リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年6月~その3

2011年06月30日 | 昔語り(2006~2013)
ルーツを求めての旅は自分探しの旅

6月21日。火曜日。夏至。公式に夏初日。日の出午前5時7分、日の入り午後9時21分。標準時なら午前4時7分に日が昇って、午後8時21分に日が暮れる勘定になる。この頃は就寝時間の午前4時過ぎにはもう空が明るくて、鳥の声を聞きながら眠りにつくんだけど、これからだんだん日が短くなっていく日が夏の始まりってのはなんとなくヘン。まあ、西洋のカレンダーには「立夏」というものがないから、しょうがないか。年に2度ある「至」を英語ではsolsticeというけど、語源のラテン語では「太陽が立ち止まる」と言う意味だそうな。太陽が天高く行くところまで行き着いて、ふと立ち止まって、今来たこの道帰りゃんせ・・・想像してみたら、なんだかわかったような。

今日は久しぶりに20度を超えた。低温だった4月、5月に次いで、6月も今のところ平均気温が平年より1度低く、日照時間も少ないそうで、地元のメディアは1月のJanuaryと6月のJuneをくっつけて、Junuaryと洒落てみせて、夏が待ち遠しくてイライラする気分を何とか盛り上げようとしている。だけど、暑すぎないおかげで、今ごろスナップえんどうがどんどん実るし、ほうれん草はどんどん新しい葉を出してくれているから、ま、のんびりと夏を待つことにしようじゃないの。

きのうやり残した仕事を済ませて、日本はまだ早朝だけど早々と納品してしまって、カレンダーを見たら仕事が入っていない。いつもの火曜日だったら、あたふたと仕事をして、キッチンに駆け上がって夕食の支度をして、英語教室にカレシを送り出して、ひと息つくかまたは仕事だけど、今日は後がないから、ゆっくりとキッチンに行って、ちょっと念入りに(だけど簡単なグリルで)夕食を作って、出かけるカレシを玄関までお見送りして(あ、これはいつもやるけど)、腹筋と背筋と胸筋の運動。ひと汗かいたところで、めったにないひとり風呂。まあ、カレシと一緒だと背中をごしごしと擦ってもらえるんだけど、ひとりもたまにはいい。アガサ・クリスティはお風呂でりんごを食べながら本を読むのが好きだったそうだけど、そういえば、バスタブに架け渡すトレイをどこかのカタログで見たことがあったな。ワイングラスとおつまみの小皿と火のついた小さいろうそくが載っていた。いい湯加減でリラックスもいいけど、なんだかふやけてしまいそうだなあ。

忙しくない日に朝食後にやる読書、ケルアックの『On The Road』を読み終わって、今度はビル・ブライソンの『The Lost Continent: Travels in Small-Town America』(1989年出版で、日本語訳はないらしい)。イギリス暮らしが長かった作者(今はまたイギリス暮らし)がアメリカに帰っていた間、子供の頃に見た映画の背景に必ずあった「典型的なアメリカの田舎町」を求めて、生まれ故郷のアイオワ州デモインから出発する。少年時代に家族旅行で通った道を辿り、アメリカの中西部のど真ん中のど田舎地帯を、点在する同じような風景の小さな町から町を通過する。ただし、その点と点の間の距離がものすごく長くて、イギリスサイズに慣れていたブライソンは改めてアメリカの広さを実感する。ちょっと止まるのがめんどうだから「次の○○でいいか」と先へ進むと、道路の標識に「○○まで120マイル」と書いてあったりする。120マイルは200キロ近い遠さ。やっと着いたら、次の町もガソリンスタンドに食堂に農機具屋に町役場のある広場で、衰退の影がありあり・・・。

ブライソンはワタシとほぼ同年代だから、ちょうど1950年代のアメリカのモータリゼーションを見て育ったはず。車を持った世代が郊外へ郊外へと移動し、大きなショッピングセンターが続々とでき、小さな町の若者たちはどんどん都会を目指し、アメリカ開拓のバックボーンだった小さな町が寂れ始めた時代だったかな。デンバーからテキサス州オースティンへ飛んだときは、飛んでも飛んでも山ひとつ見えない平原地帯。灌漑アームの長さを半径とする丸い畑がどこまでも重なるように続いて、まるでモンドリアンの幾何模様の世界。ニューオーリンズからロサンゼルスへ向かう途中でアリゾナ州の上空を飛んだときは、半ば砂漠化しただだっ広い平野にどえらい間隔で点在する町が見えたし、砂漠に飲まれて行くゴーストタウンの輪郭も見えて、100年前には開拓精神に溢れたコミュニティがあって人間の営みがあったんだろうにと思い、自分でもよくわからない漠然とした悲哀感にため息をつきっぱなしだったな。カナダも広いけど、アメリカも広い。とにかく、とほうもなく広い・・・。

そういえば、アメリカにはそのとてつもなく広い大陸を旅する本や映画が多いなあ。「真のアメリカ探し」、つまるところは「自分探し」の旅に駆り立てられるのは、あまりにも広くて、あまりにもいろんな面で多様で、それがあまりも遠いからなんだろうか・・・?

網膜検査で視界はもやもや

6月22日。水曜日。うわ、いい天気。予報はまた下り坂らしいけど、今日はまだ何とか20度を超えそうだな。この年になってもカジュアルな外出着はTシャツにジーンズで、Tシャツの下は実は内でも外でもブラだけ。春夏秋は、気温10度前後なら半袖にジャケット、15度を超えたら少し長めの半袖でジャケットなし、20度を超えたらぐんと短い半袖、25度前後になったら肩丸出しのタンクトップという基準になっている。このいでたちだと、背中をしゃんと伸ばして、おなかの贅肉をぐっと引っ込めて、脚全体で大またに歩かないとサマにならないので、ちょっとした美容効果?もあって、けっこう心身ともにいい運動になる。

今日は網膜の専門家に検査をしてもらう予約があったので、起きてからコンタクトを入れないままで家の中をうろうろ。鼻先20センチ以内はよほど細かな字でなければまったく問題なく見えるけど、その先は視力0.008の世界。ものが二重三重に見えて、ちょっぴりシュールレアリズムっぽいところがある。こればかりは視力に恵まれた人には想像がつかないかもしれないな。どっちみち外すんだからと思っていたけど、地下鉄の駅までとドクターのオフィスまでけっこう歩くので、ちょっと心配になって土壇場でやっぱりコンタクトを入れることにした。午後2時過ぎ。気温は20度。そよ風のなんとも心地の良いこと・・・。

ロス先生のオフィスのある辺りは総合病院に近いこともあって、メディカルビルディングという、医者のオフィスばかりのビルがいくつもある。一階にはたいてい薬局や医療用品の店があったりして、薬を処方されれば帰りがけに寄ればいいから便利なもんだと思う。まあ、医療費予算の逼迫と医者不足で、専門医のところへ行くまでがけっこう大変なんだけど。ロス先生は眼科でも網膜と水晶体が専門。左目に飛蚊ができた頃にときどき視界の隅で閃光が見えたので、念のために検査をしてもらおうというのが今日のおでかけの目的。待合室にはやっぱり年配の患者が圧倒的で(たぶんワタシも「年配」の内に入るんだろうけど)、まず視力検査をして、コンタクトを外して瞳孔を拡大する薬を入れて、待合室でしばし雑誌を読み、十分に開いたところで、眼底の写真を撮って、またしばし読書。それから先生のオフィスに呼ばれて、網膜を診てもらう。あっちを見て、こっちを見てと言いながらまぶしい光を当てるもので涙がボロボロ。先生曰く、「ほお、右には大きなフローター(飛蚊)があるなあ」。はい、もう20年も付き合ってます。でも、最後は「問題なし」。はあ。ついでに、先週から白目に出血して、黒目の縁にポチッと白っぽい切り欠きのような点ができていたのを診てもらって、これも「心配ない」。ほっ。はあ・・・。

目が見えないと商売にならないから、「異常なし」の診断はうれしい限り。それでも、1年後にまたおいでと言われて、来年の8月の予約をもらって来た。カレシも同じ検査をして何も言われなかったから、やっぱり何か「要観察」みたいなことがあるのかなあ。ま、それは来年になったらわかるだろうということで、五里霧中でなあんにも見えない目にコンタクトを入れて、外へ出たら、わっ、まぶしい!サングラスをかけても涙が出るくらいまぶしいのに、視界はもやがかかったような感じ。勝手知ったあたりだから良く見えなくても困りはしないけど、初めての場所だったら迷子になったかもしれないな。地下鉄の駅で時計を見たら午後3時50分。切符は3時54分まで有効だから、そそくさとホームへ下りて、帰りの電車に乗り込んだのは3時53分。やった、また1枚の切符で往復・・・。

家に帰り着いたとたんにカレシがワタシの顔を見て曰く、「わっ、エイリアンだ」。まだ瞳孔がいっぱいに開いたままなもので、ほんとにエイリアンの目。見えることは見えるけど、まだもやもやが晴れなくて、ちょっと頭痛気味。夕食の時間で、よく歩いておなかがすいたけど、めんどうな料理はしたくないから、極楽とんぼ亭シェフ得意の「機内食風」ということにした。午後いっぱい庭仕事をしていたカレシもめんどうだからと、ビュッフェ風サラダ。ということで・・・

[写真] チラシ航空の機内食は、刺身用食材を流水で半解凍して、冷凍してあった寿司飯を温めて冷ましてちらし寿司(ビンナガ、サケ、ハマチ、タコ、トビコ、エビ、ウニ。カレシはウニを食べないのでエビとサケを余分に乗せた)。それにアサリとねぎのおすまし、枝豆の酢の物、大根おろし。

[写真] 方や、カレシのサラダ航空は、ワタシがラディッキオがあまり好きではないので、多種多彩な野菜を混ぜないで、大皿に盛大にてんこ盛り。ワタシにはラディッキオの代わりに大好きなベビーにんじんを全部くれた。ありがと・・・。

ピンボケ料理でおなかがいっぱいになったところで、薬が切れて、だんだん視界が開けてきた。さて、問題なしで安心したことでもあるし、あしたはまた仕事しなくちゃ・・・。

審議は続くよ、ど~こまでも~

6月23日。木曜日。せっかくいい気持ちでぐ~っすり眠っていたのにカレシに「お~い、眠りヒメェ」と起こされた。やれやれ、眠り姫を起こすのは100年早いって、アナタ。予報に反して雨は降っていないけど、また涼しい。今日は20度まで行かないだろうな。日本はもうとっくに猛暑到来らしいけど、その暑気を4度か5度くらい分けてもらえたらいいのになあ。

郊外の農場のイチゴがやっと色づいて来て、どうやらこの週末には客自身が欲しいだけ収穫するU-pickがオープンするらしい。揃って勤め人だった頃は毎年のように長靴を履いて、バケツを持ってイチゴ採りに行ったっけ。だいたいは今くらいの時期で、シーズンは終わりに近かった。半屈みになって割り当てられた畝を端から端までバケツ2杯くらいのイチゴを摘むのはけっこうな労働だったけど、それを処理するのも大仕事で、帰ってすぐに洗ってジャム作り。何回かに分けて、夜中過ぎまで立ちっ放しでひとりで1年分のジャムを作った。フリーになったら週末がなくなって、イチゴ摘みもジャム作りもそれきりご無沙汰。カレシに、ワタシが65になって「半引退」になったらまたやってみようかなと言ったら、「今度はボクも手伝うから」とけっこう乗り気な返事。(ふむ、「今度は」ということは、昔まったく手伝いもせず、ひとりさっさと寝てしまったのを悪かったと思ってるのかなあ・・・?)だけど、ホームメードのジャムはおいしかったよね。

連邦議会では郵便組合に職場復帰を命令する法案を審議中で、野党第一党になった社会主義の新民主党が「労働者」のために審議の引き延ばしを図ると言っていたのが、ちょっと方向転換して、法案修正を受け入れるなら賛成してもいいと言い出した。それに対して労働大臣が「考えてもいい」と、なんかおもしろそうな展開になって来た。政府の法案には今後4年間のベースアップの率まで織り込まれていて、それが何とロックアウトの前に使用者側が提示した率より低いから、交渉が妥結する前に法案が成立したら組合員は「ごね損」をすることになる。そこを議会で突かれたハーパー首相は「公務員の平均的な賃上げ率だから妥当。政府は影響を受けている国民生活を最優先している」と一蹴。いくら野党が引き延ばしを図ったところで、多数政権だから法案は早晩成立する。その上での野党からの「修正要求」とそれに対する政府の歩み寄りの姿勢なわけで、政府が「賃上げ率」の部分を引っ込めて修正法案が通れば、郵便が動き出して国民は満足し、ロックアウトも職場放棄もできない労使は妥協するまで好きなだけ団体交渉を続けて良しということになる。うん、政府の戦術だとしたらすごいな。

とりあえず野党の「引き延ばし作戦」が始まったけど、この妨害戦術がフィリバスター(filibuster)と呼ばれるもので、英和辞書には「少数派議員が法案の通過を妨害するために行う長演説」と書いてある。法案が表決にかけられるのを少しでも遅らせようとするもので、弁舌の立つ人がひたすらああだこうだとしゃべり続けんだけど、すごいのになると延々と何時間も演説をぶつ猛者もいる。(ローマ時代の元老院でもすでに似たような戦術が使われていたらしい。)カナダの記録はせいぜい数時間だけど、アメリカでの個人記録の保持者は百歳になるまで上院議員を勤めたストロム・サーモンドで、なんと24時間18分というから、強靭な体力とそれ以上に強靭な神経がないとできないなあと思う。

日本では昔よく国会で社会党や共産党が「牛歩戦術」というのをやっていたけど、あれは法案を表決する段階になってから、投票札を持ってそろっとと一歩、またそろっと一歩という具合にのろのろ戦術による引き延ばし。今はどうか知らないけど、あの頃は野党議員たちが議長席に押しかけて与党議員と乱闘になることもあった。今じゃあ、与党も野党もとってもそんな体力はないだろうな。日本で最初にフィリバスターをやったと言えそうなのは、長州藩が外国艦隊に下関を砲撃されて惨敗したときに和平交渉に送り込まれた高杉晋作かな。臨時に家老かなんかの養子になって偉そうな肩書きをもらって乗り込んだ晋作は、居並ぶ外国人を相手に(日本語で)神代に初まる日本の歴史を滔々と語り続けたもので、相手が音を上げて、藩の領土を租借されずに済んだという痛快な話があるそうな。たしか、イギリスの通訳アーネスト・サトウの著書にそんな記述があったと思う。タイムマシンがあったら聞きに行ってみたいもんだな。

時差が3時間先のオタワではもう「東山三十六峰(あるいは議事堂の丘)草木も眠る丑三つ時」だけど、法案の「審議」はまだ続いているらしい。ごくろうさま・・・。

今どきの・・・というと笑われるけど

6月24日。金曜日。またなんか涼しめだけど、まあまあの天気。「今年の夏は気温が高めで雨が少ない」って、本気で言ってるのかなあ。まあ、バンクーバーの短い夏は文字通りの「乾期」だから、ちょっとくらい暑くてもべとべとしないし、日陰に入ればすぅ~っと涼しいので実に快適だから、ま、おととしのような、30度を超えるような「記録的な猛暑」にならなければそれでいいか。

正午少し前に起きてテレビのニュースを見たら、議会ではま~だフィリバスターをやっている。始まったのはきのうの午前中だったはずだけど、新民主党の議員が入れ代わり立ち代わりでだらだらとしゃべっている。先の総選挙で、どうせ勝てっこないということで、ケベック州で大学生などの若い「泡沫候補」を大量に立てたら、何と大半が当選してしまったんだけど、議会政治はまだひよっこ過ぎて頼りにならないとしても、少なくとも大学での徹夜のどんちゃんパーティに慣れているだろうから、体力では頼りになるかもしれないな。フランス語圏の選挙区の候補になったけど、フランス語はダメ、選挙区に行ったこともなく(たぶんどこにあるかも知らず)、選挙中にラスベガスに遊びに行ってしまって物議をかもした元パブのマネジャー嬢議員が、なにやらぼそぼそ意味不明なことを言っているのが映っていた。世論調査では国民の70%が政府を支持しているそうで、あまりいつまでもひとつの労働組合の高給取りの「労働者」のために引き延ばし戦術をやっていたら、せっかく大躍進した新民主党の支持率が下がってしまわないのかな。

いつも日本へ夏と冬のプレゼントを宅配してもらっているところから、カタログが届いたかどうかと言う電話が来た。ん、届いてない。どうやらロックアウトの直前に発送したらしく、どこかで立ち往生してしまったらしい。そうか、通販会社はすごい迷惑を被っているだろうな。LLビーンやランズエンドのような大手なら普段から急ぎの注文はFedExやUPSだから問題はないだろうけど、カナダポストが通関まで請け負っている小さな通販会社はカナダ向けの商売が上がったりで辛いところだな。契約を破棄して宅配便に切り替えるところもずいぶんあるかもしれない。(そういえば、テレビで普段見慣れない宅配会社のコマーシャルがあった。)ま、これがゼロサム・ゲームというやつかな。捨てる神あれば拾う神あり・・・どっちにとってかはわからないけど。

