リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年1月~その2

2009年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
滅びは美しいのか

1月16日。午後1時近くなって目が覚めた。今度はかなりぐっすり良く眠った気分。首の凝りも取れたし、頭も軽い。脳みそも元気が出たような。こっちで金曜日の午前2時くらいを過ぎると、東京はほとんどが帰宅して週末に入るから、その時間を過ぎたらワタシも週末。気分も楽になろうと言うもの。うん、今週はちょっとした修羅場だったからなあ・・・

今日は仕事に見むきもしないことにして、カレシと家中にたまったリサイクルごみのほんの一部を整理。ほんとうのところは、生活空間が狭くなったと感じるくらいだから、1週間くらいの「大掃除休暇」でも取らないと片付きそうにない状態で、どこから手を付けていいのやら。日本からのお客はとっても招待できないだろうな。掲示板類の情報を総合すると、この状態は「呼んでおいて散らかったままなんて、失礼な」ということになるらしい。まあ、とくと見回せば無理もないかもしれない。ワタシでさえ「何とかしなきゃ」という気になるくらいだから、きれい好きで潔癖症の人には地獄かも。別に不潔な暮らしはしてるわけじゃないんだけど・・・

小町に、好意を持っていて(いい感じになっていたらしい)彼女が東大卒だとわかって、恋愛感情が消えつつあるという悩みが載っていた。男が自分より「下」の女にこだわるのは、まだ日本ではあたりまえだろうというのはわかるけど、東大卒が地方の国立大卒より「高学歴」というあたりがイマイチよくわからない。昔は大学卒であれば高学歴だったと思うんだけど、いつの間にか東大卒か、まあ京大、早稲田、慶応のあたりの卒業であれば「高学歴」で、それ以外は「その他大勢」ということになったらしい。はて、何でも目に見えるものでランキングする社会で、猫も杓子も「大学卒」で横並びして「高学歴」の価値が薄まってしまったもので、ここで新たな格付け基準が必要になったと言うことかな。

せっかく大学へ行ったのに、その名前を書いた紙切れ1枚で人格や人生を決定されるとしたら理不尽な差別だけど、それを「どうせ自分は・・・」と容認する人がけっこういるらしいから不思議と言えば不思議。みんながそう言っているからそういうことなんだ、と得心しているんだろうか。なんだか(戦争中の昔以上に)自己否定を強要する社会になりつつあるように見えるんだけど、それも日本人の「滅びの美学」に通じるものなのかな。なんかマゾっぽいような・・・

オフィスからの眺め

1月17日。久しぶりにディナーにおでかけ・・・と、意気込んでエコーに乗り込んだら、あらま、エンジンがかからない。カーラジオは聞こえるから今度はバッテリじゃない。何かが引っかかっているような、カリカリと変な音がするばかりでエンジンがかからないのだ。ふむ、雪の中に突っ込んだり、さんざん塩をまかれてべちゃべちゃの道路を走ったりしたせいで、どこかおかしくなったのかな。まあでも、週末でディーラーの整備工場は閉まっているから、慌ててもしょうがない。とりあえず、トラックでのおでかけ。ガレージで冬眠していたエコちゃんに比べて、雪に埋まっていたタコちゃんは元気がいいなあ。

気温0度で湿度90%以上という寒いダウンタウンで、ほんとに久しぶりにRodney’sで生牡蠣をたっぷり食べて、熱々のクラムチャウダーで冷えたおなかを温める。どのテーブルも2回転で予約が入っているらしい。生牡蠣半額の「引き潮スペシャル」が狙いかと思ったら、スペシャルが終わる6時を過ぎても次々と入って来て、予約のない人たちが空きテーブルを待っていた。黒いTシャツにジーンズの威勢のいいサーバーのお兄ちゃんたちが2つのフロアを駆け足で行ったり来たり。うん、この分だったら当面は閑古鳥が鳴くことはなさそう。最後に大きなカニのケーキをカレシと1個ずつ分けて、ついでに特製ソース2種類を買って、相変わらずすごい濃霧の中を無事帰還。

来月の翻訳会議の実行委員会から、「オフィスからの眺め」コンテストのお知らせ。会議に参加する翻訳者のオフィス「から」見える風景の写真に、かっこいい説明を20秒のヴォイスファイルでつけるということだけど、ふ~ん、極楽とんぼ事務所から見えるのはカレシの背中と頭の後ろ。眺めなんていえるもんじゃないなあ。窓はいつもブラインドをおろしたままで、そのブラインドを開けたって見えるのは塀の内側にやせっぽちの南天。やっぱり「眺め」なんていえるもんじゃない。うん、これはユニークだ、とさっそく写真を撮って、説明の「台本」を書いた。「極楽とんぼが毎日オフィスの椅子から見ているのはこんな風景・・・書類や本やカタログの山、頼もしい編集者で愛しのダーリンの背中、そして窓の外の塀の向こう、どこかに広い世界が・・・」

みんな一人称だろうからと、アングルを変えて三人称。背中だけ出演?のカレシにかっこよくナレーションを吹き込んでもらうことにしたのはいいけど、マイクをつないでも、あれ、録音されない。あちこち調べて、どこもおかしくないのに変だなあ、といつもの「はてな」のシーンになったけど、原因がわかってみれば何のことはない。マイクをへんなところに接続したせい。DELLはプラグをわかりやすく色分けしてあるのに、「暗くて色がよくわからなかった」と、カレシ。すぐ上の壁にライトがあるでしょうに。まあ、ともあれ、マイクを接続しなおして、「本日は晴天なり」。うん、生きてる、生きてる。しっかり咳払いをして、リハーサル数回、本番テイク5回でセッション完了。さっそくファイルを送ったけど、ふむ、「オフィスからの眺め」ベストに選ばれるかな・・・

どうぞお好きなように

1月18日。おお、やっと霧が晴れて、まぶしい青空。あんまり気分がいいもので、久々に洗濯機を回しながら、「未決箱」に入っていた最後の仕事を終了。ヴァーチャルだけども空っぽの「未決箱」を見るのはスカッとする。もっとも、いつまでも空っぽのままだったら困るんだけど・・・

出発まであと3週間で、やることは山ほど。帳簿を締めて消費税の申告をしなければならない。州の翻訳協会に過去2年間の継続研修活動のポイントがどうしても足りないからと退会のお伺いも出さなければ・・・と思って、報告用紙を見たら、あは!翻訳会議出席は1回につき1ポイントじゃなくて、出席1時間につき1ポイント。なんだ、なんだ。おととしは2つの会議に参加したから、それだけでポイント数が足りてしまうじゃないの。会費はとっくに払い込んであるし、ふ、あわてて損するところだった。退会となったら「公認翻訳士」とでもいう名刺に印刷できるタイトルが使えなくなる。ま、ここから紹介されて来る翻訳仕事はほとんどが移民手続きの提出書類で、見積もっても「高すぎ!」となるのがオチだから、会員でいるメリットはないんだよなあ・・・

先週明けに納品したファイルが、客先から質問があると戻って来ていた。ふむ、チェッカーが見て、こっちがその質問に答えて、最終的に手を入れて納品されたファイルなのに、と開けてみたらや~な予感が的中。客先の「変更提案」について是非を聞いているのが多い。いくら「英語できる人」だからって、なんで英語人が英語だと太鼓判を押したものを日本人英語に直さなきゃなんないの?翻訳者に下訳やらせているつもりなんかいな。まあ、前にも別のところであったことだし、解説を求める質問にだけ答えて、あとはお客さんの自由ですと返事をしておいた。こっちだって契約業務完了ってことで、もう次行っちゃってるんだから。メールで客の変更の「校正・添削」は契約業務外だから別途料金をもらうと言っといたけど、きっとびっくりしただろうな。ごめんね。だけど、あたしゃ翻訳学校の講師じゃないんだから、おうかがいなんか立てないで、どうにでも好きなように書き直しなっつうの。もち、そこは自己責任でね!

それにしても、あんがいこういう「英語できる人」はほんとうに翻訳注文を「下訳」ていどにしか考えていないのかもしれないなあ。それとも、英語的すぎてよくわからないもので、信頼できないぞという不安になって、自分にわかるように書き直して安心するのかなあ。それとも、「オレは英語人より英語がわかるんだぞ」と世界の中心で叫びたいのかなあ。それとも・・・う~ん、いくら考えても、ワタシにはさっぱりわからないよ、その心理・・・

鬼のいぬ間にウィルス

1月19日。月曜日。することがたくさんあるんだけど、何か疲れた感じがする。ずっと忙しかった後にスポッと暇になるとよくそうなるから、アドレナリンの禁断症状かなあ。アドレナリン中毒ってものがあるのかどうか知らないけど、ずっとタイトなスケジュールで仕事が続いて、おまけに「おいっ、何を言いてぇんだよっ」と噛み付きたくなるような悪文が多かったりしたもの。リラックス、リラックス。

とにかくいの一番の仕事はエコちゃんの手当。サービスカードに書いてあるトールフリー番号に電話して、トウトラックの派遣を要請。いや、今度はバッテリじゃなくて、もっとシリアスなような。行く先は家に一番近いディーラーの整備工場。えっと、この住所ですね。いや、そこじゃなくてもうひとつのところ。えっと、データベースにありませんが。えっ、そんなはずは。電話してみますね。少々お待ちください。(こういうときはスピーカーフォンが役立つ。)はい、あるそうです。支店を登録し忘れたようです。ふうぅ。そんなやりとりの末、1時間ほどでトウトラックが来ることになった。

電話が鳴って、トラックのご到着。ずいぶん長いこと経って戻ってきたカレシ、「バッテリだったよ~」。え、なんで?ラジオは鳴ってたじゃん。どうやら、バッテリは青息吐息で、エンジンをスタートできるパワーがなかったということらしい。でも、この間バッテリが上がってジャンプスタートしてもらったばかりじゃない。カレシによると、トウトラックのオペレータ氏曰く、「小さい車はバッテリも小さいからねえ」。なるほど。「今の車は防犯装置だの何だの付けすぎて、使わないとすぐバッテリが上がってしまうんだよ。オレは商売だからいいけどね」。そうか、防犯装置と警報装置のランプが2ついつも点滅しているタコちゃんがずっと雪に埋もれていても元気一杯だったのはトラックだからバッテリもでかいってことか。エコちゃんのおでかけはせいぜい往復10キロかそこらだから、あんまり充電されないんだろうな。

ひと問題が落着したところで、今度はカレシのPCがウィルスに感染したらしい。なんか画面がすごいことになって、カレシはまたカリカリ、おろおろ、あたふた。まあ、スキャンに時間がかかるし、車だってたまには思い切り走らせてやらないと欝っぽくなるだろうから、ここは息抜きに「ドライブ」ということになった。早くに車が足になった北米には趣味としての「ドライブ」は存在しないらしい。カレシに「日本人はドライブが趣味だという人が多いよ」と言ったら、「で、どこへ行くの?」さあ、車を走らせるのが趣味ってことだから、どこって・・・

