リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年5月~その2

2010年05月31日 | 昔語り(2006~2013)
敵は人見知り現象

5月16日。何となく天気が崩れそうで、だらっと疲れた気分の日曜日。終わらせなきゃならない仕事があるんだよなあ、今日は。だって、日本では月曜日の朝が来るんだもん。まあ、我が家は平日も週末も関係ないからいいんだけど。

今日は親指がやたらと痛いけど、とにかく午後いっぱいがんばって、夕食のしたくを少し遅らせて、できた、できた。ダダッと仕上げして、ダダッとキッチンに駆け上がって、ダダッと夕食の準備。マティニで乾杯しているヒマなんかない。今日はマグロのステーキにコチュジャンを塗っておいて、さっとフライパン焼き。インゲンを蒸して、ししとうを焼いて、ささっと出来上がり。食べ終わったら、ダダッとオフィスに戻って、ダダッと納品。はあ、今日はもう後は「開店休業」だなあ・・・と思っていたら、またぞろ、仕事がコロコロと転がり込んでくる。どっちも小さいものだから何とかなるけどさあ・・・。

久しぶりに本格的?に小町横町を訪問。昨今の井戸端会議のテーマはどんなことかなとと眺めてみたら、『回答に外国の例を出すことに違和感』というのがある。どんなトピックでもいの一番に「海外在住です」とか「在欧(米)何年です」と書き出すレスが必ず出てくるけど、ピックを立てた主は質問や相談は日本でのことなのに「外国では~」とやることに違和感があるという。たしかに見当はずれや場違いな書き込みもよくあるけど、ああだこうだと論戦する意味があるのかな。匿名掲示板なんだから、「へえ、そう」と言ってすっ飛ばせばいいだろうに。そうできないところが小町横丁なのかな。いみじくも「おもしろくない気持があるからだろう」と指摘した書き込みがあったけど、そうかもしれない。制度も文化も違うんだからよけいなお世話だと思うより、外国で暮らしている日本人が(得意げに)その国の例を持ち出して来ることが気に入らないのかもしれない。つまりは読む人の気持しだいか。

もうひとつ、『海外にて。日本人の敵は日本人?と思うとき』というトピック。やれやれ、過激なタイトルだなあ。女の敵は女というし、男は家の外に7人の敵がいるというし、世界のどこでだって、人間は自分の領域の外に7人の敵がいると思った方がいいんじゃないのかなあ。まあ、このトピックも各自が遭遇した日本人を例に挙げての「敵」の品評会。それが「村社会」というものなのかもしれない。似たようなこと現象は日本で社宅に住んでいた頃にたっぷり見聞した。つまり、一見近代化、西洋化したようでも、それは「建前」。「本音」は昔とあまり変わっていないし、変わろうと思わないし、変わりたくもない。だって、社会の大枠を根底から変えるには大変なエネルギーがいるんだもん。日本は今までこうだったんだから今さら変わる必要はないと思うなら、特に変わらなくてもいいと思う。ただし、相手の方が(自分に合わせて)変わることを期待したり、、押し付けたりさえしなければの話だけど。

きのう、パーティの前に友だちと話していて、バブル時代が日本社会に与えた影響は経済的な影響よりもずっと大きかったために、バブル崩壊の後遺症から抜け出せないでいるのではないかという話になった。屈指の経済大国になっただけだったのに、「国」そのものが世界のトップに立ったと勘違いして、社会政策も教育政策もそれに合わせて大きく方向転換した結果、それまでの秩序を支えてきた社会機構が崩れてしまったのではないか。まあ、そういう変化は日本に限ったことじゃないんだけど、よく見たら、日本の変化というのは建物(社会)の外壁(建前)を新しく塗り替えただけで、内装(本音)は変わっていないんじゃないか、と。カレシも「礼儀正しい、信用できるという評判と、実際に東京を歩いていて受ける印象の隔たりが大きいと感じた」という。建前と本音の落差が大きい、と。でも、落差を感じるのは建前が本音であって欲しいと期待する気持があるからじゃないとも思うけど。

話が進んでいくうちに、カレシもかって日本に10年住んでいた友だちも、日本人は総体的に世界でもひときわxenophobicな国民だと言い出した。この言葉、「外国(人)嫌い」とも「排他主義的」とも訳されているけど、生まれた国ではみ出しっぺで育ったワタシとしては、外国(人)がどうこうというよりも、単に「他(異)なるもの」が苦手なだけじゃないかと思う。つまり、「村」の外の事象が怖いんじゃないか、と。人間はひとりひとりが山に囲まれた「村」みたいなもんで、「あの山の向こうには何があるのかなあ、見てみたいなあ」と思う人と、「あの山の向こうの素性のわからないものに自分の村を侵略されたら怖い」と思う人がいる。まあ、自分の「村」を守りたいという心理なんだろう。早く言えば、「人見知り」しているってところで、そこが日本人の敵かもしれないんだけどなあ・・・。

まあ、3人とも日本に住んでいないので、傍から見たら、日本で日本人同士が上っ面を見ただけのアメリカについて、ああだこうだと分析している構図とあんまり違わないかもしれないな。日本を知っているはずのワタシだって、(こういうと「生粋の」日本人から顰蹙を買いそうだけど)よく考えたら実は「知っている」のは北海道と言う魚の形の島の中のことだけだった(と悟ったときはちょっとだけ愕然とした)から、たった2週間ほど東京を観光して来ただけで「日本は~」なんて言えた義理じゃないのは百も承知。傍の人がこういう議論を聞いて「キィ~っ」となるか、「へえ~」と思うか、それも人それぞれってことでいいと思ってはいるけど。

東京ピープルウォッチング

5月17日。月曜日。仕事に戻ってからまだ1週間そこそこなんだけど、もうずいぶん長いこと追いまくられていたような気がする。客先に挨拶に行って、ご馳走になって来て、おまけに仕事が増えたなんて、まるでシンデレラストーリーみたいで、むげに断るのもなんだかなあと思って腕まくり。だけど、あちこちで決算の結果が出る頃だからか、赤字だ、黒字だという話が続いて、ちょっと飽きてきたような気もしないではない。それでも、現役、元気に、さあ仕事・・・うん、後2年と11ヵ月と1週間は現役だもんね。

厳密には日本から帰ってきて10日。カレシはかっての「夢の国」をよほど気合いを入れて観察していたようで、何かと感想を話題にしてくる。そういえば、東京を歩いているときも、いろんなことにコメントしていたっけ。たとえば、若い女性のファッション。あの、レギンスとかいう半端なストッキングに、デニムか何かのショーツとTシャツ、その上にひらひらした薄いドレスのようなものを重ねて、さらにその上にスカーフなんか巻いたりした、まるで重装備のファッション。カレシの評は「bag ladyみたいだ」。要は、ホームレスルック。ワタシにはベッドから起き出してきたばかりみたいに見えた。天候不順のせいで寒がりの日本女性はよけいに寒く感じるのかもしれないけど、ゴールデンウィークと言えばもう風薫る5月のはずだし、「たまたま」と言うには同じような服装の女性が溢れていたから、着ている人の自己主張というわけでもないらしい。カレシ曰く、「あのヘンてこなストッキング、脚の形がそっくりわかってcruelだよ」。あのね、今どきは英語わかる人がどこにでもいるんだから、あんまり大きな声で言わない方がいいと思うよ。

英語がわかる人と言えば、東京には意外と「ガイジン」の姿が少ないように見えた。たまに通りすがれば、カレシは「なんだかみんな疲れ切った感じだなあ。東京ライフはそれくらい大変なんだなあ」。ひょっとしたら「あれが自分の成れの果てだったかも」なんて思っていたのかもしれないけど、たしかに若いのに人生に疲れたような感じの人をずいぶん見た。「日本へ行けばオンナノコにモテテモテテ」という評判はやっぱり「都市伝説」に過ぎなかったのかな。新宿の細いビルの看板の中にあった「英会話」の看板に「マンツーマン」と書いてあったのを見つけて、「腹を割った(男同士の)会話をするんだ~」と冗談を言い合っていたら、少し離れた後を30代くらいの白人の男性が歩いていた。少し先まで行ってから振り返ったら、ちょうど「英会話」のビルに入って行くところ。あ、きっと英語の先生なんだ。冗談が聞こえちゃったかなあ。

小さい子供を連れたママについては、「母親の服装のファッション度と子供の野放図度jは比例する」という法則を発見?したそうな。特に(目いっぱいおしゃれした)母親グループの場合。ああいうのを「ママ友」というのかな。誰が何を着たって他人がとやかく言うことじゃないんだけど、たしかに騒いで行儀の悪い子供ほど、母親は過激、というか若作りというか、いやまるで「キャバクラホステス経験あり」みたいなスタイルだったな。超ミニにブーツを履いて挑発的に脚を組んで座っていたママの子供たち(小学生くらい)はわんぱくを通り越してモンスターキッズ。連れのママもちゃらちゃらのファッションで、その子供たちもまた同様にモンスターキッズ。あちこちでそんな光景を見かけたから、カレシが観察した通り、母親のおしゃれ嗜好と子供の悪がき度はばっちり比例するのかも。

そういう悪がき(小学校低学年くらい)が2人、ある日の電車でワタシの隣に座った。飛び跳ねるし、もそもそと落ち着かないし、大声で騒ぐし。業を煮やしたワタシ、「ヘイ!」と頭の上からどやしつけた。悪がき2人がぎょっとした顔で見上げるから、重ねて「shut up!」とやったら、「助けて~」といいたそうにママの方を見た。そのときのママの反応がおもしろい。「あんたたち、何を言われてるかわかるんでしょ?」 ひょっとしたら、英語は3才までにとか何とかいって早期英語教育をやったのかな。子供が英語を理解したかどうかはわからないけど、2人ともこっちをちらちらと窺いながらも、何駅目かで降りるまで一応おとなしくしていた。ああ、やれやれ。

それにしても、ゴールデンウィークの連休だと言うのに、パパも含めた「家族連れ」よりも、子連れのママ友同士の方が多かったのはちょっと奇異に見えた。パパたちは日ごろの疲れで連休はごろ寝を決め込んでしまったのかな。カップルの数よりも、数人ずつの、女は女同士、男は男同士の「群れ」の方が圧倒的に多かったのも、奇異といえば奇異な光景だった。よけいなお世話だけど、これじゃあ、非婚化も少子化も止まりそうにないんじゃないのかなあ。ま、モンスターキッズばかり育てたら、将来困ることには変わりないだろうけど。

マナーのシステムマニュアル

5月18日。火曜日。正午を過ぎて起きてみたら、あら、久しぶりの雨模様。庭に出てみると清々しくていい気持。気温は平年よりちょっと低めだそうだけど、15度もあれば立派な半袖陽気で、Tシャツ一枚で十分。(ワタシは肌着なし派。日本の「身だしなみマナー」に反するかもしれないけども。)体内ボイラーの効率がいいらしく、20度を超えたらスリーブレスになってしまう。もっとも、バンクーバーの気候では20度を超えたら「夏日」のようなもんだからなあ。

ゴールデンウィーク連休の東京は暑かった。軽く25度は行っていたと思うけど、ほとんどの人が長袖なのに驚いた。スリーブレスで闊歩しているのはワタシだけ?と思ったくらいで、中にはコートを着込んで歩いている人たちもいた。若い人たちの間に低体温が増えているという話をふっと思い出して、へえ、こんなにも冷え性の人がいるのかと思ってしまった。まあ、日焼けしたくない人たちが多いというだけだったのかもかもしれないけど。実際にワタシは露出した肩先から手の甲まで、ハワイに行っていたかと思われそうなくらいにまっ黒けになってしまった。

それくらいに記録的な好天だったそうだけど、日差しは高緯度地域の方がまぶしいと思っていたら、東京の日差しのまぶしいこと。とっても目を開けていられないくらいまぶしく感じるもので、屋外ではサングラスをかけるんだけど、ここでもなぜか周りには(カレシ以外に)サングラスをかけている人がいない。アメ横にはサングラスを安売りする店がけっこうあるのに、誰もかけて歩いていないのはどうしてなんだろう。(持って行くのを忘れて行って)宮崎で20ドルのものよりずっと上質のサングラスを1500円で買って喜んでいたカレシも、「サングラスはたくさん売っているのに、かけている人がいないねえ」と不思議がっていた。売っているということは、買う人がいるということだろうと思うんだけど。ま、「ところ変われば」というから、サングラスをしてもいい場所が決まっていて、街中でして歩くのはNG(マナー違反?)ということになっているのかもしれないな。それにしてもあの強烈な日差し、まぶしくないのかなあ、ほんとに・・・。

サングラス着用に留まらず、ワタシは東京でマナー違反をしまくっていたんだろうな。シャツの下に肌着を着ないし、ペディキュアもしていない生足でヒールを履いているし、ろくなおしゃれしてないし、もの珍しそうに(人間にはやらないけど)やたらと指差ししたり、カメラを向けたりするし、目が合うと誰にでもついにっこりしちゃうし・・・。ほんとに不躾でゴメン。ま、外国人はマナーが悪いということになっているようだから、今さら表面をつくろうってのもね。マナーにも「ところ変われば」という面があって、こっちから見たら「ん?」ということもあったけど、そこは日本のマナーに叶ったものなんだろうとは思った。この日本の「マナー」というの、本当は「エチケット」のことを言ってるんじゃないかと思うんだけど、文化や時代的背景に、社会心理や、個人的な常識や対人観まで、いろいろな要素が絡んでいたりするから、ほんとに難しい。

マナーについて興味半分にググって見たら、いつのものか知らないけど、大手新聞の調査で回答者の9割が「日本人の公共マナーは低下している」と感じているという結果が出たそうな。他人に迷惑をかけて平気な自己中人間が増えたということらしい。まあ、小町横町みたいに、どっちを向いても「迷惑をかけるな、迷惑になるな」と、まるで生きているだけで迷惑になっているような雰囲気に曝されていれば、誰だってマナー疲れしてくるとは思うけど。例の「日本人の敵?は日本人」トピックでは、日本人の「日常マナーが悪くて情けない」という海外在住者の書き込みがあって、「海外では必ず日本人のマナー・システムはトップクラスとお褒めの言葉を頂きます」とやり返していた人がいた。「海外でお褒めの言葉を頂く」のは、外国へ行くと借りて来た猫みたいにおとなしくなる人が多いからかもしれないけど、この「マナー・システム」という言葉に、「ただマニュアル通りにやっているという感じがする」というカレシの印象が思わず重ってしまった。あんがい日本ではマナーもシステム化されて、マニュアルができつつあるのかもしれないな。

天然で能天気なワタシも、次回はそのマニュアルに従ってマナーを正しく守ります・・・なんて。まあ、どこまでがエチケットで、どこまでがマナーなのか、ほんとに難しいもんだ。

セントへレンズ噴火から30年

5月19日。きのうはワシントン州にあるセントへレンズ山の大噴火から満30年だった。半年ぶりにビクトリアからバンクーバーに戻って来た日の翌朝のことで、引越し疲れでうとうとしていたら、遥かなところから「どど~ん」という地響きのような音を聞いた記憶がある。アメリカ本土では珍しい火山噴火が起こりそうだということで、火山学者や報道関係者、見物人たちが山に入っていた。どうもみんな火山は空に向けてまっすぐ噴火するものだと思っていたふしがある。午前8時32分、北側の10キロ離れたところで観測していた火山学者デイヴィッド・ジョンストンから「This is it!」という噴火の瞬間を知らせる第一報。噴火は山の北斜面をジョンストンがいた方向に吹っ飛ばしたために、おそらく次の瞬間に彼は大火砕流に飲まれたのだろう、彼は何ひとつ残さずに消えた。今、北斜面は真ん中に溶岩ドームを持つ巨大なクレーターになっていて、それを見渡す展望台には彼の名前がついている。

大噴火で3千メートル近かった標高は400メートルも低くなった。日曜日で伐採作業が休みでなければ大惨事になっただろうと言われる。山の湖のほとりにひとりで住んでいたハリー・トルーマンというおじいちゃんは頑固に避難勧告を拒絶して、山小屋ごと数十メートルの火山灰に埋もれた。車で逃げようとした人たちも充満した火山灰の中で窒息死した。死者57人。車での逃げ道をさえぎられながら奇跡的に生き延びたシアトルのテレビ局のカメラマンは、徒歩で下山する間ビデオカメラとテープレコーダを回した。ビデオに写っていたのは火山灰に覆われた暗闇だけ。テープにはひと息ごとに呼吸が苦しくなって声が途絶えがちになる様子が録音されていた。ニュースは、山肌がむくむくと膨らんで行く噴火の瞬間や、見渡す限りなぎ倒された森林、解けた雪と火山灰と倒木が混じった濁流で流された橋といった光景を1日中何度も何度も流していた。

そのセントへレンズは何回か小噴火して、溶岩ドームは400メートルに達したという。ラスベガスから帰って来るときに飛行機の窓から見えたクレーターは想像を絶する規模で、もしも富士山が噴火したらあんな風になるのかなと思った。セントへレンズも噴火する前は雪を被ったかなり姿の良い山で、きれいな湖もあった。でも、動物も魚も何もかもが一瞬のうちにいなくなって、まるで月面のようだったという風景は、30年経った今また緑に覆われて、新しい森が育ち、動物も鳥も昆虫も魚もみんな戻って来ている。自然は破壊力もすごいけど、復原力もすごい。何千万年もそうやって破局的な破壊とたくましい再生を繰り返してきたのが地球なんだもの。

セントへレンズはまだ若い火山なので、数十年か百年もしたらまた大噴火を起こす可能性がある。環太平洋火山帯の一員のカスケード山脈にあって、ここはカリフォルニア北部から、ポートランドに近い「オレゴン富士」と呼ばれる3千メートル級のフッド山、シアトルに近い「タコマ富士」と呼ばれて本家よりもずっと高いレーニア山、バンクーバーからもよく見える国境のすぐ南のベーカー山といった大きな休火山が連なっている。どれもいつ目を覚ましてもおかしくないらしい。セントへレンズ噴火の後でも、今度はフッド山が危ないとか、レーニア山が危ないという話があった。このカスケード山脈はさらに北へ伸びて、カナダ側でウィスラーのあるコースト山脈につながっている。ここにもガリバルディ山という2700メートルの休火山がある。このガリバルディか南のベーカーが大噴火したら、バンクーバーも火山灰に埋もれて大きな被害が出るだろうな。

地球は生きている、生物は常に火種の上で暮らしているということを実感させられるけど、その表面を「不動の大地」として精神的なよりどころにして来た人間は、宇宙には羽ばたけても、足元の地面の下で起こっていることに対してなす術がない。地球がこけたらひとたまりもない。地球にしたら上に乗っかっている人間なんて吹けば飛ぶようなちっぽけな存在なのに、いつどこがどう壊れるかわからない「卵の殻」の上で、互いの肌の色がどうの、どっちの神がどうの、どっちの文化がどうのと、互いに角を突き合せているんだから、ほんとにしょうもないよなあ・・・

