歌姫レストランにて
8月16日。うう、暑い。玄関ポーチの温度計は(日陰にあるのに)午後3時で28度。湿度が高めなせいか、日陰に入ってもす~っと涼しく感じない。いや、暑すぎ!今日から夏休みの最後を飾るフェア、PNEが始まる。ジンクス通りだと、PNEが始まると雨が降る。天気予報を見たら、この猛暑も日曜日限り。月曜日から3日連続の雨で、気温も20度以下。ヨーヨーじゃあるまいし、どうして平年並みにやれないのかなあ。
マザーネイチャーに文句を言っても始まらないけど、裏庭の菜園のトマトは大喜び。カレシによると、緑色のトマトが現在31個。去年はその倍以上の実がついたけど、病害で半分以上が腐る被害が出た。品種改良する前の珍しい種類のをたくさん植えたせいもあったけど、それに懲りて今年はごく一般的な園芸種にした。まだ花がたくさんあるから、あまり早くから雨続きにならないほうがいいんだけど、これもマザーネイチャーには馬耳東風だろうなあ。この炎天下に庭に出ていたカレシは着ていたシャツが汗でずぶぬれ。「うは~っ、蒸し暑い!」と、ワタシの手からコップをひったくって、ワタシが飲みかけていた水を一気飲み。あのね、「真昼の炎天下に外に出るのはキチガイ犬とイギリス人」っていうノエル・カワードの歌があるでしょうが・・・。
いたってのんきな土曜日だから、ごろごろしているうちにおなかが空く。今日のディナーは「Diva」と言うホテルのレストラン。ホテルの名前がメトロポリタンなのでニューヨークのメトロポリタンオペラにちなんで「歌姫」と命名したのかな。ブティックホテルと呼ばれる、ブランド名がつかない独立した高級ホテルにはいいレストランがある。「Diva」もそのひとつ。地元の有力雑誌が毎年やるレストラン評価では、ホテルレストラン部門で第2位に入っていた。というわけで、今日は味見をしに行こうということになった。道路向かいの大きなホテルは最近レストランを大改装したし、となりにあった古いホテルがホテル/超高級コンドミニアムとして完成すると、毎年最優秀レストランに選ばれる「West」の元シェフのレストランが入るし、最もセクシーな街とかに選ばれたファッショナブルなイェールタウンはそぞろ歩きの近さ。ダウンタウンそのものが小さいから、レストランの密度が高くなって、食道楽には便利でも、経営者にとっては厳しそうなのがバンクーバーの美食事情。
初めてということで、「味見メニュー」に決めた。突き出しは蓮華のようなスプーンに載った透明たまごのような不思議なもの。ニンジンのジュースを透明なゼリーのようなもので包んで冷やしたそうなんだけど、つるりと口に入ると甘いニンジンの味。どうやって作るのか、不思議。デザートまで5コースのメニューはカニのサラダ、スィートコーンのベルーテ(クルトンの代わりのポップコーンもおいしい。先週もサラダにパジリコ味のポップコーンがついてきたから、シェフたちの間ではメインコースにポップコーンを使うのがはやっているのかもしれない)、焼いたギンダラ、バイソンのヒレのステーキ。真っ白なお皿にソースをかけるのではなく、刷毛でさっと刷くのが今どき流。近頃のシェフは芸術的な才能まで要求されるから大変なのだ。デザートはイチジクのカルパッチオとシナモンのアイスクリーム。焼いたイチジクを開いてぺったんこにしたようなものだけど、ちょうどよく甘酸っぱくておいしかった。
ディナーが終わる頃に近くのテーブルに案内されて来た三人連れ。ひとりは日本人らしいところを見ると接待なのだろう。中高年の日本人男性は猫背でしょぼんとして見えるから日本人だとわかるんだけど、耳に入ってくる会話に「ジャパニーズ」という語が聞こえたから、間違いなく日本人。ちょっと秋葉原風のショルダーバッグをかけて、つい注目するくらいのおしゃれなスタイル。広告とかマスコミとかITといった文化系の職業なのかもしれないけど、なんとなく「小泉純一郎」風。よけいなお世話なんだけど、背中を伸ばして、腹筋に力を入れて歩いたら颯爽として見えるのに、あの猫背はほんとうに惜しい・・・。
もの言わざれば精神メタボ
8月17日。電子日記のつもりの軽い気持で開いたこのブログもめでたく満2周年。旅行などで家にいなかった日や仕事の大なだれに埋もれた日を除いたら、ほぼ毎日まじめに続けて来たってことが、まず三日坊主のワタシにしては大奇跡。それにしても、初めのうちはちょこちょこっと短かったのが、いつのまにやら、なんか冗長なおしゃべりに発展している。元々口数の多いワタシだから、きっと本性が現れたんだろう。
よくそんなにしゃべることがあると感心するけど、過去664本のどれも、実は大したことは書いていない。まあ、カナダの生活情報の発信とか、天下国家を論じるとか、そんな大仰なものではなくて、タイトルの通りにまさに「ぶつぶつ」の納めどころ。だけど、この頭の中でぶつぶつと聞こえているのは間違いなく自分の声だから・・・
それにしても、なのだ。もうちょっと簡潔に書けないもんだろうか。「Brevity is the soul of wit(簡潔は機知の魂)」と言ったのはハムレット。でも、人間は感情の動物でもあるし、感情は簡潔にといわれてもなあ。そこが理性に基づく科学と形而上学の違い、なんてえらそうなことを言ってみるけど、どっちも「学」なんだよなあ。英語だと何とか学は「何とかology」というのが多い。このologyというのは「言葉」を意味する古代ギリシャ語の「logos」から来ている。同じ語源の「logic」は「なぜかを説明する術」という意味なんだそうで、つまり、「何とかology」はその「何とか」について言葉で論じることなわけ。まさに、「初めに言葉ありき」で、人間は言葉の上に存在していると言っていい。(もっとも、ヨハネが言ったのは「神の言葉」なんだけど・・・。)
だとすれば、「多弁は悪」とするのは理屈に合わないような気がする。「言わなくてもわかる」ことを他人に期待するのはなんか傲慢な感じがする。ちょっと突っ込めば、心が「読めるもの」だとしたら、通りすがっただけで互いに考えていることがわかるだろうから、どっちも何も言わなくていい。心の中を他人に読まれたくなかったら、何も考えなければいいわけ。実際には「読む」というよりは「察する」ことなんで、言葉なんか無用の長物。察してもらえばいいわけだから、筋道を立てて考える必要もない。ちょっと見には楽そうだし、何よりも世の中が静かになるかもしれないけど、「察してもらう」ことを期待する側には気楽でも、「正しく」察することを期待される側にはなんかストレスになりそう。それで、そんなの疲れるからイヤだ・・・と?