地元の新聞サイトからビクトリアの地元新聞のサイトに入ったら、え、今頃あの「日本人留学生」の裁判をやっているのでびっくり。事件があったのは去年の9月頃じゃなかったかなあ。日本の地方大学(九州だったかな?)からビクトリア大学に語学留学に来た女子学生が、ホームステイ先で出産して、生まれた赤ん坊をビニール袋に入れて捨てたという事件で、異臭に気がついたホストマザーが発見したときは腐敗が進んでいて、検死解剖でも死産児か生産児かは判断できなかった。誰も妊娠に気づかなかったので流産だったかもしれないとも言われていた。日本から母親が駆けつけたり、裁判所に出頭したりして大変なことになっていたけど、決着がついて日本に帰ったとばかり思っていた。

それが今頃、それもいきなり州最高裁判所での2週間の陪審員裁判というから重大犯罪の扱い。記事には赤ん坊は女の子で満期の正常分娩、死因は不明という検視医の証言が載っていた。ビクトリアに来てあまり日が経っていなかったようだし、二十歳の大学生なら自分が妊娠しているのを知らなかったはずはなさそうだし、何を考えて臨月のおなかを抱えてカナダまで来たんだろうな。裁判の記事を遡っていくと、「出産」した後は急にタイトな服装にハイヒールを履くようになったとホストマザーが証言している。やれやれ、ほんとに今どきのオンナノコは何を考えているんだか。(新聞の写真を見る限りでは特に派手なコでもなさそうだけどな。)まあ、10年くらい前にカルガリーであった事件と同じように、日本のマスコミにはほとんど報道されないだろうから、たとえ有罪になったとしても、日本に帰ってしまえばごく普通のお嬢さんに戻って社会に出て行けるんじゃないかな。

さて、オタワの連邦議会では、と見ると、どうやら今夜も議事堂に「お泊り」らしい。子供の「お泊りパーティ」じゃあるまいし、何やってんだか。あ、大学生からいきなり国会議員になった連中がけっこういるんだっけ・・・。

精神論ではがんばれないこともある

6月25日。土曜日。目が覚めたらもう午後12時半。はて、そんなに寝るのが遅かったとも思えないんだけど、なぜかくたびれていたんだろうな。季節の変わり目なのかもしれない。あるいは仕事のせいかもしれない・・・。

朝食が終わったら午後1時過ぎ。議会ではまだ郵便組合に対する職場復帰命令法案の「審議」をやっている。48時間を過ぎて、どうやら引き延ばし戦術をやっている野党側の方で法案の修正案をまとめたらしい。組合は新民主党に感謝のメッセージを送ったそうだけど、これも、強大な組合の御用聞き政党みたいな印象を与えて、野党第1党としては戦略上マイナスになるんじゃないかな。ま、修正案は最後の切り札みたいなもので、政府は強気だから、採決にかけられればあっけなく否決で、元の法案が通ってしまう。たぶん、今頃は夏休みに入っているはずだった議員さんたちが二晩続けてオフィスで仮眠を取る「お泊りパーティ」に音を上げ始めたのかも。

今日は、明日の夕方が期限の仕事をひたすらまじめにやる。そのつもりで意気込んでかかるんだけど、訳語の選択がえらくデリケートなもので、神経がくたびれるし、仕事は遅々として進まないし、内容が内容なものでやっているうちになんか欝っぽい気分になって、すごいストレスを感じる。日ごろ小町横町の掲示板の書き込みを読んでいて、日本人は感情過多になって来たのか、あるいは一億総不安神経症なのか、あるいは感情を制御できなくなくなって来たのか、あるいは心身ともにひ弱になって来たのか・・・いろいろ勝手な印象を受けていたんだけど、ワタシの勝手な印象というよりは、たしかに社会全体にすごいストレスが蓄積していて、それが風船のように膨らんで行っているように感じる。(古い日本語しか知らない耳には)感情的で大げさとしか取れない表現が増えたのはその表れなのかもしれない。

それはそれで世の中の変遷と共に変わるだろうからいいとしても、今この時点でそういう感情過多とも思える表現が満載の文書を冷徹なビジネス英語を読みなれている人たちのために訳するとなると、ああ、ストレス。たとえば、「号泣」や「激怒」、「驚愕」にはもう慣れたけど、「~された」というような被害妄想的な言い回しにはなかなかすんなりと英語で表現しにくいものもけっこうある。微妙な感情表現を字面のままを訳したら大変なことになりかねないから、その用法の真意をよく考えてみなければならない。それにしても、いい大人も狭い集団になるとこんなものなのかとちょっと驚くけど、まあ、ほとんどがバブル崩壊の後の教育指導要領で教育を受けた人たちで、いわゆる「ゆとり教育」も少しは経験して来たのかもしれない。それでもやっぱり、なんか元気のない、欝っぽい人たちが多すぎるなあと思うけど、たぶん日本の社会全体が巨大な自然災害に続く原発事故による安全神話の崩壊と放射能汚染問題という、誰だって気が滅入ってしまうような、「がんばれ」という精神論では対処しきれない状況にあるからなんだろう。

かってうつ病の迷路に迷い込んで、見失った自分を求めて彷徨していたワタシには、こういう仕事はあのときの苦しい気持が思い出されて来て、すごくやりにくい。やりにくくても、そこを何とかやるのがプロの商売というものなんだろうけど、ああ、何だか早く引退したくなって来た・・・。

ニュースサイトを見たら、「郵便職員に職場復帰を命じる法案の野党修正案が否決され、元の法案が成立して上院に回された」という緊急発表。組合は上院の承認で法律として成立してから24時間以内に職場に戻って職務を再開しなければならないから、早ければ月曜日にも滞っている郵便物が動き出す。延々58時間のノンストップ審議は新記録だそうな。やれやれ、ごくろうさま。だけど、やっぱりなんだかシナリオ通りという感じがしないでもないなあ。次の週末にはウィリアムとケイトが初の外国訪問でカナダに来るから、どうせ通る法案をいつまでもだらだらと引き延ばしてるわけにはいかないでしょ。いずれはカナダ国王になるウィリアム王子に、「殿下、カナダの臣民どもは議会で何やら言い争いに打ち興じ、殿下にお目通りに参ることはできぬとのことでございます」なんて、言えるわきゃあないでしょうが。みんなケイトと握手したくてしょうがないから、この際「働くものの権利のために」なんて精神論は野暮ってことなんじゃない?

ストをしてピケを張りに行った若き日の私

6月26日。日曜日。起床は正午ぎりぎり。眠い!それでも起きる。だって、いつものごとく、今日が期限の仕事があるから、いつまでもベッドの中でのんびりしているわけには行かないのだ。あ~あ、日本にいたら今頃は隠居して年金をもらって、のんびりと・・・うん、何をしているんだろうかなあ。それにしても、何で日本では60歳で隠居できるのに、カナダでは65歳まで待たなきゃならないの?もっとも、カレシのように減額はされるけど55歳を過ぎたら隠居できる人もいる。でも、それは公務員とか郵便配達とか、潤沢な組合年金がある人の場合。まあ、60歳を過ぎた今なら公的年金の減額支給を申請できるけど、生活に困る金額になってしまうからなあ・・・。

強力な組合の後ろ盾があるっていいねえ・・・と言いたいところだけど、ワタシは労働組合が嫌い。組合に属してストをする人が嫌いなわけじゃなくて、元々統制とか団結とかいうう錦の御旗を振り飾す組織や集団に属するのが嫌いなだけ。大きな労働組合のある産業では、自動的な組合加入が就職の条件になっていることが多い。ワタシが州の法務省の事務職に就いたときも、自動的に州政府職員組合に強制加入させられて、給料日ごとに組合費を取られた。各職場にはshop stewardという職場委員とでもいう人がいて、なぜかワタシと職位が同じだったマリリンおばちゃんがその地位についてからは、ワタシが非組合員の専門職の職務をやっていると、まあうるさいこと。上司のブライアンがやってみろというからやってみたらできたもので、手不足の折(というよりも何しろおもしろかったもので)、無視してやっていたらブライアンに噛み付き、その上の上司に噛み付き、しまいには本省の偉い人にまで噛み付いた。結局は上司たちの言い分が通って、おもしろい情報分析の作業をさせてもらえることになったんだけど、民間に転職するまでマリリンおばちゃんに睨まれていた。

そういうこともあって、労働組合と言うのはあんまり仕事のできない人が頼りにするところという先入観ができてしまったかもしれない。ま、若かったから鼻息も荒かったのかもしれない。公務員になって2年目でストがあった。まあ、1980年代初めの猛烈な二桁インフレが起きる直前にベースアップ年率8%で3年の協約を結んでしまっていたもので、政府職員の組合はその協約が切れるまで他の組合が二桁の賃上げを獲得するのを指をくわえてみているしかなかった。ところが、やっと協約の終了期限が迫って団体交渉が始まったときには、超インフレの反動でえらい不況で、かなり開いていた賃金格差を取り戻そうとしてもどだいが無理な話。交渉決裂、スト突入という雲行きになって、組合の代表がストを承認する投票をするようにアピールしに来た。

昼休みにやって来たのはマリリンおばちゃんよりもっと手ごわそうな何十年選手のおばあちゃん。(今のワタシくらいの年だったけど、当時のワタシはまだ30代前半で、60過ぎはおばあちゃんに見えた・・・うはっ。)組合員の職員を集めて「演説」したのはいいけど、ちょうどまだ珍しかったワープロを導入する過程だったので、「昔、電動タイプライターが登場したときに、嫌だというのにそれまでのタイプライターからの電動に変えさせられた。今度はコンピュータのタイプライターを押し付けようとしている。断固としてユルセナイ!雇用者の専横に断固として戦おう!」とぶち上げたもので、その場はしれ~っとなった。だって、そのとき事務職の若い女の子たちは社会に出たときから電動タイプライターしか知らないし、ワープロの将来を見越して研修に名乗りを上げていたから、化石みたいなおばあちゃんが「電動タイプライターを押し付けられただけでも許せないのに!」とわめいても、「はあ?」という反応しか出て来なくて当然でしょうが。

最終的にはストに突入して、ピケを張りに来いといわれた。同じ組合だったカレシは初めから「やだ」。ワタシは初めてのことでもあるし、1週間毎日何時間か行けば(1日。分の給料にもならないけど)何がしかの手当が組合から出る(スト中は給料が出ない)ということで、スト初日に朝から行ったら、「スト決行中」と書いたパチンコ屋の宣伝みたいな看板を前と後ろにぶら下げて、オフィスの周りを行ったり来たりで、ちっともおもしろくない。おまけに日が照って暑かったもので、日陰に座り込んで、看板を日除けにして当時通信教育で勉強していた犯罪学の教科書を読み始めたんだけど、急に頭の上から「ヘイ、ユー!」。はあ?と見上げたら、ひげ面のメタボ風おやじが「立て」。とりあえず立ち上がったら、「何だ、その看板の付け方は?態度がなっとらん」と。はあ?ムカッと来てもう帰ると言ったら、「手当が出なくなるぞ」。いいよ、そんなのと、看板を渡して後も見ずに家に帰って、ストをして「ピケを張る」というワタシの体験は後にも先にもあれっきりになったのだった。

翌年だったか二度目のストが始まったときには、2人揃って同じ組合では生活に支障をきたすということで、初日の朝刊の求人欄を見て「就活」。某大手会計事務所が日本語を話せる秘書を募集しているという人材会社の広告を見つけて、速攻で応募。2週間後にストが終わったときには、2度の面接を経て採用が決まり、職場に戻っていの一番に「辞表」を提出。思えば、あのときの転職が今のキャリアにつながったんだから、ストをしてくれたことに感謝すべきかもしれないな。だからといって「労働組合」という組織はやっぱり好きにはなれないけど・・・。

結婚記念日を忘れたわけではないけれど

6月27日。月曜日。うわ、寝た、寝た。ごみの収集日だというのにワタシもカレシもまったく目を覚まさなかった。もう、爆睡どころか昏睡して、目を覚ましたら午後1時半。寝たのが4時半だから、延々9時間の熟睡。そんなに疲れていたのかなあ。まあ、カレシはきのう菜園で「農作業」をしたから疲れていたのはわかるけど、夕食後にテレビの前で2時間も眠って、それでまた9時間は寝すぎじゃないのかなあ。まあ、ワタシもなんとも気の滅入るような仕事のせいで、頭だけじゃなくて気持の方もどろ~んと疲れきっていたし、こんな風に眠りたいだけ眠れる生活ができるのは幸せだと思わないとね。

実はきのうはワタシたちの結婚記念日だった。1年間同棲しての結婚だから、満35年。最後に結婚記念日を祝ったのは銀婚式の満25年のとき。荒れ狂った大嵐が去って、壊れたもの、吹き飛ばされたものが散乱する「夫婦の情景」を前に、2人ともどこからどうやって復旧作業を始めたらいいのか模索していたときだった。夫婦にとっては節目の銀婚式を祝ってくれる子供もいないことだし、カレシの発案とお膳立てで2人きりのその日をパリで迎えた。ノートルダム寺院の壁を見上げる古びたレストランで食事をしながら、漠然と「生き延びた」という感慨を持ったのを覚えている。

生き延びたからこそ、それまでの25年を清算して新しい気持でやり直そうと思って、翌年から結婚記念日を祝うのはやめた。あれから長いような短いような10年。今は、ワタシがカナダに来て「2人の生活」が始まった5月12日。がワタシたちの「原点」を記念する日になっている。そこから起算すれば、ワタシたちはカップルとして満36年。もし満50年にたどり着けたら、盛大に金婚式を祝うのもいいかなあ。あら、その50周年までもうあと14年・・・。

まあ、ワタシたちは地盤を固めるのに25年もかかって、それから10年かけて本当の意味での「WE(私たち)」になってきたわけで、夫婦もいろいろだなあと思う。ワタシはワタシでカレシじゃないし、カレシはカレシでワタシじゃない。その別々の人格であるカレシとワタシが一緒にいて「WE」。以心伝心の夫婦じゃなくて、一心同体の夫婦でもなくて、互いに空気のような夫婦でもなくて、カレシという1人の人間とワタシという1人の人間が共有する「夫婦の人格」のようなものかな。

小町横町で、家事や育児、生活費の分担や、互いの性格や価値観などの違いでもめている若い夫婦を見ていると、この「WE」という考えが感じられないような気がする。男女平等、機会均等の旗印を翻して、自分にばかり負担がかかるのは不公平。相手にこうして欲しい、ああしてくれない。相手がどうするのが嫌、相手のどういうところが嫌。で、「離婚した方がいいでしょうか」。でも、それは「we-ness」(「私たちであること」とでも言うのかな)がまだ発達の途上だからなのかもしれないな。暴力や浮気は元から相手を尊重する気持がないわけで、いくら年月をかけても芽が出る可能性はなさそうだけど、普通に付き合って普通に結婚したんだったら、何とかなるんじゃないのかな。

うん、あんがい、ワタシたちは50年まで行き着けるかも・・・。

仕事のない日が私の週末

6月28日。火曜日。またちょっと薄暗くて、ちょっと涼しい。今日から郵便配達が再開されるというので、郵便受けを覗いて見たら、ワタシとカレシとそれぞれに税務署の所得税納付確認の明細、カタログ1件、テレビの番組雑誌。税金の明細とカタログはちょうど2週間前のロックアウト直前に投函されたものらしい。テレビ番組の雑誌は週刊だけど、前の2週間は宛名を印刷していないものが届いていた。そういえば、Maclean’sも先週同じように届いたっけ。地元のチラシを配る業者にでも委託したんだろうな。でも、2週間郵便が止まっていた割には少ないような・・・。

今日は仕事がないからワタシは「週末」。起き抜けにカレシに「何をするの?」と聞かれて、ちょっと考えて一番先に思いついたのが洗濯。しばらくやっていないから、きっと貯まっているだろうな。洗濯機のそばにあるランドリーシュートのドアを開けてみたら、うわ、ある~。そのうちに圧力でドアが開いて、なだれ落ちてくるんじゃないかと思うくらいある。覗きに来たカレシ曰く、「どうりでボクの下着がなくなるはずだ」。ふむ、自分の下着くらい自分で洗濯すればいいのに。洗濯機の使い方を教えろと言うから、デモやって教えたじゃないの。「あれからやってないから、忘れた」。やれやれ、困ったご隠居さんだなあ、もう。まっ、まずは洗濯の第1ラウンド・・・。

