リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年11月~その3

2009年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
自分だけの幸せのものさし

11月24日。きのうは仕事がないのをいいことに、カレシがなんだかんだとかまってくるもので、書き終わった原稿をアップロードするのを忘れてしまった。カレンダーの日にちが変わってしまったけど、きのう書いたものだからと、ワタシ流の能天気を決め込んで、きのうの日付でアップしとくことにした。

大学院教育を受けた女性の結婚に関する理想が「お姫様的奥様生活」というのはちょっと驚きだけど、それよりも「努力をすれば望みが叶う」という刷り込みについてけっこう考えさせられるトピックだった。もちろん、努力はすべきなんだけど、何のために努力するのか、どういう結果を実現したいか、という視点がすっぽり抜けていては、ただエンジンをアイドリングしているようなもんじゃないかと思うんだけど、どうなのかな。目的がはっきりしないのに、努力をしろといわれる。まあ、エンジンをふかし続けていれば、努力をしていると見てもらえる。ダメだしされたら、「努力している」と言い訳するか、「努力をしているのに認めてくれない」と憤るかすればいい。まあ、遠くから見ていてもバブル時代は何でもあまり努力しなくても濡れ手で粟のように手に入ったらしいから、それがまじめな人だったら「努力さえしていれば、きっと・・・」という思い込みになることもあるだろうな。

バブルが潰れて「失われた10年」が過ぎた頃に、日本では、「ゆとり教育」だ、「人の痛みがわかる子を育てる」、「個性重視」だ、「創造性」だ、「生きる力」だと、見たところ画期的で華々しい教育指導要領が打ち出されている。探し当てて一応読んでみたけど、たしかにどれも高邁な目標ではある。あんな風に教育すれば、日本はきっとすばらしい国になるだろうな。だけど、実際にはどれだけの成果があったのか。新聞記事として伝わってくるのは「学力低下」だけど、小町横町のような巷から伝わってくる人間像は、心にゆとりがない人、自分の痛みしかわからない人、他人の幸せや成功が許せない人、自分だけは損をしたくない人、生活環境や価値観、思想、嗜好が少しでも自分のと違う他人の存在が耐えられない人・・・自分を幸せと感じられずに苛立っている人たちがなんと多いことか。

幸せを測るものさしって、ひとりひとりが自分の中に持っているものだと思っていたけど、そうじゃなかったのかな。自分が幸せだと思えたら、他人の痛みに心を痛めることができ、他人の幸せや成功を喜び、他人と自分を比べる気にもならず、他人の個性を「自分とは違う人」として受けとめられると思う。それが心のゆとりというものだと思うんだけど、それは「自分」の存在が感じられることが前提。「自分」という存在を感じられない人は、なんとか自力で「自分」を構築するか、でなければ他人の「自分」に依存するか、あるいはそれを奪い取るしかないだろうな。だけど、自分の幸せ感は自分のものさしでしか測れないから、他人を否定することで自分を肯定してみてもちっとも幸せな感じがしないだろうと思う。日本のゆとり教育に根本的な何かが欠けていたとしたら、それは「自分のものさし」を持つこと、つまり「自我の確立を促す教育」じゃないかと思う。ゆとり教育が個性や創造性をうたい文句にしながら、なぜその基礎になる「自我」の確立を促すことができなかったのか・・・それは日本の人が一番良く知っているんじゃないかと思うんだけど。

国際って「日本じゃない」こと?

11月25日。ほんとに毎日よく降って飽きないもんだなあ。まあ、ワタシも飽きずに毎日「雨、雨」と騒いでいるから、ちょいとしつこいところではマザーネイチャーといい勝負。根競べってところかなあ。

シーラとヴァルに真っ先にオフィスを掃除してもらって、午後一番にきのう飛び込んで来た仕事にかかる。半日程度の仕事だし、ちょうど即興芝居のクラスの最終回にでかける間際だったので、「OK」の返事だけして、帰ってきたらやっつけるつもりだった。うん、「つもり」だった。この「つもり」ってやつほどいい加減なことはなくて、日常生活でときどき発生する「あわてふためき事件」の原因のトップ3に入るくらいに危ない。で、毎週心ゆくまで笑って、遊んだクラスが最終回ということで、修了証書をもらって帰って来たら、「ああ、とうとう終わってしまったんだ~」。(それにしても、ランガラ・カレッジの継続教育部の修了証書、もうこれで数えてみたら20枚くらいになっているかもしれないなあ。まあ、ワタシにとっては束の間の夜間クラスが息抜きなんだもん。)

最終回のゆうべはいつもの先生といっしょにもうひとり。先生の友だちの俳優だそうで、子供たちに演劇を教えているとか。ちょっとエキゾチックな顔立ちだと思ったら、お父さんが白人で、お母さんが中国系なんだそうな。こういう風に言うと「あ、国際結婚で生まれたハーフか」と思っちゃう人がけっこういそうだけど、このミックス先生のお母さんは中国系三世。両親ともカナダ生まれのカナダ育ちの「生粋のカナダ人」だから、同じ国の男と女の結婚。しいて言うなら「異人種婚」。まあ、ワタシとカレシだってもう長いことカナダ国籍のカナダ人同士だから、その理屈からするとただの「異人種夫婦」で、そんなのはバンクーバーにはごろごろいるから誰にも注目されない。でも、日本人の女性は異人種カップル(特に白人男性とアジア人女性の組合せ)にはどうしても注目せずにはいられないらしいし、自分がそうだと、特に必要がなくても「国際結婚してます」とか「○○人のダンナ」とか、自発的に情報開示する傾向がある。まあ、何年結婚していても「国際結婚(=日本人以外との結婚)」の感覚が抜けない人にとっては、あくまでも自分は「国際的に結婚」している(=日本人じゃない人との結婚をしている)ということなんだろうな。で、もし別れることにでもなれば、今度は「国際離婚」。                                                                                                                                                    
つまり、この人たちの観念では、「国際」というのは「日本(人)じゃない」ということなのかもしれない。自分の結婚が「国際的」であることをことさら強調したがる人たちには、「国際生活」(=日本じゃない国での生活)がきつい、つらい、耐えられないと嘆く人が多いように思うんだけど、そういう角度から見たら、(日本人じゃない)夫の国の(日本のじゃない)文化や習慣が嫌いだとか、(日本語じゃない)言葉をしゃべらなければならないのが苦痛だとか、精神的にかなりの「国際的(=日本じゃないことによる)」負担を感じるらしいのもわかるような気もするな。それでなのかな、(異人種だけど)好きな人と結婚して、普通に(現地的な)結婚生活をしている人を見ると、「外国かぶれ」だとか「いかに現地に馴染んでいるか自慢する」とか「○○人になったつもり」とか、攻撃したくなるのは。「同じ」日本人で、自分はこんなに大変なのにあの人は苦労していない・・・ふ~ん、この心理、日本の小町横町に集う人たちとぜんぜん変わらないように思えるけど。

なんて、また頭の中でヘンなことを論じてしまったけど、また疑問がひとつ、ちょっぴりだけども解答に向かう糸口が見つかったような感じがする。ワタシもとどのつまりは「カナダかぶれ」で「カナダ人になったつもり」で「カナダにしっかり馴染んでいることが自慢」の日本人てことになるんだろうな。ま、それも必ずしも的外れじゃないのかもしれない。だって、カナダの文化・習慣が(自覚がないくらい)完全に染み付いているのは確かだし、カナダ国籍だから、日本生まれの日系カナダ人と思っているし、カナダでの毎日は勝手を知った家に住んでいるのと同じだしね。まあ、そういうのが自慢になるのかどうかは、聞き手の気持しだいで好きなように解釈してもらってけっこう。カナダ以外に生活の場がないから、外国の環境に馴染んでいるというよりは自分の国であたりまえに暮らしているという感じなんで、ワタシはそういうワタシでいて幸せ。自分については文句も不満もないから、それでいいんだけどね。

まあ、そんなこんなで、きのうやる「つもり」がとうとうやらずじまいになった仕事。ワタシというヤツはほんとにめちゃくちゃワタシだから困る(といっても、困っているようでもないけど)。ヘンなことをぶつぶつ書いてないで、ほれ、さっさと終わらせんかい。うん・・・

DV息子を育てた良妻賢母

11月26日。今日は目が覚めるとベッドルームの中が明るい。ということは、晴れている!きのうしつこいとか何とか文句を言ったせいかな。文句って言ってみるもんだ。よく考えたら、ここでなんだかんだといつも文句を言っているような気もするけど。

今日はかなり空きスペースのできたワインセラーの在庫補充。前に酒屋で詰めてもらったケース2個(計24本)に空き瓶を詰めて行って返し、またそれをいっぱいにする。カートにあれこれ積み上げていたら、本数を数え違えたらしく、レジのカウンターに並べたら26本あった。だいたいはソヴィニョンブランで、後は白、ロゼ、赤といろいろ。棚のスペースがほとんど埋まって、ちょっとはワインセラーのかっこうがついたような感じがする。「自家ワインセラー」がはやっているらしくて、ワインに最適の温度に設定した専用冷蔵庫がけっこう売れているとか。我が家のは単にベースメントの納戸を利用しているだけど、夏冬の温度差が小さくて安定しているので、「適温」でなくてもワインは気にしていないだろうな。まあ、毎日飲むものだから、神経質なワインは買わないだけなんだけど。

ゆっくりと小町横町の散歩・・・と思ったけど、「すごい」としか言いようのないトピックに出くわして、しばし唖然。なんだかショックでしばらくは気持が乱れてしまった。『息子のDVで嫁が・・・』というタイトル。この頃は(ワタシと同世代の)「姑」が立てるトピックもけっこう増えて来ているけど、「息子のDVで」というのは尋常じゃないと思って開いてみたら、調停離婚を申し立てようとする嫁に体裁が悪いから協議離婚で穏便にすませるよう談判しようとして無視され、留守電に脅迫まがいのメッセージを残したそうな。「息子の暴力を公にしないなら金をやる」みたいなことまで言ったらしい。何とか息子を守りたい一心だと言っても、すごいモンスター姑がいるもんだ。「嫁が悪い」と言ってくれるのを期待してトピックを立てたんだろうけど、小町横町の「嫁」たちからは当然のごとく手厳しい書き込みが殺到する。

それに腹を立てたらしい「姑」の反論がすごい。息子が預けたカードを返さず、車の鍵まで持ち出して実家に帰ったのは盗人女だ、と。特に、「以前、息子から嫁に怪我をさせてしまったと連絡があり、嫁に電話で事情を聞いた時、嫁はいい年してしゃくりあげて泣きまともに話せないのです。しかも怪我をしたと派手に喚き散らした割には怪我は目の下に少し傷ができただけ」というくだりでは、みぞおちのあたりが痛くなってしまった。カレシも、大げんかでワタシが過換気症状で手足が硬直して救急車を呼ぶ騒ぎになったときに、ママに電話した。そこで「ママが話したいって」と受話器を渡されたところでまともな話をできるわけがなく、ただ「しゃくりあげて泣いている」だけ。そのときのママの言葉は今でも耳の奥にこびりついている。「そんなにひどいはずがないでしょうに」と。

ママのあの言葉はカレシのどんな嘘よりも、罵声よりも、叩かれたことよりも、何よりも、何倍もこたえたっけな。ママはもう覚えていないかもしれないだろうけど、ワタシは死ぬまで忘れることはできないだろうと思う。唖然とするようなトピックは見なれているはずなのに、ショックだったのはトピックの主の反撃を読んでいるうちに、あの「ひと言」が甦って来たからだろうな。どんなに思い出したくなくても、何かのときに聞こえてくるんだもの。ママの場合は息子かわいさというよりも、「そんなことで私を煩わさないで」ということだったんだろうと思うけど、この「姑」の場合は「息子かわいさのあまり」なんだそうな。その後に続いた「補足」には「自分も夫に殴られたけれども騒ぎ立てることはなかった」と、DV息子の「家庭環境」が明らかになった。子供は親を見て育つというけど、この息子も父親に殴られる母親を見て育って、それが夫婦というものだと刷り込まれて来たわけで、まさに「DVの連鎖」の見本みたいな家族だな。

このトピック、しまいには「批判はご遠慮ください」と言いながらも、「私はお手伝いのいる裕福な家庭で育ち、格式の高い家系の主人と結婚しました。主人は一流企業のエリート、息子も同じです。名実ともに良妻賢母と言われてきました・・・嫁は短大出の小さな会社を経営している中小企業の娘です。要は、嫁は玉の輿に乗った様なものです。それなのに恩をあだで返すような真似して!」と、感嘆符満載のめちゃくちゃなことをわめいて、トピックは投稿受付「停止」。まあ、いたちの最後っ屁みたいではあるけど、すごい良妻賢母がいるもんだ。「殴られるようなことをする嫁が悪い」というのが息子かわいさのあまりだというのなら、それはどうみたってほんとうの「母の愛」じゃないよなあ。そんな歪んだ愛情しか知らずに育ったDV息子もきっと「殴られるおまえが悪い」と言ったんだろうな。それで、自分の子供を虐待して「かわいいからだ」だとうそぶくのかもしれない。だって、そういう「親の愛」しか知らないんだもの。くれぐれもお願い。息子のDVで泣いている「嫁」に「そんなにひどいはずはない」とは言わないで。それはDVの容認に他ならないんだから。

クリスマスまで4週間しかない!

11月27日。今日はすばらしくいい天気。ちょっと寝つきが悪くて、寝不足感があるけど、仕事なしの週末だから、ここはしっかり「休みモード」。仕事にど~んと精を出して、その後に定期的に休みがあるというのはやっぱり気分的にいいな。天地を創造した神様が7日目を休みにしたのもわかるような。まあ、在宅の自営業はなかなかそういうわけにいかないのが悩みといえば悩み。(あ、やっぱり引退する方向に傾いている・・・かな?)

きのうはちょっと気持が揺れて、ベッドに入ってもなんか落ち着かなくて眠れなかったけど、久しぶりのまぶしい晴天のおかげで元気復活。カレシが今日は「何にもしない日」にするというから、ワタシも極楽すいすいで「何もしない日」にする。ほんとに何もしないとなると、ほんとにだらだらしてしまうけど、ま、それもいいか。換気装置のフィルターを取り替えなきゃ。洗濯しなきゃ。クリスマスカードを書き始めなきゃ。デスクの上のペーパーの山を何とかしなきゃ。メールに返事を書かなきゃ。しなきゃ、しなきゃ・・・うん、今日は「しなくちゃ」は一切なしで行こう。

今日はアメリカで感謝祭から一夜明けた「ブラックフライデイ」。夜明け前から「よ~い、どん!」でクリスマスショッピングにゴー。去年は散々な景気だったから、回復基調の今年はどうなんだろう。何年か前だったか、泊ってみたかったホテルが格安だったのでサンフランシスコに週末旅行としゃれ込んだ。夕方に空港についてみたら、やたらとがら~ん。そこでやっとその日が感謝祭だったことに思い当たったんだけど、翌日がすごかった。ユニオンスクエア界隈の歩道は早朝から人、人、人。これが「ブラックフライデイ」かとびっくり。今年はカナダからもどっと越境ショッピングに繰り出したらしい。たしかに、市場規模が桁違いに大きいアメリカは品物も種類も豊富で、しかもセールでなくても値段は安めと来ているから、カナダドル高の今は48時間滞在を考えても、行き時の買い時だろうな。(日帰りの免税額はたったの50ドルだけど、48時間行けば400ドル、7日間行けば750ドルになる。年間の回数制限はなし。)

クリスマスショッピングのニュースを見ながら、今年のプレゼントはそれぞれちょっとしたものを1個だけということにして、後は二人一緒に「欲しいもの」のショッピングをすることになった。そのいの一番は?新しい洗濯機。あはは、クリスマスプレゼントに新しい洗濯機!ちょっと何だかなあと思うけど、来年の夏に連邦と州の消費税が統合されると、現在は州の税金が免除されているものがいっせいに課税対象になってしまう。エコ家電はその中でも特に大きいもののひとつだから、この機会に買っておいたほうがいい。後は・・・やっぱりキッチンの小道具だろうなあ。それと、他に何がある?クリスマスまであと4週間。うん、二人一緒のショッピングは楽しみ!