やっぱり、人間は言葉ありき。だって、もしも神さまが人間を言葉を使わなくても互いにわかり合えるように作ったのだとしたら、「初めに(神の)言葉ありき」にはならないもの。口に出して言わずとも察しあうことを民族的美徳とする日本人だって、現実にはそんな芸当ができているわけじゃないから、積もる心のうちを聞いてもらいたくて「日記文学」を発達させたんじゃないのかなあ。聞くところによると、今やブログは日本人のお家芸のようになっていて、膨大な数のほとんどが「日記」なんだそうな。つまり、日本人にとっては、ブログは日記文学の伝統の延長線上にあるということ。昔から「もの言わざるは腹ふくるる業なり」と言うくらいだし、言いたいことがたくさんあるのに言わないでいると、おなかはどんどん膨れ上がる。これでは精神的メタボになって、健康被害も起きようというもの。人間は言葉があってこそ人間なんだから。
日々是好味
8月18日。月曜日。目を覚ましたのが午後12時40分だから、1日はすでに半分終わっている状態。ここのところなぜか「そろそろ寝るか~」という話になってからナイトキャップ片手におしゃべりを始めるもので、就寝時間が午前4時前後にずれ込んでいる。夏至の頃には(夏時間で)4時過ぎにはもう空が明るみ始めて、早起きの鳥の声に急かされるようにベッドに入っていたのが、今は薄明かりが始まるのは5時半すぎ。なんとなく体内時計が狂って、一種の時差ボケなのかもしれない。朝決まった時間に起きなくてもいい生活に入ってもう8年になるから、体内時計も「おうち標準時」みたいになっているのだろう。
カナダは65才が「定年」だから、今年65才のカレシはふつうなら今月限りでめでたく引退するはずだったんだけど、思いがけず早期退職ということになって、在宅稼業のワタシと隠居暮らしのカレシと、ひとつ屋根の下で1日いっしょの生活が始まった。それがもう8年も続いているんだから驚くしかない。振り返ってみれば、あの早期退職の「肩たたき」が、それまで吹き荒れていた大嵐が終焉へと方向転換するきっかけになったんだと思う。ほんとうに人生は塞翁が馬。大雨の後で地が固まったのかどうかは定かではないけど、少なくとも「日々是平穏」・・・
ディナーパーティの最後の「出席確認」があって、最終的に17人。レストランの個室利用に最低何人と言う要件がついていたもので、家族側と友だち側の子供世代の夫婦2組を欠席の返事があった場合のバックアップにしておいた。夏休みなもので連絡がつかなかったりして、二転三転したけど、欠席は1組だけ。そのままでも最低人数は満たせたけど、せっかくだからと2組とも招待。社交のプロトコルとして正しいかどうかはわからないから別として、家族と夫婦単位で付き合いの長い友だちが顔を合わせるわけだから、子供世代も両方を代表した方が釣り合いが取れると思うけど。こういうパーティの企画も場数を踏めばもっと如才なくやれるだろうけど、実は何よりも一番難しかったのはメニュー選びだった。なにしろ、食道楽のワタシはどうしても自分の好きなものにばかり目が行ってしまうんだもん・・・。
ワタシの還暦とカレシの定年祝いを兼ねた今年の大イベントは、お気に入りのレストランでいつも目をつけていた「ライブラリー」でのディナーパーティ。うん、カレシと結婚したときは、二人のアパートでワタシの精一杯の手料理で「披露宴」をやったんだよなあ。もちろん、出席したのはカレシの家族だけ。新郎のカレシにいたっては初めは乗り気じゃなかった。(最初の結婚式がトラウマだったのか・・・。)朝からなれないパーティ料理を作るのに没頭して、立会人になる義弟夫婦が迎えに来てから、急いでウェディングドレスに着替えて牧師さんの家に出かけて結婚式。晴れて夫婦になって帰ってきてからはまた料理・・・。嵐が過ぎて、もう一度きちんとした結婚式をしたいと提案しても、カレシは「いやだ」。そうだなあ、結婚式の夢は別の機会あるいは次の世に委ねるとして、還暦は確実に巡ってきた人生の到達点のひとつなんだから、好きなだけ派手にやってもいいよね・・・。
さて、今日の晩ご飯は何にしようかなあ。フライにしようと思って解凍してある大きなイカ。エビを使ってちょっぴりチュミチュミ風にやってみようか。チュミチュミってインドネシア語でイカを意味するんだけど、語感までがおいしそう。前にエビなんかを詰めたのがとってもおいしかったから、あのスタイルをまねて何か詰めてみるか。キノアだと適度の粘りがあっていいかなあ。これにエビと玉ねぎを混ぜて、カレーとサンバルで味付け。たっぷりと詰めてオーブンに入れたら、今にもはちきれそうに膨らんだ。レシピじゃないから、味は食べてのお楽しみ。生きていているからこそ、おいしいものをおいしく食べられる。ああ、日々是幸日・・・
異人種婚には国境なし
8月19日。雨空。今度はやたらと涼しい。正午の気温が15度。おとといに比べたら10度も低い。でも、イベントの準備は整ったし、幸いに休みモード継続中で何にもしなくてもいいから、二人してだらだら。こういうのを今どき日本流で「ほっこり」、「まったり」というのか、「静かに時間が流れる」というのかわからないけど、今日のディナーは脂の中にすっぽり沈めて2、3時間くらい「ことこと」と煮込む「鴨のもも肉のコンフィ」。こんな暮らしもいいもんだ~なんて思っていると、仕事がどんと来たりするから困るけど(生活があるから困るわけにはいかないか・・・)、有休がある勤め人と違って、フリーの稼業は「無休」ばかり。つまり、無給休暇か、でなければ年中無休。まあ、自分で選んだ道なんだけど・・・
バケーションから帰ったばかりの友人夫婦が立ち寄ってくれたので、コーヒーを飲みながらおしゃべり。カレシの元同僚のアルバートも早期引退組で、奥さんのローリーは教育学博士で現役高校教師。アルバートにはカレシに煽られて日本人のオンナノコに関心を持った前科?がある。「いっしょにナンバすれば怖くない」と言う心理かもしれないけど、恐妻家のアルバートは「夢を見た」だけで終わり。それでも、一時の夢でも忘れられないのかもしれない。久しぶりに会ったのに、会話はまた日本の話に向いて、カレシは「まだそんなこと」といいたげな渋い顔。そこで、「白人男と日本人女のカップルを揶揄するトピックが日本でもカナダでも盛り上がる」と言ったら、「そんなにいないよ」ときた。
さあ、どうなんだろう。たしかにダウンタウンではひと目で「外国人」とわかる若い女性のグループをよく見るけど、聞こえてくるのは韓国語の方が多いし、日本人のワーホリの募集枠が倍になったといっても、ダウンタウンで働くアジア系の人口に比べたら、まさにバケツに「ピチョン」と一滴ていどのものだから、目立つほどたくさんカップルができると思えないなあ。ひょっとしたら、単一民族の国から来たばかりの日本人は、白人男性と連れ立っているアジア系女性を見かけると「あ、日本人だ」と思ってしまうのかもしれない。そこでJIS規格のものさしを当てたら、見慣れた「幼女顔」や「激カワモテ服」じゃなくて、もっと大人の顔で年令に合った服装なものだから、「白人と付き合っている日本人女性はどうしてこうもブスでダサいの?」となるのかもしれない。日本人女性は歩き方でわかると言われるけど、顔と服装しか見ていないのかなあ。(もっとも、ワタシには日本人も韓国人も中国人も区別がつかないけど。)
バンクーバーでは異人種カップルなんかめずらしくもないもので、白人とアジア人のカップルはけっこうたくさん見かける。でも、見かけるというだけで特に「あれ?」という注意を引かれないのは、(白人系とアジア系の)カナダ人同士のカップルだから、服装もボディランゲージも違和感なく周囲の風景に溶け込んでいるせいだろう。ワタシとカレシが連れ立って歩いていたってただの熟年カップルでしかないし、日本から来た若い人たちからすると、ワタシは「海外日本人」の認識圏外になる。ちょっぴり遠い目になったアルバート、「前はほんとうにたくさんいたもんだけど」と。おいおい、早期退職で専業主夫になったのはいいけど、倦怠期じゃないだろうねえ。
まあ、若い女性が白馬の王子様とのロマンスを夢見るのは当然で、カナダに来れば青い目の王子様に遭遇するチャンスは多いし、日本人が欧米に憧れるように、アジアに憧れるカナダ人も多い。そういった交流からいろんな関係が生まれるし、「国境を越えた愛」が芽生える可能性だってある。ひたむきな愛もあれば、打算的な愛もあるのは、日本もカナダも違いはないはず。まあ、国際結婚の場合は外国人のダーリン、外国語をしゃべっての外国暮らし、ハーフの子、といった日本人との結婚にはない外見的な好?条件もあるのかもしれないけど、日本で高学歴と高収入が「好条件」ともてはやされるのとたいして変わりがないように思う。昔の見合い結婚のように、条件で結婚しても、いつか愛が芽生えるってこともあり得ると思う。要するに、男女のことは当事者と神さまのみぞ知るということで、にいちゃんねらたちの煽りネタに過敏に反応して喜ばせることもないだろうと思うけど・・・
食い気も三つ子の魂
8月20日。今日もまた正午を過ぎての起床。曇り空で湿っぽい。ポーチの温度計は14度。思わず我が目を疑って、10度と20度の間の目盛を確認。あ、やっぱり14度。これでまだ8月だなんて、ご冗談でしょ!だけど、なにしろPNEが始まると雨が降ることになってるからなあ。休みモードはこれで1週間。ヒマにあかせてカレシにじゃれついてみる。思いっきりじゃれて、きゃっきゃと笑い転げられるのも人目がないから。いつかは毎日がこんな暮らしになるときが来るんだろうなあ。だったら、「Practice makes perfect」というから、その日のために今から「二人濡れ落葉」のリハーサルを重ねておいたほうがいいねえ。
カレシの公的年金の支給金額の通知が来た。組合年金から消える「つなぎ」の金額より250ドルも多い。老齢年金も、「居住年数」を満たしているから満額支給になるはずで、3種類の年金を合わせたら、来月から一挙に30%も収入増になる。どれも物価スライド制だから、インフレになれば給付額も上がる。これに5年後には積み立ててきた個人年金も加わるので、年金は4種類になる。「今度はワタシが早期引退してもいいかなあ」といったら、カレシは「そうしろ、そうしろ」と乗ってきた。いいのかなあ、ほんとに引退しちゃっても・・・?