短い午後のひと時をネットサーフィンなどしながらのんびりしていたら、「今日はフィッシュアンドチップスが食べたいな」とカレシ。ふむ、マニトバの湖で獲れたピッカレルという淡水魚を解凍し始めたところだから、それもいいか。この魚、ウォールアイとも言うそうで、東部では五大湖産のものがフィッシュアンドチップスの定番と言う話。日本語の名前はないらしいから北米原産なのかな。身が締まっていておいしいけど、西部のこっちではあまり出回っていないから高い。我が家の「チップス」はティファールの「アクティフライ」というフライヤーで作るほとんど油を使わないフレンチフライで、魚は油で揚げずにフライパン焼きのフライ風だから、ご本家イギリスのものとは似ても似つかないしろもの。今日の「フィッシュ」はアフリカ風ココナツカレーのソースを卵代わりにしてパン粉をつけて、フライパンでさっくり。低コレステロール、低脂肪・・・。

英語教室にカレシを送り出して、またゆっくりとネットサーフィン。きのうの夫婦の「we-ness」と言う言葉についてちょっとググってみたら、もうカウンセリングなどのサイトで使われていた。なんだ、新語を作ったかもしれないと思ったのに。若いカップルの間に「WE」の感覚が薄れているらしいのは世界共通なのかな。共働きが普通の北米でもどうやら「お金の管理」が不和の原因らしい。我が家は最初から銀行の口座をすべて共同名義にして、主にワタシが管理しているけど、生活費だけ共同名義の口座に入れて、後は各自が自分の給料を管理するカップルも多い。そこで、負担率や消費スタイルでもめるのは日本の共働き夫婦とあまり変わらないような。(実際に、昔2人の同僚がそれで離婚した。)個の時代の夫婦はどこまでがちょうどいい「WE」なのか・・・。

仕事がないときは、とりとめのないことをごちゃごちゃと考えるのがけっこう息抜きになる。日本語だったり、英語だったり、そのときの関心事しだいだけど、とにかくどっちかひとつの言語で考えられるから楽ちんでいい。日本語だと、小町のトピックでなかなか「なるほど」とすんなり納得できなかったことを「分析」してみたりする。たとえば、左利きの話。矯正論者の中に食事のときに左利きの肘がぶつかって迷惑だからというのか多い。ワタシもカナダに来て初めの頃は会食のときは意識してテーブルの左端に座っていたけど、いつのまにかどこにでも座るようになっている。なぜかというと、左隣の人と肘がぶつかることがほとんどないから。左利きがごろごろいるからというわけでもなさそう。

どうしてかなと考えているうちにふと思い当たったのが「食事方法」の違い。ナイフとフォークを使う食べ方では肘はそれほど体側から離れない。茶碗を手に持って箸でご飯を口に入れる食べ方では、箸を持つ方の肘が体側からかなり離れ、しかも肘が高く上がる場合も多い。これだと、右利きと左利きが隣り合わせたら肘同士がぶつかる可能性はずっと高いように思うな。もう一方の手に茶碗なり汁椀なりを持っていたらこぼしそうで危なっかしいのもわかるような気がするな。でも、だからといって、左利きはマナー違反だから矯正しろというのは「人格否定」もいいところで、日本人の「譲り合いの精神」で十分に解決できるんじゃないかと思うけどね。

正直なところ(正直じゃなくても一目瞭然だけど)、ワタシは箸使いが大の苦手。持ち方がおかしいということはわかっているけど、とにかく右でも左でも作法通り?に使うことができない。逆に、いろんなことに不器用なカレシは箸使いがやけにうまい。十代の頃に親がチャイナタウンで食堂をやっている友だちがいて、よくキッチンの隅で食事にありついていたらしい。そのときに、もたもたしていると友だちに全部食べられてしまうので、必死であの太い中国箸の使い方をマスターしたんだそうな。ふむ、窮すれば何とかというけど・・・。

ランチの時間。おなかすいたなあ。今夜は箸もフォークもいらない魚バーガーにしようっと。

ほんとに胃袋は男のハートへの近道

6月29日。水曜日。涼しいなあ。午後2時のポーチの温度計は摂氏17度。ひょっとしたらもう夏は中止ってことにして、さっさと秋に進んじゃおうということかと思ってしまうくらい。今日も週末。なんか少しまとまった休みが欲しいような気がするから、日本が金曜の夜になる明日の夜中過ぎまで何にも仕事が入って来ないように、指を重ねておまじない・・・。

今日の「家事」はきのうの洗濯物をたたむ作業。洗濯機とドライヤーを3ラウンドで、大きな洗濯かごは(いつものことだけど)溢れるくらいの山になって、カレシに二階まで運んでもらった。いつもならここで、カレシが必要なものを引っ張り出して着たり、ついで?のときに自分のものをたたみ、ワタシもついでのときに自分のものや、タオルなどの共通のものをたたんで、だいたい3日。か4日。くらいでかごが空っぽになる。ま、今日はワタシの週末だから、主婦ぶってまじめに洗濯物をたたんでしまうところへしまう。ただし、カレシのものはそっくり残しておく。イジワルもいいところだけど、ここでワタシがたたんでしまうと、次からは「なんだ、やらなくてもいいのか」ということになってしまうから、男女共同参画(つまりは夫の教育)上、あまりよろしくない・・・。

今日の夕食は前にスティーブストンで4匹5ドル(約400円)で買って来たヒラメかカレイ。Soleとして売っていたからヒラメなんだろうけど、実はどっちかよくわからない。口先がとんがって、かなり獰猛な顔つきをしている。向かい合って睨めっこをしたら、目は右寄り。これって「カレイ」だよねえ。でも、ヒラメとカレイの写真を探して見比べてみたら、色も形も何だかヒラメっぽいような。どっちなんだろう。ま、どっちでもいいんだけど、薄っぺらい魚にしてはやったらと骨が硬い。頭を切り落とすにしても北欧系の細身の魚おろしナイフは歯が立たなくて、キッチン鋏を持ち出して、えい、やっ。本には初心者には5枚下ろしは難しいと書いてあったので、尾ひれを切り落としてそのまま料理することにした。日本風の姿蒸しを勝手に脚色して、浅いロースターにねぎとしょうがと日本酒を入れて魚を載せ、ホイルで蓋をしてオーブンで蒸し焼き。できたところで、お酒と醤油に赤ピーマンやねぎ、しょうが、えのきを入れて作った野菜ソースをかけてできあがり。けっこうおいしくできた。それにしても、ヒラメだかカレイだか知らないけど、骨太だなあ・・・。

それでも、昔は魚の小骨を嫌がったカレシも、魚が主食になってもう何年(もう3年?)も経って、小骨の5本や10本はへっちゃらになったから、すごい。経済的な価値観の問題もさることながら、国際結婚では「食」の嗜好の違いが大きな軋轢となるケースが多いらしい。小町にも、夫の好みはピッツァやフレンチフライやフライドチキン、あるいは肉食中心で、妻が手をかけて作る(日本の)家庭料理を食べてくれないというトピックがよく上がってくる。昔から「胃袋は男のハートへの近道」といわれるけど、夫の国の料理が好きになれなかったり、ときには食文化や育った家庭環境を見下していたりすることが多いように思える。まあ、それがなくても「食」は毎日のことだから、嗜好の違いが夫婦関係の大きなストレス要因になっても不思議はないな。あんがい、夫の方もどこかの掲示板で「妻に日本食ばかり食べさせられてうんざりしている」と愚痴っているかもしれないけど。

カレシは、好みの程度には温度差があっても、何国料理でもとにかく食べる。ワタシとの結婚の許可をもらいに初めて日本に来て、OKが出てから我が家に泊まるようになったとき、母は朝からカレシを日本食攻めにした。娘のために「婿」の胃袋とハートのつながり具合を試したのかもしれないけど、カレシは出されるものを全部おいしいと言って食べたので、きっと100点満点の合格だったろうな。極めつけは、ほとんど言葉が通じない2人がスイカが大好きということですっかり意気投合してしまったことかな。母が他界して30年になるけど、カレシは未だに「生まれて初めておいしいと思って食べたのがキミのお母さんの料理だった」と言っている。まあ、カレシのママは料理嫌いだし、それに子供の頃は食べるのがやっとの貧乏だったから、おいしいものへの関心が育たなかったとしても、それは状況としてしかたのないことだったと思うけどね。

考えてみたら、ワタシたちが「食」に関して(お金に関してもだけど)けんかをしたことがないのは、あのときの母の「試験」のおかげかもしれないな。ワタシの料理にカレシがいちゃもんをつけた記憶がないし、生のエビとウニはどうしても食べられないけど、あとはどんな魚も目玉さえ睨んでいなければ問題なし。ワタシが好奇心半分で買って来ては思いつきの料理にするエキゾチックな魚にも動じることなく、おいしいと言って食べてくれるから、台所を預かる主婦にとってこんなに楽なダンナさんはめったにいないだろうなあ。洗濯物、たたんであげようかなあ・・・。

日本は暑すぎ、こっちは涼しすぎ

6月30日。木曜日。6月最後の日。2011年もあっというまに半分が終わってしまったということだなあ。何だかすごく疲れる6ヵ月だったような。なんかいろいろとありすぎたんじゃないかと言う気がする。ありすぎて精神的エネルギーが追いつかないような感じだけど、あながち年のせいばかりでもなさそうな・・・。

今日は朝からウィリアムとキャサリンのカナダ公式訪問のニュースでもちきり。総督公邸前でのスピーチではウィリアムが一部をフランス語でやってみせて、(本当はぺらぺらだと思うけど)「これからもっと上達しますから」とやって笑わせ、歓迎に集まった群衆と握手、握手。人垣の中に高々と抱き上げられた赤ちゃんを見つけて、長身のウィリアムがぐっと手を伸ばし、赤ちゃんの手を指でつまむようにして「握手」したのは絵になっていたな。明日はカナダの建国記念日「カナダ・デイ」で、首都オタワでの「カナダの誕生日」の祝賀行事に参加するそうな。

あしたは祝日で、金曜日だから三連休。この2日。の間にカナダドルがまた急激に上がったから、国境はアメリカへ買い物に出かける車の列で、日本ならお盆のラッシュのような光景になるんだろうな。復活祭のときは最長4時間待ちだったそうな。ふむ、4時間もあったらシアトルまでぶっ飛ばして帰って来れるけどな。もっとも、ほとんどが途中のベリングハムという町にある「ベリスフェア」という大きなショッピングセンターを目指す。1970年代半ば頃にカナダドル高の時期があったときは、72時間の免税基準を満たすために駐車場にRVを止めてキャンプする人たちがいたっけ。あの頃は免税枠の金額が少なくて、それも年1回だけで、ケチだなあと思った。現在は日帰りが1人50ドルで酒類は除外、48時間以上の滞在で400ドル、7日。以上で750ドル。年1回の制限がなくなったから、連休のたびに国境が混雑する。でも、いつまでも見えて来ない国境に向かってインフレ率を押し上げるほど高騰したガソリンを燃やしながらのろのろ進む車の中で4時間って、ちょっと想像がつかないなあ・・・。

さて、さっさと月末処理をしてのんびりしようと、請求書を作るために、まず仕事のログを整理する。エクセルで2001年から記録があるから、これもちょうど10年。今年はやっぱり仕事量がかなり減っている。売上高も去年の3分の2で、1990年以来最低の年だった2003年の6月末とほぼ同じ。分野によっては仕事量が激減したと言う人たちもいるし、やはり大震災の影響なんだろうな。古狸クラスになっていれば、付き合いの長いお客さんが倒れない限りは、全体のパイは小さくなってもまだ仕事にありつけるだろうけど、まだ翻訳会社の優先?下請けリストの上の方に載るほどの実績がないない新進はつらいかもしれない。ま、フリーの自営業は山あり谷ありの連続だから、ここが踏ん張りどころだけど。

これから節電が本格化して企業の稼動パターンが変わったり、猛暑などでいくら節電しても足りなくて、結局は「計画停電」をやらざるを得ないなんてことになったら、さらに影響があるかもしれないな。もしも、去年のような酷暑になって、暑さのために体調を崩して休む人たちが増えたら、仕事のやりくりも大変になるるかもしれないな。日本の夏のあの蒸し暑さは過酷だもの。福島原発でこのところ人為的ミスが重なっているらしいのは、現場で作業をする人たちの心身のストレスと疲労が人間の限界を超え始めているということじゃないのかな。もしもそうだったら、ふとした一瞬の誤操作で取り返しのつかない大事故が起こりかねないと思うんだけど。

クールビズなんてヘンなファッションでしゃれたつもりの政治家や東電のエライ人たちには顔が見えないから現実感がないかもしれないけど、あの人たちは生身の人間。ロボットじゃないんだから、過労や精神的なストレスや睡眠不足が限界を超えたり、熱中症になったりすると判断力が鈍ってくる。そういう状況で起こった事故をうっかりミスが原因だと責めるわけには行かないような気がする。あの厳しい環境で働いている人たちの心身状態がそんな危機的な状況になっていなければいいと、心から祈らずにはいられない気持ちになる。

のんびりと連休を楽しむつもりでいたら、あら、また置きみやげ仕事。やれやれ。東京は今日も真夏日だって。と言うことは30度?水銀柱がいくら力んでも20度に届かないこっちに、その暑気を少し分けてもらいたいくらいだなあ。(湿気は大の苦手だからいりません・・・。)


2011年6月~その2

2011年06月21日 | 昔語り(2006~2013)
今日はストウブの小鍋とイタリア食材

6月11日。土曜日。いい天気。きのうパンを焼いておくのをケロッと忘れてしまったので、今朝はベーコンとミックスきのこをソテーして、カレシ特製のスクランブルエッグといっしょにイタリアンのハンバーガーバンにはさんで、名づけて「エッグ・マクマフィーノ」!

きのうのホッケーの試合はカナックスが何とか勝って、スタンレー杯獲得まであと1勝の王手。グランヴィルとジョージアの主要道路が即席歩行者天国になったダウンタウンには何と10万人ものファンが集まって、試合が終わった後もバンドが入ってのストリートパーティが夜中過ぎまで続いたらしい。ニュースを見たら、ほんとに道路は建物の壁際から壁際まで人でいっぱいで、それが見える限り続いているからすごい。(Vancouver Sunから写真を拝借。これはグランヴィルの風景・・・↓)
[写真]
こういうところへ酒類を持ち込むのは禁止で、見つかるとその場でドボドボッと下水溝に空けられてしまうんだけど、10万人も集まってそれが200件足らずだったそうだから、お行儀のよさはもっとすごい。第6試合は月曜日。カップを持って帰って来るかな・・・?

