リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年6月~その3

2010年06月30日 | 昔語り(2006~2013)
これも自分探しの旅のうち

6月22日。火曜日。夢を見ていたような、見ていなかったような。このところ続けてよく眠って、正午にパカッと目を覚ましている。身体的に疲れているときと、精神的に疲れているときでは、眠りの深さや質が正反対のように思えるし、日々けっこう規則正しい生活をしていても、その日、その日の微妙な精神状態の違いで眠りの質も微妙に違うと感じるから、動物のごく基本的な機能なのに眠りというのはえらく複雑なもんだと思う。

いや、人間は自らを生物界の頂点に君臨する「高等動物」と称するくらいだから、それだけそれぞれが微妙に複雑で、さらにその複雑さも微妙に違う生きものなんだろうな。だからこそ、原始の時代から「自分探し」をやってきたんだろうと思うし、自分と周囲との関係を模索する中から宗教が生まれてきたんだろう。さらにはその関係の中に様々な事象の「意味あい」を見つけようとする人たちが出てきて哲学が生まれたんだろうな。高等動物界のさらに高等な知能活動のように思われている「何とか学」と名のつくものがだいたいは「初めに学ぶ者ありき」だったというところがおもしろい。

そこで人間というのは社会的動物でもあるから、自分が学んだこと、発見したことを、さらには考えることを他の人間と分かち合いたいと思うだろうし、片や自分も知りたいという人間がいるだろうな。そこから「学びの場」が生まれたんだろう。そこで学ぶことのおもしろさを学ぶ人もいただろうし、他人が学んだことをそっくりもらってしまおうという「教えてちゃん」の原型みたいな人もいただろうな。後者の場合は、やがて風説や「エライ人」の言うことを鵜呑みにする人間に発達して、さらに時代が進んで魚の群のようにマスコミの宣伝や広告に盲従する人間に進化したということかもしれない。

ソクラテスもプラトンもアリストテレスも孔子も、古代の「教えてちゃん」にはさぞかし手を焼いたことだろうなあ。きっと、正しい答だけを聞きたがる弟子たちに業を煮やして「そんなことぐらい自分の頭で考えんかい!」とやっていたんだろう。中には「ふんっ、ちょっと物知りだからって何なんだよ。えらそうにして」とむくれるお坊ちゃまたちもいたんだろうなあと、想像しただけでおかしくなってくる。まあ、便利な道具のような物質的発明そのものが人間の「楽をしたい」という欲求から生まれて来たことは否定できないと思うから、人間の肝心の中身は原始の時代から二十一世紀の今まであまり変わっていないということかなあ。すっかり便利な世の中になって、人間がいちいち考えなくても済むようになったら、逆に自分の存在が気になって来るのかもしれない。

だいぶ前には(あんがい今でも?)「自分探しの旅」というものも流行ったらしいけど、どこか「ここではない遠いところ」で自分を見つけた人ってどのくらいいるんだろう。20代初めの若き日のワタシは星空にギリシャ神話のドラマを見ているうちに天文書を読み始めたのが「自分探し」の始まりだったかもしれない。まあ、何と途方もなく遠いところを見ていたもんだけど、若いなりに自分の居場所は「ここではないどこか」にあると感じていたのかもしれないな。カナダで生活を始めて直感的にここが自分の「居場所」だと思ったときは、安住の地を得た流浪の民といえば大げさだけど、何となくそんな気持だったかもしれない。もし行き先がアメリカかヨーロッパだったとして同じように感じたかどうかはわからない。観光客としている限りは日本にいてふと感じる、北海道語で言えば「あずましくない」という感覚がないのはたしかだけど、それだって日本では未だに心理的に身構えてしまうところがあるせいかもしれない。

うつ病の治療とカウンセリングを卒業して改名を考え始めた9年前に初めて取った創作講座で、先生にjournalを書くことを勧められた。日々の出来事を記録するdiaryと違って、journalは自分の内面を書き出すもので、日本古来の「日記文学」に通じるところがある。翌年に改名してアルファベットが3つになった新しいイニシャルを刻印した革製のカバーに収めたノートに(英語で)手で書き続けること8年。古いノートを見ると、字が激しく乱れていたり、細かくびっしり書かれていたりして、自分の感情の動きがわかるし、新しい自分を構築して来た過程を検証することもできる。Journalを書くことが英語での「自分探しの旅」なのだとしたら、このブログは日本語で「自分探し」をやっているようなものかもしれない。なんだか分裂思考のような感じがしないでもないけど、ワタシという人間もひとりの微妙に複雑な生きものだからね。

平穏な一日と思ったら

6月23日。水曜日。何となく暑くなって来たような感じ。ま、公式に夏だからそれであたりまえだけど。起きて、先キッチンに下りたカレシがいつものようにテレビをつけて、「うは~」とでっかい声。何が起きたのかと思ったら、オンタリオ州でマグニチュード5.5の地震だって。震源地は首都オタワの北で、南のトロントはもとより、遠くはニューヨークを過ぎてメリーランド州まで揺れが伝わったそうな。何かの記者会見の最中に揺れ出した映像があって、しゃべっていた人は「ん?」という表情で、そのうちに真っ先に会場の外へ走り出したのは大きなカメラと三脚を担いだ人だった。「慌ててエレベーターに突進したよ~」というのは地震を知らない人だな。それにしても、サミットが始まる前で良かったね。

さて朝食と言うところでシーラとヴァルが来て、上と下で掃除開始。終わってテーブルを片付けた頃にオフィスの掃除が終わって、二人ともベースメントへ退散。カレシは教材つくり、ワタシは仕事で、いつもの平和な水曜日の午後ってところ。掃除が終わったシーラとヴァルと入れ替わりに配管屋が来た。予約は明日なんだけど、水の出が悪いと言ってあったので、下見に来たという。メインフロアのセカンドキッチンのは蛇口を開けるとぶるぶると震えるような音がしてからやっと水が出ることがある。ベースメントの園芸ルームのは混合栓をどっちに動かしてもお湯しか出てこない。話を聞いていた配管屋さん、キッチンのはたぶんスプレイの不調で、ベースメントは止水栓の不調だろうとの診断。新しい蛇口と一緒にスプレイも買ってあったので見せたら、「メーカーが違うから使えないよ」。でも、ユニヴァーサル(汎用)って書いてあるけど。「このメーカーの蛇口ならどのモデルにも使えるってことなんだよ」。なあんだ、そういう意味か。ということで、キッチンは元の蛇口を修理して新しいスプレイを取り付け、園芸ルームは新しい蛇口をつけてスプレイは諦めることになった。

カレシを送り出して、少しだらけた気分でしばし(グーグルのサイトにまだある)パックマン。だらけているから2万点まで行かないなあ。あきらめて、歩いてモールへ。やっぱり暑い。切らした化粧品を買ったら、デパートのポイントを使ったらどうかというのでOKしたら、150ドルの買い物が20ドルになった。カードはめったに使わないのに、ポイントっていつの間にか貯まるんだなあ。そういえば、東京でどこへ行っても買い物するたびに「ポイントカードは」と聞かれたな。カレシが「ぽいんとぉかぁどぉ」と覚えてしまったけど、みんないったい何枚の「ポイントカード」を持ち歩いているのかなあと思った。いろんな店で買い物をすれば、けっこうな数になるだろうな。

カレシが迎えに来る頃を見計らってスーパーで買い物。上と下のどっちのバスルームもトイレットペーパーがホルダーに載っている1個だけになって、これは一大事だから、ダブルロールを12個。昔は「ペーパーがないならシアーズのカタログを使え」という冗談が通ったけど、今はシアーズのカタログそのものが存在しないのだ。まあ、カタログは山とあるけど・・・。

私書箱に新しいクレジットカードが来ていたので、家に帰って封筒を開けたら、カレシのは元の番号だけど、「家族用カード」のワタシのはまったく別の番号になっていた。チップを埋め込んだ新しいカードだから、システムも違うんだろうな。今度はPINもついて来て、別の封筒にワタシの分だけ。別便だからカレシのはまだ到着していなかったということで、カレシはさっそくどこかへ行ったんじゃないかと心配。ワタシのビジネス用のカードのときはPINが先に来て、カードが届いたのは5日後だったから、週末までに来なかったら問い合わせをすれば?まだ時間の余裕があるんだから。今日はこのまま平穏な水曜日で・・・と思ったら、カレシ前線の雲行きがなにやらおかしくなってきた。インターネットのアカウントのにログインできないんだそうな。カードの新しい期限を知らせろと言ってきたのに、ログインできなければ更新できないじゃないか、と。

ワタシは仕事があるから、ここはそろっと、さわらぬ神に何とか・・・。 

ほんとにこんな楽な仕事ならいいな

6月24日。木曜日。だんだん暑くなって来たかな。午前9時過ぎに電話の音で目が覚めた。カレシが起きて出たら配管屋さん。正午じゃなくて11時ごろに行ってもいいかというけど、まあ、目覚ましを11時にセットしておいたし、どうせ一度目が覚めてしまったからいいか。もうひと眠りするつもりで、ワタシはすぐにすやすやだったけど、カレシは9時半には起き出してしまったらしい。いい気持で寝ているワタシを「そろそろ配管屋が来るよ」と起こしに来たのが10時半。なんだかちょっぴり早くない?とかる~く抗議したら、「ボクなんかやることをぜ~んぶやってしまったんだぞ」と来た。へえ・・・。

早朝の1時間の間に、インターネットのプロバイダの(サポートじゃなくて)カスタマサービスに電話して、ゆうべとうとう解決できなかった問題を解決。外に市役所のトラックが止まっていたので、きのうから道路に点々と書かれている赤ペンキのマークが何なのか聞き出したそうな。懸念した掘削工事じゃなくて、舗装工事と確認てひと安心。壊した歩道の修復もあるから少しは「工事」になるだろうけど、穴掘りじゃないからいいか。電力会社が地下鉄駅用の送電ケーブルを埋設して以来、いったい何回同じところを掘り返したことか。舗装しては掘り返し、埋め戻して舗装してはまた掘り返しだから、税金の無駄だったらありゃしない。重機を持ってくるからうるさいしね。プロバイダとのけんかの他に、道路のマークもカレシが気になってよく眠れなかった理由だろうな。とにかくルーティーンをかく乱されると思考回線までかく乱されてしまうらしいところはパパに似てきた。(大丈夫かな・・・?)

配管屋が来たのは11時をちょっとだけ過ぎた頃。まずはセカンドキッチンの蛇口の修理とスプレイの取替えにかかる。水道の元栓を閉めての作業。それから、園芸ルームの冷水の給水栓の修理と蛇口の取替え。ひとつ穴の混合栓だったのが、温水と冷水が別々のハンドルになっている蛇口は穴が3つ。カウンターに新しく穴を2つ開けるわけだけど、場所がちょうどキャビネットのフレームがあるところで、えらく時間がかかってしまったそうな。その間はトイレが使えなくてちょっときつかったけど、3時間ほどで全作業が終わって、1時間あたり110ドルの手間賃と部品代で、しめて450ドル。でも、新しいスプレイは勢いがよくて収穫した野菜を洗うのに便利になったし、園芸ルームに冷水が復旧して、上の空のカレシが鉢植えにお湯をかけてしまうこともなくなりそうで、めでたし、めでたし。

午後、やっと静かになって、ワタシはきのう(カレシがカリカリしながらあれはどこだ、これは何だとうるさくて)とうとう終わらなかった仕事を超特急で仕上げて納品。日本は金曜日。うまく行けば週末は丸々休みになるかなあと胸算用していたら、小さいんですが、と日本の月曜日朝一番が期限の仕事が2つも。やれやれ。週末を何だと思っているのかなあ。安息日なんですけどぉ・・・。ま、小さいからちょこちょこっとやればいいんだけど、フリーランスなんて、なぜかぜんぜんフリーじゃないなあ。

小町にまた「翻訳の仕事をしたい」という相談トピが上がっているので、どれどれと野次馬根性で開けてみたら、ありゃりゃりゃりゃ・・・。アメリカ在住はいいとして、「英語は中学レベルで挨拶程度ができるようになった」って?「主婦のお小遣い程度の収入があればいい」って?「難しいプロフェッショナルな仕事でなくてもいい」って?「辞書や英語翻訳サイトを見ながらできる初心者レベルでOKの仕事の求人サイトや仕事の探し方を教えてくれ」って?小遣い程度の収入というからには翻訳料金をもらうつもりらしい。辞書と自動翻訳サイトがあれば英語が書けるから自分に合っていると思うってことは、日英翻訳をするつもり・・・?それも英語翻訳サイトを見ながらって、ひょっとして無料自動翻訳サービスのサイトのこと?こういっちゃあ何だけど、ここまで徹底してわかっていない人は今どき珍しいなあ。天然というか勇敢というか、座布団10枚あげても足りないなあ。どういうアドバイスがくるか
興味津々だけど・・・。

この人も、英訳をわざわざ自分たちにはわかっても英語人にはわかりにくい日本語英語に書き直す人たちと同じで、「何(誰)のための翻訳か」なんてことは考えたこともないのかもしれないな。言語はコミュニケーションの道具にすぎないと人はいうけど、あんがい「コミュニケーションとは何か」ということもきっとわかってないのかもしれない。大丈夫なのかなあ、この人。「会費を払って翻訳ソフトを買えばお仕事を回します」なんて怪しげな募集サイトにひっかかってぼったくられても、知らないよ~。

トイレで読書っていいんじゃない?

6月25日。金曜日。週末のおきみやげ仕事は半日程度の量だから、今日はサボってしまうことにした。(まあ、ふだんから休みがないと文句を言いながら、実はけっこうよくサボっているような気もするけど・・・。)久しぶりにベーコンと卵で朝食。ベーコンは1人前程度の量を細かく切って、同じように細かく切ったポテトと炒める。こうすると塩分もコレステロールもカロリーも抑えられるというわけ。今日のパンはきのうカレシが焼いたモラセスとクランベリーの黒いパン。重いモラセスを計量スプーンで計ろうとして手こずったらしい。まあ、たしかにはちみつのようにとろりと流れてくれないな。なにしろ超スローモーなのを「as slow as molasses in January(1月のモラセスみたい)」というくらいだから。でも、焼き上がったパンは意外と甘くなくて、すごくおいしかった。

しっかり腹ごしらえをしたので、まずは大洗濯から。ランドリーシュートは満杯で、そろそろ圧力で取り出し口のドアが開きそうな気配。白いものをまず洗って、ドライヤーに入れようとしたら、あら、カレシのジーンズとソックスが片方。てことは、前回の洗濯の最終ラウンドでそのまま忘れてしまったということか。う~ん、前に洗濯したの、いったいいつだったっけなあ?庭仕事に出ていたカレシにジーンズが出て来たといったら、「どこへしまい込んだのかと探してたんだよ~」と。あはは、いつも自分のものをどこかにしまってはその場所を忘れてしまう人だから、ワタシがドライヤーから出し忘れたとは夢にも思っていなかったんだ。ふう。

小町横丁の井戸端でトイレに雑誌や新聞を持ち込むことの是非論をやっている。トピックを立てた人が「オヤジ臭くて、不潔で下品。みなさんはどう思いますか」と意見を聞いたのが始まり。了見が狭いと言われるのを避けるためか「人それぞれだとは思いますが」と何気なく保険をかけておく心理がおもしろいと思うけど、「大腸菌がついて食中毒にならないのか」というあたりになると、ちょっと度を越した潔癖症の人なのかなあという印象になる。生理的にイヤとか、臭いがつきそうでイヤと言う人がいるけど、「イヤです」を「すぅ」とか「すー」と引き伸ばした「ぶりっ子語」になっているからおもしろい。お清潔でお上品なお人たち様なんだな、きっと。ま、他人が自分の家のトイレでやることに下品だの何だのとイチャモンをつけるのは、小町横丁特有の「非常識・マナー違反糾弾」ピック」と同じで誰かが嫌いなんだろうなと思っていたら、「潔癖症で仲の良い夫婦を見たことがない」と書き込みがあって、はあ、なるほど。トピックの主は「オヤジ臭い」と言ってるしなあ・・・。

