1年後の今はもっと幸せ
5月16日。木曜日。首が痛くて、頭痛がして、目が覚めたら、まだ午前7時。「痛いの、痛いの、飛んで行け」の心境で、ひたすら目をつぶっていたら、どうやら何とか眠りに戻れたらしい。午前11時半の目覚ましで起床。頭痛はほとんど消えていた。
英語教室午後の部にでかけるカレシを送り出して、ゆうべどんとまとめて送られてきた校正担当者からの質問に回答する。何しろ、日本にしかない諸制度の細々とした決まりを訳そうということで、「文化や制度習慣の違い」としか言えないものが多いけど、この場合はそれでは回答にならないから悶々・・・。
終わったところで、gooのメールボックスにかなり貯まっていた「1年前の記事」のお知らせメールの処理。何だか1年前の今頃もやたらと神経の疲れる仕事につかまってカリカリしていたような感じ。その中で、ワタシとカレシの実質的な結婚記念日である「5月12日。」の記事は、読み返してみて、アップした写真を見て、なんだかまたまた目がうるうる・・・。[記事リンク]
お父さん子の甘ったれで、幼いときはいつも父におんぶしてもらっていたらしいワタシにとっては、父の背は原風景の中でも特別な存在で、今でも父の背の匂いが鼻の奥に記憶されているように思う。あの匂い、あの感触はまさに「安心感」そのものだったんだろうな。よく病気をしたし、ほんとに手の焼けるヘンな子だったと思う。小学校2年生の時に全校での読書力検査と知能検査があって職員室が大騒ぎになるようなスコアだったという話を聞いたことがあるから、何となくアスペっぽい子だったのかな。それで、よく学校でひと悶着を起こして先生を困らせたのかもしれない。(小学校ではほんとにいい先生に恵まれた。)中学2年で生まれ育った土地を離れてからは、(思春期でもあったけど)どこへ行っても居心地が悪い感じで、学校が大嫌いなのに「できるのになぜやらないのか」と言われ続けたな。(不登校にならなかったのが不思議。まあ、ぐうたらなところがあるのも確かだけど、英語だけは楽しかったな。)
今年の38周年の記念日は脳みそが焦げそうな仕事をやっているうちに過ぎてしまった。27歳で日本を離れて、カナダで38年。そうか、今年はカナダ国籍になってからの年数が日本国籍だった年数より1年長くなるのか。ワタシには、カナダの社会や制度は優しかった。あの、転校してからの居心地の悪さは、海を隔てたカナダでは感じたことがない。子供はできなかったけど、包容力のある家族に恵まれた。学歴はないけど、天職と言えそうな仕事にも恵まれて、持っているものを目一杯に活用して満足できるキャリアを築くことができた。おかげで、老後の不安もない。去年と同じくやっぱり「今が幸せ」。いや、今月から年金受給が始まって、もう自分の経済基盤を確保するという人生の肩の荷が下りたようなもんだから、今年の「今」は去年よりずっと幸せだと思う。
少しずつ仕事を離れるにつれて、意図しなくても日本語が遠くなっていくかもしれない。完全に翻訳の仕事を離れたら、いつかは日本語を忘れてしまうかもれないな。まあ、ワタシはカナダ人としてカナダで死ぬんだから、それでも不都合はないと思う。だって、ワタシの日本語は38年前の日本語のままだから、ワタシが38年後の今の日本語を「わからなくなって来た」と感じるように、それが40年前、50年前のものになる頃には、もう日本の人たちに通じないバージョンになっているかもしれないもの。
山も谷も、雨も嵐もあって、辛い時もたくさんあったけど、それでもだんだんに良くなって来て、最後には「幸せだった」といって死ねたら本望というところかなあ。
健康のために、歩きながら読書
5月17日。金曜日。起床は正午ぎりぎり。何となく湿っぽい天気で、ちょっとばかり肌寒い。真夏のような天気が続いたのは先々週だったっけ?明日からヴィクトリア・デイの三連休。非公式に「夏解禁」の週末ということになっていて、園芸センターが大賑わいするんだけど、この分だとどうなるかな。
カレシは午後2時半に歯医者の予約。2日くらい奥歯がすごく痛んだときがあったので、診てもらうことにしたそうな。へえ、歯が痛いとか何とか文句を言って、ワタシに歯医者に行ったらと言われる前にさっさと予約を入れたのかあ。どうりで雨が降るはず・・・?ま、いってらっしゃ~い。
