リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年4月~その2

2010年04月21日 | 昔語り(2006~2013)
ネイティブとは何ぞや

4月11日。日曜日。目が覚めてみたらもう正午。困るなあ、仕事があるってのに。それでも、春眠は暁を覚えずで、カレシの腕枕でしばしうつらうつら。だけど、仕事にかからないとまた期限ギリギリで慌てるから、やっぱり起きて朝ごはんを食べる。地球が丸いおかげで、日本はもうすぐ月曜の朝。あ~あ。

始めてみて、あ~あ。近頃はほんとうに多くなって来たなあ、こういう日本語。やらなければならないことをずらりと並べてあるけど、主語がないから「誰」がやるのかわからない。責任者が行方をくらましたみたいなもので、センテンスが始まらないのだ。とりあえず受動態で訳しておくけど、全面的に受動態の英語はどうも言い訳がましい響きがあっていけない。最後の行に到達するまでに「主語」が見えてくるといいけどなあ。そういえば、中学だったか高校だったかの英語の試験に「次の文を受動態にしなさい」なんて問題が出て来たっけな。機械的に変換できてしまうんだけど、それでちゃんと丸がついて返って来るから正しい英語なんだろうけど、なんかしっくりしない。何かが違う。能動態が受動態になったんだから文が違っていて当然なんだけど、いつももやもや・・・。

仕事を始めたはいいけど、この何日か熾烈な論争が続いている同業者の掲示板が気になる。ネットの世界ではちょっとした発言が誹謗中傷合戦に発展するのは別に珍しくないけど、なにしろ翻訳業界ではおそらく「永遠のテーマ」と言えそうな「翻訳における言語の組合せの方向」なものでついつい熱が入るらしい。翻訳の世界には昔から「翻訳者は取得言語からネイティヴ言語(母語)にのみ翻訳すべし」という主張がある。つまり、ワタシの場合なら「英語から日本語」の翻訳だけをやるべきだということになる。まあ、日常を日本語で暮らしているならその方が妥当かもしれないけど、日常が全部英語で日本語は読み書きする商売道具のような(しかも、いちいちローマ字の「スペル」を考えながらタイプしている)状況で、日本語の音声としての入力(聞く)がほとんどないせいか音声としての出力(話す)も落ちているのに、今さらそんなこと言われたらおまんまの食い上げだけどなあ。

第一、ネイティブ言語が即生まれ育った国の言語だった時代ならともかく、移民だ、ビジネスだ、国際結婚だと、ものすごい数の人間が国境や言語の壁を越えて移動する今の時代は、「ネイティブ言語」の定義そのものが揺らいでいるから話がややこしくなる。生まれて最初に覚えた言語を「ネイティブ言語(母語)」とするなら、カナダには公用語である英語とフランス語を母語としてないカナダ人が半端じゃない数いて、成人してもその母語を読み書きを含めて完全に使いこなせる人から、読み書きはダメだけど会話はできる人、聞いて何となく内容が理解できる程度の人、はてすっかり忘れてしまった人までいる。読み書きができない人に「あんたの母語は○○なんだから、○○語訳をするのが決まり」なんて言えるわけがない。通訳にしても両方をまったく同じレベルで扱えるかというとそうではない。だけど、通訳は「双方向」が基本だから、「一方通行」を主張する人はいないな。喧々諤々を超えて大げんかになるのは翻訳についてだけ。ある意味、「英語をかじった日本人」に縄張りを荒らされるのがムカつくというところもあるんだけど。

まあ、「翻訳一方通行」論には必ず文書として残る翻訳の質の問題が絡んでくるから、主張の趣旨はわからないでもない。小町でも「翻訳者になりたい」というトピが上がると、必ずといっていいほど「日本語の作文力がないと」というレスがつく通り、日本人が日英翻訳をやることに反対?する英語人も必ず「英語の作文力」を問題点として指摘する。日本人ならまともな日本語文が書けて英語は無理だけど、英語人ならまともな英語が書ける(日本語は元から自信がないから書かない)と言っているようなものかな。もちろん、高学歴の日本語人が書いた日本語原稿にもひどいのがあるし、英語人が書いた英語原稿だって同じようなものなんだけど。

まあ、たとえば日英翻訳なら、原稿を日本語ネイティブ並みに理解できて、翻訳文を英語ネイティブ並みに書けるが「理想」の翻訳者像なんだろうけど、そんな人はまずいないだろうな。だって、日常的に2つの言語を同時に100%ずつ使う環境がまず存在しないだろうし、バイリンガルの環境に生まれたとしても、普通は住んでいる国の言語が「第一言語」になって、もうひとつは脇役に格下げされがちだし。とどのつまり、言語にも「Use it or lose it」の原理があてはまるってことか・・・。

言葉なき言語と言うもの

4月12日。今日もいい天気だなあ。春らしい気候も戻って来たようだし、ライラックのつぼみもだいぶ膨らんで色づいて来た。でも、今年は見られないかもしれないなあ。

またまた正午を過ぎて目を覚まして、見たらカレシはぐうすか。今日は仕事の納期があるから、だらだらしていられないのだ。がばっと起きて、ささっと身づくろいをして、そのままオフィスに直行。きのうの受動態だらけの原稿をできるかぎり能動態に書き換える作業。どうみても一から十までが「ああしろ、こうしろ」の文書なんだけど、日本語では主語なしでいきなり「必要がある」という言い方をするから、受動態だとなんとなく「お願い」風になってしまって少々パンチが効かない。箇条書きに近い形式だからと、思い切って命令文にしてしまった。ああしろ、こうしろと言ってるんだし・・・。

例の「翻訳一方通行論」はまだ続いている。メンバー歴の浅い若手が古参メンバーのコメントに「激怒」して猛反撃に出たのがきっかけだったけど、結局のところ、けんかを売り買いしているのはいつもの古参の一言居士たち。あはは。ヒマだなあ、おじさんたち。まあでも、けんか腰のやりとりは沈静化して、有益なコメントも出て来たことだし、めでたし、めでたしか。だけど、(英語で育ったから)英語はネイティブだと言い張る火付け役の人の英語のコメントに、日本人にはおなじみのカタカナ語だけど(元がドイツ語だから)英語人にはわからない言葉を元のドイツ語つづりで使っているのを見たときは、ああ、日本に住んでいるらしいこの人は日本語のフィルタを通して英語を書いている日本人なんだなと思った。

そこで思い出したのが、かって通訳の恩師が高校まで英語育ちという日本人に英語訳をやらせたところ、その英語は高校生レベルのものだったという話。つまり、高校生としては英語ネイティブだったけど、英語環境を離れた時点の(ネイティブ)英語レベルで止まったということで、たしかに日本語環境で英語は維持できたけど、まさに最後に暮らしていたレベルを「維持した」だけ。ま、あまりにも長く日本に住んだもので、カタカナ語を実際に英語圏で使われている「英語」だと思う英語人もけっこういるし、ワタシだって、見なれないカタカナ語を端から英語起源だと思ってあれこれ考えまくっていたら、実はフランス語やドイツ語だったり、あるいは英語には違いないけど似て非なる「和製英語」だったりして、「ついに日本語がわからなくなったのか」と愕然とすることがよくある。やっぱり言葉というのは妖怪七変化の生きものらしい。

まあ、言語を学ぶというのは、何語であっても単語と文法と発音さえマスターすればネイティブ並みになれるわけではないことはたしかだと思う。ワタシの英語文にも微妙に非ネイティブ的なところがあるのは自覚しているもの。外国語や第二言語が母語の能力レベルを超えることはないと言われるから、外国語をネイティブ並みに使いこなしたいと思ったら、まず母語のレベルを上げなければ、ということだろうな。よく「英語をしゃべりたい」と言う人がいるけど、英語は単なる情報じゃなくて人間の思考や感情を伝えるための手段であって、だからこそ同じセンテンスを使っていても言い方によって玉虫色になるし、その上にさらに「ボディランゲージ」という言葉では説明できない「言葉なき言語」もある。顔の表情だって「言葉なき言語」のひとつだし、声の強弱でも違ったニュアンスを伝えられる。だけど、そういうことは英語の教科書から習得するものではなくて、実際の体験を通して「体得」する
ものなのかもしれないな。ふむ、コミュニケーションというのは、なんとなく即興芝居に似ていなくもないような・・・。

押し迫った気分だけど・・・

4月13日。目覚まし、午前11時半。今日はワタシがヘアカットに行く日。予約は1時。朝食を済ませて、歩いて行こうかと思ったけど、ネットをのぞいていたら時間がなくなってしまった。しょうがないから、自分でエコーを運転して行く。そうだなあ、ワタシが外に出られるときに愛車エコーも走らせてやれば、バッテリも上がらずにすむ。それはそうなんだけど、現実は運転はあまり好きじゃないし・・・。

月初めの季節外れの寒い日も遠のいたようで、曇りがちだけど摂氏10度。歩いて行かないとなれば、駐車場とモールの間だけだから半袖のTシャツだけでも十分。サロンではいつも奥にいる若いロシア人のスタイリストが機関銃のごとくぺちゃくちゃおしゃべりしながら、熱心にはさみを動かしている。その側でアンナにハイライトを入れてもらって、白髪を隠してもらって、いつも入れてくれるカプチーノを飲みながら、女性雑誌をめくる。「今年、絶対買うべきファッション」とか、「セクシー度アップの秘訣」とか、「ロマンスを取り戻そう」とか・・・そういう記事が広告の洪水の中にちらほら混じっている。読みにくいこと甚だしいけど、まあ、こういう雑誌を買う人は記事よりもたっくさんある写真を見るのかもしれないな。カットの番になって、ジュゼッペが「サンキューは日本語で何ていうの」と聞くので「アリガト」と言ったら、「アリ、アリ・・・」ともごもご。「アリ猫」って覚えたらいいよ。猫はイタリア語でガットと言うんでしょ。「なるほど、アリ・キャットだね。アリ・ガット。アリ・キャット。アリ・ガット・・・」。おいおい、大丈夫なのかなあ。昔「ありがとう=アリゲーター」と覚えたばかりに、本番で「どうもクロコダイル」と言っちゃったアメリカ人がいたと言う嘘かまことがわからない話があった。まあ、どっちも「ワニ」には違いないし、キャットもガットも猫だし・・・。

伸びてむさ苦しかった髪を切ってもらって、すっきりした気分で帰って来たら、今度は一緒にディナーに行くことになっていたイアンとバーバラが来た。牡蠣がおいしい「R」の付く月は4月が終わり。今のうちにというわけでもないけど、久しぶりに生牡蠣を食べたい。ところが予約をしておくはずだったカレシがど忘れ。(なんだかこの頃ど忘れが多くなったような・・・。)あわてて電話したら、「予約はいっぱいだけど、予約を入れないテーブルがいくつかあるから大丈夫」とのこと。火曜日なのに予約がいっぱいとはえらい繁盛ぶりだけど、ま、イェールタウン界隈の若くてファッショナブルな人たちが集まるところだから、いつもそんなもんなんだろう。いつもの半額スペシャルの生牡蠣を狙って6時前に入ったら空きテーブルがけっこうある。ボクサーみたいなウェイター氏に聞いてみたら、実際に予約されるテーブルは全体の4分の1くらいで、あとは早いもん勝ちなんだそうな。つまり、予約の電話をしていっぱいだと言われたからって、必ずしも満員御礼と言うことではないわけで、知っておいて損はない情報だな。

帰って来たらマイクからのメッセージ。本棚の上に置くガラスはでき上がって来たけど不具合があって、カットをやり直し。納品は明日かあさっての予定。へえ、遅れているなと思っていたけど、そういうことだったのか。このガラスが最後の最後に残っているアイテムで、これが納品されないことにはマイクは最後の請求書を出せない。請求書がなければ残金を払ってもらえない。おまけに来週の今頃は私たちは空の上で、日付変更線の向こう側。ちょっとした押し迫った気分かな。まあ、こっちは行く前に精算したいと言ってあるから、少しはインセンティブになると思うけど。

いよいよあと1週間か。来週の今頃は東京のホテルにチェックインしている頃かなあ。こっちもまさに「押し迫った気分」だけど、まだやることがたくさん残っている。さあて、何からやったら・・・。

国債買って年金もらう?