クリスマス商戦が敗者復活戦になるかどうかはわからないけど、国際的な不況が北米では一部の産業以外を除いてそれほどの深刻さを感じることなく早々に回復に向かい出したのは、夫婦共働きが定着していることも寄与しているんじゃないかと思う。女性が結婚しても特に事情がなければ仕事を続けるのがすっかりあたりまえになって、今では「ダブルインカム」という言葉も聞かれなくなった。おとといの新聞には、カナダの共働き家庭で、夫と同じ水準の収入を稼ぐ妻の割合が42%になったという統計局発表のデータが載っていた。女性の教育水準が上がって社会進出が進む一方で製造業の雇用が減ったことが大きな要因なんだそうだけど、世帯所得の55%以上を稼いでいる妻の割合が18%(アメリカでは26%)に達し、夫が無職の世帯を含めると、妻が稼ぎ手になっている家庭は34%に上るという。うん、カナダの奥さんたちはがんばっているんだな。よ~し、ワタシも定年までひとがんばりするぞ。ま、週明けになって仕事が入って来たらの話だけど・・・

子供が大人になりにくい時代

11月28日。ま~た雨が降ってら~という感じで目覚めて、起き出して、やっぱりまた降ってるわいと言いながら、午前11時40分に一日が開始。良い天気だったきのうは何もしなかったから、また雨の今日も何もしないことにする。あはは、二人揃ってこのだらけようと来たら・・・。

朝食をしてからゆっくりとTIMEを読む。カナダ版が廃刊になって、アメリカ版が届くようになってから、まじめに読むようになった感じ。まあ、わざわざカナダ国内向けの記事を書かせて、雑誌の一部に差し替えて印刷するのは採算に合わないと判断しての決定だったんだろうけど、こっちは喜んで購読を3年も更新してしまった。(カナダのことはカナダの雑誌があるからね。)で、最新号のカバー記事が「The Case Against Over-Parenting」。過剰子育て反対論とでも言うところか。自分の子供が怪我をしないように、病気にならないように、失敗しないようにと、やたらと子供にまとわりつく心配性の親を「ヘリコプターペアレント」というんだそうな。いつも子供の頭の上を飛んで監視しているってことらしい。要するに過保護。子供にしてみればうるさい限りだろうけど、子供を(人生の)成功者に仕上げるのにこだわるあまり、子育てが「製品開発」のような様相だとか。おかげで、子供たちが大学に入学
する頃には、とっくに燃え尽きてカリカリになってしまった「クリスピー」か、些細なストレスで壊れてしまう「ティーカップ」。

そういう風潮が行き過ぎ状態になったところで、これに逆行する流れが出てきたという。スローフードならぬ「ゆっくり子育て」の提唱。あたかも大不況の大波で、アメリカの家庭の3分の1が子供の校外活動(習い事やスポーツ)を取りやめたという。要するに緊縮財政によるダウンサイズ、ダウンシフト、簡素化。そうしたら、子供との関係が良くなったという家庭が圧倒的に多かったというから、不況も悪いことばかりじゃないということか。平均的な子供が持っているおもちゃの数は150個とか。音や光などで子供を「遊んでくれる」ものが多い。それを徹底的に整理して、子供が想像力を駆使して「遊べる」ものに絞ったら、喜んだのは子供の方。つまり、広い選択肢に対処する能力がまだ十分に育っていない子供たちは親があれもこれもと与えて来る(教育的)おもちゃに生き埋めにされていたってことだろうな。そういう子供に息をつく余裕を与えようというのが「ゆっくり子育て」なんだろう。

この新しい動きは別名を「放し飼い子育て」とも言うらしい。ただし、放し飼いイコール自由放任ではない。まあ、人間のすることだから振り子が今度はそっちへ振り切れないという保証はないけれども、要は、子供が生きていく上で遭遇する問題を自分で考えて解決できる力(それが生きる力だと思う)をつけられるように見守ろう、言わば「子育ての原点」のような考えに立ち帰ろうということなんじゃないかな。新しい子育ての試みが定着すれば、子供たちも手足を伸ばせていいだろうなあ。でも、今の時代、子供にとっては過保護な親がいなくても「大人」になりにくい世の中かもしれない。知識と技術の偏重で物理的に便利になった分、人間はそれに依存するようになって、いっそう自分で考えて判断しなくても済む技術を追求しているように見える。なんだか、ボタンを押せばプログラムに従って「遊んでくれる」おもちゃに囲まれた5才児のイメージと重ならないでもないけど、実際にそのあたりで足踏みしてしまう危険性は昔よりも大きくなっているかもしれない。子育てが大変だってことは子供を持てなかったワタシだってわかるけど、ひょっとしたら、洋の東西を問わず子供が大人に成長しようとすること自体がもっと大変な時代になっちゃったのかなあ・・・

社会を変えた激動の時代

11月29日。きのう、久しぶりにナイトキャップのレミを傾けながら、TIME誌の「子育て」記事について、お互いに自分の子供時代はこうだったという話になり、そこからどういうわけでそんなに神経質な時代になったんだろうという話に発展した。二人とも60代だから、雑誌の写真の「バブルラップに包まれた子供」は孫に近い年頃。親は結婚や子供を産む年令が上がり始めた世代だというから、年令としては40歳前後。ということは、1970年前後に生まれた世代、つまり、ベビーブームが終わって出生率が記録的に低下した時代に生まれた「X世代」ということかな。

このX世代はよく、人生のすべてにおいて巨大なベビーブーム世代にいいとこ取りされて、自分たちは後塵を拝して損ばかりしていると嘆く、愚痴っぽい世代と評される。この世代の中心層は1980年代初頭の大不況に始まって、「Greed is good(強欲は善だ)」という映画のせりふに象徴されるウォール街の狂乱(日本のバブル景気の時代)、それに続くドットコムバブルをつぶさに見て育ち、高水準の教育を受けて、いざ社会に出て来たら世は不況。おまけにホワイトカラーのレイオフが一般化して、高学歴でも雇用の安定は保証されない時代になっていた。そういうこともあって、全体的に不安な時代に放り出されて自信を失った世代とも言えそうなところがある。

こうして見ると、日本の「失われた10年」に社会に出てきたバブルの落とし子世代とかなりの共通点があるよねえ、と言ったら、カレシ曰く、X世代が生まれた頃のアメリカは歴史的な「激動の時代」だった。つまり、彼らの親たち(戦争中に生まれた世代やベビーブーム世代)が大人になった頃には、政治家や社会の要人の暗殺が相次ぎ、性の解放やフェミニズム運動、公民権運動が盛んになり、南部では人種差別撤廃運動が過激化し、ベトナム戦争が泥沼化して反戦運動や厭戦気分が広まり、ヒッピーやイッピーが登場し、ドラッグ文化が隆盛し、やがて「何でもあり」の自由思想が流行して、アメリカ社会は怒涛のような変化の波にのまれていた、と。カナダだって、この時代は新しい国旗の制定やケベック問題など、独立国家としての主体性を確立しようとする動きが盛んで、ケベック
ナショナリズムが高まり、ケベック解放戦線によるテロ事件が相次ぎ、1968年の「10月危機」ではケベックに「戦時法」に基づく戒厳令がしかれる事態になり、同時にアメリカの影響を大きく受けてめまぐるしい社会変化に見舞われていた。そのときを生きていた人たちにとっては前例を見ない社会的、精神的な地殻変動があった時期だった、と。

日本での大変動の時代はいつ頃だったのかと聞くので考えてみたけど、北米の「地殻変動」的な変化の津波は日本まで押し寄せてこなかったんじゃないかな。ワタシが育ったのは地方も地方の都市だったから、小中学校の教室が超満員だった(1学年に8組も10組もあって、各クラスに50人以上の子供がひしめいていた)以外は、のんびりと育ったような気がするんだけど。たしかに、高度経済成長時代の真っ盛りで、公害問題がおき、アジアで初めてのオリンピックがあり、万博があり、新幹線が開通したとか、高層ビルが建ったとか、高速道路が開通したとか、国を揚げて興奮していたような気がする。製造業は人手不足が深刻で、中学を卒業した(まだ16才の)子供たちが「金の卵」ともてはやされて、特別列車で各地の工場へ「集団就職」して行った。

たしかに、反戦運動や学生運動、ヒッピーやアングラ劇場といったカウンタカルチャーもあったけど、ベトナム戦争は直接関与していないから緊迫感はなかったし、学生運動はいつの間にか志を忘れて(というか、そもそも高邁な動機があったかどうかは怪しいと思うけど)仲間同士で殺しあう内ゲバ集団になったし、ヒッピーだってアメリカの物まね的な薄っぺらな感があったし、う~ん、どれほどの社会的、精神的な地殻変動があったんだか。一億総サラリーマン化で、女は総OL化。お茶汲み是非論はあったけど、フェミニズムどころか女性は30才で定年なんて企業もあって、結局は25才までに結婚して、専業主婦になって子供を産み育てるのが理想で、いわば本格的な女性の社会進出は起こらなかった。後で石油危機や猛烈インフレが起きたけど、生活水準は右肩上がりで「一億総中流化」しえ、そのまま平和ボケしちゃったのかな。

考えてみると、この頃にサラリーマン家庭に生まれた子供たちが日本の「X世代」に相当するんだろうな。彼らが大学に進学したり、社会人なったりした頃が日本の狂乱バブル景気の絶頂。その頃にはワタシはもう日本にはいなかったから、バブル時代を実際に体験したわけじゃないんだけど、しいてカレシの問いに答えるなら、日本で「社会的、精神的な地殻変動」が起こったのは「バブル景気時代」だったんだと思う。1960年代の高度経済成長期の社会変化など、バブル時代の変貌に比べたら取るに足らない「経済発展」ひとコマだと思う。バブルは経済循環上の現象として語られることが多いけど、あの日本のバブルは日本の社会を根底からひっくり返した「社会変動」だったというのがワタシの持論だしね。アメリカではバブルに遅れた不安な世代が「ヘリコプターペアレント」になり、日本ではバブル時代を謳歌した世代が「モンスターペアレント」になったんじゃないのかなと思うんだ
けど。どっちにしても、子供たちの未来にとっていいとは思えないけど、ワタシが子供を持てなかったのは、はたして幸なのか不幸なのか・・・それは実際に子供を持ってみなければわからないことだし、正解なんてものもないだろうな。

バブルはリアリティショーだった

11月30日。月曜日。穏やかな晴天。11月最後の日。あっ、11月は今日でおしまいなんだ!ということは、請求書を書いたり、為替のレートを調べてログを閉めたりの月末処理をしなきゃならない日。大変だ・・・。おまけにきのうの日本の終業時間間際にひょいと送ってきた仕事がある。夕方ぎりぎりに「明日中に」と持ち込んで来られても困るだろうなあと思うけど、海のこっち側にいるワタシにとってはそういう時が頼まれ時。「よっしゃ」と引き受けてはせっせとクライアントの点を稼ぐ。こういうのを地の利というんだろうな。もったいをつけた弁護士口調でやれるものならけっこう手なれたもんで、寝起きのいい日は、ちょいと気取った気分になってちゃっちゃとやっつけてしまう。

世界同時不況というくらい、みんなせ~のと突入したような不況だったけど、カナダでは公式に「終了宣言」が出た。もっとも、成長率は予想より低かったそうだから、また頭を引っ込める可能性は無きにしもあらずだけど、とにかく「1992年以来の不況」はおしまいということになった。めでたし、めでたし。ここへ来て失業した人にはちっともめでたくなんかないだろうけど、失業率は景気の遅行指標。企業は常に市場を先読みして(したつもりで)動くから、失業者の増加が最高潮に達した頃には景気は回復局面に入っていて、やがて雇用が増え始め、それが最高潮に達した頃には後退局面に入っているということになる。つまり、企業がどんどん人を増やし始めたらそろそろ「やばい」というところなんだけど、その頃には職が潤沢にあるような気分で財布の紐を緩めてしまっていて、本格的な不況になった時には大ショック。まあ、楽しくて浮かれているときの人間には、警告は「カサンドラの予言」のようなものだから。

日本の社会的「地殻変動」が1980年代のバブルだと言ったら、夜になってカレシが「そんなはずはない。高度経済成長期だった1960年代に決まっている」と言う。ワタシが「あれは経済体制の変化だ」と言えば、「その経済の変化で社会も変わったはずだ」と言う。そうだろうな。サラリーマン社会化が加速的に進んだもの。「そうだろう。経済が発展して、生活水準も生活様式も変わったはずだ」とカレシ。「変わったのは生活様式で、道徳観や倫理観、価値観が変わったとは思えない。変わったのはバブル狂乱時代になってからだ」と反論するワタシ。「いや、生活水準や様式が変わったときに価値観や倫理観も変わったはずだ。バブル景気はその延長で起きたんだ」と主張するカレシ。ははあ、まだ「夢の国」を夢に見ているんだろうな。まあ、すべてを捨ててでも行きたかった「夢の国」なんだから、さっぱり忘れられるもんじゃないってことはよくわかってるのよ、カレシ。

バブルはふわふわと漂う虹色のしゃぼん玉。まあ、バブル時代はいわば今はやりのリアリティショーみたいなもんだったのかもしれないな。だとすれば、その寵児たちにいっときの夢を見たカレシにとっても、あれは人生のバブルだったのか。へぼ役者ばっかりのつまらないリアリティショーを見ちゃったと思えばいいのかな。人間の「実体」がわかりにくいネット交流の時代はまた、人と人のかかわり合いもある意味でリアリティショーだってことかなあ。カメラが見ていないところで起きる本当のリアリティの方が、現実と虚構がない交ぜのリアリティショーよりも(あたりまえに)ずっとリアルなんだけど、まあ、「滅びの美学」の視点から見ればはかない虹色のしゃぼん玉の方が心地がいいのかもしれないな。「うん、あの時代はみんないい夢を見たんだろうし、まだ見続けている人たちもいるんだろうし、人さまの夢を壊すのは良くないよねえ」と言ったら、ちょっとむっとした顔になったカレシ。ははあ、図星だ。でも、ベッドに入ってから「キミはまだぼくのスィートハートだよ~」とべたべた。おいおい。なに、その「まだ(still)」ってのは・・・。


2009年11月~その2

2009年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
30センチの雨が降る!

11月15日。月曜日。正午だというのにベッドルームはすご~く暗い。けっこう早寝したのに目覚めが正午なのはあまりにも暗いせいもあるのかな。パイナップル特急が接近中で、これから3日間で300ミリ以上の雨が降って、河川の氾濫が心配されているそうな。どんと雪が積もって早々とオープンしたスキー場も早々と臨時休業だろうなあ。テレビのニュースでは今月は半月でもう180ミリの雨量を記録したと言っていた。平年の1ヵ月分が179ミリだそうだから、今月はもう雨はけっこうですというところだけど、これからまだ300ミリ以上も降るって、どうもおかしな天候。新聞を見たら天気予報官までが「外へ出なくてもいいなら、自分だったら出ないけどね」と言い出す始末。ふむ、
300ミリというのは30センチ。ということは12インチ(1フット)。うはっ、3日間でそんなに降るの?

どうしてか「300ミリ」といわれるとちょっと見当がつかない。1フットまたは12インチならすぐに見当がつくし、30センチといわれたら、「30センチ=1フット」という換算値が頭にあるから問題はないけど、センチとミリはどうも感覚がつかめない。日本で(小さいときはまだ尺貫法がまかり通っていたにしても)メートル法で教育されたんだし、カナダは基本的にメートル法の国なんだから、メートル法でいいはずなんだけど、感覚がすっかりヤードポンド法(インペリアル単位)になじんでしまって、メートル法で来られても換算してみないとわからなくなっているわけ。

それというもの、ワタシが来たときのカナダはヤードポンド法からメートル法に切り替える過程にあって、温度だけは前年から摂氏になっていたものの、その他はまだ切り替えていなかったから、重さはポンドとオンス、長さはフィートとインチ、液体はパイント、クォート、ガロン、距離はマイルということでないと、日常生活の上で何かと不便。しかもワタシは暗算が苦手ときているから、毎日の買い物でいちいちメートル法に換算せずに、手に持った重さ、目で見た長さ、というように感覚で覚えてしまったのだった。おかげでスーパーでの単位の切り替えが始まったときは、平均的カナディアンと同じに四苦八苦するはめになった。政府がメートル法完全移行を徹底してくれたら、きっとまたメートル法感覚を体得しただろうと思うけど、1980年代半ばに公式の単位ではあっても強制しないということになったおかげで、ワタシの感覚は切り替わらずじまい。

あれから四半世紀を経て、カナダではメートル法とインペリアル単位が平和共存する展開になった。まあ、お隣さんのアメリカは頑としてメートル法を拒絶しているから、二国間の商取引の規模を考えると完全移行はやりにくいということもあるだろうな。それよりも国民の抵抗の方が強かったかもしれない。コンピュータ化した今、スーパーの値段は、店内ではインペリアル単位で表示しているけど、レシートにはメートル法単位で打ち出されるからおもしろい。(Hマートのはなぜかポンド単位になっている。)ガソリンはリットル単位で買うのに慣れたけど、車の燃費効率は1ガロンあたり何マイルで納得。ただし、速度はキロメートルが定着。それでも長距離はマイルの方がわかりやすい。

家の大きさは平方フィートで、平方メートルはさっぱりわからない。ワタシも我が家の設計図をフィートとインチで引いたけど、十進法じゃないので計算はけっこうめんどうだったな。インチの端数になると分数で表示するからもっとややこしい。もっとややこしい話になると、オーブンの温度設定は華氏単位のままだし、バターの場合は「1ポンドのバターがなくなる!」と大騒ぎした割には従来の1ポンドのものにメートル法換算の454グラムという表示をつけただけ。ただし、ミルクはリットル単位でほぼ統一されている。まあ、計量スプーンやカップの大きさは変わっていないから料理の上では不便はない。(ただし、日本の1カップは欧米のより小さいので、日本のレシピを使うときは要注意。)液体の単位はアメリカとカナダではガロンの量が違っていたりして、昔からややこしいんだけど、缶入りの飲料は(なぜか)アメリカのオンス単位に変わって、それにメートル法の355ミリリットルという表示がついた。まあ、ビールひと缶はひと缶だからどうってことないんだろうけど。

でも、考えたらカナダは公用語が2つある国だし、度量衡の単位が2つあってもあまり苦にはならないのかもしれないな。そういうところが割とカナダ的でもあるんだけど。

絶対に譲れない結婚条件?