実は、我が家ではカレシがトイレに本や雑誌を持ち込む人で、昔からバスルームを「図書室」と呼んで、朝は雑誌類、夜寝る前は本を持ち込んで15分や20分は出てこない。春の改装でトイレの上の天井に明るいハロゲン照明がついてからはいそいそとおでましになるくらいで、読書用の眼鏡を常備してある。まあ、この20年はバスルームが2つあるから不便はないし、使っていないバスルームはドアを開けておく習慣があるくらいで「トイレ臭」というのはないから別に気にならないけど。カレシに「オヤジ臭くて不潔で下品だと言っている人がいるよ」と言ったら、「自分ちのトイレが不潔なだけだろうが」と大笑いして、「でも、日本の家のトイレはちょっと臭いときがあるけどなあ」とひと言。う~ん、それはまだ水洗化されていなかった昔の家のことでしょ?今どきはどこでもたいてい水洗トイレだからそんなことないと思うけど。水洗トイレでもどこか仕組みが違っているのかな。でも、日本の有名ブランドのトイレ、こっちでも売っているよねえ。

トイレに新聞や雑誌を持ち込むのを不潔だと嫌うのは文化的な感覚もあるのかもしれないな。子供の頃に同居していた東京人の祖母はトイレを「ごふじょう」と呼んでいた。ヘンな言葉だと思っていたけど、それが「ご不浄」という漢字だとわかったのはずっと後になってのこと。トイレは「不浄なところ」という刷り込みがあれば、トイレで新聞や雑誌を読むなんて不潔、不衛生という反応があっておかしくはないだろうな。それに、トイレがひとつしかない家では、読み物を持って篭城されたら迷惑だよね。でも、戦後の日本と違って今では世界の一流先進国なんだし、抗菌グッズのおかげでどこでも無菌状態になっているだろうから、そう神経質になることはないんじゃないのかなあ。たしかに、日本では昔から「早飯早糞芸のうち」と言われているけど・・・。

巷の英語、巷の日本語

6月26日。土曜日。薄曇りの空もよう。もうすぐ7月だというのに、この涼しさは何なんだ?日本では、よりによって北海道で今年初の「猛暑日」を記録したんだそうな。足寄で37度!もっとも、道東といっても十勝の内陸では冬はすご~く寒いけど、夏はすご~く暑い。北海道は広いもんね。日本列島で二番目に大きな島なんだから。中学校時代を過ごした名寄も盆地の真ん中なもので、夏は30度を越えてあたりまえだったし、冬はよくマイナス30度まで下がった。一番寒かったのはマイナス36度だったかなあ。まあ、マイナス20度あたりから下は、25度でも30度でもあまり変わりがなくて、ただ「痛い」という感じだったけど。

朝食を取りながら昼のニュースを見ていたら、カレシが「なんだよ、あの英語は」と、天気予報をやっているKristi Gordonのしゃべり方を批評し始めた。たしかに、発音がちょっと不明瞭だったり、くだけた表現が多いかな。まあ、最近はメディアでも国語(英語)の乱れが目立つようになったよね。ニュースキャスターはさすがにやらないけど、現場のリポーターなんかもろに「wanna」、「gonna」だもんね。舌ったらずなしゃべり方をする芸能リポーターがいて、口をがしっと横に開く、いわゆる「ハリウッドスマイル」のままでしゃべるもので、何を言っているのか聞き取れないことがある。(どうせ芸能界のゴシップなんだから聞き取れなくてもいいんだけど、ここでは原則論としての話。)なんとなく腹話術師の話法みたいだけど、日本で言う「ぶりっ子」的な口調といったらいいのかな。ま、ハリウッドのスターにインタビューするのも仕事のひとつなんだから、つい伝染してしまうのかもしれないけど、耳障りなことには変わりないな。

でも、Kristiの場合は、環境省気象局の天気予報官が本業だからしょうがないんじゃないの、と言ったら、「英語を学習中の人たちが英語はあんなふうにしゃべるもんだと思ってしまうじゃないか」と来た。なるほど、みんな「ネイティブのようにしゃべりたい」というもんねえ。でも、「日常会話は問題ない」という段階ではまだ(使いこなせる)ボキャブラリも少ないだろうし、たいていの人は学んだ英語をその「日常会話」で使うんだろうから、普通に「巷の英語」でいいんじゃないかと思う。それにもちろん、講演するとか、仕事の上でプレゼンや交渉をするとなったら話は別だけど、そういう英語が必要なレベルの人は、それなりに英語のTPOを習得すればいいわけで、小町などで語学関連のトピックが上がると必ず誰かが持ち出す「英語には敬語・謙譲語・丁寧語がない」という「英語単純言語論」を鵜呑みにするような人はパブリックスピーキングが必要になるような職業や地位とは初めから縁のない人じゃないかと思うしね。

Japan Timesに英語の乱れ?について論説した記事があって、インターネットの影響をもろに受けたteentalkがおもしろくてカレシと笑ってしまったけど、結局は英語も日本語も、そして世界中のどの言語も、流行語が生まれ(あるいは作られ)ては消えているうちに、あるものは生き残って「普通の語彙」として市民権を得るということなのだ。その原動力はいつの世も言葉の「使い方」を覚えて、それをいじることで自我を確認したい十代の若者たちだったんだろうと思う。昔から広告業界が先頭に立って「流行語作り」の旗振りをして来たけど、現代は広告業界も飲み込んだ巨大なマスメディアがその若者たちを煽っているというところかな。おもしろいことに、英語圏では既存の名詞を動詞化して使う流行語がけっこう多い。日本語の流行語には名詞や形容詞が多いような印象を受けるのは、名詞に「する」をつけて動詞化、「な」をつけて形容詞化、頭に「お」をつけて丁寧語化できる文法構造だからだろうな。あんがい日本語は「最初に名詞ありき」の言語なのかもしれない。

小町横町の井戸端の日本語は「巷の日本語」だから、とにかく浦島ワタシにはよくわからない言葉が多い。文脈から読もうと思ってもわからないものが増えて来たのは、日本のテレビは見ないし、活字はニュースや仕事で読むビジネスや学問の文書くらいのもので、数少ないブログも年代的にも「まともな」日本語ばかりだし、何よりもリアルタイムの日本語文化からまったく隔絶された環境にいるからなんだろうな。ま、少なくとも引退を考えるまでのあと3年は仕事で関わる日本語がちゃんと読めて理解できていればそれで十分だろうし、この先20年くらい経って記憶に残っている日本語がほとんど通じなくても、それはそれでカナダにいる限りは別に問題はないと思うし、何よりも年を取りすぎてボケてしまったら、まあ、どこの言語でも同じようなもんだろうと思うし・・・。

違いがあるのは当然だけど

6月27日。日曜日。なんか涼しいと思ったら、しょぼしょぼの雨。それにしても涼しいなあ。でも、週間予報では土曜日の「降水率60%」が20%に変わっていたから、ちょっと安心。それでも、予想最高気温17度は涼しすぎだな。特にボートで海に出るのに、ショーツにサンダルではちょっと寒いだろうなあ・・・。ま、まだ1週間先の話だから、今日はまじめに仕事を片付けよう。

つまらない出来心で人生を棒に振ってしまった人の話をしていて、カナダと日本の刑事裁判の違いの話になった。かってカレッジで法廷通訳の勉強をしたのがそもそもこの道に入ったきっかけなもので、よくMSN産経のサイトに載る刑事裁判の詳報を読むけど、何回にも分けて行われている秋葉原事件の裁判の様子を読んでからは、日本とカナダでは裁判をする目的そのものに大きな違いがあるのではないかと思えて来た。カナダでは、裁判所に出頭した被告が罪状認否で「Guilty(有罪)」と答えたら、次は刑を決めるステップに進み、検察側は被害者の感情を勘案してもらおうとし、弁護士は情状酌量の余地を勘案してもらおうとする。被告が「Not guilty(無罪)」と答えた場合は、陪審を選んで、証人尋問をする裁判が始まって、法廷で検察官と弁護士がそれぞれに証拠を示して主張の正しさを証明しようと争い、最終的に陪審あるいは裁判官が有罪か無罪かを判断する。

日本の場合は、被告が有罪を認めていても裁判が行われて、被害者まで証人として呼んで、こと細かに犯行当時の様子を聞き出している。どこをどういう風にどんな角度で刺されたのか、どんな風に感じたのか、犯人の顔は見たか、刺されたとわかったときに何を思ったのか・・・。刺されたのが右からでも左からでも、刺されたという事実に変わりはないし、被告が自分がやったと認めているんだから、被害者を法廷に引き出して微に入り細に入り尋問しなくてもいいだろうにと思うんだけどね。これが性犯罪だったら、いくら被害者が被告や傍聴人の前に出なくてもいいようにしたところで、トラウマを思い出す屈辱や辛さは変わらないと思うから、まさに司法による「セカンドレイプ」じゃないのかな。いったい何のために裁判をやるんだろうと思う。最初の罪状認否ではっきり有罪を認めた被告が裁判の結果無罪を言い渡されたって話は聞いたことがないけどな。まあ、制度の違い、思想の違い、文化の違いといった背景があるだろうから、たぶん「裁判」の視点が違うんだろうということはわかるけど、最終的に何が裁判の目的(objective)なのか、そこが知りたいという気持もあるなあ。

トロントであったG20サミット。やっぱり荒れたなあ。グローバル時代で、ああいう「何でも抗議するのが仕事」というタイプは、ほんとに世界のいろんな問題を本当にわかっていないだろうと思うな。彼らにとって権力の代表である警官たちを挑発して、煽って、ぶん殴ってもらって、「権力による暴力の被害者(殉教者)のオレ」をアピールするのが目的としか思えないのもいたし、テレビのカメラに向かっていかに先進国が後進国の貧しい人たちを搾取しているかをヒステリックにまくし立てていたのもいたし、「何だか知らないけど関係ねえ~」とパーティ感覚で暴動に加わったおバカたちもいた。(ワールドカップの見すぎ、飲みすぎ、盛り上がりすぎだな、きっと。)もちろんプラカードを持って静かに抗議デモをしようとしたグループもあるけど、暴れに来た連中のおかげですっかり影が薄くなってしまって気の毒なくらいだった。

だけどなあ、本当に先進国に搾取される後進国の貧しい人たちを救済したいんだったら、テレビカメラの前で「貧しい人たちを代弁するすばらしいワタシ」なんて上から目線で酔ってないで、トロントまで暴れに来るお金でその人たちの国へ行って、少しでも役に立つようなことをしたらいいんじゃないのかなあ。まあ、そういうところへ行ったらきっとテレビカメラの前で自己陶酔するチャンスはないだろうし、本当に貧しい人たちの自助努力を支援しようという人たちはカメラが訪れないようなところで黙々と働いていて、トロントに集まったような、出遅れヒッピー志望みたいな自己アピール狂に来られても迷惑でしかないだろうと思うけど。

睡眠妨害は徹夜より疲れる

6月28日。月曜日。普通に眠りについたと思ったら、家の外の轟音で目が覚めた。片目だけ薄く開けて時計を見たら午前7時35分。うは、まだ3時間とちょっとしか寝てないよ。でも、舗装作業を始めたと思っていたら、チェーンソーの音。歩道の縁石の修復にコンクリートの型枠が必要だとしても、チェーンソーはないだろうと思っていたら、今度は断続的にバリバリバリ。何をやってるんだろうなあ。うるさいったらないけど、まあ世の中は月曜日の朝だからしょうがない。カレシがもそもそと起きてトイレに行って、またベッドにもぐり込んで来て、しばらくしてまた眠ってしまったらしい。こっちも目を開けてしまうと頭まで覚めて来てしまうので、目をつぶったままひたすらリラックス、リラックス。

少しはうとうと眠って、起き出したのは午前10時過ぎ。カレシはとっくに起きてしまったらしくて、ベッドの隣はもぬけの殻。窓の外を見たら、舗装作業ではなくて、ゴルフ場の並木を伐採しているところ。この数年でなぜか集団で枯れた木を上から少しずつ伐って、チッパーに放り込んでいる。チッパーからトラックに吐き出される木屑はほとんど「粉」の状態で、小雨模様でなかったら埃が立って大変だっただろうな。それにしても、あんなに乾き切った状態では、遊歩道を利用する人の上にいつ倒れて来るかわからないから、危ない、危ない。ゴルフ場を全面改修して地下水の流れが変わったのか、数年前の暑い乾燥した夏にかなりの数の木が枯れ始めた。ゴルフ場の中は水はけが悪くて、スポンジみたいにずぶずぶしているところもあちこちにあるのになあ。

睡眠不足と騒音のおかげで、今日は二人ともあまり調子が良くない。なぜかストレートに徹夜したときよりも中途半端に眠った後の方がうんと疲れを感じるから不思議。それでも、早いうちに私書箱をチェックして、野菜類を買いに行くことにして、モールへ。私書箱にあったのはカタログばかりで、カレシの新しいクレジットカードのPINが来ていない。(カレシはますますふくれっつら。)野菜と果物をどっさり買って、帰ってきてさっそく銀行に電話。何のことはない、チップ埋め込み式になってもカレシのカードは情報が変わらないのでPINもそのまま変更なしで、別番号になったワタシの家族用カードにだけ新しいPINが発行されたということだった。「カードを送るときに何でひとことそう言わないんだ!」とまたふくれっつらのカレシ。(う~ん、この騒音、イライラするよねえ。)でもまあ、郵便が迷子になったわけじゃなかったから、これでひと安心。

幸いというか何というか、今日は仕事が入っていないから、午後はネットショッピング。Lands’ EndでアウトレットのページからPサイズの半袖Tシャツを9枚。値下げしたものがさらに30%オフのセールをやっていてホクホクした勢いで、今度はColdwater CreekのアウトレットのページでおしゃれなTシャツを4枚、ついでにスカートを3枚。確認メールが来て、7月1日から連邦と州の売上税が統合されて12%のHSTになることを思い出した。あしたかあさって中の注文処理なら、売上税はまだ5%の連邦税だけってことだ。おお、なんとグッドタイミング!