ないしょ、ないしょの休み

5月20日。木曜日。ゴミ収集車の音とどこかで屋根を葺くハンマーの音でちょっと早く目が覚めた。好天だけど、まだ風が残っている。朝方にはかなり吹いていたような気がする。きのうは午後から低気圧が接近していたらしい。エコーの運動もかねて、ひとりで遠い方(といってもせいぜい4、5キロなんだけど)のスーパーまで買い物に行っていた頃らしいけど、ワタシはそうとは知らず、帰って来る途中の降ったり止んだりの不安定な天気に、ワイパーをオンにしたり、オフにした。でも、風があるようには見えなかったなあ。夕方までには郊外で倒木の影響で通勤電車が止まり、3万戸以上も停電。

朝までにはかなり荒れるというので、停電でもしたら仕事の予定が狂ってしまいかねないと必死?でがんばったら、2つもやっつけてしまった。いやあ、もう親指がしくしくと痛くて・・・。あと残るは発注先が違う1件だけになったけど、期限まで余裕はたっぷりある。でも「先約があるので~」と言っておいたので、今日は休みの日。日本ではもう金曜日だから、あしたも、ビクトリアデイ三連休の土曜日も、ひょっとしたら日曜日も休み。うまく行ったら月曜日も休み、なんてことになるといいなあ。

せっかくの天気だから、運動がてら野菜類を買いに行こうという話しが、ワインの在庫がなくなりつつあるし、レミもアルマニャックもないし・・・という話になって、結局は車で行くことになった。大きなトートバッグが3つ。まずは酒屋でワインを20本、オレゴン州産の純米酒とにごり酒、ジンにコニャックにアルマニャックにカンパリとリレ。ついでにピコンが手に入ったことだしと、クロネンブールのビールを半ダース。レジでずらっと並べるとすごいうわばみカップルみたいに見えてしまうけど、最近は家庭にワインセラーを作ったり、専用クーラーを入れて備蓄するのがけっこう流行っているらしく、かなりの数が入ったカートを押している人もいるから、レジのおじさんも「ああ、はいはい」って顔で、頼まないうちから空いたケースを持って来てきて詰めてくれる。

次に青果屋に回って、それぞれバスケットにそれぞれに必要なものを入れる。大きな台湾キャベツ、冷蔵庫に入るかなあ。だけど、小ぶりで扱いやすそうな西洋キャベツよりもずっと柔らかいし、甘みがあるから、やっぱりそっちを買ってしまう。赤とオレンジと黄色と緑のピーマンのセットも今日はやたらと大きいけど、冷蔵庫に入りきるかなあ。カレシはフルーツが多いから、そっちの冷蔵庫に間借りするスペースがあるかもしれない(と胸算用)。ずっしり重くなった2つのバスケットから、それぞれのトートバッグに詰めてもらう。レジのアンジェリーナも慣れたもので、「今日はこっちの方が重いわねえ」とか何とか軽口をたたきながら手際よく詰めてくれる。これで、引きこもりの準備は完了。

帰って来たら休日第1日目の午後は終わり。食事をして、ごろごろしていたら猛烈に眠くなって来て、オフィスの後のソファに横になったのが7時。目が覚めたら9時で、頭がもうろう。ワタシがこんなに長いうたた寝をするのは珍しい。まあ、日本から帰って来てすぐに仕事、ずっと仕事でおまけにパーティが2つと、バタバタしているうちに2週間が経ったような気がするし、腱鞘炎になった親指もむっちりと腫れたままでさっぱり好転しないのがストレスになりつつあるような気もするしで、たぶんすごく疲れていたんだろうな。まあ、なんだかんだ言ってももうしっかり60代なんだから、「うっそぉ~、ずっと若く見えるよぉ~」なんていうお世辞を言う人がいても、ありがた半分に眉つば半分で適当に聞き流しておかないと・・・。

おお、懐かしきパックマン

5月21日。金曜日。今日もまじめに「休みモード」だ!なんて言って、きのうのうちに来週の仕事が1件増えたから、あんまり張り切って休みを取っていると危ないんだけど、ま、いいか。一応は「自由」な稼業なんだから、休めそうなときに休まないとね。

きのうは買い物ツアーで忙しかったから、今日は午後のうちは思いっきりだらだら。グーグルが「パックマン」誕生30年ということで、ロゴが懐かしい「パックマン」の画面になっている。おまけに「コイン挿入」のボタンを押すと遊べるときているもので、つい夢中になって2時間も遊んでしまった。いやあ、昔のゲームはシンプル、それでいてけっこう戦術があったりして楽しい。家庭にコンピュータが入るようになってからも、ウィンドウズの前のDOSの時代には単純ながら飽きもせずに遊べるゲームが多かった。いいおとながほんとに飽きもせずに「ピヨ~ン、ピヨ~ン」と宇宙からの侵略者と戦っていた。今どきのやたらとリアルな暴力を追い求めているようなゲームや、性暴力を娯楽化した、作る方もおもしろいと思う方も人間としてどうなんだと思いたくなるようなゲームに比べたら、ダサくて退屈なんだろうけど、のめり込んで時間を無駄に費やす危険があると言う点では同じようなものだったかな。

最近、CNNの東京特派員が日本でのレイプや痴漢のゲームの氾濫を伝え、警告つきでゲームの内容もちらっと見せていた。どうも日本政府が「オタク文化」を日本のサブカルチャーとして海外に宣伝しているふしがあるけど、主流であれサブであれ、国が誇る文化を世界に広めようというのはいいとしても、それと一緒に児童ポルノや女性への性暴力を露骨に描いた漫画やアニメも輸出されて、外国での「日本人像」の形成に影響するかもしれないとは考えないんだろうか。公共の場でそういうものを広げられる神経も理解しがたいけど、それよりも、日常的にそういうものを無表情(無感情?)で見たり、読んだりしている人たちは怖いと思う。ほんとうはおもしろくないし、興味もないんだけど、手持ちぶさたでしょうがないから見ている/読んでいる・・・とは思えないなあ。

たしかに「表現の自由」は守られるべきだけど、自由であるにはそれなりの責任が伴うのに、「表現の自由」を盾にしてやりたい放題をやっていたら、やがてその大切な自由を守れなくなるような気もするんだけど。それとも単に売れるから作っているだけなのかな。だとしたら、表現の自由もへったくれもなくて、セックスも暴力も売るための「モノ」、その対象にされる子供も女性もすべて商品の部品という「モノ」ということになりそうだけど。ふむ、日本の新聞サイトに毎日のように登場する「児童買春」や「盗撮」や「痴漢」で逮捕された連中も、単に「モノ」をいじっていたつもりだったのかな。

それにしても、分別あって然るべき人たちがいい年こいて「つい出来心で」手を出しては、捕まってマスコミに「さらし者」にされているのをいやというほど新聞やテレビで見ているだろうに、まるで暗示にかけられたかのように同じことをしてあっけなく人生を棒に振ってしまう人が後を断たないようなのはどうしてなんだろうなあ。みんな一生懸命に受験勉強して、いい大学に入って、いい仕事について、人並みに結婚して子供を作って、いい給料をもらって家族を養って、それぞれに普通の人生を歩んできたんだろうに、あるとき「つい出来心」。おかげで勤め先はクビになるだろうし、妻子に捨てられるかもしれないし、友だちからも疎遠にされるかもしれない。後先を考えない子供じゃあるまいし、日本では「敗者復活戦」はまずないってことを考えてみなかったんだろうか。それとも、ストレスがたまりすぎた挙句に一瞬だけ子供に返って目の前の「モノ(おもちゃ)」に手を伸ばしたのかなあ。今ひとつ理解に苦しむんだけど・・・。

ま、せっかくの休みなんだから、もやもやしていないで、また「パックマン」で遊ぼうっと。

大人の時間を楽しめる時

5月22日。三連休の土曜日。昔から花や野菜の苗を植え始める、いわば庭の「衣替え」のような週末なんだけど、なんかちょっと寒いなあ。カレシが冬中家の中に置いてあったゼラニウムを庭に植えたけど、なんとなく寒そうに見える。それでも、すごい暖冬だったせいだろうけど、ゴルフ場のハコヤナギはもうふわふわした綿毛を飛ばしている。たいした数はないのに芝生が白くなるくらい飛ばして来るから、換気装置の給気口のメッシュについて、我が家は窒息状態になってしまう。窒息はおおげさだけど、換気装置のモーターによくないから、ブラシで掃除をして、フィルターを取り替える。まあ、これも春のメインテナンスなんだけど。

カレシが庭に出ている間、何が何でもまだ休みとばかり午後いっぱいパックマンで遊んでいたら、レストランから予約確認の電話。おかげで「どこへ行くか内緒だよ」と言ってたけど、ばれちゃったじゃないの。まあ、Blue Water Caféだろうと見当はつけていたんだけど。オリンピック以来ダウンタウンの駐車メーターは制限時間2時間までのままで午後10時までになったもので、夜のお出かけには車は不便。食事の途中でメーターまでコインを足しに走るわけにも行かないしね。その代わり、というわけじゃないけど、地下鉄ができたのは大助かり。往復で2人分だと駐車料金よりも高くつくけど、時間を気にしなくていいし、食事の後でGeorgeに寄ってちょっと一杯、ということもできるし。

土曜日ということもあってレストランは大繁盛。イェールタウンという場所柄かなり景気の良さそうな人たちが多いけど、どっちかというと若い世代が目立つ。今夜の出だしのカクテルは揃ってネグロニ。カレシは地場産のえびのサラダとオヒョウ。ワタシはケベック産のフォアグラとイワナ。ワインはカレシの一番のお気に入りのニュージーランドのソヴィニョンブラン。魚料理に合わせて毎晩白ワインを飲むようになって、いろいろと試しているうちにこのマールボロ地方産のソヴィニョンブランが一番口に合ったんだそうな。「経験を積んでわかるもんなんだよな」とカレシ。そりゃあそうだろうな。何にしても初めっからどれが自分に一番合うかなんてわかるわけがない。なにごとも試して、経験してみなきゃ。結婚もそうかもしれないよ。明らかに大きな問題がある場合はまったく別だけど、「本当にこの人で良かったのか」なんて20年も30年も経ってみないと結論出ないものなのかも。

わりと神妙な顔で「そうだなあ」なんて言っていたカレシ、ふと「東京のレストランではずいぶん年の違うカップルがいたなあ」と言い出した。そういえば、「日本じゃ夫婦揃って食事に行くってことはないのかなあ」なんて言ってたっけ。たしかにホテルのレストランでは50代くらいのおじさんと若い女性の年の差カップルがけっこういた。どう見ても父と娘という雰囲気ではないし、商談という感じでもなかったし、キャバクラ嬢じゃないのかと思うような女性もいた。とんかつ屋のような少し大衆的なところには夫婦らしい熟年カップルも普通に見かけたから、夫婦で外食しないわけでもなさそうで、とすると、年の差カップルたちはいわゆる婚活中のお見合いデートなのかもしれないな。もちろん、糟糠の妻はそこいらのとんかつ屋あたりで済ましておいて、若いオンナノコにはいいところを見せたいという浮気おじさんもいただろうけど。それにしてもカレシさあ、チラチラと観察していたのは年の差カップル、それともオンナノコの方・・・?

ダークチョコレートがたっぷりのデザートまで平らげて2人とも満足、満足。その足でGeorgeに寄って、カクテルを一杯やりながらまたひとときのおしゃべり。東京でも何度かホテルのバーでグラスを傾けながらおしゃべりしたっけなあ。ちょっぴり大人の時間を過ごしているという感じで楽しかった。まあ、カップル歴35年の2人だから、そろそろ大人の時間を楽しめる年になって来たのかも・・・。

海外生活は大変と言うけど

5月23日。日曜日。まだ寒いなあ。東部の方は夏の容器だそうだけど、西の端っこのこっちでは、天気予報は雨傘マークがずらりで、平年より寒い日が続くらしい。この異常天候、アイスランドの火山噴火と関係があるのかな。

今日は三連休の中日だけど、「休みモード」は一応今日までということにした。日本では月曜日が開けるし、今週はすでにカレンダーに2つ「納期」のマークがあってやっぱりちょっと気になるし、それよりもな~んとなく「ヒマだなあ」という気持になってきて落ち着かないことこの上ない。休みだからって何もせずにだらだらしているのもけっこうくたびれるのだ。洗濯くらいやればいいんだろうけど、それはちょっとめんどうくさい。まあ、「だらだらモード」をもうたくさ~んと音を上げるところまでやっておけば、しばらくは仕事にかなりの気合いが入るからいいんだけども。

小町横町ではまだ例の「海外からの投稿に対する違和感」と「海外では日本人の敵は日本人か」というトピックがまだ続いている。結局のところは、日本人はとにかくどこであれ、誰であれ、互いの存在がおもしろくないんじゃないかという印象が強まっただけで、建設的な議論にはならない。匿名掲示板だから当然かもしれないけど、やっぱりムラ社会意識丸出しの観はあるなあ。それに対して、新しく見つけた『海外生活のココが大変っ!!』というトピックはおもしろい。「海外で生活しているというと、一見華やかなイメージを持たれがちですが」という切り出しには、えっ、バブルからこの方日本人が海外に溢れているのに、日本では未だにそんなイメージがあるの?と思ってしまったけど、まあ、トピックを立てたご本人がそう感じているとしたら、きっとカワイイ人なんだろう。

とにかく、海外生活のいったい何が感嘆符を2つもつけるほど大変なんだ?と思って読み進んでみたら、なんだ、定番の「こういうときに日本だったら・・・」、「日本ではありえない」。海外生活が比較的短い人たちの書き込みが多いような。そりゃあ誰だって初めのうちは食べなれた、使いなれた日本のものが恋しくなるのはあたりまえ。特に今の時代ならどこでも何でも手に入るという期待感もあるだろうから、手に入らないことでホームシックになりやすいのかもしれない。だけどなあ、何につけても「日本だったらこうなのに」、「日本だったらこんなことはないのに」、「日本だったら考えられない」とグチグチ言っている人たちのなんと多いこと。自分が外国に住んでいることはわかっているんだから、日本とは違うんだということくらい思い及ばないのかなあ。それとも、「華やかなイメージ」を抱えて来たもので、イメージと現実の違いに「日本だったら・・・」とため息をついているのかな。まあ、マスコミが喧伝する「イメージ」に洗脳されやすい人も多そうだからそれもありかなあ。それでも、日本に顔を向けているときは「海外生活」を謳歌しているとアピールするだんろうか。(海外からの投稿に関するスレッドを読んだ限りではどうもそんな印象になんだけど。)

もっとも、一時的な海外生活なら日本に帰るまでの「仮住まい」なんだから、日本と同じ環境を期待したり、求めたりして、「日本が一番だ!」と確認して安心するのはありだと思う。日本に帰ってから今度は「海外では~」とやって周りから総すかんを食う人たちも多いらしいけど、それはほんの何年か日本で暮らして帰ってきたカナダ人も「日本では~」とやるから、まあ「異国みやげ」の変形ってことで聞き流せばいいことだと思う。昔からマルコ・ポーロを初めとして世界のどこの人間もそういうみやげ話をやって来たわけだし、自分に珍しかったことを開いてかまわずしゃべりたいのは人間の性ってもんだと思うけどな。現に、カレシだって、日本に夢中だった頃は住んだこともないのに、何かにつけて「日本では」とやってたもんなあ。

いろんな理由で外国に永住を決めた人たちの場合、最初の数年はちょっとした不満や不都合の愚痴に「日本だったら」という枕詞をつけるのは、まだ日本と「へその緒」で結ばれているってことだろうからわかるような気がする。だけど、それが10年、20年と経ってもまだなお「日本だったら~なのに」と嘆いているのはどういうことなんだろう。そんなに長い年月を暮らしていてもまだ「仮住まい」の感覚が抜けてないものなのかなあ。ひょっとしたら、そういう人たちは単に異環境への適応能力が低いのか、能力はあっても何らかの理由で適応しようとしない(したくない)のか、あるいは不平不満の原因は住んでいる環境とは関係がないのかもしれない。中には日本にしがみついているうちに故国が「比類なき理想郷」に昇華してしまって、永住の地への適応をますます頑なに拒絶するようになる人もいる。そこまで行ったら悲劇だろうと思うけど、異国での生活にはその人の性格が如実に現れるということかな。大変なのは「生活」なんだけどなあ、世界のどこにかかわらず・・・。

お金はやっぱり魔物なのか

5月24日。連休最終日の月曜日。国境は買い物から帰ってくる車の列で何と3時間待ちだって。まあ、カナダドルがアメリカドルより高くなっていた4月の復活祭の四連休のときは4時間待ちだたそうだから、まだいい方だけど、あの頃に比べたらかなりレートが下がっている。それでも3時間待ちってのは・・・。

まあ、今は米加の国境を越えるのにパスポートがいるようになったし、連休ともなればたいがいの人が「ショッピング」に行くとわかっているから、税関の検査が入ったりして時間がかかるのかもしれない。免税枠は24時間以内だとたったの50ドルだけど、48時間以上だと400ドルだから、もう1泊するかしないかでその差は大きいもん。我が家はモノよりも「皮下脂肪」をおなかに巻いて持ち帰ることが多いけど、あはは、こっちは無制限に免税で、申告の必要もなし。ただし、ボディスキャナがフル稼働するようになったらどうなるかわからないけど。

テレビのニュースを見ていたら、ビクトリア女王の生誕を記念する祝日ビクトリアデイの連休だというのに(は関係ないか)、イギリスのヨーク公アンドルー王子の元妻セーラ・ファーガソンがまたもやスキャンダルを巻き起こしているらしい。どうやら今度は男遊びじゃなくてお金。元夫との接触を仲介する代わりに大枚の報酬を要求しているところをこっそり録音され、札束をアタッシェケースに詰めて持ち帰るところをばっちり隠し撮りされてしまっている。この人はしょっちゅう破産寸前の状態だと噂されているけど、イギリスのエリート社会の片隅で生まれ育ったにしてはあまりお品がよろしくないなあ。少しは分別があってよさそうな年だし(50代になって分別をなくす人もいるけれど)、それに2人の娘の母親なんだから・・・。

まあ、貴族階級って意外と「お手元不如意」が多かったんじゃないかという感じがある。貴族なんてのは働いてお金を稼いで生活する職業じゃないから、きっとお金の価値を知らず、経済情勢の変化にも疎くて落ちこぼれた人が多かったのかもしれないな。ビクトリア朝時代のイギリスでは、上級貴族たちがこぞってアメリカの成金のお嬢様を息子の嫁に迎えていた。もちろん莫大な持参金付きで。(メグ・ライアンとヒュー・ジャックマンのロマンチックコメディ、『Kate & Leopold』のストーリーは貴族の苦しい財政事情も背景のひとつになっていたっけ。)相愛の恋人がいたのにマールボロ公爵のところへ嫁にやられた鉄道王コーネリアス・ヴァンダービルトのひ孫コンスエロはその代表格と言えそうで、マールボロ公は奥方の実家の莫大な援助で先祖伝来のブレニム宮殿を修復・改装したとか。コンスエロは跡取りを生んだ後で婚姻を無効にさせて、フランスで幸せな結婚をしたそうな。(ちなみに、このコンスエロの従弟の娘がデザイナーのグロリア・ヴァンダービルトで、幼いうちに父親から莫大な遺産を相続したために、その管理をめぐって母親と父方の伯母が裁判で養育権を争い、マスコミの寵児にされた人。CNNのリポーターだったアンダーソン・クーパーはそのグロリアの息子だけど、これは余談。)

