リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年12月~その3

2009年12月31日 | 昔語り(2006~2013)
冬至、オフィシャルに冬到来

12月21日。今日がほんとの月曜日。普通の時間に起きてみたら、なんだか外が騒々しい。いや、機械の轟音や車の音じゃなくて、ハイピッチなジャージャーという感じの音。なにごとかと窓から外をのぞいたら、は?いったい何羽いるやら、小鳥の大群。見える限りの電線にずらりと並んで占拠したかと思えば、葉の落ちた大木を丸々占拠したり、かと思えばうだぁ~っと舞い降りてきて、歩道の芝生が鳥だらけ。雨続きの後で地表に出て来る虫を狙っているらしいけど、数が半端じゃないから、(市道のだから別にいいけど)芝生はくちばしでつつき回されてぼこぼこ。なにしろ、ものすごい大群がぎゃあぎゃあと大騒ぎしながら、かもめが通ったといえばいっせいに飛び立ち、からすが近くに来たといえばいっせいに大移動するから、まるで昔のヒッチコック映画さながら。この鳥、実は昔、昔に日本から持ち込まれて居ついたというJapanese starling(ムクドリ)。茶系統のまだら模様の冬装束になっている。それにしても、こんな大群に家の周りを飛ばれると、やっぱりちょっとヒッチコッキアン・・・。

今日は冬至。北米ではこの日が公式に「冬初日」ということになる。ヨーロッパも北米東部もまさに「冬到来!」という感じ。積雪量が28センチというニューヨークのタイムススクエアでは大雪合戦が起きたそうで、映像を見たらみんな楽しそうにわいわい、きゃあきゃあと雪玉を投げ合っていて、さっそく飛び入りしたくなるような風景だった。(騒動にならないうちに収拾を、と銃を振り回した無粋な警官がいたらしいけども。)記録的な大雪でクリスマスショッピングに繰り出せなくなって、オンラインショッピングが急増したそうな。だけど、自分たちが買い物に車を出せない大雪なんだから、注文品の配達車だって来れないんじゃないかとは思わなかったのかなあ。バンクーバーでだって去年は郵便も水も配達がストップしたもん。

冬至のバンクーバーの日の出は午前8時5分、日の入りは午後4時16分。明日からは夕暮れがどんどん遅くなる。なんせ、起きるのが正午前後だもので、今の季節、一日の活動を始めたと思ったらすぐに暗くなってしまうから、我が家の「昼間」は実質的にせいぜい4時間ということになる。まあ、もぐら生活では別に支障があるわけじゃないけど、やっぱり気分的に急かされるように感じるな。カレシはバンクーバーっ子だし、ワタシは日照時間が少ない最果ての霧の町の生まれ育ちだから、二人とも雨や曇りの日が多くて日が差さない冬が「あたりまえ」の感覚になっているらしいけど、南国の人や年中普通に太陽の光を浴びて育った人たちにはゆううつ極まりない季節だろうな。ロッキーの向こう側から来て、ひと冬過ごしただけでホームシックになって引き上げてしま人たちも多い。バンクーバーっ子は、えっ、なんであんなに雪が降って、ガチガチに凍って寒いところが恋しいの?と突っ込むんだけど。

週間予報によると、クリスマスが終わるまでずっと晴天。晴れれば夜の気温が下がり、冷え込んでくれば、低気圧が来たときにはまず雪が降る。その後で気温が上がって解けるかどうかが問題・・・。

同じ日に吉報と悲報と・・・

12月22日。まあまあの天気だけど、ちょっと寒い。カレシが今夜の授業の準備で忙しいと言うので、ワタシが1人で地下鉄に乗ってHマートへ。今日はニューヨークのセントラルパークで買ったトートバッグ。ベルクロで口を閉じられるし、ストラップが長いから袈裟懸けにできる。開通してから4ヵ月とちょっとの地下鉄は、わりと利用されている感じ。今日の行く先は6つ目の「シティセンター」。降りると、左はパシフィックセンターモール、右はバンクーバーセンターへ直結。その間のエスカレータで地上へ出ると、我が家の銀行のすぐ前で、Hマートまではほんの3ブロックほど。ぶなしめじやまいたけ、ししとう、さんま、海藻のサラダを買い、ついでにふと目に付いた超ミニサイズの竹の蒸し器を2つ。(少なくとも4個は欲しかったんだけど、棚には2個しかなかった・・・。)

ゆっくり買い物をして、ビルの上の時計を見たら2時40分。切符の有効期限は午後3時だから、そのまま同じ切符でUターン。交通警察の人が2人並んで切符のチェックをしていたけど、ヒラヒラさせて通っただけで、詳しくは調べていない。ちょっとした買い物だったら、2ドル45セントの1ゾーンの切符1枚で往復できるからいい。帰りは少し込んでいて立ちん坊だったけど、アジア人が多いし、黙々とブラックベリーをいじっている人もいて、なんとなく東京の電車みたい。(交通機関はけっこうどこへ行っても似たり寄ったりに見えるんだけど。)違っているのは「人間観察」をやっていて目が合っても怖い顔で睨まれないことかな。東京では「何を見てんのよ、あんた」とでも怒鳴られそうな顔をされてびっくりしたけど、こっちではちょこっとスマイルしたりもするから、わりと気軽にきょろきょろ。

ワタシとしてはオリンピックの恩恵はこれくらいのもんだと思うけど、便利になって助かることはたしかだな。今は市が沿線の総合再開発計画を立案中だそうだし、オークリッジモールも大々的に再開発するそうだから、10年先はこのあたりはきっとコンドミニアムやタウンハウスが並んで、様変わりだろうな。あんがい、年をとっても、30年住み慣れた区域を離れなくてもいいかもしれない。エレベータでモールのスーパーへ買い物、モールと直結した地下鉄でダウンタウンまでちょっとおでかけ・・・20年先のワタシはこんな風な老後を過ごしているかもしれないなあ。

日本在住の同業者から「赤ちゃん誕生」のお知らせ。サンタからのすばらしいクリスマスプレゼント。「2人ともてんてこ舞いで~す」というけど、たぶん夫婦揃って40を過ぎていると思うから、きっと待ちに待った赤ちゃんなんだろうな。2人とも同業の在宅稼業だから、これからは交代で子育てをしながら一緒に仕事、ということになるんだろうけど、大変そう。このまま日本で日本人として育てるのか、いつかはカナダに戻って来てカナダ人として育てるのか。子供というかすがいができた今、国際結婚の悩みも出て来るんだろうな。だけどまあ、ママがきれいな人だから、赤ちゃんもきっと美人になるだろうと思うよ。早く写真を送ってくれないかなあ・・・。

小学校時代の友達から今年もまたカードと一緒に便り。娘婿が30代前半の若さで急死して、娘はまだ30才にもならないのに未亡人になってしまったという。結婚式の話を聞いたのはついこの間のような気がする。月日が経って大人の女性に成長しただけど、「こんな形での成長はかわいそう」と。突然に夫を失って悲嘆にくれている娘を支えることが母親としてどんなにつらかったことか。周囲の友だちが婚活だ恋愛だと浮かれているであろう年頃で夫と死別してしまった娘さんはもっともっと悲しくてつらい。手紙を読んでいて、なんだか彼女の娘さんを抱きしめて「つらいよね、つらいよね」と背中をさすってあげたい衝動に駆られて、もらい泣きしてしまった。でも、こればかりは歳月に任せるしかないんだろうと思う。

倒れてそのまま亡くなったらしく、原因は不明というけれど、どうも過労死に近い状態だったような書き方になっている。手紙の書き出しには、今年は不況や新インフル、政権交代でも何も変わらないもどかしさで、「希望の見えない、イライラの募る日々」だったと書いてある。夜遅くまで働きづめに働いて、くつろいで翌日の鋭気を養うところであるはずの家は束の間の「仮眠」を取るだけになっているような毎日なのに、ちっとも暮らしが良くならないのはおかしい、とみんなが思っているんだろうな。でも、何かがどこかでおかしくなったんなら、それを突き止めて正さなければどんどん悪くならないのかな。人をそれぞれに夢や希望やニーズを持った人間として大切にしない国はいずれ自滅するかもしれない。みんながイライラしているのはわかるんだけど、外から見ていると、なぜか国家や社会としての危機感が伝わって来ない。「しっかりしろ」といったい誰をどやしつけたらいいのか・・・。

クリスマスにたどり着いた!

12月23日。なんだか寒くなって来た。どうやら2009年最後になりそうな仕事を送り出して、掃除の終わったシーラとヴァルにクリスマスボーナスを渡して、ワインとチーズで1年間の「謝恩会」。わいわいとおしゃべりに花を咲かせているうちに、白しか飲まないヴァルは「ちょうどよく冷えているから」と冷蔵庫に半分残っていたトロンテスを1人で空っぽにし、カレシと(運転手役の)シーラとワタシの3人で赤のジンファンデルを1本空けてしまった。ヴァルの夫氏のリッチから「夕食のしたくを始めたぞ」という電話があってお開き。リッチはバスの運転手で、今日はスカイトレインが故障で一時不通になったために代替バスの運転で超過勤務だったらしい。そういえば今日はダウンタウンの真ん中で、地下の配電設備でマンホールのふたが吹っ飛ぶほどの爆発事故があって、すごい交通渋滞だったらしい。

次はカレシの英語教室のクリスマスパーティ。今年のクラスの出身地は中国、ベトナム、タイ、アフガニスタン、日本、といろいろ。それぞれの得意料理を持ち寄ってのポットラックパーティ。中国系の生徒のひとりはマカオの出身だそうで、ポルトガルの影響なのか何となくラテン風の社交的な雰囲気があった。故国では裁判官だったというアフガニスタン出身の初老の男性はいかにも教養の高そうな物腰。夜のシフトで受付のアルバイトをやっている十代のお嬢さんがお母さんが作ったと言うアフガン料理を「国の習慣です」とテーブルを回ってみんなに勧めていた。アーモンドとサフランとカルダモンで炊いたとろりとした甘いご飯はすごくおいしくて、食いしん坊のワタシは2度もお代わりをしてしまった。これくらい言語の違う人たちが集まると、やっぱりみんないっしょうけんめいに英語でおしゃべり。どうやらカレシは元々英語が母国語でないワタシをしょっちゅう引き合いに出して、「しり込みしないで、とにかく英語をしゃべること」と生徒さんたちに教え込んでいるらしい。まあ、たしかに、文法の知識よりも、発音の良さよりも、何よりもそれが一番のコツだと思うけど。

帰ってきて、こんどは来年の会議でワタシがやるプレゼンの概要とワタシの略歴を仕上げて、運営委員会に送った。いろいろと考えたあげく、『職住を隔てる20秒』みたいなタイトルになったけど、独立してちょうど満20年だし、在宅フリーランス稼業をビジネス経営の観点から一席ぶってみることにした。後進に伝えるというのは大げさだとしても、ワタシの20年を振り返りつつ、個人事業の経営者として学んできたことを話せば、ひとつやふたつ若い人たちの参考になることがあるかもしれない。長いことけっこう稼がせてもらったから、それなりのお返しを、というところ。ふむ、ワタシもやっぱりそういう年になったってことだよなあ、考えたら。

ま、これで今年もしゃかりきになって犬かきをしているうちに、やっと何とかクリスマスにたどり着いたと言う感じがする。う~ん、まだ何か忘れてなければいいんだけどなあ・・・

何とかセーフ、クリスマスイブ

12月24日。大雪に閉じ込められた去年とはうって変わって、ちょっと寒いけど好天のクリスマスイブ。カレシは今日から新年の5日まで英語教室は休み。やりたいことのリストがどんどん長くなる。ワタシは日本がそろそろ仕事納めということで、おきみやげ仕事が2つほどあるけど、仕事始めまではこれ以上仕事が増える懸念はなし。二人してゆっくり、のんびり、ぬくぬくと冬眠・・・。

といってもこの「冬眠」、巣ごもりして、食っちゃ寝、飲んじゃ寝、ということで先立つものは食料。魚や肉はたっぷりあっても、野菜や果物類の在庫はほぼ空っぽだから、どこへ行っても混込んでいることを承知でひとっ走り。モールの外に路上駐車して、大きなトートバッグを3つ携えて、それ行け。うん、ほんとに人が多い。買い物袋を両手にいっぱいで、今日が最後の駆け込みショッピングというところ。サンタのスタジオには写真を撮る順番を待つ親子の長い行列。(スタジオは11月からオープンしていたんだけどなあ・・・。)待ちくたびれたのか、ママに抱かれて眠ってしまった子もいる。毎年の見慣れた光景ではあるけど、通りがかりのワタシのほっぺたは緩みっぱなし。

野菜と果物をトートバッグ2つにぎっしりと買い込んで道路向こうの車に運び、モールに引き返して、今度はスーパーへ。こっちは紙ナプキンやら食洗機の洗剤やらの日用品と、衝動買いの食材少々。(ロブスターの尻尾を買ったはいいけど、はて、どうする?)モールの外へ出たら、まだ午後3時を過ぎたばかりというのに、道路はラッシュで平日の夕方よりも混んでいる。勤めていた頃にもそうだった。イブの朝はみんないの一番に「今日は何時に帰っていいの」と聞いて回る。あくまでも非公式だから、2時頃から帰り始める人が出て、3時にはほとんどが退社。がらんとしたオフィスに残っているのはクリスマスを過ごす当てのない人たちや宗教が違って祝わない人たち・・・。

まあ、我が家の駆け込みショッピングも無事完了したし、クリスマスツリーの下に包んだプレゼントを置いたし、ワインも冷えて来たし、どうやら冬眠の準備ができたところで、マティニタイム・・・。

今年も穏やかに、クリスマス

12月25日。クリスマス。いいお天気。外は信じられないくらいに静か。普通に正午あたりに起き出して、普通に朝食を済ませて、普通にプレゼントを開ける。まあ、今年はそれぞれひとつずつとカード。ワタシからのカードは前々クリスマス的じゃなくて、ふかふかのじゅうたんの上で白と黒の2匹のにゃんこが重なり合って、気持よさそうにめをつぶっているデザイン。プレゼントは大学講義のCD8枚セットの『ジャズの要素』。ジャズに関心を持ち始めて、凝りだしたら止まらないカレシのことだから、ちょうど有意義なタイミングだろうと思った。春になったらMP3に移して、庭仕事をしながら聞けるし。

カレシからのカードは何と言うか「ボクたちって割れ鍋にとじ蓋だねえ」といった感じのユーモアカード。「その通りだよね」と手書きで添えてあった。あはは、そうそう、だんだんにそんな感じになってきたよねえ。プレゼントは軽いけど大きな箱。小包が届いたときから、思わせぶり~に「あのさあ、ちょっとクリスマスっぽいもんなんで、早めにあげた方がいいかなあと思うんだけど、やっぱり早すぎても何だよなあ・・・」みたいに、やたらと思わせぶりに予告にもならない予告をしていたカレシ。包み紙を剥がしたら、あら、ダンボール箱のまま。開けたら、別に木箱が入っていて、「Christmas Carol」って書いてあるけど。そっか、クリスマスっぽいよね、なんて思いつつそうっと開けてみたら、おおぉぉ! Inge-Glasのクリスマス飾り。[写真]

子供の頃のクリスマスツリーを思い出すような、懐かしい雰囲気がある。もちろんInge-Glasのものがあったわけじゃないけど、プラスチックの前の世代だから、手で色付けをしたようなガラスの飾りがけっこうあった。そのせいかもしれないけど、ワタシはちょっとノスタルジックなクリスマス飾りに目がないのだ。ディケンズの名作『クリスマスキャロル』をテーマにしたセットなもので、箱の中の8個の飾りは、主人公のスクルージを始め、タイニーティム、ボブ・クラチットと奥さん、マーリーの幽霊、そしてもちろん過去・現在・未来のクリスマスの精。うわあぁぁぁぁ、もう来年のクリスマスが待ち遠しい・・・。

午後5時ごろにまずマティニで乾杯して食べ始めたディナー。前菜のうちはイタリアのロゼのプロセッコを飲みながら、海のものの小皿料理をあれこれ。テレビはやめにして、ワタシの秘蔵の『くるみ割り人形』のビデオを見る。PBSの放送を録画したのは、ソビエト体制が崩壊する前だった。当時レニングラード(今はSt. Petersburg・・・カタカナでなんて言う?)のマリインスキー劇場で上演された名作はセットの隅々まで豪華できらびやかで、これ以上の華やかなクリスマスはないと思うくらいにすばらしい『くるみ割り人形』で、何度見てもうっとりして、ため息の連続・・・。

バレエのあとは、バッハの「トッカータとフーガ」で始まるディズニーの『ファンタジア』。人気一番のミッキーマウスの「魔法使いの弟子」も楽しいけど、ワタシが一番好きなのは最後の「はげ山の一夜」から「アヴェマリア」につながって、粛々と終わる部分。いつか「アヴェマリア」をおなかの底から歌ってみたい。ステンドグラスが天へ、天へとそびえる聖堂で、自分だけのアヴェマリアを歌いたい。そんな気持になるたびに、ああ、ワタシは本質的にクリスチャンなんだなあと思う。もっとも、ワタシはキリスト教に限らず盲目的な崇拝を押し付ける階級組織化した宗教は肌に合わないから、ワタシにとっては、「天にいます神」はワタシの「良心」を導く存在であって、キリストその人はその延長線上にあるに過ぎないと言った方がいいかもしれない。中世に生まれていたら異端者として火あぶりになったり、魔女狩りに遭っていたかもしれないな。まあ、ワタシは何かにつけて「異端」なところがあって、ちっとも矯正されないから、現在でも未来でも、そういう運命にあるのかもしれないけど。

今年も二人だけの穏やかな楽しいクリスマスが過ぎた。世界が平和であればいい。平和を願うのはたやすい。だけど、だけど、その平和のためには、異なるものの存在を目の前から抹消しようとするものや人間がひとりの人間としての人生を享受する権利を否定しようとするものの暴力から自らの存在を守るためには、戦わねばならないときもあるのだ。生きるに時があり、死ぬるに時があり・・・そして、戦いのときがあり、平和のときがあり。要するに、神様は人それぞれの心の中に思い思いの形で存在するものだと、ワタシは信じている。God bless everyone!