手探りみたいな濃霧の中を適当な方向に「ドライブ」して帰ってきたら、案の定ウィルスが潜り込んでいたらしい。「Rapid Antivirus」という一見ウィルス退治ソフトのような名前のたちの悪いスパイウェアだそうで、駆除方法を細かく説明したページが見つかったから印刷してあげて、どうやら駆除に成功。ほっとひと息ついたカレシ、しんみりと曰く、「オレさ、2、3日前に何のためか忘れたけどセキュリティのレベルを一時的に下げたんだ」。ははあ、その後元のレベルに戻すのをケロッと忘れたんだ・・・

かぶれ者は幸せなんだけど

1月20日。いや、まいった。夜、なんか調子がおかしいなあと感じられて、さしたる大きな仕事があるわけじゃないしと、早じまい。むかつきはないけど胃が重くて、やたらにあくびが出て、なんとなく熱っぽい。ベッドに入っても、めずらしい胸焼けで眠れない。そのうちに胸焼けは胃袋全体に火がついたようになり、猛烈な下痢。悶々と一夜が明けて、朝食を食べる気にもならず、ベースメントのソファに直行して眠ること3時間でどうやら胸焼けは鎮火。まあ、夜には下痢も止まったし、おなかが空いてきたところを見ると、どうやら俗に「stomach flu(胃腸風邪)」という、要するにウィルス性胃腸炎だったらしい。これは急襲してくるからやっかいだけど、せいぜい1日か2日で回復するからほんものの風邪よりは、ましと言えばましか。

起きた頃にはオバマ新大統領の就任式は終わっていたけど、ネット中に演説の全文があるから、印刷してじっくり読んでみた。難しい言葉は使わず、簡潔な文章でわかりやすい。格調が高いとはいえないかもしれないけど、小気味の良い演説だから、どっちかと言うと保守派のワタシまでが彼ならやれそうだと期待を持って、「うん、やろうじゃないの」といっしょに腕をまくる気分になってくるからすごい。稀代の難問が山積しているときに指導力のある人が出て来る国は強い。そういう指導者を選ぶ社会には侮れない底力がある。あんがい、世界が何かにつけてアメリカをこきおろしたがるのは、実はそのバイタリティが妬ましいからかもしれない。

国家を擬人化するとそういう人間的な妬み、僻みの感情が見えて来る。おりしもニュースを見たら、東京で中学生の女の子たちが、「自分は不幸。金持ちはむかつく。幸せなやつは許せない」と、1年の間に金持ちそうな、親に愛されていそうな同じ年頃の女の子を何人も襲っては暴行して怪我をさせたという記事があった。自分より強そうな、豊かそうな、幸せそうなものは妬ましい。妬みは結局は自分の挫折感を増幅する。自分に自信のないネガティブな人は、「あのぶどうはどうせ酸っぱくてダメ」と誹謗中傷して自分を慰めるか、「酸っぱいぶどうは鬱陶しいから刈り取ってしまえ」と暴力に訴えるか。テロリストにも同じような感情があるように思う。(その意味では、秋葉原事件は無差別テロとなんら変わりはないし、いじめもDVも本質はテロなんだけど。)

ローカル掲示板でこんなコメントが目に付いた。「こっちで楽しく過ごしてますって言う人って、基本は海外生活に憧れてそれが現実になった人、つまり欧米かぶれの人が多いってことでしょう。(特に白人と結婚した人なんて)」。ここには挫折しきっている若者が多い。せっかくの海外生活が思い通りに展開しなくて、不平不満。それなのに「楽しい」とか「カナダが好きだ」とか言う人間がいるのは許せない。実は妬ましくてしかたがないんだけど、それでは自分が挫折してしまうから、「欧米かぶれ」というレッテルを貼ることで自分を慰める。裏を返せば、ここには日本のバイタリティを担うべき若者が大勢来て、挫折して吹きだまっているということか。まあ、日本には国の底力になれる人たちが残って、この若者たちははみ出しっぺとも考えられないこともないけど、日本の未来、やっぱりなんだか寒くないのかなあ。。

欠け皿と欠け茶碗

1月21日。ああ、良く眠れた。やっぱりウィル性胃腸炎だったらしい。これ、「24時間風邪」と呼ばれる通り、ほんとに1日でケロッと治ってしまうことが多い。長くてせいぜい2日、それ以上続いたら食中毒の可能性の方が大きいという。土曜日に(ノロウィルスがいると言う)生牡蠣を食べて月曜日の夜にうわっと来たから、やっぱり一瞬はやられたかと思ったけど、ちょうど24時間で完全回復だから、食中毒じゃなかったということでひと安心。

外はあいかわらずの霧。湿度が100%ということは、もうその気温では大気は水分がいっぱいでそれ以上水分は含めないというわけで、これがいつも天気予報に出てくる「Dew point(露点温度)」。雨も降っていないのに道路が濡れているのは、余分な水分は露になって凝結しているから。なるほど、天気予報を見たら「気温1度、露点温度1度」になっていた。これが「気温30度、露点温度30度」だったら、人間は汗が蒸発できなくなって死ぬんじゃないかなあ。

カレシは駆除したウィルスのほかにも、グーグルの検索結果をクリックすると変な広告サイトに勝手に転送するやっかいなウィルスにも感染していて、またカリカリ。モデムのプラグを抜いてしまったと言うから、ワタシがあちこち検索して、どうやら信頼できそうなサイトを見つけて、駆除方法を印刷してあげた。だけど、不安症が出たらしく、やたらにごちゃごちゃ話しかけて来るから、こっちは仕事ができない。まあ、小さな仕事だから問題はないんだけど、そうしている間にキッチンのライトの電球が切れ、ゲートハウスのライトの電球も切れる。なんで?うぅぅ、こっちもなんとなくじわ~っとくる。イラッチ度60%だ。鳥のインフルエンザが人間に飛び火するんだから、コンピュータウィルスだって・・・まさかねえ。

仕事に集中できないから、大手町へ井戸端会議を傍聴しに出かける。ふむ、フリーマーケットで欠けた食器を売っている人がいて、「縁起が悪いからすぐにしまえ」と言ったら、売り手はわかっていて売っていると答えたそうな。縁起が悪いと知らない人に売るなんて意地悪だ、今はこれが普通の感覚なのか、私は納得していない!と憤懣やるかたない様子。ふ~ん、欠けた食器は縁起が悪いなんてワタシには初耳だなあ。すぐにしまえってことは、見ただけでも縁起が悪いのかな。(見ないと欠けていること側からないと思うけどなあ。)まあ、うちは欠け食器でもけっこう普通に使ってるけど・・・はて、相次ぐウィルス騒動、関係あるのかなあ。まさかねえ。

十年年上のアメリカ人英会話講師との将来に悩む女性。やっぱりやめなさいという助言が多いなあ。この人が友達だったら、ワタシもたぶん「やめたほうが・・・」というだろう。動機はどうあれ、大学を出て即ジャパ行きで、NOVAのようなところで英語を教えているうちに、年月は経つわ、気がついたら扶養家族がいるわ。母国に帰ろうにも職歴は長い空白。実際にワタシもそういう人に「翻訳をやりたい」と相談されたことが何度かある。帰って来て結局は英会話講師にしか就職できなかった人もいた。彼には英語がほとんど話せない奥さんと赤ちゃんがいたけど、その後どうなったやら。

相談の主も、彼氏は四十代で母国アメリカでの職歴はバイトだけ。結婚して渡米しても、日本人が思い描きがちな「海外生活」はまず難しいだろうな。お互いにほんとうの愛と「いっしょにがんばろう」という気持があれば別だけど、生活の安定が見えないことの不安に「押しつぶされそう」なんだったら、金の切れ目が縁の切れ目って言うし、彼女の「愛」はその程度のものと言われてもしょうがない。もし二人が割れ鍋に綴じ蓋なら・・・おっと、欠けた食器は縁起が悪いんだっけ。ま、とんぼは通りすがりだから、Mind your beeswax(大きなお世話)だよねえ、やっぱり。

疑う心に住む鬼は

1月22日。ふむ、まだ霧がかかっている。なんかすっかり見なれたあたりまえの風景のようになってしまったけど、天気予報では明日あたり晴れ時々曇り。当たるかなあ、今度こそ。

カレシのウィルス感染騒動はどうやら駆除に成功したようで、二人ともよく眠って、いたって平穏な目覚め。「ぼくは必要なときにだけ接続すればいいんだよ」と、今日はオフラインのままのカレシ。へえ、もうこりごりって気分なのかなあ。まあ、喉もと過ぎれば何とかというから、この「ネットボイコット」がずっと続くかどうかは怪しいもんだけど、今はちょっと防衛モードということか。どうせなら10年前にネット空間を徘徊するバイキンの怖さに懲りてくれれば良かったなあ。あらら、オンナノコたちをバイキン呼ばわりしちゃって。ワタシだってイジワルばあさんならぬイジメばあさんになれるってことか。ネット時代の人間の心は暗闇がいっぱい・・・

小学校時代の別の同級生が、釧路川河口の素敵な版画の年賀状と一緒に彼女の投稿が載っている本を送ってくれた。さすがは過密にもまれて育った団塊の世代、彼女も元気いっぱいで、写真を見るとますます若返って見える。ワタシもうかうかしていられないなあ。仕事が片付いたところで、暮れに書きそびれた手紙(メールじゃない紙の手紙)を書いた。小学校入学の年からもう54年。中学の時にとんぼの引っ越しで離れ離れになって、それぞれ違う人生を歩んできて、二十年ぶりかで会ったのはすでに十何年も前。何千キロもの距離がある今でも年に1度か2度の手紙でちゃんとつながっている。忘れられたのかなんて疑いはわいてこない。だって、友達なんだもの。

カレシと日本人が英語人の訳した文書をなぜ書き直したがるのかとあれこれ詮索していて、ふと浮かんだ疑問がある。翻訳会社に発注する客は翻訳者が誰なのか知らない。会社からは「うちではネイティブにやらせています」と聞いているだろう。つまり、「外国人」が訳したと思っている。もしも、翻訳事務所の看板を掲げてフリーでやっている日本人のところに同じ仕事を持ち込んだとしたら、(仮に同じ訳文になったとして)やっぱり英語を書き直すのだろうか。それとも、そのまま受け入れてしまうのだろうか。おそらく、書き直しなんて考えもしないんじゃないかな。

どうしてそうなのかは、外国語への翻訳とは別の、もっと根の深いところにその答があるような気がする。つまり、日本人は心の底では「外国人」を信用していないということじゃないんだろうか。同じニッポン村の住人なら信用できるけど、どこの馬の骨ともわからないよそ者は何をするかわかったもんじゃないから信用できない。なんとなくそんな異種異質のものへの疑心暗鬼の気持が心の深いところにあるんじゃないかと、ふと思ったんだけど、そうでないならそれにこしたことはない。でも、でも・・・

