リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年8月~その2

2012年08月31日 | 昔語り(2006~2013)
朝起きたら唇が腫れ上がっていた

8月16日。木曜日。今日も予報どおり、暑い。どういうわけか大量のにんにくを剝きながら、ポテトはどうの、何はどうのと大きな冷蔵庫をかき回しているヘンな夢を見ていた。なぜか自分のキッチンではなくて、どこかのホテルか何かのようなところで、周りを知らない人(それもサラリーマンみたいな男ばかり)がいっぱいうろうろしていた。途中ではっと目が覚めてしまったけど、何だったんだろうなあ。

目が覚めてびっくり仰天。上唇が腫れ上がっている!痛くも痒くもなくて、とにかく上唇だけがまるでドナルドダックみたいになっている。よくよく見ると、真ん中のくぼんだところの先っぽにちょっとだけ色合いの違うところがあるような、ないような・・・。ひょっとして虫に刺されたのかと思ったけど、暑くても窓は開け放していないから、家の中にはほとんど虫が入って来ないし、第一、唇を刺された話なんて聞いたことがない。カフカの小説は主人公が目が覚めたら巨大な虫に変身していた話だけど、ワタシはドナルドダックに変身?寝ている間にいったい何が起きたのか?今夜は久しぶりに芝居を見に行くことになっているんだけど、やだなあ、このアヒル口・・・。

カレシに見せたら、「それ、ボクもなったことがある」。へえ。「体調がぱっとしないときになるんだよ。ストレスだよ、きっと。気にしなくても大丈夫」と、起き抜けと言うこともあるけど、ちょっと他人ごとみたいな診断。気にしなくても大丈夫って言うけど、ちょっとした異変でも気になって気になってイライラ、カリカリする人にそう言われてもねえ。まあ、あれこれ調べてみたところ、どうも「クィンケ浮腫」というのが当てはまりそうな感じ。突発性局所性浮腫とも、血管神経性浮腫とも呼ばれるようで、原因は不明とか。唇や目の周りだけでなく、舌にも起こるらしい。ということは、舌の横が歯でこすられて赤くなるときがあるのは、歯の手入れが不十分なんじゃなくて、もしかしたらこの浮腫が舌に出て来るからじゃないのかなあ。今度ウー先生のところへ行ったら聞いてみなくちゃ。

腫れが出たときは抗ヒスタミン剤が効くというから、アレルギー症状なのかもしれない。ワタシは30代の終わりくらいから呼吸系のアレルギーがたくさん出て、減感作療法を4年くらい続けてほぼ完治した経緯があるんだけど、その後は虫刺されに対するアレルギー反応がひどくなった。でも、痛くも痒くないから虫刺されとは思えないし、食べ物のアレルギーはない(はず)だから、いったい何が原因なんだろうな。医学は簡単に「原因不明」と言ってしまえるけど、何らかの「原因が」あるから異変が起きるんじゃないのかな。まあ、このクィンケ浮腫というのはよく起きるものらしく、放っておいても数時間で腫れが引いて元に戻るというから、本当に「気にしなくても大丈夫」なことは間違いなさそう。原因はわからなくても、疲れたときやストレスがたまっているときに起きやすいというから、自分でも気が付かないストレスがたまって「いっぱいいっぱい」になったということなのかな。いろんなことがあって、年を取って、自分は強くなったと思っていても、もしかして、意外とまだ「繊細」なところがあるってこと・・・?

ストレスが原因だとすると、ここのところ、仕事に気合が入らなかったり、気分的にかなりだら~んとして何となく疲れているような状態だったから、なるほどという感じもする。でもまあ、喉に症状が出なければ命に関わることはまったくないそうだから、今夜はArts Club Theatreのシーズンフィナーレのミュージカル『Buddy: The Buddy Holly Story』でストレスを吹っ飛ばして来よう。音楽的に大きく成長する転換期を迎えた矢先に22歳で死んでしまったロックンロールのスーパースター、バディ・ホリー。カレシが十代の頃の話で、まだ小学生だったワタシは名前さえ知らずに育ったけど、活躍したのはわずか2年ほどだから、ロックンロールの超新星だったのか。イギリスの脚本家アラン・ジェインズが書いて、ロンドンでの初演は13年もロングランしたという作品。楽しみだな。心なしか唇の腫れも引いて来たような・・・。

自己と言うのはどんなもの

8月17日。金曜日。起床は午後1時。ポーチの温度計はすでに28度に接近。天気サイトでは空港(公式記録の観測点)で気温28度、湿度45%、ヒュミデックス(体感温度)32度。今日も暑い。はて、この夏一番の暑さになるか・・・。

起きて真っ先に鏡を覗いたら、おお、唇はほぼ元通り。何かまだ腫れぼったい感じがしないでもないけど、ちょっとふっくらしているんだと思えば、何となく若返ったような気分になれるからいいや。実際に鏡の中の自分に向かってスマイルしてみたら、まだかわいげがあった若かりし頃のワタシの面影。まあ、いくら世間ではブスと言われる顔だって持ち主にはけっこうかわいく見えるもんで、世間でカワイイともてはやされる人はそれをもてないブスの「自己満足」と評することが多いけど、自分にブスという言葉を投げつけられたらマゾだと思うな。人間、鏡に映っている自分、心の鏡に映る自分をありのまま受け入れられなくてどうするんだ。そういうと、今度は自分自身を受け入れられないでいる人に何かあまり芳しくないことを言われるのかな。ま、日本語では「自己」のつく言葉はネガティブなニュアンスで使われることが多いようだから、「あんたって人はほんとに自己○○」と言われたら、ほめ言葉じゃないと思った方が無難かな。

たとえば、「自己評価」。他人にあなたは自己評価が低いと言われたら「自信のないネクラな人」、高いと言われたら「自信過剰でプライドの高い人」と他己評価されていることになる。「自己主張」も日本語の文脈ではあまり良い意味に使われていないな。小町横町界隈では、自己主張をする人はわがままで自己中な人間として排斥される。一般に蛇蝎のごとく嫌われる「自己中人間」は、概して自分の意に反する言動をする他人を「自己中」と非難する人に多いような気がするな。自己満足だって、本当に満足している人が自分でそう言うのではなくて、概して不満を抱えている人が満足できる人をやっかんで「そんなの、単なる自己満足!」とこき下ろす場合に使われることが多いような感じがする。不思議なのは「自己反省」という言葉で、他人がやったことを反省することはできない(と思う)から、反省と言えば即自分の言動に関してだと思うんだけど、「同じ○○として」他人のことを反省する奇特な人がいるのがおもしろい。

60年代の学生運動の頃には「自己批判」というのが流行ったけど、たいていは覆面をした大勢の反体制学生に取り囲まれて「自己批判しろ」と詰め寄られてのことで、相手に期待された通りの「批判」を並べていたから、自己批判と言えるかどうかは怪しいもんだな。履歴書に書く「自己都合退職」だって、ほんとは辞めたくないのに雇い主の圧力で退職に追い込まれた人がたくさんいるらしい。それは「自己の都合」じゃなくて「会社」の都合だろうに、自己都合にしないと失業保険の手続きに必要な書類をもらえなかったりするらしい。都合のいい時には「自己否定」を要求し、都合が悪くなると「自己責任」を問う社会のように見えるけど、そもそも「自己」という観念があるのかどうか・・・。

ま、どうでもいいけど、少なくとも満足していない自分を変えようにも、自分をよく知っていないと何を変えたらいいのかわからないだろうと思う。自分を知っていても、その自分を変えるのは難しい。自分を変えようとすると、それに伴う痛みに自分で対処しなければならないから、それでも自分は変わりたい!という意志と覚悟がないと自己改革は苦しくて辛い。だから、人はつい必然的に他人や周囲の環境を変えようとするんだろうと思う。他人であれば、自分が望むように変わらなければ、変わらせる手段がいろいろとあるみたいだし・・・。

さて、のんびりしていないで、週末の仕事にかかるか。自営業は自己管理が重要で、しかも自分の生業の存亡がかかっているから、こればかりは他人に管理してもらうわけには行かないもんね。

ストレス解消はおしゃべりに限る

8月18日。土曜日。今日も暑いという予報だったので、午前9時前にエアコンがオンになるようにセットしておいたら、なんだか涼しくて目が覚めた。雲が出ていて、午後1時のポーチの気温は22度。週間予報を見たら、週中からの最高気温が20度を切っている。あれ、夏はもうおしまいなの?そういえば、今日から恒例のPNEが始まるんだった。子供たちの夏休みが終わって新学年が始まる前の最後の大イベントで、100年の歴史があるんだけど、なぜかこのPNEが始まると雨が降り出すというジンクスがある・・・。

今日はシアトルから同業の友だち夫婦とその友だち夫婦が週末の一泊旅行でやって来るので、ダウンタウンで一緒にディナーの予定。シアトルからバンクーバーまでのハイウェイ5号線でも230キロ近い距離を何とサイクリングして来るというからすごい。ハイウェイには自転車禁止の区間があるから、最終的にはたぶん250キロ近くペダルを踏むことになるのかな。超人的だけど、どのくらい時間がかかるんだろう。夫同士がビール通なので地ビールを飲めるところがいいということで、ここはどうかとEnsemble Tapというパブを紹介したら、ちゃっちゃと「6時半に予約を入れたわよ~」とメール。早い!と感心して思い出した。彼女の副業はウェディングプランナー。友、遠方より(自転車こいで)来る。楽しからずやなんて、そんなこと、聞くほうが野暮ってものでしょ。

とりあえず、午後は仕事。日本の金曜日の夕方に飛び込んで来たちょっと大きめの仕事が、先方の先方でまだ発注の承認が出ていないということで、週明けまでお預け。助かった~。こっち時間で明日の夕方が納期の仕事があって、その上に別のところから明日中かあさっての午前6時が納期の仕事があって、その上に月曜日の夕方までにもうひとつはちょっとばかりきつい。ま、いっかとばかりについ引き受けてしまうワタシがどうかしているんだけど、まあ、上得意さんとなれば、腕まくりのひとつもしようという気持になるもんだし、日本では夕方に引き合いが飛び込んで来ることが多い「魔の金曜日」で、コーディネータさんは帰るにも帰れず、やきもきしてクライアントと下請けの両方の返事待ちということが多い。きのうも、お預けの連絡メールが来た頃には(日本時間)午後7時を大きく回っていた。「花金」なんて、いったいどこの話なんだろうね?
―――
久しぶりのダウンタウン。地下鉄の駅から出て来たら、グランヴィルストリートはラテンアメリカ人のお祭りがあって交通止め。小さなステージができていて、スペイン語名前のバンドの生演奏。他民族都市(多国籍都市ではない)バンクーバーには大小のエスニックフェスティバルが相当な数ある。おまけに今日は何とも奇妙なお祭りもあるらしく、頭や顔、着ているものを血まみれにした気味の悪い若い男女がぞろぞろ。ははあ、これがゾンビウォークというやつか。北米のどこかで始まったのが「オレたちもやろうじゃないか」というノリで世界中に広まったらしいけど、何というかあんまり趣味の良いイベントじゃないなあ。今のシリアに行ったらこんな風景は日常だろうにと思ってしまった。まあ、そうやって歩いているご当人たちはけっこう楽しそうにしていたから、一種のコスプレのつもりなんだろうな。それでも気味が悪いことには変わりないけど・・・。

予約の6時半にパブで落ち合って、友だち夫婦の友だち夫婦(ご近所さんだそうな)とは初対面だけど、その場で意気投合しておしゃべりが盛り上がり、パブを出たのは午後10時10分前。話によると、シアトルからバンクーバーまでの長距離サイクリングは毎年恒例の大イベントで、1000人以上の参加者が途中のベリンガムで1泊して2日がかりで300キロを走るんだそうな。ハイウェイは走れないから、山あり谷ありルートをせっせとペダルを踏むんだそうな。もっとも、途中では水の補給ステーションがあるそうだし、カフェなどで休憩したりもするので、ツールドフランスのような過酷なレースとはまったく趣が違うけど、それでも300キロ走破はすごいなあ。毎年早々と募集枠がいっぱいになってしまう人気ぶりで、今は金土と土日の2回に分けて、それでも両方とも満員御礼になるそうだから、びっくりした。友だち夫婦もその友だち夫婦も40代半ば。いや、元気だなあ・・・。

賑やかな周囲に負けないくらい賑やかにおしゃべりをして、ワタシたちがシアトルに行ったときは、6人でまた食事をしようねと約束して、おやすみなさい。どうやらワタシの一番のストレス解消法はおしゃべりらしい。うん、楽しいひとときだった!

英語になったパワーハラスメント

8月19日。日曜日。今日は久しぶりに朝からエアコンなし。何しろ、正午のポーチの温度計はぎりぎりで16度。こんなときにエアコンをかけたら鼻先に霜焼けができてしまいそう。おとといは30度近くて、今年一番の暑さかと騒いでいたのに、何で?