4月14日。電話が鳴っていて目が覚めた。午前10時50分。誰だ、こんな早くに・・・と無視を決め込んでいたら、ゲートのチャイム。誰だろう、こんな早くにと思いつつ、カレシを肘で突付いて起こして、「ゲートに誰か来てるらしいけど」。がばと跳ね起きたカレシ、「誰だ、こんや早くに」。ひょっとしたら、注文してあったスーツが届いたのかも。「だったら、明日にでも取りに行けばいいや」と、また寝ようとするカレシ。ワタシが起き出して、窓の外を見たら、あら、トニーのトラック。そういえば・・・

すっかり忘れていたんだけど、トイレのレバーを他の金具と合わせるのに「サテン仕上げ」を注文してあった。その入荷が遅れて元のぴかぴかクロームのままだったんだけど、ニューファンドランドへ出発する前に届いたら取り付けに来ると言っていた。それがぎりぎりに入って来たので、わざわざ取替えに来てくれたというわけ。たかだか2分もあればできる仕事なんだから、別の人に任せてよかったのに、律儀だなあ。そういうところがマリタイム(大西洋岸諸州)の人情なのかもしれない。出発はあさって。バンクーバーから車で大陸を横断して行くんだけど、途中で友だちや親戚を訪ねてあちこち寄り道するので2、3週間はかかるそうな。なんとなく平原を進む幌馬車を想像してしまった。うん、トニーにはカウボーイハットが似合いそう。旅の安全を祈ってるから、元気でね。

寝たのが遅かったのに思わぬ早起き。だけど、ベッドに戻るわけにも行かない時間だから、そのまま朝食に進んで、終わったところでシーラとヴァルが到着。いつもより30分も早いのは、「ランチはしたし、銀行にも行ったし、買い物もしたから、することがなくなった」から。まあ、この時間にはだいたい起きているからいいんだけど。ヴァルの夫氏のリッチは今月いっぱいでバスの運転手を引退するんだそうな。まだ61歳なので、いわゆる「定年」にはまだちょっと早いからいわゆる早期退職。始発のバスを出すために朝の午前4時に起きて、カレンダーを見ては「あと何日!」と指折り数えているとか。カレシの場合と同様に、公的年金(CPPとOAS)をもらうまでの4年は組合の年金だけ。リッチの娘もヴァルの息子たちもそれぞれに独立しているから、「何とかなるわよ」とヴァル。もっとも、免許を持っていないヴァルも、クリーニング屋を始めた末息子もリッチの「運転経験」を当てにしているらしい。ちょっと強面だけど根はすごく優しそうな人だから、はて・・・。

掃除が進んで、ワタシが日なたでわんちゃんのレクシーと遊んでいると、またゲートのチャイム。やれやれ、忙しい日だなあ。今度こそは注文のスーツ。濃紺のダブルベントのジャケットがまたいい。全体的にすらりとシャープに見えて、う~ん、かっこいい。旅行に間に合って届いてよかったね。何だかせわしなく午後が過ぎてしまったけど、とりあえず「やることリスト」の一番上にあった携帯レンタルの予約。カレシは1人でどこかへ行きたいようなそぶりは見せないし、特に別行動をすることもなさそうだけど、念のために1台ずつ。別行動をしたってかまわないんだけど。でも、10年間英語のボランティア教師をして来て日本を見る目が変わったんだそうで、今回は観光客に徹して、ひたすら歩いて、ひたすらおいしいものを食べるんだとか。はて、この心境の変化・・・?どこかで「時間薬」という言葉を見たけど、うん、10年という年月の効果はすごい。

gooのページを開いたら、「東京のここが変だと思うこと」のランキングが載っていた。興味をそそられて見たら、何で?という結果。第1位が「家賃が高い」、次いで「人が多すぎる」、「駐車料金が高い」、「空気が汚い」、「満員電車」、「飲食代が高い」、「水道水がおいしくない」、「隣に住んでいる人を知らない」、「夜なのにうるさい」、「終電でも電車がラッシュ」と続く。だけど、何でこれ「東京の変なところ」なんだろうな。どれも「東京じゃあたりまえ」と言えそうものだと思うんだけど。東京にあらずんば二級市民とばかりにみんなが東京に集まれば、そりゃ人が多すぎてあたりまえ。家賃が高くなってあたりまえ。電車は満員であたりまえ。日本の政治も経済も一極集中して残業に明け暮れていたらラッシュだって終電まで続くだろうな。そうやって「休むヒマなし」だから夜になっても喧騒が続いてあたりまえ。どれもちっともヘンじゃないと思うけどなあ。それにしても、「高い、高い、高い」とは、やっぱりデフレ心理が浸透しているのか。

ヨーロッパでギリシャの財政危機の対応がなんとかまとまったと思ったら、今度はイギリスの『エコノミスト』誌は「日本は夢遊病のように経済破綻に向かって進んでいる」という記事を載せたかと思うと、「日本は破局にまっしぐら」と言う過激な記事があったりで、世界の関心が日本に向いて来たような感じがする。ギリシャ政府の借金はGDP比で113%なのに、日本はなんと200%。(アメリカは約70%だそうな。)のんきに親方日の丸だった昔の国鉄を思い出すけど、これはその「日の丸親方」が危ないって話。ただし、日本の借金は94%が日本人が債権者なので、外国から借り入れて首が回らなくなるのとは違う。違うけど、いずれは二進も三進も行かなくなる、という話。だけど、医療や福祉や教育の予算をまかえるだけの税収がないから国債を発行して借金するのに、その国債の買い手(ローンの貸し手)がそもそも医療や福祉や教育のサービスを受ける国民ということになる。要する
に、病院や学校にお金を貸してめんどうを見てもらっているってことで、国債の購買層が団塊の世代や高齢者だとすれば、自分で自分の年金資金を出しているってことにならないのかなあ。これって、もしかしたら「自給自足」ってことになるのか・・・な?

やることが多すぎるのだ!

4月15日。木曜日。(来週の今頃は東京だ!)今日はカレシがヘアカットに行くで、ちょっと早起き。目覚ましは午前11時30分なのに、なぜかやっぱり直前に目が覚めてしまう。まあ、ビーコ、ビーコとけたたましく起こされるよりは心臓にいいだろうけど。時計は11時27分。目覚ましを止めないで、起きないで、じっくり3分。鳴り出したところで、カレシのわき腹を肘でちょいちょい。こらっ、オッハヨッ!

カレシのヘアカットが終わる頃にモールで合流して新しいスーツケースを買うつもりだったけど、他にも何かと用があるので一緒に出ることにした。カレシにヘアカット代を渡して(ど~して自分でお金を持って歩かないの?)、キッチンの本棚の上においてあった納税申告関連の封筒をトートバッグに入れてお出かけ。トラックを止めたところでカレシはサロンへ、ワタシはそのまま道路を渡って銀行へ。当座に日本円を買おうと思ったら、手持ちがありませんと来た。やっぱりダウンタウンの本店に行かなきゃダメか。シーラに払う「留守番料」をおろして、ついでに、前にデフォルトの暗証番号をうろ覚えのまま行って替えられなかったチップ入りクレジットカードの暗証番号を忘れないものに変えて、銀行業務は終わり。

モールでは、まずクリニークのカウンターでローションを買って、長期休暇を取っているチュイがいつ戻ってくるのか聞いてみたら、「辞めた」と。休暇中に体調を崩して、乳がんが発見されて、化学療法が終わったところだという。「髪が抜けてしまったけど、美人には変わりないわよ。ご主人がそれはもう献身的で、チュイは療養に専念しているから大丈夫よ」とリヴィ。ときどき電話をしたり、気分のいい時にはランチもするというから、この次にチュイにあったらよろしく言ってねとメモを残しておいた。でも、ちょっとショックだなあ。元気になっても仕事には戻って来ないだろうな。

笑顔がすごくきれいなチュイのことを考えながら、地下の郵便局へ。封筒の束を出して、投函しようとしたら、あら、4通あるはずなのに、3通しかない。足りないのは追加納付の小切手が入った封筒。ふむ、薄っぺらい封筒だから、一緒に置いたつもりでデスクの上に残っているのかもしれない。とりあえず手元の3通を投函。カレシから終わったと電話があるまで、彼用のスーツケースとショルダーバッグをを物色。今回は2週間以上だから、いつものようにキャリーオンだけでは衣類が間に合わない。カレシは手荷物を待つのが嫌いで、大きなスポーツバッグに全部詰めて機内に持ち込みたがるんだけど、狭い座席であれこれと出したり入れたりするのにひと苦労。どうしてこういちいちものごとをめんどくさくするの?)まあ、今回は成田では指紋を取られたりして入管手続きに時間がかかるんだからと説得して新しく軽いスーツケースを買うことにしたのだった。

買い物を終えて帰ってきて、いの一番に「忘れていった」封筒探し。キッチンにはない。デスクの上にもない。家中どこにもない!さあ、大変。銀行でトートバッグから財布の入ったバッグを引っ張り出したときに一緒に出て落ちたのかな。どう考えてもありえないんだけど、クリニークでバッグを出したときに、な~んとなく底に「3通しかない?」という感じがしたっけ。だから、落としたとすれば銀行しかないということになる。小切手が換金されることはまずないだろうけど、納付伝票に住所指名と一緒に「社会保険番号」が書いてある。悪い人の手に入ったら・・・あああ。すぐに銀行に戻って、拾った人がいなかったかどうか聞いてみた。あのときはほぼがら空きだったから、やっぱり誰もいないらしい。それでも「見つかったら連絡するから」と名前を電話番号を控えてくれた。

問題はどっちの税金の封筒がないのかわからないこと。期限は30日だから、このままだとカレシとワタシのどっちかが未納になって利子を取られる。小切手を2枚ともキャンセルして、改めて別に送るしかないないか・・・。さすがのワタシも胃のあたりがきりきりしてくる。やることが多すぎるのぉ。なんでみんなワタシがやらなきゃならないのぉ?あれも、これも、みんな。ど~してぇ?カレシは「ボクが手を出してややこしくするとまずいと思って・・・」とか何とか。もう、しらない!ワタシは胃がムカつくし、のどは渇くし。オフィスのバックルームにあるウォータークーラーのところへ行ったら・・・白いカウンターの上に白い封筒!

