我は海の子、海の塩
3月16日。金曜日。朝(といっても正午をちょっとだけ過ぎたけど)起きてみたら、抜けるようなみごとな青空。朝食のテーブルで今日は庭仕事日和だねえと言っていたら、コーヒーを飲み終わる頃には曇り空。ふむ、乙女心と秋の空、男心と春の空と言うからねえ(言わないかな)。カレシが自分のコンピュータを立ち上げて、経理ソフトを起動して、2011年度の会計処理の準備ができたところで、外は降っているのかいないのかはっきりしないけど、ぽちぽちの雨模様・・・。
捻出した休みの3日目。日付と勘定科目と金額などをまとめておいた表を見ながら、1月分から入力。かれこれ15年も使って来たソフトだから入力は楽々。2012年度から新しいソフトで引き継ぐカレシがときどき見に来て、肩越しにあれこれと質問。会計士ってほんっとに簿記を知らないんだねえ。というわけで、我が社の?の「新人」経理係に売上税の徴収と経費に払った税の控除のしくみと四半期ごとの申告の方法を説明して納得させるのに10分かかった。(統合前の州売上税には経費にかかった分を控除させてくれなかったから、ま、実務を知らなくてもしょうがないか。)とにかく、月ごとに貸借対照表と損益計算書と仕訳帳を印刷して、夕食のしたくの時間になる頃には3月まで終わって、外はまた見事な青空・・・。
今日の夕食はストライプバスの分厚い切り身。ついている皮を見たらほんとにストライプの名の通りの縞模様。かなり大きな魚なんだろうな。どう料理しようかと考えていたら、テレビでは明日の聖パトリックの祝日の話。ジャガイモ飢饉を逃れてアイルランド人が大挙して移民して来た北米ではみんなが「1日アイリッシュ」になる大イベントデー。よし、少しだけ残っているアイリッシュウィスキーとリークでソースを作るか。ならば、魚の方はスコッチを振りかけておいてローストにしよう。魚には海草入りの海塩をガリガリと挽いてまぶし、ソースの方は樫の木で燻製した海塩を使う。なぜか海塩が人気であちこちでいろんな塩を売っているから、物好きなワタシも普通の海塩の他に、おもしろそうなのを買って来てある。↓
[写真] 左から、ヒマラヤの岩塩、昆布入り南極の塩、海苔とハーブ入りの塩、樫の燻製塩。重ねてあるのは、上がハワイの塩、下がオーストラリアのマレーリバーの塩。写真には写っていないけど、普通に使う(地中海の)塩はマグサイズの容器に入れてレンジの側においてある。一番のお気に入りは燻製した塩。他の塩はそれぞれ塩辛さが微妙に違うんだけど、指でつまむほどしか使わないから料理の味に違いが出るわけじゃない。でも、このいかにも煙たそうな黒っぽい燻製塩はほのかに「スモーキー」な香りが残る。蓋を取って匂いをかぐと、子供の頃に浜で燃やした焚き火の、あの焼け焦げた木がくすぶる匂いがして来て、鼻の奥が一瞬なつかしさでいっぱいになる。ワタシは(泳げないけど)海の子なんだもの。海辺の焚き火には普通の焚き火の煙たさとは違う独特の匂いがあって、カレシも即座に「ビーチでの焚き火の煙の匂い」と言ったくらい。樫の木の代わりにいろんな木を使って燻製したらどんな香りになるのか、いつか試してみたいな。
リークソースは、薄くスライスしたリークをバターで炒めて、ウィスキーを入れて、ミルクかクリームで仕上げるだけのもので、あっさりした白身の魚に良く合う。今日はレストランでやるように、お皿にソースを広げて、その上に最後に上火で表面にちょっと焼き目を付けた魚を載せてみた。思ったよりもさっぱりした味で、大きな魚のはずだけど繊細な身のほぐれ方は何となくそぼろ的な感じ。なかなか美味だった。めったに見かけない魚だけど、また食べたいね。
さて、夕食後はまた経理データの入力。午後9時半に12月を終了。そのまま減価償却費を計上して、2011年度の決算。売上は少なくても経費はあまり変わらないから、確定申告でワタシの「所得」になる最終的な数字は、荒稼ぎしていた10~15年前の個人所得税の総額よりもずっと低い。まあ、年度の始めに新しいコンピュータやプリンタを買ったから、経費増に対して減収幅が大きかったということか。ここから基礎控除を引いて、年金の掛け金(自営業は雇用主と雇用者の両方の分を払う)を引いて、さらに税額控除を引いたら、課税所得はさらに少なくなって、私的年金の潰した分を足してもまだ去年より低くて、年金暮らしのカレシととんとん。税金、どのくらい戻ってくるかなあ・・・。
さて、3日で去年1年分の会計処理が済んで、決算報告まで作ってしまって、やっと肩の荷が下りた気分。海の塩ならぬ「地の塩」ひと粒のワタシもがんばった。ぐっすりと眠って、また明日から仕事に取り組むぞ~。
けっこう壮大だったデルフ家の物語
3月18日。日曜日。起床正午かっきり。(目覚ましのせいだけど。)いい天気なのに肌寒い。今日の夕方が期限の仕事はきのうのうちにがんばってと片付けて送っておいたので、夜までは「代休」のつもり。朝食が済んで、寝る前にスロークッカーにセットしておいたカレーの出来具合ををチェックしてから、久しぶりにママに会いにお出かけ。ハイウェイはあまり混んでいなかったので、バッテリの充電を兼ねてトラックを飛ばして、メープルリッジのホームまで1時間とちょっと。
電話で話したカレシが「ますます元気でボケてない」と言うだけあって、部屋の中を歩きまわる分には杖さえも不要で、前に会ったときよりもちょっとだけ太ったような印象。テーブルの上にはやりかけのクロスワードパズルの本が置いてあった。カレシのジョークにも即座に呼応するから、頭もまだまだシャープ。(ママは高校を1学年飛び級して卒業した秀才だったけど、当時はまだ女子の大学進学が稀だったから、もったいない話。)最近は膝が痛むそうだけど、「まあ、この年になったらこんなものよ」。今年の5月で満95歳になる。ママ自身が「この分なら100歳まで行けそうだわ」と言うんだから、もし5年後のそのときに「チャールズ国王」の時代になっていなければ、100歳の誕生日にエリザベス女王陛下から直筆署名入りのお祝いカードをもらえる確率はほぼ100%だな。息子たちがボケて申請を忘れるなんてことがないようにしないとね。(ワタシが100歳まで生きたら、「ウィリアム国王」からもらえるんだなあ。遠い先の話だけど・・・。)
