赤い靴の極楽とんぼ
4月16日。ぐっすり眠ろうと思ったら朝からまた外で市の建設課の工事。送電線埋設で壊したトラフィックサークルの復旧作業。きのうのうちにコンクリート枠を設置していたので覚悟はしていたけど、午前8時にガガガガッと削岩機の音。セメントの付きが良いようにでこぼこをつけているらしい。やれやれと思ったら、カレシは意外にもぐ~すかお休み。ワタシもほどなくして眠ってしまった。起きてみたらいつのまにかコンクリートを流し込んで、作業はほぼ終了していた。去年のストのおかげで今年にずれ込んだんだろうけど、もう小出しの工事はほんとにいやになる。そのたびに道路が通行止めで我が家は陸の孤島状態になるんだもの。ま、これが最後の最後であることを祈りたいけど、さて・・・
というわけで、東京で会った人たちにお礼のメールを書いて、本格的に営業再開。もうちょっとゆっくりしていたい気もするけど、いつものように、地平線に黒い雲がぽかり、ほどなく土砂降り。ねじり鉢巻のお天気模様になる。そうだ、訪問先のオフィスで担当の女性方から記念にとプレゼントされたきれいなてぬぐいできりりとねじり鉢巻して写真を送ろうかなあ。なんだか初めましてとご挨拶を交わしたとたんに旧知の間になったような気がした人たちだから、みんなきっと笑い転げてしまうだろうなあ。どこへ行っても初めて会う人たちばかりだったけど、みんないっしょうけんめいに仕事をしているすてきな人たち。さっそく極楽とんぼエンジン全開でひとときを楽しんでしまった。なにしろ、人見知りせずに誰とでもどんなことでもおしゃべりできて、楽しんでしまうのがワタシ。極楽とんぼ丸出しでいられたと言うことは、会った人たちがみんなすてきな人たちだったから。日本も捨てたもんじゃないよねえ。
バブルと共に始まったらしい格差社会ではお金や地位以外に、人の内面にも勝ち犬と負け犬を作るものらしい。ワタシはたまたまそういう負け犬をけしかけられて不甲斐なく動揺してしまっただけで、ほんとうはワタシの周りには勝ち犬ばかりがいて、みんなから生き残るためのエネルギーをもらっていたのだと思う。人間は誰でも根本的にはやさしい。日本人だって、迷路のような駅で迷子になっても英語で話しかければ大人は親切だった。(日本語で話しかけても同じだったかどうかはわからない。)でも、バブルの後に人間としての心をなくしたか、育てずに来てしまっために、自分自身には見えない自己を白雪姫の継母のように「他人」という鏡に映して確認するしかない人たちも溢れているのも事実だと思う。東京と言うあの巨大な都会にはそういう土壌もあるかもしれない。東京は「日本」じゃないと言うのをよく聞くから。
何気なく見ていたアニメはちょっと見には古風な精神論を説いているけど、よくここまで平然と書けるなあと戦慄するような、暴力性に満ちた人間憎悪が恐ろしくなって見続けることができなかった。作っている方は商売と割り切っているだろうし、ワタシには一種の後遺症があるのかもしれないけれど、あれほどの冷酷さを漫然と娯楽として見ていられるというのは恐ろしい。ローマ帝国はそうやって滅びた。だけど、きっとみんなワタシとは感性が違うんだろうなあ。だとしたら、東は東、西は西・・・ということにしておこう。
東京では、家族や友だちに会っているとき以外は英語で通してしまった。そのほうが知らない人を前にして自分の日本語を意識せずにすんで気楽だったんだけど、そうやっている自分がいかにも自然に感じられて、まったく違和感はなかったのも不思議には思わなかった。それを苦痛と感じることもなく、海外旅行に来たような感覚で「冒険」として楽しんでいたワタシは、やっぱり異人さんになっちゃった赤い靴の女の子なのかな。それでも「まあ、いいや」と肩をすくめてしまえる自分はきっと幸せな極楽とんぼなのだろう。これでいいんだ。もやもやが晴れた気持がするもの。行って良かった・・・ほんとに。
これがほんとのほっこりかな
4月17日。さて、今日から、ほんっとに今日から仕事モードだよ・・・ほんっとにって、ほんと?遊んできた後だからかもしれないけど気分はあまり乗らない。カレシとの約束通りモールまで買出しにおでかけ。そんなに好天でもないのにやたらと光がまぶしい。銀行に寄って、現金を引き出して、危うくドアにぶつかりそうになった。あっ、ここではドアは自動的に開かないんだ。自動ドアがあるのは空港や病院くらいのものじゃないかなあ。ふむ、人間は考えずにすむことにはけっこうあっさり慣れるものらしい。変なことに慣れて来るなよとこぼしつつ、ドアを押して外へ出ると、うわっ、目を開けていられないくらいに外の光がまぶしい。そうだろうなあ、こっちは日本より緯度が高いもん。1週間という期間はなんとも中途半端な「なれ」を生むものらしい。
帰ってきて秤に乗ってびっくりしたけど、毎日トントンと体重が落ちる。平常の食生活に戻ったせいだろうか。前から日本食らしきものを作ったり、ジャパニーズレストランへでかけたりした次の日は体重がはね上がることがわかっていたから、今回はご飯を控えたんだけど、それでもやっぱり体重が増えてしまった。だって、日本の「主食」はあくまでも炭水化物と糖分の塊みたいなご飯。そのご飯をおいしく食べるためにおかずというものがあるわけで、日本だったらおかずにあたるものが「主食」でパンやご飯は「おかず」という西洋の食習慣とは正反対に近い。平常は肉類が主食で、甘いものはあまり食べない人間が炭水化物や糖分の摂取量が多い食生活になったもので、その激変が体重増加やむくみといった生理的な変化となって現れたんだと思う。人間の人生では十年というのはけっこう長いから、それだけご無沙汰していれば身の機能までが「おいおい、どうなってんの?」とパニックになっても不思議でないだろうなあ。あと2ポンド、すんなり落ちてくれますように。
それにしても、見慣れた風景の中で、すべて細かいところまで知り尽くして、周りで起こっていることが理解できて、キョロキョロ、ウロウロしないで行動できる環境はやっぱりほっとする。だから、異国に馴染めずに不興をかこつ人たちの心理も分からないではない。その人のずっと深いところに刻み込まれたことはそうやすやすと切り替えられない。ひょっとしたら、それはその人の遺伝子に組み込まれる寸前のレベルまで到達した「習慣」なのかもしれない。いろんな身体症状が出てもおかしくないけど、そのレベルが深ければ深いほど「適応」が難しいんだと思う。このレベルに根っこが張っていたら「同化」はまず無理かもしれない。もちろん、ある環境に生理的に適応できるかどうかには「努力」という要素もあるんだけど、してもらうことに慣れた人たちにはその努力は自分がするものではないと思っているふしもある。考えてみたら、食生活の違いは人によっては言葉の違いよりもずっと高い障壁なのかもしれないなあ。