そっかあ。夕べ寝る前にいつものベッド脇に置く飲み水のボトルに水を入れるのに、持っていた封筒が邪魔でカウンターの上に置いた。で、ボトル2本とバッグを抱えて、カウンターの封筒をさらって・・・一番下の薄い1通が取り残されたんだろうな。朝の手順がいつものように運んでいたら、空のボトルを持って来たといに封筒を見つけただろうに。見つかった封筒は(なぜか)2人一緒に2ブロック先の郵便ポストに入れて来た。あ~あ、やれやれ、くたびれた・・・。

夕食のこともすっかり忘れていたから、とりあえずありあわせのディナー。カレシが「ボクにできることある?」とやたらと共同参画に意欲的?なのは、ど~して?ふふ。

今日も波乱万丈だった

4月16日。金曜日。きのうの「落し物」騒動で動揺して疲れたのか、何となくぐっすりと眠れなかった。まあ、旅行の前というとたいていはそうなんだけど、時間はどんどん過ぎるのにやることがありすぎて、やってもやってもちっとも減らないような気がするのはどうしてだろうなあ。今回はぎりぎりまで仕事が詰まるようなこともなて、比較的ゆとりがあるはずだったんだけど、やっぱりないなあ、なぜか・・・。

朝食が終わったら、あわただしくダウンタウンへ。カレシは落としてアクセスできなくなったハードドライブのデータを回収してもらえるかどうかをチェックしてもらいにStaplesへ。ワタシは円を買いにまっすぐ銀行へ。携帯を忘れてきたと言うから、銀行で落ち合うことにした。おとといはカナダドルがとうとうアメリカドルより高くなったけど、きのうからじりじりと下降。それでも口座を振り替えたらマイナスになる。対円レートもしばらく円安だったのに、きのうあたりから少し上がり気味。いつも必要なときに限ってレートが悪くなる。まあ、せいぜい2万円だから別に大損をするわけじゃないけども。

銀行で待っていたら現れたカレシ。データは回収可能だけど2時間くらいかかるとか。じゃ、今日はショッピングデーということで、まずはカレシのソックスを買う。もう1年も前から「新しいソックスがいる」と言うのを、昔のように買っておいてあげると「夫教育」の上で良くないらしいということで、ずっと聞き流していたんだけど、これで耳にできた「たこ」もポロリと取れるかな。ソックスの次はワックスの耳栓。テレビの前ではぐうすか眠れるのに、ベッドでは耳栓がないとよく眠れないというヘンな人なのだ。ドラッグストアを2軒回ってやっと見つけたのを2箱。(耳栓をするせいか、耳垢がたまって聞こえが悪くなることがある。というよりは、聞きたいことしか聞こえない「選択的聴覚」という可能性もあるけど、人(特に女性)の話を聞かないのは「男の病気」かもしれないな、うん。

必要品を調達したところで、東京のガイドブックを買いに本屋へ。今回は東京だけで10日ほど過ごすから、ホテルで寝酒を片手にガイドブックをめくって「明日はどこへ行こうか」。東京には1週間より長くいたことがないと思うから、ま、根っからのおのぼりさん観光客。観光ガイドを買うのに一番困るのは情報が古いこと。それでも、メイドカフェの記事があったりして一番新しそうな「Time Out」というシリーズのものを買った。ぱらぱらめくっていてカプセルホテルの写真を見たカレシ、「映画に出てくる警察の死体置き場みたいだ」。う~ん、リッチモンドにカナダで初めて?のカプセルホテルができるという噂だけどなあ。(どんな人が利用するのかなあ・・・。)

駐車メーターにお金を足して、今度はHマートへ。カレシは当座の野菜を調達。ワタシは「コチュジャン」を探すけど、あいにくハングルが読めないから、どれがどれなのかわからない。店員をつかまえて、カタカナ韓国語で聞いてみたら「?」という顔。何度かいい直してやっと通じたらしく棚一面にいろいろな「みそ」が並んでいるところに連れて行ってくれた。容器を見ると「Gochujang」と書いてある。そっか、韓国語は「か行」と「が行」の区別があまりはっきりしないんだっけ。でも、ハングルを指して「これがそうだ」と言うから、これで判読?できる言葉が(「キムチ」に次いで)2つになった。レジでトートバッグに詰めてもらっている間にトイレに行ったカレシは「故障中だって」と戻って来た。へえ。

店を出て車に向かって歩いていたら、警備員の制服を着たお兄ちゃんが「ちょっと、ちょっと。レシートを見せて」。は?ま、これがレシートだけど。何かを疑っていることは確かなので、カレシは「わざわざ追いかけてきてレシートを見せろって、理由は説明できるんだろうな」と少々けんか腰。警備員氏は一生懸命に説明しているんだけど、言っていること(英語)がさっぱりわからない。身振り手振りで何度も「ここをこういう風に通ったでしょ」みたいなことを言っていて、まるでジェスチャーゲーム。そのうち、ワタシがカレシに「通ったというのはトイレに行ったことを言ってるんじゃない?ほら、故障してるって戻って来たでしょ」と言ったら、警備員氏がトートバッグを指して「店の袋じゃない」と言い出した。いつも自分のバッグを使うからレジ袋はもらわないと言ったら、やっと半分納得したような顔。カレシが「全部出してレシートと照合する?」と挑んだら、「いいです」と言って、店の方へ引き返して行った。「たぶん、品物をトイレに隠しておいて、レジを出たところでバッグに入れたと思ったんだ」とカレシは推理。なるほど、そういう万引きの手もあるわけか。ま、こっちはやましいところがないから「なるほど」で済むけど、あの英語をもう少しなんとかしないと、ひとつ間違ったら怒った客とひと悶着が起きかねないなあ。

ハードドライブは結局完了したら連絡するということで、とりあえず帰館。今日も波乱万丈(千丈くらいか)だったけど、きのうがありあわせだったので、今日は極楽とんぼ亭の人気?メニュー「機内食風」。たけのこの「若竹煮風」、キハダとビンナガをミックスしたポケ、サーモン、ビンナガ、タコの刺身。冷蔵庫に入れてあった越後の純米酒で乾杯。

食べ終わったところでタイミングよくStaplesから連絡があって、またダウンタウンへ。「連れがいるといいから」とカレシが言うので、とりあえずくっついて行ったけど、行って、壊れたドライブとデータを写した新しいドライブをピックアップして、帰って来るだけなのに、ど~してワタシが一緒について行くのかなあ。やることがまだたくさんあるってのに・・・。(そういいながらついて行く方も行くほうなんだけど。)

改装工事はほんとに終わり!

4月17日。土曜日。雨模様。外があまり明るそうじゃないので、目が覚めてもなんとなく眠い。きのうはさすがにちょっとクラクラッとしたり、寝てから喘息発作のような咳が出たりして、「ストレス注意報」はオレンジ。まあ、「やること」リストのチェックマークがついた項目が半分以上になったし、残りは出かけなくてもできることばかりだから、リラックス、リラックス・・・。

午後はとにかくだらだら。ひたすらだらだら。だけどなあ、気合いを入れてひたすらだらだらするって矛盾もはなはだしいし、実はかえって疲れた気分になる。我ながらヘンな性分だと思うけど、かって名うてのワーカホリックだった後遺症みたいなものかなあ。こんなんだったら、ついに65歳定年が来たらどうしようかなんてつい考えてしまう。ひたすらの~んびりすることを心がけなきゃならないかな。そこで「ひたすら」が付いてしまうところを見ると、あんがい趣味ホリックになったりして・・・。

夕方になって、マイクが本棚の上に置く強化ガラス板と最後の請求書を持って来た。ベイウィンドウの幅いっぱいに作った本棚の上に一枚板のガラス。窓からの光を反射してキッチンの中がいっそう明るくなって見える。これでプロジェクトはほんとうに全部終わり。最後の請求書はだいたい予想通り。さっそく小切手を振り出して支払い完了。のんびりと3ヵ月もかけた小さなバスルーム改装の総工費は税込みで3万8750ドル。あれこれ変更したり、追加したりした割には初めの見積もりからあまり大きくオーバーしていない。それにしてもまあ、あの安っぽくて、シンクに穴が開いて、シャワーが水漏れしていたど~しょ~もないバスルームが我が家で一番のデラックススペースに変身。ファイル用の写真を撮っていたマイクが「狭くて全部入らないよ。もうちょっと大きなバスルームがいるんじゃない?」。あはは、もっと大きくしたらラスベガスのホテルみたいになっちゃうよ。

夕食はちょっとしたお祝い気分で、厚さが3センチくらいもある大きさアヒ(キハダマグロ)のステーキをグリル。味噌とコチュジャンを混ぜて日本酒でゆるめて、おろししょうがを入れた即席マリネード。やっと終わったんだ~という実感がしてくる。住んでいる家での工事はやっぱり精神的にきついよね。生活時間を尊重してくれたおかげであまりリズムが狂うことはなかったけど、体内時計では丑三つ時みたいな時間に起きたり、徹夜したりはやっぱりきつい。カレシが(危ない場面がなかったわけじゃないけど)ストレスをかなりコントロールしてくれたから、今になって「きつかったね~」とのんきに言えるんだけど。ま、やってよかったね。ごくろうさま。ワタシも自分の背中をポンして、ごくろうさま。

竣工を祝って気持がおちついたところで、最後の最後の最後の仕事、ランドリーシュートのドアの縁のペンキ塗りをする。小さなスポンジのブラシでちょいちょいと壁と同じ色に塗るだけのことなんだけど、一応はペンキ塗りようの古いジーパンのカットオフに着替えて、床にシートを敷いて、ドアにつっかい棒をして、ちょちょいのちょい。で、ものはついでと、反対側の取り出し口からシュートの中も真っ白に塗ってしまった。合板が露出しているのはいかにも安っぽいけど、10分もあればやれるのに新築のときから22年そのままになっていた。全部でたかだか15分程度の作業なのに、やっぱり手も腕も足もペンキだらけ。ここがプロと素人の違いなんだろうけど。それでも、これでほんっとに正真正銘の終わりの終わり。ばんざ~い!

改装工事というお荷物が肩から降りたから、さあ、あとは1週間後に迫ったプレゼン用のスライドを仕上げなきゃ。パワーポイントのスライドに翻訳を上書きする、どえらい手間のかかる仕事は何度もやったけど(、自分で一からスライドを作るのは初めてだから、Kiss(Keep it simple, stupid)原則で行くのが一番なんだけど・・・

静けさの前の嵐

4月18日。えっと、日曜日。正午をたっぷりすぎて目が覚めたら、春だ、春だという感じがするいい天気。大地震に火山の噴火に大雨にと、地球上ぐるりと天変地異の感があるけど、窓からまぶしい日差しを見ている限りはやっぱり別世界のように感じられてしまう。ヨーロッパはまだ大混乱しているようだけど、試験飛行を始めた航空会社もあるという。火山の場所が違えば、そこの地質によって火山灰の成分も違うんだろうと思う。エンジンに危険な灰もあれば、すんなり通り過ぎてくれる灰もあるんじゃないのかな。中国から黄砂が飛来したときはアジアの飛行機便は欠航したんだろうか。あれだって危険じゃないかと思うんだけど。それとも、砂が飛ぶ高度は火山灰とは違うから影響がないのかな。

改装プロジェクトが100%終わったところで、やっとのことであさってに迫った出発の準備に集中できる。「やること」リストは、ブランクはあと5個。会議に出るから業務関連の準備もある。まずは、名刺。いつもは(会議をサボって遊んでいるせいもあって)あまり名刺を交換することはないんだけど、今回は名刺大国の日本だし、クライアントを訪問する予定もあるし、ということで手持ちの他にとりあえず20枚ほど増刷。ついでに一緒に会議に参加することになったカレシの名刺も作ってあげることにした。といってもたぶん会議では唯一のモノリンガルで翻訳に関わっているわけじゃない。ちょっと考えてタイトルは「公認英語ネイティブ」にして、裏に大きなスマイリーを印刷したメイシが出来上がった。カレシも大笑いして、大いに気に入ったようす。これならちょっとしたおしゃべりのきっかけになりそうだな。

さて新品のスーツケース。カレシが「似たようなのが多いから何か目印をつけなきゃ」とうるさい。リボンか何が結んでおけばいいじゃないの。「いや、それじゃほどけたりするから心配だよ」と、先天性?心配症のカレシん。クゥ~ッ。「それに、ちょっと遠くからでもひと目でボクたちのだとわかる印がいいよ」。クゥ~ッ。まあ、とり急ぎでステンシルを作って、タイルの縁取りに使った油性ペンキで前と後にでっかく苗字の頭文字を塗って、これでどうだ!カレシ、「うん、かっこいい」。クゥ~ッ!

