自分だけの幸せのものさし
11月24日。きのうは仕事がないのをいいことに、カレシがなんだかんだとかまってくるもので、書き終わった原稿をアップロードするのを忘れてしまった。カレンダーの日にちが変わってしまったけど、きのう書いたものだからと、ワタシ流の能天気を決め込んで、きのうの日付でアップしとくことにした。
大学院教育を受けた女性の結婚に関する理想が「お姫様的奥様生活」というのはちょっと驚きだけど、それよりも「努力をすれば望みが叶う」という刷り込みについてけっこう考えさせられるトピックだった。もちろん、努力はすべきなんだけど、何のために努力するのか、どういう結果を実現したいか、という視点がすっぽり抜けていては、ただエンジンをアイドリングしているようなもんじゃないかと思うんだけど、どうなのかな。目的がはっきりしないのに、努力をしろといわれる。まあ、エンジンをふかし続けていれば、努力をしていると見てもらえる。ダメだしされたら、「努力している」と言い訳するか、「努力をしているのに認めてくれない」と憤るかすればいい。まあ、遠くから見ていてもバブル時代は何でもあまり努力しなくても濡れ手で粟のように手に入ったらしいから、それがまじめな人だったら「努力さえしていれば、きっと・・・」という思い込みになることもあるだろうな。
バブルが潰れて「失われた10年」が過ぎた頃に、日本では、「ゆとり教育」だ、「人の痛みがわかる子を育てる」、「個性重視」だ、「創造性」だ、「生きる力」だと、見たところ画期的で華々しい教育指導要領が打ち出されている。探し当てて一応読んでみたけど、たしかにどれも高邁な目標ではある。あんな風に教育すれば、日本はきっとすばらしい国になるだろうな。だけど、実際にはどれだけの成果があったのか。新聞記事として伝わってくるのは「学力低下」だけど、小町横町のような巷から伝わってくる人間像は、心にゆとりがない人、自分の痛みしかわからない人、他人の幸せや成功が許せない人、自分だけは損をしたくない人、生活環境や価値観、思想、嗜好が少しでも自分のと違う他人の存在が耐えられない人・・・自分を幸せと感じられずに苛立っている人たちがなんと多いことか。
幸せを測るものさしって、ひとりひとりが自分の中に持っているものだと思っていたけど、そうじゃなかったのかな。自分が幸せだと思えたら、他人の痛みに心を痛めることができ、他人の幸せや成功を喜び、他人と自分を比べる気にもならず、他人の個性を「自分とは違う人」として受けとめられると思う。それが心のゆとりというものだと思うんだけど、それは「自分」の存在が感じられることが前提。「自分」という存在を感じられない人は、なんとか自力で「自分」を構築するか、でなければ他人の「自分」に依存するか、あるいはそれを奪い取るしかないだろうな。だけど、自分の幸せ感は自分のものさしでしか測れないから、他人を否定することで自分を肯定してみてもちっとも幸せな感じがしないだろうと思う。日本のゆとり教育に根本的な何かが欠けていたとしたら、それは「自分のものさし」を持つこと、つまり「自我の確立を促す教育」じゃないかと思う。ゆとり教育が個性や創造性をうたい文句にしながら、なぜその基礎になる「自我」の確立を促すことができなかったのか・・・それは日本の人が一番良く知っているんじゃないかと思うんだけど。
国際って「日本じゃない」こと?