11月16日。月曜日。夜の間、予報通りにかなりの雨が降って、かなりの大風が吹いていた。外を歩いていたら「横なぐりの雨」といったところか。ローカルの新聞のサイトを見たら、傘を差して足首まで浸かりそうな大きな水たまりをばしゃばしゃと勇敢に渡って行く女性たち、盛大に水を跳ね上げて通り過ぎる車に顔をしかめる信号待ちの人たち。天気予報では少なくとも木曜日まで雨。まだ月曜日だってのに。

仕事のない日、4日目。11時半に目が覚めて、あたりが暗いもので、たまたま目を覚ましたらしいカレシの腕枕でまたひと眠り。なんかおもしろそうな夢を見たのに、カレシがやたらと頬っぺたや鼻をつつくから、せっかくいいところだったのに目が覚めてしまった。(覚めたとたんに何がいいところだったのかは忘れてしまったけど。)正午過ぎだけど、別にあわてて起きる理由もないから、しばらくは腕枕のままでとりとめのない話をしながらだ~らだら。二人揃って「在宅」だと、こうやっていつでもダラダラできるという特典?がある。だけど、ひょっとして「Fly on the wall(壁にとまったハエ)」の目で見たら、2枚の濡れ落ち葉がくっついているみたいだったりして・・・

小町に『ぜったい譲れない「結婚条件」を教えてください』というトピックがある。そんなことを人に聞いてどうするんだろうとは思うけど、そこは小町の井戸端で盛んな、非公式のごく私的な非科学的非統計的世論調査。それでも、コンカツ全盛時代の結婚は「初めに条件ありき」みたいな観もあるから、他の婚活者にどんな条件を出しているのか聞いてみるのも戦略のうちってことか。(この婚活真っ最中の人のことを何と呼ぶのかな?「コンカッチャー」とか?これを英語風に「concatcher」と綴ってみたら、ほほぉ、実にビミョーな含みのある言葉ができるなあ・・・。)「結婚をする際にぜったいに譲れない相手に対する条件」って、ふむ、結婚「を」するなら、やっぱり人間よりは条件重視なのかな。恋愛「が」したい、結婚「が」したいという表現と同じで、この「を」に昨今の女性の結婚観が潜んでいそうな感じがする。(ま、男の場合は昔から「が」や「を」が入っていたように思うけど・・・。)

結婚する「相手に対する条件」・・・う~ん、考えたことなかったなあ。ワタシが適齢期だった頃は、地方だったからかもしれないけど、まだ見合い結婚が主流で、結婚相手の条件は親や「縁談」を持ち込むオトナが心配していてくれたし、元々結婚願望があまりなかったので、母から「お父さんがみんな断ってしまって」と愚痴半分に聞かされた縁談の相手が出して来た「条件」を聞いて、ますます結婚なんかまっぴらという気になってしまった。まあ、能天気に天体望遠鏡をのぞいていたワタシにも人並みに縁談が舞い込んでいたってことなんだけど、その条件というのも人並みに「おとなしく家庭を守る専業主婦の良妻賢母」だったらしいから、父が門前払いを食わせたのは正解だったと言えるな。(今は亡き父はワタシの守護天使なのだ・・・)

結局のところは今の婚活女性に言わせたら「条件が最悪」のカレシと結婚しちゃったわけだけど、それはたぶん、「条件」と呼べそうな条件が頭になかったもので、「好き!いっしょにいたい」という心に先導された結果だろうと思う。カレシの年収なんか、公務員だからそれなりだろうと思っただけで聞いてもみなかった。その公務員も結婚したとたんに辞めて、大学に戻って会計士になるために学士と修士の中間みたいな学位を取るまでの1年間は無収入。ワタシの貯金でぎりぎりの生活をして、やっと会計士補になったらなったで、涙が出そうなくらいの、すぐ後に日系企業に就職したワタシとあまり違わない低収入。ワタシの給料分が貯金に回るようになったのは3年後のこと。

今考えると、ワタシにとっての「絶対に譲れない条件」は自分の「ぜいたくルール」にあてはまることだったのかもしれないな。ルールその1の「好きでほれ込むこと」はそのままとして、その二の「買えるお金があること」は、結婚という契約に置き換えると「大好きな人といっしょにいるための精神的な対価を払えること」ということになるかもしれないな。まあ、クレジットカードを切って、後でその請求が来てまとめて払ったような感じがしないでもないけど、これは相手に対する条件とは違うなあ。小町のトピックの主は相手に対して求める絶対的な条件は何かと聞いているんだったっけ。はて、どうやら結婚「を」したくはなかったけど奥さん「が」必要だったらしいカレシに「絶対に譲れない条件」があったとしたら、どんなことだったのかなあ・・・。

ネット時代の友達って何なの?

11月17日。目が覚めてみたら、おや、な~んか明るい。どうやらパイナップル特急はどこかで臨時停車というところかな。雨続きもいんだけど、少しは乾くチャンスがなくてはね。

今日はいつもばたばたする火曜日。でも、仕事がないだけ、午後はのんびり。始める予定だった仕事が原稿の修正ということで棚上げ。おかげで、「休みモード」の5日目。だんだん、のんびりムードに慣れて来たような。ま、今年は来年の総売上を突破してしまっているから、カレシの言う通りに「今年の営業は終了いたしました」と看板を出して、のんびりしてもいいんだけど、ビジネスとしてはそれは絵に描いたもち。そんなことしたら、年が明けてもお客が戻って来ないなんてことになりかねないから、自営業はいつも「待機中」の態勢。

オックスフォード大学の出版局が選んだ「Word of the Year(今年の言葉)」が「unfriend」という聞き慣れない動詞。FacebookのようなSNSサイトで、たくさんできすぎてしまった「友達」を整理するのに削除することをいうんだそうな。別に「defriend」とも言うらしく、Facebookのユーザーの間でちょっとした論争になっているとか。どっちにしても、ネット時代の友情はマウスのクリックひとつで、泡沫のごとく浮かんでは消え、浮かんでは消え、ということか。ちょっとばかり薄ら寒い人間関係だなあと思うけど、Facebookには3億人のユーザーがいるそうだから、ネット空間には容量という制約があることだし、ときどき大掃除よろしく整理しないと、誰が誰なのかわからなくなるんだろうな。

薄情なことを「unfriendly」というから、「あ、この人はもういらないや」と薄情に切り捨ててしまうのが「unfriend」ってことだろうか。まあ、「un」のつく言葉には、つながっていたものをばらばらにするようなニュアンスもあるから、つないでいた手が引き離されるようなうら悲しいイメージが浮かぶんだけど、「defriend」の方にはなんか「脱友達」とでもいうような無機質な感じがある。人間が、目の前にいる血の通った生身の人間よりも、そこにいなくて顔が見えない人間とのコミュニケーションに夢中になりだしたのはいつ頃のことだったかなあ。電話回線の再販が可能になって、長距離通話の料金値下げ競争が始まった頃からだったかなあ。

コマーシャルのキャッチが「手を差し伸べて、タッチしよう」。ちょっと見にはほのぼのした印象を与えるけど、目の前の相手より何千キロ離れた相手との会話の方が今どき風・・・。それがさらに携帯やら、インターネット、VOIP、SMSと、タッチするための手段がどんどん変化して、、なんだかみんな「(体はここにあっても心は)ここにいない人」になってしまったような観もある。「近くの友より遠くの友」ということかなあ。その結果が、目の前にいる生身の人間との触れあいはめんどうくさいという風潮だとしたら、人類の悲劇だなあ。掲示板を見ると「友だちがほしい(できない)」という悲痛な叫び?が載っているかと思えば、「友だちをやめたい」という相談が載っている。せっかくお茶やランチを共にする友だちができても、「自分の話ばかり」、「自慢話ばかり」、「愚痴ばかり」で、会った後はどっと疲れてしまうというから、今どきの友だち付き合いは命が磨り減るくらいのエネルギーがいるらしい。

その上で、遠くの友もマウスのクリックで軽く「脱友」できてしまう希薄な人間関係がはびこる世の中のようで、友情っていったい何なんだろうな。ますます人類にとっては悲劇だなあ。友だちって、近くでも、遠くでも、サイバー空間でもどこでも、欲しいからと「作る」もんなんだろうか。人間は外の環境や内的な要因の変化に沿って常に流動的なものなのに、変わったとか、趣味が違うとか、生活環境が違うとかいった理由で簡単に友だちを「やめる」ことができるもんなんだろうか。人類の未来、ほんとに大丈夫・・・?

極楽とんぼ亭: ぶっつけ本番油揚げ特急

11月18日。水曜日。棚上げ懸案の仕事はまだ懸案のまま。まあ、たいしてやりたい!と思うような内容でもないから(お金の関係はいつもあくびものなんだけど)、このままお流れになってくれてもいいかなあという気がする。

なんてのんびり構えていたら、えっ、今日は英語教室の日?そっか、これまで火曜日と木曜日だったのが、今週から火曜日と水曜日に変更。あああ。すっかり忘れていた!

早めのディナーをとキッチンに上がって見たら、あら、今日のメニューのナマズはまだ半分も解凍してないじゃないの。(油の少ない淡水魚は解凍のペースが遅いらしい。)やれやれ、これではその場のぶっつけ本番の即興メニューと行くしかない。

[写真] えびいか入り油揚げポケット(ジャンバラヤ、かぶの葉のソテー)

小袋に冷凍してあった余りもののえびとイカを流水で半解凍している間に、ジャンバラヤはルイジアナ風パエリャのような米の料理。米と乾燥野菜とスパイスだけのミックスに好みの肉やソーセージ、えびを入れて・・・と書いてあるから、魚のソーセージ2本と切ったインゲンを放り込んで、後は炊き上がるのを待つだけ。

メインはHマートにあったいなり寿司用の(味付けなしの)油揚げの片側に斜めの切れ目を入れて、中にチンゲン菜を敷き、えびとイカにペリペリソースをさっとからめて詰めて、蒸し器に。途中でブロッコリを彩り代わりに乗せて、蒸し上げる。付け合せにはカレシが庭から抜いてきた親指の先ほどの白かぶ(サラダ用)の葉っぱをもらって、油いため。

やれやれ、間に合った~。「油揚げポケット」は思いのほかあっさりしていておいしかったから、もう少し味付けを考えてグレードアップしてみようかな。いつものことなんだけど、ああだこうだと考えすぎない方が「これはいける」というものができるから皮肉なもんだ。

外はパイナップル特急が通過中だけど、カレシ、いってらっしゃ~い。

嵐の夜は本でも読もうか?

11月18日。いや、とにかくすごい嵐。玄関のドアを開けなくても、向かいのゴルフ場の木々の上で風がゴーゴーと唸っているのが聞こえるくらい。大雨警報と強風警報が出ている。バンクーバー島と本土を結ぶ州営のフェリーは軒並み欠航だそうな。おとといの嵐では郊外で何万戸も停電したというから、停電しなきゃいいけどなあ。夜遅くには通り過ぎてくれるらしいけど、天気予報では台風一過の秋晴れどころか週明けまで雨。衛星写真を見ると、ほんとにハワイの方角から低気圧が団子のように連なってこっちへ向かっている。うひゃぁ・・・

我が家の庭の隅でやたらと背だけ伸びたやせっぽちの落葉松は右に左に大揺れ。でも、けっこうしなやかそうだから、折れたり倒れたりすることはないだろうけど、それよりも大嵐のたびに心配なのが、フェンスのすぐ外に勝手に生えて、双幹の大木になった白樺。3年前のパイナップル特急の嵐でてっぺんを吹っ飛ばされて以来、上の方からだんだん枯れつつある。市役所に市有地に生えているんだから、倒れて被害が出る前に伐ったらどうだと言ったけど、「枯れ木じゃないから伐れない」ときた。その斜めに延びた方の太い幹がこっち側に倒れたらゲートハウスを直撃、反対側に倒れたら消火栓を直撃と、どっちに転んでもえらいことになるんだけどなあ。市営のゴルフ場からはしょっちゅうチェーンソーの音が聞こえるんだけどなあ。白樺よ、大風に負けずに踏ん張れよ~っ

雨風の中を英語教室にでかけるカレシを送り出して、仕事がないのがもっけの幸いと、本棚の整理を始めた。我が家は本が多い。小さな家には多すぎるくらいに多い。少なく見積もってもゆうに千冊以上はあるかなあ。なにしろ(老後の蓄えと称して)本を買うのがワタシの趣味みたいなもので、それもハードカバーの大きな本が好き、優雅な香りのする革装丁本ならもっと好き。ところが、リビングの2面に造りつけにした本棚は40年前の大学の教科書や時代遅れになったTIME-LIFEのハウツーもののセットやカレシが買い集めたDVDセットに占拠されて、どんどん増える新しい本は行き場がないから、あっちこっちに山積み。それなのに二階の2つの本箱は「入居率」50%そこそこ。ベースメントのオフィスにも夏休みの大掃除で空っぽになってほこりが溜まっている棚がいくつもある。つまり、スペースの有効利用ができていないってことなのだ。

だけど、本は重い。二階の本棚を整理して、リビングから「不要になった本」を抱えて階段をえっちらおっちら。不要本は25年分のナショナルジオグラフィックと一緒にウェイトマシンの後のアクセスしにくい本箱に、ごくごくたまには手に取るかもしれない本は別の本箱に。20回くらい階段を上がったり下りたりして、「入居率」は75%くらいにはなったところで今日の作業はおしまい。この次は文庫本とペーパーバックの移動だな。これは運びにくそうだけどあまり数がないからいい。カレシはDVDのコレクションをベースメントに移したいというから、ワタシが(老後の蓄えと称して)溜め込んだジグソーパズルをどこかに移してスペースを譲ることにしたけど、本棚に30個くらい(クローゼットの棚にも30個くらい)ある、買ったままで手をつけていないパズルのコレクションは、はて、どこへ行くのか。こっちが納まれば、あっちが溢れる・・・ふむ、モノの収納って、なんだかゼロサムゲームみたい。

英語教室から帰って来たカレシ、少しは本箱の体裁の整った二階の本箱を見て、「本箱に本があると部屋が心地よく見えるなあ」と感想をひとこと。あのさ、それは本箱に「きちんと」本が並んでいると、でしょ。あ~あ、ワタシは関節炎の指が痛い。それにしても、外はまだすごい荒れ模様。仕事もないことだし、本、読む?(それよりも、Folio Societyに注文したい本が3冊あるんだけど・・・。)

デフレという名のあり地獄

11月19日。夜半過ぎに収まった嵐。起きてみたら落葉松も白樺も無事に嵐を乗り切ったよう(は大げさだけど)。だけど、もう次の大雨強風警報が出ているんだから、困ったもんだ。それでも去年のような大寒波と大雪に比べたら、雨と風の方がましか。おまけに、カレシ菜園ではまだトマトが採れる。色のつきかけたのをもいで来て家の中においておくと数日で食べられるくらいに赤くなる。初霜でへこたれなかったラディッシュもかぶもまだ収穫できる。もう11月も下旬に入るってのに。

