リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年8月~その2

2008年08月31日 | 昔語り(2006~2013)
歌姫レストランにて

8月16日。うう、暑い。玄関ポーチの温度計は(日陰にあるのに)午後3時で28度。湿度が高めなせいか、日陰に入ってもす~っと涼しく感じない。いや、暑すぎ!今日から夏休みの最後を飾るフェア、PNEが始まる。ジンクス通りだと、PNEが始まると雨が降る。天気予報を見たら、この猛暑も日曜日限り。月曜日から3日連続の雨で、気温も20度以下。ヨーヨーじゃあるまいし、どうして平年並みにやれないのかなあ。

マザーネイチャーに文句を言っても始まらないけど、裏庭の菜園のトマトは大喜び。カレシによると、緑色のトマトが現在31個。去年はその倍以上の実がついたけど、病害で半分以上が腐る被害が出た。品種改良する前の珍しい種類のをたくさん植えたせいもあったけど、それに懲りて今年はごく一般的な園芸種にした。まだ花がたくさんあるから、あまり早くから雨続きにならないほうがいいんだけど、これもマザーネイチャーには馬耳東風だろうなあ。この炎天下に庭に出ていたカレシは着ていたシャツが汗でずぶぬれ。「うは~っ、蒸し暑い!」と、ワタシの手からコップをひったくって、ワタシが飲みかけていた水を一気飲み。あのね、「真昼の炎天下に外に出るのはキチガイ犬とイギリス人」っていうノエル・カワードの歌があるでしょうが・・・。

いたってのんきな土曜日だから、ごろごろしているうちにおなかが空く。今日のディナーは「Diva」と言うホテルのレストラン。ホテルの名前がメトロポリタンなのでニューヨークのメトロポリタンオペラにちなんで「歌姫」と命名したのかな。ブティックホテルと呼ばれる、ブランド名がつかない独立した高級ホテルにはいいレストランがある。「Diva」もそのひとつ。地元の有力雑誌が毎年やるレストラン評価では、ホテルレストラン部門で第2位に入っていた。というわけで、今日は味見をしに行こうということになった。道路向かいの大きなホテルは最近レストランを大改装したし、となりにあった古いホテルがホテル/超高級コンドミニアムとして完成すると、毎年最優秀レストランに選ばれる「West」の元シェフのレストランが入るし、最もセクシーな街とかに選ばれたファッショナブルなイェールタウンはそぞろ歩きの近さ。ダウンタウンそのものが小さいから、レストランの密度が高くなって、食道楽には便利でも、経営者にとっては厳しそうなのがバンクーバーの美食事情。

初めてということで、「味見メニュー」に決めた。突き出しは蓮華のようなスプーンに載った透明たまごのような不思議なもの。ニンジンのジュースを透明なゼリーのようなもので包んで冷やしたそうなんだけど、つるりと口に入ると甘いニンジンの味。どうやって作るのか、不思議。デザートまで5コースのメニューはカニのサラダ、スィートコーンのベルーテ(クルトンの代わりのポップコーンもおいしい。先週もサラダにパジリコ味のポップコーンがついてきたから、シェフたちの間ではメインコースにポップコーンを使うのがはやっているのかもしれない)、焼いたギンダラ、バイソンのヒレのステーキ。真っ白なお皿にソースをかけるのではなく、刷毛でさっと刷くのが今どき流。近頃のシェフは芸術的な才能まで要求されるから大変なのだ。デザートはイチジクのカルパッチオとシナモンのアイスクリーム。焼いたイチジクを開いてぺったんこにしたようなものだけど、ちょうどよく甘酸っぱくておいしかった。

ディナーが終わる頃に近くのテーブルに案内されて来た三人連れ。ひとりは日本人らしいところを見ると接待なのだろう。中高年の日本人男性は猫背でしょぼんとして見えるから日本人だとわかるんだけど、耳に入ってくる会話に「ジャパニーズ」という語が聞こえたから、間違いなく日本人。ちょっと秋葉原風のショルダーバッグをかけて、つい注目するくらいのおしゃれなスタイル。広告とかマスコミとかITといった文化系の職業なのかもしれないけど、なんとなく「小泉純一郎」風。よけいなお世話なんだけど、背中を伸ばして、腹筋に力を入れて歩いたら颯爽として見えるのに、あの猫背はほんとうに惜しい・・・。

もの言わざれば精神メタボ

8月17日。電子日記のつもりの軽い気持で開いたこのブログもめでたく満2周年。旅行などで家にいなかった日や仕事の大なだれに埋もれた日を除いたら、ほぼ毎日まじめに続けて来たってことが、まず三日坊主のワタシにしては大奇跡。それにしても、初めのうちはちょこちょこっと短かったのが、いつのまにやら、なんか冗長なおしゃべりに発展している。元々口数の多いワタシだから、きっと本性が現れたんだろう。

よくそんなにしゃべることがあると感心するけど、過去664本のどれも、実は大したことは書いていない。まあ、カナダの生活情報の発信とか、天下国家を論じるとか、そんな大仰なものではなくて、タイトルの通りにまさに「ぶつぶつ」の納めどころ。だけど、この頭の中でぶつぶつと聞こえているのは間違いなく自分の声だから・・・

それにしても、なのだ。もうちょっと簡潔に書けないもんだろうか。「Brevity is the soul of wit(簡潔は機知の魂)」と言ったのはハムレット。でも、人間は感情の動物でもあるし、感情は簡潔にといわれてもなあ。そこが理性に基づく科学と形而上学の違い、なんてえらそうなことを言ってみるけど、どっちも「学」なんだよなあ。英語だと何とか学は「何とかology」というのが多い。このologyというのは「言葉」を意味する古代ギリシャ語の「logos」から来ている。同じ語源の「logic」は「なぜかを説明する術」という意味なんだそうで、つまり、「何とかology」はその「何とか」について言葉で論じることなわけ。まさに、「初めに言葉ありき」で、人間は言葉の上に存在していると言っていい。(もっとも、ヨハネが言ったのは「神の言葉」なんだけど・・・。)

だとすれば、「多弁は悪」とするのは理屈に合わないような気がする。「言わなくてもわかる」ことを他人に期待するのはなんか傲慢な感じがする。ちょっと突っ込めば、心が「読めるもの」だとしたら、通りすがっただけで互いに考えていることがわかるだろうから、どっちも何も言わなくていい。心の中を他人に読まれたくなかったら、何も考えなければいいわけ。実際には「読む」というよりは「察する」ことなんで、言葉なんか無用の長物。察してもらえばいいわけだから、筋道を立てて考える必要もない。ちょっと見には楽そうだし、何よりも世の中が静かになるかもしれないけど、「察してもらう」ことを期待する側には気楽でも、「正しく」察することを期待される側にはなんかストレスになりそう。それで、そんなの疲れるからイヤだ・・・と?

やっぱり、人間は言葉ありき。だって、もしも神さまが人間を言葉を使わなくても互いにわかり合えるように作ったのだとしたら、「初めに(神の)言葉ありき」にはならないもの。口に出して言わずとも察しあうことを民族的美徳とする日本人だって、現実にはそんな芸当ができているわけじゃないから、積もる心のうちを聞いてもらいたくて「日記文学」を発達させたんじゃないのかなあ。聞くところによると、今やブログは日本人のお家芸のようになっていて、膨大な数のほとんどが「日記」なんだそうな。つまり、日本人にとっては、ブログは日記文学の伝統の延長線上にあるということ。昔から「もの言わざるは腹ふくるる業なり」と言うくらいだし、言いたいことがたくさんあるのに言わないでいると、おなかはどんどん膨れ上がる。これでは精神的メタボになって、健康被害も起きようというもの。人間は言葉があってこそ人間なんだから。

日々是好味

8月18日。月曜日。目を覚ましたのが午後12時40分だから、1日はすでに半分終わっている状態。ここのところなぜか「そろそろ寝るか~」という話になってからナイトキャップ片手におしゃべりを始めるもので、就寝時間が午前4時前後にずれ込んでいる。夏至の頃には(夏時間で)4時過ぎにはもう空が明るみ始めて、早起きの鳥の声に急かされるようにベッドに入っていたのが、今は薄明かりが始まるのは5時半すぎ。なんとなく体内時計が狂って、一種の時差ボケなのかもしれない。朝決まった時間に起きなくてもいい生活に入ってもう8年になるから、体内時計も「おうち標準時」みたいになっているのだろう。

カナダは65才が「定年」だから、今年65才のカレシはふつうなら今月限りでめでたく引退するはずだったんだけど、思いがけず早期退職ということになって、在宅稼業のワタシと隠居暮らしのカレシと、ひとつ屋根の下で1日いっしょの生活が始まった。それがもう8年も続いているんだから驚くしかない。振り返ってみれば、あの早期退職の「肩たたき」が、それまで吹き荒れていた大嵐が終焉へと方向転換するきっかけになったんだと思う。ほんとうに人生は塞翁が馬。大雨の後で地が固まったのかどうかは定かではないけど、少なくとも「日々是平穏」・・・

ディナーパーティの最後の「出席確認」があって、最終的に17人。レストランの個室利用に最低何人と言う要件がついていたもので、家族側と友だち側の子供世代の夫婦2組を欠席の返事があった場合のバックアップにしておいた。夏休みなもので連絡がつかなかったりして、二転三転したけど、欠席は1組だけ。そのままでも最低人数は満たせたけど、せっかくだからと2組とも招待。社交のプロトコルとして正しいかどうかはわからないから別として、家族と夫婦単位で付き合いの長い友だちが顔を合わせるわけだから、子供世代も両方を代表した方が釣り合いが取れると思うけど。こういうパーティの企画も場数を踏めばもっと如才なくやれるだろうけど、実は何よりも一番難しかったのはメニュー選びだった。なにしろ、食道楽のワタシはどうしても自分の好きなものにばかり目が行ってしまうんだもん・・・。

ワタシの還暦とカレシの定年祝いを兼ねた今年の大イベントは、お気に入りのレストランでいつも目をつけていた「ライブラリー」でのディナーパーティ。うん、カレシと結婚したときは、二人のアパートでワタシの精一杯の手料理で「披露宴」をやったんだよなあ。もちろん、出席したのはカレシの家族だけ。新郎のカレシにいたっては初めは乗り気じゃなかった。(最初の結婚式がトラウマだったのか・・・。)朝からなれないパーティ料理を作るのに没頭して、立会人になる義弟夫婦が迎えに来てから、急いでウェディングドレスに着替えて牧師さんの家に出かけて結婚式。晴れて夫婦になって帰ってきてからはまた料理・・・。嵐が過ぎて、もう一度きちんとした結婚式をしたいと提案しても、カレシは「いやだ」。そうだなあ、結婚式の夢は別の機会あるいは次の世に委ねるとして、還暦は確実に巡ってきた人生の到達点のひとつなんだから、好きなだけ派手にやってもいいよね・・・。

さて、今日の晩ご飯は何にしようかなあ。フライにしようと思って解凍してある大きなイカ。エビを使ってちょっぴりチュミチュミ風にやってみようか。チュミチュミってインドネシア語でイカを意味するんだけど、語感までがおいしそう。前にエビなんかを詰めたのがとってもおいしかったから、あのスタイルをまねて何か詰めてみるか。キノアだと適度の粘りがあっていいかなあ。これにエビと玉ねぎを混ぜて、カレーとサンバルで味付け。たっぷりと詰めてオーブンに入れたら、今にもはちきれそうに膨らんだ。レシピじゃないから、味は食べてのお楽しみ。生きていているからこそ、おいしいものをおいしく食べられる。ああ、日々是幸日・・・

異人種婚には国境なし

8月19日。雨空。今度はやたらと涼しい。正午の気温が15度。おとといに比べたら10度も低い。でも、イベントの準備は整ったし、幸いに休みモード継続中で何にもしなくてもいいから、二人してだらだら。こういうのを今どき日本流で「ほっこり」、「まったり」というのか、「静かに時間が流れる」というのかわからないけど、今日のディナーは脂の中にすっぽり沈めて2、3時間くらい「ことこと」と煮込む「鴨のもも肉のコンフィ」。こんな暮らしもいいもんだ~なんて思っていると、仕事がどんと来たりするから困るけど(生活があるから困るわけにはいかないか・・・)、有休がある勤め人と違って、フリーの稼業は「無休」ばかり。つまり、無給休暇か、でなければ年中無休。まあ、自分で選んだ道なんだけど・・・

バケーションから帰ったばかりの友人夫婦が立ち寄ってくれたので、コーヒーを飲みながらおしゃべり。カレシの元同僚のアルバートも早期引退組で、奥さんのローリーは教育学博士で現役高校教師。アルバートにはカレシに煽られて日本人のオンナノコに関心を持った前科?がある。「いっしょにナンバすれば怖くない」と言う心理かもしれないけど、恐妻家のアルバートは「夢を見た」だけで終わり。それでも、一時の夢でも忘れられないのかもしれない。久しぶりに会ったのに、会話はまた日本の話に向いて、カレシは「まだそんなこと」といいたげな渋い顔。そこで、「白人男と日本人女のカップルを揶揄するトピックが日本でもカナダでも盛り上がる」と言ったら、「そんなにいないよ」ときた。

さあ、どうなんだろう。たしかにダウンタウンではひと目で「外国人」とわかる若い女性のグループをよく見るけど、聞こえてくるのは韓国語の方が多いし、日本人のワーホリの募集枠が倍になったといっても、ダウンタウンで働くアジア系の人口に比べたら、まさにバケツに「ピチョン」と一滴ていどのものだから、目立つほどたくさんカップルができると思えないなあ。ひょっとしたら、単一民族の国から来たばかりの日本人は、白人男性と連れ立っているアジア系女性を見かけると「あ、日本人だ」と思ってしまうのかもしれない。そこでJIS規格のものさしを当てたら、見慣れた「幼女顔」や「激カワモテ服」じゃなくて、もっと大人の顔で年令に合った服装なものだから、「白人と付き合っている日本人女性はどうしてこうもブスでダサいの?」となるのかもしれない。日本人女性は歩き方でわかると言われるけど、顔と服装しか見ていないのかなあ。(もっとも、ワタシには日本人も韓国人も中国人も区別がつかないけど。)

バンクーバーでは異人種カップルなんかめずらしくもないもので、白人とアジア人のカップルはけっこうたくさん見かける。でも、見かけるというだけで特に「あれ?」という注意を引かれないのは、(白人系とアジア系の)カナダ人同士のカップルだから、服装もボディランゲージも違和感なく周囲の風景に溶け込んでいるせいだろう。ワタシとカレシが連れ立って歩いていたってただの熟年カップルでしかないし、日本から来た若い人たちからすると、ワタシは「海外日本人」の認識圏外になる。ちょっぴり遠い目になったアルバート、「前はほんとうにたくさんいたもんだけど」と。おいおい、早期退職で専業主夫になったのはいいけど、倦怠期じゃないだろうねえ。

まあ、若い女性が白馬の王子様とのロマンスを夢見るのは当然で、カナダに来れば青い目の王子様に遭遇するチャンスは多いし、日本人が欧米に憧れるように、アジアに憧れるカナダ人も多い。そういった交流からいろんな関係が生まれるし、「国境を越えた愛」が芽生える可能性だってある。ひたむきな愛もあれば、打算的な愛もあるのは、日本もカナダも違いはないはず。まあ、国際結婚の場合は外国人のダーリン、外国語をしゃべっての外国暮らし、ハーフの子、といった日本人との結婚にはない外見的な好?条件もあるのかもしれないけど、日本で高学歴と高収入が「好条件」ともてはやされるのとたいして変わりがないように思う。昔の見合い結婚のように、条件で結婚しても、いつか愛が芽生えるってこともあり得ると思う。要するに、男女のことは当事者と神さまのみぞ知るということで、にいちゃんねらたちの煽りネタに過敏に反応して喜ばせることもないだろうと思うけど・・・

食い気も三つ子の魂

8月20日。今日もまた正午を過ぎての起床。曇り空で湿っぽい。ポーチの温度計は14度。思わず我が目を疑って、10度と20度の間の目盛を確認。あ、やっぱり14度。これでまだ8月だなんて、ご冗談でしょ!だけど、なにしろPNEが始まると雨が降ることになってるからなあ。休みモードはこれで1週間。ヒマにあかせてカレシにじゃれついてみる。思いっきりじゃれて、きゃっきゃと笑い転げられるのも人目がないから。いつかは毎日がこんな暮らしになるときが来るんだろうなあ。だったら、「Practice makes perfect」というから、その日のために今から「二人濡れ落葉」のリハーサルを重ねておいたほうがいいねえ。

カレシの公的年金の支給金額の通知が来た。組合年金から消える「つなぎ」の金額より250ドルも多い。老齢年金も、「居住年数」を満たしているから満額支給になるはずで、3種類の年金を合わせたら、来月から一挙に30%も収入増になる。どれも物価スライド制だから、インフレになれば給付額も上がる。これに5年後には積み立ててきた個人年金も加わるので、年金は4種類になる。「今度はワタシが早期引退してもいいかなあ」といったら、カレシは「そうしろ、そうしろ」と乗ってきた。いいのかなあ、ほんとに引退しちゃっても・・・?

