シャワーも床下暖房なのだ
2月16日。マイクが朝から来ると言うので午前9時に起床。ゆうべはなんだかすごい雨が降っていたような気がするけど、朝の光のまぶしいこと。カレシはいつものように高いびきだから、睡眠時間5時間の半ぼけの頭でまずは次の仕事にかかる。小さいからマイクが遅れている間にファーストパスを完了。期限に余裕があるから、廊下の壁紙剥がしを始める。残っているのは糊のついた裏紙だけなんだけど、どくろのマークの下に「猛毒」と書いてあるリムーバーを使うのはなんだか怖いから、とりあえずバケツにお湯を汲んできて、洗車用の巨大なスポンジを使って裏紙を濡らしてみることにした。手元にある小さなスクレーパーでこすってみたら、お、取れる、取れる。これなら危険物取扱いの必要はなさそうだ。
正午近くになってのそのそと起きてきたカレシと朝食を済ませたあたりでマイクが登場。サンプルに合わせてテスト用に調合してもらったペンキを鏡の後になるところに塗って、どうかな。う~ん、ちょっと白っぽすぎるような気もするけど。でも、ペンキは乾くと少し色調が濃くなるから、しばし待つことにした。おしゃべりをしながら、ワタシは壁をごりごり。廊下の床は湿った紙ふぶきだらけ。いつ終わるかと聞くから「今日中」。じゃあ、あしたは傷やへこみを埋めて、ペンキ塗りの準備が完了か。見積もりが来たキャビネットの図面を見ながら、最終的にデザインを決定。乾いたペンキはほんのりグレーの入ったうす曇りの空の青。いい色だ。これでペンキの色も決定。マイクは今日はロウルが床下ヒーティングのケーブルを敷きに来ると言い残して帰って行った。
ロウルがのんびりと現れたのは2時半過ぎ。「部屋が縮んじゃった」というので何ごとかと思ったら、石膏ボードを貼ったら間柱が露出していたときより小さく見えるという。持って来たケーブルが長すぎるんだそうな。(いつも耳にかけている携帯で)あちこちに電話して、別の携帯の計算機でピッピッピとなにやら計算。30分ほど出かけて取り替えてきたケーブルを床に設置する作業を始める。まずはサーモスタットへのワイヤを接続してから、接着剤でケーブルを架ける黒いレールを床に取り付けて行く。そこへ赤い被覆のヒーターのケーブルをジグザグと張り渡していくんだけど、え?シャワーの床にも暖房が入るの?「そう、タイルは冷たいからね」とロウル。あれ、ベンチも暖めるの?「床は温かいのに冷たいベンチに座るってのもなんでしょ?」とロウル。そうだよなあ。裸のお尻に冷たいタイルの感触なんて、想像しただけでブルルッと来そう。
床下暖房のケーブルを設置した後。赤いケーブルがヒーター。キャビネットの前のちょうど立つあたりにセンサーを置いてある。[写真]
また一歩前進で、カレシもけっこうご機嫌。そうでなきゃ、8時間もたっぷり寝たんだから。ワタシは5時間しか寝ないで起き来て、ささっと仕事もやっつけたし、壁紙剥がしもやってるのになあ、もう。内心でちょっとあっかんべえ。あわただしく夕食を作って、食べて、カレシが英語教室にでかけたあとはまた壁紙剥がし。スカートのすそが邪魔だから、今度はペンキのしみだらけの古いスウェットパンツに着替えた。床のところから8フィートの高さの天井の際までやるので、首も肩も背中も凝ってくる。でも、マイクが大きなスクレーパーと脚立を貸してくれたおかげで進行は早い。一応全部剥がれたら、バケツのお湯を取り替えて、擦り取った後に残った糊と細かな取り残しを塗らしたスポンジと小さいスクレーパーでで落とし、さらにもう一度スポンジ洗いして、糊がほぼ取れたところで古タオルで拭いておいた。ああ、手が痛い。親指が痛い。背中が痛い。こんなときこそ温かなベンチに座って、温かなシャワーで凝りをほぐせたらいいのに。ああ、あしたはコチコチだろうなあ。
心のエネルギーがもったいない
2月17日。まぶしいくらいの晴天。道路向かいの桜はもうかなり咲いている。春だ、春だ。きのうはかなり疲れて、ばたんと眠りについて、しっかり8時間寝て目が覚めてみたら、案の定、二の腕は痛いし、手は痛いし、背中も痛いし・・・。まあ、思ったほどじゃないけど、きのうはよく労働したなあと自分で感心。マイクからは、トラックが故障したので、すぐに直れば午後に来るとメール。時間が時間だから、たぶん明日だろうな。てことで、今日は珍しく興味津々でやる気の出る仕事に専念。専門用語を調べていてヒットした論文をつい読みふけってしまうのが難といえば難。
バスルームと廊下のペンキ塗りは面積が小さいのでマイク自身が担当すると言ってきた。そうだな、下準備に半日、塗り上げるのに1日ってところか。ほんとに小さなバスルームだから、全面的に改装といってもひとつひとつの作業は小規模。それでスケジュールのやりくりがめんどうでかえって時間がかかるかのもしれないな。始まってから今日でちょうど1ヵ月。それでも少しずつ着実に前進していることは確かなんだけど、せっかちな人には「遅い」、「ちっとも進まない」という感じがするだろうなあ。シャワーと床のタイル貼りは火曜日に始まるんだって。ま、もうちょっとの辛抱だから。
そういえば、小町に「待てない夫」に対する不満が限界だという「待ちたい妻」のトピックが上がっていた。待てない夫氏の言動はカレシみたいで、きっと世界中にごろごろいるせっかちタイプなんだろう。あんがい「待てない」のではなくて、「待たされる」のがイヤなんだろうと思う。突然自分の前にすっぽりと開いた時間的な空隙をどうしていいかわからないからイヤなのかな。出口のない時空間に迷い込だようで不安になるのかな。たしかにせっかちな人って意外と無意識に何かが怖いんじゃないかと思えるようなところがあったりする。おでかけの先々で待てない夫にイライラしている奥さんはというと、「待ちたい」のはそこが自分が行く/入ると決めたところだからで、それを待てない夫にイライラして変わるのを待てなくなったらしい。こっちは夫氏は問題なく待てるだろうな。はて、この夫婦の行く先はいかに・・・。