「焼きそばパンとコロッケパンとどっちが好き」・・・読売小町で見かけたタイトル。どうやらコンビニでよく売れているものらしいけど、コンビニ世代とは無縁なもので、「焼きそばパン」と聞いて焼きそばとパンのコンボかと思ってしまう。コンビニ商品なら、パンと焼きそばを一体化したものというイメージ。焼きそばバーガー、あるいは中国語英語で言うとチャウメインバーガーかなあ。おもしろいものがあるんだなあ。だけど、ちょっとググって見つけた写真の焼きそばパンは、う~ん、ちょっと食欲がわかない・・・
コロッケパンと聞いて真っ先に思い浮かべたのが、中学生のときに父がお弁当に作ってくれた「コロッケパン」。母と妹が泊りがけで出かけて、父とワタシは留守番。丸いパンを横に切って、上下の中身をくり出し、そのくぼみに刻みキャベツを詰めて、ソースを絡めたぶ厚いコロッケをはさんだ簡単なものだったけど、かっこよくハンカチで包んであった。そのコロッケが母が作り置いて行ったものか、父が作ったものかは覚えていないけど、「お父さんが作ってくれたお弁当」はそれだけで特別においしくて、一生の思い出に残るお弁当になったのだった。
一生の思い出になった食事は、8才くらいの頃に家族で行った洋食レストランでのフルコースディナー。日本が高度成長期に入ったばかりの昭和30年代初めの地方都市で、若い家族が高級なレストランで食事をするというのは何か特別のお祝いだったのか、あるいは父に何か意図するところがあったのか。よそ行きの服を着てコチコチになっていた「お行儀の良いお子様」が覚えているのはまっ白なテーブルクロスとデザートのアイスクリーム。銀色の高杯のようなお皿にのっていたバニラのアイスクリームに、子供心にこの世にはこんなにすばらしいことがあるのだと感動したのだった。半世紀前のあの体験と感動がワタシの心に蒔かれた「おいしいもの大好き」の種だったのはまちがいなしだなあ。
コロッケは日本の「おふくろの味」の代表格のひとつだろう。母もよく作ってくれたけど、バターで炒めた細切れの玉ねぎとニンジンとひき肉をつぶしたジャガイモに混ぜた揚げたてのコロッケは、ふわりとしていて、ほんのりとナツメッグの香りがした。なつかしい母の味なんだけど、自分でコロッケを作ったのはいつだったかなあ。まだ結婚したばかりで、異国での毎日の献立に四苦八苦していた頃だったろうか。コロッケを食べないで30年!?よし、今度作ってみよう。いっしょにキャベツとカイザーロールも買って来たら、「父の味」のコロッケパンができるかなあ・・・?
カレシの公的年金の支給金額の通知が来た。組合年金から消える「つなぎ」の金額より250ドルも多い。老齢年金も、「居住年数」を満たしているから満額支給になるはずで、3種類の年金を合わせたら、来月から一挙に30%も収入増になる。どれも物価スライド制だから、インフレになれば給付額も上がる。これに5年後には積み立ててきた個人年金も加わるので、年金は4種類になる。「今度はワタシが早期引退してもいいかなあ」といったら、カレシは「そうしろ、そうしろ」と乗ってきた。いいのかなあ、ほんとに引退しちゃっても・・・?
「焼きそばパンとコロッケパンとどっちが好き」・・・読売小町で見かけたタイトル。どうやらコンビニでよく売れているものらしいけど、コンビニ世代とは無縁なもので、「焼きそばパン」と聞いて焼きそばとパンのコンボかと思ってしまう。コンビニ商品なら、パンと焼きそばを一体化したものというイメージ。焼きそばバーガー、あるいは中国語英語で言うとチャウメインバーガーかなあ。おもしろいものがあるんだなあ。だけど、ちょっとググって見つけた写真の焼きそばパンは、う~ん、ちょっと食欲がわかない・・・
コロッケパンと聞いて真っ先に思い浮かべたのが、中学生のときに父がお弁当に作ってくれた「コロッケパン」。母と妹が泊りがけで出かけて、父とワタシは留守番。丸いパンを横に切って、上下の中身をくり出し、そのくぼみに刻みキャベツを詰めて、ソースを絡めたぶ厚いコロッケをはさんだ簡単なものだったけど、かっこよくハンカチで包んであった。そのコロッケが母が作り置いて行ったものか、父が作ったものかは覚えていないけど、「お父さんが作ってくれたお弁当」はそれだけで特別においしくて、一生の思い出に残るお弁当になったのだった。
一生の思い出になった食事は、8才くらいの頃に家族で行った洋食レストランでのフルコースディナー。日本が高度成長期に入ったばかりの昭和30年代初めの地方都市で、若い家族が高級なレストランで食事をするというのは何か特別のお祝いだったのか、あるいは父に何か意図するところがあったのか。よそ行きの服を着てコチコチになっていた「お行儀の良いお子様」が覚えているのはまっ白なテーブルクロスとデザートのアイスクリーム。銀色の高杯のようなお皿にのっていたバニラのアイスクリームに、子供心にこの世にはこんなにすばらしいことがあるのだと感動したのだった。半世紀前のあの体験と感動がワタシの心に蒔かれた「おいしいもの大好き」の種だったのはまちがいなしだなあ。
コロッケは日本の「おふくろの味」の代表格のひとつだろう。母もよく作ってくれたけど、バターで炒めた細切れの玉ねぎとニンジンとひき肉をつぶしたジャガイモに混ぜた揚げたてのコロッケは、ふわりとしていて、ほんのりとナツメッグの香りがした。なつかしい母の味なんだけど、自分でコロッケを作ったのはいつだったかなあ。まだ結婚したばかりで、異国での毎日の献立に四苦八苦していた頃だったろうか。コロッケを食べないで30年!?よし、今度作ってみよう。いっしょにキャベツとカイザーロールも買って来たら、「父の味」のコロッケパンができるかなあ・・・?
どこまでが日常会話?
