ルーツを求めての旅は自分探しの旅
6月21日。火曜日。夏至。公式に夏初日。日の出午前5時7分、日の入り午後9時21分。標準時なら午前4時7分に日が昇って、午後8時21分に日が暮れる勘定になる。この頃は就寝時間の午前4時過ぎにはもう空が明るくて、鳥の声を聞きながら眠りにつくんだけど、これからだんだん日が短くなっていく日が夏の始まりってのはなんとなくヘン。まあ、西洋のカレンダーには「立夏」というものがないから、しょうがないか。年に2度ある「至」を英語ではsolsticeというけど、語源のラテン語では「太陽が立ち止まる」と言う意味だそうな。太陽が天高く行くところまで行き着いて、ふと立ち止まって、今来たこの道帰りゃんせ・・・想像してみたら、なんだかわかったような。
今日は久しぶりに20度を超えた。低温だった4月、5月に次いで、6月も今のところ平均気温が平年より1度低く、日照時間も少ないそうで、地元のメディアは1月のJanuaryと6月のJuneをくっつけて、Junuaryと洒落てみせて、夏が待ち遠しくてイライラする気分を何とか盛り上げようとしている。だけど、暑すぎないおかげで、今ごろスナップえんどうがどんどん実るし、ほうれん草はどんどん新しい葉を出してくれているから、ま、のんびりと夏を待つことにしようじゃないの。
きのうやり残した仕事を済ませて、日本はまだ早朝だけど早々と納品してしまって、カレンダーを見たら仕事が入っていない。いつもの火曜日だったら、あたふたと仕事をして、キッチンに駆け上がって夕食の支度をして、英語教室にカレシを送り出して、ひと息つくかまたは仕事だけど、今日は後がないから、ゆっくりとキッチンに行って、ちょっと念入りに(だけど簡単なグリルで)夕食を作って、出かけるカレシを玄関までお見送りして(あ、これはいつもやるけど)、腹筋と背筋と胸筋の運動。ひと汗かいたところで、めったにないひとり風呂。まあ、カレシと一緒だと背中をごしごしと擦ってもらえるんだけど、ひとりもたまにはいい。アガサ・クリスティはお風呂でりんごを食べながら本を読むのが好きだったそうだけど、そういえば、バスタブに架け渡すトレイをどこかのカタログで見たことがあったな。ワイングラスとおつまみの小皿と火のついた小さいろうそくが載っていた。いい湯加減でリラックスもいいけど、なんだかふやけてしまいそうだなあ。
忙しくない日に朝食後にやる読書、ケルアックの『On The Road』を読み終わって、今度はビル・ブライソンの『The Lost Continent: Travels in Small-Town America』(1989年出版で、日本語訳はないらしい)。イギリス暮らしが長かった作者(今はまたイギリス暮らし)がアメリカに帰っていた間、子供の頃に見た映画の背景に必ずあった「典型的なアメリカの田舎町」を求めて、生まれ故郷のアイオワ州デモインから出発する。少年時代に家族旅行で通った道を辿り、アメリカの中西部のど真ん中のど田舎地帯を、点在する同じような風景の小さな町から町を通過する。ただし、その点と点の間の距離がものすごく長くて、イギリスサイズに慣れていたブライソンは改めてアメリカの広さを実感する。ちょっと止まるのがめんどうだから「次の○○でいいか」と先へ進むと、道路の標識に「○○まで120マイル」と書いてあったりする。120マイルは200キロ近い遠さ。やっと着いたら、次の町もガソリンスタンドに食堂に農機具屋に町役場のある広場で、衰退の影がありあり・・・。
ブライソンはワタシとほぼ同年代だから、ちょうど1950年代のアメリカのモータリゼーションを見て育ったはず。車を持った世代が郊外へ郊外へと移動し、大きなショッピングセンターが続々とでき、小さな町の若者たちはどんどん都会を目指し、アメリカ開拓のバックボーンだった小さな町が寂れ始めた時代だったかな。デンバーからテキサス州オースティンへ飛んだときは、飛んでも飛んでも山ひとつ見えない平原地帯。灌漑アームの長さを半径とする丸い畑がどこまでも重なるように続いて、まるでモンドリアンの幾何模様の世界。ニューオーリンズからロサンゼルスへ向かう途中でアリゾナ州の上空を飛んだときは、半ば砂漠化しただだっ広い平野にどえらい間隔で点在する町が見えたし、砂漠に飲まれて行くゴーストタウンの輪郭も見えて、100年前には開拓精神に溢れたコミュニティがあって人間の営みがあったんだろうにと思い、自分でもよくわからない漠然とした悲哀感にため息をつきっぱなしだったな。カナダも広いけど、アメリカも広い。とにかく、とほうもなく広い・・・。
そういえば、アメリカにはそのとてつもなく広い大陸を旅する本や映画が多いなあ。「真のアメリカ探し」、つまるところは「自分探し」の旅に駆り立てられるのは、あまりにも広くて、あまりにもいろんな面で多様で、それがあまりも遠いからなんだろうか・・・?