夕食後、おなかが一杯になったら、眠い、眠い。あくび連発で顎がくたびれて来たから、上に上がってベッドにごろり。そのままぐ~っすりと2時間も眠ってしまった。カレシもテレビの前でぐっすりだったらしい。(でも、今夜は少し早寝したほうがいいかもね。)ま、少しばかり気分がさっぱりしたところでメールをチェックしたら、「お休みの前ですが」と、何やらでかそうな仕事の相談。すぐにかかれば週末までには完了できるとは思うけど、そっか、デイヴィッドとジュディがトロントから来るのが金曜日で、パパの遺灰を海に撒きにでかけるのは土曜日で、日本ではとっくに週末だから安全圏と想定して、休みは「来週」と言ってあったんだったっけ。おきみやげ仕事の可能性を考えてなかったなあ。ま、仕事だからしょうがないけど、月末処理で請求書も作らなければならないのに、あ~あ、なんだかまた眠くなって来たような・・・。

なぜか暗記するのが苦手で

6月29日。火曜日。案の定、午前7時を過ぎたところで、チッパーの轟音で目が覚めた。いつもより1時間以上も早くベッドに入ったからそれほどの衝撃ではないし、理由がわかっているから、目をつぶったままで、ひたすら全身の力を抜いて規則正しい呼吸に集中する。まるで禅の修行をやっているような気分になってくるけど、これで騒音の中でけっこう浅いながらも眠りに落ちることが多い。ま、きのうの続きの作業は早く終わって静かになったらしく、そのまま二人とも深い眠りについて、目を覚ましたのは正午を大きく回ったところ。やれやれ、火曜日は忙しい日だってのに。

遅く始まった午後。カレシは教材作り。ワタシはきのう入って来た大きな仕事の算段にかかる。ふむ、30ページもあるぞよ。でも、決算書類なんて毎年同じようなことを言っているから、あまりおもしろいものではない。それで退屈になってくると、気は散るし、やる気はだれるしで、禅もへったくれもあったもんじゃなくなる。日本は今、決算発表と株主総会の季節だからしょうがないんだけど。ここのところ、ずっとあの△印が多いなあ。減収減益赤字の△。減ったのにどうして「上向き」の三角形なんだろう。下向きの黒い三角(▼)ならなんとか意味が通じるだろうになあ。そのままにしておくと文字通りの「上向き」(増収増益黒字)と解釈されかねないから、いちいち△記号を消して数字をカッコに入れてやらなければならない。ああ、めんどくさ・・・。

あわただしい夕食のテーブルで、またまたカレシがワタシの「英語修行時代」の話を聞いて来た。週2回の英語教室に加えて、今度は自分のドメインを買って「英語レッスン」サイトを構築中なもので、「学習者がどういう風に学ぶのか」を知りたいんだそうな。でも、ワタシの「英語修行」は中学と高校の6年、秘書学校で1年(これ、専門学校のうちに入るのかなあ)、街の英会話学校で2つのレベルで合わせて9ヵ月・・・それだけしかないよ。こういうことはやったかと聞かれて、そんなの覚えてないなあ。ああいうことはやったかと聞かれて、さあ、どうだったかなあ。単語カードは作ったことがあるかと聞かれて、あのリングに綴じた小さいカードを買ってやってみたことはあったけど三日坊主だった。なぜかって、たとえば「A」という単語は「あ」という意味だと覚えても、そのうちにどう考えても「あ」ではなんだか意味が通じていない文章に出くわすもので、そのたびにまた「A」と書いたカードを作って、裏に新しく覚えた意味を書き込んで、なんてやっているうちにだんだんにこんがらがって来て・・・。

実は、ワタシは「暗記」が苦手なのだ。理屈屋だからかもしれないけど、丸暗記なんてまずできない。おかげで、数学や物理のテストでは、いつも「このままでは留年だぞ」と脅かされるような点数ばかり取っていた。なぜって、中間テストも期末テストも大学模擬試験も、公式を暗記していなければ解けない計算問題ばっかり出て来て、ぺケッ、ペケッ、ペケッ。なぜかいつも第1問に出て来る教科書の例題しか正解を出せなくて、100点満点の15点なんて惨憺たるありさまだった。だって、黒板に三角関数だか三角関係だかの公式をサラサラ~っと書かれても、それで?と思ってしまうでしょうが。

だから、高校3年の学年末試験の物理のテストに「~を説明しなさい」、「~するとどうなるか」という問題がずらっと並んでいたときは、泣きたいくらいうれしかった。(実はほんとに留年しそうだったんだけど・・・。)うれしくて指が突っ張るくらい答を書きまくったら、何と90点。先生に「やればできるのにどうして今までやらなかったんだ」と言われて、「教え方が悪い」と言い返す勇気はなかったけど、他のみんなはけっこうまともな点数を取っていたんだから、悪いのは教える側の教え方じゃなくて、きっと教えられる側の教えられ方だったんだろうと思う。

授業を聞いていて先生が言っていることはわかるんだけど、公式が頭に入らないから計算問題が解けない。数字も頭に入らないから、世界史も日本史も、どこで何が起きて、誰と誰が何をしてどうなって、というところ講談師よろしく滔々としゃべることができても、テストのときにその事件が起きたのは「何年か」という質問が出たらペケッ。とにかく、数字が並んだものは暗記しようにもとっかかりがないからお手上げで、なのに先生には「やればできるのどうしてにやらないんだ」と叱られるから、学校なんか大嫌い!そういえば、秘書学校の課目にあった「そろばん」も暗算ができなくて散々だったなあ。(左手でやって割と早かったけど、右手では左上を綴じた伝票をめくれなくてアウト・・・。)

だけど、今でも歴史は大好きだし、科学は大好きだし、数学も好きだし、そろばんは不要だし、単語は暗記できなくても英語で暮らせてるから、教えられべたのワタシから教え方のヒントを引き出そうとしても、あまり意味がなさそう。でも、即興芝居が好きなのも暗記が苦手なのと関係があるかもしれないな。英語の勉強も、教科書は台本、会話は台本なしの即興演技と通じるところがありそうに思うけど、どうなんだろうなあ。

これも草の根の民主主義

6月30日。水曜日。外が静かになって、ゆっくりと正午過ぎまでbeauty sleep。今日で6月が終わり。1年の半分が終わり・・・と思ったら、実際には今年の「中日」は7月2日らしい。それはどうでもいいんだけど、あしたの7月1日からはいよいよ2つの売上税が統合されてHSTに移行する。税率は12%。ちょっと見には今まで5%の連邦税と7%の州税を別々に合計12%払っていたんだから、HSTになっても同じことのように見えるけど、州税が非課税だったいろいろなものがHSTではほとんどが課税対象になってしまうので、実質的な増税になってしまう。電話の基本料金も、映画や芝居の入場料金も、各種団体の会費も、レストランの食事も、子供服も学用品も中古車も省エネ家電もぜ~んぶ・・・。

そのHST施行前日の今日、反対署名運動を展開していたグループが85個の段ボール箱を3トントラックに積んで州都ビクトリアの選挙管理局に届けに行った。ブリティシュコロンビア州にある85の選挙区全部でそれぞれ有権者総数の最低10%の有効署名が集まると、法案撤回か住民投票を迫ることができる制度になっていて、その85選挙区全部で15%以上の署名が集まり、40%近くが署名したところもあったというから、州民がいかに頭に来ているかがわかる。なにしろ、前の総選挙のときは売上税の統合は「ない」というのが公約だったのに、その舌の根も乾かないうちに、連邦政府との交渉がまとまって10億ドルだか16億ドルだかの交付金がもらえることになったので、「7月1日から移行する」といきなり発表したから大騒ぎ。みんなあまりにも図々しい公約違反に怒って反対署名運動が始まった。ワタシとしては、売上税の申告をするときに経費にかかる分を丸々12%控除できるようになって、還付される額が増えるんだけど、キャンベル首相の態度があまりでかいもので、独裁政権じゃあるまいし!と、カレシ共々署名したのだった。

BC州の政治は昔からどたばた喜劇的なことが多くて他の州から「何やってんだか」と笑われているけど、少なくとも民主主義はちゃんと機能している。今回の署名運動の旗振り役になったヴァンダザームは、かって州首相として公私混同で辞職に追い込まれるまで、とびきりのネアカ役者的な言動を振りまいたけど、根本は草の根運動の旗振り役に打ってつけのポピュリスト。引退してからかなり老成した感じで、ひょっとしたら政界へのカムバックを狙っているのかもしれない。新党を結成したりしてね。ま、選挙管理局は8月11日までに70万6千人(前回総選挙の投票者数の43%)の署名を検証して、要件を満たしているかどうかを判断することになっていて、HST廃止か住民投票が通らなかったら、今度は与党の現職議員のリコール運動を始めるという。ある閣僚の選挙区では当選した得票数を上回る反対署名が集まったというから、選挙民を甘く見ると怖いのだ。HSTがらみでは「州議会解散、総選挙」という選択肢はゼロだから、うん、またぞろおもしろくなりそうだなあ。

カナダの週刊誌『MacLean’s』の最新号に、明日7月1日のカナダ建国記念日(カナダデイ)にちなんで、ちょっとした州のランキングをやっていた。たとえば、BC州がトップになったのは、新築住宅の大きさ(約230平米)、既存(中古)住宅の価格(約50万ドル)、自営業者の割合(19.7%)、平均寿命(男79、女84)、家庭医がいる割合(94%)、運動する人(60.3%)。最低だったのはガンの罹患率(男10万人当たり418人)、肥満率(13.5%)、常習喫煙率(12.3%)、心臓発作による入院(10万人あたり169人)となっていた。交通事故や犯罪発生率は高くも低くもないようだから、BC州民は、世帯所得では産油地のアルバータに劣るものの、少し大きめの家に住んで、健康的な生活をして、長生きしているということになるかな。これだったら、政治がちょっとばかりずっこけでもいいか・・・。


2010年'6月~その2

2010年06月30日 | 昔語り(2006~2013)
夏はバカンスの季節だそうだけど

6月16日。水曜日。今日は「さぼりモード」を決め込んで、午後いっぱいだらだら。洗濯でもしようかと思ったけど、ランドリーシュートをのぞいて「あ、たいしてたまってないや」ということで、雑念として払拭。何かおいしいものを作ろうかなと思ったけど、今日はカレシの英語教室の日で、もうあまり時間が残ってない。結局、今日の夕食は、分厚いマグロのステーキに山椒を振りかけ、大きな竹の子を2枚スライスして七味とうがらしを振りかけて、フライパン焼き。何を思ったか卵1個に刻んだニラを入れて玉子焼き。半円形になったのを2つに分けて、焼いた竹の子の上にちょい。後はバターナットかぼちゃを蒸して、思いっきりの思いつき「なんじゃこりゃ」料理のできあがり。

フランス政府が定年を62歳に引き上げることにしたら、労働組合がさっそくストをするぞと身構えたらしい。へえ、フランスでは60歳定年だったんだ~。で、きっとフランスでは60歳で年金がもらえて、長い長いバカンスってことになるんだろうな。もしも、もしも、カナダじゃなくてフランスに行っていたら、ワタシだって今頃は潤沢な年金をもらって、どこかの田舎でアヒルの群れとラベンダーの花畑に囲まれての~んびり。来る国を間違っちゃったかなあ。でも、そういう楽隠居が2年もお預けになるってことで泣く子も黙るフランス労働組合は腕まくり。夏中の長いバカンスがあるんだから、たかが2年くらい余分に働いたってどうってことないじゃんと思うけど、フランスの人はそうは思わないから、怒ってるんだよねえ。長いバカンスって、うらやましいくらいだけど。

カナダで今の年金制度(CPP)ができたのは1966年のピアソン政権の頃で、そのときに支給開始年齢が65歳と決まったとか。戦後の1950年代初め頃からほとんどの人が「65歳」であたりまえのように引退していたのを成文化したそうで、つまりはカナダでは「65歳定年」がもう60年も普通だったことになる。もっとも、政府が1980年後半に60歳からCPPの減額支給を認めるようになってからは退職する年令の平均がだんだん下がってきて、今では62歳とか。あはは、ワタシの年だ。へえ、平均的な退職年齢になったのかあ。ま、この数年に各州が労働法を改正して定年退職の強制を廃止したもので、65歳になってもそのまま働き続ける人たちも増えているらしい。人口の三分の一近くを占めるうベビーブーム世代はなにしろ元気いっぱいだからなあ。

そろそろ夏休みの季節だけど、ある調査によると、カナダでは有給休暇が平均20日あるのに、消化している人の割合は24%。全部を取らない人たちの中には、貯金する方が大事(25%)、休暇の予定を立てる暇がなくて使い切れない人(14%)、仕事が忙しくて休暇なんか取っていられない(取りたくない)人(12%)、配偶者とスケジュールが合わなくて取れない人(10%)。で、なんとか休暇に出かけたと思ったら、30%が仕事のメールをチェックしているんだそうな。技術の進歩のおかげで家や職場とつながっていられるのは良い人はなんと42%。仕事の都合で休暇を取りやめたり、延期したことがある人が22%もいる。(どこかの調査では労働時間が増えているとも言ってたっけ。)ふむ、カナダ人は働かない、怠け者だと愚痴っていたのはどこの誰だっけなあ。

ワタシも夏休みを取ろうかなあ。だけど、5月に東京でたっぷり遊んできちゃったし、カレシが秋にどこかへ行こうと言うし、それに、自営業なんだからいつでも休めるはずだけど、カレシは英語教室があるから、スケジュールのすりあわせがめんどうだなあ。そもそも、暑いところへ旅行する気にはなれないし、ビーチで寝転がるなんて退屈すぎるし、キャンプは嫌いだし、ピクニックもあまり好きじゃないし・・・まあ、休暇は別に夏じゃなくたっていいんだよねえ。それに、自営業のワタシにはそもそも有給休暇ってものがないんだから、適当な「さぼりモード」で行くしかないか。あ~あ・・・

石壁戦術はぬらりくらり

6月17日。木曜日。雨の気配があるような、ないような空模様。英語教室がない日が「週末」のカレシは、正午きっかりに目を覚ましたとかで、ワタシを小突いて起こして、いの一番に「週末だ~。何にもしなくていいんだ~」と、何やら遠まわしに宣言しているんだか、希望的観測を述べているんだか。あの、いろんなものが品不足になりつつあるんだけど。野菜も足りなくなって来たと言ったら、うちわみたいに大きくなったレッドマスタードの葉を庭からどっさり収穫してきた。ちょっと辛いけど、ほうれん草のレシピに使えるんだとか。あ、そう。じゃあ、炒めてみるか。

これでカレシは外の庭仕事が終了したようで、ベースメントの園芸ルームへ。しばらくして「何かおかしいよ」と言って来た。床が水浸しで、ずっと調子が悪い蛇口から漏れているんじゃないか、と。キャビネットの中をのぞいて配管を点検したけど、水漏れの兆候はないけどなあ。水遣りのときにこぼれたんじゃないの?カレシ曰く、「モップがいるくらい水浸しだったんだから、こぼしたなんて考えられないよ」。あ、そう。ま、とりあえずまた床に水がたまるかどうか様子を見ないことには、原因の突き止めようがないでしょうが。(3時間後、「全然濡れてないから、やっぱり水をこぼしたんだと思う」。あ、そう。せっかく何もしなくてもいい日に水漏れ事故も何もないもんだよねえ、ほんと。)

テレビではアメリカ議会のBPのCEOを喚問した公聴会の様子が繰り返し流れている。BPくらいの巨大企業のCEOになるくらいだから、さぞかし華々しい経歴の人なんだろうと思うけど、テレビで見るとちょっとばかり頼りなさそうな印象だな。地質学が専門だそうだから、石油会社のBPとしては当然の「学歴」だろうけど、経営者としてはどうなんだろうな。事故発生からこの方その対応に追われているのはわかるとしても、メキシコ湾は「非常に大きな海だから」環境への影響は少ないと言って袋叩きにあい、原油流出量を過小評価しては袋叩き、疲れていたはずみか「I’d like my life back」と言って袋叩き。最初の爆発事故で11人の労働者が命(life)を落として、噴き出し続ける原油の影響で生活(life)できなくなった人たちが数え切れないほどいるってのに、(対応に追われて家にも帰れない)自分まで被害者気分で「ボクもlifeを取り戻したいはないだろうな。死んだ人たちは戻らないし、失われた生活手段だって戻ってくるかどうかわからないんだから。

公聴会ではどんな発言をするのかなと思って聞いていたら、う~ん、今度は中身のあることは何にも言わない。コーチについて特訓したのかどうか知らないけど、ぬらりくらりとかわしているという印象。しまいに「意思決定のプロセスには加わっていなかった」と言って、議員から「あなた、最高経営責任者なんじゃなかったの?」と突っ込まれる始末で、今度は「stonewalling(議事妨害)ではないか」と袋叩き。このstonewallは、政治家や役人がやっかいな問題を避けて通ったり、旗色の悪い批判をかわすのによく使う逃げの戦術。(普通の人間もけっこう使うけど。)ニューヨークタイムズの記事によると、公聴会が行われていた数時間の間にメキシコ湾に噴出した原油は約735000ガロン。アメリカの1ガロンは約4リットルだから3百万リットル近い量になる。たったの数時間で・・・。

失言続きと言えば、記者会見したBPの会長も、「small peopleのことだって気にかけている」とやって、止まるところを知らない原油流出で被害を受けているメキシコ湾沿岸の住民たちから「バカにしているのか」と猛烈なブーイングの嵐。慌てたBPは、会長はスウェーデン人で英語が母語ではないから「(頭の中で)翻訳しまちがえた」とコメントを出すやら、本人が「舌足らずだった」と謝罪声明を出すやらの騒ぎ。地元のホッケーチームに何人もいるスウェーデン人選手の英語を聞きなれていて、スウェーデンでは小学校から英語教育をしているからほとんどの人が流暢に話せるんだと思っていたワタシはちょっとびっくり。だけど、よく考えてみたら、ホッケーの選手は1年のほとんどを英語漬けの環境で過ごすから違和感がないくらいに英語を話せるんであって、そうでなかったら、いくら小学校から勉強してもしょせんEFL(外国語としての英語)の環境では「英語がうまい」の域から出るのは難しいのかもしれないな。