まあ、こういう愚痴はほほえましい部類で、当の奥さんには「っも~!」というところなんだろうけど、きっとたくさんの人たちが「何言ってんの。うちも同じようなもんよ~」とうなずいているだろうな。でも、せっかちな人に限って人を待たせることは得意な人が多いような気もする。無意識にどっちが上か、下かの力関係を競っているのかもしれない。なんか動物的にも思えるけど、相手に対して「自分が上」(勝ち犬?)と思うのと、「自分は下」(負け犬?)と思うのとでは、精神的なエネルギーの流れはまったく逆でもくたびれることは同じ。「自分は自分」と構えていればよけいなエネルギーを使わないで済むのにと思うんだけど、言語にも厳然とした縦の人間関係が文法で組み入れられているくらいだから、比べることでしか自分の位置がわからなくて不安になるのかもしれない。
たしかに、自分の「位置」がわからないのは不安だろうな。だから、つい他人と比べて相手が「自分より上か下か」を判断しようとするんだろう。だけど、それは思いっきり主観的な判断だから、つい妬んだり、ひがんだりしてしまうんだろうな。でも、自分の「絶対的な位置」を知っていれば、他人との相対的な位置関係がどんなものでも、あまり疲れないで生きられると思う。つまり、自分の「絶対的な位置」を知るということは自分は「こういう自分」と理解して良しとすることで、そうしたら他人と比べる理由がなくなって、比べる必要がなければ人間には勝ち犬も負け犬もなくなると思うんだけどなあ。人間てどうしてこうも自分を生き難くすることにエネルギーを浪費するんだろう。ああ、もったいない。
何とか様が増殖中なのか
2月18日。まだ2月だというのに、ほんとに毎日良いお天気で春爛漫の観。ひょっとしたら、先に3月をやって、それから2月をやろうってことだったりして。いつもの2月って、うん、雨、雨、雨かな。20年くらい前の2月はすごく寒かったような気もするけど、今となってはうろ覚え・・・。
マイクが11時過ぎに来ると予告してくれたので、ゆっくりと寝た。やっぱりちょっと疲れているんだと思う。早くから人が来て下で作業をしているときは高いびきのカレシなのに、平常時間の生活になるとなぜか先に起き出すから、ほんとにヘンな人。朝食をしていると、マイクから1時間くらい遅れると電話。修理が終わったトラックを引き取りがてら、寄り道してキャビネットの仕上げのサンプルを借りて来るという。「あんまり赤すぎないワインレッド」なんて注文をつけたもので、試し塗りした壁の色と合うかどうか実物の色を見て決めようと言うわけ。
結局は、マイクがちょっと赤すぎると思ったけど念のために持って来たというサンプルの色に決まった。木工品の着色剤(ステイン)は素材の樹種によって仕上がりの色合いがかなり変わって来て、カエデ材と針葉樹材では、同じ容器のステインを使ったとは思えないくらいに違うし、刷り込むのと塗るのとでもかなりの違いが出る。30年以上も前(の貧乏時代に)にワタシが手作りした家具類はステインの色が見本から想定した以上にオレンジがかってしまって、えらくがっかりしたっけな。まあ、素材がごく普通の安い合板だったからしょうがない。それもで結局、自作の家具はその後30年も我が家の調度品だったんだけど、色合いだけはやっぱり最後まで「がっかり」だったなあ。がっかりしながら、お金ができて新しいのを買えるようになってもそのまま使っていたんだから、ワタシもヘンな人。
きのうは待てる、待てないの心理から心のエネルギーの流れについて考えていた。ワタシ流の勝手な想像だと思っていたら、心理学に「心的エネルギー」というのがあった。もっとも、心理学ではその方向性が外向型、内向型のような性格を決める要素だ考えているようだけど、ワタシが想像する心のエネルギーは人間の「心」の活動エネルギーのことで、たとえば、自立した人は自分のエネルギーを自分のために使うのに対して、依存型の人はそのエネルギーを他人に自分のためにエネルギーを使わせるために費やす。他人と比べて優劣や上下関係から自分の価値を計るのもある意味で他人への依存じゃないかと思うけど、最近はもっと強烈なタイプの依存型人間が増えているように思う。
小町横丁にはそんな人たちがとにかく大変な数住みついているらしく、「専業主婦対兼業主婦」、「子持ち対子なし」、「高学歴対低学歴」、「退職世代対現役世代」といった対立がまるで労組か何かの定期大会のように持ち上がる。表面的にはどっちが幸せかという議論だけど、実際はどっちも「自分の方がずっと大変/えらい」ということを認めてもらいたがっているように見える。もっとすごいのは「妊婦様」、「不妊様」、「子持ち様」とか呼ばれる女性たち。「(いわなくても)大変なのを理解して、気を遣ってほしい」と周囲に期待または要求するらしいけど、お姫様願望なのかな。甘えたいのかな。認められたいだけなのかな。それともただ自己中のわがままなのかな。他人のエネルギーを自分に向けさせようとものすごいエネルギーを注ぎ込んで、結果として心のエネルギー収支はすごい赤字じゃないのかなと思うけど。
ま、人さまのことをああだこうだというのも、変化を期待していたらけっこうエネルギーを消耗するから、初めっからそんな期待はしないけど。
謝罪は言葉ではなく行動で
2月19日。今日も良い天気。ほんっとに太陽の光がまぶしい。まだ2月なんて真っ赤な嘘じゃないの?雪と氷のスポーツのオリンピックをやってるなんて、どっかよその土地と勘違いしてるんじゃないの?ほんとにそう思いたくなるくらいのすばらしい春の陽気。ペンキ塗りにやってきたマイクまでが、「まだ2月だってのに、この調子じゃもう芝生刈りを始めなきゃならないよ」と、ぼやき半分。
何かとケチがついているオリンピックだけど、男子ホッケーが始まったら俄然盛り上がってきたような。カナダなんだもん、ウィンタースポーツと言えばホッケー。ホッケーの前にはスノーボードもスケートもかすんでしまうのだ。ホッケーだけは金メダルを取らないと暴動が起きるかもしれないよ。第1戦はノルウェイに楽勝したものも、第2戦は前にも苦汁を飲まされたスイスを相手にやや苦戦。同点に持ち込まれて最後にシュートアウトでようやく勝ち星。おいおい、これから先はスウェーデンやフィンランドやロシアのような強豪と当たるってのに、大丈夫?もっとも、スウェーデンもフィンランドもカナダも、チームメートだったり、しょっちゅう顔を合わせたりするNHLの選手が主軸だから、なんだかオールスター戦の気分で気合いが入らないってこともあるかもしれないな。気を抜くんじゃないぞ、こら。