8月21日。今日は雨模様のはずだったのに何で青空・・・?カレシの夏の英会話教室は今日が最終回。ポットラックでランチをするので朝食はコーヒーだけ。起き出して、速攻で「サーモンスシ」を作る。まあ、寿司といっても、寿司ご飯に、ちょっと塩でもんだキュウリとちぎったスモークサーモンを混ぜ込んで、白ゴマをパラパラと振りかけるだけの「モダンスシ」だから、いたって簡単なもの。ご飯を炊くサンヨーの電気釜は「嫁入り道具」だったから、もう齢33年なんだけど、めったに使わないせいか、まだかくしゃくとしている。今どきの「電子何とか機能」みたいなものが何にもないから、壊れようがないのかもしれないけれど。
いつもの教室に集まったら、先週欠席でパーティのことを知らなかったコクさんが、家がすぐそばだから庭でピクニックしようと提案。満場一致の賛成で、ぞろぞろとコクさんの家に押しかけた。ほんとうにすぐそばだったからびっくり。大(ラブラドルリトリーバー)中(ポメラニアン)小(チワワ)の3匹のワンちゃんが迎えてくれた。コクさんはカンボジア人。裕福な家庭だったため、ポルポト政権の圧制で無一文になって命からがらタイに逃れ、難民キャンプで暮らした後、親戚を頼ってフランスに渡り、中国系ベトナム人と結婚してカナダへ移住してきたという。夫とお姑さんと3人の子供の世話に明け暮れて英語をマスターするチャンスがなかったというけど、コクさんの英語は他の生徒さんより格段にレベルが高い。
コクさん一家の「公用語」は広東語。でも、末っ子が大学生の子供たちは、コクさんが広東語で話しても返事は英語ということが多いそうな。他の生徒さんたちも「うんうん」とうなずく。学校に行くようになれば、子供たちはいやでも英語が中心になる。出身国や母語に関係なく低学年の子供ほど英語力の発達が早いのは、子供にはその年令レベルの言語能力しか要求されないからで、小学校1年生が日常生活で必要とするの語彙は限られている。つまり、知っている世界が狭い小学生は、いくら「英語ペラペラ」でも、しょせん小学生レベルの内容しか話していないわけで、おとなの会話の内容とは天と地の開きがある。とどのつまり、会話と言うのは中身なんだけど、これはボディランゲージと同じく英語学校や教科書では教えられないから、おとなは苦闘することになる。
掲示板などでよく自分の英語能力を「日常会話のレベル」と格付け?しているのを見かけるけど、この「日常会話」という英語はいったいどのくらいのレベルのことを言うんだろう。日本にいて英語の勉強に励んでいるときは「日常会話をマスターしたい」、カナダに来るときは「日常会話は問題ない」、カナダにずっと住むことになったら「日常会話程度なので(ビジネス英語ができないから)仕事が見つからない」と、そのときに状況によって「レベル」が違ってくるらしいからややこしい。和英辞書を引いたら、「everyday English(毎日の英語)」。日本語でググっても、英語でググっても、ヒットするのは語学勉強や語学産業関連のサイトがほとんど。ふむ、なんだかセールストークくさいけど、「日常会話」って、初級?それとも中級?中級の上?「ビジネス(職場)英語」はもっと上級?じゃあ、「恋愛英語」は・・・?
だけど、なのだ。この「日常会話/everyday English」というのは、朝起きてから夜寝るまでの「毎日の英語での会話」ってことじゃなのかなあ。家族との会話も、恋人との熱い語らいも、オフィスでの同僚や取引先とのやり取りも、友だちとの噂話や政治論議も・・・どれも誰もが日々やっているような会話のことじゃないかと思うんだけど。つまり、英語で日常会話ができるということは、英語圏の土地でごく普通に英語で意思の疎通をして暮らせているってことじゃないのかなあ。恋をするのも、夫婦喧嘩をするのも、仕事をするのも、政治談議で盛り上がるのも、相対性理論を論じるのも、みんな人生の流れの中での日々の営みの「中身」だと思うんだけど、そうだとしたら、英語圏の人にとっては、毎日朝から晩までやり取りする会話のすべてが「日常会話」じゃないのかなあ・・・
風邪の予防に乾布まさつ
8月22日。のんびりモードが続くはずだったのに、店じまい?の間際にちょこちょこっとは済ませられない大きさの仕事が飛び込んできて、それも2つ。日本では金曜日の業務終了時間をとっく過ぎているはずだけど、週末を控えての駆け込み依頼が多いらしいので、こっちもちょっと残業モード。なにしろ、日本では終業時間なんて建前にすぎないらしいからなあ。発注先の企業がそんなだから、翻訳会社の担当者さんも金曜日の午後は気が抜けないそうな。まあ、週末から週明けにかけてはいろいろとあるもので、結局はひとつだけ引き受けた。
なんどやっても不思議なのが職場のもめごとレポート。職場という一種の閉鎖的な環境の人間関係の難しさは洋の東西を問わないと見えて、パワハラ、セクハラ、モラハラと、レポートを読むだけでハラハラしてしまう。日本のオフィス闘争は元からよどんだ水面下でどろどろしているという印象だけど、主役が女性だとこじれる傾向があるらしい。先輩、後輩、正社員に派遣写真、お局様に女性管理職。退屈虫もあくびしそうな契約書なんかよりよっぽど刺激的なもので、仕事が来るたびに「さて今度はなんだろう」とついワクワクしてしまうから、ワタシはしょーのない野次馬。
それにしても、今の20代、30代は精神的にひ弱だなあと感じてしまう。読売小町に書き込まれる悩みごとを見ていると、「ひ弱」なんてかわいいものじゃない。もう「病弱」と言えそうなくらいで、ちょっとばかりそよっと風が吹いただけで寝込んでしまうらしい。こういう虚弱体質には吹きっさらしでの乾布まさつを薦めたいところだけど、蝶よ花よと育ったらしい今どきの人たちは「乾布まさつ」なんて聞いたこともないだろう。「人の痛みがわかる人間」を育てるという日本国文部省の方針が想定外の結果を生んだということかもしれない。「人の痛み」がわかるのは自分の「痛み」をしることが前提なんだけど、今は子供の頃から親に叱られたことのない人が多いそうだから、自分の「心の痛み」に耐えた経験もないのだろう。予防注射で注射器を見ただけで「痛そうだ」と感じて泣き出す子供のようなものかもしれない。
これではいくらお役所が人の痛みを理解しろと言っても通じそうにない。人間としての「器」がまだ形成途上にある幼児には自分が感じる痛みしかわからないし、それは直感的に嫌なことでしかない。問題はそこなんじゃないのかなあ。バブル時代に世界の大国になったんだからもうがんばらなくてもいいという「ゆとり」の気分になったのかもしれない。「いやなことはしなくてもいい」というのは、裏を返せば「いやなことをさせられなくてもいい」ということでもある。人間、それで一生を送れたら天国なんだけど、どっこい、大人の世界はそうはいかない。おまけに嫌なことを「やるか、やらないか」まで自分で決めなければならないという二重苦を負わされるから、「いやなことをさせないで(痛い)」と泣き出すんだろうなあ。
日本語の「いや」はこれまたあいまいな表現で、英語にすると「don’t want」と「don’t like」の二通りの意味に取れる。どっちも否定だし、漢字で書くと「嫌」だから感覚的には後者の方が強いのかもしれない。ふむ、なんだか人見知りの「いやいや」みたいな様相になってきたなあ。幼児の人見知りは見慣れないものに対する本能的な警戒心で、いろいろなことに遭遇して、時には「痛い思い」を経験することでその警戒心を克服する知恵(自信)がつくのだと思う。それがおもいやりや勇気、寛容、愛といった人間性を納める「器」が成長するということだと思うし、それを促すのが躾であり、教育じゃないのかなあ。大人になってもまだ人見知りするというのはその「器」が十分に広がっていないということなのかもしれない。病的に見えるほどの清潔癖や視覚や嗅覚の過剰反応も、極端な言い方をすれば、まだ本能の支配が強い「成長前段階」を思わせるところがある。寒風の中での乾布まさつはちょっと見には荒っぽい方法だけど、風邪を引かない体を作るための昔からの知恵なわけで、心が風邪を引かないためには、心の乾布まさつが効くと思うんだけど・・・
とうとう本番の日が来た
8月23日。とうとうその日が来た。週の初めの雨がちの予報から一転してまあまあの空模様。少なくとも傘がいらないのでひと安心。明日が納期の仕事に手をつけたけど、トロントから鉄道で3日がかりで来たカレシの末弟夫婦が午後に来て、一緒の車でパーティに出かけるまでしばしのおしゃべり。まあ、あしたになったら特急クラスでがんばることにして、今日は思いっきり楽しんでしまおう。
ディナーパーティの細長い部屋では、テーブルに17人分のセッティングができていて、きれいな特製のメニューが置かれていた。三分の一ほどゲストが集まったところでシャンペンを抜いてもらった。ゲストが入ってくる入り口に氷を入れたバケツとグラスを置いて、担当のサーバーがゲストのグラスを注ぎ足し、到着するゲストにグラスを手渡してくれる。たぶん5本くらいは空けただろう。全員がそろってテーブルについたたところで、ワインを出してもらう。ワタシがホストだから、まずサンセールの白ワインの味見。う~ん、とってもいい。次いでオカナガンの赤ワインを味見。これもなかなかいける。両方がOKとなったところで、ゲストに好みのワインを注いで行く。なるほど、こういう手順か・・・
サーバーが料理のオーダーを取っても良いかと聞いてくる。みんなおしゃべりに忙しいもので、グラスをベル代わりにして「アテンション、プリーズ」。まず、来てくれたゲストに感謝の辞。カレシにハッピーバースディのトースト。ゲストがそれぞれ選んだ料理を注文し終わったところで、用意してあった「伝道の書」の第3章第1節から8節までを読み上げた。「すべてに時がある」というあれ。最後に「すべてに時がある。今は食べるとき」とやって締めくくったところで、つき出しが運ばれてきた。
お気に入りのレストランなので何度も食事をしているから、おいしいということは元から自信満々だったけど、いざ食べ始めるとみんなに大々好評。良かった。家族側のゲストと友人側のゲストの間でも和気あいあいのおしゃべりが進んでいる。個室でなければはた迷惑になりそうなくらいにぎやか。良かった。サーバーは目立たないけど、ちゃんと目を配っていると見えて、グラスのワインが少なくなるとさぁ~っと現れて、ワインを注ぎ足して、さぁ~っと消える。なるほど、これが極上のサービスの秘訣か・・・
終わる頃には家族側には初対面のゲストもまるで10年来の友だちのようになった。みんなが楽しんでくれたようで、パーティは大成功の三重花丸だなあ。シーラは向かいに座ったアルバートとローリーから家の掃除代行を頼まれてメルアドの交換。午後7時に始まって、お開きは午後11時。記念にメニューを持って帰ってもらった。最後にサインオフした勘定書きの「合計」は無理なく予算内。食べ歩きの経験がものを言ったのだろう。日にちを決めて予約してから、ゲストリストの作成と追跡、出欠確認、メニューの選定、シャンペンと赤白のワインの選定、メニューに印刷する「名言」の選定、そして出席人数の確認までけっこうスムーズにできて、ああ、良かった~(ほっ)。小規模ながら別室でのプライベートパーティを企画してみて、またとない経験になったと思う。それをみんなが喜んでくれたのだから、さすがにちょっと疲れたけど、言うことなしだなあ。ワタシよ、ごくろうさん!