だけど、英語しか話せない人たちにはそんなことに考えが及ばないし、特に怒りと苛立ちが募っている湾岸の人たちにはそんな余裕なんぞあるわけがない。BP会長の場合は失言というよりも「言葉の壁」で躓いたということだろうけど、それにしてもこのBPってどういう会社なんだろうなあ。

お役所をとっちめるには

6月18日。金曜日。早朝どころか夜中みたいな時間(午前8時)から、まずゴミ収集トラック、次にリサイクル車、次に戻りのゴミ収集車、そしてしばらくうとうとしたと思ったら、最後に水を配達するトラック。その合間にどこかでチェーンソーのようなうなり音がしている。それでも、しばしの眠りに戻って、起床は午前11時30分。ちょっと寝たりないけど、世の中は週末だから、明日は静かにしてくれるかな。

騒音と言えば、ブロックウォッチのメンバーになっている隣のブロックのスティーブがキャプテンのミシェルに「市営ゴルフ場で朝の5時過ぎから作業を始めていて、市の騒音防止条例にも違反するのに市役所は苦情を伝えると言うばかりで効果なし。どうしたらいいか」とメールを書き、ミシェルがメンバー全員に転送してきた。午前5時半といえば私たちは眠りについたばかりの頃で、気がつかなかったのは一番熟睡しているときだからかもしれない。(外の音に敏感なカレシは耳栓しているし。)それにしても、市条例では午前7時(日曜日はたしか10時)から騒音の出る作業が許されるのに、住宅地に囲まれた市営のゴルフ場で朝の5時過ぎから機械を使っての作業は冗談じゃないよねえ。これまでずっと早朝作業は控えていてくれてたんだけどなあ。

そこで思い出したのが、ワタシが公園委員会から勝ち取った「早朝の作業は控える」というお墨付き。十何年も前になるけど、大改修したゴルフ場で早朝に整備作業を始めるようになった。週末も平日もおかまいなしに、日が昇る5時に始まる。おかげで三連休の休みでもゆっくり寝ていられない。その前の大改修のときも条例を無視して夜昼なく重機を使って工事をするもので、在宅仕事のワタシは施主の公園委員会に苦情を言ってはけんかをして、しまいには発狂しそうな精神状態になってしまったことがあったから、そのときは委員長に「何とかならないか」と手紙を書いた。(市の公園委員会は教育委員会と共に公選制になっている。)ところが、委員長の名前で来た返事は「夏の間はティーオフが早くから始まるのでやむを得ない処置である」。(ワタシの家の前は一番長い11番ホールのフェアウェイの中ほどにあたる。)何だとぉ、このボケなす!次の選挙では入れてやらないからな。

ワタシはもう一度委員会に手紙を書いた。ええかっこしいの難しい言葉のことを「three-dollar word(3ドル言葉)」というけど、今度はそんな生易しいもんじゃない。かっては上級秘書の肩書きだったんだし、商売上、法律文書には慣れているから、コチコチの弁護士調はお手のもの。シソーラスをひっくり返して、「10ドル言葉」くらいの一番威厳のありそうな単語を選んで「然るに、現状においては、苦情の対象である題の時間帯に当該施設より発生する騒音は住宅地域にて許容され得る水準を著しく超えるものであり・・・」と言うような口調で、正統的に構成して、印刷して、署名して、ビジネスサイズの10号の白封筒に入れて出した。なにしろ、あのときは頭にきてたんだもん。きっと般若の面みたいな顔をしてキーを叩いていたんだろうと思う。投函してから2週間ほどで返事が来た。市営ゴルフ場の管理責任者から、「閑静な住宅地であることに配慮して作業をするよう指示した」と。公園委員会とゴルフ場の作業所長へのCC付き。次の日には公園委員会からカレシにフォローアップの電話がかかって来た。

どうして手紙を書いたワタシではなくて「ご主人」にかかって来たのか。当時のワタシはまだ日本名のままだったからローマ字書きすると語尾が「O」。手紙と封筒の宛名を見たら、みごとに「Mr.」となっていた。ちゃんと「Ms.」で出したのに、あんまり威厳たっぷりな物言いだったのか、てっきり「男」だと思ってしまったらしい。思いがけず「ジェンダー差別」が露見した形だったけど、ともかく、午前5時の作業はぴたりと止んだから、目的は果たしたと言うことで、めでたし、めでたし。その墨付きがまだどこかに(記念として)取ってあるはずと、ファイルキャビネットや引き出しを探し回って・・・あった。日付を見たら1994年の5月になっている。そっか、もうそんなに昔のことだったのか。今でもかなりビビッていた電話の声を思い出してはおかしくて笑ってしまうけど。

手紙が見つかったので、ブロックウォッチ副キャプテンのカレシはさっそくスティーブとミシェルに「こういう先例があるから」とメール。さあて、今度はどういう展開になるか・・・。

知らぬは亭主ばかりなり

6月19日。土曜日。いい天気だなあ。雨の予報のはずだったのに、さっぱり降らない。降るどころが太陽が燦々と輝いて、暑くなりそうな予感。きのうの夜に、乏しくなったワインの在庫補充を兼ねて閉店前の酒屋に行って、アルマニャックとコニャックを仕入れたおかげで、まあまあよく寝た気分。だけど、寝酒がないとよく眠れないってのはちょっとまずいかな。ま、一杯だけなんだけど、たいていは。

カレシが運動がてらこれも在庫薄になっている野菜果物を買いに行こうというので、それぞれにトートバッグを持ってでかけた。運動だから早足で行けば30分もかからない。モールに着いてまずデパートの地下にある郵便局の私書箱を空にして、それから本題の野菜の仕入れ。地元産のイチゴがど~んと山盛りで出ていた。まだちょっと高めの値段だけど、かなり大ぶりでおいしそう。並んでいるパックは大きすぎるので、半分を別の容器に入れてもらった。後は重くならない程度に野菜類を買って、またテクテク。日差しが真夏のように暑くてだいぶ汗をかいた。帰り着いてからラジオをつけたら、何と24度。平年よりずっと高い、ほぼ「真夏日」。昼日中の炎天下に外に出るのは気ちがい犬とイギリス人・・・てのは劇作家ノエル・カワードの作品に出てくる歌だったけど。うん、暑かった・・・。

さてさて、小町に男性からのすごい相談トピックが立って盛り上がっている。何でも、定年退職した日に家に帰ってみたら、妻の荷物が全部消えていて、テーブルの上に離婚届と弁護士の名刺が残っていたんだそうな。おまけに預金まで凍結。あちこち問い合わせても誰も知らん顔で、他県に住む娘までがけんもほろろ。これだけ情報があったら、誰だってよっぽどの事情があったんだろうと思うんだけど、当の定年夫は「今まで何が不満だったのか、全くわからず・・・青天の霹靂」と途方にくれるばかり。あれ、ワタシがだいぶ前に書き始めて放り出したままの小説の冒頭シーンにそっくりだ。創作トピックだったら盗作で訴える!と言いたいところだけど、創作なのかほんとの話なのかわからないのが匿名掲示板だから、ま、いいか。この先の小説のヒントになるかもしれないし・・・。

問題は夫婦で乗り越えてきたし、退職したら家を売って新天地で新しい人生を・・・それなのに、ああ、それなのに。同情票もかなりあると思っていたら、すごい後出し情報で今度は批難轟々。だって、自分は家の頭金と娘の学費を払い、共働きの妻は家のローンと生活費って、おいおい。盆暮れは(家族を置いて)趣味の旅行に出かけ、趣味仲間の女性の力になりたくて1千万円あげたって、おいおい。それで不貞はしてないと言われてもなあ。熱くなるたちで人には怒鳴っているように聞こえるって、おいおい。で、とどめの一撃がが「妻がいなくなっては、定年後郷里に帰って母と暮らすという妹との約束が守れない」と来た。ああ、だめだ、こりゃ。創作だとしたらドがつくような三文小説だけど、そういう男もいるんだよなあ。実際にいたからこそ、小説が「ある夜遊び疲れて帰って来たら家の中はもぬけの殻だった」という場面で始まったんだもんなあ。事実は小説より奇なりっていうけど、もしもあのとき、浮気な夫に悩むかわいそうなオンナノコを慰める?ために休暇を取って日本へ行っていたら、「優しくて頼りになるボク」を演じて帰って来たときには家の中は空っぽ、預金口座も空っぽだったかもしれない。(実際には、カレシのものを全部荷造りしてママのところへ送り届けて、家中の錠前を取り替えて、帰る頃を見計らって門に車のキーをぶら下げておこうと思ったんだけど・・・。)

あの小説、主人公は最後に幽霊に救われて、幽霊の導きで妻と再会することになっていたんだけど、まあ、このトピックの主と違って「学習」できる男だから、最後はやっぱりハッピーエンドにしたいなあ。このオジサンには、創作トピックだとしたら「あっと驚くどんでん返し」、そうでなければ、う~ん・・・。

脛に傷、押入れに骸骨

6月20日。日曜日。きのうとうって変わってちょっと曇り空で、天気は下り坂の気配。トラックか車の運動がてら郊外の園芸センターに行く予定だったけど、日曜日だと郊外は混みそうだから、と中止。カレシは温室で野菜の種まきと植え替え。まだ鉢に植わったままのトマトがもう黄色い花をつけているし、今さら遅いかなあと言いつつ撒いたきゅうりは2日で発芽して以来、伸びる、伸びる。今日はグリーンオニオンの種まき。これは長ネギの代用として消費量が多いから、たくさん育つといいなあ。

納品予定があるワタシは午後いっぱいまじめに仕事。ビジネス系の翻訳をやっていると、ふだんはお堅い契約書とか、黒字だ、赤字だという決算報告とか、無味乾燥なものが多いけど、たまには企業のスキャンダルの顛末のような文書にも出くわす。マスコミをにぎわしたことでも、表には出さない「内部の事情」だったりして、急に元気が出て座りなおしてしまうから、ワタシもかなりの野次馬だなあと思うけど、ときにはゴシップ記事のような内容だったりするからやめられない。もちろん、守秘義務というものがあるから、ひとりで「ったく、もう、しゃあないヤツだなあ」とにやにやしながらキーを叩いているけどね。いや、ほんと、たまにはそういうおいしそうな話もないと、在宅ひとり稼業はやってられないかも。

まあ、仕事の上でおもしろい話に出くわさなくても、小町をのぞけばもっとおもしろい話はたくさんある。今の日本を知りたくて、今の日本人を知りたくて・・・カレシに「何でそんなものを見るの?」と聞くたびにそう答えるけど、それもなぜかこの頃は少しずつ「もういいや」という感じがしないでもないような気になる。にいちゃんねる化したローカルの掲示板はとっくの昔にどうでも良くなったから、たぶん小町もいずれ卒業するかもしれないな。「もういいや」という気持は、たぶん裏を返せば心ない人たちに粉々にされた「自分」の立て直しが納得できるところまで進んで、自分の居場所は「ここ」という安心感ができて来て、過去のことをかなり客観的に、冷静に見られるようになったということかもしれない。あるいは、あんがい匿名掲示板で見た誰かのトピックだったような感じがしているのかもしれない。十年ひと昔とはよく言ったものだと思う。10年前の今頃が本当に夜明け前の一番暗いときだったんだと思う。ということは、夜は明けたということ、どんなに長くてもやがて夜は明けるということ。

明日は夏至。今日は父の日。日本に行っている間に亡くなったカレシのパパの遺灰を「遺言」にしたがって、昔よく釣りに行っていた海域に散灰する手はずが決まった。家族が全員揃う7月3日の午後、28人乗りの大きなボートをチャーターして、それぞれにピクニックランチ持参でクルーズに行く、と言う話。孫たち、ひ孫たちも交えて総勢20人近いにぎやかな「野辺の送り」になりそうで、船には絶対に乗らないと言っていたママもとうとう折れて加わることになったらしい。ワタシがカナダに来た頃にはパパはすでに自家用ボートを持っていて、日曜日ごとに何人かの「釣り仲間」と1日中出かけていた。金曜日はいつもガールフレンドと夜遅くまで遊びに行っていたというから、なんともおいしい人生だったわけだけど、3人の息子はパパの給料のほとんどがボートの維持や買い替え、マリーナの係留費に消えていたということ、つまり5人家族の家計はほとんどママの給料で成り立っていたということを長い間知らなかったらしい。

どうしてママは息子たちに何も言わなかったんだろうな。(ホームに入ってからはさすがに認知症が進むパパの介護費がかかりすぎるとジムにこぼしていたようだけど。)どうしてなのか聞いてみたい気もする。もっとも、カレシが幼い頃に目撃したという「できごと」からも、パパが家族の前で執拗に繰り返した冗談からも、誰が見ても冷え切った夫婦の関係を決定的にした「できごと」が何だったかということは薄々ながら想像がつく。まあ、人間はそれぞれが脛に何かしら傷を持っているだろうと思うし、どんな家族にも何かしらの「a skeleton in the closet(世間に知られたくないこと)」があるんだろうから、そういうやっかいな骸骨は押入れの奥でほこりを被ったままにしておくのが家族の幸せというものなのかもしれないな。家族って不思議なもんだと思う。

部外者にとっては三面記事を読むような「軽い」仕事だったけど、渦中の人は自分の家にやっかいな「骸骨」を持ち込んでしまったわけで、家族はその骸骨をどうするんだろうな。たしかに人生はやり直しがきくものではあるけど、それはやり直しをさせてくれる環境があってのことだから・・・。

日本人は日本のやり方でいいよ

6月21日。月曜日。曇り空。夏至。今日から公式の「夏」が始まるというのに、あら、目が覚めたら何となく寒い。もうすぐ7月なんだけど、今年はまだあまりエアコンをかけていないなあ。天気予報を見る限りではほぼ平年並みの最高気温なんだけど、どうしても今年は低温気味なんじゃないかと感じるから不思議。たぶん5月に雨が多くて低温の日が続いたせいだろうな。それに去年はやたらと暑かったから、よけいに寒いと感じるのかもしれない。といっても、まちがいなく半袖気候なんだけどなあ。

さて、次の仕事。決算報告。だいたいは全体を訳さないで、去年と違うところだけを訳せと言われる。業績も商売も去年とぜ~んぜん変わり映えしませ~ん、てことなのかどうか。翻訳部分の作業量を基準に納期が決まるから、既訳の前年度の部分はほとんど読まずに、今どき日本語でいうとスルーする(って語感が何だかねえ・・・)。でも、今回は「去年お願いしたので今年もぜひ」ということだったから読むでもなく目を通したら・・・う~ん、ほんとにワタシジムショがやったのかなあ、これ?ワタシはこんな文章は書かないけどなあ。他の人が担当したんじゃないのかなあ。まあ、手をつけないでもいい部分だから別にいいんだけど。それでも気になるから、残っていた去年の納品ファイルを開いてみた・・・らっ!その前の年の既訳部分の「スタイル」にそれはみごとに統一されちゃっている。「等」をていねいに全部「etc.」で入れてあるし、つまりは日本語英語のスタイル。すご・・・

まあ、「日本のやり方」に対する日本人の思い入れの強さはすごいと思うことがよくある。きちんとした英語文書を日本語英語に「直された」とこぼす英語ネイティブの同業者たちも結局は諦め半分で肩をすくめるのがオチ。ビジネスの翻訳は訳者の「作品」じゃないから、納品してしまったらそっちのもので、日本のやり方でも何でも好きなようにしてもらっていいと思うから、ワタシは文句は言わない。それでも、いろんなこととの思い合わせで、ときには何か屈折した心理でもあるのかなあと勘ぐりたくなることはあるけど。たとえば、「英語」、「欧米」、「欧米人」といった言葉は日本のマスコミのいたるところに出てくるキーワードだけど、これが小町横町の井戸端で「日本」や「日本人」、「日本のやり方」に対照して使われると、たちどころに「日本をバカにしている」、「欧米だって」という、砂場での子供のけんかのせりふみたいな投稿が出てくる。もっとも、小町の井戸端げんかは日本人同士でやっているものだから、「日本のやり方」への思い入れとはまた別な心理があるのかもしれないけど。