網膜検査で視界はもやもや
6月22日。水曜日。うわ、いい天気。予報はまた下り坂らしいけど、今日はまだ何とか20度を超えそうだな。この年になってもカジュアルな外出着はTシャツにジーンズで、Tシャツの下は実は内でも外でもブラだけ。春夏秋は、気温10度前後なら半袖にジャケット、15度を超えたら少し長めの半袖でジャケットなし、20度を超えたらぐんと短い半袖、25度前後になったら肩丸出しのタンクトップという基準になっている。このいでたちだと、背中をしゃんと伸ばして、おなかの贅肉をぐっと引っ込めて、脚全体で大またに歩かないとサマにならないので、ちょっとした美容効果?もあって、けっこう心身ともにいい運動になる。
今日は網膜の専門家に検査をしてもらう予約があったので、起きてからコンタクトを入れないままで家の中をうろうろ。鼻先20センチ以内はよほど細かな字でなければまったく問題なく見えるけど、その先は視力0.008の世界。ものが二重三重に見えて、ちょっぴりシュールレアリズムっぽいところがある。こればかりは視力に恵まれた人には想像がつかないかもしれないな。どっちみち外すんだからと思っていたけど、地下鉄の駅までとドクターのオフィスまでけっこう歩くので、ちょっと心配になって土壇場でやっぱりコンタクトを入れることにした。午後2時過ぎ。気温は20度。そよ風のなんとも心地の良いこと・・・。
ロス先生のオフィスのある辺りは総合病院に近いこともあって、メディカルビルディングという、医者のオフィスばかりのビルがいくつもある。一階にはたいてい薬局や医療用品の店があったりして、薬を処方されれば帰りがけに寄ればいいから便利なもんだと思う。まあ、医療費予算の逼迫と医者不足で、専門医のところへ行くまでがけっこう大変なんだけど。ロス先生は眼科でも網膜と水晶体が専門。左目に飛蚊ができた頃にときどき視界の隅で閃光が見えたので、念のために検査をしてもらおうというのが今日のおでかけの目的。待合室にはやっぱり年配の患者が圧倒的で(たぶんワタシも「年配」の内に入るんだろうけど)、まず視力検査をして、コンタクトを外して瞳孔を拡大する薬を入れて、待合室でしばし雑誌を読み、十分に開いたところで、眼底の写真を撮って、またしばし読書。それから先生のオフィスに呼ばれて、網膜を診てもらう。あっちを見て、こっちを見てと言いながらまぶしい光を当てるもので涙がボロボロ。先生曰く、「ほお、右には大きなフローター(飛蚊)があるなあ」。はい、もう20年も付き合ってます。でも、最後は「問題なし」。はあ。ついでに、先週から白目に出血して、黒目の縁にポチッと白っぽい切り欠きのような点ができていたのを診てもらって、これも「心配ない」。ほっ。はあ・・・。
目が見えないと商売にならないから、「異常なし」の診断はうれしい限り。それでも、1年後にまたおいでと言われて、来年の8月の予約をもらって来た。カレシも同じ検査をして何も言われなかったから、やっぱり何か「要観察」みたいなことがあるのかなあ。ま、それは来年になったらわかるだろうということで、五里霧中でなあんにも見えない目にコンタクトを入れて、外へ出たら、わっ、まぶしい!サングラスをかけても涙が出るくらいまぶしいのに、視界はもやがかかったような感じ。勝手知ったあたりだから良く見えなくても困りはしないけど、初めての場所だったら迷子になったかもしれないな。地下鉄の駅で時計を見たら午後3時50分。切符は3時54分まで有効だから、そそくさとホームへ下りて、帰りの電車に乗り込んだのは3時53分。やった、また1枚の切符で往復・・・。
家に帰り着いたとたんにカレシがワタシの顔を見て曰く、「わっ、エイリアンだ」。まだ瞳孔がいっぱいに開いたままなもので、ほんとにエイリアンの目。見えることは見えるけど、まだもやもやが晴れなくて、ちょっと頭痛気味。夕食の時間で、よく歩いておなかがすいたけど、めんどうな料理はしたくないから、極楽とんぼ亭シェフ得意の「機内食風」ということにした。午後いっぱい庭仕事をしていたカレシもめんどうだからと、ビュッフェ風サラダ。ということで・・・
[写真] チラシ航空の機内食は、刺身用食材を流水で半解凍して、冷凍してあった寿司飯を温めて冷ましてちらし寿司(ビンナガ、サケ、ハマチ、タコ、トビコ、エビ、ウニ。カレシはウニを食べないのでエビとサケを余分に乗せた)。それにアサリとねぎのおすまし、枝豆の酢の物、大根おろし。
[写真] 方や、カレシのサラダ航空は、ワタシがラディッキオがあまり好きではないので、多種多彩な野菜を混ぜないで、大皿に盛大にてんこ盛り。ワタシにはラディッキオの代わりに大好きなベビーにんじんを全部くれた。ありがと・・・。
ピンボケ料理でおなかがいっぱいになったところで、薬が切れて、だんだん視界が開けてきた。さて、問題なしで安心したことでもあるし、あしたはまた仕事しなくちゃ・・・。
審議は続くよ、ど~こまでも~
6月23日。木曜日。せっかくいい気持ちでぐ~っすり眠っていたのにカレシに「お~い、眠りヒメェ」と起こされた。やれやれ、眠り姫を起こすのは100年早いって、アナタ。予報に反して雨は降っていないけど、また涼しい。今日は20度まで行かないだろうな。日本はもうとっくに猛暑到来らしいけど、その暑気を4度か5度くらい分けてもらえたらいいのになあ。
郊外の農場のイチゴがやっと色づいて来て、どうやらこの週末には客自身が欲しいだけ収穫するU-pickがオープンするらしい。揃って勤め人だった頃は毎年のように長靴を履いて、バケツを持ってイチゴ採りに行ったっけ。だいたいは今くらいの時期で、シーズンは終わりに近かった。半屈みになって割り当てられた畝を端から端までバケツ2杯くらいのイチゴを摘むのはけっこうな労働だったけど、それを処理するのも大仕事で、帰ってすぐに洗ってジャム作り。何回かに分けて、夜中過ぎまで立ちっ放しでひとりで1年分のジャムを作った。フリーになったら週末がなくなって、イチゴ摘みもジャム作りもそれきりご無沙汰。カレシに、ワタシが65になって「半引退」になったらまたやってみようかなと言ったら、「今度はボクも手伝うから」とけっこう乗り気な返事。(ふむ、「今度は」ということは、昔まったく手伝いもせず、ひとりさっさと寝てしまったのを悪かったと思ってるのかなあ・・・?)だけど、ホームメードのジャムはおいしかったよね。