スーパーの棚もみなれたものばかり。レジの人と交わす「ほんといつになったら春が来るのかしらねえ」といったスモールトークもいつもの通り。見知らぬ人と目と目があって自然にスマイルを交わすのもいつもの通り。何もかもいつもの通り。モノは溢れていないかもしれないけど、人もモノもかわいくないかもしれないけど、みんなおしゃれじゃないかもしれないけど、お客様へのサービスが全然なってないかもしれないけど、やっぱりこれがワタシの日常、ここがワタシの国、ここがワタシの居場所。安心感にゆったりと包まれていられるところ。これが本物の「ほっこり」というヤツなんだろうなあ。気持が落ち着かないはずがない・・・だって、我が家の自分の生活圏に帰ってきたんだもの。
どうなってんの、今日は
4月18日。今日って日はどうなってんだろうなあ、いったい。
カレシは朝食が終わるのを待ちかねたみたいに「ちょっとダウンタウンまで行って来るから」と一人でおでかけ。ワタシのバースデイプレゼントを買うので、ワタシが一緒だと困るから、仕事の締切がある今日のうちにということにしたらしい。ついでに会計事務所に立ち寄ってできあがった納税申告書をピックアップしてきてくれるという。なんだかうれしそうなヒミツを抱えて、いそいそとおでかけ・・・と思ったら早々と帰ってきた。何でもパーキングメーターに入れる小銭を持っていなかったので、回れ右して帰ってきたんだそうな。
今度はコンピュータの前に座って、「良いって言うまでボクのモニターのほうを見たらダメ」ときた。いいや、こっちは締切の時間を睨みながらの作業だから、しっかり前だけ見てようっと。そのうちなにやら印刷していたと思ったら、「もう見てもいいよ」。はいはい。「あしたまたダウンタウンに行って来るからね」。はいはい。今度は酒屋まで行ってくるとまたおでかけ。いったい何を企んでいるんだろうなあ・・・
今夜はシーズン最後のコンサート。ハイドンとCPEバッハとJSバッハと再びハイドン。ケベック出身の若手指揮者の踊って跳ねるような指揮ぶりは、えらく小柄な人だけにエネルギッシュ。ヨーロッパの交響楽団と常任指揮者の契約を結んだというから、これから大いに伸びる有望株なんだろうなあ。そんなにすてきなコンサートなのに、CPEバックのピアノ協奏曲の最中に目にほこりが飛び込んだ。コンタクトをしていると、ちょっとしたほこりでも痛くてたまらず、涙がボロボロ出るから困る。カレシにもらったティッシュで涙を拭き拭き、ごみが流れ出るのを待つばかり・・・
後半はJSバッハの協奏曲で始まった。ところが、最後のハイドンの交響曲第49番になって、今度は突然猛烈なせき。息を止めてもこみ上げるせきはとまらない。邪魔にならないようにと抑えても突き上げてくる。そんなとき、隣に座っていた男性が「これでよかったら」と水のボトルを差し出してくれた。「口をつけたものですが」とすまなそうに言うけど、こっちは他人の飲みかけだからと文句を言っている場合じゃない。とにかくありがたく受け取って、一気に飲んだからどうやらせきがおさまってくれた。ああ、地獄に仏とはこのこと。
さて、コンサートが終わって外へ出てみたら、ええ、雪が降っている!それもすごい巨大なぼた雪。ここのところずっとやたらと寒い日が続いていたけど、桜が散ってしまってから雪なんてどうなってんだろうなあ。夜道を車で飛ばしていると、でかいぼた雪の群れがうわ~っとぶつかってきて、なんだか『スターウォーズ』のシーンみたいな感じがする。天気予報では「高台では」ということだったし、コンサートホールのある大学構内はいつも市内より気温が低めだから、我が家のあたりはきっと雨と予想したら大外れ。我が家に近くなるほとに地面は真っ白。ほんとにどうなってんだろうなあ。こんなんでほんとに春は来るのかなあ・・・
寿司は寿司、スシは何?
4月19日。帰って来てから初めての土曜日。今日はインド系シーク教徒のヴァイサキの祭日で盛大なパレードがある。我が家はパンジャビマーケットと呼ばれるインド系の商店街に近いせいで、「住人専用」の標識が林立している区域で駐車できる場所を探す車が行ったり来たりするからけっこううるさい。おまけに頭の上を広告かなんかを引いた飛行機がぐるぐる回るものだから、他人の騒音に過敏なカレシは起きたとたんにムカ。一日中耳栓をしたままでむっつり権兵衛を決め込んでしまう。年に1度のことだし、シーク教徒にとっては一番重要なお祭だそうだから、いいじゃないのと思うけど、何時間も飛行機を飛ばすのだけはどうにかしてほしいなあ。もっともそれだって、4機もが団子になって2、3時間も頭上を旋回飛行した時期があったんだから、何らかの苦情があって1機だけにしたのかもしれないけれど。
ディナーにおでかけの土曜日。ワタシが友人に連れられていった東京の築地ですごくおいしい寿司を食べて来たというので、食べ比べてみるつもりでバンクーバーで一番高い和食レストランTojo’sに行った。ここは前から評判が大きく分かれるところで、ワーホリ族などにもけっこう悪評芬々らしいので、すし屋に興味をなくしてからは一度行こうと言いながら行かずじまいになっていた。まあ、レストランの素人批評はかなり偏向があるから、一度は行って自分の目と舌で決めるのが一番。三度行けばもっとよくわかる。
のっけからまずモダンなウェストコースト風の店内。着物のウェイトレスはいるけど、後はみんなお決まりの黒装束。ありふれた和食レストランとは雰囲気が違う。カウンターの後には名物男のオーナーシェフであるトージョー氏がいる。つるつる頭に鉢巻だからちょっと見にはタコ坊主みたいなユーモアのある風采だけど、粋な「板前さん」。日本のどこか有名なところで一から修行してきたという。純米何とかの冷酒を注文して、目玉になっているらしい「Omakase」というコースを注文した。食べられないもの、嫌いなものを聞いて、あとはシェフにおまかせ、というしくみ。値段は3通りと「以上」があって、書いてある数字の真ん中にした。さっそく出てきたのがレモンと醤油としょうがで味付けしたマグロの刺身。いやあ、おいしい。カレシにいたっては「パンがあればジュースを全部食べられるのに」と残念そうに指先に残った汁をつけてぺろり。幸先がいいぞと思っていると、ホタテを詰めてカリッと焼いたふっくらと大きなシイタケ、それからおひょうのほっぺたとなめこの煮物。味はごく上品でいける。