今日はマイクがペンキを塗っている間に、ワタシはポチポチと仕事、カレシは庭で春の園芸の準備作業。壁全体が塗り上がってから見たら、うん、やっぱり「初夏のうす曇りの空」だ。うっすらと空を覆った雲を通して青空がが透けて見える感じで、空間を押し広げるような開放感がある。なにしろ小さいだけでなく窓がないもので、色調によっては逆に閉塞感が出てくるから、色選びは微妙で難しい。キッチンの淡い黄色と、廊下のドアや枠のミルクチョコ色と、玄関の黄緑色をつなぐ廊下の色は「ガゼル」という名前の柔らかなベージュにした。実はこれ、壁紙を剥がして後に残った裏紙の色。バスルームの中が空の色なら、廊下は南国の浜辺の砂の色ってところかな。
不倫騒動でさんざんだったタイガーウッズが「謝罪記者会見」をしたということで、テレビで繰り返し流れるし、あちこちのメディアサイトにも全文が載っている。なんだかちょっと老けたかなという印象だったけど、タイガーが入所しているクリニックの療法は「何とかしなければ」という強い気持がなければ続かなさそうなくらいきついものらしい。奥さんを交えてのカウンセリングや向かい合って洗いざらい「告白」するようなこともするとか。奥さんにはすごくきついなあ、それ。「やり直したい」という強い気持がなければできることじゃないな。奥さんのエリンに言われたそうな、「本当の謝罪は言葉ではなくてこれからの行動にある」と。
賢い人なんだろうな、きっと。だって、謝罪なんか、「ゴメンナサイ」と言ってそれで一件落着だと思えばいくらだってできるだろうし、土下座だってできてしまうだろうな。でも、これからの行動で謝罪するとなると、「どこまでやればいいか」という基準を相手に握られるわけで、パフォーマンスですませられなくなるから、いい加減な気持ではできないことだと思う。それに、傍から見れば、10億ドルもあるタイガーの資産を半分持って離婚した方がめんどうがなくてよさそうだし、もしも小町横町の住人に相談したら、「たっぷりと慰謝料をもらって即離婚しなさい」と煽られるに決まっている。でも、ほんとうの縁があって結婚したのであれば、5億ドルという気の遠くなるようなお金よりもっと大きな価値のある「何か」がまだあるんだろう。この2人は大丈夫かもしれないという気もするなあ。
夫婦ってほんとに不思議なもので、それぞれに傍目には見えないことの方が多いんだと思うけど、それにしても、小町横町にはすぐ慰謝料!離婚!と煽る女性が多いから驚く。小町女性だったら今頃はもらうものをもらってさっさとバツいち様になっているんだろうな。いや、ワタシの経験からして、悩みを分かち合おうというサイトでさえ、大半が離婚していれば、(自分たちはしたのだからと)離婚しないと言う選択肢が認められないような雰囲気だったりするし、一般の匿名掲示板になると「慰謝料もらって、原因が浮気だったら相手からも取って離婚」が常識みたいなもので、「それはしたくない」というと「人の意見を聞かない」とやられかねない。そんなにも他人を離婚させたい人たちって、あんがい「要求条件」は満たされていても肝心の「縁」がなかった結婚をしたのかもしれないな。人間のすることだから、たとえ縁があったとしても、壊れるしかないときには壊れるんだけど、元々縁がなかったら何が2人を結ぶのか・・・。
精神的もやしっ子の時代?
2月20日。土曜日。明るくて、静かな土曜日。二階の窓から外を見たら、家の外を東西に通る道路は遠くの地平線(があるべきところ)まで、見える限りずっとピンク色。両側が桜並木になっているんだけど、実際にどこまで続くのかわからない。つい2、3日まではまだ3分咲きくらいかなあなんて思っていたのに、この調子だと週明けには早々と満開になってしまいそう。まだ2月だってのに。
桜咲くオリンピック、ふとキッチンのテレビを見上げたときに映っていたスイスのアマンのジャンプに見とれてしまった。見事としかいいようのないきれいなジャンプ。カナダの国技ホッケーも好きだけど、道産子のワタシはジャンプも好きな種目。カレシにK点がどうの、最長不倒距離がどうの、着地フォームがどうのと得々と説明。ジャンプで思い出すのはカルガリーオリンピックに登場したイギリスのエドワーズ。ほんとにぶきっちょとしか言いようのない飛び方。それでも、「エディー・ザ・イーグル」と言うあだ名がついて、ひたすら果敢に飛び続ける姿がすごい人気を呼んだ。その後で石頭連中が規則をいじって参加できないようにしてしまったけど、カナダでは今も忘れられていない。イギリスで一番だったからイギリスの代表になったんだろうに。札幌のときだったかな、たまたまテレビに映っていた回転競技で、スキーとはなんだか無縁そうな国の選手が、教科書通りの見事なフォームで悠々と滑っていて、思わずほ~っとなった。あれじゃあ間違いなく最下位だっただろうけど、そもそもそれがオリンピック精神ってもんじゃなかったの?
ちょっとあくびの出そうな仕事を片づけて、思いっきり伸びをする。明日の午後が納期で、週末に入る直前に「来週から先のご予定は?」なんてメールが来ていた。う~ん、来月にかけてのジャンボ級の仕事があるんだけどなあ。しかも珍しく日本語訳。納期が近づく頃には改装工事もめでたく竣工して、平常に戻っているだろうから、ねじり鉢巻でぶっ飛ばせば10日でできそう。それなら他社の分もねじ込めるか・・・と胸算用をしていたら、あれあれ、なんだかヘンな英語だぞ。思考言語はフランス語か、ドイツ語か、はたまたラテン語か(まさか)、翻訳機械か。ときどき分かるとも分からないともいえないような実に微妙な表現が出て来て足を取られるからやっかい。あ~あ、日本の「予算消化期」はいつもながら鬼門・・・。