そんなこんなで短い午後はあっという間に過ぎる。夕食を済ませて、最後の小さな仕事を始めたら、カレシが「ルータのライトが全部消えている。ネットにつながらない」とおたおた。あ~あ。自分で何とかしてもらいたいんだけど、「この黄色のコードはどこにつながると思う?」と来る。一見して電話のプラグみたいだけど、大きすぎて合わない。あのね、ワタシはモデムだからルータのことはわからないの。ヘルプに電話でもしてよ、クゥ~ッ!カレシのコンピュータにはやたらといろんなものをつないであるから、コードが入り乱れてスパゲッティ並みで何が何につながっているやら。おまけにネットはプロバイダも電話回線も別々で設定も違うから、まさに異言語コミュニケーション。なのに、「ボクの手が大きすぎるんだよねえ」とか何とかグチグチ言うもので、ワタシがデスクの下にもぐったり何だりして大汗をかくはめに。それでもわからなくて、結局は「自分でやるからいいよ」。それを早く言ってくれっつうの、クゥ~ッ!なにやらごそごそやっていたと思うと、「電源スイッチがオフになってる」。クウ~ッ!「だって、すごく小さくて、スイッチがあるなんて知らなかったんだよ」。はあ、すごく小さくてもうっかりオフにすることはできてしまうのがカレシ。もう、ククク・・・。

あ~あ、どうして旅行の前ってこうくたびれるんだろう。いよいよ残るはあした1日きり。結局やりそこなった仕事を片づけて、あと3個になった「やること」にチェックマークをつけて、それから荷造りという手順。う~ん、搭乗券の印刷、すんなり行けばいいけど。この調子だと、あさっての午後、離陸したらバッタン、グーということになるかも・・・。

嵐の前の嵐のような・・・

4月19日。月曜日。天気予報は雨だと思ったけど、晴れたいい天気。いよいよ出発の前日で後がないから、よく考えて効率よくことを運ばないと夜中になって戦場になりかねない。だけど、カレシはなぜか庭仕事に出て、足首をくじいたかもしれないと言ってきた。あ~あ、なんでこんなときにそうなるの?

とにかく、ワタシは昨日やり損ねたミニ仕事を片づけ、クレジットカードの支払い手続きや消費税の申告。それから換気装置のフィルタの取替え。工事中に石膏ボードを外したり、取り付けたりしたから、排気側のフィルタは石膏の粉がびっしり。この3ヵ月、家の中の空気がそれだけ汚れていたということで、さっそく洗濯しておいたけど、これじゃあ換気装置だって窒息してしまう。換気装置の次はエアコンの試運転。しばらくファンだけを回してから、冷却に切り替えて、異常がないことを確認。

庭仕事を諦めて入って来たカレシは搭乗券の発行手続きにかかる。いつもなんだかんだとマイナーな問題が起きるんだけど、今回はエアカナダの方からメッセージが入っていて、搭乗手続きの前に「今ならビジネス/ファーストクラスにアップグレードできます」と来た。お一人様800ドル。シートがちょっと大きくて、食事がちょっと良くなって、お酒が飲み放題で、乗り降りが優先・・・ふ~ん、優先されたって到着が早くなるわけじゃないし、成田に着いたら入管手続きでエコノミーと同じ時間がかかる。機内食が少しくらい良くなっても、800ドル×2で1600ドルなら、東京でだって三つ星レストランのひとつやふたつ行けるよなあ。ああ、ばかばかしい。ということで、アップグレードはパスして、搭乗券を印刷。ゴールデンウィークの直前だからなのか、JALが値引き攻勢をかけて客を取られたのか、よくわからないけど、きっとビジネスクラスはがら空きなんだろうな。

ちょっと気になるのはジムとデイヴィッドが同時に知らせて来たカレシのパパの容態。肺炎の方は抗生物質で治まって、ホームの介護棟に戻されたけど、ほとんど食事をしないという。食べられないのか、食べたくないのか、意思表示もあやふやでわからない。出発直前のことでどうしたものかと、ママに電話したら、「もう年なんだからちょっとでお病気をすればしょうがないわ。明日、あさってにもどうなるということでもないから、心配してないで行って来なさい」と言われたそうな。まあ、ジムから送られてくるニュースはちょっと大げさな憶測が入っていたりするから。一応、マリルーに連絡先を残しておくことにした。

留守番のシーラのためにパンを焼いて、後は荷造り。例によってカレシは「念のために」あれもこれも持って行きたがる。あのさ、文明を遠く離れて暗黒大陸のど真ん中へ行くわけじゃないんだから、文明国日本じゃ何だって手に入るの。おまけに、ワタシの担当になっているものまで、「あれは持って行くの?あれはどうするの?」と聞きに来る。心配性の旅行者はこれだからやんなっちゃうなあ。まあ、スーツケースに詰めるのは引き受けるから、もうちょっと持っていくものを厳選しないと、重量超過になりかねないよ。

荷造りが済んだら、ちょっとトラックを走らせてきて、シャワーを浴びて、あとは目覚ましをかけて寝るだけ。なんかたびれたけど、ま、とにかくバケーションの始まり・・・。

行ってきま~す

4月20日。いよいよ今日。このブログも来月6日までしばしの休み。まあ、日本では毎日何かしら日本語をしゃべるだろうし・・・。

では、行ってきま~す。


2010年4月~その1

2010年04月11日 | 昔語り(2006~2013)
四月ばかじゃなかった

4月1日。木曜日。もう4月。ということは1年の4分の1が過ぎ去ったってことか。カレシはやたらと早く起き出して、腹ペコになったのかぐっすり眠っていたワタシをやさしく、やさし~く起こそうとしたのに、どうやらむにゃむにゃと寝ぼけた返事しかなかったらしい。ワタシは極楽とんぼを決め込んで、起き出したのは11時。これだってまだ早くて眠いんだけどなあ。

弥生3月最終日のきのうは、カレシにとってはまさにライオンのごとくの荒れまくった1日だったらしく、「人生で最悪の日だった」とぼやくことしきり。なにしろ、前夜のうちにジャンプスタートしてもらったトラックのバッテリがまた上がったし、外付けのハードドライブを落っことしてアクセス不能になるし、教室に出かける間際に携帯が見つからないしのご難続き。

英語教室の最後の授業がにぎやかに終了して機嫌を直して帰ってところへ、弟のジムから「パパが肺炎にかかって入院したけど、今度は脳溢血を起こしたらしくて、医者は見通しはあまり良くないと言っている」とのメール。そういう重大なニュースを何でメールなのって感じだけど、カレシはしばらくおろおろ。ママに電話しようか、どうしようか。なにしろジムのメッセージはなんとなく要領を得ない。結局は頻繁に会いに行っているらしいジムの元妻のマリルーが一番よく知っていそうということで電話してみたら、急性肺炎で入院したのは事実だけど小康状態。脳溢血が起きたかどうかは今のところ不明で、ママは大丈夫ということだった。認知症がかなり進んでホームの介護棟で毎日ほとんど眠っているような状態だそうだから、肺炎になりやすいだろうとは思うけど、脳溢血が起きたかどうかはそういう状態ではすぐにはっきりはわからないのかもしれない。ついこの間満90歳の誕生日を祝ったばかりだけど・・・。

でも、その「人生最悪の日」も最後には笑える出来事で終わったんだからいいんじゃないのかなあ。夜中を過ぎてほの~っとスカンクの悪臭。懐中電灯をもって外へ出て行ったカレシ、かなり経ってから、笑いながら戻って来た。庭の外へ出たら正面の道路向かいにゴルフ場に沿ってのろのろと前進したり、後退したりしているヘンな車がいたんだそうな。怪しいからプレートの番号を見てやろうと、生垣の下を探し物をしているふりをしてそろそろとそっちの方へ行ったら、いかつい男が角を曲がって来て、なぜかていねいに「こんばんは」と声をかけて来た。思わず「あんた、誰?」と聞いたら、「バンクーバー市警察です。何をしているんですか」と言うので、スカンクを探していると言ったら、鼻をヒクヒクさせて「あ、臭ってますねえ」。ひとくさりスカンクの出没に悩まされている話をしたカレシ、「あそこに挙動不審の車がいる」と報告したら、「ちょっと調べておきましょう」という気乗りのしていない返事。そこでカレシの頭の上に電球がポッ。「そうしてください」と言って家の中に入って来たという次第。

何のことはない、怪しい車はおそらく夜中のゴルフ場でよくあるドラッグの密売を監視していた警察の車で、懐中電灯を持って生垣の下をのぞきながらうろうろしている「怪しい男」がいると、近くにいた別の車に無線で知らせたもので、カレシは「職務質問」されたというわけ。うん、だいたい夜中にこんな住宅地を私服警官がパトロールしているなんてあり得ないもんね。カレシが隠密捜査の邪魔だったのか、あるいは麻薬密売組織の仲間だと疑ったのか、あるいはこそ泥かもしれないと思ったのか、そこのところはわからないけど、スカンクを追っかけている住人に出くわすとは思ってもみなかっただろうな。カレシはおかしがって笑っていたけど、警察も「まいったなあ」と笑っていたかもしれないね。狂気の3月・・・いや、夜中を過ぎていたからとっくにエイプリルフール。スカンクを探していて警察に職務質問されたなんて、誰にも信じてもらえないかもしれないよ。

そんな風にアップビートに終わった「最悪の日」だったけど、やっぱりパパのことが気になって良く眠れなかったらしい。十代の頃から折り合いが良くなかったと言ったって、自分がよく似た性格だからそりが合わなかったのかもしれないし、自分の父親であることには変わりない。でも、それを自分が一番良く知っているから、パパの老い方に自分の将来を見ているような気がして、それで会いに行こうとしないのかもしれない。父と息子の関係は父と娘の関係とはまったく違うものなんだな。起きてすぐにママに電話したら、「90にもなったらいつ何が起きてもおかしくないでしょ」とあっさり言われたそうで、「ママは強い」と言いながら、何とも微妙な顔つきでこっちを見ていた。夫婦の関係はいろいろで、カレシはパパじゃないし、ワタシはママじゃないんだけど、今日のカレシは何を思っているのか、何だかやたらとラブラブ攻勢。昔『4月の恋』と言う歌があったけど、ん・・・?

