抽象画をさらに抽象化してしまった・・・
10月16日。日曜日。先週は目覚ましで起きることが多くて、なんか忙しない1週間だった。寝酒もなしで寝た日が多かったような気がしたので、ゆうべはスモークサーモンのパテとクラッカーとアルマニャックでのんびりとクオリティタイム。大きな仕事がドタキャンになったので、ワタシも気分はゆったり。いくらのんびり構えていても、身体のどこかに「普通じゃない」ところがあれば、そうと意識しなくてもやっぱりストレスを感じているんだろうな。(それにしても「皮膚のカブレ」のようなもの」って、言われて見ればそんな感じだったかな。要するに接触性皮膚炎の一種と言うことか。)
今日は息抜きの絵のワークショップ。念のために正午に掛けておいた目覚ましよりずっと早く目が覚めて、朝食後の余裕の時間はメールのチェック。ニューヨークからまた引き合いがあるけど、何か大きそうだな。実際に発注する担当者はロンドンのオフィスにいるってことはどの通貨で払ってくれるのかな。どうして旅行の予定が迫ってくるとどさどさと仕事の話が来るんだろう。これも何かのジンクスのようなものかな。ま、とりあえず返信は後回しで、いそいそとお絵かき道具のしたく。やっぱり自分の奥底の気持をイメージや言葉で「抽象的」に表現するという行為は、エネルギー資源の埋蔵地を探し当てるようなもので、元気がわいて来る。でも、言葉で場面を描くと言う作業は自分の身を少しずつ削るような、なんか『夕鶴』のおつうが感じたであろう「痛み」を伴うような気がする。その点、思いつくままの色や形で表現できる絵ずっと直截的で楽しいな。
前回から色の勉強をしていて、今日は先生が持って来た古いカレンダーの絵から好きなものを選んで色の「模写」をやった。色だけに注意を集中できるようにと、絵は逆さま。ワタシが選んだのは色は鮮やかだけどかなり重厚な雰囲気の抽象的な風景画。まずは、ここはこの系統の色、こっちはあの系統の色と、薄く絵の具を塗っておいて、それから元の絵の色を作りにかかる。いつもごちゃごちゃと絵の具を混ぜてみるワタシのパレットはすぐに空きスペースがなくなってしまう。みんなはどうしているのかなあと偵察してみたら、きちんとしているなあ。それに逆さまでもきちんとした模写になっているからすごい。ワタシのは色も形もどんどん原画からずれて行って、どんなものができあがるのか、まるでフォレスト・ガンプのチョコレートの箱・・・。
だいたい2時間ちょっとかけてほぼ出来上がったところで、みんな原画と作品を並べて壁に貼って、先生に批評してもらうんだけど、ワタシのは原画の面影を留めているのは空と入道雲くらいのもので、原画を見て「あ、これは木だったのか。こっちは家で、この白いのは走って行く蒸気機関車の煙なんだ」と、逆さまのときには認識できなかった形を次々と発見。もちろん、作品の上下をひっくり返しても、原画とはまったく違ったものになってしまっているから、木も家も機関車もあったもんじゃない。だけど、えいっと90度回転させてみたら、ふむ、なんちゃらピカソカンディンスキーマチス風でおもしろいな。原画はカンディンスキーの『ムルナウ付近の機関車のある風景』だった。どうりで選んでいて直感的に「これ!」と決めたはずだな。ああ、この強烈な色使い。ワタシはカンディンスキーの初期の作品が大好きなの・・・。
先生にもう少し手を入れるところを指摘してもらって、意気揚々と帰って来たら、ドタキャン仕事の代わりにと、別の大きな仕事が入っている。5日。分はあるかな。いや、内容が内容だから6日。か。ボストンへ出発する前日までのぎりぎりの線だな。ま、ニューヨークへは手一杯ということで残念メールを出して、残っている小さい仕事を片付けて、明日からぼちぼちと行くか・・・。
幸せ感・不幸せ感を左右する遺伝子
10月17日。月曜日。いい天気。少し早めに寝て、正午ぎりぎりに目を覚まして、いろんな生活音を聞きながら、何となく抱き合ってしばしうとうと。(暖かくて気持がいいのは同感だけど、でも、ワタシ、縫いぐるみのクマちゃんじゃないのよねえ・・・。)でも、目が覚めてもすぐに起きなくていいというのは幸せだなあ。でも、そのうちにどっちからともなく「おなか空いたなあ~」と言って、ごそごそと起きた。まあ、いくらなんでも朝っぱらからロマンチックな気分でいちゃいちゃもないもんだ思うし・・・。