まあ、やっぱりお金というのは魔物だ。どっさりあったとしても、「それで何なの?」という人もいれば、自分がうれしいことに使う人もいるし、使っても使ってもうれしくない人もいれば、なくなるのが怖くて貯め込むだけの人もいるし、何らかの価値を生み出すことに使う人だっている。なければないで、それなりに暮らして満足な人もいれば、もっと欲しくてがんばる人もいるし、持っている人を羨んでばかりの人もいる。お金があってもなくても、すべてものの価値をその多寡で測ろうとする人もいる。お金があれば幸せになれるわけではないし、ないからといって不幸せになるわけでもないんだけど。「お金で幸せを買うことはできないけれど、お金があれば今持っている幸せが倍になる」と言われるけど、お金が増えたために幸せが半減するってこともあるだろうし、小さい幸せならお金で買えるものだってあるかもしれないし・・・。

お金に対する見方や扱い方にその人それぞれの価値観が現れるのかもしれない。だったら、人間が作り出したものだし、まったくなしで暮らすわけにも行かないから、人間たるものお金についてもう少し賢くならないと・・・。

ぐうたらなおふたり様

5月25日。連休明けの火曜日。ちょっと曇りがちで、まだちょっと肌寒い。もう5月も終わりだというのに、今年は二階のベッドルームのエアコンをほとんどかけていない。それでも暑がり屋のカレシが文句をいわないくらいだから、ほんとに寒いんだと思う。

今日はまず、きのう始めた洗濯を終わらせる。いつものことなんだけど、洗濯機を回し始めてはケロリと忘れ、終わって1時間以上経ってからふと思い出し、ドライヤーに移して第2ラウンド。それを思い出すのはまた時間が経ってからで、乾いたものをバスケットに出し、2回目をドライヤーに入れて、第3ラウンド(ランドリーシュートのドアが重みで開き始めるくらいたまっている・・・)。それを夕食後に思い出して、最後の第4ラウンドは設定変更が必要な「冷水・手洗い」指定の洗濯物。第3ラウンドの乾燥がワンサイクル終わる頃はもう夜中で、(詰めすぎて)すっかり乾いていないんだけど、戸建とはいえ夜中過ぎにドライヤーを回すのはちと気が引ける。結局は、ドライヤーのドアを開けたままにしておいて「自然乾燥」。あはは、まさに主婦失格だ、こりゃ。

主婦業の方はどうしようもないので、休んでいる間に増えた仕事にかかる。こっちの方はほどほどにうまくやれているから、ビジネスウーマン業は一応は合格点かな。結局のところ、両方ともバリバリと兼業して合格点を取るというのはやっぱり大変なのだ。どっちかで合格点を取れたら良しとするのが無難だと思うんだけど、そのあたりの「仕訳け」も、世間や家族の圧力みたいなものがあってかなり難しそう。女もツライよね、寅さん。バブル崩壊からほぼ20年。共働きしないと生活水準を維持できない環境になりつつあるらしく、小町横町の井戸端でも(公平な)家事の負担、生活費の負担の割合について、愚痴をいい合ったり、どうしたらいいのと相談したり。どっちか手が空いたほうが適当にやればいいんだろうけど、なぜか深夜まで残業しないと仕事が終わらないらしい日本の労働環境では、帰宅が早いのは妻という場合が圧倒的だろうから、「私だって働いて疲れているのに、なんで私ばかりが家事をやらなくちゃならないの?」という苦情が出てくるだろうな。妻の方の収入が多かったりしたら、もう「絶対的に不公平だ!」ということになってしまいそう。

だけどつまるところ、二兎を追うことはできても、両方とも捕まえることはまず無理。あっちへ追いかけ、こっちへ追いかけして、へとへとになるのがオチだと思う。男は結婚しても最初から一兎しか追いかけないのが多いんだから、女だって・・・と思ってみるけど、男と女が一緒に暮らせばいやでもそこに「家事」が発生するし、それに関連する費用も発生してくる。そこで、対等な人間同士ってことで自分のことは自分ですると割り切って「おひとり様×2」にする手もあるだろうけど、それじゃあただの同居で、共同生活にもならないような。「夫婦」という単位になればどうしたって2で割れ切れない家事や出費があるわけなんで、それじゃあと(日本で可能なのかどうか知らないけど)共同名義の口座を作って、公平に世帯費用を出し合って、公平に家事を分担することにしても、今度はどっちの方が自由になるお金が多いかとか、貯金が多いとか、相手がきちんと家事をこなしていないとか、やり方が悪いとか、いろんな不満が出て来るらしい。そこに「自分は損をしたくない」という心理が働くのかもしれないけど、社会も経済も停滞して閉塞したような環境ではおひとり様でさえ大変なのに、おふたり様になるともっと大変。子供ができたらもっともっと大変・・・。

長いことワタシが家事100%、仕事も100%だった我が家は、いろいろあった後で共同参画ということにはしたけど、別に収入の比率に応じて家事分担の比率を決めようとは思いつきもしなかったし、誰が何をするかという話し合いもやらなかったもので、今では二人にとって食べること以外の家事は「ついでの仕事」のようなもの。おかげで、掃除は外注、家の中は散らかりっぱなし、洗濯物は積み上がるばかりで、たまに洗濯機を回せば2日がかり。だけど、それで仲良く「ぐうたらなおふたり様」で不満もなく気楽に付き合えるようになったから、人も人生も夫婦もいろいろあっておもしろいと思う。

住みやすさランキング

5月26日。水曜日。雨模様。トロントやオタワはえらい季節外れの猛暑らしいけど、ロッキーのこっち側はまだ肌寒い。正午前に電話がなって目が覚めた。シーラから「今日はランチの後に行くからね」というメッセージ。そっか、大掃除の日だ。ランチの後ということでしばらくベッドの中でだらだらして、正午過ぎに起床。朝食がすんで、さて、というところでシーラとヴァルがレクシーをお供に到着。オフィスの掃除が先に終わって、ワタシは午後5時が期限の2つの仕事の仕上げ、カレシは今夜の英語教室の教材の準備にかかって、まあごく普通の日。
今日のローカル新聞にはなんとなくつながりがありそうな、「へえ~」という記事がけっこうあっておもしろい。イギリスのコンサルタント会社マーサーがニューヨークを100として「クオリティオブライフ」を測定した毎年恒例の世界の221都市のランキングで、バンクーバーはウィーン、チューリッヒ、ジュネーヴに次いで、ニュージーランドのオークランドと同点の4位。6位は0.2の差でデュッセルドルフ、後に同点でフランクフルトとミュンヘンとドイツ勢が続いて、これにスイスのベルンとオーストラリアのシドニーを入れてベスト10。ヨーロッパではパリは34位、ロンドンは39位。アメリカのトップはホノルル(31位)、次いでサンフランシスコ(32位)、基準になったニューヨークは49位だった。日本の都市のトップは東京で40位、すぐ後の41位が同点の神戸と横浜で、大阪は51位、名古屋は57位。北米のベスト5はカナダの都市が独占。アジア太平洋でのベスト5はオーストラリアとニュージーランドが占めている。

エコ都市としてのランキングでは、カルガリーが1位。バンクーバーはモントリオールと同点の13位。まあ悪くないところかな。日本勢では9位の神戸がトップ。次いで横浜が37位、名古屋と大阪が同点の50位。ちなみに、エコ都市の考査項目は水道普及度、水の飲用適性、廃棄物処理、下水道の普及度、大気汚染、交通混雑だそうな。都市ランキングで最下位の221番目はイラクのバグダッドだった。(ランキング好きの日本のマスコミにはまだ出てこないのはどうしてかな?)ま、上位は去年のとあまり変わっていないし、バンクーバーは他のQOLランキングでもベスト5の常連なんだけど、それでも新聞のコメント欄にはさっそく「バンクーバーは全然住みやすくなんかないじゃん!」といった類のコメントが並んでいる。まあ、別の記事を読めば、そういう反論が出て来るのもわかるけど。

その別の記事というのがバンクーバーの住宅市場の話。マイホーム実現の難しさでは世界のトップクラスなんだそうで、典型的な二階建ての家の場合、ローンや税金、維持費、光熱費などにかかるコストが税引き前の平均世帯所得の73%という信じられない数字。これじゃ平均的な家族は共働きしたってバンクーバー市内に家を買うのはとうてい無理。だから、マイホームは夢のまた夢だし、物価も高いし、通勤は大変だし、何でバンクーバーのQOLが世界トップなんだっ!ということになるわけ。だけど、すでにマイホームがあって、ローンもほぼ完済して、人並みの職について収入を得ていれば、バンクーバーはすごく住みやすい都市なんだと思う。世界ランキングの上位にロンドン、パリ、ニューヨーク、東京といった巨大都市がないのも「住みやすさ」について何かを示唆しているように思うけど。

住宅の価格いろんな要因によって上がり下がりする「相場」なんだけど、そのバンクーバーの一戸建て住宅は平均世帯所得の10年分に近いという話。カナダ統計局によるとBC州の人口は今後25年間で現在の倍近くに増えると予測されるそうで、その大半がおそらく主要都市に集中するとすれば、不況や供給過剰があれば一時的に下がることはあっても、全体的にはこれからも上がり調子なんだろうという感じがするな。ローカル掲示板には「カナダ経済はそのうち破綻して、不動産も暴落するから、半額になるまで温かく見守ろう」なんてどこそこちゃんねる風の仮想的期待感に溢れた論議もあったけど、この分だと日本に帰って家を買った方が早いかもなあ。

もうひとつ、そうだろうなあと思った記事。2006年の国勢調査の分析によると、カナダでは(事実婚も含めて)異人種カップルが急速に増えているという。これだけ移民が入ってくれば、人種の違う男と女が出会って恋に落ちる確率もぐんと高くなるだろうから、異人種婚が増えるのも当然だろうな。だから、異人種カップルの割合がカナダで一番高いのはバンクーバーなのは不思議でもなんでもない。割合はカップル全体の8.5%だそうな。あんがい来年の国勢調査では10%を超えるかもしれないな。ちなみに、外国生まれの移民一世の異人種婚の割合は12%だけど、親が外国生まれの移民二世になるとこれが51%に跳ね上がり、両親ともカナダ生まれの三世の世代では69%という高率だそうな。なるほど、そうやって何世代も、何世紀も経て、やがて雑種の「カナダ民族」ができるあがるんだろうな。喜ばしいことだけど、ワタシの遺伝子がその中にないのはちょっぴり残念かも・・・。

そういうことなのだよ

5月27日。木曜日。何となく目が覚めて、何となくくっつき合って、うとうとしていたもので、起床は午後12時半。曇り空。小雨もようの予報。今日は二人とも「やることがいっぱい」の日。
カレシはiPodを満タンにして、イアバッドを耳にねじ込んで、その上に産業用のイアマフをして庭仕事。裏庭はあやめが花盛り。西洋わさびの白い花といっしょに小さなブーケにして持って来てくれたから、さっそく花瓶に入れてリビングに。前の庭にマリゴールドの種を撒いたよとの報告で、前庭を見ると、今真っ赤なけしの花が盛り。大きいから6個もまとめて咲くと壮観。その足元にマリゴールドを撒いたんだそうな。我が家の庭はどこのうちにもある芝生がないし、そこへカレシが適当なところに適当に植えるもので、裏も表も雑然。おまけにさして広くもないのに、木が多すぎて、隅っこのほうは昼でもうっそうとしていたりで、感想に困った人が「まさにウェストコースト式だね」と評してくれたけど、まあ、要するに「野放図ガーデニング」ということだよ、キミ。

この春はアメリカドルと等価になるくらい上がっていたカナダドルだけど、先週からユーロ圏の財政危機問題であれよあれよというまに数セントも下落。「それっ、潮時!」とばかりにアメリカドル口座に貯まっていた翻訳収入をカナダドルの口座に移したら、今日はもう2セントも上がっている。ふう、タイミング、良かったなあ。別に為替でひと儲けしようというわけじゃないけれど、額に汗して?稼いだお金だから、手取りは少しでも多い方が気分はいい。そこで、アメリカドルがまとまった額になってきたら、毎日カナダ銀行のサイトでその日の相場を一応チェックして、「まあ、いいか」というレートになったところで資金移動。同じ銀行の同じ名義の口座だからか、銀行間での移動よりはずっとレートがいいし、手数料はゼロ。ただし、移動する金額を入れると振り込まれる額といっしょに「制限時間1分」のメッセージが出るのは、リアルタイムの相場だからだろうな。客がトイレにでも行って考えている間にレートが大きく変わったら銀行は損をしてしまう。ふむ、またカナダドルがどんと上がったら、今度はアメリカドル口座に移して、そっちが上がったら・・・こら、そういうのを投機というのだよ、キミ。

今週中に納期がある仕事2つ。なんだか少し遅れ気味のような感じがする。もう1個は小さい目だからいいけど、先に済ませる方は推定で数千ワードは行きそうなやつなのに、まだ5ページしかやってないぞ。来週からはその倍以上のでっ~かいのがあって、ねじり鉢巻になりそうだってのに、大丈夫なのかなあ。日本はどっちも向いても不況だ、不況だと言うし、仕事が減ったと言う人もいるけど、なぜか極楽とんぼジムショは仕事が増えているような。まあ、何でも能天気に引き受けてしまうせいもあるんだけど、裏を返せば、「私は~が専門で」と胸を張らずに(胸を張りたくても張れる専門がないのが現実・・・)、やれそうな仕事を大小を問わずにこまめに拾っているということでもある。なまじっかすごい学歴や高度な専門知識があるばかりに高いところで不況を嘆いている人もいるかもしれないけど、邪魔になるプライドも何もないワタシはその足元でせっせと落穂ひろい。小さな仕事だって積もればちょっとした山になるんだから、ほんと。そう、何でも屋だってニッチ分野なんだよ、キミ。

よ~し、腕をまくって、がんばろうね、キミ。

午前4時の寝酒の味

5月29日。やった、やった。午前4時。親指どころか、人差し指もしくしくと痛くなって来て、どうしよう~と思ったけど、とにかく期限に間に合って終了。

がんばったんだから。小町横丁には足を向けなかったし、パックマンもやらなかったし、ジグソーパズルもやらなかったし、ああだこうだと気を引こうとするカレシには「話しかけるな!」とお達しを出したし。まあ、だらだらしてないでぼちぼちとでもやっておけば余裕で終わってたんだろうけど・・・。

店じまいして「イェ~イ」と叫んだら、草木も眠る丑三つ時さえとっくに過ぎてしまった午前4時なのに、カレシが「レミとグラス、テーブルに出しといたよ~」。おいおい、今頃は日の出が午前5時ちょっと過ぎ。こんな時間に寝酒なんかやっていたら、日が昇って来て(雨、降ってるけど)、寝酒どころか朝酒になってしまうと思うけど。

とかなんとかいいながら、しばしグラスを傾けてしまう二人。ふうう・・・。

男子おだてれば厨房に入る?

5月30日。日曜日。午前4時半にもうひとつ納品して、就寝は午前5時。小雨模様だけど、東の空がぼうっと明るくなっていた。とにかくそのまま寝て、起床は午後1時の手前。次の大きな仕事にかかる前にと、今日1日は休みモード。世間さまな日曜日なんだもん。

半日くらいですみそうな小さな仕事に「超過勤務」になってしまったのは、シーズン最後のコンサートがあったから。テーマはロシア音楽で、前座?のバラキレフに始まって、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。ソロのダレット・ズスコはトロントの若手ピアニスト。よくあんなに指が動くもんだと感心しているうちに親指が痛くなって来た。休憩をはさんで、第2部の最初はオリンピックにちなんで募集して披露してきたカナダの若手や無名の作曲家たちの最後の作品。札幌生まれで、子供の頃の札幌オリンピックの直前に家族でカナダへ移住して来たというリタ・ウエダという女性が、復元するという約束で破壊された恵庭岳の森林が40年近くを経てもまだ傷が癒えていないのを見て書いたという曲。ワタシには少し前衛色が強すぎるような感じだった。

後はグラズノフのワルツ、ショスタコヴィッチの『タヒチ・トロット』。アメリカでヒットしてたミュージカルの中の『二人でお茶を』を1時間でオーケストラ用に編曲できるかという賭けをして、45分で書き上げたものだそうだけど、聞いていたら何となくフルシチョフやブレジネフの苦虫をかみ潰した顔を連想してしまって、おかしかった。打ち上げはハチャトリゥアンの『ガイーヌ』から、『剣の舞』、『子守歌』、そして『レスギンカ』。有名な『剣の舞』はそれなりにいいけど、『子守歌』はしっとりとしていて好き。特に最初の部分は日本各地にある「○○地方の子守唄」のメロディを思わせるところがあって、ワタシの耳には「竹田の子守唄」が聞こえた。このあたりを尺八で演奏したら、知らない人は日本の民謡だと思ってしまうかもしれないな。ハチャトゥリアンは西アジアの民族アルメニア人。やっぱりアジアは西の端から海を越えた東の端までいろんなところでつながっているってことだなあ。

というわけで、帰って来たらもう11時近く。それからランチを食べて、「期限は午前7時だ!」とオフィスに駆け込んでの猛ダッシュ。う~ん、お出かけの前にもうちょっとがんばっておけばよかったのになあ。だけど、きのうの今日みたいな気分だったし・・・ま、間に合ったからいいけど。

朝食が終わったらもう2時に近い時間で、急いでブロードウェイのCookworksへ炭酸水を作る道具を買いに行った。カレシは制酸薬代わりに昔ながらのソーダサイフォンを愛用していたんだけど、カートリッジが手に入りにくい上に、ピンが曲がったのか腐食したのか、炭酸がサイフォンの外へ漏れるようになって、だいぶ前から使い物にならなくなってしまっていた。そんなときに郵便の宛名に押して判読不能にするスタンプを注文したついでに、おもしろいものがないかなあとカタログサイトをぶらついていて見つけたのがペンギンの形をしたソーダストリームの炭酸水メーカー。かわいいんだけど・・・と、別なデザインを探して見つけたのが同じ会社のピュアというモデル。すっきりしたデザインで、1リットルのペットボトルが2本と炭酸水が60リットルくらい作れるカートリッジが1本付いてきて、ペンギンよりずっと安い。ところが見つけたサイト(Williams-Sonoma)はカナダへは発送してくれない。ならばバンクーバーの店にあるかもしれないと、さっそくカレシが電話したら「ありませんが、Cookworksでペンギンを扱っているので問い合わせてみたらどうですか」と同じエリアにある競争相手を紹介してくれた。で、行ってみたら、あった!新製品ということで、アルミ缶やペットボトルのリサイクルの手間が省けるし、使用済みのカートリッジは再充填するので「エコな道具です」と実演販売中。作った炭酸水に入れる子供の好きそうなフルーツやコーラなどのフレーバーもあって、かなりよく売れているという話だった。