今日の郵便の中にワタシのカナダ年金(厚生年金)の金額の通知が入っていた。もうひとつの老齢年金と合わせるとまあまあの金額で、掛け金の払い込みを停止した後で最終的に調整されると書いてあった。実質的には先月で年金掛け金の払い込みは停止したわけだけど、自営業の場合は4月に所得税申告のときに1年分をまとめて払うので、そのときに停止時期を申告することになる。つまりは、今年4ヵ月分の掛け金を勘案して調整した金額になるのは来年の夏くらいか。たぶんそのときに1年分の調整差額を払ってくれるんだと思う。でもまあ、こうして通知を見ていると、いよいよ「pensioner(年金生活者)」になるんだなという感慨みたいなものがわいて来ないでもない。
今日の郵便のもうひとつは最近購読し始めたThe New Yorker。活字満載で読むのに1週間かかるけど、さすがという感じ。今日来た号には、トレッドミルをデスクと組み合わせて、歩きながら仕事をする「デスクトレッドミル」と言いう奇抜な発想の記事があった。有名なメイヨクリニックに勤務する医者が考案したんだそうで、大汗をかいてがんがん走るような激しい運動をするよりは、できるだけ立って歩き回っている方が健康保持のためにずっと効果的ということだった。アメリカではすでに専用にデザインしたトレッドミルを製造販売しているメーカーがいくつかあるそうで、グーグルなどの大企業で採用されて、希望する社員に支給しているというからすごい。
デスクトレッドミルは、客に仕事の電話をしていて息切れしたりしないように、PCのキーを打ったり、字を書いたりしやすいように、時速約2キロ前後のスピードでゆっくり歩くようにできているという。記事の著者は「一番の問題は、電話していてつい、今トレッドミルで歩きながら仕事をしているの~と言いたくなること」と書いている。携帯電話が登場したときにも、用もないのに誰かに電話しては「今、携帯電話からかけてるんだ~」と言っていたのと似たような心理だな。でも、欧米には昔から立ったままで使うデスクがあって、IKEAなどでも売っているそうだし、人間の体にとっては、一点で立ちっぱなしというのも問題だろうけど、座りっぱなしでいるのは有害でしかなく、歩いている(動いている)のが自然だということかな。(おとなしく座っている子よりも。うろちょろする子の方が将来的に健康ってこと?ま、親も後追いして動かざるを得ないだろうから一石二鳥か。)このデスクトレッドミル、何だかおもしろそうだから、いつか試してみたいな。
実は、傷めたふくらはぎも回復したので、きのうから当分はトレッドミルに乗っても走るのも超早足で歩くのもやめて、時速5キロ半くらいの楽々ペースで15分ほど歩くことにした。そのスピードでデッキの勾配を2%くらいに上げてみたら、かなりの汗をかいたけど、膝や股関節にはあまり負担を感じなかったし、脈拍もちょうどいいレベルまで上がったもので、ま、美容体操しているわけじゃないんだから、まだ若いつもりでがんがん走ることもなかろうとの結論に達したところだった。そこで、立ち上がって記事を読みながらキッチン中を歩き回ってみたら、うん、これがけっこういい感じ・・・。
まあ、一定の場所で固定された道具を使って仕事をする必要があるから「デスク」トレッドミルなんで、歩き回りながらでもできることであれば、トレッドミルがなくてもいいわけだな。歩きながら、こうやって読書ができるし、タブレットで新聞を読むこともできる。読みながら歩いていてものに躓かないように気をつける必要があるけど、そこはごたごたあるものをちょっと片付けてすっきりさせれば問題なし。ついでに整理整頓の習慣も身に付くかもしれないな(と、希望的観測・・・)。それでトレッドミルで歩くのと似たような効果があるんだったら、これからは家中をうろうろ歩き回りながら読書することにしようかなあ。はて、どこかにそういう銅像があったような・・・。
セントへレンズだ噴火から33年
5月18日。土曜日。何となく明るいけど、ほんとは雨を降らせたいんだか、晴れたいんだかわからない空もよう。