きのうは目いっぱい楽しく遊んだから、今日は鉢巻をきりりと締めなおして、仕事。夕方までに日本時間月曜朝イチの仕事はきのうのうちに60%くらいは終わっている。何となく小町横町の掲示板を読んでいるような感じで、やっているうちにちょっとばかり気が滅入って来る。社会人の集団なんだけど、大人社会のはずなんだけど、だけど、だけど、やっていることはだいたいが砂場の子供のけんかのレベル。苦情もあるけど、告げ口みたいのもある。そういうのにいちいち対処しなければならない担当者は大変だと思うけど、この世には楽な仕事なんてないという証拠。まあ、それが大人が生計を立てるために働くということかな。でも、こんなのを読んで「やれやれ、日本人て・・・」なんて印象にならないといいね。(よけいなおせっかいだけど。)

品質管理担当のカレシは原稿を見て、「パワーハラスメントなんて言葉、英語じゃないよ。流行のカタカナ語じゃないの?」と横やり口調。あの、ちゃんと英語になってるよ。英語の文書に出て来るんだから。「正しい英語じゃない。英語らしく言い替えろ」。たしかに英語としてしっくりしないけど、ちゃんと英語として流通してるんだってば。「いや、そんな英語はない!」 ある!「間違いだ!」 間違いじゃないってば。なぜかカレシは「それは英語じゃない!意味不明だ!」とヒートアップ気味。 あのね、その筋の仕事をしている人にはちゃんとわかるの。ウィキペディアでも調べてみたら(英語のウィキにあるから、日本発祥だって)?いったい何なの、アナタ?そういうのを「パワハラ」と言うのよ、日本では。で、英語ではパワーハラスメントと言うの(日本製英語を逆輸入したものらしい)。「それは職権乱用というんだ」。ちがうなあ、それ。自分に自信がないけど突っ張りたい人間が職場での地位や権力を傘に着て自分より下の人間に嫌がらせをしたり、いじめたりするのがパワハラ。それを家でやればモラハラDV・・・。

北風と太陽の話じゃないけど、カレシの心の中にもいろんな風が吹いているだろうから、(今でも)ときどきつむじ風が巻き起こるのはしょうがない。藁の家に住んでいたときは被害甚大だったけど、今はがっちりしたれんがの家。狼がいくら青くなるまで吹きまくったってびくともしないよ。テレビを見たら、アサンジが外国大使館と言う安全圏の中から「アメリカはああしろ、こうしろ」と命令しているところで、カレシのもやもやイライラは矛先を変えて「あんなヤツはさっさと突入して逮捕してしまえ!」と言って、テレビをプッチン。ワタシが思うに、あのアサンジって男、政府とか政治家に(たぶん個人的な)意趣遺恨があって、何かと嫌われるアメリカを意趣返しの標的にしたのはいいけど、エラそうにしていても内心は報復が怖くてびくびくしているんだろうな。他人を攻撃して、自分はこそこそと逃げる。けっこういるなあ、そういう人。でもまあ、あんな風に注目を浴びるようなことをやれば、その人の本質が見えなくなるか、見えても目をつぶるのが群衆の心理かもしれない。何ハラっていうのかな、そういうの。

夕食後はもうひとつの仕事。これはおもしろい。人間の脳の中ってこんなにもいろんなパーツがあるんだと感心することしきり。前、後ろ、てっぺん。横、上、下。大脳に小脳に中脳に右脳に左脳。漢字だらけの名前がぞろぞろ。解剖学の先駆者たちはこういうのにひとつひとつ名前をつけたんだからすごい。ワタシの大脳辺縁系の海馬体は花火大会のようになっているかもしれないな。これだから科学の仕事はやめられない。原稿を見たカレシ、横槍ハラスメントを反省したのか、いかにもしおらしく「読みやすい英語だね」。そりゃそうだろうな、脳の話でも人間の感情とは別の次元なんだからと言ったら、「知らない単語ばかりで、何の話かさっぱりわからなかったけど、読みやすかったよ」と。ふむ、ほめているんだか、けなしているんだか・・・。

夫婦げんかも時には地盤固めになる

8月20日。月曜日。夏、ほんのちょっと盛り返し。起床は午前11時半。きのうはカレシがパンを焼くのを忘れたので、ベーコンとポテトとミックスきのこを炒めて、カレシが担当の目玉焼きと一緒にピタにはさんで、エッグマクピッタ、とでもいうのか・・・。

午後にHマートに買い物に行くことになっていたので、早めに起きてよかったと思っていたら、カレシが「夜にしよう」とお得意のドタチェン。まあ、いいかとOKしたら、しばらくして、「今日はIGAに行って野菜を買って来ることにして、Hマートは明日にしない?」とまた変更。きのうの今日で、ワタシの頭の上に危険を知らせる黄色い旗。でも、野菜がなくなって来たから、そっちの方がいいかとOK。ところが、しばらくして今度は「IGAは明日の午後に行くことにして、今夜はセイフウェイでとりあえず必要な野菜だけ買って、酒屋に寄ってジンを買って来ることにしようよ」と。まあ、いいけど・・・。それが午後3時半。しばらく庭に出ていて、入ってくるなり「2日に分けて野菜を買いに行くのはめんどうだから、今夜は酒屋だけにしよう」。おいおい・・・。

カレシのドタチェン、ポイントカードを作ったらすごいだろうな。ドタチェン1回ごとに10点。1000点貯まったら、う~ん、リコンかなあ・・・なんて。まあ、何かストレスを抱えているらしいとは想像がつくけど、振り回し ゲームはまっぴらごめん。OKすればするほどくるくる予定を変えるし、こっちが渋ればいやいや半分で出かけて、いかにもワタシのために無理をしているんだといわんばかりにため息、ため息。そういうときにオンになっていたのがワタシの心に罪悪感を起こさせる「スイッチ」。ワタシが悪いことをしたわけではないのに、カレシが威嚇的な態度を取ったり、キレたりするたびに入ったのがこのスイッチ。たぶん大人になる過程のどこかで誰かに付けられてしまったんだろう。モラハラ人間は自分の「罪悪感」を荷降ろしするために、鋭敏な嗅覚でそのスイッチを持っている人を嗅ぎ出すらしい。

まあ、そっちルールでのゲームはやらないのよと、一応不興であることを態度で示して、夜になって酒屋へ。帰り道で「何でそんなにカリカリしてるんだよっ」と怒るから、何でワタシがそんなにカリカリしているのかという理由を並べて、けんかしいしい家の前。そこでカレシが「Fuck you!」と怒鳴ったから、ワタシも負けずに大きな声で「Fuck you!」とやり返した。ワタシとしては後は野となれ山となれの心境だったんだけど、家の中に入ってからのカレシはやけにしおらしい。(あまりにも汚い罵り言葉だから、ワタシがそれを使ったことがカレシにはショックだったのかなあ・・・。)しばらくして、仕事の算段をしていたワタシのところへ来て、「ボク、謝るよ。キミにそれほどストレスをかけているとは知らなかったんだよ。ごめんね」。

へ?謝るよって、謝らない人の代表みたいだったカレシが真剣な顔をして「ごめんね」って、本気なの?あのあり地獄の2年が(ワタシが求めなかったせいもあるだろうけど)最後には小町横町でよく見るような土下座も謝罪もなく、何となく終わったのに、今になってカレシがえらく真剣な顔で謝っている。一瞬変地異が起きるんじゃないかと思ったけど、でもまあ本当に本気みたいなので、ここはワタシもうんうんとうなずいて仲直り。でも、今回はいくらカレシが怒鳴っても、ワタシはひと粒の涙も流さなかった。我ながら不思議な気持だけど、長い間(カレシと出会うよりもっと前から、もしかしたら子供のときから)ワタシを苛めてきた「他人の罪悪感を肩代わりするスイッチ」が抜け落ちたんだろうと思う。これが初めて正真正銘「対等」にやったけんかだったかもしれないな。まあ、カレシは青天の霹靂で、腰を抜かしたのかもれしれないけど、ワタシという人間が住むのは、もう藁の家でもない、木の家でもない、どんな嵐にも吹き倒されない赤レンガの家。

結婚は夫婦2人が共同参画して初めて結婚として成り立つもので、そういう「枠」があることを煩わしく感じる人もいることはわかっているけど、夫婦のどちらかが、どんな理由であれ勝手にその「枠」の外へ踏み出したら、結婚している意味はなくなると思う。あのとき、あえて日本流の「謝罪」は求めなかったけど、ワタシのところに戻って来たアナタにそう言ったよね、ワタシ?まっ、明日の午後はIGAに行こうね。でないと、野菜どころか、トイレットペーパーもランチの食材も、寝酒のつまみもなくなるんだからね。

自分が自分でいられる自由

8月21日。火曜日。正午前に起床。何か久しぶりにぐっすり眠れたという気分。夢の中でも知らない生意気たっぷりなオンナノコがぎゃんぎゃん言っているのに、しっかりと自分の言い分を主張していたから、よほどきのうのケンカの結末は強烈だったんだろうな。(学んだことを夢の中できちんとおさらいしていたということなのかなあ。)午後1時のポーチの気温は17度。ちょっと低めではあるけど、まあまあ。でも、空の色は心なしか秋空の青・・・。

朝食後、予定通りに買出しにIGAへ。ドライフルーツを作る材料をどっさり買うというので、トートバッグを2つ持って行った。(きのうのようなことがあった後で普段やらないでいたことをやりたくなるらしいのがカレシ。ま、ドライフルーツを作るからと言うので買ったデハイドレータがずっと遊休状態だから、いいか。)トラックの運転も心なしかいつもよりは慎重。カレシが果物や野菜をカートに詰め込んでいる間に、ワタシは魚のカウンターで、右端から左端まで、(オヒョウ、スティールヘッド、ホッキョクイワナ、ロックフィッシュ、アヒ、ティラピアなど)あれをいくつ、これをいくつ。トイレットペーパーはダブルロール15個入り。ヨーグルトのとなりに見慣れない「ケフィア」というのがあって、手に取って振ってみたら、たぷたぷ。そういえば日本では「飲むヨーグルト」というのがあって、試しておいしかったのを思い出して、同じようなものかどうかはわからないけど買ってみることにした。大さじ1杯で腸にやさしいバクテリア50億個だそうな。

こういうときに限って、仕事がどさどさと入って来る。まだ8月が終わっていないのに、ログを見ると平均的な年だった2010年の10月末のラインを超えてしまっている。あ~あ、来年春の所得税申告が思いやられるなあ。ま、現役のうちは仕事は仕事。だけど、ねじり鉢巻を締める前に、ちょっと寄り道。小町横町から逸れて、白河桃子と言う人の「スパイス小町」という連載コラムに遭遇。掲示板への投稿内容をテーマにしたエッセイで、これがなかなかおもしろい。婚活で断る時のトラブルに関して「国民的恋愛のルールの統一云々」のところで、「日本人は実は「自由」が苦手。ある程度のルールがあるほうが安心する国民」と言っていて、常々個人の自由だとか、人それぞれだとか言いながら、同時に、いわゆる常識とかマナーといった「暗黙のルール」にこだわったり、それを他人に押し付けるのはどうしてなんだろうと不思議に思っていた謎が解けた感じがした。「ルールを以って尊しとす・・・?

でも、日本の人はどうして「自由」が苦手なのか。漢字だけを見ると、日本語の「自由」は「自分」(自)の「よりどころ」(由)と読める。つまり、ワタシ流の勝手な解釈では、「自我」の拠りどころであり、ひいては自分の存在意義を定義するものだと思う。でも、人は行動や判断の拠りどころとなる「自分」の存在がはっきりしていなければ、自己の判断に自信を持てないんだろう。自信の源泉である「よりどころ」が脆弱だから、何をしてもそれが普通なのか、世間の常識から外れているのか、マナーといわれるものに違反しているのかと気になるし、違反することへの社会的なペナルティも怖い。そこで、昔は横丁のご隠居さんの意見を聞いたりしたんだろうけど、今の時代は小町横丁のようなところで世間一般の「ものさし」はどうなのかとお伺いを立てるということか。(自信のある人は初めからそんな必要はないか・・・。)

そういうものさし(あるいは平均値)は、とりあえず合わせておけば、少なくとも自分は普通なんだという安心感をもたらしてくれるものなんだろう。まあ、それも社会文化のひとつなんだと思うし、一応であっても大多数が世間一般の「暗黙のルール」に従えば、みんなが安心できて、それなりにその社会は平和だろうと思う。だけど、ルールに合わせない人(あるいは平均値から外れている人)がいるというのは、「和」が乱れるということで「安心感」を揺るがされ、漠然とした不安感に変わるということなんだと思う。不安な動物は攻撃的になりがちなもので、人間も、動物とは表現が違ってもそのあたりは同じなのかもしれないな。

なんだか「自由」というのは大きな自己責任を伴うものだという気がして、その重みが実感としてわかってきたように思う。アメリカ独立運動の先頭に立ったヘンリーは「我に自由を、しからずんば死を与えよ」という名言を残したけど、まさに自分の存在の拠りどころである自由を奪われることは、自分という人格の死に価することなんだと思う。そう考えると、自分が自分でいられるという自由を疎かにはできない。自由であるということは自分を大切にするということだと思うから。

気合が入ったのなんのって

8月23日。月曜日。普通に起きたけど、ちょっと眠い。朝方に通り雨程度に降ったような話だけど、ひつじ雲が浮いている空の青はまさに「秋」。週間予報を見たら、もう気温はあまり上がらないみたい。なんか、短い、と言うか、短すぎる夏と言う感じがする。地球は温暖化してるんじゃなかったのかな。北極の氷がどんどん解けているってのに・・・。

きのうは我ながら呆れるくらいに気合が入って、2日分の仕事をまとめてやっつけてしまった。ひとつは医学がテーマで、もうひとつは味も素っ気もない契約書。契約書はだいたいが常套句的な文が並んでいるので、何年もやっているとけっこう簡単になってくる。日本語訳が中心だった頃に元原稿の契約書英語をいやになるほど読んだので、弁護士口調はお手のもの。おかげでピッチが上がって大助かり。科学論文の方は文章があいまいさを美とする日本語で書かれていても、ビジネスなんかの文書よりはずっと明快だからやりやすい。ステッドマン医学大辞典とハーパーコリンズの図解医学辞典を両側において、グーグルスカラーでラテン語の専門語や表現の用法を調べながらの作業だけど、宝探し的なところもあっておもしろい。図解医学辞典は英語版だけど、図解が生々しいもので、つい「イ~ッ」となるものもある。でも、論文の方は、ほう、へえ、なるほど~の連続で、おかげでどんどんピッチが上がって、結局2件とも余裕で納品・・・。

そういえば、今週のEconomist誌に「Microbes maketh man(微生物が人間を作る)」というおもしろい特集記事があった。ヒトの体を作っているのは10兆個の細胞と23000個の遺伝子だけでなく、数百種の細菌100兆個と3百万個の遺伝子からなるミクロビオームが共存する「生態系」だという、最近注目されつつある新しい医学の考え方で、その生態系の乱れが、肥満と栄養失調、糖尿病、動脈硬化と心臓疾患、多発性硬化症、喘息、湿疹、肝臓疾患、様々な消化器疾患、そして自閉症まで、いろいろな病気につながるというもの。つまり、人体という生態系が乱れることで病気が起きるのなら、細菌を移植するなどして狂った生態系を正常化すれば病気を治せるのではないか、抗生物質で悪さをする細菌もろとも命の営みに役立つ(というよりは加担している)細菌まで殺してしまう近代医学は目の付けどころが間違っていたのではないかということだった。