「焼きそばパンとコロッケパンとどっちが好き」・・・読売小町で見かけたタイトル。どうやらコンビニでよく売れているものらしいけど、コンビニ世代とは無縁なもので、「焼きそばパン」と聞いて焼きそばとパンのコンボかと思ってしまう。コンビニ商品なら、パンと焼きそばを一体化したものというイメージ。焼きそばバーガー、あるいは中国語英語で言うとチャウメインバーガーかなあ。おもしろいものがあるんだなあ。だけど、ちょっとググって見つけた写真の焼きそばパンは、う~ん、ちょっと食欲がわかない・・・

コロッケパンと聞いて真っ先に思い浮かべたのが、中学生のときに父がお弁当に作ってくれた「コロッケパン」。母と妹が泊りがけで出かけて、父とワタシは留守番。丸いパンを横に切って、上下の中身をくり出し、そのくぼみに刻みキャベツを詰めて、ソースを絡めたぶ厚いコロッケをはさんだ簡単なものだったけど、かっこよくハンカチで包んであった。そのコロッケが母が作り置いて行ったものか、父が作ったものかは覚えていないけど、「お父さんが作ってくれたお弁当」はそれだけで特別においしくて、一生の思い出に残るお弁当になったのだった。

一生の思い出になった食事は、8才くらいの頃に家族で行った洋食レストランでのフルコースディナー。日本が高度成長期に入ったばかりの昭和30年代初めの地方都市で、若い家族が高級なレストランで食事をするというのは何か特別のお祝いだったのか、あるいは父に何か意図するところがあったのか。よそ行きの服を着てコチコチになっていた「お行儀の良いお子様」が覚えているのはまっ白なテーブルクロスとデザートのアイスクリーム。銀色の高杯のようなお皿にのっていたバニラのアイスクリームに、子供心にこの世にはこんなにすばらしいことがあるのだと感動したのだった。半世紀前のあの体験と感動がワタシの心に蒔かれた「おいしいもの大好き」の種だったのはまちがいなしだなあ。

 コロッケは日本の「おふくろの味」の代表格のひとつだろう。母もよく作ってくれたけど、バターで炒めた細切れの玉ねぎとニンジンとひき肉をつぶしたジャガイモに混ぜた揚げたてのコロッケは、ふわりとしていて、ほんのりとナツメッグの香りがした。なつかしい母の味なんだけど、自分でコロッケを作ったのはいつだったかなあ。まだ結婚したばかりで、異国での毎日の献立に四苦八苦していた頃だったろうか。コロッケを食べないで30年!?よし、今度作ってみよう。いっしょにキャベツとカイザーロールも買って来たら、「父の味」のコロッケパンができるかなあ・・・?

どこまでが日常会話?

8月21日。今日は雨模様のはずだったのに何で青空・・・?カレシの夏の英会話教室は今日が最終回。ポットラックでランチをするので朝食はコーヒーだけ。起き出して、速攻で「サーモンスシ」を作る。まあ、寿司といっても、寿司ご飯に、ちょっと塩でもんだキュウリとちぎったスモークサーモンを混ぜ込んで、白ゴマをパラパラと振りかけるだけの「モダンスシ」だから、いたって簡単なもの。ご飯を炊くサンヨーの電気釜は「嫁入り道具」だったから、もう齢33年なんだけど、めったに使わないせいか、まだかくしゃくとしている。今どきの「電子何とか機能」みたいなものが何にもないから、壊れようがないのかもしれないけれど。

いつもの教室に集まったら、先週欠席でパーティのことを知らなかったコクさんが、家がすぐそばだから庭でピクニックしようと提案。満場一致の賛成で、ぞろぞろとコクさんの家に押しかけた。ほんとうにすぐそばだったからびっくり。大(ラブラドルリトリーバー)中(ポメラニアン)小(チワワ)の3匹のワンちゃんが迎えてくれた。コクさんはカンボジア人。裕福な家庭だったため、ポルポト政権の圧制で無一文になって命からがらタイに逃れ、難民キャンプで暮らした後、親戚を頼ってフランスに渡り、中国系ベトナム人と結婚してカナダへ移住してきたという。夫とお姑さんと3人の子供の世話に明け暮れて英語をマスターするチャンスがなかったというけど、コクさんの英語は他の生徒さんより格段にレベルが高い。

コクさん一家の「公用語」は広東語。でも、末っ子が大学生の子供たちは、コクさんが広東語で話しても返事は英語ということが多いそうな。他の生徒さんたちも「うんうん」とうなずく。学校に行くようになれば、子供たちはいやでも英語が中心になる。出身国や母語に関係なく低学年の子供ほど英語力の発達が早いのは、子供にはその年令レベルの言語能力しか要求されないからで、小学校1年生が日常生活で必要とするの語彙は限られている。つまり、知っている世界が狭い小学生は、いくら「英語ペラペラ」でも、しょせん小学生レベルの内容しか話していないわけで、おとなの会話の内容とは天と地の開きがある。とどのつまり、会話と言うのは中身なんだけど、これはボディランゲージと同じく英語学校や教科書では教えられないから、おとなは苦闘することになる。

掲示板などでよく自分の英語能力を「日常会話のレベル」と格付け?しているのを見かけるけど、この「日常会話」という英語はいったいどのくらいのレベルのことを言うんだろう。日本にいて英語の勉強に励んでいるときは「日常会話をマスターしたい」、カナダに来るときは「日常会話は問題ない」、カナダにずっと住むことになったら「日常会話程度なので(ビジネス英語ができないから)仕事が見つからない」と、そのときに状況によって「レベル」が違ってくるらしいからややこしい。和英辞書を引いたら、「everyday English(毎日の英語)」。日本語でググっても、英語でググっても、ヒットするのは語学勉強や語学産業関連のサイトがほとんど。ふむ、なんだかセールストークくさいけど、「日常会話」って、初級?それとも中級?中級の上?「ビジネス(職場)英語」はもっと上級?じゃあ、「恋愛英語」は・・・?

だけど、なのだ。この「日常会話/everyday English」というのは、朝起きてから夜寝るまでの「毎日の英語での会話」ってことじゃなのかなあ。家族との会話も、恋人との熱い語らいも、オフィスでの同僚や取引先とのやり取りも、友だちとの噂話や政治論議も・・・どれも誰もが日々やっているような会話のことじゃないかと思うんだけど。つまり、英語で日常会話ができるということは、英語圏の土地でごく普通に英語で意思の疎通をして暮らせているってことじゃないのかなあ。恋をするのも、夫婦喧嘩をするのも、仕事をするのも、政治談議で盛り上がるのも、相対性理論を論じるのも、みんな人生の流れの中での日々の営みの「中身」だと思うんだけど、そうだとしたら、英語圏の人にとっては、毎日朝から晩までやり取りする会話のすべてが「日常会話」じゃないのかなあ・・・

風邪の予防に乾布まさつ

8月22日。のんびりモードが続くはずだったのに、店じまい?の間際にちょこちょこっとは済ませられない大きさの仕事が飛び込んできて、それも2つ。日本では金曜日の業務終了時間をとっく過ぎているはずだけど、週末を控えての駆け込み依頼が多いらしいので、こっちもちょっと残業モード。なにしろ、日本では終業時間なんて建前にすぎないらしいからなあ。発注先の企業がそんなだから、翻訳会社の担当者さんも金曜日の午後は気が抜けないそうな。まあ、週末から週明けにかけてはいろいろとあるもので、結局はひとつだけ引き受けた。

なんどやっても不思議なのが職場のもめごとレポート。職場という一種の閉鎖的な環境の人間関係の難しさは洋の東西を問わないと見えて、パワハラ、セクハラ、モラハラと、レポートを読むだけでハラハラしてしまう。日本のオフィス闘争は元からよどんだ水面下でどろどろしているという印象だけど、主役が女性だとこじれる傾向があるらしい。先輩、後輩、正社員に派遣写真、お局様に女性管理職。退屈虫もあくびしそうな契約書なんかよりよっぽど刺激的なもので、仕事が来るたびに「さて今度はなんだろう」とついワクワクしてしまうから、ワタシはしょーのない野次馬。

それにしても、今の20代、30代は精神的にひ弱だなあと感じてしまう。読売小町に書き込まれる悩みごとを見ていると、「ひ弱」なんてかわいいものじゃない。もう「病弱」と言えそうなくらいで、ちょっとばかりそよっと風が吹いただけで寝込んでしまうらしい。こういう虚弱体質には吹きっさらしでの乾布まさつを薦めたいところだけど、蝶よ花よと育ったらしい今どきの人たちは「乾布まさつ」なんて聞いたこともないだろう。「人の痛みがわかる人間」を育てるという日本国文部省の方針が想定外の結果を生んだということかもしれない。「人の痛み」がわかるのは自分の「痛み」をしることが前提なんだけど、今は子供の頃から親に叱られたことのない人が多いそうだから、自分の「心の痛み」に耐えた経験もないのだろう。予防注射で注射器を見ただけで「痛そうだ」と感じて泣き出す子供のようなものかもしれない。

これではいくらお役所が人の痛みを理解しろと言っても通じそうにない。人間としての「器」がまだ形成途上にある幼児には自分が感じる痛みしかわからないし、それは直感的に嫌なことでしかない。問題はそこなんじゃないのかなあ。バブル時代に世界の大国になったんだからもうがんばらなくてもいいという「ゆとり」の気分になったのかもしれない。「いやなことはしなくてもいい」というのは、裏を返せば「いやなことをさせられなくてもいい」ということでもある。人間、それで一生を送れたら天国なんだけど、どっこい、大人の世界はそうはいかない。おまけに嫌なことを「やるか、やらないか」まで自分で決めなければならないという二重苦を負わされるから、「いやなことをさせないで(痛い)」と泣き出すんだろうなあ。

日本語の「いや」はこれまたあいまいな表現で、英語にすると「don’t want」と「don’t like」の二通りの意味に取れる。どっちも否定だし、漢字で書くと「嫌」だから感覚的には後者の方が強いのかもしれない。ふむ、なんだか人見知りの「いやいや」みたいな様相になってきたなあ。幼児の人見知りは見慣れないものに対する本能的な警戒心で、いろいろなことに遭遇して、時には「痛い思い」を経験することでその警戒心を克服する知恵(自信)がつくのだと思う。それがおもいやりや勇気、寛容、愛といった人間性を納める「器」が成長するということだと思うし、それを促すのが躾であり、教育じゃないのかなあ。大人になってもまだ人見知りするというのはその「器」が十分に広がっていないということなのかもしれない。病的に見えるほどの清潔癖や視覚や嗅覚の過剰反応も、極端な言い方をすれば、まだ本能の支配が強い「成長前段階」を思わせるところがある。寒風の中での乾布まさつはちょっと見には荒っぽい方法だけど、風邪を引かない体を作るための昔からの知恵なわけで、心が風邪を引かないためには、心の乾布まさつが効くと思うんだけど・・・

とうとう本番の日が来た

8月23日。とうとうその日が来た。週の初めの雨がちの予報から一転してまあまあの空模様。少なくとも傘がいらないのでひと安心。明日が納期の仕事に手をつけたけど、トロントから鉄道で3日がかりで来たカレシの末弟夫婦が午後に来て、一緒の車でパーティに出かけるまでしばしのおしゃべり。まあ、あしたになったら特急クラスでがんばることにして、今日は思いっきり楽しんでしまおう。

ディナーパーティの細長い部屋では、テーブルに17人分のセッティングができていて、きれいな特製のメニューが置かれていた。三分の一ほどゲストが集まったところでシャンペンを抜いてもらった。ゲストが入ってくる入り口に氷を入れたバケツとグラスを置いて、担当のサーバーがゲストのグラスを注ぎ足し、到着するゲストにグラスを手渡してくれる。たぶん5本くらいは空けただろう。全員がそろってテーブルについたたところで、ワインを出してもらう。ワタシがホストだから、まずサンセールの白ワインの味見。う~ん、とってもいい。次いでオカナガンの赤ワインを味見。これもなかなかいける。両方がOKとなったところで、ゲストに好みのワインを注いで行く。なるほど、こういう手順か・・・

サーバーが料理のオーダーを取っても良いかと聞いてくる。みんなおしゃべりに忙しいもので、グラスをベル代わりにして「アテンション、プリーズ」。まず、来てくれたゲストに感謝の辞。カレシにハッピーバースディのトースト。ゲストがそれぞれ選んだ料理を注文し終わったところで、用意してあった「伝道の書」の第3章第1節から8節までを読み上げた。「すべてに時がある」というあれ。最後に「すべてに時がある。今は食べるとき」とやって締めくくったところで、つき出しが運ばれてきた。

お気に入りのレストランなので何度も食事をしているから、おいしいということは元から自信満々だったけど、いざ食べ始めるとみんなに大々好評。良かった。家族側のゲストと友人側のゲストの間でも和気あいあいのおしゃべりが進んでいる。個室でなければはた迷惑になりそうなくらいにぎやか。良かった。サーバーは目立たないけど、ちゃんと目を配っていると見えて、グラスのワインが少なくなるとさぁ~っと現れて、ワインを注ぎ足して、さぁ~っと消える。なるほど、これが極上のサービスの秘訣か・・・

終わる頃には家族側には初対面のゲストもまるで10年来の友だちのようになった。みんなが楽しんでくれたようで、パーティは大成功の三重花丸だなあ。シーラは向かいに座ったアルバートとローリーから家の掃除代行を頼まれてメルアドの交換。午後7時に始まって、お開きは午後11時。記念にメニューを持って帰ってもらった。最後にサインオフした勘定書きの「合計」は無理なく予算内。食べ歩きの経験がものを言ったのだろう。日にちを決めて予約してから、ゲストリストの作成と追跡、出欠確認、メニューの選定、シャンペンと赤白のワインの選定、メニューに印刷する「名言」の選定、そして出席人数の確認までけっこうスムーズにできて、ああ、良かった~(ほっ)。小規模ながら別室でのプライベートパーティを企画してみて、またとない経験になったと思う。それをみんなが喜んでくれたのだから、さすがにちょっと疲れたけど、言うことなしだなあ。ワタシよ、ごくろうさん!