そういうことで、既訳の部分をふむふむと読み流して、マークされている「去年と違うところ」をちょこちょこと訳して行く。うん、きっとまた「よくわからない外人英語」を日本語の原稿に合わせて(自分たちに)わかるように「直す」んだろうな。そうしたら外人英語がわかる読者にはわかりにくくなるということはわからないのかな。日本語を理解しない外国人が理解できるようにと、お金をかけて翻訳してあげてるんでしょうに。ま、こっちは商売だから、きちんとやった仕事にきちんと料金を払ってくれればそれでいいんだけど。だけど、う~ん、ちょっと複雑な気分でもあるような・・・。

なんてカチャカチャとキーを叩いていて、ちょっと退屈になって、井戸端を冷やかしがてら小町横町に散歩に行ったら、今度は日本女性の内股の歩き方を不思議がる欧州人になぜなのか質問されるというトピックで、やっぱり「欧州人が」というところにズームインして、外国人が日本女性の歩き方(日本のやり方)にケチをつけていると反応している人たちがいる。もしも、トピックが単に「どうして日本女性は内股の人が多いんでしょうか」という問いかけだったら、ああだこうだと考えられる理由や原因を論じて終わりだっただろうけど、トピックを立てた人がつけたタイトルが扇情的なもので、「欧州人(=欧米人・白人)」というところにカッキーンと反応したんだろうなあ。そのあたりに何か屈折した心理がありそうな感じもしないではない。よけいなお世話と言われればそれまでだけど。

今どきの若い日本女性の内股歩きについては、最近はCNN・Goにも載っていたし、英語で検索をかけるとブログやらビデオやらがわんさとヒットするくらいだから注目されているんだと思う。カレシと新宿のスターバックスで外を通る人たちをながめていたときも、痛々しいくらいの極端な内股歩きの女性がたくさん通ってびっくりした。中にはヒールがぐにゃっと曲がって今にも壊れそうな人もいて、捻挫しないのかなあと思ったくらい。毎日あの雑踏の中にいる人たちにはあたりまえの風景で注意を引かないんだろうけど、慣れていない人間の目にはどうしても異様に映るから、つい「あんな足つきでよく歩けるなあ」と目が行ってしまう。ワタシが北海道で育った頃にはあれほど極端な例は見なかったように思うけど、まあ、ワタシは父の方針で正座をせずに育ったから何とも言えない。それでも、あれが日本女性の普通の歩き方なんだったら、外国人がどうしてかと聞いたときに「日本のやり方だ」と言えばいいし、正座や着物の文化が原因だと思うなら、それが日本の伝統的な生活様式だからと言えばいいし、かわいらしく見えるためのぶりっ子スタイルなんだったら、それが日本女性の魅力なんだからと言えばいい。外国人が何と言おうが、堂々と思いっきりの内股で誇らしく世界を闊歩すればいいんじゃないのかな。

う~ん、よけいなお世話はわかっているんだけど、やっぱり歩きにくそうだし、自然に背中が丸くなって肩も落ちるから、どうしても痛々しく見えてしまうなあ・・・


2010年6月~その1

2010年06月16日 | 昔語り(2006~2013)
もうダメなの、鳩山さん?

6月1日。いつのまにかもう6月。年がら年中カレンダーを見るたびに言っているようでもあるけど、早いなあ。今日もまた雨模様。天気予報にいたっては「当分の間、夏らしい天気は期待しないで」みたいなことを言っている。「雨ばっかりなのはけしからん」と文句をつけるおバカなクレーマーがいるのかなあ。気まぐれなマザーネイチャーの心づもりを人間がなんとか先読みしようとがんばっているのが天気予報なんだから、文句があるならマザーネイチャーに直談判してもらうしかなさそうだけど。

談判といえば、東京のホテルでのことを思い出す。和食レストランでのこと。朝餉のおかゆが大いに気に入って、その朝も塩鮭や明太子を集めてご飯のテーブルに行ったら、ちょうどおかゆがなくなって次ができて来るのを待っているところだった。カウンターで給仕をしていた若いお嬢さん、マイクで厨房と連絡を取って入るらしいけど、催促するお客の扱いがわからずしどろもどろ。ワタシが英語で「あと5分くらい?10分くらい?」と聞いても「ソリー」と言うだけ。まあ、たぶんアルバイトが派遣で、厨房に「あと何分かかるんですかっ」なんて聞ける立場じゃないだろうな。すぐに来ないのはわかったから、ワタシとカレシは後でいいやとテーブルに戻ろうとした。そこへ突如現れたのが年配のおじさん。いきなり「あのな、あと何分かかるかって聞いてんだよ。なんで奥へ走るなりして、聞いて来ないんだ。頭が悪いのか、あんた?」と怒鳴りだした。(聞いていたのはこっちなのに)ワタシもカレシもあっけに取られ、後に並んでいた人たちは「あ~あ」という顔で、お嬢さんは今にも泣き出しそうな顔。「It’s OK」と言ってその場を離れたけど、おじさんの罵声は止まらない。へえ、ああいうのが悪名高い「クレーマー」かと思った。後で(できたての)おかゆを盛ってもらってサンキューと言ったら、お嬢さんはほっとした顔でにっこり笑ってくれたので、ワタシもほっとしたけど、それにしてもあのおじさん、トレイさえも持っていなかったから、あのパフォーマンスはいったい何だったんだろうな。

カレシを英語教室に送り出して、仕事にかかる前に新聞サイトを見たら、あらま、鳩山さん、とうとう辞めちゃったんだ。でもなあ、「引かせていただきます」って、亭主に愛想をつかして「実家へ帰らせていただきます」と出て行く奥さんみたいに聞こえるな。産経のサイトに鳩山さんは「仰ぎ目」と「泳ぎ目」が他の議員よりも多い」という大学の先生の話が載っていた。なんでも、「仰ぎ目」は夢や理想を語るときで、「泳ぎ目」は自信がないときや迷いがあるときなんだそうな。そうか、期待をかき立てる選挙戦では「仰ぎ目」は有効かもしれないけど、いざ有言実行を求められる総理大臣になったら逆効果ということらしい。眼球が相手の目やカメラを避けてきょろきょろと左右に揺れる「泳ぎ目」は初めから信頼はできないという印象を与える。自信のなさや迷いのほかにも、嘘を付いていればそれに対する後ろめたさも目玉の動きとなって現れることが多い。まあ、そういう人はほんとうは根はいい人で、自分に自信がないために小心なんであって、罪悪感のひとかけらもなくしゃあしゃあと嘘をつけるような人間とは大きな違いがあると思う。鳩山さんもあんがい根っこでは気の小さい人だったのかな。

だけど、大きな期待を背負って発足した鳩山内閣もわずか8ヵ月の短命。かってはイタリアがシャツを取り替えるよりも頻繁に首相を取り替えると言われたけど、総理大臣になって1年と持たなかったのはこれで何人目なんだろう。次は誰だと見回しているうちにも、世界では経済も政局もどんどん動いて行く。なんだったらハーパー首相を貸してあげようかな。少数政権でいつ倒れるかと言われながら倒れずに続いていて、その間にカナダはいち早く世界同時不況を抜け出したし、カナダの銀行はいたって健全で、今年の第1四半期にはカナダ経済は年率にして6%も成長した。個人的には人気はイマイチだけど、最近の世論調査では、今選挙をやったら与党が過半数を確保できると予測されている。いや、これでは貸してあげるわけにはいかないか。さて、次の総理大臣は何ヵ月続くのかなあ。黒幕船頭が多すぎるから日本丸がミズスマシのようにくるくる回っているんだとしたら、いわゆる「善意の独裁者」に国政の舵を取ってもらうしかなくなるんじゃないだろうか。誰がいいのかといって、そういう人がいるのかどうか知らないけど、日本の「善意の独裁者」はきっときわめて親分的(女だったら姐御肌?)で浪花節的な人だろうと思うな。少なくとも何でもバカ丁寧にさせていただいてばかりの人じゃあないだろうな。

言っても言わなくても通じない言葉

6月2日。水曜日。まだぐずぐずしていると思ったら、午後になって少し晴れ間が出て来た。あれ、今日はかなりの雨のはずじゃなかったのかな。ま、青空が見えるに越したことはないか。お久しぶりって感じだし。

うとうとしながらゲートのチャイムが鳴っているなあと思っていたら、やっぱり。郵便屋が不在通知をおいて行った。注文してあったセキュリティスタンプ。うちの郵便受けは本を入れてもらえるようにとけっこう口を大きく取ってあるんだけど、そこを通らない大きさってことか。まあ、スタンプが4個だから軽いだろう、ということで、明日にでも運動代わりに引き取りに行ってこよう。

今日はでかい仕事に手をつけなければならないのに、ねじ込みの仕事。小さいのはいいけど、発注元の内部で使っているらしい略語がたくさんある。ときどきあるなあ、そういうの。漢字だからヘンな英語のアルファベットの略語を並べられるよりはましなのかもしれないけど、どう見ても誤変換じゃなかろうかというものもある。まあ、社内文書らしいから、仲間内にしかわからない言葉も、漢字の誤変換もまったく問題なしってことなんだろうけど、キミたち、ちょっ~といい加減じゃないのかなあ。小町横丁の井戸端おばさんたちの真似をして、「漢字が違ってますよ」、「あなたの日本語はヘンですよ」、「自分で読み直してから投稿してくださいね」、「言葉の使い方に違和感があります」・・・なんて嫌味たっぷりに書き込めたらすっきりするのかなあと思うけど、そうやって本題そっちのけで枝葉末節をつつくのってなんだかめんどうくさそうだから、やめとこ。その代わりと言っちゃなんだけど、キミたちの仲間言葉の解釈が違っていたって、「誤訳だ!」と騒ぐんじゃないよっ!

ワタシの日本語も何だかなあと自分で思うくらいだから、人のことは言えない。それでも言っておくけど、ワタシの日本語はたぶん35年前の昭和の地方の20代半ばの無学歴の女性が使っていたレベルの日本語(のまま)なのに対して、平成社会人の日本語は今現在の日本の中心の高学歴の現役の社会人が使うレベルの日本語のはずだと思うんだけど。だから、日本語浦島さんになったワタシのお手本になるようなしっかり正しい日本語を書いてくれると助かるんだけどな。まあ、鳩山さんの辞任のスピーチを読んでみたけど、いまいち何を言いたいのか良くわからなかった。ばかていねいな言い回しがずいぶん多いけど、すりすりのユライア・ヒープじゃあるまいし、何だか卑屈そうな感じがしてしまう。政治家ってのは「させていただく」のじゃなくて「する」ものだと思うんだけどなあ。あの鳩山語が宇宙人のコミュニケーションだとしたら、もっとわからない小沢語は何の言語なんだろう。

とにかく、ジャンボ仕事にかかろう。スキャンしたPDFを印刷してみたら60ページもある。それでも、裁判所に出すような文書だから、紋切り型ではあっても的確でわかりやすいから、あまりく疲れないで済みそうかな。もっとも、英語の法律文書もそうだけど、わかりやすいからと言って家へ帰って女房子供相手にこんな口調でしゃべったら笑い飛ばされそう。いわゆる「お笑い芸人」がしゃべったらおかしいのかもしれないけど、ホテルのテレビに映っていた芸人たちは自分たちで笑い合っているみたいでちっともおもしろくなかった。ワタシにはツボがイマイチわからない日本語をしゃべっていたのかもしれない。物心ついたときから使い慣れた言語でも年令や環境によって発達レベルの違いがあるのは確かだし、言語は生きものだから止まることなく進化(あるいは退化)するし、ほんとに言葉のコミュニケーションって難しいな。だけどま、仕事に気合いを入れないとまたぞろ切羽詰ってしまうから、こんなところで油を売ってはいられない・・・

胃の筋肉も運動不足になるらしい

6月3日。木曜日。からっとじゃないし、薄雲の量も多いけど、一応青空が見える日。火曜日と水曜日と連続で英語教室をやっているカレシにとっては、木曜日は「さあ、週末!」なんだそうな。うん、木曜日から月曜日まで、毎週が五連休だもんね。まあ、ワタシだって(もしも)2年と10ヵ月と1週間後にめでたく引退したら、毎週七連休だなあ。やりたいことはい~っぱいあるんだけど、仕事も好きだし、仕事をして稼いだお金を使うのも好きだし、どうしようか・・・。

今日という今日はほんとにがっちりと気合いを入れて、いつもの倍近いペースで仕事をしたぞ。午後と夜だからダブルシフトの残業のようなものだけど、おかげで全体の3分の1の1万文字くらいできた。昔の自己記録に近いかもしれないな。ふう、くたびれた。でも、その気になればまだガンガンやれるじゃないかと思ってしまうと、いっそ「65才、定年引退」なんかご冗談でしょ~と笑い飛ばして、このまま続けてもいいかなあという錯覚も起きてくるから要注意。せっかくたんまり稼いでもそれを使って楽しむ時間がないんじゃ本末転倒もいいところ。人生には遊びもなくちゃあ。極楽とんぼよ、自営業前期10年の燃え尽き症候群に至るまで教訓を忘れちゃいかんぜよ。

それにしても、今日はなぜか親指の調子がいいから不思議。そもそも(日本語入力処理で)キーを叩きすぎでばね指になってしまったのに、今はキーを叩いているときはぼってりと腫れてはいてもカクカクいわずにけっこう曲がるようになった。どういうことなんだろうな。一番つらいのは朝の起き抜けで、うっかり曲げると飛び上がるくらい痛い。親指の関節の内側にはしこりができていて、これがモノを握ろうとするとじゃまになるからやっかいだけど、神様は人間に困ればなんとか工夫して曲がりなりにも適応する知恵を授けてくれたようだから、ま、なんとかなるか。だけど、このままでもいつかは治ってくれるのかなあ・・・。

今日の夕食は久々に肉。といっても、忙しいときにめんどうだからと、ぶつ切りにした鶏のもも肉と玉ねぎやにんじんを南アフリカのレトルトカレーソースで煮て、タイ米のご飯を炊いて、セルフサービスでね、とテーブルに出した。カレシもワタシも「たまには肉を食べたくなるよね」と、大盛りのご飯にカレーも大盛りして、おいしいの連発。うん、久しぶりでおいしかっただけど、食べ終わってからの胃の重さときたら。たしかに肉の方が消化にエネルギーがいるだろうけど、ひょっとしたら毎日魚ばかり食べているうちに胃の筋肉が運動不足で弛んでしまったのかなあ。忙しいってのに、胃が重くなると、まぶたが重くなってきて、頭も重くなってきて・・・あらら。

カレシは自家製の炭酸水をがぶ飲みして、「ケホッ」(市販の炭酸飲料を飲むと「ゲッホッ」とすごいのが出るんだけど)。げっぷがへたなワタシもコップ一杯飲んで、「ケフ」。この炭酸水メーカーはお値打ちの買いものだったな。まあ、大食いしたから眠くなったんだろうけど、おかげで居眠りでむだにできない時間をむだにせずに済んで、めでたし、めでたし。ん、なんでげっぷの話になってしまったんだろう・・・?