11月25日。ほんとに毎日よく降って飽きないもんだなあ。まあ、ワタシも飽きずに毎日「雨、雨」と騒いでいるから、ちょいとしつこいところではマザーネイチャーといい勝負。根競べってところかなあ。
シーラとヴァルに真っ先にオフィスを掃除してもらって、午後一番にきのう飛び込んで来た仕事にかかる。半日程度の仕事だし、ちょうど即興芝居のクラスの最終回にでかける間際だったので、「OK」の返事だけして、帰ってきたらやっつけるつもりだった。うん、「つもり」だった。この「つもり」ってやつほどいい加減なことはなくて、日常生活でときどき発生する「あわてふためき事件」の原因のトップ3に入るくらいに危ない。で、毎週心ゆくまで笑って、遊んだクラスが最終回ということで、修了証書をもらって帰って来たら、「ああ、とうとう終わってしまったんだ~」。(それにしても、ランガラ・カレッジの継続教育部の修了証書、もうこれで数えてみたら20枚くらいになっているかもしれないなあ。まあ、ワタシにとっては束の間の夜間クラスが息抜きなんだもん。)
最終回のゆうべはいつもの先生といっしょにもうひとり。先生の友だちの俳優だそうで、子供たちに演劇を教えているとか。ちょっとエキゾチックな顔立ちだと思ったら、お父さんが白人で、お母さんが中国系なんだそうな。こういう風に言うと「あ、国際結婚で生まれたハーフか」と思っちゃう人がけっこういそうだけど、このミックス先生のお母さんは中国系三世。両親ともカナダ生まれのカナダ育ちの「生粋のカナダ人」だから、同じ国の男と女の結婚。しいて言うなら「異人種婚」。まあ、ワタシとカレシだってもう長いことカナダ国籍のカナダ人同士だから、その理屈からするとただの「異人種夫婦」で、そんなのはバンクーバーにはごろごろいるから誰にも注目されない。でも、日本人の女性は異人種カップル(特に白人男性とアジア人女性の組合せ)にはどうしても注目せずにはいられないらしいし、自分がそうだと、特に必要がなくても「国際結婚してます」とか「○○人のダンナ」とか、自発的に情報開示する傾向がある。まあ、何年結婚していても「国際結婚(=日本人以外との結婚)」の感覚が抜けない人にとっては、あくまでも自分は「国際的に結婚」している(=日本人じゃない人との結婚をしている)ということなんだろうな。で、もし別れることにでもなれば、今度は「国際離婚」。
つまり、この人たちの観念では、「国際」というのは「日本(人)じゃない」ということなのかもしれない。自分の結婚が「国際的」であることをことさら強調したがる人たちには、「国際生活」(=日本じゃない国での生活)がきつい、つらい、耐えられないと嘆く人が多いように思うんだけど、そういう角度から見たら、(日本人じゃない)夫の国の(日本のじゃない)文化や習慣が嫌いだとか、(日本語じゃない)言葉をしゃべらなければならないのが苦痛だとか、精神的にかなりの「国際的(=日本じゃないことによる)」負担を感じるらしいのもわかるような気もするな。それでなのかな、(異人種だけど)好きな人と結婚して、普通に(現地的な)結婚生活をしている人を見ると、「外国かぶれ」だとか「いかに現地に馴染んでいるか自慢する」とか「○○人になったつもり」とか、攻撃したくなるのは。「同じ」日本人で、自分はこんなに大変なのにあの人は苦労していない・・・ふ~ん、この心理、日本の小町横町に集う人たちとぜんぜん変わらないように思えるけど。
なんて、また頭の中でヘンなことを論じてしまったけど、また疑問がひとつ、ちょっぴりだけども解答に向かう糸口が見つかったような感じがする。ワタシもとどのつまりは「カナダかぶれ」で「カナダ人になったつもり」で「カナダにしっかり馴染んでいることが自慢」の日本人てことになるんだろうな。ま、それも必ずしも的外れじゃないのかもしれない。だって、カナダの文化・習慣が(自覚がないくらい)完全に染み付いているのは確かだし、カナダ国籍だから、日本生まれの日系カナダ人と思っているし、カナダでの毎日は勝手を知った家に住んでいるのと同じだしね。まあ、そういうのが自慢になるのかどうかは、聞き手の気持しだいで好きなように解釈してもらってけっこう。カナダ以外に生活の場がないから、外国の環境に馴染んでいるというよりは自分の国であたりまえに暮らしているという感じなんで、ワタシはそういうワタシでいて幸せ。自分については文句も不満もないから、それでいいんだけどね。