父と息子と妻と母の四角関係

4月2日。復活祭の連休初日。ゆうべからすっごい嵐。雨よりも風がすごくて、機密性の高い家なのに、開けられる窓のあたりでヒューヒューと口笛のような音がするしまつ。せっかくの連休にバンクーバー島と本土を往来するフェリーはほぼ全面的に欠航だそうな。スタンレー公園では走っていた車の上に大木が倒れて、乗っていた人が怪我をしたらしい。写真を見たら、真上から見事にぺっちゃんこで、よく助かったと思うくらい。こういうのは「運」でしかないなあ。春の嵐は1日中吹き荒れて、あちこちで広域停電とか。そんなときに限って超特急仕事が飛び込んで来たけど、我が家のあたりは運良く停電を免れて、仕事は無事に終了。バックアップの電源があると言っても、ボッと停電されたら焦るもの。よかった、よかった。

今日はマリルーが電話で、甥のビルがメールで、それぞれパパとママの様子を知らせて来た。ビルはマリルーの息子で血のつながりはないけど、小さいときからおじいちゃん、おばあちゃん大好きのいい子なのだ。(40過ぎのでかいおじさんを「子」というのものなんだけど、かわいい甥っ子だから。)仕事の帰りにおばあちゃんを病院まで送って行ったりしていると言う。パパの容態は落ち着いているそうだけど、呂律がうまく回らないらしい。それで脳溢血が疑われているんだろう。電話に出たカレシにマリルーが顔を見せに来るように言ったらしいけど、カレシは何となく言葉を濁していて、「そのうちに」とは言うけど、はっきり「行く」とは言わない。しまいに「親父はろくでなしだった。オレは口答えしなかったから叩かれなかったけど、口の達者なジムはいつも叩かれていた」と怒ったように言い出した。なんだか心の奥の一番深いところにしまってあった父親に対する気持が噴き出しかけたような口調だった。

母親と息子の関係はかなり複雑だと思うんだけど、父親と息子の関係は女にはとうてい理解できないようなもっと複雑なものがあるんだろうな。カレシのパパは小さいときに父親を亡くして極貧の中で女でひとつで育てられた。その母親という人がお金にも男にもゆるい人で、最初の結婚で若くして赤ん坊を抱えた未亡人になってしまったときに、義理の親からそうとうな手切れ金をもらって息子を手放し、再婚してできた2人の息子の上がカレシのパパ。早くに学校を辞めて働きに出た息子の給料日に弟のスタンリー叔父さん(故人)を差し向けて稼ぎを掠めようとしたと言うから、大変な母親もいたもんだけど、イギリス生まれの靴職人だった父親も年中怒鳴り散らす典型的なDV男だったらしい。このあたりの話を聞いているとディケンズの時代を髣髴とさせるものがある。

時代が違うとはいえ、そういう暴力的な環境で育ったパパが外面はいいけど家族にはどなり散らしてばかりの夫/父親になったのは当然の成り行きだったのかな。根は朴訥な人かもしれないけど、正直言ってワタシもセクハラまがいの扱いにずいぶん傷つけられたから、悪いとは思うけど、会いに行けとカレシの背中を押す気にはなれない。そういう父親に不器用さを笑われ、些細なことでどなられても口答えをしなかった息子。大喧嘩をしてモノを投げ合う両親を弟と泣きながら見て育った息子。週末には女友達とダンスに出かける父親の背を見て育った息子。父親にまっとうな「男」としてのお手本を見ることができなかった息子。不思議なことにそれでも子供は嫌いな親に似てしまうことが多い。たぶんに、自分は違う、自分はあんな人間にはならないということを(おそらくは自分自身に対して)証明しようとして、結局は同じ穴に落ち込んでしまうんじゃないかと思うんだけど。

カレシのママとの関係も仲の良さそうな印象とは裏腹にかなり屈折した気持があるように思う。生まれつき不安感の強い子供なのに、母親にはデパートに何時間も置き去りにされたり、子供心に母親が不倫をしていたと疑ったりして、見捨てられ不安にさいなまれて育った息子がカレシ。マリルーが言ったことがあった、「あなたにはママのような強さがある。そういう女性に惹かれる人なのよ」と。俗に、息子は母親に似た相手を妻に選び、娘は父親に似た相手を夫に選ぶというけど、カレシは「従順な日本女性」を見つけたつもりで実はワタシの中に「ママ」を見たのかもしれない。だから、加齢を実感してパニックになったときに妻と母親が重なって区別がつかなくなったんだろうな。それでたぶん精神的に思春期にタイムスリップして、母親からの乳離れを試みていたのかもしれないと思う。(あの頃のカレシには精神症状の一種としてしか説明のつかない言動が多かった。)ワタシが(当然だけど)あくまでも「妻」として立ち向かったから、カレシはママに対する交錯した気持には決着をつけられなかったのかもしれないな。

子供は親を選べないし、子供でいる間は親に頼るしか生きる術がない。子供は親の背を見て育つと言うけど、親子の関係というのはすごく難しいものだと思う。自分にだって母に対して何となく反発を感じて育ったという気持がある。母の生い立ちを考えて母を理解できたと思うし、同じようにカレシを理解できたと思う。こういう経緯でこういう価値観や物差しを持つ人に育ったんだと、いく分でも理解できれば、愛せても憎むのは難しいように思う。カレシには未だに両親への愛憎の気持を整理しきれないでいるんだろうな。ワタシにできるのはカレシがパパとは違う人格で、ワタシはママと違う人格で、パパとママは一組の夫婦であって、ワタシとカレシも別の一組の夫婦だということを繰り返し刷り込むくらいかな。でも自分も老いてから親に対して持ち続けてきた相反する気持を整理するというのはしんどいことだろう。それを見守る方にもけっこうしんどいかもしれないなあ。人間の人生って、なかなか難しいなあ・・・。

ダンスしようと言うけれど

4月3日。土曜日。二人とも正午を過ぎて目を覚ました。きのうは駆け込みの仕事で潰れてしまったけど、今日から1週間は間違いなく休みモード。親指は未だにしくしく痛いし、ぎっくり腰になりかけた腰は何となく落ち着かないし、おまけに膝まで痛い。どうやらダウンタウンに行ったときに、Hマートでトートバッグに一杯の買い物をして来たんだけど、重いバッグを肩に担いで駅の階段を上がったり降りたりしていたのが膝に負担だったしい。なにしろゲートから家の中まで運んでくれたカレシが「こんな重いのを担いで駅から歩いてきたのか」と呆れたくらいだから、年寄りの何とかだったのかも。まあ、日本へ行く前にはいつものようにばたばたしそうだから、しばらく息抜きをして心身共に休めておきたいんだけど、なかなか・・・。

カレシは今日もママに電話をしてパパの様子を聞いている。もっと強い抗生物質に切り替えるということは、容態は落ち着いていても快方に向かっているとはいえないんだろうな。介護棟に移ってからも、運動は断固拒否して眠ってばかりいたそうで、「それじゃあ肺炎のひとつも起きるはずだ。回復してホームに戻ってもまた肺炎になるだけだよ」と、カレシ。復活祭の明日、もしも運転手役がいなければ、午後にひとっ走り行こう、とカレシ。まあ、ママの方はひとりでバスで行けると言ってもみんなにダメダメと言われて、その理由が迷子になったら大変というのでカチンときたというから、いかにもママらしい。元々あまり人にかまわれるのを好まない人だけど、やっぱり何と言っても92歳という年だから、みんなが危ないからダメと言うのもわかる。まあ、ママがいいと言っても、カレシはママに会いに行くだろう。足りなかった親子のふれあいを少しでも取り戻すとしたら今しかないもの。いくら絶対に百歳まで大丈夫だといっても、親はいつまでもいると思ってはいけないんだから。

でも、ママと話をして少し気持が落ち着いたらしいカレシ、やぶから棒に「親父の人生って、ほんとうに生きたと言えるのかなあ」としんみりしたかと思うと、「ボクたちはずっと健康でいて、いろんなことをやって行こうな」と言い出したり、しまいには「ボクもできる限りずっと英語ボランティアをするから、キミも仕事をやめない方がいいよ」と来た。あの、引退したらやりたいことがたっくさんあるんだけど。ぞうどご心配なくと言ったら、今度は「2人でダンスを習いに行くのもいいな。ワルツとか、タンゴとか」と、何だか今すぐにでも行動を起こしそうな勢い。そのいささかむやみに短絡的なところがいかにもカレシらしいけど、2人して腰をギクギク言わせながらのタンゴはちょっとキツイんじゃないのかなあ。それでも、何だか「二人一緒の老後」をプロポーズされたみたいで、ちょっとうれしいけど。

春の大嵐が納まった今日、まだ数千戸が停電したままだそうな。大荒れのピークにはバンクーバー島とメトロバンクーバーで14万戸が停電していたそうで、四連休は台無しというところか。それでも、オリンピックに雪がなくて困ったスキー場にはど~んと雪が降って地元の客で賑わっているそうだから、マザーネイチャーは皮肉屋だ。カナダドルがアメリカドルとほぼ等価になったもので、国境は嵐も何のそのアメリカへショッピングに行く車の列。通過するのに3、4時間はかかるという大渋滞だそうな。まあ、復活祭は春の行楽シーズンの始まりだから、日本のお盆の大渋滞と似たようなものかもしれないな。

ねえ、明日、ドライブにでかけようよ!

極楽とんぼ亭: 春景色の復活祭の晩餐

4月4日。ずっと雨かと思ったのに、まあまあの天気。復活祭(イースター)の日曜日。この日は早めに閉める店も多い。伝統的な定番メニューはベークドハムということになっているんだけど、家族が集まる家では七面鳥を焼くところも多い。我が家では七面鳥を丸焼きにするわけにもいかないから、極楽とんぼ亭シェフ得意の「帽子からうさぎ」式の思いつきで「春のスペシャル」コース・・・。

今日のメニュー:
  アミューズブーシュ - 白魚のフライ
  茶碗蒸し風の春景色
  ポケの豆もやし巣ごもり
  点心風キャベツロール
  オヒョウのほっぺ、カルヴァドスリダクション、フルーツ、蒸しオクラ
  鶏の胸肉と鴨のスモークのロール、チェリーブランディリダクション、
     しめじ、ゴールデンビーツ
  (自家菜園産のつまみ菜グリーンサラダ)
  チョコレートエッグ

[写真] 白魚にコーンミールを混ぜた粉をまぶして揚げ、軽く塩とこしょうを振っただけの、いわゆる「口汚し」。コーンミールでかりっとした食感になる。まずはマティニを傾けて・・・。

[写真] だし卵にしめじとうにくらげを入れて、茶碗蒸し風に。表面が固まってきたところで、アスパラガラスの先っぽだけを並べて仕上げ。真ん中に赤いとびこをたっぷり盛って春の景色を気取ってみた。ここから先は、ニュージーランドのソヴィニョンブラン。(カレシはソヴィニョンブランはニュージーランドのが一番だとすっかり気に入って凝っているところ。)

[写真] 極楽とんぼ亭の定番レパートリーになったハワイ料理のポケ。キハダマグロをごま油、ねぎ、ローストしたマカダミアナッツ、唐辛子、にんにく、しょうゆで和えた簡略版。さっと茹でた大豆もやしで丸く「巣」を作って、真ん中に盛った。彩りのかいわれは散らす代わりに盛り上げたポケの山に「活けて」みた。

[写真]  使ってみたかったミニせいろ。茶碗蒸し風といっしょに蒸して柔らかくしてあったキャベツに、えびを刻んでにんにく、しょうゆ、ごま油、ラー油と混ぜたものを包み込んで、彩りになるとのスライスを一枚ちょこっと載せてみた。ジャンボえびを3尾急いで解凍しての思いつきの一品だったけど、カレシは「もっと食べたかったなあ」と満点の評。