外は霧、世の中は五里霧中

12月26日。親のいる家族はみんな親のところに集まってクリスマスのディナーを囲むのか、近所は車の動きもないくらいに静かな1日だったけど、クリスマスの夜は濃霧の中。今頃の時期は相対湿度100%になって、風がないとじわ~っと濃い霧がかかる。山の上から見たらすごく幻想的な夜景だったかもしれないなあ。

きのうはずいぶんいろいろと食べたもんだけど、いいクリスマスだった。カレシも「グッドディナーだったなあ」としきりに賞賛。(チップをたくさん置いてってねぇ・・・。)マティニとワイン2本とリキュールはちょっとばかり飲みすぎだけど、うまいぐあいに満腹になっても食べすぎの感じはしなかったから、まずは成功。今日はどこの家でも残った七面鳥との格闘の始まりかな。二人だけだと、1週間も七面鳥の繰り回しメニューになって、しまいには見るのも嫌になる。まあ、年に何度もないから、毎年それをやっていられるんだろうけど。極楽とんぼ亭ではミニのかにコロッケが4個と、オリーブ、椰子の芯、海藻サラダくらいの残りもの。コロッケを揚げて、普通の魚料理に添えて、オリーブと椰子はサラダにぱらぱらで片付いた。さて、大晦日はどうしようかなあ・・・。

今日はボクシングデイで2日連続の祝日。クリスマス商戦の残りものの一掃大安売りセールの日で、エレクトロニクスの店には夜明け前から行列ができる。今年は不況で仕入を控えたところが多くて、目玉にするほどの量がないのか、いつもほどの安売りではなかったらしい。我が家のスチーマーは加熱用のヘッドにさびが出てきて買い替え時。別に安売りを狙うような商品じゃないけど、ま、週が明けたら、ぼちぼち探しに行こうか。オフィスにおいてあるウォータークーラーは水漏れがするようになった。クリスマスというとこういうことが起きるんだけど、水の会社はたぶん火曜日までやっていないだろうな。もう十何年も使っているから取替え時。いっそ新しいのを買い切りにしようかなあ。

デトロイトに接近中の飛行機の中でテロ騒ぎがあって、空港でのチェックが強化された。乗客は全員しっかりボディチェックされるそうな。ニューヨークへ行くときにワタシがバンクーバー空港で訓練生の実習に引っかかったあれだろうな。監督のおじさんが「マッサージだと思ってね」という通り、若い女性の訓練生が頭のてっぺんから足の先まで念入りにタッチ。シャツの襟や裾、袖口、パンツの裾の裏側までひっくり返して、縫い目を指先でなぞっていた。ワタシは陽気なメタボの監督さんと軽口をたたきながら、マッサージされていたけど、たぶん5分以上はかかったと思う。あれをアメリカ行きの乗客全員にやるとなると、いったいどれだけの時間がかかるやら・・・。アメリカが、西洋が、誰が気に食わないからって、やたらと爆弾を破裂させたがる「ぶっちぎれオレ様」が多すぎるわ、んったく。
ああいう連中には何を言ったってムダだろうな。被害妄想と仮想的有能感にどっぷり浸っているから、人間の「言葉」は通じないと思う。まあ、手段は違っても他人に似たような攻撃をする人間はそこかしこにいるけど、まったくめんどくさい世の中だよなあ。

今夜も外はじわ~っと霧。幽霊のようにぼや~んとした月が木の間からのぞいていた。さて、明日はまとめて洗濯でもしながら、デスクのあたりを整理しようかなあ・・・。

ネットの世界は半径50センチ

12月27日。どうやら霧も晴れて、穏やかな休み。日曜日だけど、ボクシングデイが土曜日だったから、明日の月曜日が振り替え休日になって、4連休か。ま、ワタシはカレンダーの休日の並びにはあまり関係ないけど、朝起きて「あ、今日は仕事をしなくてもいいんだ~」と思うのはやっぱりちょっぴりだけとウキウキするような。まあ、正月明けになる来週の日曜日まであと1週間。仕事はあるし、請求書書きはあるし、帳簿の整理もあるし、宿題が山積みなのが現実だけど。

今日はとにかくデスク周りの整理。なにしろ、クリスマスシーズンにたまったカタログの山があり、その下にいつからあるのかわからない書類や未開封の郵便物がありで、デスクの表面がほとんど見えない。パソコン時代になって手書きで物事を処理しなくなったせいか、書くところがなくても不便はないらしい。積み上げたカタログの山はゆうに30センチはある。その上に所属する団体の機関誌だの何だのを積み上げたら、よくデスクが壊れなかったなあと思うくらいの高嶺。そして、案の定出てきたのが未払いの請求書。電気料金とデパートの請求書。銀行の残高明細をチェックしたら、記録がないからやっぱり未払い。即刻支払い手続きをする。ま、電気を止められることはないけど2週間以上過ぎているし、デパートも休みの明日が期限で、銀行の処理は早くても29日だから、う~ん、どっちも次の請求に遅延の利子がついて来るなあ。イテ~

やれやれ、ふだんから整理整頓しておけばいいのに、いわんこっちゃない。さらにはどちらも31日が期限のアメリカとカナダの協会費を払い忘れないためのメモが貼っておいたところから変なところまで移動していて、またまた慌てて支払いの手続き。そういえば昔、家の火災保険の請求書を期限ぎりぎりに見つけて小切手を書き、(自分で行けば歩いて30分ほどの)保険代理店まで「超特急」のクーリアを飛ばしたことがあったっけなあ。オンラインで速攻でやれる時代に感謝感激雨あられ。でも、やっぱり自己管理を強化して、ふだんから整理整頓をしておかにゃあ。カレシが担当してくれれば、ワタシとしては大助かりなんだけど、あっちはワタシに何重にも輪をかけた「忘れんぼ」だから、請求書をどっかにしまいこんでそのままで、ワタシがいちいち「あれ、払った?」とチェックしなければならないかもしれないなあ。だとしたら、なんだ、結果的に同じことか・・・。

そのカレシ、イラン産のにんにくのピクルスを毎日思いついては1個、また1個と食べている。これがまた家の反対側にいてもすぐにわかる強烈な匂い。しばらくすると毛穴からも漂ってくるくらいにすごい。まあ、元々ワタシの嗅覚は(視覚が弱い分)鋭い方だし、自分でもにんにくは好きなもので、別に苦にはならないけど、いや、とにかく驚くべきパワーなのだ。そこでつい笑いたいのをこらえながら心の中で思ってしまう、「ニッポンの今どきオンナノコとケッコンしなくてよかったねえ」と。イジワルといえばといえばイジワルではあるけど、考えてもごらん。(ワタシは感じないけれども)外人体臭に加齢臭、その上にこのにんにく臭と来たら、繊細な嗅覚のオンナノコたちは失神するは、電車は臨時停車して乗客が避難するは、小町あたりに「ものすごく臭い非常識なガイジン!(怒)」というトピが立つは、はてはファブリーズをシュッシュッ・・・いや、あながち大げさじゃないかもしれないよ。

小町横町を見渡していると、日本には嗅覚、視覚、聴覚、感情(負の感情)が異常に発達した人たちが多いんだなあと思ってしまう。「どこまでが本当のことなのかわからない」という懐疑的フィルタにかけることで何とか「へえ~」で済ませられるけど、日本社会の外から匿名掲示板という細いの節穴を通して見ていると、「日本の人って~」というステレオタイプ的な括りをしないようにするのがけっこう難しい。時空間がまるでアコーディオンのように「今、ここ」に凝縮されるインターネットは、いわば「半径50センチの世界」なのかもしれない。そうとはわかっているつもりでも、その狭い画面に「非常識、非常識、非常識!」と、他人さまのことで苛立っている言葉が毎日のように並んでいるもので、つい「日本はどうしちゃったんだろう」と思ってしまうわけ。

もっとも、日本にいた頃のワタシはまだ若くて世間知らずも甚だしかったし、その頃と比べて「今は」と考えられるほどには鮮明に昔のことを覚えていないから、ワタシの今現在のものさしで勝手に「どうしちゃったんだろう」と思っているだけで、あんがい実はどうもしちゃっていないのかもしれない。つまり、中心点が何千キロか移動しただけのことで、ワタシもやっぱり半径数メートルの日常から日本を見ていることになるか。ま、普通の人間はどこの誰であろうがそんなもんじゃないかと思うけどな。それよりも、いかにも「創作ネタ」だとわかるようなトピックは読み応えがあっておもしろい。ローカル掲示板でもそうだったけど、そういう「え?」というようなトピックに限って猛烈な勢いで書き込みがつくのもおもしろい。どういうネタをどんな風に書けば注目を引くかを考えているんだろうな。どんな人たちなのか知らないけど、せっかくの才能を発揮する場所を間違ってるよなあ。

年の瀬の大掃除をしたつもり

12月28日。月曜日。天気は下り坂。大晦日の部分月食は見られそうにないな。まあ、ほんの少し欠ける程度だからどうってことないんだけど。2009年も今日を入れてあと4日。あれ、「今年もあと何日」なんて気の急くようなことを言っているあたりは何となく日本的感覚なような。もちろん新年初日は祝日だけど、にぎやかなのは大晦日。でも、家中の大掃除して1年の垢を落として、煩悩を払う除夜の鐘を聞きながら、気持を新たに清々しく元旦を迎える・・・なんて厳かな年越しはやらない。去り行く年のイメージはよぼよぼの老人、新しい年はおむつをした赤ん坊なのだ。ふむ」、考えてみたら、日本の年越しも、仏教で旧年の葬送をして、初詣は赤ちゃん新年のお宮参りのような感じがしないでもない。宗教や文化が違っても、一種の新旧交代の儀礼ってことには変わりはないか。

デスクの周りが一応きれいになって、おお、なんか広々としている。細々したものを放り込んであった箱の中を整理したら、公務員時代の職員組合の身分証まで出てきた。いつのことだっけというくらいの昔。ワタシが州政府法務省の組織犯罪部門に勤めていたのは1981年の1月早々から丸3年間。一生に勤めた6つの職場の中で一番おもしろくて、出勤するのが楽しみだった。上司が本来は組合の規定で事務職にはできない(非組合員の)アナリストの仕事までやらせてくれて、被害者が地元の有名人でセンセーションを呼んだ殺人事件では、ワタシが山のような捜査や内偵の資料から見つけた小さな手がかりが犯人逮捕につながったときはご褒美にランチをご馳走してくれた。おかげで組合代表のマリリンおばちゃんに嫌味ばかり言われていたっけ。ブライアンは後にも先にも最高の上司だった。パーキンソン病に罹っていて手が震えるし、おまけに左利きだから、レポートやメモの原稿はまるで潰れた虫が並んでいるように見えた。ワタシがあれを普通に判読できて、普通のスピードでタイプできたのは今でも不思議。そうか、あれから30年近い年月が流れたんだなあ・・・。

いつのまにかゴミ箱同然の「未決」バスケットの中からは、日本(3千円)、アメリカ(25ドル)、シンガポール(50ドル)のお札と、アメリカドルの旅行小切手(150ドル)が出てきた。小切手はいつ買ったものか思い出せないくらい古い。たしかシンガポールで1枚だけ換金したような。まあ、有効期限があるわけじゃないから、そのうち銀行に入れておくか。この数年の間に泊ったホテルのカードキーもやたらとある。名刺もぞろぞろ。意味不明のメモの紙切れもぞろぞろ。何年か前の眼科のレシートもあれば、処方薬を買ったときの公式レシートもある。いったい何の病気したんだっけなあ。何の部品かわからない金具がいくつもあったり、何年も前のクリスマスカードや年賀状があったり、この整理整頓の怠慢ぶりと来たら。自分のことだけど、「おい、こらっ」とどやしつけたろか。だけど、ワタシはだてに極楽を飛び回っているわけじゃない。ちゃんとワタシをやってるの、ほんとに。

ワタシの年末の大掃除はこれで一応は終わり。まあ、新年が来るからというよりも、せっかく日本が年末年始の休みに入って邪魔が入らないチャンスだから・・・という程度だけど、今日は未払いの請求書も未処理の書類も出て来なかったからひと安心。そろそろ明日あたりは洗濯でもしながら、おき逃げされた仕事に取りかかる心積もりくらいはしようかなあ。

損をしないより得をしたいけど

12月29日。火曜日。よく眠って、正午を過ぎて起き出して、朝食を済ませて、しばしのんびり配達されたばかりのTIMEを読む。今年の最終号だからかな、やたらと分厚いのは。今年の「人」はアメリカ連邦準備委員会のバーナンキ委員長。子供の頃に単語のつづりの正確さを競う「spelling bee」の全米大会に出場したと言うから、記憶力のいい人なんだろうな。英語のスペルを聞かれて、口ですらすらと言うのはけっこう難しい。頭の中の黒板に書いて読み上げるような感じで、そろばんの暗算では頭の中で玉を動かして計算するそうだから、それと似ているかも。

カレシが「今日洗濯するって言ってたっけ?そんなら汚れたものをまとめるけど」と遠まわしに催促するもので、しようと思いながらさぼっていた洗濯を始める。無理して遠まわしに言わなくたっていいのに、「キミが忙しいときに代わってやれるように洗濯機の使い方を覚えなきゃ」なんて言いながらもずっとその気配がないから、「洗濯しろ」と言いにくいというところなのかな。この洗濯機、もう何年も使っているんだけどなあ。で、マニュアルもずっとそばにおいてあるんだけどなあ。乾燥機だって、実に簡単なんだけどなあ。それでも、乾いた洗濯物をバスケットに取り出せば、それを二階まで運んで、自分のもの(だけ)をたたんでくれるから、共働きの最初の25年は家事分担率が「ゼロ」で、洗濯物をたたんでいないとぶっちぎれていたカレシとしては驚異的な進歩なのだ。ま、年明けには新しい洗濯機を買うから、その時は使い方を覚えてね・・・。