まあ、そんなこんなで、きのうやる「つもり」がとうとうやらずじまいになった仕事。ワタシというヤツはほんとにめちゃくちゃワタシだから困る(といっても、困っているようでもないけど)。ヘンなことをぶつぶつ書いてないで、ほれ、さっさと終わらせんかい。うん・・・
DV息子を育てた良妻賢母
11月26日。今日は目が覚めるとベッドルームの中が明るい。ということは、晴れている!きのうしつこいとか何とか文句を言ったせいかな。文句って言ってみるもんだ。よく考えたら、ここでなんだかんだといつも文句を言っているような気もするけど。
今日はかなり空きスペースのできたワインセラーの在庫補充。前に酒屋で詰めてもらったケース2個(計24本)に空き瓶を詰めて行って返し、またそれをいっぱいにする。カートにあれこれ積み上げていたら、本数を数え違えたらしく、レジのカウンターに並べたら26本あった。だいたいはソヴィニョンブランで、後は白、ロゼ、赤といろいろ。棚のスペースがほとんど埋まって、ちょっとはワインセラーのかっこうがついたような感じがする。「自家ワインセラー」がはやっているらしくて、ワインに最適の温度に設定した専用冷蔵庫がけっこう売れているとか。我が家のは単にベースメントの納戸を利用しているだけど、夏冬の温度差が小さくて安定しているので、「適温」でなくてもワインは気にしていないだろうな。まあ、毎日飲むものだから、神経質なワインは買わないだけなんだけど。
ゆっくりと小町横町の散歩・・・と思ったけど、「すごい」としか言いようのないトピックに出くわして、しばし唖然。なんだかショックでしばらくは気持が乱れてしまった。『息子のDVで嫁が・・・』というタイトル。この頃は(ワタシと同世代の)「姑」が立てるトピックもけっこう増えて来ているけど、「息子のDVで」というのは尋常じゃないと思って開いてみたら、調停離婚を申し立てようとする嫁に体裁が悪いから協議離婚で穏便にすませるよう談判しようとして無視され、留守電に脅迫まがいのメッセージを残したそうな。「息子の暴力を公にしないなら金をやる」みたいなことまで言ったらしい。何とか息子を守りたい一心だと言っても、すごいモンスター姑がいるもんだ。「嫁が悪い」と言ってくれるのを期待してトピックを立てたんだろうけど、小町横町の「嫁」たちからは当然のごとく手厳しい書き込みが殺到する。
それに腹を立てたらしい「姑」の反論がすごい。息子が預けたカードを返さず、車の鍵まで持ち出して実家に帰ったのは盗人女だ、と。特に、「以前、息子から嫁に怪我をさせてしまったと連絡があり、嫁に電話で事情を聞いた時、嫁はいい年してしゃくりあげて泣きまともに話せないのです。しかも怪我をしたと派手に喚き散らした割には怪我は目の下に少し傷ができただけ」というくだりでは、みぞおちのあたりが痛くなってしまった。カレシも、大げんかでワタシが過換気症状で手足が硬直して救急車を呼ぶ騒ぎになったときに、ママに電話した。そこで「ママが話したいって」と受話器を渡されたところでまともな話をできるわけがなく、ただ「しゃくりあげて泣いている」だけ。そのときのママの言葉は今でも耳の奥にこびりついている。「そんなにひどいはずがないでしょうに」と。
ママのあの言葉はカレシのどんな嘘よりも、罵声よりも、叩かれたことよりも、何よりも、何倍もこたえたっけな。ママはもう覚えていないかもしれないだろうけど、ワタシは死ぬまで忘れることはできないだろうと思う。唖然とするようなトピックは見なれているはずなのに、ショックだったのはトピックの主の反撃を読んでいるうちに、あの「ひと言」が甦って来たからだろうな。どんなに思い出したくなくても、何かのときに聞こえてくるんだもの。ママの場合は息子かわいさというよりも、「そんなことで私を煩わさないで」ということだったんだろうと思うけど、この「姑」の場合は「息子かわいさのあまり」なんだそうな。その後に続いた「補足」には「自分も夫に殴られたけれども騒ぎ立てることはなかった」と、DV息子の「家庭環境」が明らかになった。子供は親を見て育つというけど、この息子も父親に殴られる母親を見て育って、それが夫婦というものだと刷り込まれて来たわけで、まさに「DVの連鎖」の見本みたいな家族だな。