次いで寿司5品。そのうちの3品は工夫を凝らしたロール。本物を知っている(と思っている)日本人は創作巻き寿司とも言えるロールを邪道扱いするきらいがあるそうだけど、ネタの組合せを工夫できて、シェフの腕の見せどころ。ひとつずつゆっくり味わったら、とにかくおいしい。カレシもはまってしまいそうな勢い。握り寿司はと見ると、おお、築地で食べたのと同じ形をしている。ご飯が魚の端を持ち上げないと見えないくらいに小さい。ここんところがマクドナルドより多いといわれるバンクーバーのすし屋のスシとの決定的な違いなんだなあ。要するに、「スシ」はご飯が主食で、ネタは「おかず」。そう、日本伝統の「寿司」だと思って食べているあれ、ボリュームの9割以上がご飯なのだ。どおりで安いはずだ。安いから手軽にテークアウトして食べられるわけなのだ。いい加減にやっているのか、付け焼刃で覚えたすし職人がやっているのか、ガイジンには違いが分かるまいと思ってやっているのか、そのへんのところはわからないけど、いわゆるsushiというのは「スシ」であって「寿司」ではないということなんだとナットク。
最後はまぐろを海苔で包んで軽く揚げたたたき風で、とろりといいお味。デザートのゴマ味のパンナコッタと自家製のゴマクッキーは逸品だった。ちなみに、最後までご飯も味噌汁も出てこなかった。ふ~ん、料理がメインだから、よけいな「おかず」はいらないってことか。おなかもハッピーになって、また来ようということにして帰ってきた。「おまかせ」だとそのたびに内容が違うわけで、これからはまたひと味もふた味も変わった創作日本料理を楽しめそうだなあ。
夢に見たラーメンの味
4月20日。日曜日。金曜日の夜の雪はとっくに融けてしまって、予報に反して好天が続いているけど、一けたの気温。4月も下旬だと言うのにこの寒さでは「何だ、これ」と、ちょっと焦るような気分になってしまう。カレシが種をまいた野菜はどんどん芽を出して、どんどん伸びるけど、まだ庭に植え替えられる状態ではないから、毎夜温室にヒーターを入れなければならない。光熱費がばかにならないけど、しょうがいないなあ。
今日はどっさりと野菜を仕入れてきて、みごとに空っぽになった冷蔵庫の野菜入れをいっぱいにした。底からは使い残してそのまま忘れられて目も当てられなくなったブロッコリやカリフラワーが出てきた。たまにこうして空っぽにするのは一応の掃除にもなっていいことだ。カレシがワタシのいない間に完璧にマスターしたと言うフライドポテトを作ってくれると言うので、大きなジャガイモを料理用とは別に買ってきた。常備のオクラやアスパラガス、インゲンも買った。ランチのラーメンに入れるもやしも買った。青梗菜も袋いっぱい買った。冷蔵庫は野菜でいっぱいで、これで当面は安心の心地・・・
東京では念願のラーメンを食べた。実は「はしご」をしたのだった。新宿駅の地下で最初に入ったところは「牛背脂入り」というのを出していた。お値段は600円。ずいぶん安く感じる。でも、なのだ。食べてみたら、こってりとしているけど何か足りない。麺だってどう見てもラーメンの麺じゃない。おいしいことはおいしい。まあおいしいんだけど、いまいち「ラーメン食べた~」という喜びがわかなくて、その足で駅とホテルの間にある横丁みたいなところをうろうろ。そこで遭遇したのがケースいっぱいのサンプルの中のラーメン。卵とほうれん草と赤白のなるととメンマが載った、見るからにクラシックなラーメン。札には「中華そば」と書いてある。そっかあ、東京のラーメンは昔は中華そばと呼んだんだ。
さっそくせまい階段を上がって入った店は、何かミニミニ。小さいテーブルがぎっしりで、けっこう混みあっているから、案内?されたのは相席。座る前にもう注文を聞くから、「フツーのラーメン」。日本の食べ物屋は注文したものが出てくるのが早い(で、食べるのもみんな早いけど)。ほどなくして出てきたラーメンは感激してしまうほど古典的なラーメン。ああ、食べたかったのはこの味だったんだ。で、お値段は何と290円。デフレときいてはいたけど、大き目のどんぶりにたっぷりでたったの290円なのだ。日本を出る前の勤め人時代にランチでよく食べた札幌ラーメンのほうが高かったんじゃないかなあ。うん、こんな古典ラーメンは、きっとラーメン屋が増えているバンクーバーでも食べられないだろうな。いや、はしごをした甲斐があったというもの。口の中にほのかに残った後味を楽しみながら、幸せな気分。
最後の日のランチには義弟の特製ラーメンを食べた。ていねいにスープを作って、チャーシューも自家製だとか。クラシックな北海道のラーメンの味で、これがまたおいしかった。今は背脂だとかとんこつだとか、こってり系のラーメンが主流らしいけど、ワタシが求めていたのは舌が記憶していたラーメン。昔のラーメン。まあ、一種のノスタルジアなのかもしれない。だけど、290円の中華そばも、自家製の北海道ラーメンも、ほんとになつかしくて、ほんとにおいしかった。しばらく舌の上で思い出して楽しもう・・・
ラブラブ破綻保険
4月21日。帰ってきてからあっという間に1週間経ってしまった。ずっと何となく風邪気味のような、そうでもないような、体中がざわざわするような、節々が痛いような、そんな感じだったけど、どうやらぐんと軽くなって、調子が出てきたような気がする。やっぱり日付変更線を超えての長旅は少々こたえる年になったってことかなあ。それにしても、増えた体重の減りぐあいが鈍ってきたぞ。もうちょっとなんだけど、ジーンズがまだすこ~しきついような・・・。ま、体調が良くなってきたところで、ご無沙汰のトレッドミルに復帰すれば残りもストンと落ちるかもしれないと期待。
久々にローカルの掲示板を見たら、ものすご~い広告が載っていた。掲示板のオーナーが出したもので、「カナダ人(カナダ移民)の恋人がいる方に朗報です 」で始まって、要するに、移民コンサルタントなる人が、「カナダが好きで、愛しい彼氏といっしょにいたいけど、結婚するのはちょっと、だけど今のビザがもうすぐ切れてしまう、という人はコモンローの制度を利用して合法的にカナダに住めますよ」とぶち上げて、その説明会をしますと言っている。まあ、結婚しなくたって1年間「同棲」して、事実婚であることを証明できれば相手にスポンサーしてもらって移民申請できるんだし、このクラスで申請する日本女性の数は相当なものらしいから、広告が言っていることには嘘はないんだけど、どうやらコモンロー組、予定組の神経を逆なでしたらしい。見たところ、「カナダ人と1年間同棲すれば移民なんて簡単」、「カナダ人と同棲するのが移民への近道」みたいな言い草なのが気に触ったのかもしれない。深読みすれば、あんまり芳しいイメージが浮かばないもの。
非難轟々でオーナーは広告の内容を少し変えたらしいけど、非難は止みそうにない。だいたい、「カナダでコモンローカップルになったとしても、日本の戸籍上は独身のままです」なんて、まるでビザを取るために便宜上でカナダ人との同棲を奨励しているような印象さえ与える。たしかに、結婚したって、将来別れても日本の戸籍には傷がつかないからと、日本に結婚届を出さない人もかなりいるそうだから、コモンローの「お試し婚」ならもっとお手軽という人も相当な数いるのは事実だろう。都合の良い抜け穴があるんだから利用しない手はないと思うのが人間なんだろう。でも、スポンサーとして3年間の義務を負わされる彼氏はどうなんだろう。半年で別れたとしても、永住権を獲得した彼女はすぐ他の男と結婚なり何なりできるのに、彼氏の方は3年が経つまでは次の恋人を移民させることはできないし、もしも別れた彼女が生活保護でも受けようものなら、政府がその金額を請求してくる。利用されているだけのような気もしないではないけど、ま、男女の仲は魑魅魍魎。心配するほうが野暮ってものかもしれない。