今日5月18日はお隣のアメリカ、ワシントン州でセントへレンズ山が大噴火して満33年。もうそんなになるのか。やっぱり年月の経つのはけっこう早い。あの日は日曜日だった。前日に6ヵ月住んだヴィクトリアからバンクーバーに戻って来て、引越し荷物に囲まれて朝食を食べていたな。噴火の音が聞こえたとは思わないけど、耳の奥に何となく妙な風圧のようなものを感じたのを覚えている。食後にラジオのニュースでもうすぐ危ないと言われていたセントへレンズがついに噴火したことを知った。翌朝にはタウンハウスのパティオが灰でうっすらと白くなっていたのを覚えている。
セントへレズの北斜面を眺望する場所の観測点にいたアメリカ地質調査局の若い火山学者デイヴィッド・ジョンストンは、「This is it!(ついに来た!)」と噴火の瞬間を伝えた数秒後に火砕流に直撃されて遭難死した。今、セントへレンズに近い火山観測所には彼の名前がついている。あの日からテレビには想像を絶する映像が何日も何日も流れた。雪を被った姿かたちが自慢だった山は、北斜面が一気に崩落して、400メートルも低い惨憺たる姿になってしまった。湖の辺の山小屋に住んでいたハリー・トルーマンというおじいちゃんは頑として避難を拒否して、愛する山で火山灰に埋もれて死んだ。火山噴火がどんなものかを知らない故に、「その瞬間」を見ようと警告を無視して山に入って行って、火山灰や泥流に埋もれて死んだ人たちもいた。降り注ぐ熱い火山灰の中を逃げる過程をテープやビデオの記録に残して死んだ人たちもいた。
でも、早くから立入りを制限したり、その他いろいろな要素があるんだろうけど、あれほどの山体崩壊を伴った火山噴火で死者が57人だったというのは奇跡に近かったと思う。数年前、ラスベガスからの帰りにセントへレンズの真上を飛んだことがあって、噴火でできたクレーターの大きさを空から見て、改めて火山の威力というものがわかった。セントへレンズは北のシアトルから150キロ、南のオレゴン州ポートランドからは100キロに満たないところにある。半径100キロ以内には、日本人移民が「タコマ富士」と名づけたレーニア山(4392メートル)や、「オレゴン富士」と名づけたフッド山(3429メートル)があるし、ときどき我が家の二階の窓からちらっと見えるベーカー山(3286メートル)は国境のすぐ南にあって、いずれも噴火したら巨大災害を引き起こすと言われている。
いずれも富士山級の山で、同じような構造の成層火山。富士山も東京首都圏から約100キロだし、この3つの火山も規模は違うけど大都市圏から近い。もしもベーカー山が噴火したら、風向きによってはわずか80キロしか離れていないバンクーバーにも大量の灰が降るだろうし、郊外に広がる農業地帯は壊滅的な被害を受けるだろうな。もしもそんなことになったら経済的な打撃もすごいことになる。小学生の頃に雌阿寒岳が噴火したことがあったけど、釧路市内で灰が降ったかどうかは覚えていない。ワタシの原風景の中では、遠い地平線でいつも煙がたなびいていたという記憶しかなかったから、セントへレンズを上空から見下ろすまでは、別に怖いものという認識はなかったと思う。
予想を超えた大噴火から33年経った今、厚く火山灰や泥流に覆われていたセントへレンズの山腹にも、なぎ倒された木々の間から芽が吹き出し、新世代の若い森林が広がっているというから、生命のパワーはすごい。自然はちょっとやそっとのことでは簡単にへこたれないんだな。自然には底知れない破壊力と同時に、人間とは比べるべくもないくらいの強靭な回復力を持っているんだと思う。その破壊力と復元力への畏怖から、人間の心に「見えざる大きな力」への信仰心が生まれて来るんだろうと思うけど、近代世界の人間はいつからその素朴な信仰心を無くして、「見えざる力」を侮り、自分の支配力を過信して、果ては競い合うような生きものになったんだろう。だから母なる自然が怒っているのかな・・・。
宝くじで大金が当たったら
5月19日。当選者が出ないまま賞金がどんどん膨れ上がって、とうとう何と6億ドル(600億円)にもなってアメリカ中が熱狂していた大型ロト「パワーボール」。どうやらフロリダ州の小さな町で当選が出たらしい。何と1億7500万分の1の確率だそうで、当選チケットは1枚だけというから、600億円独り占めかあ。まあ、600億円を丸々もらえるわけじゃないけど、それでもすごい金額・・・。