久しぶりにベーコンとポテトときのこと目玉焼きでしっかり朝ごはんを食べて、まずは旅行前の大きな仕事の算段。うわ、民事訴訟か。どうやら日本国政府のお役所が訴えられているらしい。ま、弁護士が書いた文書なら、ああだこうだでこうなってああなるから、我々の主張が正しいのだ!って感じで、翻訳はやりやすい。(事実関係をむにゃむにゃと行間で濁したら負けるもの。)話は別だけど、オリンパスがイギリス人の社長を(日本の企業経営の慣習を無視したとかいう理由で)半年で解任したというニュースを読んだときは、理由が「企業文化の壁」なんて初めっからきな臭い感じがしたけど、日本語のメディアにはあまり出て来ないところをみると、何だかおもしろくなりそうな雲行き。ぶっちゃけ、建前と本音の文化は「臭いものに蓋」の、「壁」の外に知られなければ善しとする隠蔽文化。知られたら、雁首をそろえて「せ~の」と最敬礼で「シャザイ」
すればそれでおしまいで、結局は何も解決しない。まあ、そういう文化で、みんなそれでいいんだったら、ワタシのような部外者がどうのこうの言うことではないんだけど・・・。
今日届いた『エコノミスト』誌の「サイエンス」ページにおもしろい記事があった。「幸福感の遺伝学」。ずっと世界には生来ポジティブな人とネガティブな人がいると思っていたけど、まさにその通りのような研究成果が出て来ているらしい。欧米の大学がアメリカ人を対象に、脳内の気分を掌るセロトニンを輸送するたんぱく質の遺伝子の長さを調べたんだそうな。このたんぱく質には短いのと長いのと2つの対立遺伝子があって、両親から短いのを2個受け継いだ人、長いのを2個受け継いだ人がいて、長短を1個ずつ受け継いだ人がいる。短い遺伝子を持っている人は欝っぽくなりやすく、長い遺伝子を持っている方は能天気になりやすい、ということらしい。ボランティアで研究対象になったアメリカ人のうち、セロトニン輸送タンパクの遺伝子の長さは、平均して、アジア系で短く、アフリカ系で長く、ヨーロッパ系(白人系)はその中間くらいと言う結果が出
たという。
おもしろいのは、この遺伝子が長い人種は個人主義的で、短い人種は集団主義的な傾向があるという研究発表が何年か前に出ていたという話。特に中国と日本には短い遺伝子と気分障害の両方が揃って多い、と注記してあった。中国人が概して欝っぽい性質を持っているのかどうかは知らないけど、大陸系(弥生系)が優勢で、「和をもって尊し」とする日本人は、自殺者の数の多さと言い、出る杭は叩かずに入られないらしい思考といい、小町横町に蔓延する「~された」という被害者妄想的なネガティブ思考といい、「幸せ感」の遺伝子が短いんだろうと思わざるを得ないな。もちろん、幸福感(満足感)の多寡は生育や生活といった環境的要素が大きくて、遺伝的要素の寄与率は全体の3分の1くらいだそうだから、社会的、文化的な環境が遺伝的要素を増幅しているのかもしれない。逆に、そういう遺伝的要素が社会的、文化的な環境を形成して来たと言えなくもないだろうけど。
じゃあ、能天気な極楽とんぼのワタシはどうなんだろうと思うんだけど、直感的にわりと長めの遺伝子を持っているんだろうと思う。だからこそ、モラハラの圧力で抑うつ状態になるまで何年もかかったんだろうし、ついにうつ病になってしまったときにSSRIというセロトニンの伝達ロスを減らすタイプの抗うつ剤が目覚しい効果を上げたんだろう。最近どこかの化粧品メーカーが縄文系はしみやそばかすができやすく、弥生系はできにくいという研究結果を発表していたけど、ワタシはしみもそばかすもあるし、顔つきからしてどう見てもマレーシアからインドネシアにかけてのアジア的らしいから、たぶん縄文系の遺伝子が勝っているんだろうと思う。だとすれば、平均的な弥生系日本人とは少しばかり遺伝子構成が違っていてもおかしくはないな。
まあ、人種間の遺伝子の長さの違いはあくまでも平均的なものだから、それぞれの人種に趨勢に逆らう「あまのじゃく」がいてあたりまえなんで、だから、どこの社会にもポジティブな人とネガティブな人がいるわけなんだけど、問題はどうしたら両者が平和共存できるのか・・・。