スケジュールのことは明日考えることにして、小町の井戸端に立ち寄ったら、まだやってるよ、不妊様と妊婦様の角突き合い。不妊治療中だという人が、妊娠した友だちがこっちが不妊と知っているのにこれみよがしにマタニティドレスを着て来るのがムカつくというトピックを立てたら、妬みだ、僻みだ、嫉妬だと怒号?の応酬。そこへ「不妊様」批判の便乗トピックがいくつか立って、なんだか混戦模様。妊婦様と不妊様に流産様が加わって、もう何が論点なのやら。まあ、ワタシ流にやぶにらみで整理すると、妊婦様は大切な大切な赤ちゃんをおなかに抱えているんだから「あたしを優先して」という態度で、不妊様/流産様は赤ちゃんが欲しくてつらいつらい思いをしているんだから「あたしの境遇に気を遣って」妊娠の話や赤ん坊の写真であたしの神経を逆なでしないでという態度で、子持ち様はお子様を育てるのに大変な思いをしてへとへとなんだから「あたしを労わって」という態度で、結局み~んなが「なんであたしの気持を気づかってくれないの」とイライラしえいる、というところか。
ひょっとして、「人の痛みが分かる子供」、「気遣いができる子供」を育てようという教育がとんでもない方向に逸れてしまって、自分の痛みしか分からない子供、気を遣ってもらうことを期待する子供が育ってしまって、そうやって子供のままで社会に出てきてしまったということじゃないだろうなあ。生きる力を育むも何も、管理の行き届いた温室での水耕栽培では、いくら栄養分はたっぷりでも、ちょっと外の風に当てたらしおれてしまうし、地面に移植しようにも土の中に張れる根がない。都会育ちの子供の体力低下が目立った頃に「もやしっ子」という言葉があったけど、21世紀は「精神的もやしっ子」の時代なのかなあ。どうなってるんだろう。
血圧を上げる方法を教えて
2月21日。日曜日。よく寝ていたのに、カレシに起こされた。ぼや~んとした頭で時計を見たら12時30分。11時過ぎに起きたというカレシは「腹減った~」。なんだかぱっと目が覚めない。半ぼけの状態で顔を洗って、着替えをして、朝食。オレンジジュースが温まってしまっていた。
いつもの手順を済ませて、いつものように血圧を測ったら、えっ、まさか。心拍数は100を超えているのに、上は100で下が57だって。おかしいなあ。深呼吸をしてもう一度。心拍数は90台になったけど、今度は102/62。ふむ、あんまり血が通ってないってことなのかなあ。ひょっとしてもう一回測ったらまたちょっと上がるのかなあ。ま、少し動き回って血の巡りを活発にすればいいか、ということで、今日は仕事は休みにして、まずは洗濯。ふむ、なんだか洗濯がレクリエーションみたいだけど、元気が出てきたから、いっか。頃合を見計らってきのう仕上げた仕事を納品して、けっこう正直に向こう1ヶ月のスケジュールの見通しを知らせておく。カレシは「他の仕事があるからダメと言えばいいじゃないか」と言うけど、どんどん仕事を送ってくれる上得意さんなんだもん。でも、ちょっとはサバを読むべきだったかな。血の巡りが良くないのか、まじめすぎなのか・・・。
洗濯機と乾燥機がフルに回っている間に、照明器具屋のサイトを検索。そろそろ本腰を入れて調達しておかないと。だけど、「スコンス」と入力したら、ヒット数が7千何件。用途や仕上げで絞り込んでやっと500件くらい。表示できるのは最高で30件ずつで、これを取替える11ヵ所についてやるから時間がかかる。これはと思うのをクリックしてはサイズと電球の数とワット数を調べて、条件に合うものを探すんだけど、「ネットでの婚活ってやつも、きっとこんな感じなんだろうな」と想像したらおかしくなった。毎日の暮らしを明るくする照明器具選びと、人生を明るくする伴侶を選びと、あんがい似ていなくもないような。2時間近くかかって11品目、合計15個を選び出して、見積もりと在庫情報の依頼をクリックして、リストを印刷して終了。ああ、くたびれた。
起きるのが遅かったから、あっという間に夕方。キッチンに行ったら、ちょうどホッケーの対アメリカ戦が始まっていて、おいおい、もう1対0でリードされているじゃないの。テレビの下の冷蔵庫をごそごそやっている間に1対1の同点。だけど、すぐにアメリカがゴール。ルオンゴだったら絶対に逃さないへなちょこシュートだったのにぃ~。知らないよ、もう。まあ、食事の間に2対2の同点になったけど、夕食後にオフィスにいて、様子を見に上がって来て見たら、4対2。ああ、ダメだ、こりゃ。カレシにいたっては、リビングのテレビの前でリクライナーを倒して高いびき。(庭仕事で疲れたんだろうけど、それにしてもこのあきらめの良さときたら・・・。)結局は5対3で負けて、カナダはメダルの期待が第3戦にしてどこかへ吹っ飛んでしまった。まあ、何百万ドルものサラリーをもらっているプロ選手にシーズンの途中でお金にならない国際試合をしろといっても、怪我でもしてシーズンをフイにしたくないだろうし、気合いが入らなくてもしかたがないな。さて、ホッケーで残る楽しみはスウェーデンがどこまで行くか、双子のセディン兄弟がどこまでやるか。ん、なんだかカナックスの試合を応援しているみたいな感じだけど・・・。
マイクから、明日の朝は息子を連れてカーリングの試合を見に行くから、その後で行くとのメール。おお、チケットが手に入ったんだ。息子が熱心にカーリングをやっていて行きたがっているので、何とか手に入れたいと言っていた。チケット発売のときは抽選制にしたりしてずいぶん煽っていたけど、種目によっては今でもかなりの空席があるらしい。イアンとバーバラも女子ホッケーのチケットが手に入ったと言っていた。やっぱり買い手が殺到するのは人気種目くらいのもんなんだろうな。(日本でも注目されているらしい)カーリングはクリケットみたいになんだかさっぱりわからないのと言ったら、マイクも「息子は熱狂しているけど、ボクもよくわからないんだよ」と苦笑。いいお父さんなんだなあ。
ともかく明日の朝も寝坊のしほうだい。と思ったら、来た!すごい量。専念したって丸3週間はかかりそうな量。予算は年度内使い切りが常識になっているらしいけど、この量と来たら、よっぽど余ってしまったんだろうな。10日分くらいの仕事が入っていると知らせたのに、やっぱり「当面は他の仕事があって・・・」とサバを読んでおけばよかったのかなあ。カレシはいわんこっちゃないという顔だけど、できることなら全部って、頭がクラクラ・・・。ワタシの血圧、どうなるんだ?