お祭はおしまいです
8月24日。一夜明けて、おや、予報の通りに雨。なんだか荒れ模様でもある。正午過ぎにゆっくりと起きて、夕べの余韻を楽しみながら、朝食。パーティの計画を浮かんだ頃は何となく後ろ向きの姿勢だったカレシも「みんな楽しそうにしていたよなあ。大成功だったねえ」とご機嫌。ああだこうだ言ってたけど、やっぱりやってよかったと思うでしょ?
まあ、こういうことはふたを開けてみるまではわからないものなんだけど、少なくとも「ブティックホテルのプライベートルームでのちょっとお洒落なディナーパーティ」という「わくわく要素」が大きな役割を演じたことは確かだろう。これがどこにでもあるチェーンのレストランだったら、いくらカレシの言う「ただ酒、ただ飯」でも、遠い郊外から車で1時間以上もかけて行くのはけっこうめんどうくさい。だって、郊外にはショッピングセンターやハイウェイ沿いにそういうレストランがごまんとあって、ちっとも目新しくないもの。だから、主役は「日常ではないちょっとすてきなひととき」だったと言えそう。ワタシにとっては幻の「花嫁が輝く日」のようで、とっても幸せな夕べだったけど、カレシはそんなことは夢にも思っていないだろうから、内緒にして思い出に納めておくことにしようっと。
きのうやり残した仕事を終わらせて、締切の1時間前に納品して、また休みモード。北京でやっていたオリンピックもいつのまにやら終わったらしい。カナダは約束通りに後半になってからけっこうメダルを取れたようで、めでたし、めでたし。誰が何の競技でどんなメダルを取ったのか知らないけど、コカイン使用で二度もオリンピックから追放された馬術のエリック・ラマーズが一念発起でみごとに再起して勝ち取った金メダルは感動ものだと思う。どこの国が何個メダルを取ったかなんていう競争じゃなくて、こういう人間ドラマをさらっと報じてくれるほうがよっぽど爽やかで感動的なんだけど、まあ、オリンピックは万博と似たような、何のために血税を使ってやるのかわからない「お祭騒ぎ」だから・・・。
それにしても、「中国の力を見せるにはすべてが完璧であらねばならぬ」という思い入れをそれこそなりふりかまわず完璧に演出して見せてくれ中国もすごいなあ。国家の面子のためにはすぐにばれるような「偽装」もいとわず、ばれてもすましていられるんだから、脱帽するしかない。ギフトラップ思想もここまで来たらなんとなくすかっとしてしまうからすごい。日本の「偽装家」も、「では、頭を深く下げましょ~」式の馬鹿のひとつ覚えみたいなお詫び会見なんかやめて、中国式に「偽装ですが、何か?」と開き直ったらいいんじゃないのかなあ。まあ、頭を下げてお詫びしてしまったほうが、批判も議論もそこでなあなあとうやむやになってくれるからいいのかもしれないけど。
日本の新指導要領は「脱ゆとり教育」へと大転換するそうな。いわゆる「ゆとり教育」というのはバブル時代に始まったんだろうと思うけど、結果はなあんにも知らない、考えない世代。ん、考えるというのはどの世代でもあんまり重視されて来なかったように思うけど、ゲームにアニメ以外は「別にぃ~」という世代もそろそろ先頭は社会の中心になるべき年代。知らないよ。日本人は欧米の小中学校教育が日本より遅れているというけど、それは詰め込まれる知識の量の違い。どんなに博識であってもその知識をどうしていいかわからなければ宝の持ち腐れ。特に、質的にピンからキリまである情報が溢れかえっている今の世の中、知識の量よりもそれをどう使いこなすかを学んだ方が後々の人生でずっと役立つと思うんだけど、まあ、量のほうが測定してランクを付けやすいからなあ。子供にはもっと「考える」勉強をさせて、非効率な働き方で残業に明け暮れて今にも過労死しそうな大人にゆとりを与えたらどうなの?
義で結ばれた三人姉妹
8月25日。月曜日。前夜の閉店まぎわに飛び込んできた仕事を片付け、シーラとパートナーシップ復活のヴァルに先にオフィスを掃除してもらって、仕事の仕上げ。終わったところで、トロントの義弟夫婦が来て、一緒に今日の夕食の買い物に出かける。カレシのお目当ては酒屋。弟のデイヴィッドと二人であれこれとビールを選ぶこと10本ほど。その間、義妹のジュディとワタシはディナーパーティで出したサンセールの白ワインを探した。ロワール川の流域にあるサンセールは白ワインの名産地。パーティで味見したときに、「おお、これはいける」とうなった「シャトー・ド・サンセール2006年」。お値段はまあまあ。男はビール、女はワインと言うことになった。
ディナーのメニューは、食前のマティニのお供にスモークした鴨の胸肉とグリーンのコショウ粒が入ったチーズ。ワタシは飲みながら、前菜をつまみながら、おしゃべりをしながらの料理。今日のメインはマグロのステーキに黒オリーブのタペナードと飾りにケッパー1粒。つけ合せは巨大ズッキーニとバターナットというカボチャ。彩りは昆布だしで茹でた大根のサーモンキャビア詰め。サラダはカレシ特製サルサ。料理そのものはごく簡単なもので、盛り付けで点を稼ごうというもの。テーブルに出して「うわ~」という声が上がったら満点。オレンジ色の丸いカボチャに半月形のズッキーニを同じ方向に並べて、サーモンキャビアの赤い粒々が溢れそうな大根をあしらう。スプーンでタペナードをすくってマグロの上に載せて、その上にケッパーをちょこん。我ながらいい彩りだなあ。オレンジ、白、グリーンはどこの国旗だっけ?