日ごろから、アレルギーや喘息、自己免疫疾患、発達障害などがどんどん増えているようなのは、人間が心安く抗生物質を使ったり、「きれい好き」を標榜して殺菌だ、滅菌だ、除菌だと「殺す」毒を持った化学薬品を使いまくって来たせいではないかと思っていたけど、あながちワタシの妄想とは限らなかったということかな。知恵がついて考えすぎるようになったのか、便利になりすぎて考えなくなったのか、どっちなのか知らないけど、人間というのは自滅的なことをする不思議な生物だなあという気がして来る。レミングの集団自殺の話は有名だけど、あれはあくまでも伝説。何らかの原因で動物が大量死することはありえるだろうけど、ことさら「死のう」と決めて死ぬわけじゃない。動物は生存するために気合を入れて生きていると思う。知恵のある人間なら気合を入れて人類が死滅しない方法を考えるだろうと思うんだけど、なぜか逆に死滅回遊へと流されているような・・・。

科学関係の仕事は人間が集積して来た実に多彩な知識に触れることができて、かなりの「Wow factor(うわっ、すごいという要素)」があるし、同時にいろいろと考えさせられて、自分なりに非科学的、似非哲学的な発見をすることも多いから、病み付きになって、つい気合が入ってしまう。逆に、契約や決算やその他諸々のビジネス関係の仕事の場合は、だいたいが「迫り来る納期」という強迫要素によって気合を入れられていると言った方がいいかもしれない。つまり、きのうは「へえ、そうするとどうなるのかな」と「早く終わらせたい」の相反する2方面にすごい気合を入れたから、くたびれたんだろうな。それでも、ずっと何となくだらだらのモードだったから、仕事に気合が入ったのはいいな。さて、次の納期は日曜日の夜(ビジネス系)と月曜日の夜(科学系)。ずいぶん急ぐなあ、みんな。ばたばたと8月が終わってしまいそうな気配・・・。

味見しすぎのドライフルーツ作り

8月24日。金曜日。起床は午前11時20分と、ちょっと早め。もうすっかり秋空になった感じで、正午のポーチの気温は17度。堆肥の影響が効きすぎたのかトレリス一面に巨大な葉っぱを繁らせているインゲン豆がやっと花を付け始めたとか。日が暮れるのが早くなって、夜の気温も10度近くまで下がるようになったから、植物は秋が近いことを感じ取って、実りを急いでいるのかも。

きのうは次の仕事の原稿が送られてくるのを待っている午後の間に、エコーの排ガス検査と保険の更新を済ませた。Air Careという州の排ガス検査、これに合格しないと自動車強制保険を更新できないしくみになっている。(修理して再検査までの保険はかけられる。)1980年代に始まったんだけど、排ガス技術の進歩で1992年以降の車は2年に1度になり、2000年代に入ってからは新車は7年間免除になった。エコーは買ってからちょうど7年でその免除期間が過ぎたわけ。実はこの検査、来年いっぱいで廃止が決まっていて、1年おきのエコーはこれが最初で最後の検査。検査場に行ってみたら、昔のような行列がなくて、待ち時間は2分。制度が始まった頃は30分、40分待ちなんてあたりまえだったのが嘘みたい。まず料金を前払い。1年おきの検査は毎年検査の倍。つまり、2年分払わされるわけで、ぼったくられている感じだな。おまけに、昔のようにエンジンをふかすこともせず、フードを開けてちょこちょこっと調べて、はい、合格。はあ?それだけで45ドル(約4千円)・・・?ぼったくりだ、やっぱり。

今日はミルクが切れるので、ゆうべ決めた通りに朝食後セイフウェイへひとっ走り。必要なものだけ買ってまっすぐ家に直行。ワタシは仕事にかかり、カレシはドライフルーツ作り。大きなパイナップルを割って、スライスして、デハイドレータのトレイを3段使って並べ、温度を設定。ファンが温風を送り始めて、家中にパイナップルの甘い香りが充満して来た。おとといはスライスしたバナナを乾燥処理して、これが良くできたもので、カレシはすっかりドライフルーツ・モードになっている。バナナはもちっとした噛み応えが残る程度に乾燥したら、味が濃縮されておいしかった。必然的にパイナップルにも大きな期待がかかる。バナナと違って水分が多いから、乾燥時間は12時間くらいかな。でもさあ、そんなに味見ばっかりしていたら、できあがる頃には半分くらいなくなっちゃってるんじゃない?

だけど、味見をするたびにパイナップルの味が凝縮されておいしくなるもので、ついつい味見をしてしまう。乾いてしわしわ、ぺらぺらになったパイナップルは、するめみたいに噛めば噛むほど甘い味が出るからたまらないなあ。2人して、もういいかなと(ちょっとだけ)味見をしていたら、案の定、いつのまにか1段目のトレイがほぼ空っぽに近くなってしまった。まあ、乾燥すると嵩がぐっと減るのはあたりまえなんだけど、この調子では12時間かけて作っても1回で全部食べてしまうことになりそうだから、次はパイナップルを2個買って来ないと間に合わないなあ。だけど、う~ん、おいしい!気を良くしたカレシ、明日はりんごを乾燥するんだそうな。まあ、甘味料は果物の天然の糖分だけから、つまみ食いのスナックとしては大いに健康的でいいな。折から秋の収穫の季節、ドライフルーツ、どんどん作ってちょうだい!

さて、最後の「味見」のパイナップルを噛みしめながら、がんばって仕事しようっと。漂って来る甘い香り、気になるけど・・・。

クオバディス、ニッポン語

8月26日。日曜日。就寝は午前5時近かったのに、カレシが早々と起きて、(別に暑くもないのに)エアコンをオンにしたもので、何となく眠りに戻れず、結局ワタシも早起きの午前11時10分。おかげでもやっと眠いんだけど、まあ、今日は日本時間の正午までに仕上げて納品しなければならない仕事があるから、早起きも悪くはないかもしれないな。

朝食をすませてオフィスに下りたら正午。いつもならまだ寝ているか、朝食中の時間。さっそく仕事にかかったけど、こっち時間の期限は午後8時だから、夕食の時間をはさんでもたっぷりの余裕。7千ワード近いし、予定を3日取るところを2日でやっつけたので、見直しと手入れだけで4、5時間はかかるし、おまけに元原稿はExcelのファイルと来ているから、校正が終わったものをそっちに落とすのにまた時間がかかる。それにしても、理系、IT系の人ってExcelが好きだなあ。というか、それしか使えないのかもしれないけど、セルのフォーマットくらいしておいてくれても良さそうなもんだ、とぶつぶつ。まあ、Excelを原稿用紙に見立ててレターを作成されるよりはいいか。まだそういう人がたまにいて、あの20字×20字の原稿用紙の様式はすでに日本人の遺伝子に組み込まれているんじゃないかと思うときがある。

何かの社内調査のようなものらしくて、割とエライ人たちの意見を聞いているんだけど、さすがその業種と言う感じで、み~んな何とかのひとつ覚えのように同じカタカナ語を使い、和製英語もぞろぞろ。たしかにIT系のカタカナ語を使うのはかっこいいのかもしれないけど、ユーザーマニュアルじゃないんだし、おじさんたちが社内でこういうカタカナ語をちりばめて会話しているのを想像すると、こっちの口元が緩んできてしまう。和製英語はおそらく和製英語だということを知らないで使っているんだろうな。(ワタシも和製英語だと知っていたわけじゃなくて、そのまま英語に置き換えたら何のことかまったくわからなくて、調べて初めて「和製英語」だとわかったんだけど。)はたと困ったのはやたらと出て来る「○○力(りょく)」。何にでも「化」をつけられるとこっちは言葉に詰まるんだけど、これもそういう流れで、何でもかんでも「力」をつければ気合が入っているように聞こえるということなんだろうか。ワタシはつい(カタカナで)「カ」と読んでしまうので、ますますチンプンカンプンでカッカそうよう。あ~あ、Quo vadis, Nippongo(ニッポン語よ、いづこへ)?翻訳者はつらいよ。

中でも一番こけてしまったのが、ごく普通の社内文書様式の語調でああだこうだと書いていて、いきなり「お客様」とか「いただく」とか、素っ頓狂なていねい語が飛び出して来ること。あんがい、ていねい語というよりは今どきのいわゆる「マニュアル敬語」(新ていねい語とも言うらしい)がサラリーマンの書く文書にも浸透しているということなのかもしれない。だけど、社内文書のヘンなところで「顧客」を「お客様」と持ち上げてみたところでどうなるってもんでもないでしょうが。それとも、「新ていねい語」と一緒に何やら不思議な心理も巷の一般人に浸透しつつあるのか。たしかに顧客に何かをしてもらうという話なんだけど、社内文書のそこだけ「お客様に○○していただいて」も、文章全体ではみごとに浮き上がって、しっくりと来ない。まあ、左利きの人が目の前に座ったときに右利きの人が違和感を持って、気になってしまうのと似たような感覚かな、これ・・・。

というわけで、いつものようにああたらこうたらと突っ込みを入れながら、仕事は無事に完了。夕食の支度をして、食べて、Excel処理をして、納品。やれやれ、何かくたびれる日本語だったわい。ほんとに最近は日本語がよくわからなくなって来たような気がする。日本語のコミュニケーション力(ここにもか)が低下しつつあるのか、それともワタシの言語中枢の日本語処理能が低下しつつあるのか、それとも単に今の日本語とワタシの日本語の乖離が進みつつあるのか。それとも、それとも、単なる老化現象か。どういうことなのか、ワタシにはわからないけど、言語変更線(なんてものがあるとしたら)を越えて来て、一種の「日本語シック」にかかって日本語環境を恋しがっていられる間はまだ日本語が劣化していない証拠で、そのあたりがあんがい「外国暮らし」の花なのかもしれないな。考えたら(いや、考えなくたってあたりまえの話なんだけど)ワタシは「外国暮らし」とか「海外在住」といったラベルが剥げ落ちてしまったし・・・。

さて、仕事は無事に終了したことだし、もうひとつは完結明瞭な科学ものなので、明日やっても十分に間に合うから、今日はさっさとオフィスを早じまい。カレシがペストソースを作るんだと、袋いっぱいの青じそを収穫してきたので、ちょっと手伝ってあげることにするか・・・。

甘さ凝縮のドライパイナップル

8月26日。おととい1日がかりでカレシが作ったドライパイナップル。まあ、味見で3分の1は食べてしまったけど、できあがった分もちょこちょこと摘んでいるうちに明日はもう空っぽというところ。だって、おいしすぎるんだもの。ずっしりと重い大きなパイナップルも、乾燥したらこんな感じ↓[写真]

長期保存するのなら、もう少し乾燥させる必要があるけど、どっちみち3日と持たない運命だから、まだほんの少し水気が残っているところまで乾燥。ほんとうにスルメを噛んでいるような噛み応えがあるから、病み付きになりそうでいけない。

ドライフルーツ作りにこれからも活躍してくれるデハイドレータ。[写真]

直径35センチくらい。底が網状になったトレイが5段重ねになっていて、加熱装置はふた兼用。トレイにスライスしたものを並べて、つまみを回して温度を設定して、プラグをコンセントに差し込むだけの簡単な仕組み。ファンが穏やかな温風をトレイの上段から下段まで通して、底から排気。果物類の乾燥温度は約60度。牛肉に味付けの処理をして乾燥させればビーフジャーキーになる。魚も乾燥できるというので、いつかイカを買ってきてスルメを作ってみようか。でも、家中が魚臭くなりそうだから、やめとくか。

カレシは庭でぶどうを育てて、レーズンを作るとか何とか言っているけど・・・。

うれしい期待はずれの菜園

8月27日。月曜日。ゆっくり目に起きて、ゆったりと朝食をして、コーヒー片手にのんびりと読書をして、それから思い立ってやおらシーツ類の洗濯。まあ、月曜日だし、仕事の納期はゆっくりだし・・・。

洗濯機が回っているそばで、フリーザーを開けて、さて、今日の晩ごはんは何にしようか。手間をかけるのがめんどうくさい気がするし、野菜も少なくなって来たしで、よし、今夜はニジマス。昔はトレイに2尾入れて売っていたのに、近頃のニジマスと来たらなぜか2人に1尾で十分な大きさ。養殖ものだから、まさかドーピングしているなんてことはないだろうなあ。アジアから輸入されて来る淡水えびもこの頃はずいぶん大きいのがスーパーにまで出回るようになって、小さいロブスターのしっぽ並みの身が入っているのがあったりする。最近BC州の大西洋サケの養殖場で伝染性貧血のウィルス感染が発生して、50万尾を処分する騒ぎになったけど、太平洋でまったく別種の大西洋のサケを養殖するということにも問題があるんじゃないのかな。地中海では若いクロマグロを捕獲して、養殖場で高カロリー、高脂肪の餌を与えて育てた、トロの部分が40%とかいう超メタボまぐろを日本へ送っているという話。魚介類の養殖は食料資源として重要だということはよくわかるけど、何だかなあ・・・。

庭仕事に出て行ったカレシの後を追って裏のポーチに出たら、暑くもなく、寒くもなくて、カレシ菜園は青々。池と滝を撤去した跡地を菜園にしたけど、土の大部分がほとんどが長年コンクリートの下にあったものなので、堆肥などで土壌改良をするまでは収穫はあまり期待できないと思っていたら、カレシが野菜くずをそのままどんどん埋めたので、フェネルも、フリゼーも、トマトも、サヤインゲンも、まあ伸びること、伸びること。ひょっとして窒素分が多すぎるんじゃないのかな。

[写真] 裏口のポーチからのながめ。右端のふわふわと黄色いのがフェネル。あっという間に大きく育って食べられなくなってしまったので、今は来年のためのタネが熟すのを待っているところ。フリゼーもきれいな薄紫色の花が咲いて食べられなくなったので、同様にタネをつけるのを待っている。カレシ菜園は農薬ゼロ、化学肥料もほとんど使わない有機栽培。使い残しや食べ残しはみんな次の年の野菜に化ける。

[写真] 圧巻はトマトとサヤインゲン。あまり期待していなかったこともあって、カレシが手持ちの何十種類あるのかわからないトマトの種を全部植えたら、なぜか「トマトの木」が育った(真ん中の棒で支えてあるやつ)。ワタシの背丈より高くて、見上げてしまう。その後ろのトレリスで我が世を謳歌しているのはサヤインゲン。童話の『ジャックと豆の木』よろしく蔓がにょきにょきと伸びて、ワタシの広げた手よりもずっと大きな葉っぱがわさわさ。やっぱり窒素分が過剰なんじゃないのかな。それでも上の方で花が咲き始めたから、ある程度の収穫は期待できそうだな。

[写真] こっちは「木」にならなかったトマトたち。左端に見えているのはカレシが床屋さんのアントニオからもらって来たイチジクの木。来年くらいに前庭に下ろしてやることになっているけど、どのくらいしたらイチジクが食べられるようになるのかな。アメリカの農務省が「Plant Hardiness Zone(植物耐寒性ゾーン)」と言う地図を作っていて、ゾーン1からゾーン11まである(区分は12まであるけど実際にゾーン12に相当するところはないみたい)。数字が大きいほど最低気温が高くて、栽培できる植物の種類も多くなる。バンクーバーは「ゾーン8a」の北限ぎりぎりで、天候条件によっては「ゾーン8b」に入ることもあるので、イチジクもちゃんと育って実をつけてくれる(はず)。イチジクジャムを作るの、楽しみだなあ。

[写真] あ、隙間からのぞいているのは誰だ~?