記者の目線、観光客の目線
2月22日。月曜日。まあ、よく寝たとは思うんだけど、雪崩のごとく転がり込んでくる仕事と、スローダウンしている改装プロジェクトと、その他カレシが見つけては持ち込んで来る「諸問題」と、会議でのプレゼンの骨格作りと、ええっとそれから・・・毎日の食事やその他諸々の生活項目が、ちょっとばかり重くなって来ているような気もする。ま、いくらハイパーなワタシ(ってのはなんか矛盾するけど)の肩だって最大積載重量ってものがあるんだし、元々肩幅は狭いんだし(関係ないか)・・・。
オリンピックも後6日だって。はあ、ホールフーズやダウンタウンのHマートへ「遠洋漁業」に行ける日が待ち遠しい。ホームストレッチの今週は人気イベントラッシュだから、よけいに人が出るんだろうな。ホッケーと女子フィギュア。男子ホッケーはどうでもいいんだけど、女子ホッケーは宿敵アメリカに勝って欲しいな。女子フィギュアは特に興味があるわけじゃないけど、心情的にカナダのロシェットにメダルを取らせたい。モントリオールから両親が揃って応援に来たのに、母親が心臓発作で急死。気丈に公式練習をこなしながら片隅で涙をぬぐっている姿がとっても切ない。全力を出し切ってね。
十代の選手が多いアジア勢を見ていて、数年前のライティングスクールで一緒になったエレンのことを思い出した。彼女は17歳で体操のオリンピック強化選手になり、家族や友だちから引き離されてコーチの家に住み込み、怪我や体の痛みに耐えながら毎日何時間もの練習をした。そして、オリンピック選手選考の時が来て・・・彼女は選考からもれてしまった。成績は申し分なかったけど、問題は彼女の「年令」。当時のオリンピック体操界はコマネチ旋風の後で「もっと若く」が合言葉だったらしく、すでに二十歳に手の届く年だったエレンは年を取りすぎているという理由で選手に選ばれなかった。その後のエレンの失意や苦しみは想像を絶するものだったと思う。オープンマイクで読み上げた短編小説からは、どん底から立ち直って、やがて幸せな家庭を持つまでの長い上り坂の人生が痛いほど伝わってきた。でも、きっとオリンピックのたびに思い出すだろうな。あんがい、エレンとの出会いがワタシがオリンピック(組織)嫌いになったきっかけだったかもしれない。
終盤に入ってもカナダはメダル獲得トップへの道は遠い。早くも巨費を投じた選手育成政策が失敗だったのかという論議が取りざたされている。ロシアでもメダルを取れない苛立ちから担当大臣を更迭しろと言う話になっているらしいけど、お定まりのしょうもない「責任の所在」オリンピック。がんばって勝てなかった選手を批判するのはお門違いってもんで、オリンピック様のお通りに浮かれたヤツ、オリンピックのおかげで一番大きな恩恵を受けたヤツに押し付けちゃったらいいと思うけどな。男子ホッケーの場合は東部偏重の連中だな。対アメリカ戦でルオンゴにゴールを任せていたら負けなかったと思う。うん、ホッケーに関しては、バンクーバーっ子はウンチクを傾けずにはいられない「後だし評論家」が多いのだ。だから、きのうのよもやの敗戦でも、メディアも街を行く人も喧々諤々でにぎやかに敗因の分析をやっているわけ。
試合の結果に関する報道でびっくり仰天したのは読売新聞の記事。カナダがアメリカに負けために、『市警察が大量の警察官を配備するなど、繁華街は騒然とした雰囲気に包まれた』なんて物騒なことを書いてあるけど、ちょっと待った。地元のテレビニュースは、「なんとなくシュンとした雰囲気だった」と言ってたけど。街角でインタビューされた人たちも強がりかもしれないけど概ねアップビートな反応だったけど。そんな「騒然とした」雰囲気があったという報道はなかったけど。第一に、この週末は酒屋を早めに閉店させたもので、酔っ払って憂さを晴らそうにもお酒が買えない状態だったそうだけど。いったいどっちがほんと?
この物騒なご時世のオリンピックなんだから、大量の警察官が配備されているんだけど。オリンピックのずっと前から何億ドルだかをかけてRCMPや市警察から泥棒が喜んじゃいそうな数の警察官を動員すると報道されていた。(日本の新聞記者は聞いてなかっただろうけど。)あんまりヘンな報道しないでくれないかなあ、と思って読んでいたら、日本人の国際結婚主婦が「怖いから繁華街には近づかなかった」みたいなことを言ったのを引用しているじゃないの。そのあたりから「騒然とした雰囲気」を連想して記事を書いたんだな、きっと。なあんだ。騒然とした「雰囲気」だけで終わっちゃって、残念だったね。
報道にはお国柄やメディア各社の性格が現れるし、記事の書き方にも記者の思考性向やその人となりが見えたりするから、おもしろい。「レポーター」と「ジャーナリスト」は似て非なるものだし、レポーターだからといって自分で見聞きしたこと、調べたことを「レポート」しているとは限らないし、ニュースといってもおもしろく脚色したゴシップ記事だったりするし、ブログだ、ツイッターだ、ユーチューブだと、今どきは何がニュースで何が噂話で何がほら話なのかわからなくなって、ジャーナリズムそのものが根底から揺らいでいるような感もある。それに、海外でのイベントを取材するといっても、イベントそのもの以外については所詮はよその人だから、レポートの目線はたぶん観光客や短期滞在者のそれとあまり変わらないだろうと思う。だからこそ、世の中にはメディアが報じることを鵜呑みにして、新聞に書いてあったからとそうなんだと思い込む人が多いんだから、やっぱりあんまりヘンな報道はよしてくれないかなあ。
マゾも芸術なら美学だけど
2月23日。おお、雨だ。久しぶりの雨。低気圧が接近中らしい。桜がそろそろ満開近いというところで、なんで今雨なの?でも、オリンピックが始まって以来、春爛漫の陽気が続いたから、そろそろお湿りが必要なのかもしれないな。
適当に目が覚めた時間に起き出したら、ほどなくしてタイル屋の若い人が2人、タイル張りのための下準備に現れた。2人とも東欧系のなまりがあるけど、この人たちにも手足や体を使って働く人に特有の「粋」みたいな雰囲気がある。ヒーターのケーブルを配線してあるシャワーの底とベンチの周囲、床をセメントで覆って、平らに均すだけの作業だけだから、2時間ほどで終了。あしたの朝には乾くということだけど、カレシは大きなくしゃみの連発。まあ、30分くらい換気装置を高速で運転していたら収まったけど、ひと昔は空中に漂うものならほとんどがアレルゲンみたいなワタシだったのに、今はカレシと選手交代の観。きっと早く乾燥させるための揮発性の化学物質が入っているんだろうな。一階は空気が湿っぽいせいか、ヒーターが入っているのに冷やりとして感じられる。
カレシを英語教室に送り出して、さあ仕事と意気込んでオフィスに下りてきたら、食事中に「今日中に!」というなんか緊迫したメールが入っていた。はいはい。ちょこちょこっと入れてしまえる小さいものだからいいけど、どうもこの時期は年度末が迫っているせいか、役所も大学もビジネスもみんなせかせか。二度目の師走がやって来たようなだけど、今の今まで予算を使わずに我慢して来たんだろうに、年度末と聞いたとたんに待てなくなってしまうらしい。そういう予算制度になっているらしいから、わからないこともないけど、それでも何かしようとなったら待てなくなる人が多いような・・・。
ちょっと気勢をそがれたもので、息抜き?がてら、東京のホテルの予約内容を変更。当初の予約をキャンセルして、改めて禁煙フロアの部屋を予約。日本ではまだホテルでもレストランでもタバコが吸えるってことを忘れていた。カナダもアメリカも今どきはいちいち指定しなくても条例で禁煙になっているところが多いし、バンクーバーなんか公共の建物の中どころか、屋外でも開閉口の6メートル以内は禁煙で、最近はビーチや公園での喫煙も禁止しようなんて話もある。おかげで、家族や友だちに愛煙家でもいない限りタバコの煙の臭いとも無縁になった。それで「高層階の禁煙フロア」と明記した料金クラスがあったっけと思い出したわけだけど、デフレの日本なのにワタシが泊った2年前より高いのは、きっとゴールデンウィークだからだろう。まあ10日も泊るんだから、12年ぶりに2人で行く日本の夜を、東京の夜景を眺められる部屋で寝酒を傾けながら過ごすのも悪くないな。
トヨタの社長がアメリカ議会の公聴会で証言すると言うことで、いくつかの大手新聞に日本のビジネス習慣から「トヨタに何が起こったのか」を分析する記事が出ている。もちろんアメリカ的目線で書かれたものだけど、大筋では日本的経営とアメリカ的経営の歴史的な背景や哲学の根本的な違いが問題の根底にあるという分析で、うなずけるところもけっこう多い。三代目のこの社長、日本の名門私大を卒業して、ハイテク時代の起業家をたくさん輩出したアメリカの名門ビジネスカレッジでMBAを取って、アメリカのトヨタで「修行」もしたそうなんだけど、う~ん、それであの英語・・・。品の良さそうな人だけど、記者会見の写真を見てもちょっと存在感が薄い印象だな。アメリカ議会の公聴会ってのは、議員たちが選挙民に「リーダーシップ」を印象付けるための、いわば政治リアリティショーなんだから、呼ばれる方も超一流の弁護士をキラ星のごとく引き連れて乗り込んで、少々のはったりをぶちかますくらいじゃないとなあ。もちろん、だます気満々のはったりは墓穴を掘るだけだけど。
何なんだろうなあ、ほんとに。アクセルとフロアマットの問題で、リコールを「最小限」にとどめて1億ドルも「節約」したという文書が見つかったと言う話を聞いて、カナダのトヨタがやっていた「徹底敵にムダを省くのが日本の美学」とかいうコマーシャルの「ムーダ、ムーダ」という言葉が聞こえるような気がした。ミニマリズムは芸術として美しい。マゾキズムだって芸術としてなら美しい。でも、ビジネスも政治も人生も芸術じゃないんだから、ムダを削りすぎて骨も身も削ってしまったら元も子もないと思う。ひょっとして「世界ナンバーワン」の飛ぶ鳥を落とす勢いに酔って、何か大切なものをムダといっしょに、あるいはムダだと思って削り落としてしまったんじゃないだろうなあ。何なんだろうなあ。なんだかイマイチよくわからない・・・。
今頃だけど、がんばれカナダ!