連邦議会では郵便組合に職場復帰を命令する法案を審議中で、野党第一党になった社会主義の新民主党が「労働者」のために審議の引き延ばしを図ると言っていたのが、ちょっと方向転換して、法案修正を受け入れるなら賛成してもいいと言い出した。それに対して労働大臣が「考えてもいい」と、なんかおもしろそうな展開になって来た。政府の法案には今後4年間のベースアップの率まで織り込まれていて、それが何とロックアウトの前に使用者側が提示した率より低いから、交渉が妥結する前に法案が成立したら組合員は「ごね損」をすることになる。そこを議会で突かれたハーパー首相は「公務員の平均的な賃上げ率だから妥当。政府は影響を受けている国民生活を最優先している」と一蹴。いくら野党が引き延ばしを図ったところで、多数政権だから法案は早晩成立する。その上での野党からの「修正要求」とそれに対する政府の歩み寄りの姿勢なわけで、政府が「賃上げ率」の部分を引っ込めて修正法案が通れば、郵便が動き出して国民は満足し、ロックアウトも職場放棄もできない労使は妥協するまで好きなだけ団体交渉を続けて良しということになる。うん、政府の戦術だとしたらすごいな。
とりあえず野党の「引き延ばし作戦」が始まったけど、この妨害戦術がフィリバスター(filibuster)と呼ばれるもので、英和辞書には「少数派議員が法案の通過を妨害するために行う長演説」と書いてある。法案が表決にかけられるのを少しでも遅らせようとするもので、弁舌の立つ人がひたすらああだこうだとしゃべり続けんだけど、すごいのになると延々と何時間も演説をぶつ猛者もいる。(ローマ時代の元老院でもすでに似たような戦術が使われていたらしい。)カナダの記録はせいぜい数時間だけど、アメリカでの個人記録の保持者は百歳になるまで上院議員を勤めたストロム・サーモンドで、なんと24時間18分というから、強靭な体力とそれ以上に強靭な神経がないとできないなあと思う。
日本では昔よく国会で社会党や共産党が「牛歩戦術」というのをやっていたけど、あれは法案を表決する段階になってから、投票札を持ってそろっとと一歩、またそろっと一歩という具合にのろのろ戦術による引き延ばし。今はどうか知らないけど、あの頃は野党議員たちが議長席に押しかけて与党議員と乱闘になることもあった。今じゃあ、与党も野党もとってもそんな体力はないだろうな。日本で最初にフィリバスターをやったと言えそうなのは、長州藩が外国艦隊に下関を砲撃されて惨敗したときに和平交渉に送り込まれた高杉晋作かな。臨時に家老かなんかの養子になって偉そうな肩書きをもらって乗り込んだ晋作は、居並ぶ外国人を相手に(日本語で)神代に初まる日本の歴史を滔々と語り続けたもので、相手が音を上げて、藩の領土を租借されずに済んだという痛快な話があるそうな。たしか、イギリスの通訳アーネスト・サトウの著書にそんな記述があったと思う。タイムマシンがあったら聞きに行ってみたいもんだな。
時差が3時間先のオタワではもう「東山三十六峰(あるいは議事堂の丘)草木も眠る丑三つ時」だけど、法案の「審議」はまだ続いているらしい。ごくろうさま・・・。
今どきの・・・というと笑われるけど
6月24日。金曜日。またなんか涼しめだけど、まあまあの天気。「今年の夏は気温が高めで雨が少ない」って、本気で言ってるのかなあ。まあ、バンクーバーの短い夏は文字通りの「乾期」だから、ちょっとくらい暑くてもべとべとしないし、日陰に入ればすぅ~っと涼しいので実に快適だから、ま、おととしのような、30度を超えるような「記録的な猛暑」にならなければそれでいいか。
正午少し前に起きてテレビのニュースを見たら、議会ではま~だフィリバスターをやっている。始まったのはきのうの午前中だったはずだけど、新民主党の議員が入れ代わり立ち代わりでだらだらとしゃべっている。先の総選挙で、どうせ勝てっこないということで、ケベック州で大学生などの若い「泡沫候補」を大量に立てたら、何と大半が当選してしまったんだけど、議会政治はまだひよっこ過ぎて頼りにならないとしても、少なくとも大学での徹夜のどんちゃんパーティに慣れているだろうから、体力では頼りになるかもしれないな。フランス語圏の選挙区の候補になったけど、フランス語はダメ、選挙区に行ったこともなく(たぶんどこにあるかも知らず)、選挙中にラスベガスに遊びに行ってしまって物議をかもした元パブのマネジャー嬢議員が、なにやらぼそぼそ意味不明なことを言っているのが映っていた。世論調査では国民の70%が政府を支持しているそうで、あまりいつまでもひとつの労働組合の高給取りの「労働者」のために引き延ばし戦術をやっていたら、せっかく大躍進した新民主党の支持率が下がってしまわないのかな。
いつも日本へ夏と冬のプレゼントを宅配してもらっているところから、カタログが届いたかどうかと言う電話が来た。ん、届いてない。どうやらロックアウトの直前に発送したらしく、どこかで立ち往生してしまったらしい。そうか、通販会社はすごい迷惑を被っているだろうな。LLビーンやランズエンドのような大手なら普段から急ぎの注文はFedExやUPSだから問題はないだろうけど、カナダポストが通関まで請け負っている小さな通販会社はカナダ向けの商売が上がったりで辛いところだな。契約を破棄して宅配便に切り替えるところもずいぶんあるかもしれない。(そういえば、テレビで普段見慣れない宅配会社のコマーシャルがあった。)ま、これがゼロサム・ゲームというやつかな。捨てる神あれば拾う神あり・・・どっちにとってかはわからないけど。