エリザベス女王の話からイギリスの話になって、「こういう写真が出てきたのよ」と箱からいかにも古そうな茶色っぽい写真を2枚出して来て見せてくれた。品の良さそうな初老の夫婦はママの母方の祖父母、つまりカレシの「ひいおじいさんとひいおばあさん」。どうやら1850~60年頃にケンブリッジのスタジオで撮ったものらしい。何かの記念だったのだろう。カナダで生まれ育った孫娘のママとは一度も会うことがなかった。もう1枚はカレシがときどき話題にする「レナードおじさん」(ほんとは「大叔父さん」)。8人兄弟姉妹の末っ子で、兄弟中ただ1人だけケンブリッジ大学に学び、軍人になって第1次大戦で戦い、その後エジプト、中東、インドを経て、退役したときは少佐だったという。写真もきりりとした軍服姿。カレシが子供の頃に一度だけ(たぶん船に乗って)訪ねて来たことがあったそうで、そのときのおみやげだったという中東のどこかのバザールで買ったアラビア模様の彫金のお盆は今は我が家の唯一の「アンティーク」になっている。
ママの母方の家族「デルフ家」の歴史はなかなかドラマがあって、聞いているだけでおもしろい。苗字のルーツはウェールズに近いチェシャーだそうで、中世まで遡るらしい。ママのママが生まれたデルフ家は産業革命で台頭した中産階級の一員で、ケンブリッジの商業を営んでいた。写真の曽祖父母には娘が4人、息子が4人いて、ママのママは次女と三女の双生児だった。みんな当時の中産階級の子供が受ける教育を受けて、長女と次男はオーストラリア、次女(カレシのおばあちゃん)はフランス、三女はカナダ、四女は南アフリカ、三男は比較的若くして他界したけど、四男(レナード叔父さん)は軍隊経由でニュージーランドと、世界に散って行ってイギリスに残ったのは長男だけだったらしい(でも、その後どうなったかは誰も知らない)。フランスで貴族のお嬢様の教育係をやっていたおばあちゃんは双子の妹のいるカナダへ来て、スコットランドのアバディーンから移住してきたおじいちゃんと出会って結婚。仕事を求めて少しずつ西へ移動するうちに、サスカチュワンでママが生まれ、やがて今のチリワックの農場に落ち着いた。
オーストラリアに渡った長女はアデレードで裕福な人と結婚してやがてメルボルンに落ち着いたけど、一家の「black sheep」(厄介者)だったらしい次男はメルボルンで家庭を持ったけど、あるときふらりとタスマニアへ出かけてそれっきり行方不明になったとか。(羊を盗んで吊るされたという伝説になっている。)南アフリカに行った四女はそこでいっぱしの舞台女優として成功したらしい。末っ子のレナードおじさんは、軍服を脱いでニュージーランドに落ち着いてマオリ族に関わる行政官になり、最後は教育者になり、北の端のワンガレイに近いところで余生を送った。50代で結婚した奥さんのバーチネル・デルフは水彩画家だったそうで、ママの結婚祝いにプレゼントされたという3枚の風景画はワタシがママから譲り受けて大事にしている。ニュージーランドの国立美術館のアーカイブに名前が載っていたから、名の通った画家だったんだろうな。
こうしてデルフ家はビクトリア朝の大英帝国の版図の拡大に従って世界に散って行ったんだけど、ママの世代のいとこたちはもうほとんど生きていないだろうし、カレシの世代のまたいとこたちはいるはずだけど、みんなどうしているやら。でも、世界のあちこちに「遠い、遠い親戚」がいるというのはちょっとロマンチックかも。そうそう、ママが「こんなのもあるのよ」と見せてくれたのがカレシとパパの写真で、4、5歳だった金髪坊やのカレシのまあなんとかわいいこと!歩きながらえびのように屈んで聞いているパパに一生懸命に何か話しているところを、昔ダウンタウンで商売をしていたという街頭写真屋が撮ったものだそうな。今度、ママから古い写真を借りてきて、まとめてスキャンしておこうと言う話になったけど、ケンブリッジのデルフ家の末裔であるカレシの「歴史」もワタシの「歴史」と一緒に残しておきたいよね、受け継ぐ子供はいないけど。
現実空間とサイバー空間の落差は何を語る
3月20日。火曜日。春分の日。今日から「公式に」春が始まる(時計は一足先にとっくに「夏」だけど)。でも、天気がいいとやっぱり春らしい感じ。向かいの桜もやっとのことでこっちにチラ、あっちにホラと開花。冗談に「ウィンターペグ」というくらいに寒くて、まだ氷点下のはずのウィニペグで初夏のような天気が続いているというのに。この冬のカナダは全国的に過去65年で最も平均気温が高く、積雪が少なかったそうな。ふ~ん。
今日は正午1分前に起床。寝るのが遅かったから(あるいは暁を覚えない季節なもので)ちょっぴり眠い。BBCを見ながら寝酒をやっていたら、イギリス国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)に女王夫妻が到着する様子が映ったので、そのまま見てしまった。昔IRAが議事堂に爆弾を仕掛けたときに壊れた窓の後にエリザベス女王即位60周年を記念して新しいステンドグラスを入れたので、その除幕式が始まるところだった。トランペットが華々しく響く中を、おそろしく長いウェストミンスターホールの一番奥の高いところに置かれた2つの椅子までゆっくり歩いて着席。まず貴族院議長が歓迎とお祝いのスピーチ、次いで下院議長がお祝いのスピーチ。女王の紋章をデザインした大きなステンドグラス窓が披露されて、女王様がちょこっとユーモアも潜り込ませてお礼のスピーチ。最後にGod Save the Queenが厳かに演奏されておしまい。こういうときはやっぱり君主制だと華があっていいなあと思う。
BBCといえば、つい先日、BBCラジオ4のサイトに日本人ジャーナリストが、何度も東北へ取材に行って大変な困難の中でも秩序を守り、助け合う東北の人たちに「日本人としての誇り」を感じたと同時に、よくわかっていると思っていた国に「不穏な傾向」があるのに気がついたという趣旨のエッセイを書いていた。「日本は非常に礼儀正しい社会である。ただし、面と向かった時にはの話で、サイバー空間では言葉の暴力が匿名で行き交っている」と。農作業を続ける福島の農家は人殺し呼ばわりされ、学者は政府の飼い犬呼ばわりされ、有名無名の誰であっても一度ネット上に名前が出たら最後、堰を切ったような個人攻撃にさらされる。「学者が放射能のレベルが下がったと言えば、医者が今のところ放射能による健康被害はないと言えば、たちどころに原発推進派のレッテルを貼られる」と、取材したある教授は言ったとか。