カレシは「実演なんかどうでもいいから」とさっそく買ってしまったので、レジで預かってもらって、順序が逆だけどやっとゆっくりと店の中を見て回ることができた。アメリカへ行くたびに見つけてキッチンの小物を買ってくるCrate & Barrelと同格の店というところか。便利そうなものがいっぱいある。ワタシが気に入っているチタン加工でくっつかないフライパンも置いてあるぞ。デンマークのスキャンパンの製品で、油なしでも料理できて、金属のフライ返しを使ってもテフロン加工のように傷つかないし、剥がれてくることもない。12インチの大きいのが欲しいと思っていたところなんだけど、カレシがでんとした感じのBrevilleのジューサーを見つけて「これ、欲しい」。今あるプラスチックのは軽いので、使っているうちに動いてしまって、ジュースが受ける容器に入らずにカウンターにこぼれることが多い。目の前にあるBrevilleのは倍以上の値段だけど、金属部分が多くて重そうだし、大き目の容器もパイプを差し込むようになっているからそう簡単には外れないだろうな。さっき炭酸水メーカーを買ったときにポイント制度に(カレシの名前で)登録したんだし、この次はジューサーを買いに来ようか。

炭酸水でカクテルを作ってもらって、ジューサーで新鮮なジュースを作ってもらって・・・というのも悪い気はしないなあ。カレシさあ、次はどんな道具が欲しい?いや、鼻薬をきかせようというつもりはこれっぽちもないんだけど・・・。

無限の宇宙のど真ん中

5月31日。月曜日。5月も今日でおしまい。んっとに早いもんだ。いや、まだ雨が降って寒々としているところを見ると、あんがい時間の足が遅すぎて、まだ冬なのかもしれない。実際は、空が灰色だから寒々として見えるだけで、気温は平年よりぐんと低いわけではないんだけど。ともかく、ちょっとだけ早寝したおかげで、今日は正午前に目が覚めた。

月末なのでまずは請求書の処理から。請求しなければお金が入ってこない。お金が入ってこないと生活に差し支える。もっとも、仕事をしなければ請求するも何もないんだけど、それがビジネスかな。朝日新聞のサイトに、日本の若い人の間で昔ながらの年功序列制度への回帰志向が強まっているという、ある調査の結果が出ていてちょっとびっくり。同じ日、AP通信が、日本の女性は年代が若いほど専業主婦志向を強めているという、厚労省の調査結果を報じていて、またびっくり。平成っ子が「ダサい」と切り捨てたはずの「昭和」が懐かしがられているらしいし、ポストバブル時代の失われた10年が20年になり、依然として出口が見えて来ないような状況で、日本は疲れてしまったのかなあという感じがする。それこそ社会が疲弊してしまって、「一億総うつ病」みたいなことになってしまわないといいけど。

ストレスや疲れがたまってくるといやでも気持の潤いがなくなりがちなのが人間。お金が絡んでくると、潤いどころか、カラカラに干上がって(嫉妬と言う陽炎が立っている)砂漠になってしまう人もいるな。小町横丁にも、不景気で夫の収入が減ってけんかばかりするようになった夫婦や、(自分より)経済的に豊かな人が羨ましい人、妬ましい人、しまいには僻みが高じて被害妄想に陥っているような人がぞろぞろ登場する。そういうトピックにはやたらと大きな数字を挙げて(たいがいは夫の)高収入を披露する頓珍漢夫人もぞろぞろと登場する。ただヒマなのか、「かくありたい自分」の姿なのかわからないけど、しまいには経済的レベルが違う人と付き合うのは難しいとか何とか。(ついこの前までは学歴の違いが障害になっていたようだけど。)

世の中は人それぞれなんだから、自分が可もなく不可もなしと思えたら、「釣り合わない人」とも気楽に接することができそうに思うけどな。まあ、向こうが気楽に接してくれるかどうかはわからないけど、そこは、あちらしだいだと思う。「去る者は追わず、来たる者は拒まず」と言うから。みんなが横並びで(たぶん)うまく釣り合っていたと思われる「一億総中流意識」が昭和の華々しい高度経済成長時代の産物だとすれば、平成時代になってなかなか新しい「一億総○○」が出現しないことで、ポストバブル社会に適応するためのよりどころが見つからずにイライラして疲れているという面もあるかもしれない。社会が適応障害なのか、人が適応障害なのかはどっちとも言えないけど、外から眺めていると何となくネガティブ思考のスパイラルに落ち込んでいるような感じもしないではない。

まあ、人間は誰でも持てる、持たざるに関わらず平等に「生まれたときに持って来た体」ひとつでこの世から去るわけで、それまでの最低限の生活に必要な以上のお金があるんだったら、どんどん使って天下に回した方が社会貢献になると思う。棚ぼたのお金だったらなおのこと。思うように使えるお金がないと嘆く若い世代は「年寄りは贅沢して遊んでいてずるい」と言うかもしれないけど、そもそも稼いで来た年数が違うのに、今だけを見て比べて不公平だと騒ぐ方がおかしいのだ。たくさん持っている人にどんどん使ってもらえば、回りまわって自分のふところも潤うのが資本主義経済なんで、上もなく下もない完全に平等な社会では、誰も上になれないわけで、結局みんな下に横並びすることになるんじゃないかと思うけど。

まあ、還暦を過ぎる年令にもなれば、一億人に右倣えしなくても、自分が何を「よりどころ」とするかによって、人生も日常生活も満足だったり、あるいは不満たらたらだったりするものだというくらいの悟りは開けると思うな。長いこと働いたり、家計を切り盛りしたりして来たんだから、お金の価値観もそれぞれに落ち着くところに落ち着いてくるだろうな。いろいろな世間や人を見てきたんだから、上を見ればキリがない、下を見てもキリがなくて、左右を見てもキリがない、自分はいつもその無限のものさしの中間にいるんだという悟りのような境地にも近づけるかな。無限の宇宙のど真ん中ではまさに日々是悠々自適。そうか、妬み、僻み、嫉みで他人との「格差」を糾弾している人たちはまだ十分に生きていないだけかもしれないなあ。人生って、けっこうあるもの・・・。


2010年8月~その2

2010年05月21日 | 昔語り(2006~2013)
大きな冷蔵庫が来た

8月11日。水曜日。おお、晴れ。天気は回復で、また暑くなるらしい。ゆうべは2人ともなんとなく寝つきが悪かったようで、ちょっと寝足りない気分だけど、新しい冷蔵庫が来るし、納品期限の仕事があるし、ボケ~っとしているわけにはいかないのだ、今日は。

朝食を始めようというところで、配達トラックからあと30分から40分で到着と連絡。午後にと指定したら午後一番か。急いで食事を済ませて、冷蔵庫のドアのマグネットを外して箱にまとめ、冷凍室(温度は20度になっていた)に入っていたものを出して段ボールに入れて、そのまま引き出した野菜入れ2つと一緒にセカンドキッチンの涼しそうなところにまとめ、冷蔵庫に残った「捨てるもの」を片っ端からゴミ袋にポイっ。古い漬物らしき真空包装パックがあったので、英語ラベルの下に隠れている賞味期限を透かして見たら「1998年12月」。うひゃあ、12年ものかあ。でも、漬物じゃ「12年かけて熟成した~」としゃれるわけにもいかないな。スコッチやコニャックじゃないんだから。指先で摘んでつぶしてみたら、あはは、パックの中で半分液状化しちゃってるわ、これ・・・。

大きなトラックが着いて、まずは撤去する冷蔵庫を引き出して横にどけてから、通過する道順の寸法を確認。設計上の欠点で、玄関を入ったらまず数段の階段を上がって、右折してリビングルームに入って、突き当たりで左折してキッチンに入り、さらに左折して、アイランドの端で右折して、キャビネット枠に位置を合わせて設置・・・という手順になるんだけど、なにしろ大きいから、玄関のドアと階段の上のドアを外すことから始まる。ついでに壁の絵も引っかからないように取り外して、いよいよ新しい冷蔵庫のお輿入れ。ゲートから運び込んでいる間に、ワタシはモップで後にたまっていた埃やくもの巣の掃除。搬入ルートはギリギリの幅なんだけど、そこは慣れたもので、ポーチで手早くドアと冷凍室の引き出しを外して玄関から入って来た。後は案ずるより何とかで、3人がかりでしずしずとリビングを抜けて、キッチンに進んで、あっという間に所定の場所にぴったりと収まった。

次は古い冷蔵庫を外へ運び出して、外したドアを取りつける作業。電源を入れてあるので、ピーコ、ピーコとうるさい。1分以上開けっ放しにすると、閉めるまで「ドアが開いてるよ~」と30秒おきに注意してくれるらしい。まさにnagwareの家電版というところだな。まあ、ドアがきちんと閉まっていなかったという「事故」が何度かあったから、うるさいけど、いいか。ドアの取り付けが終わって、配達伝票にサインして、搬入・搬出作業は完了。冷蔵庫が上だから、だだっ広い真っ白なドアにちょっぴり圧倒される気分。背丈が170センチちょっとあって、ワタシよりのっぽだから、いくら背伸びをしても上が見えない。いやあ、でっかいなあ・・・。

勢いづいて仕事を片付けて納品。夕食の魚の解凍を待っている間に、棚の高さを変えて、ドアポケットの配置換えをして、稼動準備。いやあ、たっくさん入りそう。やっぱり冷蔵庫が上と言うのは出し入れに屈まなくてもいいから楽だなあ。冷凍庫は引き出し式で、けっこう深いけど、ドア式のものよりは出し入れがやりやすそう。(黙ってついてきた製氷装置は給水の配管が必要と言うことで結局は無用の長物。幸い別にスイッチがついていたので即刻オフ。毎日大パーティをやるんならともかく、そこまでして1日100個もの氷を作る必要ってあるんかいな・・・?)

夕食を終える頃にはかなり冷えて来たので、予備の冷蔵庫や涼しい納戸に避難したりして生き残ったものを回収してきて入れてみたら、うわっ、まだまだがら空きもいいところ。解凍してしまったり、腐り始めたり、いつから置いてあったのかわからなかったりして廃棄処分になったものがかなりあったから当然といえば当然だけど、常備品を切らしたままで買わずにいたから、入れるものがあまりないの現実。まずはスーパーを巡回して仕入れてこなくちゃ。あしたは1日がかりのショッピングになりそうだから、大きなプロジェクトに手をつける前に、ここは日本式に「お盆休み」ということにするか・・・。

一難去ってまた一難では・・・

8月12日。木曜日。目が覚めたとたんから、今日は暑いぞという感じ。ちょっと涼しい間に冷蔵庫事件が解決して、ラッキー、ラッキー。これが猛暑の最中だったら、いくら予備のスペースがあると言っても、いったどうなっていたことやら・・・。

よく考えると、子供の頃にはどこの家にも冷蔵庫なんて便利なものはなかったなあ。どこでもお母さんが毎日買い物かごを持って商店街に夕食の材料を買いに行っていた。(ただし、これは北海道の話で、津軽海峡以南ではどうだったのかはわからない。たぶん、「戦後」といっていた時代はどこも似たようなものだったんだろうと思うけど。)カレシが子供だった頃には家に「アイスボックス」と言うものがあったそうで、文字通り「氷の箱」。小さい戸棚ののようなもので、電気冷蔵庫が買えるようになるまで、定期的に大きな氷の塊を配達してもらって入れておいたらしい。日本ではそんなものを使っていた時代があったのかな。家庭の電化は時間を早送りして、戦後にいきなりモダンなものから始まったような感じがするけど。

朝食後にまず取り急ぎ、冷蔵庫の棚の配置換え。ささっとやらないと、ピーコ、ピーコ。無視していたら、庫内灯が消えた。そっか、白熱電球が点きっぱなしだと、温度がどんどん上がるからね。ふむ、けっこう賢いじゃないの、あんたって。だいたい「まあ、当面はこれで行くか」という配置になったところで、今日はまず野菜や果物の大量仕入れ。一番大きなトートバッグ2つに一杯詰めて、家に帰ってごそっと冷蔵庫に押し込んで、今度はスーパーへ。今度は2つのトートバッグと予備のエコバッグ、さらにレジ袋ひとつの大量仕入れ。

こういうときに思うのは、ワタシも母の娘なんだなあってこと。戦中、戦後と厳しいモノ不足時代を過ごした亡母はあれこれと大量に買い置きする癖があった。70年代初めだったか、トイレットペーパー狂乱が起きたときは、押入れに大きな箱の買い置きがあったおかげで、騒動が収まるまで不自由せずに済んだっけ。子供は親の背を見て育つと言うけど、知らず知らずに受ける影響もけっこう大きいんだろうなあ。いや、あんがいそっちの方が大きかったりして。

一段落したところでもう夕食のしたくの時間。日本は金曜日(13日だ!)だから、一応メールをチェック。仕事の話がなくて胸をなでおろしたけど、マリルーから入院中のママの具合があまり良くないというメール。骨折の手術はうまく行って、ママも早くリハビリを終わってホームに戻りたがっていたんだけど、どうやら感染症が起きてしまって抗生物質を点滴投与しているとか。その薬のせいなのかどうかわからないけど、ちょっと言うことが混乱していたり、食欲がなかったりするらしい。う~ん、カレシは春にパパを亡くしたばかりなのに、大丈夫かなあ。

とりあえず、病院の場所を聞いて、週末に会いに行くことにしたけど、かくしゃくとしているとはいえ、92歳の高齢。免疫機能はかなり衰えているだろうし、心配だなあ。パパのときも、肺炎にかかって抗生物質がよく効かず、うんと強力なのに切り替えてみたけど、ある時点からは坂を転げるように生きる意欲をなくしてまったというし、ママは強い人なんだから、ここで感染なんかに負けちゃダメだよ。

パパのときは言動にほとんど感情を出さなかったカレシだけど、今度はちょっと動揺しているのが行動の端々に出てくる。未だに心の奥底で振り切ることができずにいるらしい「見捨てられ不安」が頭をもたげて来たのか、状況を聞くメールを送って返事がないと「メールが届かなかったか、無視されたかだ」とぶつぶつ。メールに返事がないなら、マリルーの職場にでもジムにでも電話して直接聞けばわかるだろうに、「返事が来なかった(無視されたのか?)」というところに思考がズームインして止まってしまっている。(そういえば、ニッポンのギャルに夢中だったときも、ちょっとメールが来ないと「もうボクのことが嫌いになったの?」と、被害妄想丸出しで返事を催促していたっけな。やっぱりボーダーラインの可能性が高いのかなあ。それにしても、「~してくれない」、「~された」と怒っているのを聞いていたら、なんとなく小町を読んでいるような気分になって来ちゃったけど、どういうことなんだろうなあ・・・。

13日の金曜日の戯れ言

8月13日。金曜日。「13日の金曜日」だ。なんか寝つきが悪かったのに、けっこう早く目が覚めてしまった。カレシの方はなぜかもっと早起き。早めだからベーコンポテトと目玉焼きでしっかりと朝食。今日は予告通りに暑くなりそ~。正午でもう22度になっている。予想最高気温は、今日は26度、土曜日は28度で、日曜日28度、そして月曜日は29度・・・。うは~、またまた真夏の到来かあ。やれやれ。

カレシはやっぱりママのことが心に重くかかっているようだけど、「ほんとに深刻な事態だったら電話してくるだろうさ」と、一応は落ち着いた構え。自分の気持を言葉でうまく言えない人だから、ここはしばし静観。きのうの夜は、キッチンに現れたと思うと、まだ食洗機に入れずにカウンターにおいてあった汚れた食器を1個だけ水でゆすいで姿を消すこと3度。食洗機で洗うから特にゆすぐ必要はないんだけど、どうも衝動的に何かやらなければならない気分だったらしい。今日も、午後いっぱいやたらと何かを口に入れてもぐもぐ。そうやって「間食」しながら、しばらく不要だった制酸剤をいくつもかじっていた。ストレスなのはわかるけど、メープルリッジには(個人開業の外科医院というのは原則として存在しないので)総合病院がひとつしかないことことを確かめて、住所と電話番号をメモしてあげたのに腰を上げないから、しょうのない人だなあ。ヘンな意地を張って、返事があるまで行かないつもりなの?ほんっとに困ったちゃんだねえ、あなたって。

大プロジェクトに取りかかる前に、スキャンして送られてきた何百枚もあるページを少しずつ印刷することにして、その間メールをチェックしていたら、「客先からの質問」というメッセージ。校正担当者からの質問はよくあるけど、たまにはこんな風に発注元から来ることもあって、たいていが翻訳発注の担当者が英語に精通していないらしい場合。普通なら用語や表現の選択の根拠を説明すれば納得してくれるんだけど、今度の質問は説明だけでは不足らしく、「例を示せ」という要求付きで、なんだか「信用できないから証拠を出せ」とでも言っているように聞こえる。英単語がたった2語なんだから、ちょこっとググッてみれば一般的な表現だとすぐにわかるだろうに、やれやれ、こっちはテルミー(教えて)ちゃんか。しかも、証拠を出さなければ信用しないとほのめかす、やたらと肩肘張った挑発的な構えきているから、そんな態度じゃあ、こっちだってつむじのひとつも曲げたくなる。んっとに、自分でググってみろっつうの、もう!

それにしても、こういうやたらと突っかかりたがる人、掲示板なんかにもごまんといるなあ。悪名高きにいちゃんねるはもっとすごいだろうと思うけど、ローカル日本語掲示板にも必ずいたっけ。相手の発言に突っ込みを入れているつもりなんだろうけど、鬼の首を取ったように根拠を示せ、証拠を出せというばかりで、自分の意見は述べない。まあ、自分の考えがないから言えないんだろうけど、昔のカレシもよくその手を使ったな。何の話をしていても反論のための反論としか思えない議論を吹っかけてきて、こっちが説明しようとすると「根拠を示せよ、根拠を」。どんなことにでも、いくらでも自在に反論できたのは、自分の信じるものがなかったからなのかな。

相手をねじ伏せることだけが目的の議論はモラルハラスメントの常套手段だけど、小町横町にもそういう人がちらほら出てくるようになった。例の「かわいそうな日本人」トピックでも、本当に自分の考えることを元に反論していると思えるのはほんのひと握りで、ほとんどは感情的な攻撃だった。一応は根拠を挙げてはいたけど、どうやらマスコミや政府の宣伝を鵜呑みにして受け売りしているとしか思えない「建て前」がほとんどで、さすがに「少なくとも小町にずらりと並んだタイトルをじっくり観察してから攻撃に出たらどうなのよ」と言いたくなった。こういう反射的に感情論に走る人のことは何ちゃんなんだろう。ひょっとしたら「お黙りちゃん」かな?