だけど、カレシのオンナノコたちの熱意?を思えば、外国人と外国で暮らすのはきっと魅力があるんだろうなあ。今はどうか知らないけど、あの頃は「国際結婚ブランド」のブームのような感もあったから。でも、カナダが好きと言っても、それは観光客に毛の生えたような状態の人たちなら誰でも言うことで、めでたく永住の身になって「生活」が始まると、とたんに何もかもイヤ。ついには愛して一緒になったはずのダンナまでイヤ、なんて人もけっこう多い。恋愛と結婚は別ものという人が多いけど、まさに「在住」と永住も別のものらしい。結婚と同じように永住は「生活」。結婚と同じようにゴールインしたら熱が冷めてしまったなんてこともある。もっとも、移民コンサルタントが商売になりそうだと目をつけたのだとしたら、なんだか結婚破綻保険みたいで、せちがらい恋愛のような・・・
イジワルばあさんクラブ
4月22日。やったぞ~!久しぶりに仕事の「INBOX」の底が見えた。きれいに空っぽになった。しあさってはいよいよビッグバースデイだから、このまま空っぽのままでうんとほこりを貯めて欲しいなあ。外を見ると、せっかくお日様がまぶしい春らしい陽気になって来たんだし。(まあ、お日様を拝むほど早起きしていないけど・・・)
ローカル掲示板に載った移民コンサルタントのすごいお知らせも書き込みがだんだん下種になって来て、下火らしい。でもこれだけ非難で盛り上がってしまって、実際に説明会に来る人っているのかなと、ちょっと野次馬根性が顔を出す。どういう人が来るんだろう、見てみようかと野次馬根性丸出しで行く人もあんがいいたりして。でも、そこまでしてカナダにいたい人の数よりも、どうもスポンサーになる相手が協力的でないケースが多いようなのがワタシには気になる。人それぞれだから別にいいんだけど、二人で頭を突き合わせてやるべき移民申請の手続きを、彼女一人が日本語掲示板で初歩的な質問をしまくってがんばっているという印象がある。相手のカナダ人は何やってんだろう。「ボクはめんどうくさいからキミが自分でやってね。どこにサインするか言ってくれればサインするからさ」なんて言ってるんじゃないだろうなあ。せっかくゲットした彼女のためなんだから、もっと一緒にやってもいいんじゃないかなあ。まあ、これも野次馬のよけいなお世話なんだけど。
その点、カレシは結婚しようと決めたときから、弁護士に意見を聞いたり、移民局に足を運んで相談しながら、ほぼ一人でやってくれた。結婚に至る事情が事情だったからいろいろ難しかったのに、ネットのない時代でけっこう大変だったろうと思う。ほんとにワタシのことを好きだったから一緒になりたくてがんばってくれたのかもしれないなあ、なんて改めて見直した気持になる。やっぱりワタシが愛した人は本気だったんだと思うと、なんだか無性にしっかりハグして、しっかりキスしてあげたくなるところは、極楽とんぼの深情けの真髄ってところ(と、本気で自賛・・・)。カナダが好きなのか、カナダ人が好きなのか、彼氏が好きなのか、そんなことはどうでもいいんじゃないの?結婚だってコモンローだって、どうでもいいんじゃないの?二人の「生活」が始まれば、カナダでの日常の終わりのない繰り返しで、勝負がつくのはずっと先なんだから。
それで30年も経ってカナダに生き残っていれば、かっての「かわいい日本女性」も気が強くてイジワルな移民おばさんになって、ローカル掲示板で若い人たちに「カナダについては自分が一番よく知っているとか言わんばかり」といわれて叩かれることになる。だけど、そんな移民おばさんは実はサバイバーなんだってことがわかっていない。よく考えてみれば、30何年もカナダで一人前に暮らして来たら、いやでもカナダのことに詳しくなるでしょうに。そうじゃなかったら、「あなた、どこを向いて暮らしていたの?」今ではごまんといる結婚移民女性。これから
20年、30年と経って性格悪い移民おばさんと叩かれるのはどれくらいいるだろうなあ。そのときになってもまだ誰が上だ、下だと比べなければ気のすまない人たちがいるのかなあ。まあ、「イジワルばあさんクラブ」を作れるくらいにサバイバーができたら日本人村もおもしろくなりそう。
たまに見る掲示板での、まるでもぐら叩きのような口汚い応酬を見ていたら、「やっぱりカナダへいっても日本人は島国根性なのかなあ?」と書きこんだ人の嘆き?がわかるような気もする。でも、ワタシはもう日本を離れた後に生まれた人たちの想像力の域を越えてしまっているらしいから、たぶんどう叩いたらいいのかわからなくて放っておいてくれるだろうと思うと、ほんとにカナダ人になってしまって良かったとも思う。そうなんだ、日本で英語で話しかけても誰も変な顔をせずに親切に英語で応えてくれたのは、ワタシが日本人だと思わなかったからなんだ。そうでなかったら「てめえ、何様だ」とぶっ飛ばされていたかもしれない。楽だし親切にしてもらえそうだからという軽い気持での英語だったんだけど、ある意味でこの数年間格闘してきた自分のアイデンティティの問題が思いがけずしてデフォルトで解決されたようにも思う。カレシを含めてここまでワタシを駆り立ててくれた人たちに感謝すべきなのかもしれないなあ。ほんとに人生いろいろ。
セクレタリーばんざい
4月23日。今週はAdministrative Professionals Weekで、中日の今日はAdministrative Professionals Day。昔はSecretary's Week/Dayだったのが、数年前に呼び名が変わったらしい。50年以上前にアメリカで始まったものだけど、花屋とかチョコレート屋が考えたものではなく、れっきとした「上司」が、秘書の日頃の功績に感謝するために考えたもの。上司が秘書にプレゼントをしたり、ランチに連れて行く慣わしになっている。(10月には「Boss's Day(上司の日)」というのがあるけど、こっちはあまり知られていない。)