[写真] 獲れたてのおひょうが出回るシーズン。手に持つとぷりぷりした感じの大ぶりのほっぺたを少々の塩とこしょうを振っただけでフライパン焼き。食べ始めからぼちぼちと煮詰めていたカルヴァドスのソースはほんのりとりんごの香り。パイナップル、マンゴー、パパイヤのミックスでフルーツの味を強調してみた。

[写真] 鶏の胸肉を開いて、スモークした鴨の胸肉を巻き込んだのを糸で縛って、転がしながらフライパン焼き。鴨のスモークは塩味があるから、鶏には調味料を使わない。ソースはチェリーブランディを少しとろっとするまで煮詰めたリダクション。鮮やかな黄色のゴールデンビーツのスライスを蒸して彩り。

[写真]  復活祭につきものなのが、うさぎと卵。不思議な取り合わせだけど、チョコレートのうさぎを買うと卵満載のバスケットを持っていたり、背負っていたりするのが多い。家の中や庭の芝生などに隠されている色つきのゆで卵を探す「エッグハント」は子供たちの楽しみで、アメリカでも大統領が子供たちを招待してホワイトハウスの庭でやるのが恒例になっている。

[写真] Whole Foodsで見つけたのがこのチョコレートの卵。ダチョウの卵くらいの大きさかな。健康にいいということで今モテモテのカカオ成分70%というダークチョコだけど、チョコレートには目がないカレシにかかると、あっという間に・・・。

復活祭の家族たち

4月4日。日曜日。キリスト教は復活祭、ユダヤ教は過越しの祭の終盤だけど、復活祭は元々のルーツはユダヤ教の過越しの祭り。「イースター」というのはゲルマン人の光と春の女神「エオストレ」から来たもので、クリスマスのツリーやろうそくの風習と同様に、ゲルマン人に布教する過程で土着宗教の「春の祭典」をちゃっかり取り入れて、キリスト復活を祝う行事にしてしまったらしい。もっとも、古代から春は草木が息を吹き返し、種が芽を出し、動物たちが仔を生む季節だから、春と復活は結び付けやすかっただろうけど。

朝食が終わったところで、ママのところへ出かける。病院の方は朝のうちにジムとドナが連れて行ってくれたそうで、訪問はもっぱらママのご機嫌伺い。だいたい1時間とちょっとの道のりだけど、途中にある中国系の仏教のお寺の周りは人がいっぱいで賑わっている。ははあ、そうか。きっとお釈迦様の誕生日の花まつり。キリスト教もユダヤ教も仏教もそろって「春」の大イベントなわけで、やっぱり春という季節は人間の営みにとって大きな意味があるんだろうな。お寺がずらりと並んだところで育ったのに、ワタシには花まつりの記憶がないような。どうしてかな。キリスト教会の幼稚園に行ったせいもあるかもしれないけど、でもお寺はいつも目の前にあったんだけどなあ。

バンクーバーから隣のバーナビーに入って、フリーウェイにアクセスするウィリンドンという幹線道路に出ようとしたら、あらら、北方面は何だか渋滞している。逆方向に曲がってちょっと回り道をしてウィリンドンを渡って別の道を行くことにしたけど、道路はすかすか。ちょっとだけ混んでいたのは大きな墓地の前。墓参りの車がゲートを出たり入ったりしていた。そうか、キリスト教にはお盆やお彼岸がない代わり、復活祭がお墓参りの時期。もっとも、よっぽどの名家でもない限り墓地に「何々家の墓」なんてものはあまりないから、先祖の墓にお参りするというよりは故人を偲ぶという感じかな。

ハイウェイに出てみたけど、やっぱり混んでいない。ふむ、見える限り続いていたあの車の列はいったいどこへ行ったんだろうなあ。行き着く先に大きなショッピングセンターがあるわけじゃないし・・・と、不思議がっているうちに思い当たったのが、フリーウェイ脇にある大きなカジノ。う~ん、神聖な復活祭の日曜日にカジノでギャンブルって、なんか罪深いような気がするけどなあ。まあ、バンクーバーは多民族、多文化、多宗教都市だから、無神論者も多い。それでも、ギャンブルは「幸運の女神」に微笑んでもらわないと儲からないだろうから、無神論だと運が回って来ないような気がする。

ママはいつものように元気いっぱい。たしかに華奢になって見えるし、ちょっとばかり耳が遠くなって来たらしい兆候はあるけど、とっても92歳とは思えない。いそいそと紅茶を入れてくれて、孫たちの近況、ひ孫たちの話。甥っ子ビルの長女テイラーは今年17歳。ついこの間まで子供だと思っていたのに、馬が大好きで厩舎でアルバイトをしているんだそうな。はあ、姪孫が17歳って、大伯母ちゃんのワタシもやっぱりおばあちゃんになったってことか。ビルの長男のジェイクは6歳のサッカー坊や。ビルの妹のセーラの長男エイダンは7歳、長女アナベルはおてんばな5歳。ワタシに子供がいたら、そのくらいの年頃の孫がいたかもしれないわけか。あ~あ、年を感じてしまう。

ママは、パパが介護棟(あるいは病院)から戻って来ないと想定して、同じホームのワンルームの部屋に移りたいという。月々の家賃が少し安くなるそうだけど、パパの介護費用は年金で足りているんだし、ママの年令で月に20ドルや30ドル節約してもあまり意味がないような気がする。でも、ママは古い家具も整理して、少し身軽になって旅行したいんだそうな。トロントにはまだ一度も行ったことがないから、ぜひ末っ子のデイヴィッドのところに遊びに行きたいし、好きだったハワイにゆっくりと行きたいという。カレシが「1人でハワイ旅行なんてできるの」と聞くと、「できるわよ、もちろん。杖があれば大丈夫。ホノルルならバスの便がいいし、見るところがあるし、夜になればショーもたくさんあるし」と。60代の頃にはよく1人でイギリスを旅行していたけど、92歳の一人旅って、すごいバイタリティだなあ。ママ曰く、「私くらいに年を取ったおばあちゃんを見ると、みんなすごく優しくて親切になるのよ」。うん、Little old lady(かわいいおばあちゃん)にはみんなやさしいけど、おじいちゃんはどうなのかな。「かわいいおじいちゃん」という表現がないところを見ると、はて・・・。

帰り道、フリーウェイは郊外へ行く車線がかなり混んでいた。みんな「実家」での復活祭のディナーを目ざしてひた走りというところか。ベビーブーム世代は結婚して子供が生まれるようになると郊外にどんどん建てられた大きな家を買ってバンクーバーを離れて行ったけど、今はその若い子供たちがバンクーバーやバーナビーのアパートやコンドミニアムに住んでいて、週末や年中行事のときになるとこうして親のところへ車を走らせるんだろうな。メニューは何だろう。ハムかな。七面鳥かな。山盛りのマッシュポテトにたっぷりのグレヴィー。デザートはママの手作りのケーキかな。ママたちはきっと自慢の手作りクッキーを焼いて待っているんだろうなあ・・・。

四連休最後の日

4月5日。月曜日。まだ連休。といっても、法定休日ではないから、普通の仕事日で休日出勤にならない人もいる。会計事務所時代のワタシもそうだった。公務員のカレシは休みで寝坊を決め込んでいるのに、ワタシは(一緒の車通勤じゃないから)早めに起きてバスで出勤。だって、今どきは納税申告の季節だから、会計事務所は見習いクンたちが残業に次ぐ残業。申告期限の4月末が近づくともう戦場のような雰囲気で、男女を問わずまだ若いのにげっそりやつれた顔になって、ちょっとかわいそうだった。将来の高収入を確実にするための修行と思えば耐えられたのかもしれないけど、安月給でまるで徒弟制度みたい。聞くところによると、最近はなかなか見習いのなり手が集まらないらしい。

今日はカレシのショッピング。まずは、ブロードウェイまで行って、新しいモニター。不安定になっていたと思ったら、ふわ~っと昇天。急遽ワタシのお古をつないで使っていたけど、なにせ小さい。それでやっと重い腰を上げて、リサーチしてこれはというモデルを3つほど選び出して、売っているところを調べて、ゴー。最近のはアスペクト比が変わって、うはっ、幅広。カレシが売り場の担当と話している間に、ワタシは小さいノートブックの品定め。いろいろなサイズを目の前にして改めてコンピュータも変わったなあと感心。おまけに安くなったこと!フリーの旗揚げをした20年前にワタシが買ったPCは4千ドル以上したし、マック(当時の翻訳者はマック党が圧倒的だったような・・・)は6千ドル以上した。(当時のカレシの給料の2ヵ月分。)まだ自分の信用歴がない頃だったから、カレシが連帯保証人になってくれて銀行から借金して、半年かけて返済した。3年後に予備のつもりで買った東芝のノートブックも4千ドルした。今はその10分の1だもん、ああ、感慨無量・・・?

次はダウンタウン。カレシは落として壊した外付けハードドライブの買い替え。(壊れたのはデータの取り出しが可能かどうかの診断に20ドル、可能なら取り出しに80ドルかかるそうな。)去年買ったものなのに、値段が安くなっている。エレクトロニクスはデフレなのかな。ワタシは新しい会計ソフトを購入。7月1日から統合消費税が始まるから、10年使ったソフトもアップグレードのしどき。新年度の帳簿付けはまだ何もやっていないから、今が切り替えのしどき。めんどうなんだけど、やれるときがやりどき。駐車メーターに1時間も入れたので、余った時間はHマートで買い物。キムチ大好きのカレシは大根キムチの大びんを買って「食べ過ぎないようにしなきゃ」と。キムチの方はあんまりカレシの胃袋が好きじゃないようなので、少しずつ食べないと後悔するもんね。ワタシは英語のラベルを頼りにチヂミの粉の大袋を買って来た。(タレはなかったけど、ググッたら作り方が出て来て、コチュジャンというものがいるんだけど、これもググッたら作り方が出て来た。グーグルさまさま。)

雨が降り始めた夜、カレシはモニターのセットアップで早くもカリカリ。結局はワタシがコードをつないであげる羽目になったけど、今度は解像度の設定がうまく行かない。さんざんググって回って、やっとドライバをダウンロードしてうまく行ったけど、「ネットの情報はガセネタが多すぎる」とこぼすことしきり。うん、8:2の原則で行くと8割は役に立たないか、まったくのでたらめというところか。そこが誰でもアクセスできて、誰でもがどんな情報でも好きなように流せるインターネット式デモクラシー、というよりは「モボクラシー」。暴徒とか群衆を意味する「mob」から来ていて、「暴民政治」という訳が当てられているらしい。にいちゃんねるなどはその典型と言えるかも。だから、いつもいうじゃないの、ネットの世界は時空間の観念がなくなった平べったい「面」なんだって。おまけに真偽も真意も真相もあやふやな真実の真空地帯だし・・・洒落にもならないけど。

カレシが汗をかいている間、ワタシはバスルームの壁の釘穴やひっかき傷を埋めた石膏のやすりがけ。細かな白い粉が飛び散って大変だけど、ペンキ塗りをきれいに仕上げるには欠かせない作業。ま、ペンキ塗りくらい自分でやれるんだけど、マイクが明日あたり残っているペンキ塗りに来ると言うから、すぐに塗れるように準備をしておいて時間の節約。夜にはトイレットペーパーのホルダーを取り付けられる。ワタシはこういうことが好きなもので、前回もそうだったけど、結局はいつも最後にぐずぐずと残ってしまいがちな半端な仕上げ仕事を嬉々として引き受けて、腕まくりしてしまうんだよなあ。もしかしてネット空間のミシシッピでフェンスのペンキ塗りをしているトム・ソーヤーに出会ったら、「やらせて~」とペンキブラシをひったくってしまうかもしれないなあ。あはは、ものずき・・・。