仕事なしが今日で丸1週間。このあたりが「仕事のない日常」に微妙に慣れてくる頃かな。やっぱり、65才になったら引退しちゃおうかなあ・・・という方に気持がちょこっと傾く。うん、年金受給の手続きをしなければならない時期まであと3年を切っちゃったしなあ。まあ、年金をもらい始めたからって、別に仕事をやめなければならないという決まりはないんだけど。結局は、仕事をしているときは引退なんかまだまだという気持が勝ってきて、仕事がないときは引退するのもいいなあという気持が勝ってきて・・・あ~あ、不惑の40をとうの昔に過ぎたのに、60を過ぎてまた惑々するなんて。

去年の不況入りでバンクーバーの住宅市場も大幅に値下がりしたはずなんだけど、いつのまにかほぼ不況前の水準に戻っているらしい。なにしろバンクーバー市内の住宅はバカ高い。26年前に平均的な共働きの年収の2、3倍ほどで買えたのが、今は10倍くらいになっている。その価格が不況でどんと下がったところで、超低金利もあって、それまで指をくわえて見ていたfirst-time buyer(初めてのマイホームを買う人)層が今こそ買い時と乗り出して来たもので、あれよあれよという間に値上がりして来たということらしい。バンクーバー市内に平均的な家を持っているだけで、ローンを払い終わって、ちょっと貯蓄や金融資産があれば、平凡な家族でも紙の上では資産が
100万ドルになる。つまり、ペーパーミリオネアが街中にごろごろいるわけか。

日本はとうとうまたデフレに戻ってしまったとか。ここしばらくは何とか水面上に頭を出していたとはいえ、デフレ状態でもう10年近い。バブル崩壊後の「失われた10年」に続いて「経済収縮の10年」はちょっとひどすぎると思うんだけど、国民は「政府はいったい何をやってきたんだ!」と怒らないのかなあ。(政権交代がその表れかもしれないけど。)このデフレという穴は、緩やかだろうがなんだろうか、一度入ってしまうとなかなか這い上がれないものらしい。経済が収縮すると、国力も萎えて来るだろうし、すべてが「安く、安く」では人の心までがちまちまとして来そうにも思える。そういう未来への危機感があるのかどうかはわからないだけど。

ワタシも価格低下が著しい業界にいるから、日本のデフレは少々気になる。英日はずっと前から価格崩壊の状態なんで、今さらという観はあるにしても、なにしろ参入の敷居が低い商売だから、(不況で夫の収入も減っているんだろうけれど)「育児や家事の手が空いた時間に」できて、そこそこお金が入れば満足という「片手間翻訳者」が大量に入ってきたらしい。女性雑誌かに登場するイメージに憧れるのかどうかはわからないけど、ご当人たちは元からアルバイト感覚でしかないから、職業として成り立たないような超低料金で引き受け、結局は、そういう職業意識もプロ意識もない「片手間翻訳者」が価格崩壊と質の低下を呼び込んでいるように見える。(日英でも、資料として送られてくる過去の翻訳に脱帽するしかないようなすごいのがある。)安ければそれでいいってもんじゃないし、生業として食べて行こうという「プロ」にとってはえらい迷惑なんだけど、安いのがあれば「もっと安く」と思うのが人間なんだろうなあ。(だからきっと安い偽ブランド品が売れるんだろうし・・・。)

何新聞だったか、値段の安い冷蔵庫を買うことに決めて複雑な心境になるサラリーマンのことが書かれていた。家計を考えたら少しでも安くというのは当然であっても、いずれ勤務先の業績に影響し、自分の収入に跳ね返ってくるの必定。誰だってやり切ない気持になるだろうな。消費者は収入が減れば消費を減らしたり、もっと安いものを求めたりするから、売る方も作るのを減らすか、もっと安く作るかする。だけど、そのためには材料だけでなく労働力も安くあげなければならない。結果として、さらに所得が減り、さらに消費が減り、さらに・・・これがデフレスパイラルというあり地獄。行き着くところまで行かないと、だめなのかなあ。

電子ブックには未来がある

11月20日。雨、ひと休み。ゆうべ(ワタシ標準時のゆうべだけど)、これで丸1週間仕事なし~なんて喜んでいたら、入ってきちゃったじゃないの、仕事。棚上げ仕事がどうなっているかわからないから、今のうちにこれを、と。仕事量の割には珍しく納期に余裕があると思ったら、なんだ、日本は三連休なんだ。

仕事は連休明けまで余裕があるからと棚上げにして、まずは野菜果物の買出し。大きな買い物は雨の晴れ間を縫ってやらなくちゃ。帰ってきてニュースをチェック。バンクーバー島では洪水が起きて、住民が避難しているところがある。市内でも冠水した道路があるらしい。明日は雨。日曜日の降水確率は30%だから、ちょっとひと息かな。で、月曜日から4日間はずっとまた雨、雨、雨。なんかコピペみたいな週間天気予報だなあと笑っていたら、なにやら外で轟音。外へ飛び出して行ったカレシ、「雷だ~」と飛び込んできた。うわっ、稲妻。1、2、3・・・と数えて、あまり近くないなと思っていたら、今度は空の底が抜けたような土砂降り。狂ってるなあ、お天気・・・。

夕食が終わって、また少し本の移動。カレシのランチを作っていた頃に妹がくれたお弁当の本が何冊か出てきた。ふむ、何品かを少しずつ詰めるという日本のお弁当のアイデアは、小皿料理にも応用できそうだな。ということで、お弁当の本は手元に置いておく。古くなったペーパーバックの本は紙が焼けて茶色になっている。うんと古いのはパキッと折れそうなくらいにカラカラ。たいていが飛行機の中で読むために空港の売店で買ったもので、なぜかミステリーが多い。でも、持ち込み手荷物も重さが制限されるご時世だから、重くてかさばる本は敬遠されるようになるだろうな。「本の香り」フェチみたいなワタシも今年の旅行には電子ブックリーダーを持って行った。

AmazonのKindleは新型が出てすごい売れ行きだそうだし、アメリカの書店大手Barnes & NobleがNookという名で売り出したリーダーが早くも売切れたそうだし、一旦は撤退したはず?のソニーも加わって、電子ブックリーダーはクリスマス商戦の目玉商品になっているそうな。音楽界でダウンロードが主流になってレコード屋がなくなりつつあるように、出版界でも電子ブックのダウンロードが主流になれば、街角から本屋が姿を消して行くかもしれないな。紙の「本」は、最近はペーパーバックでもかなり高くなったから、比較的安い電子ブックに取って代わられるのもうなずけるというもの。人間が本を読まなくなるんじゃなくて「本」の形態が変わるだけだし、収集家向けの豪華本は出版され続けるだろうし、本を作るために森林を木を伐らなくても良くなるわけだし、電子ブック化は時代の流れだろうと思う。

出版社にとって、一冊の本を紙とインクを使って一定の部数を印刷して、各地の書店に並べて売るという事業形態はコストがかかる割にはリスクが大きい。それがお騒がせセレブの暴露本や人気作家の作品なら、売れる確率は高いからいいけど、無名の作家のものは、たとえ印刷部数を最小限に留めたとしても、コストを回収できるほど売れるという保証がないから、出版社はどうしても尻込みする。どんなに優れた作品でも、「読書が趣味」の人たちに買ってもらわなければ、出版社はコストを回収できない。派手に宣伝したって売れないということも多いし、売れると見込んで大量に印刷したのにさっぱり売れないということもある。だけど、なのだ。電子ブックはコストがうんと低い。電子書店に表紙とあらすじ程度を掲載してダウンロードしてもらうだけだから、印刷の必要がないし、書店に配送する必要もない。売れずじまいになった本が大量に返品されるという心配もない。

ワタシが電子ブックに大きな期待をかけているのはそこなのだ。コスト的なリスクが少ない分、もっとたくさんの無名作家に作品を世に出すチャンスが開けるのではないかと。出版社にとっては、ウェブに掲載するだけで宣伝もいらないから、リスクは「購入」ボタンをクリックする読者に丸預け。まったく無名の作家だったら、ダウンロードの値段を低くすればいい。安ければ読者のリスクも小さい。注目されて人気が出たら、値上げすればいいだろう。売れっ子になったら「所蔵版」でも印刷して、著者のサイン会なんかやって売ればいい。そうなったら、ウェブ上の「棚」を貸す商売も生まれるかもしれないな。自家出版が盛んになるかもしれない。駄作も多いだろうけど、後世に読み次がれる名作だって生まれるかもしれない。

小学校5年生の学級文集の「未来の夢」の欄に「小説家」と書き込んで以来、50年間その(白日)夢を捨てないで来たワタシには、水平線が白々と明るくなって来たように思えるんだけど・・・。

宮崎はフェニックスハネムーン

11月21日。雨・・・まるでオウムのようだけど、今日も雨。天気予報は、明日の日曜日の午後が曇りで、夜は霧(あちゃ)。月曜日から金曜日までは雨ひと筋。ワタシは「さぼりモード」ひと筋。日本は三連休だからまだ日曜日丸1日あるということで、仕事の方は今日もファイルをちょっと見ただけで「パス」。明日は明日の雨が降る・・・ってね。

朝から「料理モード」のカレシはバナナチップ作りに挑戦。といっても、スライスしてトレイに並べたら、後はデハイドレータがやってくれる。上から適度の温風を送って数時間で果物やハーブを乾燥させるもので、ビーフジャーキーも作れるというから、いつか魚の干物を作れるかどうか実験してみようと思っている。初運転のときは乾燥りんごを作ったけど、途中で「そろそろできたかな~」と何度も味見をするもんだから、すっかり乾燥した頃には半分も残っていなかった。今日のバナナも運命は同じ。このくらいでいいだろうという頃には手のひらに乗るていどの量。あのさぁ、電気代がかかるんだから、りんごでもバナナでも安売りのときに大量に買ってきて、一気に大量生産してよ~。

この季節になると家中にあっという間に山積みになるのが通販のカタログ。とにかく家にも私書箱にもどんどん来るから、いやでも「クリスマス到来!」という気分になる。モールにはサンタのスタジオができていたし、うん、5週間後の今日はほんとにクリスマスだもんなあ。日本にお歳暮を配達してくれる店からもご案内。ここはずっと変わり映えのしない内容だけど、カナダの「名産品」となるとまあそんなもんかな。例年のごとくカタログをめくってはめぼしいものがあるページに片っ端からPost-itのフラグをぺたぺた。結局はいつもその半分も買わずじまいになるんだけど、「あ、これ、いいなあ」とか、「これ、ほしい!」とか思いつつフラグをつける過程がとにかく楽しい。積み上げたカタログからヒラヒラとのぞいているフラグの数を数えたら、う~ん、破産するかも。ま、夢はただだから、獏になったつもりでパクパクと大食い。はて、サンタは何を持ってきてくれるか・・・?

プレゼンを引き受けてしまった来年の会議まであと5ヵ月になって、なんとなくリサーチを始めた。開催地は宮崎。時期はゴールデンウィーク直前の週末。っとになんでこんな時期?と思うけど、たぶんそのスロットが一番安いのかもしれないな。金曜日の午後までに現地入りするには・・・と、いろいろ調べてみるけど、国内での予約には時期尚早なのか「その日には便がない」という情報しか出てこない。じゃあ、レールパスを買って行って、新幹線を乗り継いで行こうと思ったら、東京を出てから最短で10時間くらいかかるらしい。まあ、シドニーまでの延々30時間近い空の旅を体験した後は10時間はちょっとそこまでの感覚だけど、レールパスでは「のぞみ」を利用できないから、たぶんもっと時間がかかって、当然2日がかり。ちょっと何とかならないかとググったら、見つかった。大阪からの夜行フェリー。ほお、お二人様用の特等室がある。四人用の船室は2人だけだと3人分取られるらしいから、特等室がいいなあ・・・と思ったら、オンラインでは予約できないみたい。できるのは雑魚寝部屋らしい。ふ~ん、変なの。ま、予約開始はまだだから、そのときまでに考えるけど。

その昔、宮崎は新婚旅行の一大メッカだった。まだ飛行機での旅行が大衆化していなかった頃で大安吉日の日曜日の夜の便はいつも新婚旅行のカップルで満席だったそうな。「フェニックスハネムーン」という歌がヒットした。『キミは今日から妻という名のボクの恋人・・・ボクは今日から 夫という名のキミの恋人・・・二人だけだよ、ハネムーン。フェニックスの木陰・・・宮崎の二人』ってね。まあ、新婚旅行といってもパック旅行だったから、「二人だけだよ」という気分になれたかどうかはわからない。あの頃の「ナショナルジオグラフィック」誌の日本特集号に、旗を持った観光ガイドの後ろを列を作って歩いているかわいい新婚さんたちの写真があったっけ。ああ、高度経済成長時代・・・。

今どき、宮崎へハネムーンに行くカップルはいるのかなあ。当時の新婚さんたちは(熟年離婚していなければ)もう定年だろうから、「フェニックスセカンドハネムーン」なんてどうだろう。カレシさあ、ぎくしゃくしながらもパリでセカンドハネムーンをしたから、今度はサードハネムーンでもやってみる?三度目の正直っていうし・・・

「いい夫婦の日」と言われても

11月22日。日曜日。日本では月曜日だけど、例によって三連休の休みで、メールの受信箱は静かでよろしい。明日の午後が期限のしごとをぼちぼちと突っつく。いろんな企業が公式ウェブサイトに嬉々として載せている「経営理念」とか何とかいうものの類らしいけど、「ええ?それってあたりまえのことじゃないの」と突っ込みたくなるようなことをわざわざ「わが社はやりません」と、いかにも「どうだ、うちの会社の倫理観はこんなに立派なんだぞ」といわんばかりに並べてあるからおもしろい。理念を掲げるのはいいんだけど、内容としてはなんとなく中学校の校則みたいな感じがするなあ。まあ、そういう風に活字になって、しかも世間におおっぴらに公表されていれば、あんがいみんな「遵守しなくちゃ」という気になるのかもしれないけど。

11月22日は日本では「いい夫婦の日」なんだって。もちろん、日本人好みの数字の語呂合わせだけど、1年365日のうちの1日だけ「いい夫婦の日」といわれても、どうしろってんだろうなあ。日ごろ暮らしにバタバタしていてつい忘れがちの「伴侶」を互いに再発見しなさいって日かな。それとも、結婚記念日を忘れて痛い目にあっている夫族にこの日を利用してくださいといっているのかな。ほんと、いったいどうしろっていうんだろうな。どうせ、「この日は二人だけの優雅なお食事で、日ごろの感謝を~」とか何とか、ま、(○万円使って)バレンタインデイと結婚記念日とそれぞれの誕生日と、ついでにクリスマスも放り込んで、1年に一度の妻(夫)孝行(=罪滅ぼしまたは貢ぎまたは贈賄)の総集編をやりませんかっていうことなんだろうけど。小町の井戸端統計からみて、そういう商魂に巻き込まれて、奥さんの「おねだりの日」にならないといいけどね。

特定の日を特定の「何とかの日」に指定するってのは世界のどこでもやってることなんだけど、たいていは何かとうに忘れられた歴史的イベントにこじつけてあったりする。ワタシの業界では9月30日が「国際翻訳デー」だそうで、聞いたこともない翻訳会社あたりから能天気に「国際翻訳デー、おめでとう」みたいなスパムメールが来て、おめでとうもへったくれもあるか。特定の業界(とくに小売サービス業)と深く関わっているものであれば、売上増を狙った商業イベントという魂胆が丸見えだからいいけど、翻訳業界が「今日は国際翻訳デーです」といっても翻訳の発注がどんと出るって話は聞かないし、ワタシのところにご祝儀仕事が入ってくるってわけでもないから、はて、いったい誰のための「翻訳の日」なんだろうな。

それにしても、日本には暦の月日の数字の音に語呂合わせをした「何とかの日」って、1年にどれくらいあるんだろうな。そう思ってちょっとググって見たら、「語呂合わせの記念日」というサイトが見つかって、開いてみたら、ひゃあ、ある、ある。ほぼ毎日が「何とかの日」。あっさり「なるほど」とわかるのもあれば、迷作こじつけの殿堂入りしそうなのもある。でも、とどのつまりはどれも「当日限り有効」の切符みたいなものだなあ。中でもよく見ると「夫婦」に関する日が複数ある。4月22日は「よい夫婦の日」だそうで、毎月22日は「夫婦の日」なんだそうな。そして11月22日は「いい夫婦の日」。ことさらに「夫婦」を強調する日があるってことは、それだけ「夫婦の絆」の脆弱化への危機感らしきものがあるのかなあ・・・なんて勘ぐってみたけど、まあ、今どきは夫婦の縁も「かつ結び、かつ解け」みたいなところがあるから、何かで締めなおさなくちゃってことかな。

面白半分に「いい夫婦の日」をググって回ったら、「いい夫婦の日をすすめる会」というのがあった。ごていねいに英語で「Happy Partners Day」というロゴができていて、「いい夫婦の日には「ありがとう」と「愛してる」をバラに込めて贈りましょう」と書いてある。しかも、ヨーロッパには結婚を申し込むときに男が12本のバラを捧げる風習があると、ごていねいに「何とかの日」推進者好みの「ヨーロッパの古い伝統・風習」を挙げているじゃないの。ま、そこんところは日本では「夢を売る手段」としてよく使われるからご愛嬌としても、いくらヨーロッパの伝統と風習に従って12本のバラを捧げても、枯れるときは枯れるべくして枯れるんだけど。で、華やかなバラが枯れて、目に付くのはトゲばかり・・・。

11月22日。毎日が「いい夫婦の日」であるようにと、今年はこれで326日目。

幸せな結婚は与えられるもの?