でも、ほんとはちょっと痛いところを突かれて、「○○国(○○人)に比べたら、~な/~じゃない日本(日本人)は進んでいる/エライ/すごい等々」と反論する人が多いのは、「自分はいかに日本を愛し、日本人であることを誇りに思う」ということが言いたいんだろううし、日本に限らず、どこの国の人間であっても、自国に誇りを持つのはあたりまえだと思う。ただし、他国(他人)と比較しての「自己評価」は、自らの手で自国(自分)の未来の変革や進歩の芽を摘み取ってしまう危険があるように思うんだけど、どうなんだろう。

変わって行く街並み

8月14日。土曜日。暑い。ゆうべは夜中を過ぎてもまだ20度以上あって、今年初めてエアコンをかけたままで寝た。どうもまだ寝つきが悪くて、5時過ぎにやっと眠りについたらしいのに、8時過ぎに猛烈な咳の発作で目が覚めてしまった。水を飲んでも止まらない。咳き込んでいるうちに、気管がぜいぜいといい出して、息が苦しくなってくる。それでもまあ、いつのまにか治まって眠ったようだけど、起きたらかなりの寝不足感。おまけに暑い。気温は正午でもう26度。とにかく暑い!

もっとも、家の中は最上階のエアコンで冷えた空気が下がってくるから、南側の窓のブラインドやカーテンを閉めておけば、汗だくになるほどの暑さにはならないんだけど、ラジオのニュースで「暑い、暑い」と連呼されると、実際以上に暑いと感じてしまうから人間の感覚っておもしろい。まあ、湿度が40%以下なのがせめてもの幸いかな。だけど、こう暑くては仕事をしようという気分にもならないので、今日はごろごろ。ママの状態は落ち着いているようだし、お見舞いに行こうにも、今日と明日は毎年恒例のアボッツフォードエアショーがあって、市内より数度は暑い郊外で交通渋滞に巻き込まれるのはつらい。ということで、月曜日に行こうという話になったけど、天気予報はまだ「30度」。はあ、暑い・・・。

地元新聞を見ていたら、開通から1年になる「カナダライン」の沿線の開発計画が急がれすぎているという記事があった。月曜日の17日でちょうど開通満1周年なんだけど、1日あたりの利用客数が想定したより3年も早く10万人を超えたという。市は地下鉄ができる前からキャンビーストリートの総合開発計画を立てていたというけど、利用する人たちが思ったより多かったのでデベロッパーの関心が高まったということらしい。キャンビーはダウンタウンから市の南端まで続く長い幹線道路で、途中にバンクーバー市役所やその石材を切り出したクィーンエリザベス公園があって、昔から独特のキャラクターを持っている。それがこれからどんどん変わっていくということなんだけど、どんな風に変わるかが問題。

たとえば、ブロードウェイとの交差点からキャンビー橋までの風景は、西側のフェアビュースロープのコンドミニアム開発が一杯になって、キャンビーを越えて軽工業?地区だった東側に建ち始めたかと思うと、さらに東のウォーターフロントにオリンピック選手村ができ、大型量販店が続々と進出してきて、交通量が多いだけで何の変哲もない交差点があれよあれよという間に活気の溢れる新しい「ダウンタウン」に変わった。Whole Foodsへ行くのにブロードウェイ駅で降りて地上へ出ると、坂道の先にキャンビー橋があり、その先にイェールタウンの高層コンドミニアムがノースショアの山並みを背景ににょきにょきと建っていて、思わず写真を撮りたくなるような景観が目の前にある。10年前にはこんな「都会化」は想像もしなかったと思う。このブロードウェイを地下鉄が走るようになれば、衰退の一途をたどっている(ように見える)ダウンタウンにとって変わることは間違いないだろうな。

ブロードウェイから坂道を上って市役所を過ぎると、地下鉄工事で一番の貧乏くじを引いたと言われるキャンビーヴィレッジで、小さな商店街と三階建ての古いアパートがいくつも並んでいて、お気に入りのレストランだった「トマト」は自動車整備工場の一部を改装した60年代のインテリアだったし、昔のバンクーバーはこんなんだったのかなあと思わせる田舎っぽい雰囲気が残っているところ。だけど、ここも古いアパートがタウンハウスに建て替えられたりして、だんだんにおしゃれな「ヴィレッジ」になるんだろうなあ。クィーンエリザベス公園のあたりからオークリッジまではちょっと高級な住宅地、バンクーバーで最初にできたショッピングモールのオークリッジは再開発を計画しているし、駅の工事の規模からみて将来は地下鉄の東西線が視野に入っているはずだと思う。その先はマリンドライブまではきっとコンドミニアムやタウンハウスが立ち並ぶようになるだろうな。

そのマリンドライブ駅のそばに計画されている大規模開発が今のところ台風の目らしい。キャンビーの西側はマーポールと呼ばれる地区で、かっては独立した町だったところ。ここにも昔の面影が残る古いアパートがたくさんあって、住民たちが計画の規模が大きすぎると、開発反対を唱えているそうな。市のゴミ収集ステーションとリサイクル場が近くにあるので、風向きによっては悪臭が漂ってくるとか。開発で人口が増えたらもめるだろうな。私たちは今のところに落ち着くまで東側にあるしょぼい賃貸タウンハウスに住んでいたけど、ゴミの臭いはしなかったと思うけどなあ。そのかわり、路地を隔てた中華料理屋からよくワンタンスープの匂いが漂って来ていたけど・・・。

まあ、バンクーバーはまだ若い都市だから、これからも街並みはどんどん変わっていくと思う。地下鉄沿線の再開発が進めば、我が家のあたりにも影響が及んでくるかもしれないな。それが良い影響になるか、悪い影響になるかはまだわからないけど、その頃には高齢化した私たちは地下鉄の駅やモールに近いコンドミニアムに引っ越しているかもしれないね。

極楽とんぼ亭:DINE-INスペシャル第28回

8月14日。木曜日、金曜日と2日がかりで3ヵ所を回って大量の食材を仕入れたので、フリーザーも冷蔵庫も久々に満杯。暑いからどこへも行かない今日は、冷蔵庫の買い替え騒動で延期していたカレシのバースデイディナーをすることにした。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(ファイロカップ入りキハダマグロ3通り)
 豆腐のバーボンコーンクリーム
 揚げギョーザ
 マヒマヒのトマトマリネ焼き、オクラ
 ローストビーフ、ポートワインリダクション、温野菜添え
 (サラダ ― ルッコラ、松の実、パルメザンチーズ)

よく作るタルタル風のまぐろからヒントを得て、わさび醤油味、しそ梅味、山椒味の3通りのキハダマグロをファイロパイの小さなカップに山盛り。指でつまんでさくっと食べられる簡単前菜。

[写真] 壊れた冷蔵庫の冷凍室から救出したコーンで作ったクリームスープの残りにバーボンウィスキーとルイジアナの唐辛子ソースを加えて作った即席のクリームソース。Hマートで買ったチューブ入りのソフト豆腐を崩さないようにそっと輪切りにしてさっとゆでたのを入れて、唐辛子ソースで彩り。まったくもって突飛な思いつきだったけど、けっこういけていた。

[写真] 鶏もも肉とニラで作ったギョーザのあんがフリーザーに残っていたので、揚げワンタン風に作ってみた。ちょっと味覚の切り替え・・・。

[写真] マヒマヒは日本では「シイラ」というそうだけど、むちっとした食感がいい。今日はひと口サイズに切ってトマトのパサタと白ワインにしばらく漬けておいて、香ばしくトーストした小麦の麦芽の衣を着けて焼いた。

ここでグラス一杯分ほど残っていたロゼを温めてアルコールを飛ばしたものをグラニータ風に凍らせて出すつもりだったのが、凍るのが間に合わなくてアウト。我が家の定番ワイン、ニュージーランドのソヴィニョンブランから、海を渡ってオーストラリアのシラズに切り替えて・・・。

[写真] カレシがたまには赤身の肉もいいなあというから、今日のメインはサーロインのローストビーフ。脂身がないのでグレイヴィーができないから、ポートワインを煮詰めてリダクションソース。オリーブ油を塗ってローストした黄色いビーツに、蒸したパティパンとピッコロポテト。パティパンは紡錘形をしたミニとうなすで緑色のと黄色のがある。ポテトは仕上げにチーズを載せてちょっと溶かした。

カレシが作ったサラダは野生のルッコラに、パルメザンチーズとトーストした松の実。オリーブ油と白ワイン酢で和えて、最後に白トリュフの香りのオリーブ油をたらして仕上げ。ちょっと青臭くて土臭いルッコラの味がなんともいえない味わいだった。

おなかがいっぱいで眠くなってしまったけど、急いで年をとる気のない人に、遅ればせのハッピーバースデイ!

暑い日には熱く考えてみる

8月15日。日曜日。今日も暑い。ポーチの温度計は午前11時にはもう26度。ダウンタウンでは30度まで行っちゃいそうで、そうなったら「猛暑日」だなあ。でも、きのうはエアコンのフィルターを掃除して、ついでに換気装置のフィルターも取り替えたおかげで、過激な咳き込みはなくて少しはよく眠った気分。これで寝つきが良くなればしめたものだけど、とりあえず寝不足感は改善かな。

就寝が遅かったのにカレシはやたらと早起き。マリルーに電話してママの様子を聞いたらしい。感染症は急性膀胱炎だったそうで、快方に向かってはいるけど、ちょっと抑うつ気味とか。ひとりで好きなようにやりたい人が病院のベッドに閉じ込められた状態ではむりもないなあ。ワタシだって、原因不明の急性腹症で入院したときには、検査待ちにしびれを切らして逃げ出したもんなあ。まあ、手術後でも感染のような合併症が起きなければ数日で退院させられるのがふつうで、ワタシなんか子宮全摘手術をして5日目に「それくらい元気ならもう帰っていいよ」と言われちゃったけど。あしたはクロスワードの本を持って行ってあげようっと。

仕事を始めようかどうか迷っているうちに午後2時半。ポーチの温度計は29度の目盛を通過しそうな勢い。うわ~あっつい。だけど、天気予報をみると、木曜日は降水確率が40%で、最高気温は20度以下。この夏は観測史上もっとも雨が少ないそうだから、お湿りはうれしいな。でも、当たるかなあ。ラジオの天気予報では「雨」なんてひと言もいってないけどなあ。まあ、ラジオ局の予報は専属の地元の予報士がやっているから、当たる確率はこっちの方が高そうだけどね。

小町で「日本人かわいそう」トピックのヒステリックな非難合戦に呼応して、これまた欧州在住という人が『日本をもっと住みよくしよう』というトピックを立てた。どの国も一長一短だとは思うがと前置きした上で、『どうしたら大衆レベルで考えた時に、「日本人が今のステイタスを保ちながら」「日本が経済成長を続けながら」国民の精神的幸せ度があがるか』を話し合おうという趣旨だけど、書き込みが「かわいそう」トピックでは450本を超えて打ち切り間近なのに対して、こっちの方はなかなか増えない。どうしてかと思ってのぞいてみたら、ここをこうしたら、あそこをああしたらという具体的な意見が多くて、どっちのトピックも同じことを「欠点」として指摘しているのに対照的な反応で、特に『何か問題が起こった時、日本では「誰のせいなのか」をとことん追求する気がします。それよりは「どうすれば解決するのか」の方を優先した方が有益ではないでしょうか』というひと言に、「かわいそう」トピックがここまで燃え盛っている理由がワタシなりに理解できた気がした。

要するに、自分たちが不平不満を抱いている日常の「問題点」を、海外に住むことでその日常を免れている同胞に指摘されて「かわいそう」と言われたもので、ぶっちぎれたということだろうな。「Truth hurts」というけど、「日本は○○だ」と言われれば「どこそこ国はもっとダメだ」と言い返し、「日本人は○○だ」と言われれば「どこそこ人はもっとひどい」と言い返し、「外国かぶれ」と罵倒する、まるで砂場での子供同士のけんかのような応酬を繰り広げているのは、日ごろの不満やもやもやは「誰か」が何とかしてくれるべきことだから、「何が問題で、自分はどうしたいのか」というところまでは考えたことがない人たちなのかもしれないな。そのあたりは小町のタイトルを見れば一目瞭然で、これが普通なのか?どれが常識なのか?誰それが○○してくれない(泣)。○○してほしい(不満)。誰それに○○された(怒)・・・。

もっとも、こういう依存体質の人間は世界中のどこにでもいるもので、カレシにもそんなところがあるし、日本人が特許を持っているわけじゃないけど、ひょっとしたら日本では政治家や官僚、産業界、さらにはマスコミまでが結託して、そういう(自分たちにとって好都合な)国民になるように教育して来たんじゃないのかと勘ぐってみたくなることはある。でも、やっぱり「かわいそう」はないよなあ。だって、「これはおかしい」、「このままではだめだ」、「何とかしなければ」という人の数がクリティカルマスになれば変えられることなんだから。

比較的涼しいベースメントにこもっているうちに、午後4時半、ポーチの温度計はとうとう30度。この暑さ、何とかしてほしいんですけど。それよりおなかがすいたなあ・・・。

夏の終わりが来る予兆

8月16日。月曜日。ゆうべはゆっくりとシャワーを浴びてリラックスしてからベッドに入ったので、かなり良く眠れた気分。だらんとした寝不足感がなくなったから、これだけでもバスルームを改装した価値があったな。きのうはあちこちで「猛暑」の新記録樹立だったそうで、今日もまだ暑そうだけど、何となくきのうほどには暑くならない予感。農業共進会として始まって今年で100年になるPNEが始まるこの週末、はたしてジンクス通りに雨が降るかどうか・・・?

朝食を済ませて、今日こそはママのお見舞い。クロスワードパズルを持って行こうと思っていたけど、きっともうたくさんもらっているだろうからと、本を持って行くことにした。フォリオから会員権更新のおまけとして送られてきたアーサー王の伝説もの3冊。お母さんがイギリス人だったママは昔からイギリスの歴史ものや小説が好き。それぞれの本はそれほど重くないから、病院のベッドでも楽に読めそう。郊外は市内よりずっと暑いから、ショーツにタンクトップのいでたちで、水筒を持参で出発。月曜日の午後だから道路はそれほど混んでいないけど、空の色が何だか変だなあ。背景の山がかすんで、ほんのりとピンク色。内陸部の何百ヵ所で燃え盛っている森林火災の煙や煤が海岸地方へ流れて来ているせいらしい。そういえば大気汚染注意報が出ていたから、トラックの窓を開けずにエアコンをガンガンかけて走ること1時間とちょっと。

ママがいるのはリッジメドウズ病院。いつも思うんだけど、大きな病院ってどうしてこう迷路みたいにできているんだろうな。ジムに聞いた道順を思い出しながら、あっちへうろうろ、こっちへうろうろして、やっとママの部屋を見つけた。ごく標準の4人部屋で、「亜急性疾患棟」となっているけど、どうやら高齢者専用の病棟らしい。病室には見舞い客が座れる椅子がないので、ワタシはベッド脇にあった車椅子に座り、カレシはベッドの端に腰を掛けて、なぜかパパの家系の昔話。あんがいママの記憶を試しているのかもしれないけど、老人のボケって新しい記憶から始まるんじゃなかったのかな。まあ、アルバータ州エドモントン出身のパパの家系は、父方、母方のどちらにも建築家や教育家、地方自治に携わってエドモントンの道路に名前を残した「勝ち組」がいる一方で、職人や森林労働者、はては社会の底辺で生きた「負け組」がいて、同じ両親の間に生まれた兄弟姉妹でもこうも違った生涯になるのかと驚くくらい両極端だから、きいているだけでドラマチックでおもしろい。

話がけっこう弾んで、お見舞いは1時間半。ママは今はベッドから起き上がって床に下りるのに介助がいるけど、少しずつリハビリが進んでいるそうで、少々荒っぽい療法士には「死んだ夫にそんなことをしたら大変なさわぎだったわよ!」と叱咤しているとか。もう少し運動機能が回復して、歩行補助器を使って歩けるようになればホームに帰してもらえそうで、待ち遠しくてしょうがないというのを聞いて、カレシもワタシもほっとして病院を出た。トラックをスタートさせながらカレシ曰く、「頭のほうはまだ90%くらいしゃんとしてるから大丈夫だな」。うん、そうだね。

ひと安心して帰ってきて、夕食のしたくにかかる前にメールをチェックしたら、うは、いつのまにか仕事の話がずらり。怒涛のごとく、あっちからどさっ、こっちからはもっと大きいのがどさっと、常連のクライアントがいっせいに勢ぞろいした観があるけど、久しぶりのところにノーというのもつれない感じだし、オーストラリアの編集者と組んでの仕事はノーと言いたくないしで、結局は極楽とんぼ流の「まっ、いいか」でぜ~んぶOK。いいのかなあ。徹夜になっても知らないよ、アンタ。だけど、PNEが終われば新学年だし、カレシの英語教室もすでに13人の生徒さんがサインアップして開講を待っているそうだし、ふむ、この仕事のなだれも、暑い夏もそろそろ終わりが近いという予兆なのかなあ・・・。

人間は政治的な動物なのだ

8月17日。火曜日。ゴミ収集車の音で目を覚まして、おっ、今日はちょっとばかり暑さもほどほどって感じ。正午の気温が24度だから、予報通りほんとに猛暑が去ってくれるのかもしれないな、と思ったけど、午後2時にはポーチの温度計が26度。やっぱり暑いや。

施行されて1ヵ月半が経ったHST(統合売上税)。新たに州税部分の課税対象になったレストラン業界は客足や売上が減ったとぼやき、不動産業界も新築住宅の売れ行きもばったりと落ちたそうな。廃止を求める署名運動は州の全85選挙区で「総有権者数の10%」の規定を満たして「有効」と認定されたけど、保守と革新が角を突き合わせることが多いこの州では、これはすごいことだと思う。それだけ州民は頭に来ているわけだけど、州選挙委員会は2件のHST関連訴訟が完結するまでは議会に送らないと決定。その訴訟の審理が始まったところで、この先の展開がおもしろくなって来た。反対運動派は州議会を通さずに内閣の政令だけで新税を施行したのは違憲といい、政府はHSTは連邦議会の法律で施行されたのだから連邦政府の管轄権下にあるといい、署名運動そのものを無効として訴えた産業界団体は「協同的連邦主義」の産物だからHSTは合憲という。署名した70万人の州選挙民は「選挙で導入しないと公約しておきながら、選挙に勝ったとたんにそれを反故にした」ことに怒っているんで、もちろん選挙公約が口約束にすぎないことは百も承知だけど、「議会に諮らずに実行した」というところを問題視しているんだけどなあ。