個人情報とプライバシー

6月4日。金曜日。穏やかに始まった日。朝食後、カレシはパン焼きにかかった。朝食の準備と同じように、毎日のパンを焼くのもいつのまにかカレシの「担当」になっているのもので、ワタシはコーヒーを飲みながら、届いたばかりのTIMEのページをのんびりとめくっていると、「粉を入れすぎた~」。いつもは計量スプーンやカップを使う順に並べておくのに、今日はなぜかカップを並べる順を間違えたらしい。どうしよう、どうしよう、と頭を抱えるカレシ。多すぎる分をすくい出したら?というワタシ。思い切って余分の粉をすくい出して、イーストを入れてセット。しばらくして「これじゃあ粉が少なすぎてだめだ~」。のぞいてみたらたしかに水が多すぎる。じゃあ、すくい出した粉の半分くらいを戻してみたら?というワタシ。「分量が狂ったから、もうだめだ!」と捨てる気満々のカレシ。それでも、ダメモトで少し粉を足して再スタートした。(なぜか、事故パンはいい具合に焼き上がった・・・。)

ひと騒動が落ち着いたところで、郵便局まで小包を引き取りに出かけた。いい天気で半そで温度だし、歩いて20分もかからないし、(特に帰りの上り坂は)いい運動になるし。受け取った小包も軽いから、トートバッグに入れて、背中を伸ばして、てくてく。一本調子で10ブロックの上り坂はさすがに汗が吹き出して来るなあ。気持ちは良かったけど。小包の中身は雑誌やカタログに印刷されているアドレスの上に押して判読不能にするスタンプ。大と小の2個セット。台湾製と書いてあって、隅に「Plus Stationery Corp.」とある。プラスってのは、日本の事務用品会社じゃなかったかなと思って、ググってみたら、やっぱりそうだ。サイトに「セキュリティ用品」というタブがあったのでクリックしてみたら、出て来た。個人情報保護スタンプ「早撃ちケシポン」だって。「ケシポン」というネーミングがいかにも日本的。英語名なんか「ID GUARD」で味も素っ気もない。ピンクとかグリーンとか、えらくカラフルなのも日本的だなあ。アメリカの一応「高級」なカタログは白しか売っていないけど、「ポップな」ピンクやグリーンはなんとなくおもちゃっぽく見えてしまうからかもしれない。

だけど、封筒や雑誌の名前や住所はそうやって隠せるけど、日本ではどの家も玄関先に「表札」ってものを付けているよねえ。苗字だけのも多いけど、そこに住んでいる家族全員の名前が並んでいるのもあるよねえ。で、その辺を歩いていると電信柱があって、広告の下のほうに「どこそこ町何丁目何番」と書いてあるよねえ。昨今は個人情報を知られたくない、知られたら困ると神経質になっている人が多いけど、あの玄関先に表札を出す慣習、なんか矛盾していないのかなあ?電柱の住所を見て、表札を見たら、知らない人に「○○市○○町○丁目○番地○○×子」まで知られてしまいそう。それに、日本人はちょっと知り合った程度でも、家族構成とか、職業とか、経歴とか、わりと気安く質問する癖がある。他のアジア人も似たような傾向があるし、一種の「あいさつ」的な習慣になっているのかもしれないけど、これだって「個人情報」のうちじゃないのかなあ。まあ、「プライバシー」という言葉の意味や観念が違うのかもしれないけど。

さて、カレシがたまっていた雑誌やカタログの住所に「ケシポン」をごきげんでポンポン押しまくっている間に、ちょっと仕事でもするか・・・。

人生は「たまたま」シリーズ

6月5日。土曜日。いい天気なのでカレシは庭仕事。ワタシはあいも変わらずベースメントのオフィスにこもって仕事、仕事。火曜日からはまたランガラ・カレッジで「即興演劇」のクラスが始まるから、がんばらないと。それにしても、コチコチの用語がぞろぞろ出てくる。裁判所に出した書類なんだからあたりまえなんだけど、お金が絡むといろいろ大変だなあと思うな、政治もビジネスも人生も・・・。

ちょっと息抜きに小町横町の井戸端会議をひやかしていて、ふっと思った。あれがいや、これがいやというトピックの何と多いこと。一生懸命に受験勉強して大学に行って、社会に出てきたのに、仕事がつらい、上司がいや、同僚がいや、できない人が多すぎる・・・社会ってこんなもの?夢と希望に胸を膨らませて結婚したら、だらしない、約束を守らない、嘘をつく、稼ぎが悪い、浮気が発覚・・・こんなはずじゃなかった。世間を見回したら、非常識な人、不愉快な人、自己中な人・・・迷惑しているのは私だけなの?憧れの海外在住組になったらなったで、いつまでたってもなじめない、この国のあれがいや、ここが嫌い・・・言葉や文化の壁がない日本は良かった。まるで、夢破れて・・・の大合唱。ま、匿名掲示板そのものが元々夢(仮想現実)なんじゃないかと思うけど。

それでも、ずらりと並んだタイトルを眺めているだけで、不幸せな人、不満だらけの人がそんなにも多いのかと思ってしまうけど、本当に幸せな人は匿名掲示板に相談するような悩みはまずないだろうし、幸せだと言えば不幸せな人たちから袋叩きにされかねないから黙っているだろうから、よけいに怨嗟のネガティブなオーラが充満しているように感じてしまうんだろうな。でも、『アメリカの生活って本当に快適なのですか?』というトピックへの書き込みを読んでいるうちにふと思った、人生というのは「たまたま」の連続なんじゃないかなあ、と。

トピックは「小町では(日本と比べて)アメリカ生活がいかに快適かを語る人が多いけど、アメリカ帰りの知人と婚約者は揃ってネガティブな評。ほんとうのところ、どうなのよ?」という、イジワルに勘ぐれば「快適なんて本当は嘘なんでしょ?」と言いたそうな質問。まあ、比較する対象のあるなしにかかわらず、ある環境を「快適」と感じるかどうかは人それぞれの感覚だし、アメリカとひと口に言っても広い国にいろんな人間がごった混ぜでいるところだから環境も千差万別なんで、愚問といえば愚問。当然、回答は快適だという人と、快適じゃないという人に分かれる。もちろん、アメリカ生活に不満だらけで不幸せな人は「快適なんてとんでもない」となるけど、こういう人たちは日本での生活も不満だらけで快適じゃなかった人か、あるいはいつまで経っても「エトランゼの私」のままの人か。どっちにしても、「たまたま」アメリカに住むことになったおかげで不満や不幸せのよりどころができたんだから良かったんじゃないのかな。快適だという人も今「たまたま」置かれている環境が快適だと言っているだけで、「たまたま」環境が激変することがあれば「アメリカなんて・・・」ということになるかもしれない。

ひょっとしたら、何をしてもどこにいても「夢破れて」の状態で不満だらけの不幸せになってしまう人は、人生は「マニュアル」に沿って「プログラム」通りに進捗するものだと思い込んでいて、「たまたま」にどう対処していいのかわからないのかもしれない。きっと、まだ若いからなんだろう。生きるために便利なマニュアルがあるとしたら、トラブルシューティングのページは間違いなく空白。だって長い人生で起きる「たまたま」を逐一予想するなんて不可能なんで、その場その場で対処して、その結果をマニュアルに書き入れて行くしかない。それが人生経験というものなんだと思う。自筆のページが多くなれば「たまたま」は怖くなくなるし、自分に対する信頼も高まって、人生が快適に感じられるようになると思うんだけどな。将来ある若い人たちが精神的にひ弱で、不安と不満にいら立っているのに、元気一杯の高齢者たちが多いのは、いろんな「たまたま」の対処法を身をもって学んで来て、それぞれの「マニュアル」ができ上がって来たからかもしれない。その辺りから見たら、いつまでも若いままでいるというのも考えものかな。

たまたま運の良い人に当たると・・・

6月6日。日曜日。なんとなくぐずぐずなのは天気もワタシも同じ。とにかく、きのう草稿で保存したまま忘れてしまったブログの続きを書き終わって、遅ればせながらきのうがおしまい。きのうは「タックスフリーダムデイ」、つまり、平均的な人が1年に納める種々の税金を納め切るだけ稼いで、さあ今日からは稼いだ分全部が自分のものだぞ~と言う日。10年くらい前に比べるとかなり早くなっているような気がする。昔は7月に近かったような。それでも、1年のうちの5ヵ月は税金を払うために働いているってことだけど、まあ、医療や教育、社会福祉という形で戻ってくる部分も多いわけで、丸々5ヵ月を赤の他人のために働かされているわけでもないからいいけどね。

東京から帰って来て以来、なぜか外食ムードに戻ったようなカレシ。きのうは久しぶりにTojo’sへ。冷えた辛口の加賀の酒とおまかせ6コース。まぐろのたたきで始まって、ふっくらと煮たぶ厚いしいたけ、おひょうのほっぺとにんにく味噌ソース、大きな甲羅を器にしたアラスカのタラバガニ、燻製ぎんだらと松茸とマンゴーの奉書焼き、そして握り寿司で仕上げ。別に出てくるダイナマイトロールはえびのてんぷらが入った手巻き。最後は抹茶のクレムブリュレ。特にぎんだらの奉書焼きは、開ける前からごぼうのいい香りがして、松茸よりもそっちの方がうれしかった。一品ずつの量は少ないけれど、最後に寿司を平らげたところでおなかいっぱい。いつものように寝る前に秤に乗ったら体重が急上昇。でも朝になって計ったらなんと3ポンドも減っていた。きのうは「たまたま」塩分の摂取量が過剰になって、夜と朝の体重差がこんなに開いたんだろうな。

夕食のテーブルで、カレシに「人生の流れってほんとにたまたまだよね」と振ってみた。カレシ曰く、「たしかに流れが変わるきっかけはあるな」と言う。うまくいい方に流れれば人生は楽しいだろうし、悪い方に流れれば辛いだろう、と。なるほど、「きっかけ」があるたびに、阿弥陀くじをなぞるようにあっち、こっち。でも、それは能動的な「チャンスをつかむ」ことであって、「たまたま」にはもっと受動的な、要するに運、不運のような要素もあるような気がするんだけど。というのも、「人生はたまたまの連続」と考えているうちに、自分は先を読んで積極的に進路を決めるということをあまりやって来なかったんじゃないかと思ったから。たまたまカレシに出会ったためにたまたまカナダに住むことになって、たまたま周りがそうだからと共働きになって、たまたま子供ができなかったからキャリアを考え始め、勧められて行った通訳学校でたまたま先生にスカウトされてこの道に入ったのがたまたまインターネット時代の前だったから学歴も問われず、たまたまひとり稼業が性に合ってそのまま20年。ろくに営業もしないのにちょうど業界の流れが変わる頃にたまたまクライアントの入れ替わりがあって、という具合に。

それに、カレシとのことだって、もうだめだと諦める寸前にたまたまカレシがリストラで引退することになって流れが変わったんだし、ほんとに、流れに任せて川を下って来て、たまたま洗濯をしていたおばあさんに拾われた桃太郎みたいな人生だと思わない?たまたま仮死で生まれて来ても死ななかったし、きっと運が強くて、ラッキーな「たまたま」にたくさん出会って来たんだと思う。きっと守護天使がついているんだと思う。だから、たまたまそういう強運の奥さんに当たったカレシも、あんがい運がいい方なんじゃないのかなあ・・・。

の使いすぎはボケのもと?

6月7日。月曜日(だっけ?)にしては何だか静か。そっか、6月だから、カレッジの学年が終わって、夏のコースが始まるまではひと休みというところらしい。昔と比べたら、学生の車は交通量も路上駐車も確実に減って、ふだんでもけっこう静かになったけどね。学生数が増えた1990年代は、道路は見渡す限り学生の車でびっしりで買い物なんかに出かけたら最後、自宅の近くに車を止められなかった。配達にも支障が出て、みんなで陳情してほとんどのブロックに駐車規制をかけてもらったのが始まりで、その後のいろいろな制度や措置、地下鉄の開通もあって、やっと静かな住宅地の道路に近づいたというわけ。おかげで住民活動や市役所との交渉などについてかなり勉強させてもらったな。

ジャンボ仕事はいよいよホームストレッチ。一番めんどうな部分は終わったから、全部まとめて再度手を入れてから、極楽とんぼジムショの「品質管理部」ということになっているカレシに通して読んでもらった。赤ペンをふりふり、「キミ、弁護士になればよかったな」とか何とか言いながら、ふむふむと読んでいたと思ったら、突如としてぎゃっはっはと大爆笑。え?え?え?何かおかしなミスがあった?ねえったら、もう!「いや、ケッサク、ケッサク。取締役会はゼンメツだ」と笑いが止まらないカレシ。会社の定款にある補充役員の任期のところで、「他の取締役の任期と同時にexpireする」というのを、「任期」が抜けていたもので、「他の取締役がexpireするのと同時」となってしまっていた。これにはワタシもきゃははは!だって、「expire」には期間や任期が終了するという意味の他に「息を引き取る」という意味があるんだもん。きっと書類をもらった相手方もきゃはは!と爆笑しただろうなあ。まあ、すんでのところで見つかって訂正できたからいいけど、あ~あ、こういうついうっかりの「珍訳」はかっこわるい。

とにかく笑うだけ笑って、気を取り直して残りの部分もさっさとやってしまおうと思ったら、またぞろ仕事がころころと入ってくる。この週末は何とかしてさぼりたかったのになあ。だって、とんでもないうっかりミスが入るのは疲れているせいだと思う。だらだらと仕事をしているから、だらけてしまったんだ、きっと。それとも、ひょっとしたら恐るべき「senior moment」、つまり年を取るにつれてちょこちょこと現れるらしい「ド忘れ現象」なのかな。や~だ。老人ボケの防止のためにせっせと頭を使えと言われているはずだけど、逆に頭を使いすぎてボケるってこともあるんだろうか。もしもそうだったら、脳みそをぎゅうぎゅうしぼるような稼業をやっていると危ないねえ。法律文書なんか脳の言語回線が加熱して来て、鼻の奥がきな臭くなるくらい回りくどいしねえ、もう。

翻訳なんかやらないで、パラリーガルでも目指した方が良かったのかなあ。どうしよう。やだなあ・・・

演技は自己観察でもある

6月8日。火曜日。起きた頃はかなり良い天気。やっとジャケットがいらない陽気になった。と思ったら、収まったと思っていたハコヤナギの綿毛がまたぞろふわふわ。そうか、雨続きじゃ綿毛は飛ばないよねえ。

今日はジャンボ仕事の追い込み。あとどのくらいあるかなあ。腕まくりして、明日夕方の納期に向けて猛然ダッシュ・・・というとかっこいいけど、目がしょぼしょぼ、親指はしくしく。そんなときにみつけたLeeさんの写真ブログのお地蔵さんたち。那須高原の殺生石というところにあるらしい。茶臼岳という火山の溶岩でできた場所らしいから、山に向かって怒りの心を起こすなよ~祈っているのかもしれないな。赤帽子のお地蔵さんの大群像、ひたすら祈る大きな手。ほ~っと癒された気分になった。

仕事が追い込みなんだけど、今日から「即興演劇」のクラスが始まる。授業は6時半から3時間。カレシを英語教室に送り出して、大急ぎで着替えをして、水筒に水を入れて、歩いて5分ほどのカレッジへ一目散。今回は教室が増築してまだ日の浅い新校舎の4階にある大きな会議室。他の校舎はせいぜい3階建てだから、窓からはノースショアの山並み、ゴールデンイアーズ、ベイカー山、海峡のサンワン諸島までがぐるっと見渡せる。ここに事務部門を持って来たのは、学生が絶景に気を取られて勉強が疎かにならないようにという配慮・・・ってことはなさそうだけど。

第1回の今日は、車座になって、即興とは何かという短い講義の後、ヨガ式の準備体操で体をほぐしてから、「聞く」トレーニング。ワタシはこれで3回目の受講だから慣れたものだけど、集中して聞く訓練はけっこう緊張する。たとえば、最初のひとりが「休暇に行くんだけど、Aを持って行こうと思う」と始め、次の人が「休暇に行くんだけど、AとBを持って行こうと思う」と続け、輪になった生徒が順に持って行くものを加えて行くから、だんだん長くなる。3周目くらいになると覚えきれなくなって、「えっと~」とつっかえてしまう。相手の言うことに耳を澄ますのは「演劇の基本よ」とドロレス先生。相手方の言うことをちゃんと聞いていないと自分のせりふの間合いやリズムが取れなくなるな。