お祭はおしまいです

8月24日。一夜明けて、おや、予報の通りに雨。なんだか荒れ模様でもある。正午過ぎにゆっくりと起きて、夕べの余韻を楽しみながら、朝食。パーティの計画を浮かんだ頃は何となく後ろ向きの姿勢だったカレシも「みんな楽しそうにしていたよなあ。大成功だったねえ」とご機嫌。ああだこうだ言ってたけど、やっぱりやってよかったと思うでしょ?

まあ、こういうことはふたを開けてみるまではわからないものなんだけど、少なくとも「ブティックホテルのプライベートルームでのちょっとお洒落なディナーパーティ」という「わくわく要素」が大きな役割を演じたことは確かだろう。これがどこにでもあるチェーンのレストランだったら、いくらカレシの言う「ただ酒、ただ飯」でも、遠い郊外から車で1時間以上もかけて行くのはけっこうめんどうくさい。だって、郊外にはショッピングセンターやハイウェイ沿いにそういうレストランがごまんとあって、ちっとも目新しくないもの。だから、主役は「日常ではないちょっとすてきなひととき」だったと言えそう。ワタシにとっては幻の「花嫁が輝く日」のようで、とっても幸せな夕べだったけど、カレシはそんなことは夢にも思っていないだろうから、内緒にして思い出に納めておくことにしようっと。

きのうやり残した仕事を終わらせて、締切の1時間前に納品して、また休みモード。北京でやっていたオリンピックもいつのまにやら終わったらしい。カナダは約束通りに後半になってからけっこうメダルを取れたようで、めでたし、めでたし。誰が何の競技でどんなメダルを取ったのか知らないけど、コカイン使用で二度もオリンピックから追放された馬術のエリック・ラマーズが一念発起でみごとに再起して勝ち取った金メダルは感動ものだと思う。どこの国が何個メダルを取ったかなんていう競争じゃなくて、こういう人間ドラマをさらっと報じてくれるほうがよっぽど爽やかで感動的なんだけど、まあ、オリンピックは万博と似たような、何のために血税を使ってやるのかわからない「お祭騒ぎ」だから・・・。

それにしても、「中国の力を見せるにはすべてが完璧であらねばならぬ」という思い入れをそれこそなりふりかまわず完璧に演出して見せてくれ中国もすごいなあ。国家の面子のためにはすぐにばれるような「偽装」もいとわず、ばれてもすましていられるんだから、脱帽するしかない。ギフトラップ思想もここまで来たらなんとなくすかっとしてしまうからすごい。日本の「偽装家」も、「では、頭を深く下げましょ~」式の馬鹿のひとつ覚えみたいなお詫び会見なんかやめて、中国式に「偽装ですが、何か?」と開き直ったらいいんじゃないのかなあ。まあ、頭を下げてお詫びしてしまったほうが、批判も議論もそこでなあなあとうやむやになってくれるからいいのかもしれないけど。

日本の新指導要領は「脱ゆとり教育」へと大転換するそうな。いわゆる「ゆとり教育」というのはバブル時代に始まったんだろうと思うけど、結果はなあんにも知らない、考えない世代。ん、考えるというのはどの世代でもあんまり重視されて来なかったように思うけど、ゲームにアニメ以外は「別にぃ~」という世代もそろそろ先頭は社会の中心になるべき年代。知らないよ。日本人は欧米の小中学校教育が日本より遅れているというけど、それは詰め込まれる知識の量の違い。どんなに博識であってもその知識をどうしていいかわからなければ宝の持ち腐れ。特に、質的にピンからキリまである情報が溢れかえっている今の世の中、知識の量よりもそれをどう使いこなすかを学んだ方が後々の人生でずっと役立つと思うんだけど、まあ、量のほうが測定してランクを付けやすいからなあ。子供にはもっと「考える」勉強をさせて、非効率な働き方で残業に明け暮れて今にも過労死しそうな大人にゆとりを与えたらどうなの?

義で結ばれた三人姉妹

8月25日。月曜日。前夜の閉店まぎわに飛び込んできた仕事を片付け、シーラとパートナーシップ復活のヴァルに先にオフィスを掃除してもらって、仕事の仕上げ。終わったところで、トロントの義弟夫婦が来て、一緒に今日の夕食の買い物に出かける。カレシのお目当ては酒屋。弟のデイヴィッドと二人であれこれとビールを選ぶこと10本ほど。その間、義妹のジュディとワタシはディナーパーティで出したサンセールの白ワインを探した。ロワール川の流域にあるサンセールは白ワインの名産地。パーティで味見したときに、「おお、これはいける」とうなった「シャトー・ド・サンセール2006年」。お値段はまあまあ。男はビール、女はワインと言うことになった。

ディナーのメニューは、食前のマティニのお供にスモークした鴨の胸肉とグリーンのコショウ粒が入ったチーズ。ワタシは飲みながら、前菜をつまみながら、おしゃべりをしながらの料理。今日のメインはマグロのステーキに黒オリーブのタペナードと飾りにケッパー1粒。つけ合せは巨大ズッキーニとバターナットというカボチャ。彩りは昆布だしで茹でた大根のサーモンキャビア詰め。サラダはカレシ特製サルサ。料理そのものはごく簡単なもので、盛り付けで点を稼ごうというもの。テーブルに出して「うわ~」という声が上がったら満点。オレンジ色の丸いカボチャに半月形のズッキーニを同じ方向に並べて、サーモンキャビアの赤い粒々が溢れそうな大根をあしらう。スプーンでタペナードをすくってマグロの上に載せて、その上にケッパーをちょこん。我ながらいい彩りだなあ。オレンジ、白、グリーンはどこの国旗だっけ?

あまり飲めないはずのジュディと二人でワインを空にしてしまった。ジュディも年と共に飲兵衛になったのかなあ。食後はブルーベリーとブドウのデザート。何本めかのビールを飲んでいる男たちは放っておいて、ジュディとワタシはアルマニャックで仕上げ。トロントの教会で、オルガン奏者兼聖歌隊の指揮者をやっていたジュディは口うるさい牧師とけんかして「やめさせていただきます」と颯爽と辞職したそうな。結婚したての頃はなんとなく頼りなく見得るくらい穏やかだったあのジュディも、いろいろと経験しながら年を重ねるにつれて、見違えるくらいに強くなった。亭主がやいやい言っても涼しい顔。その調子、その調子。今度は、教会の建物に間借りしている韓国人教会から、子供の英語教室の教師を頼まれているそうな。時給50ドルだというから、拍手喝さい。熟年女性は強いのだ。がんばれ~。

元義妹のマリルーからお礼メール。友だち側のゲストにワタシの「妹」と紹介したのがすごくうれしかったと言う。パーティでのゲストの紹介のしかたって、それぞれの家庭の事情があるもので、けっこう難しい。離婚した元夫のジム(カレシの次弟)とその現彼女のドナも来ているから、「義妹」なんていわずに「妹」の方がすっきり簡単。だって、年がひとつずつ違う私たち三人義姉妹は兄弟同士よりも仲がいい。バックグラウンドもライフスタイルも趣味もまったく違う3人だけど、「義理の家族」の観念なんかとっくの昔にどこかへ行ってしまって、会えば心おきなくおしゃべりができる三人姉妹のようなものなんだもの。あんがい、「sisters」という間柄には、日本語の「義姉/妹」のような義理家族の関係をややこしくする上下関係がないからかもしれない。私たちの関係は三人を結びつけたカレシ兄弟とは別のところで横に深く連帯した「sisterhood」。だからかな。ドナもすんなりと仲間入りしてしまったのは・・・?

コロッケ、作ったよ

8月26日。めずらしく来客が集中した我が家の「社交シーズン」も一段落して、なんかサスペンスたっぷりだけども意味のよくわからない夢を見ていて、目が覚めたらぎりぎりで午前中。ふ~ん、やっぱり年なのかなあ。はしゃぎすぎて知らないうちに疲れるとか。今日は朝食用のパンがないので、カレシがスクランブルエッグを作り、ワタシが厚切りにしたベーコンを焼いて、トーストしてマヨを塗ったカイザーロールにはさんだ「マッカイザー」で、お昼のニュースを見ながらの朝食。その後でカレシがさっそくパンを焼く準備にかかる。いつからパン焼きがカレシの仕事になったのか知らないけど、コツを完璧にマスターしたらレストランで出てくるようなパンをいろいろと試してみたいんだそうな。

ごちそうモードが続いたから、今日の夕食はコロッケ!そのためにきのうジャガイモを買っておいたんだから、盛大にコロッケを作るのだ!だけど、前に作ったのがあまりにも昔で、記憶がなんとなくあやしい。ま、なんとかなるか。大きなジャガイモ3個の皮をむいて、適当にコロコロと切って、大きめの鍋で茹でる。その間に、玉ねぎとニンジンを小さく切って、ひき肉と一緒にバターで炒めて、グリーンピースを混ぜる。味付けは塩とコショウとナツメッグとオールスパイス。と、ここまでは順調だったんだけど、はて、潰したジャガイモに混ぜるのは熱いうちだったか、冷ましてからだったか・・・。ま、いっか。あら熱をとって混ぜ合わせていると、スパイスを入れすぎたのか、全体がくすんだピンクになって来た。あれれ、母が作ったコロッケはこんな色してたかなあ・・・。

さらに冷めたところで、手に粉をつけながらコロッケの形にまとめる。なぜか17個できた。フライヤーを温めている間に、「しっかり卵をつけないと揚げるときにはじけるからね」と母が言っていたのを思い出しながら、そろっと、でも念入りに溶き卵につけて、パン粉をつける。まあ、一応は楕円形のコロッケの形。フライヤーの油が十分に温まったところで、6個ぐらいずつ揚げる。何分ぐらい揚げるんだっけ?さあ、そんなの覚えてない。しょうがないから、時々フライヤーを開けて、衣の色を見て、フォークの先でちょいちょいと突っついて揚がり具合をチェック。表面がカリッと感じたところで引き上げて、油の温度を上げてから次のバッチを入れる。最初の6個はまずまずのでき(に見える)。

気を良くして第2陣をチェックしたら、あれれ、5個しかないよ。いや、ちゃんと6個あるんだけど、1個はもののみごとにもぬけのから。はあ。そっとていねいに溶き卵をつけたんだけどなあ。やわらかいものだから、パン粉をつけるときか、油に入れるときか、どこかで形がゆがんて卵の膜が破れたのかなあ。こんがり揚がったパン粉の殻が恨めしいけど、パンク事故はこの1個だけ。極楽とんぼ流の「お母さんの味」風コロッケのできあがり。二度でも食べきれない数だから、カイザーロールとキャベツを買ってきて、「お父さんのお弁当」風のコロッケパンを作ってみようっと。

きざみキャベツはなかったけど、トンカツソースで食べるアツアツのコロッケはふわっとしておいしかった。なんとなく母の「隠し味」が抜けているような気もしたけど、ポテトクロケットじゃなくて、間違いなく日本の「コロッケ」。カレシはふうふうと吹きながら口に入れるたびに「Good!Good!」。すっかりうれしくなって、ワタシもとうとう4個も食べてしまった!

たまには寿司もいいな

8月27日。水曜日。そういえばイアンが我が家の庭で預かっていた自転車を取りに来る日。カレシのトラックで運ぶことになるから、一緒にどこかへ食事に行かないかという。きのう夜に入ってきた仕事が、段取りが済んだところで保留になったのはもっけの幸い。なにしろ、いっしょに食事に出かければいつもそのままどちらかの家で二次会ということになるもので、今日は川向こうだから、帰ってくるのは夜中近い予想。

2台の自転車をコンドミニアムの駐車場の一隅に作られた鍵付きの駐輪場に入れてひと休み。駐車場そのものにセキュリティの設備がないもので、自転車の盗難が続発したんだそうな。イアンの車もつい月曜日に後の窓ガラスを割られたと言う。あちこちに今すぐドラッグを買えるだけの小金が手に入ればいいという泥棒が横行している。それでとりあえず、駐輪場を作り、次は駐車場の出入口にカード式のロックをつけたシャッターを設置するんだそうだけど、区分所有式のコンドミニアムだから費用は住人が分担する。河口デルタのリッチモンドは地下水面が高くて地下駐車場を作りにくいから、コンドミニアムも3階建ての「駐車場ビル」に3棟の建物がつながっている。出入口も複数あるからけっこうな出費になるらしい。こういうことは住人が作る委員会で決めるわけだけど、案件によってはいろんな利害が対立してもめることも多いらしいから、便利そうなコンドミニアムにも頭痛の種はあるということ。

ブライアンが出張中でひとりのアーニャが勤めを終えて来ていた。出産予定まであと6週間ほど。順調なので何事もなければ9月いっぱい勤めると言う。初めは男と女の双子だったのが、その後の超音波検査で判断が覆って、どうやら二人とも男の子ということになったそうな。そういえば、公務員をやっていた頃、同僚のベビーシャワーで4人の子供を育てた年配のノニが「おなかが前に突き出していれば男の子、横に広がっていれば女の子」と言い、「絶対に男の子」と予言したら、その通りになったことがある。アーニャはまん丸に前に突き出しているから、ふむ、ノニの予言の通りかもしれないなあ。

食事どころは「瀬戸」というジャパニーズレストラン。リッチモンドは全体がチャイナタウンになったような観がある。そのリッチモンドにあるから中国人が経営しているのかと思ったら、どうやら日本人がやっているという話で、メニューを見たら大吟醸とか純米の日本酒リストがあった。カレシとワタシは二人前の「スシボート」を注文。最初に酢の物と味噌汁が出て来て、酢の物のほうは春雨とエビときゅうりのごく月並みなものだけど、味噌汁は実は少ないけど、どうやらダシの味がした。「ボート」というだけあって、「大漁船」に生牡蠣、天ぷら、刺身、寿司、サラダの盛り合わせ。天ぷらは開いて大きくしたらしいエビが2本で、後は野菜。天つゆはまあまあ。生牡蠣はポン酢と醤油らしい味。寿司はサケとマグロの握りが2個ずつに鉄火巻きにカリフォルニアロール。だけど、握りずしのネタがかなり大きい(というよりご飯が小さい)から感心。刺身は(大西洋)サケとマグロと白身の魚のすごい厚切りだ。アーニャはなんと味噌ラーメンと茶碗蒸しを注文したけど、出てきたラーメンは東京ラーメンにそっくりの具が載っていて、それらしい匂いが漂ってきた。