「600億円当たったら、どうする?」と、一度も宝くじを買ったことがないカレシ。
う~ん、気絶するなあ、まず・・・。
「自家用ジェット旅客機が買えるらしいけど、宝くじが当たったら買う?」
買わな~い。それよりもファーストクラスの座席をぜ~んぶ買い占めちゃうか、チャーターする。バーやシャワーがついているやつね。
「それじゃあ、明日行こうと思い立っても無理だよ。ふつうにファーストクラスのチケットを買うのが一番楽だと思うよ」。
あはは、何だか庶民的・・・。
大企業の決算書類なんかでけっこう見慣れている桁の数字だけど、いきなり600億円なんてお金がどんと入って来ても、想像力たくましいワタシでさえどうしていいかわからないだろうな。ぜいたくは好きな方だけど、自分の好みに合わないぜいたくはしてもつまんないから、使い道に困るかもしれない。あちこちに寄付はするだろうけど、恩恵を施したくないところにはしないかな。でも、寄付お願いの電話が昼夜かまわずかかって来るだろうな。いるとは知らなかった親戚が続々と名乗り出てくるかもしれないな。あんまり途方もない金額で、怖いような気もするし・・・。
去年だったか、アメリカで宝くじが大当たりした直後にぽっくり死んだ人がいて、毒殺されたんじゃないかということになって、遺体を掘り起こして調べる騒ぎがあったし、カナダでは何年か前に、賞金の受取り期限ぎりぎりに名乗り出たはいいけど、半年前に離婚した奥さんが婚姻中に当たった賞金だから半分もらう権利があると名乗り出て、独り占めするために、当選を内緒にして離婚したことがばれた男がいた。ついでに、同棲していたという不倫相手にまで分け前を要求されて、お金、たかがお金、されどお金・・・。
「ねえ、キミはまだ6/49を買ってるの?」
うん、1組だけ。何ヵ月分かお金を預けといて、当たったら知らせてねってシステムで。
「でもさあ、宝くじって、むだだと思うけどなあ。ま、もしも当たったらどうするか想像して楽しむところに価値があるんだろうけどさ」。
そうねえ。絶対に当たらないとわかっていたら買わないな。でも、買わなきゃ、当たる確率は絶対にゼロだからねえ・・・。
カナダのロト「6/49」はワタシの唯一の賭け事。水曜日のロトの賞金は7億円になっている。はて、もしうっかり当たったらどうする?
義理ママの96歳の誕生日
5月20日。月曜日。咳が出て良く眠れなかった。どうも、いつか忘れたくらい昔にかかったひどい風邪の後遺症というのか、慢性の副鼻腔炎が残ったらしく、めったに鼻をかむ必要がないワタシだけど、寝ているときは鼻水が喉の方に流れて、その刺激で咳が出る。まあ、いつもベッド脇に用意しておく水を飲んで、しばらく咳き込んでいたら、治まって眠りに戻ったようだけど、何とかしないとダメかな。
起きてみたら、おお、いい天気。三連休最終日の今日はビクトリアデイの祝日。ビクトリアはもちろんビクトリア女王のこと。今年はうまい具合にママの96歳の誕生日と重なった。予告をしてあったので、トラックでおでかけ。ハイウェイを飛ばして約1時間。カレシが3時頃には着きたいというので、迷子にならなければの話、と釘を刺しておいた。何しろ、カレシの運転はちょっと込んでいると言っては、衝動的に横道に反れる癖がある。でも、街中の道路と違って、郊外のは横道に入ったらそれっきり軌道を外れた人工衛星みたいなことになるから困る。それでも、今日はまじめにハイウェイに入って、車線変更の標識を見逃さないように気をつけて、何とか迷子にならずにメープルリッジに到着。
ママの部屋にはジムとガールフレンドのドナ、前妻のマリルーとパートナーのロバートが来ていて、ほどなくしてジムとマリルーの娘夫婦のセーラとロブが子供たちを連れてやって来たもので、小さなアパートは4世代が集まって満員御礼。ママには孫娘にあたるセーラはワタシがカナダに来て3週間くらい後に生まれたので、もうすぐ38歳になる。日本的に言うとアラフォーだな。アメリカの不況とカナダドル高の最中でもジムから引き継いだ会社をしっかり守っているから偉い。でも、細面の顔にはさすがに年が現れているような。ママにはひ孫に当たる息子のエイダンは9月から6年生、娘のアナベルは4年生。イケメンのパパによく似て2人ともルックスは抜群にいい。