2月24日。今日も雨。さすがに昼近くになって起きても外は薄暗い。雨じゃあ花曇りだとしゃれるわけにもいかないか。でも、満開に近いかなあ。
午後一番に隣のパットが呼んであった木の剪定をする業者が来た。名前がなんと「パイン(松)」さん。つづりはPYNEだけど、できすぎているなあ。「マスターガーデナー」(庭師の親方?)の資格を持っているそうで、庭木のいろんな作業の見積もりをしてもらっていたカレシは知識の広さに感心することしきり。角の市有地側にある白樺の枯れた部分を伐って、大木になったカエデの伸び放題の枝を整理して、のっぼの落葉松の隣にひょろひょろと立っているシーダーを伐採して、裏庭の山茶花を掘り起こして前庭に移植して、それぞれに施肥をして、しめて600ドル。
見積もりを頼んであった照明器具屋から、金額と一緒に在庫入荷まで最短6日、最長3週間と言って来た。安い方から並べたほうが在庫がある確率は高いかと思ったんだけどなあ。しょうがないから、こっちは保留にして、別の店のサイトで選び直して見積もりを依頼するのに、結局午後いっぱい費やしてしまった。仕事がぎっちぎちに詰まってると言うのに。こういうのを「いわしの缶詰状態」というんだけど、仕事がいわしなのか、ワタシがいわしなのか・・・。
テレビでトヨタの社長のアメリカ議会公聴会での証言を延々と放送していた。できそうな女性の通訳がついている。これはいい手だな。法廷でもそうだけど、こういうへたをすると「つるし上げ」になりかねない場で通訳が入ると、相手を威圧しようにも「質問→通訳→回答→通訳」といちいちつっかえるような感じになって、せっかくの「鋭い質問」も矛先が鈍ってしまうし、誘導尋問のようなテクニックも通じないので、力関係ががらりと変わってしまう。よ~しと腕をまくり上げた方にはやりにくいことこの上ないだろうと思うけど、バベルの塔以来、これも異言語コミュニケーション。
今日は男子ホッケー準々決勝でカナダとロシアが「宿命の対決」。アメリカにまさかの敗北を喫した後、カナックスのルオンゴをゴールに入れてドイツに楽勝。何とかメダル獲得戦に生き残るチャンスをものにしての試合。ペンキ塗りに来たマイクもラジオを持ち込んでいる。ロシアがソ連だった頃からの宿敵だし、オベチキンというすごい選手がいるんだけど、ありゃ、早々と第1ピリオドから大きくリードして、7対3で圧勝。午後の試合開始の時間にはみんなカフェやらバーやら、とにかくテレビのあるところに釘付けになってしまって、街中がほぼ静止状態だったという話だけど、なんだか拍子抜けだなあ。でも、これで金曜日に準決勝。負けたら土曜日に銅メダル戦で、勝てば最終日の閉会式前に決勝。ひょっとしてひょっとしたら・・・金メダル?
オリンピックは横目で見るワタシもさすがにホッケーとなると、夕食のしたくもそっちのけで、テレビの前でげんこつを振り上げて「我が国カナダ」を応援。盛り上がって来たぞ。それ行け、カナダ!
やったぞ、カナダ
2月25日。雨が上がって、また一時のまぶしい青空。道路向かいの桜は満開になって、そろそろ散り始めたらしく、足元の芝生に点々とピンク色。まだ2月なんだけど・・・。
とにかく仕事のスケジュールがぎっちりと詰まってしまって、ここから先は「すいませ~ん、入りません!」の一点張りだけど、なんだってこういうときにオリンピックは気を取られるイベントばっかり押せ押せなんだろうなあ。だけどやっぱり、後々徹夜になるかもしれないことは覚悟の上で、そっちの方に気をとられることにする。もちろん、その第一は女子ホッケーの決勝。廊下のペンキ塗りをしているマイクもラジオを持ち込んでの「仮想的」観戦。おいおい、あんまりペンキたっぷりのローラーを振り回さないでよね、なんて言いながら、第3ピリオドにはワタシもマイクも「ゴー、カナダ、ゴー」の連呼。金メダルが確実になった最後の数秒は終了のブザーが鳴る前から、「やったあ」とハイファイブ。さて、次は男子があしたの準決勝に勝って、決勝でアメリカと再度対決して雪辱の金メダルを獲得することだな。行け、行け、カナダ!GO CANADA GO!