地元の新聞サイトからビクトリアの地元新聞のサイトに入ったら、え、今頃あの「日本人留学生」の裁判をやっているのでびっくり。事件があったのは去年の9月頃じゃなかったかなあ。日本の地方大学(九州だったかな?)からビクトリア大学に語学留学に来た女子学生が、ホームステイ先で出産して、生まれた赤ん坊をビニール袋に入れて捨てたという事件で、異臭に気がついたホストマザーが発見したときは腐敗が進んでいて、検死解剖でも死産児か生産児かは判断できなかった。誰も妊娠に気づかなかったので流産だったかもしれないとも言われていた。日本から母親が駆けつけたり、裁判所に出頭したりして大変なことになっていたけど、決着がついて日本に帰ったとばかり思っていた。
それが今頃、それもいきなり州最高裁判所での2週間の陪審員裁判というから重大犯罪の扱い。記事には赤ん坊は女の子で満期の正常分娩、死因は不明という検視医の証言が載っていた。ビクトリアに来てあまり日が経っていなかったようだし、二十歳の大学生なら自分が妊娠しているのを知らなかったはずはなさそうだし、何を考えて臨月のおなかを抱えてカナダまで来たんだろうな。裁判の記事を遡っていくと、「出産」した後は急にタイトな服装にハイヒールを履くようになったとホストマザーが証言している。やれやれ、ほんとに今どきのオンナノコは何を考えているんだか。(新聞の写真を見る限りでは特に派手なコでもなさそうだけどな。)まあ、10年くらい前にカルガリーであった事件と同じように、日本のマスコミにはほとんど報道されないだろうから、たとえ有罪になったとしても、日本に帰ってしまえばごく普通のお嬢さんに戻って社会に出て行けるんじゃないかな。
さて、オタワの連邦議会では、と見ると、どうやら今夜も議事堂に「お泊り」らしい。子供の「お泊りパーティ」じゃあるまいし、何やってんだか。あ、大学生からいきなり国会議員になった連中がけっこういるんだっけ・・・。
精神論ではがんばれないこともある
6月25日。土曜日。目が覚めたらもう午後12時半。はて、そんなに寝るのが遅かったとも思えないんだけど、なぜかくたびれていたんだろうな。季節の変わり目なのかもしれない。あるいは仕事のせいかもしれない・・・。
朝食が終わったら午後1時過ぎ。議会ではまだ郵便組合に対する職場復帰命令法案の「審議」をやっている。48時間を過ぎて、どうやら引き延ばし戦術をやっている野党側の方で法案の修正案をまとめたらしい。組合は新民主党に感謝のメッセージを送ったそうだけど、これも、強大な組合の御用聞き政党みたいな印象を与えて、野党第1党としては戦略上マイナスになるんじゃないかな。ま、修正案は最後の切り札みたいなもので、政府は強気だから、採決にかけられればあっけなく否決で、元の法案が通ってしまう。たぶん、今頃は夏休みに入っているはずだった議員さんたちが二晩続けてオフィスで仮眠を取る「お泊りパーティ」に音を上げ始めたのかも。
今日は、明日の夕方が期限の仕事をひたすらまじめにやる。そのつもりで意気込んでかかるんだけど、訳語の選択がえらくデリケートなもので、神経がくたびれるし、仕事は遅々として進まないし、内容が内容なものでやっているうちになんか欝っぽい気分になって、すごいストレスを感じる。日ごろ小町横町の掲示板の書き込みを読んでいて、日本人は感情過多になって来たのか、あるいは一億総不安神経症なのか、あるいは感情を制御できなくなくなって来たのか、あるいは心身ともにひ弱になって来たのか・・・いろいろ勝手な印象を受けていたんだけど、ワタシの勝手な印象というよりは、たしかに社会全体にすごいストレスが蓄積していて、それが風船のように膨らんで行っているように感じる。(古い日本語しか知らない耳には)感情的で大げさとしか取れない表現が増えたのはその表れなのかもしれない。
それはそれで世の中の変遷と共に変わるだろうからいいとしても、今この時点でそういう感情過多とも思える表現が満載の文書を冷徹なビジネス英語を読みなれている人たちのために訳するとなると、ああ、ストレス。たとえば、「号泣」や「激怒」、「驚愕」にはもう慣れたけど、「~された」というような被害妄想的な言い回しにはなかなかすんなりと英語で表現しにくいものもけっこうある。微妙な感情表現を字面のままを訳したら大変なことになりかねないから、その用法の真意をよく考えてみなければならない。それにしても、いい大人も狭い集団になるとこんなものなのかとちょっと驚くけど、まあ、ほとんどがバブル崩壊の後の教育指導要領で教育を受けた人たちで、いわゆる「ゆとり教育」も少しは経験して来たのかもしれない。それでもやっぱり、なんか元気のない、欝っぽい人たちが多すぎるなあと思うけど、たぶん日本の社会全体が巨大な自然災害に続く原発事故による安全神話の崩壊と放射能汚染問題という、誰だって気が滅入ってしまうような、「がんばれ」という精神論では対処しきれない状況にあるからなんだろう。
かってうつ病の迷路に迷い込んで、見失った自分を求めて彷徨していたワタシには、こういう仕事はあのときの苦しい気持が思い出されて来て、すごくやりにくい。やりにくくても、そこを何とかやるのがプロの商売というものなんだろうけど、ああ、何だか早く引退したくなって来た・・・。
ニュースサイトを見たら、「郵便職員に職場復帰を命じる法案の野党修正案が否決され、元の法案が成立して上院に回された」という緊急発表。組合は上院の承認で法律として成立してから24時間以内に職場に戻って職務を再開しなければならないから、早ければ月曜日にも滞っている郵便物が動き出す。延々58時間のノンストップ審議は新記録だそうな。やれやれ、ごくろうさま。だけど、やっぱりなんだかシナリオ通りという感じがしないでもないなあ。次の週末にはウィリアムとケイトが初の外国訪問でカナダに来るから、どうせ通る法案をいつまでもだらだらと引き延ばしてるわけにはいかないでしょ。いずれはカナダ国王になるウィリアム王子に、「殿下、カナダの臣民どもは議会で何やら言い争いに打ち興じ、殿下にお目通りに参ることはできぬとのことでございます」なんて、言えるわきゃあないでしょうが。みんなケイトと握手したくてしょうがないから、この際「働くものの権利のために」なんて精神論は野暮ってことなんじゃない?