要するに、HST反対派の言い分は、州選挙民を代表する州議会に諮らずに内閣の命令だけで施行された税だから、「taxation without representation(代表なき課税)」にあたるということで、この「代表なき課税」は植民地時代のアメリカで有名なBoston Tea Party事件が起きて、やがて独立運動、そしてアメリカ合衆国の誕生に発展した民主主義の基本のひとつ。だから、反対運動派は政府が70万人の有効署名を無視するなら、選挙民の代表として機能していない州議会の与党議員を全員リコールすると言っているんだし、連邦政府の管轄だと言うのなら、少数政権でひょっとしたら解散・総選挙に追い込まれるかもしれないハーパー首相や連邦議会に働きかけると言っているわけ。署名運動の先鋒に立って来たバンダーザーム元首相曰く、「我々の最強の武器は政治的な力だ」。州最高裁の判断がどう出るかわからないし、最終的にHSTが廃止になって元の二本立ての売上税に戻る可能性は小さいだろうな。それでも、草の根民主主義はむだにはならないと思う。アリストテレスは「人間は本来政治的な動物である」といったそうだけど。

政治だの経済だのをあれこれ考えるのはおもしろいけど、たぶんワタシは「人間」のやることについてあれこれ考えるのが好きなのかもしれないな。きのうは完全にマニュアル思考で、何のために翻訳するのかさえわかっていなさそうな人に遭遇して、返す言葉もないくらいに唖然とした。ひょっとしたらこの人は「単語暗記カード」で英語学習をしたのかもしれないと思ってみたけど、ものごとへのこだわりがすごく強くて、「A=BであってA=B´はありえない」と信じていそうな感じだったな。デジタル思考とでも言うのか、若い人なんだろうな、きっと。「A=B´はありえない」と思っているうちはまだ自分の視野を狭めるだけだからいいんだけど、「ありえない」が「あってはならない」になったらちょっと怖いなあ。こういう思考回路の人たちが社会の中心層になったら、政治やビジネス、さらには人間関係はどんな風に変わるんだろう。(そのヒントはもうあちこちで見えているように思うけど・・・。)

ま、急に仕事の予定がびっちり詰まってしまっては、のんきに極楽とんぼを決め込んでちんたらちんたらと白日夢に耽っているわけには行かない。なにしろI’ve got to make a living(稼がなきゃ)なんだから、腕をまくって、勝負鉢巻を締めて、いざ・・・。

神様がバベルの塔を壊す前

8月18日。水曜日。あんまり涼しいもので、けっこう早くに目が覚めてしまった。ラジオをつけたら、正午前の気温はなんと14度。え、きのうより10度も低いじゃないの。ひと晩中エアコンを(ファンは低速だったけど)かけっぱなしだったから、どうりで涼しいはずだ。ということで、週末から連続運転だったエアコンを即刻ストップ。

例のめんどくさいテルミーちゃんからは「その3」が来ていない。やれやれ。クライアントを通じて「そんな型通りにはいかないもんなんだよ」と諭した?もので、「こっちは客なのに態度悪い!」とつむじを曲げてしまったのかな。まあ、どうやら最近はこういう(前例や自分の思い込みと)違っていることを極端に嫌う人が多いらしくて、担当者も辟易することがあるらしい。やっぱり、今どきはマニュアル的思考で「正解」はたったひとつと思い込んでいる人が多くなって来ているのかもしれないな。あるいは、「白」か「黒」かのデジタル思考で固まってしまって、白でもなく黒でもないグレーゾーンは二者択一の思考回路とはまったく別の、ゲーム風に言うならどんな魔物が出てくるかわからない「伏魔殿」的な空間だから怖い、入りたくないということなのかもしれない。

この思考空間のグレーゾーンというのは、「白」と「黒」の両極端の間に気が遠くなるくらい茫洋と広がっているらしくて、ある種の禅問答のような感じもする。あるとき、天文学の本を読んでいて、とんでもないことを考えたことがあった。自分を天球のの中心に置いてみると、視点(point of view)は水平に0度からぐるりと360度の中に無数にあるし、水平線上のある一点(0度)から垂直に見上げれば、天頂を通過して反対側の一点まで180度、そこから見下ろせば、天底を通過して元の点までさらに180度で、結局はぐるりの360度。さらにその360度の輪を水平に1度ずつずらしながら、なわ跳びのなわのように回したとすれば、この天球の中には全部でいったいいくつの「視点」があるのか・・・いやはや、天の赤道や黄道を描いた天球の図を見ながら考えていたら、頭がめちゃくちゃにこんがらかってしまった。そのときは、まあ少なくともこの地球上に住む「考える葦」の数くらいはあるだろうと、ぼんやり結論してみたけど、数学的にはちゃんと計算すれば出てくる「正解」があるんだろうな。

どうもワタシは突飛な(あるいは飛躍的な)思考をする癖があるんじゃないかと思うなあ。だから、グロッサリだのスタイルガイドだのにぎちぎちに縛られるIT関係の改訂版マニュアルの翻訳が大嫌いなんだろうな。(昔はローカリゼーションで荒稼ぎさせてもらったのにそう言ってはなんだけど・・・。)たしかに統一性、一貫性が重要なのはよくわかっているけど、文章表現が少しぐらい違っていても、言っていることが同じだったら、特有の用語さえ一貫していれば読む人には伝えたい情報がちゃんと伝わるから問題はないと思うんだけど、マニュアル思考の人たちにとっては、それは必要もないリスクを冒してグレーゾーンに踏み込む「危険思想」ってことになるのかもしれないな。神様がバベルの塔が壊す前の「皆一つの同じ言葉を使い、同じように話していた」時代を懐かしく思う遺伝子か何かが存在するというわけではないとは思うけど・・・。

何をもって良しとするか

8月19日。木曜日。正午近くなって目が覚めたら、曇り空。窓の外を見たカレシが「道路がぬれているよ」と報告。へえ、予報どおりにちゃんと朝のうちに雨が降ったんだ。まあ、お湿り程度らしかったけど、それでも気持はいいな。ゆうべは2人ともなんか疲れた気分で少しばかり早寝したのに早起きしなかったのは涼しくなってエアコンがいらなかったせいかもしれない。暑いときには(特に暑がりのカレシが)眠れないから夜通しかけるんだけど、ベッドの方には風を送らないようにしていても、睡眠の質にかなりの影響があるんじゃないかと思うな。

向こう1週間の予報を見たら、今度は最高気温が平年よりちょっと低め。ま、とりあえず夏はひと休みというところ。でも、州中央部の内陸地方の森林火災はまだ300ヵ所近くが燃えているそうで、その煙が気流に乗ってロッキー山脈を越えてアルバータ州まで流れ、州都エドモントンもその南のカルガリーもスモッグに覆われて、大気汚染警報が出たそうな。写真を見たら、エドモントンの空がピンク色。ママのお見舞いに行ったときにハイウェイから見たフレーザーバレーの空と同じ灰色がかったピンク色。まあ、ピンクがかった灰色というべきなのかもしれないけど、なんでピンクなんだろうなあ。

同じ新聞に、BC州では、生きている間の連邦、州を合わせた所得税は所得が7万ドル以下なら全国最低の税率になるけど、死んだときの遺言検認の手数料はカナダ各州で3番目に高くて、遺産が50万ドルあったら6,658ドルも取られるという、ある大手会計事務所の試算があった。これは遺言状があればの話で、遺言状なしで死んだら政府が遺産の管財人になって、相続人を決めて配分するので、普通の人間の遺産なんかへたをすると手数料だけで吹っ飛んでしまう。なにしろ、カナダには日本のような相続の決まりがないから、遺言状は必須。いい大人が遺言状を作っておかないのは無責任だと思われる。だから、ワタシはずっと前からきちんと遺言状を作っておこうと言ってるのに、カレシは「ボクは死なないつもりだからそんなのいらない」とかなんとかムニャムニャ・・・。

それが、パパが他界して、ママが入院する騒ぎがあって、弟のジムとママの遺言状について何か話したらしく、「オレたちも遺言状を作っておかないとなあ」と言い出したところだった。まあ、資産といえるものは全部共同名義だから、どちらかが遺言状がなしで死んでも凍結されそうなものはほとんどないんだけど、問題は両方とも死んだ後。なにしろ2人の間には子供がいないもので、甥や姪やその他の相続資格のある人たちを探し出して、どの配分するかを決めるだけで政府にほとんど持って行かれかねない。(ワタシは慈善団体か文化事業に寄付したいと思っているけど。)いつも何かあるとすぐに「オレが払った税金」、「オレの金」と文句をたれる人だから、さっそく記事を読んで聞かせたら、「政府に遺産を残すわけにはいかないよ」と、その場で今年中の最優先案件ということになったから、笑っちゃうなあ、もう。

ニューズウィークが世界100ヵ国を教育、健康、生活の質、経済の活力、政治環境の5項目の総合点でランキングしていて、インタラクティブに各国を比べられるのがおもしろい。1位はフィンランドで、カナダは7位、日本は9位だそうだけど、1位フィンランドと2位スイスが共に89点台、3位のスウェーデンは88点台で、87点台に4位オーストラリア、5位ルクセンブルグ、6位ノルウェイ、7位カナダの4ヵ国が並び、8位のオランダは86点台。その後に日本、デンマーク、アメリカが85点台で続き、12位のドイツと13位のニュージーランドが84点台、14位イギリスから15位の韓国、16位フランス、17位アイルランドまでが83点台、18位オーストリアと19位ベルギーは82点台、81点台がなくて、20位のシンガポールと21位のスペインで80点台というスコアだった。長寿国の日本は健康の項目で100点だったけど、生活の質と政治環境で点が低くて総合点を下げた感じかな。でも、人口5千万人以上の「大きな国」の中では1位だからね。

まあ、何をもって「良い国」とするかは、何をもって「幸せ」とするかが人それぞれなのと同じように、その国の人それぞれ。どんなに科学的な英知を駆使した「客観的な評価」であっても、ランキングの好きな人たちがおもしろがるだけで、それぞれの国に住んでいる人たちにとってはあまり意味がないように思えるんだけどなあ。

おらが街の夏祭り

8月20日。金曜日。カレシはすぐに眠れても目が覚めるのが早すぎるとぼやき、ワタシはなかなか寝つけないとぼやきつつ、目覚めは正午過ぎ。パターンは逆だけど、眠ろうとしてもなぜか体がリラックスしてくれないというところは同じだな。季節の変わり目なのか、別のストレス要因があるのか、だんだんに寝不足感がたまって来なければいいけどなあ。まあ、あんがい2人とも「高齢者」になったというだけのことかもしれないけどね。

今日もあの暑さがまるで嘘みたいに涼しい。明日からPNEが始まるんだから、当然かな。今年で100年目なのを記念して、今日の午後にダウンタウンのビーチアベニューで15年ぶりだかのパレードがあるそうな。まあ、ワタシがPNEパレードを見たのは1回だけで、カレシと一緒に住むためにカナダに来た35年前の夏。小雨模様の肌寒い土曜日だったような気がする。カレシの勤め先がヘイスティングスストリートに面したビルにあったので、7階の誰もいないオフィスの窓からパレードを見物した。(連邦政府の機関だったから、今ならセキュリティが厳しくて入れてもらえないだろうな。)当時の州首相や市長が自転車や徒歩で参加していて、なんか楽しそうに手を振っていたのが印象的だった。まあ、今の日本のものさしで測ったら「ダサい」と言われただろうけど、ま、農業共進会から発展したPNEは「おらが街の夏祭り」といったところで、ワタシが子供だった頃に神社の夏祭りで見た神輿や山車の行列とさして変わらないと思うけど。

戦後から長らく恒例になっていたパレードがなくなった理由は覚えていないけど、今年のは百年記念の特別企画で今回限りなんだそうな。再開するのかと思っていたら、なあんだ、つまんない。子供の頃から毎年パレード見物をするのが家族行事だったと遠い目になるバンクーバーっ子は多い。夏休みで初めてバンクーバーに来たときにステイ先の家族と一緒に行ったけど、イギリス人の夫と日系人の妻とハーフの娘とフル日本人の(ティーンに見えた)ワタシとで、「夫婦と子供2人」のふりをして「お得な家族割引」で入ったっけ。ワタシ、25歳。あれは運命の年だった・・・。

カレシとPNEに出かけたのは3度くらい。まだ新婚の頃だったけど、2度目のときだったか、ぬいぐるみの賞品がもらえる賭博ゲームで大当たりしたことがあった。25セント玉1個で最初に当たったのが小さなぬいぐるみ。次も当たったらそれをひと回り大きいのに交換して、次も当たったら・・・と止めるまで続けるしくみで、途中で外れたら最初のちっぽけなのに戻るわけだけど、何回当たり続けたやら。最後に渡された賞品はワタシの背丈ほどもある真っ赤な「くじら」のぬいぐるみ。バスに乗ってアパートまで持ち帰ったけど、バスの運転手はにやにやして「こら、そいつの料金を払わんかい」。ひと抱えもあったから運ぶのにかなり苦戦したっけ。あの25セントの元手で手に入れた真っ赤なくじらは、その後長いことクッションの代わりになっていた・・・。

小学生の頃、PNEの会場からそう遠くないところで育ったカレシは近所のはなたれ小僧たちと「裏口入場」が決まりだったそうな。つまり、フェンスの破れ目や子供の手でよじ登れるところを狙って、ただで入場。巡回の警備員に見つかって追いかけられることもしょっちゅうだったそうだけど、期間限定のアルバイトおじさんでは子供の逃げ足の速さにはかなわないから、実際につかまったことはないとか。あの地区は貧しい家庭の多いところだったから、あんがい「捕まえてお灸をすえてやる」という脅し程度に追いかけて、見逃してくれたという可能性もなきにしもあらずのような感じがするけど、当然お金のかかる乗り物に乗れるはずもなく、楽しめたのは十代になる頃までだったらしい。こんな風に、今年100周年を迎えたPNEには、バンクーバーっ子たちのいろんな懐かしい思い出がこもっているのだ。

PNEにはもう30年以上行っていない。今年はカメラをもって行ってみようかと話し合ったけど、また食べたことがなかった名物のミニドーナッツと1フィートもある長いホットドッグをせめて一度だけでも食べてみたかったけど、こんなに仕事が詰まってしまっては、今年もダメだなあ。まあ、いつも「来年があるさ」なんだけど・・・。


2010年5月~その1

2010年05月16日 | 昔語り(2006~2013)
帰るところがあるから旅が楽しい

5月7日。きのうの午後、帰って来た。16泊15日の長い旅行。こんなにも長い間日本に滞在したのは、たぶん34年前のハネムーンと初里帰りを兼ねた旅行以来だろうな。カレシと一緒の日本は12年ぶり。いろんな意味で一緒に行って良かったなあと思うことが多かった。

4月20日バンクーバーを定刻に出発して、4月21日成田着。入国管理で指紋採取と写真を取るのに(2年前は40分以上かかったから)長蛇の列を覚悟していたら、ジグザグの行列用レーンで人が並んでいるのは審査カウンター前の最前列だけ。一瞬あれ、どうしたの?と狐につままれたような感じで、カナダと違って夫婦でも「ひとりずつ!」の入管を通るのに5分とかからず、荷物が出てくるのを待つ方が長かった。どうやらアイスランドの火山噴火でヨーロッパからの便が途絶えていたせいらしい。ラッキーといえばラッキー。ヨーロッパ各地の空港でキャンプしていた人たちには悪いけど。

東京に着いた日は最高気温が26度近かったのに、翌日はなんとひと桁の7度くらいに急降下して、おまけに雨。雪が降ったのはついこの前だし、これじゃあバンクーバーよりも寒いじゃないか。まあ、涼しいところから来たのでジャケットはあったけど、こんな寒さは予期していなかったなあ。もっとも、東京の人たちだって予期していなかったんだろうけど、とにかくこの寒さは何だ?

こうして天変地異?の中で始まった2人の日本の休暇。詳細はおいおい書くとして、要約すると:

23日に宮崎入り。さっそく会議の前の景気づけパーティで、顔なじみの参加者たちと旧交を温める。24日は会議第1日目。夜の公式パーティでびっくりのハプニング。会議第2日目の25日はワタシの誕生日かつプレゼンデビューの日。スライドだけを用意して行ったけど、メモもなしで1時間もよくしゃべったもんだと我ながら関心。その後はいつものように会議をサボって宮崎の街をそぞろ歩き。26日帰京。ここからホテルに10泊で腰を据えての東京の休暇。31階の部屋のカーテンを開けると、都庁がどで~んと突っ立ている。コンピュータのチップとノートルダム寺院のミックスだと評した人がいたけど、まさにタワーの2本の頂点は『スターウォーズ』のデススターみたい。そのせいかどうかしらないけど、レンタルした携帯が2台とも1分と持たずに切れてしまう。さては石原さん、電波をかく乱してんじゃないの?