そのセクレタリーの日、古巣の会計事務所にワタシとカレシと確定申告の書類を取りに行った。24年前に日本人のパートナーの秘書として入ってから6年間に2度も世界的な会計事務所の合併があって、今では似ても似つかない名前になっているし、オフィスも移転したから、なつかしさというのは感じない。それに、「翻訳業」の看板を出すために退職してからは、オフィスが上司の隣で毎日顔をあわせていた税務専門のパートナーのクライアントになっているから、ある意味で逆転状態。それから18年だから、意欲満々だった紅顔の見習い会計士たちもすでに50才前後で、パートナーの地位に登り詰めたか、企業の経営幹部になっている頃だ。電子申告をしてもらうための書類にサインしていると、秘書のリズが「ハリーともう何年になるかしらって話していたの」という。秘書時代はリズとは別のフロアだったのであまりおぼえていなかったけど、リズは総勢千人近いオフィスで唯一の「日本人」秘書としての「希少感」からか覚えていてくれた。
日本にいた頃に1年間秘書学校に行ったけど、あの頃は「秘書」なんて社長くらいが持つもので、募集があっても「容姿端麗」なんて今ならとんでもない条件がついていた。東京ではどうだったか知らないけれど、北海道では要はオヤジ社長が連れ歩ける若い美人秘書のイメージだったわけで、実際の「秘書業務」は課長以下、サラリーマンの机が並んだ秘書課がやっていた。つまり秘書学校を出ても日本ではあまり使えなかった秘書業務のいろはがカナダに来て大いに役立ったんだから、人生はどう転ぶか分からないのだ。欧米の秘書は、上司が出張中に何かあれば上司に代わってその場を取り仕切らなければならなかったりするから、「容姿端麗」だけでは勤まらない。必然的に経験がものをいうから、上級幹部の秘書はかなりの年配であることが多い。つまり、秘書というのはなんかかっこいいファッショナブルな「お仕事」ではなくて、まさに事務管理のプロなんであって、有能な秘書がいなければ、ビル・ゲイツだってお手上げなのだ。
ワタシは元々門前の小僧の才があるらしく、転職した先々で実にいろんなスキルや知識を盗んだんだけれど、秘書の職につながった最大の「戦利品」は、手伝いを申し出て手ほどきしてもらって覚えたディクタフォン。口述テープをヘッドフォンで聞きながら文書にタイプする仕事で、再生は足元においたべダルで操作する。おもしろそうだと思ってやってみたいと言い出したわけだけど、まだ電動タイプライターを使っていた当時のワタシのスピードは1分105ワード(タイピストや秘書は最低75から80ワードが条件だったかな?)。タイプの速さに口述の速さを合わせて聞き取ろうとしているうちに英語のヒアリングを完全マスターしたらしい。なにしろ、あの頃はタイプ用紙の間にカーボン紙を挟んでコピーを作っていたので、タイプミスを修正するのは時間がかかる作業で、いやでも修正の跡が残るからタイピストとしての評価にもかかわった。だから、何が何でも正確に聞き取ることを耳に、正確なスペルを
10本の指に覚えてもらわなければならなかったわけ。
翻訳者として独立して旗揚げしてから19年目。カレシを嫉妬に駆り立てるほど成功したのは、きっと税務や財務、投資、契約といった文書の口述テープをまるで大学の講義のように聞いているうちに知識を身につけたからだと思う。去年だったか何度かメールの交換があった若い同業者に「この業界で秘書からのし上がった人はいないでしょうね」と言われた。その人は大学卒で元キャリア職だから、ほめられたのか、呆れられたのかは定かではないけど、どうやら最近の日本では「大学卒」の肩書きがなければ翻訳会社に即門前払いされて、トライアルさえ受けられないらしい。だけど、大学さえ出ていない「秘書あがり」のワタシを拾ってくれるクライアントがいるのは、カナダで「何でも覚えてやろう」式に貪欲にスキルや知識を盗んで、「秘書」としてビジネスの最前線を特等席で観戦できる機会をつかんだからに他ならないと思う。世界中のキャリア秘書のみなさ~ん、Happy Secretary's Day!
どこま~でも~行こう
4月24日。起きてみて「あと12時間とちょっと・・・」。前夜祭を気取ってちょっと手をかけた夕食のしたくをしながら、「あと6時間」。50代の最後の1日を秒読みしているのが我ながらおかしい。そうなんだ、怒涛の50代が終わろうとしている。人生のわずか12%という短い間に、実にいろんなことが一生分まとめて押し寄せて来たような10年だった。生き抜いたというのは大げさすぎるけど、自分と言う存在の崩壊、解体、そして再構築の10年がなんだか愛しくさえ感じられるから不思議。がんばったんだものね。がんばって、やっと「還暦」という人生の第2ラウンドを迎えるんだものね。
ワタシは誕生日が大好き。たぶんひとりぼっちだったとしても自分で盛大に祝ったと思うのは、生まれたときにそのまま死んだかもしれないからだろう。この世に生まれた瞬間に生きるか死ぬかの岐路で迷った記憶がどこか精神の奥の奥深くに刻み込まれているのかもしれない。だから、誕生日は自分が生きて来たことを確認する日でもあるわけで、「年を取って行く」自分を自覚するだけの余裕がないのかもしれない。見方によってはにちっとも成長していないということになるのかもしれないけど、まあ、いいや。
それくらいに誕生日がうれしいから、節目と言われる40才の誕生日には「40才になったのよ。これからが人生」と触れて回ったら、同じフロアの人たちがサインしてくれた巨大なバースデイカードと赤いバラの花をもらった。50才の誕生日にはカレシが「(勝手に)好きなようにしたらいい」といってくれたので、家族や友だちを家に20人以上も集めて大パーティをした。だって、一世紀の半分を生きたんだもの。でも、あの節目が波乱万丈の怒涛の
10年の始まりだとはまだ想像もしていなかった。
だからこそ、還暦は長かった「Deconstruction and reconstruction(解体と再構築)」の完工式でもある。これから10年の人生がどんなふうに展開するかはわからないけれど、第1ラウンドで蓄えた経験と知恵をせいいっぱい働かせて、うわ~っと羽を広げて、伸ばして、羽ばたいてみたい衝動を感じる。ひょっとしたら新しい形の青春時代なのかもしれないなあ。ずっと昔だけど、すごくほのぼのとしたコマーシャルソングがあった。「どこまでもゆこう」で始まる歌詞で一番好きだった部分が「どこまでもゆこう/道がなくなっても/新しい道がある/この丘の向こうに」というところ。まさに、丘のてっぺんに仁王立ちになって、新しい道を見晴るかしているのが、たった今、午前
12時を迎えようとしてるワタシ。さあ、極楽とんぼよ、エンジンをかけて、その新しい道を悠々と快適に走って行こうじゃないの、どこまでも。
極楽とんぼは幸せとんぼ
4月25日。さあ、今日は人生第2ラウンドの初日。それなのに、なぜかカレシのほうがやたらと早く目を覚まして、「もっと寝ててもいいんだよ」なんていうもので、またひと眠りして、ふと目が覚めたらもう正午に近かった。よく眠るのは体調がいいってことかもしれないけど、この頃はかなりよく眠れているなあ。起き出してみたらいかにも春らしい好天気。どうやら暖かくなりつつあるらしい。