ホッケーに続いて女子フィギュア。ショートプログラムを終わって3位につけているロシェットにメダルを取らせたかった。カナダ全国からとっくに3千万個のハートの金メダルをもらったんだから、金じゃなくてもいいの。銀じゃなくてもいいの。「対決」は日本と韓国に任せておけばいい。一歩下がって銅メダルでいいの。いや、ママンのために自己最高を出せばいい。オリンピック選手でなくても、人生の「ヤマ場」というときにそれまでずっと絶対的な心の支えだった人がこの世にいないと実感しなければならない気持は「つらい」などという言葉では言い表せない。ましてやその「ヤマ場」のわずか2日前の突然死。出場するも、辞退するも、本人の意思を尊重するということで、誰も「がんばれ」とは言わなかったけど、ロシェットは出場することを選んだ。
本番でロシェットが銅メダルを獲得したとわかったときは、涙が溢れてどうしようもなかった。練習の合間に、競技の間に涙にくれながらも、全力を集中してベストを出し切った彼女はえらい。ロシェットの銅メダル、圏内にいた他の日本人選手がメダルを取れなかったことになるけど、ダウンタウンにたむろしている日本人たちは絶対に「あれは同情票」と言い出すと思うな。賭けてもいい。まあ、ここは日本じゃないんだし、にいちゃんねらの亜流みたいな連中が何を言ってもカナダ人には知らぬが仏だし、ほんとにどうでもいいんだけど。たとえメダルを取らなかったとしても、カナダ人は国を挙げてロシェットの健闘を称えた思う。Congratulations, Joannie!
オリンピックが終わりに近づくといろいろな「回顧」が始まるんだけど、カナダでは、バンクーバーオリンピックはカナダ人が自分の国に対する誇りと自信を確かなものにして、それを素直に表現する機会になったと言う評がある。国旗を振り回し、顔にシンボルのメープルリーフを描き、カナダの選手がメダルを取れば奇声を上げての大騒ぎで、どうやらカナダ人は「控えめな国民」という印象を持っていたらしい外国のメディアには「ええ?」という場面を繰り広げているんだけど、「控えめ」というのは、たぶんすぐ隣にアメリカという態度のでかいお兄ちゃんがのさばっているための相対的な印象じゃないかのなあ。
たしかにカナダ人にはちょっと自信が足りないようなところがあるし、どっちかというと冷めて斜に構えているようなところもあるけど、表現の形は違っても誇り高さでは互いに引けを取らないイギリスとフランスの文化を受け継いだのがカナダ。ただ、人口から見れば「小国」だから、それを表現する機会が少なかったと言うだけで、カナダ人が誇りを持っていなかったということはない。いや、自国で開催されたオリンピックの渦の中で、胸のうちにしまってあった誇りがいっせいに湧き上がったといえると思うけどな。「国を愛する気持を表現するのに何も遠慮することはない」と言ったのはハーパー首相。まったくその通りだと思う。
ワタシだって、IOCもVANOCも虫が好かないし、オリンピックだからと熱狂する気にもならないけど、カナダ選手のがんばりを見ると誇らしい気持がこみ上げてきて、カナダは自分の愛する国なんだという思いを新たにする。まあ、オリンピックでなくたって、カナダの国旗が翻っているのはいいなあと思うし、外国の街角で見ると感激するし、国歌を聞くとじ~んと来るし、国歌斉唱となったら大きな声で歌うけど、やっぱりオリンピックには愛国心をかき立てる特別な魔法があるのかもしれないなあ。
一億人の誇りを背負うのは重い
2月26日。雨模様。今日は朝早くから庭木の整理作業でカレシが早起きする番。自分で発注した仕事だからか、早々と目が覚めてさっさと起き出したから感心。ジラフというクレーンを乗っけて、後にチッパーをつけた大きなトラックで来た男女2人。いの一番に落葉松の隣にひょろりと立っているシーダーを伐って、次に男性がカエデの木に登って剪定をしている間に、女性は裏庭の山茶花を掘り起こして、前庭に移植。最後にクレーンで市有地側の虫食い白樺を上から枯れた枝と幹を段階的に伐って、最後に全部をガガッとチッパーにかけて、作業は2時間足らずで終わり。ちなみに、トラックの横には「創業1880年」と書いてあった。
今朝の新聞はきのう金メダルを取ったカナダ女子ホッケーチームのワイルドなパーティの話でもちきり。大きなメダルを首からかけたまま、ビール瓶を片手にリンクの氷の上にひっくり返って「お祝い」。あのさあ、宿敵アメリカを破って金メダルを勝ち取ってうれしい気持はよくわかるけど、ちょっとばかりお行儀が悪すぎない、キミたち?連盟からは謝罪の声明が出たけど、街の反応はおおむね好意的。だけど、羽目を外しすぎちゃあいかんなあ、おい。オリンピックなんだから、次のウィッケンハイザーを目ざす女の子たちの良きお手本になんなきゃあだめっしょ。
日本では案の定女子フィギュアスケートの結果がすごく不満な人が多いらしい。いつもなら投稿が載るまでえらい時間がかかる小町でさえ、ほとんどリアルタイムでトピックが上がって、書き込みが殺到。フィギュアスケート評論家の層の厚さ?はさすがで、しまいに浅田真央の方が上だったのに、キム・ヨナ(英語では「Yu-na」と表記している)に勝たせるために、というよりは浅田真央を勝たせないために、先に出たヨナに異常な高得点をつけたとかいう陰謀説まで飛び出して来るからすごい。ま、それだけみんなが自国に対する誇り、自分に対する誇りをかけていたってことで、そこがオリンピックなんだろうな。あんまり潔いとは思えないけど、いろんな意味で「ライバル」あるいは「宿敵」と目する相手(国)に負けたのなら、悔しさが百倍になるのもわかるような気がするな。
テレビのニュースで2人の滑りをちょっとだけ見たけど、素人目にはヨナの方が全体的な完成度が高いと思った。採点方法はわからないから得点については何とも言えないけど、フィギュアスケートは技術ばっかりじゃつまらないんで、真央はちょっと表情が硬かったのに対して、ヨナはかなり余裕で楽しんでいるように見えた。芸術性が評価の対象になるイベントはエンターテインメント要素が大きいから、日本的な「がんばらなきゃ精神」が邪魔なこともあるってこと。まあ、陰謀説の裏を返せば、ある意味で日本は総合的な戦略で負けたと言えるかもしれない。だけど、浅田真央は自己最高の得点を出したんだから、「よくやったね」と自分をほめていいと思う。
さて、今日は男子ホッケーの準決勝。宿敵ロシアを破って意気揚々のカナダは、優勝候補スウェーデンを破ってダークホース的な存在になったスロヴァキアと対戦。ゆめゆめ侮るんじゃないぞ・・・
地震と津波の記憶
2月27日。静かな土曜日。だけど、ハイチの大地震に続いて、今度はチリで大地震。太平洋全体に津波警報がいる。BC州沿岸にはそれほどの影響はないという予想だけど、バンクーバーの西側は昔アラスカ大地震にで大きな津波の被害を受けているから、心配だろうな。