今日はレクリエーションを兼ねたショッピングデイということになって、まずは西の方のWilliams Sonomaへ空になった炭酸水のカートリッジを交換してもらいに行き、ついでにル・クルーゼの鍋を見てみることにした。日本では相当な「ブランド品」になっているらしいけど、重すぎることと、あの派手な色が好きになれないことで、デパートで見ても関心がわかなかったのが、小町のあるトピックで少なからぬ人たちが「ご飯をおいしく炊ける」と書き込んでいたので、急に使ってみようかなという気になった。なしにろ、2人分の「付け合せ」のご飯にする米は1合の計量カップの半分なので、電気釜を使えないから鍋炊き。だけど、ステンレスの鍋だと蓋がポコポコと踊ってしまって、蒸気は逃げるし、レンジは糊っぽい水はねだらけ。そこで大きなガラスの計量カップをさかさまにして載せて重しにしてみたら、かなり改善されはしたけど、まだ蓋の周りにぶくぶくと水が吹き出して来てしまう。ル・クルーゼのあの重さなら蓋も重いだろうから、書き込みの通りにご飯をおいしく炊けるかもしれない、とちょっと期待して・・・。

棚にずらりと並んだ色とりどりの大小のル・クルーゼ。一番小さいのは18センチくらいで、底の面積が大きいから少量のご飯を炊くには向かない。手頃なのはないのかと、別の棚に回ったら、メーカーが違うけど似たような商品がいろいろあって、そこで目をつけたのが14センチの片手鍋。ル・クルーゼよりは少し深めで、底がやや小さくなっているから、これなら半合の米でもうまく炊けそうかな。Staubというフランスのメーカーで、後で調べたらこれも日本ではブランド品扱いらしい。(値段を見てル・クルーゼよりも高くてぎょっとしたから、ほんとに高級ブランドなのかもしれないけど。)たしかに重い(蓋をすると2キロ半くらい)けど扱いにくいほどではなかったので、地味な赤いソース鍋をご飯炊き用に買って、ショッピングその1は大収穫・・・。

その2はず~っと東の方のBosa Foodsというイタリア系食品卸会社の小売店。オリーブ油やパスタやバルサミコ酢やチーズやソーセージ・・・イタリアの食材がある、ある。ラベルにイタリア語しか書かれていないものもある。常連になるなら、イタリア語を勉強しようかな。ポルチーニの丸ごと冷凍パックがあって、食指が動いたけど今回はパス。行きつけのIGAが置かなくなった黒トリュフ入りとポルチーニ入りのきのこのペーストがあった。使い切ってしまっていたからうれしいな。スペイン産のサフランは0.5グラム入りで4ドルとは安い。クレジットカードが使えないということで、手持ちのキャッシュで買えるだけ買い物をしたけど、カレシはマティニに使うピメントを詰めたオリーブの2リットル瓶を買ってホクホク。いったい何杯のマティニが作れるかな。

バンクーバーには大きな中国系スーパーがあり、韓国系スーパーがあり、イタリア系スーパーがあり、ギリシャ系スーパーがあり、オーガニック・スーパーがあり、日系の海鮮問屋の店があり、探せばその他いろいろな民族系の食品店もあって、食道楽にとっては幸せ。これで酒類の販売制度がもっと自由だと言うことなしなんだけどなあ・・・。

たんぱく質と野菜とでんぷんと

6月11日。新しい鍋を試してみるのが待ちきれなくて、さっそく発芽玄米を炊いてみた。使用説明書に急に高い温度にしてはいけないと書いてあったので、まずは蓋をせずに水が沸騰するまで少しずつ温度を上げて行って、煮立ったところでレンジの温度を下げて、蓋をした。最初のうちは何となく蒸気が出ているように見えたけど、蓋はじっと鍋の上に載ったままで、うんともすんとも言わない。おお、もう重しはしなくてもいいってこと・・・。

[写真] オヒョウのポルチーニ味ムニエル、イタリア風鍋炊き玄米、青梗菜とミニトマト

買って来たばかりのポルチーニ入りのきのこペーストを魚に塗って、小麦粉をまぶしてソテー。ポルチーニは香りの強いきのこで、白身の魚の淡白な味にアクセントをつけてくれる。ムニエルにすると、きのこのペーストがフライパンに焦げ付かずに「クラスト」になる。

炊き上がった玄米はたしかにおいしい。戻したポルチーニきのことトーストした松の実を混ぜて、白トリュフ風味のオリーブ油をちょっぴり垂らしてみたら、イタリア風ご飯。

青梗菜はちょっと蒸しすぎだったけど、たんぱく質、野菜、でんぷん質のトリオがそろった簡単メニュー。バーバラのキッチンでいっしょに料理をしたときに、しきりに「Protein and veggie and starch(たんぱく質と野菜とでんぷん)」と言うので何のことか聞いてみたら、娘のアーニャが今2歳半の双子にたんぱく質(肉や魚)、でんぷん(いもや穀類)、そして野菜をまんべんなく食べさせるために、食事のたびに歌うように言う「食育のおまじない」ということだった。好き嫌いのない子供に育てるのって、大変だものね。特に「恐るべき2歳」と言われる時期だからよけいに大変。(もっとも、夕食は料理が趣味のお婿さんのブライアンの担当になっているらしいけど。)

どうやらバーバラも娘たちが遊びに来るたびに聞いているうちにアーニャの魔法にかかり、それを聞いていたワタシも魔法にかかってしまったらしい。でも、おいしい魔法はたっぷりかけて欲しいかな。

やれやれの1日が暮れたような・・

6月13日。月曜日。ごみ収集日なんだけど、よっぽどぐっすり眠っていたのか、1回しか目が覚めなかった。いつもならリサイクル車とごみ収集トラックの往復で3回は目を覚まされるんだけどな。最近やけに効率が良いらしいシリコーンの耳栓をしているカレシはまるで天使?のごとくすやすや。寝なおそうか・・・なんてつらつらと考えながら時計をみたら12時15分。きゃっ、冗談じゃない。

今日の夕方が納期の仕事、まだかな~り未処理のページが残っている。推定の訳上がり語数から見ると楽々のはずだったんだけど、どういうわけか遅々として進まない。おかげできのうは丸々1日。、うんうん言いながらの作業。ま、財務関連の分野と言ってもいろいろあって、投資を業としている人が決算報告を書いたり訳したりすると何となく「投資案件のご案内」みたいになってしまうらしい。ん?と思って立ち止まっては、「株を売るときはそう言うんだろうけど、いくら儲かった(損した)という勘定のときはこう言うんだってば~」と突っ込み、株屋さん特有の仲間内語が出てくると、「そんなの、読む人にはわからないってば~」と毒づきながらの作業なもので、何度も読み直して文脈を確認するから時間がかかるし、ワタシの商売用の脳中枢の同時翻訳機能は脱線しまくり出し・・・。

朝食もそこそこに作業を再開して、まあ何とか間に合いそうなめどがついたと思ったら、別のところの編集者から「ファイルはまだ?」のメール。え?ええ?まだかって、期限はまだじゃなかったの?ところが、予定を書き入れてあるカレンダーを見たら今日の夜だけど、元のメールの期限をチェックしたら「日本時間」で今日。現実の日本時間はとっくに「あした」になっている。あああ!時差の換算を間違えたか、書き入れる日付の欄を間違えたか・・・。脳みその「緊急司令塔」が猛烈な勢いでそろばんを弾いて、これだけの量だから所要時間はこれくらいで、編集にはこれくらいの時間が必要そうで、最終的な期限までにはあと何時間あるから、こっちを仕上げてから超特急でやっつければまだ間に合うぞ・・・。

さっそく「ごめんなさいメール」を飛ばして、まずは報告書を仕上げて送り出し、すっぽかした仕事をリニア新幹線並みの猛スピード(ってどれくらい速いか知らないけど)で仕上げて、「お待たせしましたぁ~」。時計を見ると午後5時半。ああ、やれやれ、どっちも間に合った。一瞬、ボケの兆しかと思ってしまったけど、何しろ、丸い地球の上で太平洋のど真ん中の日付変更線をはさんでのこっちとあっち。ちょっと見にはハワイの向こうの日本の方が「きのう」のような感じがするけど、標準時はその丸い地球を逆方向の東へ東へと進んで行って、日本につく頃は「あした」になっているからややこしいったらない。まっ、どっちにしてもそそっかしいポカミスというところなんだけど。それにしても、こういうアドレナリンの出し方は体に良くなさそうだから、気をつけないと。

送信を確認して、「死ぬかと思った~」とけっこうはしゃぎながらキッチンに上がったら、ありゃ、夕食のメニューを考えるのもすっぽかしてしまって、食材が出ていない。あわててフリーザーから出したところで、カレシはとっくにマティニを作る気満々になっているから、手っ取り早く刺身をと思っても解凍している時間がない。パスタでも作るかと思ったけど、ゆうべのランチでとびこのパスタを食べたしなあ・・・と冷蔵庫に首を突っ込んでいたら、豆腐が目に付いて、100ワット級の電球がポッ。インゲンを蒸し器にかけ、エリンギとしいたけと平茸をスライスして炒め、豆腐を4枚に切って小麦粉とコーンミールを混ぜた衣を薄くまぶしてフライパンで焼き、醤油とお酒とみりんで適当に照り焼きソースを作ってこんがり焼けた豆腐にかけ回し、ついでにふと思い立って、冷凍庫に常備してある茹でエビをころころとフライパンに放り込んで・・・豆腐の照り焼きステーキのできあがり。ああ、やれやれ・・・。[写真]

あたふたとやっているうちに、ホッケーの優勝戦第6試合が始まり、ブルインズがばたばたと得点して、あっという間に4対0。いいのかなあ、カナックス。お尻に火がついているよ。もう後がない、崖っぷちだよ。雨がちの天気の中をダウンタウンに集まったファンも、今日ばかりは早々に引き上げる姿が目立ったとか。そうだろうな。カレシもさっさと中継からニュースにチャンネルを変えてしまったし、バンクーバーのスポーツファンにはいわゆる「fair weather fan(勝っているときだけのファン)」が多いから。まあ、どっちに転んでもあと1試合で長い、長いアイスホッケーのシーズンが終わる。やれやれ・・・。

ワタシの言語脳のしくみはどうなってるの?

6月14日。火曜日。目を覚ましたら午後12時半。まあ、かなり慌てたきのうと違って、今日は夕方期限のやり残し仕事がないし、そもそも仕事そのものが予定に入っていないもので、脳みそも体もみんなたがを外して、安眠、快眠の爆睡というところ。脳も体も休めてやらないとね。あの鉄人みたいなイチローだって、「休め」と言われて一試合先発を外されたら、調子が戻って来たようじゃない?

外は天気が思わしくないし、カレシは今夜の英語教室の教材を作ってしまったというので、朝食の後、2人してキッチンのテーブルでコーヒーを飲みながらだらだら。そのうちに、今カレシがはまっているらしい英語学習者が質問するサイトの話になり、それがいつのまにかカタカナ語の話になり、取得した外国語の日常での使用比重が高まると母語にどんな影響があるかと言う話になった。小町などでカタカナ(英)語の論議になると、必ずと言って良いほど「長く英語で暮らしていると、つい英語が混じってしまう」と、言い訳とも自慢ともつかない書き込みがある。まあ、この「長く」の定義がないから、言葉遣いなどからそういう書き込みをする人の推定年令を考えると、英語暮らしの密度にもよるけど、おそらくは1、2年、長くてもせいぜい数年というところかな。このあたりが異国生活のいろんな面で一番「揺らぎ」が出てくる時期だろうと思うから。

ま、ここでは「カタカナ英語」と言うから、カタカナで表記されて、発音が日本語化した英語由来の言葉を言うんだと思うから、母語である日本語で話をしているときに「つい」英語が混じってしまうというのはまったく別の次元ではないかと思う。いつのまにか本来の日本語を駆逐して常用語になってしまう(しまった)外国語由来のカタカナ語も、ほとんどの日本人が理解できるという点で、日本語としての市民権を得たといえるだろうから、別にイライラするようなことでもないだろうな。問題は、分野が何であれ、英語圏の文化や文献でもてはやされている言葉を良く消化せずに、普通の日本人にはまだ言葉も概念もなじみが薄いことを承知の上で、そっくりカタカナにして使うことだろうと思う。これは「つい」と言う流れでは到底できることじゃないと思うんだけど。

実際のところ、自分の日本語の語彙の中に根付いているカタカナ英語以外は、とっさにカタカナ化して発音しようとしてもそう簡単にできるもんじゃない。カレシに小町のトピックで挙げられていた例を説明するために英語の会話の中にカタカナ英語を日本語発音で入れようとしても、なかなか簡単には行かなくて、自分でイライラしてしまった。聞いていたカレシが、「なんだ、それ?日本語よりイタリア語だよ」と笑い出してしまったけど、英語では語尾が子音でも、カタカナ語になると母音が加わるから、アクセントが後ろへ移動して、イタリア語のような感じになってしまうのかな。長いことどっちも楽々だったのが、何年か日本語はしゃべるのも聞くのも嫌という心理状態に陥った時期があって、やっとその迷路をを抜け出してすなおに話せるようになったと思っていたんだけどな。ふむ、怪しくなってきたのかな、ワタシの日本語。まっ、英語しか話せないカレシにワタシの日本語の発音がおかしいと言われても、それが何か?ってところだけど。

ところが、カレシに頭の中では英語と日本語のどっちで考えているのかと聞かれてはたと考えた。英語は36年間ずっとワタシの日常生活語だったけど、カナダに来て最初の2年以外は日本語も主に仕事で毎日普通に使っていた。出不精な2人が揃って巣篭もり状態のこの10年は、テレビの日本語チャンネルを契約していないせいもあって、耳と口は日本語からご無沙汰だったけど、目と手は毎日ちゃんと日本語を操って、人並みに稼いできた。要するに、英語も日本語もそのときそのときの思考言語として機能しているってことでしょ?だから、キップリングが「東は東、西は西」と言った通り、英語は英語、日本語は日本語、交わることなき2つの言語ってことじゃないのかなあ。

だけど、カレシはなおも「それは英語なら英語、日本語なら日本語に反応してしゃべるってことで、言葉が出てくる前の思考言語はどっちなんだと聞いてるの」と突っ込んで来た。あのさぁ・・・と言いかけて、よくよく考えてみた。目が覚めてから寝るまで24/7で英語。だけど、ブログを書き始めたのはいつも頭の中でぶつぶつと日本語で聞こえていたからだった。ひょっとして、頭の中ではいつも日本語で考えていて、それを無意識に「同時通訳」して英語でしゃべっている、なんてことはありえるのかなあ。だから、こうやって日本語モードのときにカレシが話しかけて来ても、日本語を打ちながら普通に英語で返事ができるのかな。そんなことってありえるのかなあ。ヘンなことを聞くから、頭がわやわやになって来た・・・。

でも、ちょっと待てよ。まだ母語も取得していない赤ん坊は何語で考えているんだろうな。親の声を聞いて、「あ、この物体はワンワンというのか」とか、「し~し~と言われたら放出していいんだな」という風に母語を覚えるんだろうと思うけど、その過程での「思考言語」は何なんだろうな。人類共通、いや、大脳を持つ生物すべてに共通する「ニューロン言語」のようなものがあったりして。コンピュータが「考える」のに使うバイナリコードみたいなものかな。一度、誰かに聞いてみたいなあ。誰か、いない・・・?

ホッケーシーズンのトホホな終わり

6月15日。水曜日。いい天気。のんびりと起きて、ゲートの郵便受けを見に行って、郵便は来ないんだったと思い出した。きのうの夜からカナダポストが全国でロックアウトに出たもので、郵便配達は全面的にストップ。ま、広告チラシだの何だの見もしないものがどさどさと来なくなるから、リサイクルのブルーボックスが溢れなくていいか。

今日はホッケーのスタンレー杯決勝戦の第7試合。これがほんとに最後の試合。ダウンタウンでは正午に主要道路が閉鎖されて、もうすごい数の人が集まっている。昼のニュースも特別にダウンタウンからの放送というはしゃぎぶりで、試合開始は午後5時過ぎなのにすごい盛り上がり。まあ、17年ぶりのチャンスだから熱狂はわかるし、地元のチームだからやっぱり勝って欲しい。だけど、どこかの店がまるでアメリカでハリケーンが上陸するときのように、ショーウィンドウやドアを合板で固めているのを見たときは、や~な予感・・・。

きのうの閉店間際に飛び込んできた急ぎの仕事をちゃっちゃと片付けて納品したら、後はのんびり。カレシが菜園から収穫してきた大量のビーツの葉とほうれん草の葉とえんどう豆を洗って、どうしようかと思案。結局、ほうれん草はランチの鍋焼き風うどんの材料にすることにして、ビーツの葉とえんどう豆をディナーに使うことにした。午後5時を過ぎて、特大のマティニを片手に夕食の支度。カレシは第1ピリオドでブルインズが先制点を取ったところで「これは負けるな」ともうギブアップ。プレーの流れを見ているとだいたいわかるんだそうな。んっとに良いときだけファンなんだねえと言ったら、「シーズン中のいい試合に興味はあるんだ」そうな。

第2ピリオドが終わって、3対0で敗戦街道まっしぐらの様相。ダウンタウンの群衆も敗戦を予期して引き上げる人たちが出てきたらしい。カレシが下りてきてラジオをつけたら、ちょうど試合が終わって、もちろんカナックスの負けで、三度目の正直の夢は成就しなかった。残念だけど、それが勝負の世界ってもんだからね。17年前のときは最後の最後の延長ピリオドまで粘って惜敗したけど、今回は良かったのは最初の2試合だけで、後はレギュラーシーズン1位だったチームとは思えない試合ばかり。前回はあれだけがんばったのに、負けたら暴動が起きたけど・・・と、取りとめのない話をしていたら、ダウンタウンで着ていたカナックスのユニフォームを脱いで燃やしているファンがいるというニュース。今夜は危険な満月だし、なんだかや~な予感・・・。

負けたら起きるだろうとは思っていたけど、やっぱり暴動が起きた。ダウンタウンにみんなで応援するファン・ゾーンを設けて、去年のオリンピックの感動を呼び戻そうと言うアイデアは良かったかもしれないけど、オリンピックの群衆がみんな感動して、行儀よく楽しんだからと言って、プロスポーツの優勝決定戦に集まる群衆も同じように感動して楽しむだろうと考えたのがそもそもの間違いの元だったんじゃないかな。オリンピックでは老若男女家族連れが集まって「カナダ」の国威発揚に熱狂したけど、プロスポーツはローマ時代の剣闘士の現代版みたいなもので、男たちが応援するチームの勝敗に自分のエゴを重ねているようなところがあって、(アルコールやドラッグの影響もあって)煽れば煽るほど、その思い入れが高じる傾向があるように思う。つまり、オリンピックの群衆とはまったく性質が違うわけで、そこに大きな計算違いがあったんじゃないかという気がする。