金持と庶民の金銭感覚の違い?

8月28日。火曜日。起床は正午前。今日は仕事がない。朝起きたとたんから何時までにあのファイルを仕上げて納品しなきゃ~なんて考えなくていいのはうれしいな。「本日は完売いたしました」と張り紙をして店じまいできたらいいなと思うけど、そこはモノではなくて「サービス」を売る商売の悲しさ、そうは問屋が卸してくれない。翻訳業みたいな自営のサービス稼業に「完売」はありえない。もしもあるとしたら、それはモノ作りの原料にあたりそうな脳みそが劣化して使いものにならなくなったときを言うんじゃないのかな。まだしばらくは現役の身としてはそれは困る。

仕事がないと言っても、いつどんな仕事が飛び込んで来るかわからないのも自営業の辛いところで、その仕事がどれくらいの大きさなのかも入って来るまでわからない。でも、そういう商売をひとりで20年以上もやっていると、けっこう業務管理の要領も良くなるし、何よりもまず頭の中で計算機がカチャカチャと動いて、よし、この金額ならやらない手はないぞ~と欲が騒いでくれる。そこへカレシがあっちだ、こっちだとミニバケーションの行き先を提案して来ると、つい久しぶりにラスベガスはいいし、サンフランシスコもいいかも~と、また頭の中で計算機がカチャカチャ。結局のところ、仕事を続けて行くエネルギーの源はお金なのかもしれないな。まあ、いくらきれいなことを言っても、お金というのは良きにつけ悪しきにつけ人間のモチベーションを上げるパワーを持っていると思う。

ここのところ小町で「6ヵ月の赤ん坊を連れて日本へ里帰りするのにファーストクラスにしようかどうか」というトピックが賑わっていた。文面から20代か、せいぜい30歳前後と推測したけど、いつもビジネスクラスでエコノミークラスには修学旅行以来乗ったことがないというご身分で、(たぶんまだファーストクラスつきの便がたくさん飛んでいる)ヨーロッパのどこかで、家のことを任せる「ハウススタッフ」までいる優雅な暮らしをしているらしい。ファーストクラスの料金がいくらぐらいなのか知らないけど、快適と静けさのために高い料金を払っているんビジネスやファーストクラスに赤ん坊連れはやめてくれという意見も多い中、エコノミーを数席まとめて取れとか、そんなに金があるなら飛行機をチャーターしたら良かろうとか、さらには「ビジネスクラスは仕事場だ!」と息巻く人もいたりして、賛否両論が喧々諤々。いくら母親がぐずらない赤ん坊だと言っても、赤ん坊てのは泣くときは泣くもんだし、これは難しい問題だな。

その流れで「どのくらいの年収だったら自腹で飛行機のビジネスやファースト、新幹線のグリーンに乗るか」というトピックを立てた人がいて、「駄」と添えてある通りのくだらない質問だけど、書き込まれる回答がめっちゃくちゃおもしろい。そういうプレミアムのクラスは会社の経費とかマイレージのアップグレードで乗っている人が多いと仮定しているから、「自腹を切って乗るなら」という前提条件がついている。そのせいかどうか知らないけど、常日頃から(自己申告で)高所得層がひしめいている小町横町の世帯収入の水準がいきなりひと桁跳ね上がった感じだからケッサク。1500万あたりから2000万、3000万、5000万、8000万、そして億万長者も・・・。そのほとんどが「エコノミークラスしか乗らない/考えられない」、「自腹を切ってまで乗らない」、「そんな余裕はない」と、質素な暮らしぶりを競い合っているからすごい。中には子供なしで3000万円でもデパ地下のスーパーを気軽に使える程度の余裕しかないという世間離れした奥様までいて、小町横町の話なのか、どこぞの首長国の話なのかわからなくなってきた。

逆に、1千万以下の人の方が、楽だから、たまにだからと、自腹を切ってビジネスクラスに乗っていることを正直に申告しているところがおもしろい。ワタシも東京便のような数時間の飛行なら、抵抗なくビジネスクラスに乗れるな(ファーストクラスは元からついていない)。ワタシの分は経費で落とせるけど、カレシの分は自腹。でも、2年かそこらに一度のことだし、何よりも身体が楽だし、まともな食事が出て来るし、搭乗までの時間をラウンジで快適に過ごせるし、十分に価値はあると思う。それに、経費と言ってもひとり稼業で稼いでいるんだから、自腹を切るのとさして変わらないような気もする。元々ちょっとした贅沢をするのが楽しいから働くのが苦にならないんだし、基本的な生活を圧迫しなければ特に贅沢をしているとも思わないけど、小町横町の富豪夫人たちにとってはとんでもない贅沢なんだろうな。ま、そうやって「自分のお金を使う」贅沢をせずに、ひたすら質素に生活しているからお金が貯まって大金持ちになるんだろうな。そのあたりで「貯めたお金でたまに一点豪華の贅沢を楽しむ」庶民とは金銭感覚が違っているということか。

まあ、年収が5000万円あったら、ワタシはグダグダと取り繕ったような言いわけなんかせずにすんなりとファーストクラスに乗っちゃうけどなあ。お金って、必要以上にため込んでも付加価値があるとは思えないから、自分にとって価値のあるものと交換してナンボだと思うし、だから、いつまで経っても庶民で、こうしていつまでも仕事をしているんだろうけど、それでもけっこう幸せだと思うし・・・。

年相応に仕事をしろと言われても

8月29日。水曜日。目が覚めて涼しくなって来たなあと思ったら、いつの間にかカレシがエアコンをオンにしていた。全然暑くないのに、もう。しょうがないから、いい気持ちで寝ているカレシの方にころっと寝返りして、暑がり屋さんの体温を横取りしてやった。だってこんな時期に風邪なんて引きたくないもの。

きのうは水平線に仕事という暗雲がかかっていなかったので、提出期限が迫っていたエッセイをひと息で書き上げた。9月30日は「国際翻訳の日」なんだそうで、それを記念して日本の協会がアンソロジーを出版することになって、だいぶ前から会員からエッセイを募集していた。一筆啓上をもくろんでいたワタシは、翻訳論みたいな薀蓄を傾けるにはちょっと箔が足りなすぎるから、何を書こうかと思案投げ首。昔からいろんな背景や経歴の人が(多くの場合にひょんなことから)足を踏み入れて来る業界だったんだけど、最近は「まず学歴ありき」の波が押し寄せて来て、翻訳で学位を取って来る人も増えたから、「しろうと」の翻訳論はお呼びじゃなさそう。で、ふと思いついたのが、昔ある短編小説の日本語に訳されたものを読んで得たイメージが、その後原書を読んで得たイメージとまったく違っていた話。思い立ったら吉日で、その話を軸にささっと短いエッセイを書いて、ささっと送ってしまった。ほっ。

きのうはそのくらいのどかな日だったのに、今日は台風が団子で来たような雲行き。夜になってすご~く大量の仕事がどんっと降って来て、それが普通なら10日はかかりそうなのを何とか1週間でというもので、お尻に火が付いた気分。難しくはないけど、何しろ量が多い。下へ下へとスクロールしても、どこまで行ったら「ジ・エンド」にたどり着けるのやら。しばらくちんたらちんたらやって来て緩んでいるねじを巻き直して、必勝鉢巻を締めなおして、腕をまくり直してがんばらにゃいかんなあ・・・と開いた原稿ファイルをつらつら眺めていたら、別の方面からも大きそうな仕事。こっちは納期に余裕があるから後に続ければいいけど、何だかややこしそうな話。ふむ、どうやら日本ではお盆休みが終わって、遊び疲れた人たちがリフレッシュのために「仕事モード」になっているらしい。やれやれ、この調子だと9月は鉢巻が何本あっても足りないんじゃないのかなあ。友だちに言われたっけなあ、「年相応の仕事量にしときなさいね」って。はあ、年相応に仕事をしろと言われてもねえ・・・。

9月の仕事がこれだけで済めば、まあ何とか「年相応」(つまり、仕事6割、遊び4割くらい?)でちょうど良さそうだけど、どうなることやら。とにかく、徹夜だけは絶対に年相応じゃないから、断固として回避することにしておいて、とりあえず夕食後は野菜の買出しにひとっ走り。寝酒の友に今はまっているニシンのピクルスもいくつか買ってきて当面の兵糧の手当てした。腹が減っては戦はできないというけど、またストレス食いでストレス太りになっちゃうのかなあ。折りしも食欲の秋だし・・・。

今夜は月がとっても青いらしい

8月31日。金曜日。8月最後の日。ちょっとばかり夏っぽい陽気だけど、やっぱり夏が終わるという感じがするな。何となくだけど、ちょっとばかり気がせかせかして来るように感じるのは、日が短くなって来たせいか、それとも1年の残りが少なくなって来たせいか・・・。

きのうは目がしょぼしょぼして、かすんで来るくらいにがっつり(なんか品のない響きの言葉だなあ・・・)仕事をした。おかげでだいぶ進んで、ぎりぎりで半徹夜くらいにはなるかもしれないけど、本格的な徹夜だけは何とか回避できそうな予感。何時間もじっと座ってひたすらキーを叩いていると、やたらとおなかが空いて困る。ワタシの原始的な本能が諸々の天災で作物が不作だから冬が来る前に食べておかねばと勘違いしているのかな。それとも、敵に城を包囲されて兵糧攻めになっていると勘違いしているのか。前者なら農耕民族、後者なら狩猟採集民族の遺伝子だろうな。何となく縄文人の遺伝子が濃いような感じがするし、中央アジアから西へ移動して行った狩猟民族のはぐれ遺伝子が紛れ込んでいるような気がしないでもないし。このあたりはワタシのゲノムを解読してみたらおもしろいかも。まあ、食い気を発現する遺伝子を持っていることだけはたしかかな。

今日はブルームーン。暦の上のひと月のうちに起きる2度目の満月のことを「ブルームーン」というんだけど、お月様が青く見えるというわけではない。でも、珍しい現象と言うことで「once in a blue moon(ごく稀に)」という口語表現があるけど、実は月の満ち欠けの周期から計算すると満月は1年に12.36回ある勘定で、この「珍しい」ブルームーンは2年か3年に一度起きることになるから、日食や月食の方がよっぽど珍しい。もっとも今年のブルームーンは世界の時間帯によっては8月ではなくて9月の出来事ということになるそうな。ちなみに、この次のブルームーンは3年後の2015年7月だとか。

ブルームーンの今日、アメリカではニール・アームストロングの葬儀があった。この日が人類で最初に月に降り立った人の葬送の日になったというのは何かの因縁かな。たしかに、一人の人間にとっては小さな一歩であっても、その人間が別の天体に降り立ったのは人類にとって大きな飛躍。だって、たとえ衛星であっても、地球の引力を振り切って飛び出さなければ、行けなかったところなんだもの。人間が「母なる地球」の重い束縛から自らを解き放った、精神的にも大きな飛躍だと感じ人たちもけっこういたと思う。まあ、アメリカとソ連が軍事力や核兵器を競った冷戦の最中だったからこそ金と技術と人を結集して実行できたんだろうと思うといささか皮肉な話だけど、その後の人類を見ていると、どうやら人間は戦って(競争して)いないと進歩も後退もしない生物種らしい。

もっとも、昨今は進化するどころか、成長するのをやめてしまった人も多いようで、人類は徐々に後退(あるいは退化)しつつあると言った方がよさそうな気もするけどな。ま、大宇宙の一地方にある銀河系という名の星のムラの、そのはるかな村はずれにある「太陽」と言う名のパッとしない中年の平凡な星の周りを回って、その光と熱で生命を育んでいるのが「地球」と言う名の惑星。その地球の周りを回っているのが「月(衛星)」。他の惑星の月にはみんなそれぞれに固有の名前が付いているのに、なぜか地球のたったひとつの月は(欧米語では大文字で他の月と区別できるけど)ただの「月」。でも、大きな宇宙の中でたったひとつ人類が2本の足で歩いた月。はるかに遠い昔に、遊牧の民や狩人たち、夜通しの番をする羊飼いたちも見上げたであろう月。

この宇宙にいくつ月があるのか知らないけど、8月最後の夜の空にかかっている満月は「母なる地球」の唯一無二の月なんだから、名前なんかつけなくてもいいね。ちょっと外へ出て、ブルームーンを見上げて来るかな。ずっと昔、子供の頃に聞いたような記憶があるなあ、「月がとっても青いから」という歌・・・。


2012年8月~その1

2012年08月16日 | 昔語り(2006~2013)
無駄がなさ過ぎるのは脳に良くない?