日本でも、男女平等、男女共同参画の時代に、年功序列の終身雇用制度もおぼつかない世の中になって共働きが増えたようで、家事の「分担率」が夫婦円満を妨げる問題になっているらしい。小町にも、共働き夫婦の生活費や家事、育児の分担に関する不満や愚痴がよく出てくる。どこかの調査では妻が専業主婦でも夫が家事と育児を分担するのがあたりまえと考えているらしい数字が出ていた。いや、日本女性も強くなったもんだと思うけど、まあ、夫婦二人が家庭の単位なんだから、妻が専業であっても夫も必要に応じて家事に参加するのは当然だろうな。でも、小町横丁を眺めていると、自分の方が稼いでいるのに家事の負担が多いのは不公平だとか、年収の少ない方が家事を多くやるべきとか、えらく杓子定規な感じがする。そうやって「職務」を決めても、次は夫が決めたとおりにやらない、やっても(妻の想定通りに)きちんとやらない(できない)。やれやれ、会社の業務マニュアルじゃあるまいし。

思考に柔軟性がないだけかもしれないけど、突き詰めてみると、そこには「自分が損をしたくない」という心理があるような感じもする。「損をするのはイヤ」という気持は、家事分担に留まらず、職場での仕事から友だちとの付き合い、冠婚葬祭、果ては何気ない日常のことにまで作用しているように見える。電車が遅れて自分は1時間も待ったのに、後から来て待たずにのうのうと乗る人が憎いというトピックがあった。妬みや僻みもここまで来るとちょっと怖いけど、この人も自分は大変だったのに苦労しなかった人がいて、「自分は損をしている」と思うんだろう。でも、自分が損をするのはイヤと思うのはあまりいい気分ではないもので、人の苦労を横目に得をする人間はけしからんといい、自分だって「得したい」とも思うだろうに、人さまに得をするのはダメと言っている手前そういうわけにもいかず、か。損はイヤなら得する方をとるしかないだろうに、なんか割に合わなそうな損得勘定・・・。

でも、よくよく考えてみたら、建前と本音もある意味で損得勘定くさいところがあるし、日本の冠婚葬祭では、香典をもらえば香典返し、お祝の金品をもらえば何らかのお返しをするしきたりがあって、これは損得勘定を儀式化したような感じがする。最近は、婚約するにも指輪の相場が決まっていて、それに対して相場に合ったお返しが必要らしい。小町横丁で、プレゼントを送ったのにお返しがないとか、くれたお返しが貧弱だったとかいう文句が飛び交うのはそういう文化習慣に根ざした期待感があるからなのかな。ま、きっちりした数字が好きらしい国民性の影響もなきにしもあらずだろうな。本来は「気持」を表すものなのに、その勘定をめぐって人間関係が壊れるのは何をかいわんやだけど、小町を見れば実際にそういう例がけっこうある。これではプレゼントをもらっても、相応のお返しのためにまず値踏みをしなければならないわけで、「うれしさもほどほどなりや、おらが何とか」になってしまいそうだし、相手にそういう心理的な負担をかけるとなると、うっかりプレゼントもできないし、しないとまたそれはそれで相手が気分を害するということもあるだろうし、ああ、ややこしい。

それはそうと、カレシの家事負担率はいったいどれくらいなんだろうなあ。数字で出すとしたら、測定基準は労働量?それとも所要時間?それとも難易度?ああ、めんどくさ・・・

ひょっとして掲示板小説?

12月30日。雨だ。2009年も今日とあした。ニュースも「2009年十大ニュース」的なことをやっている。今年の重大事件といったって、トップに出てくる2つか3つの他は、毎年似たようなことが起きているような気がするんだけどな。世界不況だって、前の年に始まったものが続いただけのことだし、振り返れば何度も何度もあったこと。新インフルエンザだって、たしかに世界中に広がって死者もかなり出たけど、現代は常に人が動いているわけだし、WHOが自分たちの存在感と権力を誇示するチャンスとばかりに煽っていたところがないとも言えない。つまり、一種の「メディアイベント」だったのではないかということなんだけど。(ふむ、ワタシもけっこうシニカルなことを言うなあ。)

ニュースを広めるのがメディアだもんで、世界の重大事件も往々にしてメディアがそういう演出をしている印象になるのは否めない。商業的、政治的な理由から、大山鳴動して何とやら式の誇大報道、過剰報道、煽り報道が増えているように見えるのもたしか。ブログだのツイッターだの、誰でも自由に(好きなように)発信できる時代になって、プロとアマの区別がなくなったし、リアリティショーだのバラエティショーだので「現実」と「作られた現実」の区別もつけにくくなって来たように感じる。そんな中で、ジャーナリズムもエンターテインメントとの区別がなくなって、「マスゴミ」と呼ばれるところまで堕ちたのかもしれない。中立性を強調するあまり、偏向や差別の批判を恐れるあまり、事件報道のあれもこれも避けて通るから、ニュースは形骸化。犯罪ニュースは娯楽番組になり、政治ニュースは核心が空洞のドーナッツ。なんとなくローマ帝国衰亡の轍に踏み込んでいるようなところもある。歴史は繰り返すと言うのはほんとなんだ。

歴史は繰り返すというのは、失敗から学ばないものがその失敗を繰り返すと言う趣旨だったと思うけど、ナノ秒文化の21世紀には遠い過去のことから学んでいる暇も意思もエネルギーもないみたい。それどころか、ネット時代の人間の視野は、まさに過去と現在、地球上の地理的な距離、さらには自分の半径と他人の半径の区別がつかなくなって、何もかもが「今、(自分がいる)ここ」(モニタの画面)に凝縮してしまっているのかもしれない。だから、自分で考えて行動することを善しとする社会でさえ、自分で考えるのをやめて、ひたすら情報に反応する人間が増えて来たんだと思うけど、これが自己の否定を善しとする和の文化の社会だったら、玉石混交の情報に振り回されて右往左往するだろうし、思うようにならずにイライラするだろうし、対応しきれずに萎縮するということもあるだろう。だけど、自分の舵取りさえ困難な世の中になって来たのは、ひたすら楽な方法を求めて来た人類が自ら招いたことだと言えるかな。ま、生物界の頂点に立った(と思っている)人類にだって、栄える時があり、衰える時があり・・・だからね。

小町横町についに出た。何がって、本当の話なら人格障害じゃないかと思えるくらいの女性のトピック。待ってました、第3弾!投稿の第1弾は「父親として機能しない夫と離婚したい」、第2弾は円形脱毛症になって家を出て行った夫に「帰ってきて欲しい」、そして第3弾は「別居中の夫が金を出し渋る」。いや、夫が養育費などを出し渋っているんじゃなくて、妻が夫の給料が振り込まれる通帳を握ったままで2万円の小遣いを「届けてあげたのに」、夫に通帳を渡せと言われてごねているもの。さっそくお気に入り登録数で上位に駆け上って来た。あまりの執拗さに「ほんとうの話なのか」と疑問を投げかける人がいる中で、相変わらずたくさんの人たちがまじめ?に応答しているのは、そういう反応をうまく引き出すように書かれているからだろうな。実話としてはできすぎている感じだけど、まあ、今回はトピックの主の反論にキレそうな口調がちらっとと出たから、あんがい実話かもしれない。そうだとしたら、この人はまちがいなく人格障害の診断がでるだろうなあ。

今小町でアクセス第1位を誇っているトピックも、創作でないならまちがいなく何らかの人格障害の持ち主と思われる例。近頃はこういうのが増えて来たように思う。精神を病んでいる人が増えているのかと思ってしまうくらい。(日本では心療内科というのができて、かなりはやっているらしいし・・・。)ローカルの日本人掲示板の場合は、すぐに煽りが目的とわかるテーマが多いし、そうでなくてもまだ半径数メートルのカナダしか知らない人の「つもり話」はすぐにボロガ出るけど、さすがに小町横丁にはもう少し悪知恵の長けた人が多いようで、ワタシが日本にいないということもあるけど、すぐに「釣り」とわかるものは少ない。まあ、釣られて応答する人たちが匿名だからこそ暴露するその人となりを考えたり、その深層心理を詮索するのはおもしろい。ずっと日本に住んでいたら、あんがい今頃は小町横丁にレーダーを張り巡らせて、どろどろした人間模様の小説を書いていたかもしれないなあ。いや、こういう心理的なテーマは文化や慣習の色づけを変えて、個々の人間レベルにあてはめたら、世界のどこでも十分通用するような気もする。事実よりも虚構の方がおもしろそうだし、ごちゃごちゃとまとまりのないブログなんか書いてないで、ひとつ、小説でもやってみる?

年の到着まであと30分

12月31日。雨の大みそか。まあ、バンクーバーらしくていい。どっちみち世界の大都市のような華々しい年明けの行事はなさそうだし。おおかたのところは、若い人たちがホテルやクラブでの年越しパーティで飲めや踊れやの大騒ぎをして、元旦の朝はイングリッシュベイでの寒中水泳で二日酔いを吹き飛ばそうという予定じゃないのかな。例年の通り、午後5時になると公共交通機関が無料になる。我が家は今年もシアトルのチャンネルでスペースニードルから上がる花火を見ながらシャンペンを抜いて、新しい年を迎えることになりそう。

今年は太平洋を北からぐるりと回って南半球までの大旅行があったし、ニューヨークでの義弟夫婦といっしょの秋の休日もあった。二十世紀最後の年(ということになっている)の1999年はカレシの火遊びごっこがきっかけで表面化した夫婦の問題がこじれにこじれて、3日と空けずに大げんかをしていた。どんな大みそかを過ごしたのか、まったく思い出せない。二階の塔から木の枝の間にちらちらと見える空港の明かりを眺めながら、新しい世紀にはまったく別の、まったく新しい人生が待っているのかなあ、なんて考えていたような気がする。暗澹とした気持だったのか、漠然と1人で生きる覚悟を決めていたのか、そのあたりはもう定かではないけれど。

明けて2000年はワタシが必死のカウンセリングを受け始め、カレシは突然に早期退職ということになった、二人にとっては大きな転換期になった年。諍いは続いていて、救急車や警察にお世話になる場面もあったけど、寝ても覚めても同じ屋根の下で顔を合わせるているようになって、少しずつお互いに向かい始めたんだと思う。とにかく1日ごとに一進一退が二歩進んで一歩後退になり、三歩進んで一歩後退になり、やがてその後退が半歩になり、ときどき後退になりしているうちに、いつのまにか暴風雨を突き抜けて、穏やかな海に出た、というところか。カレシが土下座して謝罪することも、もう二度としませんという念書を書くことも一切なしで、凪いだ海を月日(風)に任せて進んで来ただけなんだけど、今になって考えたら、それが最善の針路だったのかもしれない。年が明けたら、あれから10年。長い10年だったようにも、短い年月だったようにも思えるけど、ワタシもカレシも人間として大きく成長したと思うし、互いの存在意義を確認し合えたと思うし、人生再構築の10年はどっちにとってもむだな時間ではなかったと思いたい。

ワタシにとっても、カレシにとっても、2010年は新たな「十年紀」の始まりかなのもしれないなあ。来年は二人の暮らしが始まって35年になる。太平洋のど真ん中で生まれた新しい年は、まるで競技場のウェーブのように地球をめぐって、そろそろ北米大陸のこっち端にまで到達する頃・・・


2009年12月~その2

2009年12月21日 | 昔語り(2006~2013)
ハイテンションな1日

12月11日。午前9時に目覚ましが鳴った。カレシは高いびき。そっと起き出して、着替えだけして、窓の外を見たら、道路が濡れているようだけど、屋根は濡れた形跡がない。それどころか、塩を振ったようにあちこちが白い。雪だ、これ。といっても、ちらつく程度に降ったというところか。道路が黒く濡れて見えるのは、市役所が去年の苦い教訓を生かして早々と塩まきに出動したせいで、雪が積もらなかったからだろう。そういえば、ちょうど去年の今頃だったな、記録的な寒波と大雪になったのは。

空調会社からの電話があるまでベースメントのソファで横になっていようと思ったら、電話が鳴った。9時5分。手短に状況を説明したら、「では、午後1時より前に行きます」とのこと。修理屋さんはそうやってまず電話で故障の性質や作業の内容、特別な道具や部品の必要を判断して、その日の作業スケジュールを組む。うちの後のところはきっと「午後1時から4時の間に行きます」と言われているだろうな。次は事務用品の配達。ベースメントはインタコムが一番近いからうとうとしても大丈夫、と思って横になったのに、目が覚めたら午前10時15分。やだ、ぐっすり眠り込んでチャイムが鳴っても目が覚めなかったのかなあ。なんか夢を見ていたような気もするんだけど。まあ、ゲートの見えるリビングで本を読んでいたら、まず修理屋さんが到着。午前11時5分。カレシはまだ高いびき。

換気装置の修理を始めてもらって、リビングへ戻ったら、しばらくして大きなトラックの屋根が窓の外に見えた。お、事務用品の配達。午前11時30分。印刷用紙2箱とその他のものが入った段ボール箱1つ。玄関の中に入れてもらってサインオフ。カレシが起きてきて、朝食のしたく。トーストを食べ終わったあたりで、換気装置の修理が完了。どうやら配線のはんだが劣化して断線したのが原因らしい。新しいのに取替え時かと聞いたら、モーターは健在だし、油を差しておいたからまだ10年は大丈夫とのことで、修理代は税込みで112ドル。家の中の空気の質が変わって、鼻の奥まですきっとするのがてきめんに感じられたから、常時換気の威力はすごいもんだ。

修理も済んだし、事務用品も来たしということで、郵便局へ行く準備を始めたら、またチャイム。午後12時20分。今度はFedEx。おととい注文したばかりの大学講義のDVDがもう届いた。今度のは『英語の歴史』と『作文法』の抱き合わせセット、『人間の行動心理学』、『ジャズの要素』。最後のはCD版で、カレシへのプレゼントだから、見つからないうちに引き出しの中に隠してしまう。カレシが「そんなの見る時間がないじゃないか」と言うけど、これはワタシの「老後の蓄え」なのだ。(あと3年と4ヵ月ちょっとだもんね。)でかける準備ができたら、午後1時。いつもなら朝食が終わるかどうかの時間。今日はみんな「朝めし前」ですんでしまって、いざ、おでかけ。気温は0度・・・。

郵便局はかなりの行列だったけど、経営する韓国系の夫婦が高校生くらいの息子と娘まで動員しててきぱきと対応。列はどんどん進んで、小包1個と大型封筒3つを出すのにわずか20分。クリスマスの切手は国内用しか残っていなかったのが残念だけど。思いのほか早く済んだので、そのままベイでこの前断念した小鉢を8個買って、ついでにカレンダー屋で「ポーチからの眺め」の写真を集めたのをカレシ用に買い足して、帰館は午後3時半。気温と湿度の兼ね合いが中途半端なせいか、鏡を見たら両側の頬に寒冷じんま疹が出ていた。

鶏もも肉の餃子を作って早めの夕食が済んだところで、きのう入ってきた週末仕事にかからなくてはならない。量が予告よりも何倍もあって、その分納期は延びた代わりに、次の仕事の作業時間に食い込みそうな予感。この週末はクリスマスツリーを飾りたいし、書かなければならないカードもまだたくさんあるし、何だって押し詰まってきた頃になって仕事が大発生するんだろうなあ、もう。ま、いつもの光景なんだけど。でも、今日は手足の先端が冷たくて、なんとなく薄ら寒いのが気になって、作業は牛歩のペース。風邪かなと思って体温を測ったら36度がやっとで、ワタシとしては「低体温」だ。ゆうべは普通の時間に寝たし、咳の発作が出たりしたから、2時間くらいしか眠っていない。半徹夜をしたようなもので、さすがにこういうときはてきめんに体温が下がってしまう。やっぱりワタシも年だなあと感じる一瞬・・・。

まあ、寝不足だというだけらしいからひと安心。カナダでは新型インフルのワクチンを5千万回分も注文したのに、接種を受けたのは全人口のまだ3割ちょっとしかいないとか。つまりワクチンが4千万回分くらいも余っている勘定になる。3300万人しかいない国で4千万回!ワタシの周りにもして来たという人がいない。とにかくワクチンがだぶついてしまっているわけで、政府もテレビで盛んに「ワクチン注射を受けましょう」とコマーシャル。でも、バンクーバーでは集団接種が来週末で中止になるそうで、その後はファミリードクターに注射してもらわなければならない。予約を取ったりするのがめんどうで、結局はワクチンをしない人の方が多いかもしれないな。ワタシも仕事を片づけるのが何よりも先決と言い訳してまだしていないし、カレシにいたっては「そんなのいらない」。まあ、無事に年末年始を乗り切ったら、ぼちぼち考えよっと・・・。