先生は演劇科の学生時代に、「演技を学ぶということは自分について学ぶこと」と教えられて、それまで演技というのは(おもしろくもない)自分ではない人間を演じることだと思っていたから、自分のことを学ぶなんてつまらないとがっかりしたんだそうな。でも、あるときに自分という人間がわからないと知らない人間像を演じることはできないと実感して、目からウロコだったという。また、演技の基礎は「人間観察」だとも教えられて、他人の行動を観察してその根底にある心理を考えているうちに、あまり好きになれなくて悩んでいたお姑さんとの関係が良くなったという。なるほど、演劇というのは言葉やボディランゲージによる人間のコミュニケーションを形象化した芸術というところなのかなあ。

ワタシにとっては、大きな声を出して飛んだり跳ねたりする、いわばエアロビクス運動みたいなものでもあるけど、コースも3回目になって芝居の奥の深さが少しだけわかってきたような気もする。しばらくは火曜の夜が楽しみ・・・。

バビロンに通訳・翻訳者がいたら

6月9日。水曜日。はっと目が覚めたら、正午過ぎ。シーラとヴァルが来てしまうよ。今日はジャンボ仕事の最終の納期だよ。起きなきゃ~となんとなく寝たりない気分で起きて、朝食。雲もあるけど青空ものぞいている。ゆうべはかなり雨が降ったから、外はきっとさわやかだろうな。だけど、だけど、そんな時間の余裕はないのだ、今日は。

一番先に掃除が済んだオフィスでホームストレッチを疾走・・・とまでは行かないけど、とにかくキーを叩く。印刷したら厚さが1センチになった原稿、もうちょっとのところ。あとひと息だ。胸突き八丁、それがんばれ。午後4時45分終了。いや、またぎりぎりセーフ。盗塁するイチローとは違うんだから、こういうところはちょっとくらい反省しないと。でも、大きな仕事と取っ組み合いをした後は気分がふわっと爽快になる。ある種の達成感とでもいうのかなあ、これ。ま、とにかく無事に終了して、30分でサーモンのファルシの夕食を作って、カレシを英語教室に送り出して、気分はだら~ん。

頭の切り替えにと小町横町をのぞいたら、『英訳お願いします。』と言うトピック。いつから小町は教えてサマご用達になったのかと思いつつ開いてみたら、あら、もろに教えてサマ。早速、プロを雇えとか、自動翻訳を使えとか、ずうずうしいとか反撃を食らっているのは、トピックの口調がちょっとばかり高飛車だからしょうがないか。問題は(と言ってしまっていいかどうかわからないけど)「こう訳したら?」と書き込まれている英語文。親切に訳してあげているわけだからケチはつけたくないんだけど、ほとんどがしっかり「日本人英語」。ま、趣旨はなんとか伝わるからいいか。他人の文にけちをつけいているだけの知ったかぶりくさい人に比べたら、親切な人たちだよね。

それにしても、「そういう文章は英語に存在しません」と言われてもなあ。たしかに日本文化に根ざしたあいさつ表現だから、そのままではすんなり英語にはならない。だけど、人間の「気持」を表すものなんだから、根本的にはどの言語でだって「同じ気持」を表現できるはずだと思うんだけど、日本語が言わんとしていることを「存在する英語」の形で表現するのが英訳じゃないのかなあ。逆にもしも、英語文化に根ざした文章を日本語訳してくれといわれたら、「そういう文章は日本語には存在しません」と言ってしまうのかな。おもしろい発想だと思うけど、日本語にないからってカタカナ化するのだけはやめてね。英語人の心情を汲み取って、ちゃんとした日本語で表現してよね。

たしかに異言語間の意志の疎通は難しい。高校時代の英語の教科書によく出て来た「次の和文を英訳しなさい/次の英文を和訳しなさい」といった問題は機械的に繰り返し練習しているだけだったように思う。テストで、関係代名詞をちゃんと(~である)「ところの」と訳していなかった(訳が抜けていた)からと減点されたことがあったっけ。あのとき先生に「そういう文章は日本語に存在しません」と言ってやれたらよかったのになあ。心の中では「そんなヘンな日本語はないだろ!」と突っ込んでいたんだけど。そういえば、定冠詞を「その」、不定冠詞は「あるひとつの」といちいち訳させられていたような気もする。必ずしも間違いとはいえないとしても、そんな機械的な解釈だったから、未だに冠詞の用法では苦労しているんだと思う。英語の冠詞の概念はもっと奥が深いのに。

人間が天まで届く塔を建ててやろうともくろんだ頃、世界には言語はひとつしかなかった。言葉の壁なんて存在しなくてみんなツーカーなもんだから、史上最大?のプロジェクトもすいすいと捗ったはず。それを見た神様が「不遜なヤツらじゃ!」と怒って、人間の言葉をごちゃごちゃにかき回したもので、みんなお互いに何を言っているのかチンプンカンプン。言葉が通じないというのは前代未聞のできごとで、まだ通訳も翻訳もいなかったために、「バベルの塔」高層ビルプロジェクトは頓挫してしまった。でも、そのすぐ後にはきっと通訳・翻訳業者が雨後の竹の子のごとく旗揚げしたと思うけどね。通訳も翻訳も人類最古の職業のひとつってことになるのかな。ふむ、人間てのはやっぱり互いにわかり合いたい動物なのかも・・・。

国際性って、なあに?

6月10日。木曜日。大仕事が終わって久しぶりに仕事のない日だからか、8時間ぐっすりと寝た気分。ずいぶんいろんな夢を見ていたようだけど、目が覚めたとたんにほぼ記憶から消滅。。どうやら脳みそのデフラグも無事に終わったらしい。年のせいとはいいたくないけど、やっぱり20年前に比べたら脳みそへの負担が大きく感じられるこの頃。頭の中が飽和状態になると、どっちか一本に絞って暮らせたらいいのにという気持が頭をもたげてくる。で、それじゃあどっちにするかということになると、迷わず英語だろうなあ、やっぱり。「英語圏とわかっているのに、毎日英語ばかりで疲れると愚痴る人が多い」とカレシに言ったら、「キミだって日本語をしゃべるのは疲れるって言ってるじゃないか」と言い返されてしまった。なるほど、そういわれてみるとわかるような気もする。こうやって書けるんだから、しゃべるのも不自由しないはずだけど、しゃべるのはすごく疲れる。生まれ育った言語なのにねえ・・・。

まあ、今日はせっかくの「ノーワークデイ」。雨模様だけど、グランヴィルアイランドへ行って見る。公設市場なんだけど、野菜も魚も肉も高い。そう遠くないところにできたWhole Foodsと変わらない。平日で雨ということもあるけど、客筋の大半はツアーの観光客。これじゃあWhole Foodsに客足をさらわれても不思議はないなあ。迷路のような市場の中をしばしうろうろして、今日の買い物は細くてきれいなインゲン、パティパンというミニミニかぼちゃ、ミニズッキーニ。イタリア人の店でオリーブのミックス。ローカルの製品の販促をやっている店で8種類のはちみつのサンプルとジャムが2つ。だけど、なんかつまらないところになってしまったなあという感じ。

帰ってきて、あくびの連発。まあ、「休みモード」だからいいんだけど。ネット世界をうろうろ、だらだら。朝日新聞がやった世論調査というのがあって、なんとなくウツっぽいニッポンが浮き彫りになったような印象。でも、回答者の75%が日本に誇りを持っているというし、日本の「伝統文化」を誇れるという人が92%もいるから、まだまだ捨てたもんじゃないと思うけどな。今の日本を「登山」にたとえたときのイメージでは「息が切れて、後続の人に追い抜かれていく」が62%。「足を痛めて先に進めない」と言う人も18%。元気な人は16%しかいなくて、74%が今の日本は「自信を失っている」。バブル崩壊以来の日本の現状をわかっていないのは政治家と官僚くらいってことだなあ。(バブルの前だってわかっていたとは思えないけど、それは別の話。)

今の日本は精神的に豊かな生活を「送れていない」し、勤勉さが「報われない社会」。将来の日本は、「ほどほどのがんばりで、ある程度の豊かさ」があればいいけど、「個人の生活を優先した方がいい」。「豊かさはそれほどないが格差が小さい国」がいい、「大国である必要はない」、税負担は軽いが行政にはあまり頼れず、自己責任が求められる「小さな政府」よりも、税負担が増えても行政サービスの手厚い「大きな政府」の方がいい。だけど、少子化が進んで経済を維持できなくなっても移民の受入れは「反対」。おもしろいのは、勤勉、協調性、礼儀正しい、器用、自立心、独創性、国際性のうちで、最後の3つで今の日本人に「あてはまらない」が多かったところ。特に自立心(76%が「あてはまらない」)と国際性(70%)についてはちゃんと自覚しているということかな。で、これから特にどれを大切にしたらいいかと聞かれて一番多かったのが「国際性」で、次に「自立心」。う~ん、なんとなく他
の質問への回答とちょっと矛盾しているところがあるような、ないような。

それにしても、この「コクサイセイ」って、いったいどんなことなんだろう。どうも日本人がイメージする「コクサイセイ」には英語の適訳がないような気がする。いや、「国際性」という言葉そのものがあまり使われないような気がする。日本企業の文書にはやたらと「国際化」という語が出てきて、翻訳するのに具体的なイメージがつかめなくて四苦八苦する。ここでは日本という国のこれからのことだから、経済のグローバル化をいっているわけではなさそうだし、とすると、日本人が「国際性」、「国際化」というときには、どんなことをイメージしているのかなあ。英語で会話ができることなのかな。外国人と仲良くすることなのかな。それとも長期、短期を問わず「海外体験」をすることなのかな。まあ、今の日本は理性よりも知性よりも、「感性」が命!というところもなきにしもあらずに見えるから、「国際性」もメディアが作った漠然としたイメージにすぎないのかもしれないけど、それでも、いくら「国際性」を大切にしなければならないと力んでも、まずその「国際性」とは何ぞやという定義がはっきりしていなければ、実践として何を大切にしたらいいのかわからないんじゃないのかなあ。ここは、やれ国際性がどうのこうのという前に、まずは自立心を培った方が国の将来のためになるんじゃないかと思うんだけど、これまた「自」のつくことが苦手らしいようだから、はて(と、皮肉屋なワタシ・・・)。

極楽とんぼ亭:カフェテリア風お急ぎ料理

6月10日。思いがけず仕事が途切れたのをいいことに、小雨のなかを買い物に行って帰って来たら、夕食の食材が出ていない。もう午後4時。困ったなあ・・・と思案して、思いついたのが、フリーザーにあり合わせのものを流水で特急解凍して、お得意の「機内食風」。

土曜日には久しぶりに極楽とんぼ亭サタデイスペシャルをやろうと企画しているので、ちょっとした予行演習というところ。といっても、大急ぎだから創作しているヒマはない。で、適当に作ってトレイ代わりのお皿に並べたら、なんだか「カフェテリア風」・・・。

[写真] 茶碗1杯分にもならないくらの量が残っていたお米をおかゆにして増量。ゆかりを混ぜて味つけ。キハダは人気定番のポケに。5センチほど残っていた大根はまだすが通っていなかったので薄切りにして塩もみ。なぜかほんのひとかけらが残っていたサーモンを刺身にして2切れずつ。大根の上において、かいわれでちょっとかっこつけ。使い残しの白魚はさっとコーンミールをまぶして唐揚げ。

所要時間40分。ワインは冷蔵庫に残っていたリオハのロゼ。ま、カフェテリアの食事は手軽なのが売りものだけど、残りものもちょっとかっこうをつけたら「カフェ」に昇格?

女性を言い訳に使うべからず

6月11日。金曜日。また、いろいろ夢を見ていたらしい。寝ている間もぞもぞ動くもので目が覚めたカレシが「夢を見ていたの?」と聞いたら、ワタシは「夢を見てる~」と答えたんだそうな。本人はそんなの全然覚えていないから、本当に夢を見ていたところだったのかもしれない。ごみ収集のトラックの音で目を覚まして、すぐに眠ったのに今度はリサイクル車のガシャン、ドタンで目を覚まし、また眠ったら、最後は戻って来たごみ収集車の音で目が覚めて、午後12時半。あ~あ、ベーコンと卵の朝食にはちょっと遅すぎるか。

日本はもう土曜日だから今日は静かだけど、週明けが期限の仕事がまた並んでしまったから、休みモードは今日でおしまい。モールまで行こうかと思ったけど、めんどうくさくなって取りやめ。ネットをぶらぶらに飽きたところで、思い立ってたくさんある英和辞書からとりあえずビジネス関係の用語を拾ってExcelで作ってある自前のグロッサリに打ち込む作業を始めた。何十冊あるのかわからない辞書の類はどれもインターネット時代が明ける前に集めたもので、英和が多いし、今でもよく使うものは安っぽくのりで綴じたものだからページが外れてばらばら。それで、かなり前から抜粋して自家製電子辞書にしようともくろんでいたんだけど、なにしろ数がすごいからなあ。

噂に聞くところでは、あの頃によく辞書を漁りに行っていた日本書籍の店が最近倒産してしまったらしい。もっとも、この数年は当時のオーナーの娘夫婦の代になって場所も移転したし、娘婿主導の経営になったのか内容もすっかり変わってしまって足が遠のいたけど、先代の頃はまさに命綱のような存在だった。あの頃は猛烈な円高に加えてブックレートというさらに高い特別為替レートで換算した値段だった。地元だけじゃ当然足りないから、日本に行くたびにも紀伊国屋でしらみつぶしに辞書を漁ったな。元々専門辞書は高いのに円高のせいであっという間に数百ドルにもなって、ため息が出たっけなあ。それでも設備投資だと思ってせっせと買い集めた。今本棚にずらりと並んでいる辞書のカナダドルの原価を合計したら、ひと財産になるだろうな。とっくに絶版になったけっこう貴重なものも多いから、引退したら後進に譲ろうかと思ったりするけど、何でもググって見つけられるネット時代の人たちにはどれほどの価値があるのか・・・。

きのうの新聞に、運転中の携帯使用禁止の法律が施行されて5ヵ月間に違反切符を切られた8千人の人たちの「言い訳トップ10」が出ていた。「緊急の仕事の呼び出しで・・・」、「赤信号で止まってたんですけど・・・」、「ボイスメールをチェックしていたんで、電話かけてないけど」、「ハンドフリーにしてあるんだけど(おまわりさん:手に持っていたらハンドフリーじゃないでしょうが!)」、「ママからの電話なんだ!」、「郊外に住んでて、ここの住人じゃないから知なかったの(州の法律なんだけど)」、「運転しながら食べている人とかに比べたらボクはずっと運転がうまいんですけど」、「ハンドフリーの設定をしていたところだったの」、「捕まったのは初めて。警告で済ませられない?」、そして、「女房からかかってきたんで、無視するわけには行かなかったんだよねえ」。あはは、みんないろいろと言い訳を考えるもんだなあ。東京の高速道路ではハンドルの上に両腕を置いて運転しながらメールを打っていた人がいたけど、どんな言い訳を考えるんだろうな。だけどさあ、ママと女房を法律違反の言い訳に使うなんて、ちょっと男が下がるんじゃないかと思うけどなあ。

アメリカのある大学が若い人たちを対象に実施した心理調査によると、女性は失恋したときに大きなストレスを感じるけど、男性はガールフレンドとの仲がうまく行っていない時が最もストレスが大きく、逆に二人の関係がうまく行っているときには心理的な恩恵が女性よりも多いんだそうな。男女関係の不仲では女性の方が傷つきやすいという通説をひっくり返すような結果だけど、この年頃の男性は彼女との関係の中に安心感を求めているらしく、うまく行かないことで自分のアイデンティティと自尊心が脅かされるんだそうな。なんとなくママに甘え、ママを支配したがる坊やのようなイメージだけど、若い男って所詮は精神的にその程度の成長度なのかもしれないな。(そのままで年を取ってしまう男も相当な数いるけど。)女性は別れてから喪失感でウツっぽくなるというのは、子育てが終わった中年女性の「空の巣症候群」と似ていなくもないような感じがするな。ただし、調査対象になった若い男性の多くが、働く母親、母親の稼ぎに頼るぐうたらな父親、父親不在、両親の離婚といった背景を持っていたというから、よけいに女性との関係に安心感を求めるのかもしれないけど。