8月1日。水曜日。今日から8月。もう8月。今年ももうあと・・・は、まだちょっと早いか。年を重ねるごとに時間の足が速くなるのはわかっているけど、そこまで急ぐことはないな。まだ8月。まだ夏。夏の真っ盛り・・・。

「なぜみんな雑談をするのか?楽しいのか?必要なのか?礼儀なのか?」小町横町でおもしろい問いかけをしている人がいる。雑談すること自体が役に立つことなのか?問いかけの主は、役に立たないものは家に起きたくないし、無駄と思うものには時間を割かない性格だそうで、同じような人に会ったことがないのが不思議。いや、不思議でも何でもなくて、同じような人に会わないのはきっと向こうも無駄なことに時間を割かないからだろうと思うんだけどな。曰く、雑談に参加してみたけれども疲れるだけだった。でも、「すごい効果や役に立つことがあるなら、やらないと損かな」と。どんな効果、どんな効用を期待しているのかわからないけど、要するに自分が無駄だと思う雑談をみんながしているのは何か「得すること」があるからじゃないか、だったら自分もおこぼれに与りたいということなのかな。まあ、自分以外の人間に興味がないだけかもしれないけど、こういう何でも「損得」で考える人、けっこう増えているような感じもするな。かの大富豪ドナルド・トランプのトレードマークみたいになった「What’s in it for me(こっちにどんなメリットがあるの?)」という思考に似ているけど、人との交わりも投資的な価値判断なのか・・・。

雑談は役に立つのか(何の役に立つのか)という問いかけに対して、「人間の脳は意味のないことや無駄と思えることを考えたりする方が認知症になりにくい」と何かで読んだという書き込み。仕事ばかりしていたり、理論的、合理的性格だったりすると早いうちに認知症になる危険があるらしい。これはつらつらと考えてみる価値があるな。無駄だと思うことには時間を無駄にしたくないと、いつもテンションを上げたままだと脳が磨り減ってしまうということか。雑談は脳のレクリエーションということだろうな。もっとも、考えてみて無駄にはならないことをめんどうくさがって考えないでいたら、脳は逆に萎びてしまうかもしれないから、そこは「メリハリをつける」、つまり、昨今よく使われる「ワークライフ・バランス」。ワタシはけっこうまじめに仕事をするけど、「無駄に」過ごす時間も多いし、何の意味があって何に役立つのかわからないような雑談、雑感、雑念、雑学、雑記の類にかけては人後に落ちないから、早いうちに認知症になることは心配しなくても良さそうだな。もうかなり「とぼけて」はいるみたいだけど・・・。

ブログの編集画面の下に出て来るgooのランキング。「将来への不安ある?」というのがあったので、のぞいて見たら、2位以下を大きく引き離して第1位だったのが「いろいろ心配」。あれこれと心配で、不安で気の休まる暇がないということか。それは辛いなあ。でも、あまりくよくよ心配するのも脳に良くないような気がするけど。ランキングの第2位は「老後が不安」、以下「結婚できるか」、「子供の将来が不安」、「十分な収入が得られるか」と続いていて、「日本を覆う暗雲」を総まとめしたような感じ。このランキングを見た人は気が滅入ってしまうんじゃないかと心配になって来る。まあ日本の人はちょっと不安神経症気味だとは思うけどなあ、と画面を見ていて目に入ったのが「医師質問:境界性人格障害」という広告で、「専門家がオンラインで待機中。どんな質問でも今すぐ回答をゲット」だと。今すぐ答をゲットできるんだったら誰も不安な思いはしないだろうと思うんだけど。それにしても、いたるところにうるさく出て来る「Ads by Google」のひとつとはいえ、不安に関するページに境界性人格障害って、何だかなあ・・・。

誰かが首になったおかげで年金問題が解決

8月2日。木曜日。起床は正午ちょっと前。ここのところ気温はいたって平年並みで、日中は23度くらいあるけど、最低気温は15度以下に下がるので、エアコンをかけずに寝られるし、ベッドルームが暑くなって来るのはちょうど起き出す頃で、それより前の時間にタイマーをセットしておく必要もないのがうれしい。これが典型的なバンクーバーの「短くて快適すぎる」夏・・・。

今日は朝食もそこそこにゆうべ飛び込んで来たラッシュの仕事の見直し。人事に関するものにはそれなりのドラマがあっておもしろい。いったい何を考えていたやらと呆れるような規律違反や法規違反はもとより、ときには新聞に名前(や会社名)が載ってしまうような事件まで、実にいろんなことが起きる。まあ、いろんな人間がいるから、それも当然だろうけど、いつもどうしてこんなことでつまづいてしまうのかと不思議に思う。悪くしてクビになったら、奥さんに何て言うんだろうな。キャリアに傷がつくだけではなく、家に帰れば奥サンに「明日からどうやって暮らすのよっ」と泣かれるだろうし、クビになった理由によっては家庭崩壊・・・。でも、そういうところまでは考えないから、そうなってしまうんだろうな。

「魔がさした」・・・つまり、何かの弾みで心のたがが緩んだか、外れてしまったということなのか。刑事事件を起こせばそれで「おしまい」かもしれないけど、「敗者復活戦」のない国ではキャリアに「懲戒」の2文字がついて回れば似たようなものかもしれないから、その人の人生だけでなく、家族の将来まで狂わせてしまいそう。クビになれば当面の生活が問題になるけど、「外れたたが」のおかげでいったいどのくらいの「生涯賃金」が吹っ飛ぶかをちょっと考えてみれば、緩みがちなたがを少しは締められるかもしれない。仮に40歳で年収1千万だった人がクビになって、400万の仕事に再就職できたとすると、単純に60歳定年までの20年をかけて計算しただけでも逸失賃金は1億2千万円。子供の教育、マイホーム、海外旅行、老後の資金・・・ため息が出そう。でも、心のたがはほんの一瞬で外れるもので、そんなことを考えている暇はないだろうけど。

カレシが早期退職させられたのは57歳のとき。懲戒処分になるようなことはしなかったけど、メール恋愛ごっこに夢中になって仕事をサボっていたらしく、リストラに半年先がけて肩叩き。収入は組合年金だけになって、それも60歳前なので少し減額。それでも、さすが公務員組合の年金だけあって、ひとりなら何とか暮らせる額だったし、ワタシはその倍以上稼げていたから、家計には実害がなかったのは幸いだったかな。それでも、今になって考えたら、想定外の早期退職による生涯賃金の逸失分を当時の年収マイナス年金で計算すると、60歳まで3年勤めたとすれば約1200万円、公的年金をもらえる65歳まで8年勤めたら(いくらかの昇給があるとして)約3500万円。これが愚行の代償というところだけど、まあ、まじめに仕事をしていてもいずれはリストラの対象(この場合は年金は満額)になっただろうし、職場や仕事が嫌になっていたカレシには渡りに舟の退職勧奨だったんだから、今はあまり意味のない数字・・・。

仕事をしながら、どうしていい大人なのにいっときの気の迷いで高収入を棒に振って、キャリアや人生や家族の生活を狂わせる人たちが後を絶たないんだろうと思っているうちに、カレシが退職した前後のことを思い出して、急にどうしてワタシが年金受給を遅らせて働き続けなきゃならないんだと、ムカっとした気分になった。こんな気持になったのは初めてで、自分でもちょっとびっくりしたけど、年金の申請用紙を前に、今までは基本額が増えるから受給開始を2、3年遅らせて、このままフルに仕事を続けようと漠然と考えていたのが何だかばかばかしく思えてしまった。何年分かの給料を棒に振ったカレシではあるけど、今では3つも年金をもらって糟糠の妻を養えるくらいの左団扇なんだから、よし、ワタシもまずは年金をもらい始めて、仕事は風まかせということにする。うん、それで決まり!どこかでクビになった人がいたおかげでワタシの問題が解決なんてちょっとヘンだけど、でも、ああ、すっきりしたっ。

ネットの広告も斜めに見るとおもしろい

8月3日。金曜日。今日はけっこう早くから暑い。この週末は州によって名前が違うのでいったい何の祝日なのかわからないけど、とりあえず全国的に三連休。まあ、学校は夏休みでもあるし、家族揃って遊びなさいということで作ってくれたんじゃないかと思うけど、日本でハッピーマンデーとかいうあれと同じような発想かな。(BC州ではオンタリオ州に倣って来年から2月の第2だか第3月曜日を「ファミリーデイ」とか何とかいう休みにしたので、三連休がひとつ増えることになった。)またカナダドル高に振れて来たので、明日は国境に長い車の列ができて、何時間も待つということになるんだろうな。この夏一番の暑さになりそうだという予報なのに・・・。

暑そうだから日中外へ出るのはやめにして、週明けが期限の新しい仕事の算段。今度は大規模な商業開発に関するもので、一面にきらきら語をちりばめたような華やかさ。こういうのはやっていて楽しい。だけど、日本人的感性100%の「きらきら日本語」を英語人的感性にアピールするような「きらきら英語」に訳すのはけっこう疲れる。そうでなくても感性(イメージ)レベルでの異言語コミュニケーションは難しいのに、コピーライターはその「イメージ」を「何、これ?」というような表現で描こうとする。常に斬新な(あるいはトレンディな)表現方法を要求される商売だから当然だろうけど、宣伝文というのは、売り込む方で想定したイメージを読んだ人に描いてもらわなければ用をなさないから、日本語の(斬新な)宣伝文句を英文に置き換えるだけでは、いくら訳が正確でも英語頭には「はあ?」となることが多い。あ~あ、おもしろいけど、かなり悩みそうだなあ、この仕事・・・。

広告といえば、今月に入ってこのブログにもテキスト広告が表示されるようになってから、どんなサイトにどんな広告が出るのか興味津々で、あっちのブログ、こっちのソーシャルメディアと、コンテンツそっちのけで観察して回ったところ、一番多いのはやっぱりAds by Google、他にAd Choices。記事の下に表示されるものは3つか4つ。サイドバーに表示されるものはもっと多い。でも、テキストだけの広告はさほどじゃまっけな感じはしないな。無視しやすいからだろうか。読んでもらわなければ効果はないと思うんだけど、実際にこういう広告をクリックする人っているんだろうか。あんがい、いわゆるアフィリエイトの感覚でポチッとやるのかな。(といっても、アフィリエイトというものがワタシにはよくわからないんだけど・・・。)

自分のブログにアクセスして出てきたのは、25分で129円からという格安オンライン英会話の広告。フィリピン人は英語ネイティブじゃないはずだけど、人件費は安いからいい商売になるんだろうな。他に、日本への「里帰り」の格安航空券(帰る実家もないから間に合ってます)、海外転職(間に合ってま~す)。どっちも日本語なんだけど、今日はなぜか英語で「Pretty Japanese Wife」と言うのが出てきた。そのうたい文句がふるっていて、「何百人もの美しいメールオーダーワイフとの出会い。100%確認済みのプロフィール!」 URLを見たらいろんな出会い系広告を出しているところ。何を100%確認したのか知らないけど、日本女性をつかまえて「メールオーダーワイフ」はないと思うよ。いうなれば「通販嫁」で、いくらgooのランキングで結婚できるかどうかが不安の第3位に入っていたと言っても、日本の女性がこの広告を見たら「まだそこまで落ちてないわよっ!」と憤慨するだろうな。でも、ひと昔前の「国際結婚ブーム」のときはネットでの出会いが盛んだったようだし、日本の男性もかなり「通販嫁」をもらっているんじゃないかと思うけど。

鬱陶しいのはやっぱり写真入の広告だけど、こっちはサイトによっては出会い系が多い。例の「独身の日本女性との出会い」のオンナノコたちの写真を観察していて、真ん中でVサインしているコは日本人っぽいけど、両側の2人は日焼けし過ぎで、顔立ちもちょっと日本人離れしているのに気がついた。「独身の日本女性」と聞いてクリックしてしまうオトコがたくさんいることを期待しているのかもしれないけど、だったらどうして日本語?もっとケッサクなのは、ある在日外国人のサイトにいつも貼られている「友だち募集」広告。会員百万人以上と銘打っていたけど、もう10年以上前から同じ顔ぶれ(日本人)のローテーション。これではまるで「売れ残り品一掃セール」の広告のようで、効果のほどは限りなくゼロに近そう。でも、誰もクリックしなくても、サイトのオーナーには広告掲載料が入るのかな。だったら、おいしそうな話ではあるけど・・・。

インターネットに溢れる広告もこうやって斜めから見ているとけっこうおもしろい暇つぶしになっていいな。それに「愛するのに言葉はいらない」そうだから、出会い系サイトの広告の翻訳注文が飛び込んで来るということもまずあり得ない(ワタシの料金、高いし)。だけど、仕事の方の宣伝はたぶん何十億、何百億の大事業だろうから、「きらきら語」の創造にもすごいお金がかかっていそうで、斜めに見て楽しんでいるわけには行かない。まじめに考えなきゃ、きらきらと・・・。

いつまで続くの、オリンピック

8月4日。土曜日。三連休初日(と言ってもカレンダーがそうなっているだけで、普通の日と変わらないけど)。今日は早くから暑い。エアコンのタイマーを午前10時半くらいにオンになるようにセットしておいたけど、9時半頃にちょっと目が覚めたときはもう顔が汗だらけ。でも、タイマーをリセットするのがめんどうで、またそのまま眠ってしまった。

朝食が終わって、「ゆっくりしていい日」の読書。『Good Behaviour』 を読み終わったので、今度はキングスリー・エイミスの『Lucky Jim』。エイミスはイギリスで1950年代に一世を風靡した「怒れる若者たち」のひとり。アイリス・マードックもそうだったし、アラン・シリトーやジョン・オズボーンもその世代。後にアメリカで起こったヒッピー運動の先駆けと言えなくもないな。ま、いつの時代でも若者たちは既成社会に対して怒って、楯突くものだと思う。ワタシだって、20代前半の頃は左に傾き、ヒッピー運動に共感し、さらには生まれ育った北海道が中央政府(北海道開発庁)に植民地のように扱われていることに義憤を感じて、「北海道独立論」に心酔したもんだった。年と共にけっこう保守派の方に振れて来たけど、今でも北海道は「津軽海峡以南」に活力を吸い尽くされないために分離独立すべきという思いは変わらない。