法律家の論理はなんちゃらかんちゃら
10月18日。火曜日。今日もいい秋日和。起床は11時。削岩機の音で目が覚めた。池の取り壊しは一応終わったはずだったんだけど、カレシが池の形を作っている鉄筋を全部掘り出すようにと「後出し注文」を出したもので、今日来るという予告メールが入っていた。アクセスのために壁板を外したゲートに応急で貼ってある合板を外して、そのまま入ってくれればいいので、早起きして待っていなくてもいいから助かる。
英語教室の午後の部に出かけるカレシを送り出して、裁判書類の仕事にかかる。400文字で原稿用紙に換算するとざっと50枚あるのを週末までに仕上げようと言うわけだけど、思いのほかすいすいと進んでくれるのでホクホク。何しろ裁判だから、何とか法の何条の何項では「なんちゃらかんちゃら」というのがぞろぞろ出てくる。でも、最近は日本政府が法令の英訳プロジェクトを進めているおかげで、「法なび」というサイトでかなりの法律の英語版・日英対訳版(現在の収録数200以上)が見つかるし、『標準対訳辞書』と言う基本的な用語集もできていて、翻訳者にとってはいい時代になったもんだと思う。ま、法律によっては「外国人に関係のある部分」しか訳されていないのもあるけど、昔のように引用されている「なんちゃらかんちゃら」をいちいち自分で訳さずに済むことが多くなったから良しとしなきゃ。
だけどまあ、ひとつひとつの文章の長ったらしいこと。のっけから、「本件は、原告がなんたらかんたらの理由でなんちゃらかんちゃら(以後「ナンチャラカンチャラ」と言う)したところ、被告がなんじゃもんじゃでなんじゃもんじゃ(以後「ナンジャモンジャ」と言う)であるから、こんなもんじゃではアカンのじゃわとケチをつけ、勝手にああじゃこうじゃをしたことに対して、原告がああちゃらこうちゃらなんであるから被告の方が間違っておるっちゃと言い、裁判所に被告は間違っておると言ってくれやと提訴した事案である」と、ほぼ1ページいっぱいに「。」なしで訴訟にもつれ込んだ経緯の説明。
まあ、こういうのはけっこうやり慣れているからいいんだけど、声に出してひと息に読んだら息が続かないな。(英日翻訳を主にやっていた昔、セミコロンばかりのセンテンスが延々と2ページも続いてやっとピリオドに出会えたというすごいのに出くわしたことがあった。あのとき、アメリカの弁護士の脳の中はどういう配線になってるんだろうと不思議だったけど、日本語でも同じということは、アメリカも日本もなくて、弁護士と言う職業の人たちの脳内には思考回線が世界共通の配線パターンになっているのかもしれないな。契約の類もそうだけど、誤解の余地がないように綿密に論理を構成しているつもりが、逆に誤解どころかさっぱりわからないと言うことになっていることも考えられるかな。
つまるところ、こういう翻訳はジグソーパズルみたいなところやクロスワードパズルのようなところもあって、どっちもワタシが大の得意のパズルだから、ベースメントのオフィスにひとり篭ってこの稼業を20年以上も続けられたのかな。今は外野席に野次馬が控えていてときどきはうるさいけど、ま、明日もけっこう早起きになりそうだから、腕まくりをして「なんちゃらかんちゃら」パズルの謎解きに精を出そうっと・・・。
ちょっと息抜きのひとときの雑感・・・
10月19日。水曜日。午前9時過ぎに外でかなりの騒音。どうやらコンクリートの残骸を撤去するためのコンテナが届いたらしい。何しろ、カレシの注文どおりに池の底までコンクリートを掘り起こして、鉄筋をすべて掘り出したら、裏庭中が大小のコンクリートの塊の山。池があったところは象が水浴びできそうなくらいの大きな穴になった。まるで隕石か何かが落ちたんじゃないかというような、まさに激甚災害地みたいな風景で、今さら、すごいものを作らせたもんだなあという感じがする。残っているのは北側の一角だけ。新しく作るガレージから家までの通り道のアクセントになる。