まあ、カナックスはNHLのフランチャイズになってまだ40年だけど、NHL創設チームで100年近い歴史を持つブルインズにとっては実に39年ぶりの「悲願」の優勝。そういう結果でよかったんじゃないのかな。カレシはプレーオフ前に「今回優勝できなかったら永久にできない」と言っていたけど、優勝戦のたびに暴動が起きるなら、いっそのことできない方がいいのかも。とにかく、去年10月に開幕して、レギュラーシーズン6ヵ月、俗に「第2のシーズン」と呼ばれるプレーオフシリーズ2ヵ月半の長い、長いホッケーシーズンがやっと終わった(9月にはもう次のシーズンの前哨戦が始まるんだけど・・・)。

ホッケー暴動から一夜明けて

6月16日。木曜日。いい天気。目が覚めてからしばしの間いちゃいちゃだらだら。ワタシは仕事の予定がないときが週末で、週1回のボランティアの英語教室をやってるカレシはいわば週休6日。制。しなければならないことが何にもない日もいいもんだ。どっちからともなく「おなかすいた。起きるか」ということになって、正午ぎりぎりに起床。気温も上がってきたようで、どうやら初夏の気候。

テレビをつけて昼のニュース。きのうの「スタンレー杯暴動」では中心街のグランヴィルやジョージアの通りに面するデパートや銀行やブティックが軒並みショーウィンドウを割られて、略奪にあい、エレクトロニクス製品の多いLondon Drugsなどは相当な損害を被った一方で、量販書店のChaptersは本棚を倒されたりしたものの、商品の被害はそれほどではなかったという話もある。暴れていた連中は本なんか読まない低脳ボーイズってことを証明しているような。コーチの店からごっそりバッグを略奪して行くところを写真に撮られたのは女性。警察は情報サイトのクレイグスリストに広告が上がると見ている。でも、写真があるからそれよりも前に身元が割れて逮捕されるかもしれないな。

1994年のホッケー暴動のときは、まだカメラつき携帯もソーシャルメディアも存在しなかったから、警察は暴動シーンの写真の提供を呼びかけ、集まった写真を一般公開して「容疑者」について情報提供を呼びかけたところ、大半は身元がわかって、窃盗罪や器物損壊罪で逮捕された。あれから時代は大きく変わって、今回は警察が専用のEメールアドレスを設けたし、暴動に怒った人たちがフェイスブックやユーチューブのアカウントを作って、写真をアップロードするように呼びかけ、相当な数の写真やビデオが集まり、その閲覧数も膨大な数字になっているとか。たしかに、暴動に加わらないでうろうろしていた群衆はみんな携帯のカメラを構えていた。たいていは顔を隠していないどころか、ネットで自慢するおバカもいるらしいから、「証拠の写真」には事欠かないだろうな。

でも、火付け役の「アナキスト」の身元が割れないことには、市民はおさまらないと思うな。オリンピックの開会前にも小さな暴動があったけど、人が集まるイベントがあると出て来て暴れたがる活動家を自称する若者の集団がいて、今回も火炎瓶などを持参していたらしい。(ライターなどではあれほど一気に車を炎上させることはできない。)彼らは何でもかんでも「反対」で、イベントに合わせて「アンチ貧困」になったり、「アンチグローバル化」になったり、「アンチ肉食」になったりする。要するに、暴れて警官隊と一戦を交えて「官憲と戦うオレってすごい」と陶酔したいだけで、人権や自由のために運動する活動家とは似ても似つかないただの反社会人間。

聞くところによると、試合前に人が集まり始めた頃からすでに何かが起きそうな危ない雰囲気が漂っていたらしい。優勝を賭けた最後の試合と言うことで、ダウンタウンを埋めた群衆は10万人とも15万人とも言われる。カナックスの負けが濃厚になった第2ピリオドの終了後に、酔っ払ったり、ドラッグでハイになっている若者たちの動きに危険を感じて早々に引き上げた人たちも相当な数いたという話だった。現場からニュース放送をやっていたキャスターも始めの6試合のときにはなかった異様な雰囲気が感じられたという。つまり、カナックスが勝ったとしても暴動は起きたということかな。オリンピックで大量動員された警備体制がないのに、オリンピックの感動を再現しようとして、膨大な群衆を集めて、盛り上げた市長にも批判が集まっているけど、その群衆をさらに煽って盛り上げたメディアにも責任はあるかもしれないな。

一夜明けて、明け方にはダウンタウンの清掃のボランティアを募るページがフェイスブックにでき、早朝から1万5千人の市民がゴミ袋やほうきやバケツを持ってダウンタウンに集まって市の清掃作業を応援し、午前中には9割がた後かたづけが終わったという。ボランティアには女性が多く、「私たちの街が荒らされて悲しい」と黙々とガラスの破片を拾い集めていた。合板を貼り付けたショーウィンドウには市民が「暴徒はカナックスのファンなんかじゃない」、「これはバンクーバーじゃない」、「カナックスは名誉ある準優勝、暴徒は最低の最悪」と言ったメッセージを次々と書き込み、大きな寄せ書きができているとか。警察署には市民から花束やクッキーやドーナツが労いのメッセージと共に続々と届けられているという。暴動の最中にも、多くの携帯カメラが危険を顧みずに「ここはオレの街だ」と暴徒を止めようとしたり、略奪を防ごうと暴徒の前に立ちふさがった勇敢な市民たちを捉えていた。

そうなんだ、バンクーバーの市民にとっては世界での観光都市バンクーバーの評判が落ちたとか、恥ずかしいとか言う問題じゃない。市民60万人が「我が街バンクーバー」を、おそらくはここに住んでもいないであろう連中に傷つけられたことを悲しんで、怒っているのだ。

愛郷心はいいけど愛しすぎは困る

6月17日。金曜日。どこかでパンカパンカという音がしていて、けっこう早く目が覚めた。リズムからするとバングラかな。パンジャブ州の「盆踊り」みたいなもので、冠婚葬祭のたびに村全体が集まってやるものらしい。(ボリウッド映画に必ず出てくる群舞シーンみたいなものかな。)まあ、我が家は、この頃は寂れつつあるとはえ「パンジャブマーケット」と呼ばれるインド系(厳密にはシーク教徒が多数のパンジャブ系)の商店街に近いもので、「南アジア人」(インド系の最近の呼び方)の人口はまだかなり多い。たぶんどこかの家で結婚式でもあるのかなと思っているうちに、また眠ってしまった。

寝る前に仕事のメールがなかったので、100%遊びモードの週末だ!と喜んでいたのに、メールを開けたら別のところから置きみやげ。今年は震災の影響で企業の決算報告が遅れているところへして、そろそろ震災関連のいろんな文書が出始めて来て、これから忙しくなるのかもしれないな。定年と老後が目の前に迫っている年令って、けっくお「遊びたい年頃」じゃないのかなあと思うけど、お客さんにはそんなこと「関係な~い」。うん、ごもっとも。まあ、フリーの自営業ってのはお客さんにこき使わせて「あげる」ほどお金になるようなところもあるから、そこは持ちつ持たれつで、「もうだめ」の線引きが難しいだけの話。来年の今頃は年金受給申請書を書いているかもしれないのに、どうするつもりなのかなあ、ワタシ。すぐに仕事人生から引退するかどうか。何だか、不安要素が満載のカレシと結婚すると決めたときの方が何倍も簡単だったような気がするな。ま、あの時は若かったもので、あまり深く考えなかったんだけと・・・。

昼のニュースを見ていたら、ゆうべダウンタウンに出動した警官が止めておいたパトカーに戻ってみたら、フロントガラスに「ありがとう」のメッセージがべたべたと貼られていたという話。付近を巡回していた警備会社の人によると、ひと晩中通りかかった誰かが感謝や激励のメッセージを書いてはペタッと貼って行ったそうで、バンクーバー市警は剥がすのも何だからとパトカーを本部に牽引したら、話を聞いた市民がやって来て前にも後ろにも、しまいにはバンバーにまでどんどんポストイットを貼り付けるもので、警察署のお偉いさんまで感激して目がウルウルになってしまったとか。[写真](地元紙The Provinceから拝借)

やっぱり暴動はバンクーバー市民にとってそれほどのショックだったんだよね。地元の新聞サイトにはダウンタウンの清掃に駆けつけた市民ボランティアの写真を「これが本当のバンクーバー市民」と題して載せていたけど、「容疑者」としてあちこちのサイトに写真を載せられた暴徒のほとんどが白人の20代か30代の男なのに対して、ボランティア清掃部隊は男女を問わず、若者から老人まで、多民族都市バンクーバーを形成するあらゆる民族の顔がある。だって、バンクーバーは60万人の半分近くがいわゆるVisible minority、つまり白人以外の人種で、総合病院でボランティア通訳を募ったら名乗り出た職員が話す言語が100以上あったというくらいの多民族都市なのだ。そんなバンクーバーを「わが街」として愛する市民が心底からバカどもに怒っているんだと思う。

すでに数人が自首して来たそうだけど、暴動や略奪の「容疑者」の写真を見て通報しようとする人があまりにも多くて、とうとうバンクーバー市警のサーバーがダウンしてしまったという。この「My Vancouver」への過剰とも見えるような感情の発露こそがオリンピックの遺産じゃないのかなと思う。ワタシだって、あばたもえくぼもすべてをひっくるめて、ここはワタシが愛してやまない「私のバンクーバー」なんだから、この街の白人、中国人、韓国人、インド人、フィリピン人、ベトナム人、アラブ人、カリブ人、南米人、黒人、先住民その他の存在が気に食わないんだったら、そういう人たちが目に付かない他の土地に行くか、カナダ人じゃないんだったら母国に帰るかしてくれと言いたくなるときがあるもの。ただし、「わが街」を愛する気持が高じすぎて、市民の間に「ヴィジランティズム」(自警主義)と呼ばれる風潮が出て来たら、バンクーバーは息が詰まりそうな、窮屈でネクラな市民社会になってしまいかねない。

ま、今度ダウンタウンで大群衆が集まるイベントをやるときは、少なくとも(月光に当たると気がふれるという)満月の夜は避けた方がいいと思うな、うん。

思いつき料理は作る人の特権

6月17日。天気が良くて、いかにも初夏らしい光なんだけど、気温はどうしても平年よりやや低め。この仕事はあした、こっちの仕事はその次の日と、一応の算段をしておいて、後はひねもすのんべんだらりの遊びモード。

今日は何を食べようかなあと、フリーザーの蓋を開けて思案。ちょっとしたコース料理もいいけど、今日は何となくめんどうくさい気分。刺身の残りのビンナガまぐろの塊あるので、ぼたんえびといっしょに手っ取り早くグリルにしようか・・・。

まあ、最初の目論見どおりの料理が出てこないのが極楽とんぼ亭の特徴で、そろそろ夕食の支度をしようかという時間になって、えびを蒸してみようと思い立った。頭を取って、殻をむいて、たまたま冷蔵庫に残っていたにんにくと唐辛子のペーストを日本酒で溶いて下味をつけておく。(何匹かはそのままシェフの口へ。う~ん、とろりとして甘い。ま、お味見は作る人の特権ということで・・・。)

[写真] ぼたんえびのチリ蒸し、まぐろとナスのグリル、ミックスご飯(赤米、タイ米など)

普通に売っている米ナスはやたらと大きいけど、近郊の農場で温室栽培したものが出回るようになって、これが2人が食べるにはちょうど手ごろな大きさ。今日はちょっとアジア風だから、オリーブ油の代わりにサラダ油を塗って、一番先にグリルにかける。まぐろの塊は思いついて細長く4本に切り分け、塩を振らずにグリル。ふと思いついて、白の炒りごまとシソのふりかけを別々に広げておいて、焼けたマグロを2本ずつ転がし、さいころに切ってみた。後は軽く5分ほど蒸したえびをナスの上に載せて、今日の想定外メニューは何とかサマになった。

ビンナガまぐろの味とシソの味がぴったり合っていたから、ふりかけも使いようでグルメ調味料にもなるという新発見(でもないのかな)。

たがの締めどころを間違えてない?

6月18日。土曜日。夜来の雨で、気温が下がって、湿っぽい天気。そのせいなのかどうか知らないけど、静か過ぎて、正午過ぎまでぐっすり眠ってしまった。(寝る子は育つ、と言われるあたりがちょっと気になるけど・・・。)

テレビをつけたら、若い男が泣きながら謝っていた。パトカーの給油口にぼろを突っ込んでライターで火をつけようとしている自分の写真を見て名乗り出たらしい。遠い郊外に住む高校生で、将来のオリンピック候補と言われる水球選手だそうだけど、「雰囲気に飲まれてしまった」そうな。それにしても、近頃はたがの締りの悪い人間が増えているのかと思うくらい、「みんなやっている」ことに流されて「たが」を外す人が多いなあ。何だかんだと足掻いた挙句に結局辞任に追い込まれたアメリカの連邦議員もその例なのか。名前に引っかけて「ウィーナーのウィーニー」と揶揄されていた。ウィーニーというのはウィンナーソーセージのことだけど、男の「あそこ」を意味する卑語でもある。ツイッターやフェイスブックが自分の延長のようになって、考えながら使うことを忘れたのかもしれない。頭で考えないから、つい雰囲気に流されてしまって、後で後悔するということか。ひょっとしたら、22世紀か23世紀の歴史の教科書に、「21世紀は理性のたがが緩んだ世紀だった」なんて書かれていたりして。

やれやれという気分で小町を見渡したら、『左利きの子供』というトピックが上がっている。またかいな。このトピックは定期的に上がってくるような気がする。何でも左手の2歳の子供。直すべきか、そのままにすべきか。書き込みを読んでみると、前は左利きは「見苦しい」、「他人に不快感を与える」、「箸を右で使うのは日本のマナー」と言ったヒステリックな感じさえする「矯正派」が多かったけど、今回は「放任派」が多いようで、ずっとお前には左利きがもてはやされた時期もあったように、また社会の風向きが変わってきたのかな。でも、左利きを「直す」とか「矯正」するとか言う右利きにはちょっとムカつくな。宗教的な理由もないのに左利きを容認すべきかどうかで唾を飛ばして議論をするのは日本くらいのものじゃないのかな。左利きが「不都合はない」と言っているのに、右利きは「不都合なはずだ」と譲らず、しまいには「不都合がないと言うけど、右利きを経験したことがないでしょう?」と言うのにいたっては、おかしくて笑いが止まらなかった。なんだ、左利きには右手を使う方が不都合なんだと、ちゃんとわかってるじゃないの。

つまるところ、矯正派の右利き主義者には左利きの人を見ると自分が「不快感」を覚えるから直すべきと言っているようなのが多い。生足を見ると気持が悪くて不快だからサンダルでもストッキングを履け。すっぴんは見苦しくて不快だから外へ出るときはメイクをしろ。アタシを不快にさせるのは何でも非常識、マナー違反・・・と言うのと同じパターンで、左利きを見ると(自分が)違和感を覚えて不快だから右利きになれということなんだろうな。要は、自分と違う人間の存在が「不快」なんだろうと思う。そういう人は概して自己を受け入れられないでいるか、あるいは他人を自分が描く「自分像」に押し込もうとしているような、つまり、自分のたがを他人にはめようとしているようなところがある。いやいや、ストレスになるはずと心配してくれるのはありがたいけど、左手を(ときには右手も)使って普通に人生を送っている左利き人はほんっとに不都合を感じないんだってば。

放任派は、利き手を変えるのは子供にとってストレスになったり、吃音障害が起きたりするからしない方が良いという。左手でうまくできることを言うことを聞かない右手でするというのは、脳の配線も変えなければならないから、発達途上の子供の脳には過酷なストレスになる。親が強制すれば、物理的なストレスの上にさらに心理的なストレスがかかる。ワタシも母に強制的に右手を使わせられて、吃音障害を起こした。そこで母が慌てて矯正をやめたおかげで、曲がりなりにも箸と鉛筆だけは右で小学校時代を過ごしたけど、いつも右手を使うのは不自然だ、「自分」ではないと感じていたから、ワタシの性格にも心理的に大きな影響が残ったと思うな。中学の体育の授業で右手に怪我をしたときに、自分の意思で完全な左手使いになったのは、人生で最初の「英断」だったかもしれない。

吃音障害のことを考えているうちに、ふと、日本語を話したくない時期があったのは、実は、「吃音」のように喉で詰まってうまく出て来ないために話したくなかったのかもしれないと思った。他人が求める「理想像」という、本来の自分と違う「型」にワタシをはめ込もうとする圧力の締め付けの苦しさが、どこかで左利き矯正で本来の自分の利き手ではない右手の使用を強制されたトラウマと重なって、同じような「言葉がつっかえる」現象が起きたのかもしれない。かといって、確信があるわけじゃないけど、どうもそんな気がして来た。(なにしろ、ワタシは「オレ様的圧政者」には抵抗する性質だから、そのときのストレスは大きい・・・。)

まあ、角を矯めて牛を殺すということわざの通りで、人間も無理な利き手変更の強制は良くない。いっそのこと、右利きも左利きも、全員そろって両刀遣いならぬ「両手遣い」になるように訓練したらいいのにな。だって、21世紀はどっちの手も柔軟に使えるほうが絶対に便利だから。

ネット空間にも群集心理が蔓延するのか?