このジャーナリストはネットで個人攻撃のターゲットにされた自分の経験にも触れている。自分の記事についてたちどころに匿名の議論が始まった。ただし、記事の内容を議論するよりも、筆者の容姿についての(おそらくは中傷誹謗の類の)論議だった。数千に上ったコメントの一部を読んで心が悲しみでいっぱいになったと。ジャーナリストなら記事の内容についての攻撃には堂々と立ち向かえるだろうけど、記事とは無関係の容姿や人格を攻撃されたら普通の人と同じように傷つくと思う。面と向かっての礼儀正しさが「建前」だとしたら、サイバー空間での言葉の暴力は匿名だから出せる「本音」なのかもしれない。取材した科学者のひとりは「匿名のブログはどこにでもあるが、日本人に特有なのは面と向かって議論をするのを好まないことで、それでオンラインでは一層攻撃的になる」と言った。編集部が目を通している掲示板でさえ攻撃的な書き込みは多い。Anything goes(何でもあり)の掲示板やSNSやブログを跋扈する言葉の暴力の激しさは想像に難くない。
でも、そういう人たちが、いろいろな理由で人に面と向かって何も言うことができない欲求不満を「匿名」の空間で見えない人たちを攻撃することで発散しているんだとしたら、それだけたくさん心の底にどろどろと怒りや嫉妬や不安を鬱積させている人たちがいるということだろうな。自発的なことであるべき気遣いや思いやりが他人に期待し、要求するものになってしまった感じだし、人と人の「絆」さえもはやり言葉になると人を縛るような語感を持ち始めたし、現実空間に出れば非常識、KY、残念な人、イタイ人と言動や容姿にチェックを入れられるらしいし、もうみんな疑心暗鬼になって、口どころか心も開けなくなっているのかもしれない。それで他人とどう関わっていいのかわからなくなっているのかもしれないな。
心に重い鎧を着せて歩かなければならない世の中って、結局みんなにとって生き難くそうな感じがするなあ。人間世界というのはほんとに難しい・・・。
とにかく忙しいときは特急グルメ風ディナー
3月23日。金曜日。きのうは歯医者に行くカレシと一緒にちょっとだけ早く起きてガンガン仕事をしたせいで、今日は午後1時まで寝てしまった。まだ3月だというのに26度とか27度とか、バンクーバーの夏よりも暑い東部を羨んでいたら、突如として春らしい天気。向かいの桜も一気に二分咲きくらい。鳥の声も何となく華やいでいるように聞こえるのは恋の季節だからかな。
そうやってみんな一斉に春めいているというのに、ワタシはまだ仕事、仕事のまた仕事。統計用語とか頭がくらくらするようなギリシャ文字のアルファベットスープがぞろぞろ。世間のお金はどこ吹く風で勝手な方にてんでに右往左往しているから、こんなことを研究してもなあと思うけど、経済学って意外とおもしろい。とどのつまりは、お金に対する価値観の研究みたいなものかなあ、としろうとなりに思うけどね。まあ、日曜日の午前7時が最終期限だけど、あといったい何ページあるのやら・・・。
こんな風に忙しさがだんだんに切羽詰って来ると例のストレス性腹ぺこ症候群が起きて、おいしいものが食べたい。そうかといって、外へ食べに行くヒマも手をかけてご馳走を作っているヒマもないから、とりあえず徹底手抜きの思いつきグルメで、ご馳走を食べた気分になって急場をしのぐ。何だかここのところずっとそういうメニューでしのいでいるような・・・。
[写真] 野菜の在庫があまりないので、冷蔵庫の隅にあったゴールデンビーツをスライスして、オリーブ油を塗ってトースターオーブンでロースト。その間に、ホタテに昆布入りの塩を挽いてまぶし、殻を取ったジャンボえびにタマリンドのソースを塗っておいて、冷凍の枝豆をスチーマーにセット。
ビーツがやわらかくなる頃を見計らって、枝豆を蒸し始め、小さいフライパンのひとつにはバターを溶かし、もうひとつはサラダ油。枝豆があと3、4分というところで、ホタテを焦げかけて来たバターで、エビをサラダ油で焼いて、小さいガラス瓶に取ってあった残りもものラズベリーのピューレを電子レンジで10秒温めるという突貫作業。
お皿にビーツを置いてジャンボサイズのホタテを載せ、上にちょっと焦げたバターをたらして、小さいスポイトで周りにラズベリーピューレをぽとり、ぽとり。後はえびを並べて、枝豆を添えたら、見栄えだけは何とかなっていそうな超特急何ちゃってグルメ風料理のできあがり。
ああ、この仕事が片付いたら、日曜日には気合を入れてご馳走を作りたいなあ・・・。
一気に春爛漫の日曜日
3月25日。日曜日。起床午後12時半。すご~くいい天気。春、一気に爛漫。つい何日か前はほんとにちらりほらり程度だった桜がうわ~っと咲き出した感じで、外はピンク色が爆発。ちょっとしょぼついている目にはまぶしいな。きのうは最終日だから崖っぷちの気分でひたすら仕事をして、完了したのが午前3時。見直しをして、修正をして、手を入れて、フォーマットを整えて、午前4時に無事に「納品」。編集者は時間帯が3時間先だから、午前7時。日曜日、ごくろうさまです。
ワタシはとりあえず休み。夕方には日本で月曜日の朝が明けるからどうなるかわからないけど、とにかく今日はひねもすダラリン三昧を決め込む。カレシに何を食べたい?と聞いたら、即座に「スシ!」と返ってきた。よっしゃ。「ボクの下着、なくなりそうだけど」。よっしゃ、洗濯もしようっと。なんだか休みらしくない休みになりそうな雲行きだけど、まっ、共働きの主婦の週末なんてどこでもこんなもんかな。もっともカレシはもうご隠居さんだから、「共働き」というレッテルもはがれてしまっているけど。とにかく、洗濯機を回し始めて、反対側にあるフリーザーの底からカレシご所望のスシのネタを出す。定番のサーモンやイクラのほかに、キハダマグロとイエローテールの塊、赤いトビコに沖で獲れたボタンエビ。ただし、カレシは生のエビがダメなので別にぺったんこの寿司用エビ。う~ん、握るのはめんどうだからちらしにしちゃおう・・・。