あまり飲めないはずのジュディと二人でワインを空にしてしまった。ジュディも年と共に飲兵衛になったのかなあ。食後はブルーベリーとブドウのデザート。何本めかのビールを飲んでいる男たちは放っておいて、ジュディとワタシはアルマニャックで仕上げ。トロントの教会で、オルガン奏者兼聖歌隊の指揮者をやっていたジュディは口うるさい牧師とけんかして「やめさせていただきます」と颯爽と辞職したそうな。結婚したての頃はなんとなく頼りなく見得るくらい穏やかだったあのジュディも、いろいろと経験しながら年を重ねるにつれて、見違えるくらいに強くなった。亭主がやいやい言っても涼しい顔。その調子、その調子。今度は、教会の建物に間借りしている韓国人教会から、子供の英語教室の教師を頼まれているそうな。時給50ドルだというから、拍手喝さい。熟年女性は強いのだ。がんばれ~。
元義妹のマリルーからお礼メール。友だち側のゲストにワタシの「妹」と紹介したのがすごくうれしかったと言う。パーティでのゲストの紹介のしかたって、それぞれの家庭の事情があるもので、けっこう難しい。離婚した元夫のジム(カレシの次弟)とその現彼女のドナも来ているから、「義妹」なんていわずに「妹」の方がすっきり簡単。だって、年がひとつずつ違う私たち三人義姉妹は兄弟同士よりも仲がいい。バックグラウンドもライフスタイルも趣味もまったく違う3人だけど、「義理の家族」の観念なんかとっくの昔にどこかへ行ってしまって、会えば心おきなくおしゃべりができる三人姉妹のようなものなんだもの。あんがい、「sisters」という間柄には、日本語の「義姉/妹」のような義理家族の関係をややこしくする上下関係がないからかもしれない。私たちの関係は三人を結びつけたカレシ兄弟とは別のところで横に深く連帯した「sisterhood」。だからかな。ドナもすんなりと仲間入りしてしまったのは・・・?
コロッケ、作ったよ
8月26日。めずらしく来客が集中した我が家の「社交シーズン」も一段落して、なんかサスペンスたっぷりだけども意味のよくわからない夢を見ていて、目が覚めたらぎりぎりで午前中。ふ~ん、やっぱり年なのかなあ。はしゃぎすぎて知らないうちに疲れるとか。今日は朝食用のパンがないので、カレシがスクランブルエッグを作り、ワタシが厚切りにしたベーコンを焼いて、トーストしてマヨを塗ったカイザーロールにはさんだ「マッカイザー」で、お昼のニュースを見ながらの朝食。その後でカレシがさっそくパンを焼く準備にかかる。いつからパン焼きがカレシの仕事になったのか知らないけど、コツを完璧にマスターしたらレストランで出てくるようなパンをいろいろと試してみたいんだそうな。
ごちそうモードが続いたから、今日の夕食はコロッケ!そのためにきのうジャガイモを買っておいたんだから、盛大にコロッケを作るのだ!だけど、前に作ったのがあまりにも昔で、記憶がなんとなくあやしい。ま、なんとかなるか。大きなジャガイモ3個の皮をむいて、適当にコロコロと切って、大きめの鍋で茹でる。その間に、玉ねぎとニンジンを小さく切って、ひき肉と一緒にバターで炒めて、グリーンピースを混ぜる。味付けは塩とコショウとナツメッグとオールスパイス。と、ここまでは順調だったんだけど、はて、潰したジャガイモに混ぜるのは熱いうちだったか、冷ましてからだったか・・・。ま、いっか。あら熱をとって混ぜ合わせていると、スパイスを入れすぎたのか、全体がくすんだピンクになって来た。あれれ、母が作ったコロッケはこんな色してたかなあ・・・。
さらに冷めたところで、手に粉をつけながらコロッケの形にまとめる。なぜか17個できた。フライヤーを温めている間に、「しっかり卵をつけないと揚げるときにはじけるからね」と母が言っていたのを思い出しながら、そろっと、でも念入りに溶き卵につけて、パン粉をつける。まあ、一応は楕円形のコロッケの形。フライヤーの油が十分に温まったところで、6個ぐらいずつ揚げる。何分ぐらい揚げるんだっけ?さあ、そんなの覚えてない。しょうがないから、時々フライヤーを開けて、衣の色を見て、フォークの先でちょいちょいと突っついて揚がり具合をチェック。表面がカリッと感じたところで引き上げて、油の温度を上げてから次のバッチを入れる。最初の6個はまずまずのでき(に見える)。
気を良くして第2陣をチェックしたら、あれれ、5個しかないよ。いや、ちゃんと6個あるんだけど、1個はもののみごとにもぬけのから。はあ。そっとていねいに溶き卵をつけたんだけどなあ。やわらかいものだから、パン粉をつけるときか、油に入れるときか、どこかで形がゆがんて卵の膜が破れたのかなあ。こんがり揚がったパン粉の殻が恨めしいけど、パンク事故はこの1個だけ。極楽とんぼ流の「お母さんの味」風コロッケのできあがり。二度でも食べきれない数だから、カイザーロールとキャベツを買ってきて、「お父さんのお弁当」風のコロッケパンを作ってみようっと。
きざみキャベツはなかったけど、トンカツソースで食べるアツアツのコロッケはふわっとしておいしかった。なんとなく母の「隠し味」が抜けているような気もしたけど、ポテトクロケットじゃなくて、間違いなく日本の「コロッケ」。カレシはふうふうと吹きながら口に入れるたびに「Good!Good!」。すっかりうれしくなって、ワタシもとうとう4個も食べてしまった!
たまには寿司もいいな
8月27日。水曜日。そういえばイアンが我が家の庭で預かっていた自転車を取りに来る日。カレシのトラックで運ぶことになるから、一緒にどこかへ食事に行かないかという。きのう夜に入ってきた仕事が、段取りが済んだところで保留になったのはもっけの幸い。なにしろ、いっしょに食事に出かければいつもそのままどちらかの家で二次会ということになるもので、今日は川向こうだから、帰ってくるのは夜中近い予想。
2台の自転車をコンドミニアムの駐車場の一隅に作られた鍵付きの駐輪場に入れてひと休み。駐車場そのものにセキュリティの設備がないもので、自転車の盗難が続発したんだそうな。イアンの車もつい月曜日に後の窓ガラスを割られたと言う。あちこちに今すぐドラッグを買えるだけの小金が手に入ればいいという泥棒が横行している。それでとりあえず、駐輪場を作り、次は駐車場の出入口にカード式のロックをつけたシャッターを設置するんだそうだけど、区分所有式のコンドミニアムだから費用は住人が分担する。河口デルタのリッチモンドは地下水面が高くて地下駐車場を作りにくいから、コンドミニアムも3階建ての「駐車場ビル」に3棟の建物がつながっている。出入口も複数あるからけっこうな出費になるらしい。こういうことは住人が作る委員会で決めるわけだけど、案件によってはいろんな利害が対立してもめることも多いらしいから、便利そうなコンドミニアムにも頭痛の種はあるということ。
ブライアンが出張中でひとりのアーニャが勤めを終えて来ていた。出産予定まであと6週間ほど。順調なので何事もなければ9月いっぱい勤めると言う。初めは男と女の双子だったのが、その後の超音波検査で判断が覆って、どうやら二人とも男の子ということになったそうな。そういえば、公務員をやっていた頃、同僚のベビーシャワーで4人の子供を育てた年配のノニが「おなかが前に突き出していれば男の子、横に広がっていれば女の子」と言い、「絶対に男の子」と予言したら、その通りになったことがある。アーニャはまん丸に前に突き出しているから、ふむ、ノニの予言の通りかもしれないなあ。
食事どころは「瀬戸」というジャパニーズレストラン。リッチモンドは全体がチャイナタウンになったような観がある。そのリッチモンドにあるから中国人が経営しているのかと思ったら、どうやら日本人がやっているという話で、メニューを見たら大吟醸とか純米の日本酒リストがあった。カレシとワタシは二人前の「スシボート」を注文。最初に酢の物と味噌汁が出て来て、酢の物のほうは春雨とエビときゅうりのごく月並みなものだけど、味噌汁は実は少ないけど、どうやらダシの味がした。「ボート」というだけあって、「大漁船」に生牡蠣、天ぷら、刺身、寿司、サラダの盛り合わせ。天ぷらは開いて大きくしたらしいエビが2本で、後は野菜。天つゆはまあまあ。生牡蠣はポン酢と醤油らしい味。寿司はサケとマグロの握りが2個ずつに鉄火巻きにカリフォルニアロール。だけど、握りずしのネタがかなり大きい(というよりご飯が小さい)から感心。刺身は(大西洋)サケとマグロと白身の魚のすごい厚切りだ。アーニャはなんと味噌ラーメンと茶碗蒸しを注文したけど、出てきたラーメンは東京ラーメンにそっくりの具が載っていて、それらしい匂いが漂ってきた。