本格的な休暇初日の27日はかっぱ橋道具街。うわ~、ある、ある。欲しいものばっかり。小皿料理にぴったりの白い食器。つい欲しくなる道具。それを全部買うとしたら、コンテナをチャーターして来ないとならないだろうなあ。ま、カレシは欲しかったフォークで巻き上げたスパゲッティのサンプルのミニ版を買って満足だし、ワタシも小さいものいくつか買って、あとは「この次」にすることにした。

28日も雨。少しは止みそうな気配だけど、ホテル地下のコンビニで買った500円の傘をさして、まずはクライアントを訪問。挨拶だけのつもりだったこの訪問、何となく仕事の「面接」のような感じになったのはどうしてかなあ。終わったところで友だちとランチ。ゆりかもめに乗ってお台場の科学未来館まで。英語でしゃべるのがどうのこうのと言っていた友だち、カレシは「ボクの教室の生徒よりもずっとレベルが上だ」と絶賛。科学館でしばし遊んで、ロボットのアシモがとっとことっとこと走って見せたときは度肝を抜かれた。

雨が上がって暑くなりそうな気配がし始めた29日は谷中を散歩。翌30日は築地で友だち夫婦と寿司のランチ。今回は2年前に品切れで食べ損ねたいわしの握りもちゃんと食べられて(この執念!)満足。次いで両国の江戸東京博物館で東京の歴史を勉強。国技館の外を自転車を押した若いお相撲さんが2人歩いていた。あのスタイルでどうやって自転車に乗るのか不思議といえば不思議・・・。

月が変わってゴールデンウィークは5連休という考えられないような長い週末。銀行も郵便局もずっと閉まってしまうらしい。ATMがなかった頃はみんなどうしていたんだろうな。ゴールデンウィークにお金がかかるのは昔から変わっていないだろうけど。その超大型連休初日の1日は東急ハンズと高島屋と紀伊国屋でのんびりとショッピングデイ。2日は上野のアメ横。神田に出るつもりがいつの間にか秋葉原。夕食はホテルに近い東京ヒルトンに遠征。3日は東京丸の内でハネムーンで泊まったホテル(丸の内ホテル)の大変貌を見に出かけた。あのときは古ぼけたホテルで、窓からは向かいのビルで深夜になってもぶらぶらしているサラリーマンが見えた。ゴルフのスイングの練習をしていたりで、あんまり激務をやっているという印象じゃなかったんだけど、今はどうなんだろうな。夜は恵比寿で友人夫婦の結婚満20周年とカレシとワタシの合併満35年の合同祝賀ディナー。なかなか工夫の凝らされた料理で、おいしかった。

翌4日は鎌倉へ。好天で、暑い!好天続きのゴールデンウィークは50年ぶりなんだとか。おかげで鎌倉中どこへ行っても人、人、人。まあ、これが日本のゴールデンウィークなんだろうけど。最終日の5日はホテルの会席料理レストランで妹夫婦とお別れをかねてのランチで、これも上品でおいしかった。後はそろそろと荷造りを始める。スペアとして持って行ったスポーツバッグにも詰めるかと思ったけど、実際はスーツケースを拡張させたので、本来の2個にみんな収まった。やれやれ。

そしてきのう、日本時間で6日夕方、連休の海外旅行ラッシュが去っていやに閑散とした成田から、40分遅れ(機材の調整って何なんだ?)で離陸。行きも帰りも機内食が2回出るけど、近頃は経費と燃料の節約のために乗客も強制的にスリムダウンしようというのか、食事とは言えないような少量なもので、次の食事まで腹ペコ熊になってしまう。おなかが空いたらスナックでも買えということだろうけど、値段はすごいし、モノはまずいのひと言に尽きる。航空会社の経営がきびしいことはわかってるんだけど・・・。日付変更線の魔法で同じ日の昼前にバンクーバー着。入国手続きを済ませて荷物を引き取りに行く間に、ワタシはパスポートがないとひと騒ぎ。バッグの外ポケットにカレシのと一緒に入れたつもりで自分のが外に落ちたのに気がつかなかったらしい。幸い拾って近くにいた警察官に渡してくれた人がいて、パスポートは無事に戻ってきたけど、これが入国管理の前だったらえらいことになったところだった。最後の最後になってワタシも気が緩んだのかなあ・・・。

というわけで、トーキョーリゾートでののんびり休暇はいよいよ終わり。旅の初めの方でカレシのパパが亡くなった。近いだろうとは予想していたんだけど、マリルーからメールが入ってもカレシは「ボクがいても別にできることはないんだから」と(たぶん表面的に)そっけない。たしかにそういえばそうなんだけど、父と息子の関係は男にしかわからないものなのかもしれない。北米でよくやるように、パパも葬式は出さず、火葬にして昔日曜日ごとに出かけていた沖合いの釣り場に撒灰。後日に家族が揃ったときに故人の思い出を語り合う追悼パーティという予定だという。

帰ってきてみたら、あ~あ、またまた仕事が待ち伏せ。どどっと3つ並んでしまって、長い「遊び時間」の終わりを実感。不思議なことがひとつ。頑固なばね指になった親指。しばらく仕事を離れていたら回復するかと思ったのに、逆にどんどん固まったような感じになって、しまいにはうっかり曲げると飛び上がるほど痛くて困っていた。ところが、帰ってきてキーを叩き始めたとたんに、ぎごちないんだけど、なぜかかなりのところまで曲がって、それほど痛くなくなった。ワタシの親指は持ち主よりももっと仕事の鬼ってことかな。

旅もたまにはいい。だけど、旅が楽しいのはやっぱりその先に「帰るところ」があるからだろう。どんなに長い旅でも、やがて我が家に帰って、ほっと息をついて、また日常に戻れるとわかっているからこそ楽しめるんだろうと思う。あんがい人間と言うのはどこかに根っこを張らないと生きていけない動物なのかもしれないなあ。

ノスタルジックな旅

5月8日。目が覚めたらなんと午後1時。二人ともぐ~っすりと眠ったらしい。東京では、ふだんの生活時間がほぼ日本標準時間に近いせいもあって、2人とも時差ボケに悩まされることがなかったし、帰って来た当日は少し早い就寝だったけど、きのうは時差ボケらしいこともなく、普通の時間(午前3時半)に戻っていた。それで9時間以上も眠るというのは、やっぱり旅の空ではよく眠れているつもりでも意外に浅いのかもしれないな。あんがい長旅がしんどい年令になって来たということかもしれないけど。

カレシはもう再来年の日本旅行の話をしている。(もっともヨーロッパに行った後はしばらく次はどこそこへ行こうとやるので、同じ流れなのかもしれないけど)昔ひとりで行った京都で回ったお寺に一緒に行きたいとか、いや京都よりは(初めての一緒の日本旅行で行った)奈良の方がいいとか、それよりも北海道へ行ってワタシの生まれ故郷をもう一度見たいとか、おいおい、なんだかすごい大旅行になりそうな話だなあ。再来年になってそんな体力があればいいけど。

今回の12年ぶりの一緒の日本行きで、カレシはカレシなりにいろいろと考えることがあったらしく、けっこう回顧的な言動が多かった。電車の中から覚えのある駅名を見つけて「ずっと昔にこのあたりのしょぼいホテルに泊ったっけね」と言い出したり、新宿では「サンルート」の名前を見つけてわざわざ寄り道して見に行って「ここに泊ったのは寒い夏の年だったよね」とヘンに感慨深げなカレシだったけど、わざわざ東京駅の丸の内側へ行ってみようと言い出したのも結婚して初めて2人で来た日本で最初に泊った「丸の内ホテル」を見るためだった。持って行った観光ガイドには新しい「高級ブティックホテル」に変身したと書いてあったけど、ほんとうにガラス張りのビルの高層階を占拠するモダンなホテルになっていて、カレシは「この次はここに泊ろうね」と今から乗り気。

妙なノスタルジアに浸ってるなあと思っていたら、鎌倉では「ここを覚えてる?あそこを覚えてる?」とやたらと聞いてくる。残念ながらワタシには鎌倉に来た記憶はあるけど、思い出せるのはマクドナルドの店でカタカナで言ったつもりの「クォーターパウンダー」が通じなくて立ち往生したことくらい。鶴岡八幡宮で大イチョウの歴史を話して聞かせたことなんかまったく覚えていないし、百何十段の石段を登って鎌倉の景色を眺めたことも覚えていない。カレシが2人の「古き良き時代」の思い出を語り合おうとしているらしいとはわかるんだけど、正直なところ、日本中で観光に行った「地名」は記憶にあっても、そこで2人が何を見て、何をしたのかはいくらがんばっても思い出すことができない。まるで写真が抜け落ちて空白だらけになったようなアルバムのようなものなのだ。それでも、覚えていないというたびにカレシはちょっとがっかりしたような顔をしながらも「ああしてね、こうしてね」と懸命に空白を埋めようとしてくれたのは、「いろいろあったけど、2人の原点に立ち返ろう」という、気持を言葉で表現するのが苦手なカレシなりの意思表示のように思えて、胸がじ~んとするほどうれしかった。

まあ、期せずして新婚旅行ならぬ「旧婚旅行」になったようなものだけど、ワタシが「日本人じゃないねえ」と感心?されたことをあちこちに触れ回ったあげく、最後に「ボクはやっぱり日本に住んでハッピーなタイプじゃないんだとわかった」とぽつり。来週5月12日は「2人」の生活が始まって満35年。恋にのぼせ上がるのは一瞬のできごとだし、結婚は1日でできるけど、相思相愛の「夫婦」になるには実は気の遠くなるような長い時間がかかるものなのかもしれない。海を越え、人種、文化、言葉の壁を越えた2人であれば、35年かかったとしてもさして驚くことではないのかもしれない。これからまた35年、どうなるかなあ。仲良しのかわいらしいおじいちゃんとおばあちゃんになれるかなあ・・・。

ある日曜日の午後

5月9日。日曜日。正午少し前にカレシが跳ね起きて、ワタシもつられて起床。寝る前に「バスルームの(自動的に消えるはずの)ライトが消えない、おかしい」と報告?して来たもので、シャワーをした後なら蒸気が漂っていて、モーションセンサーが「人がいる」と勘違いしたんだろうから、朝になっても消えてなかったら言ってよねと言い渡してあった。それで気になっていたんだろう。実際にライトは消えていたようで、カレシは朝食の準備をしながらなんかしょっぱい口笛を吹いているから、こっちは身づくろいをしながらくすくす。んっとにもう、「お空が落っこちてくる」と騒いだひよっ子じゃあるまいし。

ま、空騒ぎで終わって何よりだけど、今日は忙しいんだから、あまり「あそこがおかしい、ここがおかしい」といちいち事故?報告しに来ないでくれる?んっとに、おかしいと思ったら何がおかしいのかぐらい自分で考えてみてもよさそうなもんだけどなあ。まあ、思考回路がちょっと「平常」から外れると「タイヘンだ~」という配線になっているらしいから、しょ~がない。ワタシだったらそういうときは「ふむ、ど~してそ~なの?」という方へ流れるんだけど、そこは人それぞれ。火災報知器のボタンを押す人と、消防車で出動する人とで、なんとなくうまく釣り合っているのかもしれないな。うん。もちろん、消防士の方がタイヘンなんだけど・・・。

午後の気温は20度近くまで上がって、いかにも初夏のような陽気。今日はご近所のカヨの50歳の誕生日パーティに招かれていて、それがカヨの親しい人の家での午後のガーデンパーティ。日本では月曜日が始まるから、納期の仕事を2つ大車輪で片付けてのおでかけ。カヨも夫氏のアントンも職場は違うけどキャリアは共にソーシャルワーカー。郊外の広々とした芝生に多様な人種や年令の人たちが三々五々集まって談笑しているのを見るとカヨの交流の広さがわかるというもの。引っ越してきた頃はまだよちよち歩きだった一人息子のジェヴァンも今ではひょろりと伸びた典型的な高校生。お祝いのスピーチの後で「ママに母の日の感謝のキスを」と言われて、照れながらカヨの頬にチュッ。拍手喝采にまた大照れで長い手足を持て余している様子に一同は爆笑。日差しまで華やいだ午後、ワインを片手に初めて会ったいろんな人たちとのしばしの世間話はすごく楽しかった。

帰って来たのは午後6時。かなり早い時間に食べてしまったので、午後9時過ぎに夕食兼ランチ。ごく軽くということで半解凍してあったマグロとサケで、手っ取り早く薄切り大根の巣の上にまとめた定番のポケと刺身数切れに大根おろしをあしらった「緊急メニュー」。まあ、日本でおいしいものを食べまくって、持ち帰った2.5ポンド(1キロとちょっと)のおみやげ?を何とかしなければならないから、お手軽料理もいいかな。もっとも、約2週間も毎日三食がレストランやパーティの料理でこの程度の増量で済んだのは意外だった。けっこうよく歩き回ったせいかもしれない。まあ、いつもの魚三昧の食生活に戻れば、この「おみやげ」もすんなりと処分できるだろうと思うけど(もう1ポンド減ったし)、来週末にはまた同業パーティがあるから、はたしてどうかなあ。

食道楽は旅の楽しみだけど

5月10日。月曜日。相変わらずいい天気。ひょっとしたら東京からのおみやげかな。でも、新しい週の始まりだから、今日からは本格的に腰をすえて仕事モードにならないと・・・といいつつも、起きて朝ごはんを食べながら「今日は何をしようか~」というのんびりムードは、のんびりしているだけになかなか退散してくれないから困る。仕事がどかどか入ってきてるんだってば~、もう!

きのうパンを焼いたので、やっといつものジュース、シリアル(オート麦のふすま、麦の胚乳、ひまわりの種、ときどきはかぼちゃの種)、トースト、コーヒーの「普通」の朝食。毎日こんな調子で、変化らしい変化といえばシリアルがKashiのシリアルだったり、Whole Foodsで量り売りしているグラノーラだったりする程度で、ごくごくたまに卵とベーコン。年がら年中同じようなものなんだけど飽きたなあという気にならない。なのに、旅の空での朝食はなぜか3日もすると飽きて来るから不思議だなあ。

東京のホテルでは最初の2泊のときに「無料サービス」という食事券を渡されたけど、場所はラウンジで、内容は洋食。そこで和食レストランの朝食バイキングに行ってみた。一番最初にソーセージとハムがあったのにはびっくりしたけど、甘塩の鮭や焼き魚、野菜炒め、煮物、茶碗蒸し(しめじが2、3本入っている)、ひじきの炒め物、漬物に納豆に明太子に湯豆腐(冷やっこ)、そしてご飯かおかゆに味噌汁。けっこうヘルシーだということで、無料サービスは無視して2人分5千円の「朝ごはん」を食べた。特におかゆが気に入って、これに塩鮭や明太子やしそきゅうりを入れて食べたら、うはあ、おいしい。隣のテーブルのおばさまたちの顰蹙をかっちゃったけど、とにかくおかゆが好きだった。宮崎では和食と洋食の両方があるバイキングで、3日のうちで出てきたのは1日だけで残念だったけど、きれいなピンク色をした「五穀がゆ」がことのほか気に入った。

東京の同じホテルに戻ったら、また「無料サービス」の洋食の朝食券を10日分くれたんだけど、和食レストランに行けば「クーポンは?」と聞かれる。日本人には和食、外国人には洋食ということなのかと思って、せっかくのただ飯を利用せずに10日も自腹を切って和食を食べるも何ももないもんだと、和食券と交換してもらいに行ったら、フロントの人は困った顔。カレシが洋食は健康に悪いからイヤだとねばったら、しばらく奥へ引っ込んでから出てきて「10泊のうち5泊分だけにしてください」と言ってきた。よくわからない説明をつなぐと、どうやら海外からの客には朝食はほんとうに「おまけ」だけど日本国内の客には朝食込みの宿泊料と、価格体系が違うらしい。和食は洋食より高くて、差額は2人分で約千円だから、つまりは10日なら1万円も余分のサービスすることになる。京王プラザさん、出血サービスさせてスイマセンね。だけど、せっかくだから5日分を和食の朝食券に替えてもらって、その日の気分で洋食にしたり、和食にしたり。それでも人間てのはわがままな動物で、3日も続くとどっちも飽きてしまった。(それでもおかゆはオリヴァーツイストよろしく空になったお茶碗を持って代わりをもらいに行ったくらい気に入っていたけど・・・。)

当然15日の間は毎日朝、昼、夜の三食が「外食」だったので、駅の立ち食いカレーから、(宮崎での)手打ちラーメン、ビル地下の小さなそば屋のざるそば、デパートの「レストラン街」でのとんかつ、すしや懐石、創作イタリア料理、おしゃれなカフェのピッツァ、ヒルトンの本格フランス料理まで、よくいろんなものを食べた。ビーフカレーにはビーフのかけらしか入っていなかったけど安くてけっこうおいしかったし、打ち立てのラーメンは昔風のスープで極上の味。築地のすしも「久兵衛」のおまかせすしもどっちもおいしかったし、ル・ペルゴレーズのコースもすばらしかったし、気取った懐石料理も見た目がなかなか鮮やかで楽しめた。新宿では高層ビルの外にはどこでも「レストラン街」の看板があって、そば屋からカフェからイタリアンまでずらり。旅行者でも食べるに困らないというのが印象。まあ、なにしろ人が多いところだからあたりまえなんだろうけど。ただし、ビルの地下もデパートの上階も、レストランのラインアップは似たりよったりで、ビルレス、デパレス、ファミレスといったところか。

いろいろおいしいものを食べたんだけど、肉はあまり食べなかった。いいレストランで出てくるのはいわゆる「霜降り」というやつで、脂身で白っぽくなっている肉の写真を見ただけで口の中が脂っぽくなるし、豚の角煮?というのは味がしみ込んでおいしそうだったけど、よく見たら半分が脂身でまさにchewing the fat(長々と愚痴話をすること)。すし屋もトロが大人気。まあ、魚のまぐろはともかく、動物の脂身は飽和脂肪だから、体に良くなさそうなんだけどなあ。元々日本人は農耕民族で、おまけに仏教の影響で菜食中心だったから、エネルギー源として動物脂肪にありつけるのは貴重なことで、ひょっとしたらその頃に脂身好きがプログラミングされたのかなあ。ま、脂身たっぷりの肉でも大きなステーキにして大食いしないだろうから、さしたる害はないのかもしれないけど・・・。

日本のものが世界のどこのよりもおいしいと思ったのがケーキの類。甘すぎず、こってりしない上品な味で、カレシも絶賛でホテルのケーキ屋に入り浸り。そういえば、どこを歩いてもケーキ屋やベーカリーが多かったなあ。あんなにあっていいのかなと思ったけど。食べるのに一番手を焼いて愉快だったのが、宮崎の「なんじゃこらシュー」という巨大なシュークリーム。オリジナルは「なんじゃこら大福」でシュークリーム版を考案したようだけど、野球のグラブくらいありそうなのに、たっぷりのカスタードクリームとあずき餡のクリームが詰まっていて、その中に大きないちごと栗とクリームチーズの固まり。クリームがはみ出してくるのに手こずりながら丸々食べたけど、ゆうに千カロリーはあっただろうなあ。写真を撮っておけば良かったな。ほんとに壮観だったんだから・・・。

日本のすしに関しては(当然だけど)バンクーバーで食べられるすしとは比べものになられない。なにしろ端っからネタが違う。ウニを食べたらその違いがよけいにわかる。久兵衛のすしが「鮨」だとしたら、築地で食べたのは「寿司」。バンクーバーのちょっといい日本料理屋で食べるのはカタカナの「スシ」で、マクドナルドよりも多いといわれる街角の店で作っているのは「sushi」ってところかなあ。それくらいに違うから、もう別々の食べ物といった方がよさそうな。

まあ何といっても、おいしいものや珍しいものを毎日食べられるのが旅の楽しみ。それでも、どんなグルメ料理であっても、旅が長くなればやっぱり飽きが来て、食べなれた平凡な家庭料理が恋しくなるんだろうけど・・・。

35年も英語をしゃべっていれば

5月11日。火曜日。ちょっと早めに目が覚めた。今日が納期の仕事が、仕上がりの推定量をかなり超えそうで、間に合うかどうかと思いながら、きのうはえいっと寝てしまった。ほんとに寝たかどうかは別として、やっぱりそういうときは脳みそ樽のどっか底の方から「気がかり」という泡がふつふつと発酵して来てしまう。結局は、寝たのかどうかもわからないうちに外が明るくなり、しゃあないから起きようということになる。眠りと言うのはおもしろいもんだと思うな。

朝ごはん、そして仕事場へ直行。はあ、ほんとに間に合うのかいな、とため息。遊びすぎたしねえ。だらけ病が治らないと困るんだけどなあ。そうやって時計とカレンダーをにらみながら自分に圧力をかけていると、俄然張り切りだすがの、まさに掛け値なしにでゲンキン主義なワタシ。こういうのをmoney playerというのかもしれないけど、あまりにも猛烈まじめモードになってぶっ飛ばしたもので、日本の夕方が期限の仕事なのに朝一番で納品。勢いに乗ったついでに、明日が期限の次の仕事もそれっと片付けてさっさと納品。うん、やっとだらけモードから脱却しつつあるというところかな。次のはちょっとばかりでかいから、その調子、その調子・・・。