もう37年も使っている電気釜で白いご飯を炊いて寿司飯を作る。(年に数回以上使ったことがないからこんなに長持ちしたのかもしれないな。)この電気釜、嫁入り道具として持って来たものだけど、サンヨーなのだ。昭和のもうそれこそ大昔に「サンヨー夫人」というモダンな言葉が家庭の電化時代を象徴していたけど、あの「サンヨー」のブランド名はとうとう消滅してしまったらしい。そういえば「ナショナル」のブランドもないんだよね。パナソニックの電気釜と言われてもなあ、と思ったところでふと気づいた。そもそも「電気釜」もすでに死語になっているんじゃないかと。ま、ひたすらご飯を炊くだけの「古式豊かな」サンヨー電気釜で久しぶりにご飯を炊いた。カリフォルニア米だから、水加減を「やわらかめ」のラインよりやや多めにするとけっこうまともなご飯に炊き上がる。さて、ちらし寿司は普段から「ご飯」をあまり食べない2人にはちと重い。そこで、スープ皿を持ち出して来て、くぼみのところに寿司飯を広げて、ネタをお皿の縁にかかるように並べてみた。真ん中に大根のかつらむきを載せて、イクラでちょこっと彩り。カレシが大好きなアサリのスープを添えて・・・。[写真]
今夜のサラダはカレシがどこからかレシピを見つけてきて作ってくれた「大根とピーマンとわかめのサラダ」。お供はワインの代わりに東北(青森?)の酒造会社がアメリカはオレゴン州で作っている日本酒モモカワの「パール」(真珠)というにごり酒。ちょっとしたご馳走になって、おなかがいっぱい。まあ、ご飯は半合ずつだけど、乗っかっているネタがわりとカロリーが高めの魚ばかりだから、今日は真夜中のランチはいらないかな・・・。
夕食後は、カレシが(カメラが付いている)ネットブックを使ってトロントのデイヴィッドとスカイプで見える?聞こえる?さほどの問題もなく「交信」に成功。ジュディが「ハーイ」と言うので、ワタシもカレシの後ろから「ハーイ」。ジュディが「私、おばあちゃんになるのよぉ~」とうれしさいっぱいの報告。モントリオールに住む長女のスーザンが秋に出産予定だとか。今年34歳になるし、パートナーのモンティとはもう10年以上事実婚で、どうやら潮時ということになったらしい。ジュディがおばあちゃんになるということは、デイヴィッドも「おじいちゃん」かあ。う~ん、お年寄りってことだよね。ワタシたちにも甥孫か姪孫がひとり増えるわけだけど、この場合はgreat uncle(大おじさん)とgreat aunt(大おばさん)で、長ったらしいから家族の中では端折って「おじちゃん」と「おばちゃん」。うん、次の次の世代が生まれても、ワタシたちは年を取らなくていいってことで、なんだかすごく得した気分・・・。
仕事戦前、異常なしと静かなりでは大違い
3月26日。月曜日。昨日ほど華々しく春めいていないけど、気温はまあまあ。降りたいんだか晴れたいんだか、決めかねているような空模様。道路向いの桜はもう八分咲きというところかな。先週はほんとに春が来るのかどうかもわからない感じだったのに。(ちなみに、26度などとバンクーバーの夏でさえ珍しいようなバカ陽気だったトロントは最低気温がマイナスに戻ったらしい(あったりまえだ)。
今日はまず何よりも先に買い出し。野菜が乏しくなって来たし、午後のうちなら魚のカウンターが開いているということでIGAに決めた。ついでにローゼンタール傘下のトーマスの包丁をただでもらえるシールがカード2枚分いっぱいになったので、目を付けていたナイフの包丁類合計5本と引き換えることにした。ユティリティナイフを2本、最近Santoku knife(三徳包丁)として出回っている、わりと日本風な感じがするディンプルの付いた包丁を2本(カレシ用)、ひとまわり小型のディンプル付きサントクナイフ(ワタシ用)を1本。これで当分包丁の類の不足はないな。ワタシのユティリティナイフは大小3本で30ドルという安物中の安物で、いくら研いでもすぐに鈍らになって、今ではペーパータオルさえまともに切れない代物。カレシはけっこう包丁の切れ味を気にするけど、ワタシは切れな過ぎでもわりとおかまいなし(というか、ほんとうのところは切れ過ぎる包丁が怖い・・・。)
というのも、ワタシは野菜などは亡き母が嫁入り道具に持たせてくれた札幌の老舗「宮文」の刻印が入っている刃の薄い万能包丁を今でも使っていて、37年の間毎日使っていてほとんど研いだことがないのに、数年前に野菜を切っているときに人差し指の爪を爪床もろとも3分の1くらいすぱっと切り落としてしまったくらいの切れ味で、日本の刃物の技術はすごい!と思う逸品。いや、あのときはびっくりしたな。あっと思った瞬間にキッチン中がスプラッタ映画のシーンみたいになって、カレシは顔面蒼白。翌日駆け込んだドクターには「派手にやったなあ」と感心される始末で、爪がきちんと再生するのに6ヵ月くらいかかった。あれに懲りて日本の包丁を持つときはことさら慎重になったけど、紙さえ切れない鈍ら包丁も危ないことは危ないだろうな。静養包丁は刃が薄くないから何となく「大丈夫」という気分になるけど。
魚や野菜をどんと仕入れて帰って来てから、昨日半分だけやった小さい仕事を片付けて、今日は店じまい。6月の日本旅行の日程のうちでカレシの手に負えない部分のリサーチ。東京から札幌へ飛んで、釧路から空路東京に戻るというのは簡単だけど、問題はその間。札幌からどうやってオホーツク沿岸の紋別まで行ったらいいのか、紋別からどうやって釧路に出たらいいのか、年月が経ちすぎて、道産子のワタシにも皆目わからない。それでもバケーションの情報をググって回るのは楽しいもので、偶然にANAが東京⇔紋別便を再開したという情報を発見して、ヤッホーッ!さらにググりまくって、暫定的に札幌から特急で釧路、釧路から快速で網走、網走駅から紋別までタクシー、そして紋別から空路東京へ、という予定になった。網走からタクシーというのはちょっとコスト高ではあるけど、途中で(景色の)これはという見どころに止まってもらえるかもしれないから、バスよりは効率的か。次に紋別の宿をググってみたら、旅館しかないかと思っていたのに立派なホテルが少なくとも2つある。快適な旅になりそうだな。鉄道は外国人用のジャパンレールパスを使うとして、あとは飛行機とホテルの予約をどうするかだな。あと2ヵ月しかないから、急がないと・・・。