先天性かぶれ症

1月23日。何かに目を覚まされて、見回したら、明る~い!霧が晴れたんだ。ゆっくりお風呂に入って、よく眠ったせいもあって、すかっと「極楽とんぼ」モード全開で起床。郵便受けにFedExの不在通知が入っていた。そっか、配達のチャイムで目が覚めたんだ。ラッシュで注文してあった旅行用品なんだけど、きのう「発送通知」が来たばかりでもう翌日の今日配達ってすごい。来るのが早すぎたのが残念だったけど。それはさておき・・・

思うところあって(というよりは、とんぼの頭の中には「なぜ?なに?」といつもごちゃごちゃと質問ばかりする「なぜなに童子」が住み着いているんだけど)、「かぶれ」と言う言葉をググって見た。抜粋だけを読むとにぃちゃんねる風のヒットが多いようだけど、やっぱり人格を貶めるために使われる言葉らしい。日本語大辞典(講談社)を見たら、漢字で「気触れ」と書き、「ある物事にひどく影響されて、感化されること(infectdion)」と、まるで悪い病気にでもかかったみたいな定義だ。まあ、字面からは「気が触れる」と読めるから、物事や他人に影響されたり、感化されると「頭がおかしくなる」ってことなのかな。

そこで「感化」を引いてみたら、「人に影響を与えて、考え方や行動を変えさせること」。てことは、感化されるのは、「人の影響を受けて、考え方や行動を変える」ってことか。なあんだ、それってみんないつもふつうにやってることじゃないの。それが良くないことなら、人間は成長も進歩もしなくなるでしょうに。悪い感化だけを「かぶれ」というのなら理解できないこともないけど、「悪い」と決めるのは誰なんだろう。「私は西洋かぶれです」と自己申告する人はいないみたいだから、「かぶれている=悪い感化を受けている」と判断するのは第三者か。てことは、第三者の感情が多かれ少なかれものさしになるってことで、「悪い」というのは第三者にとって「不都合だ」ってことじゃないのかな。だって、何かにかぶれている人はそれに不都合も嫌悪も感じないんだもの。

ググっているついでに見つけた「バタ臭い」と言う表現。今は「欧米かぶれ」に取って代わられて死語も同然らしいけど、ワタシには妙になつかしい言葉だ(といっていいのかどうかわからないけど)。とんぼは小さい頃からバターが大好き。バターと醤油でご飯を食べていたせいではないだろうけど、「バタ臭い」と言われることを肯定的にとらえていたところがある。容姿のことでないのはわかっていたから、自分の性格のことだと思っていた。父が妹の縁談相手の家族に「バタ臭く生まれついた子」と説明したというくらいだから、小さい頃から「西洋」に対してほとんど「生理的」とも言えそうな親和性を持っていたとしてもおかしくはない。まあ、言語稼業のとんぼが「バタ臭い」が蔑称だと知らずにいたとはなんとも能天気な話だけど、若い頃に海外雄飛の夢を抱いたらしい父はJIS規格外れに生まれついた娘を愛情を込めて「バタ臭い」と評したのだ。

これが先天性の「infection(かぶれ)」だとすれば、やっぱり、中央アジアからヨーロッパ大陸へ移動して行った民族が落とした遺伝子が東へ移動する民族に拾われて来て、とんぼの中に紛れ込んだのかもしれないな。ということは、その民族が落として西へ行った民族に拾われた迷子の遺伝子が大西洋を渡って来て、カレシの中に紛れ込んだと言うことだってありえるだろうな。ねえ、二人をくっつけたら、なんだか陰陽の太極マークみたいに見えるけど。

帝国崩壊神話ゲーム

1月24日。今年か来年にはアメリカを初めとする英語圏の国々が崩壊して、日本を初めとするアジア諸国が世界の覇権を握って、白人は奴隷になるんだって。へえ。昔パチンコ屋からにぎやかに流れていた軍艦マーチが聞こえて来そう。(ま~もるもせ~めるもく~ろがねくん・・・。)ここ2、3年、ローカルの掲示板に多少言葉を変えて定期的に日本から書き込まれるトピックで、真に受けているのか、真に受けたふりをしているのか、読者が反応するほどご託宣は荒唐無稽度アップ。まるでオンラインゲームの世界のようで、ゲームにはとんと無関心のワタシもついのぞいてしまう「ヒット作」なのだ。

今年のご託宣: 『英語圏崩壊のシナリオとしてはまずオーストラリア、NZ、カナダの順に今年あたりに破綻、そしていよいよアメリカの終わりとなりそうな気配です』。へえ~。『英語圏の崩壊とともに英語という言葉自体も終わりを告げます』。へえ~。『現在、日本でも世界でも英語を話す人の方が職につけません』。へえ~。『日本では外資系会社がことごとく倒産、英会話学校、留学会社も破産。英語を使用する仕事は激減し、職につけない人が溢れています』。へえ~、そうなんだ~。まあ、「帝国崩壊神話」ゲームというノリかなあ。

キーワードをいくつか入れてちょこっとググって見れば、情報源がにぃちゃんねる系ということはすぐわかる。本人の創作じゃなくて、いわゆるコピぺした「スパムネタ」かもしれない。英語圏の国々と英語によっぽどの怨恨があるのかもしれないけど、「○○はこう言っています」と、英語圏を含めた外国の著書から恭しく「予言」を引用しているところがなんともおかしい。それにしても、日本人の真髄はやっぱり「滅びの美学」なんだろうか。オンラインゲームはほとんどが破壊に次ぐ破壊、殺戮に次ぐ殺戮で、まさに滅びのゲーム。いや、ひょっとしたらこのトピックそのものがゲームのシナリオなのかもしれないなあ。アイデアが受けるかどうかテストしているとか。(掲示板を見ている日本人にはかなり受けているみたいだけど・・・)

かなり壮大なシナリオだから、いっそハリウッドで映画化したらどうだろうな。ゲーマーならきっとオスカー級のシナリオが書けそうだし、ハリウッドの最新鋭のSFX技術とトム・クルーズを使って、大河のごとき流血と死屍累々のアメリカを「滅びの美学」で徹底してリアルに描けば、世界同時封切りで空前の大ヒット・・・でも、アメリカが崩壊したら、ハリウッドもなくなるか。やっぱり日本でアニメ化か、それとも、手を変えて来月あたりまたカナダの日本人掲示板に書き込むか・・・。

かぶれが気触れなわけ

1月25日。かぶれのことをしつこく考えていたら目についたのが、「アメリカのカレッジ留学から帰国後も、やたらと英語を使おうとする友達に困っている」という相談。英語のレベルだって高くないのに、名もないカレッジに2年行って来た程度で日本ではネイティブ気取り。デパートの店員が英語もわからないなんてと憤慨し、マンションと言えば「アパート」と言い換えさせられる。少々疲れる。どうしたらいいの・・・と。

あはは、そういう「かぶれ(気触れ)」もあったんだなあ。まるで蕁麻疹にかかったみたい。英語にかぶれて蕁麻疹ができて、かゆくてかゆくて、もう死にそう。そっか、欧米に少しの間いるうちに「欧米の毒気」にかぶれてしまって、日本に帰ってから体中がかゆいという人もいるだろうなあ。花粉症みたいに、アレルゲンから遠く離れたところで発症するタイプか。アレルゲンのないところで蕁麻疹が出て、しきりに「かゆい、かゆい」ともぞもぞするのが滑稽なもんだから、周りに笑われるってことか。気が触れたように見えるんだろうな。

逆に、アレルゲンが飛び交っている環境の中で、くしゃみや涙目に悩まされることなくニコニコと暮らしている人は「かぶれ」に対する免疫があるんだろうな。免疫力が弱いのかどうか、たまたま現地型のアレルギーにかかって、くしゃみは出る、涙は出る、蕁麻疹は出るで、せっかくの夢の海外生活を楽しめずにいる人から見たら、そういう能天気な人間は癇に障るだろうとは想像がつこうというもの。つい「欧米か!(気が触れてる)」と、悪口のひとつも叩きたくなるんだろう。で、そのアレルギーが治らないうちに日本へ帰るもので、とにかくかゆい、かゆい。それを「欧米アレルギー」とか「英語アレルギー」とか言うんだろう。かぶれて蕁麻疹が出ているわけだもの。ふむ、その発症の機序が解明されてきたような・・・

誰かが「バイリンガルだと英語と日本語のスイッチが切り替えられて、混じることはあまりない」と書いていたけど、ワタシも東京では心配していたような「ちゃんぽん語」にならなかったので我ながら驚いた。はっきりした住み分けパターンが出来上がったということだと思ったけど、逆にふつうの日本語会話は1975年版以降ほとんどボキャブラリをヴァージョンアップしていないから、英語が混じらなくなったらなったで、その空白の埋め合わせが大変。(最新のボキャブラリを搭載している)英語でやってしまえたらよっぽど楽なんだけどなあとつい思ってしまう。

だけど、もし英語でやって通じなかったら、日本語に切り替えるわけにもいかず、マルセル・マルソーばりのパントマイムを熱演する羽目になって、日本語でやった方がよっぽど楽なんだけどなあ、ということになる。人前で即興コメディを演じることにアレルギーがないのがなによりだけど、相手はきっと「アジア人てかぶれ(気触れ)てる」と思っているだろうなあ。あはは。

春遠けれど旧正月

1月26日。今日は旧正月の元旦。北米では「中国正月」というけど、中国では「春節」というくらいで、せっかくそれらしいいいお天気なのに、またぞろ「雪注意報」が出ている。明日は5センチくらい降るんだそうな。もう雪はたくさんだと言ってるのに、空の上ではまだ降り足りない気分なのか、それとも上の空で下界のぶつぶつが聞こえていないのか・・・もう。

注文してあった旅行用品がカリフォルニアの通販会社から届いた。カレシがリクエストした座席用のエアベッド風クッション、機内で風邪に感染しやすいと言うことで、抗菌手ふき、抗菌鼻スプレイ、殺菌ハンドクリーナー(2個ずつ売るのは往復用ということらしい)、時差ぼけ予防サプリに小型電動ブラシ。MP3プレーヤーを持って行くというので、オーストラリア用の電圧とプラグのアダプタ。なんだかすごい重装備の旅立ちに見えるけど・・・

ワタシの買い物は電子ブックリーダー「jetBook」。パスポートよりひと回り大きいくらいのサイズで、厚さはせいぜい1センチ。何十冊かの本が一緒に付いて来た。聖書とアメリカ合衆国憲法が入っているのはご愛嬌として、シェークスピア、ディケンズ、オーステン、ワイルド、カフカ・・・。『宝島』に『虚栄の市』に『ドン・キホーテ』に『ああ無情』。プラトンの『Republic』もある。お、孫子の『兵法』まで入っている。SDカードを買えば、1万冊くらいの本を持ち歩けるとか。まあ、一生かかってもそんなに読めるわけないだろうけど、シドニーまで30時間近い空の旅。たっぷり読書三昧と行くか。さっそく充電して、電子本をひもといてみようっと。