このトピック、しまいには「批判はご遠慮ください」と言いながらも、「私はお手伝いのいる裕福な家庭で育ち、格式の高い家系の主人と結婚しました。主人は一流企業のエリート、息子も同じです。名実ともに良妻賢母と言われてきました・・・嫁は短大出の小さな会社を経営している中小企業の娘です。要は、嫁は玉の輿に乗った様なものです。それなのに恩をあだで返すような真似して!」と、感嘆符満載のめちゃくちゃなことをわめいて、トピックは投稿受付「停止」。まあ、いたちの最後っ屁みたいではあるけど、すごい良妻賢母がいるもんだ。「殴られるようなことをする嫁が悪い」というのが息子かわいさのあまりだというのなら、それはどうみたってほんとうの「母の愛」じゃないよなあ。そんな歪んだ愛情しか知らずに育ったDV息子もきっと「殴られるおまえが悪い」と言ったんだろうな。それで、自分の子供を虐待して「かわいいからだ」だとうそぶくのかもしれない。だって、そういう「親の愛」しか知らないんだもの。くれぐれもお願い。息子のDVで泣いている「嫁」に「そんなにひどいはずはない」とは言わないで。それはDVの容認に他ならないんだから。
クリスマスまで4週間しかない!
11月27日。今日はすばらしくいい天気。ちょっと寝つきが悪くて、寝不足感があるけど、仕事なしの週末だから、ここはしっかり「休みモード」。仕事にど~んと精を出して、その後に定期的に休みがあるというのはやっぱり気分的にいいな。天地を創造した神様が7日目を休みにしたのもわかるような。まあ、在宅の自営業はなかなかそういうわけにいかないのが悩みといえば悩み。(あ、やっぱり引退する方向に傾いている・・・かな?)
きのうはちょっと気持が揺れて、ベッドに入ってもなんか落ち着かなくて眠れなかったけど、久しぶりのまぶしい晴天のおかげで元気復活。カレシが今日は「何にもしない日」にするというから、ワタシも極楽すいすいで「何もしない日」にする。ほんとに何もしないとなると、ほんとにだらだらしてしまうけど、ま、それもいいか。換気装置のフィルターを取り替えなきゃ。洗濯しなきゃ。クリスマスカードを書き始めなきゃ。デスクの上のペーパーの山を何とかしなきゃ。メールに返事を書かなきゃ。しなきゃ、しなきゃ・・・うん、今日は「しなくちゃ」は一切なしで行こう。
今日はアメリカで感謝祭から一夜明けた「ブラックフライデイ」。夜明け前から「よ~い、どん!」でクリスマスショッピングにゴー。去年は散々な景気だったから、回復基調の今年はどうなんだろう。何年か前だったか、泊ってみたかったホテルが格安だったのでサンフランシスコに週末旅行としゃれ込んだ。夕方に空港についてみたら、やたらとがら~ん。そこでやっとその日が感謝祭だったことに思い当たったんだけど、翌日がすごかった。ユニオンスクエア界隈の歩道は早朝から人、人、人。これが「ブラックフライデイ」かとびっくり。今年はカナダからもどっと越境ショッピングに繰り出したらしい。たしかに、市場規模が桁違いに大きいアメリカは品物も種類も豊富で、しかもセールでなくても値段は安めと来ているから、カナダドル高の今は48時間滞在を考えても、行き時の買い時だろうな。(日帰りの免税額はたったの50ドルだけど、48時間行けば400ドル、7日間行けば750ドルになる。年間の回数制限はなし。)
クリスマスショッピングのニュースを見ながら、今年のプレゼントはそれぞれちょっとしたものを1個だけということにして、後は二人一緒に「欲しいもの」のショッピングをすることになった。そのいの一番は?新しい洗濯機。あはは、クリスマスプレゼントに新しい洗濯機!ちょっと何だかなあと思うけど、来年の夏に連邦と州の消費税が統合されると、現在は州の税金が免除されているものがいっせいに課税対象になってしまう。エコ家電はその中でも特に大きいもののひとつだから、この機会に買っておいたほうがいい。後は・・・やっぱりキッチンの小道具だろうなあ。それと、他に何がある?クリスマスまであと4週間。うん、二人一緒のショッピングは楽しみ!