残る仕事はあと1件だけど、推定所要時間の倍のゆる~い納期なので、少なくとも今週は無視。このまま静かだったらいいなあ。久しぶりに芝居を見に行こうね。2週間後の復活祭のディナーのメニューも考えなくちゃね。会計事務所から所得税の確定申告書類のチェックリストが来たから、書類を整えて来週には持って行かないとね。カナダの確定申告は4月30日の真夜中が期限。去年は仕事がかなり「不況」だったから久しぶりに還付がありそう。でも、この3ヵ月のペースで今年いっぱい仕事に没頭していたら、来年の今頃は今度はがっぽり追加徴収されて、おまけに予定納税もがっぽりで、年金をもらい始めてもスローダウンなんかしていられないかもしれないな。それは、やだなあ。ま、収入が安定しなくて資金計画を立てにくいのも自営業の宿命のひとつなんだけど。
ま、今週は「仕事前線異常なし」でありますように。待てよ、「異常なし」というのは仕事がある状態じゃないのかな。だけど、原題は『All Quiet on the Western Front(西部戦線静かなり)』。だから、「静かなり」といのは仕事がない状態。誰だか知らないけど、ヘンな訳し方をするから話がややこしくなるじゃないの。まあ、どっちでもとにかく、魔の3月よ、荒れることなく去ってくれ・・・。
生垣の床屋さんは金髪美人
3月27日。火曜日。起床は何と午前8時過ぎ。塀のすぐ外に植えてある生垣を刈り込みを頼んであったのが、昨日電話があって「朝の8時過ぎに行きます」。だけど、あわてて早寝をしたって眠れっこないということで、ベッドに入ったのはほんの少しだけ早い午前3時半。せっかくよく寝てたんだけどなあ・・・。
我が家の「生垣」は、日本では米杉、カナダ杉、あるいはカナダ檜という名前で材木として売られているヒノキ科の木で、池を作ったときに新調した塀の外側に矮性の若木を150本くらい植えたのだった。でも、矮性といってももとは材木にする大木だから、放っておくとどんどん伸びる。元気なのはいいんだけど、実は我が家の土地の境界の外(つまり市有地)に植わっているもので、あまり伸びすぎて歩道の方へ広がると市役所が乗り出してきて厄介なことになる。植えた当時、塀の高さが市条例の上限を超えていると「密告」したご近所さんがいて市役所が飛んでくる騒動があって、たぶん同じご近所さんが密告したんだろうな(夫婦共もうこの世にはいないけど)。塀のときは手直しをさせられたけど、生垣は歩道の舗装部分にはみ出させないという約束でお見逃しとなった。(我が家の生垣でも、法的には市の所有物ということになるらしい。)
実際には高すぎる塀とか市有地に生垣とかなんてのは市内のいたるところにあるんだけど、市はご近所さんからの「報告」がない限りは何もしない。でも、通報があればそれっと動く。革新派が市政を握っているときは特に動きが早いという話もある。ご近所さん同士を監視させるなんて、アジアのどっかの一応共産主義国みたいで気色が悪いよね。そういえば、生垣のことで飛んで来たのは中国系の人で、ものすごい広東語訛りで「そんな生垣を植えたら通る人がお宅の庭を見られなくなるでしょ」と何とも意味不明なことを言うから、「外から見えないように木を植えてんでしょうがっ」とやり返したら、上司のどうのこうの、なんたらかんたら。あのときはその上司と直接話をして「歩行者の邪魔にならないように管理する」という条件で決着がついたけど、ずかずかと庭に入ってきたあの御仁は見逃してやるから「見返りを」と手を出していたのかもしれないと未だに思うことがある。
そういう経緯があるし、伸びすぎると菜園の日当たりが悪くなることもあって、カレシもわりと手入れをして来たけど、何しろ元気がよすぎて電動のトリマーでは間に合わない。何年か前には芝生を刈りに来る人に高さを1メートルくらい切り下げてもらったけど、そろそろもとの木阿弥ということで、何年か春に庭木の肥料やりに来てもらっている会社に頼むことにして、その日が今日。さすがに専門の会社だけあって、装備のものものしさにびっくり。大きなバケット車の後ろに樹木シュレッダをつけて、森林学を修めたごつい若者と20代半ばくらいのかわいい金髪女性の2人組。女性はほんとにかわいくて、話をするとますますかわいい人なんだけど、作業衣にヘルメット姿の半袖Tシャツから出ている二の腕は、男でも腕相撲をためらいそう。バケットに乗って長いトリマーを操作しているのがその彼女↓。もしもワタシに息子がいたら、こんな人にお嫁さんになってもらいたい・・・。[写真]
4時間ほどで総延長50メートルほどある生垣はすっきりと同じ高さに刈り込まれて、庭の中に飛び散った枝や残骸をきれいに集めてシュレッダにかけて、作業は完了。正午少し前。いつもならそろそろ目を覚ます時間だけど、瞼がぽてっと重くて、ああ、眠いなあ。今日は仕事をしなくてもいい日だし、ちょっと昼寝でもしようかなあ・・・。
ジャパンれーるぱすはやめにした
3月28日。水曜日。ゲートのチャイムが鳴っているのをうとうとしながら聞いていたように思うけど、目が覚めたのは午前11時40分。チャイムの主は「不在通知」を残して行った。カレシが注文してあった電動のミニ耕運機だな。チャイムで目が覚めたときにヘンな夢を見ていたような気がする。どこかのホテルみたいなところで、スーツケースにやたらとヘンテコなものを詰めようとして入らないのを焦っていて、最後には誰かが(こういうときはなぜかカレシじゃないんだなあ・・・)間に合わないと急かすもので(チャイムが鳴ったから?)で、持てるものだけを掴んで走り出したところで目が覚めたような気がする。いったい何を意味するんだろうね、この夢・・・。
湿っぽい1日だけど、シーラとヴァルが掃除に来てくれて家の中はすっきり、さっぱり。ゆうべは何かすごい広告の仕事が来て、ここんところ袖にしていたところだから、よっしゃと引き受けたんだけど、カレンダーを横目で睨みつつ、「3月いっぱい」は何が何でも休み。6月の旅の日程のうちでカレシから引き継いだ部分のリサーチ。まず釧路と紋別でのホテルを決める。インターネットの時代になって、部屋の写真を見て広さやベッドの大きさがわかるから便利。それにしても、たいていが未だに「シングル」と「ツイン」。北米はシングルもダブルも関係なくキングサイズのベッドをでんとおいてあるところが多いし、東京でも大きいところはそうだけど、地方ならツインばかり。ツインでもダブルベッド2つならいいけど、新婚さんが行きそうなところでも「ダブル」はめったにない。はて、日本のご夫婦はツインがお好きなのか・・・?