オリンピックはどうやら半分くらいまで日程を消化したらしい。ワタシも東京オリンピックで「東洋の魔女」に感動し、札幌オリンピックでは70メートル級ジャンプのトリプルメダルに感動したクチだけど、あまりにも商業化、プロ化して、すっかり関心をなくしてしまった。たぶんロサンゼルスでのオリンピック(日本ではバブルが膨張し始めた頃)あたりからだろうと思うけど、かのクーベルタン男爵も墓の中でのた打ち回っているんじゃないかな。国旗掲揚と国家演奏をやめたらいいのにと思うけど、それができなくなったら国威と愛国心の発揚パーティをする機会がなくなって、どこの国も「それじゃあ選手育成に金をかける意味がないから、や~めた」なんてことになってしまうかな。

もう何年も前の夏のこと、ビクトリア・ライティング・スクールの合宿に参加した時、同じクラスにオリンピックの体操に出場するはずだったという人(エレン)がいた。14歳で強化選手に選ばれ、BC州の親元を離れて遠いオンタリオのコーチの家に住み込んで、毎日ひたすら練習に励み、全国選手権で上位に入って、オリンピックへの切符は確実というところまで行った。ところが、いざオリンピック(モントリオールだったかな)代表の選考の段階になって、エレンは「年を取りすぎている」と言う理由で落とされてしまったそうな。そのときの彼女は19歳。オリンピックの女子体操はチャスラフスカの時代から、コルブトやコマネチのようなティーンの時代になっていて、選考委員たちは19歳の大人では「年令的に」審判に受けないと考えたらしい。十代の青春を捧げたオリンピックの夢を目前で潰されたエレンはそれから長い間うつ病と闘い続けたという。「自分の気持を文章にすることで救われたの」と言っていた彼女、50歳近くになっていたけど、小柄で笑顔のかわいい人だった・・・。

華やかなオリンピックの裏にはそういう人間の心や努力を踏みにじるひどい話がたくさんあるんだろうな。エレンだって技量が足りなかったのなら諦めも付いただろうに。それもこれも国のメダル獲得数を競うためかと思うと、オリンピックには関心が持てなくなってしまった。それにしても、バドミントンの「無気力試合」はひどい。ニュースで見たけど、あれならワタシだってオリンピックに出られる。それと、ビーチバレーとか言う種目は何なんだろう。そのうち、スケートボードとか、マウンテンバイクとか、はてはブレークダンスなんて種目も登場するかもしれないな。ま、4年に一度の地上最大の「ショー」だもんね。(開会式の女王様と007のスキットは話を聞いてYouTubeで見たけど、あれはなかなかのご愛嬌だったな。)水泳のフェルプス君は帰国するときにメダルが重すぎて手荷物の重量超過料金を取られるんじゃないのかな。それと、日本は男尊女卑という汚名を返上するためにも、なでしこちゃんたちをメダルの色に関係なくビジネスクラスに乗せてあげてね。でも、ひとつだけ、南アフリカの両足義足のランナーにはちょっと感動したな。ぜひメダルを勝ち取って欲しいと思う。

日程はあとまだ半分あるのか。期間もずいぶん長くなったもんだな・・・。

外が暑すぎるから今日は仕事日

8月5日。日曜日。今日も暑いなあ。午後1時でポーチの温度計はもう25度を超える勢い。うはっ、真夏日だ。バンクーバーでは最高気温が30度を一度も越えない年の方が圧倒的に多いので、感覚的に25度あたりが「真夏日」ということにある。たまに30度を超えようものなら、異常高温の警報が出るくらいで、もうもろに「猛暑日」。でもまあ、湿度が低めなので、蒸し風呂というよりはオーブンに入ったような感じで、肌が汗でべとつかないからいたって快適。

三連休と言うこともあって、ビーチはたぶん足の踏み場もないくらいの賑わいだろうな。紫外線がどうの、皮膚がんがどうのと言われながらも、どっちかというと白い美肌よりも小麦色の健康美の方が未だに好感度が高いらしい。まあ、昔のような真っ赤に焼けて痛々しい姿はあまり見られなくなったように思うけど、燦々と太陽が照ると、若い人たちが「小麦色」を目指してビーチに殺到するのは変わっていない。焼けすぎないようにサンスクリーンを塗りながら甲羅干しをするのが今どき風というところかな。色白の妹が生まれたときに伯母が「こっちは玄米」と評したというくらい色が黒いワタシは、ビーチなんかに寝転がっていたら片面15分ずつで真っ黒こげ状態になってしまう。美白肌が命の国では日焼けするたびに亡き母に「前後の区別が付かない」とこぼされたけど、小麦色が好きなこの国では、うまく焼けなくて苦労していたコーカサス人種の女性たちにこの「15分でこんがり」を羨ましがられることが多かった。まあ、ところ変われば美肌の基準だって変わるって・・・。

夏真っ盛りの三連休だけあって、この週末はイベントのラッシュ。ゆうべはCelebration of Lightという恒例の花火大会の最終回をやっていた。普通の花火大会と違って、音楽と花火の打ち上げをシンクロさせるもので、前はそのデザインと技術を競う国際大会でもあった。最近は景気も良くないから3ヵ国を募って3回に分けてやるだけになっているけど、それでも20分そこそこのショーにイングリッシュベイを囲むビーチには20万人くらい集まるらしい。今年は1回目がベトナム、2回目がブラジルで、最終回のゆうべはイタリア。南斜面にある我が家からは花火は見えないけど、音だけは聞こえる。音から判断する限りではブラジルの花火が一番派手だったな。そのうちに誰かがYouTubeにビデオを投稿するだろうから、探し出して、ゆっくり楽しもうっと。

この週末は「パウエルストリート・フェスティバル」もある。パウエルストリートは戦前に日本人町が栄えた、いわば日系カナダ人の「ふるさと」にあたるところ。祭そのものはバンクーバーにいくつもあるエスニック・フェスティバルのひとつで、もうかれこれ35年くらい続いている。ワタシも最初の2、3年はカレシに連れられて行ったもんだけど、何となく田舎の小さな神社の夏祭りみたいななつかしい雰囲気があった。今ではお祭に来る層が「日系人」からバブル時代以降に到来した「日本人」に変わっているらしいけど、長いこと行っていないから本当のところはわからない。でも、会場となるパウエルストリート沿いのオッペンハイマー公園がホームレスがたむろするカナダ有数の極貧地区にあることが(何らかのビザで住んでいる)日本人にはいたく不評だということは聞いている。まあ、この人たちは「日本から来ている日本人」なんであって、日系カナダ人の歴史を知らない(というか、元から関心がない)んだから、パウエルストリートフェスティバルの意義を説明しても無駄だろうと思うけどね。

この週末のイベントの目玉はなんと言っても今日の「プライド・パレード」かな。これはなかなか見ごたえがありそう。今回のパレードの先導役は先にミス・ワールドか何だかのコンテストにカナダ代表で出た(元男性の)ジェナ・タラコヴァ。初めは「生まれつきの女性でない」ということで失格にされたけど、最終的にコンテストのオーナーであるドナルド・トランプの鶴の一声で出場が認められた人。惜しくもミス(何だったか)のタイトルは逃したけど、なかなかの美女。ワタシはこの国で「人」として魅力的なゲイやレスビアンにたくさん出会って来たので、異性婚も同性婚も(その線上で同人種婚も異人種婚も)相互の愛と尊敬とコミットメントに基づく1対1の「単婚」の関係であることに変わりはなく、どんな形であっても心から愛し合っている2人は美しい。だって、人と人が愛し合えるのはすばらしいことなんだもの。だいたい、人間が垂れ流す内分泌撹乱物質のせいで自然界では雌と雄の区別が混乱して来ているそうだから、人間だって影響を受けずにいられるとは思えないし、そうなったら、性が繁殖から切り離された人間界では、いずれは古代から続いて来た男と女の観念も立ち行かなくなるかもしれないしね。

午後3時の気温27度。湿度48%。暑いから、今日は1日中涼しいオフィスに引きこもって仕事三昧ということにする。もっとも、納期は明日の夕方だから、のんびりしていられないという事情もあるけど、やっぱり何たって暑すぎる。カレシも水遣りに庭に出て行ってはそそくさと家の中に戻ってくる。菜園はトマトも豆もものすごい勢いで育っているそうだけど、暑すぎてあまり農作業ができないとぶつぶつ。今まであった池と滝を撤去したせいで、流水による冷却効果がなくなったからじゃないのかな。水が流れる音だけでも心理的に涼しく感じられるのが、それもなくなったし、それに雑草が生えるままにしてあった部分はコンクリートのタイルを敷き詰めてしまったから、太陽熱が吸収されてよけいに暑く感じられるのかもしれない。でも逆に、夜間に冷えるようになる秋には保温効果のおかげで栽培期間が長くなることも考えられるから、ここはせっせと水遣りするしかないと思うけど、暑いよなあ・・・。

予報には雷雨なんてなかったのに

8月7日。火曜日。午前11時半に外でピィピィという音がして目が覚めたというカレシに起こされて目が覚めた。「誰かがトラックをいじったんじゃないか」と言うから、まっさか~。トラックのアラームはピィピィなんてもんじゃないし、鳴り出したらしばらく止まらない。でも、心配性のカレシはそのまま起き出して外へ偵察に。ま、家の防犯アラームを解除するのを忘れなかったのはエライ。でも、結局ワタシもそのまま起きてしまった。正午前のポーチの気温はまだ20度に届いていない。

きのうは午後いっぱい大まじめに仕事。やっぱり宣伝の目玉になるキャッチコピーに引っかかって、漢字が2つのごく短い単語なのにうんうんと脳みそを絞ってしまった。最初に出て来るひと言だけなら、クリエイティブなノリでわりと自由に考えられるんだけど、別のところでのうたい文句の中にシチュエーションをいろいろに変えて出て来るので、そこでもピリッと決まるものでないとキャッチコピーとしての役をなさないし、元原稿の日本語の意味合いも考慮しなければならないし、おまけに別の単語をくっつけて「は?」という造語まで出て来るから、そのたびにもっとピリッとする表現はないかと知恵を絞り、新しい文句が浮かぶたびに初めに戻って前出の分を全部変更。あれやこれやと何度も変更を重ねて、それでも何とかこれなら「きらきら英語」として通用しそうなものに落ち着いたけど、これが「ものづくり」の原料だったら採算割れしそうな時間を費やしてしまった。ああ、やれやれ。広告会社で毎日こういうキャッチコピーを考えるのって、さぞかし(少なくとも脳みその)寿命の縮む仕事だろうなあ。

前の日からひたすら仕事をした余勢をかって、きのうは日本の友だちに送る旅行の記念写真に添える手紙も2本書いた(というより「打った」というべきか)。その過程で、ワタシの子供時代のアルバムに仲良し4人組の写真があったのを思い出した。ちょうど50年前、ワタシが父の転勤で生まれ育った釧路を離れることになったときに、J子、K子、そして今回50年ぶりに東京で再会したR子とワタシの仲良し4人組でお別れパーティをしたのを母が窓の外から撮ってくれた写真。モノクロの小さな写真だったので、カレシにPhotoShopで拡大処理して、写真用紙に印刷してもらった。あれは中学2年の夏。4人ともそれぞれに違う人生を歩んだわけだけど、50年離れていてもあの頃の仲良しのままでいられたのは神様の思し召しだったのか。写真を見ると、そろそろ青春に突入する年頃の女の子4人組、う~ん、何だかおませな顔をして乾杯なんかしてるけど・・・。

今日はその手紙を持ってモールの郵便局へ。ずっと韓国系の家族がやっていたのが、今日はカウンターの後ろにフィリピン系らしい人。経営者が変わったのかな。封筒の重さを計ってもらって、切手を貼ってもらって、ついでに国内、アメリカ、国際の3種類の切手を10枚ずつ買って、ミッション終了。その足でこの前マティニグラスを買おうと思ったキッチン用品店に入って、迷わず4個入りセットを2つ。大きな袋に入れてくれたけど、持ちにくいので携帯でカレシにタクシーサービスを頼んだら、「ついでだからコーヒーと豆とひまわりの種とオートブラン(燕麦のふすま)を買って、いつものところで待っていろ」との指示。1キロ入りのイタリアのコーヒー豆とローストしたひまわりの種(塩なしなのでピーナツのような味わい)とオートブラン、ついでにソーセージも買って、ミッション完了。雲が広がって来て、あまり暑くないけど、ちょっと蒸している感じ・・・。

午後8時過ぎだったか、外が騒々しいのに気がついた。うはっ、カミナリ。そんなの天気予報にあったかなあと、さっそく二階へ駆け上がる物好きなワタシ。南東の方角が明るくなって派手な雷光が走ったので、小学校の理科の時間に教わった通り、い~ちぃ、にぃ~い、さぁ~ん、と数えたけど、いつまでもゴロゴロと来ない。音なしのカミナリかと思っていたら、諦めて数えるのを止めたころになってゴロゴロッ。風が出てきたと見えて、窓の外では大木がわさわさと揺れている。道路が塗れている。見ているうちに、カミナリは東へ、そして北東の空へと移動して行って、9時過ぎには静かになった。かなり見ごたえのあるショーだったと興奮覚めやらぬ気分でオフィスに戻ったら、バックアップ電源のサージ保護がカチッ、カチッ。頭の上でのカミナリでなくて良かった~。

落ち着いたと思ったら、しばらくしてまた鳴り出して、庭に出ていたカレシは雨具を取りに駆け込んできた。後でニュースを見たら、郊外では雹が降ったところもあり、落雷にあってけがをした人が2人いるということだった。どちらも軽傷ということだけど、バンクーバーではちょっとめずらしい夏の嵐だなあ・・・。おかげで急に涼しくなったような感じがするけど、明日からはほぼ平年並みの気温に戻るらしい。明日はカレシの誕生日。カレシの希望で、グランヴィルアイランドのマーケットにカニを買いに行く予定。そんなときに限ってドンッと入ってくるのが仕事。でも納期に余裕があるから、明日は臨時休業しま~す。

誕生日のディナーはちょっぴり北海道

8月8日。水曜日。起床は正午過ぎ。おお、ぐっと涼しい。午後1時のポーチの気温が15度。きのうの雷雨のせいかな。新聞サイトにはさっそく読者から送られてきた豪快な写真がたくさん載っているけど、二階の窓から見ていたワタシにも、何本にも枝分かれした雷光が視界いっぱいに広がって見えて、すごかった。郊外のあちこちでまだ停電したままのところがあるというから、ニュースの見出しの通り、まさに「ワイルド」な嵐だったんだろうな。

今日はカレシの69歳の誕生日。60代最後の誕生日だけど、39歳から年を取るのをやめたんだというカレシは、「ボクは39だよ」と主張。う~ん、若いままでいたいという気持はわかるけど、この時点で中身までもまだその「若年」のままってのはどうなのかなあ。何となく進歩が遅れているようにも聞こえるけど、まあ、年令についてはご本人の自己申告にまかせることにして、ハッピーバースデイ!