朝食が終わって、カレシが「ボクの方が待ちきれない」と席を立ったと思ったら、自分のキッチンの方へ行ってしまった。なにやら冷蔵庫を開け閉めするような音がして、小さなバッグとカードを持って戻って来た。見るとカナダで有数の宝飾店Birksのもの。なにやら胸がドッキン。ひんやり冷たいのは、冷蔵庫に隠してあったってこと?「苦労したんだぞ」とカレシ。そうか、それでクレジットカードのページを見るとわかるから銀行のサイトには絶対にログインするなと言ったり、なあんか思わせぶりなことを言ってじらしたりしてたんだ。それにしても、冷蔵庫ってねえ・・・
「だってギフトラップしなかったから、見たら見当がついてしまうだろう?」そうねえ。中には小さなブルーの箱。アクセサリーだってすぐにわかってしまう。でも、どんなのだろう。リボンを解いて箱を開けると、中には宝石の類を入れるような箱。また胸がドッキン。そろ~っと開けてみたら、うわ~っ。かわいらしいワタシのペンダント。左右2枚ずつの羽の部分に小さなダイヤがびっしり。この日のために買ってあった胸の開いた赤いドレスにぴったり。カレシがいろいろ探して選んでくれたんだ~。「ティファニーのカタログで探したけど、気に入ったのがなかったんだ」とカレシ。それでBirksのサイトで探したら、目に付いたのがこのワタシ。「モールの店になければ取り寄せてもらおうと思っていたらちょうどおいてあったんだ」とカレシ。そうか、先週の金曜日の、何度も出かけたり、モニターを見るなと言ったりした怪しい行動の謎が解けた。
「値段がわかっちゃうけど、これが保証書」と渡された封筒。開けてみたら、保険をかけるための証明書が入っていた。(宝石類や絵画などは普通の損害保険では一括で小額しかカバーされないから、評価額の証明書を出して追加の保険をかけることになっている。)「郵送するって言うから見つからないかととヒヤヒヤしてたんだよ」とカレシ。そうかあ、それで毎日朝食もそこそこに郵便受けをチェックしていたんだ。いつも思い出したように「郵便は?」なんていう人がずいぶんマメだなあと感心していたんだけど。
保険対象額のドル記号の後に続く思いっきり4ケタの数字もさることながら、銀にしてはちょっと重いかなと思っていたらなんとプラチナ。パヴェセッティングで羽にびっしりはめ込んだダイヤも、小さいとは言え色の等級は上から4番目のG、クラリティも中クラスより上の記号が書いてあるからびっくり。「4月の誕生石はダイヤモンドだろう?それに今日は特別の誕生日だし」とカレシ。二人の暮らしが始まってから33年。こんなすご~いアクセサリーをプレゼントしてくれたのは初めて。うん、すごく、すごく、うれしい。
ワタシが自分を「極楽とんぼ」と呼んでいることを知らないカレシが選んでくれたデザインがとんぼ。なんて偶然なんだろう。人生の新しいページが始まる日にこれ以上の記念はないよね。春の陽射しにきらきらと輝いているペンダントをさっそく首にかけてもらって、ワタシはほんとうに極楽を飛び回っているような幸せいっぱいの気分。カレシ、どうもありがとう!
何で確定申告は春なの?
4月26日。やっとのことで本格的な春らしい陽気になって、今日のカレシはまだどっさりたまったままのリサイクルゴミをトラックに積んで、わりと近くにあるリサイクルステーションへ持っていった。ワタシの方はといえば、次の仕事にかかる前に税金の方を片付けておかなければならない。なんで、この陽気が良くて外に出たくなる時期に税金の期限なんて持ってきたんだろうなあ。オタワはまだ寒いからかなあ・・・?
4月は所得税の確定申告の期限と、年度第1四半期の消費税の申告と納付の期限が重なるからめんどうくさい。所得税の方は会計事務所から出来上がって来たものを代理で電子申告してもらう指示書にサインしてあるから、後は追加納税額を払うだけ。年金受給者のカレシはいつものように小額ながら還付があるけど、去年やたらと仕事が多かったワタシは所得が増えて、今回は追加徴収となった。しかも累進税率がひとつ上のレベルに上がってしまったから、納付額を見ただけで「うへ~」。この金額が今年後半分の予定納税額に跳ね返ってくるから、きっついなあ。税金を払うけで100万円は稼いでおかなきゃ。ふう・・・
仕事の量を減らすには遊びに出かけてしまうのが一番手っ取り早い。今年はアメリカの協会が秋に開催するコンファレンスはフロリダ州オーランドーのディズニーワールド。シルク・ドゥ・ソレイユの常設ショーがあるから行きたいと思ったけど、カレシがいやだ。いやと言ってもらっても、ワタシの仕事のコンファレンスなんですけどねえ。でもまあ、よく考えてみたらフロリダはかなり暑そうだし、ハリケーンが来たらいやだし、別のコンファレンスは来年の2月中旬にオーストラリアのシドニー開催だから、ちょっと旅行の間隔が詰りすぎてしんどいかもしれない。アメリカのは来年の秋はニューヨークだから、絶対に行きたいし、となれば、フロリダは不参加にして、その代わりにカレシと23日。ラスベガスにでも行って、大いに食べまくって来ようか。Decisions, decisions・・・
所得税の支払手続きをオンラインで済ませて、今度は消費税の計算。まず1月から3月までの帳簿を整理しなければならない。だけど「我が社」の経理係はものぐさときているもので、去年の決算をしたのはいいけど、まだ帳簿は閉じていないから、作業はそこから始まって、請求書や経費のレシート類を日付の順に並べて、おもむろに会計ソフトに入力する。たいした量はないんだけども、それでも半日かかってしまう。課税対象の仕事がなければ楽だけど、今期は2件ほどあって、経費の少なさからすると納付額が出てくる。たったの100ドルほどなんだけど、オンラインで申告をして、納付用紙と小切手を封筒に入れて・・・。
消費税ができたのはいつだったろうなあ。その前はこんなめんどうなことはやらずにすんでいたのに。ま、何年やっていてもめんどうくさくて、そのくせ退屈なんだけど、これもバックオフィス業務のひとつだからやるっきゃないなあ。こんなとき、一人商売はつらいよといいたくもなるけど。でも、日本はもうゴールデンウィークに突入したはずだから、しばらくの間は開店休業の状態になるかもしれない。だったらといいけどなあ。小町にはおもしろそうなタイトルが並んでいるし、今夜は次の仕事を明日に回して、ちょっとのんびりしようか。う~ん、やっぱり春の陽気は気合が入りにくいんだよなあ・・・
日本食もどきもおもしろい
4月27日。日本ではどうやら恒例のゴールデンウィークが始まったらしい。今年は四連休もあるというから日本各地でどっと人出のニュースが入ってくるんだろうなあ。羽田空港が混雑。関西空港が混雑。成田空港が混雑。どこへ行っても混雑。おまけに、この時期は「ゴールデンウィーク料金」みたいのでどこへ行っても高いし、人は多いし、サービスは落ちるしで、ワタシだったらぼったくられたような気分になってしまいそう。勤め人なら有給休暇がないわけじゃなかろうに、わざわざ「せ~の」とばかりに行楽地へ押しかけることもないだろうと