最近はやたらと安いのが取り柄の怪しげな「ジャパレス」ができているけど、ここはメニューにいわしやさんまの刺身があったし、隣にはどうもつながっていそうな「凡く~ら」という創作和食っぽい店があったから、ほんとうに日本系なのだろう。ただし、見回したところ客筋はほとんど中国系だったけど、人口の半分以上が中国系のリッチモンドなんだし、彼らは大のスシ好き。ふ~ん、イアンとバーバラも中心地に移ったことだし、少しリッチモンドのレストラン情勢を探索してみようかなあ・・・

心さびしいおとなたち

8月28日。また晩秋に戻ってしまったような寒々とした天気。日本でもとにかくすごい雨が降っているらしい。南の方では「フェイ」がハリケーンに昇格しないまま、フロリダ半島を東へ、西へと行きつ戻りつ、4回も上陸して、大雨を降らせたそうな。なんか変なことばかり目立つ天候。地球温暖化による気候変動は天候の過激化が特徴だと言うから、これもやはりそうなのかなあ。こんなにエアコンを使わない夏はめずらしい。真夏のままの服装だと家の中にいてもちょっと涼しいけど、めんどうくさいから、ぶつぶつ言いながらもそのまま。ま、明日の朝になって着替えればいいか・・・。

ゴーサインが出た保留の仕事をやっつける。なんかいまいち文脈がつながらないけど、どうやら男女の問題が持ち上がりつつあるらしいことはわかる。日本の職場の人間関係がいろいろと大変だなあ。でも、どうしてこうも次々と問題が起きるんだろうと思ってしまう。子供の遊び場でのことならともかく、れっきとした大人の社会なのに、遊び足りないまま社会に出てきちゃったのか・・・。

気晴らしに小町を見たら、「表情豊かなことが恥ずかしく思えてきた」という不可解な悩みを抱えた人がいた。離れていた職場に復帰したら、「無表情/低リアクション」の人が多いのに気づいたそうだけど、東京の電車に乗っていたら、無表情な人たちがみんな携帯とにらめっこしていて不気味に思ったから、なんとなく想像がつくなあ。書き込みの中に、「最近の日本人は心から疲れている人が多い」というのがあって、心が疲れれば表情だって乏しくもなるだろうということはわかるけど、表情の豊かな人と話していると疲れると言う人もいる。表情が豊かなことのどこが問題なのかわからないけど、うっかり言いたいことも言えず、うっかり表情を見せることもできない世の中ってすごく息苦しそう。表現主義派の極楽とんぼは羽をむしられたようにもがくだろうなあ・・・。

携帯といえば、いつでもどこでも打てる携帯メールは、自分だけの小さい端末を持ち歩けるものだから、「密室」という錯覚に陥るのか、理性のたがが外れてしまう人も多いらしい。手軽さのせいか、気安さのせいか、職場の男女間で、ごくありふれた仕事の連絡メールに始まって、個人的なコメントが忍び込み始め、それがエスカレートして不倫に発展したり、セクハラで訴えられたりなんてこともあるから危ない。実際にセクハラ騒動に発展したやり取りを見たことがあったけど、いい年のおじさんが我を忘れて舞い上がり、ストーカーのようになっていく過程はあまりかわいいものではなかった。

人間は心が疲れきったときや、孤独に耐えられないときは、ちょっとした甘いことにもぐらりとするもので、相手が異性だと、職場であれ、どこであれ、やさしくしてくれる(と思う)相手に「しがみつきたい気持」を「恋」と錯覚してしまいやすいとか。35年前のカレシの「恋」もそうだったろうし、ローカル掲示板にもそんな片思いに悶々とする乙女たちがたくさんいる。患者が医者やカウンセラーに「恋」をするのもよくあることだし、ワタシにも、うつ病のどん底で親身に話を聞いてくれるドクターへの「思い」に気づいてはっとなった経験がある。だけど、思春期返りじゃあるまいし、一時の気の迷いでそれまで築いてきた人生を棒に振るのは愚の骨頂だろうに、人間はいくつになっても寂しがりやなのかなあ・・・

よそさまは何をする人ぞ

8月29日。夏の最後の三連休の前日。月曜日はもう9月になって、一斉に新学年が始まる日。子供たちにとってはちょっと恨めしい三連休だろう。郊外のショッピングセンターは学用品や衣料品の買い出しをする親子連れでにぎわっていそう。近頃の子供はファッションにうるさいから親も大変らしい。子供がいないからその苦労だけはしないですんでいるけど。

イアンとバーバラに初孫第1号が誕生した。モントリオールに住む息子ロバートの赤ちゃんで、男の子。おかげで、週明けにモントリオールへ行くのに、娘の方を気にしながら出産を待たずに済むようになってほっとしたという。予定よりも2週間近く早く、朝方に急に産気づいて午後にはあっさり生まれてしまったそうだけど、ロバートは救急医療専門の医者だし、フィアンセは看護士だから、こういう場面にはなれたもんだろう。初孫にご対面したら、月半ばにはバンクーバーへ帰ってきて、アーニャの双子の出産待ち。おじいちゃん、おばあちゃんになるのも大変そう。私たちも、もしも子供がいたら、やれ結婚だ、出産だとあたふたしているかもしれないけど、のんきな隠居暮らしがひっくり返りそうだから、ま、人さまの子供や孫を無責任にかわいがっていられる方が楽でいいや。

たしかに子供が欲しいと思った時期もあったことはあったけど、周りの人たちにどんどん子供が生まれても、いっしょに喜びこそすれ、自分にできないからとへこんだことはないし、羨望や嫉妬も感じたことはないなあ。母性がないってわけじゃないだろうけど、小町などで友だちの妊娠、出産を羨ましがったり、妬んだりしているのを見ると、子供を持つって何なんだろうと思ってしまう。しまいには、子持ちのママの行動を「図々しい、非常識」と批判し、子持ちママは「女は子供を生んで一人前」、「自分は楽してうちの子に老後のめんどうを看させるつもり」と子なしの女性を非難するけど、結局は「持てる者と持たざる者」の妬み、僻みの応酬のように見えて来てしまう。ほんと、彼女たちにとって、子供を生み育てるって、いったいどういうことなんだろう。やっぱり子供も「持つもの」なのかなあ。

そもそも他人が自分にないものを、自分が欲しいものを持っているから羨ましいとか思わないワタシの方がちょっとおかしいのかなあ。子供の頃から、「誰それちゃんも持ってるから~」とねだると、「よそはよそ、うちはうち」と母にはねつけられることが多かった。たしかに、うちにはよそにはないのがあったりしたから、「そういうものか」と思い込んで育ったのかもしれないなあ。もちろん、「いいなあ、ワタシもほしいなあ」と思うことはよくあるけど、その後は「手に入れられるかなあ」という方に注意が向いて、人さまのことはどうでもよくなるもので、羨ましがって欲しかった人だったら「なによ、この人」とムカつくかもしれない。だけど、(自分が欲しいものをあの)人が持っているのが気にさわるという感覚はどうしても理解できないので、クレームはどうぞ「よそはよそ、うちはうち」主義者だった両親のほうへ・・・。

比較というのは「選択する」という行為の基本ではあるけど、単に優劣をつける目的のためだけにする比較は実益の少ない作業だと思うし、自分と他人を比べて優劣を判断しようというのだったら精神的にすごく疲れそう。元々比べようのないものはその違いをおもしろがるのが一番楽しいんじゃないかなあ。たとえば、異国に行って、「日本ではこうだけど・・・」という視点で比較すれば「ほう」という新鮮な発見の可能性があるけど、「日本ではこうなのに・・・」という視点からの比較は傲慢な優越感や偏見しか出てこないだろうし、せっかくの外国旅行の楽しみも半減してしまいそう。単に相対的位置を知りたいだけの比較だったら、やらないほうが羨望にも妬みにも僻みにも悩まされずにすみそうだし、落ち込みそうな自分を支えるのに疲れることもないだろうし、何よりもそれだけ世界が広がって見えるんじゃないかと思うんだけど、縦のものさしを捨てられないと、やっぱりむずかしいのかなあ・・・

スカンク阻止大作戦!

8月30日。あまり夏らしい気温ではないけど、とにかくお天気のいい土曜日。三連休第1日目、といっても関係ないけど、気分的にちょっとだけ「コンマ」を打っておくことにする。この数日朝方に胃腸の調子が悪くて目が覚めるもので毎日早くから起きてしまっているカレシ。どうみても心因性ということの方が多いから、胃弱といえるのかどうかわからないけど、このあたりもしっかりパパ譲り。気性などが父親にそっくりの息子のことを「a chip off the old block」と言うけど、まさにパパのクローンみたいなところが多い。

元々から複数の問題に同時に対応するのが苦手なカレシはそのストレスのしわ寄せがてきめんに胃腸に来る。(ワタシもずっと若かった頃には学校や職場のいろんなことがストレスだったのか、胃潰瘍とか神経性胃炎とか診断されたことが何度もあるから、理解はできるんだけど・・・。)9月に再開予定の英語教室について最終的な詰めが懸案になっていることもあるだろうけど、それよりも、介護ホームのゲストルームに泊まっていた末弟夫婦から聞いたパパの様子の方がかなり大きなストレス要因になっているらしい。一時危なかった肺炎が治って退院してからは、歩行困難は物理療法でかなり改善されたけど、精神面では些細なことで怒鳴り散らしたり、意味不明のことで人を非難したり、一番慕っていた孫息子に理不尽なことを繰り返して愛想を尽かされたりと、完全な認知症。カレシにとっては自分自身の将来像を垣間見たような気になるらしい。(そういう風にならないつもりなら大丈夫だってば・・・。)

そこへ2日前からまたスカンクの穴掘り作戦が始まったから、カレシはどうやらいっぱいいっぱい。ポーチの下にもぐり込もうと掘った穴を埋めても、塞いでも、しつこく掘りに来るから困ったもの。ひょっとして、このスカンクも認知症fなんじゃないだろうなあ。まあ、こっちも応急の処置だけで放置してあったから、スカンクもまだまだチャンスはあると思っているのかもしれない。喉もと過ぎて熱さを忘れるという点ではカレシもスカンクもいい勝負と言えそうだけど、寒くなるこれからは、暖かいねぐらを求めるスカンクの穴掘り作戦がエスカレートするのは必至。ワタシの手が空いている今のうちに恒久対策を実行に移した方が賢明ってものだよねえ・・・。

だけど、そこは「骨折りミニマリスト」のカレシ。とりあえずスカンクのお気に入りらしいポーチの端の部分だけということになって、まず最初にポーチと塀の間の土を30センチくらい除ける。踏み固まった部分はつるはしで起こし、植木の根っこはノコギリで処理して、掘った土は手押し車で庭の一角に運ぶから、けっこう汗をかく土方工事。その間に、ワタシはガレージにあった金網を測っておいた長さに切って、ポーチに固定する部分を20センチくらい直角に折り曲げ、(ホッチキスの親分のような)タッカーと針を用意して待機。熊手でだいたい均したらワタシの出番。金網を敷いて、折り曲げた部分をポーチの腰板にタッカーで固定。一発目をバン!とやったとたんに中指の腹をはさんで、巨大な血豆を作ってしまった。タッカーは別名をステープルガンという通り、大きなホッチキス針を強力なばねを使って打ち込むので、引き金を握るときに指先が内側に回りこんでしまうと、すごい力で挟まれて痛い思いをすることになる。まあ、日曜大工用の工具は平均的な男の手と力に合わせてあるから、女には扱いにくいものが多い。(最近は女性用に小型化した工具もかなり出回っているけど、パワーがいまいちで・・・)

金網の反対側も折り曲げて塀に固定したところで、土を戻す作業にかかる。ワタシもシャベルを持ち出して来て、カレシと交互にポーチの上を行ったり来たり。最後に熊手できれいにならして、土がこぼれたポーチをきれいに掃いて、工事は完了。スカンク、どうするだろうなあ。掘り始めたところで金網に爪を引っかけて「イテ~」ということになって、「こんなところに二度と来てやるもんか」と後ろ足で土をかけて去ってくれるといいけど、たぶんポーチの前のほうに回るだろうなあ。ま、効果のほどを見て、そっちも工事しよう。(それにしても、あの金網、そもそも何のために買ったんだったかなあ・・・?)

2時間足らずの工事でくたびれた二人。おでかけディナーは明日にして、今日は手間いらずの簡単料理。まずは二人でゆっくりと昼風呂につかって互いに背中をごしごし。差し込む午後の陽射しはなんとなく秋めいて見える。8月もあしたでもうおしまいなんだよねえ・・・。

今日もお手軽簡単非常食

8月31日。イェ~イ、8月は皆勤賞だ。まあ、それだけヒマだったってことなんだろうけど、過去の仕事ログを見たら、5年ぶりの超がつく暇な8月だったことになる。ふむ、5年前の2003年は1990年創業以来2番目の「業績不振」の年だった。翌年秋の会議でも、言語の組合せの違う人たちまでが「去年は苦しかった」と嘆いていたから、日本に限られたことではなく、世界の政治経済情勢が翻訳業界にも反映されたということだろう。そういえばSARSが世界を震撼させたのはあの年だった。今年はサブプライム風邪・・・

そもそも自営業というのは「ビジネス」だもんなあ。グローバルにビジネスを展開する企業が相手なんだから、企業から仕事をもらって生活しているこっちも、いつもアンテナを張って、世界経済の動向や政治情勢の変化をキャッチできなくてはならない。その点では、ビジネス関係の仕事はいろんな状況をチラチラと見ることができるから、いわば特等席なんだけど、さて、この「下降局面」はいつまで続くか・・・?