カレシがバースデイディナーは「カニ!」と決めていたので、予定通りにグランヴィルアイランドへ出かけた。地下鉄駅から歩くなら、フォルスクリークの遊歩道沿いに20分程度なんだけど、今日は週日だから混んでいないだろうということで、車で乗り入れて一方通行の道をのろのろ走りながら駐車スペース探し。の下にある小さな島で、昔は工場がいくつもあったところ。今はセメント会社が残っているだけで、公共マーケットの他に、美術大学や劇場、地ビールや酒の醸造所、アーティストのスタジオなんかがひしめいていて、観光地にもなっている。今日は中国人の観光客がバス何台分か入っていた。

マーケットに入ってすぐの魚屋で水槽の中でごそごそと動いているカニの一番大きそうなヤツを選んで、茹でてもらっている間に他の店を見て回る。迷路のようなところで同じ場所を行ったり来たりながら、アジアの食品がある店ではゆず胡椒ソースと茎の付いている生姜、カラマンシという小さなライムのような丸い果物、それとsea asparagus(海のアスパラガス)というおもしろい名前の「塩味の野菜」。イタリア食品の店でオリーブを買い、別の魚屋でビントロの燻製1本とドイツ風にしんの酢油漬け。いろいろなハーブを浸してある量り売りのオリーブ油の壷がずらりと並んでいる店があって、見ているだけでもおもしろい。カニが茹で上がった頃に元の魚屋に戻って、袋に入れてあったのをもらって、今日の買い物は終わり。

今日のメニュー:
 つぶ貝とアスパラガスのにんにくバター焼き
 白魚のコーンミール揚げ
 ゆず味のエビとゆず胡椒味のキハダマグロ
 カニ半身、サンファイアのバター炒め

[写真] 冷凍で売っている剥き身のつぶ貝はざくざくと切って、にんにくとタイムでバター焼き。ついでにアスパラガスも入れて、彩りに。

[写真] シルバーフィッシュとして冷凍で売っている魚で、本当のところは白魚なのかシラスなのかはわからない。コーンミールと小麦粉を混ぜたものに絡めておいて、かき揚げ風にさっと油で揚げるだけ。買って来たばかりのカラマンシを半分に切って添えた。調べてみたら、カラマンシはタガログ語の名前で、英語名はcalamondin(カラモンディン)。熟した実はオレンジ色になるんだそうで、よく観賞用に売っているミニオレンジの親戚らしい。

[写真] 茹でて売っている小エビの剥き身はさっとゆずの果汁に漬け、キハダマグロはサイコロに切ってゆず胡椒ソースと醤油少々をからめただけのもの。箸休めみたいなもの?

[写真] 本命のカニ。このあたりの海で獲れる「ダンジネス蟹」はアメリカイチョウガニという種類だそうで、子供の頃によく食べた毛ガニと何となく味が似ていて、よく見ると太い方の足の縁に似たような「毛」がポヨポヨと生えているけど、毛ガニより甲羅の幅が少し広くて、足もちょっと長い。これは重さが1キロあって、半分ずつにしてもかなりの食べがいがある。付け合せはsea asparagus。ちょっとかじってみたら本当に塩味だったので、そのままさっとバターで炒めてみたら、コリコリした舌触りがおいしくて、はまってしまいそう。

「海のアスパラガス」と言う名前のわりにはちっともアスパラガスに似ていない。ヨーロッパではサンファイアと呼ばれているそうで、調べてみたら日本では「厚岸草」。え?釧路のそばのあの厚岸?でも、厚岸からはすでに姿を消してしまっているらしい。秋になると赤くなるのでサンゴ草とも呼ばれるということで、またびっくり。網走から紋別に向かうタクシーの運転手さんが能取湖のほとりを走りながらサンゴ草の話をしてくれた。前は一面に燃えるように真っ赤になったのが、最近あまり赤くならなくなったと。そうか、海のアスパラガスはサンゴ草だったのか。

つぶ貝に、毛ガニに似たダンジネス蟹に、厚岸草(サンゴ草)と、ちょっぴり北海道的な誕生日のディナーだったね。ハッピーバースデイ・トゥ・ユー!

悲観主義脳を楽観主義脳に変えることができる

8月9日。木曜日。起床はごく普通の午前11時半。天気はごく普通の20度(正午)。ちょっとばかりトロ~ンとした気分。きのうはカレシの誕生日のご馳走でおなかがいっぱいになって、真夜中のランチを省略したので、その分ゆっくりと寝酒とおつまみ。ここのところ減量するためにしばらく寝酒とつまみを控えていたカレシがグラスを2個出して来たので、ビントロの燻製とソーセージを肴に、2人してあれこれとおしゃべりしているうちに半分あったワタシのレミがほぼ空っぽ。たまにはいいね、こういうひとときも。

最近のMaclean’sにあった「楽観主義遺伝子」の記事の話になって、楽観主義と悲観主義、ポジティブ思考とネガティブ思考の違いについて、議論というか、ワタシがとうとうと講義をぶち上げたというか。でも、久しぶりに中身の濃い会話になった。研究によると、苦境に遭遇したときに、モノアミン酸化酵素Aという遺伝子が高発現型なら苦境からの精神的な回復力が強く、低発現型なら落ち込んだり、反社会的になったりしやすいらしい。また、セロトニン輸送体遺伝子にも高発現型と低発現型があって、高発現型の人は脳内配線が楽観主義になる可能性があるということだった。俗に「楽観主義遺伝子(optimist gene)」と呼ばれているのはこの高発現型セロトニン輸送体遺伝子のことらしい。

でも、人間というのは環境の産物でもあるわけで、楽観主義も悲観主義と同様に遺伝と人生経験と世界観が複雑に織り成すものであって、楽観主義遺伝子を持っていなくても楽観的な人がいれば、持っているのに悲観的な人もいる。遺伝子はパズル全体のひとつのピースに過ぎなくて、楽観主義、悲観主義を掌る脳内回路は人間の脳の中で最も可塑性の高い部分のひとつということだった。つまり、ものごとの明るい方を見る傾向のある人は、楽観主義遺伝子を持っていなくても脳内に「太陽がいっぱい」の思考経路ができるけど、暗い方ばかり見る傾向のある人はいくら楽観主義遺伝子を持っていても、「土砂降り」の思考経路ができるということらしい。この思考経路というのは要は脳内化学物質が流れる経路のことで、ちょっとした意識的な努力によってその流れを変えてやると、脳に物理的な構造変化が起こるんだそうで、まさに「脳内構造改革」というところ。

でも、きわめて可塑的な脳のことだから、逆に明るい方から暗い方へと流れが変わることもあるそうで、映画で強迫性障害で引き籠りになった億万長者ハワード・ヒューズを演じたレオナード・ディカプリオは、役作りのために強迫性障害の患者たちと交流しているうちに自分も強迫性障害になってしまったそうな。まあ、最近は強迫神経症的な人たちがずいぶん増えているような感じがするけど、「マインドフルネス認知療法」で衝動を抑える訓練を続けていると、やがて脳の眼窩前頭皮質という部分に同じような構造変化が起きるということで、悲観主義者にもこのテクニックを応用すれば楽観主義脳に変える効果があるかもしれないということだった。たしかに強迫神経症と悲観主義とネガティブ思考には「囚われる」という点で似たようなところがあるな。

ワタシたちはと見ると、カレシはどうやら根っからの悲観主義者で、思考パターンもかなりネガティブなんだけど、自分では悲観主義は親譲りだと言っている。そういえば、亡きパパは何にでもダメ出しをしては、些細なことでキレて怒鳴りまくっていた。(ちょっと異常に見えたこともよくあった。)そういうパパにいじられて育ったカレシは「土砂降り」とまでは行かなくても、「小雨しょぼしょぼ」型の脳内配線になってしまったのかもしれないな。パパは90歳で亡くなったけど、最後の何年かは認知症で妻のことも息子たちのことも忘れてしまっていた。一方でママの方は長いこと悲観的な考え方をする人だなと思っていたんだけど、最近は目に見えてポジティブ思考になって来た感じがするから、何十年もパパのような人と一緒に暮らした結果、「ディカプリオ現象」のようになっていたのかもしれない。「朱に交われば・・・」というから。

ワタシは(自己診断する限りは)かなり楽天的で、何ごとにも「Every cloud has silver lining(不幸中にも幸いあり)」がモットーになっているみたいな感じで、思考パターンもポジティブな方だと思う。(日本にいた頃はそうでもなかったかもしれないけど、だとしたら環境と世界観が変わったせいだろうと思う。)これでもいったんこうと決めたら、そのまま突き進んで後ろを振り向かない(後悔しない)ところがあるから、それで楽観主義的に見えるのかもしれないな。ワタシとしてはちゃんと状況を分析して、合理的に取捨選択して納得して決めているつもりだから、後悔することがあまりないんだろうと思う。まあ、ワタシの脳内はお日様が照っているけど、少なくともポリアンナのような「一面のお花畑」ではなさそう。じゃあ、カレシの脳内はどんな風景なんだろう・・・。

ものごとを悔やまない人生は生きやすい。後ろ向きよりも前向きの方が自分を好きになれるし、人間としての自分を好きなら、他人も人間として好きになれて、やさしくなれる。悲観主義でネガティブな人は自分のことを好きになれなくて、そのせいで他人も好きになれないんだろうと思う。特に楽観的でポジティブな人に我慢がならなくてイライラしたり、そういう人の一挙手一投足、はては存在そのものまでが気に食わなくて、モラハラで「ディカプリオ現象」を起こさせて、自分と同じネガティブな悲観主義に「構造改革」しようとしたりするのかもしれない。でも、そういう脳の配線を悲観主義思考から楽観主義思考に変えられる「マインドフルネス脳構造改革法」みたいなテクニックが確立されたら、みんなもっと生きやすくなるんじゃないかと思うんだけど。

生姜のゆで汁を捨てるのがもったいなくて

8月10日。金曜日。まあまあの天気。正午の気温は20度で、こっちもまあまあ。何でもこれから2ヵ月ぐらいの間にエルニーニョが発生するらしい。ということは、この冬は暖冬傾向になるのかな。先に起きて菜園の水遣りをしていたカレシにそう言ったら、「だったら冬の野菜作りを考えないとなあ」。エルニーニョの冬は暖かめで雨が多い。ハワイ方面から「パイナップル特急」と呼ばれる嵐が団子になって来たりするけど、寒波やドカ雪よりはずっと楽でいい。ドカンと来ても液体だったらシャベルがいらないし、それに、暖冬になると温室の暖房費もかなり削減できるしね。

今日はちんたらちんたらと仕事。2つ団子になっているんだけど、いつもの調子で、まだ納期まで余裕があるからいいかとのんびりモード。でもまあ、ひとつ目のはあまりおもしろくもない短い記事の集まりなので、ひとつの章をやってはだらだらのペースでもいつの間にか進んでいるからおもしろい。年金が入って来るようになったら、こういうペースで仕事をするといいのかもしれないな。仕事のログを見たら、今年は5月のうちに低調だった去年1年の実績を越えてしまっているし、今現在でもうその前の年の10月中旬のラインまで行っている。まずいなあ、これ。税金がど~んと跳ね上がってしまう。友だちにも「年相応の仕事量にしなさいね」と言われたことだし、今年はもうのんびりしてもいいかな。

でも、「年相応に」と言われても、いったいどの「年」にふさわしくあるべきなのか、そこが問題。ある新聞サイトを見ていたら「年不相応の時代」なんてコラムがあったけど、ワタシの暦年令は64歳で、まだシニア割引を利用できない。体の「生物学的年令」はとなると、いくつくらいなのかなあ。気持の上の年を示す「心理的年令」というものもあるとして、そのものさしで計ったら、ワタシは「アラ何」なんだろうな。そもそも「老い」というのはいったい何歳から始まるのか。日本のサイトを見ていると、(何を売っているのか知らないけど)「42歳?カワイイ」なんて広告があって、40代にもなって「カワイイ」はないだろと突っ込んでいたら、今度は「52歳、会社に行きたくない」とか「52歳、もう許してほしい」(いったい何を許すの?)なんて、老け作りのモデルが訴えるような悲愴な顔。あれ、そちらは52歳でもうへたれちゃうの?ワタシなんか64歳なんだけど~(ま、早々にへたれてくれないと製品が売れないけど)。近頃は「年相応」のものさしも多様化してしまって、いったいどれにあわせて仕事量を調節したらいいのやら・・・。

今日の夕食メニューはカレシのリクエストで極楽とんぼ亭自慢のフィッシュアンドチップス。「フィッシュ」はソースに漬けた魚にパン粉をまぶしてフライパンで「揚げる」もので、「チップス」は太いスティックに切ったいもをほとんど油を使わないティファールのフライメーカーで作るから、どっちもごく簡単。カレシがサラダ用のドレッシングを作っている間に、おととい見つけて来た新生姜で「しょうがの甘酢漬け」を仕込むことにした。日本から帰ってくるときに妹が印刷してくれたレシピの分量を(大雑把に)調節して、まずレシピの通りにナイフで皮をこそげて、薄切りしたのをちょっと長めに茹でた。しょうがの味がたっぷり出たゆで汁を捨てるのはもったいない気がして、ざるに空けるときに汁はボウルに取っておいた。甘酢を作っておいて、冷ましている間に食事。終わったところで、生姜と甘酢をビンに入れて蓋をして、食べごろになるまで1週間。カレシには「1週間だからね」と釘を刺しておく。