タイガーとは違う人間なのに

12月12日。ぐ~っすりと寝ること9時間。きのうの不足をちょっと取り戻した気分。やっぱり換気しているのといないのとでは身体の反応が違うのかなあ。機密性が高いと汚れた空気や湿気がそのままそっくり家の中に滞留するから、気温が下がり始めて二階の窓に結露するようになったときにおかしいと気がつくべきだったな。ふだん意識していないものはなくなったことに気がつかないことも多いけど、中にはなくなって初めてありがたさがわかるものも少なくない。そういうものを「空気のような存在」というけど、我が家の常時換気装置はまさにその「空気のような存在」だったわけ・・・。

今日のカレシはなんとなくしんねりむっつり。どうやらテレビをつけても、ラジオをつけても、タイガー・ウッズの話題で盛り上がっているのと関係があるような感じ。聞きたくなければ消せばいいのに、そうしたときのワタシの反応が気になって消すに消せないでいるうちに気が滅入ってしまうらしい。あのさあ、あなたはあなた、タイガーはタイガーでしょ?あなたのことはワタシとあなたの間のことであるのと同じように、タイガーのことはタイガーと奥さんの間のこと。ワタシは「タイガーよ、おまえもか」とは思うけど、ゴルフにもタイガーにも興味はないし、カレシと重ねてトラウマがぶり返すなんてこともないよ。しいて言えば、カレシが自分の言動で自分自身(のプライド)を傷つけてトラウマになっているんじゃないかと思うんだけど。つまりは、「自分」という、他の誰とも重ならない人格をまだ自分の心の中にしっかり確立しきれていないってことじゃないかと。

タイガー・ウッズについては、マスコミが騒ぎすぎ、はしゃぎすぎのところはあるけど、いくらプライバシーがどうのこうのと言っても、相手のいることで、タイガーひとりだけでできることじゃないんだから、いずれは表ざたになることだったと思うけどね。もしもひとりの人と不倫したのだったら隠し通せると思っていたとしても驚かないし、たしかに隠し通せたかもしれないし、たとえばれても「つい出来心で・・・」とか何とか言い訳して、謝って反省すれば、(私生活は別として)キャリアの上では収まったことかもしれないな。だけど、「訪れる港ごとに」を標榜したピンカートン大尉じゃあるまいし、こんなに「あたしも」って手を上げるってことは、浮気とか不倫とか言うよりは、もう「addiction(中毒)」に近い。てこともないよ。しいて言えば、カレシは自分の行動に対する「罪悪感」で自分自身を傷つけてトラウマになっているんじゃないかと思うんだけど。つまりは、「自分」という、他の誰とも重ならない人格をまだ自分の心の中にしっかり確立しきれていないってことじゃないかと。

タイガー・ウッズについては、マスコミが騒ぎすぎ、はしゃぎすぎのところはあるけど、いくらプライバシーがどうのこうのと言っても、相手のいることで、タイガーひとりだけでできることじゃないんだから、いずれは表ざたになることだったと思うけどね。もしもひとりの人と不倫したのだったら隠し通せると思っていたとしても驚かないし、たしかに隠し通せたかもしれないし、たおてばれても「つい出来心で・・・」とか何とか言い訳して、謝って反省すれば、(私生活は別として)キャリアの上では収まったことかもしれないな。だけど、「訪れる港ごとに」を標榜したピンカートン大尉じゃあるまいし、こんなに「あたしも」って手を上げるってことは、浮気とか不倫とか言うよりは、もう「addiction(中毒)」に近い。あんがいそのあたりがカレシの自分の中の「トラウマ」に触れるのかもしれない。

ひとりの女性に惚れたというのなら、妻としてもまだ対応のしようがあるかもしれないけど、十何人もというのは、もう恋でものぼせでもない。ワタシには「女性」に対する侮辱としか思えない。カレシがモノを集める子供のようにオンナノコを集めたように、タイガーも「おもちゃ」を集めたのかどうかはわからないけど、お金も名声もある男は女性たちにとってもそれなりの魅力があったんだろうと思う。でも、それはカノジョたちにとってカレシが持っていた「白人」あるいは「国際結婚の相手」という「魅力」と同じようなレベルにあるように思う。蜜(夢)が甘かったから群がったということかもしれない。カレシが既婚だと知っていて、それでもアタックしまくった日本女性が何人もいたし、タイガーの愛人たちも彼が既婚の子持ちだと承知の上で関係を持ったわけだし、人間世界にはどうしようもなく打算的で不毛な関係もありってことなのだ。まあ、人間はそもそも禁断のりんごをかじって、神様が「持たせたらろくなことがなさそうだ」と危惧していた(悪)知恵を身につけてしまった動物なもんで、遊びだと言い訳できる禁断破りにはあまり抵抗がないのかもしれないけど。

でも、誰だってその人間のひとりなんだから、遊びで片づけられない関係にはまってしまうこともあるだろう。問題は、そうなったときに、それが「関係ないや」と思っていた人を傷つけたとき、やがて自分に跳ね返ってきたときにどういう行動を取るかということだと思う。そのときが良くも悪くも自分の人間としての真価が表にでるときなんだろうな。ワタシだって、もしもいつかカレシを捨ててでも追いかけたい男が現れたとしたら、我を忘れて邪道に迷わないという確信はない。もしも、もしもこの先の人生のどこかでそんなときがあったら、その人を追うか、カレシに許しを乞うて戻るか・・・苦しむだろうな。それでも、いったん自分で道を選んだら、どっちにしても後を振り返らないだろうという自信はあるよ。だから、カレシも決めた道を進んでいれば、それでいいの。あなたはタイガーでもなければ、パパでもないんだから。他の男がどんなおバカを披露しても、カレシまで「同じ男として」そうなんだとは思わないから、気に病むことなんかないって。

うつ体質が外向的性格に変わる

12月13日。何となく気分的に重い。でも、体重も血圧も体温もみんなワタシの「正常値」に戻っているから、たぶんに気のせい。世の中にはほんっとに罪作りな人もいるもんだ。まあ、実際には誰がどうってことではないとしても。去年の冬にバンクーバー始まって以来の大雪が始まったのがこの日、13日。起きて外を見たら、あら、予報どおりに雪。といっても、今日は歩道の芝生が白くなって、雪がちらりほらりと舞っている程度。ほんとにあの冬がいくら北方圏の生まれ育ちの道産子でもこりごり。

寒波が来たときに、警察が路上で寝起きしているホームレスの人たちを強制的にシェルターに収容できるという法律を作ったら、ホームレスの人たちが「官憲による拉致だ」と怒り出したもので、とりあえず強権は使わないということになった。ふだんからシェルターに避難するのを拒否する人たちがかなりいるというけど、オリンピック委員会が期間中は(見苦しいから)どこかへ移動させようと画策しているらしいし、凍死の危険から守ろうという趣旨ではあっても「人権を無視している」とそっぽを向いた形。ホームレスの人だって独立した人格を持つ人間なんだから、ゴミみたいに拾ってどこかへ捨てればいいってもんじゃないという主張には重みがある。よそから訪れる客に見られたら恥ずかしいから見えないところに隠そうというのはカナダ的じゃないような気がする。

今日のカレシは、昼のニュースを見ながら「そんなのニュースじゃない!」とテレビに一喝して、きのうからちくちくしていたらしい「トゲ」が抜けたみたい。まあねえ、地球の未来や人類の福祉にかかわる重要なできごとが世界中で起きているのに、つまんないゴシップ沙汰に興味を集中しちゃってむだもいいところだよね、ほんと。だけど、24時間テレビは24時間の放送枠を隅々まで埋めなきゃならないわけで、それがニュースチャンネルだったら、「ニュース」を作ってでも埋めなくちゃならない。それに、何でもかんでも「イメージ命」みたいな世の中で、実像と虚像の区別もつきにくくなって来たような感じもするし、インターネットの普及で「過去」と「現在」の時空間の距離も「今」という平面上に圧縮されて、まるで望遠鏡で見ているような感じがしないでもないな。人類はとっくに人間の「感性」の域からはみ出してしまったのかもしれない。

テレビである抗うつ剤を服用した人たちのパーソナリティが変化して、不安神経症的なところが減り、ずっと外向的になったという話をしていた。セロトニンの産生に変化が起きるらしい。日ごろから、同じような条件下でも疲れやすい人と元気な人とかいたりするのと同じで、本質的に落ち込みやすい人と精神的な抵抗力がある人とがいると思っているけど、あんがいうつっぽい体質を変えることができるようになるかもしれない。ワタシも10年前に別の「選択的セロトニン再吸収阻害薬(SSRI)」を処方されて2年ほど用量を調節しながら飲み続け、同時に日課として運動をするようになった。その間のきついカウンセリングが自分でも驚くような効果を挙げたのは、ひょっとしたら薬でパーソナリティが変わったからかな。まあ、ワタシとしては本来のワタシが生き返ったんだと感じるんだけど、やっぱりちょっとばかり元気が良くなりすぎたかなあ。

テレビのそんな話から、外向的でポジティブな人の方が年をとってもボケにくいかもしれない、とカレシに言ったら、「だからボクは続けられる限り英語を教えるんだ」という返事。まあ、カレシは本質的に内向的でネガティブなうつっぽい性質だけど、それでもやっぱり外へ出て人との交流を保つことで脳が刺激されているんだと思う。だから、ワタシだって火遊びはやめてもらったけど、英語の先生を続けることだけは止めなかったの。あの時はすごく苦しい決断だったけど。「ね、続けて来て、正解だったでしょ」と聞いたら、「うん」とカレシ。だけど、「ワタシも、仕事をやめたらどんどん外へ出ていろんな人と交流するの」と言ったら、「キミは通訳のボランティアをしたらいいよ」と言い出した。おいおいおい。ワタシは「あの人たち」に通訳のご奉仕をしてさしあげようなんて気持は毛ほどもないの。ノー、ノー、ノー。千回頼まれてもノーなの。どうしてダメかって、そんなことわかってるでしょ、あなた?日本語を忘れてしまうよって、ボケちゃったら忘れたってどうってことないじゃないの。まあ、ワタシとしてはこれだけは絶対に「ノー」だから、カレシがわかっていてもいなくてもどうでもいいけど、ボケないようにはしないとなあ・・・。

積載量オーバーに気をつけて

12月14日。まいったなあ、今日は「大雪」が降るんだって。といっても、バンクーバー市内は5センチくらいかなあ。それだって雪かきが必要だろうから、やっぱり「大雪」には違いないよねえ。しょうがない。ミルクがないし、野菜もほぼ底をついたし、出られるうちにとりあえず買っておこう、ということでスーパーまでひとっ走り。近づいたら、おお、店の前に融雪塩の袋が山積み。ひと袋が10キロ入り。念のために2袋買って、「除雪費」約10ドル。最高2千ドルの罰金に比べたら安いもんだけど、塩20キロはさすがに重い!雪深い地域のニュースでよく見かける小型の除雪機を買おうかな。で、ブロックの端から端までガアァ~っと除雪したら、ご近所も喜ぶと思うよ。だいたい、午前10時までにやれって、朝出勤する人はどうすりゃいいってんだろうね。あ、大雪だったら出勤もへったくれもないか・・・。

油断をしていたら、今週はすごい仕事の詰まりようになっている。まるで、サンタクロースのそりが積載量オーバーになって、屋根を突き破って落ちてきたような感じ。うわっ、クリスマスカードを書かなきゃならないし、お歳暮の注文もまだだし、ツリーの飾りつけもまだだし、ホリデイディナーの食材を買わなきゃならないし、それよりも何よりも食糧の買出しをしなきゃならないし・・・いくらワタシでも手一杯の気分になる時期なのだ。仕事なんかやってるヒマがあるんかいな。ほんっとにもう、積みすぎだよ、サンタ。

とかなんとか、ここでも(自分が引き受けたくせに)ぶつぶついいながら、夕食の時間に食い込んだけど、まずひとつ仕上げ。ドライな内容なのに、突如として名詞に場違いな「お」がついたり、意味不明の短縮カタカナ語が飛び出したりで面食らってしまうけど、どうも最近は日本語が読解しにくくなって来たと思う。情緒的な表現なんか、大げさというのか、感情が重々しいというのか、まさに積載量オーバーになっているようなところがある。ワタシの語彙が減ったのか、今の日本語にワタシの知らない語彙が増えたのか、あるいはその両方か。(両方だとするともう末期的か・・・。)いずれにしても、なんとなく外国語を読んでいるような感じがするときもあって、へたをすると英語だけのモノリンガルになっちゃうのかなあと心配になる。それでは商売が立ち行かなくなるわけで、日本語よ、せめてあと数年はワタシにわかる昔のままの「美しい日本語」でいてくれ・・・って、むりだろうなあ。

歩道に適当にまいた塩の効き目を見に出て行ったカレシから「半分雨まじりになった」との報告。はあ、ワタシは半ば呆然として、半ば号泣したい心境。んま、それはともかく、「積載量オーバー」には気をつけないと・・・

鬼が笑ってしまうよ~

12月15日。あれだけ大雪、大雪と大騒ぎしたのに、夜が明けないうちに気温が急上昇したらしく、かなりの雨が降ったらしい。せっかくまいた融雪用の塩がもったいないじゃん。「氷雨」の注意報が出ていたけど、たぶんそれも束の間のことだったんだろうな。今度は向こう1週間ほぼびっちり雨、雨、雨。バンクーバーの「冬」はそうこなくっちゃ。それでも、郊外ではスリップして側溝に突っ込んだ車がけっこうあったらしい。事実上すっぽかしの雪で事故なんて、不運もいいところだなあ。

仕事はまたひとつ片づけて、あと3つ。納期が水曜日、木曜日、土曜日と、まるで団子台風。金曜日は修羅場だな、きっと。それでも、今日はお歳暮の注文をして、クリスマスツリーにライトをセットして、飾りを箱から出してテーブルに並べた。過去に10年に旅行の先々で買ったおみやげ飾りがいろいろと出てくる。今年は、オーストラリアのシドニーで買った「ストッキングに入ったコアラとカンガルー」、「オペラハウスとハーバーブリッジの絵柄のベル」、ニューヨークのメイシーズで買った「自由の女神とクライスラービルの入った買い物袋」(わっ、バブルちっく)と赤い毛糸のミトン、ニューヨークりんご、そしてティファニーで見つけた飾り。「もう飾るところがないんじゃないの」とカレシ。テーブルいっぱいに広げた200個あまりの飾りはどれも愛着があるんだけど、う~ん、全部かけられるのか・・・。

ツリーの飾りは通りかかるたびに少しずつ、ということにして、とりあえず次の仕事。「One down, three to go」だもんね。だけど、海外向けのクリスマスカードは早く出さないと、間に合わなくなってしまう。ここんところはアクセルを踏み込んで、ぶっ飛ばさなきゃ・・・と、気持だけ焦っていたら、あちゃ、めったに来ないけど断れないところからも仕事。「1月4日までにお願い」だって。それって、来年じゃなかったのかなあ。来年のことを言うとオニが笑うっていうけど、オニを笑わせちゃっていいのかな。オニだって笑いすぎて怖くなくなったら商売にならなくて困るんじゃないかと思うんだけど。それにしても、連休とか、年末年始とか、多いんだよねえ、仕事のおき逃げが。あっちは安心して休みに入れていいだろうけど、こっちは休みなし・・・ぶつぶつ。

ま、2009年も残すところあと16日。年が明けたら「創業20周年記念日」まで1ヵ月。ここは、ホームストレッチだと思って、がんばるか・・・

サンタの爪の垢でも・・・

12月16日。夜更かしをして、またひとつ仕事を片づけたので、今日は正午を大きく回ってからゆっくり起床。外は雨。かなり勢いのある雨。シリアルがないというから、ほかほかのオートミールで朝食。とあえずの買い物に行ったときに買えばよかったのにといったら、「まだあると思った」。ははあ、戸棚を開けてみてシリアルの箱がそこにあるから「まだある」だったのか。どれくらい残っているか手にとってみるなりすればいいものを。ま、もうあと一歩というところで終わりなのがカレシ。でも、冬の朝(ってもうすでに午後1時だけど)は湯気の立つオートミールをふうふういいながら食べるのもいいよね。