クリスマス商戦が敗者復活戦になるかどうかはわからないけど、国際的な不況が北米では一部の産業以外を除いてそれほどの深刻さを感じることなく早々に回復に向かい出したのは、夫婦共働きが定着していることも寄与しているんじゃないかと思う。女性が結婚しても特に事情がなければ仕事を続けるのがすっかりあたりまえになって、今では「ダブルインカム」という言葉も聞かれなくなった。おとといの新聞には、カナダの共働き家庭で、夫と同じ水準の収入を稼ぐ妻の割合が42%になったという統計局発表のデータが載っていた。女性の教育水準が上がって社会進出が進む一方で製造業の雇用が減ったことが大きな要因なんだそうだけど、世帯所得の55%以上を稼いでいる妻の割合が18%(アメリカでは26%)に達し、夫が無職の世帯を含めると、妻が稼ぎ手になっている家庭は34%に上るという。うん、カナダの奥さんたちはがんばっているんだな。よ~し、ワタシも定年までひとがんばりするぞ。ま、週明けになって仕事が入って来たらの話だけど・・・
子供が大人になりにくい時代
11月28日。ま~た雨が降ってら~という感じで目覚めて、起き出して、やっぱりまた降ってるわいと言いながら、午前11時40分に一日が開始。良い天気だったきのうは何もしなかったから、また雨の今日も何もしないことにする。あはは、二人揃ってこのだらけようと来たら・・・。
朝食をしてからゆっくりとTIMEを読む。カナダ版が廃刊になって、アメリカ版が届くようになってから、まじめに読むようになった感じ。まあ、わざわざカナダ国内向けの記事を書かせて、雑誌の一部に差し替えて印刷するのは採算に合わないと判断しての決定だったんだろうけど、こっちは喜んで購読を3年も更新してしまった。(カナダのことはカナダの雑誌があるからね。)で、最新号のカバー記事が「The Case Against Over-Parenting」。過剰子育て反対論とでも言うところか。自分の子供が怪我をしないように、病気にならないように、失敗しないようにと、やたらと子供にまとわりつく心配性の親を「ヘリコプターペアレント」というんだそうな。いつも子供の頭の上を飛んで監視しているってことらしい。要するに過保護。子供にしてみればうるさい限りだろうけど、子供を(人生の)成功者に仕上げるのにこだわるあまり、子育てが「製品開発」のような様相だとか。おかげで、子供たちが大学に入学
する頃には、とっくに燃え尽きてカリカリになってしまった「クリスピー」か、些細なストレスで壊れてしまう「ティーカップ」。
そういう風潮が行き過ぎ状態になったところで、これに逆行する流れが出てきたという。スローフードならぬ「ゆっくり子育て」の提唱。あたかも大不況の大波で、アメリカの家庭の3分の1が子供の校外活動(習い事やスポーツ)を取りやめたという。要するに緊縮財政によるダウンサイズ、ダウンシフト、簡素化。そうしたら、子供との関係が良くなったという家庭が圧倒的に多かったというから、不況も悪いことばかりじゃないということか。平均的な子供が持っているおもちゃの数は150個とか。音や光などで子供を「遊んでくれる」ものが多い。それを徹底的に整理して、子供が想像力を駆使して「遊べる」ものに絞ったら、喜んだのは子供の方。つまり、広い選択肢に対処する能力がまだ十分に育っていない子供たちは親があれもこれもと与えて来る(教育的)おもちゃに生き埋めにされていたってことだろうな。そういう子供に息をつく余裕を与えようというのが「ゆっくり子育て」なんだろう。