ストをしてピケを張りに行った若き日の私
6月26日。日曜日。起床は正午ぎりぎり。眠い!それでも起きる。だって、いつものごとく、今日が期限の仕事があるから、いつまでもベッドの中でのんびりしているわけには行かないのだ。あ~あ、日本にいたら今頃は隠居して年金をもらって、のんびりと・・・うん、何をしているんだろうかなあ。それにしても、何で日本では60歳で隠居できるのに、カナダでは65歳まで待たなきゃならないの?もっとも、カレシのように減額はされるけど55歳を過ぎたら隠居できる人もいる。でも、それは公務員とか郵便配達とか、潤沢な組合年金がある人の場合。まあ、60歳を過ぎた今なら公的年金の減額支給を申請できるけど、生活に困る金額になってしまうからなあ・・・。
強力な組合の後ろ盾があるっていいねえ・・・と言いたいところだけど、ワタシは労働組合が嫌い。組合に属してストをする人が嫌いなわけじゃなくて、元々統制とか団結とかいうう錦の御旗を振り飾す組織や集団に属するのが嫌いなだけ。大きな労働組合のある産業では、自動的な組合加入が就職の条件になっていることが多い。ワタシが州の法務省の事務職に就いたときも、自動的に州政府職員組合に強制加入させられて、給料日ごとに組合費を取られた。各職場にはshop stewardという職場委員とでもいう人がいて、なぜかワタシと職位が同じだったマリリンおばちゃんがその地位についてからは、ワタシが非組合員の専門職の職務をやっていると、まあうるさいこと。上司のブライアンがやってみろというからやってみたらできたもので、手不足の折(というよりも何しろおもしろかったもので)、無視してやっていたらブライアンに噛み付き、その上の上司に噛み付き、しまいには本省の偉い人にまで噛み付いた。結局は上司たちの言い分が通って、おもしろい情報分析の作業をさせてもらえることになったんだけど、民間に転職するまでマリリンおばちゃんに睨まれていた。
そういうこともあって、労働組合と言うのはあんまり仕事のできない人が頼りにするところという先入観ができてしまったかもしれない。ま、若かったから鼻息も荒かったのかもしれない。公務員になって2年目でストがあった。まあ、1980年代初めの猛烈な二桁インフレが起きる直前にベースアップ年率8%で3年の協約を結んでしまっていたもので、政府職員の組合はその協約が切れるまで他の組合が二桁の賃上げを獲得するのを指をくわえてみているしかなかった。ところが、やっと協約の終了期限が迫って団体交渉が始まったときには、超インフレの反動でえらい不況で、かなり開いていた賃金格差を取り戻そうとしてもどだいが無理な話。交渉決裂、スト突入という雲行きになって、組合の代表がストを承認する投票をするようにアピールしに来た。
昼休みにやって来たのはマリリンおばちゃんよりもっと手ごわそうな何十年選手のおばあちゃん。(今のワタシくらいの年だったけど、当時のワタシはまだ30代前半で、60過ぎはおばあちゃんに見えた・・・うはっ。)組合員の職員を集めて「演説」したのはいいけど、ちょうどまだ珍しかったワープロを導入する過程だったので、「昔、電動タイプライターが登場したときに、嫌だというのにそれまでのタイプライターからの電動に変えさせられた。今度はコンピュータのタイプライターを押し付けようとしている。断固としてユルセナイ!雇用者の専横に断固として戦おう!」とぶち上げたもので、その場はしれ~っとなった。だって、そのとき事務職の若い女の子たちは社会に出たときから電動タイプライターしか知らないし、ワープロの将来を見越して研修に名乗りを上げていたから、化石みたいなおばあちゃんが「電動タイプライターを押し付けられただけでも許せないのに!」とわめいても、「はあ?」という反応しか出て来なくて当然でしょうが。
最終的にはストに突入して、ピケを張りに来いといわれた。同じ組合だったカレシは初めから「やだ」。ワタシは初めてのことでもあるし、1週間毎日何時間か行けば(1日。分の給料にもならないけど)何がしかの手当が組合から出る(スト中は給料が出ない)ということで、スト初日に朝から行ったら、「スト決行中」と書いたパチンコ屋の宣伝みたいな看板を前と後ろにぶら下げて、オフィスの周りを行ったり来たりで、ちっともおもしろくない。おまけに日が照って暑かったもので、日陰に座り込んで、看板を日除けにして当時通信教育で勉強していた犯罪学の教科書を読み始めたんだけど、急に頭の上から「ヘイ、ユー!」。はあ?と見上げたら、ひげ面のメタボ風おやじが「立て」。とりあえず立ち上がったら、「何だ、その看板の付け方は?態度がなっとらん」と。はあ?ムカッと来てもう帰ると言ったら、「手当が出なくなるぞ」。いいよ、そんなのと、看板を渡して後も見ずに家に帰って、ストをして「ピケを張る」というワタシの体験は後にも先にもあれっきりになったのだった。
翌年だったか二度目のストが始まったときには、2人揃って同じ組合では生活に支障をきたすということで、初日の朝刊の求人欄を見て「就活」。某大手会計事務所が日本語を話せる秘書を募集しているという人材会社の広告を見つけて、速攻で応募。2週間後にストが終わったときには、2度の面接を経て採用が決まり、職場に戻っていの一番に「辞表」を提出。思えば、あのときの転職が今のキャリアにつながったんだから、ストをしてくれたことに感謝すべきかもしれないな。だからといって「労働組合」という組織はやっぱり好きにはなれないけど・・・。
結婚記念日を忘れたわけではないけれど