トム・ソーヤーはおかんむり

4月6日。火曜日。ずっと雨のはずがけっこういい天気。当たるも天気予報、当たらぬも天気予報。雨が降っていないんだから文句はないな。(晴れても外れたと文句を言う人はいるだろうけど。)

マイクが午前中遅くに来ると言う予告だったけど、正午を過ぎてもいっこうに現れない。あはは、天気予報と同じか。その間にトイレットペーパーのホルダーを取り付けた。テンプレートがついて来るから、それをテープで貼って、水準器を当ててきっかり水平なのを確認して、ねじ穴をピンポイントで開けたのに、よく見るとほんのちょっぴり右側が下がっているような感じ。おいおい、と思って水準器を乗せてみたらちゃんと水平なんだけど、一歩下がって見直すとやっぱりなんとなく右が低いような気がする。もう一度水準器で確かめたけど、やっぱり空気の玉はど真ん中。どうしてだろうなあ。目がおかしいのか、まっすぐ立っているつもりで傾いているのか・・・。

ちょうど終わったところへマイクがお出まし。「寄り道しちゃってね」と。天井と壁のペンキのタッチアップ。ランドリーシュートのドアの取り付けの相談。来るのが遅いからそんなこんなでドアのペンキ塗りまで進まない。そこでワタシが「自分でやっていい?」とお伺い。「本気なの?」とマイク。今週は休みモードだから本気。ペンキ塗りはけっこう慣れているから、夜のうちにやっておける。まあ、ほんとのところは、ワタシがやれば「完了」が少しは早まるという胸算用なんだけど、マイクの方も早く終わらせたいらしく、渡りに舟とペンキ塗りの道具一式を置いていってくれた。

夕食後、さっそくペンキだらけのジーパンとTシャツに着替えて、作業開始。塗るのはドアと枠とベースボードで、バスルームの中と外の廊下側。なにしろ小さな空間にキャビネットとトイレが納まっているから、作業をするのに身動きがとりにくい。たしかに少々メタボ体型のマイクにはやりにくいことこの上ないだろうな。だから、ワタシがやると言いだしたのをけっこう喜んでOKしたのかもしれないけど。ドロップシートについたペンキをつい踏んでしまうから、ワタシの足の裏はあっという間にペンキだらけ。ローラーを持つ手もペンキだらけ。ついでに髪にまでペンキがついて、まさにトム・ソーヤー状態。おもしろいけど、けっこう疲れる作業で、だんだん背中が痛くなって来る。

4時間近くかかって完了したけど、その間、カレシは「いつになったらトイレを使えるの?」と聞いてきたかと思うと、「今日はシャワーするつもりだったのに」とぶつぶつ。そのうちに「ペンキの臭いのせいかなあ、鼻水が止まらない」と文句たらたら。なんで、今すぐにシャワーなの?トイレなら二階にあるでしょ?ワタシが汗かいてペンキ塗りしてるの、わからないの?鼻水が止まらないんだったら、外へ行っていい空気を吸ってくれば?(スカンクに遭遇しないようにね。)もう、あんたって、ほんっとに空気の読めない人なんやねえ・・・いやいや、調子っぱずれのしょっぱい口笛を吹いているところを見ると、わかっていてやってるんでしょ?マイクが来るのが遅かったからイライラ。いつもの夕食のしたくの時間になってもまだいたものでイライラ。おまけにラジオをかけてやっているからよけいにイライラ。イライラしてイジワルのひとつもしたくなったってことだろうなあ。あのさ、今夜のトム・ソーヤーは少々おかんむりなんだけど・・・。

改装工事、99.99%完!

4月7日。水曜日。雨模様。なんだか今頃になって寒々としている。また嵐が来そうな予報があったりして、ついこの間まで春爛漫だったのに。ま、外の話だからいいけど。目覚ましを午前10時45分にかけてあったのに、またまた直前に目が覚めた。起きようかと思ったら、なぜかカレシも同時に目を覚ましたもので、しばし腕枕でとろり、とろり。あれ、ウェスが昼前に来ることになっていたから、わざわざ目覚ましをかけておいたのに。だけど、カレシは「どうせ昼過ぎにならないと来ないよ」と澄ましたもの。そっか、こっちの「昼前」ね。あはは。

そんなわけで11時を過ぎてからゆっくりと起きて、朝食。しばらくオフィスでダラダラしていたら、ゲートのチャイム。午後1時。やっと来たかと思ったら、「UPSで~す」。おお、注文してあった鏡のご到着。何て絶妙のタイミング!二人組が大きな箱を2つ玄関まで運んでくれた。思ったよりも重そう。さっそく箱を開けて、まず鏡を出してみたら、うわっ、45センチ×60センチの小さ目の鏡なんだけど、ずっしりと重たい!自分で取り付けると言ったけど、ウェスにやってもらおうっと。ドアのつまみ3個。タオルをかけるリングとバー。鏡の下につけるガラスの棚。どれも大きさの割には量販店の類似品とは比べものにならない重さなもので、ちょっとびっくり。

マイクとウェスが現れたのは荷物が届いてから30分後。ウェスは開口一番「いやあ、こんな日には家の中で仕事をするのが一番だよ」。そうだなあ。おまけにバスルームは床がほんわかと暖かいんだもの。マイクがウェスにきのう決めたランドリーシュートの枠とドアのデザインを説明。ペンキ塗りは夕べのうちに完了したと言ったら、「じゃ、ドアの引き手もつけて、これで終わりだな」。ついでに、今届いたばかりの鏡や金物を取り付けてくれる?「自分でやると言ってたよ」とマイク。あはは、夜中までかかってペンキ塗りしたから今日は背中がコチコチなの。ということで、ウェスが全部取り付けてくれることになった。(元々はそういう話になっていたんだけど。)仕事にかかるウェスを残して、マイクは玄関先に放置してあった古いトイレを撤去して退場。

仕事を休んでヒマなワタシは紅顔の美青年の作業ぶりをとっくり見学。「Restoration Hardwareの店には行ったことがあるけど、店員がお高くとまってて、すごい上から目線だったよ」とウェス。「ワイフがああいうの好きなんだけどさ」と。(ははあ、お弁当の作り主だな。)通販部門はアメリカのコールセンターが扱うから愛想はいいけど、実際の店に行ったらそういう雰囲気なのかもしれないな。まだ若いカップルだからってお金がないかどうかわかるわけがないだろうに。ワタシも行かなくて良かったかもしれないな。ウェスのお父さんはプログラマなんだそうで、息子はデスク仕事よりは手を使うことの方が好きだからと大工の見習いになったそうな。だけど、マイクのように請負ビジネスは向いていないから、いずれは消防士になるつもりで、今は「オンコール」(呼び出しがあれば応援出動する)の消防士もやっているとか。奥さんはパラリーガルだそうな。「早く自分たちの家と子供が欲しいからね」と、屈託がない。かわいいイケメン君だなあ。どうして消防士ってイケメンばかりなんだろう・・・。

最後に四角いタオル「リング」を取り付けて、1月半ばから始まったバスルームの改装プロジェクトは99.99%完了して「実質的完成。残る0・01%の半分は今日付けたランドリーシュートの投入口の枠のペンキ塗りでもう半分はキッチンの本棚の上に置くガラス。ペンキはワタシがちょこちょこっと塗ればいいだけだし、ガラスはフレッドが持って来てくれたらそのまま乗せるだけ。いやあ、ほんとに長かったけど、いよいよ完了。感慨無量なような、ちょっと疲れたような・・・。

あああ、これでやっと毎日が「平常通り」の生活が戻ってくるぞ。カレシも、お疲れサマでした。

否定はとりあえず後にしようよ

4月8日。木曜日。ゴミ収集車の轟音で目が覚めたけどまたすぐに眠ってしまったらしい。久々にぐ~っすりと眠った気分で目が覚めたら11時過ぎ。おお、台風一過のようないい天気。テレビをつけたら、昼のニュースで、大風でまたしてもあちこちで停電。キツラノのビーチにはヨットが3隻打ち上げられたと言っていた。雹が降ったところもあるらしい。ほんとに4月に入ったとたんに狂った天気が続くなあ。

今日はひとりで運動がてらモールまで歩いてショッピング。まだ風が強くて髪が顔にかかって歩きにくいし、半袖のTシャツの上にジャケットだからちょっぴり冷たい。とりあえず、まず来週にヘアカットの予約をして、道路向こうの銀行へ行って当座の現金を下ろして、ついでにチップ付きに変わったクレジットカードのPINを変更することにした。ところが変わってくれない。3度やってもダメ。ふむ、どうやらオリジナルのPINを間違えて覚えたんだろうな。(後でPINの通知を引っ張り出してみたら、案の定、数字がひとつ違っていた・・・。)しょうがないから今日は諦めることにして、またモールへ。モールと言ってもたいしておもしろいショッピングはないんだけど、新装のバスルームに置く小道具を物色。ベイにはこれといったものがない。置いてないんだから、探しようもない。はっきり言えばカナダにはもう「デパート」と呼べるものがないんだけど。しょうがないから、隣のゼラーズをのぞいてみる。ここはベイのアウトレット兼擬似ウォルマート。安いんだけど、モノもそれなりに安っぽい。安いから「とりあえず」ということで、バスマットを入れるバスケットを買って、キャビネットの中に入れるプラスチックの3段引き出しを買った。そのうちこれはというものが見つかったら、引き出しは園芸室にでも置いてもらおうか。

夜になってまたトラックのバッテリが上がっているとひと騒ぎ。たった1週間前にジャンプスタートしてもらったばかりなのに。ふと日本なら車を持っていてもたまにしか使わない人たちも多いだろうと思って、日本語でググってみたら、やっぱりそうらしい。見ると「ソーラーバッテリ充電器」なるものを使えばいいと書いてある。そんなものがあったのかと思って、今度は英語でググって見たら、こっちでもあることはあるらしい。早速カレシに提案したけど、カリカリしている耳には入らないらしい。走らないとすぐにあがるというのは迷惑な話だけど、トウトラックの運転手によると、近頃の車はエレクトロニクスを満載しすぎたもので、ベンツもホンダもみんなそうなんだというから困ったもの。昔は中古車が新車同様の状態だと印象付けるのに「おばあちゃんが日曜日に教会に行くのに使った車」と冗談に言ったもんだけど、今の車だったら、おばあちゃんは日曜日の朝ごとに「エンジンがかからないの」と途方にくれそうだなあ。ほんとに今の世の中便利なんだか、不便なんだか・・・。

せっかくこっちが調べてこういう方法もあるよと言ってるのに、グチグチ言って聞こうとしないカレシを見ていて、パパにそっくりだなあと思い、友だちのブログで「~は日本のが一番」と言い放つ人の話を思い出した。どこにでもいるんだなあ、そういう人は。パパは何につけても「~は○○が一番(それ以外にはない)」という人で、誰が何を言っても聞く耳は持っていない。ワタシが来たばかりの頃にカレシがソニーのテレビを買ったら、「テレビはRCAが一番なのに、そんなものを買って」と半年ぐらいブツブツ言われたし、ホンダのシビックを買ったら、「車はフォードが一番なのに、そんな車を買って」と行くたびに言われたし、手押し式の芝刈り機を買おうとしたら、「芝刈り機はクレムソンでなきゃ」と自分が使わなくなって半分錆びたのを強制的にお下がり。子供の頃に家族そろっていつも同じ食堂へ食べに行っていたのは「仔牛のカツは何と言ってもここのが一番」という理由だったそうな。(カレシは子供心に「他のところへ行ったこともないのに何で一番だとわかるの?」と思っていたとか。)