去年から停会していた連邦議会が再会して、明日はいよいよ予算発表の日。これまでは、新調の靴を履いた財務大臣が議会で発表するまで予算の内容は秘密中の秘密にする慣わしだったのが、閣僚たちが予算案を堂々と記者会見で「リーク」するという型破りな戦術。ハーパー政権としては、厳しい経済情勢に対処するにはあえて赤字予算を組むしかないけど、即席の三党連立協定を結んで政権奪取を狙う野党が待ちかまえている。そこで予算のさわりをどんどん発表して国民の反応を見ることにしたらしい。世論調査では過半数が「赤字予算やむなし」で、「赤字大反対」と拳骨を振り上げた野党はまた宙ぶらりん。おまけに第一野党自由党のイグナチエフ新党首は今は総選挙よりも党再建が先決と、どうも予算案賛成に回りそうな雲行き。これだから政治はおもしろい。

ちなみに、イグナチエフ党首は外交官の息子に生まれて、オックスフォード大学やハーヴァード大学で教鞭をとってきた歴史学者。作家としても知られていて、小説はブッカー賞の候補になったし、映画脚本はカナダで脚本賞を受賞した多芸多才の異色政治家。ハーパー首相も俊英で知られているけど、イグナチエフもすごい。まるで脳みその塊みたいな二人の議会での論戦はおもしろくなりそうだ。

手のひら図書館

1月27日。あ~あ、ま~たほんとに雪景色。まあ、せいぜい2センチもあるかというところで、道路は早々と
解け始めた。やれやれ。

2008年度第4四半期の物品サービス税(GST)の納付期限が迫っているから、とにかく3ヵ月分の帳簿整理をやってしまわなければならない。年度末だから概算で申告しちゃおうというわけにもいかず、10月分から帳簿をつけ始める。たいして記帳するものはないんだけど、それでも収入のほとんどがアメリカドルか日本円建てで、帳簿はカナダドルだから、めんどうくさいったらありゃしない。道草しながらやっとGSTの納付額が出たら、控除との差し引きでなんと17ドルとちょっと。さて、ネットで申告・・・と思ったら、午前7時から午後11時まで。ネットでのサービスが24時間体制じゃないって、なんか時代錯誤のようにも見えるけどなあ。ま、政府もこの厳しいご時世でふところ具合がさびしそうだから、小切手だけ先に郵便ポストに入れてあげよう。

充電した電子ブックリーダーをあれこれいじくり回してみて、うん、これはいける。ちょうどうまい具合に手に収まるし、軽いから開いた本を持っているよりも楽なくらい。フォントの大きさも変えられるし、横長の画面で読むこともできる。ぜ~んぜん興味のわかないものもあるから、そういうのはどんどん消去して、自分の読みたいものを入れる。ひと口に電子ブックの無料サイトといっても、ケータイ小説とかネット小説とか言えそうなものばかりのサイトも多い。その中で感動したのが「Project Gutenberg」という電子図書館。世界の名作がずらっと並んでいて、オーディオブックもある。これがぜ~んぶ無料と来ている。うれしくてあれもこれもとダウンロードして、USBケーブルでつないでどんどんリーダーにぶち込んでしまった。いやあ、簡単、簡単。

試しに付いてきたSDカードに自分のディレクトリからテキスト形式のファイルをコピーしてみた。ふむ、これもいたって簡単。PDF形式だと図表も表示されるけど、ページめくりではなく、上下左右にスクロールすることになるので、かなり反応が遅くなる。(説明書に対応しているけど、推奨しないと書いてあった。)なるほど、これなら出張するビジネスマンにも便利だろうな。弁護士のようにすごい量のバインダーを抱えて歩かなくても済むかもしれない。「本」以上の使い道がいろいろとありそうで、それを見たカレシが「ボクも欲しいなあ・・・」。(旅行から帰ってきたら注文してあげるから、今回はiPODでがまんしてね。)

さて、出発まであと2週間。やっておくことが多いなあ。仕事もなんだか大きめのがあるなあ。「お出かけ前にこれも~」って言われてもなあ・・・といいつつねじ込んでしまうワタシ。また前の晩に大汗をかいてあたふたと荷造りしそうな予感・・・

どうでもいいことなんだけど

1月28日。なんとなく目が覚めて半ばうとうとしていたら、階下で「ゴトン」。なぜか猫が駆け回っていろんなものを棚から落とすイメージが浮かんだけど、我が家はノーペット。でも、「ごとん」は間違いなく聞いたのだ。高いびきのカレシを横目に、よっこらしょと起き上がって、そろそろと階下へ。別に動物がうろついている気配はないなあ(あるはずもないし)、とキッチンに首を突っ込んだら、あらら。アマリリスの鉢が床に転がっていて、そこら中土だらけ。伸びすぎた茎の上に巨大な白い花という頭でっかちだから、何かの弾みで本棚から落ちてしまったらしい。太陽の方に向こうとしてバランスを崩したのかも、と起きて来たカレシ。ええ、花が動くって、なんだか・・・

朝めし前?の掃除騒ぎの後、カレシの愛車タコマ君を検診?に連れて行く。ちょうど満1歳。買って1年の走行距離はたったの1200キロ。まだ遠出したことがないし、オイル交換さえしていない。先週エコーを持って行ったついでに予約を取ってあった。新品同様だからと高をくくっていたら、なんとバッテリを取り替えたと言う。メカニックに「車は走るためにあるんだから、たまにはハイウェイをぶっ飛ばさないと死んじゃうよ」」とお説教されたそうな。あはは。エコーを取りに行った時もデスクの女性に「「たまにはハイウェイに・・・」と言われたなあ。車も動かなければ動脈硬化だの何だのメタボ体になって、高い「医療費」がかかる。ね、ね、どこか行こうよね。

きのう発表された予算案。どうやら自由党は「予算の実行状況を定期的に議会に報告する」という条件をつけて支持を決めたらしい。これでハーパー首相の少数政権はまた急場を凌いだわけだけど、連立政権!と張り切っていた新民主党のレイトン党首は「保守党と自由党の連立政権」だとおかんむり。うん、なんとなく婚約者を横から奪われたようなイメージだなあ。だから、人が良すぎたディオン前党首に比べたら、イグナチエフ新党首はハーパー殊勝に劣らない策士だって言ったでしょうが。二人の間には「お主、敵ながらやるのぉ」と言うような、優れた武将同士の尊敬みたいなものがあるように見えるんだけどな。だから、アメリカの民主党は好かないけど、オバマ大統領に引かれてしまうのと同じで、一見して尊大な態度はカチンと来るけど、イギーにはカリスマのようなものがある。自由党を支持する気にはやっぱりなれないけど。

先日「アメリカ人英会話講師との将来」に悩む女性の話を書いた。「やめておけ」のアドバイスを「日本女性の憧れの白人を射止めたことへの嫉妬」と評する人がいたけど、そうじゃないんだよなあ。ローカルの掲示板には英語レッスンの生徒募集の書き込みがかなりある。現役の講師ではないかと思わせるものも多い。レッスンはカフェや図書館で、時間は夜か週末。1時間10ドルという最低賃金に近いような格安料金も見た。英会話講師では生活できないのか、あるいは日本から帰ってきても職がないのかもしれない。小町の住人たちが口を酸っぱくして「結婚は生活。恋愛とは違う」と言うのはこういうことなんだろう。だから、今から経済的な不安に苛まれているなら、日本にいたって「国際結婚」はできるわけだし、少なくとも「海外」には出ない方がいいってことなんだけど。それにしても、「英語」と「国際結婚」の話になると誹謗批判の応酬になりやすいのはどうしてなんだろうな。


何とか力のばか力

1月29日。最近よく見かけては「ん?」とつまずくのが「○○力」というやつ。表現力、想像力、説得力、競争力、創造力、学力、体力といった昔からあるものはわかるけど、今どきの日本ではとにかくさまざまな「力」がなければ生きて行けない(落ちこぼれる)と洗脳されているような観がある。ざっと拾い上げてみたら・・・ 

社会人になるにはまず「大学生力」、「質問力」、そして「面接力」。無事に社会人になったら「社会人力」、「社員力」、「部下力」、「しごと力」。キャリアが落ち着いたら「出会い力」、「恋愛力」、「結婚力」、「モテ力」、「美力」、「女力」、。家庭を持ったら「主婦力」、「消費者力」に「そうじ力」、「親力」、たぶんに「マネー力」。国際人たるもの「語彙力」、「単語力」、「発音力」、「リスニング力」、「会話力」は必須力。お友だち作りには「人間関係力」、「常識力」、「空気読み力」が重要。そして快適な人生になくてはならないのが「人生力」、「脳力」、「元気力」、「スルー力」、「鈍感力」、「意志力」、「あきらめ力」、「自信力」、「退屈力」、「自分力」、そして究極の「人間力」。

ふは~、すごい。日本は今「何とか力ブーム」なんだそうな。字面を見たときは英語コミックによく出てくる「kaboom(どっか~ん)」と読むのかと思ったけど、まあ、当たらずとも遠からずかも。すごいのになると「何とか力検定」なんてのがある。中にはストレートに英語になるものもあるけど、どうも微妙にニュアンスが違う。ひと口に「力」といっても、たとえば英語だとforce、power、strength、energyと言う具合にいろいろあるし、abilityも動詞にくっつけると「~力」になる。でも、ずらっと並んだ「力」を見ていると、人の価値を「強弱」か「高低」で測定できるものさしで(数量的に)測ろうという思惑がちらついているような感じがするんだけど。(だから「検定」なんて商売を考え出す人が出てくるんだろう。)その観点からすれば「人間力」は薄ら寒いものさしとしか言いようがないけど、「振り分け社会」では取りとめない広がりのある「人間性」という言葉よりも便利なのかもしれない。

だけど、こ~んなに何でもかんでも「力」を要求されるんじゃあ、肩の力を抜いてひと息つく余裕がなくて、ストレスもたまる一方だろうなあ。まだ若くて人生はこれからというのにふた言目には「疲れる」、「疲れた」、「どっと疲れた」と言って、「心の風邪」で寝込んでしまう人が増えているようなのはそういう事情なんだろう。はてさて、ワタシも何か「力」を持っているのかなあ。ばか力はけっこうあるけど、上のもろもろの「力」を見渡したら、なんかえらく低そうなのが多い。でもまあ、いつも何とかなる、何とかしよう、何とかできる、と思っているこの「極楽とんぼ力」がとんぼの強みかもしれないな。これがほんとの「何とか力」・・・

ガス抜き、息抜き

1月30日。午前11時。目覚ましが鳴った。この前目覚ましをかけて起きたのはいつだったろう。今日はカレシが仲の良い元同僚のリチャードとのランチに出かける日。弁護士と会計士のダブル資格を持つリチャードとは証券委員会時代から20年になる親しい付き合い。こうして時々ダウンタウンにあるRailway Clubでビールとサンドイッチのランチをする。ここはかなりよれよれになったパブといった感じがするけど、昔は鉄道関係者の会員制クラブだった。今は夜にはライブバンドが入るナイトクラブになっている。

カレシを送り出したワタシは、おひとり様の朝食を済ませて、仕事をひとつ片付けて次の仕事に移る。ドライなビジネス文書ばかりで少々食傷していたとんぼには、ちょっと毛色の変わった技術文書は願ったりかなったり。「これじゃあどうりで金融危機が起きるはずだなあ」と思わせるような回りくどい表現が並ぶ投資情報などと違って、技術的な話は「これこれの試験をしてみたところ、これこれの結果だったので、こういうことなのだ」といたってストレート。用語と概念を頭に入れてしまえば、機械や現場の写真もたっぷりあるから、「へえ、おもしろいなあ」と思っているうちに仕事がすらすらと捗ってくれるからうれしい。

カレシが帰って来てひと眠りしたら、今度はとんぼが翻訳通訳の恩師が主宰する会社の創立記念パーティにでかける番。ダウンタウンのレストランで先生を初め、久しぶりに会う同僚たちと旧交を温める。若い同僚たちを相手にとんぼはさっそくおしゃべり度満開。こんなにも日本語でおしゃべりをしたのは東京訪問から帰ってきて以来のこと。テーブルで出てくる日本語はほぼ合格点だったから、とんぼの脳の「東西分裂」は確実なんだとひそかに感心していたら、ディナーが終わった後での親友と二人のおしゃべりはやっぱりちゃんぽん語。日本語で話さなくてはという心理的なプレッシャがなくなって、いつも使っている言語の方が「待ってました」とばかりに出てきたがるらしい。ま、お互いに気心の知れた同士だからいいか。でも、日本ではわざとじゃなくても嫌われてしまうかなあ。嫌われても、とんぼはどこ吹く風なんだけど・・・(これも態度が悪い?)