マイクと息子が手押し車を持って現れるまで、しばしの間うとうと。運動が必要だから自分でやると言ったマイクは3キロの減量になったと笑っていた。コンクリートの塊を手押し車に乗せて、道路においたコンテナに積み込む単純な作業だけど、午後4時過ぎまでにはきれいに片付けて、新たに温室まで引く給水パイプを埋める溝まで掘ってしまった。それにしても、ほんとうにでかい穴だ。池の深さは1メートル以上あったな。何年も春から秋にかけて蛙がたくさん住み着いて夜な夜なにぎやかな大合唱だったし、野鳥の水浴び場になっていたし、ときには大きなアオサギが魚がいないかと偵察に来たりもした。この4、5年蛙が来なくなったのは、向かいのゴルフ場で農薬を使っているからだろうと思う。(昔は玄関を開けるとうわ~んと聞こえてきた虫の声がまったくしなくなったし・・・。)
外で作業が進んでいる間に、ワタシの仕事も昨日に続きすいすい。順調だなあと思っていたら、別のところから「出かける前に何とかねじ込んでぇ~」と、また仕事。やれやれ、今回もぎりぎりまで仕事だなあ。ま、何とかなるかと思ってはいいよと言ってしまうワタシもワタシなんだけど、おかげで今月は売上が膨らんで、出かけずに丸々1ヵ月仕事をしたら久々に1万ドルの大台に乗れるペース。でも、年のせいか、年金受給年令に近づいてだんだんぐうたらになって来たせいか、この頃はときどきもういいよと言う気分にもなる。よく考えたら、来年の今頃はとっくに年金の手続きを済ませていなければならないわけで、ワタシもいよいよそういう記念すべき年に到達しつつあるってことか。そういえば、日本では年金の受給開始年令を68歳だか70歳だかに引き上げようかという話になっているらしい。まだまだ「60歳定年制」が大手を振ってまかり通っているのに、年金だけ先延ばしされるのはきついなあ。
そんなんだと若い人たちはますます将来に夢を持てなくなるんじゃないかという気がするけど、高齢化と言っても日本のベビーブーム世代はわずか3年だけ。カナダやアメリカでは20年も続いて、今やカナダの全人口の3分の1がベビーブーマー世代なんだけど。ま、あと1年と6ヵ月で、ワタシも「シニア」の仲間入り。それまでは、バリバリの現役でがんばるか。うん・・・。
嘘と偽りで守る名誉の価値
10月20日。木曜日。たぶんマイクは来ないからゆっくり寝られるね、と言っていたカレシ。残念でした。ワタシは正午にヘアサロンの予約がある。(ま、勝手に起きて、何か食べて行くからいいよと言っておいたけど。)目覚ましを午前10時45分にセットしておいたら、外で何やら騒音で10時半に目が覚めてしまった。庭から撤去したコンクリートの残骸を入れたコンテナを廃棄物処理業者が取りに来たらしい。これで、裏庭の改修プロジェクトはひと区切り。
カレシがよく眠っているので、そっと起き出して、はて、朝ごはんをどうしよう?この10年というもの、我が家の朝食当番はカレシだった。はたと考えて、思いつくままに卵を1個溶いて、ミニサイズの四角いフライパンに流し込んで、スライスしたウクライナ風ソーセージを載せて、オムレツ?ができるまでの間にパンを1枚トースターに入れて、ジュースを飲んでいたら、カレシが起きて来た。フライパンをのぞき込んで「何だかうまそうなのを作ってるね」。そうなの。焼きあがったトーストを2つに切って、二つ折りにしたオムレツをはさんで、即席朝ごはんサンドイッチ。まあ、カレシがタイミングよく起きたおかげで、普通メニューの朝食を終えるのを待って、モールまで送ってもらうことになった。
おかげで10分ほど節約できるので、オフィスへ下りてメールのチェック。きのう、同業仲間のサイトに載せたワタシの写真が聞いたこともないメディアの記事に使われていたことがわかって、それを削除させるために、あっちへメール、こっちへメール、あっちからメール、こっちからメール。いやあ、ネット空間てのは片時の油断もできないところだと改めて実感。著作権だって、よくよく規約を読んでみたら、何か最終的にはサイトに帰属すると解釈できるようなことになっていたらしい。別にスキャンダルになるようなものじゃないんだけど、勝手にワタシの写真を使うなと抗議したら、メディアの方から問題の写真を同業仲間の写真ギャラリーから削除されたら、記事からも削除すると言って来たので、結局はその通りに写真を削除してもらって、だからそっちも削除しなさいとメールを送って一応の決着。(ほんとにするかどうかはわからないけど。)ほんっとに油断も何もあったもんじゃないな。こっちは超忙しいってのに、もう・・・。