自分が一番いいと思うものを一番だと言うのは決して悪いことじゃないけど、カレシのパパの場合は「一番」があるのみで、実は二番も三番も体験したことがない(というより、食わず嫌いと言う言葉の通りで、体験しようとすらしない)。知らないから理解できなくて、理解できないことが不安を呼び起こして、それで「NG」と否定することでその不安を打ち消しているのかもしれないな。(90歳の誕生パーティで見たときは、人がちょっと側を離れると不安な半べその表情になった。まるで母親の姿を見失った幼児のようで、人間は年をとって認知症になると素の姿がそっくり現れるのかなと思ったんだけど・・・。)カレシは知らないことや理解できないことでも自分なりに知ろうとするし、聞く耳がないようで聞こえてはいるから後で考えて受け入れたりもするけど、根底にある強い不安感情はやっぱり親譲りと言えるものなんだろうな。そういえば、赤ちゃんのときの初写真、笑っていた弟たちの写真とは対照的に眉間にしわを寄せて今にも泣き出しそうな顔をしていたっけ・・・

まあ、大人なんだから、とりあえず不安感を抑えて、人の話は聞くだけでも聞いて、一番も二番も三番も見聞きして、味わって、体験してみてから「思い込み」した方が安心だと思うけどなあ。

これぞ金曜サスペンスの日!

4月9日。金曜日。今日もいい天気。早い時間に電話がなっていて目が覚めたけど、そのまま眠ってしまった。そのうち自然に目が覚めて、しばらくぐずぐずしていたらまた電話。のこのこ起き出して出たら、会計事務所の秘書さん。ワタシとカレシの納税申告書がでたので、どうするかという話。事務所のほうからネットで提出してもらうのに承諾のサインがいる。では、ということでクーリアで送ってもらうことにして、朝食。

カレシはきのうハイウェイをぶっ飛ばしてかなり充電したはずのバッテリを試しに外へ。やっぱり、ククククという音がするだけでエンジンはかからないという。トウトラックを呼んで、今度はそのままそれほど遠くないトヨタのディーラーへ運んでもらった。入れ替わりにクーリアが納税書類を届けに来て、開けてみたら、わっ、今年は2人とも追加納税額がある。去年は、ワタシは売上がぐんと増えたから当然だし、カレシは2つの公的年金を通年でもらった初年度で、共済年金と違って所得税の天引きがないから確定申告をすると追加が出てくるのは当然。2人分で約3500ドル。死と税金は逃れようがないというけれどなあ・・・。

エコーも走らせなきゃということで、バッテリが上がったときにエンジンをかけるためのパワーパックを買いにブロードウェイのCanadian Tireに出かけた。こういう量販店はどこも駐車場があるんだけど、なぜかカレシは特に地下駐車場が嫌いで、路上のメーターにお金を入れて駐車。ここは我が家に近い店よりもけた違いに広い。ずらっと並んだパワーパックのどれがいいのか。300、600、800・・・わかんない。店員の方から寄ってくることはめったにないから、カスタマーサービスのカウンターまで言って質問。それでもよくわからないけど、まあトラックのバッテリに使うということで中くらいのにして、ついでにソーラー充電器を買った。こっちはあまり意味がないとわかってもがっかりしない値段だし、ライターのソケットに差し込んで、パネルを日の当たるところにおいておけばいいらしいので、お試しの価値はありそう。新品のバッテリでちょろちょろと充電しておけば、しばらく使わなくても上がる心配は減るはずなんだけど。

買い物を抱えて車の方へ歩いていたら、やたらとトウトラックがいる。カレシがすっとんきょうに「3時までなんだよ、ここ」と。そっか、ラッシュアワーの規制で午後3時から6時までは駐停車禁止。車の方を見たら、うわっ、トウトラックがいて、引っ張って行かれるところ。重い荷物を抱えて、2人とも必死で上り坂を走って、ぜいぜい言いながら「あの、これ、うちの、車なん、ですけど」。見たら前輪を持ち上げられて、引っ張って行く寸前。運転手氏、「下ろすのに40ドルかかります」。はっ、もう40ドルでも50ドルでもけっこうですんで、下ろしてくだしゃんせ。運転手氏はワイパーに挟んであった違反切符を取って、クリップボードの用紙にあれこれ書き込みながら「キャッシュ?クレジットカード?」と聞くから、ささっと現金40ドルを差し出した。領収書と違反切符を一緒に渡して、エコーを地面におろして、トウトラックは手ぶらで行ってしまった。午後3時5分。ほんっとにこういうときに限って市役所は行動が迅速きわまりないんだよなあ、もう。

きわどいところで救助した車で帰宅の途へ。さっきのトウトラックは2ブロック先で別の車を連行?するところだった。金曜日でもうラッシュが始まっているから商売繁盛か。駐車違反の罰金は50ドル。あと1分遅れていたら、持って行かれていて、受け出すのに90ドル(牽引料40ドルと罰金50ドル)かかるわけで、結局は同じ金額なんだけど、受け出しに行く時間と労力を考えれば、こんなラッキーなことはない。運と言うのはほんとに気まぐれ(じゃなければ運とは言わないんだろうけど)。パワーパックや充電器の説明書を読んでいたら、ディーラーから「修理完了」の電話。行ってみたら、「バッテリを取り替えました。保証期間中なので環境保護料5ドルだけ」と。トラックを買って2年で3つ目のバッテリなんだけどなあ。ソーラー充電器を買ったといったら、「それはいいですよ。ジャンプスタートはバッテリの寿命が縮みますから」と。な~んだ、だったらそれを早く言ってくれればいいのにぃ~。

こうしてまぶしい春の午後はサスペンスと冒険たっぷりのうちにあわただしく過ぎた。「今日は疲れたなあ」と言うカレシ。ふと大まじめな顔になって曰く、「キミってさ、おふくろと同じで、コップに水がまだ半分あると考える楽観主義なんだね」と。「まだある」んじゃなくて、「半分しか入っていないからもっと入れられる」と言う方かもしれないけど。まあ、元からそうだったかどうかは別として、今のワタシはポジティブ人間なんだろうな。でも、やみくもに楽観主義じゃなくて、経験則に基づいてある程度のリスクを冒せるガッツが備わったということなのかもしれないけど。(そうでないとカレシと暮らして行けないもん、と言いたかったけど、ほんとにどっと疲れている顔を見て言うのはやめた・・・。)

今日でお休みモードもおしまいで、明日からは仕事だから、忘れないうちに罰金を払って、今夜こそは腰をすえてプレゼンのスライド作りを始めようっと。

威風堂々と・・・

4月10日。土曜日。今日もいい天気。起床は午前11時半。確実に普通に戻った感じかな。きのうはけっこう冒険して疲れたから、今日はのんびり、ゆっくりと思ったけど、そうは問屋が卸してくれない。仕事を再開しなきゃならないし、何よりも今日はシーク教徒の最大の祭りである「ヴァイサキ」。2ブロック先のメインストリートの数ブロックは「バンジャビマーケット」と呼ばれるところで、シーク教徒の寺院からのパレードが通るから、我が家の周辺は駐車場所を探してぐるぐる走り回る車だらけ。それはいいんだけど、カーステレオでインドのポップをガンガン鳴らして通るのがいてうるさいったらない。おまけに、頭の上はバナーを引っ張った小型飛行機がブンブン。

もっとも、インド系(今は南アジア系と言い換えている)人口の中心が郊外のサレーに集中するようになって、パンジャビマーケットは衰退気味だし、シーク寺院の内紛もあったし、ヴァイサキもそれにつれて昔ほどの勢いがないような感じがする。今日の人ではは推定5万人の人出というけど、10年くらい前は飛行機が4機も5機もぐるぐる回って発狂しそうなくらいだったし、「住人専用駐車区域」の標識を無視してびっしりと車が止まっていた。それで当日はよくママのところへ避難したものけど、今は4、5時間で何事もなかったように静かになる。一時はたくさんいたターバン姿の男性も見かける数がめっきり減ったし、それくらいこの一帯の環境も変わってきているってことだろうな。

コンサートへは一駅先のオークリッジ駅から地下鉄に乗ることにして、駅のあるモールまで車で行く。これだと歩く距離が少ないので、ちょっと季節外れに冷え込んでいる夜でもコートは不要。長袖とはいえ気温10度の中をベルベットのドレス1枚で出かけるというのは、いい年してちょっと図太いかな。でも、ダウンタウンについてみたら、細い肩紐だけのパーティドレスで肩も背中も丸出しの若い女性がぞろぞろいるからすごい。見るだけでも寒気がしてくるけど、若さってのはすごいというか、鈍感というか。風邪引かなければいいけどね。せっかくのデートナイトの土曜日なんだし。

今日のコンサートはエルガーがメインで、『威風堂々』で始まり、第2部は『エニグマ変奏曲』。間にブラームスが入って、ソロはグリーグのピアノ協奏曲。ジョイス・ヤンは韓国生まれの若手ピアニストで、バンクーバー周辺に「60人くらい集まって、まるでお婿さんのいない結婚披露宴みたい」になるくらい親戚がたくさんいるんだそうな。かなりエネルギッシュだけど、ソフトなところはすごくソフトに。まだジュリアード音楽院の学生だそうだけど、将来は世界のコンサートを駆け回るんだろうな。

第2部の『エニグマ変奏曲』の前に曲の説明を終えたマエストロが、「飛行機事故でポーランドは大統領以下、国の主要なリーダーを失いました。今夜は9番目の『ニムロッド』が終わったところで1分間の黙祷で哀悼の意を表したいと思います」とアナウンス。変奏曲で一番人気がある『ニムロッド』は悲しいくらいに美しいアダージオのメロディ。終わったところでマエストロがそのまま深く頭を下げ、楽団員も頭を下げ、ホールはし~んとなった。70年前にポーランドの未来を担う人たちを2万人以上もカチンの森の虐殺で奪われたポーランドが、ソ連の頚木から自由になった国家を運営する人たちをそのカチンの森のすぐそばでまた大統領をはじめ何人も一瞬のうちに失ってしまった。なんという運命なんだろう。ワタシも目をつぶって、ポーランド人の苦難に満ちた民族史を考えているうちに、思わず涙がぽろぽろとこぼれて来た。でも、ポーランド人は心が強いから、ポーランドは大丈夫だと思う。

コンサートの最後は「サプライズ」。バレンタインデイの頃にあった資金集めのパーティで「コンサートで指揮をする権利」をオークションにかけたところ、交響楽団理事会の理事夫人が競り落としたそうな。女声合唱団の指揮をしている音楽活動家のステファニー・チャン女史で、真っ白なパンツスーツで登場して、エルガーの『威風堂々第4番』を、まさに堂々とタクトを振り切って大喝采を受けた。

さて、仕事を始めないと月曜日夕方の期限に間に合わなくなりそうなんだけど、ちょっと気が乗らない。じっくり余韻を味わってから、明日は大車輪で行こうか・・・な。