たっぷり楽しんで帰ってきたら、カレシがアイスクリームを作っていた。チョコレートをかけたジンジャーが入るチョコレートアイスクリーム。「おひとり様の夕食は何だったの?」と聞いたら、「ツナサラダ」だって。仕事で何日か家を空けるときは、留守中の夕食を夜遅くまでかかって何日分も作って、フリーザーに入れて行ったものだけど、あれはずいぶん遠い昔のように思える。さて、あしたの極楽とんぼ亭は「上客」の予約が入っている。今のうちに、仕事、がんばろっと。


2009年1月~その1

2009年01月16日 | 昔語り(2006~2013)
元旦、一計も案ぜず

1月1日。HAPPY NEW YEAR!

シアトルのスペースニードルの花火を見ながら、シャンペンで乾杯。ここ何年か恒例になった感がある。その後は「いつものように」仕事に戻って、「そろそろ寝るか」とスコッチのナイトキャップ。就寝は午前4時で、起床は正午の「普通の日」。オレンジジュースとシャンペンの「ミモザ」で互いに新年のごあいさつ。後は普通に朝食をして、普通に「私たちの一日」に取りかかる。「普通の日常」ほど平和な時間はないだろうな。

あと7ミリというところで12月の降雪量の記録を更新し損ねたと思ったら、新年に入ったとたんにまた盛大な雪になって、あっというまに1センチ以上積もった。やれやれ、マザーネイチャーもイジワルだねえ。あと2時間早く雪を降らせてくれたら、記録更新だったのに。そういえば、3年前の1月は、12月中旬からの雨の連続観測が記録がタイになるという日に一滴も雨が降らず、次の日からまた雨。結局、31日までに雨を観測した日が29日という新記録を達成?した。もう、マザーネイチャーの気まぐれは普通じゃない。でも、雪景色が3週間の今は雨がうれしいなあ。

さて、「一年の計は元旦にあり」と言うから、ワタシも何か考えてみよう。たとえば、だらだらと饒舌になる一方のこのブログを「もっと簡潔明瞭にする」とか。でも、おしゃべりとんぼにとっては美酒愛好家が「禁酒」を宣言するようなものかな。去年の「新年の決意」もやっぱり短命だったから、今年はカレシ流に「一計も案ぜず」をもってワタシの新年の決意としようかなあ。

だけど、新年の「Wish list(願いごとリスト)」なら長いのができそう。いうなれば自分自身への「おねだりリスト」なわけで、人間は自分にはけっこう甘ちゃんだから、「かなえてやりたい!」という気になるかもね。愛すべき極楽とんぼの願いをかなえてやりたい一心でやれば、けっこういろんなことを達成できるかもしれない。まあ、「Wishful thinking(願望的思考)」で終わらなければの話だけど、そこはワタシの考えることだからなあ・・・。

とりあえず、目の前にでんとある仕事に取り組むことにしようっと。

楽してできる道楽はなし

1月2日。いつもとは違う、「正月らしい天気」と言うものがあるのかどうかは知らないけど、まぶしい晴天。3週間見慣れた雪がどんどん解けて行くのは気持がいい。まあ、「~らしい何とか」というのはその人の先入観に根ざした感じ方だから、「新しい年が始まって気持がいい」のが正月だと思っていれば、気分のいいことは何でも「正月らしい~」ということになるんだろうな。今夜からまたまた5センチくらい雪が降るという予報だけど、ご冗談でしょ、んっとにもう。

食べて飲んで冬眠するのに忙しくて、大晦日になってやっと手を付けた仕事。日本での仕事始め一番の期限まであと2日しかないのに、まだ3日分くらいの量が残っている。おまけに、同日、同時刻が期限の小さいファイルがひとつあったのをすっかり忘れていた。おいおい。「正月早々から」とは言いたかないけど、大丈夫なんかい、ワタシ・・・

明日は土曜日。久しぶりにお出かけしたいのに、カレシはのらりくらり。予約を入れておくはずが、「忘れてた」。まあ、ここのところの道路事情ではしょうがいないんだけど、1ヵ月ずっと極楽とんぼ亭のグルメ続き。シェフだって休みを取って、思いっきりサービスされる側になりたい。再来週の14日からは「DINE OUT VANCOUVER」という、トップクラスのレストランのほとんどが参加する毎年恒例のイベントが始まってしまう。なにしろ3コースの特別メニューが18ドルから38ドルと言う、いつもの3分の1以下の超格安な値段なもので、普段のメニューで食べるつもりでも、どこも「満員御礼」で予約を入れることさえできなくなる。もっとも、どこでもシェフはこのホリデイ明けの閑散期を利用して休暇を取るんだろう。だけど、やっぱりサーバーににこやかにかしずいてもらって、プロが作ったおいしいものを食べたいしなあ。カレシの男を立てて予約業務をまかせておいてはいかん。楽して食道楽はできないもん。

人間は温血漢なのだ

1月3日。きのうは午前3時の「閉店時間」までがっちり仕事をしたもので、かなり疲れた気分で就寝。相当にだれているようだから、ちょっとばかり喝を入れないといかんなあ。でも、午後1時近くなって起きてみたら、あ~あ、また屋根も道路もそっくり雪景色。雨になる、雨になるって、いったいいつになったら雨になるんだろう。あしたあたりは「雨か雪」で、その先はひと言「雨」だけど・・・

玄関脇の窓に貼り付けた温度計は午後2時で0度。カレシは温度計がおかしいんじゃないかと、外に出て息を吹きかける。赤い針がぐぃ~っと動いてプラス10度。ほお、熱血漢なのねえ、あなた。でも、すぐにすぃ~っと0度に戻る。どっちが「おかしい」のやら。総じて暖まっていることは確かではあるけど・・・

温度の話で思い出したのが、最近日本人の間で増えていると言われる「低体温化」。バンクーバーっ子がまだ半袖で歩いている時期に長袖に上着を着こんで、寒そうに背中を丸めて歩いている若い女の子がいたらほぼ間違いなく短期滞在の日本人。たまにはマフラーまでしているのがいるけど、よっぽど寒がりなんだとしても、周囲が夏の軽装なのにきわだって奇異に見える。体型まで幼児化志向の極端なダイエットも原因のひとつだそうだけど、基礎代謝が低下するから結局は太りやすくなるというのは皮肉な話。もっとも、外から見ていると、日本の文化ってけっこうマゾっぽいところがあるんだけど・・・

日本人の平温は36.8度(ワタシはしっかり37度ある)のはずなのに、低体温化で36度とか、すごいのになるとやっと35度、もっとすごいのはそれ以下という「冷たい人」もいるんだそうな。ここまできたら「私って冷え性なのよねえ」なんて粋がっていられない。体温が1度低下すると免疫力が40%近くも下がってしまうんだそうで、免疫力が下がればアレルギーや成人病やがんになりやすい。運動能力が低下して血行不順。血の巡りが悪くなれば、脳まで酸素が行き渡らないから判断能力も低下して、ついでに心まで冷えて来るかもしれない。女性は不妊になりやすいし、早く老化が始まる・・・と、まったく良いことがぜんぜんない。哺乳類である人間は温血動物なんだけどなあ。まあ、たまには熱血動物もいるようだけど、これは別の次元の話・・・

休みすぎて働きすぎじゃあ

1月4日。やれやれ、「正月三が日」が終わらないうちにさっそくの「半徹夜」。まとまりがなくて、おまけにうねうねと蛇行する川のような文章と悪戦苦闘のあげく、午前5時に諦めて就寝。アドレナリンを放出しすぎたのか、あまりよく眠れなくて、とうとう午前11時前に起き出して、作業再開。半徹夜に付き合って、1時近くにやっと目を覚ましたカレシとの朝食もそこそこに、突貫作業で終わらせて、超特急でおまけの小さいファイルも片づけて、ささっと書いたメールにつけて送信ボタンを押したのは期限の日本時間1月5日午前9時の2分前。ふううう。なんだか、深層心理?に刷り込まれた「正月早々からそんなことをやってると・・・」が頭をよぎったような。

きのうの雪でひと騒ぎした後で、けさは強風警報が出てまたひと騒ぎだったらしい。でも、午後には雨。おお、待望の雨。だけど・・・な~んだ、また雪。こら、気象予報官、しっかりせんかいな。予報がぜんぜん当たらんじゃないの。まあ、でもすごいぼた雪だ。大きいのが重たそうにぼった、ぼったと降って来るから「ぼた(ん)雪」と言うのかと思っていたら、どうやら「牡丹雪」というのが正しいらしい。牡丹の花びらみたいなのが降るからだそうだけど、どうも北海道の雪のイメージじゃないなあ。ちょっと風流すぎ。もっとも、京の都かどっかそうやってほっこり雪を愛でていた頃の蝦夷地はまだ「Terra incognita(未知の土地)」だったろうけど。まあ、そこは京の雪と蝦夷の雪の違いってことでいいか。

ある新聞のコラム。日本から送られてきた来たカレンダーに居住地イタリアの祝日をマークしていたら、まあなんと日本の祝日の多さよ、と呆れたと言う話。今年についていえば、日本では週末以外の祝日がイタリアの倍の15日もあって、三連休となるとイタリアでは3回だけなのに、日本では5回。おまけに「五連休」というすごいのが2回もあるんだそうな。その上で、年末と年始に休みで、お盆にも休みなんてところも多いだろう。有給を取らなくたって、黙ってカレンダーをめくるだけでなんだかんだと1年に1ヵ月近くも休みがあるってこと。となると、日本人はいったいいつ働くのと疑問に思うけど、答はずばり「夜」。みんな、休みでない日には残業に次ぐ残業で働かなきゃ自分の仕事を片つけられないんだろう。で、みんながそうだから、それが社会人の「常識」になって、日本ほど祝日が多くない国の人たちがマイペースで仕事をしているの見ると、「んっとにいい加減な連中だ」とムカつくのかな。でも、やっぱりなんかおかしくない?