仕事の方は一応「one down, two to go」で、あと2つ。最後のはちょっと大きめだから、さっさとそっちへ進まないと、また時計とにらめっこの半徹夜になってしまう。といいながら、リビングへ上がるたびにクリスマスツリーの飾りを1個、また1個。それでも、その前のひとつを片づけて納品して、「one down, one to go」。(おき逃げ仕事があるんだけど、ま、これはクリスマスの後まででんでん無視。)息抜きにまたツリーの飾りつけ。午後3時の気温は、おとといの大騒ぎが嘘みたいな摂氏9度。土曜日をのぞくと、23日までず~っと雨の予報。だけど、だけど、23日には最低気温がマイナスになっているぞ。さてはホワイトクリスマスになるか、ならないか・・・ビミョーなところ。

ゲートのチャイムが鳴ってFedExの配達。関税と税金が24ドル。受け取ったのは30センチ四方はある段ボール箱で、それがすご~く軽い。ラベルを見たら「スミソニアン」と書いてある。え?スミソニアン博物館のギフトカタログから注文したのはネックレス1個なんだけど。開けてみたら、くしゃくしゃの紙の中にまた箱がひとつ。それを開けてみたら、くしゃくしゃの紙の中にビニール袋に入ったネックレスが出てきた。過剰包装もここまできたら感心するほかないなあ。ネックレスは、銀メッキの形状記憶ワイヤの両端にブルーとグリーン系統のオパールを8個、葉のようにあしらったすっきりしたデザイン。留め金がないのがいい。いつもあのちっちゃな留め金を引っかけるのにひと苦労。これは丸めてあるから、そのまま首に回すだけ。でも、ちょっと深く胸の開いたドレスが必要かも。

ノエルカワードの芝居のDVDを注文した先から、クレジットカードの情報に誤りがあるという、何かヘンなメール。読んでみると有効期限が違っているようだけど、それにしてはおかしいなあ。クレジットカードにはとっくに請求が上がっているんだけど、それも注文の2倍の金額が。まあ、電話して訂正してもらおうと思っていた矢先だから、明日がっつんと文句を言ってやるか。そういえば、キッチン用品の未着品の問い合わせにもまだうんともすんとも言って来ないなあ。書き入れ時のてんてこ舞いの時期だってことはわかるんだけど、あっちでもこっちでもちょっとばかりドジが多すぎる。あのさあ、サンタおじいさんなんか、たったひと晩で世界中の子供へのプレゼントを間違わずに届けて回るのよ、あのお年で。(そりの積載量オーバーには目をつぶるとして。)ったく、サンタの爪の垢を煎じて飲ませたいって、このことだ・・・。

なぜかワタシは極楽ちょんぼ

12月17日。どよんと曇っているからぽかぽかと言うわけにはいかないけど、暖かい。ずっと平年よりうんと低い気温だったのに、今度は平年よりもずっと高い。ひょっとしたら、ママネイチャーはコペンハーゲンに勢ぞろいした自称、他称のおエライさんたちに向かってあっかんべぇをしているのかもしれないな。

クレジットカードに請求が上がっているのに「拒否されて発送できない」というメールが来た注文。寝る前にその話をしていたら、何のことはない、上がっていた請求はカレシの注文だった。たまたまワタシが注文した頃に発送されて請求明細に上がって来て、たまたま金額がちょうど2倍だったから、ワタシが自分の注文だと解釈してしまったわけ。てことは、つまりはワタシのちょんぼ。カードの有効期限を直前に使ったアメリカドルのカードのとごっちゃにしたらしい。良く考えたら(家計を管理しているワタシに)「カードで注文したから」と報告していたカレシには、注文先を聞かずに「請求、上がって来てないよ~」と言っていたわけ。お互いに知らずに同じところに同じカードで別々に注文を出したってことなのだ。苦情の電話をする前にわかって、赤っ恥をかかずにすんだぁ、ふう・・・。

ちょんぼといえば、鼻歌半分でクリスマスツリーに飾りを下げていて、突如500ワットくらいの電球が点った。ああ、まだガーランドをつけいてない!順番が違う!どうみたって200個はある飾りを先に満艦飾にしてしまったら、いったいどうやってガーランドをつけるんだっ?まだ20個くらいしかやっていなかったからいいようなものの、ワタシもちっとばかりちょんぼが多いぞ。仕事でちょんぼをしないように気合いを入れなくちゃ、こらあ。クリスマスまでまだ1週間あるから、とりあえずぼちぼちとやり直そ・・・。

お歳暮の発送とスモークサーモンやキャビアの食材を注文したところから「一部在庫切れ」の電話。まあ、いつもカタログをもらったら早めに注文しようと思いながら、結局はぎりぎりになってしまうもので、こっちは在庫切れの可能性は承知の上だけど、向こうはおたおたして平身低頭の平謝り。ふむ、日本人相手の商売だからなのかなあ。きっと、「正月に間に合わないじゃないか!」と怒られっぱなしなんだろうけど、なぜかワタシの方が縮こまっているような相手をなぐさめるような感じ。まあ、こっちは1年分のまとめ買いだから、とりあえず在庫のあるものを引き取って、切れているものは次の入荷待ちということにした。今の時期、ものを売る商売は大変なのだ。

今日は常備の食べ物や日用品が底をつき始めて、買出しは待ったなし。遠めだけどセイフウェイにはない魚があるIGAの方へ出かけた。今日はマヒマヒ、スティールヘッド、オヒョウ、スナッパー、銀ざけ、オレンジラフィーを2、3パックずつ。シリアルにコーヒー。ついでに「とりあえず」の野菜も買ったら、クリスタルグラスの引き換えスタンプが37枚。前回の買い物(2ヵ月前!)で33枚もらえるはずだったのが、キャッシャーの数え違いで25枚しかもらえなかったと、レシートを見せて説明したら、「あ、じゃ、あと8枚ね」と数えて追加してくれたもので、狙っていたVilleroy & Bochのリキュールグラス4個セットがただになる70枚をちょっきりクリア。おお、ありがと~。ばんざ~い。

じゃ、残っている仕事、行くか。くれぐれも極楽ちょんぼのなきように・・・

何ごとも「ほどほど」がいいか

12月18日。穏やかな金曜日。朝食後一番にクリスマスツリーに忘れていたガーランドをつけた。ああ、やっぱりこの方がクリスマスツリーって感じがする。あとはぼちぼち飾りを下げるだけ。だって、来週の今日はもうクリスマスなのだ。けさの収集に間に合うように、カナダ国内のクリスマスカードだけは大車輪で書き上げて、カレシに2ブロック先のポストまで走ってもらった。国外はもう間に合わないから、休みの間にゆっくり「年賀レター」を書くことにする。まあ、「休み」といっても、おき逃げされた仕事があるし、プレゼンの概要を早く送れと催促が来ているし、年末処理もやらなくちゃならないし、考えたら帳簿付けは4月からさぼっていたし・・・はあ、ワタシもここまで来ると地獄が見える・・・?

DVDの発送元にとりあえず正しい有効期限だけを特急メールで送っておいたら、「発送しました」というお知らせメールが来た。やれやれ、一件落着。やっぱり急がば回れっていうから。だけど、急いでいるからって「回り方」ってものがあって、こまみたいにきりきり舞いで回ってもしょうがない。行き着くところは、人間、何にでも「ほど」ってものがあるということ。まあ、その「ほど」がどのあたりなのかが難しいんだけど、、みんなそれがわかって「ほどほど」にやっていたら、人生は退屈かも・・・。

小町横町を席巻している「愛されすぎて機能不全」のトピック主。投稿受付終了で、「その2」を立てたのはいいけど、なにしろ展開がぶっちぎれに破天荒なもので、なんか日本の巷で隆盛しているらしい「ケータイ小説」ってやつじゃないかという気がする。ケータイ小説家志望の誰かが、反響の流れを見ながら、それをさらに煽る方向にストーリーを紡いで楽しんでいるとか。あっという間に満員御礼になった「こんな夫とは離婚したい」編が第1部とすると、これも早々と満員御礼になった「離婚したくない」編は第2部。(急に)離婚を求めて来た夫について、理想の男性であるパパが「絶対に女がいる」と素行調査をするらしいから、第3部としてどんでん返しのオチがつくトピックが立つかもしれないな。逆に、もしもこのトピックが実話なんだったら、2、3人の指摘があったように「病気」としか考えられない異常さ。両親に愛されすぎたようで実は本当には愛されていなかったのかもしれないな。それにしても、だけど・・・

まあ、現代になって境界性パーソナリティ障害の人が増えているというし、自己愛性障害と重なるといわれるから、この人もその例なのかもしれない。なんとなく情緒的に不安定な人が多くなったように感じるし、自己中といわれる人たちの中にも実はこの障害を抱えているという人もいるだろうな。境界性パーソナリティ障害の主な原因とされているのが、日本では親による溺愛、アメリカでは虐待と、一見して正反対なんだけど、溺愛も裏を返せば子供を非人格化して自分の付属物にする面があるから、結果として精神的虐待と同じことになんだろう。何ヵ月か前に、アメリカだかの研究で、成人の3人に1人が少なくとも一度は統合失調症に似た一過性の精神症状を起こすという結果が出たというニュースがあった。そういえば、かって日本では「ぷっつん」という言葉が流行っていたような気がする。たしかに今どきの社会には(たぶん人間由来の)ストレス要因が大増殖しているような感じだけど、その重圧が限界を越えてしまったために人間は内側から壊れつつある・・・なんて、まさか。うん、やっぱり何ごとも「ほどほど」にしといた方がいいか。

理想の体重より現実のBMI

12月19日。土曜日だ、もう!きのうはカレシの提案でお気に入りのレミでちょっとくつろいでから寝たので、かなりよく眠った気分。今日という今日は何が何でも胸突き八丁の正念場なのだ。ハイギアでぶっ飛ばせばなんとか1日でやれる量が残っているんだけど。

そういうときに限って事故は起きる。朝食用のじゃがいもを、包丁ではめんどうだからとスライサーですいすいとやっていたら、あちゃ、みごとに爪までスライスしてしまった。なにしろ起き抜けでコンタクトを入れていないから、指先のことは手探り状態。左利き用のスライサーだから、被害は当然いもを動かしていた左手の薬指。縦に3分の1くらい切り込んでしまったけど、スライサーの刃がうまいぐあいに爪と爪床の間に入ったらしく、奇跡的に皮膚は指先をちょっと傷つけて血がにじんだ程度。まあ、爪が割れたようなものかな。応急手当用の粘着テープで爪を押さえておいたけど、すっかり伸びきってしまうまで2ヵ月くらいはかかるかなあ。それまでは毎日引っかからないようにテープのはり替え。あ~あ、めんどうくさ・・・。

寝酒をするとほんの半ポンドだけどてきめんに体重が上がる。だいたいそろそろおなかが好き始める時間なもので、チーズを一切れか二切れ食べたりするからかもしれない。カレシの抗コレステロールダイエットに付き合って魚ばかり食べていたら何もしなくてもあっという間に3キロくらい減ったけど、振り返ってみると、酒量が大幅減になったことが大きいんだろうと思う。「3キロ減量」になったところで、理想的範囲の中の上あたりでずっと安定している。最近になってときどきはまた食前にマティニをやるようになったけど、シングル1杯だけで、そのときは食事に添えるワインも1杯だけ。(普通でも原則1杯だけど、軽いワインだと2杯になるときもある。)毎晩のように飲んでいた寝酒も「ときどき」になった。だから、寝る前と起き抜けに体重を測って、食事内容や活動量と対比すると、何が増減の要因かを推測できる。まあ、これはワタシ流「自己管理法」なんだけど・・・。

ブログの編集画面に出てくる「ランキング」。この前、女性の平均体重の都道府県別ランキングなんてのがあった。あちこちでブスとデブはどうとかこうとか井戸端会議がうるさいので、日本人女性はみんなマッチ棒みたいなのかと思っていたら、あら、へえ、あんがいそうじゃないんだ。どういう統計なのか知らないけど、BMIが一番低かったのは平均体重で2位だった「その他」(海外在住)。リンクをたどって女性の年齢層別ランキングを見たら、「10歳代」の1位は当然としても、2位は「60歳以上」で、身長155センチ、体重57.22キロで、平均BMIは23.8。まあ、BMIの数字は他の年齢層よりやや高いけど、平均体重そのものはなんとコンカツ世代の20代や30代よりも低いからびっくり。それでも、ワタシより5キロも多いからまたびっくり。魚ダイエットに切り替わる前に少し増えて来たなあと思っていた、その頃の体重よりもまだ重いじゃないの。へえ。ふ~ん。

な~るほど。小町にときどき上がる体重関連トピックでは、横丁の住人たちが「自己申告」する体重がどう計算してもBMIが18を切っているんだけど、さては派手にさばを読んでいるんだな。そっか、匿名掲示板なもんで、井戸端小町たちは「理想」を「現実」として申告しているってわけか。それでも太っているから「もっとダイエットしなきゃ」って、まったく、愚痴っているんだか、自慢しているんだか。おそらくは体重の「数字」だけに集中していて、「50キロ台」の数字になると身長に関係なく「太っている」と反応するんだろうな。ちなみに、ワタシの現在のBMIは21.3。まったく運動をしていなかった10年以上前は軽く23まで行っていたから、かなり「スリム化」したことになるんだろうけど、鏡を見たってそれほど細くなったようには見ないんだよねえ。まあ、どのあたりから「細い」と見るのかは人それぞれだし・・・。

余談ながら、マティニにカロリーのあるオリーブに代えてケッパーを使うとこれがけっこうイケるのだ。(ジンを切らしたときに作る)ウォッカのマティニではオリーブよりもイケていたもので、ケッパー入りのウォッカマティニは我が家の定番カクテルの仲間入り。「マティニスキー」とか「マティノヴィッチ」とか勝手な名前で呼んでいるうちに、どうやら「マティノフ」に落ち着きそうな・・・。

えっと、今日は何曜日?

12月20日。やっと終わったぞ。午前5時半に終わり。ま、半徹夜というよりは、2時間半の残業ってところかな。午前6時に就寝。これが夏だったらとっくに日が高く上ってしまっている頃だけど、今の日の出は8時をちょっと過ぎたところ。通勤時代はちょうどキャンビー橋を渡っているところで日の出が拝めたっけなあ。あまり寝つきが良くないワタシだけど、さすがにくたびれて、とっくに高いびきのカレシの隣にバタン、グーとなった。これだけ脳みそを絞ったら寝酒は出番がないよね。

と、珍しくバタン、グーだったのに、カレシが飛び起きたはずみに目が覚めてしまった。時計を見ると午前11時半。「カナダポストだってよ~」と、ダダダッと階段を上がってきて、大慌てで服を着て、またドドドッと階段を下りていったけど、郵便屋さんは返事があったので安心したのか、カレシが出て行くのを待たずに箱をゲートの中に置いて行ってしまった。ナショナルジオグラフィックだ。これでまだ来ていないのはカレシとワタシが別々に注文したDVDだけ。「他に郵便はなかったよ」とカレシ。あっ、そう。「あ、今日は日曜日だっけ?」とカレシ。えっと、月曜日じゃない?カナダポストが来たんだもん。「そっか、なんか1日飛んでしまった気分だなあ」とちょっと納得が行かない顔のカレシ。着替えをしていたワタシの頭で電球がポッ。おいおい、今日は日曜日だ、日曜日。(日本では月曜日の朝だけど。)ということは、カナダポストは日曜日を返上してクリスマス小包の配達をやってるんだ。へえ、えらいなあ。あのカナダポストがねえ・・・

冬至の前の日。雨模様で外は暗い。北米大陸東部はどえらい大雪で、コペンハーゲンから帰って来たオバマ大統領一行が乗った車の列がホワイトハウスへ行くのに立ち往生しそうになったとか。ヨーロッパもすごいらしい。ユーロスターの故障で2千人も海峡トンネルの中で立ち往生したそうだけど、海底のトンネルの中でってちょっと怖い気もするな。ワタシはトンネルがあまり好きな方じゃないから、閉じ込められたら過換気症候群が起きてしまうかも。まあ、去年のちょうど今頃はバンクーバーが寒波と大雪ですごかったよなあ。空港で立ち往生して、飛べる便を待ってターミナルで寝ているうちにクリスマスが過ぎてしまった人たちがたくさんいたっけ。そんなに長く続かないといいけどねえ。