最近はやたらと安いのが取り柄の怪しげな「ジャパレス」ができているけど、ここはメニューにいわしやさんまの刺身があったし、隣にはどうもつながっていそうな「凡く~ら」という創作和食っぽい店があったから、ほんとうに日本系なのだろう。ただし、見回したところ客筋はほとんど中国系だったけど、人口の半分以上が中国系のリッチモンドなんだし、彼らは大のスシ好き。ふ~ん、イアンとバーバラも中心地に移ったことだし、少しリッチモンドのレストラン情勢を探索してみようかなあ・・・
心さびしいおとなたち
8月28日。また晩秋に戻ってしまったような寒々とした天気。日本でもとにかくすごい雨が降っているらしい。南の方では「フェイ」がハリケーンに昇格しないまま、フロリダ半島を東へ、西へと行きつ戻りつ、4回も上陸して、大雨を降らせたそうな。なんか変なことばかり目立つ天候。地球温暖化による気候変動は天候の過激化が特徴だと言うから、これもやはりそうなのかなあ。こんなにエアコンを使わない夏はめずらしい。真夏のままの服装だと家の中にいてもちょっと涼しいけど、めんどうくさいから、ぶつぶつ言いながらもそのまま。ま、明日の朝になって着替えればいいか・・・。
ゴーサインが出た保留の仕事をやっつける。なんかいまいち文脈がつながらないけど、どうやら男女の問題が持ち上がりつつあるらしいことはわかる。日本の職場の人間関係がいろいろと大変だなあ。でも、どうしてこうも次々と問題が起きるんだろうと思ってしまう。子供の遊び場でのことならともかく、れっきとした大人の社会なのに、遊び足りないまま社会に出てきちゃったのか・・・。
気晴らしに小町を見たら、「表情豊かなことが恥ずかしく思えてきた」という不可解な悩みを抱えた人がいた。離れていた職場に復帰したら、「無表情/低リアクション」の人が多いのに気づいたそうだけど、東京の電車に乗っていたら、無表情な人たちがみんな携帯とにらめっこしていて不気味に思ったから、なんとなく想像がつくなあ。書き込みの中に、「最近の日本人は心から疲れている人が多い」というのがあって、心が疲れれば表情だって乏しくもなるだろうということはわかるけど、表情の豊かな人と話していると疲れると言う人もいる。表情が豊かなことのどこが問題なのかわからないけど、うっかり言いたいことも言えず、うっかり表情を見せることもできない世の中ってすごく息苦しそう。表現主義派の極楽とんぼは羽をむしられたようにもがくだろうなあ・・・。
携帯といえば、いつでもどこでも打てる携帯メールは、自分だけの小さい端末を持ち歩けるものだから、「密室」という錯覚に陥るのか、理性のたがが外れてしまう人も多いらしい。手軽さのせいか、気安さのせいか、職場の男女間で、ごくありふれた仕事の連絡メールに始まって、個人的なコメントが忍び込み始め、それがエスカレートして不倫に発展したり、セクハラで訴えられたりなんてこともあるから危ない。実際にセクハラ騒動に発展したやり取りを見たことがあったけど、いい年のおじさんが我を忘れて舞い上がり、ストーカーのようになっていく過程はあまりかわいいものではなかった。
人間は心が疲れきったときや、孤独に耐えられないときは、ちょっとした甘いことにもぐらりとするもので、相手が異性だと、職場であれ、どこであれ、やさしくしてくれる(と思う)相手に「しがみつきたい気持」を「恋」と錯覚してしまいやすいとか。35年前のカレシの「恋」もそうだったろうし、ローカル掲示板にもそんな片思いに悶々とする乙女たちがたくさんいる。患者が医者やカウンセラーに「恋」をするのもよくあることだし、ワタシにも、うつ病のどん底で親身に話を聞いてくれるドクターへの「思い」に気づいてはっとなった経験がある。だけど、思春期返りじゃあるまいし、一時の気の迷いでそれまで築いてきた人生を棒に振るのは愚の骨頂だろうに、人間はいくつになっても寂しがりやなのかなあ・・・
よそさまは何をする人ぞ
8月29日。夏の最後の三連休の前日。月曜日はもう9月になって、一斉に新学年が始まる日。子供たちにとってはちょっと恨めしい三連休だろう。郊外のショッピングセンターは学用品や衣料品の買い出しをする親子連れでにぎわっていそう。近頃の子供はファッションにうるさいから親も大変らしい。子供がいないからその苦労だけはしないですんでいるけど。
イアンとバーバラに初孫第1号が誕生した。モントリオールに住む息子ロバートの赤ちゃんで、男の子。おかげで、週明けにモントリオールへ行くのに、娘の方を気にしながら出産を待たずに済むようになってほっとしたという。予定よりも2週間近く早く、朝方に急に産気づいて午後にはあっさり生まれてしまったそうだけど、ロバートは救急医療専門の医者だし、フィアンセは看護士だから、こういう場面にはなれたもんだろう。初孫にご対面したら、月半ばにはバンクーバーへ帰ってきて、アーニャの双子の出産待ち。おじいちゃん、おばあちゃんになるのも大変そう。私たちも、もしも子供がいたら、やれ結婚だ、出産だとあたふたしているかもしれないけど、のんきな隠居暮らしがひっくり返りそうだから、ま、人さまの子供や孫を無責任にかわいがっていられる方が楽でいいや。
たしかに子供が欲しいと思った時期もあったことはあったけど、周りの人たちにどんどん子供が生まれても、いっしょに喜びこそすれ、自分にできないからとへこんだことはないし、羨望や嫉妬も感じたことはないなあ。母性がないってわけじゃないだろうけど、小町などで友だちの妊娠、出産を羨ましがったり、妬んだりしているのを見ると、子供を持つって何なんだろうと思ってしまう。しまいには、子持ちのママの行動を「図々しい、非常識」と批判し、子持ちママは「女は子供を生んで一人前」、「自分は楽してうちの子に老後のめんどうを看させるつもり」と子なしの女性を非難するけど、結局は「持てる者と持たざる者」の妬み、僻みの応酬のように見えて来てしまう。ほんと、彼女たちにとって、子供を生み育てるって、いったいどういうことなんだろう。やっぱり子供も「持つもの」なのかなあ。
そもそも他人が自分にないものを、自分が欲しいものを持っているから羨ましいとか思わないワタシの方がちょっとおかしいのかなあ。子供の頃から、「誰それちゃんも持ってるから~」とねだると、「よそはよそ、うちはうち」と母にはねつけられることが多かった。たしかに、うちにはよそにはないのがあったりしたから、「そういうものか」と思い込んで育ったのかもしれないなあ。もちろん、「いいなあ、ワタシもほしいなあ」と思うことはよくあるけど、その後は「手に入れられるかなあ」という方に注意が向いて、人さまのことはどうでもよくなるもので、羨ましがって欲しかった人だったら「なによ、この人」とムカつくかもしれない。だけど、(自分が欲しいものをあの)人が持っているのが気にさわるという感覚はどうしても理解できないので、クレームはどうぞ「よそはよそ、うちはうち」主義者だった両親のほうへ・・・。
比較というのは「選択する」という行為の基本ではあるけど、単に優劣をつける目的のためだけにする比較は実益の少ない作業だと思うし、自分と他人を比べて優劣を判断しようというのだったら精神的にすごく疲れそう。元々比べようのないものはその違いをおもしろがるのが一番楽しいんじゃないかなあ。たとえば、異国に行って、「日本ではこうだけど・・・」という視点で比較すれば「ほう」という新鮮な発見の可能性があるけど、「日本ではこうなのに・・・」という視点からの比較は傲慢な優越感や偏見しか出てこないだろうし、せっかくの外国旅行の楽しみも半減してしまいそう。単に相対的位置を知りたいだけの比較だったら、やらないほうが羨望にも妬みにも僻みにも悩まされずにすみそうだし、落ち込みそうな自分を支えるのに疲れることもないだろうし、何よりもそれだけ世界が広がって見えるんじゃないかと思うんだけど、縦のものさしを捨てられないと、やっぱりむずかしいのかなあ・・・
スカンク阻止大作戦!