日本での会議ではどういう風の吹きまわしか、1時間のセッションを受け持たされてしまった。まあ、やってみない?といわれて能天気に「いいよ」と言ってしまったからそうなったんだけど、返事をした後になって、うは、1時間も人前でしゃべるってけっこう大変そうだ~と頭を抱えた。それでも台本があれば何とかなるんじゃないかと思案したけど、結局はバスルームの改装だの、予算消化期の魔の3月だのとばたばたするばかりで、台本どころじゃない。3ヵ月前になり、2ヵ月前になり、1ヵ月前になり、とうとう1週間前になって、もうやけっぱちでパワーポイントのプレゼンファイルを作った。やたらと色を使わず、写真もスライド1枚だけで、説明しなくてもわかるもの。かなりシンプルで、我ながらわりといい出来だったけど、やっぱり切羽詰らないとギアアップできないのがワタシなんだろうなあ。

もうひとつ思案投げ首しているうちに切羽詰ってしまったのが、英語と日本語のどっちでプレゼンをやるかという問題。台本があればどっちでも楽々だろうけど、スライドをつくり終わったのが出発のもう2日前で、台本どころかメモを作る暇もなし。忙しいときの思いつき料理と同じで、ぶっつけ本番になってしまった。さて、何が飛び出すか・・・ここで告白しちゃうと、さすがのワタシも内心はちょっと心配だった。日本語はさび付いているし、英語はいくら35年も日常言語として使ってきたといっても、元々は母語じゃないからほんとうに1時間もノンストップでしゃべり続けられるものなのか。

実は、しゃべり続けられたんだなあ、これが。持ち時間いっぱいでオーバーしそうになったくらいしゃべり続けられた。びっくりしたのは当のワタシ。ときどきテーマから脱線はしたけど、フリーランス駆け出し時代のケチ弁護士との鍔ぜり合いの話とか、会社が倒産する3日前にそれを知っている社長の「ローンが入るから」という言葉を真に受けて仕事を引き受けて、当時としては痛い焦げ付きを作った話とか、20年もやっているとまあけっこういろんなエピソードがある。あちこちで頭がこくこくと動いていたのは「うん、そうそう」と共感してくれていたのかもしれない。ここぞというところでは笑ってくれたし、込み入った話をしたわけじゃないから途中で言葉に詰まることもなかったし、ほんとにべらべらとよくしゃべったと思う。終わった後で、おもしろかったよと言ってくれた人たちがけっこういたし、参考になったといってくれた人たちもいた。最前列に陣取っていたカレシは、「みんなが共有できる話をわかりやすく話していたから、みんなちゃんと聞き入っていたし、誰も途中で出て行かなかったから、うん、Aプラスの点をあげとこうか」。ありがとうさん。

カナダに渡って来て、あしたで満35年。筋道が通って他人にわかる英語があたりまえのように即興的に、しかも1時間もすらすら出てきたというのは、英語の人生がここまで来たんだという、ひとつの道程標に達したということだろうな。決して英語の発音や文法がネイティブ並みと言えるレベルじゃないと思うんだけど、そういう評価で一喜一憂する時期はとうに過ぎたということだろう。まあ、生まれつきおしゃべりな人間が35年も英語圏で社会人をやって来たらそれくらいは行けるんだってだけのことかもしれないけど。東京でも日本語をしゃべっているときの方が頭の中で「日本語で話をしているんだ」と意識しているのを感じたのに、英語で話しているときは特にそんなことは意識しなかったから、とうとう英語がワタシの第一言語になったということらしい。プレゼンは期せずして一種の「英語検定試験」になったのかもしれないな。ま、スコアはどうでもいいけど、背中まで手を回せるんだったら、「ワタシよ、がんばったね」と、自分で自分の背中を思いっきりどんと叩いてやりたいなあ。

出不精夫婦に車2台は無理

5月12日。水曜日。ゲートのチャイムで夢を破られた。午前11時。寝ぼけたまま「誰なんだ~」とうつらうつらしていたら、またチャイムが鳴る。こんどは立て続けに鳴る。そっか、今日は掃除の日。シーラとヴァルが到着したんだ。今日は我が家だけと言うことで、少し早めにと予告されていたっけ。あわてて飛び起きたカレシがゲートを開けに行った。防犯アラームが鳴り出す。ワタシもあわてて飛び起きてアラームを解除。ああ、今日も初夏のようないい天気・・・

掃除が終わった後は、静かな午後。次の仕事にとりかかる。前年の文書を渡されて、これを踏襲してということだけど、う~ん、書き直したくなるところがけっこうある。WordのPropertiesを見ると原稿の作成元がわかることが多いから、さっそく調べて「Company」のところにあった名前をググってみたら、どうも文書作成サービスをするらしい。翻訳サービスも業務の中に入っているようで、うたい文句を読んでいると、どうやら過去の文書が厳然とした「前例」になるらしい。一貫性を期するということなんだろうけど、だったら、Tradosなんかを使えばその通りに行くのに、なんでよけいなお金をかけるんだろうな。翻訳者はロボットじゃないんだっつうの。文章には十人十色のスタイルがあるっつうの。ま、「前例」をそのまま流用できたりするから、「ん?」というところを目をつぶってしまえば、時間単価が大いに上がっていいんだけど。

夕食後になって、カレシが旅行中にバッテリがすっからかんに上がっていたエコーのエンジンをかけると言い出した。充電式のブースターを買ってあったので、今度はトヨタのサービスを呼ばずにやってみるという。ブースターにケーブルを差し込めないとか、眼鏡がないとマニュアルを読めないのに肝心の眼鏡が見つからないとか、何かと付随的な問題に遭遇したけど、やっとケーブルをバッテリにつないでキーを回した・・・けど、エンジンはうんともすんとも言わない。あ~あ。ブースターが欠陥品なのか、やり方が悪いのか・・・。しょうがないから、結局またトウトラックを送ってもらう。やってきたトウトラックの運転手曰く、「この前はトラックだったよねえ」。カレシ曰く、「もう頭に来たから、2台とも売り払って自転車を買うよ」。

運転手氏がトラックから自分のブースターを持って来て、手際よくバッテリにつなき、「はい、エンジンかけてみて」。ん?あの、し~んとしてるけど。運転手氏はケーブルを動かしてみたり、つなぎ直したり。とたんに、ダッシュボードのライトがついて、勢いよくエンジンがかかった。どうも我が家のブースターも欠陥品じゃなくて、使い手の装着の仕方が良くなかったらしい。運転手氏にお礼を言って伝票にサインして、「またね」とは言わなかったけど見送ってから、カレシと夜のドライブに出かけた。ハイウェイをぶっ飛ばしたり、上り坂を駆け上がったりと、30分ほど走って充電しようと言うわけだけど、期せずしてカレシと水入らずのおしゃべりが楽しめる「クオリティタイム」。なにしろコンピュータからもテレビからも仕事からも離れて、あてもなくひたすら走るだけだから、自然におしゃべりが始まる。(だからといって、バッテリが干上がってばかりでは困るんだけど。)

だけど、だけど、なのだ。引きこもりがちな2人のライフスタイルには車2台はやっぱり無理がある。昔の車のバッテリは何ヵ月も走らなくてもちゃんと生きていたのに、今どきのバッテリは半月もしたら干上がってしまう。やたらと電子機器が付いていることも理由のひとつだろうけど、ひょっとしたら環境保護のような理由でバッテリの技術自体が変わったのかもしれない。もっとも、そのおかげで必要もないのに地球温暖化に貢献するガソリンを燃やしてどんどん走り回らないと干上がってしまうというのは本末転倒じゃないかと思うんだけど。今どきの自動車技術、何かがおかしいような気もする。早くプラグイン式の電気自動車が欲しいなあ。でなきゃ、いっそのこと、エコーを売っちゃって、車を必要とするときはタクシーを使うことにしようかな。ワタシは出不精だから、浮いた1年分の保険料で1年分のタクシー代をまかなえそうだし、トラックは走る機会が増えるてバッテリも上がらないだろう
し・・・。なんたって、出歩かない2人には2台も車はいらないのだ。一考の価値ありだなあ、ほんと。

車も仕事もぶっ飛ばさないと

5月13日。木曜日。ずっと天気が良かったけど、そろそろ崩れるらしい。日本で遊び回って帰って来てからちょうど1週間。なんだかちょっと信じられない感じで、もうずいぶん前のことのような気がする。帰ってきてメールを開けたとたんに仕事の待ち伏せを食らって、ずいぶんばたばたしていたからだろうな。スーツケースを一応しまったのはきのうだったし、テーブルの上にはまだ整理していないパンフや地図が山積みだし。もっとも、いつものことだという気もする。Déjà vuというやつか。

日曜日の夕方に納期があるし、その前の土曜日の夜は同業パーティだし、今日はほんとに鉢巻をを締めなおしてかからないと、またぞろぎりぎりで慌ててしまいそうだけど、こっちもdéjà vuってところで、さっぱり気合いが入らない。だらだら、もたもたやっていると、前回の仕事について質問が飛んで来る。実に細かいところまで目配りをして、的を得た質問をして来る人で、こっちも「えっと、ど~してこうなったんだっけ?」と頭を絞って、直すとところは直し、表現を変えるところは変え、なくてもいいものはその理由を説明する。実際に会ったことのある相手だから、ついよけいな背景知識をひけらかしたり、軽口のコメントまで入れたりして、こっちの方がよっぽどおもしろい。

今日はな~んとなく喉が痛い。風邪かなあ。東京では風邪を引いたかと思うような咳に悩まされた。会議では風邪を引いたという人が何人かいたし、東京に戻る飛行機では隣に座った若い人がやたらと咳をしていたから、喉が痛くて、咳が出始めたタイミングからして「やられた」と思ったんだけど、喉の痛みはすぐに取れて、鼻水も熱も関節痛もなく、咳と痰が出るだけ。薬局で買った浅田飴の咳止めドロップ(1回に大きなのを3個!)が効いたし、ティッシュは駅前で配っているのを(外国人にはくれないらしいので)こっちから手を出して調達したしで、何とかしのいだけど、バンクーバーに帰って来たその夜にけろっと咳が止まったから、結局は風邪ではなかったんだろう。たぶん、東京の空気の成分にアレルギー反応したのかもしれないな。

なにしろタバコを吸う人が珍しくなったところから来た身には、東京の空気はとにかくタバコの煙臭い。新宿駅西口前の歩道にある「喫煙エリア」では、仕切った場所から溢れるくらい大勢の人たちがいっせいにモクモクやっているもので、通行人は立ち込める青い煙(これって濃縮副流煙じゃない?)の中を通らなければならない。歩道には4ヵ国語の「路上禁煙」の標識が描かれているところを見ると、どうやら歩きながらのタバコは「マナー違反」でも立ち止まってなら吸ってもいいんだよってことらしいけど、「初めにマナーありき」なのかもしれないな。そういえば、小町横丁には近くにいる他人を「臭くてたまらない」とトピックを上げる人たちがいるけど、こういう不特定多数を「臭くてたまらない」と批難するトピックは見なかったような・・・。

夕食後、ゆうべぶっ飛ばして充電した(はずの)エコーのテストがてら、郊外のコリアンスーパーまで野菜類と魚の調達に遠征することにした。完全にすっからかんに干上がってしまうと、充電できなくなったりするから、ダメかなあと思いつつもおそるおそるエンジンをかける。あら、やたらと元気いっぱい。さては、「めんどくさくなってきたから売っちゃおうか」な~んて話していたのを聞いていたのかな。ゲンキンなやつ。土曜日にはパーティにワシントン州から参加する人も乗せるから、がんばってもらわないとね。ハイウェイは、混んではいないけど上りも下り(という概念はないけど)もかなりの交通量。まだ9時前だからなのか、いつもこんなぐあいなのかはわからないけど、ゆうべもそうだった。こっちは制限速度オーバーでガンガン飛ばしているのに、それをガンガン追い抜いていく車が多い。それとは関係ないとしても、今日は往復中に救急車に遭遇すること4回、消防車1回)。なんとも忙し
い世の中だこと。

野菜は(日本で食べて味をしめた)エリンギ、ぶなしめじ、大豆もやし、ししとうにオクラにニラ、しょうが。太いにんじんと大根。可動棚いっぱいに鉢植えのゴマの苗があった。韓国料理はゴマをよく使うようだから、自家栽培する人も多いんだろうな。実を採るのかなと思っていたら、カレシがゴマの葉を見つけて来たので、ほんとうはどうやって食べるのかわからないけど、お試し買い。魚類は半額セールをやっていたティラピア(包装には日本語で「いずみ鯛」と書いてある)にイカのげそに大きなほたてにビンナガにサケ。後はカレシの好きならっきょうや魚のソーセージ、リチの入ったナタデココ、ランチにする冷凍のキムチチヂミとイカとえびの韓国ギョーザ。けっこう大きな買い物になった。大きな店だから、多分韓国から直輸入の珍しいものがたくさんある。食洗機なのか洗濯機なのか、はたまた何なのかわからない家電まで置いてあって、ハングルを読めたらいいのになあと思うことしきり。ヒマになったら勉強してみるか・・・ん、まだまだそんなヒマはできそうにないかな。あ~あ・・・

まあ、あしたこそはエンジンをガンガン噴かしてハイウェイをぶっ飛ばさなきゃ。元気になったエコーの話じゃなくて、喉が痛かろうか何だろうが、エンジンをフル回転しないと二進も三進も行かなくなりそうなのはワタシの仕事の方・・・。

まあ、そんなにこだわらなくても・・・

5月14日。起床、正午。もう金曜日。今日こそは気合いを入れて仕事にかからないと。喉の痛みは治まったから、やっぱり風邪ではなかったんだろう。その代わり、というのもヘンだけど、今日は親指の付け根が痛い。寝ている間にうっかり曲げて、瞬間的な激痛で2度も目が覚めてしまった。(それで結局正午まで寝てしまったんだけど。)付け根の内側にコロコロしているところがあって、そこを押すと飛び上がるほど痛い。つまりは「腱鞘」というやつが炎症を起こして腫れているんだろうけど、最初に問題が起きた上の関節の方はコロコロがあっても押しても痛まない。このばね指、突然にそうなってもう2ヵ月。さっぱり改善されないどころか、利き手だから使わないわけにはいかないせいもあってか、悪化しているような気がする。困ったなあ・・・。

まあ、ワタシはだいたい両手利きだから、ピンチヒッターに右手を使えばちょっとぎごちないにしても一応は何とかなる。これが完全に右利き、左利きだったら、仕事にも日常生活にもさしつかえただろうな。ほんと、こんなときに片手利きの人たちはさぞ大変だろうと思うけど、どうしているんだろうな。実家住まいだった頃、母が利き腕を骨折して、家にひとりの昼間にランチに食べようと思ったハムを切ることができなくて泣きたくなった、「あんたは両手が使えていいねえ」と言ったことがあった。そもそもワタシが両手利きになったのは、娘の左利きを矯正しようと躍起だった母が、吃音障害が起きてあわてて中途でやめてくれたおかげなんだけどな。ま、人生というのは何が後になってどう転ぶかわからないもので、この「左がダメでも右がある」という一種の安心感があんがいワタシの能天気な性格の形成にひと役買ったのかもしれない。(これでけっこう一途なところもあるんだけど・・・。)

つまるところ、「左がダメなら右がある」というのは「左」と「右」のディコトミーなんだけど、ここのところを「左と右」と見るか、「左対右」と見るかによって、ものごとを見る視点が違って来ると思う。ワタシは一見して相反する2つのものがあって「ひとつの宇宙」ができていると考えるけど、「右か、左か」という二項対立の考え方をする人だってたくさんいる。右「と」左があると思えば、特にどっちにこだわることもないわけで、良く言えば柔軟、悪く言えばいい加減ということになるかな。これが右「か」左かという二択になると、どっちでもいいわけじゃないから、そこに「いい方を選択したい」という欲望が生まる。それ自体は当然の欲求なんだけど、そこで「いい方を選ぶこと」へのプレッシャがかかると「こだわり」が生まれるんじゃないかと思う。こだわりにこだわる人が増えれば、そこに「こだわりの文化」が生まれるだろうな。だけど、「こだわり」は本来あまりいい意味じゃないはずで、あるものや状態にこだわるということはその一点にズームインしてしまうということで、要するに「視野狭窄」。大きなことへのこだわりならまだしも、小さなことにこだわってしまうと半径5メートルの視界が5センチくらいになってしまって、自分の足元も行き先も見えなくなるんじゃないかと思うんだけど、どうなのかなあ。

両手利きで助かったという話がなぜかこだわりの話になってしまったけど、ひょっとしたら、東京で「こだわり」という言葉が溢れていて、なんだかみんな何かにしがみついているような感じがしたからかもしれない。その「何か」がひと目でそれとわかるブランド品だったり、画一的なファッションだったり、「イベリコ豚」だったり、「○○産のこだわり何とか」だったりするから、あんがいメディアの策謀で「こだわらせられている」のかもしれない。もっとも、ワタシもすっかり日本知らずの日系外国人になってしまっているらしいから、観光客が見た表面的な事象に対する印象に過ぎないじゃないかと言われたら、そうだろうなあと言うほかないんだけど。

ま、よけいなことにぶつぶつこだわってないで、夕食を済ませたら仕事に気合いを入れなくちゃ・・・。

華麗なる学歴の人たち

5月15日。土曜日。夕方のパーティの前にやれるだけやっておこうと、起きてから朝食もそこそこに、仕事の鬼に変身・・・とまではいかないけれど、まあ、けっこうまじめに仕事。外はいい天気なんだけど・・・。

ワシントン州からの友だちが迷子にならず無事に到着して、パーティに出かけるまでしばしのおしゃべり。実はきのう夜、我が家までの道順を知らせるのに、ちょっとばかり方向音痴なワタシが右折と左折を間違えて教えて、あわてて訂正するという一幕があった。でも、家を出る前に電話してくれて、カレシがわかりやすく説明してくれたので、自分も方向音痴だという彼女も迷子にならずに済んだ。右と左を取り違えるなんてことは日常茶飯事なのがワタシなんだけど、こういうのは困るよね。

パーティはカナダの同業者、アメリカの同業者が混じって、初対面同士も多いけど、和気あいあい。それにしても、フリーランスでこの商売をやっている人間って、同業同士で集まるとみんな猛烈なおしゃべりになるからすごい。ふだんひとりぼっちで仕事をしているせいなのかもしれないけど、10人くらい集まっただけでもすごいんだから、
100人以上集まったときの「音量」のすごさは形容しがたい。もっとも、同業といっても教育や経験の背景がそれぞれに違う。年代的に初めからキャリアとして目ざしたのではなく、人生の節目で「いつのまにか」この道に入ったという人たちが多いけど、みんな、日本のどこそこの大学を出て、どこそこの大学に留学して修士を取ったなんて華々しい経歴の人たちばかりで、「学歴ゼロ」なのはワタシだけだろうな。

まあ、統計用語で言うならば、グラフの線の周りに群れるたくさんの点々からぽつんと離れた「孤立値」みたいなものかな。いつもそういう気分で育った感じだから、目の前に「すごい人たち」がずらりといても気後れしないのがワタシで、たぶん、「空気の読めないやつ」ってことになるんだろうけど、ま、いいっか・・・。

楽しくおしゃべりしまくって、国境の南へ帰っていく友達を見送って、さて、また仕事。期限はあしたの午後8時。間に合うかなあ・・・