朝食が済んだところで、クリスマスツリーの飾りつけ。最初のうちはいいけど、だんだんにかける枝がなくなって来て、飾りを持ってうろうろ。結局2時間以上かかって、いつも最後の最後の仕上げになる「天使」をツリーのてっぺんにおいて完了。やれやれ、今年は1週間もかかってしまった。我が家のツリーは二人の旅の思い出がたくさん。ふむ、東京には通年でクリスマス飾りを売っているおみやげ屋ってあるのかな。富士山とか大阪城とか金閣寺にサンタクロースをあしらった飾りなんてあったら迷わず買うけど。ま、やっとツリーの飾り付けが終わったところで、さて、今度はクリスマスディナーのメニューを考えなくちゃ。「海と空と陸」をテーマにして、海は魚介類、空は鶏か鴨、陸はビーフかラム、というのはどうかなあ・・・。

あら、仕事だって。そっか、日本は月曜日だもんなあ。実質的に今年最後の仕事の週ってことかな。こっちは、あのお、仕事やっているヒマ、あんまりないんだけど。ま、これで2009年は仕事納めってことになるといいなあ・・・


2009年12月~その1

2009年12月11日 | 昔語り(2006~2013)
孤独感という名のウィルス

12月1日。おお、いい天気だ。この調子だと、今度は冷え込んで来そうな予感。雪、やだよ、降らないでくれ~。カレシが古巣のいうなれば「OB会」に出かける予定で、今日はちょっと早めに起床。ご当人は「行く」と返事をしたくせに、「めんどうくさい」とぶつぶつ。ワタシは内心では「だったら行くって言わなきゃ良かったのに」と思いつつ、「久しぶりじゃん、みんなに会うの。行ってしまえば話も弾むよ」と煽り立てる。年をとって来たら「社交」は脳の活性を維持するために大事なのよ。活字のつきあいと違って、対面してのつきあいはその場で「即興的会話」をするから、いわば脳みそのエアロビクス。(口に出して言わないけど、近頃のカレシは何となく「ん?」という言動がちらりほらり・・・。)

ニュースで「孤独感は伝染する」と言っていたけど、社会との交流が少ないほどそういう孤独感や否定的な感情に感染しやすいらしい。類は友を呼ぶということかな。社会との交流が少ない背景には元々うつ病になりやすい体質もからんでいるような気がする。募ってくる孤独感がうつ病を呼ぶのか、うつ病のせいで孤独感が深まるのかはわからない。否定的な感情の強い人は人との交流をあまり好まないだろうから、孤独感を呼び込むタイプと言えるかもしれないな。そう思うのは、カレシにどことなくそういう傾向があるような感じがするから。基本的にどっちかというとネガティブな、うつっぽい性格で、人との関わりは煩わしいけど、一人になると孤独感に襲われるようなところがある。そこでその重い荷物を近しい人に渡して楽になろうとすると、まるで「心の風邪」のウィルスを人にうつすようなもので困ったことになる。ワタシが日頃から兄弟や友だちとの交流を推進するのはそういう「病気」の予防の意味もあるんだけど、元々消極的な人に積極性を求めるのは難しいなあ。

ワタシは一人でいてもなぜか孤独感と言うのはあんまり感じない。自称「ワタシ」というくらいの能天気な人間だからかなあ。パーティに行けば、知っている人がいてもいなくてもけっこう楽しく盛り上がる。おしゃべりが好きに生まれついているらしく、スモールトークはどこでも誰とでもお手のもの。だけど、日本にいた頃はそうでもなかったような気がする。友だちはいても、親の転勤で住んでいるところが違っていたから、つるんで遊べなかったし、第一、あの頃は嫁入り前の「箱入り娘」だったんだもの。天体望遠鏡で星を追っかけていたのは、あんがい孤独だったからかもしれないな。スモールトークだって、英語だからできるんであって、日本語だったら、相手と自分の上下関係がわからなければうっかり口を開けないから、知らない人とは話なんかしないだろうし。

つまり、カナダに来てからのワタシは孤独を感じない環境にいるってことなんだろうけど、よく考えてみたら、一人でいて退屈することもあんまりない。まあ、物心ついた頃から一人遊びが苦にならないたちだったらしいけど、フリーランスの在宅自営業もある意味で一人遊びみたいなものだから、それで延々と20年もやって来られたのかもしれないな。それにしても、人の中に紛れ込んでわいわい騒ぐのが好きで、一心不乱の一人遊びも好きというのは、矛盾しているような感じがないでもないけど、ま、いいか。それがワタシなんだし、あんがいボケずにすむかもしれないし・・・うん。

カレシさあ、共にボケてしまわないように、もっと一緒に遊ぼうよね。友達をたくさん呼んで、どんどんパーティもやろうよ。ボケて他の人とのつながりがわからなくなったならまだしも、孤独な老後はほんとにつらい孤独だろうと思う。人間というのは生身の人間のぬくもりを感じることで心豊かに生きられるようにできているんだと思うよ。だから、ねえ、あそぼ~ったら~!

ゆるゆる人間は沈没する

12月2日。すばらしくいい天気なんだけど、案の定、最低気温はマイナス2度まで下がったとか。ずっと北の方までかなりの高気圧。トロリーバスの架線の霜取りが間に合わず、朝のラッシュにバスが軒並みダウンしてしまったとか。この調子だと初雪は近そう。暖気と入れ替わる過程での雪ならいいけど、去年の「再放送」はごめんだなあ。おまけに市条例の改正で、これまで商業ビルや集合住宅だけだった歩道の雪かき義務が全市に拡大されるし。これは去年の大雪で市民生活に支障を来たしたことから得た教訓によるものだけど、角地の我が家は「家の前の歩道」が普通の4倍、40メートル以上の長さになる。去年は「なんで他人のためにオレが雪かきしなきゃならないんだ」とやらなかったカレシは義務化のニュースを聞いて「あっ、そう。いいよ」と肩をすくめたけど、果たしてやるのかな。スーパーで融雪用の塩を買って、ストックしておこうかなあ。

たしかに除雪されていない歩道で一番苦労したのは高齢者や障害者だったけど、雪かき義務になって一番難儀するのも高齢者や障害者じゃないかと思う。それと、「午前10時までに」という条件付だから、交代勤務の人も困るんじゃないのかな。しかも、雪かきを怠った場合の罰金がバカ高いし、罰金を払ってなおも拒否したときは市がやって、その費用を取り立てるというからえらい力の入れようだけど、今の市長も市議会も「規則つくるの大好き」党だから、たぶん高齢者や障害者への考慮は忘れていないだろう。とは思うけど、あてにはならないかな。今はやりの「グリーン革命」をかっこよく推進する話になると熱が入るんだけどなあ、この人たち。

グリーン革命といえば、アメリカで地球温暖化は「人間の活動に由来する」として、政府に規制を働きかけている科学者たちが、異説を唱える科学者たちの論文を掲載させないように学会誌などに圧力をかけようと相談していたらしい一連のメールがハッカーに盗まれてネットに流出してひと波乱。だって、自分たちに反対する意見が日の目を見ないように封じ込めようという、もろに「言論統制」じゃないの。科学者なんだから、正々堂々と自説を唱えて、議論を戦わせたほうが人類のためになると思うけど。まあ、人を黙らせて持論の説明や議論を回避しようとする輩に限って自分の言っていることに自信が持てていないようなところがあって、異論に対して強圧的な態度を取って、それが成功したところで「自分の正しさ」に確信を持つというのが多いように思う。いじめっ子の心理にも通じるところがあるような感じで、そういう人間が集団になったら怖い。環境保護運動がそういう方向に向かっていなければいいんだけど。

それにしても、コミュニケーションの手段が全体的にどんどんキケンになっているのに、みんなけっこう無防備なんだなあ。今の時代、メールにチャットにSMSにVOIPに携帯電話と、面と向かって話をしなくても十分以上に事足りてしまう。相手の表情や反応にリアルタイムで触れることがないから、そのうちに「向こう」に生きた人間がいるという実感も薄れつつあるのか、無防備な行動が増えているような気がするんだけど。かのタイガー・ウッズもボイスメールに「浮気の証拠」を残しちゃった。ボイスメールが録音装置だということを忘れたんかいな。おまけにそのメッセージの中で「女房がボクの電話(の記録)を調べたんで、電話が行くかもしれない」とか、「頼むから名前を外して番号だけにしてくれ」なんて言っちゃってるんだから、っとに無防備もいいところだったよね、キミ。まあ、いつでもどこでも携帯機器を持ち歩いて使っているうちに、キカイの先は世界に開かれた空間だという認識が薄れてしまったゆるゆる人間が増えているということなのかもしれない。第二次大戦中にアメリカが敵のスパイを警戒して「Loose lips sink ships」という言葉を作った。ゆるゆるの口は(味方の)船を沈めるということで、日本のことわざなら「壁に耳あり、障子に目あり」ってやつかな。

日本でのある調査では、回答した20才から39才までの既婚女性の61%が夫の携帯のメールなどの記録をチェックしたことがあるとか。小町横丁でもそれで不倫が発覚したという話がよく出てくる。見つかるとは思っていなかった無防備なゆるゆる夫が多いんだろうけど、ことさらプライバシーを言い立てるタイプはあんがいやましいところがあったり、あるいはそういうアブナイ隠しごとが好きで、それをちらつかせて相手の反応をうかがうような趣味があったりするから要注意かな。わざわざ疑惑を招きそうなそぶりを見せて相手の注意を引いておいてから、「プライバシーの侵害だ」と攻撃してくる悪質なのはもっと要注意。夫婦の間でも互いのプライバシーを尊重すべきではあっても、それを隠れみのにして倫理に反することをして(つまり権利を乱用して)おきながら「プライバシーの権利を尊重しろ」と言っても、あまりたいした説得力がなさそうで、逆に撃沈するだけかも。

ほっこりブログの効能

12月3日。英語教室を2日連続に変更したら、カレシは木曜日から月曜日までの5日の週末。ワタシは木曜日の夜中までに仕事が入ってこなければ、月曜日の夕方までは安全地帯。このところ急に仕事前線が静かになった感があるけど、まあ、クリスマスまであと3週間。その後は日本で仕事納めということで、このまま年が暮れるまでそろってのんびりした週末、ということになればいいんだけど。

きのう「ゆるゆる」という言葉を「しまりがない」という、ややネガティブな意味で使ったんだけど、どうやらブログ語では「ほっこり」の同義語として使われているらしい。なるほど、「窮屈さがない」というイメージの癒し系表現なんだろうな。おもしろ半分にググって回ったら、うわっ、ある、ある。ゆるゆる、ほっこりの洪水。「ほっこりすと」とか「新ナチュラリスト」ともいうらしい。あるサイトの皮肉たっぷりの定義によると、「新ナチュラリズム」とは、「西洋の田舎生活を気候の違う日本で不自然なまでに再現しようとすること」だそうで、おしゃれな雑貨たちがどうの、アンティークの何とかたちががどうの、何とかブランドのティーカップたちががどうのと、「お気に入りにかこまれて」、おしゃれに穏やかにと~ってもお上品に、「ほっこり、まったり、ゆったり、ふわふわ、こっくり、じっくり、ていねいに~、ぽかぽか、のんびり」と「おだやかな時間、自分のための贅沢な時間」をお過ごしのご婦人方が溢れるほどいるらしい。まあ、いたってのどかな「擬似田園風景」的な消費生活といえそうだけど、ふ~ん、不景気でデフレの世の中だというのに、ほんとかいな・・・。

ついでにネットをぶらついていて迷い込んだのが「ブログ村」というところ。すごい数のブログがある。自己のブログを紹介するのに、なぜか「~を綴ります」、「~を綴っています」というパターンが多い。これもブログ語なのかな。「海外生活」というカテゴリを見たら、「カナダ」というサブカテゴリに406件もあるからびっくり。こっちは「紹介しています」、「お届けします」、「情報発信します」というパターンが多いような。うん、このブログ、「カナダ生活の情報発信」などと振りかぶらないで、ただのたわごと日記にして良かったなあ。こんなに大勢の人たちがカナダ暮らしの情報を故国日本に向けて発信してくれていたら、ワタシの出る幕はないもんね。ゆるゆる、のんびり、ほっこりと、半径5メートルのカナダのすばらしさを大いに宣伝してね。

小町でもブログに関するトピックがときどき立つけど、だいたいは「むずむずする」とか「自己顕示」だとか批判的で、「いやなら読まなきゃいい」という人がいれば、ああだこうだと分析する人がいて、かなりにぎやかな議論になる。ワタシも「新日本語」を勉強した(させていただきました・・・かな?)何にでも「お」をつけ、自分のことに敬語を使い、「~て。」と宙ぶらりんでセンテンスをくくり、「セレブな私」を演出・・・というあたりが「むずむず」の元凶らしい。ゆるゆるの擬似セレブ風ブログを読んで、「んなこたあ、ありえねぇだろ~が」と反発する気持が「むずむず感」になるのかな。まあ、たしかに気取った感じ、不自然な感じ、無理をしている感じはあるかもしれないけど、それも「綴り方」のうちだからね。

文章を書くのに慣れていない普通の人が芸能人などのブログや女性雑誌の文体をまねして書いているからみんな同じ「むずむず」パターンになるのでは、という分析はおもしろい。要するに、憧れる華やかなものをまねての演出ってことかな。でも、いいじゃないの。現実世界では髪を振り乱して走り回っている人が、ブログでは「ふんわり」暮らしていてもいいじゃないの。西洋の田舎生活を不自然に模倣していたっていいじゃないの。すてきなアンティーク雑貨が使いものにならない「がらくた」だっていいじゃないの。仮想現実空間へのつかの間の逃避で「ほっこり、まったり、ゆるゆる」した気分になって、自分を癒しているんだろうと思うから。

では、サンマを焼いてゆっくりと

12月4日。ほんとにまぶしいくらい明るい。それでもたいして冷え込んでいないらしく、家の中の陽だまりはぽかぽかを越えて少々暑いくらい。来週末まで晴天が続くそうだけど、そこで暖気が先か、雨雲が先か。きのうは夜中を過ぎて「お、この週末はフリーだ」と喜んでいたら、午前2時を過ぎて立て続けに仕事が2つ。日本では金曜日の夜だというのに、「まだ帰れないんです~」。おやおや。というわけで、ワタシの週末はお預けになってしまった。

それでも、週末の仕事は気分的に余裕があるから、まずは「用足し」。洗濯機を回しておいて、銀行へ行って、第3四半期の物品サービス税の還付小切手を入金して、今月の掃除代とシーラとヴァルにあげるクリスマスのチップ、それに当座の現金を出す。日本の銀行に貯まっていた円建ての売上を送金してもらったので、ふところ加減は当面ほかほか基調。銀行から連絡があってカナダドルに交換して入金してもらった翌日に円がすとんと下がった。今日が入金日だったら1000ドル以上少なかっただろうな。いやあ、今回はラッキー!別に投機で儲けようというわけじゃないけど、1000ドルの差が出たらやっぱり損したと思ってしまうもん。これを毎日やっている人って、かなり強靭な神経の持ち主なんだろうなあ。

底をついた野菜類をど~んと買いこんで来て、洗い終わった洗濯ものを乾燥機に突っ込んで、野菜類をカレシのとワタシのとに仕分け。今日はトートバッグを2つ持って行って、それぞれのかごから別々に詰めてもらったから、仕分けはとんとん拍子。ところが、終わってベースメントに引っ込んだら、カレシはやたらとくしゃみを連発し、ワタシは咳が止まらない。エアクリーナーをかけたけど、換気装置を「高速」にしようと、タイマースイッチが一番近い園芸ルームに行ったら、換気装置のあるとなりの工作室が静か。わっ、常時「低速」で回っているはずのファンが動いていない。だけど、試しにタイマースイッチを入れてみたら、ちゃんと「高速」で動き出した。まあ、21年間も常時運転だったから、そろそろお疲れってこともあるけど、高気密性の家だから、換気しないと汚れた空気の行き所がない。アレルギー持ちの人間には一大事なのだ。即刻、空調会社に点検を依頼したら、「来週の金曜日になります」。はあ、それまでは1日数回手動で高速換気する他ないか。