チリ地震津波の不意打ちで大きな被害が出たのはちょうど50年前の5月。南半球の大地震の津波が赤道を越えて北半球の北の方の日本まで押し寄せてくるとは最先端の科学者たちも想像さえしていなかった。釧路に住んでいたワタシは小学校6年生で、あの日は全校の春の遠足の日。日本に津波が押し寄せたのは早朝。晴れ上がった遠足日和の日だったように思う。お弁当のおにぎりと水の入った水筒を持って、勇んで学校へ行ったら、遠足は中止。そのまま学校でぶらぶらして過ごし、教室でおにぎりを食べた。高台にあった学校の二階の窓からは港が見えた。そのときに来たのが第何波だったか知らないけれど、たいくつしてぼんやりと港の方を見ていたら、(津波を避けるためだろう)港の中に碇を下ろしていた貨物船がぐる~っと回ったので、津波ってすごいんだと思った。
釧路では地震がよくあって、実際に経験した最大のものは1952年の十勝沖地震で、マグニチュードは8.2だったそうな。4才になる数週間前のひな祭りの翌日で、家の中にはまだひな壇があった。ずいぶん長い揺れだったのか、赤ちゃんだった妹を抱いて外へ避難する母と手が離れしまって、家の中に取り残されたワタシは、棚の上のものは落ちてくるし、金魚鉢からは金魚が飛び出して来るしで、母がとっさに開けて行った窓の敷居にしがみついて泣き叫んでいた。揺れが収まってどれくらい経ったのかわからないけど、いろんな人たちがリヤカー(といっても今の人はどんなものか知らないかもしれないけど)にたくさんのものを積んで、高台にあった家の前の坂道を続々と上って来た。浜に沿って住んでいた漁師と家族が「津波が来る」と逃げて来ていたのだった。(実際にかなりの津波が来たらしい。)
どこかで大地震があるたびに、あの十勝沖地震の光景を思い出し、津波があるたびにチリ地震津波の朝のことを思い出す。遠足の日、6年生は興津(おこつ)海岸というところへ行くことになっていた。チリ地震の発生があと数時間遅かったら、津波が日本の太平洋岸に届くのも数時間遅れただろう。地球の反対側の津波が襲って来るとは知らず、ワタシは浜辺でのんきにおにぎりを食べていたはず。きっと急に引いて行く潮を見て目を丸くしていただろうな。そこへ、大きな波が押し寄せて来て・・・。数年前のスマトラ沖地震の大津波の映像を見たときに、それまではぐるりと回った貨物船のイメージしかなかったあのチリ地震津波の日、私たちがどれほど幸運だったのかを初めて知ったと思う。地震の発生が、津波の到来があと数時間遅かったら、ワタシは波にさらわれていたかもしれない。今こうして生きていなかったかもしれない。そういう運命だったんだといえばそうかもしれないけど、仮死状態で生まれて生き延びたし、津波の難を免れたし、もう生きるのをやめたいという状態からも甦ってきたし、学歴もないのにこうして20年もフリーの仕事をして来られたし・・・きっとすごい幸運の星をもって生まれてきたんだろうなあ。その命の星が輝いている間は人生を大事にしなきゃ。
やって良かったオリンピック
2月28日。日曜日。2月最後の日。普通に起き出して、夕方までに仕上げて納品する仕事の算段をして、普通に朝食をして・・・世の中はお昼どきだけど、隠居じいちゃんと極楽とんぼにはいつもながらの「朝」。だけど、オリンピック最後の日。男子ホッケーの決勝の日。予選リーグで負けて国中が青ざめて総立ちになったホッケー命の国カナダと、そのカナダを破ったアメリカのリターンマッチ。どっちが勝っても負けてもどえらい騒ぎになりそうな組合せだけど、オリンピックじゃ引き分けってわけにもいかないんだろうな。もちろん、ワタシはカナダに勝って欲しい。なんたって「ボビー・ルー」ことロベルト・ルオンゴの大ファンだもんね。
試合の立ち上がりはすっごいスピード。あんなペースでやっていたら60分も続けられるのかと思うくらいのめまぐるしい展開。だけど、仕事を終わらせなければならないから、試合を見ているわけにはいかない。観戦は日和見やぶにらみファンのカレシに任せて、せっせと仕事。気にはなるけど、期限が刻々と迫ってるの。ぎりぎりなんだから。なのに、カレシはプレーが止まるたびに経過説明に来る。なんだ、どうでもいいなんて言ってたくせに、やっぱりけっこう盛り上がっているなあ。あと20秒ってところで同点になったときは、階段を転がり下りて来て報告。でも、延長戦でクロスビーがゴールして、また階段をどどど。ま、ワタシも「やった~」と飛び上がったけど、うん、良かった。
ということで、オリンピックも終わり。閉会式はちょうど食事が終わった頃で、初めの道化師が出てきて、開会式で不具合があったという聖火台を直しているところ。ちゃんと直して、点火ししたじゃん、遅くなったけど。カナダ人だってちゃんとやることはやるんだからね、ほんと。最悪でも最低でも何でもいいけど、バンクーバーオリンピックは世界の人たちをもてなすためと言うよりも、カナダ人によるカナダ人のためのオリンピックだったと思う。あれだけ反対派やそっぽを向いていた人間がいたのに、始まってみたらまあ盛り上がること、盛り上がること。そういうワタシもだんだんに引き込まれたから不思議。それだけの魔力があったんだろうな。
新聞に「民族形成のエポックメーキングだった」と書いてあったけど、ほんとうにそうだと思う。カナダは若い国なのだ。ある人たちには、歴史も伝統もない劣等国だと見下されるべき対象になっているらしいけど、カナダは世界中から集まった人種や宗教や文化や言語の違う移民が「カナダ人」というアイデンティティを模索して来た国なのだ。人口はわずか3300万人。でも、その中に自らの意志でカナダを自分の国として選んだ人たちがどれほど多くいることか。ダウンタウンで試合の様子を見ながら、一喜一憂しながら、カナダの国旗を振って「カナダ、カナダ」と声援している群衆の顔の多様なこと。あれがまさにカナダの顔なのだ。カナダという国を自分の国として受け入れて、自らの意志で「カナダ人」になった人たちほど、カナダへの思い入れや誇りは大きい傾向があると思う。単一民族であることが誇りの国の人たちは理解に苦しむかもしれないけど。
いろんな不便があったし、借金も残るだろうけど、今回のオリンピックがこうした多様な人たちが「カナダ」に誇りを持ち、「カナダ人」であることに自信を持ってひとつにまとまる結果を生んだとしたら、やって良かったと思う。愛国心(patriotism)は自分の国の清濁をひっくるめてその国民であることに自信と誇りを持ち、良くして行こうとする気持だと思う。他国を誹謗したり、見下したりすることで自国を持ち上げようとするのは国粋主義(nationalismの一面)であって、必ずしも愛国心と同じものではない。愛国主義は他の国はどうであっても自分の国は自分の国なのに対して、国粋主義は他の国に比べて自分の国は優等だ、高等だと思う、いわば「仮想的有能感」の発露といったところかもしれないな。国というのはそれを形成する人間の大多数に似るんだと思うけど、オリンピックで心をひとつにした形成途上の「カナダ人」も国粋主義には走らないようにしないとね。