6月27日。月曜日。うわ、寝た、寝た。ごみの収集日だというのにワタシもカレシもまったく目を覚まさなかった。もう、爆睡どころか昏睡して、目を覚ましたら午後1時半。寝たのが4時半だから、延々9時間の熟睡。そんなに疲れていたのかなあ。まあ、カレシはきのう菜園で「農作業」をしたから疲れていたのはわかるけど、夕食後にテレビの前で2時間も眠って、それでまた9時間は寝すぎじゃないのかなあ。まあ、ワタシもなんとも気の滅入るような仕事のせいで、頭だけじゃなくて気持の方もどろ~んと疲れきっていたし、こんな風に眠りたいだけ眠れる生活ができるのは幸せだと思わないとね。
実はきのうはワタシたちの結婚記念日だった。1年間同棲しての結婚だから、満35年。最後に結婚記念日を祝ったのは銀婚式の満25年のとき。荒れ狂った大嵐が去って、壊れたもの、吹き飛ばされたものが散乱する「夫婦の情景」を前に、2人ともどこからどうやって復旧作業を始めたらいいのか模索していたときだった。夫婦にとっては節目の銀婚式を祝ってくれる子供もいないことだし、カレシの発案とお膳立てで2人きりのその日をパリで迎えた。ノートルダム寺院の壁を見上げる古びたレストランで食事をしながら、漠然と「生き延びた」という感慨を持ったのを覚えている。
生き延びたからこそ、それまでの25年を清算して新しい気持でやり直そうと思って、翌年から結婚記念日を祝うのはやめた。あれから長いような短いような10年。今は、ワタシがカナダに来て「2人の生活」が始まった5月12日。がワタシたちの「原点」を記念する日になっている。そこから起算すれば、ワタシたちはカップルとして満36年。もし満50年にたどり着けたら、盛大に金婚式を祝うのもいいかなあ。あら、その50周年までもうあと14年・・・。
まあ、ワタシたちは地盤を固めるのに25年もかかって、それから10年かけて本当の意味での「WE(私たち)」になってきたわけで、夫婦もいろいろだなあと思う。ワタシはワタシでカレシじゃないし、カレシはカレシでワタシじゃない。その別々の人格であるカレシとワタシが一緒にいて「WE」。以心伝心の夫婦じゃなくて、一心同体の夫婦でもなくて、互いに空気のような夫婦でもなくて、カレシという1人の人間とワタシという1人の人間が共有する「夫婦の人格」のようなものかな。
小町横町で、家事や育児、生活費の分担や、互いの性格や価値観などの違いでもめている若い夫婦を見ていると、この「WE」という考えが感じられないような気がする。男女平等、機会均等の旗印を翻して、自分にばかり負担がかかるのは不公平。相手にこうして欲しい、ああしてくれない。相手がどうするのが嫌、相手のどういうところが嫌。で、「離婚した方がいいでしょうか」。でも、それは「we-ness」(「私たちであること」とでも言うのかな)がまだ発達の途上だからなのかもしれないな。暴力や浮気は元から相手を尊重する気持がないわけで、いくら年月をかけても芽が出る可能性はなさそうだけど、普通に付き合って普通に結婚したんだったら、何とかなるんじゃないのかな。
うん、あんがい、ワタシたちは50年まで行き着けるかも・・・。
仕事のない日が私の週末
6月28日。火曜日。またちょっと薄暗くて、ちょっと涼しい。今日から郵便配達が再開されるというので、郵便受けを覗いて見たら、ワタシとカレシとそれぞれに税務署の所得税納付確認の明細、カタログ1件、テレビの番組雑誌。税金の明細とカタログはちょうど2週間前のロックアウト直前に投函されたものらしい。テレビ番組の雑誌は週刊だけど、前の2週間は宛名を印刷していないものが届いていた。そういえば、Maclean’sも先週同じように届いたっけ。地元のチラシを配る業者にでも委託したんだろうな。でも、2週間郵便が止まっていた割には少ないような・・・。
今日は仕事がないからワタシは「週末」。起き抜けにカレシに「何をするの?」と聞かれて、ちょっと考えて一番先に思いついたのが洗濯。しばらくやっていないから、きっと貯まっているだろうな。洗濯機のそばにあるランドリーシュートのドアを開けてみたら、うわ、ある~。そのうちに圧力でドアが開いて、なだれ落ちてくるんじゃないかと思うくらいある。覗きに来たカレシ曰く、「どうりでボクの下着がなくなるはずだ」。ふむ、自分の下着くらい自分で洗濯すればいいのに。洗濯機の使い方を教えろと言うから、デモやって教えたじゃないの。「あれからやってないから、忘れた」。やれやれ、困ったご隠居さんだなあ、もう。まっ、まずは洗濯の第1ラウンド・・・。
短い午後のひと時をネットサーフィンなどしながらのんびりしていたら、「今日はフィッシュアンドチップスが食べたいな」とカレシ。ふむ、マニトバの湖で獲れたピッカレルという淡水魚を解凍し始めたところだから、それもいいか。この魚、ウォールアイとも言うそうで、東部では五大湖産のものがフィッシュアンドチップスの定番と言う話。日本語の名前はないらしいから北米原産なのかな。身が締まっていておいしいけど、西部のこっちではあまり出回っていないから高い。我が家の「チップス」はティファールの「アクティフライ」というフライヤーで作るほとんど油を使わないフレンチフライで、魚は油で揚げずにフライパン焼きのフライ風だから、ご本家イギリスのものとは似ても似つかないしろもの。今日の「フィッシュ」はアフリカ風ココナツカレーのソースを卵代わりにしてパン粉をつけて、フライパンでさっくり。低コレステロール、低脂肪・・・。
英語教室にカレシを送り出して、またゆっくりとネットサーフィン。きのうの夫婦の「we-ness」と言う言葉についてちょっとググってみたら、もうカウンセリングなどのサイトで使われていた。なんだ、新語を作ったかもしれないと思ったのに。若いカップルの間に「WE」の感覚が薄れているらしいのは世界共通なのかな。共働きが普通の北米でもどうやら「お金の管理」が不和の原因らしい。我が家は最初から銀行の口座をすべて共同名義にして、主にワタシが管理しているけど、生活費だけ共同名義の口座に入れて、後は各自が自分の給料を管理するカップルも多い。そこで、負担率や消費スタイルでもめるのは日本の共働き夫婦とあまり変わらないような。(実際に、昔2人の同僚がそれで離婚した。)個の時代の夫婦はどこまでがちょうどいい「WE」なのか・・・。