きのうの大工事が功を奏したのか、穴掘りスカンクの形跡はない。諦めて、もうこれっきりにしてくれるといいんだけど、敵もしつこいから、まだ23日は油断できないかな。金網に鼻づらを突っ込んで「あ~ん、入れないよ~」と泣きべそをかくところを見てみたい気もする。ま、スカンクが泣きべそをかくかどうかはわからないけど、「どうしてもだめなら諦める」という思考くらいはあってほしいもんだ。

天気がいいもので外で「農作業」のカレシ、切り上げて入って来たらもう6時。「でかけるの、なんかめんどうくさい」というから、きのうに続いて「非常用簡単食」になった。どうも我が家の非常食はなぜかごちそうになってしまうから不思議。きのうは刺身だったけど、これは肉より解けるのが早いし、スライスするだけで済むから「簡単料理」。カレシが「ポテトもいいなあ」と言うけど、いくらファストフードでも「サシミとフレンチフライ」はありえないよなあ。そこで、小さいジャガイモを電子レンジにかけて賽の目に切ったのをピーマンと一緒にバターで炒め、そこに同じ大きさに切ったスモークギンダラを混ぜてみた。結果はギンダラの塩味とジャガイモがよくマッチして、カレシは「もっと作ればよかったのに」。

今日はあさりのむき身がフリーザーに入っていたので、使い残しのクリームを利用してお手軽パスタ。玉ねぎとにんにくをオリーブ油でさっと炒めてから、たっぷりの白ワインをリダクション風に煮詰めて、あさりとクリームを入れるのが味の秘密(といっても、思いつきほやほやなんだけど)。おでかけがてら食料の買出しをする目論見が外れまくりで、カレシもサラダ用の野菜が底をついてしまったとかで、ニンジンと大根をジュリアンに切って、残っていたサルサで和えた「思いつきサラダ」。冷蔵庫にあったグリーンのぶどうをパラパラと散らしたら、けっこうグルメ風の仕上がりになった。それにしても、うちの「緊急時メニュー」って、その場で思いついた手軽なあり合わせ料理なのに、どうしていつもごちそうになっちゃうんだろうなあ・・・


2008年8月~その1

2008年08月16日 | 昔語り(2006~2013)
超大盛のガドガド

8月1日。とうとう8月。朝、目を覚まして、めずらしくまだ眠っているカレシにちょっかいを出したら、眠ったままがちっと腕を回して来た。おいおい、朝っぱらからヘンな夢を見て勘違いすんなよ~と、もぞもぞやっていたら、片目だけ開けて「なにやってんの?」うん、今日はなあんにも予定のない、なあんにもしなくていい金曜日。外はあまり明るくないところを見ると、まだ雨の気が残っているのかなあ。

今月は「Social calendar」の予定がいっぱい。まずはカレシの満65才の誕生日、日本から北米大陸の反対側へ行く友だち一家が立ち寄ってくれて、トロントの義弟夫婦はカナダを3日かけて鉄道で横断して来る。そして、今月のハイライトは私たちの合同バースデイパーティ。いろいろと準備もあって、忙しくて仕事なんかしている暇がないかもしれないなあ。カレシの誕生日は8月8日。節目の今年、08-08-08と、めでたい数字が並ぶ。中国系の生徒さんたちが「ラッキー、ラッキー」と感歎していたそうだけど、西洋がラッキーセブンなら東洋はラッキーエイト。それが3つも重なる盛大にめでたい日とあって、中国系コミュニティは結婚式ラッシュ。教会も花屋も美容院も仕出屋もリムジンもレストランも、みんなてんてこまいになりそうだとか。

のんびりでたっぷり時間があるということで、今日はガドガドを作ってもらうことになった。メインコースのようなサラダだから、ワタシが担当のメインはまたまた付け合せに格下げ。まず、ピーナッツソース作りから始める。コリアンダーをゴリゴリと挽いて、玉ねぎを刻んで、ピーナツバターとインドネシアのケチャップマニスとピーナツオイル。オフィスにいたらいい香りがして来た。今日はごちそうになりそうだと期待感が高まる匂い。ソースができたら、卵を茹でているあいだに、赤ピーマン、キュウリ、ニンジン、インゲンを切り始める。ほうれん草ともやしは冷たい水につけておいてしゃきっとさせる。かたい豆腐はコロコロに切って油で揚げる。それからニンジンとインゲンをさっと蒸して、準備完了。大きめのお皿を出したのに乗り切らなくて、急遽2枚の皿に分けて山盛り。ワタシがレンダンのソースに漬けておいた薄切りのビーフを焼いている間に、マティニができあがって、片手でちびちびやりながら焼肉をボウルに盛って、ソースを器に入れて・・・おお、ごちそうだ~と、勇んでテーブルに着いたら、なんとまだ5時前。

すごい量の「サラダ」だけど、前のニース風サラダに続いて、全量平らげておなかがいっぱい。野菜がメインだといっても、ゆで卵や揚げた豆腐が入っているし、ソースもこってりだから、カロリーはけっこうありそうな感じ。だけど、そのソースがおいしいから、た~っぷりかけて、それで大量にもかかわらず2枚の大皿はあっという間に空になったのだった。サラダ担当のカレシは毎日グリーンサラダだと作るのに飽きるんだそうで、日曜日にはアヴォカドのサルサを作るからね、と予告。う~ん、ローストビーフにしようと思ってるんだけど、すると、ソースにひと工夫いりそうだなあ。

クッキングモードのカレシは、ディナーがすんで今度はラズベリーのアイスクリーム作りにかかった。今は近郊で採れるベリーの季節。今年は春から低温だからかなり遅れているけど、いちごの終わって今は大きなラズベリーが出回っている。中ぶりの容器ひとつで4ドル(約400円)はちょっと高めだけど、二人には食べがいのある量。アイスクリームに半分使って、残りはドレッシングにしたり、ソースにしたり。

真夜中のランチの時間。サラダの食べすぎでおなかが空かないというのは不思議だけど、生の野菜は消化にけっこう時間がかかるらしい。なにしろ6人前のレシピを半分以下にしたのにすごい量だったから、ランチは飛ばして、ちょっと甘いカクテルとラズベリーアイスクリームにシャンボールリキュールをかけたデザートへ直行。8月、おなかがハッピーで、幸先がよさそう・・・

夏も中盤、三連休

8月2日。おお、やっと青空が戻って来た土曜日。カレシは腕がかゆくて目が覚めて、そのままけっこう早くに起き出してしまったらしい。ワタシは11時過ぎ、キッチンでカレシが食洗機から食器類を取り出す音で目が覚めた。きのうはカレシがクッキングモードだったから、食洗機は満載で、ガチャガチャが長く続いて、さすがのワタシも目が覚める。身づくろいをして、キッチンに降りていったら、「そうっと出したつもりなんだけど、起こしてしまってごめんよ」とおとぼけ。実は先に起きたときに頃合いを見計らって食洗機から食器を取り出すのは、「そろそろ起きろ~。腹減ったぞ~」というシグナルなんだけどね。

今日のディナーは久しぶりに南仏料理のPastis。店の名前は南仏のハーブのリキュール、パスティスから取ったもので、特におめかしをして行かなくてもいいけど洒落たビストロ。バンクーバーのレストランランキングでは毎年ビストロ部門で上位3位に入る。アペリティフは、カレシはパスティスの水割り、ワタシはキールロワイヤル。前菜は二人ともタルタルステーキになったけど、今日のスペシャルのひとつがフォアグラと聞いてワタシは心変わり。メインはカレシは仔牛のレバー、ワタシは鴨ということで、ワインはマイルドなボージョレ。だけど、けっこう酸味があっていける。こてこてフランス語訛りのサーバーさんが「フランスではフォアグラにソーテルヌをペアリングします。お試しになりませんか」と言う。ソーテルヌは甘口のはずだけどなあ、と思いつつグラス1杯注文して味を見たら、ふむ、ほんのり蜂蜜のような甘さ。レイトハーヴェストに近い、あっさりした味で、ほんとうに焼いたフォアグラのとろりとする甘みと相性がいい。メインの後はワタシはいつものプチマドレーヌ。チョコレートのとオレンジのがホカホカの焼きたてで出てくるから、温かいうちに片っぱしから口にほうり込む。もう、ほんっとにおいしい。サーバーさんが「作るのは簡単ですよ」と言うから、マドレーヌ型を買って作ってみようかなあ・・・

ディナーが終わる頃にはレストランは満員。今夜は花火コンペのフィナーレ。優勝国の発表があって、参加3ヵ国が合同で華々しく総集編。レストランはキツラノビーチに近いもので、花火見物に行くらしい家族連れやグループが多い。びっくりしたのはみんなスキーにでも出かけるような格好をしていること。今日も最高気温は20度に届かなかったから、日が暮れて急に温度が下がればビーチは寒いだろう。でも、8月なのに冬の服装はちょっと奇異。帰り道、南方面は車がまばらですいすいだけど、ビーチに向かう対向車線はまるでラッシュアワー。三連休の初日でもあるし、みんな花火を見に行くんだなあ。毎回30万人を超える人出だったそうだから、花火が見えるあたりはほぼ全面的に交通止めになのに、みんなどこに駐車するんだろう。まあ、今年は家族連れが増えて、酔っ払ってけんかを始めるおバカなあんちゃんたちもけっこうおとなしいとか。ビーチや公園での飲酒はご法度だから、警察がどっと出て、重そうなバックパックなんかをチェックする。酒類の持込みが見つかったら、没収されるか、その場でドボドボと空けられてしまう。今年はそれが去年よりかなり減ったというから、いい傾向。

この週末には恒例の日系人のお祭、パウエルストリート・フェスティバルもある。パウエルストリートは戦前に日本人町があったところで、会場のオッペンハイマー公園のあたりは今でこそスラム街になってしまっているけど、日系カナダ人発祥の地ということで、お祭は今でもそこでやっている。カナダに来たばかりの頃はカレシと一緒に行ったけど、もう30年近く行っていないなあ。戦争中の強制収容を経て、異人種婚が進んで完全に同化した日系カナダ人と、戦後の移民法改正でアジア人にも門戸が開かれて1970年代初めに来た新日系移民と、日本がバブル景気に入った1980年代後半以降に来た(まだへその緒が取れていない)日本人移民と、なぜか3つの日系/日本人社会があって、三者相見えずの関係にあるらしいけど、このお祭では割とひとつになるらしい。もっとも、中国系社会でも、広東系だと戦前からの中国系社会と香港返還の少し前からどっと入ってきた新移民との間に垣根があるという話だから、南米から日本へ働きに行く日系人がすっかり「南米人」なのと同じくらい、年月が作る溝は大きいということなんだろうなあ。

めでたく退学しました

8月3日。三連休中日の日曜日はいつものことながら静かでいい。カレシにほっぺたをつつかれて半分くらい目が覚めたけど、カレシの腕枕でまた心地よくむにゃむにゃ、とろとろ。それでも、結局は11時前に起きてしまった。青空が広がって、うっかりバンクーバーを素通りした夏がやっとUターンして戻って来たような陽気。ポーチの寒暖計も午後にはなんとか20度に到達。

久しぶりの大洗濯をしながら、今月の予定を考えているうちに、とっておきの大ポカをやったことに気がついた。やっと最初のレポートを半分ほど書き上げた大学の心理学、修了期限延長の申請期限が実は8月2日。ああ、きのうなんだ、きのう。すっかりど忘れして、万事休す。未修了のまま期限切れ。あ~あ。この前のコースのときは期限を間違えて覚えていて、申請を出したときはすでに終了していた。今度は期限を覚えていたのに、肝心のときにころりと忘れてしまった。まあ、2コース続けて未修了だからって退学させられるというわけではないけど、あんまり大きな声では言えない。でも、いろいろ考えることがあって、続けようか、見切りをつけようかと悶々としていたのも事実・・・

高齢の学者が書いた本を翻訳していて、「書きたい病」が再発したことも問題。本の内容はともかくも、戦争や大病を経験した人が生涯をかけて育ててきた考えを生きている間に書き残しておきたいと願う執念のようなものが強烈に感じられて、自身の残る人生を思ったとき、そもそも書くための勉強なのに、卒業までにかかりそうな10年が急に惜しくなったのだった。「今のうちに書いておかなければ」という気持が昂って来て、しまいにはなぜ大学教育を受けたいと思ったのかもあいまいになってしまった。

元々「学校」という組織が嫌いで、教えられるのはへたくそなのだ。門前小僧学では天才級を自称しているけど、ようするに系統的に勉強できる性格ではないのかもしれない。翻訳を依頼される科学論文はこんなにいろんな「○○学」があるんだと感心しつつ、半日ほどググって回って基本のAとBと、Cの半分くらいの要領をつまみ食いして作業にかかる。好奇心にまかせての強心臓かもしれないけど、それでも(継続取引の形で)評価してもらっているのは、付け焼刃でもそれなりに理解できているということだろう。心理学も同じことなのかな。教科書や副読本は興味があったから全部読んでしまって、教えようとすることはわかっている。あんがい、ワタシは宿題と試験が嫌いなだけかもしれないけど・・・。

たまった洗濯を3回に分けて片付けている間に「退学」の結論がでてしまった。ワタシはこれが最善策と決めたらけっこう行動は早いから、夕食のテーブルでカレシに「また期限切れにしてしまったから、退学することにした」と報告。カレシは「正解。今さら学位を取る必要はないだろうにと思ってた」と。なんとなくほっとしたような、うれしそうな顔つきなのがちょっとシャクな気もするけど、キャリアのために必要なわけでもないのに、時間と労力のムダだと言ったのはカレシだったもんなあ。うん、30才の頃の自分と、還暦の自分と、人生の展望が違うもんなあ。まあ、宿題も試験もない門前の小僧流でやる勉強が身の丈ということなのかもしれないし。うん、納得。

あしたは雑誌やカタログの山に埋もれたままのミニアトリエを整理して、すこしゆとりができそうなこの夏、久々に絵筆を引っ張り出してみようっと。秋になったらカレッジで書くのが大好きな同志たちとの交流を再開しようっと。ああ、さっぱりした気分。「書を捨てよ、町へ出よう」と書いたのは寺山修司だったけど、この極楽とんぼは虫かごから出て、自由にすいすいと青空の下を飛び回りたいんだろうなあ・・・

釣った魚をどうしよう

8月4日。おっ、夏が来た、夏が来た。カレシは背が高くなった日本カエデの下枝をはらっている。30年前にクィーンエリザベス公園の木から取って来た種を鉢に植えたら、ビクトリアで芽を出て、バンクーバーに戻ってからは鉢植えのまま何度か引越しの末、新築したときにやっと前庭の隅に植えた。まあ、20年だから元気のいい木はどんどん伸びて当然だけど。これでそばに植えたビワの木にもっと日が当たるようになって、いつか実がなればいいなあ。(このビワの木は東京から「密輸」して来たもので、おそらくバンクーバー市内にはこれ1本しかないはずだから、けっこう責任があるような・・・)

雨っぽい日が続いた後のせいか、少々湿気があるとカレシは言う。天気予報では週の中日前後は「記録的猛暑」なんだそうな。これだけ寒い日が続いた後だから、急に猛暑になるよと言われても、本気かいなと横目もよう。一見は百聞にしかずというところかなあ。仕事がないからそのまま夏休みを決め込んで、やるべきことはたくさんあるけど、「1日1件」のペースでのんびり。今日はディナーパーティのメニュー選び。明日は換気装置のフィルター交換でもやろうかなあ。

ここのところ、gooのランキングにはおもしろいのがある。「最近増えすぎなんじゃないの」と思うもののトップは「おバカタレント」。バカに「お」が付くところがおもしろいけど、例によって「バカタレ」とカタカナ4文字の略語になっているのを見た。ちょんぼをしたヤツを叱る言葉だと思ってたけど、タレントというくらいだから、伝統的な「バカタレ」を遥かに越えるバカ能力があるんだろう。でも、見る人間がいれば視聴率が上がるし、視聴率が上がれば我々もとこぞって「おバカ礼賛」番組を作るもので、バカタレが大手を振って世に蔓延るんじゃないのかなあ。

