・・・。
笑う門に福が殺到すると
4月29日。今日はまあなんといろんなものが来る日だったこと。起きる前にピンポン鳴っていたなと思ったら、注文してあったキッチン用品の配達を逃して「不在通知」。郵便公社がメールで送ってくる通知では、配達予定は30日だったんだけどなあ。まあ、予定はあくまでも予定ってことだけど。
ひと山の郵便の中にカレシがケーブルテレビの会社に請求書のことで文句を言ったついでに「売りつけられて」しまったデジタル放送のコンバータ。いくつチャンネルがあるのか知らないけど、これで月3ドル料金が増える。デジタルに移行したらリビングにあるメインのテレビを買い替えるつもりでいたから、ま、いっか。
郵便の中に小さな小包がもうひとつ。おあずけになっていたカレシからの誕生日プレゼント。アマゾンだけど、本にしては封筒が薄い感じがするけど・・・と思いつつ開けてみたら、だいぶ前にネットでたまたま見つけて、「買おうかなあ」と言っていたDVD。それはかっての人気バラエティ番組『エドサリヴァン・ショー』のうちの、ネズミの「トッポジージョ」が出演したエピソードのコレクション。日本にいた頃にときどき『エドサリヴァンショー』が見られた時があって、表情が豊かで愛嬌たっぷりのトッポジージョが大好きだった。ふむ、あんがい「ゆるキャラ」の元祖かもしれないなあ。
早く仕事を終わらせてDVDを見ようとやっきにキーを叩いていたら、またゲートでピンポン。今度はFedExが「ヴァージニアからですよ~」と、注文したばかりの大学講義シリーズを持って来た。ちゃんと教科書のような「コースガイド」がついていて、コース内容の要約と、講義ごとに推奨文献と、テスト質問みたいなのが2つか3つ。なるほど、ただ漫然と見ていないで、ちゃんと学んだかどうか自分でテストしてみなさいってことか。おもしろいのは「Report Card(成績表)」の用紙が入っていたこと。ただし、評価されるのは先生の方(といっても正確には講義についてだけど)。なかなか内容の濃い講義のようだから、これでぼちぼち勉強しておいて、後で通信コースでまとめて単位を取るというのもありそうかなあ・・・と、取らぬ狸の皮算用。ま、いくつになっても「学ぶは楽し」で、極楽とんぼは楽して雑学。そこが門前大学のいいところなのだ。
もうひとつ届いたすきてなもの。イアンとバーバラの双子の孫息子の洗礼式へのご招待。日曜日の午後にポーランド人カトリック教会で洗礼の儀式があって、そのあとで会員制のクラブで(おそらくお婿さんの両親が主催する)昼食会。親族でもなければカトリック教徒でもないのに、招待されるのはすごく光栄だなあ。まあ、私たちはアンにとって小さいときから「名誉おじ・おば」だから、双子のジュリアンとマテオにとっても「名誉親族」ということになるか。プレゼントを買っておかなくちゃ。アンとブライアンの結婚式は、花嫁側のポーランド人教会を式場にして、花婿側のフィリピン人教会の司祭がフィリピン式に執り行ったけど、洗礼式もポーランドとフィリピンで慣習が違うのかな。ともかく、洗礼式に参列するのは初めてだから、粗相のないように、どういう流れなのか少し下調べをしておいた方がいいかなあ・・・。
それにしても、今日はまあなんといろんな「いいもの」が我が家の門に来る日だったこと。笑う門に福が殺到すると笑いが止まらなくなる・・・かな?