100歳のお祝いの話をしていたら、ママが亡きパパの母方の家系図と思い出話をまとめたファイルを見せてくれた。カレシの曽祖父母のヘンリーとメアリーのエヴリット夫妻の結婚100年を記念してもう20年近く前にエドモントンに住む子孫が作ったものだそうな。カレシの祖母のローズは8人兄弟姉妹の7番目。15歳で結婚して男児をもうけ、17歳で未亡人になり、18歳でカレシの祖父と結婚して2人の息子をもうけ、30歳そこそこでまたもや未亡人になり、バンクーバーに移って極貧の中で息子を育て、40代後半になって長年の居候と3度目の結婚をしたけど、数年でまたまた未亡人。ほとほと男運のない人だったようだけど、どうやら金銭感覚も常識もないに等しく、生活もかなりめちゃくちゃだったらしい。「でも料理はうまかった」と、カレシ。子供が8人となると、子孫の数も相当なもの。家系図を辿ってみたら、カレシの名前の横にワタシの元の名前が並んでいて、「1976年結婚」と記してあった。
大人はロブが持って来たビールを飲みながら、ぺちゃくちゃとおしゃべり。何しろ、話題が2つも3つも同時進行するもので、ほんとににぎやかったらない。みんなでケーキを食べて、またひとしきりおしゃべりをして、おいとまは5時。途中のモールのセーフウェイに寄って、遅くなった夕食用に電子レンジて温めるだけのローストビーフと野菜少々、コーヒーを買い、帰り道も横道に反れずにすんなりと帰宅。久しぶりに家族が集まってぺちゃくちゃ、がやがやと、今日はほんとに楽しかった~。
タブレットは新しいおもちゃ
5月21日。火曜日。よく眠って、午前11時半に起床。今日は何だか寒い。小雨もようのせいかな。ポーチの温度は正午でやっと10度。寒い~。
寒いからどこにも行かないことにして、仕事もないことだし、今日は大まじめにタブレットの使い方のお勉強(というか、徹底していじりまくる)。
初めてコンピュータを買ったのが、まだDOSを使っていた時代の1987年。1990年に自営業になってからは、PCとマックを並行して使って来て、やっとマックをお払い箱にできたのが1998年。それからは、ラップトップやノートも買ったけど、ずっとウィンドウズのデスクトップ1本でやって来た。コンピュータ歴26年。そこへ現れたのが、ワタシの65歳の誕生日にカレシにプレゼントされたタブレット・・・。
サムスンのGALAXY Note 10.1という、手になじむ大きさと重さ。でも、スイッチを入れてびっくり。タッチスクリーンはPCで使い慣れているけど、それ以外は何から何まで勝手がぜ~んぜん違うぅ~っ!インターネットやカメラはあちこちいじっているうちに何となく使えるようになった。仕事の合間にPCでダウンロードしたマニュアルを読んでいたら、少しずつ要領がわかって来た。キカイには強い方だと思っていたのに、寄る年波ってやつかなあ。でも、午後いっぱいあちこちをいじくり回したおかげで、かなり進歩したかな。
☆フライトモードをオン/オフにできるようになった。
☆ブックマークをテーマごとのフォルダに整理できた。
☆gメールを使えるようになった。
☆S Noteの使い方がわかって来た。
☆The New Yorkerの電子版に登録できた。
☆プロジェクトグーテンベルク(Project Gutenberg)のサイトから気に入った本を見つけて、オフラインで読めるようにできた。(保存の方法はまだ・・・。)
☆Google Playで「無料」の本をゲットできた。
元々新聞や本を読むのとメールが狙いだったので、ここまで来たら目的はかなり達成したと言えるかな。後は、Polaris OfficeというMS Officeに似たアプリケーションの使い方をマスターしたところで80%くらい。日本語表示はできても、入力用のアプリが付いていないので日本語は入力できない。(どうしてだろうね。)まあ、日本語のメールを送れない程度の不便だし、アプリがあるらしいから、そのうちに、そのうちに・・・。
それでも、新しいおもちゃをいじっていると、何だか子供に返ったようで、好奇心の赴くまま、時間の経つのも忘れてしまうなあ。
情報も使い捨ての時代?