伸び放題、白髪生え放題になっていた頭を数ヵ月ぶりにハイライトと白髪染めとカットですっきりさせてもらって、道路向こうの銀行でアメリカドル建ての口座からボストンで使うアメリカドルを引き出して、また道路を渡って、郵便局の私書箱を空にして、モールの反対側の青果屋で当面必要な野菜を買う。(くどい法律口調が移っちゃったじゃないの・・・。)カレシに電話して「いるものはない?」と聞いたら、トマトがいると言って、結局はモールの外の交差点まで迎えに来てくれることになったので、玉ねぎやポテト、まだあった地場もののとうもろこしなど、けっこう重いものを買い込んでしまった。今夜の夕食はマグロとエビとピーマンととうもろこしのグリルと行こう。
テレビのニュースはリビアのカダフィが死んだという話で持ちきり。リビアの人たちにしてみれば、「やっと」というところだろうけど、これからどうなるかはリビアの人たちしだい。長い間独裁政治を許してきたイスラム世界だって民主主義や人権を尊重する近代的な政治体制を作れる資質があるんだと世界に見せ付けるチャンスだと思うけど、人間の思想や価値観や文化は一夜にして変われるわけじゃないから、はたして現実はどう展開するんだろうな。西洋の民主主義や人権思想は彼らの文化とは相容れない異教徒のものじゃなかったのかな。「アラブの春」もやがては部族間闘争に陥るか、あるいは別の独裁者が台頭してくるかするかもしれない。欧米が手を貸そうとすれば、支援のしかたが気に食わないといって「聖戦」を仕掛けてくるかもしれない。だからと言って手を貸さなければ、それはそれで不満の種になるかもしれないし・・・。
おりしも、オンタリオ州ではアフガン人移民の男が第2夫人と息子との共犯で、3人の娘と第1夫人を車ごと運河に落として殺したという「名誉殺人」の裁判が行われている。殺された3人の娘たちはいずれも十代。カナダにいて、父親の命令に逆らってメイクをし、へジャブをつけず、こっそりデートまでしたのが父親の「名誉」を汚したというこで、無慈悲に殺されてしまった。だけど、大人の男が自分より力の弱い者を意のままに支配するのが「名誉」という文化は、宗教がどうのこうのと言ってもDVやモラ男の言動とあまり変わらないし、名誉を汚された(自分への服従を拒否した)から殺せというのはテロリストの理屈と変わらないように思う。
それにしても、このアフガン人の父親は娘たちの遺体が運河に沈んだ車から発見されたときにテレビカメラに向かって涙を流して悲しんで見せていた。このパターン、バンクーバー周辺でインド系の女性が行方不明になるたびに夫がテレビで「無事でいてくれ」と涙ながらに訴え、遺体が発見されて、やがてその夫が殺人犯として逮捕されるパターンとよく似ているな。空々しいというか何か、嘘が自己防衛の手段になる「嘘も方便」の思想なのか、見ていてものすごく腹が立ってくる。たしかに嘘や欺瞞で都合の悪い事実を隠そうという人間はどの人種にもいるんだけど、ということは、そうやって自分の「世間体(名誉)」を守ろうという心理が共通して根底にあるということなんだろうか。嘘と欺瞞で塗り固めて守る名誉ってどれだけの価値があるのかなあ・・・。
奥さんが忙しいとかまってちゃんになる人
10月21日。金曜日。久しぶりに目覚ましで起きなくてもいい日。それなのに、カレシが早く起きだしてしまって、おまけに防犯アラームを解除せずに外へ出て行ったもので、こっちの方のアラームの音で目が覚めてしまった。炊いての場合はドアを開けたところでアラームが鳴り出したのに気づいて、戻って来て解除するんだけど、けさはその気配なし。アラームの音が大きくなって来たから、サイレンが鳴り出す前に飛び起きて解除。ベッドに戻ってもうひと眠りしてみたものの、今度はゴミ収集車の音で目が覚めた。ゆっくり寝たかったのになあ・・・。