マザーネイチャーも、この3週間はちょっと根を詰めて働きすぎ。このあたりで休暇をとって、カンクンとかハワイとかフロリダとか、ゆっくりしに行ってみない?

分るような、分らないような

1月5日。お、雪は降っていない。その代わり大雨の予報。これで雪がなくなってくれるといいけど。市民は市の除雪体制がなっていないと文句たらたらだけど、バンクーバーは3週間に1メートルも降るような「50年に1度」の天気に対応していないのだ。まあ、ぶうすか、ぶうすかと言っているのは前回(1964年)の「記録的大雪」を知らない世代。生まれてから便利さに囲まれて暮らして来たのが、初めて大きな「天災」に遭遇して、(税金を払ってるんだから)お役所が何とかしてくれるかと思ったら(自分に便利なことは)何もしてくれないのはけしからん、ということらしい。アメリカの銀行や自動車メーカーのワシントン詣でに似てるような、似てないような・・・

お向かいさんのマージョリーが雪かきしているのを見たカレシ、シャベルを持って応援に出かけた。独り暮らしのマージョリーは言語療法士で画家。同じ年代だから、水を含んで重くなった雪との格闘はきつい。ガレージの前をきれいに除雪して意気揚々と戻ってきたカレシだけど、降り始めからこの3週間、我が家の前と横の歩道はほったらかし。市条例は単世帯住宅の住人に(市有の)歩道の除雪を義務づけていないけど、歩行者のために「努力」を呼びかけている。なのに、「市が駐車禁止の条例を実行しないなら、こっちも市の歩道の除雪なんかしてやらない」とそっぽを向いているカレシ。(てことは、夫婦の一方が配偶者としての責任や義務を放棄したら、もう一方もそうしていいってことかな・・・な~んて。)はて、理屈が通っているような、いないような・・・

今日はごみの収集日で、「来るのかなあ」と半信半疑で容器を出しておいたら、昼過ぎにトラックが通って行った。前回の収集日はクリスマスイヴの日だったけど、大雪で結局来なかった。ごみ集めは週一だから普通なら次は31日だけど、祝日があるごとに1日ずつ移動するしくみなので、祝日が3日ある年末年始は一気に3日もずれる。普通なら3日になるはずなのに週末なものでさらにずれて月曜日の今日。実に19日目の収集になった。まあ、一昨年にストで夏の間3ヵ月も収集がなかったの考えたら、生ごみが腐らないからどうってことないはずだけど、ナノ秒世代はやっぱり「スケジュール通り」でないとイライラするのかなあ。だけど、自分の車庫の前でごみトラックに立ち往生されたらもっと困るんじゃないかという気がするような、しないような・・・

新年早々さっそく2009年度の不動産査定評価の通知が来た。あれ、去年と同じ数字にみえるけどなあと思ったら、下に小さな字で「2008年度の価額はXXX,XXXドル、2009年度の価額(2008年7月1日現在の評価額)はYYY,YYYドルなので、低い方を表示した」と書いてある。そうか。去年の夏の時点では約9パーセントも高くなっていたけど、金融危機で景気が急降下して評価額もがた落ち。固定資産税の課税基準になるものなので、値下がり前の数値を使うのは差し障りがありそうだから、ここは前年度の価額で凍結しようと、5月に選挙を控えた州政府が政治判断したらしい。ふむ、わかったような、わからないような・・・

よきサマリア人たち

1月6日。あんまり文句が多いもので、「ご要望にお応えして」と言ったかどうかしらないけど、雪が降り出して以来初めて我が家の前の道路を除雪プラウをつけたダンプカーが通って行った。かなりの雨だし、わりと交通量のある道路だから雪解けは早いので除雪自体はあまり意味がない。それどころじゃない。交差点にトラフィックサークルと言う減速させるための小型のロータリーがあるもので、押しのけた雪が角に積み上がってしまい、逆に立ち往生する車が増えてしまった。

雪に慣れていないせいで、(ワタシもそうだったけど)焦ってエンジンをガンガンふかしてしまう人が多い。オートマチックだとタイヤが高速でスピンして、車輪がはまっている雪の表面がつるつるになり、ますます動きが取れなくなってパニック状態になってしまう。今日は何度も窓の外でウンウ~ンとエンジンをふかす音をがして、カレシが救援に出て行くこと3回。「はい、ハンドルをこっち(あっち)へ切って、車輪をまっすぐに。アクセルは軽く踏んでね。はい、せ~の!」てな具合でけっこう手際よく指示を出して、車を押し出してやっている。雪はもうそれほどないから、ふつうの前輪駆動の乗用車なら何度か力一杯プッシュするだけで比較的簡単に脱出できる。

ときには歩いて下校中のカレッジ学生もおしくらまんじゅうに加わって、見ているとなかなかいい光景なんだけど、足元の悪い雪道でエンジンのかかっている車を押すのはきわめて危険なことで、焦っているドライバーが前進と後退を間違えたりしたら大怪我をしかねない。そのあたりはどうやら数年来のボランティア教師の経験がものを言っているらしく、びっくりするような大きな声で諭すように指示を出している。それにしても、この3週間ずいぶん「よきサマリア人」をやったねえと言ったら、「ボクだって困ったときに助けてもらいたいからね」とカレシ。うん、カレシが助けてあげた人たちも、きっとどこかで困っている人を見たら手を貸してあげると思うよ。

クリスマスには北極より雪があったというビクトリアで気温はプラス10度。気象衛星の映像を見ると、南西から延びて来る巨大な雨雲はまぎれもない「パイナップル特急」だ。ポーチの温度計の針も日が暮れてもまだじわじわと右回り。どんどん暖まっているということだろう。大雪警報の連続から一転して今度は大雨警報発令中。市役所は雪に埋まった市内に4万ヵ所ある雨水渠の排水口の除雪にスタッフを総動員。我が家の外にある排水口は、カレシが雪を除けて、パットが水の流れ道を作ったけど、様子を見に行ったら急流のような勢いで水が流れ込んでいた。バンクーバーの予想雨量はなんと70ミリというから、雨水渠が能力オーバーで洪水なんてことにならないといいけど・・・

一難去って・・・

1月7日。あまりひどく降っていたようには見えなかったけど、郊外はほんとうに60ミリとか70ミリとかいうすごい雨が降ったらしい。道路が崩れたり、深い水たまりができたりして通行不能になったところがあるし、詰まった雨水渠が文字通りパンクして水が噴出したところもあるそうで、一難去ってまた一難のてんやわんやの状態には変わりはない。河川の水位上昇で注意報も出ているらしい。まだこれから朝までに30ミリくらい降るというけど、もういいんじゃないかと思うなあ。

道路状態は十分に平常に近づいたと判断して、エコーで買出しに出かけた。3週間の冬眠から機嫌よくお目覚め。モールまで行ってみたら、同じようなことを考えた人が多いと見えて、週の中日の午後なのにけっこう混んでいる。まだ「店員募集」の張り紙や看板を出しているブティックもけっこうあって、「稀代の不況」ってどこの話なんだと思ってしまう。(不動産の相場が3割も急落したというから、たしかに不景気なんだろうけど、どうもまだ1982年の大不況のときのような深刻さがない・・・。)野菜をどんと買い込んで、スーパーでもカートでどんと買い出し。かなりの金額になったので、レジの人が「きのうだったら10%割引になったのにねえ」と残念がってくれた。

兵糧倉がいっぱいになったところで、さて、仕事。期限は明日の午後というのに、のっけからすごい悪文に出くわして、さっぱり進まない。なにしろ、「第1条」なもので、いろんなことにいちいち「以下何とか」という括弧の断り文が付いていて、それでなくても読みにくいのに、その括弧の中にさらに括弧で「以下何とか」と入っていたりするからよけいにややこしい。「本書は」で始まって「。」に到達するまでに何と660文字もある。原稿用紙なら1枚半以上という、ひと息で読もうとしたら酸欠になりそうな長さだ。おかげで、区切りになりそうなところで改行したり、括弧文を外してみたりの悪戦苦闘で、全文を解読するのにふだんの4倍もの時間がかかってしまった。さすが饒舌のワタシも開いた口がふさがらない。この後まだ1万5千文字もあるぞ。あ~あ・・・

午後9時。かなりの雨の音がする。窓の外を見たらすごい濃霧。雨と霧が同時なんて見たことがないぞ。温度の上がり方が急すぎるのかな。けさ起きたときは3度だったのが日が暮れる頃には6度になっていた。愛用の天気予報サイトを見ると午後9時現在で「気温8度、湿度100%」。う~ん、ほんとは湿度150%くらいだったりして・・・

結婚て何なんだろう

1月8日。ああだこうだと愚痴を言いながら、括弧の中にまた括弧の仕事をやっつけて納品。パンパンと手を打って、厄払い。やれやれ。それにしても、どうしてまたこう次から次と仕事が飛び込んでくるんだろうなあ。それも金融関係のでっかいのばっかり。不景気が世界に蔓延しつつあるんじゃないの?カレシは「ノーと言えばいいだろう」というけど、ごひいき筋にそんなつれないことができますかって。

アメリカで、重い腎臓病の奥さんに腎臓をひとつあげた夫が、奥さんの不倫で離婚することになって、「腎臓を返せ」と訴えていると話題になった。腎臓を返したら、新たに移植するか透析を続けない限り奥さんは死ぬ可能性がある。それでも「返せ」というのは、憎悪の感情には止めどがないとういことなのかな。ほんとうに、結婚て何なんだろう。だいたい、人間は何のために「結婚」するんだろうな。ワタシはてっきり「恋愛」の延長線上に「結婚」があるんだと思っていたけど、どうも必ずしもそうではないらしい。小町を見ていると、「恋愛と結婚は別」という意見がけっこう多い。結婚は「(自分の?)生活」なんだそうで、生活するにはお金がいる、だから相手の収入は重要な条件という流れになるらしい。まあ、恋愛と結婚が別ものだと思うから、並行処理ってこともありなんだろうなあ・・・

自分が生まれ育った国の人と結婚してもストレスが多いのに、小町に尽きることなく出てくるのが国際結婚女性の悩み。言葉の壁、文化の壁、人種の壁のせいで、何もかもいや・・・。「安易に国際結婚して後で泣く日本女性が多い」と言われても、たしかに「紅毛碧眼人と結婚して、外国暮らしをしたい」と「安易に」結婚する人もいるんだろうけど、「国内結婚」の方が、条件がいいとか、年齢的にもう次のチャンスがないとか、まるで「結婚」そのものが目的のようで、あんがい安易なところがありそうに見える。ふむ、だから恋愛と結婚は別なのか・・・