11月23日。やっぱり雨。仕事を片づけて、送り出してからベッドに飛び込んだせいか、寝つきが悪くて、最後に見た時間は午前6時半。まあ、寝つきが悪いといっても、ほんとうに目が冴えているわけでもなさそうだから、3時間もうとうと、悶々としていたってことか。でも、正午直前に起きてみたら、やっぱり少しばかりまぶたが重い・・・。

月曜日。あちこち買い物に走り回るつもりだったけど、雨だからダウンタウンでだけのショッピング。やっぱり慣れっこのバンクーバーっ子でもだらだらと雨が続くと「やる気」が低下するものらしい。ま、「季節性へたれ症候群」とでもいったところ。カレシがDVDのディスクを買いに行っている間に、ワタシはHマートで、郊外の店で見つけられなかったものを買い足し。ついでに今日の漁獲は「yellowtail」の半身2パック(つまり1匹分)。たしか「ハマチ」だったっけと、辞書を引いてみたら、あら「ブリ」と書いてある。へえ?と思ってググって見たら、「カンパチ」ともいうそうな。成長にしたがって名前がくるくる変わるから「出世魚」というらしいだけど、今日のyellowtailは頭と尻尾を取った長さが25センチくらい。ふむ、出世街道のどこらへんで網にかかっちゃったのかな、これ?

ワタシもだらついた気分で、小町横丁の井戸端会議を冷やかしに行く。だけど、タイトルを見ただけでは「はあ?」とか「ええっ」というお悩み相談が多いもので、つい座り込んでしまう。たとえば、「幸せな結婚生活は、努力だけでは得られないのでしょうか」という切実そうな悩み。「飲む、打つ、買う」の三拍子夫に手を焼いているのかと思ったら、「努力すれば望みは叶うと思って生きてきたのに、望んだ結婚生活が得られなかった」と、これまたえらく落ち込んでいるようす。大学院まで出て、共働きで収入も夫より少し多めだというから、ほんとうに努力ひと筋だった人なんだろうけど、そういう人の理想の結婚生活が「旦那様が奥様をお姫様のように大切にしてくれる」イメージ。それが得られない、まだ努力が足りないのか、と。「具体的な不満は思いつかない」というから、ご当人は「幸せ感」がなくて悶々としていても、傍目には「どこにでもいる普通の夫婦」なんだろうに。

だけどなあ、「努力すれば望みは叶う」って、誰がそんなことを信じ込ませたんだろう。文科省のお役人が作った教育指導要領か?「努力すること」と「望みが叶う」とでは、ワタシには何となく矛盾しているように感じる。要するに、「求めよ、しからば与えられん」ではなくて、「努力せよ、しからば与えられん」。でも、「求める」も「与える」も他動詞。一方、「努力する」は自動詞。望みが「叶う」のと「叶える」のとを見ても、向こうから来るのと、こっちから行動するのとで、エネルギーの向きが正反対。努力すれば与えられる・・・やっぱり矛盾しているんじゃないかなあ。早い話、望みが叶うのは棚ぼたで、望みを叶えるには自分の努力が必要ってことじゃないかと思うんだけどなあ。でも、「努力すれば望みが叶う」と思って生きてきたこの人にとっては「努力すること」そのものがすべてになってしまったんだろうな。努力さえしていれば、望みは誰かが叶えてくれる(実現してくれる)、と。

もちろん、「人事を尽くして天命を待つ」という格言もあるけど、これは「やれるだけのことをやったから、後は運を天におまかせ」ってことで、天が与えてくれるものを受け入れるという心構えがあってのこと。全力を尽くして努力したからって、天は必ずしもこっちの望む通りにしてくれるわけじゃないし、人と交わって生きている以上はいくらがんばっても思い通りに行かないことの方が多いかもしれない。まあ、恋愛や結婚生活、子育てなんてのは思い通りに行かないことの最たるもんじゃないのかなあ。でも、「自分にできることはすべてやった」という一種の(自己)満足感が天命を受け入れる心のゆとりにつながるんだと、ワタシは思うんだけど、まあ、自己のつく言葉が否定的に使われる文化ではそれも難しいのかもしれないなあ。


2009年11月~その1

2009年11月16日 | 昔語り(2006~2013)
ニューヨークは秋だった

11月1日。帰って来た。出発したときはまだ10月で、まだ「夏時間」だったけど、帰ってきてみたらもう11月で、もう「標準時(冬時間)」。今年もあと2ヵ月しかないんだよ~とカレシに言ったら、「今年は旅行はもういいよ」と。え、なんかちょっとずれてない?

ニューヨークでのハイライトは何だったかなあ。順不同で揚げると、前回断念したグッゲンハイム美術館に行けたこと。ちょうどワタシが好きなカンディンスキーの回顧展をやっていた。フランク・ロイド・ライトのユニークな設計で、巻貝の中のような回廊をぐるぐると上りながら絵を見て行くのがおもしろい。カンディンスキーは初期の方が素朴なロマンがあっていいかな、やっぱり。後期の作品は抽象が行き過ぎて、形式的な惰性にも通じる感じがしてくる。でも、バウハウス時代の版画はプレゼントの包み紙にしたいような気もする。グッゲンハイムのある88番街から5番街を下がり、ホテルのあるブロードウェイの46番街までそぞろ歩き。ロックフェラーセンターではスケートのショーみたいなことをやっていた。有名なクリスマスツリーを立てるところなんだけど、思ったより狭いところ。(ま、国連ビルも近くまで行ったら、「え?これだけのもんなの?」て感じがするけど。)

ハイライトのその2はブルックリン橋をマンハッタンからブルックリンまで歩いて渡ったこと。歩道は橋の中心にあって、しかも車道より高いから、のんびりと歩ける。歩行者と自転車を分けてあることはあるんだけど、なにしろ観光客というのはどこへ行っても景色を見るのと写真を撮ることしか眼中にないやっかいな人種なもので、そんなことにまで気が回らない。毎日橋を渡る地元のサイクリストもジョガーも大変だろうなあ、と同情しながらも、ワタシも立ち止まっては写真をパチパチ。遠くに自由の女神像が見えた。回れ右をしてマンハッタンまで戻ってきて、「誰もブルックリン橋を買わないかって持ちかけて来なかった」とカレシ。まあ、「ブルックリン橋、買わない?」というのは昔からあるジョークなんだけど、バブル時代にロックフェラーセンターを買った日本人もさすがにブルックリン橋は買わなかったなあ。

ハイライトのその3はセントラルパークを北の端から南の端まで歩いたこと。高層ビルがにょきにょきと立っていて、空がほんのひとかけらしか見えなかったりするマンハッタン。そこに住むたくさんの人たちにとっては、広々とした緑に空間というとセントラルパークしかない。猫の額のような土地だってむだにしたくないだろうに、そのマンハッタンのど真ん中にあれだけの空間があるというのがすごい。サイモンとガーファンクルのコンサートを聞きに50万人が集まったというグレートローンはとにかく反対側が見えないくらいの膨大な広さ。サンフランシスコのゴールデンゲート公園にも広々とした芝生の区域があるけど、バンクーバー名所のスタンレー公園には大勢の人が集まれるところがない。(まあ、キツラノにはヴァニエパークというのがあって、いろんなフェスティヴァルやシェイクスピアの野外劇などをやっているけど、人を「集める」という感じで、いろんな人たちが三々五々「集まる」・・・という感じではないな。これって、なんか哲学的な違いでもあるのかなあ。

ハイライトのその4は、ティファニーでまた誘惑に負けて買い物をしてしまったことかな。それも2つも。ひとつはパロマ・ピカソがデザインしたという、ハート6つを花びらのように並べて、真ん中にポチッと小さなダイヤが入っている銀のペンダント。シンプルさがすてき。普通は値札が見えないようにしているんだけど、今回はショーケースの何ヵ所かに「200ドル以下」、「150ドル以下」、「100ドル以下」というカードが置かれてあって、ペンダントやイアリング、チャームを数点ずつ並べてあった。世界不況のせいなのかどうか知らないけど、たぶん観光客を狙ったティファニーとしてはぎりぎりの線なんだろうな。陶器やクリスタルのフロアでは、クリスマスツリーの飾りを売っていて、ぱっと目について「これ!」と気に入ってしまったのがツリーの絵が描かれた陶製の飾り。

ハイライトのその5はパーティ、パーティ。でもこれはまたの話・・・

マンハッタンは歩け、歩け

11月2日。なんだかやっぱりかな~り早く目が覚めた。もっともくたびれて寝てしまったのが異例の午前1時半だから、普通に8時間寝たにもかかわらず、午前9時起床はいつもの一日が始まる昼までの時間をもて余すくらいに早いなあ。いつもの調子でまた仕事に待ち伏せされたけど、小さいし、日本はまたまた祝日の休みだから、あわてることもないかな。

久しぶりにシリアルとトーストの「普通」の朝食。ニューヨークでは毎朝が卵の朝食。目玉焼きとソーセージ、スモークサーモンとポーチドエッグにホランデーズソースを添えたエッグスコペンハーゲン(エッグスベネディクトのバリエーションで、これはおいしかったので2度注文した)、スクランブルエッグとベーコン。それがだんだん卵に飽きてきて、最後の朝食はとうとうコンティネンタルになった。飽きといえば、バケーション中くらいはと張り切った肉食メニューもけっこう早々と飽きが来てしまって、ロックフェラーセンターに近い49番街にOceanaというしゃれた魚料理のレストランを見つけて、その場で翌日のディナーの予約を入れて、ハワイのポケとフロリダ産のポンパーノにありついたときは「ああ、やっぱり魚はいいなあ」と妙に感激。

まあ、ニューヨークのレストランはボリュームがすごすぎるということもある。それも安いレストランほどでっかいお皿にてんこ盛りで出てくる。ニューヨーカーは太りすぎ!ということか、ファストフードやファミリーレストランにはカロリー表示があって、歩き回った後のおやつに飛び込んだウェンディーズでは、3段重ねのチーズバーガーと甘そうなドリンクのコンビでなんと1650カロリー!カレシとワタシは「見ただけで死んじゃう~」と言いながら、500カロリーのラージのフレンチフライをもぐもぐ。となりのテーブルでは義弟のデイヴィッドと義妹のジュディがハンバーガーとコーラをぱくぱく。カウンターの前にはハイカロリーの注文をする人たちの長い列・・・。

ニューヨークの1週間は、まじめに会議に出席した1日を除いて、北は110番街から南はウォール街まで連日てくてくと何時間もかけてマンハッタンを歩き回ったにもかかわらず、ワタシは体重が1キロ増えて、血圧も122/80に上昇。さっそく魚中心の食生活に戻って、体重と血圧がどういう変化を見せるのか、なんとなくヘンだけど、楽しみでもある。

マンハッタンはとにかく歩きに歩くのが楽しい。アメリカの「摩天楼の時代」を代表するクラシックな建物が、新しい超高層ビルに囲まれてもちっとも臆することなく思い切り背伸びをしていて、人々は交通信号が赤でも車が途絶えたと見るとさっさと道路を渡って行く。最初はちょっとびっくりするけど、見慣れるとなんだか小気味良くさえ感じられるから、こっちもついニューヨーカー気取りになってすたすたと「信号無視」。良きつけ悪しきにつけほとばしるような「アメリカ」のエネルギーがニューヨークにはある。ワタシにはその刺激を肌に感じる束の間がたまらない。

[写真] ニューヨークは秋。『Autumn in New York』という古いジャズの曲がある。セントラルパークで見つけた「小さい秋」・・・
[写真] ワタシはカール・サンドバーグの『Prayers of Steel』という詩が大好き。「蒼い夜を突き抜けて白い星へと、摩天楼を支える偉大な釘になりたい」と鋼鉄は神に祈る。サンドバーグは摩天楼時代を先駆けたシカゴを詠っているのだろうけど、マンハッタンの街角でふと見上げたら、空があった。
[写真] 芸術の秋はグッゲンハイム美術館でぐるぐる・・・
[写真] ブルックリン橋を買わない?あなたにだけの耳よりな話・・・
[写真] そのブルックリン橋を、観光客をよけながら行く一輪車。歩行者用の路面は昔ながらの板。
[写真] 映画『34番街の奇跡』でおなじみのデパート、メイシーズの本店(かな)。7番街からブロードウェイまでを占拠していて、まあ広いこと。そのメイシーズでお目にかかったのがこの木製のエスカレーター。世紀が変わった今でも、素朴にごとんごとんとのどかな音を立てながら動いている。
[写真] ハロウィンの日、セントラルパークでの出会い。なんとも心配そうな顔をして道路を眺めている表情がおかしくて・・・
[写真] セントラルパークの長い、長いベンチ
[写真] ある秋の日の午後、ひとり物思い・・・
[写真] ティファニーの陶製のクリスマス飾り。そういえば、今年もクリスマスまであと7週間とちょっと・・・

自営業だって「失業」するのだ

11月3日。火曜日。午前2時頃の就寝で、午前10時頃に目が覚める。今日が納期の仕事の見直しをして、送信してもまだ午前中。あはは、朝飯前ってこのことだ。今日はめっちゃな日で、朝食は11時前に終わってしまうから、普通の夕食までエネルギーがもちそうにない。おまけにカレシは午後5時ぎりぎりにアポがあって、しかも今日は英語教室の日。その上ワタシは演劇クラスの日と来ている。

ほんとにめっちゃすぎ。ランチでも何でもいいけど午後4時に野菜バーガーと小いものフレンチフライ。教室が終わって9時近くにご帰館のカレシがサラダを作り、笑って、動き回って10時過ぎにはらぺこで帰って来たワタシはキッチンに直行して大鍋を火にかけ、二階に駆け上がって着替え。ベースメントに駆け下りてメールをチェック。なんだぁ、納品した仕事の元原稿を「修正」しただとぉ?おまけに小さい割にはややこしそうな仕事まで。もうどうにでもなれという気分で、キッチンに駆け戻ってピーマンのパスタを作り始める。あ~あ、戻って遊んできた余韻を楽しむ暇もなく、元の木阿弥だから、はあ、もうさっそくどっかに行きたくなってしまう・・・

こういうどたばたも自営業の性なんだろうけど、カナダ政府は来年から自営業者を失業保険の産休、傷病休暇、介護休暇などの特別給付の対象に入れることにしたというニュース。特に産休手当は大いに意義がある。なにしろ人口3300万人のカナダには260万人の自営業者がいて、その多くが出産期の女性。今までは失業保険の給付は雇用されている人たちだけのもので、自営業者は失業保険から除外されていた。だから、フリーランスなどの自営業の女性は妊娠、出産で働けない間は無収入になってしまう。年金の掛金は雇用者と被雇用者の両方の扱いで払い込み額は勤め人の倍だったのに、失業保険ではあくまでも雇用者だからというのは、やっぱりおかしいような気がする。まあ、ワタシにとっては、「失業」はカバーされないし、産休はもう無縁だからいいとしても、重病でけっこう長く入院するということになったときのために傷病手当は魅力がないでもない。満1年間掛金を払い込んで給付は最高15週間まで。はて、どうしよう。現在のワタシはいたって健康だしなあ・・・