5月22日。水曜日。今日もやけに肌寒い。平年より5度くらいは低いかもしれない。午前11時50分の目覚ましで起床。1時近くなってシーラとヴァルが掃除に来た。どうやらこの2人、ちょっとしたけんか状態にあるらしい。だいたいは何となく元の鞘に収まるんだけど、2人とも「頑固ばあさん」なもので、袂を分かって別々に仕事をしていたときもある。ワタシは2人の顔を見て「ああら、またなのぉ?」 2人とも何となくばつの悪そうな顔だったから、まっ、この次に来る頃には仲直りしているだろうな。
2人が黙々と?掃除をしている間に、ひとっ走り保険屋に行って、旅行保険をかけた。アメリカで万が一病気や怪我をしたら優雅な老後どころじゃなくなるもの。ついでに、レンタカーの保険はクレジットカードと州の自動車保険でカバーされていることを確認して、ひと安心。レンタカー会社の保険はぼったくりもいいところだから。後は、明日ワタシが銀行へ行って当座のアメリカドルを引き出して来れば、残る準備は持って行く物を集めて、荷物をまとめるだけ。今日はカナダドルの対米ドルレートがぐっと下がったけど、アメリカドルで入ってきたのをそのままアメリカで使うので、為替差損はなし。まあ、丸々3日しか残っていないから、急かされるような気分。旅行の前ってのは目的が何であっても、何となくストレスを感じる。
新規の仕事は帰って来るまでないと見込んで、ひねもすタブレットでお遊び。何とか使えると思えるところまで来たようなので、サムスンとグーグルのアプリストアを覗いてみた。へえ、あるもんだなあ。有料、無料のが、ものすごい数。ゲームは当然「うわ~あるある」という感じだけど、「これ、何をするの?」と首を傾げるようなものずいぶんある。それでも、お試しのつもりでサムスンにアカウントを作って、PCで遊びなれているソリテアとマージャンの無料アプリをダウンロードした。Google Playでは本をもう1冊(ジョン・バカンの『39階段』。ちなみに、バカンはイギリス貴族で、カナダ総督だったことがある)。
後は、予めインストールされて来たアプリを開いては「見学ツアー」。まあ、アプリの大半は使い道も興味もないので非表示にしてしまったけど、どれを見てもPCには当たり前にある保存機能が見つからない。まあ、ファイルを開いたり、保存したり、なんてのはこてこてのウィンドウズ思考なのかもしれないな。まあ、SDカードに保存できるらしいけど、別に買ったUSBコネクタを使えばUSBメモリーに保存できるのかな。ドロップボックスというアプリがついて来ているけど、何だか自分のものをそこら辺に置いてある箱にポイっと入れるような感じで、ちょっとなじめない。だけど、どれを見てもメニューには簡単に「保存」する手段がないのは、ドロップボックスのお試し版を使わせておいて、いずれはサービスを売ることになっているからかな?なるほど、ITの世界はそういう方へ進んでいるのか・・・。
でも、あれこれといじり回していて、ふと思った。タブレットは(スマホもだろうけど)元から情報を「保存」することを考えて作られたものではないのだ、と。つまりは、情報を一時的に取り込んで「見る」ために作られたものなんだろうな。その時々の「最新情報」を見たり、聞いたり、共有できればそれでいいんだろうな。なるほど、情報も使い捨ての時代になって来たのかもしれないな。使い捨てなんだから、深く考えさせるようなものはめんどうくさい。手軽に使えるものの方がいい。このままだと人間の思考パターンも変わって来るかもしれないな。これから10年先、20年先の地球人は物事をどんな風に考えて、どんな風に互いに伝達するのか?未来はSF小説の世界のようになるのかなあ。そういえば、ブラッドベリーが1950年代に書いた『華氏451度』には、タブレットの原型のような道具が出てきたっけ・・・。
銀行のスマイル攻め作戦?
5月23日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。今日はやや明るい空模様。出かける日は雨が降っていない方がいいな。でも、もう5月も末だというのに、まだ薄いジャケットがいるのはどうしてなんだ?
カレシを英語教室午後の部に送り出して、まずは空調会社に電話。(たぶんかなり前から)甲高い鳥のさえずりのような音が聞こえるようになって、先週点検整備をしてもらったばかりの換気装置がまた「さえずり」始めた。エレクトロニクスとは無縁の完全に機械的なものだから、何かがどこかでまだ緩んでいるのかもしれない。無視しようと思えば無視できないことはない音量だけど、機械設備の「異常」は根本原因まで突っ込んで解決しないとね。来週は留守なので、ちょうど2週間後の木曜日午後に予約をくれた。それまではまた装置をオフにして、留守番のシーラには窓を開けて換気してもらうことにする。