この新しい動きは別名を「放し飼い子育て」とも言うらしい。ただし、放し飼いイコール自由放任ではない。まあ、人間のすることだから振り子が今度はそっちへ振り切れないという保証はないけれども、要は、子供が生きていく上で遭遇する問題を自分で考えて解決できる力(それが生きる力だと思う)をつけられるように見守ろう、言わば「子育ての原点」のような考えに立ち帰ろうということなんじゃないかな。新しい子育ての試みが定着すれば、子供たちも手足を伸ばせていいだろうなあ。でも、今の時代、子供にとっては過保護な親がいなくても「大人」になりにくい世の中かもしれない。知識と技術の偏重で物理的に便利になった分、人間はそれに依存するようになって、いっそう自分で考えて判断しなくても済む技術を追求しているように見える。なんだか、ボタンを押せばプログラムに従って「遊んでくれる」おもちゃに囲まれた5才児のイメージと重ならないでもないけど、実際にそのあたりで足踏みしてしまう危険性は昔よりも大きくなっているかもしれない。子育てが大変だってことは子供を持てなかったワタシだってわかるけど、ひょっとしたら、洋の東西を問わず子供が大人に成長しようとすること自体がもっと大変な時代になっちゃったのかなあ・・・
社会を変えた激動の時代
11月29日。きのう、久しぶりにナイトキャップのレミを傾けながら、TIME誌の「子育て」記事について、お互いに自分の子供時代はこうだったという話になり、そこからどういうわけでそんなに神経質な時代になったんだろうという話に発展した。二人とも60代だから、雑誌の写真の「バブルラップに包まれた子供」は孫に近い年頃。親は結婚や子供を産む年令が上がり始めた世代だというから、年令としては40歳前後。ということは、1970年前後に生まれた世代、つまり、ベビーブームが終わって出生率が記録的に低下した時代に生まれた「X世代」ということかな。
このX世代はよく、人生のすべてにおいて巨大なベビーブーム世代にいいとこ取りされて、自分たちは後塵を拝して損ばかりしていると嘆く、愚痴っぽい世代と評される。この世代の中心層は1980年代初頭の大不況に始まって、「Greed is good(強欲は善だ)」という映画のせりふに象徴されるウォール街の狂乱(日本のバブル景気の時代)、それに続くドットコムバブルをつぶさに見て育ち、高水準の教育を受けて、いざ社会に出て来たら世は不況。おまけにホワイトカラーのレイオフが一般化して、高学歴でも雇用の安定は保証されない時代になっていた。そういうこともあって、全体的に不安な時代に放り出されて自信を失った世代とも言えそうなところがある。
こうして見ると、日本の「失われた10年」に社会に出てきたバブルの落とし子世代とかなりの共通点があるよねえ、と言ったら、カレシ曰く、X世代が生まれた頃のアメリカは歴史的な「激動の時代」だった。つまり、彼らの親たち(戦争中に生まれた世代やベビーブーム世代)が大人になった頃には、政治家や社会の要人の暗殺が相次ぎ、性の解放やフェミニズム運動、公民権運動が盛んになり、南部では人種差別撤廃運動が過激化し、ベトナム戦争が泥沼化して反戦運動や厭戦気分が広まり、ヒッピーやイッピーが登場し、ドラッグ文化が隆盛し、やがて「何でもあり」の自由思想が流行して、アメリカ社会は怒涛のような変化の波にのまれていた、と。カナダだって、この時代は新しい国旗の制定やケベック問題など、独立国家としての主体性を確立しようとする動きが盛んで、ケベック