肌寒い雨模様。朝食もそこそこに、とにかく回りくどくてややこしい仕事を再開。後10ページもあるけど、何とか明日の午後中に終えられるところまではやってしまいたい。だけど、こっちは主語があるのかないのか、さっぱり要領を得ない文章を、誰が何をどうしてどうなったと論理的に整理をしようと躍起になっているのに、カレシは後ろで(おもちゃ代わりの)ネットブックがどうしたのこうしたの、ネットワークに接続できなくなったの、すでに廃棄が決まっているコンピュータのキーボードが言うことを聞かないのと、愚痴のオンパレードで「かまってちゃん」モード全開。あのねえ、ワタシは勤務中で、特に今は頭が爆発しそうなくらい超ストレスの仕事をやってるんだけど・・・。
おまけにこの超ストレスな仕事、文書を書いている方も思考が混乱して来たのか、どれが主語なのかさっぱりわからないめちゃくちゃなモンスター文が出てきた。それが「。」まで延々と6行も7行も続くから、読んで、読み返して、また読み返して、15分もかかってやっと冒頭の「○○上も」というのが、最後にある「定めている」につながる主語らしいとわかってきた。その「○○」は業務のことであって、法律の名前じゃないんだけど。業務は法律の規定を実行する作業なんであって、だから何にも定めないんだけど。「○○法上は・・・定めている」と書くべきじゃないかと思うんだけど、法曹人のなんちゃらかんちゃら日本語の添削なんかやっているヒマはない。
もう、肩が痛いし、指はコチコチだし、目はしょぼしょぼだし、カレシがいくらがんばって「かまってちゃん」圧力をかけて来たって、いちいち反応しているヒマなんかないんだから。ワタシは大まじめに仕事をしているんだから。おとなしく遊んでいてくれないかなあ、もう・・・。
涙が出るくらいにくたびれた
10月22日。土曜日。ああ、もっと寝たいのに、何だってカレシは早起きしてしまうんだろうなあ。まったく、メイワクも甚だしいことこの上ない。それでも、脳みそがスクランブルエッグになりそうな仕事はホームストレッチだから、早く始めて、早く終わらせて、息抜きをした方方がいいかな。手持ちの仕事を終わらせて、留守中に期限の請求書の支払をセットして、売上税の申告をして・・・あ~あ、今日と明日でやっておかなければならないことがあり過ぎ。そこへして、カレシは「持って行く下着がな~い」と言い出すし・・・。
ということで、洗濯機を回し始めて、ホームストレッチのラストスパートをかける。一番めんどくさい会計処理のああだこうだを過ぎれば少し楽になるかと思っていたけど、今度はカレシが突然ワタシの古いコンピュータを元の場所(ワタシのデスクの端)においてファイルを移したいと言い出して、地平線いっぱいに暗雲がむくむく。「元の場所」は資料をいっぱいに広げてあるし、カレシがいすを持ち込めるスペースがないし、何よりも早くこの仕事を終わらせたくてカリカリしているワタシのすぐ後ろでなんだかんだとやられてはたまらない。結局は自分の古いコンピュータと入れ替えたけど、ため息、ため息。ずっと長いこと「そのうちに」と言って放置してあったことを、どうして後2日。で家を空けるという今になってやらないといけないのか、そのあたりの心理が何とも不思議。研究してみたらおもしろいかもしれないけど、知りたくないという気がしないでもない。ま、ヘンな人はヘンな人なりに(他人の目には)ヘンな行動を取るってことかな。
それでも、もう大噴火寸前のあたりまでマグマが上がって来たところで、やっと、やっと大仕事が完了。午後5時20分。夕食のしたくをはじめる時間をとっくに過ぎていたけど、やっぱり優先すべきはワタシの生活の糧である仕事。最後まで行ってカウントをかけたら1万語に後少しのところだった。ファイルを圧縮して送るだけにしておいてからキッチンに上がったら、さすがにど~っと疲れた気分になって、なんだか知らないけど涙がぽろぽろ。きっといつもの仕事以上に神経を集中したもので、緊張が解けたときの反動が大きかったんだろうな。カレシが困ったような顔をしていたいたけど、それだけすごいストレスをかけてくれてたのよ、アナタ。それでも、とにかく超特急で夕食のしたく。ストレスがたまって来るといつもおなかが空いて、めちゃくちゃにやけ食いしてみたい誘惑というか、一種の精神的な飢餓感に苛まれるのは、生存本能なのか・・・。