思うんだけど、そこはそれ、ニッポンの光景なのだ。それにしても、気合を入れすぎて疲れないように。
読売小町に『海外で出会った妙な日本食』という愉快なトピックがある。またぞろ日本人の「外国人に何がわかる」式の批判かと思ったけど、どうして、どうして、これが赤ゲット海外見聞記のようで実におもしろい。「日本食認証制度」とかいう構想をぶち上げた大臣が読んだら、だからこそ「日本の正しい食文化の普及」のために認証制度が必要なんだと得意になること請け合い。ま、あの構想は海外では「スシ・ポリス」の登場かと悪評だったから、もしも実現していたら、自分たちは世界中のものを真似ては「ニッポン化」して平気なくせに、「本来の日本食とかけ離れた食事」だからと国の制度の力(権力)を借りて排除しようとは、ケツの穴が小さいと言われていたかもしれないなあ。
だけど、なのだ。いやあ、実に独創的としかいいようのない「ジャパニーズ料理」があるものだ。それも世界中に
あるのだ。それを「何だ、これ」と見下げている人、呆れながらも「まずくはなかったけど」という人、感心しながら
楽しんでしまう人といろいろ。日本人が純粋に日本の食材を使って作っているのならともかく、島国日本を出て、文化も食習慣も違う外国の街角で「食べなれた和食」を期待、要求する方がなんかずれているように思うけど、日本の人は概して「~はこうあるべき」という思い込みが強いから、日本人経営で日本人が作っているところでなければ即「ニセモノ」ということになるらしい。ならば、日本中のイタ飯屋は日本人が作っているのであれば、イタリア人からしたらニセモノってことになる。(ま、真似もの、偽ものはアジアの得意技だとしても、自分たちはやってもいいんだというのはえらく自己中だと思うけど。)
和食レストランの料理は世界中のどこへ行っても同じであるべきと思っているのか、ほんとうにどこへ行っても同じに見える。何とかコースといって、きれいな盛り付け、盛り合わせを工夫してあっても、中身はまず似たり寄ったりで、あまり変化がない。あんがい、それぞれの料理に固有の名前がついていて、作り方も材料も元から決まっているから、ソースを工夫するとか、食材や調味料の組合せを変えて試してみるとかいった「独創性」の入る余地がないのかもしれない。あるいは、「こうでなければ和食ではない」といった純血主義的な思い入れがあるのかもしれない。だったら、バンクーバーの若手シェフたちの方がよほど和食の材料や調味料を駆使して、「新和食」とでもいえそうなものを創り出している。「う~ん」とうなるようなものも多いけど、西洋料理の食材を組み合わせたものだから、「和食」には数えられないだろうし、日本流の「洋食」の類にもあてはまりそうにない。それが俗にフュージョンといわれるもので、ここでは「コンテンポラリーウェストコースト」と呼んでいる、その名の通りの「北米大陸西岸の今どき料理」。まあ、純粋主義の日本人は「な~に、これ?」なのかもしれないけど。
それにしても、焼きそばの上にてんぷらを載せて「天ぷらそば」とは愉快だ。まあ、あながち間違っていないし。そういうのを好きだ、おいしいと受け入れる人がたくさんいれば、日本では外来食であるカレーライス、ラーメン、ピッツァのように、やがて和食もどきが世界のあちこちに外来食として現地化して定着することも考えられなくはない。そうなったら世界食べ歩きの旅もまた興味が増すと思うんだけど・・・
極楽とんぼ亭は彦星3つ
4月28日。どうも朝から日曜日な気がしてしかたがなかたけど、月曜日なのだ、月曜日。4月もあとちょっとで終わり。10年ぶりで日本を見てきたし、すてきな還暦の誕生日もしたし、うん、もう言うことなしの4月だった。
朝食のテーブルでカレシに妙な日本食の話をして、朝から盛り上がった。まあ、似非エスニック料理はどこの何であれ、「ほお~」というのもあれば、「うは~」というのもあり、時には絶句するようなものもある。材料やら味付けやら盛り付けやら料理人やらが純正メードインジャパンじゃないからって、悲観することも憤慨することもないさ。それがご当地流の「日本風」料理だと思えばいい。「要するに、おいしければそれを楽しめばいいんじゃないかな」とカレシ。同感。
そうそう、食べておいしいものはラベルがが何と言おうともおいしいんだし、まずいものはたとえ極上純正日本食であったもまずいのだ。「ロンドンで食べたスシはまずかったよなあ」とカレシ。あれは1997年だったっけ。ロンドンのソホーで見つけた日本料理店。かなり大きな店だったけれど、そこで食べたスシはほんっとにまずかった。ロンドンでやってるスシなんて・・・と元から期待はしていなかったんだけど、食べてどこがまずいのかよくわからないんだけども、どうしてもおいしいと感じられなかった。ネタが悪いわけでもなかった。日本人の店だったことは確かだし、スタッフも間違いなく日本から来ていた日本人。週日でひまだったのか、大きな声でおしゃべりに余念がなかった。まずかったのはあの雰囲気のせいかなあ。
東京で見かけたPizza Hutの店。日本では「ピザハット」なんだそうな。名前からしてもうピッツァ屋もどき。メニューを見たら、あっと驚くピザの数々。アメリカでもカナダも考えもつかないようなピッツァ、いやピザがあるのだ。カレシ、「フツーのピッツァが食べたいのに」と回れ右。ちょっとマシなレストランで出てきた「ピザ」は何となくお上品で、ソースはほんの少しで、チーズばかりはぼってり。ためしに、「ピザハット」のサイトをのぞいて見たら、「もちポテ明太子ピザ」というのがあった。とにかく過激に日本風だけど、どんな味がするんだろう。トマト味のピッツァソースは使っていないだろうなあ。それと、何でピッツァにコーンが乗ってるんだろう。やっぱり、あれはピッツァじゃなくて、日本のピザだからなのかなあ。
微妙な日本食の話題で盛り上がったついでだ、今日は極楽とんぼ亭自慢の「日本食もどき風」と行こうか。ギンダラをメインにして、テレビのシェフがやっていた「ミソジンジャーマリネード」を試してみるか。細かいことは忘れたから、ボウルに味噌を入れて、(カリフォルニア産の)日本酒でゆるめて、おろししょうがを入れて、それを魚の両面に塗りつけてしばらく置いておいた。付け合せは、う~ん、薄切りジャガイモをいためてワサビと醤油で味をつけてみるか。もう一品は蒸したアスパラガス。魚はぶつ切り式に輪切りにしてあるから、輪になった腹のところにちょっと遊び心がほしいなあ。そこで、使い残しの白菜の小さい葉をアスパラガスと一緒に蒸して、水で冷やしてから魚の輪の中においてイクラを盛ったら、上出来、上出来。あんまり日本的に見えないけど、「星、3つあげる」とカレシ。あはは、彦星3つのレストラン!