予約はまだだけど、ホテルを決めたところで今度は鉄道の時刻表調べ。北海道はいつの間にななくなっている路線が多いような。それくらい過疎化が進んでいるのかな。本数があまりないから選ぶのはラク。次は新幹線。あらら、ジャパンレールパスでは乗れない「のぞみ」ばっかりで、「ひかり」だと新大阪か岡山で乗り換えないと広島まで行けない。そこでふと思って、料金を調べて、北海道での分も集計してみたら、今のレートで換算するとレールパスより1人あたり1万円くらい高くなるだけで、ノンストップの「のぞみ」を自由に選べるし、オンラインで予約しておいてもらうこともできるよね。(レールパスだと緑の窓口に出向かないと指定席も取れないとか、制約が多い。まあ、割引の乗り放題だからしょうがないんだけど。)どうする、カレシ?「自由席めがけて猛ダッシュなんて、日本人相手じゃ絶対勝てないから嫌だよ」と。じゃ、それで決まりね。
昔はジャパンレールパスを目いっぱい以上に活用したっけな。今は日本国籍でも外国の永住権や外国籍の配偶者を持っていれば買えるらしいけど、あの頃は外国籍でないと買えなかった。JRとしては外国人がせいぜい東京から新幹線で京都や大阪まで観光に行く程度と想定して値段を設定したらしいから、何日かずつ滞在する拠点を決めて、その間の移動は座席指定特急、各拠点から周辺の観光スポットへは日帰りという日程を組むとか、使い方しだいでは鉄道運賃をパスを使わない場合の半額以下にすることもできた。今は、未だにわざわざ緑の窓口に行かなければならないし、「のぞみ」には乗せてくれないし、東京都内ではいちいち駅員にパスを見せて改札を通らなければならないし、検札のたびにパスポートを見せろと言うし、せいぜい1割か2割安くなっても割に合わないくらい不便になったという感じがするな。
かってイギリスのブリットレールパスを使ってウェールズ南部を旅行したことがあった。1ヵ月の有効期間内に7日使えるパスだったけど、乗った日のスタンプを押して使用日数を記録する仕組みだったのに、車掌は手にも取らずにちらっと見てうなずくだけで誰もスタンプを押してくれない。一度はスタンプを押さなくていいのかと聞いてみたけど、あっさり「そんなもん、持ってないよ」という返事。おかげで、レールパスはイギリスをとうとう離れるまでまっさらなままだった。あの調子だったら、有効期限まで7日といわずに10日でも30日でも乗り放題できただろうな。いかにもイギリス的と言うところだったのかも知れないけど、ヨーロッパ大陸のレールパスはどんな感じなのかなあ。
それでも、鉄道の旅には昔から変わらないわくわくする「旅情」みたいなものがあっていい。
老齢は67歳からはじまることになった
3月29日。木曜日。今日も湿っぽい。夜通しかなりの風が吹いて、この前の嵐で裏口のポーチから吹き落とされたソーホースがまた落下。家を新築したときに大工さんが廃材で即席に作った簡単なもので、横木は鋸で切られてぎざぎざぼろぼろだけど、こんなに長いこと荒っぽい扱いに耐え抜いて来たのはさすがプロの腕というところか。
きのう寝ている間に配達に来たカレシのミニ耕運機を引き取りに郵便局へ。ついでに2軒先の保険代理店に立ち寄って旅行保険について相談。健康関連の質問は2人とも全部「ノー」だから話は簡単。カレシのは107ドルとちょっと、ワタシのは77ドル。カレシがその違いの元は年令か性別かと聞いたら「その両方でしょうね」。年を取っている方が旅先で病気や怪我をしやすいからだろうとは想像がつくけど、ワタシたちは5歳しか違わない。つまり、「男」は保険会社にとっても(何かにつけて)大きなリスクだということなんだろうな。なんかナットク・・・。
今日は連邦政府の予算発表の日。いつから始まったのか知らないけど、カナダでは連邦政府も各州の政府も予算発表の日には財務大臣が靴を新調する慣習がある。(ただし、そうしない大臣もいる。)ハーパー政権発足当時から6年間ずっと財務大臣をやっている現職のフレアティはサブプライム金融危機のときに履き古した靴に新しい底を付け直して来たし、進歩保守党時代のクロスビー財務相は先住民のスエードのブーツ「マクラク」を履いて来た。少数政権時代に閣僚だったストックウェル・デイなどはアルバータ州の大蔵大臣のときにインラインスケートとヘルメットの出で立ちで現れたし、BC州でもキャンベル政権時代に(元テレビジャーナリストで今は大学学長の「美しすぎる」財務大臣)キャロル・テイラーが派手なグッチのハイヒールを新調して野党に叩かれたりした。
1990年代にわりと長期政権だった進歩保守党のマルルーニー政権は、毎年何だかんだと増税を続けたもので、不人気になったマルルーニーが辞任した後の総選挙でも多数政権から一気にたった2議席の「その他」政党に転落してしまった。(現政権の保守党はその残党を西部から台頭して来た改革党が「吸収合併」したもの)。英語に「boot out」という言葉があって、「(ブーツを履いた足で)尻を蹴っ飛ばして追い出す」という意味の、まさにその通りになったわけだけど、財務大臣の新調の靴とはあまり関係ないかな。でも、なかなか意味深な感じもするけど。
政府にとっては予算発表は毎年最大のイベント。今回の予算の大目玉は「年金」。最近、日本の基礎年金に当る老齢年金(OAS)の受給年令を引き上げようと言い出したかと思ったら、もう予算案に入れてしまったから素早いな。もっとも、2023年度から6年かけて段階的に65歳から67歳に引き上げるというものだけど、巨大票田のベビーブーマー世代をやり過ごして、影響があるのは現在54歳以下の人たち。ま、世の中を見たら、どこでもみんな、いつまでも若いままでいたくてあれこれと努力しているらしいから、65歳はまだまだ若いというお墨付きをもらったような感じになって、いいんじゃないかなあ。