こういう新たに恩恵を受ける人たちが出てくる新制度ができると、必ずといっていいほどすでに恩恵にあずかっている人たちが文句を言い出すのは世界共通らしい。自分たちの既得権が侵犯されるとでも思うのかなあ。フリーランスとか自営業とかいっても、売上や税金を「自由」に操作できるってわけじゃない。ごく一部の不届き者を除けば、みんなまじめに税金を納めているんだけど。政府だっておバカじゃないからこそ、加入は任意でも一度給付を受けたら脱退はできなくなるという安全弁をつけて、自分の都合で勝手に出たり入ったり出来ないようにしている。やっぱり会社に雇用されて税金も社会保障の掛金もしっかり管理されている勤め人にしてみれば、「自由」を謳歌している連中が雇われ者の身で「不自由」な自分たちと同じように保障を受けられるというのが気に入らないんだろうな。「オレの血税で好き勝手に自営業やってるやつを養うなんてまっぴらごめんだ」ということなのか、ある種の妬みや嫉みがあるってことなんだろうか。

オリンピックまであと3ヵ月ほど。スキーなどの会場になるウィスラーでは宿泊スペースに思いのほか空室が多いらしい。目玉が飛び出しそうなぼったくり料金などぶち上げたせいで、期待したオリンピック好きの観光客に「そんな金なんかねぇよ」とそっぽを向かれたのかもしれないな。おもしろいことに、オリンピック期間中、バンクーバーからメキシコの保養地などへの便の予約がかなりの活況を見せているらしい。ふむ、てことはオリンピックの交通規制やら組織委員会のごり押し振りに嫌気がさして、期間中はバンクーバーから避難しちゃおうというバンクーバー市民がかなりいるってことなんだろうなあ。まあ、カレシとワタシはフリーザーにたっぷりグルメ食材を詰め込んで、のうのうと冬ごもりするつもりだけど・・・

ま、とりあえず「平常運転」モードに切り替えて、仕事をしないとまた埋まっちゃうかも。はあ・・・

今日は遠洋漁業におでかけ

11月4日。寝るのが少し遅くなって来たと思ったら、7時過ぎに轟音で目が覚めた。トイレに行ったついでに外を見たら、向かいの歩道のそばで小さなブルドーザーが何やら作業中。また工事かよ~と思ったけど、寝ぼけ眼で見ても、重機なんて言える大きさじゃない。どうやらお向かいさんが庭の造園工事をしているらしい。ふむ、ということは2、3日は早朝から轟音か。ま、時差のある旅行をして来たことで生活時間のリセットのチャンスとばかりに、「就寝午前2時頃、起床午前10時頃」の新方針をぶち上げたところだから、いやでも早寝早起きを励行させてくれるかな。

早く起きると、当然のことながら朝食が終わってもまだ「午前中」が残っている。ふつうなら起き出してから朝食が終わって一日の活動が始まるまでの時間帯がぽっかりと空いているわけ。そこでオフィスに早出して、メールをチェックしたり、やり残した仕事の仕上げをしたりすると、今度は午後の時間がぽっかりと空く。仕事があればしてもよし、買い物にでかけるのもよし、好きなことをするのもよし。何となく効率的になった感じがしないでもない。もっとも、だらだらと遊んでしまったら効率もへったくれもないし、巣ごもりカップルのワタシとカレシのことだから、この生活効率化がいつまで続くかはわからないんだけど・・・。

ということで、終わっていた仕事を最終チェックして、少し手を入れて、送信して、閉めた後に入っていた大きめの仕事の依頼に威勢良く「OK!」と返事を出して、やっと午後1時。勇んで食糧の買出しに出かけた。まずWhole Foodsで魚のカウンターに直行。ギンダラ、オヒョウ、スズキ、アヒ、イカ、ニジマス、カニを巻き込んだヒラメ。オヒョウやスズキは「これくらい」と親指と人差し指で幅を示すと、カウンターのお兄ちゃんが自分の手を添えて「はい、指4本分」と測って、氷の上に並んでいる大きな半身から切り分けてくれる。真っ白なスズキはえらくお高いけど上品な味がしそうな誘惑に負けて、えいっと指7本分。ちょっといいディナーが2回できそう。後は白いキノアと赤いキノア、それとキビ。カレシはお目当ての塩なしのポテトチップ、バナナチップ、乾燥いちじく、いろんなベリーや種の入ったシリアル。

一番大きなトートバッグを持って行ったから、袋代の差し引きは60セントで、今回は「子供」に寄付。先払いした駐車場のレシートを出して料金の2ドル引いてもらう。だけど、オーガニックの店はやっぱり高いなあ。ふつうのスーパーにないものだけ買うようにしないと破産しちゃうよなあ。そういいながらおいしいものには目が眩んでしまうのがワタシなんだけど。オレンジとじゃがいもを買うだけのつもりで行った青果屋では結局あれこれ買い込み、オリーブ油を買うだけのつもりで寄ったスーパーでもレッドスナッパーとベトナムナマズ、さらにはあれやこれやと買い込んで、なんと午後いっぱい食べ物探しの旅。ワタシの買い物は遠洋漁業だな、まるで。魚類を冷凍用バッグに詰め替えてフリーザーに入れたら満員御礼。(フリーザーが上までいっぱいだと何となく安心感に包まれた気分になるのは食い意地がはっているせいか・・・。)

夕食のしたくを始める前にメールをチェックしたら、ありゃ、もうひとつ仕事。帰って来たばかりなのに、詰め込んでくれるなあ、もう。ま、早寝早起きして、おいしい魚をたっぷり食べて、バリバリ仕事をしていれば、豚かぜもそそくさと退散してくれるかな。ワクチン接種はまだ優先グループだけが対象だけど、かなり足りないらしい。そんなときにプロのホッケーチームが選手全員にワクチン接種を受けさせてひんしゅくを買っている。順番てものがあるんだから、割り込みはいけないよなあ。オリンピック選手だって順番待ちなのに。そういえば、今日がオリンピックまで後100日だとかで、おえら方が集まって選手村の竣工式?をやっていたけど、祝辞というよりは不動産屋の宣伝みたいだったのが笑えた。予算をオーバーしまくって10億ドルだか注ぎ込んで作った選手村だけど、この不況であまり売れないらしい。結局は市民が尻拭いすることになるんだろうなあ。考えただけでおなかが空く・・・

お金で幸せは買えないけれど

11月5日。午前7時過ぎからの轟音を期待?していたのに、静かなままで10時過ぎまでよく眠った。今日は作業はないのかなと耳を澄ましていたら、ふむ、なんとなく雨風の音がする。そういえば天気予報は夜半から風雨が強まるということだった。そっか、荒れているから、今日は造園作業は休みってことか。起き出して朝食を取っていたら、外でゴトンという音。二階へ上がって見ると、若いお兄ちゃんがひとりで歩道に積み上げてある敷石を手押し車に積んでは庭の中へ運んでいる。ははあ、親方は雨天につき休業、下っ端は雨にも負けず、風にも負けずってところか。雨に濡れしょぼって、ちょっとかわいそう。風邪を引くんじゃないよ・・・

それにしても、今日は風が強くて嵐模様。ワタシたちがニューヨークの雨にルンルンで歌っていた(まさか)頃にもかなりの嵐があったらしく、帰ってきてみたら、裏庭のポーチの下に積んであった木っ端があちこちに散乱していた。この冬は雨と風なのかなあ。ま、前回の大雪と寒波の居座りよりは扱いやすいけど、地球温暖化による気候変動の特徴は一律に温暖化するのではなくて、異常天候がいっそう異常になることらしいから、この冬は何年か前のように双子、三つ子の団子嵐の連続だったりして。ちなみに、あした金曜日と翌土曜日の予報は、曇りときどき小雨で時に局地的に強い雨が降り、午後には雷雨と降雹の恐れがあり、ときどき風が強まる・・・これってもう十分に異常天候だと思うんだけどなあ。

手をつけるべき仕事がどうやら思ったより小さいので、午後のひと時は小町の井戸端横丁のそぞろ歩き。相も変わらずお金の悩みが多いなあ。「お金で幸せは買えないけど、お金があれば幸せが倍増する」といったのは誰だったかな。「お金で幸せは買えないけど、お金があれば不幸せがちっとは楽しくなる」というのもある。もっと辛らつなのになると、「お金で友だちは買えないけど、お金があればもっと格の高い敵ができる」というのがある。どれも当たっていると思う。「お金で幸せは買えないと言っている人はどこで買い物をすればいいのかわかっていないだけ」と言ったのはガートルード・スタインだった。うん、お金。たかが人間が発明した「お金」、されど「人間が発明した」お金・・・。

今回の旅行では、トロントでの週末とニューヨークでの1週間をカレシの弟夫婦といっしょに過ごした。弟のデイヴィッドは土木技師で、カナダ国鉄(CN)でオンタリオ州の鉄橋の保全責任者にまでなって一時引退。今はアメリカ系のコンサルタント会社に勤めている。一方のジュディは夫の転勤についていった先々で教会のオルガン奏者をして来た。日本の夫婦になぞらえるなら、年収1千万円クラスの夫とパートで百万円くらいの妻といったところ。ジュディは大学卒だけどフルタイムで働いたことはない。というのも、性格がおっとりしすぎていて「とろい」という印象を与えるもので、事務職にも接客職にも向いていない。ずっとほぼ専業主婦だったから、家族や友だちとのつながりの範囲でしか話題が広がらない。今どき風にいうと「半径5メートル」の人ということになるかな。でも、ワタシは初対面からずっとそんな純朴ともいえるおっとりさんのジュディが大好き。

そのジュディが、いっしょにメイシーズやティファニーや美術館のギフトショップをのぞいていて、何も買わずにいることに気がついた。ワタシが自分のカードでちゃっちゃと買い物をしているそばでにこにこしているだけ。そこで、せっかく初めてニューヨークに来たんだから記念になるものがひとつくらいなきゃつまらないと、観光みやげのクリスマスツリーの飾りを見ていた流れに乗って、ジュディが気に入ったものをいくつか聞いてそのままひと足早いクリスマスプレゼントにした。ささやかなものだけど、ツリーを飾るたびにニューヨークで遊んだ1週間を楽しく思い出してほしいというのがワタシの本心。それでも、ささやかなものだからこそ、「こんなもの」と気を悪くしないかなあと、ほんとうはちょっぴり心配になった。ジュディは「クリスマスのたびにあのときは楽しかったと思い出すアイデアは思いつかなかったわ」といいながら、すなおに喜んで受け取ってくれた。

ワタシにはジュディの朗らかな「サンキュー」が何よりもすてきなお返しのように思えて、うれしかった。おっとりしたジュディにもデイヴィッドとの間に辛いときがあったという(カレシの弟だからね)。けれど、半径5メートルの中で自分なりの幸せを固めて来た人だからこそ、「私は私」に徹することができるのかもしれない。あのとき、ワタシのお金はまちがいなくワタシの幸せを倍増してくれた。

お金は今ある幸せを倍にする

11月6日。雨、一段落。どういうわけか今頃の季節になると唇の縁が荒れて痛い。朝方に暖房が入って、乾燥するようになったせいだ。暖房は生活空間ごとのサーモスタットで起床、留守、帰宅、就寝の4つの温度を設定してあって、寒い季節になれば勝手に暖房が始まり、暖かい季節になれば勝手に停止するから、唇が荒れて「ああ、もうそんな季節になったか」とわかる。帰ってきて2日ほど寝室やキッチンにいる時間に寒いと感じたのはサーモスタットの時計を標準時間に切り替えるのを忘れたせいで、夏時間が夏と共に終わっていた頃はそんなめんどうもなく、いつの間にか暖房が始まって、いつのまにか終わっていた。便利といえば便利だけど、ちょっとものぐさではあるような。

きのうはお金があれば幸せは倍増とかいったことを書いていたら、アクセス数がぴょんと跳ね上がっていたからおもしろい。人間、誰だってお金がなかったら生活できないから、お金に無関心ではいられないと思う。お金がなくても原始時代的に自給自足で命を維持することは可能かもしれないけど、少なくとも先進国ではロマンチックに憧れることはできても、まあ、実際には限りなく不可能に近いだろうな。つまり、お金がなくても生きられる(かもしれない)けど、最低限のお金がなければ生活はできないってこと。お金の話でめんどうなのが、この「最低限」がいくらかってことで、これまた国や地域によって違えば、個人のものさしもてんでんばらばら。つまるところは、みんな自分のふところ具合と価値観をつき合わせて自分が「よし」とする視点から、自分は、誰それは、どこそこは、やれ裕福だの、貧乏だのと言っているんだと思うけど。

要するに、「お金」というものの価値が人それぞれなんだと思うけど、どうなんだろう。ワタシは仕事をしてなんぼの自営業だから、自分で稼いだ「お金」は自分の仕事を評価するものさしの役割もする。のんきな顔をしていても、仕事のログの数字を見て「がんばったなあ、おい」と自分の背中を叩き、急に少なくなったりすると「さては終わりが来たか?!」と冷や汗をかく。フリーランサーがごまんといるこの業界にはこづかい稼ぎ程度の人もいれば、○千万円も稼ぐ人もいて、こづかい程度で満足な人もいれば、○千万円稼いでも不満な人もいるだろう。打ち明け話になるけど、ワタシも今の日本の「収入観」で換算したら「1千万円以上」稼いでいた時期が数年あった。でも、週7日のペースで毎日10時間労働のような状態では、夢のような大金を楽しむ暇があるわけがない。

今になって考えると、仕事に対するプライドは満たされても、幸せ感があったとは思えない。カレシ火山の噴火がなかったとしても、あの状態ではいずれは燃え尽きただろうと思うけど、目が覚めたのは主軸だった客先が倒産して150万円くらい焦げ付いた8年半前。払いが滞っていたのに「銀行融資が入ってくる」という言葉を信用してオーナーが自己清算に入る3日前まで仕事を引き受けていた。カレシの結婚式の3日前の告白みたいなもので、どうも「3日前」はワタシにとっては鬼門らしい。(まあ、3日後に起きると決まっていることを秘匿されては手の打ちようもないだろうけど。)お金は稼いでなんぼのものなんじゃなくて、使ってなんぼのものなんだと思ったのはまさにそのとき。毎日の生きる糧と老後の手当をすればいい。足りなければ暮らしのレベルを調整すればいい。その後で残りがあったら、贅沢をしようが、貯金魔になろうが、誰のために使おうが、世間さまへの遠慮は無用。ワタシの価値観の趣くままに楽しめばいい。

まあ、「価値観」という規制をかけるとあまりばかげた楽しみ方はできないような気もする。ワタシのぜいたくルールは、1に好きだとほれ込むこと、2に買えるお金があること。どちらかひとつでも欠けていたらどんなにすてきなものでも買わない。だって、お金がなければどのみち買えないから「いいなあ」と目に保養をするという手があるし、好きでもないものを、流行だから、ブランド品だからといった理由で買ってもちっとも満足した気分にならない。このあたりはけっこう健全な価値観だと思うけど、それは母がいつも「うちはうち、よそはよそ」と言い聞かせてくれたおかげかもしれない。要するに、「お金で幸せを買えないけど、お金は幸せを倍にする」というのは、すでに幸せな人はお金がなくても幸せなことに変わりはないんだけど、何につけても不満な人はいくらお金があっても幸せな気分になれないってことじゃないのかな。まずは自分という人間について自分で幸せだと思えるようにならなくちゃあ。

結婚する心理は複雑怪奇

11月7日。今日もまた雨だなあ。ある天気予報では来週の水曜日まで雨、雨、雨。なのに庭の池の水位がどんどん下がる。風が強いもので、循環式の滝の水が壷に落ちないで池の外に飛ばされて循環しない。おかげで雨がじゃぶじゃぶ降っているのに池に水を足してやるという変てこな状況。水道にメーターというものがついてないところだからいいけど、そうでなかったら水道料金がえらいこっちゃ・・・。

ニューヨークでの1週間からほぼ1週間。デイヴィッドから電話。ジュディがえらくニューヨークを気に入って、「ロトが大当たりしたらニューヨークのマンハッタンにアパートを買って遊びに行く」と言っているそうな。サンフランシスコへ行ったときも同じようなことを言っていたけど、引っ越すといわないところがジュディらしいところで、ワタシもそのあたりで意気投合してしまう。観光客はどこへ行ってもたいていは「この街/国、大好き!」となることが多いけど、「また遊びに来たい」というあたりに気持を留めておくのが一番無難で、「住みたい!」という夢を持つあたりまでは良くても、いざそれが実現してみたら「大嫌い」に転じるリスクは大きい。それは訪問者は「いいとこ取り」ができるから。いいとこ取り、大いにけっこう。そうさせるもが観光産業の仕事なんだもの。