おひとり様ぐるめ
4月29日。今夜はネイバーフッドハウスで「ボランティアに感謝する夕べ」ある日。英語教室が終わっていったん帰ってきたカレシ、おやつにインスタントラーメンを食べながら「今日はキミがひとりご飯の番だけど、何を作るの」と。まあ、冷蔵庫にあるものでささっと作って食べるけど。「食事を作るのってすごく時間と手間がかかるもんだなあ」と、今さらみたい何をいうかみたいなことを言う。あの、こっちは30何年その食事を作ってるんですけど。ふむ、だからぐうたらな男はママの代わりが欲しくて結婚したがるんだな。
だけど、ひとりご飯は主婦にとってもやっぱりめんどうくさいだろうと思う。(料理以外の)家事は仕事の手が空いたときに、それも適当にしかやらない半端主婦のワタシには「ああ、めんどくさ~」になってしまう。まあ、お一人様としてそれが毎日のことになれば、生活のリズムを乱さないためにもそれなりの習慣をつけるだろう(と思う)けど、1日や短期間だけというのはかなりやっかいで、カレシが1週間で音を上げたのもよ~くわかる。カレシが州税の監査官で毎年のように1ヵ月州外に出張していた頃は、オフィス勤めだったワタシの1日の「まともな食事」はランチタイムのテイクアウトだったというくらいずぼらのし放題だったもんなあ。うん、わかる、わかる。だけど、人間たるもの、食べなくてはならないからなあ。
そんなわけで、冷蔵庫とフリーザーをごそごそとかき回して見つけたのが、一人分くらいのカレー。いつ作ったのか忘れてしまったくらいで、フリーザーに長居しすぎて少々乾いた感じ。ま、片付けるいい機会だと思えばいいか。カレーとなればいるのがご飯。電子レンジ用の炊飯ポットを引っ張り出して、半分の0.5合だけ作ることにする。でも、このポットは電子レンジの出力が600ワットくらいだった頃のもので、1100ワットのレンジでは何分くらいがいいのかわからない。しょうがないから、あてずっぽにパワーを80%に落として7分。チンとなって開けてみたら、べちゃご飯の状態。そのままふたを閉めて、もう3分。ま、何とかかっこうがついたかな。(タイ米にすればよかったなあ・・・ぶつぶつ。)
さて、付け合せ。コリアンスーパーで買ってフリーザーに入れてあったベーコンみたいな豚のばら肉を1本出して来て、凍ったまま細切れ。これを大豆もやしと炒めてできあがり。ついでになぜか2、3切れ分だけ残っていたマグロの刺身のかけらもお片づけ。2日経ってしんなりしたサラダも何とかなりそうな上の部分だけお片づけ。カレーライスとマグロの刺身ともやし炒めとサラダの国籍不明風のメニューの後は12カップサイズのコーヒーメーカーで一人分のコーヒーを入れて、ゆっくり6時のニュースを見て、食後酒は何がいいかな、なんてつい考えてしまった。(そこまで行ったら先が思いやられるなあ・・・)
午後8時。ごちそうで満腹のカレシは、感謝状と赤いカーネーションと記念品の袋(しゃれたボールペンとロゴ入りピンとチョコレート)を持って、ご機嫌で帰って来て、ワタシのお一人様ディナーのメニューを聞いて大笑い。「な~んだ、ボクのとたいして違わないじゃん」と。うん・・・。
両手に桜、それともヴィトン?
4月30日。日本の国籍法第11条には、「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」と書かれている。また、日本の旅券法第18条には日本のパスポートが失効する理由として、その1に「日本の国籍を失ったとき」と明記されている。さらに、戸籍法第14節第102条の2には、「国籍喪失の届出は、届出事件の本人、配偶者又は4親等内の親族が、国籍喪失の事実を知つた日から1箇月以内(届出をすべき者がその事実を知つた日に国外に在るときは、その日から3箇月以内)に、これをしなければならない」としている。届出制の戸籍は国籍喪失届がないといつまでも抹消できないから、「5万円以下の過料」の罰則つきで届出義務を定めている。
つまり、日本人が自分の意志で外国の国籍を取得すると、「日本国籍」は自動的になくなってしまうのであって、喪失届を出さないで戸籍を「残している」と言う人もいるけど、それは単なる「幻」。でも、日本に籍がなくなっても、それは外国に移っただけ、つまり日本の「国民」だった人が別の国の「国民」になっただけのことで、「日本人」でなくなるわけではないのに、「日本国民=日本人」の観念が染み付いている日本人には「国籍喪失=日本人失格」という恐怖の図式が浮かぶらしい。おまけに「日本人が外国人になれるわけがない」というから、「てことはなにかい、おまいさん、日本国籍を喪失した日本人は人格も喪失するってことになるんかい?」と突っ込みたくなるけど、まあ、このあたりは、定年で企業の名入り名刺がなくなって自己の存在感まで喪失してしまうサラリーマンに似たイメージがあるのかもしれない。たぶんに、人間が戸籍(家)と言う「箱」に所属するという概念の影響なのだろう。
カナダのように重国籍を認める国がある(といってもつい30年ほど前からの話)一方で、日本のように外国籍になったら「はい、さよなら」という国もある。ちょっと読み込めば、「どうしても家を出ると言うなら勘当だ!」と言っているようにも聞こえなくもないけど、まあ、「日本」というオヤジは家父長制の尻尾を引きずっているんだからしょうがない。外国籍のままで何年も日本で暮らすのは不自由が多いと聞いているけど、移民で成り立つカナダでは、もちろん、いずれは正式に「カナダ人」になって欲しいけれども、永住者の資格を持つ「外国人」のままでいても誰も何も言わない。
選挙権がないことや公務員に採用されにくいこと以外は、社会保障などで市民と差別されることもないから、現実に市民権を取らないままでカナダで一生を終える人も相当な数になる。アメリカへ行くときにその他外国人と同じく扱われるのが不便だと言う人もいるけど、それは国境通過で特権を持つ「カナダ国民」ではないからというアメリカ側の論理にすぎない。日本国籍のままでいれば、子供に日本国籍を伝えられるし、日本に2年くらい里帰りしたって5年間に合計3年カナダに居住していれば永住権を喪失することもない。要するに日本人(国民)でいたければ無理してカナダ国籍を取る必要はないということなのだ。
なのに、カナダ国籍を取って、同時に日本国籍/旅券「も」キープしたい、しているという人たちがかなりいる。日本の法律の上では外国籍になった日から日本国籍はなくなり、日本国旅券も無効になるから、その旅券を使うことは旅券法違反になり、「五年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科」される。「日本が二重国籍を認めないからしかたがないじゃん」というけれど、カナダ国籍にならなくても支障がないのに、危険を冒してまでなぜ「二つの国籍」を持ちたがるのか不思議でならない。「あたしは日本人だってことに誇りを持ってるから」と言う理由も、「日本の法を犯してまで」という疑問を解くだけの説得力はない。日本の法律の話だからカナダではではどうでもいいんだけど、やっぱり疑問。
ひょっとしてカナダの市民「権」が欲しいということなんだろうか。カナダの移民制度には「移民権を取る」という観念はないんだけど、日本人はよく「移民権を取る」というし、永住者は「永住権がある」というし、カナダ国籍になれば「市民権を取った」という。つまり、「権」とつくものは何であれ持っていないと損だという心理があるのかもしれない。あるいは、「あっちが欲しいけどこっちも手放すのはイヤ」という欲張りなのかもしれないし、単に「スリルの追求」なのかもしれない。ちょっとうがった見方をすれば、国際化とやらで海外で暮らす日本人が増えすぎて「外国暮らし」のブランドパワーが低下したものだから、ここは希少価値が感じられる「二重国籍」ブランドでワンランクアップの効果を狙っているのかもしれないし・・・