予算のもうひとつの目玉は「ペニー」と呼ばれる1セント硬貨の廃止。この秋に作るのをやめて、いずれは5セント以下は四捨五入するとか、レジなどでの対応が整ったら流通を止めるということらしい。何しろ銅貨だから、1個作るのに1.5セントもかかるし、つり銭でもらった人はどこかにしまい込んで使わないしで、不経済極まりないというのが廃止の理由。そうだなあ、我が家にも1セント玉が詰まったポリ袋があっちこっちにある。いずれ救世軍に持って行って寄付するつもりではいたけど、つい忘れるからたまる一方。財務大臣がまとめて慈善団体への寄付を呼びかけたから、そのうちに特別のコインドライブが全国で展開されるということになるかもしれないな。回収方法としてはなかなかの妙案だと思う。
ペニーがなくなったら、文字通りの「penniless」(無一文)の人も「penny pincher」(どケチ)もいなくなるのかな。「penny-wise, pound foolish」(安物買いの銭失い)もなくなるのかな。だけど、「Find a penny, pick it up, and all day long you’ll have good luck」(ペニーを見つけて拾ったら1日中グッドラック」という言伝えも意味をなさなくなってしまうなあ。だって、落ちているペニーを拾おうにもそのペニーがなくなってしまうわけで、もう1日のささやかな幸運は拾えなくなるってことか・・・。
勝ち組、負け組、引き分け組
3月30日。金曜日。今日も湿っぽいなあ。のんびりと正午寸前に起床。忙しがっている間にじわじわと増えていた体重が少し減って来た。仕事でカリカリしているときはどうしても寝酒とつまみの量が増える。連日仕事の雪崩に埋もれていると、寝る前のちょっとした時間がカレシとの唯一のクオリティタイムになることが多いから、話をしながらついお酒を注ぎ足したり、チーズやソーセージを追加したりしてしまう。ストレスになっているときはやたらとおなかが空くし、リラックスするのに時間がかかるから、いきおいカロリー過剰になって、そのまま寝たらもろに脂肪になる・・・。
本当に仕事がないときと違って、4月の中旬すぎまできっちり入っているのに敢えて「仕事をしない」状態にしているもので、気分がざわざわしてちょっと落ち着かない。ワーカホリックは燃え尽きたのに懲りてとっくに卒業したはずなんだけどなあ。いつも明日をも知れない身のフリーランス稼業の宿命なのかな、こういうの。まっ、明日はまた明日で明日の風が吹くんだろうな。まったく風が吹かなくなったら、べた凪の海に浮かぶ帆船のごとく、水面下を流れる潮流に運命を任せるしかないよなあ。人生って、いつ止むとも知れない大嵐の吹き荒れる暗い海で荒波にもまれたらそれこそ命がけだけど、波風のない海を幽霊船みたいに彷徨うのも想像するだけで気が遠くなりそう。まっ、今日の極楽とんぼ号、無風快晴で、船長はデッキでのんびりお昼寝・・・。
小町横町に出向いたら、「国際結婚する女性は負け組か」。おやおや、見知らぬ港に迷い込んで困っているのかと思いきや日本での話。それにしても、国際結婚はワタシが小町を読み始めてからかれこれ10年になるけど、ほぼ定期的に似たりよったりの相談内容で上がって来るから不思議。書き込みの内容やトーンも変わっていないからおもしろい。相談の内容に関係なく「女性の容姿」に視線が集まるところも変わっていないな。「残念な方が多い」なんてタテマエ丁寧語で言ってるけど、日本女性と欧米人(そんな民族はないけど)のカップルに出くわしたら女性の方を「ガン見」してるってことで、そんなにガイジンを連れている日本女性の美醜が気になるってことは、「容姿が残念」を翻訳すると「(かわいいあたくしはガイジンに相手にされなかったのに)いったいあんなブスのどこがいいのよっ、キーッ!」ということになるのかな。それが酸っぱいぶどう的に発展して「どうせ日本人に相手にされなかったかわいそうな人」という流れになって、「国際結婚するのは負け組(日本人と結婚したあたくしは勝ち組)」となったのかもしれないな。
おもしろいのは、「国際結婚女性は容姿が残念」と言われると、必ず「いや、あたくしは日本人にだってモテたましたのよっ」と反論する人が出てくること。どこの誰であれ、愛する人と結婚して幸せなんだったら、結婚前に誰にどれだけもてようが今は昔の話でどうでもいいことじゃないのかと思うんだけど、それをあえてあたくしは違うのよっ!と反駁するのは、心の奥で自分の「愛」に自信がないままで結婚を決断したということなのかな。たしかに、配偶者の国に住んでいるのに、配偶者に対する不平不満を「どうして○○人は~」という括りで語り、周囲に対する不満や嫌悪感を「外国人は~」で語る人たちもけっこういるけど、そこには生涯の伴侶として選んだはずの1人の生きた人間の存在は感じられないことが多い。まあ、いわゆる婚活トピックから見る限りでは日本人同士でも相手の収入のような条件にこだわる人が多いようだから、相手が1人の人間として見えていないかもしれないという点では国内結婚も国際結婚も同じじゃないかという気がするけどな。