空調会社と話をしていて、マットが改装するバスルームに排気ファンをつける話をしていたのを思い出したから、ついでにスケジュールの状況を聞いておこうと電話した。「今の仕事によぶんの時間がかかりそうで、早くても3月以降」だそうな。うへ。「元の同僚のマイクならもっと少し早くできると思うけど、バトンタッチしていいかな」と聞くので、空調も電気も配管もおなじみの会社を使っているということでOK。改装には景気刺激策の「税額控除」の恩典があって、完了期限が1月末だから、工務店はどこもてんてこまいなのだ。我が家のプロジェクトはもう何年も懸案だったから、税金の控除は要求事項には入れなかった。とすると、2月くらいになるかな。ま、マットがマイクと相談して、マイクがOKしたら、改めて二人を交えて「プロジェクト会議」をするということで、ひとまず話がついた。

やれやれと思ったら、午後はもう終わり。夕食のしたくの時間になって、冷蔵庫の上のフリーザーを開けたら、うひゃ。きのう半分飲んだワインのびんが入っている。もちろん、ワインはガチガチ。はあ、どうやらカレシが冷蔵庫に入れるつもりでフリーザーの方に入れてしまったらしい。二人してひとしきり大笑いしたところで、シンクに張った水に漬けてゆっくり解凍することにしたけど、「これがほんとのアイスワイン」なんてダジャレにもならないじゃん、キミ。ビンの中で凍っていてはシャーベットにもできないしねえ。まあ、何十ドルもするような高級ワインでなくて良かったけど、っとにもう・・・。

今日のメニューはロールモップとねぎの太巻きと冷凍サンマの開き。煙探知機が鳴り出してまた消防車出動ってのはかっこ悪いから、アルミホイルに包んで、ときどき油を捨てながらグリルで焼いた。これだと煙がでなくても皮にちゃんと焼き目がつく。(魚焼きグリルがない国の生活の知恵ってところかな。)大根おろしを載せたら、う~ん、子供の頃に裏口で七輪をパタパタ仰ぎながら焼いたサンマを思い出すなあ。獲れたてには遠く及ばないけど、懐かしい味はとにかくおいしい。すっかり魚通になったカレシも「これはうまい」。じゃあ、またHマートで買ってこようね~。

不測の事態に慌てた今日は、サンマを焼いて、無事に液体に戻ったワインでゆっくりと乾杯・・・。

コンサートはロシア音楽の夕べ

12月5日。今日も良い天気。冷え込む、冷え込む、とうるさいけど、雪が降らなければ冷えたっていいじゃない。今日はバンクーバー交響楽団の「Musically Speaking」シリーズの初回。何年もブリティシュコロンビア大学のキャンパスにあるコンサートホールでの室内楽シリーズに行っていて、ダウンタウンに戻るのは久しぶり。カレシが土曜日で駐車する場所を探すがのめんどうだとしぶるもので、ワタシは好きだったこのシリーズを止めたのが、室内楽にも飽きてきたし、地下鉄の開通で車でなくても良くなったしというこで、古巣?へ戻ることになった。

だから、今夜は地下鉄で行くのかと思ったら、「寒いから駅まで歩きたくない」とまたぞろ駄々をこね出すカレシ。駅までは歩いてたった10分かそこらだし、ダウンタウンではいつも駐車する場所よりも駅の方が近いのに。じゃあ、モールまで車で行って、駐車場に車を置いて地下鉄で行く?「時間オーバーするじゃないか」とカレシ。モールは4時間まで駐車できることになってるんだけど。それに9時を過ぎたら開いているのはスーパーだけだから、もうチェックなんかしないと思うけどなあ。ほんとのところは、めんどくさがりモードになっているカレシは行きたくないのだ。だけど、行きたくないと言えばワタシは誰かを見つけて一緒に行くだろうから、そうは言えない。ふ~ん、めんどうな人だねえ、キミ。で、ちょっとむずかった挙句に、制限時間いっぱいで「車でダウンタウンまで行く」と決断が下って、ぶじに出発。

今度の席はバルコニーのドレスサークル最前列のど真ん中。高いからオーケストラ全体が見渡せていい。ところが、最初の曲が(ショスタコヴィッチの『祝典序曲』)が始まったのに、ワタシの隣に座った二人連れがおしゃべりをやめない。見たらタコ入道みたいなつるつる頭のおじさんともじゃもじゃ頭のおじさん。身なりはいいけど、どう見てもクラシックコンサートの常連さんという感じじゃないかな。年の頃は40代後半か50代初め。つまりはいい年なんだけど、近頃は何でもパーソナルで、自分の家の内と外の区別をつけられなくなった人たちが多いなあ。しゃあないから、「すみません」と言って、(お上品に)唇に指を当てて(にこやかに)「プリーズ」とやったら、おじさんたちはおとなしく黙ってくれた。サンキューヴェリマッチ。おうちでDVDを見てるんじゃないんだからね!

今夜は「ロシア音楽の夕べ」とでもいうのか、ショスタコヴィッチの後はプロコフィエフの『キジェ中尉』から「トロイカ」。チャイコフスキーの『ロココの主題による変奏曲』で第1部が終わり。このチェロの変奏曲はすごくセクシーでいつ聞いてもうっとりしてしまう。土間の席だった頃と比べて、音質がなんとなく違って聞こえる。Orpheumは古いヴォードビル劇場を改装したものだから、交響楽団にはあまり向いていない。でも、バルコニーは高いから、空間的に広がりがあって、すべての楽器の音がちょうどいいぐあいにブレンドされるのか、ずっといい音に聞こえる。まあ、ドレスサークルにはシニア割引も学生割引もないんだから、そうでなきゃねえ。

第2部は地元の作曲家の新曲の初演。若い音楽家を養成する目的で短い曲を発表する機会を設けているんだけど、今夜は冬季オリンピックがテーマで、タイトルが『2010 Traffic Jam(2010年の交通渋滞)』。なかなか躍動感のあるかなりビジュアルな曲だから、都会を舞台にした映画のオープニングシーンに使えそうな感じだな。演奏が終わって、挨拶のためにステージに出てきた作曲家君は、あら、ゲームショップでWiiでも売っていそうな眼鏡のお兄ちゃん。まだ21歳だそうで、拍手喝采に応えるお辞儀の仕方もぎごちないのがかわいいくらい。将来はきっと明るいよ、ジャレッド君。

次のチャイコフスキーの『ペッツォカプリッチオーソ』では、途中でチェロの弦が緩んでしまうというハプニングが起きて中断。奏者のジュリー・アルバースは弦を締めなおして、調弦して、音合わせをして、演奏を再開したけど、ソリストには悪夢のようなもんだろうなあ。プロコフィエフの『三つのオレンジへの恋』組曲の後は、チャイコフスキーの『眠りの森の美女』組曲。アダージオを聞きながら、7、8歳くらいの頃にみんがやっていたバレリーナごっこを思い出した。お金持ちのバレリーナの女の子が主人公の少女漫画があって、みんなバレリーナに憧れていた。リボンを足首に巻いてトウシューズのつもり。つま先立ちしてオデット姫になったつもり。でも、習い事といえばせいぜい書道かそろばん程度で地方の小都市にバレエ教室があったと思えないし、誰もクラシックを知らなかったし、まだテレビもなかったから、みんなどうやって踊ったんだろう。漫画の絵をまねてポーズをとっていただけだっ
たのかな。あはは、その辺のところは覚えていないけど、あんまり優雅さとは縁がなさそうなワタシにだって、バレリーナごっこやシンデレラごっこをやっていた、ふつうの子供の時があったってことか。

久しぶりにオーケストラの大音響に包まれて、気分がすっかり高揚して、ああ、すうっとした。

焦らないと、クリスマスが・・・

12月6日。寒いなあ。明日とあさってあたりが一番冷え込んで、金曜日あたりに雪、土曜日は雨交じり、そして日曜にはおなじみの雨が再登場、という予報。金曜日は空調会社が換気装置の修理に来る日だけど、大丈夫なのかなあ。まあ、雪が降る確率は郊外の方が高いんだけど、肝心の空調会社が郊外にあるから、ちょっと心配。お天気のことは気をもんでみてもしょうがないか。

ひとつ仕事を送り出して、今日はひとりで自分だけのショッピング。自分だけのショッピングをする。お得意さんにカードと一緒に送るカレンダーを買い、引っ越し祝いのプレゼントを買う。ワタシ流にこれはというものを探したり、選んだりするとけっこう時間がかかるから、待つことが嫌いなカレシと一緒ではストレスになってしょうがない。運動代わりに歩いて行くといったら、「スーパーでたくさん買い物があるから、駐車場に空きがあったら電話しろ。そうでなくても、もしも買い物をしすぎてトートが重くなったら迎えに行ってやるから電話しろ」と来た。あの~、12月の日曜日の午後だよ。クリスマスショッピングの季節だよ。この時間に駐車場に空きなんかあるわけないじゃないの。だから、歩いて行くって言ってるの。

勢い良く歩き出したのはいいけど、今日は風があって、耳元でひゅうひゅうというのを聞いているだけで寒い。体感温度は氷点下だろうな。ワタシはいつもの極楽流でフリースの裏のついたジャケットの下は家の中で着ていた半袖のシャツ一枚。それでも半分も行かないうちに汗ばんでくる。冷たいのは肩からずり落ちそうになるトートを押さえている手と耳。ずっと昔、25年くらい昔の勤め人時代に、猛烈な寒波が襲来した年があった。カレシが車を止める場所からワタシの職場までは下りの坂道で、ブーツに毛皮のショートコート、マフラーにイアマフといういでたちで、入り江を渡って来る寒気に向かって歩いていたら、イアマフからはみ出していた耳たぶの先っぽが凍傷になってしまった。小さいけどりっぱな凍傷。やがてかさぶたになってポロリと取れたけど、温帯雨林のバンクーバーのそれもダウンタウンで凍傷」という嘘のようなほんとの話。1980年代はそれくらい寒かった。

カレンダーを見繕い、自分で気に入ったプレゼントを見つけ、ついでにこの前にCoachで買ったのとそっくりのクラッチバッグを送ってきた割引25%のカードを使って買って、今日のショッピングは終了。モールはどこも人がたくさんいて、どこでもレジの前には列ができている。やっぱり景気が上向いているのを感じて、みんな買う気満々というところなのかな。(1980年代初めの大不況のときはクリスマス直前になってもデパートのレジには人の列ができなかった。)ベイでは、先月店内に流れ出したクリスマス音楽に「頭がどうにかなりそうだ」とぼやいていたお兄ちゃんがレジで長蛇の列をさばいていた。まあ、誰だって勤務時間中いっぱい甘ったるい『ホワイトクリスマス』とか『赤鼻のルドルフ』とか『Frosty the Snowman』を繰り返し聞かされたら発狂しそうな気分になるよなあ。

モールの広い駐車場は空きを探す車がぐるぐる。これではスーパーでの買い物どころじゃないし、迎えに来てもらうほどの荷物じゃないし、ということで、ちょっと膨らんだトートを肩に勇んで歩いて帰ったら、家に着いた頃はすっかり汗ばんで、いい運動をした気分。だけど、クリスマスまであと2週間半。なんだか忙しない気分になって来たなあ。送るものを送って、注文するものを注文して、買うものを買わないと、例年のごとく焦ることになるぞ・・・というよりは、もう焦らないといけないところまで来てしまっているような気がする。さっさと仕事を片づけて、クリスマス計画の次へ進まなきゃあ・・・。

外は木枯らし、内はぽかぽか

12月7日。今日もまぶしい日。外はかなり寒いらしい。きのうの夜は月がすごく明るかった。だけど、冬の月はやっぱり冷たい。月が冴え冴えとしている間は気温はどんどん下がる。まあ、天気予報から「雪」は姿を消したけど、この寒波、週末までのがまんとか。ワタシは相変わらず半袖シャツ一枚と素足のままで家の中を走り回っているもので、季節に合った服装のカレシは、「ちょっと血の気が多すぎるんじゃないか」と呆れ顔だけど、ほんとに寒くないんだってば。

ひと月も前に注文した品物がやっと届いた。トロントにある何年もおなじみのキッチン用品店なんだけど、どうも秋に移転してから様子がおかしい。9月の末に注文した数点が届いたのがニューヨークへ旅行中の10月の末。クレジットカードの請求は注文の翌日で、メールでレシートも送ってきているのに、発送通知は3週間も経ってからで、おまけに届いてみたら注文とは違うものが1品。送り返すのもめんどうだから、改めて目当ての品物と他に数点を注文したのが11月の初め。またまた請求やレシートはすぐに来るけど、発送通知が来たのが先週で、届いたのが注文から1ヵ月を過ぎた今日。しかも、レシートにある品物が2点抜けていると来た。さっそく問い合わせのメールを出しておいたけど、いいものがたくさんあって、サービスもいいし、今まで必ず10日以内に届いていたのに、どうなっちゃったんだろうなあ。いとも不可解・・・

かなり長い間メールしていなかった友だちのシャーラから突然Facebookへのお誘いが来た。ワタシはFacebookのアカウントを持っていない。劇作の先生からもお誘いをもらってそのままにしていたんだけど、どうしようか。シャーラはあるフォーラムを通じて知り合ったテキサス州に住む人で自分の事務所を持っている公認会計士。そんなキャリアウーマンのシャーラが40代になってやっと好きな人に出会って結婚したら、これがえらいマザコン男。オフラインで3年くらい愚痴を言いあったり、元気づけあったりしていたのが、お互いに忙しくなってここ何年かメールが遠のいていた。ワタシはシャーラのことを忘れたことがなかったし、シャーラもワタシのことをちゃんと覚えていてくれた。これが友だちってもんなんだろうなあ。

どうしようかと迷ったけど、結局はアカウントを開いて、シャーラの「友だち」になった。まあ、これから使い方を覚えていけばいいか。でも、びっくりしたのは、シャーラの誕生日がワタシと同じだってこと。生まれ年は12年違うけど、世界はほんとに狭いなあ。カレシの弟のデイヴィッドも同じ誕生日。高校時代に文通していたパリジェンヌのアンヌマリーも同い年で同じ誕生日。彼女とは地球のあっち側とこっち側で「いつか出会う運命」を持って生まれて来たのよねえ、なんて乙女ちっくなことを言ってたなあ。高校卒業と同時に結婚したアンヌマリーだけど、ひょっとしたらもう孫に囲まれているかもしれないな。ワタシと同じ誕生日の人に3人も出会えたのは、ラッキーな日だからかなあ。

そのラッキーな誕生日のデイヴィッドから電話があって、来月ひとりで来るので2、3日泊めてくれと言う。おお、もちろん、もちろん。一応はパパの90歳の誕生祝いに来るというけど、遠いトロントに離れているし、デイヴィッドも突発的に気胸になって以来健康不安を抱えているから、今のうちに顔を見ておこうという気持なんだろうな。肝心のパパはもうどうしようもなくボケてしまって、92歳のママが同じ部屋で介護するのは危ないということで、完全介護棟に移されて以来毎日ほぼ眠っている状態だそうで、誕生祝いができるかどうかはわからない。なにしろ、68年連れ添った妻の顔さえわからなくなってしまっているんだから。

うう、今夜もぎりっと冷え込んでいるなあ。カレシは温室内の温度を示すリモート温度計を見ては電気ヒーターの調節に出たり入ったり忙しい。せいぜい12平方メートルの小さな温室をプラス5度まで暖めるのに、185平方メートルの家全体を暖房する倍の電気料金がかかる。でも、今日は気分がほかほかなもので、「あ、もひとつヒーターを入れたら?」なんておおようなことを言っちゃったけど、今プラス4.9度。まあ、最低気温の予報はマイナス5度か6度くらいだから、これ以上はあまり下がらないかもしれないけど・・・。

小さなアメリカを見つけた

12月8日。ゆうべは結局かな~り冷え込んだようで、温室の最低気温はプラス1.9度まで下がっていた。サボテン類はたぶん砂漠の夜の寒さに慣れていて気にしないだろうけど、他の鉢植えは歯をがたがた言わせて震え上がって、「待遇悪い~」とこぼしていたかもしれないな。「寒かったろ。ごめんよ」と言ってやればいいのにと言ったら、「ボクはチャックと違って土に植わってるものには話しかけないの」とカレシ。チャックというのはイギリスのチャールズ皇太子のことで、だいぶ昔に室内植物に話しかける奇癖があるという噂があったのだった。どこかで話しかけると良く育つという説があったから、それを実践したのかもしれないけど。