8月30日。あまり夏らしい気温ではないけど、とにかくお天気のいい土曜日。三連休第1日目、といっても関係ないけど、気分的にちょっとだけ「コンマ」を打っておくことにする。この数日朝方に胃腸の調子が悪くて目が覚めるもので毎日早くから起きてしまっているカレシ。どうみても心因性ということの方が多いから、胃弱といえるのかどうかわからないけど、このあたりもしっかりパパ譲り。気性などが父親にそっくりの息子のことを「a chip off the old block」と言うけど、まさにパパのクローンみたいなところが多い。
元々から複数の問題に同時に対応するのが苦手なカレシはそのストレスのしわ寄せがてきめんに胃腸に来る。(ワタシもずっと若かった頃には学校や職場のいろんなことがストレスだったのか、胃潰瘍とか神経性胃炎とか診断されたことが何度もあるから、理解はできるんだけど・・・。)9月に再開予定の英語教室について最終的な詰めが懸案になっていることもあるだろうけど、それよりも、介護ホームのゲストルームに泊まっていた末弟夫婦から聞いたパパの様子の方がかなり大きなストレス要因になっているらしい。一時危なかった肺炎が治って退院してからは、歩行困難は物理療法でかなり改善されたけど、精神面では些細なことで怒鳴り散らしたり、意味不明のことで人を非難したり、一番慕っていた孫息子に理不尽なことを繰り返して愛想を尽かされたりと、完全な認知症。カレシにとっては自分自身の将来像を垣間見たような気になるらしい。(そういう風にならないつもりなら大丈夫だってば・・・。)
そこへ2日前からまたスカンクの穴掘り作戦が始まったから、カレシはどうやらいっぱいいっぱい。ポーチの下にもぐり込もうと掘った穴を埋めても、塞いでも、しつこく掘りに来るから困ったもの。ひょっとして、このスカンクも認知症fなんじゃないだろうなあ。まあ、こっちも応急の処置だけで放置してあったから、スカンクもまだまだチャンスはあると思っているのかもしれない。喉もと過ぎて熱さを忘れるという点ではカレシもスカンクもいい勝負と言えそうだけど、寒くなるこれからは、暖かいねぐらを求めるスカンクの穴掘り作戦がエスカレートするのは必至。ワタシの手が空いている今のうちに恒久対策を実行に移した方が賢明ってものだよねえ・・・。
だけど、そこは「骨折りミニマリスト」のカレシ。とりあえずスカンクのお気に入りらしいポーチの端の部分だけということになって、まず最初にポーチと塀の間の土を30センチくらい除ける。踏み固まった部分はつるはしで起こし、植木の根っこはノコギリで処理して、掘った土は手押し車で庭の一角に運ぶから、けっこう汗をかく土方工事。その間に、ワタシはガレージにあった金網を測っておいた長さに切って、ポーチに固定する部分を20センチくらい直角に折り曲げ、(ホッチキスの親分のような)タッカーと針を用意して待機。熊手でだいたい均したらワタシの出番。金網を敷いて、折り曲げた部分をポーチの腰板にタッカーで固定。一発目をバン!とやったとたんに中指の腹をはさんで、巨大な血豆を作ってしまった。タッカーは別名をステープルガンという通り、大きなホッチキス針を強力なばねを使って打ち込むので、引き金を握るときに指先が内側に回りこんでしまうと、すごい力で挟まれて痛い思いをすることになる。まあ、日曜大工用の工具は平均的な男の手と力に合わせてあるから、女には扱いにくいものが多い。(最近は女性用に小型化した工具もかなり出回っているけど、パワーがいまいちで・・・)
金網の反対側も折り曲げて塀に固定したところで、土を戻す作業にかかる。ワタシもシャベルを持ち出して来て、カレシと交互にポーチの上を行ったり来たり。最後に熊手できれいにならして、土がこぼれたポーチをきれいに掃いて、工事は完了。スカンク、どうするだろうなあ。掘り始めたところで金網に爪を引っかけて「イテ~」ということになって、「こんなところに二度と来てやるもんか」と後ろ足で土をかけて去ってくれるといいけど、たぶんポーチの前のほうに回るだろうなあ。ま、効果のほどを見て、そっちも工事しよう。(それにしても、あの金網、そもそも何のために買ったんだったかなあ・・・?)
2時間足らずの工事でくたびれた二人。おでかけディナーは明日にして、今日は手間いらずの簡単料理。まずは二人でゆっくりと昼風呂につかって互いに背中をごしごし。差し込む午後の陽射しはなんとなく秋めいて見える。8月もあしたでもうおしまいなんだよねえ・・・。
今日もお手軽簡単非常食
8月31日。イェ~イ、8月は皆勤賞だ。まあ、それだけヒマだったってことなんだろうけど、過去の仕事ログを見たら、5年ぶりの超がつく暇な8月だったことになる。ふむ、5年前の2003年は1990年創業以来2番目の「業績不振」の年だった。翌年秋の会議でも、言語の組合せの違う人たちまでが「去年は苦しかった」と嘆いていたから、日本に限られたことではなく、世界の政治経済情勢が翻訳業界にも反映されたということだろう。そういえばSARSが世界を震撼させたのはあの年だった。今年はサブプライム風邪・・・
そもそも自営業というのは「ビジネス」だもんなあ。グローバルにビジネスを展開する企業が相手なんだから、企業から仕事をもらって生活しているこっちも、いつもアンテナを張って、世界経済の動向や政治情勢の変化をキャッチできなくてはならない。その点では、ビジネス関係の仕事はいろんな状況をチラチラと見ることができるから、いわば特等席なんだけど、さて、この「下降局面」はいつまで続くか・・・?
きのうの大工事が功を奏したのか、穴掘りスカンクの形跡はない。諦めて、もうこれっきりにしてくれるといいんだけど、敵もしつこいから、まだ23日は油断できないかな。金網に鼻づらを突っ込んで「あ~ん、入れないよ~」と泣きべそをかくところを見てみたい気もする。ま、スカンクが泣きべそをかくかどうかはわからないけど、「どうしてもだめなら諦める」という思考くらいはあってほしいもんだ。
天気がいいもので外で「農作業」のカレシ、切り上げて入って来たらもう6時。「でかけるの、なんかめんどうくさい」というから、きのうに続いて「非常用簡単食」になった。どうも我が家の非常食はなぜかごちそうになってしまうから不思議。きのうは刺身だったけど、これは肉より解けるのが早いし、スライスするだけで済むから「簡単料理」。カレシが「ポテトもいいなあ」と言うけど、いくらファストフードでも「サシミとフレンチフライ」はありえないよなあ。そこで、小さいジャガイモを電子レンジにかけて賽の目に切ったのをピーマンと一緒にバターで炒め、そこに同じ大きさに切ったスモークギンダラを混ぜてみた。結果はギンダラの塩味とジャガイモがよくマッチして、カレシは「もっと作ればよかったのに」。
今日はあさりのむき身がフリーザーに入っていたので、使い残しのクリームを利用してお手軽パスタ。玉ねぎとにんにくをオリーブ油でさっと炒めてから、たっぷりの白ワインをリダクション風に煮詰めて、あさりとクリームを入れるのが味の秘密(といっても、思いつきほやほやなんだけど)。おでかけがてら食料の買出しをする目論見が外れまくりで、カレシもサラダ用の野菜が底をついてしまったとかで、ニンジンと大根をジュリアンに切って、残っていたサルサで和えた「思いつきサラダ」。冷蔵庫にあったグリーンのぶどうをパラパラと散らしたら、けっこうグルメ風の仕上がりになった。それにしても、うちの「緊急時メニュー」って、その場で思いついた手軽なあり合わせ料理なのに、どうしていつもごちそうになっちゃうんだろうなあ・・・