さて、生姜のゆで汁。どうしようかと思案しているうちに、ソーダ水で割って飲んでみようと思いついた。ただし、辛いくらいの生姜らしい味なので、蜂蜜と砂糖を少し入れて煮立てて、半分くらいに煮詰めてみた。これを冷まして、自家製のソーダ水で割って飲んでみたら、おお、ジンジャーエールのような味わい!甘みを控えたこともあって、市販のジンジャーエールより薄味ではあるけど、我が家の「ジンジャーソーダ」はさっぱりしていておいしい。カレシも半信半疑で飲んでみて、「うん、なかなかイケる」。どうやって作ったのかと聞くから、ゆで汁で生姜シロップを作ったと言ったら、「キミっておもしろいことを思いつくねえ」と来た。でも、ドレッシングにもカクテルにも使えそうだとのことで、おお、やったぁ~。1個の生姜から甘酢漬けとシロップの2通り。極楽とんぼ亭シェフの「思いつきクッキング」は大成功というところかな。これからもときどき新生姜が手に入るといいなあ・・・。

仕事に割り込んで来る雑念と雑事

8月12日。日曜日。起床は正午をちょっと過ぎたところ。なんだか今日はまた暑くなりそうな気配。天気予報を見たら、4、5日は暑そう。でも、遠い郊外チリワックのトウモロコシ農場にはうれしい話だろうな。

きのうは前の日からちんたらやっていた仕事を朝食後に片付けてしまって、後は休みにする心積もりでいたのが、いつもの調子でカレシが「キミの今日の予定はどうなってるの?」とメモ用紙をひらひら。仕事が~と濁していたら、「いろいろ行くところがあるんだけど、午後いっぱい時間を取れる?」ともうひと押し。聞いたらどれもひとりでできそうな買い物だけど、納期まで丸一日あるから、まあ、いいかな。お目当てはBest Buy。コードに躓いてコンピュータの全面にあるUSBコネクタを壊してしまって、メーカーのDellに聞いたら「部品があるかどうか3週間後にもう一度電話して」と言われたとカンカン。まあ、インドあたりにあるコールセンターでは埒は開きそうにない。そこで、一番近いBest Buyに相談することになった。

ついでにキッチン秤のボタン電池を買うというので、現物を持って行くように言っておいたのに、車の中で確認したら、「あ、忘れた。どこにあるの?」と来た。おいおい、どこにあるのって、アナタがどこかにしまったんじゃないの。なんでアナタのしまい込んだ場所までいちいちワタシが覚えてなければならないのよっ、とひと悶着。んっとに、もう。急がないということで、車は家の前を素通り。あ~あ。カレシにも必要だなあ、「マインドフルネス行動療法」っての。いつも上の空というわけじゃなくて、なくさないように気配りしていても、どこにしまったか忘れてしまうから始末が悪い。リスみたいだよね、アナタ。リスは木の実をあちこちにしまい込んで忘れてしまうんだって。だから、ときどき庭の隅っこにトチノキやヘイゼルナッツの木が生えて来るわけ。電池もそのうちデスクのどこかで芽を出すかも・・・。

USBコネクタの方は300ドルか400ドルで修理できることがわかって、カレシは「ほっ」。あんまりモノを壊さないでほしいんだけどなあ。(酒屋でまた空き瓶をひと箱返して、もう空になってしまったレミとアルマニャック、それとワインを数本。向かいのWhole Foodsで、お気に入りのグラノーラと松の実、それとトマトにインゲン。大きな段ボールにどんとあったのはチリワックで採れたトウモロコシ。おお、なかなか気温が上がらなくて心配したけど、そろそろ熟し始めたらしい。3本で2ドルは少々お高いけど、アメリカの旱魃でトウモロコシの先物価格は急上昇・・・はそれほど関係ないか。太くて先まで実の入ったのを3本。後は塊のパルメザンチーズとペコリーノ2種類。そして、つい大きな赤いタイを丸ごと一匹。ニュージーランド産の「野生」のタイ。やっぱりいつも買う黒いタイよりも格段にエラソーな顔をしているなあ。どうやって料理しようか・・・。

ゆず胡椒で味をつけた巨大なタイガーエビとアヒまぐろのグリルと1本半の茹でトウモロコシで、ちょっと夏らしい感じの夕食。自家製のジンジャーソーダがこれまたウマい!ほんのりと生姜味であっさり、さっぱり。ソーダとの割合を変えればもっと生姜の味がするけど、ほんのりも乙なもので、病み付きになってしまいそう。満腹で気合が入らないもので、夜にずれ込んでしまった仕事を相変わらずちんたらちんたら。内容がおもしろければそれなりに気合も入るけど、会報みたいなものだから「自己礼賛」が多くてワタシは関係ないけど白けっぱなし。途中でカレシが今度はテレビが映らないとかなんとかぶつぶつ。放っておいたら、だいぶ経ってリモコンの押さなくてもいいボタンをうっかり押したせいらしいとの報告。あ~あ。やれやれ、仕事の方はとうとう今日に持ち越してしまった。何なんだろうな、このだらけっぷり。夏だからなのか、それとも雑念が多すぎるのか・・・。

どうもこの2、3日、不思議な「雑念」が頭の中をぐるぐる。どうも、楽観主義遺伝子の記事の中に俳優のレナード・ディカプリオがハワード・ヒューズ役になり切ろうとして自分も強迫性障害になってしまったという話があったのがきっかけのような気がする。ちょっと気取ってブログにも「ディカプリオ現象」なんて書いたけど、ふっとワタシ自身の中にずっとあった「どうして?」という問いの答もそこにあるんじゃないかと思ったら、そっちの方へ思考が流れるばかりで、仕事に集中しにくくなってしまった。まあ、ワタシにしつこく付きまとって来た自問自答の問題だから、敵もなかなかしぶとい。

でも、なんかすごく重要そうな感じのする「雑念」だから、ゆっくり考えてみることにして、流れ星が見えるかどうか、外に出てみるかな。さて、いくつの星にお願いができるかなあ・・・。

流れ星にお願いしてみようか

8月13日。月曜日。また暑くなって来た。向こう1週間の天気予報は「Sunny(晴)」の字とお天道様マークがずらり。まるで「コピペ」ってやつで、こんな楽ちんな天気予報はない。週中には内陸の郊外で31度、ということは海風の通る我が家のあたりでも25度を超えるのかな。

ゆうべ家の前に立って夜空を眺めていたら、流れ星が見えた。たったひとつだったけど、すごく明るくて、大きいのが頭上をツツ~ッと飛んで行った。感動しすぎて願いごとをするのを忘れてしまったけど、まあ、元々ほぼ瞬時に消えてしまう流れ星に願いごとをするなんてムリな話。それでもロマンチックではあるな。まあ、何かにお願いするという、ある意味で他力本願な行為ほどロマンチックなオーラが強いように思う。ワタシとしては「獅子奮迅のがんばりでまっしぐら」という方に大いなるロマンを感じるけど、それをやっている人の自己満足とか自己陶酔にすぎないと見る人には、ロマンチックでも何でもないのかな。

でも、七夕では星に願いをかけることになっている。子供の頃に短冊に何か書かせられて(北海道には竹がなかったから)柳の枝に結びつけたのを覚えているけど、1年に一度だけ一緒に遊ばせてもらえる彦星と織姫に下界の子供の「願いごと」に付き合っているヒマはないんじゃないかと思っていた。釧路の七夕は8月7日で、本来の七夕は7月7日だから、元からワタシの願いごとが彦星と織姫に届くはずはなかったわけだけど。まあ、短冊に願いごとなんてのは学校の授業で書かされるから書いたまでのことで、ワタシたちの七夕の楽しみは近所を回ってろうそくを要求することだった。あの頃は子供が多かったから、年長児から幼児までが群れて、「ろうそく出せ、ろうそく出せ、出さないとかっちゃくぞ」と大声で囃し立てて回った。ちなみに「かっちゃく」といのは「引っ掻く」という意味。こっちのお願いはちゃんと叶って、どこの家でも仏壇用の細くて短いろうそくをくれたように思う。

年末年始からの仕事のストレスで増え、さらに日本で3週間も食べ道楽してさらに増えた体重。帰って来て1キロだけ減ったけど、まだ目標の上限を1キロほどオーバーしたままで、このまま高止まりしそうな予感。服のサイズは変わっていないけど、おなかのあたりがちょっときつくなったのは否定できない。そこで、CDC(アメリカ疫病対策センター)のサイトでちょっとBMIを計算してみたら、22.5になっていた。24.9までは「正常」ということだから、「太った」と騒ぐ数字でもないんだけど、首が短くて、顎の先から喉までも短いワタシはこれでももろに「二重あご」。寝酒と肴が元凶だということはわかっていながら、少し減らそうかな~と思ってみるだけのワタシ。でも、BMIの結果の下の方を見たら、「あなたの身長では体重の正常値の範囲は101ポンドから136ポンドです」と書いてあってびっくり仰天。え、正常範囲の「上限」が62キロ?ということは、まだ肥満になるまでの「余地」がたっぷりある・・・?

さて、日本ではお盆休みのはずなのに(休みだからかもしれないけど)どかっと入って来た仕事。先約の仕事もまだ少し残っているから、今日とあしたは大車輪。ストレス食い(飲み)して体重を増やさないように気をつけなきゃね。うん、今夜も空を見上げて、流れ星に「これ以上太りませんように」とお願いしようかな。流星群なんだから、ワタシの願いごと、たくさん流れる星のどれかには届くかもしれないね。まあ、とりあえずは、ねじり鉢巻で行くっきゃないけど・・・。

眼底検査、網膜は異常なし

8月15日。水曜日。暑い!正午でもう25度。おまけに眠い!というのも、ゆうべ(というか今朝)は仕事が完了したのが午前4時40分。それからシャワーを浴びて、おなかが空いていたもので肴を出してきて寝酒。就寝は午前5時を過ぎていたけど、今日は掃除の日なので、いつものように正午に到着したシーラが外から携帯でモーニングコール。眠いなあ・・・。

想定外の夜なべ仕事になったのは、今日の午後に網膜が専門の眼科に予約があったのを忘れて仕事を入れてしまったのがそもそものの始まりで、おとといの夜から始めたのはいいけど、何ともややこしい。何とかかんとか法の第何条何項何号には・・・なんてのがぞろぞろ出て来るから、法なびで公式の英訳版がないかどうか調べるんだけど、ぜんぜん出て来ない。けっこう国際的に問題が起きそうな分野なんだけどなあ。(ややこしいから、まだ英訳版がないのかもしれないけど。)ちんたらやっていて突如思い出した眼底検査の予約は午後2時20分。終わって帰って来れば4時近く。納期は午後5時で、少しは余裕があるけど、問題は瞳孔を拡大されてしまうので一時的に「視覚障害」になってしまうこと。神聖な納期を外すわけには行かないから、結局はさあ大変だ~とねじり鉢巻の大車輪で仕上げて、寝る前に送っておくはめになったわけだけど、やれやれ、きつかった~。

家を出た午後1時半すぎのポーチの気温は27度。この夏一番の暑さじゃないのかな。郊外ではとっくに30度を超えているだろうな。テレビの天気予報では、heat wave(熱波)の到来で週末までは暑い日が続くという話。日本語では「寒波」という言葉は使うけど、「熱波」は聞かないな。そういうのとはあまり縁がなかったからわからないけど、「猛暑」というのが普通なのかな。逆に英語では、少なくともアメリカ、カナダでは夏になると「heat wave」と言う言葉がメディアを賑わすけど、(特に東部で)よくある大寒波のときでも「cold wave」という言葉は聞いたことがない。ごく短期間の冷え込みなら「cold snap」、いつまでも続くときは「in deep freeze(冷凍状態)」と言う表現がよく使われる。寒気が波のように押し寄せてくるのではなくて、前者のときはカチッと凍ってしまう感じ、後者のときは寒気が「どかっと居座った」感じになるからだろう。ま、「熱波」はその名の通り、寄せて来たら、そのうち引いてくれるから、いいか。

ロス先生の待合室はいつも患者でいっぱい。ほとんどが70代、80代らしい高齢者で、30代くらいの若い人はめったに見かけない。助手の人に検眼してもらい、コンタクトレンズを外して、瞳孔を拡大する薬を点眼してもらったら、待合室に戻って雑誌を読む。だんだんに視界がぼやけてきて、先生に呼ばれた頃にはほぼ手探り状態。診察室の椅子に座って、先生が猛烈に明るい光をあてて眼底を観察するんだけど、まぶしくて目が眩んでしまう。その後で別の機械の前に座って、また強烈な光。「異常なし」と言われて診察室を出たら、世界が緑色に見えたり、紫色に見えたり。先生が「じゃあまた来年」と言うので、1年後の予約をもらって、コンタクトレンズを入れて帰途につく。また来年ってことは、毎年この時期に検査をしてもらいに来なければならないということか。まあ、右目の中に大きな浮遊物があるからだろうな。でも、このクリオネみたいな黒い浮遊物はもう20年以上もふわふわと浮いていて、いつも目の前に見えているけど慣れてしまって気にならないしろもの。まあ、目が見えなくなって困るのは誰よりも自分だから、ではまた来年・・・(ロス先生は引退しないの?)。

ビルの外へ出たら、かんかん照りなもので、サングラスをかけていてもまぶしくて、それなのにもや~っと霧がかかったような視界不良の状態。何でこんな日にこんな検査をしなきゃならないの~と思ってしまう。それでも、無事に帰り着いて、鏡を見たら、キャ~ッ、エイリアンがいる!なにしろ瞳孔がまだいっぱいに開いているから、目は全体がほんとうの黒目。底知れないような真っ黒な2つの目がこっちを睨んでいるから、自分の目だとわかっていても、いささか気味が悪い。視界もやもやのままで夕食の支度を始めたけど、窓越しにガレージの壁に当たる日差しがまぶしくてひと苦労。テーブルからあれこれ話しかけて来るカレシの方を見ると、後ろの窓から入る西日がまぶしくて、うわっ、カレシ、後光が差してるみたい。もやもやのまま料理をして、もやもやのまま夕食を食べて、なかなか晴れない霧の中から目を細めてメールを読んで、そうこうしているうちにだんだん世界の輪郭がはっきりして来た。鏡を見たら、茶色の目の真ん中に小さな黒い点がぽつん。ああ、やれやれ、いつものワタシの目・・・。

今日は暑いから、真夜中のランチは冷たいそうめんにしよう。明日の予報は晴れ、最高気温27度(体感温度30度)、最低気温18度。真夏日だ。ま、涼しいオフィスにこもって、次の仕事にかかるとするかな。