北米の天気図は日本とはまた様相が違っていて、「西高東低の冬型の気圧配置」なんてものはない。アジア大陸に寄り添った列島と違って、東西南北、端から端まで何千キロもある大陸そのものだからなんだろうけど、天気予報も国土が広い割にはかなり大雑把に見えると思う。冬の天気の大きな要素がジェット気流の動きで、これが派手に蛇行してぐ~んと南へ下がると、そこへ北極からの寒気がそれっとばかりに南下して来て、気流のイチによってはテキサスあたりまで雪が降ったりする。今、コペンハーゲンで地球温暖化をどうするか議論しているけど、どこも気温が高かったという今年、北米では平年より低かったとか。政治家だの環境活動家だの科学者だのといったえらい人たちが、わざわざ飛行機で飛んで行って、差し回しの大きな車に乗って集まって、誰がどれだけ二酸化炭素の排出を減らすべきかと「hot air(だぼら)」を吹かしまくっていたら、炭素の排出量は増えるばかりじゃな
いのかなあ。

明日の午後に仕事が入るという予告があって、その後にすでに別の予告が入っているから、今日こそはとクリスマスカードの準備にとりかかった。営業用のは、カードの大きさを測って、Wordに保存してある「ビジネス名」を印刷する位置を調節して、厚手なので1枚ずつ手差しで印刷する。不要の紙にゲラ刷りを作って、カードと重ねて位置を確認して、必要なら微調整して、本印刷にかかる。これがけっこう手間のかかる作業なんだけど、それが済めば後は営業用、個人用どちらも封筒に住所を印刷して、カードにサインすれば発送準備完了。小包とまとめて郵便局へ持って行えばいいだけになるけど、う~ん、きっとそこも長い行列ができて時間がかかるだろうな。それでも、今年は今のところちょっぴり余裕で進行中ってところかな。ま、なんていっているうちにきっと焦らなきゃならくなるんだろうけど、それもいつものクリスマス準備風景。来週末はツリーを飾らなくちゃ。

小町に『アメリカかぶれな生活』というトピックがあった。海外永住を夢見たけど、数年アメリカで暮らして日本に定住。でも、思い出が膨らんで、アメリカがなつかしい。日本でもアメリカ気分が味わえるアイテムはないか、と。書き込まれる提案を読んでみたら、手っ取り早いのがアメリカの洗剤や柔軟剤、ハンドソープに食器用洗剤等など。値段も手ごろだし、と。なるほど、きっとアメリカ時代の匂いがほうふつとしてくるんだろうな。壁をペンキで塗るという案もある。そういえば、日本の家の内装は(今はどうか知らないけど)化粧合板とかいう壁板をはっていたっけ。ペンキ塗りは楽しいよ。ちょっと(アメリカンいたずらっ子代表のような)トム・ソーヤー気取りでやればもっと楽しい。リビングの天井からギンギンに明るい蛍光灯を吊るすのをやめて間接照明にするというのは、いいかもしれないな。別のトピックでも西洋の家の室内は薄暗いという話をしていた。でも、それは目の色の違いによる明るさの感覚の違いのせいだという人が多かったけど。

スマッカーズのピーナッツバターにイチゴジャムをパンに塗る・・・あはは、北米の子供たちが大好きなサンドイッチ。たしかに「アメリカの味」と言えるなあ。食器はファイアキングばかりって、ワタシが新婚で貧しかった頃にバンクーバー名物の安い店「Army & Navy」で買ったのがファイアキング。ママがお下がりでくれたパイ皿もファイアキングだったかな。使わなくなって捨てちゃったけど、オークションに出したらけっこういい値で売れたのかもしれないな。壁に壁紙を貼って、床をカーペットにして、土足で上がってはどうかという案もある。う~ん、北米でも家の中に入ったら靴を脱いで上靴のようなものに履き替える人は昔からけっこういるけど。こればかりは海外在住組も家の中での土足は気分的にイヤだと言う人が多いんじゃないのかな。日本では心理的に無理だろうと思う。それこそ「アメリカかぶれの友だちに疲れる」と小町にトピックを立てられるかも。

カレンダーは絶対にLANG社のでなきゃあって人がいるけど、まあ、「古き良きアメリカの田舎風景」の絵だったりするから、たしかに1年間「アメリカの気分」を味わえるかな。(カレンダーはだいたいが自分で買うものなので、今の時期は、モールにはカレンダー屋が出るし、量販の本屋にも壁一面のカレンダーセクションができる。)だけど、カレンダーにはカレンダーフレームをつけるって、そんなの見たことがないなあ。たしかにLANGは木のフレームを売っているけど、普通はプッシュピンあたりで壁に吊るしてある。まあ、この人はついつい「朝ごはんはパンケーキにソーセージパテ」を食べるそうだし、家中をアメリカにはできなくても「キッチンテーブルまわりだけでもアメリカンにすると、お茶を飲むときにほっと懐かしい思い出に浸れる」そうだから、きっと「アメリカかぶれな生活」をほっこりと味わっているんだろう。

説教口調で「過去を懐かしむのもいいけど、本国日本にいる今の幸せを実感しなさい」と諭している人がいたけど、そうやって人さまの楽しみに水をさすこともないでしょ。「脳内アメリカ」で楽しかった思い出を懐かしむのも悪くないと思うけどね。カナダ人(アメリカ人)だって、日本へしばらく行って、みごとな「日本かぶれ」になって帰ってくる人がいるし、ちょっと仏教なんかをかじって、東洋の神秘に「イタイ人」と言われそうなくらいかぶれちゃう人もいるしね。見ていたら、登場するべくして登場したのが「マーサスチュワートリビング」。日本では「カリスマ主婦」とか呼んでいたらしいけど、マーサスチュワートはまさにアメリカ版の「ほっこり暮らし」の元祖。インテリア関係の雑誌は山ほどあって、どれもため息の出そうなすばらしいバスルームやベッドルーム、キッチンの写真が満載なんだけど、
人間が写っていないから、生活感はゼロ。そう、北米流に「ほっこり」の夢を売っているわけ。

日本のどこかの、小さな家の片隅の、小さなアメリカ・・・いいじゃないの、平和そうで。

愛されすぎて機能不全の人

12月9日。今日もカチッと冷えたいい天気。いろんな人が出てくる変てこな夢を見ていて目が覚めた。外に庭園のようなものが見えるパーティ会場に、しばらく会っていない人たちも含めて、友だちや家族親戚が次々と登場して、やあやあ。みんな辻褄の合わない支離滅裂な会話をして笑っているうちに目が覚めたんだけど、やっぱりクリスマスが近いからかな。ヘンな夢でも楽しい夢はいい。そういえば、かって10年以上も繰り返し見た「どこかへ行ってしまったカレシを探し回る」夢は、もう何年も見ていない。ワタシの心境の変化なのかな。今はカレシが「いつも側にいる」という安心感なのか、あるいは「もうどこにも行かない」という自信なのか、はたまた「どこにも行けるわけな~い」という慢心なのか。あんがいどの気持もごっちゃにない交ぜになっているかもしれないけど。

小町にまたまた目が点々になるトピックがあって、おもしろくなって午後いっぱい読み耽ってしまった。『夫が父親として機能しません』というのが27歳の幼児2人の母の苦情。初めはタイトルだけを見て、また家庭を顧みないダメ夫の愚痴かと無視していたら、ランキングがぐんぐん上がって、すごい数のレス。わずか1週間でもう受付終了の予告が出るくらいの盛り上がりようなもので、つい見てしまった。(ん、ワタシもかなりの野次馬・・・。)子煩悩で日曜は子供の相手をするけど(子供はパパになついているらしい)けど、土曜日は趣味のバスケットに出かけてどこへも連れて行かない。土日を家族のために使わないのは最低。その上、勤め先が倒産して、再就職はしたけど収入が激減。バイトとか考えてと言ったら、会社が禁止しているから足りなければパートに出て欲しいと言われて、「下の子はまだ1歳なのに」と大むくれ(母親が働くのは「育児放棄」という主張。)その後夫は残業や休日出勤が増えて、父親として機能していない。こんな男なら離婚して新しい人生を歩みたい、と。はあ。

いやあ、自分の夫に対して「機能する/しない」という表現を使えてしまうところからしておっかない奥さんだと思ったけど、人のいうことには聞く耳持たずで、結婚するときに「必ず幸せにする」と言ったのに幸せにしてくれていないと夫を責め、結婚前からやっていた(唯一の息抜きであろう)バスケットも「やめてほしい」。ワガママだという意見に反論すればするほど自己撞着に陥っている感じだけど、これくらいみごとに自己中というか、未熟というか、徹底して他力本願の人はめずらしい。バブル全盛時代の裕福な家庭のひとりっ子として「愛情あふれる」両親に蝶よ花よと育てられ、愛とは人が自分に注いでくれるものだとばかり思い込んでしまったんだろう。そうだとしたら、両親の「愛情の集中豪雨」が娘の成長を阻害したといえるだろうな。

夫氏の週1回のバスケットボールをどうしてもやめさせたいらしいけど、それも父親として「機能」してほしいというよりは、仲間の集まりなどで自分が注目される存在でなくなったことが気に入らないらしい。残業で忙しい夫氏にとってはそれ以外に息抜きがないんだろうし、スポーツが趣味の夫なんて健全でいいと思うけど、稼ぎが減ったのに妻と子供を放り出して仲間と遊びにでかけるのは最低というわけ。カレシなんか、英語レッスンを餌にしてオンナノコを釣る趣味を作っちゃって、「趣味をやめろというのなら離婚するしかない」と脅しをかけているうちに「では離婚しましょう」と言われて慌てたけど、このトピックの主は「趣味をやめないなら離婚」と言っているうちに、夫の方から離婚されそうな雲行きになって「離婚したくない」と大慌て。まあ、実際には離婚したくない方が離婚する!と騒ぐ傾向にあるようだけど、本当にする覚悟もないのに「離婚」をちらつかせて人を恐喝しても、結局は自分に跳ね返ってくるというのが「ピーターと狼」的教訓。

人間は何がどう転ぶかわからないけど、この人は両親に愛されすぎて、自分から与えることを学ばない(その必要がない)ままで年令だけは大人になってしまったんだろう。愛されるのがあたりまえ。好かれるのがあたりまえ。与えられるのがあたりまえ。ちやほやされるのがあたりまえ。すべて一方通行の人間関係だから、人が自分の望む通りに与えてくれないと「愛されていない」と不安になってパニックになるのかもしれないな。社会が悪いのか、教育が悪いのか、家族が機能していないのか、そのあたりは知る由もないけど、溺愛は虐待と同じだという意味では、愛されていない(愛して欲しい)と感じて育った子供と同じに、愛されすぎたこの人もある種の被害者といえないくもないと思う。

人間は、「自分」という存在を愛する(肯定する)ことができれば、その「自分」からちょっと目を離しても不安は感じないと思うし、周囲360度をいろんな角度から眺める余裕ができると思う。だけど、その「自分」が自分の中になければ愛も肯定も自分の外から「してもらう」しかない。だから、いわゆる「自己中」と言われる人たちは、実際には「自己の中心」に自分がいなくて、代わりに真っ暗なブラックホールがあるのかもしれない。このトピックの主の「幸せにすると約束した」を盾にした要求ばかりの訴えを読むほどに、すべてを吸い込むばかりのブラックホールのイメージが浮かんできた。もっと大人になんなさいよと言ってあげたいところだけど、この人は断崖絶壁から奈落の底をのぞいて見るまではダメかもしれないな。見たら見たで、そこでフリーズして動けなくなってしまうかもしれないけど。人間て、みんなほんとに大変なのだ・・・

人間の明と暗をわける「何か」

12月10日。目が覚めたときのベッドルームが今日はちょっと薄暗い。雪、降ったかな。ん、降ってない。雨も降ってない。ただただ湿っぽい感じ。やっぱり天気の節目かな。入稿予定の仕事が当面の間キャンセルということになって大助かり。きのうは夕食の直後に猛烈な胸焼けに襲われるエピソードがあって、まだ胃のあたりがすっきりしない。たまに突発的に起こるんだけど、何が原因なのかは皆目わからない。とにかくすごい胸焼けで始まり、腹下しとまでは行かなくてもトイレにしばらく座り込んで腸内を空っぽにすることになる。吐き気はなくて、焼ける痛みが胃の下のほうまで広がって、冷や汗がだらだら。でも、カレシ愛用の制酸剤を飲んで横になっていると、1時間ほどで嘘のようにけろっと治る。酸で焼けたあたりが少し荒れている感じだけど、それも1日か2日のことで、突発的に始まってあっという間に収まる、まったくもってヘンな「急病」ではある。一種のアレルギーかもしれないけど、ほんとに何なんだろうな、これ。ま、寝込まずに済んだから、今のうちにクリスマス前に「やらなければならないこと」諸々をやっつけてしまうことにする。

まずは事務用品の注文。明日は換気装置の修理点検で朝の9時起きだから、このチャンスを狙って在庫が危険区域に近づいているプリンタ用紙を配達してもらう。翌日配達の予定は午前9時から午後5時の間と大雑把だけど、家が倉庫寄りなのでいつも10時前に来る。だから、何かの予定で9時には起きなければならないときが「そのとき」なわけ。用紙はリサイクル材料30%の5千枚入りの箱を2個。ついでにカレシが欲しがっていた2テラバイトの外付けハードドライブと教室で使うマーカーも注文。記憶容量が2テラバイトって、なんか気が遠くなりそう。二人が1987年に初めて買ったPCのハードドライブは20メガバイト「も」あって、「こんなに容量あってどうすんの」と言ったもんだけどな。メモリなんか「K」単位だったし。これを日進月歩というのかもしれないけど、あの頃のプログラムは今よりもずっとずっと無駄なく効率的に書かれていたような・・・。

バスルーム改装工事の引き継ぎをOKしてくれたマイクが夕方に現場の下見に来ることになった。これでまた一歩前進、と思ったら、カレシがやぶから棒に「シャワーを今のままで水漏れ修理だけしてもらって、後はトイレとシンクの取り替えだけでいいんじゃないか」と言い出した。その方が工事期間も短いし、コストも少なくて済むだろうし、と。この前マットと話し合って、大筋でまとまったはずなのに、やれやれ、またかいな。これまでの何回もの改装でも必ず直前になって「横やり」を入れて来たカレシ。現場での具体的な話でも、カレシにはアイデアを視覚化することができないらしく、ワタシが話を進めていると取り残されているような不安に駆られて横やりを入れずにはいられなくなるらしい。このあたりはパパの血筋かもしれないけど、ぎりぎりになってそれをやるのは明らかに「イジワル」で、そのたびに泣かされた。それで、今日はひと通り概略案を話し合った後で「アイデアとか要望とかある?」と水を向けたら、「いや、そのプランでいいよ」と逃げた。ほんとにいいの?と念を押したら、「ほんとうにそれでOK」と言う。じゃ、これで決まりね。後で「つんぼ桟敷に置かれた」なんて子供みたいなダダをこねてみんなを困らせるようなことはないよね?ほんとに・・・?

まあ、住んでいる家の改装工事は誰にもかなりのストレスになるもんだけど、そのときの対応は人それぞれで実に千差万別。カレシのような不安症の性質を持つ人であれば、感じるストレスも人一倍強いだろうとは察しがつく。たとえば、ガンで余命が限られているとわかったとき、そのまま坂を転げるように死んでしまう人と、全力で戦って生きている時間を充実させる人がいる。後者の場合は時にはガンを克服してしまったりする。飛行機が着陸に失敗して炎上した事故では、多くの乗客が脱出して助かったけど、死者のほとんどは座席に座ったままの状態で見つかり、脱出した人が「逃げよう」と声をかけて促しても動こうとしなかったという証言があったという。ワタシにも一時的に高所恐怖症になってガラスで囲まれていないところでは動けなくなった経験があるから、そういう話を聞くと、人間には(動物にも)大きなストレスがかかったときに一定の反応をする「何か」があって、それが明と暗、極端なときには生と死を分ける要素になっているんじゃないかと思う。言い換えれば、ポジティブとネガティブの要素なのかもしれないけど、それが心理的な要素なのか、遺伝的な要素なのか。それがわかったら人を仕分けできてしまうかもしれないから、わからない方がいいのかなあ・・・。