まあ、結婚が安易だったか周到だったかなんて、本人にしかわからないこと。「こんなはずじゃなかった」と泣いている人に「結婚する前にわからなかったの?」なんて言っても救いにはならない。マゾでもなければ、今どきの若い人は苦労するとわかっている結婚なんて初めっからしないでしょうが。小町にも「好きだけど、○○が・・・」と躊躇している人がけっこういるし。まあ、人生には、諸条件を検討して、周到に準備して、石橋を叩いて最善の決断をしたつもりでも、実際にやってみないとわからないことはごまんとあるから、その点では、うまく行かなくて失敗して泣いている人は少なくとも「やってみた」勇敢な人なんだと思う。

ワタシだって、いろんなことをとにかくやってみて、みごとに失敗して、満身創痍とまではいかなくても傷だらけ。だから、やってみる勇気のある人たちに共感するし、失敗してもそれを学習のチャンスにして次の成功につなげようとする人はえらいと思う。失敗は成功の元と言うけど、失敗してみて初めて成功したときの感動がわかるんじゃないのかな。いわゆる「負け組」というのは、自分の失敗から何も学ばずに他人のせいにしては同じ失敗を繰り返す「懲りない人たち」や、「マニュアル」と「保証書」が付いて来ないと不安で動けない臆病な人たちのことじゃないのかなと思うんだけど、人間の適応能力や学習能力は千差万別。結婚て何なんだろうという話からだいぶ反れたけど・・・

家なき人たち

1月9日。週末はずっと雨の予報。まだまだかなりの量が降るらしい。郊外のカレシの祖父母の養鶏農場があったチリワックというところでは浸水した家が何十戸もあって、肥やしなどに汚染されて、水が引いてもすぐには戻れないらしい。テレビニュースには、建物が湖の中の島のように孤立した中をカヌーを漕いで行く人の姿が映っていた。母なるフレーザー川流域のチリワックはメトロバンクーバーの胃袋を支える肥沃な農業地帯。土地が肥えているのは大昔から川が氾濫して栄養素を蓄積してきたからなんで、元から洪水の起きやすい低地なのだ。1948年の初夏(カレシの未来のお嫁さんが太平洋の向こうの日本で産声を上げて間がない頃)に起きた大洪水はカナダの歴史上2番目の規模(カナダ史上最大の洪水は同じフレーザーバレーで1894年)だったそうで、冠水面積は約200平方キロというから、東京23区の三分の一、大阪市なら9割が水浸しになったのと同じくらい。

カナダ統計局は今日、カナダの12月の失業率が6.6%になったと発表した。予想された通り、製造業が集中するオンタリオ州は7.2%、ケベック州は7.3%とアメリカ並みの水準になっている。BC州は5.3%でまだましな方か。全国最低のアルバータ州は高まっても4.1%というから羨ましい。失業が増える中で55才以上の雇用数が増えたそうだけど、同時に仕事を探す人も急増して、この年齢層の失業率は5.6%に跳ね上がった。でも、カナダは所帯を持つカップルの7割か8割が共働きで、両方がフルタイムの場合が多いから、二人揃って失業しない限りはなんとか不況を乗り切れるだろうと思う。

そんなふうに思うのは、日本で職を失い、住むところも失った派遣労働者の中に40代や50代の男性がかなりいるように見えたから。ふつうなら家庭を持っている年代なのに、ひとりぼっち。家族はどうしたんだろう。この人たちは結婚しなかったんだろうか。労働者の4割近くといわれる不安定な「非正規雇用」だったから結婚できなかったんだろうか。ふつうに結婚して子供もいたけど、会社が倒産したりして失業したために家族が離散してしまったんだろうか。生活できないからと奥さんに離婚されたんだろうか。転職、転職と軽く言うようになったけど、それはきっとホワイトカラーの世界の話じゃないのかな。一生懸命に働いて来て身の回りのものがバッグひとつに収まってしまう人生なんてさびしすぎる。

ちなみに、東京の隅田川河畔のホームレスの人たちに10年以上も毎週食事を配って来た慈善団体に東京都が中止命令を出したそうな。その理由というのがすごい。付近の学校に通学する子供たちが食事をもらいに来るホームレスと遭遇するのが心配だからという親たちからの苦情。まさか「臭いものには蓋」、「醜いものは見たくない」式の美意識が苦情を言わせているわけではないだろうなあ。だけどなあ・・・

ふところ具合、おなか具合

1月10日。え、また雪混じり?恐怖の白い粉だ、もう。予報は「高台ではみぞれも」と言っていたから、我が家はその「高台」になるわけか。そういえば、家から2ブロックも行けば急に「坂道」と言う感じになるけど、標高は50メートルもあるかなあ。まあ、でも白いものが混じった雨がぼたぼたと落ちてくるから、天気予報における「高台」ってことなんだろう。それにしても、よく降るなあ、この雨。さすがのバンクーバーっ子も、3週間も雪と悪戦苦闘したのを忘れたかのようにうんざりした顔だから、げんきんなもの。

今日はほぼ1ヵ月ぶりにディナーにおでかけ。大雪に閉じ込められて、レストランもお客が来れなくなってかなりの被害を受けたらしい。なにしろ、除雪されて車が通れる状態になってもその車を止めるところが雪に埋まったままだからどうにもならない。周辺の住人が長靴で歩いて行けるカフェのようなところはいいかもしれないけど、ドレスアップして行くようなところはすぐ前で降りてヴァレに後を任せることさえままならないから、みんな窓の外を見て、ダメだ、やめとこ・・・。

まあ、久しぶりのおかげかいつもより気分をわくわくさせながら東条さんのところへ出かけた。最近はとみにサーバーの質が向上したように思う。値段が高い分おそらく時給も高めだろうから、ワーホリを使うにしても厳選できるのかもしれない。物腰から見てローカルではないとわかる人とでも、英語で普通に客とサーバーの「おしゃべり」が成り立つから妙に異国にいる気がしなくていい。カレシはサービスが「unctuousだ」と評するけど、日本料理店で根っからの日本人が根っからの日本式でやっているんだからってことでいいじゃないの。

いつもの「おまかせ」を頼んで、フロアを仕切っているらしい、着物姿の陽気なアヤコさんに「and up」のレベルになると皿数が増えるのか食材の質が上がるのか聞いてみたら、「両方よ」という返事。つまり、皿数が決まっていなくて、寿司屋のカウンターのように満腹になったらお勘定ということらしい。いつか懐具合がうんとご機嫌なときに試してみたいもんだ。アヤコさんはまた「前も同じおまかせだったでしょ」と来る。何度同じでもおいしいと思うからちっともかまわないんだけど、どうやら内容が同じだと文句を言う人がいるらしい。よそのくるくる変わる「お味見メニュー」に慣れてしまったからかなあ。結局は、シェフに違うものを作ってもらったようで、特にナミガイの手巻きは絶品。生で食べたのは初めてだけど、こりこりした歯ごたえが何とも言えなかった。うん、やっぱりおいしいものを食べるとおなかも心もハッピー。ああ、満足、満足・・・。

英語のニュースサイトにオーストラリア政府から勲章をもらったという日本人シェフの話が載っていて、調べてみたら、値段はお高いけど「せっかくだから」と思い切れなくはないレベル。予約が1ヵ月前にはいっぱいになるとあって、カレシがさっそくシドニーまで電話してみたら、予約受付の専門部署があって日中のビジネス時間しか開いていないというのでびっくり。「なんだか鼻がどえらいほうに向いてるなあ、ここ」とカレシ。まあ、世界のベストレストラン50店とかに入っているというから、そんなもんなんじゃないの?やめとくか?うん、やめとこ・・・

半径5メートルの陰陽論

1月11日。まあまあの日曜日。適当にサボっているうちに、また仕事がだんだん詰まってきた。日本はまたハッピーマンデーとやら言う三連休ということで、いつもの週末仕事と違って1日余裕があるから、その分だけよけいに「まだ大丈夫」という気分になってしまうんだろうなあ。考えてみたら、前回燃え尽きてしまってから10年。まあ、このだらけ気分が一種の燃え尽き症候群だとしても、日常はけっこう平穏で、精神的なプレッシャーは特に感じないほど低くなっているから、まあ、納期さえすっぽかさなければ、気にすることはないか。

読売新聞のサイトに失業した派遣労働者たちの再就職が「心の壁」で難航している場合があるとう記事があった。求人倍率の高い業種はけっこうあるのに、今までと同じ業種にこだわる人がけっこういるらしい。選ばなければ仕事はあるはず・・・そうなんだけど、現実はそんな簡単なものじゃないだろうなあ。日本には「年齢主義」がまだ厳然としているし、資格や経験がなければできない仕事もあるし、人間の性向はそれぞれだから得手、不得手というものもある。特に失敗に寛容でない社会であればなおさらのこと、未知の業種に踏み込むのは躊躇われるかもしれない。数字だけを見て「選り好みをするな」と叱咤するのは簡単だけど、そういう人たちは、もしも自分が失業したら選り好みをせずに何でもやるよ!と断言できるのかなあ。

ネットだの何だのでいわゆる「ジョーホー」が玉石混交で溢れかえっていることへの反動なのかもしれないけど、どうもこの頃は「自分の認識=世間の常識」という思い込みの強い人間が増えているような気がする。なんでも今「半径5メートル」という言葉がはやっているそうで、主婦の日常をテーマにした歌に始まったらしい。半径5メートル「以内」がその人の宇宙だとしたら、なんだか萎縮したようで、宇宙は果てしなく広いのになあと思ってしまう。だけど、それはワタシがそう思うだけかもしれなくて、ひょっとしたら自分の五感で直接確認できる範囲の宇宙が快いということかもしれない。

この宇宙はあらゆるものがダイコトミーなんだとワタシは考える。東洋の陰陽の思想もそうだけど、何にでも2つの面があって、だけども宇宙の中にいて、外から客観的に見ることができなければどっち側が表でどっち側が裏かなんてことはわからない。でも、裏がなければ表は存在しないし、逆もしかり。でも、いつのまにか陰=悪、陽=善という思想にすりかわってしまったようなのはどうしてだろう。陰陽では「過去に向かう精神性」が陽で、「未来へ向かう精神性」は陰ということになっているから、そのまま善悪論に置き換えると、「過去」と取り組むことが良いことで、「前向きであること」は好ましくないということになって、「過去のことは水に流して忘れる」思考とは相容れなくなるんじゃないのかなあ。

たしかに「善と悪」は明快でわかりやすい区分だろうけど、陰陽を表す太極図の白と黒の境界線は直線じゃないし、白の中には黒い点があり、黒の中には白い点がある。絶対的な白も黒もないから、自己の人生哲学(価値観)に基づいて最善と思われる判断をするしかない。ふむ、よせばいいのに、軽率なイヴと軽薄なアダムが知恵のりんごを食べたてしまったばっかりに、人間として生きることがなんとややこしいことになってしまったことか・・・

冗漫は枝葉末節尾ひれつき

1月12日。雪もほとんど消えて、4週間ぶりにシーラとヴァルが掃除に来てくれた。前回は、まだ道路には雪道に深いわだちができていたし、路上駐車は無理ということで、「臨時休業」にしてもらったから、ものぐさな極楽とんぼ夫婦の家はきっと2倍の汚れだっただろう。(とんぼは仕事をして、食べて飲んで、寝るだけの毎日だった・・・はホントかなあ)

雨の方もやっと降り止めになったのか、今週の天気予報はお日様マーク。気温は9度くらいまで上がるらしい。地面も何もとにかくいったん乾かさなくちゃね。夕方になってまた霧が出てきて、その中でしとしとと霧雨。外へ出ると、肌寒いのにじと~っとした感じがする。湿度は93.3%だから、この前の100%のときには、空中でげんこつを作ったら水が滴り落ちてきたかも。日本の梅雨の季節の湿度が100%あるのかどうかはわからない。だけど、あったとしても、気温がうんと高いときと、やっとプラスの時とでは肌での感じ方は違うだろうな。家の中は暖房が入って乾燥がちだから、加湿器代わりにちょうどいいのかもしれないけど。

ひと仕事やっつけて送ったら、「ファイルが1個抜けてま~す」。あちゃ、見落とし。半ページ程度だったのでその場で処理できたからいいけど、これ「senior moment(ちょいボケ)」じゃないだろうな。ふむ、なんか先が思いやられるなあ。猛ダッシュで片づけて送り出したと思ったら、今度は別方向から「追加で~す」。あちゃ、こっちのファイルはどんどんでかくなる。そんなになんだかんだとだらだら書き足すなよ~。ほら、「簡潔は機知の真髄、冗漫は枝葉末節よけいな飾り」というでしょうが。大臣のポローニアスがハムレットのママに「若殿は気が触れておじゃりまする」と言ったときの前置きのせりふだけど、ええっと、誰の話をしていたんだっけ・・・?