ナショナリズムが高まり、ケベック解放戦線によるテロ事件が相次ぎ、1968年の「10月危機」ではケベックに「戦時法」に基づく戒厳令がしかれる事態になり、同時にアメリカの影響を大きく受けてめまぐるしい社会変化に見舞われていた。そのときを生きていた人たちにとっては前例を見ない社会的、精神的な地殻変動があった時期だった、と。
日本での大変動の時代はいつ頃だったのかと聞くので考えてみたけど、北米の「地殻変動」的な変化の津波は日本まで押し寄せてこなかったんじゃないかな。ワタシが育ったのは地方も地方の都市だったから、小中学校の教室が超満員だった(1学年に8組も10組もあって、各クラスに50人以上の子供がひしめいていた)以外は、のんびりと育ったような気がするんだけど。たしかに、高度経済成長時代の真っ盛りで、公害問題がおき、アジアで初めてのオリンピックがあり、万博があり、新幹線が開通したとか、高層ビルが建ったとか、高速道路が開通したとか、国を揚げて興奮していたような気がする。製造業は人手不足が深刻で、中学を卒業した(まだ16才の)子供たちが「金の卵」ともてはやされて、特別列車で各地の工場へ「集団就職」して行った。
たしかに、反戦運動や学生運動、ヒッピーやアングラ劇場といったカウンタカルチャーもあったけど、ベトナム戦争は直接関与していないから緊迫感はなかったし、学生運動はいつの間にか志を忘れて(というか、そもそも高邁な動機があったかどうかは怪しいと思うけど)仲間同士で殺しあう内ゲバ集団になったし、ヒッピーだってアメリカの物まね的な薄っぺらな感があったし、う~ん、どれほどの社会的、精神的な地殻変動があったんだか。一億総サラリーマン化で、女は総OL化。お茶汲み是非論はあったけど、フェミニズムどころか女性は30才で定年なんて企業もあって、結局は25才までに結婚して、専業主婦になって子供を産み育てるのが理想で、いわば本格的な女性の社会進出は起こらなかった。後で石油危機や猛烈インフレが起きたけど、生活水準は右肩上がりで「一億総中流化」しえ、そのまま平和ボケしちゃったのかな。
考えてみると、この頃にサラリーマン家庭に生まれた子供たちが日本の「X世代」に相当するんだろうな。彼らが大学に進学したり、社会人なったりした頃が日本の狂乱バブル景気の絶頂。その頃にはワタシはもう日本にはいなかったから、バブル時代を実際に体験したわけじゃないんだけど、しいてカレシの問いに答えるなら、日本で「社会的、精神的な地殻変動」が起こったのは「バブル景気時代」だったんだと思う。1960年代の高度経済成長期の社会変化など、バブル時代の変貌に比べたら取るに足らない「経済発展」ひとコマだと思う。バブルは経済循環上の現象として語られることが多いけど、あの日本のバブルは日本の社会を根底からひっくり返した「社会変動」だったというのがワタシの持論だしね。アメリカではバブルに遅れた不安な世代が「ヘリコプターペアレント」になり、日本ではバブル時代を謳歌した世代が「モンスターペアレント」になったんじゃないのかなと思うんだ
けど。どっちにしても、子供たちの未来にとっていいとは思えないけど、ワタシが子供を持てなかったのは、はたして幸なのか不幸なのか・・・それは実際に子供を持ってみなければわからないことだし、正解なんてものもないだろうな。
バブルはリアリティショーだった