仕事がないときは、とりとめのないことをごちゃごちゃと考えるのがけっこう息抜きになる。日本語だったり、英語だったり、そのときの関心事しだいだけど、とにかくどっちかひとつの言語で考えられるから楽ちんでいい。日本語だと、小町のトピックでなかなか「なるほど」とすんなり納得できなかったことを「分析」してみたりする。たとえば、左利きの話。矯正論者の中に食事のときに左利きの肘がぶつかって迷惑だからというのか多い。ワタシもカナダに来て初めの頃は会食のときは意識してテーブルの左端に座っていたけど、いつのまにかどこにでも座るようになっている。なぜかというと、左隣の人と肘がぶつかることがほとんどないから。左利きがごろごろいるからというわけでもなさそう。
どうしてかなと考えているうちにふと思い当たったのが「食事方法」の違い。ナイフとフォークを使う食べ方では肘はそれほど体側から離れない。茶碗を手に持って箸でご飯を口に入れる食べ方では、箸を持つ方の肘が体側からかなり離れ、しかも肘が高く上がる場合も多い。これだと、右利きと左利きが隣り合わせたら肘同士がぶつかる可能性はずっと高いように思うな。もう一方の手に茶碗なり汁椀なりを持っていたらこぼしそうで危なっかしいのもわかるような気がするな。でも、だからといって、左利きはマナー違反だから矯正しろというのは「人格否定」もいいところで、日本人の「譲り合いの精神」で十分に解決できるんじゃないかと思うけどね。
正直なところ(正直じゃなくても一目瞭然だけど)、ワタシは箸使いが大の苦手。持ち方がおかしいということはわかっているけど、とにかく右でも左でも作法通り?に使うことができない。逆に、いろんなことに不器用なカレシは箸使いがやけにうまい。十代の頃に親がチャイナタウンで食堂をやっている友だちがいて、よくキッチンの隅で食事にありついていたらしい。そのときに、もたもたしていると友だちに全部食べられてしまうので、必死であの太い中国箸の使い方をマスターしたんだそうな。ふむ、窮すれば何とかというけど・・・。
ランチの時間。おなかすいたなあ。今夜は箸もフォークもいらない魚バーガーにしようっと。
ほんとに胃袋は男のハートへの近道
6月29日。水曜日。涼しいなあ。午後2時のポーチの温度計は摂氏17度。ひょっとしたらもう夏は中止ってことにして、さっさと秋に進んじゃおうということかと思ってしまうくらい。今日も週末。なんか少しまとまった休みが欲しいような気がするから、日本が金曜の夜になる明日の夜中過ぎまで何にも仕事が入って来ないように、指を重ねておまじない・・・。
今日の「家事」はきのうの洗濯物をたたむ作業。洗濯機とドライヤーを3ラウンドで、大きな洗濯かごは(いつものことだけど)溢れるくらいの山になって、カレシに二階まで運んでもらった。いつもならここで、カレシが必要なものを引っ張り出して着たり、ついで?のときに自分のものをたたみ、ワタシもついでのときに自分のものや、タオルなどの共通のものをたたんで、だいたい3日。か4日。くらいでかごが空っぽになる。ま、今日はワタシの週末だから、主婦ぶってまじめに洗濯物をたたんでしまうところへしまう。ただし、カレシのものはそっくり残しておく。イジワルもいいところだけど、ここでワタシがたたんでしまうと、次からは「なんだ、やらなくてもいいのか」ということになってしまうから、男女共同参画(つまりは夫の教育)上、あまりよろしくない・・・。
今日の夕食は前にスティーブストンで4匹5ドル(約400円)で買って来たヒラメかカレイ。Soleとして売っていたからヒラメなんだろうけど、実はどっちかよくわからない。口先がとんがって、かなり獰猛な顔つきをしている。向かい合って睨めっこをしたら、目は右寄り。これって「カレイ」だよねえ。でも、ヒラメとカレイの写真を探して見比べてみたら、色も形も何だかヒラメっぽいような。どっちなんだろう。ま、どっちでもいいんだけど、薄っぺらい魚にしてはやったらと骨が硬い。頭を切り落とすにしても北欧系の細身の魚おろしナイフは歯が立たなくて、キッチン鋏を持ち出して、えい、やっ。本には初心者には5枚下ろしは難しいと書いてあったので、尾ひれを切り落としてそのまま料理することにした。日本風の姿蒸しを勝手に脚色して、浅いロースターにねぎとしょうがと日本酒を入れて魚を載せ、ホイルで蓋をしてオーブンで蒸し焼き。できたところで、お酒と醤油に赤ピーマンやねぎ、しょうが、えのきを入れて作った野菜ソースをかけてできあがり。けっこうおいしくできた。それにしても、ヒラメだかカレイだか知らないけど、骨太だなあ・・・。
それでも、昔は魚の小骨を嫌がったカレシも、魚が主食になってもう何年(もう3年?)も経って、小骨の5本や10本はへっちゃらになったから、すごい。経済的な価値観の問題もさることながら、国際結婚では「食」の嗜好の違いが大きな軋轢となるケースが多いらしい。小町にも、夫の好みはピッツァやフレンチフライやフライドチキン、あるいは肉食中心で、妻が手をかけて作る(日本の)家庭料理を食べてくれないというトピックがよく上がってくる。昔から「胃袋は男のハートへの近道」といわれるけど、夫の国の料理が好きになれなかったり、ときには食文化や育った家庭環境を見下していたりすることが多いように思える。まあ、それがなくても「食」は毎日のことだから、嗜好の違いが夫婦関係の大きなストレス要因になっても不思議はないな。あんがい、夫の方もどこかの掲示板で「妻に日本食ばかり食べさせられてうんざりしている」と愚痴っているかもしれないけど。