カレシとモールで落ち合うので、頃合いを見計らっておでかけ。日は差しているけど、中途半端な暖かさ。まずは銀行で、ATMからシーラに払う留守番料を下ろし、ちょうど空いたカウンターでアメリカドルを下ろす。窓口係の若いお兄ちゃん、飛びっきり愛想がよくて、終始にっこにこ。スマイルキャンペーンでもやっているのかと思ってしまった。いかにも手の切れそうな新品の20ドル札25枚。「新しいのでちょっとくっつきますから、お支払いの時には気をつけてくださいね。知らずにチップを弾むのは悔しいですよね」。ついさっきまで帯封がしてあった札束から抜き出したようなピンピンのお札だから、それ、ありえそうだな。
他には?と聞くので、思いついて銀行に登録してある郵送先住所を変更するにはどうしたらいいか聞いてみた。オンラインで可能だけど、家計管理をワタシに丸投げしているカレシがアクセスを設定していないもので、共同名義の口座は変更できない。私書箱は7月末の更新時期に解約の予定なんだけど・・・。「あっ、ここで今すぐできますっ」。ほお。お兄ちゃんがくれた紙に自宅住所を書いて渡したら、笑顔のままでキーをカチャカチャやって、上司らしい人に変更を承認する操作をしてもらって、「はい、完了ですっ」。へえ。でも、クレジットカードはカード会社にリクエストするんでしょ?「いえいえ、当行にお持ちの口座の住所はぜ~んぶ変更になりますっ」。へえ。「でも、共同口座のご主人の記録の変更はご本人にいらしていただきませんとっ」。あっ、じゃ1時間くらいで連れて来るけどっ。「ではっ、私は昼休みで席を外しているかもしれませんが、他の者が承りますので、いつでもどうぞっ」。
うはっ、こんなに顔中がスマイルぴかぴかの人って、初めてだ。それがこのお兄ちゃんだけじゃない。デパートとスーパーで買い物をして、カレシと落ち合って、荷物を車のトランクに入れて、一緒に銀行に戻ったら、お兄ちゃんは昼休みでいなかったけど、隣の窓口の女性が「はぁ~い、今日のご用は~」。あのぉ、1時間前に住所変更をしたんだけど、共同口座はワタシのだけできるということで、えっと、これがパートナーご本人。「はぁい、ご主人さまでいらっしゃいますねぇ」。ワタシはアクセスカードをスワイプして、PINをピッポッパ。「では、ご主人さま、ご自宅のお電話番号はぁ~」 カレシが電話番号を言うと、住所のメモを見ながらカチャカチャカチャ。前と同じ上司の女性が来て、ポンポンとキーを押して、「はぁい、ご主人さまの記録もぜ~んぶ変更しました ぁ~。ご来店、ありがとうございましたぁ~」。
うはぁ、こんなに顔中にスマイルを貼り付けられる人たちって、すごいなあ。もう間違いなしだな。絶対にスマイルキャンペーンをやっている。いやあ、一石二鳥で懸案が解決して、助かった。でも、ちょっとスマイルが過剰で、何だかくたびれちゃったなぁ・・・。
作りっぱなし、やりっぱなし、思いっぱなし
5月24日。金曜日。久しぶりにぐっすり眠った。ずっと夢を見ていたような気がするけど、目が覚めたとたんに忘れてしまった。カレシも一度も目を覚まさなかったというから、何なんだろうな。晴れたり、曇ったりの空模様で、気温もやっと平年並みに戻ったらしい。向かいのゴルフ場に何本かあるcottonwood(ヒロハハコヤナギ)の大木が今年も盛大に種を飛ばし始めた。綿毛があるので、ふわふわとまるで雪が降りしきっているような光景。ピークには歩道の芝生が白っぽくなるし、見ているだけで鼻がむずむず・・・。
朝食が終わってのんびりしていたら、電話。発信元表示は「カナダ政府」。おいおい、と思いつつ取ったら、地元の税務センター。「住所変更願いを受け取ったので確認させてください」と。ビジネス関連の税務処理には私書箱を「営業所」の住所にしていたので、変更願いを送ってあったんだった。ビジネスだからと、事業者番号だけを書いて、個人の社会保険番号は書かなかったので、それを聞いてきたのかと思ったら、「所得税の住所と同じになるわけですね?」と。私書箱を閉じることにしたもので~と説明したら、「わかりました。変更手続きをしますので、次回の四半期申告の通知は新住所に送られます」と、あっさり確認。はい、ありがとさん。だけど、急に「政府」からの電話って、何となくぎょっとするよねえ・・・。
ゆうべ、お隣のワシントン州のインターステート5号線でスカジット川にかかっていた橋の桁が崩落したと聞いてびっくり。I-5は北はバンクーバーからの州道99号線と国境で接続して、南はメキシコとの国境まで、アメリカ西部を縦断する総延長2200キロを超える大動脈。崩落した橋はバンクーバーとシアトルの中間あたりにある。鉄骨で枠を組んだだけで、通るたびに何となく頼りなさそうに見えたけど、約60年前にできたというから、老朽化していたところに、通過中のトラックの大型貨物がゴンッとぶつかって、崩れてしまったらしい。何にでも寿命というものがあるんだけど、鉄骨とコンクリートのものは「半永久的」だと思い込んで安心してしまうのか、つい手入れをサボるところがある。まあ、何であっても、長持ちさせようと思ったら、手入れにけっこうなエネルギー(とお金)がいるもんだけど、人間にはそこがね・・・。