11月30日。月曜日。穏やかな晴天。11月最後の日。あっ、11月は今日でおしまいなんだ!ということは、請求書を書いたり、為替のレートを調べてログを閉めたりの月末処理をしなきゃならない日。大変だ・・・。おまけにきのうの日本の終業時間間際にひょいと送ってきた仕事がある。夕方ぎりぎりに「明日中に」と持ち込んで来られても困るだろうなあと思うけど、海のこっち側にいるワタシにとってはそういう時が頼まれ時。「よっしゃ」と引き受けてはせっせとクライアントの点を稼ぐ。こういうのを地の利というんだろうな。もったいをつけた弁護士口調でやれるものならけっこう手なれたもんで、寝起きのいい日は、ちょいと気取った気分になってちゃっちゃとやっつけてしまう。
世界同時不況というくらい、みんなせ~のと突入したような不況だったけど、カナダでは公式に「終了宣言」が出た。もっとも、成長率は予想より低かったそうだから、また頭を引っ込める可能性は無きにしもあらずだけど、とにかく「1992年以来の不況」はおしまいということになった。めでたし、めでたし。ここへ来て失業した人にはちっともめでたくなんかないだろうけど、失業率は景気の遅行指標。企業は常に市場を先読みして(したつもりで)動くから、失業者の増加が最高潮に達した頃には景気は回復局面に入っていて、やがて雇用が増え始め、それが最高潮に達した頃には後退局面に入っているということになる。つまり、企業がどんどん人を増やし始めたらそろそろ「やばい」というところなんだけど、その頃には職が潤沢にあるような気分で財布の紐を緩めてしまっていて、本格的な不況になった時には大ショック。まあ、楽しくて浮かれているときの人間には、警告は「カサンドラの予言」のようなものだから。
日本の社会的「地殻変動」が1980年代のバブルだと言ったら、夜になってカレシが「そんなはずはない。高度経済成長期だった1960年代に決まっている」と言う。ワタシが「あれは経済体制の変化だ」と言えば、「その経済の変化で社会も変わったはずだ」と言う。そうだろうな。サラリーマン社会化が加速的に進んだもの。「そうだろう。経済が発展して、生活水準も生活様式も変わったはずだ」とカレシ。「変わったのは生活様式で、道徳観や倫理観、価値観が変わったとは思えない。変わったのはバブル狂乱時代になってからだ」と反論するワタシ。「いや、生活水準や様式が変わったときに価値観や倫理観も変わったはずだ。バブル景気はその延長で起きたんだ」と主張するカレシ。ははあ、まだ「夢の国」を夢に見ているんだろうな。まあ、すべてを捨ててでも行きたかった「夢の国」なんだから、さっぱり忘れられるもんじゃないってことはよくわかってるのよ、カレシ。
バブルはふわふわと漂う虹色のしゃぼん玉。まあ、バブル時代はいわば今はやりのリアリティショーみたいなもんだったのかもしれないな。だとすれば、その寵児たちにいっときの夢を見たカレシにとっても、あれは人生のバブルだったのか。へぼ役者ばっかりのつまらないリアリティショーを見ちゃったと思えばいいのかな。人間の「実体」がわかりにくいネット交流の時代はまた、人と人のかかわり合いもある意味でリアリティショーだってことかなあ。カメラが見ていないところで起きる本当のリアリティの方が、現実と虚構がない交ぜのリアリティショーよりも(あたりまえに)ずっとリアルなんだけど、まあ、「滅びの美学」の視点から見ればはかない虹色のしゃぼん玉の方が心地がいいのかもしれないな。「うん、あの時代はみんないい夢を見たんだろうし、まだ見続けている人たちもいるんだろうし、人さまの夢を壊すのは良くないよねえ」と言ったら、ちょっとむっとした顔になったカレシ。ははあ、図星だ。でも、ベッドに入ってから「キミはまだぼくのスィートハートだよ~」とべたべた。おいおい。なに、その「まだ(still)」ってのは・・・。