夕食後、さて次の仕事にかかるか、と思ったら、カレシは今度はノートン君とけんかを始めた。送ってきたプロダクトキーをメールソフトごと削除したかもしれないから、サポートデスクに電話することもできないとおろおろ。そういう重要な情報をどうして自分できちんと管理しないのかなあ。(最近、物忘れが多くない・・・?)ああもう、知らないったら。まあ、出発前の最後の仕事は医学系の論文でおもしろそう。科学者は文系と違ってまだまともな文章を書いてくれるからいい。ただし、同じ理系でもエンジニアはなぜか表現べたで、ものごとをうまく説明できない人がかなりいるような気がするけど、このあたりは法曹家と似ているところもあるような、ないような。工学系は科学系とでは思考回路の配線が違うのかなあ。
文章を書く話と言えば、ネットのMSN産経ニュースの「ライフ」のページの「学術・アート」のセクションに週一くらいで載る『赤字のお仕事』というコラムをいつも楽しみにしているんだけど、報道記事の校閲をする人が書いていて、日本語の表現や意味合い、誤用についての深い薀蓄に、いつもなるほど~と「目からうろこ」。読点(、)の位置によって意味合いが変わってくるところが英語のコンマと似ているのは、日本語だってちゃんと文法があるからだけど、それを学校で系統立てて教えられた記憶がないのはどうしてかな。カレシは小学校のときから英語文法の授業があったというけど、中学以降英語の文法はみっちり?教えられたのに、国語の授業ではいつも教科書の「お話」を読んで、感想文を書いたり、作文をしたりしていたような気がする。もっとも、ボケ~っと白日夢をむさぼっていて、先生の話を聞いていなかったという可能性もあるけど・・・。
なるほど。その頃からいろんな雑念に集中して、周囲の「雑音」をやり過ごしていたということか。だから、カレシの「雑音」は右から左へ素通り通過なんだろう。でも、「騒音」はやっぱりメイワクなんだけどなあ。おや、静かだと思ったら、どうやらノートン君と仲直り・・・?
仕事は終わったし、ストレスは吹っ飛ばしたし
10月23日。日曜日。やっと普通に眠れて、普通に起きることができた。鏡を見たら、ああ、目の下にはっきりと隈ができていて、なんか一気に老けたような顔。やれやれ・・・。
どよんとした気分で朝食を済ませて、出発前の最後の仕事をぎりぎりまで(といっても30分くらいだけど)やって、絵のワークショップに駆け出した。いい天気だけど、空気は冷たい。今日はまず抽象画の講義。特にデクーニングとポラック。ジャクソン・ポラックの作品は、ワタシが冗談に「accidental art(偶然芸術)」と言っているものに似ていなくもないけど、ワタシの偶然芸術はまさに偶然「アートっぽく」なったもので、ポラックはきっとどこにどういう風に絵の具やペンキのしぶきを飛ばそうかと考えながらやっているんだろうな。そこが本物の「芸術家」と「へたの横好き」の大違いなところ。ま、競合するわけでもないから、それはそれでいいんだけど。
講義の後はそれぞれ大きな紙をもらって、跳ねかし芸術の実習。これがまた楽しい。絵の具をたっぷりつけた筆で紙を叩いたり、水にゆるく溶かした絵の具をぽたぽたと垂らしたり、振り回してしぶきを飛ばしたり。おかげでこの1週間にたまりにたまっていたストレスはすっかり吹っ飛んでしまった。意気揚々と家に帰って来たら、カレシ曰く、「けさと顔つきが全然違うよ」。うん、人間、外へ出て、人と交流して、思い切り息抜きしないとね。ま、人との交流にもいろいろあるだろうけど、ストレスを解消してくれるのは、お互いに楽しくて、心から笑えて、誰も悲しい思いをしないし、第三者ともけんかをしないで済む交流なのだ。そういうところから末永い友だちもできるしね。
夕食後は超特急で仕事。麻酔の話が出てきて、こっちまで何だか眠くなりそうだけど、がんばって目を開けて仕上げ。これで10月の業務は打ち上げだ~。後は仕事と家庭のこまごまとした事務処理を済ませて、荷物をまとめるのは明日ということにする。ま、飛行機の出発時刻はほぼ真夜中だし、家から空港まではタクシーで10分。普通の時間に起きれば、午後いっぱいの時間の余裕がある。それでも、どっちみちバタバタするんだろうけど・・・。