「たまに夫がしてくれると嬉しいこと」のトップは「料理」。カナダでも共働きがまだ一般化していなかった昔は「パパの日曜料理」と言う言葉があって、張り切るわりにはいつも変わり映えしないものの代名詞みたいになっていた。パパはひとりで悦に入っているけど、奥さんは後始末で大変。このあたりは洋の東西を問わないらしい。だけど、妻たちが「たまに」はして欲しいと願っていることを見ると、どうも日本のオット族は二十一世紀になってもまだ「釣った魚にエサはやらない」主義に首までどっぷりなのかなあ。ちょっとやばいんじゃない、それ。小町では「熟年離婚を予定している方」というトピックが盛り上がっているから、たまになんて言わずに、ふだんからうんとおいしいエサをあげなくちゃダメよ~。

熟年であろうが、若年であろうが、結婚したからには「離婚」という結末もあり得るわけだけど、それを10年後にとか予定を立てて、夫に黙って着々と準備を進めておくというのは、ちょっと背筋が冷える。擁護派、批判派が入り乱れているけど、価値観が違うから老後は一緒にいたくない。でも子供が成人するまでは(子供のために)離婚しないというのはどうも建前臭い。カレシのママのように、嫌いな相手と「夫婦」を演じ続けることは可能でも、所詮それは表向きの顔で、やがて大人になって結婚する子供には「不毛な夫婦」の手本でしかないから、回りまわって迷惑するのはその子供と結婚する人だ。もっとも、結婚相手を「条件」で選んだのなら、離婚の「条件」が整うまで「良妻賢母」を演じられるかもしれないけど、なんか寒々とした人生のような感じがする。相手の「条件」が自分に有利じゃなければ意味がないわけで、とどのつまりは損得勘定じゃないのかなあ。ま、夫婦はいろいろだけど・・・

ちなみに、カレシは上位の項目の大半を「たまに」じゃなくて、けっこう日常的にしているから、男女共同参画に関しては一応の合格点。ワタシもうれしいから、「良き夫」ということになるかなあ・・・

猛暑が来た

8月5日。うはっ、冷夏の後にいきなり猛暑。きのうの天気予報がばかあたりで、正午にはもう25度になっていた。外へ出ると肌にじりっと暑く感じる。ゲートのチャイムが鳴って、郵便屋さんが「大きな箱が3個あります」。おお、カレシの誕生日プレゼントの第1弾が間に合って届いたんだ。飛んで行ってゲートを開けたら、ちょうどトラックから降ろそうとしているところで、「小さい方を1個持ってもらって、ボクが大きい方を2個運ぶというのはどうでしょうねえ」だと。まあ、いいかと、一番小さいのを受け取って、ゲートの中に運び込んで、その上に大きい2個を積み上げてもらった。何をやっているのかと出てきたカレシは絶句。あはは、ナイショ、ナイショ。ふた抱えくらいある箱をひとつずつえっちらおっちらとオフィスまで運んで、ウォータークーラーの横に積み上げておいた。カレシは飲み水を取りに行くたびに「すご」。うふふ。だけど、ほんとうのことを言うと、何と何を注文したのかよく覚えていない・・・

暑いものでスリーブレスのミニドレスに着替えて、今日の仕事にかかる。カレシは「その年でミニを着られるなんてラッキーだなあ」なんて言うけど、暑いのは苦手なの。もっとも、この年でミニを着ているからって、誰にも何も言われないのがもっけの幸いで、日本だったらどうだかわからない。「見苦しい」と言われるか、「いい年をしてばかじゃないの」と言われるか、「止めてほしい」と言われるか、こわいもの見たさでちょっと試してみたい気もするなあ。まあ、誰もお世辞にも「似合っているよ」なんて言うわけはないだろうけど。(しげしげと見なければ、けっこう似合っているんだけどなあ・・・)

今日の仕事は換気装置のフィルター交換。常時換気方式だから、1日中低速で家中に外気を供給して、汚れた空気を戸外へ出している。外気と排気がコアを通るときに、直接には触れないけれども熱交換で温度が平均化されるようになっているから、冬の寒波でも冷たいすきま風が入るように感じないし、夏の猛暑でも、一番暑くなる二階にエアコンをかけておけば、家全体が涼しくなっていいんだけど、密封性の高い家なもので、この換気装置が長時間止まってしまったら、我が家は窒息状態になる。それで、3枚入っているフィルターが目詰まりしてモーターが過重にならないように取り替えてやらなければならないわけ。給気側のフィルターは吸い込んだ虫の死骸がいっぱい。排気側は料理の油汚れが混じった灰色のほこりがびっしり。前回外して洗濯しておいたフィルターを入れて、汚れたのは即日洗濯機にかける。しばらくの間、洗剤のほのかな匂いが家中に漂うことになる。

空気が新鮮?になったところで、今度はデスクの上に堆く積み重なったカタログや雑誌や広告メールの整理。ゴミをあさって個人情報を盗むやからがいたりして油断のならないご時世なもので、住所氏名が印刷されている部分をビリッと破りとって、レターや仕事の書類といっしょにシュレッダにかける。これがけっこうめんどうくさい。(それでつい山積みになってしまうんだけど。)シュレッダの容器満杯のランプがつくこと3回。そのたびに大きなゴミ袋に空けて、またジャージャー。おかげで、ミニアトリエになっているデスクのカラフルな絵の具の跡が見えてきた。うん、たまには片付けるのもいいもんだ。

イーゼルにカンバスを置いて、あしたからは久々に絵の具を広げてみよう・・・と思ったら、ええ、仕事?せっかく創造モードなんだからよせやい・・・とは、言えないよなあ。じゃあ、まずは仕事をするか・・・

どさんこ桜二世

8月6日。暑いけど、昨日ほどではないような感じがする。テレビの天気予報によると、今日は「猛暑の最終日」。ええ?今日が最終日って、あれ、きのう始まったばっかしじゃなかったの?これじゃ初日と最終日だけになっちゃうでしょうが。初日と最終日だけじゃあ、何かが「続いた」という感じがしないけど、まあ、近頃の世の中はナノ秒が単位らしいから、2日も続けば「長続き」のうちに入るのかもしれない。そうだとしたら、「三日坊主」はすごい持続力の持ち主だってことになるのかなあ。

カレシが朝食のテーブルをセットしている間に、ゲートの郵便受けを見に行ったら、大きな箱がまた3個、乱雑に積み上がっている。どうやらまだ眠っている間に配達に来て、チャイムを鳴らしても返事がなかったので、不在通知を入れる代わりにゲート横の低い塀ごしに庭に押し込んで行ったんだろうなあ。きのうはワタシに箱をひとつ運ばせるし、どうもこの郵便屋さんはものぐさっぽいなあ。塀の外の生垣が高く茂っていて、道路からは庭の中が見えないから盗まれる心配はまずないけど、雨でも降っていたらどうするつもりなんだろう。そういうときはちゃんと不在通知を書いて、郵便受けに入れてってよね。

大きな箱2つと小さな箱ひとつ。全部で5つだと思っていたら6個もある。そっか、1回の発送で箱2つというのがあるんだろう。ささっとオフィスへ運んで、きのうの3つの上にもうひとつ、その横に2つ。なんか倉庫のような様相で、4つ積んだ山はとうとうワタシの背丈より高くなってしまった。「朝ごはんだよ」と下りて来たカレシはまたまた絶句。あはは。これでおしまいだから、ご心配なく。

きのう入ってきた仕事を片付けている間に、カレシは裏庭に出て、デッキ「予定地」の隅にある切り株を掘り起こす作業。ワタシの48才の誕生日に植えた2本の梨の木のうち、長十郎は元気がありすぎて、見る見る大きくなって、一度に何百個も(小ぶりの)実をつけるようになった。早いうちに間引きをすればいいんだろうけど、カレシは「放任主義」。10年くらい前に実の重みで幹が二つに裂けてしまった。残った半分も2年ほどで弱ってしまったので、50センチくらいの高さの切り株を残して伐ってしまった。ところが裏庭の家の壁に沿って小さいテーブルと椅子を置けるデッキを作ろうという話になったら、その切り株がじゃま。角材を並べて輪郭を作ったはいいけれど、切り揃えた角材を載せたままで固定せずに計画は5年も中断。やっとカレシが重い腰を上げて、今日の除去作業となったわけだけど、実際は根の部分がほとんど腐っていたので、思ったより簡単に掘り起こせたらしい。

デッキが完成したら、そばに何年も鉢植えのままの桜を植えてあげよう。札幌にあった実家の庭の桜の木から落ちた種をこっそりカナダに持って来て、鉢に蒔いて育てたのが、どこに植えるか決まらないまま未だに細くて頼りない「ふるさと桜」。日本を離れる前に満開になって、亡父と撮った記念写真の背景になった桜の木の二世はいかにも不撓不屈の道産子らしく、毎年春になると律儀に何個か花を咲かせている。庭に下ろせば一気に伸びて、キッチンの窓の外で、春はピンクの「花カーテン」、夏は「木漏れ日カーテン」。葉が落ちて裸になる冬には小鳥たちの遊び場になるといいなあ。

カレシによると、来年こそはきっとデッキを完成させるそうな。そうなったら、春にはお花見、夏には夕涼みと、池のほとりで滝の音を聞きながら、美酒を酌み交わそうね。ちょっぴり風流かなあ・・・

トリプル8の前の日は

8月7日。めでたいトリプルエイトの前日。つまり、カレシのビッグバースデイの前の日。英語教室に出かけてから、それっとばかりに積み上げてあった段ボール箱の開封作業にかかる。空気枕みたいな緩衝材が数珠つなぎのように出てくる、出てくる。段ボール箱の中にはいくつもの箱が入っているけど、そのまま包めるものと、さらに開けて中身を出すものとがあって、あっという間に潰した段ボールの山ができる。

ロールになったギフトラップの紙を広げて、大小の箱をバランスよく包んで行くんだけど、まだ暑いから汗がだくだく。それでも、1時間ほどかかって、プレゼントは箱が8個と、こまごまとした料理用の道具を包まずに入れたギフトバッグ1個。リビングの隅にあるダイニングテーブルにど~んと積んでおいた。帰ってきてそれを見たカレシはまたまた絶句。おそるおそる「これ、みんな、ひとつのもの・・・?」ひとつのものにこんなに部品や部材があったら、「多少の組み立て要」どころか、大々的な組立工事になってしまうでしょうが。ま、大人のおもちゃがいろいろあるの。あしたになってからのお楽しみ。うふふ。

ディナーパーティをするホテルの担当者から電話があって、最終的なメニューの調整。バンクーバーのレストラン業界は地場の新鮮な食材が売り物なので、季節に合わせてメニューの内容が変わる。一応選んで送ってあったメニューも変更があるということで、味見メニューよりは人数が少し動いても影響のない「前菜、メイン、デザート」の3コースのメニューを編成することにした。つまり、前菜3品と、メイン4品、デザート3品から、ゲストに好きなもの、興味のあるものを1品ずつ選んでもらう趣向なんだけど、つい自分の好きなものにばかり目が行ってしまうので、なかなか難しい。肉類を食べない人のために、前菜とメインには必ず1品ずつ魚介類を入れておいた方がいいというので、前菜にはエビ、メインにはギンダラを入れておいたけど、なにしろほとんどが郊外に住んでいて、外食といえばハイウェイ沿いにあるチェーンのレストランとか日本で言うファミレスが中心の人たちだから、反応のほどはどうかなあ。

明日送ってくれるという新しいメニューから最終調整をして、「これで行こう」と決まったら、当日ゲストが記念に持って帰れる特製のメニューを印刷してくれるんだそうで、「記念になる言葉を入れますか?」そうだなあ、二人とも特別な誕生日で、そのための一世一代のディナーなんだから、書棚に何冊もある名言辞典をひっくり返して、先人のちょっと気の聞いたお言葉を見つけて、メニューに入れてもらおうか。例えば、モーリス・シュヴァリエが言ったという「代替の状況からすれば年を取るのは悪くはない」とか、マヤ・アンジェルーの「人生はそれを生きる人を愛する」とか。アンドレ・モロワの「老いるというのは悪い癖であって、忙しい人間はそんな癖をつけている暇はない」もいいなあ。ディナーのときに感謝と祝いの言葉に代えて、ワタシの大好きな「伝道の書」の「すべてに時がある」を読み上げてみようか。

テーブルの上の山をながめては、「さっぱり思い当たらないなあ。同じカタログを見ていたはずなのに、ぜんぜん見当がつかないよ~」と、カレシ。さすがに気になるらしいなあ。うふ。888の金メダルのカレシ、明日の朝は大仕事が待っているんだから、今夜は楽しい夢を見ながらよ~く眠ってね。

超おめでたのカレシ

8月8日。予報が外れて海風が爽やかな日。今日は8が3つ並ぶめでたい日。そしてカレシの65才の誕生日。中国人にとってはめでたい「八」が3つも重なる2008年8月8日はことさら運気が満々の日ということで、オリンピック開会式にこの日が選ばれたのは当然。中国系のいるところはどこも空前の結婚式ラッシュ、(帝王切開による)出産ラッシュ。カレシ曰く、「ボクなんか頼まないでこうなったんだよ」。そうだなあ、あやかった幸運の効果はどのくらいだろう。たぶん、離婚率は変わらないだろうし、落ちこぼれる子供の割合も変わらないだろう。「運」というのは期待も予期もしていないときにふらっとやってくるもんじゃないかなあ。(ふむ、宝くじが当たらないのは「今度は当たるかなあ」なんて欲気を出すからかなあ。)

朝食が終わった後、いよいよカレシがプレゼントを開ける番。考えた末に小さいものから手をつけることにしたらしい。ワタシはカメラを構えて「その瞬間」を待ち構えているのに、なぜか「思案顔」ばかり。でも、1時間以上かかってぜんぶ開けた頃には満面の笑み。みんな気に入ってくれたようでまずまず。どれも説明書が付いているから、これから当面忙しくなりそうかな。加齢現象の副作用のように言われる「もの忘れ」のことを「senior moment(年寄りの時)」と言うけど、昔らかもの忘れの達人だったカレシ、「これからはいくらでも心置きなくもの忘れをしてもいいんだぞ~」と、冗談なのか、真剣なのか・・・

おでかけは土曜日に回して、今日は「極楽とんぼ亭スペシャル」。まずはマティニでハッピーバースデイ。「冷菜」は紅とキングのスモークサーモンとイクラに梅酢でしんなりさせた大根のカルパッチオを添えた大皿と、涼しそうなガラスの器に盛った厚切りのマグロ。紅ざけとキングサーモンは色合いと味わいがぜんぜん違う。深い色合いがなんともいえない江戸切子のショットグラスで熊本の冷酒を飲みながら、ひと休みがてら「温菜」の仕上げに移る。ポルトガル風ピリピリソースに漬けてあったジャンボエビを焼き、カニのミニコロッケを揚げて、スライスしてローストした真っ赤なビーツと一緒に盛ってできあがったのが「本日のスペシャル」。最後が小エビのサラダで、名付けて「海の幸メドレー」。極楽とんぼ亭のシェフはだてに食べ歩いてるわけじゃないのよ・・・と、自画自賛。