忙しくしなければならないときにいつも大賑わいの小町を通りかかってしまうと、おもしろすぎてつい仕事そっちのけで井戸端に座り込んでしまうから困る。「私の周りにはそんな人いません」という、「ありえない」の変形と思われる表現が出てくると、「おいおい、トピ主はいるっていってるじゃん」。某元総理大臣の「私はあなたとは違うんです」の変形のようでもある。人さまの悩みをおもしろがるのは良くないことだけど、だいたいが「なんでそれが悩みなの?」と言いたいような、あまり考えなくても答が出そうな「悩み」が多いから、青空スタンドから野次を飛ばしても実害はなさそう。それにしても、狭苦しそうなネット裏には思い込みと思い入れが人一倍強そうな人たちが大勢いて、監督になった気分で指示を飛ばしているのに、風通しも見通しもいい青空スタンドはなぜかいつもガラガラの感じなのはどうしてだろう。

ん、仕事のほう、どうなってんの・・・?

極楽とんぼ亭和風ツナステーキ

1月13日。カレンダーを見ただけで頭痛がしそうな仕事の積みあがりよう。 こんなときはカレシの英語教室のスケジュールとすり合わせするのもおっくうになることだってある。

それでも、せっかく前の夜にカレシがオヒョウを使ってセヴィチェに挑戦したもので、こっちも解凍も調理も簡単な魚介類を、ということになってキハダマグロのステーキにした。

刻んだしょうがとネギを醤油とお酒にまぜて、ステーキの焼き上がり直前にかけまわした。 残っていたひとかけの大根をおろして、ソースの塩気抜き。 生しいたけはステーキの横でいっしょに焼いてしまった。 こういう「和風」は手間も時間もかからないからいたって楽。

カレシには初挑戦の魚の扱い。 オヒョウをトレイから取り出したら、「紙がくっついていて取れない」という。 吸水紙は表面はビニールだからそんなはずはないと思って見たら、それは「魚の皮」よ、あなた。 剥がした方がいいかとテープでも剥がすような調子で聞くから、皮を下にしてナイフを入れて剥がしたらいいよと指導したのに、小さなペアリングナイフで皮を引っ張りながらこしょこしょ。 なるほど、そういう手もあったか・・・。

 オヒョウを漬け汁から取り出して、レシピに「よぶんの漬け汁を取り除いて、ソースにfold inする」とあるけど、どうすることかと聞くから、さくさくとすきこむように混ぜるのと言ったら、「ソースが緩んでしまわないかなあ」と。 あの、余分の漬け汁を落としたオヒョウをソースにさっくり混ぜ込むって書いてあるんじゃない?カレシは説明を読み直して「あ、そうだ」。あのねえ、英語ってあなたの母語じゃなかったの~?

まあ、多少の紆余曲折はあったものの、できあがったセヴィチェはトマト味に適度のスパイスが効いていておいしかった。カレシはご機嫌で教室へでかけて、めでたし、めでたし。

ご当地英語

1月14日。久しぶりに「晴れ時々曇り」のマークがずらり。てんわわんやだった「冬狂想曲」も、芝生のそこここに残った薄汚れた雪の塊が名残をとどめるだけ。神さま、どうかこのまま春になりますように。夕べはかなりの濃霧だった。水曜日は飲料水の配達の日だからと、空きボトルをゲートのところへ置きに行ったら、なにやら肩をトントン。思わず背筋がぞぞ~っ。だって、顔の周りに見える霧が新しいLED街灯の色でなんとも不気味に見えるんだもの。おまけに午前3時。でも、落ち着いてよ~く見たら庭のレンギョウの枝。この季節、葉がついていないから骸骨の指みたい。おい、ハロウィンじゃないんだからさっ。

どんどん大きくなっていたファイル、追加ごとに文字の色が違ってレインボーカラー。原稿を書いたのは複数の人たちらしいけど、う~ん、この人たちの思考もレインボーカラー。日本語はSOV言語だから、結論が最後に来るのはしかたがないとしても、そこに到達するまでにあまりあっちこっちと寄り道されると、SVO言語で考えているこっちは息切れがする。いつものステップでは、最初の名詞を主語と見て訳しておいて、次に末尾の結論の部分を訳し、それから間にごちゃごちゃと詰め込まれた情報を整理するけど、あれもこれもとにかく詰め込む人が多くて、こっちは迷子にならないのが精一杯。迷宮の中で切り口の主語が結論の主語でなくなってしまったら、振り出しに戻るしかない。はあ、なんだかすごろくをやっているような感じだなあ、これ。

レインボーファイルを片づけたのは期限の30分前。その前の前にやった別のところのファイルがチェックを終えて戻ってきた。フィードバックはありがたいんだけど、本原稿の日本語への思い入れが強いのか、関係代名詞を「~であるところの」と訳し込んだ文部省英語とまではいかなくても、日本語が透けて見える「翻訳調」に変身していたりする。それも、英語しか読めないカレシが「何だ、これ?」というのから、「言ってることはわかるけどなあ」というのまで、まさに十人十色。もっとも、日本語の表現に忠実に訳すか、原文の意を汲んで英語らしい表現で書くかは諸説紛々で、翻訳とんぼとしては、日本語訳に「日本語らしさ」を求めるのであれば、英語訳に「英語らしさ」を求めてしかるべきだろうと思う。

でも、チェックするのは日本に住んでいて、日本語で考えて、日本語をしゃべっている日本人だから、「英語らしさ」まで考えていなくてもしょうがない。だけど、日本語の情報を英語に訳すのは、その情報を日本人が英語で読むためじゃなくて、日本語を知らない英語人に読んでもらうのが目的じゃないのかなあ。まあ、たとえ、ない時間を費やして説明して理解されても、どうせ発注元の「英語ができる人」が、「この翻訳者、英語がわかってないなあ」とぼやきつつ、日本語らしく「修正」するんだろうな。最終稿が納品されて契約が完結した後は「どうぞお好きなように(自己責任でね)」がとんぼの基本方針だけど、日本人の「英語」への思い込みは想像以上に凄まじいものがあるらしい。もっとも、英語ってのはまるで軟体動物のような不思議な言語で、広まった先々で「ご当地英語」に変身するらしいから、「日本英語」があってもおかしくないか・・・

霧の中の極楽とんぼ

1月15日。相変わらず日が暮れると霧がじわじわと濃くなるなあ。バンクーバーの上空は大気の流れが悪くなって、上空と地上で温度が逆転する現象が起きているんだそうな。うちのあたりは日中でもプラス5度がやっとなのに、ノースショアの標高約千メートルレベルのスキー場などでは15度もあって、暑いからと半袖姿になっている人たちもいる。高台から撮った写真を見ると、ホイップクリームのようなふわりとした白い霧から木々や高層ビルが頭をのぞかせていて、「絵のようだ」としかいいようのない、なんとも幻想的な風景。霧の中で育ったワタシはちょぴり原風景への郷愁みたいなものも感じてしまうから、やっぱり霧が好きなんだなあ。(そういえば、子供の頃に「霧の中のジョニー」というヒット曲があった。「Johnny remember me」という女の声がまるで遠く霧の中にいるみたいに聞こえる、あれ・・・)

ベッドの中に8時間はいるのになんだか寝たりないような、頭が重いような感じで起きて、それでも今日中が期限の仕事の仕上げにかかった。日本は金曜日だから、夜中を乗り切れば日本は週末の安全圏。今週はぶっ通しで極端にうねうねと回りくどくて、いつまでも「。」にたどり着けない文書と格闘して来たもので、脳みそがぐしゃぐしゃになっているのかもしれない。眼精疲労のひんがら目と液状化した脳みそ・・・うは~。

時計をにらみながらキーを叩き、電子レンジでちゃっちゃと作った思いつきミートローフをカレシに食べさせて英語教室に送り出し、またキーボードも壊れんばかりにキーを叩いて、ぎりぎりに送り出してため息ひとつ、と思ったのも束の間。ふと思いついて調べてみたら、マニラは東京より1時間早い時間帯ではないか。あちゃあ、1時間遅れだった。まいったなあ、ほんと。でも、校正者が鉛筆削って待っている翻訳会社と違って、先はメーカーだからかなり大目に見てくれるのでありがたい。それにしても、あっちこっちとてんでに時差が違うところの人たちと仕事をしていると、体内時計まで狂ってしまいそうな気がするなあ、ホントに。

ニューヨークのハドソン川に不時着した旅客機。パイロットの腕のすごさのおかげとしかいいようがない。相当のスピードで降りてきて、降下角度が少しでも鋭角だったら頭から水中に突っ込む危険だってあったのに、まるでミズスマシみたいな華麗な着陸。空軍時代から合わせて40年も飛んでいると言うこの機長には最高の勲章をあげても足りないな。水上の離着陸は15年くらい前に出張通訳にでかけて2度経験した。乗ったのは林業会社が持っていた、なんと1942年製というグラマングース。でかいプロペラエンジンを2基おでこにつけたような飛行艇で、いかにも重たそうなしろもの。離陸用の水路に下りたとたんにドッボンと窓の上まで沈んだのに肝を潰したけど、細長い湖の真ん中に着水したときは、一瞬潜水艦に乗っているのかと思ったくらい深く沈んで、そえrからすい~っと浮き上がった。こういう冒険的な思い出はいいんだけど、不時着なんて怖い思い出は誰だってほしくないよなあ。でも、乗員乗客が全員無事でほんっとに良かった。機長に拍手!