夕食後に戻ったホテルではほぼ毎晩ワタシたちの部屋でお酒を飲みながらおしゃべりをしていた。会話は自然にカレシとデイヴィッド、ジュディとワタシがペアになる。兄弟が何やらえらいテーマを論じている間、ソファにあぐらをかいて向き合った姉妹の方はちょっと声を落として女同士の会話。ジュディは「もう離婚しかないと思い詰めたことがあったけど、こうして一緒に旅行できるなんて夢のようだ」と言う。何かにつけてキレて怒鳴り散らすデイヴィッドに怯えて別れようと思ったそうな。ピアノの教師をすれば何とか暮らして行ける。そういう自信がついたら逆にだんだん怖くなくなって来て、「はいはい」と適当にいなしているうちにデイヴィッドがキレなくなったという。この兄弟、同じ莢のえんどう豆とはよく言ったもんだなあ。二人がモントリオールに住んでいた頃のことらしい。みんながジュディが変わったことに気づいて、カレシの両親が「頼りない彼女がしっかりした大人に成長した」と評価していた頃。ほんとうのところは、「もうだめ」と思い詰めたときに彼女本来の芯の強さが目を覚ましたんだろうな。

ワタシもカレシが「離婚」をちらつかせて火遊びの容認を迫ったときに「もう離婚しかない」と思い詰めた。1人になっても十分に暮らして行ける基盤がある。だけど、離婚を受け入れたとたんにカレシが「出て行かせない!」と態度を豹変させたから、家を出るのがかえって危険になってしまった。しかもうつ病のどん底で、ドクターには「重大な決定をする状態ではない」と言われて、ひとまずカウンセリングを受ける道を選んだ。その過程で道産子ワタシが持って生まれた芯の強さが目を覚ましたと言っていいだろうな。そこでカレシの火遊びの相手の話しになって、中には既婚と知っていて積極的にアピールして来たのもいたと言ったら、ジュディが「私たちはあなたが(カレシの結婚のことを)何も知らなかったことを知らなかった。あなたが結婚することを知りながら移民目当てで近づいたと思っていたの。あなたは無実だったのに、ごめんなさい」と言った。結婚して日が浅いのに再婚したい相手がいるから離婚するという事情を説明するのに、カレシが巧みにそういう印象を与えて自分をかばったらしいことは言動の節々から推測していたけど、そうか、やっぱり事実だったのか。改名して心機一転というときに一部始終をつづった手紙をそっとみんなに渡した。真実を伝えたかっただけで、信じてくれてもくれなくても良かったんだけど、少なくともジュディは信じてくれたとわかって涙があふれそうになってしまった。

泣くわけにも行かないから取りとめもなく結婚て何だろうと話をしているうちに、カレシの前妻の話になった。カレシがオタワにいた頃にヨーロッパ旅行の帰りと称して1ヵ月も居座ったことは知っているし、その年末の帰省中に結婚するはずだったのをカレシがドタキャンしたことも知っている。カレシが婚約を解消するつもりなのに婚約者には「挙式は延期」と説明したらしいことも知っている。(挙式3日前だったかどうかは知らないけれど、土壇場だったから、花嫁側は大勢の招待客に連絡したり、すでにもらったお祝いを返したりで大変だったらしい。)それなのに、半年もしないうちにカレシがオタワから帰ってくると聞いてすぐに結婚式の準備を始めたんだそうな。(そういえば、カレシが言ってたなあ、「相談もなく勝手に準備を進められた」と。)そのときすでにデイヴィッドと付き合っていたジュディは、カレシが結婚したくないと言うのに彼女がどうしてそれほど執拗に結婚したがったのか未だにわからないという。ワタシは彼女のことを直接に知らないからなんともいえないけど、ストーカーみたいな感じがしないでもない。結婚式の日、花嫁はにこりともせず、花婿のカレシは重病人のように真っ青だったそうな。(結局、カレシは式の途中で大勢の前で失神して、自らトラウマを深めてしまった。)

どうみてもあまり幸先のよくない結婚式だったわけだけど、前妻をそこまで駆り立てたのはいったい何だったんだろうな。それよりも、カレシが、何も知らないワタシに「愛している」と告白した後で「愛してもいないし、好きでもない」(と、義妹に告白した)相手が「勝手に準備した」結婚式に臨んだのはどういう理由だったんだろうな。カレシはママに「二度もキャンセルするなんて許されない」と言われたからだと言うけれど、ほんとにそれだけだったのかな。そういえば、前妻が嫌いだったというパパが「彼女は初めから(カレシは)自分のものというでかい態度だった」と言ったことがあったな。当のカレシも「一挙手一投足にうるさかった」と言ったことがあった。それなのに何年も交際を続けて、結婚に同意して、ついには結婚しちゃったのはどうしてなんだろうな。まあ、今さらそんなことを知ってもどうにもなるものではないんだけど。

デイヴィッドとの議論に熱中していたカレシに二人の会話が聞こえていたかどうかはわからないけど、ワタシはもうみんな許してしまったし、何よりもカレシに連れ添って来た35年という年月がワタシの潔白?を証明してくれているはずだから、すべて過ぎ去った遠い過去のこと。ワタシは今でもカレシのことが好きで変わり愛しているし、カレシもワタシのことを少なくとも好きだと思ってくれていると思う。ひょっとしたら今は愛してくれているのかもしれない。あんがいそれが結婚というものなのかもしれないなあ。結婚そのものは条件が合えば誰でもできることなんだろうけど、夫婦というのは「二人」がいて初めて長く存在しえるものなんだろう。ま、人生には長い年月が経ってみなければ結論や評価の出ないことが多々あるってこと・・・

美容と健康にキノアはいかが

11月8日。今日もどよ~んと湿っぽい天気。大雨と強風注意報が出ているところがあるらしい。日曜日だけど、どうして日曜日というと仕事だ何だと忙しくなるんだろうな。夏時間が終わって時計をリセットしたら、日本時間の午前9時がこっちは午後4時と、1時間早くなってしまって、何だか追い立てられるような、何となく損をしているような気分。しかも、こっちの日曜日は日本では月曜日だもんなあ・・・

今日はなんと5回も洗濯機を回した。旅行から持ち帰った汚れ物に新しい汚れ物が加わって、ランドリーシュートのドアが開き始めていたところ。ついでだから、シーツも冬用のフランネルのものに切り替えて、夏物の洗濯。その間にファイルを2つ片づけて納品。仕事は後3つだけど、何となく気が乗らない。乗らないけど、仕事は仕事。やるっきゃないよなあ。

そういうときに限ってカレシがCDバーナーの電源コードが入らないと騒いでいる。キーボードのコードのようなピンがあるプラグが、いくら押し込んでも入らないとか。どれどれと見てみたら、ふむ、ピンが4本見えるのに、受け口側には穴が6つ。違うコードなんじゃないのと言ったら、今度は「それじゃあCD用のはどこへ行ったんだ」とあちこちかき回してまたひと騒ぎ。だけどなあ、拡大鏡でよ~く見てみたら、わかった、わかった。CDバーナーの電源コードには間違いないけど、ピンがめちゃくちゃにひん曲がっているのだ。さてはせっかちなカレシのことだから、ピンと受け口の位置が合っていないのに無理に押し込もうとしたんだろうな。受け口の穴も傷だらけ・・・

これじゃあ入るわけがないよというと、今度は「電源コードがないとバーナーを使えない」とうるさい。ワタシは仕事を放り出して修理屋さんに早変わり。ミニチュア用の道具箱を持ち出す。拡大鏡で見ると2本のピンが1本に見えたり、交差していたりする。なぜか交差している2本はこれ以上曲げたら蝶結びになってしまいそうなくらいに仲良し、こよし。先の細いミニチュアプライヤーで交差したりくっついたりしているピンを離したら、ちゃんと6本。曲がっているのをそっと起こしてから、ピンの配置を整えて・・・ほ~ら、今度はちゃんと入るでしょ。今度からはやみくもに突っ込まないで、ちゃんと位置を合わせてからいれてよね・・・。

仕事と家事の合間に想定外の「緊急出動」があったおかげでよけいに気が乗らなくなってしまった。でも、食べる方はちゃんと乗り気になるから、さすが。今日の夕食はニジマス。Whole Foodsで見つけてきた赤いキノアを付け合せることにした。南米はアンデスの高山で取れるアカザ科の穀物であるキノアは宇宙食の食材にもなったといわれるくらい栄養が高い。1人前45グラムでたんぱく質やビタミンB類、鉄分やミネラル類を1日分のかなりの割合を取れてしまうからすごい。おまけに炊くのはいたって簡単で手間もひまもかからず、口に入れるとコリコリ、プチプチした歯ざわりがある。それくらい健康と美容にいい食品なんだけど、日本ではあまり売れないのかなあ。

[写真] ニジマスのレモンペリペリ風味、赤キノアとアスパラガスのピラフ、蒸しインゲン

極楽とんぼ亭としては大いにお勧めのキノア。今日は炊き上げてからさっと炒めたアスパラガスを混ぜ込んでみた。赤というよりは紫に近い色合いだけど、白よりも甘みがある。

さしあたっての仕事は明日の夜が期限のファイルが2つ。う~ん、明日になってから考えよう・・・

男は自分の嘘を信じるの?

11月9日。いやあ、寝た、寝た。シーツをフランネルに変えて、毛布を純毛のに変えたら、二人とも一心不乱でぐ~っすりと9時間。目が覚めたら「平常」の正午だったけど、たっぷり睡眠をとるのもインフルエンザの予防に効果があるらしいから、ま、いいか。でも、よく眠ったせいか、またドラマの一場面みたいな夢を見ていた。初めの方は目が覚めたとたんに忘れてしまって、覚えているのはラストシーン。二階と思しき部屋の窓を開けたら、下の道に「男性」(どう思い出してもカレシじゃなかった)がいて、敷居に立ったワタシが「受け止めて~」と言って飛び降りた。その人はワタシをがっちりと抱きとめてくれて、頬っぺたにチュ~ッ。二人は手を取り合って、なぜか裸足で抽象画の街のような風景の中を走りぬけ、行き着いたのが田舎っぽくしゃれたイタリアンカフェ。そこで、エスプレッソにするか、カプチーノにするか迷っているうちに目が覚めた。

なんだか夢の中で駆け落ちしたみたいな感じだけど、相手は誰だったんだろうなあ。会議で会うたびにいつもハグして、頬っぺたにキスしてくれるあの人に似ていた。まさかワタシが心ひそかにその人に恋をしているってわけでもないだろうけど、目下の彼はバツいちのひとり身だから、ちょっと危ない年上ワタシってところかなあ。まあ、周りの風景は作りもののセットのようではあったけど、束の間の恋心が紡いだちょっぴりすてきな「恋の逃避劇」だったのかもね。温かなフランネルのシーツにくるまれて、たまたまそういう乙女ちっくな夢を見ただけのこと。ワタシが誰かに恋をしているわけじゃないよ、ほんとに。ワタシには浮気心なんてないんだから、ほんとに。

「プレイボーイ研究」と呼ばれる、ハーヴァード大学のある心理学者の実験によると、ヌードモデルの写真に興味があってプレイボーイ誌を買うのに「雑誌の記事そのものに関心があるから買うのだ」と言う男は、実はその「嘘」をそっくりそのまま鵜呑みにして信じる傾向があるんだそうな。この学者の解説によると、人間は自分の行動に罪悪感を持ったときに、よくその行為を正当化するための嘘をついて「自分はいい人間なのだ」と肯定しようとするけど、男の場合は自分の嘘を自分で「真実」だと信じ込むケースが多いらしい。雑誌を買うと決定する前に、本当の目的(女の裸を見ること)を妨げるような自分の心理にふたをするためだそうな。エコに熱心な人は欲しい商品がエコかどうかを確かめない傾向があって、それは環境に悪いとわかったときに心理的に買えなくなるのが怖いからだそうで、「記事を読むためにプレイボーイを買う」と(自分に)言い訳をする心理も同じようなものらしい。

ふ~ん、「オレ、女の子の裸なんかぜ~んぜん興味ないんだけど、記事を読みたいから(きわどい写真満載の雑誌だけど)しかたなく買うんだよねえ」って・・・男ってのは自分にも弁解したがる動物なのかなあ。それで、弁解がましいのは男らしくないかと思って、「嘘じゃないよ、ほんとなんだってば」と自分に言い聞かせて、結局は自分の嘘を信じてしまうのかなあ・・・

あ~あ、それにしても、雨、よく降るなあ。今日で5日連続だそうだけど、また「連続雨の日」の記録達成に挑戦するつもりかな。記録は確か28日だったと思うけど、何年か前にタイ記録!という日に雨が降らなかったことがあった。ま、雨、雨、降れ、降れ。「雪と違って、雨はいくら降ってもシャベルがいらないからね」というのがバンクーバーっ子の開き直りジョーク・・・

どたばた座の大コメディ

11月10日。今日も雨。正午近くになっても薄暗いからよく眠ってしまうのかな。まあ、しっかり眠れるのは何より。朝食をしながらテキサスでのオバマ大統領の追悼演説を聞いた。ケネディのようなすました「格調」はないけれど、大統領候補指名受諾演説に感動して以来、いつ聞いてもつい引き込まれてしまう。ちょっと学校の先生みたいな感じがしないでもないけど、難しい言葉はあまり使わず、簡素で、それでいて人をひきつけるパワーがある。あれは一種の才能なんだろうな、きっと。

火曜日の今夜は演劇教室の第6回目。だんだん手の込んだ趣向になってくるから、即興で演じられるドラマも破天荒で、げらげらと笑いっぱなし。追想シーンを演じるときは、「追想」する役のデヴォンとアンドリューが「ソビエトのグーラグから脱走して、雪の山中で酔払い運転で車をぶつけて、凍傷になりながら山小屋に避難するも、こんなところで凍死はごめんだと、小屋の壁板を剥がして即席のスキーを作り、(なぜか突然現れて)炸裂する地雷原を猛スピードで飛び越えつつ、雪山を滑り降りて助かったんだよねえ」という荒唐無稽な話なもので、再現役のワタシとジェニーは飛んだり跳ねたりで事故の場面や、モーグルよろしく地雷原を飛び越えるのに汗だく・・・。

1人から始まって、誰かが加わってストーリーを変えて行き、4人目からまた1人ずつ順番に抜けるたびに残った人数の元のストーリーに戻るという遊び?では、エマが雨の中を出かけて濡れたコートを干そうとしているところに飛び込んだワタシが、エマのウェディングドレスの仮縫いの場面に変え、「なんかアタシにぴったり。あなたのダーリンもアタシにぴったりよねえ」とおかしな雰囲気になりつつあるところで、ジェニーが宝くじが当たったというストーリーで加わり、ワタシが風に飛ばされた当たりくじを靴で押さえたところで、デヴォンが飛び込んできて、ワタシが山の中で罠に足を取られた場面に。どうしても足が罠から抜けないということで、デヴォンが救助を呼びに行くと退場した後、宝くじの場面に戻り、ほんとは大当たりじゃなかったという話に展開してジェニーが「勝手にして」と退場したところで、ウェディングドレスの仮縫いの場面に戻り、ワタシがドレスと花婿をハイジャックして「招待状を送るわね」と退場。残ったエマがかけてあったコートを着て、鼻歌交じりでまた雨の中に出て行って、めでたくストーリーがひと回り。

指定された役でストーリーを進めながら先生の指示で「喜怒哀楽」を表現する遊びでは、消防士のトロイと寄付集め用に消防士のカレンダーの写真撮影をするカメラマンのワタシ。「何月がいい?」と聞くと、トロイは「オレはホットだからホットな月がいい」と答え、「じゃあ、ミスター8月」。ナイスバディだわ~なんていいながら写真を撮るうちに「こんなダサい制服で写真はイヤだ」、「じゃあ、すぱっと脱いじゃって」と怪しげな話の展開の中、驚き、激怒、失望、困惑と感情がくるくる変わって、けんかをしたり、慰めあったりしているうちに最後が「愛」。ワタシカメラマンが「もうカメラなんかいらないわ。アタシの目だけがあなたを見ていればいいの」と言うと、トロイ消防士は「キミの燃える炎だけは消さないぞ」と、ますますアヤシイ展開。最後にカメラを捨てたワタシは「アタシだけの熱いミスター8月になって」と、トロイ消防士としっかり見詰め合って、めでたくハッピーエンド。

みんなよくもこれだけ荒唐無稽なストーリーをその場で紡げるものだと感心するけど、そこが即興劇の醍醐味。どんな役になって、どこでどんな話が飛び出して、どっちの方へ飛んでいくかわからないから、演じている方が見ている方よりも100倍は楽しんでいる。即興劇はどんどん話が進むから、うわべを繕っている暇がない。だから、それぞれの性格も出てくるのがおもしろい。後2回でコースが終わってしまうのが残念だけど、このコースは何回でも好きなだけ受講できるから、また・・・

うつ病は安定志向のせい?