6月20日。月曜日。あしたはもう夏の始まり(太平洋標準時夏時間午前10時16分に夏至)だというのに、相変わらず冴えない気候。まあ、ちょっとばかり平年より涼しいおかげでよく眠れているのかもしれない・・・というのは相変わらずの極楽とんぼ流思考だけど、普通ならそろそろイチゴ摘みの家族でにぎわっているはずに郊外の農場では肝心のイチゴがまだ青いままなんだとか。まあ、まだひと晩中ベッドルームにあるクーラーをかけたままで寝る日がないし、寝る前にクーラーをかけることがあまりないから、まっ、節電になっていいんじゃないの。電気料金は上がる一方なんだし・・・。

きのうは徹底的な「仕事日」。量的にたいしたことないやと高を括ったのが運の尽きで、なんだかややこしい学問の話。言っていることはイメージできるけど、一般的に学問の翻訳仕事は大学に行ってその分野の勉強をしなかったワタシにはやっぱり難しいことが多い。そこでよ~しと腕をまくってしまうワタシもワタシなんだけど、今はネットで検索すれば基礎的なことはわかるし、Google Scholarでいろなんな論文を検索することができるし、めったに使うことのない「文部省学術用語集」(訓令式ローマ字なのが痛いところだけど)を引っ張り出すこともできるし、20年以上の間に蓄積した自分なりのデータベースもある。でも、いつも一番難しいのは原稿の日本語の「解読」。あのね、やたらと今回の、今回のっていうけど、5年後には「今回」じゃないかもしれないでしょうが。でも、筆者が今その全霊を注いでいる事例なんだから、「今回の~」で誰もが「ああ、あれか」とわかる(はず)ということなのかな。

と、またしても2つの言語、2つの思考文化の隙間にガチンと挟まって悶々とするワタシ。終わった頃にはいつもの2倍の寝酒が必要なくらいにくたびれちゃったよ、もう。おまけに、カレシ相手にああだこうだと愚痴っているうちにソーセージを丸々1本食べちゃったし。あれ、なんだか晩酌しながらカミさん相手に仕事の愚痴を言っている中年おじさんサラリーマン夫に似てなくもないような。(人間て、一番エネルギー消費を要求されることについて一番愚痴が多いんじゃないかと思うけどな。)まあ、科学は下手の横好き的に大好きだし、「門前の小僧」流にいろんなことを見聞させてもらえるのがせめてもの救いだけど、年を取ってくると、こうやって互いにあさっての方を向いている言語の間を取り持つ太鼓持ち稼業は、いくらボケ防止の効果があると言われても、やっぱりしんどいなあ・・・。

ホッケーの後の暴動で、パトカーに火をつけようとしているところを撮られた写真を公開されて名乗り出た高校生は、未成年の17歳ということで法律で普通なら名前を公表できないことになっているんだけど、父親と相談の上で裁判所に出向いて自らの名前を公表する許可をもらい、新聞に長い謝罪声明文を掲載した。文章はしっかりしていて、なかなかしっかりした子じゃないかと感心したんだけど、世間はどうもそう思わなかったらしい。裕福な家庭の子で、親が弁護士を雇ったということもあるのか、弁護士の助言でしたことだろうという反応が多かった。それだけですまなくて、誰かが住所をSNSに載せたもので、脅迫状が届いたりして、父親は仕事を臨時休業にし、一家は急遽どこかへ「休暇」の名目で避難したという。なんとなく気持が落ち着かなくなるような展開だな。暴動の興奮を煽ったmob mentality(群集心理)が、今度はソーシャルメディアなどのネット空間に蔓延りつつあるような気がして、ちょっと怖い。

厳罰を求める世論調査の分析結果は、社会全体に「怒り」が充満していると表現していたけど、どうも最近は怒りだけじゃなくて、得体の知れない欲求不満や不安を抱えて、感情の抑制ができなくなっている人たちが多いような感じがする。暴動や略奪(悪)の対極(善)として大きく報道された合板の寄せ書きやパトカーへのメッセージの貼り付けも、ある意味で群集心理のなせる業じゃないのかな。今はストレスの多い社会だからと言われればそれまでだけど、たとえば、相手がまったく知らない不特定多数だったり、知っていても直接向かい合っていないネット空間では驚くほど大胆になる人たちがいる。匿名性やプライバシーの盾の後ろに隠れて、自分を嵩上げしたり、嘘八百を並べたり、他人に言葉の暴力を浴びせたり、中傷や誹謗で他人の人格や生活を破壊したりするのは、おそらく生身の相手が目の前にいるときはそういうことをしたくてもできない人間なんだろうと思う。そういう人間が群集心理を煽ってヴィジランティズムを蔓延らせるようになると、ネット社会は無法地帯になってしまいかねない。なんか、だんだん怖いことになって行っているような気がするんだけど・・・。


2011年6月~その1

2011年06月11日 | 昔語り(2006~2013)
衣替え、弛んだ筋肉を締めないと

6月1日。水曜日。寝たのは午前4時半すぎ。なぜかそろそろ寝るかという頃になっておなかが空いて、スモークサーモンの「トリム」を肴に寝酒。(トリムは超薄切りパッケージににするときに大きさをそろえるために切り落とした部分で、油の乗ったトロの部分なんかめっちゃおいしいし、おまけに規格外品だからめっちゃ安い。)さすがに6月。空の色が「夜の暗黒」から「曙」直前のおぼろ気に光を含んだ濃い青になる頃に就寝。そうだよなあ、あと3週間で夏至だもん。

やっと何となく夏が来るのかなあと言う気がしたもので、今日は「衣替え」。といっても、いつからが春で、いつからが夏で、いつから秋になって冬が来るのか皆目はっきりしない土地柄なもので、夏冬の衣料が通年でクローゼットに同居している人の方が多いかもしれない。ワタシもだいたいはそうなんだけど、全部まとめて突っ込んでおくにはスペースが足りない。そこで、季節が確実に移ったなと思ったときに、(七部袖の薄いものとか)夏冬の中間的なものを残して、山ほどあるTシャツの半袖と長袖を入れ替える。入れ替えながら、今年はタンクトップを着るような暑い夏が来るのかなあと考える。あと3週間で夏至なのに、夏、来るのかなあ・・・。

ついでにシーツも保温性の良い冬用のフランネルから肌触りがさっぱりした夏用のパーケルのものに「衣替え」。5月いっぱいフランネルのシーツで暑くなかったんだから、ほんとに今年の春がえらい低温だということは確か。この「衣替え」というやつ、中学・高校時代に「ある日」をもって全校一斉に夏冬の制服が切り替わったんだけど、その「ある日」というのが校則で決められていて、外の天気模様にはとんと関係なし。夏服になったのはいいけど教室で寒さに震えていたり、冬服になったら暑くて大汗をかいたりで、校長だって教師だって、毎日の天気から「衣替え」の時期かどうか判断できそうなもんだと思ったけど、たぶん、誰も判断したくない、かといって生徒に判断させたくもないから、何月何日という「衣替えの日」を決めてしまえと言うことかな。

それにしてもワタシの夏のワードローブ、なんかタンクトップやタンクドレスが多いなあ。トップは襟ぐりが深め出し、ドレスは膝上だし。ラスベガスのシルクドゥソレイユのギフトショップで買ったクレイジーなミニドレス、まだ着られるかなあ。なにしろおチビのワタシは普通の店にはめったに置いていないサイズ(4号/XS)なもので、気に入ったものはよけいに手放すのが惜しくなってしまう。ちなみに、北米の4号を換算すると日本では7号、イギリスでは6号、ヨーロッパでは34号なんだそうな。ヨーロッパの34というのはおそらくバストのサイズがベースなんだろうと思うけど、日本で7号ってのはほんとかなあ。日本にいた二十代の頃はたしか9号/Mサイズだったような気がするんだけど、7号ってSサイズに入るんじゃないのかな。ワタシ、そんなに小さくないし、もちろん細くもないんだけど。いつの間にかサイズの編成が変わったのか、ワタシが年を取って縮んでしまった(まさか!)のか、どっちなんだろう。まっ、暑くなるまでにちょっと弛みがちな筋肉を引き締めておくのが良策かな。

地元紙のVancouver Sunが州内80軒以上のファストフードやチェーンレストランのメニューをアイテムごとに、カロリーや脂肪、トランス脂肪酸、ナトリウム、炭水化物、砂糖の量を分析したFatabaseというのを載せている。(レストラン名やメニュー項目のキーワードで検索できる。)その中で、「殿堂入り」に値するくらいのびっくり数字が出たのがA&Wのルートビール・ミルクシェイク(大)。ラージというだけあって1リットル近い大きなジョッキで、なんと1720カロリーもある。しかもコーラ6缶分に相当する砂糖が入っていて、脂肪47グラム、トランス脂肪酸も5グラムで、おまけにナトリウムが1200ミリグラム(1日。の許容摂取量の半分)。その上、「ミルク」シェイクなのに牛乳の加工成分は入っていても、肝心の「ミルク」は入っていないんだそうで、その代わり乳化剤だの何だのすごいものがずらり。これに「おじいちゃんバーガー(チーズ入り)」を付けると合計2530カロリー。さらに定番のフレンチフライ(大)を付けると合計が3000カロリーを超える。成人の目安はだいたい1日。2000カロリーなので、1回の食事で1日。半分のカロリーが取れてしまうんだからすごい。というか、考えただけで胃がもたれて、胸焼けがしてくるな。

このハンバーガー、フレンチフライ、飲み物の定番3点セットで3000カロリーだから、これにあと2食分のカロリーを加えたら、いったい1日。でどれだけのカロリーを摂っていることやら。こんなんだから肥満が蔓延して、メタボ病が増えるんだと思うけど、そんなすごい量を食べられる人がたくさんいるから商売が成り立っているということでもある。いや、ワタシだったら、いくら腹ペコでもそんなに食べられないな。風船みたいに膨らんだカエルのごとく、パンッと破裂して昇天してしまいそう。大の大好物をたらふく食べてぽっくり逝くんだったらまだしも、ハンバーガーとフレンチフライじゃあ、死んでも死に切れないような・・・。

ホッケー熱は40度を超えて重症

6月2日。木曜日。雨模様。せっかく衣替えして「夏来るらし」の気分だったのに、また「異常低温」に逆戻り。世も末ってわけじゃないだろうな、ほんとに。ま、シーツだけ夏物に変えて、毛布は冬物の純毛のままで、その上にベッドの半分のサイズの純毛のスロー毛布をかけておいたので、寒くはなかった。それでも、正午のポーチの気温はやっと10度。それでほんとに6月なのっ?!

昼のニュースを見ながら朝食。ニュースはきのうのホッケーの試合で持ちきり。ダウンタウンは警察の推定で4万人のファンで埋まったそうな。それでも、ごくごくマイナーな問題がいくつかあっただけだというから、ストリートバーティの楽しみ方がわかったのかもしれない。ケッサクだったのは、カナックスのバロウズとブルーインズのベルジュロンがもみ合いになって、バロウズが相手の指に噛み付いたという話。ベルジュロンがグラブを外していかにも「指を噛まれた~。いてぇよ~」と言うように指を突き出して見せているのがケッサク。たしかにバロウズが口に入ったグラブを噛んでいるように見えるけど、あのごっついグラブをカブリと噛んだところで、中の指は痛くもかゆくもないんじゃないかと思うなあ。ボストンはバロウズの出場停止を要求したけど、いくらなんでもばかばかしくて、バロウズはお咎めなしということになった。目ざとい人がさっそく「ホッケー・フィンガー」と言うスナック菓子を売り出したのもケッサク。

決勝戦の対戦相手がボストンに決まって、州内の「ボストンピッツァ」チェーンが一斉に看板の「ボストン」に線を引いて、「バンクーバーピッツァ」と改名?したと思ったら、フレーザー渓谷を奥へ入ったところにある「ボストンバー」という町が6月いっぱいは「バンクーバーバー」に改名することにして、ハイウェイ脇の看板に「新町名」の看板をかけたと言うニュース。ボストンバーは今こそは見る影もなく寂れているけど、その名の通りマサチューセッツ州ボストンから金を掘り当てようとやって来た人たちが開いたゴールドラッシュの町。ホッケー熱に便乗して観光客誘致を図ろうということらしい。はて、他にもまだあるかな、ボストン・・・?

プロスポーツのプレーオフのシーズンになると対戦相手の都市の市長同士が賭けをする伝統みたいなものがある。たいていは1日。とか負けたほうの市長が勝った方のチームのユニフォームを着るといった他愛のないものだけど、ときには話題性を狙って知恵を絞った賭けになることもある。何年か前にカルガリーとの試合でバンクーバーが負けたときは、当時のバンクーバー市長が真夏のカルガリーに出かけて行って大汗を書きながら道路のアスファルト舗装をやっていたし、ナッシュヴィル・プレデターズとのラウンドでは、バンクーバー市長宛てに数キロもある大きなハムが届いたと言う。そこで、ボストン市長とは何を賭けるか。誰かが派手なグリーンのスパンデックスに全身を包んでアリーナに出没するGreen Menの仮装をやってもらおうと提案したらしい。まあ、アメリカでも格式と伝統を誇るボストンの市長だから、そこまではやれぬと拒否されたという話だけど、ちょっと悪乗りのし過ぎだな。ウェストコーストは自由奔放なところなんだけど、それでももう少し品格のある賭けを考えつけないのかなあ。

ホッケーのついでで、「えっ」というような偶然のできごとが話題になっている。ことの始まりは、ウェストバンクーバーでエドモントン・オイラーズの若手スター選手ブルーレがトラックで走っていて親指を立ててヒッチハイクしている2人連れに遭遇し、その1人がロックバンド「U2」のボノにそっくり。でも同情していたガールフレンドが「ボノがこんなところでヒッチハイクしているわけがない」と信じてくれない。少し通り過ぎたところで「危ない」と渋るガールフレンドの説得に成功して、回れ右。まだ親指を立てていた2人を拾ってみたら、正真正銘のボノだった。ブルーレの愛犬といっしょに後部席に座ったボノと連れを(どうやら別荘があるらしい)ホースシューベイまで送り届ける間に、水曜日にエドモントンでコンサートがあるから舞台裏へ来ないかと誘われ、持っていたカナックスの試合のチケットを手放して、ガールフレンドとお母さんを伴ってエドモントンへ。チケットに憧れのボノのサインをもらって、ホッケーのスター選手ブルーレがティーンのようにはしゃいでいるのがかわいかったけど、それにしても、すごい偶然・・・。

さて、今日はまた閉店間際に飛び込んできた超特急の仕事。野菜が底をついて来たから買いに行くはずだったんだけど、とにかく仕事のあると気が「営業時間」ということで、ねじり鉢巻で時計を横目に格闘。まあ、普通の倍の料金を払ってくれるそうだから、格闘のしがいもあると言うもの。どのクライアントもこうだったらうれしいけど、でも、そうなったら1日。10時間で月月火水木金金のワーカホリックに戻ってしまいそうだから、生活と健康のためにはそうならない方がいいかな。最近よくお目にかかる「ワーク・ライフ・バランス」というやつだな。だけど、かけ声は大きいけど、その実践には日本の客筋が難儀しているくらいだから、下請けの自営業にはもっと難しいなあ。在宅稼業だから、人知れず適当にサボることはできるんだけど、サボりすぎたらご飯が食べられないから、やっぱりバランスというものを考えないと・・・。

おたふくは日本古来のハッピーフェイス

6月3日。金曜日。よく眠って、それでも寝たりない気分で起きたら、いやあ、いい天気。6月なんだもん、こうでなくっちゃ。(せっかくの好天の週末なのに、メールをチェックしたら、また月曜日と火曜日が期限の超特急のおきみやげ2つ。う~ん、へんな癖をつけてもらっては困るんだけどなあ。でも、日本の協会の掲示板を見たら、震災以来仕事が激減したと嘆いている人たちがけっこういるから、仕事がある分、ぜいたくは言えない。それはわかってるんだけど、閉店間際のおきみやげだけは、なんとかしないと・・・。

朝食もそこそこに、今日はヘアカットとカラーリング。カレシはアントニオに「散髪」をしてもらいながら、アントニオの庭に植えてあるイチジクの苗木をもらう話をしている。イチジクは傷みやすいらしくて、店に出て来るときはすごい値段になるから、自分の家の庭で採れたら最高だな。イチジクのジャムを作ってみようかなあ・・・なんて、取らぬ狸の皮算用。ワタシはまず色あせたハイライトを入れ直して、白髪を隠してもらう。うん、さすがに白髪が増えたな。ま、そういう年なんだからいいんだけど、明るいワインレッドのハイライトを入れるとそこかしこにヘンに白いのがあるとじゃまっけなのだ。だから、全体が女王様のようにすてきなシルバーになるまでは白髪は退治しないとね。

カラーが入ったところでヘアカット。鏡に移る自分の顔を見ていたら、いやあ、なんともいえない「おたふく顔」だなあ。うん、まさに子供のときにお正月に遊んだ「福笑い」のあのおたふくの顔。おたふくは「お多福」と書いて、昔からたくさんの福をもたらす顔と言うことになっていたらしい。つまりは、日本古来の「ハッピーフェイス」ってことかな。ふくよかに微笑むおたふくさんは日本のモナリザ・・なんてことにはならないだろうなあ。なにしろ、長い時代の移り変わりと共に、小顔だのデカ目だのとアニメチックな顔がもてはやされるようになって、今では日本のオリジナル・ハッピーフェイスは「ブス」の代名詞みたいなことになってしまっているらしい。自分の顔だからというわけじゃないけど、平安絵巻を見ても女性はみんなおたふく顔に描かれているから、あんがいこれが正統派の日本女子の顔なんじゃない? 