ワタシが若かった時代は縁談を待って見合い結婚するのがフツーだったから、男にもてる、もてないは(幸いなことに)論外だったけど、もし今どきの日本にタイムスリップしたら、どうしているんだろう。容姿も性格もすべてにおいて「かわいい」基準から遠いワタシのことだから、「モテ度0」のままで、婚活とやらでは日本人に見向きもされず、好みのオンナノコを選り取り見取りのカリスママン(カレシ)にも見向きもされず、賞味期限へまっしぐら。だけど奇跡的にワタシという人間を好きになれる人に出会って、それが日本人じゃなかったら今度は「あの容姿でどうして」と首を傾げられ・・・だろうな。まあ、それでもそこは元々JIS規格不合格の帆船「極楽とんぼ号」のこと、大波小波をものともせずに大海原を我がもの顔で航海していると思うな。(そういえば、高校のときの進路指導で商船大学に行って大型船の船長になりたいと言って、先生に「女の子はダメだよ」と一蹴されたっけ。比喩的には「船長」になったと言えなくもないかな・・・。)
どうしても人を勝ち組と負け組に分けないと気がすまない人が多いみたいだから、つらつらと考えてみたけど、自分の気持を良く知って自信を持ち、誰が何を言おうが気にせずに自然体で向き合って、自分は幸せな人間だと思える人が、人生での「勝ち組」ってことになるだろうと思う。でも、自分が死ぬときじゃないとほんとにそうかどうかはわからないだろうな。だから、「今」を生きている若い人たちには遠すぎて見えない未来が不安で、待っていられないから今すぐに勝ち組、負け組を「仕分け!」ということなのかも。あのさ、「引き分け組」ってのはダメなの・・・?
匿名掲示板はネット時代の闘技場なのか
3月31日。土曜日。雨模様。今日で3月も終わり。早いなあ。年を取るほどに時間の足が早くなる。時間の方がどんどん先に進んだら、年を取るのが追いつかなくなって加齢そのものが減速する・・・てなことは、やっぱりありえないよねえ。まっ、四の五の言わずに、今日は月末処理と、明日から始めるつもりの仕事の算段でもしようっと・・・あ、日本はまだ(もう?)日曜日だ。
小町横町の散歩に出かけて、「醤油はソースか」というにぎやかな論争(今どき日本語では「バトル」というらしい)に遭遇。西洋人が寿司を「醤油の中にざんぶりこと入れ、まるで泳がせるような感じで」食べるのは、そもそも醤油をソイ「ソース」と訳したの原因であり、醤油はソースではなく調理料なのだから、「ソース」の訳語をやめて「調味料」に変えるわけにはいかないのか、というのがトピック文。へえ、西洋人が日本人から見たらとんでもない寿司(日本食)の食べ方をするのは「翻訳」が悪いからってことか。聞き捨てにならない議論だと思って読んでみたけど、トピックの主が自己流のソースの「定義」にこだわるもので、書き込む人たちとのコミュニケーションが全然かみ合わないから、何が論点なのかさっぱりわからない。でも、テーマとしてはおもしろいな。醤油はソースか調味料かって、鍋の中であれ、皿の上であれ、食材や料理の味を調えるための液体はみんなソースだと思うけどなあ。
それにしても、この横丁はこだわりの強い人が多いなあと思う。それも、いわゆる「プロのこだわり」とはまったく違う、いわゆる「縁起かつぎ」とも違う、かといって「強迫性障害」とも違うんだけど「○○はかくあらねばならない」という思い込みに縛られている感じで、それでいて必ずしも「誰がなんと言おうともこれが一番好き/合う」という確信があるわけでもなさそうで、とにかく(少なくとも)ワタシにはなんだか異常に近い感覚のようにも思える。「こだわり」が望ましいものとして美化されて、商業化された結果、「こだわり」を持つことがすなわち自分の存在感の証と刷り込まれているのではないかという感じがする一方で、こだわることによって苦手なもの、未知のものに対応する必要を避けようとする回避の心理もなきにしも非ずのように感じる。まあ、いわゆる「大人の人見知り」の一種かもしれないけど、心の自由を束縛されて、逆に自分が窮屈になっているようなところもあるんじゃないのかな。
ワタシがこれまでに出会った人たちの中で飛びぬけてこの小町型(といったら苦情が来るかな)の「こだわり」が強かったのはカレシの亡きパパかな。自分の知っていることが「唯一絶対の真実」で、理解できないことは「嘘っぱち」。そのくせテレビや雑誌で見聞きしたことは実にすなおに「事実」として信じ込み、(他人の意見なのに)異論や反論を自分の意見の否定のように受け取る人だった。しかも、すべてがきっちり完璧でないと癇癪を起こすか、いつまでもグチグチ言う人だったから、不器用に生まれついたカレシにとっては大変な不運だったと言える。考えてみると、大人になってから人を個人的に苦手だとか嫌いだとか思ったことはないワタシだけど、正直なところ、義父は唯一「できることなら付き合いたくない人」だったかもしれない。
それはともかく、不特定多数の人たちが匿名で書き込むところだから、こだわり屋だけじゃなく、投稿文から透けて見える性格も(概して欝っぽいという印象だけど)いろいろあって、それが集合して国民性ならぬ一種の「住民性」を形成しているように思うけど、匿名掲示板でも一種の「コミュニティ」であれば、現実社会のコミュニティと同じように独特の「文化」が生まれても不思議ではないな。ただ、常套句になっている「自分の周りでは」という範囲限定のものさしを当てると、こういう「できたら遭遇したくない」ような人たちは幸いにもワタシの「周り」(地理的な距離を無視したワタシの交流範囲)には見当たらない。つまり、匿名掲示板はいうなればローマ帝国時代に剣闘士がバトルを繰り広げた「闘技場」のネット版ということか。小町横町の女性たちはネット時代の女剣闘士なんだ。だから見ているとおもしろい。なるほど、そういうことか・・・。