11月11日。目が覚めてみたら、おや、今日はベッドルームの中が明るい。久しぶりに日が差しているのだ。おまけに正午近くだというのにやたらと静か。そっか、今日はRemembrance Day(辞書には「英霊記念日」と書いてある)の休み。1918年11月11日午前11時に第一世界大戦が終わったのを記念して、昔はArmistice Day(休戦記念日)と呼んでいたけど、第二次世界大戦が終わってから「戦死者を偲ぶ日」になった。だけど、平和を唱えながらも、朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、今でも世界中で戦火は消えることがないから、戦死者は増えるばかり。今年はパレードに子供を連れて来て、過去に戦死した兵士たち、今戦地にいる兵士たち、これから兵士になる人たちのおかげで、「私たちは自由でいられるのよ」と教えている姿があった。ティーンの女の子たちまでがカナダ軍の歴史や功績をもっと学校で教えるべきだという。なんだか雰囲気が違っているなあ。うん、戦争をやめろを叫ぶのは簡単。平和を声高に唱えるのは簡単。だけど、人間には戦わなければならない「時」もある・・・

ぼちぼちネットをぶらついていたら、「うつが治るということは、元に戻ることではなく、新しく生まれなおすことだ」といっている記事に行き着いた。うつから脱け出るには、生まれ直すという深い次元での変化が欠かせないと。そうか、元に戻るということはそもそも「うつ」になった状況に戻るということだもんなあ。同じ状況で同じ自分ではまたうつになることは目に見えている。そこで状況を変えられたら問題はないけど、そうすることはなかなか難しい。状況を操作できないとなれば、自分が変わるしかないだろうな。ものごとを違った角度から見て、周囲を見る視点をを変えて、自分には何が大切なのを考えて直して・・・そうしたら、新しい価値観も生まれて、新しい自分が生まれて来るような気がする。そうなんだなあ。ワタシはうつ病から回復したのではなくて、「うつ」という名の迷路のようなトンネルを通り抜けて反対側に出て来て、新しい命を生き直しているところなんだ。

同じサイトには「安定志向がうつ病を引き起こす」という記事もあった。将来への不安を回避しようと、安定や安心を追い求めるあまり、今を生きることから遠ざかっているとか。今を生きていないから、喜びと言うエネルギーが得られず、心がしぼんでいって、最後には動かなくなるという。「生きているもの」とは、例外なく即興性を持っている・・・なるほど。人生の行程が先の先まで予め決められていたら、マニュアルのように手順を追って行けば失敗しないだろうと安心できるけど、その代わり「思いがけないこと」も起きないだろうから、喜怒哀楽の感情も不要になるだろう。でも、それでは心が死んでしまう。先が見えなければ不安、先が見えたら落胆。記事ではフロイトのエロス(生の欲動)とタナトス(死の欲動)を対比させて、『生物にとっては変化こそが「生きている」ことなのであって、安定とは究極は「死」の世界なのです』と書いてある。ふむ、現代人はなぜか変化を厭い、見通しのないことを恐れて、その究極の「死の世界」を追い求めているってことか・・・。

生きることには即興性があるというのは、人生は即興劇と同じようなものだということかな。何人かで即興芝居をやっているとわかるんだけど、相手が何を言うか、どんな方向へ話が発展するかがまったく予見できない状況で性格も思考も気質も違う人間に対応するから、それを「頭脳」だけでやろうとしたらとってもついて行けない。(英語を話したい人がいざ英語で会話というときになって「何を話したらいいのかわからない」というようなものだろう。)そこで必然的に「心」に主導権を委ねる。この「心」こそが「自分」という人間の源泉で、心が死んだら、自分も死ぬ。逆に自分がなければ心は生きていない・・・。

先が見えないというのは、次の瞬間に何が起きるか予見できないということで、それが不安でしかたがないというのは、先が予見できないことが不安なのか、それとも「予見できなかったこと」が起こった場合にどう対処していいのかわからない、あるいは対処できる自信がないことが不安なのか、どっちなんだろう。どっちにしても、頭だけに頼って心を動かさなかったら、与えられた台本を棒読みするだけの人生劇にしかならないような気がするけどなあ。

押してだめなら引いてみよう

11月12日。木曜日。店じまいして寝る前に今日の午後が期限の仕事を片づけて送ってしまったので、今日は少なくとも夕方までは仕事のことを考えないで済む。ワタシはさっそく「休みモード」で気分も軽い。ところが、カレシは何となく元気がない。しまいに今夜の英語教室は休むと言い出した。具合が悪いのかと思ったら、「ただ気が乗らないだけ」。ま、ワタシにも生業の仕事に気が乗らない時があるから、無給のボランティア先生だってやる気が出ないときがあって不思議はない。それに、カレシは「不測の事態」が苦手の安定志向型の、いうなれば「うつ体質」なもので、ちょっとしたことで落ち込みがち。ここは、「あ、そう」とだけ。

当初の「プランA」では、モールの近くまで乗せてもらって、カレシの教室が終わるまでモールをぶらぶらして、スーパーで落ち合うことになっていたけど、カレシの予定変更で急遽「プランB」に切り替えて、夜にスーパーへ行くだけにすることにした。この「プランB」というのは、冗談半分に予定が狂ったときの「代替案」の代名詞のように使われる言葉で、要するに「押してもだめなら引いてみな」ってところかな。実際に、予期しないことが起こった場合は「こうする」という代替案を考えておけば安心できるんじゃないかと思うけど、まあ、失敗したくないからと「マニュアル」を求める安定志向型の人にはあんがい「プランA」しかないようなところがある。(そっか、「保険」がないから、先が見えないと不安なのか・・・)

ところが、しばらくしてカレシがやっぱり行くと言い出した。「教室がないって知らないで来る生徒に悪いから」なんだそうな。はいはい、じゃあ、予定は「プランA」が復帰、ね。ということで、早めの夕食をして、ワタシはモール、カレシは教室へ。ワタシはまずクリスマスカードの物色。業務用はユダヤ教徒もいるから、宗教色のない「季節のご挨拶」型のカード。取引先を絞り込んで以来、18枚入りの箱だといつも大量に余って困るんだけど、今年は初めて5枚入りのパックが見つかった。ふむ、これも景気のせいか。個人用は別にひと箱。これで、今年は例年のように12月に入ってあたふたと探し回らないで済むぞ~。

目的を達成したところで、スーパーへ行くまでの時間をウィンドウショッピング。オークリッジはそんなに大きいモールじゃないし、ワタシにはあまり関心のない靴屋とブランドの衣料品店がほとんどだから、いつもは時間を持て余すけど、今夜は買い替えたいスチーマーやフライヤーをあれやこれやと細かに「調査」。ついでに小皿料理の道具で何かおもしろいものはないかと食器売り場をぶらぶら。そこで出会ってしまったのが、直径8センチほどのふた付きの小さなソース鍋。二人分のソースを作るのにぴったりの大きさ。ずっと探し求めていたんだよ、キミ・・・だけど、ロイヤルドールトンのかあ。う~ん、小さい鍋にしては高いけど、やっぱり買ってしまおう。

探していたソース鍋が手に入ったところで、売り場の隅の棚でワタシに発見されるのを待っていたようなのが、これまた手のひらに乗るような小さなソース入れ。うん、出汁のような緩いソースは別に添えて出せばお皿の上がソース浸しにならないから、お上品でいいな。おひとり様用だから、それぞれ好きなだけかけてもらえばいい。クリームやミルクを入れるのにも使えそうだし、温めて溶かしたチョコをデザートに添えて出すとか・・・使い道はワタシのイマジネーションしだいってところ。

クリスマス商戦の到来で私書箱にぎっしり詰まっていたカタログを引き出して、スーパーに入る頃にはずっしりと重くなったトートバッグが肩に食い込んで、痛いの何のって。それでも、クリスマスまであと6週間のところ、今年は1ヵ月も早く準備を始められたぞ。ラッキー、ラッキー。買い物が終わる頃にスーパーに現れたカレシもどうやら授業がうまく行ったようでご満悦の顔。(今泣いたカラスが何とかかんとか・・・ったく。)さて、これで後は夜中までに仕事が入って来なければ、週末は久しぶりに丸々休み。何しようかなあ・・・

低体温化とうつ病の因果関係

11月13日。寝つきが悪くてうとうとしていた夜中、というよりリ「アルタイムの時計」で明け方に猛烈な嵐が吹きまくって、よけいに眠れず、目を覚ましたのは正午過ぎ。今日は金曜日で、おまけに13日。懸案仕事はひとつもない。ラッキーサーティーンってところだな。たまのベーコンと卵の朝食。ただし、ベーコンは普通に一人前ずつ焼くと塩分とコレステロールの取りすぎになるから、一人前を細切れにして、スライスしたポテトと一緒に炒めて、「ベーコンハッシュドブラウンポテト」。あっさりしていていい。

しっかり腹ごしらえをして、歩いて野菜の買出し。ポーチの気温は摂氏5度。ちょっと寒いなあ。しかもまだ風が強い。フリースの裏がついているジャケットを着込んで、のど元までジッパーを引き上げた完全装備のカレシと対照的に、ワタシはジーンズと厚めの長袖Tシャツ1枚の上にフード付の毛糸のセータージャケットだけといういでたち。Tシャツの下はブラジャーのみの素肌。「おい、摂氏5度だよ、たったの5度」と、カレシ。「でも、氷点下じゃないから」とヘンな理屈をつけるワタシ。まあ、風はかなりの冷たさなので袖の中に手を引っ込めるけど、「うわっ、寒い!」という感じではない。でも、カレッジのあたりには冬装備の学生たちがぞろぞろ。着込んで背を丸めているのはほとんどがアジア人の女の子たちだけど、ふむ、還暦を過ぎたというのに、ワタシは元気が良すぎるのか、それとも熱い血の気が多すぎるのか。(まあ、いくつであっても元気が良いのに越したことはないと思うけど。)

そういえば、ダウンタウンを歩いているアジア人の語学遊学生と思しき女の子たちのいでたちを見ると、アジアで流行しているファッションなのかどうか知らないけど、季節をひと足もふた足も急いでいるように見える。とにかく「暑そう」という印象なんだけど、当人たちはそれでも縮こまった姿勢で歩いているところを見ると、あながちファッションのために暑いのをがまんしているわけではなく、本当に寒いんだろうと思う。寒いアジアファッションで思い浮かんだのが、今の日本に蔓延しているらしい「低体温化」。ワタシの平温はいつも36.5度と37度の間なんだけど、日本では血気盛んな若い人たちでさえ36.5度以上は少数派で、35度以下という人もいるというからすごい。(どこかの新聞のコラムに日本経済は「低体温症だ」という記事があったけど、寒いのは人間だけじゃないんだなあ。)

経済の低体温症と人間の低体温化と関係があるのかどうかは知る由もないけど、低体温化すると新陳代謝や免疫機能が低下して、身体の健康度が損なわれることは確か。古くから「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われるくらいだから、身体の健康度が損なわれれば、精神の健康度にも影響があるだろうということは想像がつく。小町の住人たちが何かというと「疲れた」を連発しているのも、うつ病が増えているのも、低体温化で体力がなくなって、精神的にも「蒲柳の質」になってしまった人が増えているということなのかもしれない。人事関係の報告書を訳していて、いつも出てくるのが職場の人間関係のトラブルで「体調を崩した」、「心療内科へ行った」という言葉で、本当にそれほど過酷な状況だってこともあり得るとしても、本人が記述する状況からは、「そんなことで休職するほど体調を崩してしまうの?ひ弱だなあ」と思うようなことのほうが多い。

精神の健康度が低下しているといっても、精神を病んでいるという意味じゃなくて、精神的な免疫力や抵抗力が低下しているということなんだけど。もちろん、そこにはバブル崩壊以来の社会全体の流れや国の教育方針なんかも関係しているだろうと思うから、必ずしも低体温化したせいで、すぐに落ち込んでしまう、うつ体質の人間が増えたとは言い切れないだろうし、逆にうつ病になったために身体機能が低下することもあるだろうから、どっちが原因かとなると卵とニワトリの水かけ論。それでも、海のこっち側から眺めていると、なんか元気のない、「底冷え」のする社会だなあと感じることが多い。ま、これはワタシの私的な印象だから、「そんなことない」と言われたらそれまでだけど。

う~ん、ワタシがいい年してちょっと元気が良すぎるのかなあ、やっぱり・・・

平凡な休みは映画と買い物

11月14日。夕べはとうとう初霜が降りた。そろそろ寝ようかという頃(午前3時すぎ)にはポーチの温度計が摂氏1.5度だった。午後2時の気温は摂氏3度。真冬の陽気じゃないの、これ。エルニーニョの冬は暖かいんじゃなかったのかなあ。まあ、日曜日から急速に暖かくなるらしいけど、天気予報は来週の終わりまで雨続きで、また大雨注意報が出ている。今度はおなじみの「パイナップル特急」がやって来るらしい。

仕事の予定が空っぽの週末。夕べは夜中のランチを済ませた後で久しぶりにカレシと一緒にDVDを見た。トロントのデイヴィッドとジュディはよく映画を観るらしく、本棚ひとつにDVDが溢れている。おかげで、前に行ったときは「ハリーポッター」の第1作を観たし、今回は『スラムドッグ・ミリオネア』を観て、勢いに乗って『Four Weddings and a Funeral』も観た。だけど、我が家ではお互いに時間がなかったり、片方に時間があってももう一方は別のことに熱中していたりで、買ったままで本棚に置きっぱなしのがまだけっこうな数あって、ほとんどが「懐かしの名画」の部類に入りそうなくらい。その中からトム・ハンクスとレオナード・ディカプリオが共演する『Catch Me If You Can』を選んで観た。いや、これがおもしろい。

アメリカの実在の詐欺師がモデルで、彼の犯罪はすべて「未成年」のうちにやったものだそうだし、弁護士を騙ったときは、実際にルイジアナ州で付け焼刃の勉強で資格試験に合格したそうだから、まさに天才少年。逮捕に執念を燃やすFBI捜査官に追い回されるところは、ちょっと昔の『逃亡者』を思わせるけど、実物は捕まって服役してから、堅気になって詐欺対策のコンサルタントを始め、金持ちになって、追い回したFBIの捜査官ともその後ずっと親友でいるそうな。おもしろかったのは、パイロットに化けるのに学生新聞の取材と称してパンナムで下調べをし、医者に化けるのに当時人気だった医者ものテレビドラマを見て、弁護士に化けるのに『ペリーメイソン』を見て、それなりの「役作り」をしているところ。何だかワタシが未知の分野の仕事を引き受けて、付け焼刃でABC(基礎)の「AとBとCの半分」を把握してかかるのと似ている。まあ、人生は即興劇のようなものだから、難局を機知とか機転とかいうもので切り抜けるのは、詐欺も堅気もへったくれもないってことか。

休みモードの二日目はエコーを「運動」させるために、郊外にあるHマートの視察を兼ねてドライブ。大きなショッピングセンターのある交差点の囲むように小さいショッピングセンターが並んでいるところで、コクィットラムは1990年代に急激に増えた韓国系移民が集中して住みついたところだから、どこを見てもハングルの看板がずらり。まるでソウルの郊外にいるような感じがする。当然、Hマートもダウンタウンの店と比べてずっと大きいし、店内放送は韓国語だし、品揃えも日本食品は少ないし、客の顔もほとんどが家族連れのアジア人。ワタシが喜んだのは魚の売り場。ダウンタウンよりもずっと種類が多い。さっそくフリーザーからイカの足だけのパック、キハダやアルバコアのまぐろをかごに放り込む。トロはキッチンがやたらと脂臭くなるのでやめておいた。後はサケの刺身。カウンターの氷の上になった生のほっけ。(重さを量ってから)その場で頭とはらわたを取ってもらう。野菜売り場ではぶなしめじとまいたけと大豆もやし。

あまり広くて全体をじっくり見て回る時間がなかったけど、うん、オリンピックでダウンタウンの店に行きにくくなったら、ちょっと遠いけどこっちで買い物をすれば間に合いそう。この次は行きやすいところにある中国(台湾)系のスーパー(T&T)を探して視察しに行こうか。(トロント郊外のT&Tには大きな魚売り場と長い魚のフリーザーがあって、試してみたい魚がいろいろ・・・。)それにしても、魚、魚と、ワタシも相当な凝り性だよなあ・・・