おなかいっぱいでとろんとしたら、コンピュータの前に座ってだらだら。へえ、グーグルがStreet Viewのサービスを日本で始めたんだ。地図で住所を入力したり、目指す一点にズームインすると、その場所の「路上からの風景」が見られるというもので、カメラを搭載した車で道路を走って撮影したものだそうな。ところが、車が通った時に路上で起こっていた人間模様もカメラに収まってしまうので、「見られたくない場面」まで写っていたりするから問題がおきる。通りすがりの目にはその一瞬だけの映像も、カメラの目には永久に残る。ふむ、となりの家からうちの家の中が見えて困ると騒ぐ日本ではどうなるのかな。(ちなみに、カナダでは「プライバシー保護法」に触れるということで宙に浮いている。)

それでも、野次馬とんぼも好奇心に駆られて東京の妹の住まいを調べてみた。あった、あった。五階の一角を見上げるとバルコニーに洗濯物が干してある。札幌の実家があったところは、バス通りに抜ける砂利道が片道二車線で中央分離帯つきのすごい道路になっていた。我が家の跡は草の生えた更地。隣の家の跡は「何とかハイツ」というマンションになっていたから仰天。そっか、去年売れたこの土地も、きっと「マンション建設用地」になっているんだろうなあ。ま、家にいながらにして未知の町を散策できる楽しみもありそうだなあ。昔大好きだった歌「遠くへ行きたい」を地で行って、どこか遠くの知らない街を口笛を吹きながら、ひとり、歩いてみようかなあ。

年輪、年季、年の功

8月9日。一夜明けて、予報通り寒そうな感じ。あわてて10時頃にスタートをセットしてあったエアコンをオフにして、もうひと眠り。ここのところ二人ともあまり寝つきが良くないもので、放っておくと目が覚めるのは正午のあたりになってしまう。何もすることがない日はそれでなんてこともないんだけど、買い物などに行くと、1日があっという間に過ぎるような気がする。それもそうだよなあ、朝ごはんを食べて、ちょっと出かけて、帰って来たらもう夕食の支度の時間なんだもん。日が短くなればなおさらのこと、まるで夜行性のような生活になる。どうりで夜ウロウロする動物に出くわすはずだなあ。たまには2本足バージョンもあるけど。

動物といえば、ここのところ郊外のコキットラムでやたらと黒熊が出没している。昼前の日の高い時間に家の前で庭仕事をしていた女性が襲われる事件もあった。近所の人たちが熊を追い払って一命は取りとめたという。犯人?の熊の方は木に登ったりして逃げようとしたけど、近くに保育園があるということで射殺された。ところが、翌日には別のもっと大きいのが同じ住宅地に現れて、これも射殺されてしまった。春からずっと異常な低温だったために餌不足で人里に下りてくることはありえるけど、実は人間のゴミに味をしめたというのが実情らしい。ニュースで見た熊はエサ不足と思えないほどふっくらとしていたけど、体重が200キロもありそうなメタボ熊に徘徊されるのに比べたら、スカンクや狸の方がましなのかなあ。

午後はあっという間に過ぎて、ディナーにおでかけの時間。巻貝のロゴのGastropod。ぽちぽちと雨が降り始めた。車にヒーターを入れる。半分も行かないうちにかなりの降りになった。一応ボロ傘を1本持って来たけど・・・と、心配していたら、ちょうどレストランのまん前に駐車スペースが空いた。ラッキー!今日はシェフ特選の5コース。薄いセラノハムを巻いたマグロといっしょに出てきたのがバジリコ風味のポップコーン。おやつに食べるあのポップコーンにバジリコの味がしみて、不思議とたたき風のマグロにマッチしていた。おもしろいことを考える人もいるんだなあ。シェフのママは「食べ物で遊んじゃダメ!」と叱らなかったのかなあ。う~ん、シェフの新作グルメ料理がメニューに載るまで、いったい誰が試食して、どれだけの作品がボツになるんだろう。腹ペコ熊も知りたいかもしれないなあ・・・

明日は夏休みでニューヨークへ帰省する家族が立ち寄ってくれる日。発着情報によると正午着に変更なし。入国手続きや乗り継ぎのための時間を入れても、正味で3時間近くあるから、9時間近い飛行で座りっぱなしの後にまたレストランで座りっぱなしは少々きつい。しかも日曜日とあって空港のホテルのレストランは遠方の友をもてなすにはぜんぜんおもしろくないもブランチメニュー。ということで、空港に近い我が家で手足を伸ばしてもらうことにした。ランチのメニューは鴨のカスーレに鴨の足のコンフィ、自家製のバゲット、デザートはブルーベリー。中学生のお嬢さん用にレトロボトルのコーラとジンジャーエールを買っておいた。

起きてすぐ空港へ行くことになりそうだから、ディナーから帰って来て、さっそく腕まくりをして準備態勢。カスーレに入れる鴨の胸のコンフィを作っている間にバゲットの種を仕込んでひと休み。コンフィができあがった頃に冷凍で買っておいた鴨の足のコンフィをオーブンに入れ、カスレの本体の調理にかかる。これは前の日に大量に作っておいたほうが味が落ち着いておいしいから、こういうときにはもってこい。バゲットの種ができあがったところで3本のバゲットにしてもう一度膨らませる。できあがったコンフィをカスーレのポットに移して、バゲットを焼く。その間にテーブルに予備のリーフを入れて拡張し、ホームパーティ用の食器を出しておく。これで準備万端。

お客を招いての食事は何回かやるにつれて要領が飛躍的に良くなるから我ながら感心する。何ごとも場数を踏んでみて初めて自信をもってやれるようになるわけで、それが年季というやつなんだよなあ。誰も初めから完ぺきなんてありえない。だてに年月を重ねて来たんじゃないってことだよねえ・・・

遠方より友来る

8月10日。なんだか楽しそうな夢の真っ最中に目覚ましが鳴ったのが11時。お客の空港到着は正午。大特急で身づくろいをして、オレンジジュースだけ飲んで、一路空港へまっしぐら。エコーは4人しか乗れないから、出迎えはワタシひとり。天気予報は午後には晴れとなっていたけど、夏空。駐車場はたぶんターミナルからかなり遠いだろうから、雨が降らなくて良かった。傘をすぐ使えるように用意して来る海外旅行客なんて聞いたことがないもの。

案の定、駐車できたのはターミナルからずっと遠い端っこの方。国際線ターミナルまでは(ここでは高架だけど)地下鉄駅の工事中で「迂回路」の矢印ばかり。時間を気にしながら到着ロビーに駆け込んだら、案内板は「延着」がずらり。成田からの便は19分遅れになっている。まだ時間があるから、つながっている国内線の出発ターミナルへチェックインの様子を見に行ったら、長蛇の列。国際線のターミナルに戻ったら、今度は「23分遅れ」。ところが、12時25分を過ぎても表示が変わらない。おいおい、上空で待機中?表示が「到着」になったのは12時35分。アジアからの便が続々到着する時間帯だから、入国管理が混み合う時間でもある。出てくるのを待つ間、しばし、ピープルウォッチング・・・

いろいろと待たされることが多かったということで、ロビーに出てきたのは1時をだいぶ回ってから。でも、成田で国内線乗り継ぎ便にチェックインしていたので、あの長蛇の列に並ばずに済んで、遅れた時間を取り戻した感じ。我が家で手足を伸ばしてもらって、極楽とんぼ亭の特製ランチを食べながら、しばしのおしゃべり。短すぎる時間になごりを惜しみながら、乗り継ぎ便搭乗に間に合うように空港まで送って、もう一度ハグでなごりを惜しんでターミナルに入るのを見送った。行く先はずっと北の方。後で調べたら、ご当地は雨が降って、最高気温が12度。猛暑の関東地方とはあまりにもけた違いで風邪を引かないといいけど。

いつもと違って、午後の真ん中にまともな食事をしたもので、夕食はちょっと遅めにちょっと軽く。食事のリズムが狂うと、ちょっと調子も狂うらしい。それに、お客があって、楽しく過ごした後は、すと~んと気が抜けたように感じる。年を取るにつれて人恋しくなってくるものなのかもしれない。「友、遠方より来る」は何よりうれしいごちそう。太平洋を渡っての長い旅で、あと一歩、もうひと息のところまで来ているのを、もどかしく待つのも楽しいうちに入ってしまうから不思議。出迎えという期待感のなせる業なのかなあ。

読売新聞にエコノミスト誌が島耕作を絶賛したという記事が載っていた。日本の経営者は大胆で賢明な彼を見習えと書いているらしい。へえ、島耕作って、たしか漫画の主人公じゃなかったっけ?そういえば、たしか「課長」で始まったはずだけど、大企業の「社長」に就任したということで、ヴァーチャルにビール片手の就任披露があったなあ。その架空の人物をそれくらい褒め称えるなんてエコノミストもおもしろい記事を書くもんだ。そう思って、記事の原文を探して読んでみたら、あれ、ちっともほめてなんかいない。絶賛したって、どこで絶賛してるんだろうなあ。家庭を顧みず、離婚もする、不倫もする、婚外子を作る、ビジネスのためなら怪しい人間を使って目的を達成する、アメリカでやったら株主訴訟が起きるか逮捕されるようなことをやってのける・・・どう見ても絶賛すべき人物には見えないけどなあ。ふむ、名だたるエコノミスト誌に取り上げられたってだけで、「感動」して記事を最後まで読まかなったのかなあ。そうでなかったら、「絶賛した」なんて記事は嘘っぱちになっちゃうんじゃないのかなあ。

さて、我が家には正味2時間の滞在だった遠来の友一家のためにも、あしたは北の方までさわやかな夏の天気になるといいけど・・・

カレシはエイリアン

8月11日。月曜日。な~んか暑くなりそうな感じ。今日はカレシが網膜の検査をしに行く日。薬を使って瞳孔をいっぱいに開くために、帰りの「運転手」が必要ということで、いっしょのおでかけになった。だいぶ前にワタシが精密検査をした時はカレシに迎えに来てもらったけど、天気のいい日だったりするとまともに目を開けていられないほどまぶしいし、焦点が定まらなくて、歩いていても人にぶつかりそうで怖いから厄介。カレシは「どうせなんともないんだから、時間のムダ」とぶつくさ言っているけど、「異常なし」だったら、それほどすばらしい時間のムダってないんじゃないかなあ。

眼科のオフィスに入ったら、あれ、けっこう混んでいる。待つのが嫌いなカレシはさっそくむくれ顔。待合室の顔ぶれは99%が老人。黄斑変性症とか白内障とか、加齢による目の疾患は多いし、どれも視力に大きく影響する。視力が損なわれると自立した生活が不可能になるわけで、考えようによっては、内科や歯科の検診よりも目の検診のほうが重要かもしれない。膝や腰が少々痛くたって、薬があれば生活はできるだろうし、歯がダメになれば入れ歯という方策があるけど、目が見えなくなってしまったら何にもできなくなってしまうもんなあ。つぶらな二つの目、大事にしてあげなくちゃ・・・

カレシはまず瞳孔を開く薬を点眼されて、効果が出るまでの30分ほど待機。「なんか目が重い」とぶつぶつ。「外へ行ってコーヒーでも飲んでおいで」と言われたそうだけど、薬が効いてきたらめんどう。そばにあったリーダーズダイジェストのあまりおもしろくないジョークのページを読んで聞かせる。どうも周りの患者たちも待つのがきらいな人が多いらしい。別にあてもなさそうだけど、出たり入ったり忙しい。短気も加齢症候群のひとつなのかなあ。もっとも、カレシは昔と比べれば格段に「待つ力」がついているんだけど、それでもやたらに大きな声でしゃべり始める。知らない人がたくさんいる中で待つという状況で起きる現象で、いわばカレシの人見知りの「イヤイヤ」の表現らしい。相手にしないで適当に聞き流せばすぐに止まるけど、自閉っぽいところもあるカレシにはストレスになる状況なんだろう。

やっとドクターに呼ばれて、検査室に入ったカレシ。10分も経たないうちに出てきて、後からついて来たドクターが「10年したらまたおいで」と。ははあ、どうやら異常なしということらしい。うれしい時間のムダってことで、連れ立って外へ出たら、「うは、まぶしいっ」。快晴なもので、サングラスをかけてもまだまぶしい。目の中が花火大会みたいな感じなんだそうな。しっかり手をつないで、車を止めたところまで日陰の側を選んで歩きながら、「涙が出てくる」とぶつぶつ、「目が痛くなってきた」とぶつぶつ・・・。

ワタシの運転でお帰りなんだけど、となりで「そっちに曲がったほうが早い」、「あっちの道がラク」とうるさい。ワタシが運転するんだからワタシのやり方で行くの。だけど、燃料ゲージが1本だけになって、ガソリンポンプのマークが点滅している。このあたりでガソリンステーションがあるのはメインストリートで、しかも道路の左側ばかり。やたらと遭遇する道路工事を迂回しながらメインに出て、最初に見つけたステーションに左折。「クレジットカードのポンプじゃないみたいよ」と言っていたら、誰かが窓をコツコツ。なんのことはない、フルサービスなのだ。「どうする?」と聞いたら「いいよ」。まあ、「じゃあ、いいです」と次に行くのもなんだよねえ。満タン(40リットル)にしてもらって58ドル。あたりまえだけど、セルフサービスよりうんと高い。家までの道もまた「ヴァーチャル運転手」を決め込むカレシ。そんなにしゃべっていたら、家に帰りつく頃には声が嗄れてしまうんじゃないのかなあ。

帰ってからしげしげと見たカレシの目。黒目がいっぱいに広がって、自慢のベビーブルーは黒目の縁取りくらいにしか見えない。目は心の窓というから、カレシの心の中をのぞけるかなあと、もっとよくしげしげと見てみたけれど、うわ~、まるでエイリアンの目。早く「愛している」と言ってワタシを見つめたあの目に戻ってよねえ・・・

昭和22年の学習指導要領

8月12日。あれ、夏のはずなのに、また春に逆戻り?それとも秋に早送り?どよんと曇って、あまり暑くもなしの日。庭に出ていたカレシが雨が降ってきたと言って入って来た。天気予報もこれは想定外だったらしい。まあ、週末にかけて気温は大幅に上がるそうだから、そこに期待しておこうか。だけど、こんなに季節がぶらんこの状態だと、着るものの整理がつかない。衣替えなんていう風雅な習慣など生まれそうにない。中学、高校時代に、制服の夏冬の切替が判で押したように「何月何日」と決まっていて、その年の気候にはおかまいなし。まだ寒いのに夏服になってがたがた震えたり、まだ暑いのに冬服を着せられて育ち盛りの体が蒸れてしまったりした。教師たちは気候にあった服装をしていたのが不思議だったなあ。

ひと仕事終えて、ネットで遊んでいたら、「昭和22年の学習指導要領」の話を見つけた。戦後に当時の文部省が作った試案だそうで、「民主主義に必要な学力」が強調され、話す、聞くの「言語活動」が重視されていたという。民主主義の実現のためには、自分の意見を述べることや話し合うことが重要だから、話し方の教育に力を入れて、「民主主義の国では各個人の意見が大切であることを理解させていく」と、もう大変な意気込み。「われわれ日本人は昔から多弁を嫌い、社交をうとんじたために、話しかた・聞きかたの方法がかなりおくれていた」んだそうな。そう、「男は黙って」が社会規範になれば、話さなくてもいいし、誰も何も言わなければ聞く必要だってないもんなあ。言わざる、聞かざる・・・