カレシは、好みの程度には温度差があっても、何国料理でもとにかく食べる。ワタシとの結婚の許可をもらいに初めて日本に来て、OKが出てから我が家に泊まるようになったとき、母は朝からカレシを日本食攻めにした。娘のために「婿」の胃袋とハートのつながり具合を試したのかもしれないけど、カレシは出されるものを全部おいしいと言って食べたので、きっと100点満点の合格だったろうな。極めつけは、ほとんど言葉が通じない2人がスイカが大好きということですっかり意気投合してしまったことかな。母が他界して30年になるけど、カレシは未だに「生まれて初めておいしいと思って食べたのがキミのお母さんの料理だった」と言っている。まあ、カレシのママは料理嫌いだし、それに子供の頃は食べるのがやっとの貧乏だったから、おいしいものへの関心が育たなかったとしても、それは状況としてしかたのないことだったと思うけどね。
考えてみたら、ワタシたちが「食」に関して(お金に関してもだけど)けんかをしたことがないのは、あのときの母の「試験」のおかげかもしれないな。ワタシの料理にカレシがいちゃもんをつけた記憶がないし、生のエビとウニはどうしても食べられないけど、あとはどんな魚も目玉さえ睨んでいなければ問題なし。ワタシが好奇心半分で買って来ては思いつきの料理にするエキゾチックな魚にも動じることなく、おいしいと言って食べてくれるから、台所を預かる主婦にとってこんなに楽なダンナさんはめったにいないだろうなあ。洗濯物、たたんであげようかなあ・・・。
日本は暑すぎ、こっちは涼しすぎ
6月30日。木曜日。6月最後の日。2011年もあっというまに半分が終わってしまったということだなあ。何だかすごく疲れる6ヵ月だったような。なんかいろいろとありすぎたんじゃないかと言う気がする。ありすぎて精神的エネルギーが追いつかないような感じだけど、あながち年のせいばかりでもなさそうな・・・。
今日は朝からウィリアムとキャサリンのカナダ公式訪問のニュースでもちきり。総督公邸前でのスピーチではウィリアムが一部をフランス語でやってみせて、(本当はぺらぺらだと思うけど)「これからもっと上達しますから」とやって笑わせ、歓迎に集まった群衆と握手、握手。人垣の中に高々と抱き上げられた赤ちゃんを見つけて、長身のウィリアムがぐっと手を伸ばし、赤ちゃんの手を指でつまむようにして「握手」したのは絵になっていたな。明日はカナダの建国記念日「カナダ・デイ」で、首都オタワでの「カナダの誕生日」の祝賀行事に参加するそうな。
あしたは祝日で、金曜日だから三連休。この2日。の間にカナダドルがまた急激に上がったから、国境はアメリカへ買い物に出かける車の列で、日本ならお盆のラッシュのような光景になるんだろうな。復活祭のときは最長4時間待ちだったそうな。ふむ、4時間もあったらシアトルまでぶっ飛ばして帰って来れるけどな。もっとも、ほとんどが途中のベリングハムという町にある「ベリスフェア」という大きなショッピングセンターを目指す。1970年代半ば頃にカナダドル高の時期があったときは、72時間の免税基準を満たすために駐車場にRVを止めてキャンプする人たちがいたっけ。あの頃は免税枠の金額が少なくて、それも年1回だけで、ケチだなあと思った。現在は日帰りが1人50ドルで酒類は除外、48時間以上の滞在で400ドル、7日。以上で750ドル。年1回の制限がなくなったから、連休のたびに国境が混雑する。でも、いつまでも見えて来ない国境に向かってインフレ率を押し上げるほど高騰したガソリンを燃やしながらのろのろ進む車の中で4時間って、ちょっと想像がつかないなあ・・・。
さて、さっさと月末処理をしてのんびりしようと、請求書を作るために、まず仕事のログを整理する。エクセルで2001年から記録があるから、これもちょうど10年。今年はやっぱり仕事量がかなり減っている。売上高も去年の3分の2で、1990年以来最低の年だった2003年の6月末とほぼ同じ。分野によっては仕事量が激減したと言う人たちもいるし、やはり大震災の影響なんだろうな。古狸クラスになっていれば、付き合いの長いお客さんが倒れない限りは、全体のパイは小さくなってもまだ仕事にありつけるだろうけど、まだ翻訳会社の優先?下請けリストの上の方に載るほどの実績がないない新進はつらいかもしれない。ま、フリーの自営業は山あり谷ありの連続だから、ここが踏ん張りどころだけど。
これから節電が本格化して企業の稼動パターンが変わったり、猛暑などでいくら節電しても足りなくて、結局は「計画停電」をやらざるを得ないなんてことになったら、さらに影響があるかもしれないな。もしも、去年のような酷暑になって、暑さのために体調を崩して休む人たちが増えたら、仕事のやりくりも大変になるるかもしれないな。日本の夏のあの蒸し暑さは過酷だもの。福島原発でこのところ人為的ミスが重なっているらしいのは、現場で作業をする人たちの心身のストレスと疲労が人間の限界を超え始めているということじゃないのかな。もしもそうだったら、ふとした一瞬の誤操作で取り返しのつかない大事故が起こりかねないと思うんだけど。
クールビズなんてヘンなファッションでしゃれたつもりの政治家や東電のエライ人たちには顔が見えないから現実感がないかもしれないけど、あの人たちは生身の人間。ロボットじゃないんだから、過労や精神的なストレスや睡眠不足が限界を超えたり、熱中症になったりすると判断力が鈍ってくる。そういう状況で起こった事故をうっかりミスが原因だと責めるわけには行かないような気がする。あの厳しい環境で働いている人たちの心身状態がそんな危機的な状況になっていなければいいと、心から祈らずにはいられない気持ちになる。
のんびりと連休を楽しむつもりでいたら、あら、また置きみやげ仕事。やれやれ。東京は今日も真夏日だって。と言うことは30度?水銀柱がいくら力んでも20度に届かないこっちに、その暑気を少し分けてもらいたいくらいだなあ。(湿気は大の苦手だからいりません・・・。)