だけど、育った環境はどうあれ、相手に求めるばかり、与えるばかりの一方通行の関係は恋でもなければ愛でもない。親子の依存関係をそのまま温存しようとするようなもので、男にとっても女にとっても精神衛生上良い関係だとは言えないと思う。でも、エプロンのひもって丈夫だからなあ・・・。

極楽とんぼ亭:DINE-INスペシャル第26回

6月12日。土曜日。やっと摂氏20度まで行ったら、低温だ、低温だとさわいでいたせいか、平年並みなのに暑く感じた。

さて、今日は半年ぶりに極楽とんぼ亭のシェフのお試しメニュー。ちょっと会席料理風に気取って、ワインの代わりにしっかり冷やした備前の大吟醸の純米酒。備前てどこにあるの?岡山のことじゃないかな。岡山ってどのあたり?西日本でしょ。ということは島根の隣くらい?えっと、そっちは山陰で、岡山は瀬戸内海の方だったと思うけど(津軽海峡以南は細々しててよくわからないってば)・・・と、怪しげな地理問答を繰り広げながら、準備にかかった。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(ほたて)
 まぐろのたたき、焼いた竹の子とししとう
 二色豆腐(抹茶・うにくらげ)
 コチュジャンビーフと粟のおかゆ
 シーバス、白ワインのリダクション、温野菜とフルーツ
 (サラダ)
 (デザート:フルーツサラダのサングリア漬け)

 [写真] ほたてをライムジュースに漬けておいてグリル。かっぱ橋で見つけたおもしろい形をしたミニ皿にのせて、赤い漆塗りのお皿に置いてみた。ほんのひと口の突き出し。

[写真] ポケを作って残ったキハダをたたきにして白ゴマをまぶしただけ。竹の子をスライスして、ししとうといっしょにグリル。ちょっとだけ醤油をふりかけてできあがり。カレシが温室から採ってきたサラダ用の摘み菜の中から大きいのを2枚失敬して彩りに。

[写真] 前から使ってみたかった抹茶。絹ごしのソフト豆腐と液体卵白をフードプロセッサにかけて、半分には抹茶、もう半分にはうにくらげのペーストを混ぜて、シリコーンのマフィン型に入れて蒸した。ちょっとゆるいのは、もう少し卵白を使った方がよかったのか、もう少し硬めの絹ごしを使った方がよかったのか。薄めためんつゆに山椒を混ぜてソース。口当たりはよかった。思いつきとしては上出来、上出来。

[写真]  ビーフの薄いスライスはコチュジャンとゴマペーストで味つけして、ちょっぴり焼肉風。興味半分で買ってあった粟(millet)は、時間がかかるのでいの一番に火にかけておいて、ひと口粥にした。豆腐のソースの残りでしいたけを煮て、おかゆに載せて、汁も少しかけて味つけ。(日本へ行って来てすっかり惚れこんだおかゆだけど、粟もいけるなあ。この次は七穀粥を試してみようか・・・。)

[写真] メインは厚みのあるシーバス(すずき)のフライパン焼き。冷蔵庫に半端に残っていたソヴィニョンブランに砂糖をひとつまみ加えてリダクション。蒸したベビーインゲンとミニかぼちゃにトロピカルフルーツを添えて。魚の甘みとワインの甘みとフルーツの甘みがちょうどうまくかみ合ったようなできばえ。

サラダまで食べたら、いつものようにデザートのスペースがなくなって、カレシがわざわざ買出しに出かけて作ってくれたブルーつサラダはひと休みしてからということになった。メロン、ドラゴンフルーツ、キウィ、バナナをさいころに切って、サングリアに漬け込んだもの。後の方が味がよくしみこむからいいと思うけど。

老後の設計ねえ・・・

6月13日。日曜日。というか、極楽とんぼ標準時では仮想的月曜日。正午前に起床したけど、日本はもうあしたの丑三つ時で、もうすぐまた1週間の仕事が始まる。日本では関東も梅雨入りしたんだって。道産子のワタシには「梅雨」がイメージできない。「大変ですね」と言ってみるけど、「梅雨の季節」を暮らしたことがないから、何が大変なのかもわかってない。子供の頃にNHKのテレビで「梅雨があるわけ」として、小笠原気団(だったかな)とオホーツク気団が日本の上で相撲を取っているイラストを見た。四つに組んでの長相撲で双方とも汗がたらたら。それが梅雨で、この取り組みは必ず小笠原がオホーツクを寄り切って終わる、と。そうか、オホーツクがなかなか土俵を割らずに踏ん張り続けたら、日本はいつまでも梅雨が明けないってことなんだ。道産子の意地だ!オホーツク、がんばれよ・・・なんて、イジワルだなあ、我ながら。

天気がいいから、カレシは外で園芸仕事。水を飲みに入ってくるたびに「蒸し暑いよ~」と悲鳴を上げる。汗っかきで何よりも蒸し暑いのが苦手中の大の苦手なカレシ。入ってくるたびに汗臭い。一日の作業が終わって、入ってくるなり待ちきれないようにシャワーに直行。春先に大枚の費用をかけてバスルームを改装したのはこのためなのだといわんばかりの鼻歌が聞こえてくる。シャワーが楽しみでせっせと庭仕事をしてくれるなら、適度の運動にもなることだし、200%の利益率だなあ。小町横町には還暦をすぎた夫に年金が満額になるまで仕事を続けて欲しいといっている奥さんがいた。この夫婦は共働きで、企業年金とやらもあるらしいから何とかならないことはないらしいけど、そうでなかったら、定年退職と年金受給開始までの間に空白がある(という)日本ではきついだろうなあ。

カナダでも年金改革の話が出ているけど、これから20年くらいにわたってベビーブーム世代が定年の65才を迎えるから、いずれは掛け金を二倍くらいにしなければ間に合わないという話で、年金の資金は今のところ安泰だそうな。働く人たちが払い込むカナダ年金の基金を運用委員会が投資しているんだけど、サブプライム以来の金融危機で投資益が出たというから大したもんだと思う。たぶん値下がりした優良株を買い漁ったんだろうな。保有資産の内容を見たらびっくりするような国際企業の株主だったりする。つまりは、カナダの勤労者が株主になっているようなもんだろうな。

件の還暦夫婦はけんかして、話し合って、すっきり分かり合えたようで、「働け、働けと煽りすぎた」と反省した奥さんはしばらく静かに見守ることにしたそうな。まあ、そこが長年の夫婦と言うもんだろう。カレシが引退してからこの秋で丸10年。まだ57才で公的な年金はないし、リストラとは言え訳ありだったから、組合年金は早期退職のペナルティで減額されて、手取りで入って来る金額はとっても夫婦2人が暮らせる額じゃなかった。共働きのおかげでほとんど影響はなかったから、そのまま引退するのに任せられたけど、女房に扶養されるのは嫌だとか何とか駄々をこねたあのときのカレシは何を考えていたんだろうな。最悪、チャンスとばかりさっさと日本へ英語教師の出稼ぎに行ったのかな。聞いたことがないからどんな将来を描いていたのかわからないけど、現実とはかけ離れた夢を見ていたのはたしか。65才を過ぎた今は年金も3つ、移民の人たちを相手にボランティアの英語教師をやって、みんなに感謝されて、思いがけず早くやってきた「老後」が楽しくなったらしいから、まずはめでたし、めでたし。

さて、少なくともあと2年と10ヵ月は現役ばりばりのワタシは、ま、とりあえず目の前の仕事を・・・。

パックマン式学習法?

6月14日。月曜日。あ~あ、6月ももう半分かあ。よく寝たはずだけど、なんかだら~んとした気分。困るなあ。今日が納期の仕事が2つあるってのに。明日が納期になっているのもひとつ。水平線上に入道雲みたいに見えるのは、ああ、仕事、また仕事。新聞に、メールやインターネットの普及によって公私の境界がぼやけたために、カナダ人は時間に追われて心身ともに健康度が低下しつつあるという報告が載っていた。セカセカ大国日本から来た人たちに怠け者だ、働かないと苦言をいただいてしまうくらいぐうたらなはずのカナダ人でさえこうなんだから、当のセカセカ大国の小町横丁にイライラ、カリカリして一触即発の精神状態になっている人が溢れるほどいるわけがわかるような気がするな。

極楽とんぼはその名の通り、在宅の自営業なのをいいことに、けっこうのんべんだらりとやっているつもり。燃え尽きるまでの10年はそれこそ押しも押されもしないワーカホリックで、今になってみたら信じがたいくらいの集中力で仕事をしていた。だって、仕事をすればするほどおもしろいくらい次々と入ってきて、勤め人時代には想像さえしなかったような収入があって、それがまた駆動力になって仕事に夢中になって・・・不思議なことに仕事はストレスになるどころか、自分という人間が存在して生きていることを確認するために唯一のエネルギー源になっていたんだと思う。まあ、結果的には仕事の外でいろんなことが積み重なって精神的に潰れてしまったけど、その後で業界の流れの変化に合わせるように仕事の流れも変わって、精神的に新しいエネルギー源になった。だからこの年になって徹夜した~とはしゃいだりできるのかな。仕事があるのがわかっていながらだら~んとした気分でいて危機感がないかな。あんがい、これが年の功というやつだったりしてね。

今日のカレシは英語教室の生徒に宿題に出した作文の添削に忙しい。そうやって英語を覚える上でどういうところが難しいのかを調べるんだとか。アジア系の生徒はたいていが日本人と同じように母国で英語の授業を受けて来ているから文法ではカナダ人より知識がある。だけど、英語の文法には教科書では説明しきれない観念的なものがたくさんあって、そういうのはカナダ人はろくに教育を受けていなくても間違うことはないけど、英語を母国語としない人にはなかなか吸収しにくいところがあるのはたしか。宿題から浮上した課題は「前置詞」。うん、これは難しい。日本語の「てにをは」と似ているけど、前置詞は数も多いし、それぞれに守備範囲がやたらに広い。それでも英語ネイティブはまず間違った使い方をしないんだそうな。へえ。最近の日本人は日本語の「てにをは」がワタシにだっておかしいとわかるくらいごちゃごちゃになって来ているけどなあ。

それにしても、教科書で説明しきれないようなことを教えるのって難しいだろうな。おまけに学習速度も人それぞれ、学び方も人それぞれ。先生ってのはけっこう大変な仕事だなあ。ワタシは昔から教えられるのがへたなもので、みようみまねの我流で学ぶしかない。まあ、好奇心だけは人の何倍もあるから、パックマンよろしく「知識」を追っかけて、あっちへパクパク、こっちへパクパク。ときには大物もパクリ。ときには欲張りすぎてパクリとやられる。なんか子供っぽい学び方でもあるけど、見るもの聞くもの何でも抵抗したり、拒絶したりせずに、まずは「へえ~」と受け止めてみるところがいいのかもしれない。うん、パックマン式学習法も楽しからずや。そうやってパクパク食べまくって、お金をもらえているんだから、学ぶというのは食い道楽冥利につきることでもあるかな、うん。

たかが高学歴、されど高学歴

6月15日。火曜日。ぐずぐず寝ていたら、目覚めが午後1時近くになってしまった。それから二人して何となくだらだらして、起きたらもう1時過ぎ。おいおい、いちゃいちゃもいいんだけど、1日の大きな塊が終わってるじゃないの。今日は夕方に納品があるんだったら・・・。

仕事の方は、まあ似たりよったりのものを何度もやって来たから楽々で進んで、3時過ぎには納品。今日はカレシは英語教室、ワタシは即興演劇教室で、二人ともお出かけの忙しい日。それっとキッチンに上がって、アサリのむき身をフリーザーから出して水につけ、大鍋いっぱいの水を火にかけ、ベビーズッキーニをスチーマーにセットして、玉ねぎとイタリアンハーブと白ワインとクリームと少し解凍したアサリでパスタソースを作る傍ら、沸騰した大鍋にリングィーニを放り込む。ささっと作って、ささっと食べて、ばたばたっと出かけるのがここんところの火曜日の風景。

ちょうど仕事が途切れたところで、水筒1本だけぶら下げて学校へ。3時間たっぷり飛んだり跳ねたり、大声を出したりして、汗をかいて気分もすっきり。帰り道でスキップしてみたり・・・誰も見てなかっただろうなあ。帰ってきてみたら、ああ、また仕事。でも、今度はゆったりのスケジュールだから慌てることはないけど、もうひとつと「被る」なあ。(よくわからないけど、どうも最近の日本語では重複することを「被る」というらしいので、ちょっと使ってみた。なんかしっくりしないけど、まっ、いいか・・・。)

日本で日本語に関する文庫本を2冊買ってきた。1冊は『バカ丁寧化する日本語』(野口恵子著)で、もう1冊は『真逆の日本語』(井上明美著)。どっちも最近の変てこ日本語、特に敬語について解説?したもので、読むほどにいろいろと考えさせられる。いっそのこと、丁寧語だけを残して、階級年齢性別差別的な敬語、謙譲語、謙遜語なんていうものを撤廃して、日本語を男女老若前後上下おしなべて平等に「民主化」したら、意思を伝達する前にまず上下関係を確認するために腹を探り合わなくてもいいし、判断や語句の選択を間違ってヒジョーシキ!とやられることもなくていいだろうと思うんだけどな。それにしても、「知的な/教養ある自分」を演出しているだけかもしれないとしても、今どき風の日本語のバカ丁寧化には猫かぶりの心理があるような胡散臭さが漂っている。使い方がはちゃめちゃでは逆効果じゃないのかなあ。ま、はちゃめちゃが多いからこうして本がかけるんだろうけど。

ここんところ小町横町の井戸端でまたぞろ再燃している「学歴論争」がおもしろい。この「学歴」という言葉にこれほど敏感に反応して盛り上がるのはどうしてなんだろう、とついおもしろくなってのぞいてしまう。まず登場したのが『学歴の低い上司』というトピックで、あっというまに上位ランク入り。ほとんどが「大卒以上」を募集条件にしている職種で、同僚はいずれも一流大学・大学院の出身。トピックの主も一流私大卒。ところが、業務の知識が豊富で適任だと思った(女性)上司が実は地方の名もない短大卒だとわかってモヤモヤ。何かにつけて「偉そうに」と反発してしまう・・・。次いで現れたのが『四年制大を出ていないって低学歴?』。大学卒でない人を「やる気か能力がなかった人間」と評するのは小町独特の価値観なのか、と言う質問。

まあ、「学歴/高学歴とは何ぞや」という定義をしないままだから、書き込む人それぞれの偏見が丸見えで、横並びで大学に入って、出てきた人間ほどこだわりたがるからおもしろい。日本全国にどれだけ大学があるのかしらないけど、どこそこ卒は「高学歴」だけど、それ以外はただの「学歴」とか、偏差値がどうのこうのとか、まあ、にぎやかなこと。根拠のないものさしで上下や優劣をあげつらって他人を見下したり、卑下したりする裏には、何らかの劣等感や自己嫌悪、嫉妬といった負の感情があるように思うんだけど、きっとこの人たちは楽しかるべき子供時代を受験勉強に没頭して過ごしてしまって、そういう「大変な思い」をしなかった人たちが少しでも自分より上だったりすると、努力が報われていないと感じるのかもしれないな。自分はあんなに大変で、つらかったのに、と。

こういう議論で必ず誰かが持ち出すのが、「アメリカは日本よりもっと学歴偏重だ」という、砂場のけんかみたいな屁理屈。アメリカの「学歴」は何を勉強してどんな学位を持っているかが重視されるのに対して、日本の「学歴」は卒業証書に書いてある大学の「名前」のことだと思うんだけど、そんなことを言ったら、「無学歴の人間が偉そうに!」と言われるかな。無学歴って、ある意味で白紙みたいなものだから、人生のあちこちで見聞きしたことを自由に書き込めて楽しいけどなあ。