日本のお役所の思想としては先進性がえらく目立つなあ。結局は、言語活動は経験主義に偏りすぎて学力を保証できないと、昭和33年に「学力重視」に大転換してしまったそうだけど、それが点取り競争、試験地獄、偏差値偏重のレールを敷いたのかなあ。ワタシが小学校3年生だった頃だ。教室で特に大きな変化があったような記憶はないけど、小学校高学年になって通信簿に「SS値」という名前の鐘の形の得体の知れない曲線が描かれた紙切れが付いて来るようになったのを覚えている。あれが「偏差値」を表すものだと知ったのは大人になってからのことで、自分の位置を示す「×」がいつも右端のどん底のそれもずっと端にはみ出して付いているのを見て、「がんばったのに~」とがっかりのしまくり。子供心に曲線のてっぺんが一番高い評価だと思い込んでいたわけで、6年生のときはあの紙切れが姿を消してホッとしたけど、やる気が殺がれたのは否定できないと思う。

本来、人間というものは「金太郎飴」をスライスしたもんじゃないんだから、テストの点数と偏差値だけで計れるわけがないのだ。ワタシはどうも元から不適応が目立つ問題児だったので、「学力重視」の詰め込み教育には向いていなかったのだろう。小学校2年の時に、全校で実施した知能テストと読書力テストで「異常値」を出して、親が学校に呼び出される騒ぎになったことがあるらしい。その異常値が「不適応の原因」のようなことを言われたそうだけど、なにしろ教室から溢れんばかりのベビーブーム世代だったから、復興中の戦後日本には「平均値」の外に注意を向ける余裕などなかった。もし「各個人の意見が大切」にされる民主主義教育が続いていたら、ワタシの教育歴はかなり違ったものになったかもしれない。

おてんば娘で、左ぎっちょで、知りたがりやにしては教えられるのがへたで、女の子のくせに一家言をぶち上げるのが好きなワタシは、和をもって尊しとする集団社会にはとうとう馴染めず、「各個人の意見」を尊重する民主主義の国に来てやっと羽を広げたというところ。だけど、「教えられべた」だけは今さらどうしようもないから、自分流の門前の小僧式学習法で勉強するしかない。まあ、その方が割と覚えられるような気がするから、それがワタシの学習スタイルなんだと思えば気楽でいい。ひょっとしたら、金太郎飴の棒の端っこでひしゃげた顔をしている金太郎なのかもしれない。でも、棒の真ん中あたりの端正な顔の金太郎と味が違うってことはありえないと思うんだけどなあ。「同じ」金太郎飴でしょ?

食べもので遊ぶのも楽し

8月13日。いつもよりは早めに眠りについたはずだったのに、ナイトキャップのコニャックが効きすぎたのか、目を覚ましたのは午後12時半。エアコンが入っていて寒くないところをみると、どうやら少しは暑くなりそうな気配。カレシは「自由行動」の日(もっとも、木曜日以外は毎日が自由行動の日なんだけど)、ワタシも小さい仕事を片づければ後はほぼ自由。朝食後、オフィスに下りて行ってメールをチェックしたら、明日からの予定で引き合いのあった仕事が受注できなかったということでボツ。残念でしたねといいながら、ほんとはちょっぴりうれしい。だって、せっかくゆとりたっぷりの8月だもん。

このところなんとなくクリエイティブモードなのか、夕食のしたくのたびにひと工夫してみる気分になる。ひと呼んで「マイケル・スミス流」。カナダ版Food Channelで「レシピなしのぶっつけ本番料理」とでも言ったような料理番組をやっていた。冷蔵庫をのぞき、戸棚をのぞいて、ありあわせの食材でグルメ料理を作ろうという趣向で、もちろんテレビ番組だから、すべて事前に仕組まれているはずなんだけど、「へえ、今度やってみようか」という気にさせて、けっこうおもしろかった。知りたがり屋のワタシは無類のやりたがり屋でもあるもんだから、したくを始めたところでムラムラとその気になってしまう。

きのうの夕食はマグロのステーキ。ちょっと小さいけど厚切りのキハダマグロ。付け合せは何にしよう。野菜はカレシが生徒さんからもらって来た家庭菜園産の巨大なズッキーニ。冷蔵庫をのぞいたら、おお、イクラの残りがあるぞ。海のもの同士で使えそう。使いかけの大根もある。そこで、大根をぶ厚く輪切りにしてローストしてみる。串を刺せば通るくらいに柔らかくなったところで、水で冷やして真ん中をくり抜いてミニカップを作り、イクラを詰めて、その上にくり抜いた部分を帽子のようにちょこんと載せてみた。う~ん、なかなかイケてるぞ。ズッキーニは3個ぶ厚く輪切りにして半月に切ってから蒸すだけ。真っ白な四角いお皿にマグロのステーキと、半月ズッキーニと、イクラ詰めのロースト大根を「天地人」みたいに並べてみたら、カレシ曰く、「おお、ミニマリストのデザイン。うん、彩りもいいねえ」。

きのうの今日で気を良くして、今日の夕食はシンプルなポークチョップだけど、ひと工夫ムードは満々。付け合せは蒸したインゲンだなあ。他に何がいいだろう。冷蔵庫をのぞいて見たら、さくらんぼの袋がある。野菜を買って来たらなぜか袋に入っていたもので、レシートにちゃんと打ってあるところを見ると、誰かが残していったのをレジの人がうっかり私たちのと混ぜてしまったらしい。子供のときに一生分のさくらんぼを食べてしまったからとそっぽを向くカレシは「チェリーシロップを作ってみようかなあ」と。だけど、いつものカレシ流で手付かずのまま。そこで10個ぐらいを半分に切って、種を取ったのを鍋に放り込んで、料理用の白ワインをドボドボ。砂糖を少し足してやわらかく煮詰めたら、きれいな色のチェリーソースができあがった。盛り付けはきのうほどエレガントではないけど、ポークにはフルーツがよく合うし、白いお皿に赤紫色のソースが映えて、ちょっぴり華やいだ感じ。イケてるじゃん。

我が家の「レシピなしのぶっつけ本番料理」は二晩連続のヒット。あり合わせの材料でも、想像力を駆使すれば、見栄えのするおいしい料理が作れるというシェフ・スミス。ほんとうにその通りなのだ。二人だけだと、食材がどうしても余ってしまうことが多い。そんなとき、想像力をフルに働かせての「味は食べてのお楽しみ」的なお気楽モードの即興料理は、食べもので遊ぶようなところはあるけど、使い残しの食材をうまく使い切れるし、ちょっぴりシェフ気取りになれて、おまけに平凡な夕食のマンネリ打破にもなるから一石三鳥。食べ歩きで見覚えたデザインを思い起こしながら盛り付けを工夫してみるのも楽しい。さて、あしたはどうしよう。はたしてトリプルヒットになるか・・・

にわか先生はコメディアン

8月14日。いや、久しぶりに暑い。今日はバンクーバーの「真夏日」になりそう。湿度が高めらしく、肌がべたつきはしないものの、いつものようなさらっとした感じがしない。ラジオのニュースでは「蒸し暑い」と言っているけど、それでも湿度が比較的低めの北海道よりも低い。津軽海峡以南の蒸し暑さとは当然比べものにならないわけで、ご当地育ちには「蒸し暑い」ってだけのこと。バンクーバーっ子の感覚では25度を超えたら「真夏日」、たま~に30度になったら「猛暑日」であごを出してしまう。どうやらこの「猛暑」の元凶はカリフォルニアの熱風らしい。暑いはずだ、あれだけ山火事が荒れ狂っているんだもん。

今日はカレシの英会話教室の手伝い。ちょうど仕事がないので、連れ立って出かける。(暑い!)夏の教室の生徒さんは、中国人5人、インドネシア人1人、メキシコ人1人の7人。インドネシア人だけが男性で、あとはみんな女性。年令は30代から50代と幅広い。カレシが来週の最終回にパーティをするかレッスンをするか聞いて、ポットラックパーティをやろうと決まったところで、ワタシを残してすたこらと姿を消してしまった。はてさて、にわか英語教師はどうしたらいいのか。まず、自己紹介。名前の意味を説明して、生徒さんの名前の意味を聞いてみる。どこの国でも親は子供の幸せや幸運を願って名前をつけるんだなあと思った。

会話教室なんだから、さあさ、しゃべって、しゃべって、と煽るけど、そうは問屋が卸さないのが英会話。そこで、「読むこと」と「聞くこと」は受動的な行為で、「書くこと」と「話すこと」は能動的な行為。「話す」と「聞く」のやりとりが「会話」で、会話が「コミュニケーション」になるためには、まず言いたいことがあって、「それを話して相手にわかってもらいたいという気持」と「相手の反応を聞いてわかりたいという気持」がければならない、とぶち上げた。文化によっては、相手に自分の気持を汲んでもらおうというところもあるけど、カナダでは自分の方から気持を伝えないと相手にはわからない。読心術を期待しない文化なのだ、と。生徒さんたちは「うん、うん」とうなずきながら聞いている。ふむ、ワタシはけっこう演説上手なのかなあ・・・。

それからは、オリンピックの話、カレシとの出会いの話(切手収集のための文通が縁)、ご近所で起こった怪しい出来事、と話が進んだけど、少し続くと途切れる。そこで、お手のもののStory-telling。演劇講座で即興芝居をやっていたもので、そのストーリーを演じるのもお手のものだから、しまいには英語教室じゃなくて、コメディクラブでの独演のようになってしまった。言葉で表現する作業はかなりの全身運動だからなあ。外国語が通じるかどうかに占めるボディランゲージのウェイトはばかにできない。日本人の会話で大きな動作が嫌われるのは、会話そのものが相手にげたを預けるスタイルになっているからかもしれないなあ。自分は言いたいことをできるだけ言わずに相手に推測させようというわけだから、大きなエネルギーを費やしてまで表現する必要がない。それを外国語の学習に持ち込むから、さっぱり上達しないということになるのかもしれない。だとしたら、なんか損している文化だなあ・・・。

まあ、生徒さんたちが笑っているということは、話が通じているってことだろうけど、ここは英会話教室。コメディやってて、こんなんでいいのかなあ。お~い、カレシ先生、早く戻って来てぇ・・・。

カレシが戻ってきて、「どうだった?」と生徒さんたちに聞くと、「先生の発音と違う、話し方も違うけれど、おもしろかった」という返事。「教えるのがうまい」って、そんなことないと思ってはいても、そう言ってくれると大汗をかいた甲斐があったというもの。ワタシにとっても英語は母語じゃない。ワタシがカナダに来た頃は政府による移民支援プログラムなどなかった。コンピュータもインターネットもなかった時代。そう言うと「自分で覚えたのねえ」。思えばそうだったんだろうなあ。カレシは日本語を話せないし、日本語でおしゃべりできる友達も就職するまでの2年間はゼロ。1日24時間、週7日の英語漬けだったから今のワタシがあるんだと思うけど、言葉は使う人、十人十色。教えてもらうのではなく、どんどん使って、間違いをしながら学ぶこと。それ以外にないように思う。

ヒマな釣り人、さびしい魚

8月15日。ゆっくり起きて、金曜日。日本はもう土曜日だから、仕事が入ってくる心配はなし。ちょっと雲が広がって、思ったほど暑くはならないかな。菜園の水やりから戻って来たカレシは「朝っぱらから蒸し暑い!」 ちょっと出てみたけど、蒸してなんかいないし、そんなに暑い感じもしないし。「な、蒸し暑いだろう?」と言うから、「ぜ~んぜん」。カレシは汗っかきなもので蒸し暑いのが嫌い。毛穴の数が足りないんだ、きっと。天気図を見ると、太平洋に大きな雲のかたまりがあって、高気圧を迂回するように雲が流れて来ている。気温24度、体感温度は30度だそうな。ということは、やっぱり蒸し暑いのかなあ。

あまりたまっていないけど、洗濯しながら、ぶらぶらとネット散歩。オリンピックたけなわだけど、カナダは中盤に入ってもメダルの数がみごとに「ゼロ」。鳴りもの入りで選手を送り出したのに目算が狂ったのか、ニュースもその話に集中している。関係者とか過去のメダリストが「心配ありません。カナダは後半になってメダルを取ることが多いのです」なんて言いわけめいたいことを言っているけど、1個もメダルが取れなくたっていいじゃないの。オリンピックはいつから「メダル争奪戦」というスポーツ種目なったの?選手が自己のベストを尽くせば、それで十分に感動的だけどね。もっとも、オリンピック候補に選ばれたアスリートは、オリンピックの前からエリートとして何かにつけてちやほやされるから、ハングリー精神が育っていないのかもしれないなあ。それに、カナダ選手団のユニフォーム、どうみたってパジャマ。あれじゃあ、気合が入らなくてもしょうがないなあ。しまいには「カナダはウィンタースポーツの国ですから」と、思いっきりずれたコメントまで出てきた。あはは、オリンピックには関心がないから、ど~でもいいけど。

ローカルの掲示板をのぞいてみたら、反韓、反中、尊皇攘夷、大日本帝国バンザイみたいなトピックが多い。最近の現象のようだけど、まるでにいちゃんねるに乗っ取られたみたいに見える。カナダに来てまで何をくだくだと言っているのかと、ちょっとのぞいたら、なるほど、これが噂に聞くにいちゃんねらの遠吠えか。どれも「JP」という文字が添えられているから、投稿元は日本らしいけど、呼応しているのはどうやらワーホリなどで「海外」にたむろしている若い日本人たちだろう。在日がどうの、シナ人がどうの、移民を受け入れれば日本は崩壊するだの、にぎやかなこと。移民に反対なのは日本が「単一民族の国」だからだそうな。新聞を読んでないな。厚生省の発表によると、2006年に日本で生まれた子供の30人に1人がハーフだそうで、日本は混血民族になりつつあるってことじゃない?それにしても、自分たちは八方手を尽くしてでもカナダの移民権(そんなものはないんだけど)を取りたがるのに、日本には移民を入れるなって、ずいぶん勝手なことを言う人たちだなあ・・・

飽きもせずに盛り上がっているのが「カナダ人男と日本人女のカップル」のネタ。そもそも煽りが目的の釣りネタなことは明らかなのに、定期的に立っては確実に盛り上がるからおもしろい。テーマはいつもどうして「カナダ人(=白人)とつるむ日本人女はブス/英語がへた/優越感を持ってい」るのか。当然、「ワタシは違いますっ!」と反論して「白人男を捕まえられなかった負け犬の妬み」と逆襲し、それに「躍起になるのは幸せじゃないからだ」と応酬される。つまり、カナダまでのこのこやって来て日本人相手に釣り糸を垂れるヒマな日本人が浜の真砂の数ほどいるということなんだろうけど、そたのびに結婚移民組がいちいち青筋を立てて反応するのは、やっぱり何かしら満たされない屈折したものがあるんだろうか。自分が幸せならそれでいいはずなんだけどなあ。外国の中の日本という真空の世界から飛び出したら、それがわかるだろうに。そうしたら楽になると思うんだけど。そこのあたりを探ってみたら、短編小説のひとつやふたつは書けるかなあ。書いてみようか・・・