それじゃ、売上税の申告をやってしまおうっと。
やっと準備完了して、夜行便でトロントへゴー
10月24日。月曜日。起床は午後12時半。いい天気。予報を見ると、トロントもボストンもかなり寒いらしい。心配していた航空会社の客室乗務員組合のストは仲裁で労使が合意して、立ち往生の心配がなくなったし、スト中だったトロントの空港からのバスがスト解除になったとデイヴィッドが電話して来たし、うん、何よりの出発日和のような感じ・・・。
デスクの周りを片付けて、請求書をささっと書いて送って、荷物をまとめたら、後は留守番サービスのシーラが来て、一緒に食事をして、タクシーを呼ぶだけ。はあ、何とかすべて間にあった。はあ、やれやれ。どうして旅行に出かける前っていつもこうてんてこ舞いのきりきり舞いになるんだろうな。それでもとにかく、出かけられる状態になったのは、めでたし、めでたし・・・。
旅行の荷物の詰め方と言うのは、すごい個人差があって実におもしろい。大雑把にわけると、必要最小限を持って行って、後はそのとき、そのときに必要なものを現地で調達する人と、初めから「念のために」何でも持って行かないと気がすまない人がいると思う。あのさあ、トロントもボストンもモントリオールも近代技術による利便がすべて手に入る近代都市なんだけど。暗黒大陸のど真ん中へ冒険旅行をしようというんじゃないんだから、身軽なのが一番楽で言いと思うんだけど、それでは気分的に落ち着かない人がけっこういるから、人間てのはおもしろいと思う。要するに、突き詰めると「縫いぐるみのくまちゃん」が一緒じゃないと、ベッドに入っても眠れない人の心理なのかな。つまり、「安心感」を得るために、重い荷物、重量オーバーの荷物、「念のため」に行く先では手に入りそうにない、慣れ親しんでそれなしでは生きられない食品やモノを詰め込んで、引いて歩くってことなのかなあ。
そういうわけで、荷物をまとめる段階になると、いつもちょっとした小競り合いになる。カレシは何でも自分の(それも預けないで機内に持ち込む)バッグに詰め込みたがる。ワタシは機内でいらないものは預けてしまって、身軽に旅を楽しみたい方なんだけど、カレシが預けた荷物がカル―セルに出てくるまで待つのを嫌がるので、できるだけ機内に持ち込める小さいスーツケースに納める。ま、それで不便を感じたことがないからいいんだけど、カレシはスポーツバッグにすべてを詰め込むもので、iPodやらBoseの騒音消去ヘッドフォンを出したり、入れたりするのに、狭い座席でごそごそ、ふうふう、はあはあ、ぶつぶつ・・・。
車に乗ってハンドルを握ったとたんに性格が豹変する人は多いけど、飛行機に乗ったとたんに豹変する人も多いんだろうな。今の時代になっても、飛行機に乗ることが非日常なのか、あるいは旅行すること自体が非日常なのか、そこんところはよくわからないけど、国境を越え、言葉や文化の壁を越えて人生を営んできたワタシにとっては、そんなたかが1週間や10日。のことで大騒ぎするようなことかいなと思うんだけど、まあ、そこはやっぱりそういうハードな「越境経験」のある人とない人では感覚が違うのかもしれないな。
とりあえず、ネットで搭乗券を取るのに、預ける荷物は1個と申告させておいたし、真空状態で嵩を減らせる袋がたくさんあるので、カレシの大きなスポーツバッグから機上で不要な衣料品を圧縮包装してワタシの小さいスーツケースに移させて、まあ、何とか扱いやすくしたけど、う~ん、来年の日本旅行はもっと長そうだから、はて、どうなることか。考えたら、ワタシとカレシでは合理的と思う思考経路が違うし、それよりも空間認識のパターンが違っているから、「あ~あ」の種は尽きないような感じがするな。あ~あ。
ま、年に一度か二度、同業仲間と会って、わっとストレスを発散できる会議はワタシにとっては何よりのレクリエーション。だから、仕事は持ち込まないし、客先には連絡先もヒ・ミ・ツ。さて、そろそろタクシーを呼ぶ時間かな・・・。
では、行ってき~ます!