ホッケー熱は上がるけど
4月30日。今日も良い天気。庭のライラックのつぼみがふくらんできた。週末には咲き始めるかな。桜にはさしたる感慨はわかないけど、ライラックの開花を見てああ春もたけなわだという気分になるのは、やっぱり極楽とんぼが根っからの道産子だからなんだろうか。ライラックはフランス語で「リラ」だけど、どんなに記憶をかき回してもライラックを「リラ」と呼ぶのを聞いたことがない。ライラックはお雇いアメリカ人が故郷のニューイングランドから持って来たものだと言われる。敗者の幕府を支援したフランス語の呼び名がアメリカ人の指導で開拓が進められた北海道で普及するとは思えないんだけどなあ・・・
更新した運転免許証が届いた。まあ1週間しかかかっていないんだけど、近頃はクレジットカードで買い物をするときにちょっとした金額がはると写真入りの身分証明を求められることが多くて、免許証を持っていないと困ることがある。肝心の写真は・・・う~ん、まあまあと言っとこうかなあ。はなぜかカラーから白黒になって、なんだか疑心暗鬼のきつね目に見えるような気がするけど、あんがい、警察に止められて、「免許証を見せてください」と言われるときには、みんな大方こんな顔つきになるのかもしれないな。偽造を難しくするために材質やデザインを一新したそうで、前のに比べるとなんだかごちゃごちゃして見えると思ったら、今まで裏にあった体重、身長、目の色、髪の色が全部表に移っていた。なにしろ、いろんな大きさ、色、形の人間がいるからなあ・・・
豚インフルエンザがとばっちりを受けた養豚・豚肉業界に配慮して「H1N1インフルエンザ」と名前を変えたけど、感染者が全国で40人近くになっても、バンクーバーではプロホッケーのプレーオフに熱中していて、そんなのにかまっていられないような雰囲気。テレビのニュースもほんの2、3分でカナダと世界の状況をアップデートするくらい。日本でカナダから帰った高校生が「感染疑い例」になったと報じた新聞も、「人口過密な日本では急速に広まりかねない」とさらり。となりのパットに、日本では厚生大臣が夜中の1時に記者会見して発表したんだってと言ったら、きょとんとしていた。ちなみに、高校生が乗った帰国便はメキシコ発のバンクーバー経由成田行き。帰国時期から見てもカナダ国内で感染したとは思えないけど、それ以来急に新聞報道の見出しに「カナダ」が増えた
ような感じがする。
人間社会はどうやら根本的に二項対立らしく、常に物事に対して「反応」する人と「対応」する人がいる。「反応」は赤ん坊でもできることだけど、「対応」には基礎データと意思的な決断が必要になる。早く言えば、反応は幼児的、対応は大人ということもできるけど、人間はそんなに単純なものではないから、どっちのタイプかはいろんな要素の後の隠れてわからないことが多い。それがてきめんに表面化するのが「危機」。生きるか死ぬかの火急のときは建前なんか言ってられないから、その人の本音が出る。目が「お星様キラキラ」状態の恋愛の最中にはなかなか相手の本性を見抜けないのはそのためかもしれない。でも、反応的であるか、対応的であるかによって生死を分けるような状況もあるんじゃないのかなあ。
カレシを英語教室に送り出して、歩いてモールまで。途中でカレッジに寄って、受講生の数が最低に満たなくてキャンセルになってしまった演劇クラスの払い戻しの手続き。今のような不景気だと、就職やキャリアに結びつかない、趣味の範疇に入るクラスは受講者が減るのかもしれない。モールでは双子の洗礼式のプレゼント探し。アイデアもないまま、ぶらぶらと歩いていて、何となく入ったのがスワロフスキーの店。そこで見つけた哺乳瓶を持っているクリスタルの小ぐま。なんともかわいかったもので、淡いブルーのビブの男の子のを2つ。
後はママとパパへのお祝いのカード。特にカトリック教国でもないせいか、洗礼式のはあまりないけど、それでも1枚だけ「babies」と複数になっているのを見つけた。最近は多胎児が増えているそうだから、ニーズはあるだろうな。レジへ持って行ったら、あら、誰もいない。店のどこかで客の相手をしているのかと思ってしばらく待ったら、「すいませ~ん」と若いおにいちゃんが外から駆け込んできた。何のことはない、向かいの携帯ショップの宣伝用のテレビでホッケーの試合を見ていたんだそうな。で、試合はどうなの?「第3ピリオドで3対3」だったけど、「We scored(我々が点を入れた)」と興奮して言ったおにいちゃん。ははあ、キミも相当に熱が上がってるなあ・・・。