でも、高速道路の橋が崩れて、川に落ちた車が2台だけで、乗っていた3人は大きな怪我もなく救助されたというのは、まさに奇跡と言えるだろうな。この週末はアメリカではメモリアルデイの三連休で、どっと行楽の車が押し寄せるから、橋が落ちるのが1日か2日遅かったら、大惨事になっていたかもしれない。そう考えると、やっぱり世の中には、人間の思惑や願いとはまったく関係のないところで働く不思議な力があるのかなと思ってしまう。それがたぶん「運」というものなんだろうけど。でも、現実には、カナダ、アメリカ、メキシコを結ぶ経済の大動脈が断裂したわけで、当面の物流はどうなるんだろうな。迂回するとしたら相当な距離になるし、応急処置としてベイリーブリッジという鉄骨のプレハブ橋を持って来るという話だけど、へたをすると1車線を上下線が交互に使うことになるかもしれない。渋滞するだろうなあ。野菜などは季節的にまだカリフォルニアやメキシコに頼っているから、もしかして値上がりするかなあ・・・。
まあ、何であれ、作りっぱなし、やりっぱなしはいかんぜよ、マインドレスじゃいかんぜよ!ということかな。もっとマインドフルでなくちゃ。そうは言っても、人間世界ではそういう生き方がだんだんに難しくなりつつあるような感じがしないでもないなあ。それでも、マインドフルでないと周りはキケンがいっぱい。もっとも、「マインドフルに」と思っても、これがまたけっこうなエネルギーを必要とするもんなんで、つまるところは、思いっぱなしになるのかも・・・。
旅立ちの準備完了、ハワイへゴー
5月25日。土曜日。いよいよ今日1日になった。何だかやることがまだたくさんあるような・・・。
朝食後のいの一番は月末処理。インボイスを作って送って、5月の業務ログを閉めて、累計を出して・・・。終わったら、階段下の納戸にある金庫に経理関係の書類と家計の書類を入れて、パスポートを出して、ロック・・・。
納戸の奥からワタシの小さいスーツケースを引っ張り出して、二階の寝室へ運び、戸棚からカレシご愛用のスポーツバッグを出して、これも寝室へ。カレシが現れて、自分の下着やらTシャツ、ドレスパンツなどを集めてベッドの上に積んだので、それを圧縮袋に入れて渡す。自分の荷物は自分で詰めないとね。たった1週間だし、常夏のハワイだから女性の衣類はみんな小さい。おかげでワタシのスーツケースはすっかすか。でも、お酒を買えば、帰りは手荷物としてで預けるので、いつものように小さいスポーツバッグを予備に入れておいた。機内持ち込み荷物には数の制限があるので、財布やパスポート、デジカメを持ち運ぶ旅行用のショルダーバッグは、ひと回り大きい手提げバッグの中にタブレットやビデオカメラと一緒に入れて、ダブルアップ。旅は身軽が一番・・・。
メールをチェックできるようにウェブメールのアクセスをタブレットに設定。カウアイ島ではレンタカーを借りるので、リフエ空港からホテルまでの道順をGoogle Mapで調べ、ストリートビューでだいたいの景色を見ておいて、主要交差点の風景写真つきで道順を印刷。いや、便利な世の中になったもんだな。でも、ハワイの地名は舌を噛みそうのがたくさんあるな。印刷した道順の裏に、大きなフォントで打ち出したものを印刷しておいた。ここらでタブレットの電池がちょうどよく15%。充電器をつないで、ついでにビデオカメラの電池もチェックしたらほとんど空だったので、これも充電。デジカメとビデオカメラのメモリーカードも点検。カレシはカレシで大きいカメラとiPod Touchをいじっているし、うは、何だか知らないけど、やけに重装備・・・。
でも、旅立ちって疲れるなあ、ほんと。あれをしなきゃ、これをやっておかなきゃ、とついバタバタするから、いざ出かける頃には疲れた気分になる。遊びに行くというのにストレスがたまるなんて本末転倒だと思うけど、元から2人ともそれほどの旅行好きとは言えないからねえ。ゆうべなんか、来年の会議に合わせて、最後になるかもしれない日本行きの日程を1ヵ月くらい取ろうという話だったのが、カレシは菜園の繁忙期に1ヵ月も家を離れたくないと言いだし、ワタシは1ヵ月も日本語をしゃべるのはストレスだし~なんて言っているうちに、日本行きはお流れになりそうな雲行きになって来た。まあ、来年の今頃の話なんだけど、そのときはまたひとつ年を取っているわけだし・・・。
夕食後、カレシがエアカナダのホノルル行きとハワイアン航空のカウアイ島行きのフライトにチェックインして、搭乗券を印刷。やれやれ、これでまずは出発の準備が完了して、ハワイへゴー!というところ。タブレットでは日本語を入力できないから、ブログもお休みにして、さて、後は寝酒かな・・・。