先に終わったカレシが先に帰って、次のアントニオのお客は髪もひげもまるで1年も野宿していたんじゃないかと思うくらいに伸び放題でもじゃもじゃ。のっぽで毛糸の帽子をかぶっているから、何となくヒッピーがそのまま年を取ったような感じ。それが、なのだ。白髪交じりの髪を短く刈って、ひげをきれいに整えたら、あら・・・。大学教授か何かのような、知性派のおじさまに変身。こういうのを「いぶし銀のような」と形容するのかな。ほれぼれするような、しぶくて、品があって、ちょっとセクシーな中年のおじさま。50代かな?ちょっぴり年を取ってからのショーン・コネリーみたいで、さすがのワタシもうっとりと見とれて目の保養。(カレシが帰った後でよかった・・・?)

おめかしが終わった後は、カレシに迎えに来てもらって、野菜類をどっさり仕入れて、帰ったらもう夕食の時間。カレシ菜園のビーツの葉をきのこと一緒に炒めて、カジキを焼いて、おとといの豆サラダの残りを添えて、何を思ったか買いおきのブータンの赤いお米でご飯を炊いて、今日の夕食はなんだかすごい大盛りだこと・・・。

最近は世界の珍しい米が小さなパックで手に入るようになって、物好きなワタシはさっそく試し買い。このブータンの赤い米は一見して玄米のように硬そうだったけど、普通の白米と同じくらいの時間で炊けて、甘みや粘りは少ない。前に炊いてみた発芽玄米と同様に「ご飯」が苦手なカレシも気に入ったようすだから、また買って来よう。聞くところによると、日本でも米作が始まった古代には赤い米を食べていたそうで、ワタシにはこういう古代の赤や黒の米の方が好みに合うんだけど、いつから白い米のご飯が主流になったんだろうな。食の歴史もその国の文化の歴史と結びついているはずだから、調べてみたらおもしろいかも・・・。

海賊船とぼたんえびとホッケーと

6月4日。土曜日。おお、やっと季節にふさわしい好天。絶好のお出かけ日和だ。朝食のテーブルについて、昼のテレビニュースを見ていたら、ダウンタウンはすでに人がどっと繰り出して、ホッケーの試合前のストリートバーティが始まっている。試合開始は5時なんだけど、すごいフィーバー。

今日はイアンとバーバラを誘って、スティーブストンのフィッシャマンズウォーフまでぼたんえびを買いに行くことになっていた。ファーマーズマーケットや帆船祭りもあるので、天気もいいことだし、かなりの人出を覚悟して、朝食を済ませてから川向こうのリッチモンドに住む2人をピックアップ。スティーブストンはリッチモンドの南の外れで日系カナダ人のふるさとみたいなところ。昔は缶詰工場などが並んでいたあたりは、今はレストランやみやげ物やがあって、ちょっとした行楽スポット。週末の遅いランチの時間と言うこともあって、家族連れがぞろぞろ。まずは岬の公園まで歩いて、4隻並んだ帆船を見物。「レディ・ワシントン」といういかにも昔風でかっこいいのは、英語
の「パイレーツ・オブ・カリビアン」の撮影に使われたものなんだそうな。思ったよりも小さい。アトラクションで1日。に1回か2回、もう一隻と大砲をぶっ放しての「バトル」をやるらしい。チケットを買えば実際に船の中を見られると言うので、長~い行列ができていた。 

気持のいい海風に吹かれながら、公園からフィッシャマンズウォーフまで歩き、漁船が並んでいるドックへ下りて行って、まずはモノの下見。大きなグレープフルーツくらいの生きたウニ。これは買っても扱いに困るなあ。昔1週間ほど日本からホタテ養殖の指導に来た漁師さんたちの通訳としてバンクーバー島に出張したことがあって、ランチの時間といえばパブに入り、夜はホストの家でわいわい飲んでの楽しい仕事だったんだけど、そのうちの1日。は「休養」と称して船釣りに出かけた。時間的に遅かったのでサケは釣れなかったけど、ちっちゃな島に上がってスナック。そのとき漁師さんたちが海の底にウニを見つけ、網ですくい上げてポケットナイフでパカッと2つに切って「はい」と渡され、ワタシは目を白黒。でも、殻から指ですくって食べたウニは絶品だったな。(牡蠣の養殖場に行ったときは、オーナーが浜で海から引き上げたばかりの手のひらほどもある牡蠣を開けてくれたけど、あれも海水の塩味が絶妙だったな。同行通訳にはそういう思いがけないご利益があった・・・と脱線。)

生きたエビを売っている船では、触手がヒラヒラと動いているのが1ポンド12ドル(約500グラムで千円くらい。)だけど、ちょっと高いし、生きているのは処理に困りそう。冷凍すればどうせ死んじゃうわけだしということで、別の船をのぞいてみる。サケを売っている船も何隻かあるけど、今はシーズンじゃないから冷凍もの。船上で急速冷凍したエビを売っている船もあったけど、手がかかっている分単価は高い。まあ、ぼたんえびはこのあたりは今が漁期だから、わざわざ冷凍したものを買う必要ないし・・・。結局、ドックの端の方の船で大きいのを3ポンド(20ドル)、別の船で小さいのを2ポンドで10ドル、ついでに別の船でカレイを4匹(5ドル)の買って、トートバッグはずっしり。今日は大漁、大漁・・・。

イアンの提案で、ビールを飲みながらホッケーの試合を見て、夕食と言うことになり、2人の家に戻って、買い物をバーバラの冷蔵庫に詰め込んで、チップをかじりながらホッケー見物。ワタシとバーバラの応援の方がおしゃべりに夢中の男たちよりもにぎやか。第2ピリオドが終わったところで、バーバラとエビの頭をむしって、背わたを取る作業。同点で終わった第3ピリオドの後で調理するだけのところまで用意して、延長ピリオドが始まるからテレビの前へ・・・と思ったとたんに男たちが歓声。なんと開始後11秒でカナックスがゴールを決めてシリーズ2勝目。やれやれ、気をもませる連中だなあ。まっ、落ち着いたところで、バーバラが付け合せにする野菜を蒸し、冷凍してあったご飯を電子レンジで温めている間に、ワタシはガーリックとレモンでエビのバターソテーを作り、おしゃべりをしながらの夕食。おしゃべりをしながらのデザート。そしてまたしばしおしゃべり。

帰ってきたらもう11時過ぎ。さて、これから2キロ半もあるエビを冷凍処理しなくちゃ。[写真]

今日は1日。中目いっぱい遊んだ分、明日は大車輪で仕事だなあ・・・。

有機栽培なら安全というわけでも

6月5日。日曜日。今日もいい天気。(日陰の)ポーチの気温は正午で20度。きのうはよく遊んだおかげで、よく眠って、すっきり目が覚めた。ワタシは元々効率的に日焼けするタイプなもので、ゆうべ少し赤くなっていたVネックの胸がもうほんのりと日焼け色。夏は近い。きのうはほんとに楽しかった。ドックで飛行機を見上げていたワタシがカメラの方を見てポーズを取らないうちにカレシが撮ってしまった写真。サングラスにジーンズ、たまたまそろって横じまのTシャツ(そしてワタシは野球帽)といういでたちの「おばちゃんコンビ」。ふむ、ヘンな人に挨拶されちゃったりして・・・。

きのうはホッケーの決勝戦第2試合で、ダウンタウンでは7、8万人が集まったそうな。写真を見たら、グランヴィル・ストリートは歩道も車道も人、人、人。朝からストリート・パーティをやっていたせいもあってか、相当に酔っ払った人も多かったらしい。顔にカナックスのロゴを塗ったりして、動物みたいな奇声を張り上げているのはまだかわいい方で、街灯によじ登ったり、ビルの屋上や看板の上に登ったりするおバカが続出して、警察も消防も大忙しだったらしい。たいていが二十代くらいの男というのが定番なのは、今どきの時代相を反映しているんだと思うけど、どうやら荒れることはなかったようで、ひと安心。チームはけさチャーター機でボストンへ向けて経った。ボストンでの2試合のうち1試合は相手に勝たて、地元バンクーバーに戻っての第5試合で優勝ということになれば劇的だと思うけど、そうなったらダウンタウンの人出は10万人ではきかないかなあ・・・。

ドイツで起きた大腸菌汚染はドイツで生産したモヤシらしいという話。ほんとうにそうだったら、容疑者にされたスペインのきゅうりはえらい迷惑だな。スペインの野菜類をそっくり輸入禁止にしたところがあったり、EUの野菜を輸入禁止にしたところもあったりで、どれが危ないのかわからないから、全部まとめて拒絶すれば安全ということか。カレシ曰く、「モヤシを育てる水が汚染されていたら危ない。有機農業だって、完全に熟成していない堆肥だったら、細菌類が生きているから危険なんだ」と。家庭菜園でも自家製の堆肥を作る人が増えているけど、そのうちにしっかりした知識がないままで大腸菌による食中毒になる人が出てくるかもしれないな。そんなことになったら、プロの農家がしろうとの生兵法で損害を被ることになりかねない。知識は力なりというけれど、「みんながやってる有機栽培を我もやってみん」というのが一番怖いような・・・。

我が家ではカレシがよくブロッコリやレンズ豆のもやしを作る。特にブロッコリのもやしは栄養価が高いそうで、ワタシの大好物。キッチンのカウンターでスプラウターという底がメッシュになった専用の容器に種をまいて作る。毎日1回か2回、水道の水をかけてやるだけで手軽なのはいいけど、それでもうっかりするとカビが生えてしまうことがある。キッチンでふた付きの小さな容器でやってこれなんだから、大がかりな設備で大量の水を使って作る市販のもやしはあんがい危険度が高いのかもしれないな。殺虫剤や除草剤のような農薬を使わない有機栽培だといっても、作物が必ずしも「安全」というわけではないということで、いいかえれば、農薬を使わない分、細菌汚染が起きる可能性が高いということもありえる。抗生物質や抗菌剤をやたらと使って来たせいで、バイ菌は薬に対する耐性を高め、無菌状態で育つ人間の方はバイ菌に対する抵抗力が弱まる。感染症の治療薬はますます強いものが必要になって、そのうちに薬を使った人間の方が死ぬくらいの強さでないと効き目がなくなるかもしれない。そんなことになったら、人類にとっては最悪だと思うけど・・・。

隠し通せると思うのがまちがいのもと

6月6日。月曜日。今日もいい天気。正午前にパッと目が覚めた。日本時間で朝一番に期限の仕事がある。残りの量からして、う~ん、ギリギリかなあ。だから、よけいにのんきに寝てられない。さっと起きて、ベーコンとポテトとマッシュルームのソテーにカレシ特製のスクランブルエッグでしっかりと腹ごしらえ。コーヒーマグを手に、そそくさとオフィスへ出勤、20秒・・・。

時計を横目に、せっせとキーを叩く。ちょっとした「不祥事」の報告書をちょくちょく持ち込んでくる会社だけど、たいていはほんとにちょっとした「ポカミス」で、たぶん上司に叱られて一件落着となりそうなもの。そんなうっかりチョンボを防ぐための処置が品質管理の分野でときどきローマ字で登場する「ポカヨケ」。でも、生身の人間のやることだから、どんなに細かく規定したマニュアルを作っても、ポカミスはなくならないし、逆にマニュアル化が進めば進むほど増えて行くような気がしないでもない。そういえば、だいぶ前に原子力発電所での事故防止のための「人間信頼性解析」ツールなんてものを訳したことがあったけど、千差万別、十人十色の人間がやることを学者がいくら分析したって、こうすればヒューマンエラーは完全になくなるというシステムは、人間をロボット化しない限りはありえないだろうな。学者は可能だと考えるかもしれないけど、それはもうハクスリーの『Brave New World』の怖い世界・・・。

とにかくわき目も振らずにキーを叩いて、期限ギリギリに終了。きっかけはポカミスなんだけど、すなおに謝れば穏便に失地回復できそうなのに、言い訳やら嘘で隠しているうちに二進も三進も行かなくなったというのが事の顛末らしい。福島原発事故に関してあれこれ報道されてきた政府や東電の言動と重なってきて、やっぱり「隠蔽志向」は文化なんだなあとヘンに納得してしまった。職務上のことだから相手があるわけで、相手がいれば隠したくても隠し通せるもんじゃないと思うんだけど、サービス分野でのことで原発事故のような被害はないからいいものの、ミスをしたらやっぱりとっさに「知らないようにしなければ」という反応になるのかな。政治家や有名人が起こすスキャンダルだって、最初は否定しても結局は公に認めて謝罪して、なんともかっこ悪いことになるという流れが多いけど、みんな隠し通せると思ってのことなんだろうか。おエライさんたちが雁首をそろえて「せ~の」と謝罪する光景を見慣れすぎてしまって、あまりかっこ悪いことでもなくなったのかな。どういう心理なのか、不思議だな。

とにかく、ギリギリまでかかったけど、ひと仕事終わって夕食でひと息。今、ニュースサイトを見たら、福島原発の事故は1号機から3号機まで全部メルトダウンどころか、もっと深刻な「メルトスルー」の可能性があるという話。炉心溶融じゃなくて原子炉貫通。要するに溶けた核燃料が原子炉の底から格納容器の中に出てしまったということらしい。国際原子力機関に出す報告書の中にそう書いてあったんだそうな。原子炉の底が抜けてしまっていたら、華々しく発表した事態収束のロードマップも紙くず同然になってしまうな。格納容器まで底が抜けて、燃料が外へ出てしまうなんてことにならないと良いけど。だけど、国際機関に提出する報告書はひと晩で書き上げられるものじゃないから、政府も東電もずっと前からそういう可能性があることを知っていたってことだろうな。国民を不安に陥れないために黙っていたとか?放射能汚染を不安に思っているのは日本国民だけじゃないんだけど。大気中に出た放射能も、海に流れ出た放射能も、土壌に滲みこんだ放射能も、いずれは世界中を回ることになるんだけど。もう情報発信も何もどうでもいいから(どうせ意味ないだろうし)、とにかくさっさと何とかしなってば、もう・・・。

浅草だけが伝統の世界じゃないよ

6月7日。火曜日。ちょっと曇りがち。でも、まあまあの天気。今日はさしてやらなければならないこともないから、カレシをちょっとくすぐって起こして、しばしの間、いちゃいちゃ、だらだら。たぶん、老夫婦の暮らしとしては、まあ上々ってところかもしれないと思いつつ、だけど、まあよくここまで来たもんだなあとも思いつつ、しばしの間まだ半分寝ぼけているカレシにちょっかいを出す。思い出せば、ワタシ、いわゆる「ジューンブライド」だったんだけどなあ・・・。

今夜の英語教室の準備に勤しんでいるカレシを横目にのんきにネットサーフィンをやっていたら、「浅草芸者の紗幸さんが芸者を辞める」という記事。置屋の「おかあさん」が病気で活動できなくなったので独立したいと言ったら、芸者組合から除名されたのか、やめさせられたのか。どっちかはよくわからないけど、どうも浅草の花柳界で独立するためには日本国籍でなければならないという規定があるらしい。紗幸さんは実はメルボルン出身のオーストラリア人。慶応大学を出て、しばらく企業勤めをした後で、オックスフォード大学で人類学を専攻して博士号を取り、研究活動が高じてとうとう本物の芸者になってしまったという人。

紗幸さんにはおととしのシドニーの会議で会った。基調講演として、ビデオを交えながら、芸者になったいきさつ、「芸者」の世界の虚像と実像などの話をしてくれた。講演の後でほんのひと言かふた言、挨拶程度の交換だったけど、不思議に着物姿がしっくりと合っていて、まったく違和感のない人だった。英語で話していなければ日本人でないことにも気が付かなかったかもしれな。その後のあるセッションで、紗幸さんがワタシのとなりに座ったときは、体中がぞくぞくしてしまって、ただ横顔をちらちらと見るだけ。カチッと着物を着こなして、背筋をまっすぐに伸ばして、両手を重ねて膝においている姿は、「凛」いう言葉でしか表現できないようなオーラがあって、これこそ古来から理想とされる日本女性像だと思ってしまったくらい。(去年は谷中界隈を歩いていて、紗幸さんとすれ違った。白塗りの化粧をしていない地味な着物姿の紗幸さんは「下町」の風景にしっくりと溶け込んでいて、誰も「着物を着た外国人」とは気づいていないようだった。)

まあ、薄れつつあったとは言え、当時はまだカレシが集めた「アタシこそ正真正銘本物の従順でチャーミングな日本女性よ~」とアピールしまくっていた若いオンナノコたちの、さしずめキャバクラ嬢といったイメージが焼きついていたから、紗幸さんというプロの芸者さんを目の当たりにした印象が強烈だったのかもしれない。ほんとに、雲泥の差というか、天と地の差というか、バイトでもやれる「キャバクラ嬢」のイメージの違いがあまりにも強烈だったせいか、ワタシを「日本人をやめた恥ずかしい外国かぶれ」(だから早く別れろ)とアピールしていたオンナノコたちは所詮「そういうオンナたち」だったんだという、大文字の太字の下線付きの結論がワタシの心に刻まれたらしい。(一番カレシを翻弄した既婚オンナはホステスだった確率が高いし・・・。)まあ、同時に「んっとにアホなやっちゃなあ」と思ったけど、カレシは「興味ない」と講演をすっぽかし。でも、出席していたら、カレシなりに目から鱗の何かがあったんじゃないのかと思うな。

それにしても、ワタシのアイデンティティを木っ端微塵にして踏みつけにした日本の「今どきオンナ」に対する怒りや呪う気持を吹っ切れずにいたワタシを解放してくれた人が実はオーストラリアで生まれ育った白人の「ヤマトナデシコ」だったというのはの皮肉な話だと思う。ワタシにとって紗幸さんは長い葛藤の最後のターニングポイントになった人。事情はわからないけど、そんな彼女も日本で生まれ育った日本人ではないということで、日本の「伝統」の壁に突き当たったんだろうか。浅草芸者は日本国籍でなければダメという規則があるのなら、組合が「特別にやらせてやった」と思っていても不思議ではないし、しきたりに従わないということで生粋日本人の芸者衆との間に軋轢もあったらしい。「芸者とは芸の人(アーティスト)であって、娼婦ではない」と、伝統芸能としての芸者のイメージを広めようという彼女の心意気はすばらしいけど、講演では「芸者はアーティスト」という解釈を字義通りに考えすぎているのではという感じもしないではなかった。

はて、浅草を出て別のところで芸者「紗幸」を続けるのか、あるいは人類学者フィオナ・グレアムに戻るのか。どっちにしても、ワタシはあの凛とした着物姿を忘れることはないだろうな。

我が家の幻の「地下室の住人」て・・・?

6月8日。水曜日。午前11時55分に目覚ましのアラームで起床。今日は掃除の日で、いつも12時半頃に来るから、正午を過ぎていつまでも寝ていると、シーラとヴァルに「朝よ、朝っ」とばかりに起こされてしまう。まあ、仕事もあるし、買い物もあるから、早く起きるにこしたことはないけど。

今日の郵便にまたまた統計局からの封筒。国勢調査のアクセスコードが来たときに、「幻の地下室の住人」の分もあったので放っておいたら、しばらくして「お忘れなく」とまた来た。いくら催促されたって、我が家の地下室は間貸しをしていないので、「住人」はいるとすれば幽霊くらい。国勢調査で幽霊人口まで数えるわけには行かないから、そのうちに何か言って来るかなと思って放っておいたら、今日の封筒は大きくて分厚くて、しかも「地下室」宛。よく見ると、国勢調査ではなくて、「2011年度世帯調査」と書いてある。興味津々で(間借り人の幽霊に代わって)封を切ってみたら、何だか国勢調査の「Long form(詳細版)」とそっくり。同封のレターには「あなたの世帯が抽出されました」と書いてあるけど、そっか、なんだかんだ言いながら国勢調査と切り離したってことか。前回までは5世帯に1世帯の割で詳細版の質問用紙が配られていて、我が家にも何回か前に来たことがある。職業だとか収入だとか出生地/出身国だとか、何十項目も質問があって、めんどうくさいことこの上ない。

「どうなってんだ」とムカついたカレシがオフィスで問合せの電話番号をポンポン。何は1、あれは2と押していったら、「待ち時間は10分以上です。優先順位が失われますので、電話を切らずにお待ちください」とのご案内。スピーカーに切り替えて、悠長な「白鳥の湖」の音楽を聞きながら待つこと13分。やっとちょっとフランス語訛りのある女性が出た。聞かれるままに地下の「幽霊アパート」のアクセスコードと名前と住所と電話番号を伝えて、事情を説明。「誰も住んでいないんですか?」と聞くから、間貸ししていないから誰も住んでいないと返事。「最近の新築ですか?」と聞くから、ノー。仕事をしながら聞いていると、向こうはコンピュータを操作しているらしい。なぜか我が家には地下に貸室があることになっていたらしい。「どこからそういう情報が行ったのか知りたい」とカレシが言ったら、「さあ、わかりません」。だけど、同様の問合せが何百件も来ているそうなので、どうやら統計局のコンピュータの設定がおかしいんだろうな。大丈夫なのかなあ、国勢調査。信頼性をなくしちゃうよ。

まっ、なんとかありもしない「貸室」を削除してもらって、やれやれ。今の土地に住み着いたのは1982年の秋。その当時は築後36年の古い家が建っていて、地下に貸室を作った形跡があった。ただし、キッチン、トイレがなかったから、たぶん老人の家主の親族が住んでいたんだろうと思う。土台のコンクリートにひびが入っていて、家の外のバラの木に水をやると、中に水が流れ込んできた。そんなんだから、とにかく湿気がものすごくて、ペーパークリップが1ヵ月と経たずに錆びて、紙に茶色く跡が残ったもんだった。ワタシたちが買う前の国勢調査で「貸室がある」ということになった可能性も考えられるけど、いくらなんでも30年も前のことだから、やっぱりありえないかな。それにしても、何百件も問合せがあったということは、よくわからないまま「幽霊人口」を報告してしまった家もあるんじゃないかと思うけど、2011年国勢調査の信頼性、いいのかな。人口統計の出典に「2011年国勢調査。幽霊を含む」なんて書かれたりして・・・。

カナダポストはストに入っているけど、今のところこうやって郵便は届いている。郵便が公営だった頃はごり押し組合が全国で一斉に郵便を止め、不便と迷惑を被った国民が雇用主である政府に圧力をかけて、すごく贅沢な賃金や労働条件を勝ち取っていたけど、民営化され、インターネットや携帯や自動振込みが普及した今は郵便への依存度が下がって、ストをするぞと脅しても国民は「あっ、そう」と冷ややか。それで拠点をくるくると変えて、カナダでは珍しい24時間の時限ストをやることにしたらしい。でも、拠点ストが始まって郵便の量が半減したとかで、カナダポストはレイオフをして、都市部の配達を月、水、金の週3回に縮小するそうな。まあ、いつも広告のごみ郵便ばっかりだからどうってことなさそうで、組合が自分の首を絞めているような観もあるな。自動車の時代になって乗合馬車の御者がストをやるようなものかな。噂によると、新採用の初任給が時給24ドル、有休が7週間だそうで、さすが元公営企業だという感じがする。でも、そんな高給でチラシ配りってのも何だかなあ。まあ、今やsnail mail(かたつむり便)と呼ばれる郵便だけど、カナダでは前からかたつむり並だったから、週3回でもさして変わらないか。

宅配便とカン違いしてない?

6月9日。木曜日。朝からヘンな一日。10時過ぎに芝刈り機のモーターの音で目が覚めた。起き出して窓の外を見たら、ガーデナーのジェリーが向かいのマージョリーの芝生を刈っているところ。ささっと髪だけとかして、着替えをして、玄関のドアにマグネットで止めてあった封筒をつかんで外へ。(ん、防犯アラームがセットされていない!)先月の芝刈り料金、ポストに投函したら郵便ストでどこかに引っかかってしまうかもしれないから出さなかったの、とジェリーに小切手の入った封筒を渡したら、ん、この人もずいぶん頭がごま塩になってきたなあ・・・。

家に戻って、また着替えをしてベッドにもぐり込んで寝なおし。慣れと言うのはすごいもので、外でモーターがガリガリ唸っていても、何となく眠りに落ちしてしまう。耳栓をしているカレシは全然目を覚ますことなく高いびきですやすやだからなおすごい。でも、せっかく寝なおしたけど、10時45分に目覚ましが鳴って目が覚めた。今日はカレシが州税の監査官だったころの同僚たちとの同窓会的なランチに行く日。カレシをや肘鉄でやさしく起こしてあげて、ジェリーに小切手を渡したこと、アラームがセットされていなかったことをもぐもぐと報告して、ワタシは今度こその気分で寝なおし。カレシは簡単な朝食を取って、迎えに来たイアンといっしょに出かけたらしい。

ひと眠りして目が覚めたらほぼ正午。コーヒーメーカーのポットには1人分のコーヒーが「保温」状態。シリアルを出してきて、パンをスライスしてトースターに入れ、昼のニュースを見ながら、ついでに『On The Road』を読みながらのおひとり様朝ごはん。やっぱり何となく味気がない気がするな。ボストンで2試合続けて大負けしたカナックスは今日バンクーバーに戻ってくるらしい。どうなっちゃんだろうな。きのうの夜はさすがのダウンタウンもしんみりしてしまったらしい。7戦制で2勝2杯になってしまったから、この先は「Best of Three」。どこで何が狂ったのか知らないけど、悪い憑き物がついたような感じだな。まあ、ボストンのゴールキーパーがホットなんだけど、バンクーバーのルオンゴは精神的にちょっと繊細なところがあるからなあ。ほら、オリンピックで金メダルを取ったときの感動を思い出して、一念発起で発奮しなってば。

さて、仕事。これが人様がやった翻訳を編集するというどえらい仕事で、編集が苦手で普通は引き受けないワタシは頭がくらくら。これを通過すると本業の翻訳の部分に行き着くという手順。時間的にきついから、まともな翻訳だったら、誤訳さえなければあまり手を入れずにすいすいと行けるんだけど、甘かったなあ。かなりすごいことになっている。お堅い文書なのに途中で突然「タメ口」風の表現が飛び出して来たり、原稿にあるものがなくて、原稿にないものがあったり・・・。なぜ編集を引き受けないか、今さらながら思い出したけど、ま、今回は翻訳とワンセットだからしかたがない。しかたがないとは思いつつ、歯軋りしながら死ぬ思い。翻訳者と編集者は車の両輪のような関係だけど、簡単に入れ替えるわけには行かないみたい。うん、よそ様の翻訳の編集仕事はもう金輪際引き受けないぞ。やだ、やだ。もう、金輪際やだっ!

やれやれという気分で送り出して、夕食をして、戻ってみたら、ん、いつの間に仕事が3件も?日本はもう金曜日の午後だから、ふむ、またあっちもこっちも置きみやげ。ほんとに悪い癖がついてしまったみたい。もう、カナダポストみたいに24時間ストでもしようか。(やってみたところで、料金値上げどころかお払い箱になるのが関の山だけど。)あのねえ、ワタシは翌朝配達のフェデックスでも黒猫ヤマトの宅配便でもないっつうのに・・・。

カタカナ英語とバイリンガルの関係?

6月10日。金曜日。まあまあの天気で、けっこうのどかな日になるかと思ったら、今日はホッケーの第5試合があるとかで、起きて昼のニュースを見たら、交通止めの区域が拡大されて、もう人が集まり始めているとか。中継の開始は午後5時で、最初のフェースオフでパックを落とすのはもっと先なんだけど、気が早いというか、気合が入っているというか、不安症増幅中というか。まあ、今日の試合でまた大負けしたら、スタンレー杯獲得はあきらめた方がいいかも・・・。

とりあえず、きのうの仕事でわやわやになった脳みそをリセットして、リプログラムするために、午後は「のんべんだらり」モード。(この、「わやわや」ってのは北海道語だったけかなあ・・・。)日ごろ2つの言語を手玉にとってご飯を食べているもので、小町に『イラッとするカタカナ語』というトピックは見逃せない。カタカナ(英)語批判のトピックはよく上がって来るところを見ると、全国津々浦々蔓延しているような印象に反して、あんがい抵抗感や嫌悪感が大きいのかな。それにしては、意味が変わったり端折られたりして流通しているカタカナ語は減る気配は微塵もないどころが「高速増殖炉」みたいだな。仕事で送られてくる原稿にも、ビジネス関連のものにやたらと見つかる。すなおに「再英語化」して使って意味が通じればそれでいいんだけど、そのまま英語にしたら意味が合わないものがけっこうあるから困る。それが手軽にカタカナ4個に端折られていたりすると、元の単語は見当さえつかないし、まず辞書には載っていないからお手上げ・・・。

もっとも、カタカナ語には少なくとも2種類あって、外国語から入って来て日本語に帰化した「外来語」と、まだ日本語としての市民権を得たとはいえない「なんちゃらガイコク語」に分けられると思う。やっかいなのはこの「なんちゃら語」で、さらに巷の若者たちの「かっこいい語」と仕事場で洋行帰りのキャリア組なんかがよく使う「もったいぶり語」に分かれる。ワタシにとっての頭痛の種なのは後者の方で、カタカナに転記したらけっこう長ったらしかったりして、思いっきり端折られることが多いし、それでも長すぎるのか、頭文字のアルファベットスープになっているのも多い。中にはどっからそんな略語が出てきたのかと思うような独創的なのものもあって、持株会社を意味するホールディングカンパニーに「HD」を当てているのがその好例。 カタカナの字面を見て「ホール」と「ディング」に分割してHDということしたんだろうけど、英語の単語はどこで分けてもいいってものではなくて、「holding」はhold」と「ing」にしか分割できない。(タイプライターで行末で単語にハイフンを入れて分割していた頃は、上級秘書になるにはスペリングとシラブルの知識はタイプの速度と同じに重要な技能だった。今は昔・・・。)

こういうトピックだと必ずと言って良いほど出てくるのが、「言葉は生き物だから」というのと「英語圏での生活が長いとつい日本語に英語が混じってしまう」という書き込み。たしかに言語は時代や社会と共に変遷を続けて来た「生き物」だけど、「生き物でも間違った使い方では困る」と言う意見には一理あるな。でも、「英語生活が長いと日本語より英語の方がつい出てきてしまう」というのはどうなんだか。英語ばかりで日本語を使わないでいると、とっさのときに日本語が出て来ないことがあるのは多かれ少なかれ誰もが経験していると思う。ワタシも日本語が日常語でなくなって久しいもので、語彙が萎縮してしまって、日本文を書くときは英和辞書を引くことが多いし、たまの日本語での会話となると、「あの、あの、あれ・・・」と言葉に詰まることがよくある。だけど、親しい人との会話で互いに英日どっちも話せる場合には(会話の流れを中断しないという意味でも)いわゆる「ちゃんぽん」になることはあっても、普通に日本人相手に日本語で話すときには、発音は少しヘンかもしれないけど「つい」英語が混じるということはないと思うなあ。英語をとっさに「カタカナ」で発音するのって、けっこう難しいと思うんだけど。

ある程度成長してから第2、第3の言語を学んだ人の脳には、多言語環境に生まれた人と違って、母語とは別に外国語の処理中枢ができると聞いたことがある。だとすれば、母語で話していてつい「外国語」が混じってしまうというのは、外国語の処理中枢がまだ完成していないために、2つの言語での思考が混線するからじゃないのかな。つまり、今「日本語より英語の方がつい出てきてしまう」と言う人は、別に英語力をひけらかしているわけじゃなくて、まだ語学修行が足りないというだけ。この先何年、十何年か経って、一応バイリンガルと言えるレベルまで言語の住み分けが確立したら、「(カタカナ)英語がつい出てしまって、かっこつけているといわれる」というジレンマは解消されるかもしれないね。トピックには「習得した外国語が母語に与える影響の研究によると、IQが低いほど母語を話すときに外国語の影響が大きく出る」という趣旨のちょっとイジワルな書き込みがあったけど、IQが低いと言語の住み分けがうまく行かないというだけのことだと思うから、IQや偏差値の高い人には当てはまらない。まっ、研鑽あるのみ・・・。